まみいの日記
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2002年11月30日(土) ケーキ

壁紙を変えるのが好きで 今仕事で忙しいといいながら 試験の時に やたら本が読みたくなったのとおんなじ心境で 壁紙を気の早いクリスマスに変えてみた。

なかなか 私としては 気に入ったのだが ちょっと早すぎたかと それが気になる。

うちの家族はみな 冬生まれで このクリスマスをはさんだ 3ヶ月ばかりの間に ケーキが何度も登場することになる。
一度に済ませてしまえばいいものを それぞれ好みがはっきりしていて チョコ チーズ ショート タルトとめまぐるしく 変わったケーキがあとからあとから 食卓をにぎやかにする。

前は 私の手作りケーキが出てきたこともあったが 最近は近くのお店で買ってくる。
さいごのほうになると さすがにうんざりしてきて 「もういいじゃない〜」と囁くものもいるが 何を隠そう その最後を飾るのが私なのだから はぶかれてはならじと 声高々にミルフィーユを丸々一個 注文する。
うちへ帰る道すがら
「いいのよ。 おかあさん一人で食べるから
あなたたちは 無理して食べる事ないわ。」
なんてちょっと意地悪く言ってみる。

「もう おかあさんたら〜」
体をぶつけてくる子と おしくら饅頭を楽しみながら うちのケーキ三昧が終わりを告げると春がやってくるという寸法だ。


2002年11月28日(木) 車検

車検が切れることをすっかり忘れていました。
いつもは この車を買ったところのお姉さんが 予定を聞いてくるのに
今彼女は 旅行中らしく 彼女に頼りっぱなしの私は 大慌てで
予定を調整して 何とか車に乗らない日を29日と決めましたが
工場の予定が分からず 途方にくれています。

もうあるのが当たり前の生活をしていると たかが一日でも 車がないのはつらい!

これが終ると自動車保険も満期がきて更新しなければならないので 羽が生えて飛んでいくお金が 私の耳のまわりで パタパタ〜〜


2002年11月25日(月) ビオラ

きょうは うちに咲いたビオラの花。
この頃は変わってる色のものが多く出回っている。
お花屋さんの前で 黄色が良いかやっぱりむらさきかな?なんて品定めしていたのが 今は縁取りはむらさきで 色はしろとか レースのような縁取りのものまであって 優柔不断な私には 決めかねてしまう。
大輪のものもあるが 小ぶりの少し小さめなのが はやりのようで・・・。
店先で見るとどれもかわいらしくって いくつも買い込むことになるので 娘についてきてもらって ストップをかけてもらう。

しかし 最近はネットでも入手できて 私は見ているだけではおさまらずに 四葉のクローバーの種と チューリップの球根を買ってしまった。
もう植え込むスペースはなく プランターも出払った。
ファミコンを入れるのに使ってはいたが もうそれは卒業した娘たちによって捨てるばかりになっていたお手製の箱(丁寧に濃い青に塗ってある)に植え込んでみたら これがなんともいい感じになって 大満足である。

これから寒い冬を迎え撃って春先まで 何とか頑張って咲きつづけてほしいものだ


2002年11月24日(日) ビーズ

前から ビーズでアクセサリーを作ってみたかったのだが 本の展開図を見ても 今ひとつ分からずにいた。
それが我が生協で教えてくれるというので 早速参加した。

はじめは ブルーのブレスレッド&指輪。
はじめにしては 二つで1.5時間でできて出来上がりも満足いくものだった。
2回目は ゴールドのネックレス。
立体的になってるところが 思いのほか難しく一個作るのに1.5時間かかり それを2個作ると聞いて げんなりした。
しかし 2個目はやはり早くできて 金具の部分もいれて全部で3時間かかった。
この日は目がくらくらして その後も用事があったのだが 夜は疲れて早々と寝てしまったくらいだ。

きょう本を読むと 出来そうなのがいくつかある。
まず ビーズを入手しなくてはならないのだが
それが 又高いらしく この趣味にはまるべきかどうか悩んでいる。


2002年11月22日(金) カモメ

きょう デジカメを持っていてラッキーと思った瞬間です。
近くの川岸に えさを求めて集まってくるカモメの群れを発見。
いそいでシャッターを押しましたが 餌付けをしているので まるで逃げる様子はなし!
かえって えさをねだって寄ってくる様子に かわいらしさとともにちょっと怖い思いもしました。
近づいてきたカモメは 目がするどい!
自然に生きてるという事を垣間見た気がしました。
今度はえさをもっていってみたら どんな写真が撮れるかな??


