書泉シランデの日記

書泉シランデ【MAIL

My追加

絶不調でしたが・・・
2005年01月31日(月)

ほんと、「この頃わろきぞかし」。
絶不調・・・この「絶」ってどういう「絶」なんだろ、絶好調からいい加減に類推された言葉だとはわかるけど・・・まあ、いいや。とにかく絶不調。これを更○期のせいにするのは、たぶん間違っていないのだろうけれど、世の中、何でもかんでも、どうかすると30代の人までそういう言葉で物事を簡単に片付けるから、へそ曲がりの私は使わないでおく。

こりゃもう生産的なことはできない、と思って、98年スカラ座の「マノン・レスコー」のDVDを見る。暮れに録画して焼いておいたのをようやく見られたのである。絶不調にしては頑張って、音だけはステレオのスピーカーから出るように配線。7年前のクーラって若々しくて、いかにもデ・グリューの役がよく似合う。なるほどねえ、と感心して見た。熱唱だよ、熱唱。

わたしが生クーラを聴いたのはたぶん2002年だったんじゃないかな、全然いいと思わなかった。「アイーダ」のラダメス役だった。上から見下ろすような席だったから、前頭部の毛の薄さが印象的だったぞ。その頃から指揮に転身するのなんの、といわれ、歌手としての評判が下り坂だったが、また歌うほうに身が入ってきたというのが最近の噂だ。切符の値段さえ妥当なら、次の来日でまた聴いてもいいけど。

さて中村勘九郎、大変な災難だこと!七之助って見るからに、おつむ軽そうだものね。(かつらが載ると重くなって人並みかぁ?)朝、思わずワイドショーに釘付けになってしまった。夕方の本人の会見は見逃した、残念。襲名披露の公演、降りたほうがすっきりしないかねえ・・・。勘ちゃんがかわいそうじゃないですか。

あんまり芸術系の人に常識を要求するのは好みではないけれど、多くの一般人はなけなしの小遣いの中で工面して劇場に通っているのだ、そうやって伝統芸能を支えているのだ、ということをもう少し理解すると、稽古に身も入るし、役者であることの意味も見えてくるんじゃないかしら・・・もちろん、その程度のことが理解できるアタマあっての話ですが。

絶不調のわりには書いているじゃないか、とそのわけを自分なりに考えると、やっぱりクーラの声でホルモン中枢が刺激されましたかしらねえ・・・。それじゃ正真正銘の更○期?




われはこの頃わろきぞかし
2005年01月30日(日)

この頃、本を読んでいません。いけませんな。
読書日記に分類する以上読まないなら書かないのが嗜みというもの・・・でも、何か書いたほうがいいよ〜といってくれる人がいるので、与太を書きます。慙愧、ザンキ。

今、♪「マタイ受難曲」を聴きながら、書いているのだけど、ゲルネのイエスが実にぞくぞくっと素敵。聴いているうちに、まったく脈絡なく、「更級日記」の中の一場面、孝標女が「いときよげなる僧の、黄なる地の袈裟きたる」を夢に見るシーンを思い出してしまった。確か、源氏に夢中になっている彼女に僧が「法華経五巻をとくならへ」とかなんとか注意するのに、孝標女は「われはこの頃わろきぞかし」とか言って、ぺろりと舌を出すのである(半分ウソ)。こんな声のイエスがいたら、私はきっと不純な目的で説教を聞きにいくだろうと思う。このCD、またシャーデの福音史家が若々しくていいのです。うるうる。

宗教音楽をこんなに官能的に作曲するのはいかがなものか?バッハさん、いけませんぜ。

坊主はイケメンがいいといったのは、「枕草子」でしたっけ?顔をじっと見ているからこそお説教のありがたみがわかるとか言っていたような気がする。はなはだ軽薄ですな。誰か坊主は声がいいのがいいっていってなかったっけ?言わないなら私がいいましょう。坊主は声がいいほうがいい。坊主に限らず男は声です。

去年は息子の受験の発表の日にマタイ受難曲の公演であったのでした。あのときのペッツォルトさんの福音史家もツバを飛ばしながら、さすがの名演でした。あれから1年たって、息子のヲタ度は増すばかり。今日、彼は仮免の試験で、何とか○だったみたい。明日は数学の試験だろう、勉強しろよ!してちょうだい。


お菓子にも流行?
2005年01月29日(土)

ファッション業界の流行色は毎年、なんとか会議で決まった色を使うそうだが、製菓業界にもそれがあるのだろうか、と我家の昼時の話題になった。

たとえば、最近はロールケーキ。とりわけ中にフルーツを巻き込んだもの。それとこのお正月にあちこちで新製品として見かけたのがガレット・ロワだっけ?フランスの新年菓子で、中にコイン(とか陶製の人形)が入っていて、それに当たった人はラッキーというケーキ。

逆に、なくなりはしないものの、第一線をひいたように思われるのが、シフォンケーキ、クイニーアマン、シナモンロール、ティラミス。

お菓子も目新しくないとダメなのかしら。横並びでいっせいに手がけないと売れないのかしら。我家の結論では、きっと製菓組合が新レシピ講習会をはなばなしくやるに違いないということになった。(その後、ちょっと業界紙のHPを見たら、アテネオリンピックを意識して、ギリシア風パン数種類のレシピとその売り方が紹介してあった!となると、今年辺りからワールドカップを意識してドイツもの?)

定番になって生き残っている王者はアップルパイショートケーキ、シュークリーム。この辺は私が子どものときからある。高校生大学生の頃チーズケーキがはやり出したような気がする。これも定番になっている。ミルフィーユなんかはその頃からだろうか。洋菓子変遷史なんていう連載記事をどこかの雑誌で企画してくれないものか。

それにつけても、とらやの羊羹はえらいなあ、と思うばかり。お菓子の王様ですよ、ミカド?スメラミコト?



世界の古書・日本の古書展
2005年01月28日(金)

古書を買う趣味もお金もないのだけれど、案内をもらったので、一仕事終えてから日本古書籍商協会主催の展示販売会に行く。六本木ヒルズとは意外な場所。

一番高かったのは、源義経文書(2軸)の7000万!これはほとんど法外な気がする。源氏物語の室町写本の2600万も印象に残る値段。同じく源氏の江戸写本はきれいな表装で1260万。だんだん、感覚が麻痺して、数十万だと安いもんだ、という気にさえなる。

こういう貴重書レベルの展示にはあまり足を運んだことがなかったので(敷居が高いし)、なかなかいい勉強になった。惜しむらくは、あれこれ薀蓄を傾けてくれる先達がいなかったこと。(サ○○さん、是非ご一緒したかったわ。)お金さえ沢山あれば、奈良絵本や絵巻など、まだずいぶんきれいなものが手に入るのだねえ。五山版や古活字も市場に出回っているし、西鶴の浮世草子の美本もまだ流通しているのね(1250万)。図書館にあるのはどれもこれも汚いのに、個人がこっそり大事にしているものの美しいこと。誰が買うんだろう?大学図書館に今どきそんなお金があるのだろうか?宗教法人なら楽勝かな?売れる程度の高い価格なんだろうね。

