まみいの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年07月31日(水) なんてこと??

きょう リビングの冷房が壊れたもよう。
この暑い中 仕事から戻ってきたら 既に壊れていたので 詳しいことが判らず。
あす SOSのTELをするのだけれど きっと混んでいて いつ修理がかなう事やら。
ああ 私の涼しさはどこにあるのだろう?


2002年07月30日(火) 未熟者

毎日 暑い暑いといっても涼しくならない。
判っているのに 言ってしまう。
仕事で訪問しててもまずは時候の挨拶だ。
「毎日 暑いですね。 この間の土曜日は夜までずーと暑かったでしょう? お体大丈夫ですか??」

もう考えなくても 口からすらすら言葉が勝手に飛び出てくる。

「まだまだ 暑い日はこれからですものね。 気をつけて過ごされてくださいね。」

それに対して きょう最後にうかがったお宅では 「こんな年寄りのことを そう言ってくれるのはあんただけだよ。 ありがとうよ。」
と 丁寧に頭を下げられてしまった。

とたんに かっと頬が燃えた。
暑いからとなおざりな言葉を吐いてやしない?
その場限りの言葉を並べてやしない??
反省しながら帰途についた。



2002年07月28日(日) 夏の盛り

今日は暑い一日だったようだ。
私は介護の講習でずーっと  缶詰状態。
冷房ががンガンきいてて 寒いくらいだ。
そんな窓から眺める外の景色は 花々が風になびいて その風も涼しそうに見えるから不思議だ。

麦藁帽子をかぶったおじいさんがゆっくりと自転車をこいでくる。
若いお母さんが 乳母車を押して登場する。
いまどきの子が携帯でおしゃべりしながら
その乳母車を追い抜いていこうとする。

何もかもが日常の一こまの 出来事。
私だけが非日常の中にいて ほお杖ついて眺めている。  
ガラス窓一枚へだてた その向こうの夏の盛りを。


2002年07月25日(木) 高橋和さん

女流プロ棋士 二段
4歳のときに 交通事故で足が不自由となる。
お父様の考えで 運動は期待できないからと 将棋をはじめる。

14歳でプロに〜
彼女は最年少でプロになった。
その可愛らしい容貌もあって マスコミに取り上げられることも多かった。
それを快く思わない人たちの非難には 将棋で勝つことで実力を証明するしかないと考え むりがたたって 自立神経失調症になってしまう。

20歳 雑誌の企画で ヨーロッパで将棋を指しながら旅をする。
そこで 彼女は将棋を離れた一人の女性として生きる開放感を知った。
又360度の大パノラマのアルザス地方で 地球の大きさと 自分自身のちっぽけな存在に気づき 将棋のことで 神経をすり減らす毎日を送っていた自分を客観的に見ることが出来た。

また お母様が事故のことで 自分を責め続けていることも知り 自分だけが苦しい思いをしているわけではないことに気づいた。

今現在  子供たちに 将棋の楽しさを教えるべく活動をしている。

昨日のTVで放送していた。
なにげなく見始めたものの 引き込まれてみていた。
和さんの事故の日からお母様が日記にご自分の心境を綴っていらしたこと。
その中で自分を責めつづけ「消えろというなら消えます。」「命がほしいというならあげます」と書いた当時の心境を思うと 胸が塞がる思いがする。
しかし その日記を 和さんが一番苦しんでいる時に手渡して あなただけが苦しいわけではない ということを伝える手段にしたお母様は和さんにとって大きな存在だ。


2002年07月24日(水) 山口さんちのつとむ君

もう だいぶ前にNHKの「みんなのうた」で発表されて 有名になった歌だ。

友だちが 「あそぼ」と呼びに来るがツトム君は「あとで」と答えてばかりで「この頃すこしへんよ。どうしたのかな?」と心配する。
実はお母さんが病気になって 遊ぶどころではなかったツトム君だったのだ。
歌では お母さんの病気も治って安心したツトム君は 又友だちの「あそぼ」という呼びかけに 喜んで出て行ってめでたしめでたしで終わっている。