2002年11月21日(木) これですべて完了

11/19は この介護講習の最後になった 先輩ヘルパーさんについての 訪問介護です。 
私の同行してくださる先輩ヘルパーさんは 優しい方とてきぱきなさってる方と それぞれ個性豊かな方でした。

明治生まれの もう一人では歩けない方は 優しい方が担当でしたが 介護は技術があることは勿論ですが 優しい心があればこそその技術も生きるのだと 再確認する介護でした。
午後は 一人で足を引きずりながらも何でもおできになる方で こちらはてきぱきと夕飯の準備をしながら お話し相手をなさって さすがだと思いました。
決められた時間内で終える事も必要なので だらだらしていては終わりません。
帰り間際に 寂しくなられたようで 何かと話を伸ばして帰らせたくない様子に 心が痛みました。
いろいろ 悩みは尽きないものですね。
こうして 同行訪問介護も無事に修了。
これで すべて完了!
あとは 来年の修了式を待つばかり〜〜
クラスメートのなかでも 早く終わったので
12月は 手持ち無沙汰です。


2002年11月20日(水) 11/18は・・

次女の誕生日だった。
この子は 上の子が誕生してから毎月風邪をひいて病院通いをしたり 三女が生まれてくるときに 膝が逆に曲がってきたりと 私を心配させたのと違って いたっていい子で 生まれるときも穏やかに 生まれてからも寝てばかりで手数がかからなかった。

今現在も びっくりするようなことをしでかすわけでもなく いたってマイペースで生活して他人に迷惑をかけることが少ない。
しかし 幼子のときに よく寝て手数がかからなかったのを いまだにひきずっていてまあ良く寝る事!!

今PCを勉強していて 将来私に貢献してくれるだろうと 大目に見ているのをいいことに ひどいときは12時間位寝っぱなしで 目を腫らして起きてくる。
それまでも よく学校に遅刻しないでいるものだと感心するくらい 何にもない日はコンコンと寝続けていたのだが 最近は どうも遅刻回数が増えているようで この子に関して悩みの種は寝すぎる事だ・・・というと大抵のおかあさんがたは笑う。
「まあ いいじゃないの〜 寝る事が悩みだなんて・・」というわけだ。

しかし 毎日12時間寝ていたら 人生の半分は寝て過ごす事になるわけで 私のようなせっかちな人間は おお もったいない! と思う。

のんびり ゆったり おおらかで 滅多に怒らず わが道を行く次女に幸いあれ〜〜

PS 11/18はミッキーマウスのHappyBirthdayでもあるわけで だからというわけでもないだろうが 大のディズニー好きでもある。


2002年11月18日(月) 講習を終えて

クーラーをつけて始まったこの講習も 暖房を入れる季節におえることができました。
なんとも長い期間ではありましたが 毎土曜日朝早くから夕方まで 大変だったようで 実はとても楽しい期間でした。
第一線で働いておられる方々のお話は せっぱつまったものがあり 緊迫感に満ちていました。
大勢の仲間も 回を重ねるごとに打ち解け親しむと同時に バイタリティーに富んだ考えに発奮させられました。
そして迎えた施設実習を終えて 私はすこぶる元気ですが 介護は肉体労働で 3日間の施設実習が終わった今 筋肉痛があちこちで たったり座ったりがきついです。
施設では 若い子達が(男女問わず)多く働いていました。
明るい日差しがさんさんと降り注ぎ 清潔な真っ白な壁 広い廊下 おいしい食事〜〜
私が想像していたのはもっと暗い感じだったので あまりの明るさに目がくらみました。
お年よりは どなたもどこかまひがあったりしていますので ゆっくりゆっくり動かれて
ここだけ時間がたつのが遅い感じさえしました。
しかし 裏にまわると 職員の方がくるくると働いています。
ボランティアで来ていらっしゃる方も職員を助けて動かれます。
近くの中学校からは毎日中学生が5人ほど やはりボランティアでやってきて 話し相手やお風呂後のドライヤーを担当していました。
日常生活でいつも身近にお年寄りがいて 老いるという事がどんな事か自然に見えてくるのは
こんな感じなんだと 3日間で少し分かった気もします。
でもまだまだ というか どんどんお年寄りを分離していく方向に進んでいる気がして
若くてピチピチ動ける子達に 動作の遅くなっていく人たちをいたわるということを
まなばせないようにしている気さえします。

施設のお年よりはどなたも可愛かったです。
守らなければならないものがなく 肩肘張らずに生きていると 可愛くなるのかな?