新しいものでは啄木の手紙の630万には驚いた。内容がいいことはわかるけど、何もそこまでっていう感じ。

外国の古書は見当もつかないので、ほとんど無視。死海写本の小さな断簡が1700万だそうだ。世界全体へのインパクトからいうと、本当に小さな切れっぱしとはいえ安いような気がするな(なんていっても高々義経で7000万)。ファーブルのノートやら草稿のセットが900万、安いのか高いのかもわからない。ワーグナーの手紙210万、シューベルト自筆楽譜1ページだけ262万なんてあたりはどうなんだろう?そのくらいの値段なら買う人はいそうだけど。

私がいずれ欲しいな、と数年来思っているのは、ヴェラムの楽譜1枚ものぐらい。下手なリトグラフを買うくらいなら、断然こっち。額に入れて飾っておきたいものだ。でも、まあ言ってみるだけ。

ともかくも本日は目の贅沢をいたしました。


『マタンゴ』
2005年01月27日(木)

私は映画をあまり見ない。去年は3月くらいまでに3本も映画を見て、この先どうなることかと思ったが、結局その後は1本も見なかった。今年は1本も見ていない。そんな私が今までに見た一番怖い映画といえば、63年の東宝映画『マタンゴ』である。『ゴジラ』だ、『モスラ』だというお子様映画とは違うぞ。人が人を信じられなくなるという本質的な恐怖に迫る・・・少なくとも幼い私は迫られた。一体誰が小学生にこんな映画を見せたのかしら?なにしろ私はこの映画をみて以来、20年以上、ブロッコリーとカリフラワーが食べられなくなったのだからね。

詩人であり映像作家でもあり、おまけに大学の教員までやっている福間健二氏は作中の「極限状況におかれた人間の相互不信のドラマ」を認めつつも「東宝的都会人種の浅薄さにうんざり」と語るが、田舎の子どもであった私には氏の言説の後半は全く意味をなさない。初公開のとき、1949年生まれの氏は中学生、そのときそう思ったのなら、早熟さに感嘆しつつ許すんだけれど、1986年の映画日記(現代詩文庫「福間健二詩集」所収)にそう書いてしまうのは意地悪よ。37歳にもなってインテリがこんなもん、真面目に見るなって!60年代には田舎と都会の格差が今よりもはるかに大きくて、都会的浅薄さは田舎の若者のあこがれでさえあったのではないか?そうじゃなきゃ、石原裕次郎(日活だけどさ)にあんな人気が出るわけないじゃん。

で、その『マタンゴ』が、なんと京橋のフィルムセンターで先月から上映されていることを知った。夫は『マタンゴ』を見ていないので、長年、これに関しては夫婦の齟齬をきたしていたから、是非行くようにと薦めた。福間くんと妻と、どっちのいうことが正しいか、その目で見ておいで、である。(福間氏は夫の連れ。)次回は2月20日夕方5時。私は行かない。怖いから。またブロッコリーが食べられなくなるもの。

ついでにいえば、洋物で怖かったのは『キャリー』。こういったら、うちでホームステイをしたライアンが大笑いした。でも私は怖かった。そういえば『オーメン』も怖かったな。『エイリアン』も怖かった。お金を出してまで怖い思いをしたい人がいるなんて信じられない。ブッシュを世界の盟主にさせちまう現実社会は十分に怖いと思うが。





江戸時代の女性のお仕事
2005年01月26日(水)

このところ必要があって、江戸時代の女性についてにわか仕込みの勉強をしている。必要がなければしないのだから、必要は発明の母ならぬ勉強の母である。今日、林玲子さんの論文を読んでいたら、下層階級の女性の生業についての記述があって、ちょっと面白かった。

18世紀末から幕末にかけ、江戸で多かったのは、賃洗濯、賃縫いを筆頭とする賃仕事や日雇いだそうだが、江戸は男の多い都市だから、賃洗濯、賃縫いなんてのは実にわかりやすい。賃洗濯は今でも頼むが(クリーニング)、賃縫いも便利そう。

さて、その後は、武家や上流町人宅での住み込み奉公。週7日24時間勤務だからきつかったろうね。このあたり、西鶴なんぞの小説で人件費の計算なんぞすると、びっくりするほど安い。でも大女の飯炊きなんかがいいお金を取っている。乳母もいい(自分の子はどうする?)。

商売をする女は、というと、豆腐、菓子、団子、煮しめ、貝(佃煮かしら?)などを商うことが多かったそうだ。製造直売ですね。今でも田舎の村おこしでありがちなパターンか。そのほか、(細工?)、刻み煙草(専売制とのからみは?)、たどん、畳糸、糊、下駄の鼻緒などを作ったり、線香の付木や樒、花を売ったり(門前商売か?)、サービス業では寺子屋師匠、音曲師匠、按摩、とこの辺りまでは悪くないのだが、米搗き(体力いりそー、伊調姉妹みたいな人じゃないと)、水汲み手伝い(同前)魚の餌堀り(みみずを取って売る?)、紙くず選別と落ちていく。

なるほど、都市の雑役は女の手で担われていた部分も大きそうだ。でも、自立して生きていくだけの収入があったかどうかは怪しい。これが大阪だと、夫や親、場合によっては主家の家業を継承することもあったらしい。

さて、どうしてそんなことが調べられたか。大体、国勢調査をするわけではないから、印象としてこんな仕事をしていただろう、はあっても、実際の資料はないわけだ。それをどうやって調べたかというと、なんと孝女として顕彰された女の事跡からだというのである。さすが歴史の人って面白いものに目をつけるねえ。


地元の電気屋さん
2005年01月25日(火)

近所の電気屋さんに頼んでつけてもらったお風呂の暖房機、イマイチ調子が悪くて見て頂戴と頼んでおいたら、今朝、夫も私も家を出た後に、朝9時頃見に来てくれたそうだ。息子在宅で助かった。具合悪かった部分もうまく直ったようだ。

このところ、物騒なことも多いから、身元のはっきりしない人に家に入ってはもらいたくない。近所の電気屋さんはやっぱり高いけれど、今日のようなときにはありがたい。これが○ジマで買ったものなら、修理といっても、なかなか厄介である。こうして朝イチにちょっと見てくれるだけでも助かるし、地元電気屋さんは我家より絶対資産家だから、ことと次第では留守中にやってもらうため鍵を預けてもいいとさえ思う。

安心感、信頼性、コンサルティング能力など、目に見えない部分への対価は支払うべきお金なのではないかしら?価格破壊の掛け声にのって、少しでも安いものを買うのがよいことのように思われていたけれど、安ければよいのではなく、誰もが適正な利益を得られるような社会であるべき。(そういう意味で百円ショップでは買いたくない・・・底辺の労働者を酷使して、資本家に儲けを集中させるようなシステム。)

電化製品についていえば、故障というものがある時点から非常に少なくなって、それとともに「アフターサービス」ということのありがたみが感じられなくなった。そのうち、直すより買い換えるほうが安いといわれるようになった。しかし、本当にそうだったのだろうか?買い換える決心をするときには修理費との比較もさりながら、新製品の機能性に心ひかれたのではないか?売るほうもまた、そのほうが利幅が大きかったから、あえて廉価な修理をしなかったのではないか?(もちろん人件費の高騰とか生産体制の変化によるコストダウンもあったには違いない。)

