書泉シランデの日記

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大先生を偲ぶ会
2005年03月31日(木)

昨年なくなった大先生を偲ぶ会に行く。

晩年アルバイトに雇ってもらったためにご縁ができた連中が私を含め6〜7名で、あとはもう大半がシルバー世代・・・スピーチが長くてしんどかったことを除けば、なごやかで上々の会であった。でも、みなさん、おっしゃりたいことが沢山おありなのよね。

私なんかは本当に晩年しか知らないけれど、あの先生以上に頭の切れる人には会ったことがない。それだけでなく、誰にでも分け隔てなく優しかった。当時、息子はまだ保育園で、一度職場に連れて行ったことがあるが、そのとき、彼と一緒にあやとりをして下さった。5段はしごなど作ってもらったようにと思う。その当時もう80歳近かったのではないか。

人の一生はお墓に入ったときに決まるというが、お葬式は義理で行くこともないわけではない。出世すればお葬式に一定の人数は集まるだろう。しかし、一連の儀式が終わった後に、なおその人のことを偲んで150人もの人が集まるというのは慕われた人ならでは、である。

この先生に親炙できたことは私の人生の財産。一流の人って半端じゃない。


不用品掘り出し中
2005年03月30日(水)

ライアンの留学生活のために、台所用品とかタオルとか、あれこれ不用品を棚の奥や物置から掘り出している。でも、もしかして西洋人(の親)にはそういう手出しは不要で、自助自立が最重要案件かしらん、とチト気になったので、ライアンのママにお伺いを立てた。

「日本人の母親なら留学の支度を手伝うのが普通ですが、おたくじゃご本人が自力でやるのを尊重して手出ししませんか。タオルや台所用品はうちに不用品がありますから、それを使ってはどうですか。」

そう尋ねたところ、お返事には
「私は手伝っています。タオルがかさばるので困っていました。助かります。他のものも喜んでお借りします。」

また
「うちに到着したら電話をかけさせようと思いますが、不要ですか?私だったら息子の声が聞きたいですが。」
「私だってそうです。そうさせて下されば、その晩、ぐっすり眠れます。お願いします。」

西洋人は独立心旺盛、大学生になれば親とは全く別、とよく聞くけれど、ライアン家に限ってはどうもそうではないような感じがする。イギリス系のママ、イタリア系のパパなんだそうだが。

ヨコだけれど、知り合いのインド人が「スキヤキが食べたい」というので、「スキヤキはビーフだよ、いいのか」と尋ねたら、「ノープロブレム」。翌週我家でスキヤキを食べた。ところがその返礼で、インド料理屋で彼がいうには「私はベジタリアンだから野菜カレーにする」・・・? ?でも、浅草の大判焼き屋で「牛乳が、タマゴが、どーとかこーとか」と貧しい日本語で聞きまくっていたイスラエル人もいたな・・・。スタンダードはさまざまなんでしょうね、きっと。子供の独立性っていうこともそうに違いない。

なお、週末にはライアン送別パーティーを親戚一同34人でやったそうで、こりゃ日本よりすごいや、です。


『柳澤吉保』
2005年03月29日(火)

吉保と町子さんにこだわるわけではないが、大正10年 林和著『柳澤吉保』を読む。

大正10年の著作とはいえ、今でも十分価値あるところが、人文系の世界の特色である。理系だったら、「1920年、なにそれ?」ってなもんだろう。第一次大戦が終わってまもなくの吉保に関する伝記である。考えてみれば、伝記の資料は江戸時代の文献なのだから、大正10年に書かれようが、明治10年に書かれようが、役に立つものは役に立ち続けるのだ。違いといえば、対象を見る眼差しか。

昔の本はページ数の割りに軽い。もちろん用紙は酸化して、もろくなっているけれど、どうしてこんなに軽いのだろう?乾ききっているから?

しかも、活字が大きくて、目に優しいこと限りない。(コピーをする立場からいえば、もっとつめてほしいけど。)見開きB5、1ページあたり37字×11行、総ルビ。ちなみに今の本だと、同じサイズで43×17くらいか。もちろんルビなんかない。こういう本はページが早く進むから、たくさん読んだような気がして嬉しいものだ。難点は手が汚れることか。

さて、内容は、というと、吉保の一生を語る熱い言葉の連続である。熱いだけなら、珍しくないが、その間の考証がとても充実している。吉保は流言巷説によって誤解されているから、自分は「浮かばれない怨霊」のためにこの伝記をものす、という執筆動機。確かに吉保といえば、柳澤騒動のろくでもないイメージが強いものね。救ってやりたくもなるさ。(しかし、ちなみに徳富蘇峰の『近世日本国民史』ではボロクソである。比べて読むと、考証の分はこの『柳澤吉保』にありそう。)

それにしても、総じて戦前の本には著者の「世に訴えたい」という情熱を感じる。今では学術的な著作であれば、むしろそういう私情をはさまないクールなものが主流であるが、しかし、本来、「世に訴えたい」から発表するのが筋だろう。私情をぐだぐだ語られてもしょうがないということも確かにあるけれども、私情を殺せば客観的か、ということは再考の余地がありそう。


面白く書けったってさぁ
2005年03月28日(月)

自分が面白いと思ってもいないことを書くのは厳しいです、というわけで、今日も原稿書きの愚痴。

まずある物事を面白いと思って人に説明できる域に達するには、実は相当該博な周辺知識を必要とするのではないかしら。そのことだけを知っていても、位置づけが出来ないから、ポツンとお知らせしただけで終わりがち。面白い、というのは、やっぱり全体との関係性で出てくる事柄なんだろうな、と、己の無知を反省しつつ、苦吟、クギンで半日を過ごした。

それに、どんなに面白いことでも、説明がつくと無味乾燥になることが沢山ある。そのことは逆に、面白く読んでもらうためには、頭で理解するのが自然な情報でも何とか直感的にわかってもらうように仕立てないといけないということだ。

最近知った小話にこんなのがある。
ムーティが砂漠で遭難した。「神よ、どうぞ一滴の水を・・・」そう祈ると、ムーティの手のひらには水滴が。「神よ、お恵みに感謝します」そういって、ムーティーはその水滴で髪の毛をなでつけた。