この歌は みなみらんぼう氏の体験から作られたものだが 実際はお母様はお亡くなりになってしまったという。彼が中学1年の時の話だ。
その時の 不安なせつない思いは 何十年もの間彼の中で熟成されて ひとつの歌として生まれでてきた。人の関わりが濃密であればあるほど 大きな力となってその人を動かす。


2002年07月23日(火) 真夏の昼の・・

今仕事から帰ってきた。
今日は 週明けで いつもより少し忙しい。
そんな昼 外歩きを続けていたら頭が痛くなってきた。
近くの公園で 持っていたタオルをぬらして首筋を冷やすと とてもすーっとしていい気持ちだ。
しばし木陰のベンチで 休憩タイム。
ここは近くに住んでるお母さんたちが 子供を連れて集まってくる 大きな公園だ。
しかし こんな暑い日でお昼をすこし過ぎようとしている時間もあってか ほとんど人はいない。


そよそよ吹いてくる風に うとうとし始めた私は 肩をポンポン叩く気配にふっと目覚めた。
目を開けた私のまん前に この暑いのに ウサギの着ぐるみをきた人が立っている。
「??」
ウサギはしゃべることが出来ないのか 私にジェスチャーで何時なのか尋ねている。
私は最近暑苦しいので 腕時計をしていない。携帯を取り出すと 「12:10よ」とウサギに見えるように かざしてやった。

ウサギは すると何を思ったのか 私から携帯をもぎ取ると公園の出口に向かって すたこら歩いていくではないか??
「ちょっと 待って! それは私のものよ。
返して〜〜」
私は 荷物をそのままに ベンチから飛び出してウサギを追いかけた。
周りに誰も人がいなくて助けてもらえない。
意外に速いウサギは もう出口から表の通りを横切ろうとしている。
「ああ 荷物が・・」
ちょっとためらったが 早く行って捕まえた方がいいわ と 追いかける方を選んだ私。
もう少しで 手が届くその時に ウサギはひょいっと角をまがった。
続いて角を曲がった私は 思わず足をとめた。
「うそでしょう?」
そこには ケーキ屋さんの前にたむろするウサギの着ぐるみだらけだったのだ。

どこをどう捜したら あのウサギに会えるのだろう? 私は泣きそうになった。
ウサギの周りをぐるぐる ぐるぐる回っていると ウサギに押されて 私はケーキやさんに入った。
「いらっしゃい。 5分でこのお皿の上のケーキを全部食べたら あの携帯はあなたのもの」
「え? あなたのものってあれはわたしの・・」
「どうするの? やるのやらないの??」
「や やります。」
実際 お皿の上には 2つのケーキそれも私の大好きな一口サイズのチョコケーキがあるだけなのだ。
お店の中は ウサギの着ぐるみだらけ。
その真中で一体私はなにしてるんだろう?
「用意・・はいはじめて」
掛け声と同時に 私は口をおおきく開けてケーキをほおりこむ。
すると今まで 見ていただけだったウサギたちが一斉にお皿にケーキを載せはじめたので お皿の上は チョコケーキが山盛りになっていく。
ウサギは後から後から乗せつづけるので お皿から落ちたケーキで お店が埋まりそうだ。
「やめて やめて お願いだからもうやめて」
私は ケーキをかき分けかき分け やっとのことでそのケーキ屋さんから出ることが出来た。

チョコでべとべとになった手を拭き拭き 後ろを振り返ると あのケーキ屋さんの出口から チョコケーキがどんどん溢れてくる。
どうなっちゃったんだろう??
何がなんだか判らない私は とりあえず 先ほどの公園に向かった。

