まみいの日記
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2003年02月27日(木) 一年前と変わらぬ思い

私は 2月27日 雪のしんしんふる静かな明け方に産まれた。
母は末っ子の甘えん坊で はじめてのお産を実家の近くで迎えることに決めて はやいうちから実家に身をよせていた。
まだ 産み月まで2ヶ月近くあるという お正月の慌しさがなくなりかけた頃 祖母が突然倒れた。
自分の夫には決して逆らわず 子供の為 家庭の為に身を粉にして働く 昔かたぎの女性だったという。

突然倒れ 突然逝った。

人一倍甘えん坊だったという 母の嘆きは如何ばかりのものだったろう。
そのことについて いつも多くは語らないが 今もって祖母の古びた写真を大事に持っていることを私は 知っている。

そして 母は早産で私を産んだ。
頼りにしていた人は無く はじめてのお産が自分の愛する母の葬式の後だなんてどんなにか心細かったことだろう。
母は 私を祖母の身代わりと思っていたらしい。
随分と 可愛がってもらった覚えがある。

そんな 母も最近めっきり年老いたようでいつもの元気がないようだ。

母にいつまでも元気で・・・と願うのは子の常だが 私も人並みの子として思う。
これからの あなたの人生が 穏やかで安らぎに充ちたものでありますように・・・。
私を産んでくれてありがとう。長生きしてね。

上は 一年前に書いた日記の丸写し。
でも気持ちは変わらない。
同じ思いでいる。
今父は闘病生活をしている。
ちょっと具合が悪くなって さっきまで病院にいたが 眠りについたので帰ってきた。
母は夜の間中付き添っていると言い張る。
あなたの健康も心配なのよ〜


2003年02月25日(火) 父の声

父は声が出せないため 夜はもし何かあったらどうやって看護師さんに知らせたらよいのか・・ という不安が増大していって きのう 少々情緒不安定になったようだ。
私にしきりにその不安を訴えるが 私はそれをうんうんと聞くだけしか出来ない。
ドクターにその不安を解消していただこうと 面会を申し込んだが 折悪しく 手術が入ってしまってお会いする事が出来ず 看護師さんにすべて話して ドクターに伝えてくださるようにお願いした。

きょうは 早めに見舞いに行くと 父は「昼ご飯は食べられた」ときのうの騒ぎはどこ吹く風の様子だ。
身の回りの始末をしていると 看護師さんがやってきて 昨日の話はドクターにしてくださったという。
そうこうしているうちに そのドクターが病室にいらして 呼吸器から送っている酸素の量も減らしてきているので 今日は違うものに変えますとおっしゃる。
きょとんとしている私達をどかすと その場で看護師さんと今までのものを取り外したと思ったら なんと父の声が聞こえる!!

話すことができるものに変えて 調子が良かったら 喉を縫い合わせることまで 考えている段階だという。
あまりの展開にもう私達は父に話してみてよと大騒ぎ〜
他の看護師さんも集まってきて 
「あら いい声ね」
「今度 カラオケに行きましょう」
ドクターも「どんどん話していいですよ。」と油を注ぐ。

かくして 母も私も 入院して一ヵ月半ぶりに父の声を聞くことが出来た。
父も嬉しそうに今までの出来事を面白おかしく語ってみせる。そこには きのうの苦渋に満ちた父の顔は無い。
自分の気持ちを語ることができる 晴れやかな気持ちそのままの父の顔があった。

おまけに 食欲のまるで出ない父に 今は食べたいものを食べたい時に食べられるだけ食べて まずは食欲を出すようにしましょうという 嬉しい許可まで出て さっそくアイスクリームと あの例のバレンタインチョコをほんの少しずつ口にする事が出来た。
私も勿論お相伴〜〜

\(^o^)/


2003年02月24日(月)

週明けの朝 雨だったのに だんだん寒くなって とうとう雪に変わった。
早めにやむかと思われたのに どんどん激しくなって 車にも少し積もった。

紅梅の上にも 白く色づいて花が重たげに首をたれる。

食べたくないという父と 食べなくちゃ直りませんよという周囲の声〜
どちらの気持ちもわかるだけに・・・。
冷たい窓に額を押し付けて 雪の降りしきる様子に見とれてるふりをした。


2003年02月23日(日) HP改造?