さて、ムーティーの顔やそのナルシスト振りを知っている人には、これはとても笑える話だけれど、でも、「ムーティーってのはイタリアの指揮者でね、そこそこイケメンでね、おっさんだけど長めの黒髪がさらりと流れて・・・客席に背を向けてから老眼鏡をかけて、拍手で振り向くときにははずすんだよ・・・」なんて聞いた日には、せっかくの小話も理屈で理解するだけに終わる。普通に笑える面白さって、理屈で処理しちゃ絶対出てこない。

あ〜あ、やだな。自分だってそんなにわかって書いているわけじゃないんだからね。書きながらもっとわかれる(はい、これ誤用です、「わかる」は可能形になりません)ことを願っているのですが、あ〜あ。

ちなみに私はムーティ好きです。スカラ座の音楽監督の座が最近危ういことになっているようですけど。


アジアらしく健やかにいこうよ
2005年03月27日(日)

香港のウォン君が彼女を連れて来日したので、一緒にごはんを食べた。婚前旅行先に東京が選ばれたのですね。

若い人はいいなあ、とそんな感じ。ウォン君は27歳、中学の先生をしているという彼女は24歳くらいだろうか。笑い顔がかわいい。

この間の台湾でも感じたのだが、一般的に日本以外のアジアの女性には健康的な美しさ が感じられる。若いっていうだけで十分きれい。日本の若い人のように、化粧でもって無理な色気を演出していない。韓国にはばっちり韓流メークの人もいるけれど、逆に最低限という人も多い。大陸は出身地によって多少差があるが、おおむね韓国に近いかも。東南アジアの人は、水商売などの仕事上の必要のある人を除けば、そんなに化粧に熱をいれてはいないのではないか。でも、日本では女ですから真面目にお化粧しました、メークも決めました、という人が大多数。

鷲田清一の『顔の現象学』にメークとは自分を表現するようでいて、実は逆に自分を塗りこめてしまう行為なのだと書いてあったと思う。日本の女の人の化粧はみんなそうなんじゃないかしらん。大体、眉毛の形の流行とかっておかしくないか?

キャリア志向の女性らしくメークを決めて颯爽と出勤、なんてのも女性向き雑誌にはよく出る記事だけれど、欧米では夜と昼の区別がはっきりしているし、化粧のよしあしでキャリアが決まるとも思えない。色気でビジネスを運ぶのを「出来る女」とはいわないでしょうに・・・大体、それって賞味期限があるじゃない。

セクシーとはほど遠い頼りないボディーをして、顔だけはバッチリフェロモン全開の大人に決めました、みたいな薄気味悪さ、そろそろ勘弁してもらいたいものです。東洋人と西洋人は違うんだから、なんかわきまえてほしいなあ。東洋の神秘的なメークも当然西洋からの目線なんですから、それも困る。東洋はどう生きるのか、といってしまうと大上段に振りかざしすぎですけど、元気なアジア、健やかなアジアを感じるとき、日本は病んでいるとしかいえません。


原稿書きの愚痴
2005年03月26日(土)

今日は花粉症で冴えない頭にムチ打って、原稿書きに着手。

全然色っぽくもない世界なのに「性」に関わる話題で20枚書けというお題。大体そういう話題自体、まったく関心がない不得意分野なのに、どうしろというのであろう・・・何で私が?である・・・でも仕方がないので時間軸に沿って三題噺を書くことにした。

私は題材についての調べを終えたら、まずは荒っぽく書き進んで、構成をチェックし、さらに調べが必要なところは調べを補い、しつこく手を入れて出す、というタイプなので、粗々仕上がるまでは、書けるかどうか気になって不安である。(なあんて、いい加減なものも書いておりますが。)今日はくしゃみと鼻水で苦しみながら、とりあえず5枚書いた。今月中になんとか全部書いて、第一段階を突破したいものだ。

〆切は来月末。そういうとみんな驚くんだよね・・・でも私、書くの苦手だから。このお題で書くんですがね、と相談した知人は「そんなん、3日ですわ」とのたもうた。知識と経験の差だと思うけど、ウラヤマシイ。代わりに書いてくれたら、原稿料、一割増しで払います。

今週、ライアンが来日する。1、2泊はうちですることになるのに、何も用意が出来ない・・・文字通り「ありのまま」でお迎えすることになりそう・・・前回、きれいだったことを忘れていてくれればよいが・・・。



『音楽の友』に載っちゃった!
2005年03月25日(金)

『音楽の友』に載っちゃった!
バレンボイムと一緒にグラビアに出たのです
ただし、私を知っている人にしか、それとはわかりません。バレンボイムが指揮している様子を舞台側から撮影した一枚に客席が写り、そこに私たちがぼーっと座っているという次第。

それを見つけたのはオネエサンの知り合いでした。私たちが行くことは知っていたにせよ、よくもまあ見つけたもんです。この雑誌、久しく買っていなかったのですが、今日、記念に買いました。

これをネタに四谷のPAULでバレエのレッスン帰りのオネエサンとお茶。PAULのパンはおいしいです。Burdigalaと並んで、私のイチオシのパン屋です。Burdigalaは新宿駅に出来て、私には便利な店になりました。ただし、ここのイートイン・コーナーの椅子は高すぎて、今にひっくり返る人が出ると信じています。

それにしてもバレエだ、筋トレだ、とやっている人は、確実に立ち姿や首筋が美しくなるもんです。オネエサンなんて50歳をとっくのとおにクリアしているのに、去年あたりからめきめききれいになりました。「発表会はないの?」と尋ねたら、「出ない」「なんでさ?60になったらきっと見劣りするよ」「白いタイツ、はきたくないもの」だってよ。



私、もう十分読みました・・・
2005年03月24日(木)

大佛次郎好きの知人がまたしても彼の小説を貸してくれた。

今月初め頃に書いたかと思うけれど、私はやっぱり作風が好きじゃない。立派な考えの持ち主だと思うし、それを好む人の健全さもよくわかる。沢山の人が大佛次郎的倫理観でもって毎日を送ったら、この世はすみやすくなるだろう。でもね、私が小説に求めるものは大佛次郎の作品の中には見つからないのだ。

せっかく貸してくれるのに、そして、彼女がファンだって百も承知なのだから「ツマラナカッタ」とはいえない気弱な私。とにかく極力褒め言葉を押えてお礼だけ言っているのだが、それではまだ不十分なんだろうか。ここは一つ嘘をつきまくって、褒めあげて、私もシンパよ、といえばいいのかしらん。

でも、それも不誠実だし、さりとて、現状のままでも結果は裏切っていることになる。だけど、なんで私がここで自己嫌悪にかられねばいかんのよ??

