まみいの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年10月30日(木) つかの間の休日

きょうは 都美術館で行われている「大英博物館展」を見た後で テクテク歩いて浅草雷門でランチをした。
程良いお天気の今日は みなあとからあとから
湧いてでて来るようで 上野の駅はそんな人でごった返していた。

その人の並をそのまま連れてきたようで 都美術館はすでに満員の一歩手前の様子〜
恐る恐る中に入ると ロゼッタ石も人の頭越しにかいま見る有様であった。
それでも 私の見たかった古代エジプトの収集を音声ガイドに導かれながら 堪能した。

近くの浅草寺まで 心地よい秋風に吹かれながら時間を気にすることも無く てくてく歩くという優雅なひと時をすごし 久しぶりに気持ちがのんびりしたようだ。


2003年10月28日(火) ふ〜〜

目の回る忙しさ と よく言うけれど 本当に忙しくってばたばたしていると 目が回ることに気がついた。
(~_~メ)


2003年10月25日(土) カラスなぜ鳴くの?

最近カラスの被害が多い。
ごみ置き場をあさって ごみを散乱させてしまう。
朝の忙しい折 散乱したごみを掃き清めるのは一仕事だ。
私の地域は 町内会の班ごとにごみ置き場が決められていて その班にごみ置き場の管理は任されている。
うちの班は全部で8家族で一週間ごとに管理担当が回ってきて 放棄ごみの処理やらカラスの被害の後始末やら 責任を持って行わなければならない。
気の抜けない一週間となる。

カラスからの防護として ネットを張ってその中に捨てるようにしたのだが 賢いカラスにとってネットは役に立たない。
業を煮やした班は お金を出し合って小型の倉庫を購入しそのなかに捨てるようにしている。
あまりに頻繁に荒らされるので うちの班でもそろそろ購入か・・と思案しているところだ。

きょうもカラスの散らかしたごみを拾い集めていると 上空で「かぁかぁ」となきながら旋回している。
果たして からすはなんと言ってないてるのだろう?


2003年10月23日(木) 犬用のおせち

いよいよ おせちつくりが話題になる時期になった。
最近は デパートや老舗の味を購入して済ませる人が増えたという。
私も 結婚当初はせっせと手作りで励んでいたが 子供はきんとんの嫌いなもの かまぼこの苦手なもの 田作りは口に入れないもの とさまざまで 年とともに一品づつ手作りが減っていく始末だ。

今年はどうしたものかと思案しながら 新聞に目を通していると なんと犬用のおせちが売りに出されているという。
犬用のバースデイケーキがあるのは知っていたが おせちまででてくるとは 空前のペットブームのもたらした笑い話だ。

しかし うちのこたろうも もしかすると自分の事を犬だとは思っていない やからかもしれない。
人間の食べているおせちを どうしてボクだけ食べられないの・・なんて思っていたらどうしよう??


2003年10月21日(火) 出来栄え

先週の土曜日に この間の体育祭の写真が出来てきた。
いえいえ 写真が仕上がったのはもっと前の事だが 編集をする日に取りに行こうという事だったのだ。
前日から プレッシャーに胃が痛くなる思いをした。
もう終盤に差し掛かる頃になって もう一人の広報員のカメラのレンズが 汚れている事が判明した。
もし その汚れが写真に写っていたら 使い物にならないというのだ。(それはそうだ)
必然的に 私の出来栄えが注目される事になり プレッシャーに弱い私は もしうまく写っていなかった時にはどうしよう?と 夜も眠られぬ思い〜〜

巷では 一眼レフのデジカメが出たという。カメラの性能がどんなによくったって アングルや場面のとらえ方などに その人のセンスが表れる。
そして私は密かに 去年体育祭の担当だった今の三年生(の親)だけには負けたくないと 意気込んでいたのだ。
子供じみた話で 我ながらばかばかしい気もするが 目の上のたんこぶ的な存在の彼らは 珍しく私と気が合わない。
私たち二年生の親は リーダーになる者が居ない代わりに 全員それぞれの得意分野を生かした活動をしていると 自負している。
皆が補い合って楽しく仕事をしている。
それに対して 三年生の親は委員長の強力なリーダーシップのもと 紙面作りに自分の考えを一歩足りとも引かず 他の意見は蹴散らしながらきた(ように思える)。
なにもかも 対照的な存在なのだ。
その彼らが担当した去年の体育祭の写真を 自ら素晴らしい出来栄えと自画自賛している様子に 私はここでなんとか反撃して二年生ここにあり・・という所を認めさせたいと不遜な事を考えていた。

そして いよいよ写真が運ばれてきた。
恐る恐る開いてみる・・・・・。
まあまあ 無難な仕上がりにほっとする。
これを どんなふうにレイアウトするか?
私の胃痛はまだ治まりそうも無い。


2003年10月14日(火) 集中豪雨?