忙しい時に限って 何かしたくなるのは 学生の時に試験前になると本を読みたくなったのが始まりで 仕事でアップアップしているのに映画を見に行きたくなるのと似ている。

今日も午後から買い物に行く事が決まっていたのに 何かHPを変えたくなって いろいろ探っているうちにこれぞと言うサイトを発見!
それから 速攻で改造に励んでみた。
さあ! どこが変わったでしょうか?

ちょっと 気になる部分もあるので 明日仕事を終えて 父の病院から帰ってきたら見直すつもり〜〜
家事がオロソカニなる (>_<) 


2003年02月22日(土) 水ばんそうこう

世の中には いろいろな商品が出回ってるようで リサーチする気持ちと機会がないと世の中から出遅れてしまう。

昨日の日記に切り傷をこしらえた事を書いたが 水ばんそうこうなる便利グッズが出回ってることを知らずにいた。
耳にしたことはあったが 忘れていた。
水仕事のたびに 折角つきはじめた傷口が開いてしまったり バンドエイドが外れてしまったりと 不便を感じていた。
今も剥き出しになった傷口がぴりぴりする。
さっそくあした水ばんそうこうを入手しなくては・・・。

又新情報があったら おしえてね!


ばなな
今日病院へ行ったら 父がバナナを一本食べたという。
ひところから見たら 格段の回復振りにびっくりだ。
一時危ない状態もあって 呼吸停止のおり狭い病室にドクター 看護師さんが集まってきた時と 心臓停止して電気ショックを4回もした時は 正直言って万が一の時がきたのだと覚悟した。
きっと顔も引きつっていたことだと思う。
それがここに来て 毎日やれる事がどんどん増えてきて 今日は立つ事が出来た。
本人はかなり疲れたと思うが 見守るしか出来なかった私達にとって 本当に嬉しく有難い事だ。

先日のバレンタインディに父とドクターにチョコを持参した。
なかなかお会いする事が出来ないドクターだがちょうどその日は病室に見えて 最近の様子を話してくださった。
周りに看護師さんもいらしたので そっとドクターのポケットにチョコの包みを滑り込ませると「うちの病院では こういう事はお断りしていますので」と真顔で辞退なさろうとする。
わたしは「先生 チョコよ。チョコ!」とドクターの口を封じ「今日はバレンタインディだものね」と続けると ドクターはにっこり笑って立ち去った。

父へのチョコは まだロッカーの中で出番を待っている。 


2003年02月21日(金) ゆびきった〜

指切った といっても「約束げんまん うそついたら・・」ではなくて こたのえさの缶詰を開けようとして ふちで薬指をきってしまったのだ。
缶きりでぎこぎこする物ではなく カッパンとリングを引き上げてあけるタイプなので 子供達には気をつけるように言っておいて 本人が怪我をしては示しがつかない。

ざっくりと深く切った訳ではないので 切った瞬間はあっと思ったが そのまま缶からミートを出していたら 思ったより血が流れ出ていてびっくりした。
慌ててバンドエイドを貼ろうとしたが 後から後から流れ出る血で貼るタイミングがつかめないくらいだ。
ようやく貼り終えてこたを呼び えさの前の儀式である 「すわれ お手 おかわり ふせ 待て よし」を一通りこなしているうちには 切ったことすら忘れていた。

しかし主婦の仕事はきりが無い水仕事ばかりだ。
指先のこんなちっちゃな切り傷が水仕事をするたびに気になった。


2003年02月19日(水) 溺れる

さっき 私の一番のリラックスタイムを終えたところである。
寒い日も温かいお湯に肩までどっぷりつかると身も心もほぐれて 入る前とは別人のようになる。
ところがきょうは 別人になって出てきたところで 娘がちょうどドアから顔を出して目と目が合った。
娘は明らかにほっとした顔をして言う。
「ああよかった! あんまり長い間出てこないから 寝ながら溺れちゃったのかと思った。」
「失礼ね。お風呂入りながらなんて寝ないわ。」
そう言って ふと時計を見ると何と一時間も過ぎ去っている。
「あれ〜 私一時間も入ってた??」
娘は呆れ顔で うなづく。
自分では気づかないままお風呂の中で気持ち良く寝ていたとは 昨日の病院に引き続き 自身では信じられない話なのだが 何より時計が現実を物語っている。