私とて、自分から読みたい本はたくさんあって、順番待ちの本の山がないわけではない。でも好意で貸してくださった本はその順序を飛び越えて、実際読みたくないのに、読む破目になる。これで6冊目。3,4、5冊目をまとめて返したときにこれでオワリ、と思ったのになあ。

この気の弱さが墓穴を掘っている。

関東の人には関西風の遠まわしな拒絶がまるで通じない。人生の半分以上東京にいることになるが、こればっかりは本当に困る。


柳澤吉保と町子さん
2005年03月23日(水)

あんまり頭が元に戻らないので、柳澤吉保の側室の日記など読んでリハビリに励む。側室の日記といっても、吉保の意を汲んで(あるいは、さらに吉保の手が入って)書かれたもので、『源氏物語』や『栄華物語』風の仕立てであることが知られている。おっとタイトルは『松蔭日記』by 正親町町子 という。

吉保というと、金に汚い側用人というのが通り相場だが、本当にそうだったのだろうか、という気になる。確かに吉保が実権を握っていた時代に、幕府財政を破綻に追い込むほどの大赤字が生まれたのだけれど、『松蔭日記』からうかがえる吉保は、もうもう、ひたすら心配りの人。将軍御成り、鶴姫御成り、という際の贈答の品々はうんざりするほど立派で金遣いも荒らそうであるが、それにしても気働きナンバー・ワン。儒学はもちろん禅学にも和歌にも勉強熱心だし、綱吉の好みにあわせるために、本当に熱心。これを将軍の機嫌とり、と表層的なレベルで判断するか、もっと深く、それこそが忠臣の道と励む表れ、ととるか―私は後者だな。お寺や神社の保護保全にも熱心よ。

とにかくあんまり悪い奴という気がしない。町子さんは公家の娘と標榜していて、それは嘘ではないものの、ママは実は妓女だから正親町家の系図には出ていない娘さん。本当はそれゆえの屈折した心理が日記ににじみ出ていれば面白いのに、さすがは才女、なかなか尻尾を出さない。吉保が綱吉第一で仰ぎみているように、町子さんは吉保第一のポジションを崩さない。町子さんの役回りは京都とのパイプである。私は読みながら「あんた血筋が悪いから江戸くんだりへ流されとるんやんか、なにさ、いい子ぶって」と思うのである。『蜻蛉日記』の道綱母さんは正直者で面白いのにね。

あ、そうそう、吉保さん、身内の利便を計りすぎ かもね。産めよ増やせよ、もそうだけれど、養女ってのもずいぶんあって、権力保持に姻戚関係を利用している印象は否めません。

これで頭のリハビリになっとるんかいな?


愚息、ようやく運転免許取得
2005年03月22日(火)

頭がなかなか回復しません。
花粉の嵐で顔が痛いし、目がかゆい。くしゃみは長年わずらっているので、それなりに対応策が効を奏しているけれども。

息子、ようやく運転免許取得。興味のない人間に芸を仕込むのは本当に大変。犬やサルより始末が悪い。しかしこれで実用的なレベルで動かせるようになるかどうかは、ちょっと疑問。なにしろ関心のないことには徹底して関心をもたない奴だから。

運転免許試験場に連れて行く間の車中で、息子からいろいろ学科の問題を出されたが、信じられないような問題があるので驚いた。たとえば、「大型特殊の免許は大型免許取得後3年後でないと取得できない、○か、×か」という問題。普通免許を取りに来ている人間がどうして、大型免許のそのあとのことまで知っていないといけないのだろう。まるで、隣のご亭主の定年後の再就職先を詮索するみたいな他人事。

牽引するときに使うロープに結ぶ布の大きさが0.3平方メートル以上、というのはどうやって計るのかしらん。10センチ幅で3メートルちょっとでも、55センチ四方でもいいのかなあ。この計算がうまく出来ない人はいると思うな。

息子の話だと、結構、外国人労働者風の人たちが一緒に試験を受けていたとのこと。実技はさておき、学科は大変に違いない。でも免許の有無でガテン系の仕事の幅が出るのだろうし、時給もアップするのだろう。切実なものを感じてしまう。学科は外国語で受験させて、道路標識のテストだけ厳しくやる、というわけにはいかないのかしらん。



ちょっと停滞してる?また台湾
2005年03月21日(月)

台湾快楽旅行のせいで、ちょっと脳みそ思考停止状態。
おまけにワグナー効果で、頭の中で「リング」が鳴る。
さらに、加えて、花粉症。今日はもうダメ。

どうせなら、くだらないものをご披露。
台湾屋台で2個50元で買ったあひる




日本円にして1個100円しない感じ?
もちろん魅力はこの顔つきプラスどこやら宇宙っぽい衣装。
しかも、屋台のオバサンが力演してくれたのだが、ライト付き




よりによって股間から光を放つのであります。

私はあひるが好きらしく(自覚はなかったのだけれど、息子に指摘された)、確かに行く先々でクダラナイあひるをよく買ってきていた。これもその仲間に加わったという次第。

なお、2個買った片割れは、帰国時の両替店で私に20元恵んで小銭を1000円にしてくれた友人に進呈しました。もらってもしゃーないだろうね。どうせなら、もっとロマンティックなものを<友情の証>とかなんとかいって、交換すればよいものを・・・なあんて、そんな世界に縁があったら、今頃どこかの奥様してます。




浮世は義理の風が吹く
2005年03月20日(日)

やむにやまれぬ事情で、ある研修を受講したのだが、あまりにも内容がお粗末で、知人は 「プチ・ストレスがたまるから、オレ、帰ります」と途中で帰ってしまった。せっかく若い男の子とお茶が出来るかと思ったのに(笑)。

内容については、ほんと、よくこんな程度のことにjargonを仰々しく与えてしゃべるなあ、と思わないではいられなかったけれど、講師の話芸は大したもの だった。先生ってしゃべりがうまいことが大事かもしれない。批判的な質問に対しても、堂々と、「そこなんです!それ、今日、はしょったところなんですよ」と答える神経の太さ。研修の本筋とは離れたところで、見習うべきことがいくつかあった。足の太さほどの神経が私にも通っていれば、どれほどよいことか!