先ほどの公園では あの騒ぎもなかったかのような静けさだ。
さっきのベンチに戻ると ありがたいことに荷物はそのまま残っている。
私は胸に荷物をかかえて どっとベンチに座り込んだ。
何が起こったの? 私はどうしちゃったの?
頭の中をさっきから同じ質問がぐるぐるまわっている。


私はどれくらいそうしていたのだろう?
肩を叩く気配に ふっと目が覚めた。
「おばさん 今何時?」
耳元で大きな声で聞かれて 私はびくっとした。
胸に抱いた荷物をさぐってみると なんと携帯があるではないか?
目を丸くしている私をしりめに サッカーボールを持った小学生数人は じれったそうに 携帯に手を伸ばしてきた。
とられてなるものか!
私は キッと少年を睨むと 時刻を読んだ。
「12:15だわ」
???
私がウサギを追いかけてから 5分しか経っていないはずがない。

「ありがと」 「サンキュウ」 「ありがとうございました」
それぞれの少年のお礼の声を聞きながら 私は今までのことが夢だったことを知った。

〜〜そういえば昨日は寝しなに「不思議の国のアリス」を読んだんだっけ〜〜

ここまで読んで下さった辛抱強いあなた ありがとう!! 


2002年07月22日(月) 暑さを忘れたかったら

昨日の夜は早々と9:00には 寝てしまった。講習がそんなに疲れていたわけでもないのだが・・。
仕事だって むしろこれからの方が忙しい。
その中での 思いもしなかった早寝に 朝は4:00頃目覚めてしまったが 手持ち無沙汰の状態である。

それだから・・というわけでもないのだが
壁紙を変えてみた。
ちょうど 昨日は 「海の日」だ。
これは水玉で 海の泡にも見えるようで〜〜

砂浜にかにさんがいたら飽きないので アイコンで登場させてみた。
凉そう〜〜

終わってほっとした途端に それまで忘れていた汗がどっと出てきた。
なんでも一所懸命やってると暑さをわすれる。


2002年07月20日(土) 笑顔

今日も蒸し暑い一日でした。
仕事で伺ったお宅には おじいさんがいらしてこの天候にいらいらなさってる様子。

私は お話しながら 気持ちを和らげてもらいたくって 扇子で風を送ってみたり 窓を全開にしたりするのだが 一向に涼しくならず おじいさんのご機嫌も直らない。

そうだ!
介護の講習でその人をまるのまま受け入れることを教わったばかりではないか。
私がおじいさんの機嫌を直してあげようなんて考えることがおこがましいのかもしれない。

気を取り直して おじいさんの目を見つめて 出来るだけゆっくりと話しはじめた。
すると 宙をさまよっていたおじいさんの目がこちらにむけられた。 やった! 
私は思わず笑顔でおじいさんを見守っていた。
おじいさんも そんな私に 笑顔を返してくれた。

蒸し暑い一日のなかで その時は爽やかな気持ちになれた。
おじいさんもそうだったらよいのだけれど・・。


2002年07月19日(金) 抽選

東レPPOの予約の時期がやってきた。
女子のみではあるけれど 世界の一流選手が日本に集まる 見逃してはならない試合だ。

私は仲間と共にたまには贅沢をしても・・・と
去年前回の時に アリーナ特別席を希望した。
よくTV中継があると写っている コートのそばの最上の席だ。

そんなところを 大枚出して希望する人なんているわけないと 思ったのは私のあさはかさ。
私たちは希望者多数の為行われた抽選で見事に外れて ワンランク下げた席になってしまった。

それだって 日ごろの倹約振りからすれば 目の玉が飛び出てしまうような額だ。
しかし去年特別席を逃した私たちは 半ば意地になって 今回こそゲットしようとやっきだ。

既に申込書はお金と共に送ってある。
今回は何とか 「希望者多数の為・・・」と聞かずに済めばいいのだが・・・・。
あまり籤運の強い者が見当たらないのが 私たちの唯一の難点だ。


