まみいの日記
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2002年06月30日(日) ただより高いものはない

私の使っているデジカメのメーカーがお試し期間に限りプリント10枚を無料で・・・というキャンペーンをしているのを知ってさっそく応募してみた。

出来上がるのは3日後とのことで 今からその出来栄えが楽しみ。

私はHPの中のアルバムにアップしたり 友人にメールで送ったりという使い方しかしていなかったので デジカメで写した写真が どんな風にプリントアウトされるのかまるで判らない。

これを機会にデジカメの使い道が増えたら嬉しいな・・とよろこんだが それで喜ぶのは私だけじゃないのね。
そうこれを企画したメーカーさん!


2002年06月29日(土) 太陽と水と空気

今日は 連日の曇り空 季節はずれの寒さはどこへ行ったのやら 午後から晴れてぐんぐん気温は上がり 暑くなってきた。

午前からの仕事で 長袖を着ていた私は 今日の天気予報を信用しなかったことを後悔した。
不摂生がたたって貧血気味になりそれが回復せぬまま 仕事がピークを迎えるといういやな展開に体調は今ひとつであったが 暑さに弱いこの私が 気温が上がってくると同時になんと元気になった。

植物は 太陽と水と空気があればそれが美味しければ美味しいだけ成長も著しい。
私も植物と一緒であったようだ。

雨の降るなか 車で仕事に回るのは疲れる。
さんさんとお日様のふりそそぐ中 自転車に乗って風をきりながら ペダルをこいでるのがうれしい!


2002年06月28日(金) 12階まで・・。

きっと良いことがあると思って頑張っている仕事。
きょうは又雨で濡れながら あちこち走り回っている。
TELでわざわざ時間も約束したお宅に伺う。

そこは 高層マンションの12階だ。
おもむろに エレベーターに向かった私の目に飛び込んできたのは 定期点検中 の立て札。
しばし思案の結果 思い切って歩いて登ることとする。
昔山歩きをしていた時に 足を鍛えるのにエレベーターは一切使わないという人がいたのを思い出した。

実際に登ってみると 5階までは息切れはするものの何とか登れる。
あと倍以上もあると思うと少々うんざりもし 後悔もしたのだが いまさら 後へは帰れない。
一歩一歩急がずにゆっくりと・・・息を吐き一歩 吸っては一歩と 山を登っている頃を思い出してのぼってみる。
すると 案外すぐに12階まで行き着いた。

自力で登った12階からの眺めは・・・雨で何も見えなかったけれど すがすがしさは最高!
今日一日がさわやかに過ぎていった。 

でもお年寄りが高層マンションに住むのは考え物だ。
何か有っても あれではすぐに降りられないし勿論登ることなど考えられない。
身をもって体験した結果である。


2002年06月27日(木) 26日 おまけに雨

毎月26日は忙しい!
おまけに今日は 雨。
私には 嘆きの雨。

やっと仕事も後始末をつけて 明日の用意を済ませれば もう時間は明日に突入〜〜

サッカーも 大好きなテニスも見られなかったわ。

でも報酬をいただいている仕事を ないがしろにはできない。

さあ明日もがんばろう!!
きっと いいことがあるわ〜


2002年06月26日(水) 審判

ウィンブルドンはいわずと知れたテニスの四大大会のひとつ。
イギリス ロンドンの郊外ウィンブルドンで今 行われている。
ほかの 全豪 全仏 全米が国主催なのに対して このウィンブルドンはひとつのテニスクラブが主催しており そのモラルの厳しいことでも有名であった。
身に付けるテニスウエアは白一色でなければいけないとか 暴言を吐いたり 審判に向かって無礼な態度をとるのも持ち論禁じられている。

見ている観客は スポーツマンシップだの 公平な審判が見られて 又それを期待しているところがある。
現に審判に文句をいう選手は嫌われてしまう。
「人と人が行う競技なのだから この人をお互い信頼して この人が下した判断に従いましょう」というのが本来の審判制度であり そこには審判だって間違うことはあるとはじめから認めている。