姪と甥が各一人高校に合格。姪は志望校、甥は押え校らしい。もう一人の姪は浪人決定(大学)。正直なところ、おばさんとしては、3人分の入学祝をむしりとられるのは痛いので、1人が来年に回ってホッ。実は、ろくに話もしたことがない甥や姪については、どこに入ろうが、全く関心がもてない。心からお祝いしてあげたいのは高校にはいった姪だけなんだけどねえ・・・いやはや、浮世の義理とは面倒なものです。大体、<義理>であれば、お祝いなんぞ不要だというのが、本音なのですが、<義理>であるからこそ、欠いてはいけないということになるのでしょうね。


読響「神々の黄昏」+台湾オマケ
2005年03月19日(土)

台湾から戻った翌日のワーグナーはきついかな、と思いつつ、たいして疲れてもいないので(午前便帰国、というのは案外いいことだ)読響@サントリーH。

1昨年の「パルジファル」以来、読響はなんとなく好きで、今回は「神々の黄昏」第3幕のみコンサート形式の上演。冒頭は管楽器の音が窮屈で、ノリが悪い印象があったけれど、だんだんよくなった。疵は少なかったのではないか。ジークフリート葬送の薪を積み上げる辺りまで到達すると、おお、ワーグナー!!!という具合に脳髄が痺れてくる。「リング」は音楽なのかどうかときどき判断に迷うほど。

そのブリュンヒルデを歌ったのが、クリスティーン・ブリュア。ご立派な体格ですが、無駄に太いわけではなく、同じステージに乗っかった全開のオケをバックに力唱。

ジークフリートはリンズコーグ。この人も初めてだったけれど、ヘルデンにして高音が強烈。低音になると、ん?もないではないけれど、今後に乞うご期待。お顔はクリスティアン・フランツ風、可もなく不可もなく、でしょうか。

お顔を問題にするなら、グートルーネの林正子。うんと褒めるなら、ゲオルギュー風で美しい。ワーグナー歌いとしては声量が物足りないけれど、あの体格だもの。美形を犠牲にして声量を得るのもの、さて、ここは思案のしどころですぞ。

ハーゲンは工藤博。私結構この人贔屓にしています。本日の出来はイマイチだと思いましたが。

さて、台湾、まだ書き足りないので、オマケに付けます。ちゃんと仕事もしたんですよ、証拠写真に台湾大学正門、ジャーン!


キャンパスはつつじの花盛り。


そして屋台料理ばかりではありません。こちら北京ダック。王さん、ごちそうさま。



街にあふれるスクーターは整列駐車、ストリートドッグも整列ねんね。





台湾報告かんたんに
2005年03月18日(金)

台湾、予想をはるかに上回るいいところでした。
東京ともソウルとも香港とも違う、そしてたぶん北京とも違う、活気と温かみのあるアジアの都市。(北京は行ったことない)食べ物、おいしかったし〜、買い物も楽しかったし〜、大学もお寺も(一緒にするのも変か?)なかなかのものでした。

私には絶対無理、と思われていた臭豆腐も楽勝でクリア。おお、刺激的!十全排骨の味を形容する言葉は私のボキャブラリーにはありません。さらに目の前でおっちゃんが作ってくれる屋台の小籠包は本当に家庭的な味でおいしかった・・・「鼎泰豊」なんて「へ」でもない。

これまでありがたがっていた「鼎泰豊」だけれど、空港まで出迎えの旅行会社の人も、デューティーフリーの人も、「鼎泰豊」が配っているとおぼしきロゴ入りボールペンを持っていた。要するにあの店は観光産業と結託してメジャーになっているのだね。

今朝は朝市であれこれ買い込んで,プアにしてリッチな朝ごはん。

お野菜おいしそうでしょ。

これは朝からちと怖い。

お好みの部位をどうぞ。


パイナップルの丸かじり初体験。(200円ちょっと。皮は鉈でむいてくれる。)パイナップルって丸のまんまだととっても食べにくいことがわかりました。黒珍珠というのもなかなかさっぱりと美味。見たところ、ピーマンの親戚のようですが。この次行くときは、絶対ナイフと紙皿を持っていこう。椰子汁のことを思うと、紙コップもあらまほしい。

昨日はお仕事にいく途中で、衝動的に椰子汁を買ったら、豪快に椰子の実の頭を切り落とし、逆さにして、ポリ袋に中の果汁を開けてくれた。が、それだけ。まさに金魚すくいよろしく紐で口をゆわえたポリ袋。ストローなし。仕方がないから、コンビニで紙コップつきのインスタントコーヒーを買ってその紙コップを転用して、道端で苦境をしのいだのだった。図書館へ持っていくわけにもいかないもの。友人と力を合わせ、ポリ袋を傾けて、紙コップへトポトポトポ・・・お味のほどは、かすかな甘み、かすかな渋み。

夜にしても朝にしても、胃袋がもうちょっと大きければ、もっと色々おなかに入れられたのに・・・そのくせ、3日で1kgも太って、いったいどうすればいいのか(泣)。

さて、思いがけず感動的だったのは、台北の犬たち。放し飼いの犬って面白〜〜い。写真を撮ろうとしたり、呼びかけたりすると、「私たち、忙しいんだから、声なんかかけないで」と冷たい目でチラリと見返してオワリ。でも、野犬ではなくて、大半の犬には首輪はついている。犬だって本来は猫と同じように、適当に人間を利用して生きる動物に違いない。餌とねぐらが保証されていて、日中は自由に徘徊なんて最高の暮らしじゃありません?
耳と尻尾が自慢です。


台湾いってきます
2005年03月15日(火)

明日から半分仕事、半分遊びで台湾
2泊3日ですよ、たったの。

今日は遅く帰ったので、これからカバンを詰めないと。

あちらの知り合いにお土産の希望を尋ねたら、カップめんと来た。軽いけどちょっとかさばる。日本のカップめんなんかおいしいかしら?それとも留学中に食べただろうから、懐かしいのかな?