その結果、消費者は、アフターサービスの利便性など問題にしないで、そのときの価格だけを見て量販店で買うようになった。町の電気屋さん自身が自らの首を絞めた部分もあったはずだ。

ところが、世の中の治安が悪くなり、人が信じられなくなり、私は町の電気屋さんを見直している。それだけでなく、家電のシステム化、情報化のわずらわしさを、「とにかくうちへ来て、何ができるか見て頂戴」の一言で片付けられる手軽な専門性も便利なところだと思う。これから復権が本格的になるかどうかはひとえに電気屋さんの腕次第・・・あれあれ、電気屋さんのことでやけに饒舌になっちまった・・・。


ブラームスはお好き?
2005年01月24日(月)

ヴェンゲーロフのヴァイオリンって人をとやかくいわせないようなうまさがある。(とやかくいう人は、テクニックがあるからって、そこまでやる必要はない、という類のことをいう。)私は「ブラームスはお好き?」ではない人間なので、ブラ・コンにもそれほど心は動かないのだが、ヴェンちゃん×バレンボイム×シカゴ響のは、CDで聞きながらも、思わず聞きほれてしまう。わざとらしく注意をひくような小細工は一切ないし、技巧的な部分も技巧でなく音の流れとして自然に聞かせてくれる。ヴェンちゃんに問題があるとすれば、やっぱりうますぎて、努力のあととか、選曲の方向性に対する姿勢とか、そういう人間くさい面白さがないところだろう。(ただしヴェンちゃん自身には十分普通の人っぽい面白さを感じる。)

『ブラームスはお好き?』って今でも新潮文庫であるのかしら?昔は確かベルナール・ビュッフェの絵(あるいはビュッフェ風の絵)がカバーについていたような気がする。タイトルなんて直訳のまんまだと思うが、70年代にはおしゃれだったよね。サガンもひところは女子学生の必読図書だったが、いつの間にか、あまり見かけなくなった。特に時代性が色濃いような話だったとは思えないが、いったいどうなっちゃったんだろう?今読むとどんな感じがするだろう?

忘れっぽい私は、今後一切新刊なんか出なくでも、昔読んだ本を読み返すだけで十分死ぬまで満足できそう。でも、昔読んだ本が姿を消したら、たちまち何を読むかで困ってしまいそうだ。これを裏返せば、新刊にはいかにつまらない本が多いか、ということでもある。


読書仲間とおしゃべり
2005年01月23日(日)

読書仲間と会っておしゃべり。
毎度のことながら、みなさんの慧眼には恐れ入ります。m(_ _)m

読むことは本来個人的な営みなのだけれど、同じテキストをどう読んだか、をそれぞれ話してみることで、得られるものはとても大きい。自分の中の言葉が、外に出て行くことで人と共有され、存在が確認できるだけの読みに育つ快感。そしてその逆に、誰かの心に受け止められたものが、言葉を介して外に出され、ご本人とは独立したところで読みの像を結ぶことの面白さ。

解釈の妥当性を確認できる安心感もさることながら、見落としていた部分に気付かされたり、関連する作品や状況等について教えてもらえたり、いいことづくめ。さらにテキストの理解は同じであっても、受け止める感受性は様々なので意外な方向へと話が運ばれる。物事は一致しないほうが面白い、と言い切れるのはまさにこういう場面である。

分別のある大人(そんな人がいるとして)として振舞うことを要請される年になりながら、青臭い学生のような話をして楽しめるのは、なかなか贅沢なことかと思う。疑問を疑問として意識化させずに押さえつけ、全部わかったような顔をして過ごすのはどこか落ち着かないものだ。人間いくつになろうがわからないことはわからないのだから、無理して分別なんぞ持たなくていいやね

長居を許してくれるパ○スホテルのラウンジもいいなあ・・・つぶれない程度にご繁栄のほど。


あやしいこと
2005年01月22日(土)

一葉の作品を読み返していると、天才どころか、相当妖しい人だったんじゃなかろうか、とあらぬ方へ想像が伸びていく。戸主として、武士の娘(なりあがりの変な武士だが)として、母と妹と3人の暮らしを支えた孝女、というだけでは説明がつかないような目線。

何を考えているかのと呆れられそうだけれど、数年前の東電OL殺人事件のことなども思い出したりして・・・。

こちらは怪しいほうですが、新国立劇場の『ルル』一件も結構あちこちでかまびすしく取りざたされている。集客力があることは必ずしも芸術性の高さではないが、切符を売らなくてはいけないというのも劇場にとっては大事なことで・・・それに問題の人のバックに大きな団体がいるというような話も・・・とすると、これまた高度の政治的判断を要求されることで・・・世の中いろいろ難しいっす。口と理屈だけじゃ文化は支えられませんが、金だけで支えるとレベルは「ゆとり教育」なみに、下方修正の連続になるでしょうから・・・でも、まあ、今に始まったことでもなし、と楽観的になりましょうか。

息子はウルフの『灯台まで』を読み終えたそうな。昼どきに「つまんなかったんじゃない?」と尋ねたら、「いや、すごく面白かった。今までに読んだ文学作品の中じゃ最高に」といわれてしまった。???この子、今までに何を読んでいたっけ?『指輪物語』あたりで止まっていなかったっけ?『阿Q正伝』だっけ?と母は彼の読書歴を振り返るのに必死。どこがどう面白かったのかと聞くと、「何にもおこらねえところ」と一言残し、ヲタの集まりへと出かけた。ホントカネ?これも相当アヤシイ出来事だ。




JR人身事故
2005年01月21日(金)

今朝の人身事故で迷惑をこうむった人が4万9000人だとかいっていた。はい、私はその一人です。電車は止まったまんま40分。満員の蒸し風呂状態。都合1時間缶詰状態でした。当然遅刻。

こういうときに必ず思い出すのが、アウシュビッツへと向かう乗客満載の貨物列車という話。不謹慎だと思うけれど(虐殺の被害者に対してであって今朝の自殺者ではない)、車内の辛さぐらいはわずかでも想像できます、といいたくなる。

何かの雑誌に中央線のことを「走る樹海」だなんて書いてあったけれど、まったく死に場所を線路に求めるなんて許せない。飛び込んだって成仏できないよ、もう。どれだけの人の恨みを買うと思っているのかね?あの世へ行く途中に、乗客の怨念が納豆の糸のようにからみつくに決まっている。「人身事故が・・・」と放送があったとき、どの人も一様にウンザリした顔つきで、誰一人死を悼む顔なんかしませんよ。

自殺するときは、無関係な人に迷惑をかけない。
死にゆくものの常識にしてもらいたい。

それにしても、JRがあんなに謝る必要はないのではないかしら?車両事故や信号故障なら平謝り、払い戻し当然で臨んでもらいたいが、飛び込みはJRだって被害者だろうに。

朝からうんざり。疲れは一日中体に残存。

i-pod miniとshureのイヤホンがなかったら、どれほど空しい時間だったか。
shureのイヤホン、聞きしに勝るスグレモノ。




『ルル』変更のこと
2005年01月20日(木)