今日のPM2:00あたりから 降る降るといわれていた雨が降ってきた。
と思ったら それはたちまちにすごい勢いで降る豪雨になって 一時うちの周りは排水が間に合わなくて水が溢れた。

ここは昔はよく水が出たといわれる。
近くに江戸川が流れていて それが氾濫したという。
もう30年ほど前に氾濫して水が出たときは 最寄の駅を降りたら 辺り一面湖のようになってしまい 舟を仕立てて 通勤帰りの人を乗せて送ったと聞いた。

小降りになってきた雨足を眺めながら たった30年程前のご苦労をしのんだ。

あっという間に水はひいて 雲の間から青空が見える。
心地よい風を受けながら こたろうと夕方の散歩に出かけた。
半日家に閉じ込められた犬があちこちぞろぞろと 飼い主を引っ張って走っていた。 


2003年10月13日(月) 体育祭の写真班

11日は三女の高校の体育祭だった。
私は広報に所属しているので 当日は写真を撮るように言われた。
幸いな事に 暑くも無く 雨も降らず まことに体育祭にふさわしい天候で 運動場を駆けずり回らなくてはならない私にとっては ラッキー!!

しかし 動く被写体を写す事のなんと難しいことか!!
日頃はデジカメで 保存も削除も思いのままであるが この日は 自動で露出も距離も計ってくれるというけれど レンズの部分がやたら飛び出している 持つと手に重い本格的なカメラを渡された。
緊張で手が震える。
なんて言ってるうちに 音楽と共に行進が始まり 慌しい一日が否応無く始まったのだった。

昼も出し物があって 一つ残さず撮らなくては成らないとのことで お弁当を食べる暇も無く 午後になって風が出てきて 皆は寒くなってきたと言うのをしり目に 半袖でもふーふー言いながら やっと優勝カップの授与までこぎつけた時は 本当にうれしかった。

当分はカメラなんて見たくない・・と思ったのもほんのひとときのことで 今はあの持ち重みのする本格的なカメラを購入することを夢見ている 懲りないわたしがいる。


2003年10月10日(金) ホットカーペット

昨日の夜は 足先が冷えて 寒くて寝られなかった。
こたろうも寒かったようで 私の布団にもぐりこんで寝ていて 踏み潰しては大変と気になっていた事もあって余計に熟睡できない。
一時間ごとに目を覚ましては そっと寝返りを打つ。
朝は携帯を目覚ましにしており 寝坊する事は無かったが 気持ちの良い目覚めとはいえない 冴えない朝だ。
午前中は 空気入れ替えのため開け放した窓から 冷たい風が容赦なく吹き込む。
私は重い腰をあげて 押し入れの奥に仕舞っておいたホットカーペットを何とか取り出す。

コードをつないでスイッチを入れると じわっと暖かさが体を伝わって ほっとした。
こたろうもそばで丸くなって 満足そうに寝ている。
全く犬のくせに猫のような奴だ。
せっぱつまった仕事が無いのを頭の隅で確認しながら 快い睡魔に身をゆだねる。
ああ!! 極楽〜〜


2003年10月09日(木) 一難さって また?

父が亡くなって早くも6ヶ月になろうとしている。
母の年金も金額が確定したとの通知をもらって 今後の生活設計をしようと 現在の支出を確認した。
なかで 母の覚えの無い支払い先があり 金額から浄水器の分割をしているものだとわかった。
本体価格が35万円弱なのも驚いたが 分割手数料が20万円でトータル55万円を支払っていくことに目がうつろになった私は 自宅に帰ってPCで調べてみると 果たして その業者は問題のある悪徳商法のリストに載っていた。
母に覚えが無かったのは 今年になってから社名を変えていたのだった。

帰宅した長女も一緒に調べてくれて 浄水器は高くても20万円どまりであることが分かったが 契約日がH13年で もう支払いはすすんでいるので 解約は難しいのではないかという事になった。でも「だめもと」で あす消費生活センターに相談してみようと思う。

それにしても 次から次へと 問題が顔を出す今年だ。


2003年10月07日(火) 曇り空

どうもすっきりと晴れない千葉だ。
時折 ぱらぱら雨が降る。
あしたは 関東地方だけ 雨マークで 予報最高気温は札幌のそれよりも低いという。

ちょっと詐欺にあったような気分。


2003年10月06日(月) 銀座で再会・十三夜

今週はなんだか しょっちゅう出かけている。
銀座の方は 沖縄に転勤で居た時の友達との 久しぶりの再会の場だった。
一時代を一緒に過ごした仲は 少しのブランクなんてものともせず 打ち解けた楽しい会になった。

それでも その中の一人が 家族で八ヶ岳の方に引っ越されるという事で その決断に驚かされた。
ちょうど 冬が来る頃の引越しになってしまったが むこうでは 農業をしたいと張り切っている。
どちらかというと 沖縄ではテニスをしたり ホームパーティを開いたりと 都会的な香りのする彼女だったので 何がそう彼女に決心させたのか 居合わせた皆はちょっぴり気になった。