2002年07月16日(火) 悪コンディションの中でのテニスのほうが〜

いつも火曜日にみんなとやってるテニス。
明日は台風がくるというので 先週旅行で中止になった分とあわせて 2週間もラケットを握れないなんて・・・・ということで この暑さと強風のさなか なんとテニスをしてきました。
  
午前中は晴れてて太陽光線が 突き刺さるようだったけれど 私たちがコートに着いたら ちょうど曇ってきて 良い感じ〜〜

やっぱりテニス好きな人は たくさんいるわ。
周りのコートはみな老若男女で埋まっていました。

とはいえ 強風でボールはどこに飛んでいくやら〜 
ただでさえ コントロールの悪い配球は 自分でも思わぬところに飛んでいって 「ナイスプレー!」の声がかかる。
このあとも 失速したり 風にうまくのったりで いつもより良い出来で終わったのには 喜ぶべきか 悲しむべきか・・。


2002年07月15日(月) なんにもしない日

台風が沖縄に近づいて その影響からか今日も蒸し暑く おまけに強風で窓も開けていられない日となった。
北海道から帰ってきて 毎日例のごとくばたばた過ぎて やっとの思いで迎えた何もない日。

仕事は勿論のこと 人に会う約束もなく連絡をつけなくてはならないこともなく ごみ捨てすらない。

私は今日は何もしない日にしようと 朝からただごろごろしていた。
寝転んだまま 窓を見上げると ガラス窓一面に勢い良く流れていく雲がみえる。
雲は折からの強風にあとからあとから流れくるといずこともなく去っていく。

こんなこと・・ ただ流れ行く雲だけを眺めていたことが前にもあったっけ・・・。
そうそうあれは沖縄にいた頃のことだ。
台風の通り道と言われているくらいなので さぞかし毎年なん回もの台風がくるのだろうと覚悟していたにも関わらず 私がいた6年間でたった一回しか会わなかったあの台風の時だ。

その日は もう3日間ほど 強風が吹いておりときおりざあっと降る雨にびっくりしながらも 厚い窓サッシに守られて私はそんなに不安は感じていなかった。
沖縄を通る台風がどんなものなのか この目で見られることのほうが興味あったのだ。

しかしそれはブーンというひとうなりを残して突如動くことをやめてしまったクーラーと共にもろくも崩れ去る運命にあった。
近くの電線が切れたのか 停電してしまったのだ。
私ははじめてあせった。
この強風のさなか 窓を開けるなんて考えられない。 しかしクーラーがつかなくては この暑さで身が持たない。
冷蔵庫だって 中のものはどうしよう?
ひとしきりあれこれ悩んだ後 私はあきらめて寝転んだ。
二人の子達は昼寝をしているし 主人はとなりの管理人さんのところに話に行ったきり戻ってこない。
いつもここぞという時にいないんだから・・。
私は 不満顔で滝のように窓ガラスに打ちつけ流れる雨をみる。

しばらくすると 辺りが明るくなり雨もほとんどやんだようだ。
台風が通り過ぎてしまったのだろうか?
恐る恐る窓を開けて見上げると 雲を蹴散らし青空が見えるではないか!
ああ良かった たいした事無く済んでと思った私は 又見る見るうちに灰色の空に逆戻りしていく様子に 落胆した。

「あれが 台風のめだったのね」
その後に反対から風が吹いて雨も降り出し 又先ほどと寸分も違わない様相を示してきた空に向かって脱帽した。
暑い中 私はただ寝転んで 雨風が通り過ぎるのを待つしかないだろう!

