まみいの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年08月31日(土) コスモス

コスモスは 軽井沢に群生しているのを見たのが印象的でした。

まだ暑い東京から行くと 軽井沢は駅に降り立った瞬間から私にしてみれば気の早い秋風が吹いており その風に首を揺らしているコスモスは 夏の終わりを告げているようで なんとも切ない思いがしたものです。

楽しい休日を過ごして まだ帰りたくない私は行ってしまう夏が惜しくて 東京の暑さを持ってきてしまいたい衝動に駆られたのでした。

それ以来 東京に戻って道端に咲いているコスモスを見かけると そのときの情景とともに寂寞の思いが胸に広がります。
そう私はその夏恋をしました。
失恋に終わった私の初恋です。


2002年08月30日(金) まずは動こう

きょうは グループホームに面接に行く。
普通のGHは お年よりの自立の為 日常生活をお手伝いする程度なのだがここは介護度が高いため 生活のほとんどを介護するとのこと。
勤務も 早番はAM6:30からで  遅番の時に帰れるのはPM10:00とのこと。
土曜日曜 祭日も出てくれといわないばかりの態度にちょっと前途に不安を感じた。

もう少しゆっくり捜して自分の納得いく結果を得たい。


2002年08月29日(木) USオープン

ニューヨークでグランドスラムの締めくくりとして 毎年行われている USオープンが今年もはじまった。
去年は テロ事件の後で 厳重な警戒のなか 行われたことがまだ記憶に新しい。
日本なら 喪に服し 中止となるべきところを
アメリカは 敵に弱気を見せてはならないと いつもどうりの開催に踏み切ったのだ。

強気強気に出るところは 考え方が違うなあと私なんかは思う。
返り討ちにでもあったら 二度とたちなおれないような気がして 少し余力を残して 敵の出方を待つ・・・のが今までの私のやり方だ。
でもどうせなら 木っ端微塵の方が全力を出し切ったという満足感があるのかもしれない。

さてさて 試合の方は 私のご贔屓の小畑嬢は早くも一回戦で姿を消し 意気消沈の思いのところ 杉山愛ちゃんが みごと(でもなかった。危うかったところもあり)二回戦に進み テニスフアンをほっとさせた・・・。
同じブロックには浅越しのぶさんもいて 勝ち進むと日本人同士の戦いになってしまう。

可愛さが技術より優れているともっぱらの噂のクルニコワ選手は格下の選手にストレートで負けてしまい やはり美しいと評判のハンチュコバさんはストレートで勝ち進んだ。
明と暗。


2002年08月28日(水) 悩み事

私は今悩んでいる。
仕事の事。
子供の生き方。
しいては自分自身の生き方も。
これらはもつれ合い からまりながら 解決を拒んで 私を追い込む。
だんだん視野が狭まって深く深く潜行していく私。
考えは堂々巡りをして よどんでいる。

ある人は個人的なことを内容は伏せたままで
思わせぶりに書くなというかもしれない。
でも私はあえて書く。
それはこうしている状態を 日常生活を決まった家事をする私以外に とことん悩む私を残しておきたいからだ。

近い未来に「こんなことでこんなに悩んで・」と思える状態にあることを願って 今の私は悔いないように しっかりと悩んで居たい。

悩みの無い人なんて居ない 皆それぞれなにくわぬ顔をしながら 密かに悩んでいる。
向こう側に突き抜ける程悩んだら その突き抜けた穴から 光がさすかもしれないし。


2002年08月27日(火) 今は

どちらをむいても どこに居ても付きまとうこの閉塞感はなんだろう?
光ひとつ差し込まぬ 洞窟の中に居るような重苦しい気分は 不安を誘う。
無力な自分に対する 自虐の念が 私をさいなむ。

だけど今は 底の底まで落ちてみる。
とことん落ちたら 這い登ればいいよ。


2002年08月26日(月) きょうは

しごとの途中でふと見たら すぐ近くの木に小さい秋が忍び寄っていました。


2002年08月25日(日) 講習会で

土曜日恒例の 介護の講習に行ってきた。
今日の講師の先生は リハビリを長らくやっていらした方で 妹さんを難病で亡くされたことがきっかけで 医学の道を志されたという。

そのかたは終始患者さんをどうにか治して差し上げたいと おもっていらっしゃる様子で それがまだ治療などの方法がわからない部分が多い医学ではなく 回復する手助けとなるリハビリを選ばれたことにも現れている。