人は過ちをおかすものであり 間違いの無い人間なんていない。それが大前提のはずである。

今行われているサッカーではどうだろう。
一部の試合で公平な審判が行われなかったと問題になっており 又自ら自分の下した判定は間違っていたと 告白する審判もいて大変な騒ぎになろうとしている。

間違いの無い人間なんていないが それを故意に行ったかどうかが問題になっている。

サッカーは国対国の競技だ。
国の威信をかけ闘う競技にスポーツマンシップは有りえるのか?
うらで汚い手を使って選手を倒しても審判が見ていなければ お咎めは無く 派手に転んでみせて 痛がっている振りをして審判の誤った判断を誘う。
それが今までまかり通ってきてしまったことに
いや まかり通っていたのならそのままで  今回それを止めさせようと画策したところに問題点が有ったのではないだろうか?
今回から パフォーマンスと判断した行為には罰金が課せられることになったようだが うまく審判の目をごまかすことも選手の技ときいたことがある。
あんな めまぐるしく攻守が代わりどこで何が起こるか判らない 興奮しきった選手 監督 観客を相手に瞬時にして判断を求められる審判は大変な仕事だ。
これまで 一生懸命に走り回って自分の仕事をこなしていた多数の審判はどう思っているのだろうか?
これをきっかけに みんなが納得できるサッカーの審判のあり方が論じられればいいが 一部の審判を処分して終わりではなんとも情けない話である。

さて テニスであるが 日本人は自分をアピールするのが下手である。
時々見ていて抗議すればいいのに・・と思われるところでも じっと耐えてる選手が多い。
それはいらない摩擦を起こして 自滅したくないという意味合いも有るのだが・・・・。 
昔 マッケンローというテニス界の風雲児がいた。
彼は文句を言わない試合は無いくらいで 罰金だって どれくらい取られたことだろう?
でも不思議と人気が有った。
今度は何を言うのか 何をするのか??
彼の抗議を粋にこなす審判はヒーローだ。
そのやり取りを観客は固唾を飲んで見守っている。

FIFAがどんな判定を下すのか私も固唾を飲んで見守っている。


2002年06月25日(火) いよいよ始まった ウィンブルドン

サッカーも余すところ4強のみとなって どこが優勝するのか 気になり始めました。

そんななか テニスのウィンブルドンが始まりました。

又ヒンギスはお休みでは有りますが 全仏の赤土から一変した芝の戦いは誰が勝ち残るのか?
興味しんしんです.。
日本からは杉山愛ちゃんと 小畑沙織嬢がでてきました。
さっきまで試合していたみたいな小畑沙織嬢は
勝ち残っただろうか?


2002年06月23日(日) 検診の結果

もう1週間前に先生の所にいって聞いてきたのだが 「心配する数値は出ていません」という言葉にほっと安心してしまって 又睡眠不足で とりあえず おなか一杯になればという食事に傾きつつあった。

しかし「貧血気味なのでお薬だしておきます」とも付け加えられていたのを 忘れていたわけではないのだが これはもういつものことなので 軽く考えていた。

きのうまで 暑い日が続きその中を自転車で走り回っていたが とても体調は良く
「やっぱり 私は 忙しくしていた方が性にあってるのかも・・」と返って やらなければならない事がある充実感に浸っていた。

きょうは 一変して激しい雨と風の音で目が覚めた。
土曜日でも学校のある三女を起こして こんな雨では駅まで送っていかなくては・・・。と
ふと 目覚まし時計を見るとすでに6:30に限りなく近い。
まあ大変と 飛び起きたらそれはおこった。

突然目の前が真っ白になり次には真っ暗になった。自分が立っているのか座っているのかも判らない。
くるくる周りが回っているようで 実は私が動いているのか?
大地は斜めにかしいでる様で 気分が悪い。