外はヒューヒューと風がうなり 雨がたたきつけるその様子を何もすることのない 何もできない私は ただただ眺めていた。

近くの安里川がもう少しで氾濫するところだったこと・ ダイナハ(ダイエーのこと)裏の小さな川が濁流となって 昔何人もの子供を流してしまったこと・今回はそんなことは無くて本当によかったと近所の人が話しているのを聞いたのはその翌日 台風が本土に向かって去っていった後のことだ。


2002年07月14日(日) 講習2日目

きょうは 午前と午後とあわせて7時間半もの長い間 座りっぱなしでした。
今日の講師の方も魅力的な方で 今後参加するのがとても楽しみです。
ひとつのことにずっと携わっていらして それを人に伝えるまでに道を極められている方は皆さんどこか似てらっしゃるものを持っています。

人をひたと見つめるまなざし。
あふれるユーモア。
自分の限界を知ってらっしゃるということ。
明るく楽しい会話。

何とか近づきたいものです。

又今日は 介護される人の身になってお手伝いしようということを教えていただきました。
お年よりは不安な毎日を送っているものなのでありのまま理解しようと・・・
いってることを否定すること無く 説得するより納得させることが大切など 実際に私の両親に対する私の態度を 痛く反省させられました。

しかしお昼を食べ終わってからの 午後の部は
必死にまぶたを開けていることが精一杯でした。


2002年07月11日(木) 娘三人寄っても・・

夢のような3日間はあっという間に過ぎて 帰ってきてしまえば 台風のニュースやら 国会議員の逮捕やらで騒々しい毎日だ。

私の居なかった3日は 娘たちにとっては まさに悪夢であったようで 旅先に逐一入るメールにはその苦悩ぶりが 映しだされていて 毎回読むたびに 笑えた。
私が旅行で家を留守にするのははじめてではない。なのになぜ 今回だけこんなにあたふたしているのだろう?

今までは 3日なら3日分の食事を作って 冷蔵庫に入れて 温めれば食べられるようにしてきた。
もう 3人とも大きくなった今 そこまで至れり尽せりと手を掛けていては かえって娘たちに失礼と言うものだろう・・と カレーだけは煮込んでおいて あとは 揚げるばかりのカツ 焼くだけの肉 並べるだけのさしみを用意して 準備万端と思ったのだが 予期しないことがおこった。

台風発生による蒸し暑さだ!

作ったり洗ったりのノウハウは身につけていても 家事にも臨機応変に対処し無ければならないことがあることまでは 彼女たちは気づかなかったようだ。

かくして そのままほっておかれたカレーは折からの蒸し暑さの為 カビの餌食となり ご飯を多く炊いておけば何回も炊く必要がないと 横着をした炊飯器の中は ガビガビとなり ご飯係だった三女は皆から非難のまなざしを向けられた。

洗濯は次女がまとめてやったようだが 干す場所がないと メールでいわれてもねえ。
ほこりでは死なないと思ったのか 掃除機は一度も出番が無かったらしい。

あまりの自然の美しさに目を星の形にして 帰宅した私は 足を一歩家の中に踏み入れた時から 召使となり 掃除婦となり コックとなり 家事よろづ引受人となった。

今 三人娘は 私に対して従順だ。
やっとお母さんの偉大さがわかったのね!


2002年07月08日(月) 北海道旅行

7/7〜9 

私はこれまで 北海道へ行ったことが無かった。
それを知った15年来のテニス仲間が 北海道へと私を誘った。
私はぜひとも行きたいところがあった。 富良野のラベンダー畑だ。
紫の花が当たり一面覆い尽くし その光景を想像すると鳥肌が立つほど興奮する。

7/7早朝私たち一行は羽田から空路にて北海道へと出発した。
機内では 寛ぐ暇も無くコーヒー一杯をあわてて流し込むともうそこは函館だった。
こんなに何事も無く高々1時間ちょっとで 着いてしまってもいいものだろうか?
「上野発の夜行列車降りた時から・・と覚悟を決めて北海道へ向かった彼女は 凍える手をかざして・・・・・・」
私の思いは 額に汗して自分の客を必死に集合させようとしている ツアーコンダクターの声にかき消された。