20年前のリハビリは今とは比べ物にならないほど 冷遇されて大きな病院ですら専用ベッドがないありさまだったという。
今はリハビリの重要性が浸透してきてはいるが
方法や期間などまだまだ問題は山積みのようだ。

そんな中での話で 最近は世の中の進むスピードが速すぎるということがあった。
患者さんの対応にももっとゆっくりしたテンポで 毎日が送れればいいが どうもせかせかとしてしまう。
それが患者さんにもいい環境とはいえないとのことだった。

確かに 起きて 歯を磨いて 身支度済ませて朝食食べて…と朝のことを考えただけで 早くと焦る気持ちですごしていることがわかる。
介護なさっている方は 対象とする方の数にもよるだろうが よほどしっかり自分をコントロールしていないと単に時間に追われて 機械のように手早く対処するだけのことになってしまう。
それは介護ではなく 対処でしかないと思う。

時間を気にしないで ゆっくりとその人に合ったペースで 毎日を送れたらしあわせだ。
それは介護を必要としない人にも言えるのではないだろうか?

皆がそんな社会を望んでいるのに どうして社会はその逆にスピードアップしてばかりなのだろう??
このままでいったら 置いてきぼりを食いそうだ。


2002年08月24日(土) 富良野から

あの富良野から とうもろこしが届いた。
私が行った時はまだとうもろこしはとれていなくって 冷凍ものだという。
それならと宅配をお願いしてきた。
昨日の午後にやってきて すぐに茹でられ あっという間にお腹の中に〜〜
粒が大きくて さすが北海道産!


2002年08月23日(金) 窓一杯の青空

夏のぎらぎらした空はどこかにいってしまった。
爽やかな風に誘われて ふっと見た窓一杯の青空。
雲がポッカリ浮かんでて ふうわりふうわりと流れていく。
冷たい空気に顔をさらしていると 頭がすっきり。  目が覚めた。

あの雲と一緒にゆうゆうと 大きな空をどこまでも 流れていったら 根無し草。
それもいいと思う一方で なリきれないでぐずぐずと 原因と結果の間を行ったり来たり。

ああ 所詮私は窓辺で 行く雲を眺めてるだけのもの。
それならそうと 覚悟を決めよう。
でもこの窓の空は 私のもの。
慰め 勇気をくれる わたしのあおぞら〜 


2002年08月22日(木) 秋の入り口

朝晩は めっきり涼しくなって 見上げる空はどこか秋色。
強風に何もかも飛ばされた後に残ったものは トンボのとぶ夕焼け空と 人恋しい思い。
ソーダ水の泡の消えるのを ぼんやりみつめる。
オレンジ色の残光が消え あたりが闇に包まれると かすかな声で鳴く虫の音。
静かで 長い夜がはじまる。
行く夏をちょっぴり惜しみながら 秋の入り口にたたずむわたし。


2002年08月18日(日) Iちゃん

言葉でいわなければ 伝えられないことがある。
言葉にしてしまっては 違ってしまう思いもある。
私にできることはただ見つめていること。
そして目が合ったら 心配してたことなんか 気づかせない様に 楽しい話をしよう。
あなたが感じている不安を 少しでも軽くしてあげたいけれど 私には何もできやしない。
ただただ あなたの背中に願っている。
早く元気になってね。
私は いつもそばにいるから〜〜


2002年08月15日(木) ふるさと

帰省するところがない私は お盆はいつも田舎のある人が羨ましかった。
おじいちゃん おばあちゃんに会いに 一家揃ってお出かけするのが夢だった私は 私と同じ東京がふるさとという人を伴侶に選んでしまった為 夢は一生叶わぬものとなってしまったのだ。
実際は お付き合いのし方とかで大変なこともあるのだろうけれど 夢は夢だ。

そんな私は 6年間住んだことのある沖縄を勝手に私のふるさとにしてしまった。
帰ってきてから2年ほどしてパック旅行で訪れた時も「ただ今」という気持ちでいた。

だが 沖縄はどんどん開発されて 私の知っていた沖縄ではなくなりつつあった。
那覇はビジネス街として ビルが建ち ひょいと行ってすぐに泳げた海は ホテルのものとなってプライベートビーチと名を変えて おいそれとは入れなくなってしまった。
私は ふるさとがふるさとでなくなってしまうのを 見るのは辛いと思う。

自分が幼い頃を過ごした風景が 変貌を遂げたのを見るのはつらい事か それとも発展していく楽しみなのか?