新国立劇場で来月の『ルル』の公演が急遽3幕から2幕バージョンに変更されたそうだ。びっくりした、と同時に、やっぱ、みたいな感じもある。関心のない人には高見盛の勝敗以上にどうでもいいことだろうが、変更の理由は一部の歌手の不出来らしい。だからといって、3幕を2幕にするのが過激な変更であることには変わらない。

私は最初から『ルル』を見に行きたいとも思わなかったから(だって「え、あの人が?歌えるんだ、へぇ〜〜」というのが、キャストを知った第一印象)、実際どうでもいいけれど、新国立劇場っていつも迷走している感じ。出来たときから、天下り施設といわれ、客席が少なくて採算割れするから、と引越し公演などからは見向きもされず、日本人歌手を育てるとかなんとかいいながら、何年たってもぱっとしないので、ついに必ず裏キャストでは日本人歌手にソロを歌わせるというような甘ったれぶりを最近止めたはずだ。誰が歌ってもいいから、質の高い公演をめざしてもらいたいものだ。この人なら採算がとれる、といって、人気だけが先行する人は使わないほうが無難でしょうに。

春の『フィガロの結婚』のムラーロは絶対○だと思ってます。去年『ドン・ジョヴァンニ』でレポレッロを歌ってとてもよかったから。新国の友の会の会費まで払いながら、先行発売で買い損ねたので、しみじみ残念。暮れにあれこれ買った切符の請求が来ていて、ちょっとくらくらする昨今。それでも月末には頑張らないと・・・。



時代物を大事にしましょう
2005年01月19日(水)

ときどき市報のリサイクル欄で、win95や98を搭載しているパソコンを売ろうとしている人を、「ケチだ、おばかだ、いまどきそんなもの欲しがる人があるもんかい」と思ってきたが、今日の私こそまさにそれを欲しがる人であった。

あほな私はこの夏PCを変えたときに、win-meもwin-95もいっきに処分したのである。ろくに見もしないし、必要なものだけメモリー移せばいいわ、とそんな感じ。

ところが昨夜ベッドに入ってから、ふっと思い出した仕事がらみのCD−ROMの数々・・・全部パアになるではないか!そう気付いた瞬間、目の前は真っ暗になり、気がつくと朝になっていた(笑)。そしてすっかり忘れ、次に思い出したのは帰りの電車の中であった。(中には騙し騙しXPで動かせるものもあるけれど、一回検索するたびに立ち上げなおさねばならない。)

で、先ほど夫に「ねえ、古いノーパソ持ってない?」と聞いたら、あっさりwin95があるという。大安堵とはこのことでござい。もう使わないからいいというので、この際、もらっちゃいました。救済されたCD−ROMの総額はヴィトンのバッグが3つや4つは買えるくらい。これがお手柄でなくて、何がお手柄でしょう。古いものは大事にしないといけません。捨てる能力のないやつ、と日ごろ軽蔑していましたが、世の中はいろんな人がいてうまくいくのですね。私ってホント男を見る目があるわ♪夫を生かすために存在する妻そのものですわ・・・ん、エライのは私か?




『祖父・小金井良精の記』
2005年01月18日(火)

『祖父・小金井良精の記』(上)・(下)
  星新一

読もうと思ったのは、ショートショートの名手星新一がおじいさんのことを書いているからではなくて、小金井良精=喜美子の旦那=鴎外の娘婿だから。小金井良精の名は、鴎外を追いかけて来日したエリスに対して、森家側の代表者として交渉にあたった人として記憶にあった。東大医学部の先生という以上の知識はなかった。

星新一は、可愛がってくれた祖父ならばこその敬愛と関心を持ち、かつ身内ならではの資料をもとにこの記をまとめている。恣意的な解釈や情緒的な物言いは極力抑制されている。物足りなくもあるが、大切な人のことをあれこれ個人的な感情を交えて書いたりしては、他人が読むと、読むに耐えない作品になりがちだから、こういう控えめな書き方がむしろ適当な選択だろう。

エリスと交渉したということだけで、私は小金井良精って小器用な人なのだろうと想像していたが、実際は極めて学者肌、律儀で真面目で地味な人であったようだ。退屈といえば退屈な祖父の記なのだけれど、それでも読み通せるのは、コツコツと研究を重ねながら、家族を大事にしながら生きていく日々そのものの記録ゆえだろうか。もちろん、同じことを鴎外が書いたなら、こういう省略のしかたはしなかっただろうな、とか、星新一独自の文体の魅力がないな、とか随所に感じるのだが、それ以上に等身大の祖父を浮き彫りにしたいと思う誠意あふれる筆致が感じられて、心地よい。

また、明治医学界名士交友録としても面白い。鴎外が医者であり文学者であったように、他の医師たちも鴎外の域に達さないまでも何かしら趣味を持っていたわけだし、人類学関係の交友からも思いがけない人名などが出て来るし、さらには、ほんの少し前に幕末維新だったのだから、まるで小説を読むかのように聞いたことのある人たちが登場する。当時の文化人のありさまを彷彿とさせる。明治という時代は、学者だ、医者だ、作家だというような縦割りでなく、経済界の人々まで含めて、文化を支えた人々というような視点で論じなくてはいけないのではないかと痛感。

鴎外大先生の『渋江抽斎』の魅力にははるか及ばないものの、期待以上の読後感である。事実を書き連ねただけの伝記を面白く読めるようになったのは、読者であるこちらが、事実と事実の間に潜む人間模様をいちいち説明されなくても多少は想像できる程度の年齢になったということかもしれない。年をとって経験値が高くなっていいこともある。(その反面、くだらないドラマに共感するのが、ものすごく難しくなったけど・・・。)

★★
河出文庫



星新一がなくなって、もうそろそろ8年経つそうな・・・割合若くしてなくなったような印象だったのだが、それでも享年71歳。中学生のときずいぶんショートショート読んだものです。


センター試験 国語
2005年01月17日(月)

病は気から、というか、最近、追われているな〜と思った途端、翌日から(つまり昨日)熱が出た。はあ・・・。くわっと高熱を発して、大体大人しくしていると一日で下がる、というのが私のパターンなのだけれど、今回は熱の出方もとろくて(悪寒は一人前だったのに)38度程度、なんだかな〜、この元気のなさも年のせいか、と思わないでもない。当然、下がり方も気に入らない。

センター入試(といっても問題すら見ていないけれど・・・うち新聞とってないし)の国語で、教科書にあった文章が出たそうな。こりゃひどい失態。マスコミが比較的騒がないのは、得点調整のしようすがないからだろう。絶対、エライ人が口封じに動いているに違いない。予備校の模擬試験に出たというのとは違うから、教科書のチェックを怠ったなんて切腹モノですぜ。タイトルが違ったからわからなかったそうだけれど、そうかなあ・・・大岡信だというところで、一応は目を通すべきだったと思うけれどね。

出題は複数の人が行うのだろうし、大学入試センターというくらいだから、それ相応の資料も揃っているに決まっているのに、とにかく呆れてモノがいえない(といって、これだけ言っている)。

出題者は旧国立大学の教員か誰かが無作為に依頼されるのかしら?入試センターの職員が年がら年中問題作る仕事をしているわけでもないでしょう。誰だってやりたくない仕事よね、そんなこと。気ばっかり遣って、自分の手柄にもならない。たぶんペイはいいだろうけれど・・・今回の現代国語担当者は返却しなさいって!ドロボー!去年だったらもっと本気で怒るよ!