本当は彼女の好きな内野聖陽の出る「不機嫌なジーン」のビデオをとっていってあげようと思ったのだが、見事失敗。それに、日本のカップめんが好きなら、と、横浜名物のラーメン風焼き菓子をKIOSKで買おうとしたのだが、なぜか見当たらなかった・・・欲しくもないときはやけに目立つのにどうしたのだろう・・・。大体、私はその名前もろくに覚えていないのだが、ベビースターラーメン風のものがクッキー程度の大きさに固まっていたスナック菓子である。

台湾は行ったことがないので、結構楽しみではある、でもあまりに時間が少ないので、予習はしないほうがよさそう。下手に予習をすると、行きたい場所が増えるから。いいんだ、成り行きで。

こんなことしていないで、カバン詰めにゃ〜


気持ちいいもの
2005年03月14日(月)

バイオリンの弓を変えたら結構気持ちがいい。

変えたといっても、買ったわけではなく、息子の持っていたオケ練習用の弓を拝借しただけ。下手が上手になりはしないが、反応が違う。当分返さないでおこう。却って高くつくかな?

最近、気持ちがいいものがもう一つ。テンピュールの腰枕。そんなものがなくても寝るのに不自由したことはないのだが、これは上々。頭の枕は今更いうまでもなく上々。夫や息子は「信仰心」を笑うが、笑わば笑え。

ついでにもう一ついいもの。紅茶ポットにパイレックスの大きな計量カップ(ふたつき)を使うこと。上手に入れられるし、始末が楽々。ネットの紅茶屋さんで騙されることを覚悟で買ったものだけれど、いえいえ、宣伝文句に間違いなし、でした。大体、お湯を沸かすあいだに、この計量カップにもちょっと水をいれてレンジでチンしておくと、いい具合にポットも温まる。無精者には最適。

ライアンの来日が4月1日に決まり、9割方は楽しみである。自分がかつて外国で世話になったお返しができる。ことの行きがかり上、成田までお迎えに行くことになったので、このこと自体はちょっと面倒。成田、遠すぎ。でもまあ、おばさん風情を相手にしてくれる若い人は大事にするのがツトメです。情けは人のためならず。



本日のお買い物
2005年03月13日(日)

夫のスーツを買いにでかける。
本人にとっても、私にとっても仕事でしかない。

夫はそのあと映画を見に行き、私は映画は面倒なので、デパートであれこれ買い物をしてから帰宅する。

「九州沖縄物産展」というのをやっていたので、鯖好きの息子のために鯖寿司を買う。炙ってあるのと、普通のと、半々にしてもらった。

ついでに「からいも団子」を買う。以前、熊本がご実家という人が、お母さんが作ったという「サツマイモ餅」(=からいも団子)を下さったことがある。極めて美味でありました。その味を求めて、ついつい買ってしまう。そして毎回裏切られる。

長崎の「鯨のカツ」というものがあって、これは初めてだった。鯨は給食のタツタ揚げでさんざんお世話になった。最近出回っている鯨はミンク鯨かなんかだと思うが、昔の鯨の味とは比べ物にならない。鯨も失望する食べ物の一つである。卑しく試食して、やっぱりなー、と思って食い逃げ。(私はかの「グリーンピース」に会費を払っているのに、鯨なんか食べていいんだろうかね?)

地下の食料品売り場で、塩チョコレートの試食というのもあって、これにも手を出す。塩饅頭や塩羊羹があるのだから、塩チョコレートがあってどこが悪い?何にも悪くなくて、おいしかった。チョコレートパウンドを焼く前のタネを食べているかんじかな。食い逃げしないで1箱買った。

そこでやめとけば、健全な家計なのに、帰り道でピアスの衝動買いをした。何にせよ、オペラの切符のことを思い出すと、安く感じられていけない。

ほうれん草の白和えとお味噌汁だけ作って、さば寿司で夕ご飯にする。平和な日曜日である。これからバイオリンの練習でもしよう。


整理と保存
2005年03月12日(土)

最近ちょっと労働過剰かも。
「追われる」感じはよろしくない。
これが「生み出す」感じになるといいんだけれど、このところ情報をやたら引っ掻き回しているという感もあって、消化不良になりそう。

人間がもっとマルチ・チャンネルだといいんだけど。
引き出しがたくさんあって、その都度、ちゃんと整理できればいうことなし。実際のところ、一つか二つしかない引き出しに、全然方向性の違うことを五つも六つも詰め込んでいるような気がする。しかも年とともに、引き出しの容量が小さくなった・・・いらないものがあるに違いない。でも、情報の整理って収集と同じくらいの時間がかかる。収集はただ集めればいいが、整理は見通す目が必要。その目ができるまで、とりあえず一まとめに、と思っていると、あっという間に堆積になり、手がつけられなくなる。

夏にPCを変えたときに、まあ、いいやとばかりに、数年かかってためこんだ文書を全部廃棄してしまった。大したものではないが、今になるとそれも惜しい。そのときは、未整理の文書を持っていても意味がない、整理するのも面倒だ、と思ったのである。もう使わない、と思ったし。うちの夫のようにやたら溜め込むだけの人間もこうなるとあながち批判できない。溜め込んであれば、探すこともできるが、捨ててしまうと、はいそれまでよ〜〜。

これからは帰宅してから整理保存が出来るだけの体力を温存しておかないとね。

人間、贅沢なもので、定職に恵まれなかったときは、定職のある人はいいなあ、と思っていたが、今は逆に、定職のない人はいいなあ、どんなことでも自分の考えどおりに出来るじゃない、関心のないことはしなくてもいいじゃない、と思ってしまう。それこそまさに、数年前に自分がいわれていたことなのに・・・隣の芝生はいつでも青い。









地元図書館のこと
2005年03月11日(金)

ご近所の市立図書館へ行く。
こんなところもPCから検索が出来るようになり、私のような無精者には便利、便利。これで出納が駅頭で出来たらいうことなし、だが、そこまでのサービスはない。