変わり行く風景をただ懐かしみ惜しむのはそこに住んでいないものの エゴともいえるのだろう〜〜


2002年08月14日(水) 神秘の空へ

12日は 全国的に曇りだったようで 流星群は見られなかったらしい。
「らしい」というのも 私は イクスピアリのクイーンアリスのランチにいって たらふく食べてきたのがたたって はやばやと寝てしまったから 判らないのだ。

ここ数日は朝晩が曇っていますとのお天気おじ様の解説にほっとしたのも事実でして・・。

「あんなに 日記やらあちこちのBBSに流星群について書いておきながら 本人がグーグー寝ていたなんて クチが裂けても言えやしない。」
小心者の私は ここ二日ばかりは ちいさくなってる。

そうそう 12日の深夜は ピークということで その前後数日は 数が少なくても見られないわけではない。
・・・・・・・・・・・。
今確認したら ここ千葉はお星様がみえるわ。
北東の空ね!
昨晩の汚名返上!とばかりに少し夜空を眺めていよう〜〜
遠くのものを眺めるのは PCに疲れた目にもいいし 何よりこんなことでもなければこんな時間に 空なんて見やしない。
たまには 時空を越えて神秘の世界に飛び込もう!


2002年08月12日(月) 12日深夜から13日未明にかけて

今年もまた ペルセウス座流星群が12日深夜から13日未明にかけて 活動のピークを迎える。
明日は北東方向の空に1時間あたり30個以上の流星雨が期待できるという。
この流星群は135年周期で太陽の周囲を回るスイフト・タットルすい星が軌道上に残したちりの帯を地球が横切るさいに 地球の大気圏に突入したチリが発光する現象。
毎年同じ時期にペルセウス座付近の放射点から流星を降らせるため この名がついた。
ピークの後2〜3日間も1時間に10個を越える流星が見られるという。(読売新聞から)

ちょうどカシオペア座の下あたりに流れるようよ。
明日の深夜 お暇な方は夜空を眺めてみてはいかが・・・・。



2002年08月10日(土) オーロラ姫かものぐさ太郎か?

クーラーがもたらす 快適生活は 私には過ぎたものらしい。
あまりの居心地よさに 今仕事も小休止の私は
グーグー眠りこける毎日で それは「眠り姫」か「ものぐさ太郎」のようだと うちの中ではもっぱらの噂。
私はオーロラと呼んで欲しいが 娘たちは太郎と呼ぶ。
新たな家内戦争へと発展しそうな気配である。
しかしそれは幸せな戦いだ。

真紀子さんが議員をおやめになったとのこと。
きっと政治のあれやこれやに嫌気が差しておいでなのでしょうが ご自分の上の火の粉は払われてからの方がすっきりしたのではないだろうか?
次回もし又参加・・・ということになった時も この問題が尾をひきそうである。 
真紀子さんに限らず 政治を今頑張ってどうにかしようとしている方がたがおられるのなら もう全面的に応援しようと考えてる私は 今回の真紀子さんは ちょっと腑に落ちない。

オーロラ姫のように 世論が高まってくるのをじっと待つつもりなのか?
ものぐさ太郎のように 今もってる情報をもっといいものと取り替えながら 最高位を目指すのか?
それとも本当に「もうやーめた」なのか?
一般人オーロラとしては ちょっと気になるところである


2002年08月09日(金) やっとやってきた。

真新しいピカピカのクーラーが やっと我が家にご到着!
二人のお兄さんによって一時間もかからずに取り付けられた。

冷房除湿は勿論のこと 暖房加湿も マイナスイオンもついてるすぐれもの。
おまけに お掃除も簡単ときては もう私が舞い上がるのもうなづけるでしょ!

年間電気料も 今までのより半分近くお安くなる。
冷房なし生活を2週間我慢した甲斐があったわ。

しかし・・・・。
その取り付けにきたお兄さんから 手渡されたマニュアルは こーんなに厚くて !!
「これ全部読まないとだめ?」 


2002年08月08日(木) どこへも行かず

外に出られない。
朝 ゴミ出しにいったきり ずっとうちの中にこもりっきりだった。

今日は映画「スターウォーズ」を見に行こうと考えていたのだが あまりの昼間の暑さに ギブアップした。

お陰で一日 何かし残した感じで落ち着かない。


2002年08月07日(水) インドへの旅

今日も最高気温は 静岡県佐久間で39度とのことだった。
インドで サリーという民族衣装を着るのは 自分の体温より 周りの日差しの方が高いからで 布一枚あると返って涼しく感じるためだ・・・・・・と天気予報のお兄さんから 教えてもらったのは 私が 小学生のときのこと。

その頃は暑いといっても33度くらいまでで それでも体調を崩した私は 体温より高い気温を示すインドという見知らぬ国に対して 同情はしても そんな境遇に絶対ならないという確信を持っていた。

それがどうだろう?
うちの寒暖計は 壊れていなければ・だが 今日は実に36度を指した。
無風状態で外からのじわりじわりとした暑い空気が 窓から侵入する。
扇風機は この暑い空気をかき回しているだけである。
そこここの空気を集めてしぼってみたら ぽたぽたと水になって落ちてきそうでもある。

私は 毎日が我慢大会をしていることと考えた。
優勝者には インドへの旅ご招待!!なんてどうだろう?