河合塾は古文の問題にもいちゃもんをつけているらしい。確かに選択肢つくりは難しいのです。これからは出題者は過去に予備校で働いた経験のある人に限ったらいかが?

大昔の話ですが、私の時代には一次、二次とありまして、なんとその一次試験に出た忘れもしない「更級日記」。入試直前に同級生のセニョールと仇名された少年が作ってくれた手書きの予想問題と同じだったのですよ!今となっては、クラスも違うセニョールがなぜ私にそんなものをくれたのかさえ謎なのだけれど、とにかく、あのときの喜び、安堵感、筆舌尽くしがたいものがありました。で、恩知らずの私は、セニョールにお礼を言った記憶がない・・・セニョールは確か京大に進み、日立製作所か何かにお勤めだと風の噂に聞いたような。今からでもお礼を言って、来月にはチョコレートの一箱でもお送り申し上げたいものです。



仕事しすぎはボッケリーニで
2005年01月15日(土)

仕事なんてそんなものだ、といわれれば、その通りなのだが、最近、休みのたびに仕事に追われているような感じがする。今日も午後は声楽の先生に頼まれた原稿やら、本職のほうの仕事やらで、結局ワープロと向き合って過ごしてしまった。

息子はヲタの会合。

夫は「ネバーランド」を見に出かけたので、邪魔が入らず、はかどりはしたが、集中しすぎたあまり、歯茎が痛い。集中すると歯軋りをするのである。

不調だったアンテナも勇気を出して、地元電気屋どのにカミング・アウトして直してもらったというのに、実はテレビなんぞろくに見ていない。録りだめしたオペラも沢山あるのに、おいおい、どうするよ、というところだ。

以前、吉祥寺のアクセサリー屋のおねえさん(私より10歳くらいしか若くないと思うが)に教えられた、エンリコ・ガッティのグループが演奏するボッケリーニがBGM。

ボッケリーニは、例の ♪チャララララ、チャーンチャーラチャーラッラ〜 で始まるチェロ・ソナタが使われすぎて、お気の毒。殆どの人はあの冒頭のメロディーを着信音か、保留の音楽として聞いている。聞いたことないわ、という人なんぞいないと思う。でも、あれがかえってボッケリーニを安っぽくして、人を遠ざけている。弦楽四重奏、五重奏の類、たいそう優しくて二重丸


司書さんの話
2005年01月14日(金)

図書館の司書さんと話をする機会があった。今の子は本を読まない、という話題はほとんど挨拶代わりだ。ただ、耳新しかったのは、「彼らは読みたがるけれど、『絶対面白いのはどれ?』と尋ねて、無駄を嫌う」ということ。司書さんいわく、「私が学生のとき読んで面白かったからって、今の子に面白いとは限らないでしょう?何が面白いか、自分で見つける楽しみが読書の楽しみの一つなのにね」

うちの息子も、何読んだらいいかわからない、とぼやく。つまらなかったら読むのをやめて、別のを読めばいいだけなのだが。彼の問題は、本を買うと必ずそれが家にあり、しかも読んでみても彼には面白くない本と相場が決まっていることだ。この間はウルフの『灯台まで』を持っていた。それって親の私が学生時代に読もうとして結局挫折した本だよ。彼には無理、ムリ。

私の知っている女子学生は、日めくりの標語が3行程度に分かち書きをしてあるだけのものを「詩集」だと信じていて、「長い小説読むより、いいたいことがすぐわかるからいい、落ち込んだとき元気が出る」という。そりゃちょっと違うでしょ、といいたいが、それでも本を読んでいるのだから、水を差すのも気が引けて、「ああ、そうなんだ〜」と物分りのいい顔をしてしまう。そんなにすぐわかりたきゃ、「元気を出して頑張りましょう」とだけ書いた紙で十分じゃないか、と思う。大体、その程度のものを「詩集」だなんていって売るのは、燃料用アルコールを焼酎だといって売るくらいひどい詐欺だ。腹は壊さなくても、頭が壊れる。

詩に限らず、文学的な作品は、そこに書かれていることを超えた何かを伝達できなければ、わざわざ書く意味もないし、読む意味もないと思うのだけれど、これってマニアのたわごと?



週末には雪?!
2005年01月13日(木)

週末、センター試験の頃にはが降るそうな・・・
大変だなあ、受験生よりも親御さんのほうが。
入試センターに駆り出される教職員も大変。

うちの息子みたいなお間抜け組もたくさんいるに違いない。
お間抜けは多少のことには動じないからかえってラッキーかも。
気の毒なのはテンションの高い真面目組だね。

息子、今日は学校へ行き、自動車学校へ行き、家庭教師に行く、という大活躍。明日は、学校へ行き、ヴァイオリンのレッスンに行き、自動車学校へ行くという、これまた大車輪。ただし何も彼が頑張り屋でそうしているわけではない。間抜けだから自分の予定をきっちり把握していないだけのこと。本当にバカ。

そういえば、この息子は週末、仮免の試験だとか言っていた。雪道でやるのかしらん・・・ソレハ困ルゼ。





『あなたが最後に父親と会ったのは?』
2005年01月12日(水)

『あなたが最後に父親と会ったのは?』
               
B.モリソン 中野恵津子 訳

癌に侵されて余命いくばくもない父親を見ながら、その半生を振り返り、当然息子である自分の成長に言及することになる、自伝的小説。ベッドに横たわる父親を看病する現在の話と元気だった頃のいろいろなエピソードが交互に語られる。抜け目ないようでいながら、気の小さい好人物の父親が生き生きと描かれている。しかし、主人公の「私」にとっては、父は常に息子の上に君臨する存在であった。文学肌の「私」は父と正面きっての勝負を挑むことはないまま、時が過ぎ、いまや死の床の父と向き合うしかない。

こういう父子物というのは、西洋の小説には多いような気がして、それを確認するために読了したような感じ。面白くなかったわけではないが、半分も読むと先が見えてきたのも確か。ただ、最後に「愛人」関係にあったかもしれない女性に真偽のほどを確かめようとする辺りには侮れないものを感じた。息子である「私」のエピソードの多くがどこかしら性的な色合いを帯びるのも、あるいはそこにつながって、「男」であることを語るものだろうか。(誤解のないように付け加えれば、主人公も、その家庭も特に乱れているわけではない。)

西洋物にはこういう父子ものが多くないか?『パードレ・パトローネ』のおとっつぁんは凄まじ過ぎたが、『アンジェラの灰』だってアンジェラといいながら、父親の落とす影が大きい。他にもありそうな気がする。うまく思い出せないけれど。とにかく、「男」として競う、というのが西洋の父子関係には足かせのようにつきまとっているのではないか。息子は成長して「男」にならねばならない。そして父親を凌いだときに一人前として認められる、みたいな考え方。父親が死ぬときになって、初めて愛を感じたりしてね。

それに比べ、日本の父子はそもそもライバルたりえないのではなかろうか?