すると 自分の好きなことで過ごす晩年を迎えたいと言う。
また 娘さんが仕事で行き詰まって かなり煮詰まっている様子なので 気分を一新させるためにも連れて行くという。
私はまだまだ その日暮しで過ごしているのに どこで晩年を迎え どういう人生の締めくくりを迎えたいかをもう考えて 実行に移した彼女の一家に 大いに触発された。

沖縄料理に舌鼓を打ちながら 「沖縄永住」なんて頭をかすめる私であった。


十三夜
9月11日の十五夜は まんまるな月に 寄り添うように火星がぴったりとくっついて どちらも綺麗に眺める事が出来 お月見気分を堪能した。
この日から一ヵ月後を十三夜といって 昔はこのときもお月見をしたという。
今年は10月8日が 十三夜にあたる。
火星も再び近づいてきており この夜も近くで輝く様子を見ることが出来そうだ。

ちょっと寒いけど 晴れたら夜空を見上げよう。
街の明かりにも負けないで 遠く星が瞬く。
今私が見るこの星の瞬きは 何十年も何百年も何千年も前に放たれたものだ。
もしかしたら もうその星は存在しないかもしれない。

黒いビロードの空のカーテンに 無数の星が散らばって ちかちかちかちか合図を送り 私を神秘の世界に招いてくれる。


2003年10月04日(土) 法廷

3日の日は 霞ヶ関まで行ってきた。
以前 末の子が電車内で痴漢を捕まえた話をしたが その被告の裁かれる法廷で 証言することになって 私も勿論ついていった。

それまでも 3回程会って話をしていた検察官は
裁判にまで出させる事になってすみませんと言う。
被告はなんと前科のある身で もっと早く解決するかと思われたが 否認している為 その事件の性格上被害者である娘の証言がいるという。

いろいろ考えては見たが どうしても許せないことだったので 当日は衝立で姿は見せずに証言するという事で承知した。
本人も嫌だったと思うが 最後はこのままにしてしまえば 又犯行を重ねるかもしれない・・という検察官の話に決心したようだ。

傍聴席につくと 勉強のため 見学でと 席はもういっぱいに埋まっていた。
結果を言えば 娘は最後まで動揺もせず あったことを話して 分からない事は分からないといい 親の私がいうのも変だが 立派だった。
ひきかえ被告は 訳のわからない言い訳に終始して 見苦しかった。
検察官も娘をほめて これは普通できない社会勉強ができたと思ってくださいと締めくくった。

全部終えて 事務官の方が 法務省やら裁判所を案内してくれて 都内見学に来たような気分にしてくれた。
緊張がいっぺんに解けた帰りは どっと疲れがでて二人は無口になったが 私は娘が誇らしかった。


2003年10月03日(金) 意外な効用

季節の変わり目は アレルギーを持つ者にとってしんどい日々だ。
うちの娘たちも 相方の血筋を受け継いだのかアレルギーを持っている。

いつも秋の入り口で 軽い喘息の症状が出る長女が風邪をひいたと思い 薬を飲んでいたが 目がかゆくなって 花粉症だと判明した。
しきりにめをこすっていたので 目薬を差して寝るように言った翌日の事。

起きてきた長女の目は くっきりと二重になっていた。
顔のパーツは それが少し違っただけで 印象が大きく違って見えるのには驚いた。
二日続けてくっきり二重な彼女は ちょっと愛らしく見えるから 花粉症の思いがけない効用に 悪い事ばかりではないなんて思ってみたりする。


2003年10月02日(木) 金木犀2

金木犀の香りは 何故か子供の頃を思い出す。

花びらがはらはら散る頃 オレンジ色の絨毯を敷き詰めたような木の下を この香りを楽しみながら すぐに暮れてしまうのを惜しんで
暗くなるまで遊んで母に怒られた〜〜 (~_~メ)

あの頃の だんだん暗くなっていくあたりの景色が 何か置いてけぼりを食ったような気がして 冬の近づくのを知らせる冷たくなった風と共に淋しさを誘う。
家の中に入るきっかけを失った私は 母の呼ぶ声を待っている。
金木犀の甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら・・・。

電気がついた家の中は まぶしくって 暖かくて ほんわかうれしかった。
だからだろうか 金木犀の香りは 懐かしくってどこか淋しい。


2003年10月01日(水) 金木犀

今朝 玄関を開けたら 金木犀の香りがふうわりと漂っていた。
こんな今年の天候だったけど ちゃんと季節の変わり目を知って 咲いたんだ。とうれしくなった。
この香りで 秋だと実感する。
町のあちこちに甘く漂うこの香りに 気がついただけで今日はしあわせ〜


まみい