お風呂介助はもう大変でした!!
70人いらっしゃって その日に入られたのは60人ほど それを午前と午後に半分くらいに分けてお入れするのですが 洗い場よりも 衣類の着脱のほうがしんどく 飲み物を飲む暇さえなく本当に脱水状態になりました。
すべて終えて 冷たい麦茶を何杯飲んだ事か?
その日だけで痩せました。(やつれました)
お話するとその方の生い立ちが分かって 身につまされる事もありましたが たいてい食べ物の話に持っていくと みな目が輝いて話が弾みます。
歌も童謡や昔懐かしい歌を口ずさんだりして 父や母の面倒を見ている気になりました。
でも中には 仲間に入れなかったり すぐに叩いたりする行動に出る方もいて お年寄り同士のけんかにならないように 間に入ってたたかれた事もあり  ずっとここに暮らしている気持ちを察するとやるせなくなります。
長くなりましたが とりあえず いろいろな場面を見てホッとしたり びっくりしたり 胸痛んだり ・・・。
私はまだ介護は足を踏み入れたばかりです。
まだまだ 教えていただく事や今後気づく事が多いことだろうと思っています。
今回は その覚悟をする事ができたとてもいい機会でした。

長〜〜い報告となりましたが これでおわり〜


2002年11月16日(土) 土曜講習も終わり

三日続いた施設実習もおわり 続けて今日は土曜講習の最後の日となった。
それぞれの施設に行って 実習してきた者 これから行く者 それぞれが情報を流し 求め わさわさした雰囲気の中 噂どおり 私の行った施設で「来なくて良い」と言われた人がいたという。

彼は いわゆる今時の若い子で 自分の事を分かってくれる人が人であり 分かってくれない人や分かろうとしない人は 人で無いというような考えでいるらしい。
しかし そんな態度で居たら誤解を招くだけだ。
案の定 やっぱり態度が悪いと思われてしまい先の宣言をされてしまったようだ。
幸いに その後の仕事振りで認められたようだが 今日の彼の表情はさえなかった。
自分の事を分かってもらう為の努力をせずに 理解しない しようとしない人を非難は出来ない。

土曜の講習も今日で終わりである。 
受けている最中は朝早くから夕方まで 大変でもあったこの講習だが もう来週からここへこなくてもよいというのも寂しい。

皆も思いは同じらしく 今日は帰りの挨拶をかわし合う人々で溢れていた。
バイタリティーにとんだ仲間と知り合えて とてもうれしい〜
介護だけでなく いろいろな人生があることも教えてもらった。
後はみなが無事に実習と同行訪問を終え 来年に入っての終了式を待つばかりとなった。


2002年11月15日(金) 三日間の実習もおわり

たった三日間でしたが 毎日お会いしていたお年寄りと 今日限りでさよならになるのが 寂しい思いです。
不安ばかりでいっぱいだった私に 心はあっても技術が伴わない私だったのに いつも 感謝の言葉をくださって なぐさめていただいたような気がします。
縁あって この数日を一緒に過ごさせていただいたみなさんが これからの毎日 心穏やかに過ごされることをお祈りいたしております。
ありがとうございました。


2002年11月14日(木) うう〜お疲れ〜

きょうは 私が介護してほしいくらいの ダメージ。
でも仕事内容は とっても満足する事のできるものでした。

私についてくださった職員の方がつぼをおさえた介護技術を親切に教えてくださり 有難かったです。


2002年11月13日(水) ただいま〜

お疲れ様〜〜
これから 宿題のレポートをまとめなくてはなりませんので 本日は無事に終えて帰ってきたことのみご報告して ・・・。


2002年11月12日(火) いよいよ

あしたから 施設の実習にはいる。
事前の噂は噂を呼び かなり憶測の混じったものがまことしやかに囁かれている中 私は憶測といえども かなり厳しいらしい その施設に配属されて 正直武者震いも感じるが 幸せだと思う。
実際に 介護をする立場にたってから 分からない事があるからと言って お年寄りに迷惑はかけられない。
そんなだったら 介護の道なんて選ばないほうがいい。
やるからには きちんとノウハウを身に付けて
相手の方に安心していただきたいと切に思う。

しかし 覚える事が多すぎて テキストを見ながら気持ちは焦る。
自分に余裕が無ければ 気持ちよく介護を受けていただけないのではないか?
心は乱れるばかり〜〜


2002年11月10日(日) そして・・・

だいぶ気持ちの落ち着いた私と三女だが 次女のBFも加わってこの度の事件の四方山話ができるまでとなった。

当事者の三女は 今更ながらにことの重大さに気がついた様子であったが そんな彼女をきづかってか 次女のBFは「今度そんなことをする奴が居たら許さない。のしてやる。」と勇ましい事を言う。
そんなことをしたら今度は君が傷害罪でつかまっちゃうわよ〜〜