夕食後の電気カーペットの上も 今の私にはゆりかごだ。
このところ 引き込まれる睡魔に身をゆだねる気持ち良さに 溺れる毎日だ〜〜


2003年02月18日(火) 昼寝

きょうは 父はかなり落ち着いた様子でおとなしかった。
抜いてはいけない点滴を寝てしまった後の無意識状態とはいえ 三度も抜いてドクターにお世話をかけ 暑くてどうしようもなかったらしくティッシュペーパーを箱からすべて出して 箱をつぶしてうちわにしてあおいでいた とか。
父の様子を 病院に行った折に看護師さんから聞くのが だんだん恐くなってくる。 (^○^)

きょうは私に「かえろ〜」と口の形をしてみせる。
「かえろ」ってうちに帰ること?と聞くと うんうんとうなづく。
「ちゃんと直して 声が出るようになってからね」というと素直に諦めて そのまま気持ちよさそうに寝てしまった。

私と母 手持ち無沙汰で しばらく父の寝顔をみていたが どちらとも無くうたた寝をしてしまった。
ドアは開いていたから お見舞いにいらした方にも看護師さんにも私達の醜態をさらしたわけで・・・。

気持ち良く寝た後 まだ寝ている父と母に 夜に寝られなくなるからもう起きよう と声をかけて あらあ ここは病院だったわ と気づいた。
久しぶりに父と母と昼寝をしてしまって すっかり両親と共に暮らしていた頃の私にもどってしまったらしい〜〜

短い間だったけれど ぐっすりと寝てしまったものだ。


2003年02月16日(日) 紅梅

父の病院の近くに咲いている紅梅。
見事な林で 遠くからも ピンクの霞みがかかったように見えた。
近くによると しっかりとした花びらが凛として あたりを睥睨している。
昔は花といったら 梅のことだったとか〜
寒さを払い あたたかさをもたらす 季節の花だったのだろう。
さくらは散り際の潔さを愛でる風潮があるが 寿命は確かに短い。
それに比べて 梅は案外寿命は長いかもしれない。
父の病院のそば・・と考えると 梅それも紅梅であったことがうれしい〜〜


2003年02月13日(木) since 2002 02/12 12:51

去年の今ごろ 私はHTMLにギブしてgaiaxの門を開いたのでした。
未知のPCの世界は わからないことだらけではありましたが それだけに理解できた時のうれしさは 学生の時に戻ったような新鮮なものがありました。
HPで知り合った方々とのBBSでの交流も楽しく あっという間に過ぎ去った一年でした。

これからは リアル世界の出来事とも折り合いをつけて 自分のペースで長く楽しんでいきたいと思っています。
みなさま これからもよろしくね!!


2003年02月12日(水) 雨の朝

一週間の間にお休みが入ると 気分的にとても楽で なんだか落ち着いて一日が過ごせるような気がする。
父の病院行きという新しい日課が増えたので ドタバタと走り回って暮らしていた。
新聞もじっくり腰を落ち着けて読むことが出来ずに 立ったまま流し読みをして 気になるところがあっても ええいと 目をつむってきた。
「早く帰らなくては・・」と次の予定を考えて ひとところで落ち着けなかったりとか 前の日の段取りが悪くて 移動に時間がかかったりと マイナス面が多い。

きょうは 朝はゆっくりと寝られたし 雨が降りそうな天気の為 家事も太陽の移動に合わせて追われながら・・という毎日決まってするあせりの思いをせずに終ることができた。
からだの疲れは 休む事で取れるものだが 心の疲れは休んだからといって取れるものではないのね。

きょうは 好きな音楽をたくさんかけて 傍らのコーヒーの立ち上る湯気を楽しみながら 新聞を読んだ。
たった5分の事でも 英気を養うのに充分な時間だ。
「さあて」と立ち上がると それまで足元で眠そうにしていた「こたろう」が耳をぴんとたて
て私を振り返った。


2003年02月11日(火)

夕食後から 雨が降り出した。
始めはアスファルトを濡らすくらいだったのが
今は雨音をたてながら降っている。
明日からの寒さを運んできた雨だ。

この頃は 春と冬が隣り合わせ〜
今日は暖かく 明日は寒い。
今の私とおんなじ。
夜は思いを深くするから 最近は苦手である。
ぐずぐず考えないで 思いっきり良く 寝てしまおう〜〜
そう思うそばから 父はこの雨音を聞いているのかしらと気になる。