日本の場合は「家」の継承ということで、第1走者から第2走者へ「家」を引き継ぐ物語になってしまうのではなかろうか?仮に父を凌ぐ息子であったとしても、そういうこと(オヤジより立派)ということで、息子がたたえられたりするかなあ・・・?駅伝のように区間新記録として、その代がたたえられることはあるけれど、先代との比較はあまりしないのでは?

これからちょっと気にしながら読書しよう。それにしても、国産父子もので、これはっていうの何かありました?宮本輝がなんか父親のことを書いていたような気もするけれど、どんなだったか忘れてしまった。

新潮社
★★



今日は久々に読書日記らしくなった。

朝の電車の中に韓国人の若いカップルがいた。女の子が彼氏に甘えて「ナントカカントカっちょ・・・」、「むにゃむにゃッチョ?」と発する語尾の「ちょ」が大変愛らしく響き、聞きほれてしまった。朝鮮国営テレビの女性キャスターもこういうしゃべりができるのかしら。特に「ちょ」がフェードアウトするかのごとく、ため息のように消えていくところ、絶品。


亀のサタケ
2005年01月10日(月)

最近、頭がたるんでいるようで、どうも本が読めない。整体の「みちるん」では「頭が熱くなってますねえ」といわれた。頭寒足熱というくらいだから、頭は冷やっこいほうがいいようだ。私が「みちるん」に行くと、息子は憐れんだ目をしてみる、「あんた騙されてるだけだよ」って。ま、そうかもしれない、でも、そうじゃないかもしれない。息子の顔を見て1時間いるよりは、みちるんでお金を払って1時間いるほうが、体にはよい。

「みちるん」にはサタケという名の亀がいて、サタケはオクヤマというメス亀に逃げられたダメな奴である。整体をしてくれるみちるんからは、常々この亀の話を聞いていた。見たのは今日が初めて。ミシシッピなんやら亀という。広辞苑くらいの大きさ、但し厚みはあの半分。柔らかい部分は黄色地に黒やら濃緑やらの模様入り。尻尾や頭は緑地に黄色ストライプでトカゲみたいかな。案外カラフルである。

ホットカーペットの上の靴の箱くらいのプラスティック箱がサタケのモバイル・プール。ぽちょんと入ってぬるま湯でぴちゃぴちゃ泳ぐサタケはなかなか愛らしい。カメの足にも肉球があることを初めて知った。

しかも、驚いたことに、サタケはみちるんの後追いをする。カメって人に馴れるんですよ、といわれてはいたけれど、まさか、と目を疑った。けど確かにみちるんの後をトコトコとついてくる。そこそこ俊足である。ひざに載せると肩までよじ登る。ソンナノアリ?


みちるんの心配は自分がサタケより先に逝くことである。「もう20年飼っているけれど、寿命は80年っていうから・・・私、子ども生まなくっちゃ」だって。親の形見に亀なんぞ押し付けられちゃ子どもも迷惑だっつうの。鼈甲の櫛かなんかにしなさいって。

整体サロン(実態は小屋)に、亀がほっついていていいのか、不潔だと言われそうだけれど、私はいいんだ、癒される。きのうまでカメなんて嫌いだし、かわいくなんかあるものか、と思っていた。でもサタケを見ていてカメへの偏見が7割方雲霧散消。でも残りの3割があるので、柔らかい部分に触るのはもうちょっと待ってね、でありました。

サタケの写真、撮ってくればよかった!


北島メンチカツ・夏みかん
2005年01月09日(日)

チョー気持ちいい、の北島くんが食べて強くなったという北島商店のメンチカツ。話題性が落ちてきたせいか、ついにうちの地元の駅ビルの地下に現れました。夫に買いにいかせたところ、別段何にも混んでいなかったとのこと。(世間はもっと早く食べているのだろうか?)

驚いたのはその薄さ。ハムカツがちょっと太った程度かな。食べてみると思いのほかあっさりしているのですが、ほとんど玉ねぎの味。正確には肉汁のしみた玉ねぎ味。ま、一度は試しに、というところ。私にしては相当珍しいミーハーでした。ちなみに北島くんは好きではありません。その道なら今は室伏君だけ

庭の夏みかん、今年はよく実って23個収穫できました。昨日、植木屋さんに聞いたら「もうもいでいいですよ」って。私はワープロの前にしがみついたまま、夫に「もいできて!」の一言。コマンドさえあれば、よく動いてくれる夫です。夏みかんは数日おいて食べるものらしいですが、待ちきれず食べてみたところ、ワイルドながらも上々。老犬の肥料も効いたのかしら。なお写真は11月末のもの。

今日は日がな書類カキをしていたので、雪かきよりも疲労コンパイ。何が苦手っていろいろあるけれど、様式の定まった文書を書くことが苦手ですかね。書いている最中に、腰は痛い、お尻は痛い、ひざまでしびれる、と来たので、明日は朝イチに怪しげな整体「みちるん」を予約。癒してきます。


植木屋さん
2005年01月08日(土)

朝、植木屋さんが来てくれた。
30歳ちょっとのお兄ちゃんなのだが、私は彼を日系ブラジル人と踏んでいる。
理由:カタカナ名前 あんど 手書きの字がどうも外国人くさい 口がちょっと重い
という単純な直感。聞いてみればいいのに、私はどうもそういうことは聞けなくていけない。何の偏見もないんだけれどね。

とにかくとてもいい人である。仕事の仕方が気持ちがいい。前は近所のおっさんに頼んでいた。でもあろうことか、言い寄られたりして(うれしくもなんともないぞ)縁を切った。翌年、昔のママ友の植木屋さんに頼んだ。ところが東京都の排ガス規制でトラックが使えなくてどーの、こーの、というようなわけで、紹介してくれたのが、今の彼。

仕事が丁寧。品よく明るい。エコ意識満点。おまけにエコノミー。

今日、彼がなぜか履歴書風の宣伝チラシをおいていってくれた。
それを見たら、ますます気に入った。というのは、人が高校を出る頃の年齢で、都立高校に入り、そこからストレートに大学を卒業し、英検とかいろんな資格を成人してから着々と取っているから。人と足並みをそろえてやるよりはるかに難しいことだ。ましてや植木屋さんの下働きというかアルバイトと両立させてやることは大変。中学時代に何があったかはしらないけれど、そんなことどうでもいいや、と思えてくる。

庭園めぐりと茶道が好きなんだそうで、勉強熱心です。芋虫青虫をよろこんで這わせているようなうちの庭では申し訳ないくらい。・・・老犬が若かりし頃走り回った庭でした。ソレデスッカリ芝ガ荒レマシタ。

植木屋さん

きれいになった庭は夜目にも気持ちがいいです。ただし、老犬だけはあちこち匂いが気になるようで、嗅ぎまわる、嗅ぎまわる。


こういう仕事なら喜んで
2005年01月07日(金)

