まみいの日記
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2003年12月17日(水) 今年の入院続きのさいごとなるのは・

こたろうは睾丸停留だ。

(まれに睾丸が腹腔内や鼠頚部(そけいぶ=内股の付け根)に留まったまま陰嚢に降りてこない場合があり、これを『睾丸停滞(こうがんていたい)』 あるいは 『停留睾丸(ていりゅうこうがん)』 と呼びます。
2つある睾丸の両方が停滞する場合と、どちらか1つのみが停滞する場合がありますが、どちらも『睾丸停滞』 と呼ばれます。
睾丸は精子を形成する器官ですが、正常に機能するためには体温よりも低い温度環境が必要で、睾丸停滞の場合には精子が形成されず繁殖能力が無い、あるいは非常に低くなります。
ですが、睾丸停滞が問題となるのは繁殖能力の有無よりも、停滞した睾丸が年齢を重ねると共に腫瘍化しやすいためで、早期の睾丸摘出が推奨されます。
睾丸は通常、生後2〜3ヶ月もすれば陰嚢内に納まり、小さいながらも陰嚢を触った感触で確認できますので、いつまでたっても陰嚢内に睾丸が確認できない場合や、1つしか確認できない場合には、病院で診察を受けた方が良いでしょう。geocityのAnimalより)

というわけで こたもとうとう手術をして睾丸を取ってしまうことになった。
病院で一泊しなくてはならない為 今から心配だ。
今年の入院続きの最後は こたろうとなりそうだ。


2003年12月12日(金) 一日雨

今日は義母のお見舞いでちょっと遠くの病院までいってきた。
行きだけで2時間かかってしまい ついたらもうお昼時となってしまった。
義母は 姿勢を変えると激痛が走るらしく いつもの気丈さは無く頼りなげだ。
清拭をしてもらったようで 洗濯物がでていたのでまずは洗濯室を探す。
今年いくつもの病院にお世話になった経験から 洗濯は乾燥も含めて1.5時間ほどかかるので 着いたら早々始めておいた方がよいのだ。

私のうちには乾燥機が無い。
あったら便利だろうと思いながら お日様に当てて干したものにはかなわないという思い込みから 購入していない。
でも ふかふかに仕上がったパジャマを畳みながら 雨続きだった頃は洗濯物の干し場に困ったなぁ〜と かなり乾燥機購入に気持ちが動いている自分に気づいた。
ドラム一層式の斜め横になっている最新の物にちょっと気を引かれている。

義母は 起き上がることが出来ずに 病院で用意してくれたおにぎりをほおばっていた。
おかずもきざみ食になっていて 食べやすそうである。
きのうに比べれば 姿勢を変えずにいれば痛くないので かなり楽になったのよと 微笑む。
若くして夫に死なれ 一人で子供を育ててきた強さから 何でも一人でやってしまうのが当たり前の生活をしていて 今回も部屋の模様替えをしようと重いたんすを持ち上げたのが原因らしい。
しかし担当医は動脈瘤の疑いもあると検査を予定しており 入院は2〜3週間ほどになるだろうと言う。
動脈瘤・・聞きなれない言葉に不安の顔になった私を察知した担当医は 「多分筋肉を痛めただけだと思いますが 念のために」と 言葉を継いだ。
早くてクリスマスの頃 遅くなったら年末頃の退院予定だ。
眠りについた義母をおいて 叉来るからと病室をあとにした。
暑くさえ感じた病院から一歩出ると 外は寒い雨が降りしきっていた。

急いで部屋の中に干してきた我が家の洗濯物がとたんに気になる。
部屋干しは コップに5杯もの水を部屋中に撒いているのとおなじことだという。
それは結露となって 暖房をした時窓の水滴の原因になってしまう。
「おかあさんも ちょっと長い入院になるようだし思い切って・・」
かなりの物入りで 私にとっては通帳と相談の結果決める事ではあるが 乾燥時間が案外長いこと 出来上がりが縮むこと なにより今使っている洗濯槽はどうするのか 問題点はあるある。 


2003年12月11日(木) 今年はまだ終っていない

母の退院で 今年は一区切りついたと思っていた私だが 今年はまだ終っていなかった。
今度は 義母が入院したと今日知らせが入った。
あいにく午前はヘルパーの仕事 午後は役所と 家を留守にしていたのだが 娘が知らせてくれて入院先の病院へTELを入れてみた。
重いものを持ったことによる腰痛とのことで 急を要する事ではないとの話に 明日病院へ行くことにした。

今年4人目の入院。
今までが何もなく過ぎていったので そのありがたみがわからずにいた私。

あと少しで終る今年の 最後の看護になるように祈って 自分の健康管理もしっかりしなくてはと考えた。


2003年12月10日(水) 運命の女神は勇者を助ける

「運命の女神は勇者を助ける」。勇気を出してものごとに取り組めばツキがやってきます。何とかしようという強い気持ちが成功のカギ。

なんと 力強い頼もしい言葉だろう〜
うじうじ考えてたって 物事は堂々めぐりをするだけ。
そうだ! 立ち上がるんだ!!


2003年12月08日(月) 中毒

長らく放っておいたHPが気になって クリスマスも近づいた事もあって 雰囲気を変えてみた。
といっても 背景は昨年のお下がりで あまり新鮮味は無い。
設置の仕方もしばらくやっていなかったので 四苦八苦した。

やっと仕事も一休み 母も自宅に戻って しばしの間骨休めできるかな??
時間ができると やっぱりPCの前に座りたくなってしまう私は PC中毒?


2003年12月03日(水) 不意打ち

母は退院して以来 うちに来てもらっている。
5分ほどの距離しかないお互いの家だが そばに居てくれた方が私が安心できるので 自宅を長い間留守にするのを心配する母を説き伏せた。
だが3日に検診を受けて その結果が良好なら自宅に帰るという。
だいぶしっかりしてきて 痛みもうすれてきたようで ここにいて手持ち無沙汰でぼんやりしているよりいいかもしれない。
今日は天気も良かったので 片付けをしたいからと 午前中だけ自宅に帰っていった。
昼頃 仕事を終えて 迎えに行くと 
「留守電が入っていたのだけど 誰からか名前がわからないの。 聞いてくれる?」
と やにわに 電話のボタンを押す。

「留守電全部で18件 そのうちの一件目・・」
と再生が始まった。
ちょっとちょっと そんな全部を聞かなくても
その問題のメッセージだけでいいではないの?
そう母に言おうとした私の耳に 聞きなれた父の声が飛び込んできた。
「あ〜 僕だけど・・」
と始まったその伝言は 今知り合いと話し込んでいるので心配しないようにというものだった。

懐かしい声。
聞きなれたゆっくりとした話し振り。
まるで 父が今電話をしてきたような錯覚を覚えた。

私は電話に伸ばしかけていた手を引っ込めると
次の伝言に耳を澄ませた。
母も仕事の手を止めて 聞き入っている。
「こうしてとっておくといつでも聞けるでしょう? だから消せなくて随分伝言が溜まっちゃったわ」
私は不意打ちを食らって 胸の奥深くがチリリと痛んだ。


まみい