早く春よこい。


2003年02月09日(日) はまった占い

今日のことば
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
よいことをしていれば、協力者や応援してくれる人、友人は必ずできるものです。
寂しさなどとは無縁です。

勇気凛々!
きょうもがんばるぞ〜

今年はじめてのさくら
今年も桜の開花を心待ちにする季節がやってきた。
私は主人の転勤で 6年ほど沖縄に住んでいた事があり 一月の中ごろから 早咲きの桜を見てきた。
南国らしく 淡いというより濃い目のピンクで日本で毎年一番はじめに咲くことを喜んでいるような八重咲きのさくらは なにやら華やかな感じがする。

それに反して あわあわとした頼りない霞みの中で ようやっと春が来た事を喜ぶ風情を漂わせるのが本土のさくらだ。

山形のさくらがやってきた。
まだ二月に入ったばかりで寒い日も続くが 健気につぼみをほころばせて きょう 家の玄関で開花した。


2003年02月08日(土) 父と娘の・・

父が声にならない声を必死に出そうとして 私に何か訴えてる。
私は 読み取ろうと懸命に父の口元を見る。
あきらめかけては また 思い直したように私を目で呼んで口を開く。
何度か 繰り返したところで 「ひきだし?」
父は疲れた顔でうなづく。

母は遅い昼食を弟ととりに行って 今は二人だけの空間だ。
「引き出しに入ってる何かを 取って来いというの?」
コクンとうなづく。
「なあに?」
父の口は お あ え と動いたようだ。
おあえ おあえ  もしかして・・・・
「お金?」
満足そうにためいきをつくと 父は人差し指を口にあてた。
「ん?? 内緒なの? なに へそくり??」

その日 母を家に送ったついでに2階に上がった私は 首尾よく「福沢諭吉」さまを 何枚か手にした。
口止め料としてお一人くらいは私の元においでになるだろうか?


2003年02月07日(金) 今日の占い

お友達のところに設置してある カード占いをしたら・・・・

「笑う門には福来る」。いつも笑っていれば自然としあわせがやってきます。だから、たとえつらいときでも、笑っているように心がけましょう。

う〜ん 何か今の私にぴったり過ぎて〜〜


2003年02月06日(木) 遅ればせながら

家計簿ソフトが無料で手に入ったので早速使ってみる。
今までは 簡単に収支のみ書いてきたのだが お金の出入りがわかって だからどうするという事も無く(活用する事も無く)マイナス プラスだけ把握していた。
いわゆる どんぶり勘定と同じだ。

去年の12月から始めたのだが これがPC好きの私にとって 打ち込めばいいという手軽さがぴったりで 今日まで続いている。
クリックひとつで 予算に対してどういう数字なのか どんな項目にお金が流れていくかがわかって 面白い。
計算の挙句に間違っていました.(>_<)という事がないので 楽しく書き込める。

しかし 末日の締め日には 容赦の無い報告がきて その日は青い顔でいることとなるという辛い目にもあうのだ。


2003年02月05日(水)

きょう 父の病院へ向かっていたら 雪が降って来た。
どうりで寒いわけだ。
今年は 雪の当たり年なのか。
お正月以来 大雪が無くて幸いだが はらはらと散る雪には何度もお目にかかった。
小さい頃は 雪が降ってくると嬉しくて 何か違う世界に入り込んだようで わくわくしたものだ。
あるクリスマスイブの夜に雪が降って 庭の木に積もっていくさまを見とれていた事を思いだす。
窓から離れない私に 風邪を引くからと声をかけたのは父だった。
しばらく一緒に眺めていたが 今夜はサンタさんが来るのにいつまでも起きていたら サンタさん帰ってしまうよ といわれて 慌てて布団にもぐりこんだものだ。

病院に着いて ICUの入り口で看護師さんに声をかけると HCUに移ったという。
HCUはナースステーションの脇にあって ICUより緊急度は低い患者さん用だ。
母と二人で顔を見合わせながら 入っていくと(それでも 手の消毒マスクは必要だ)一番奥のベッドに父は寝ていた。