『コシ・ファン・トゥッテ』や『フィガロの結婚』などの有名なアリアをコンサートで歌うために、レッスンを受けた、といいたいところだが、池田理代子じゃあるまいし、私は紹介のナレーション用の原稿を書いた。ボランティア仕事とはいえ、好きなものについて、真剣に読んで聞いて考えるのは楽しい時間だ。

オペラのアリアなんて、知っている人は別に紹介なんかなくても知っているのだし、知らない人はちょっとぐらい紹介を聞いたところで、フェルランドとドラベッラのそもそもの関係だってわからないのだから、途中でいささか空しい気持ちに襲われる。ま、知っている人の心の準備になる程度のことを書けばいいか、と居直って書く。歌うのに比べれば、まだこちらのほうがましだ。

声楽の先生には常々お世話になっているけれども、若き日のシュライヤーが歌うフェルランドの声を聞きながら、せめてこの半分のレベルの歌い手が歌ってくれればいいけどな、と思わないではいられない(ゴメンナサリマセ)。それにしても最高の演奏家のおそらくは修正つきの録音を聞きなれた耳でもって、普通の演奏家の失敗もそのまんまの生演奏にあれこれいうのだから、たまったもんじゃないと思う。演奏家たるもの、まず神経が太いことが第一要件ではなかろうか。

さて、いったんこれを書いてから、あおられているな〜と自覚しつつも、某ネットショップのチーズケーキにアクセス。一度の売り出し数がかなり少なく、昼の部にはあえなく討死。その分、闘志をかきたてられて、ちょうど10時にオン、しかしすでに残り8本。ここで迷っていてはまた買い損ねる。買い物籠に入れて、ダッシュするがごとき勢いでレジに進む。めでたく買えたとわかった直後、再びサイトに戻るともう「売り切れました」である。時間は10時2分ちょっと過ぎた位。ありえね〜。

おいしいのかって?食べたことありません。チョコレートはそこそこおいしい店ですが。


恋ぞつもりて
2005年01月06日(木)

何もないので、百人一首ネタを。

陽成院

つくばねのみねよりおつるみなのがは 恋ぞつもりて淵となりぬる

陽成院という人は、切れやすくてご乱行。16歳で摂政の藤原基経に退位させられた人だ。狂気の人だったと伝えられる。こいつが一人前にマツリゴトに手を出すようになったら、わけがわからんことになる、とでも思われたのであろうか。退位後は80歳過ぎまでのご長命。

この歌は調べがよくて、結構好きな歌である。意味もろくにわからぬまま小学生のときから知っていた。流行歌を歌うと怒られたのに、百人一首だと許されるというのは、親もろくに解釈できなかったからに違いない。でもそれでいいんです。呪文のように唱えられれば上々。「世の中はつねにもがもななぎさこぐあまのをぶねのつなでかなしも」なんてほとんど溺れている人に救援用のロープをなげる光景とシンクロしていた。

さて、陽成院のこの歌、「つくば」や「みなのがは」にもいろいろ薀蓄があるけれども、それはさておくとして、「恋ぞつもりて淵」というのはいかがなものか?

通常、ここは「ほのかな恋心がつもりつもって、静かに水をたたえた淵のような深い愛になる」と解釈する。でも、陽成院の気質を考えると、「淵」ってなんだか怖くないか?大体、淵といえば、沼や河の主が住んでいるところ。よどんで水の色もほの暗いところ。狂気が潜んでいるみたいじゃない?

歌や句はどんなものであれ現代語訳した途端に干からびてしまう。それなのに、多くの高校では現代語訳が古文の学習であるかのような扱いをする。高校生だって洋楽は原語で歌いたがるし、訳詩がいいとは思っていない。それと同じなのに、現代語訳にして歌を教えたことにするのは教師の怠慢。もっと一つ一つの詞を教えたらどうか。文法にしても、解釈のための文法であるべきなのに、いまや文法的知識をチェックするために古文が存在しているかのような本末転倒状態。作品の魅力を教えないのなら、そのほかの何が教えるに値しようか?

つまらないよねえ・・・。

今度の土曜日はカルタ名人戦・クィーン戦。カルタとりは江戸時代に入ってからのことなので、古典文学とは直接の関係はないのだけれども、競技カルタは格闘技みたいで面白い。西郷名人、クールでかっこいいです。挑戦者は私が思っている人だとすると、まるで逆のタイプ、素朴な兄ちゃんです。女性のほうは誰か覚えていないけれど、男性より表情や態度にいろんなことが読み取れて恥ずかしいくらい。楽しみです。


『鴎外の坂』
2005年01月05日(水)

本日の本題の前に、おたくのメッカ「まんだらけ」というマンガ関係の古書店をwebで見てみてください。まんだらけ うまくとばなかったら検索してね。

コンテンツが日本語・英語のみならず、フランス語、スペイン語、韓国語で書かれているのです。歌舞伎座だろうが、東京国立博物館だろうが、一応日本文化が詰まっているとされるところでも、せいぜいが日本語と英語だけなのに、「まんだらけ」は5ヶ国語。在留資格云々をいう入国管理局にいたっては日本語だけ。

入管はともかく、「まんだらけ」の現状には、江戸のサブカルチャーたる浮世絵が西洋からの評価によって見直されたように、マンガも外から脚光を浴びることで浮世絵の道を歩む可能性があるかもしれません。マンガのグローバル化、恐るべし!


『鴎外の坂』 森まゆみ

森まゆみの書く評伝的なものは、自分の足で歩くなどして知った生活感覚的なものに裏付けられ、対象に注がれる暖かな眼差しとともに、一種独特の読後感がある。考証随筆を書斎にこもらないで街を歩きながら書いたといえばいいだろうか。

この作品は津和野から出てきた数え年11歳の鴎外が向島で暮らした場所からスタートする(プロローグは別)。以降、父が開業した千住、兄弟たちと住んだ千駄木の家、有名な観潮楼@団子坂というように住まいの場所を辿りつつ、鴎外の生涯を語る。小倉の住まいについて多くを語らないのは、谷根千をルーツとする森まゆみの守備範囲から離れるからだろうが、そのあたり、無理をしないのが、かえって好感が持てる。ドイツの住まいについても同様。(こちらについては植木哲『鴎外の恋人エリス』が詳しかったような・・・。それとも前田愛『都市空間の中の文学』だったかな?)