なんと、知人に教えられた徳富蘇峰の大著『近世日本国民史』がこんなしょぼい図書館にあったのである。もちろんオリジナルではなく、講談社学術文庫版だが、大正何年だかに出たような版は見ると手が汚れるので、私は講談社文庫で文句なしである。必要な巻しか見ないから全何巻かもよく知らないのだけれど、20巻以下ということはないだろう。こんな大著を『失楽園』や『五体不満足』や『セカチュー』があふれるような、大衆図書館でよくぞ購入していたものだ。

4冊借りてきたが、どれも購入以来20余年、借り出した人は私で2人めか3人目。新品同様の美本である。何年かに一度だけ誰かが借りる本ってちょっと素敵じゃないですか。長い冬眠から醒める数日、そうしてまた次を夢見ながら眠りにつくのですよ。

今日はしみじみと蔵書を見渡してきた。うんと上のほうには、そこそこ渋い個人全集もあったりして、へぇ〜である。参考図書にはいいものもあるが、当然あるべきものがなかったりもする。どうやら重厚長大ものの購入は最近は行われていないようだ。

地域の図書館の本は誰が購入の決定をするのだろう?図書館運営委員会とかあるのかしら?図書館の職員は主婦のパートが多いが、彼女たちがカウンターで本のカタログをマーカー片手に見ているのを目撃したことがある。でも、まさか<主婦の目>だけで選書しているのではあるまいね?司書さん(がいるのかどうかもしらない)の手腕に期待したいところだが、私の住む市は隣近所に比べて文化的には全く背伸びをしないところなので、どんなもんだかねえ・・・。その時々の流行でなく見識のある蔵書をじっくり育てることは未来に愧じない立派な文化行政だと思うけれど、未来よりは目先の一票かなあ・・・。

ま、今日のところは地元住民として感謝しておこう。


自動車教習所
2005年03月10日(木)

自動車学校のことをいうと息子不機嫌になる。
小さいときから、「何が嫌」ということをいわない子だった。訴えるということをあまりしない性質なのだ。夫と同じである。万事自分の中で処理するタイプ。自動車学校の何が嫌なのかよくわからない。混んでいるときだから、さっさと必要なだけ予約を入れて、さっさと免許を手にすればいいだけのことだと母は思うのにねえ。

なんだか最近の自動車学校っていろいろと難しくてよくわからない。先日はグループで乗って交代で運転して相互批判をやらされたといっていた。そのくせ車庫入れの苦労がわかっていないようだし、幅寄せもかなりテキトーな感じ。息子はオートマチック専用免許だが、オートマなら坂道発進もあってなきが如しだと思う。それなのになんで昔と同じように時間がかかるんだ?この世界も「ゆとり教育」なんだろうか?

車に関心がないことはよくわかるけれど(私も夫もそう車に熱心ではない)、ないからこそ無理強いして行かせている。興味のない人間ほど取らないで年をとる。同僚は50過ぎてこの夏免許を手にした。取得理由は「両親を病院につれていくことがふえて・・・。」

世の中には自分でバイトして自動車学校の費用を捻出する子もいるのに、うちなんざ親が全額出しながら遠慮して小さくなっている。ばかやろー。



『私事 死んだつもりで生きている』
2005年03月09日(水)

『私事 死んだつもりで生きている』
中村雀右衛門


すご〜く好き、というわけではないけれど、年に数回は見るかなあ、というのが歌舞伎である。で、このところ行くたびに雀右衛門の舞台だったような気がする。誰が何に出ようとそれほどこだわりがない(知らないからこだわれない)けれど、女形がジイ様というのはちょっと嬉しくなかった。

嬉しくなかったのだけれど、先月の老人揃い踏みの「野崎村」は結構心に響いた。どこがどうよかったか、素人の私にはわからないのが残念だが、心にひびいたのはやはり老人会の芸の力であることは疑いがない。そんなわけで、珍しく買った1冊。

たあいもない聞書である。たあいもないから読める。編集者がつけたとおぼしき章題はクズだが、語り口は、たぶん実際こうなんだろうな、と思わせる。素朴でいいです。安っぽい理屈がないし、芸論もないし、芸に行き詰まり自殺を考えたあたりなんて、三流週刊誌ほどのインパクトもない。それがこの本のいいところ。

好き嫌いはともかくも、いまや歴史に残る女形なのに、高みからの物言いがない。見えているものは当然あるに違いないが、言葉に移すことに用心深いのか、自分が長年培ってきたものをライターの言葉に変えられるのが嫌なのか。

兵隊にとられて南方へ行き、病人の搬送に当たったときのことを「あのにおいは思い出すのも嫌です。いま、こうしてお話ししていても、心のどこかにブレーキがかかっているようで、あのにおいだけは思い出しません」という。この感性が気に入った。記憶を封印するほどの体験だから、その後でも(インドネシア、スマトラの旅は断っているといって)「いまはその土地に戦争の影はないとしても、わたしがそこに行って見るものは、やはり戦争であり、たくさんの人の死です」といって、体験を安易に言語化する誘惑を拒む姿勢はさすがである。その個人的な体験が共有できるとは思っていないのだね。

戦前の贅沢な生活、戦争、女形への変身、映画界進出・撤退、歌舞伎専念、となかなか変化に富む人生である。80歳までバイクに乗っていたとはとんだジイ様だ・・・。こういう変わった人には最後まで舞台を勤めてもらいたいものだ。京屋!

★★
岩波書店



そういえば、勘九郎改め、勘三郎さんちのセブンくん、空白の3時間はキャバクラだと伝える吊り広告をみたけれど、晴れの舞台に立てずに残念ね。女形は60歳にならないとものにならんそうだから、頑張んなさい。




大仏次郎
2005年03月08日(火)

前にも書いたかもしれないが、知り合いに大仏次郎の大ファンがいて、
私が前に「『源実朝』をよんだけれど、私には今一つだったわ」といったところ、
「これを読んでみて」と持って来られた2冊を読み終えた。
『ドレフュス事件・詩人・地霊』『冬の紳士』である。前者はノンフィクション、後者はミステリー仕立ての小説。

前者を読みながら、鴎外の史伝小説への指向があるようだ、と感じた。でも、大仏次郎は饒舌、というか、説明をしすぎて、事実を放置しておくことができない性質のように思った。ただ、大仏次郎や薦めてくれた方の人間にたいする価値観にはとても賛同できるし、組織と人間の関係にも考えさせられることは多い。