2002年08月06日(火) 残暑お見舞い申し上げます。

毎日暑い日が続いています。
この暑さをのりきって 涼しい秋がくるまで
ありさんでいられるかしら??


2002年08月05日(月) このところ連日で

夕方 もしくは 夜に雷雨がやってくる。
今日ものすごい勢いで降り始めたと思ったら すぐにどこかへ行ってしまった。

後に残されるのは 明日の朝水遣りをしなくてもよくなった花達と ひんやりとした空気だ。


夜の舗道は 雨に濡れて街灯を映しだして幻想的でもあり 誰もいない街角は 見知らぬ土地に来たようで ちょっと後ろをふりかえる。
今出てきたばかりの扉を見つめても 私の後に続くものはいない。

さあ いまだ!
私は 買ったばかりのアイスをなめなめ家路を辿る。おいしいのよね! ミニスト○○のソフトは〜〜


2002年08月04日(日) 残念でした

我が家のクーラーは 修理もかなわず 買い替えとなりました。
ここに越してきてからだから 14年の長きにわたって 私たち一家を暑さの魔の手から救ってくれたのに・・・。

こうなったら 臨時支出で目のまわる思いの私は やけのやんぱちで 今流行りのマイナスイオン 掃除簡単 何でもござれの最新式クーラーをゲットせずにいられようか!?!


2002年08月03日(土) 冷房の修理は明日の予定

私のうちは 真南向きだ。
これは 冬は結構暖かく 日向ぼっこなんてしていると 最高に居心地のいいところで カーテン越しの太陽で 十分にあったまり眠くなる。

ということは夏はどうかと言うと 亜熱帯地方と私は我が家を呼んでいる。
庭に置いた植物は ことごとく枯れる。
レースのカーテンなんて間に合わず 厚めの 日光をさえぎるカーテンでやっとのこと部屋の温度は 普通の夏。
クーラーをつけて やっとほっとできる 人様が住む空間になるというもの。

そんな我が家のクーラーが壊れたということは ここに住む者がどれだけのダメージをうけるのか?
そんな実験が今年の夏 行われた。
住む者の許可無しに・・・。

結果は もう2〜3日でもこの状態が続くなら みんな乾上ってしまう。
この3日ばかりで 飲み物の需要は増え ペットボトルの空きボトルが転がっている。
がたりと食欲が無くなり なんだか 頬がこけてきたようだ。
日ごろからやせたいと言っていた三女だけは大喜び〜〜

生きながらにしてミイラ化していくのを見るのは 言葉を失う光景だ。

さてさて 冗談はさておき(どこからどこまでが冗談か?)
待望の明日がやってくる。


2002年08月02日(金) 天然の冷房

今年一番の暑さ!と言う朝からの言葉につられてということも無いのだろうが 今日は短時間で仕事をきりあげてきたものの 最近の疲れのためか だるくてだるくて 〜〜

と 夜の9時過ぎになって 遠くの方から ゴロゴロと雷さまの到来だ!
早く来て!!
再三 窓から覗いてみてるが 一向に近づく気配はなし。
これは 音だけの脅かしなのか・・。

あきらめかけた時 ぽつりぽつりと雨音がした。
来た!!!!!!
突然の強い風に カーテンがたなびく!
生暖かい風ではない 少し湿り気を帯びた冷たい風だ!

ひとしきり うちの上でゴロゴロ ピカ! と遊んでいらした雷さまの後は 北風とともに雨の襲来だ。   

完璧。

かくして クーラーの壊れた我が家に 天然のクーラーがやってきた!


2002年08月01日(木) 冷房の修理は・・

今日電話をしたところ 8/3の土曜日に みにきてくださるということで 何とかそれまでの辛抱だ。

しかし 今日はこの夏一番の暑さとか?
もうこうなったら 一晩中いえ一日中ドライブしていようかしら??なんてしようも無いことを考える。


まみい