広々とした原野をどこまでも伸びる道をすれ違う車も無く のんびりと目的地に向かう状態とはどうしても言えない 函館の多い坂道はガイドさんの早口な説明と共に私を悩ませた。
やっとのことで大沼公園に入った私を待っていたのは ツアコンダクターの満面の笑みと「皆さんお待ち兼ねのメロン食べ放題がはじまりますよ」という掛け声だった。
ここは 北海道じゃない! 
しかし私はしばしそのことは忘れて眼前の甘いメロンに没頭した。

7/8 ここは北海道!?
まだ完全に目の覚めていないわたしを 仲間は露天風呂へと半ば引きずり込むようにして放り込んだ。
「ん〜 なんて気持ちの良い目覚めなの」
仲間の顔も霧の中に 夢見心地にぼんやり見えた。霧の中にぼんやり見えたのは それだけでは済まず 本日の行程はすべて霧の中。
ニセコの神仙沼のフラワーウォーキングは 前の人の袖をつかんでの行進に早変わりした。
小樽に着いて 美味しいお寿司を食べて ちょっと気を取り直したものの その日の温泉に首まで漬かりながら 私はなんと言ってもメーンの明日の天気については 神様にお任せしようと 思いっきり良く考えた。

7/9  そして迎えた当日は快晴!! ピーカンの晴れ!
青く澄み切った空に 白く輝く雲が 薄蒼い山並みにうっすらとかかるさまはそれは見事なものだ。
紫色の花が当たり一面に咲き誇り 目で眺め 手にとり その間を歩き 香りを楽しみ 私は長年ひそかに温めていた願いがかなって至福の時を過ごした。
終わりよければすべて良し。
2日目の霧にさえ 極上のどんでん返しにと導いてくれた功績を感謝したいくらいだ。

無事に我が家にたどり着いて 帰りの機内で見た地図を思い出す。
私が今回行ったのはほんの一部分だけ。
ひろいひろい北海道は まだまだその広い懐を覗かせてもくれない。
では 今度は 北斗星に乗って豪遊するかな?


2002年07月07日(日) 講習をうけて

きのうは介護の2級のはじめての講習日だった。
特別養護老人ホームに携わっておいでの70歳になる方が講師としておみえだった。

その方は老人介護の歴史から今現在の問題点まで 私たちにわかり易く説明してくださったばかりでなく この道をいろいろなご苦労が有りながらも歩まれてきただろうことが推察されるほど ここは重要!と要所要所を抑えて話される。

私は久しぶりに 学校で話術の巧みな先生に乗せられて 否応も無く話に引きずり込まれ 気が付いたら懸命になって学習していた 高校の頃を思い出してしまった。

なんでも自分のこととして考えるようにと言われ 自分から進んで勉強しようと言う くらいついてくる気構えが無くてはだめだと叱られ
もっとプロとしての自覚を持って 臨むようにと助言された。

ともすると第一回目の今日は 様子見のところが無きにしも非ずの私であったが 70歳にしてのこの気迫に圧倒されつづけた3時間あまりだった。
「又一番最後に成長された皆さんに会うのが楽しみ」とおっしゃられて お帰りになったその後姿に 頼もしい先輩を見つけた喜びが そしてその期待に応えたいと切に望む私がいた。