最も驚いたことは、この作品が1930年に発表されたこと。それから間もなく、日本はかの15年戦争に突入していくわけだが、作品は警鐘たりえなかったのだねえ・・・。大仏次郎自身は日本軍占領下の東南アジアを訪れているが、それに至るまでに彼の良識との軋轢はどうだったのだろう?ちと疑問。

『冬の紳士』も人間観がよく現れた作品。まず、人間観ありき、それを人々に説くためにお話を作った、という印象が免れない。一種の訓話なんだよね。

大仏作品は私が文学に求めるものとはちょっと方向が違う。「面白くてためになる」が彼の本質なのではあるまいか。「鞍馬天狗」の先生だしね。それのどこが悪いわけではない。でも、私には「ためになる」ところが嫌。

「ためになる」ことを説明しすぎなんだと思う。説明しないで感得させてくれるような筆であれば、嫌だとはいわないだろう。『ドレフェス事件』は名作なんだそうだが、鴎外の史伝小説を読んだときのような清明な感動がないのは、説明という押し付けがましさがあるからに違いない。

大体、私は説明がキライで、マニュアルは読まないし、団体旅行のガイドには耳をふさぐし、何を隠そう、昨日の晩まで仕事の話まで説明を丁寧に読まず、全然方向違いのことに夢中になっていた・・・start it all over again...


『武原はん一代』
2005年03月07日(月)

『武原はん一代』 武原はん

知り合いの方が、是非読んでみて、と半ば押し付けるようにして、貸してくださったものである。立派な装丁で、いかにも大事にしていらっしゃるという本だったので、持ち運びもためらわれて、そのことのほうが私には負担だった。(大体、私はモノとしての本をあまり大切にしないので、息子の顰蹙をかっている。)

この本は地唄舞の武原はんの半生を垣間見せるが、ある日の風景といった趣の随筆なので、芸の苦労や世の辛酸を感じるようなものではない。この人の場合、文章よりは俳句のほうが素直に気持ちを運んでくるように思う。文章もうまいけれど、気をつけて書いている印象を与えるのが残念。

挿入されている写真がとても素晴らしい。白黒の小さいものだが、年表にあわせ、話題にあわせ、ふんだんに挿入され、舞の一瞬一瞬をとらえたものなど、かっこよくてため息がでそう

武原はんという存在自体が他の女と違う魅力を放つ人だったのだろうと思う。言葉の端々から彼女が猛烈な負けず嫌いで努力家で、そうでありながら、きちんと自分の物差し をもって生きている人であることが窺われる。

20世紀、女が自分の生を自分のものとして自由でいるためには,芸の力を必要としたのだろう。芸妓であることで、家庭に縛られず、世俗の女の階層(=父や夫の階層)に飲み込まれず、一流の男たちとつきあうことが可能であったのだろうし、そこで、お金や権力に身を任せず、高みを目指す自分を保ち続ける力があったからこそ、「武原はん」が生まれたと想像する。

いい本を貸してくださってどうもありがとうございました。

ビデオとかお持ちでしたら、そちらも是非。

★★
求龍堂





確定申告
2005年03月06日(日)

今週は星まわりが悪いに違いない。どうもまともに本が読めない。
今日もひたすら俗事雑事でオワリ(泣)。

13,000円も取られると思った確定申告、国税庁HPにある申告書の作成ソフトを使ったら、あれあれ簡単、それに5,800円で済んだ。これは私が単に手書き計算をしたときに、桁を間違えていたから、前は13,000円と出ただけの話で、何もソフトが甘いわけではない。だけど、1万円を越すか越さないかは気分が全然違う。

来年は必要経費がもっと取れるような仕事をしよう。ついつい領収書なしの3割で妥協してしまう。でも、そうするとHPの作成ソフトじゃちょっと無理っぽいかも・・・税務署員と交渉が要りそうだもの。それも面倒だな、そんな大儲けの仕事があるとも思えない。

人頼みの勘三郎襲名披露のチケット・ゲット(来月分)。これは予定のうちだったけれど、はずれればいいや、と思っていた10月のキーンリサイドの「ドン・ジョヴァンニ」。見事に当たり。キーンリサイドは好きなんだが、同じ頃「タンホイザー」で聞くからあきらめよう、と思っていた。で、あきらめきるために申し込んだんだよね・・・。オペラって長いから毎週、毎週続くと結構体力的にキツイのです。もちろん財布にもキツイです。

週明けは少し文化的な暮らしが出来ますように。


このカードは・・・
2005年03月05日(土)

この間、音楽関係の有料サイト(イギリス)から、「料金が引き落とせないから何とかしろ。限度額超えてるんじゃないか、有効期限越えているんじゃないか」という旨のメールが来た。利用料は月1000円くらいのものなのだけれど、ネット上の相手からクレジットカードの問題を指摘されて、かなりびっくりした。

どこかでスキミングでもされたのかしら、ネットでちょくちょく買い物をするからそのせいで盗まれたかしら、不正利用されていたらどうしよう、とあせりまくって、過去の請求書を調べたが何の問題もなく、カード会社のサイトから、現在の使用状況を調べても、何の問題もない。たかだか1000円、余裕で引き落とせる。

しょうがないから、「当方には何の問題もない。使用期限も十分残っているし、限度額にも余裕がある。これまで支払いに問題があったことはない。従って、お前さんのほうで何が悪いか調べなさい。いいサイトだと思って利用してきたが、この問題に満足のいく解決ができないのなら利用をやめざるをえない。」と強気で、というか、当然の返事をしたためて、返信をした。私の英語ではこういうお金の話はまったく守備範囲外なので、ダメだったらやめるっきゃないな、と思っていた。

今日、サイト運営会社から返信が来た。いわく、「カードに問題があると指摘したのは、システムエラーであった。前のメールは無視してくれ。不自由かけて悪かった。」まずはほっとした。最後にapologizeがあったから、ミスは完全に相手側の問題で、私のカードには問題がないことがはっきりして安心した。

カード会社のサイトなんてめったに見ないけれど、これからはときどき見回りをしておかないとやばいかもしれない。銀行口座も。でも、それも守銭奴みたいでやだな。便利にはなったが、たんすの預金が泥棒にやられるのとは異なって、やられたことに気付くまで時間がかかりそうだ。