貧血を起こしたのだ。

しばらく落ち着くまでじっとしているに限る。
吐き気を我慢しながら じっとしていると あたりがだんだん落ち着いて明るくなってきたようだ。
そっと目を開けてみる。 私は 目覚まし時計をしっかりつかんで 布団にうつ伏せになっていた。洗面所に行き鏡に向かって あかんべをしてみる。
健康な人は赤い血管が浮いて見えるはずの 私のまぶたのうらは白かった。
貧血を軽く考えていた私がいけないんだ。
薬にてがのびたが 薬には二次作用があること。できれば食事で直した方が良いことを思い出してさっそく朝食の準備にかかる。

あまり時間がないと駆け足で2階から下りてきた三女は食卓を見て目を丸くした。
「どうしたの? うちは朝はパンだったでしょう?」
「まあいろいろあってね。 ほら早くしないと遅刻しちゃうわよ。」
さすがにこれから学校へ行く彼女はにおいを気にして納豆には手が出なかった。シラスと小松菜を炒めたものや ほうれん草の味噌汁は彼女の好物だ。

ばたばたと駅まで送ってやり 仕事の約束の時間が迫ってきているのを 横目で確認しながらさて私は 納豆を食べたものだろうか?としばし思案に暮れた。


2002年06月22日(土) 夢&現実



テーブルには 真紅のばら
ミスティーの音楽
ロングスカート
アメリカンコーヒー
ありあまる自由な時間
才能
(これしか思いつかないなんて私も想像力のないこと)


現実

テーブルには やりかけの仕事
TVから流れてくるNHKニュース
最近又きつくなったジーンズ
アメリカンコーヒー
あしたはまた仕事で時間に追われる
努力あるのみの毎日


現実が存在してくれるおかげで夢もみられる。
夢があるから生きていかれる。 


2002年06月21日(金) 両手を離して 自転車に乗れる?

朝方は薄日もさして 天気予報はずしたのかと思っていたら 昼頃になってぽつぽつきた。
自転車で 次の訪問先を目指していた私は たいしたことないだろうと鷹をくくり 仕事続行した。
雨脚はだんだんひどくなり 私はさっきの判断ミスを悔やんだ。
かさをさしながらの自転車は不得意だ。
でも仕事が たてこみはじめたこの頃 のんびり風邪も引いてられない。
片手運転は怖い。

そんな混乱の私の前に 若い男の子が両手を離して 颯爽と自転車をこいでゆく。
つい つられて私もほんの一瞬手を離した。
方向指示者を失った自転車は それでもまっすぐ走ろうとあえいだ後左にかしいだ。
おっとっと・・・。
道行く人は必死の面持ちで自転車を立て直そうと孤軍奮闘する 面白いものを見たのに違いない。

教訓 人には それぞれの領分があってそれを超えてはならない。
雨の日に 両手離しをして自転車に乗るのは 若い男の子に任せておきましょう。


2002年06月20日(木) 似た者親子

きょうは 久しぶりに母と出かけた。
それこそスープの冷めない距離にお互い住んでいるのだが それで安心してしまって 「便りのないのが無事の証拠」を実践してしまっている。
ちょっと反省して今回のお出かけとなった次第である。

昼時をはずしすぎて 人影もまばらなレストランに向き合って座って さて良く見ると 母の上を通り抜けた年月が顔のしわとなって現れていることにはっとした。

いつの間にこんなにきざまれたものか。
娘が自分の生活にうかうかしている間も 母のそして父の老いは止まって待っているわけなどないことを 頭では理解していても 現実に突きつけられると否定したくなる。

話が弾めば多少愚痴っぽくなったことは有ってもいつもの母であり 私もいつもの娘役に戻る。
そこには 時の流れを認めたくない思いが交差している。

しかし いつものようにたわいのない冗談に笑い転げながらも 互いに顔に浮かんだ表情を読み取っている。
「かあさん 年取ったわね。」
「そりゃそうよ でもまだまだ 父さんと二人がんばってなんとかやってるわ。でも年取ると心細くなるものよ」
「倒れちゃったら面倒見させてもらうからさ もうちょっと 二人でお願いね。」
目と目でかわす 暗黙の会話。

実際に声に出した会話はというと・・・
「私 介護の2級を取りにいく事にしたのよ」
「あれ 今の仕事は?」
「当分続けるつもり」
「私はあんたに面倒を見てもらおうなんて思ってないからね」
「はいはい 私もそう願ってるわ」

強情っぱりなところは 似たもの親子!