2002年07月06日(土) 介護2級

あしたから 介護の2級を取るべく毎週土曜講習を受けに行く。
12月頃にやっと終わる予定の 私にしてみれば 長期にわたる資格獲得作戦だ。

私の周りは親戚も お年寄りが多い。
何かの役に立てればと突如思い立ったわけだが講習費用もばかにならず 元を取りたくなる気分で居る。

しかし 晴れてめでたく資格をゲットしたとたんに 私が介護される身の上にならないように気をつけなければ・・・・。


2002年07月05日(金) 幼かったあの日

今日は本当に暑かった。

それでも 夜になると とたんに涼しい風が吹いてくるところは まだ本格的な夏ではない
本当に暑いのはこれからよ〜 と 雲の上の雷にいわれている気がする。

私が小さい頃 近所の大きな杉の木に 雷がおちたことがあった。
その日もかなり暑い日で 私は弟と縁側に腰掛けて 足をぶらぶらさせながら アイスをなめなめ 夕方の空を見上げていた。
すごい勢いで雲が走っていく様子が見ていて飽きない。
そのうちに どこからともなくゴロゴロと低い音が聞こえてきたかと思ったら あたりは急に暗くなり 風がヒューと起こり始めた。
雨はまだ降ってこない。
 
この急激な変化に私と弟は興奮してしまって 母を呼んだ。
「みてみて! こんなに暗くなってきたよ」
母は 空をちらと見上げると 私たちに部屋の中に入るように言って この暑いのに雨戸まで閉め始めた。

とたんに それまで遠かったように思えたゴロゴロという音は突然近くで聞こえ出し 私たちは「きゃ!」といって 耳をふさぎ母にしがみついた。
停電になって真っ暗で暑い中 3人で肩寄せあってると 耳もつんざくような大きな音が聞こえたかと思ったら とたんに雨がざばっと降ってきた。

ここまではまだ小さい頃の私の記憶というか印象でしかない。

母が 「木に落ちたみたいだわ」と青い顔をしていったのだけは鮮明におぼえている。
なぜなら 私は母の言葉から その頃読んでいた昔話の 雷の子が雲から落ちてしまい お父さん雷が迎えにくる話を思い出し 怖くなってオイオイ泣いたのだから。

母は「大丈夫よ。 もう一回落ちてしまったら二度は無いから・」と 的外れなことを言って私を慰めようとしていた。
私は「違うの。 お父さん雷がくるんだよ!」と涙ながらに訴えても それは言葉にならず 無視された。

母は「さあ ご飯にしよう」と勢い良く立ち上がった。


2002年07月04日(木) 朝顔が咲いた。

朝 起きてすぐに新聞を取りに行くのが私の日課だ。
きょうも さっそく玄関を開けると 朝のすこし冷たい空気と共に 「おはよう」と小首をかしげて 咲いたばかりの朝顔がご挨拶!

下谷でひらかれる朝顔市で 毎年のように朝顔の鉢植えを買い求めているのだけれど 今年はいろいろ重なってしまって行けない。
朝顔のない夏なんて・・・という気分の私は 近くのお花屋さんで一鉢買っておいたのだ。

昔江戸時代の人たちも 朝顔市に行ってそこで買った鉢を ぶらぶらさせながら 屋台をひやかしながら楽しんだという。

あの混雑した中を歩くのがちょっと大変だが 手軽に下町情緒と時代物を味わえるお奨めのスポットだ。


入谷の朝顔まつり :7月6日(土)〜8日(月)
  場 所: 台東区下谷1-12-16 鬼子母神(真源寺)
内 容: 早朝より市がたち、多彩な色合いを織り込んだ朝顔の風情を楽しむのも一興です。
交 通: JR・鶯谷駅南口徒歩3分地下鉄日比谷線・入谷駅徒歩1分
問合せ: 真源寺(入谷鬼子母神) TEL 03-3841-1800


2002年07月02日(火) ふ〜

やっと 仕事の大山をのりこえることができた。
まだ小山はちらほらあるけれど もう先は見えた。
私はこのときが一番好きだ!

やらなければならないことも残ってはいても
楽勝気分でいられる。
一山仕事を終えた 満足感も味わえる。
頑張った自分に やさしくなれる。


2002年07月01日(月) 7月

潮の香りの似合う 夏の入り口
きらきら光る水面に 石を投げ入れたあの日

まばゆい太陽の光が 小高い山に通じる道が
サルビアの花を揺らす風が あなたの視線が
私の心が 一直線に見えた


まみい