長女も次女も私も それぞれの体験を話した。痴漢に出会ったら まず声を出そう。
若い子は声も出せない人も居るが 隣の人に言うだけでも違う。
世間は案外捨てたものではない。
力になってくれるよ。
でもきちんといやといい捕まえた三女はえらいね。
それにしても「いやーね。 そんなことをする人って最低!」と結論が出たところで一応の決着をみたようだ。

最後に私が若い頃 友達から伝授された痴漢の撃退法
電車で座ってたら 前に立ったおじさんがいきなりまえをあけてだしてしまった。
その友達は慌てず騒がず ゆっくりとかばんからメガネを出してかけると そのおじさんのものをじっくりと眺め そして顔を上げて今度はおじさんの顔をじっくり・・・。
それでたいていの人は 逃げ出すそうだ。
これは 少しの演技力が必要かもしれない。
ちなみにその友達は 演劇の道を目指していた俳優の卵であった。 
一般人の私たちは やはり声を出す事が一番の撃退法かな?

おまけにもう一つ
私たち女性は 痴漢らしい人が分かるものだ。
何か怪しいと思っているとやはり・・・という事がままある。 私はあった。(過去形)
人は心のうちを隠しているようで 実は顔に如実に出ていると言う これこそ恐い話で終わり。


2002年11月09日(土) 昨日のきょう

私なりに気持ちを整理して 一晩ぐっすり寝て今日はすっきり目覚めた。
娘のしたことは誉めてやってしかるべきで 私が不安に思ってる事を知らせてもなにもならない。
ただ 注意しなければならない事はだけは教えて学校に送り出した。
「あれから先生にも 頑張ったねと言われた」と頬を染めて言う娘に ほんとによく昨日の勇気があったものだと驚くと共に よほどいやだったのだろうと今更ながらに怒りが込み上げる。

私と違って 昨日は眠れなかったと言う娘に 悩んでいるときに力になれなかった分 今こそ私が支えてやらねばと考えた。

このHPやメールで 励ましてくださった皆さん
本当にありがとう。
とても心強く思いました。


2002年11月08日(金) 疲労困憊・・疲れ果てた一日。

ついさっき警察署から帰ってきた。
三女が電車の中で痴漢行為をされて あまりのことに最寄の駅で襟をつかんで降ろして 駅員に警察を呼んでもらったとのこと。

私はのんきにテニスなどしていたところ 三女からの携帯電話で呼び出された。
電話での彼女は落ち着いていて かえって私の事を気遣ってくれ 私はとるものもとりあえず小一時間かけて 件の警察に駆けつけた。

受け付けで名乗ると刑事課に行けといわれ 痴漢は刑事課になるのかと妙に思ったわけだが 私の懸念は 取調べに使っていた小部屋で 娘に会ってことの仔細を聞くにつれ 懸念で済まず驚嘆に変わった。

娘はこの2ヶ月の間に同じ相手から何度も痴漢行為をされ 今度されたら絶対許さない捕まえて警察に訴えてやると思っていたとのこと。
それを私が全然知らなかった事だ。
「お母さんを心配させたくなかった」
私に言わなかった理由をその一言で説明したが私は ショックだった。
電車で痴漢行為をされてたことも その痴漢をつかみ出して「逮捕した」ことも。
何よりもそんなことを私が何も知らないでのんきにテニスなどしていた事が・・・。

そんな私に追い討ちをかけるように 相手は 悪質だという事で処分が決まるまで留置所に入るのだそうで 検察で起訴となったら今度は仕返しされはしないかと親は気をもむ。

娘が受けた恐怖や嫌悪感は女であれば分かるが 卑怯な事をするものにその正当性が通じず かえって逆恨みされてはと 考え込んでしまう。
しかし娘の「もう いやだ。やめてほしい」の声は 切実で 私はそれを否定できない。
自分のやった行為の責任はとらなければならないのだ。


2002年11月06日(水) 着かず離れず

急に寒くなって もう5時を過ぎるとあたりは真っ暗だ。
紅葉を楽しむ暇もなく すでに初雪の便りがあちこちから聞こえてきた。
私の住む千葉は きょう 初霜が降りたと天気予報のコラムで言っていた。
ほぼ一ヶ月ほど早いそうだ。
寒いせいで背中を丸めているのか 肩が凝る。