「坂」とタイトルにあるほど、うまいこと「坂」で万事が片付くわけではない。タイトルは若干人寄せを意識しているかも。しかし、この「坂」がとてもうまく効いているのが、第7章「無縁坂の女」と題して、鴎外の妾を扱ったところで、小説『雁』の主人公と彼女を重ねあわせながら、鴎外を浮き彫りにする。『雁』自体よりも鴎外の実生活のほうが面白い。森於兎(クサカンムリつけてね)の言葉がうまく引用される。

有名な嫁姑のことは、子供たちの言葉や峰の日記、しげ宛て鴎外書簡などから復元され、特に目新しいことはないのに、森まゆみの筆にかかると結構上等の随筆として読める。それに引き続き「子供たちの地図」という副題を持つ最終章では、彼女ならではの街歩きの魅力が光る。大正・昭和の町並みが彷彿とされる箇所が幾度も出てくる。鴎外っていい人だったんでしょうね。鴎外の小説や伝記的なことを何も知らなければ、面白さは半減かもしれないが、高校の教科書程度知っていれば十分楽しい本

ついでにいえば、同じ作者が岩波新書で出した『一葉の四季』もお勧め。実際に生きていた人として一葉を感じることができる。
新潮文庫
★★★






今日から普通の日だ!
2005年01月04日(火)

今日から普通。
ずばり、うれしい。

たぶん年末年始の過ごし方が下手なんだろう。
来年は掃除をもっと早めに始めないといけない。
普段掃除をしない分、暮れになってからむきになってやっている。
年賀状もどたばたしないで書きたい。
そして、願わくば、好きでもないおせちのことなどは放念して、普段どおりのものを普通に食べて過ごしたいのだが、それでは非国民であろうか。

掃除が終わってさえいれば外国へ行ってもいいんだけれど、外国へ行くというのも一仕事のような気がする。寛容そうに見える夫は、早い話が他人任せなのだ。彼のする仕事は行くと決断することだけ。私は外国へ行ってまで(行くためにも)人の世話なんぞしたくはない。

どうってことのない静かな暮らしが理想。

ワックスをかけた床で老犬が方向転換時にすべって転ぶ。
かわいそうにと思うと同時に、ワックスかけの成果が如実に証明されて満足。老犬もともかくそれなりに健やかに年を越した。

庭の金柑がよく実り、ヒヨドリが食べに来る。鳥のつついたのは穴が開くし、地面に落ちる。それを用足しにでた老犬がマイ・キンカン化して、特定の1,2個を偏愛する。もっとおいしそうなのを見繕って与えるのに、そちらは食べず、鳥の食べ残しみたいなのをしゃぶったり、ほおったりして、遊んでから食べている。ネオトニーは老いてもなお幼くてかわいい。




男はエライと思うことも・・・
2005年01月03日(月)

今日は義理ある新年会。妻に先立たれた大学の恩師(気持ち的には怨師)のところへ伺う。一人で行くのは嫌なので、最寄り駅で先輩と待ち合わせたところ、他にも2人ほど誰かいないかなあ、と人待ち顔の人がいて、4人で訪問。その後いろいろと義理堅い先輩やら後輩やら10人ばかり集まる。みんな似たような仕事をしている。相互扶助の露天商の新年会みたいなものだなあ、と思う。

20代のときに知り合った人たちは、いくつになっても20代のような感覚で話をすることになる。ちょっとおかしい・・・よく考えるとかなりおかしい。先生のほうは、一人住まいでお寂しくて気の毒なのだが、しかし、学生時代の様々な仕打ちを思い出すと、なかなか素直に接せられる相手ではない。

彼が電話をかけたときに留守をしていたといっては叱られ、出るのが遅かったと怒鳴られ、ファックスの音声が流れたといっては非常識呼ばわりされ、教師より後に教室に入ったといっては罵倒され、待ち合わせの時間にちょっとでも遅れると、来たこと自体を後悔するほどの叱声。被害を受けたのは私だけではないのだが、とにかく当時の学生一同自信喪失の萎縮した時間を強いられた。

そういえば下着の色なんぞ聞いたりもしていた。その頃、日本にはセクハラという語はなかった。なぜか私はsexual harassmentという語を知っていて、バカヤロウとつぶやいていた。爺が70歳過ぎたからといって、ちゃらに出来ることではない。爺が指導教官でなかったら、別の青春があったと思わないではいられない。

こんなクソ爺の求めに応じて、「じゃあ新年会を開きましょう」というN先輩は実にえらい。彼の自宅から4時間はかかるはずだし、決して暇な人ではない。私なんぞ、Nさんへの義理で出席するようなものだ。女性は堂々と欠席する人も一人ならずいる(理解できるよ、その気持ち)。でも、男どもは総じてこういう催しには御行儀よく出席して、それなりに座を保つ。私怨が消滅したわけではないようだが、それとは別に「恩師」として付き合うという姿勢は立派なものだ。

先輩の呼びかけがなかったら、私なんて完全に無視しちゃうのにな。


おせちは・・・
2005年01月02日(日)

おせちにはもう飽きた

普段と違うものを何度も食べると、胃に悪いような気がする。
結婚して以来、毎年おせちを作ったり、買ったりして用意してきたが、このさきいつまでそうするだろうか?大体、私はおせちはおろか、お餅にもあまり執心はない。

私と息子はおせち製造業者の将来を憂えているのに、読売新聞のネット調査ではどうもそうではないらしい。年々買う人が増えているという。「クリスマスにはケーキ、お正月にはおせち」なんだそうだ。両方とも戦後の文化なのに、日本の伝統だととらえている人が多いのは興味深いことだ。素直で協調性に富む人の多い国なんだねえ。

それにしても、この体重の増え方はなんだろうと思う。ゆゆしいというほか、あてはまる言葉がない。

正月早々と断りつつ、友達の飼い猫の訃報が入った。彼女が一人で辛かったときを共にしてきた猫だから、悲しみもひとしおだろうと思う。ペットの死は人事ではない。うちの場合は緩慢に死につつあるという感じなので、心の準備だけは出来るかもしれないのだが、それでも、夫と二人で老犬が逝っちゃったら「喪中欠礼」にしたいくらいだねえ、と話す昨今。

クライバー氏の華麗な指揮ぶりでも見て、心を癒すことにしよう。体操風の指揮は嫌いだけれど、この人のはわざとらしさがないし、音楽の邪魔にならなくて大変結構。


読み初め・聞き初め
2005年01月01日(土)

あけましておめでとうございます。

元旦、というのは一種の仕事日です。

それなりに身なりを整えて、いつもと違う朝ごはんをいただき(=お雑煮とおせち)、年賀状を受け取ったら、差出状況をチェックして、出していない相手に書いてポストへ運び、両親に電話をかけて家族が順繰りに挨拶し、近所の神社へお参りに行って、最後に夫の実家へお年始に行く・・・。

休日でありながら、休日とは思えない仕事がセットされている点で、元旦は盆休みやゴールデンウィークとは異なる格式高い休日なのでしょう。

読み初めなんて実はこれを書こうとするまで全く意識していませんでした。読みかけの『鴎外の坂』(森まゆみ)が電車の友だったので、これが今年の第1号・・・う〜ん、せっかくならもっと格調高いのを選ぶんだった、と思ったその瞬間、昨晩、12時過ぎてから、ぱらぱらめくった『源氏物語』!こりゃあ、春から縁起がいいや。総合点でこれに勝てる日本文学はちょっとありませんぜ。

聞き初めはちょっと意識して、結局、クリスマスじゃあるまいし、バッハには遠慮してもらい、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート。なんと平凡な田舎の気取り屋(笑)!でも、画面に甦るクライバー氏、やっぱオネエサマならずとも素敵。

今年は災害の少ない年であってほしいな。国境なき医師団にも一口お年玉をあげよう。



BACK   NEXT
目次ページ