あきらかに 点滴の数が減っている。
鼻のチューブもなく それを痛がっていた事を知ってる私達は 急な進展に目を見張った。
父はというと 急に身が軽くなったようでしきりに寝返りを打って 病衣がぐずぐずになっている。
それを直しながら 背中腰をさすってあげると気持ちよさそうに目をつむっていた。
「さっき 雪が降っていたのよ。」
といいながら窓の外を見ると なんと雪はやんで日が差し込んできた。
父は不審そうな顔で それでもICUと違って窓があって外を眺められるのが嬉しいらしく しきりに外の様子をうかがっている。

そうだ。 今日は暦の上では立春だ。
確実に一歩一歩春は近づいている。
窓から差し込む太陽の暖かさを 三人でかみしめた。


2003年02月04日(火) 100円均一ショップ

いわゆる「100キン」は 本当にいろいろな品が揃っている。
ガラスのグラス 陶器の灰皿 置物 本 おもちゃ はんこ コスメ 文房具 お弁当箱 洗濯用具 鉢 ペット用品 ごみ袋 食器・・・
数え上げたらきりがない。

私は父とのコミュニケーションを取る為の 50音表を作ろうと クリアケースを買いに来たのだった。
一歩足を踏み入れたら もうこのお店の思うがまま すみからすみまで手にとって見ること1時間あまり〜
私のかごの中には 仕事で使うのに便利だと思われる仕切りがいっぱいついたバッグ ハムを乾燥させないように入れておくケース ルーズリーフの用紙 ぬいぐるみを座らせるベンチ バンドエイド などの陰に 申し訳なさそうに件のクリアケースが隠れている始末。

今がデフレなのを喜ぶべきか。
レジを待ちながら クロスワードパズルの本までかごに入れてしまう私は もう100キンのとりこ!!


2003年02月03日(月) リラックスタイム

暖かいお風呂に 肩までどっぷりつかると
からだのこわばりが 徐々にぬけてくる。
一日の終わりのリラックスタイム〜〜

ついでに こころのこわばりも お湯に流して・・。


2003年02月02日(日) マラソンとトン汁

三女の通う高校でマラソン大会があり その後おかあさん方が作られたトン汁が振舞われるという。
三女は 日曜が雪が降るかもしれないという天気予報を気に入って もし前倒しでマラソンが予定されてる土曜日に降ったら中止になると うれしそうにいう。
やっぱり トン汁めあてに マラソンの日を心待ちにする子は今時いないのかもしれない。

そうしてむかえた本日は 太陽は朝から顔をのぞかせて 風は冷たく強いものの 絶好のマラソン日和だ。
娘は不満たらたらで 登校して行った。

私も広報の仕事があるため 後から追いかけるかっこうで 学校に向かった。
学校のそばまで来ると どこからともなくいい香りがしてくる。
その出所を知ってる私は何食わぬ顔で行き過ぎたが 近所の奥さん達は 通りすがりに鼻をくんくんいわせて 垣根のこちらを覗き込む。

はたして 校内は雑然としたいつもの風景ながら どことなくうきうきとした晴れがましい雰囲気が漂っている。
割烹着姿のお母さんたちが あちこち忙しそうに走り回っている。
全校あげての行事に 違う仕事で来たものの 私も浮き足立つ思いがする。

今度の広報で私たち一年生の親が受け持ったページは 前回の生徒へのアンケートに対して 今度は先生方からのアドバイスをいただくという企画で 集計 言葉選びにも 先生方の思いを損ねる事の無いように気を使う。
没頭する事一時間あまり 遠慮がちにドアが開かれ わたし達にもトン汁がいただけるという嬉しい知らせがあった。

おかあさん方の朝からのトン汁は こうして私の口にも入ることとなり 体も心も温まって それからの広報の作業もスムースに終えることが出来た。
聞くところによると 7杯もお代わりした子もいたそうで おかあさん方は満足して帰ったそうだ。

仕事を終えた私は家に帰って 娘にトン汁何杯食べたのと聞くと 娘は「2杯お代わりした おいしかったよ〜 7杯食べた子もいたって」と 朝とは違った穏やかな顔つきで言う。
もしかして その7杯食べた子ってあなたかと思ったわ という言葉は言わずに飲み込んだ。 


まみい