とはいえ、あちこちのパスワードとか暗証番号とか、とても覚えきれない。全部同じでは、危なそうだし、さりとて、あれこれ考え出すにも限界があるし、覚えておく能力にはもっともっと限界がある。年をとって、まだらボケがはじまったら、たちまち生活費が引き出せなくなるような気がする。くわばら、くわばら。

今日もまた日常雑事に追われてしまった(涙)。


身近な経済
2005年03月04日(金)

最近どうもアタマが活性化していないし、今日のように雪なんか降ると完全にショートしてしまう。やる気が出ないので、確定申告の計算をしたら、13000円も税金を払い足りないという結果になった。源泉であれだけとって、まだとり足らないか。医療控除で少し戻ってくるかと思えば、それはとんだ勘違いで、あ〜あ。

ライブドアといい、西武といい、経済がうんと身近になるようなニュースが多い・・・息子に「TOBってなんだ?」とか「上場するとどういうメリットがあるんだ?」「NASDAQってなんだ?」と尋ねられると、そのたびに己の不明を愧じてしまう。そんなもん、母親に尋ねるなよ、といいたいが、悔しいので勉強する。

しかし、実際、税金とか経済とかを理解したいと思うようになるのは、自分が強制的に源泉徴収されるようになり、あるいは株の一つも持って、経済の浮沈を感じるようになってからではないか?経済学部で勉強をする前に資本主義経済の仕組みがわかっている子っていないのではないかしら?(もちろん例外的な人はいるとしても。)

中学か高校の日本史の時間に「荘園」とか「三世一身の法」とか「墾田永財法」(だっけ?)とか習ったような気がする。今思えば、それまでの班田制を崩壊させる大変な変動だったのに、なんだか、ソレガドウシタ、という程度の無関心さで通り過ぎてしまった。人の生きる規範は金であってはならないけれど、基盤は金の世の中さ。

ボケ防止だのなんだのって、幼稚な書き取りや計算をする向きがあるけれど、高校の教科をもう一度さらったら面白いんじゃないかなあ。抽象的な思考への入り口を教わっているのに、高校生の経験値じゃなかなか入り口が見えず、「コンナコト、ヤッテドウナル?!」と放り出してしまう。でも、今ならそんなことはないはず。

ライブドアの堀江氏はブルゾンの前が止められないのだろうね・・・パツンパツンになって・・・金払っても首の短いのと背中の脂身はどうにもならんようだ。西武の堤氏の後頭部の絶壁もかなり激しいものがある。多少のお金だけで体型がどうにかできるのなら、私だってローンを組みたいが、こう見るに、金でもっともどうにもならないのは、自分自身のことなんだね


コゲラに遭遇
2005年03月02日(水)

職場からの帰り道、林の脇でコゲラを見かけた。
鳴き声♪も聞かせてもらった。長く尾を引くティーッツという声。
木をつつく音も聞かせてくれたら、もっとうれしかった。←欲をいってはいけません。

大昔、林でキャンプをすると、明け方、キツツキの木をつつく音がうるさくて目が覚めた。コゲラでもそこそこうるさいのだろうか、と、ネットでチェックしたら、電動ホチキスのようだった。

キツツキは蘇我馬子にやられた物部守屋の生まれ変わりだという話がある。守屋は廃仏派だったから、死んでキツツキになってもなおお寺の伽藍をつつくんだとか。いじましい話じゃありませんか。もっとも山奥の名刹はキツツキの害で大変らしいけれど。

自然に対する解像度のある目が必要、草木や生き物の名を覚えるのが第一歩」ということを述べたエッセイを、数年前に出版社のPR誌で読んだことがある。確かにたかがオオイヌノフグリやヤハズソウでも名前を覚えると、とたんにイッチョマエになる。私の場合は、子どもが幼いときの外遊びのつきあいで、名前を覚えることができた。福音館の 『夏の虫夏の草』 だったっけな?とてもいい手引きだった。

田舎で育ちながら、子どものとき殆ど外遊びに無縁の子だった私は、大人になって身近な自然を取り戻せて結構うれしいんだけれどね・・・。実際、ツバメと雀くらいしか知らなかった。あとはニワトリか。そうそう、鉄砲を撃つ人がお歳暮にくれたりしていた山鳥(の死骸)はよく知っている。帽子の飾りに山鳥の羽がついていたりすると、台所に転がっていた、冷たくて重い山鳥を思い出す。(山鳥の肉団子とか食べました。)


カウンターの赤鬼さん
2005年03月01日(火)

図書館のカウンターの司書さんは私が学生の頃からいる人である。
その頃は若かったんだと思う。
赤鬼のような人だった。
スモック風の事務服と腕カバーが垢抜けなかった。
それでいて愛想がよく、かえって気持ち悪く思えた。

赤鬼さん、いかつさこそ若いときのままだけれど、
50代になって渋みがそれを希釈して男ぶりが上がった
事務服はいつの間にかおしゃれなジャケットになった。
袖のところが10センチ以上も折り返せるような仕掛けになっている。
図書館業務ってずうっとカウンター一筋なんだろうか?
駒を進めると人目につかない裏に回るというわけではないのかしら?

今日はいろいろ厄介なものを出してもらって、何度も手間をかけた。
若いときだと「もたついてるわね!」と怒りそうな場面でも、
年とともに丸くなった(心身ともに)といわれる私は、
ひたすら低姿勢に「恐れ入ります」「お手数かけます」の大安売り。

一日何度も書庫との間の往復は大変だろうと思う。
私は書庫に入る資格はもらっているけれど、
ほこりっぽいし面倒だから取ってきてもらうほうがいい。
横着ものだ。

せめて「○○さん、お世話になります」くらいはいいたいのに、
赤鬼さんの名前は知らない。
今更尋ねるわけにもいかず、ちょっとさみしい。
顔だけ知っている20数年来の知己(?)

今は図書館の本の検索もOPACなどで家にいながら簡単に出来る。
私には驚くべき進歩。
PCの画面を見ながら、請求番号のメモをとっていたら、
息子が来て「ハンドヘルドの簡便な印刷機があるといいのにな」という。
人の欲望には限りがない。
科学技術なんて欲望の申し子だ。





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