一ヶ月サイクルの仕事もやっと峠を過ぎて ほっとしたところで 何もする気が起きない私を発見した。
どうかすると 楽しみにしている自分の時間を ストーブの前でぼーっと過ごしている。

こんな事ではいけないと 仕事が忙しかったときは目をつむっていたガスレンジの掃除やら 買ってきてそのままになっていたビオラを植え替えたりしてみたが 作業が終わると どっと疲れて夕飯の支度もままならない。
またまたストーブの前に座り込んでいた。

今日の昼までは こんな時間も必要と居直り のんびり自堕落に過ごしていたが 友達からランチのお誘いがあって こたろうを長女に託して重い腰をあげた。
久しぶりの友達は それぞれの仕事の愚痴やら今ある自分の悩み事等をぶつけあって なぐさめたり なぐさめられたり・・・。 
お互いに気持ちのはけ口となって わかれる時にはじゃあ又頑張ろうという気持ちになっていた。

着かず離れずの関係はいいものだ。
違った見方からの助言もしてもらえるし 元気ももらえる。
私の今の状態も満更ではないと 気持ちを立て直して我が家に帰ってきた。


2002年11月05日(火) 動物園の思い出

私がまだ小学生の頃 上野動物園に遠足で出かけた。
私のうちからは 井の頭動物園が近くよく親に連れられて行ったものだが 大きさから言っても いる動物の種類からいっても 上野動物園のほうが一枚も二枚も上手で 私はそれなりに楽しみにしていたようだ。
確か当日は 秋の遠足で 長袖のカーディガンをはおっていた。

あいにくの曇り空だったが 園の中は友だち同士で楽しく過ごし お昼の時間となった。
はやめに済ませた私は 友達と二人で放し飼いにされているうさぎを見に行こうと そっちのほうに向かって走った。

柵で囲まれている小さな空間は もうすでに同じ気持ちで集まってきた子たちで埋まっていた。
私と友達は ぶらぶら付近を歩いているうちに そこだけ人影もまばらな建物をみつけた。
開放感に無鉄砲になっていた私たちはそれでも恐る恐る中に入った。

そこには オスのライオンがたった一頭檻の中に佇んでいた。

私と友達はこんなに間近にライオンを見ることが出来て 珍しさと嬉しさで近寄っていった。
するとそれは 突然とてつもない大きな声で吼えた。
と思った瞬間 檻のすぐそばまですばやくやってきて 私たちを見た。(にらんだように見えた)
私たちは あまりの展開に唯驚くばかりで 足はすくみ声も出せず 檻がなかったら ひとたまりもなくライオンの餌食になっていただろう。

次の瞬間我に返った二人は 一目散にそこを逃げ出し走った。
角を曲がると 親子連れやら 同級生の姿があってほっとすると共に あれは夢だったのかとお互いの顔を眺めた。
夢で無い証拠に 私はカーディガンの下で震えている自分を感じていた。

それ以来 動物園にいる動物と言えども 一目置かずにはいられない。


2002年11月03日(日) 昨日の日記

自分で読んでも これで終わり??ってな代物でした。
この後ことんと寝てしまい さっきまで爆睡状態!
さわやか。・。・゚★・。・。☆・゚・。・゚スッキリな目覚めで さあ これからも頑張るぞ!!

ちょっと 自分に気合をいれてみました。


2002年11月02日(土) 木枯らし1号

東京では今日 木枯らし1号が吹いたそうだ。
朝は冷え込んだ。
AM6:23に最低気温10.3度を記録した。
昨年は 11月6日に木枯らし1号が吹いたようでそれと比べても 4日も早い


2002年11月01日(金) 雨ではじまった11月

目の前の道路を 傘をさしながら自転車に乗って 高校生が行過ぎる。
後ろからくる自動車にも頓着せず ゆうゆうと道一杯に広がって 談笑したり ゆっくりと自転車を走らせる彼ら。

後ろに迫る自動車をまるで 自分の大敵であるかのように 後ろを垣間見る眼は厳しい。

何かに抗いたくて でも誰にその気持ちをぶつけていいのか分からない。
このもやもやした気持ちは どうしたら解消できるんだ?
このやるせない気持ちは?

いつもドキドキしてた胸のうち。
誰かに認められたくて 分かってもらいたくて・・・。 
知ったかぶりする奴は要らない。
分かった振りはしないで欲しい!
ただ 今のこの私そのものを 丸ごと包み込んで安心させてくれる何かが分かれば・・・・。

雨の午後は 過ぎ去った青春の頃に思いを馳せる 格好の時間。
今 あの頃にもどれたらこの人生 もっと上手に生きられたのに〜〜


まみい