2002年06月19日(水) 雨宿り

きょうは 朝起きた時から 大雨だった。
仕事も急にキャンセルがはいって 突然暇になった私は 所在なく近くの窓から降りしきる雨を眺めていた。
するとその窓辺に一羽の鳥が突如舞い降りた。
私とは ほんの1メートルも離れていない目と鼻の先の近さだ。
ここらでは良く姿を見かけるが 私にはなんという名の鳥なのかわからない。

その鳥はさも「もうこんなに降るからびしょびしょに濡れちゃったじゃないの」と言わんばかりに しきりに羽をばたつかせて 雨のしずくを振り落とそうとしている。
やっと納得いったのか 今度はくちばしで身づくろいをはじめた。
一寸たりとも動かない私のことは目に入らないのか 一心に羽を一枚一枚丁寧に繕っている様子は これからデートをする予定の娘さんのようで ほほえましい。

その娘さんは羽の繕いも終えると あきらかに自分でも意識して胸を張るように ちょっと立ち位置を変えると おもむろにさえずりはじめた。
その黒っぽい姿からは意外に思えるほどの美声で 私は思わずききほれた。
激しく降る雨にも負けず その歌声はかなり長く続いた。
思わぬ贈り物に私が思わずため息をつくと 娘さんはふいにこちらに向き直り 私と正面から目が合ってしまった。

小首をかしげてこの状態を理解しようとしているその姿に可愛いはじらいを感じた。
「うわ いつから見てたの?」
「ごめんね。 はじめっからよ」

娘さんは あっちを向いたり 羽をばたつかせて落ち着きない様子だったが 来た時と同じように突如飛び去った。
この雨の中 雨宿りするところはすぐみつかったかな?


2002年06月18日(火) お箸の持ち方

私の両親はしつけにそんなにうるさい方ではなかったが お箸の使い方は毎食ごとに 持ち方から それこそ上げ下ろしにまで チェックがはいって 閉口した覚えがある。

食事時のしつけは 食べ物の味をまずくする。誉められることは少ないので 注意ばかりされていると もうおなかは一杯になって「ご馳走様」と席を立ちたくなる。

ふわふわとお箸が宙をさまよってると 迷い箸をしてはだめといわれ お芋をぐさっとさして食べようものなら 手をはたかれた。
箸先はなめてはダメとか 「はい これあげる」と私の好物のさしみをうっかりお箸で受け取ろうとして あきれた母は 刺身をくれなかった。こうした仕打ちに耐えて 食べ物が絡むとむきになる私が 両親から合格点をもらったのは 小学生の高学年の頃だ。
両親のしつけは やがて年の離れた弟に向けられることとなった

成長して世の中に出て 外で食事を取る機会も増えると 案外 お箸の持ち方やマナーはなっちゃいない人が多いのに気づいた。
フォークやナイフはテーブルマナーとして 習うことも有るが お箸は持てて当たり前とばかりに ほおって置かれている。
いまや 日本食はブームをとおり越して世界に定着しつつある。
その本家本元の私たちが 正しいお箸の持ち方が出来なくては恥ずかしい・・と思うのは私くらいか?
うちの三人の娘は 私の両親譲りのしつけの結果 綺麗に魚も食べられる。
正しい持ち方をしていると食べていて疲れない。
だいいち 食べている姿が見苦しいと百年の恋も冷めてしまうのではないか。
そう言ったら お箸のことでは散々私にいじめられた三女は「平気よ。おかあさん。だって相手の彼もお箸をちゃんと持てるとは思えないもの」とのたもうた。


2002年06月13日(木) 恋愛映画

第1位「カサブランカ」(1942)
 2位「風と共に去りぬ」(1939)
 3位「ウエスト・サイド物語」(1961)
 4位「ローマの休日」(1953) 
 5位「めぐり逢い」(1957)

これは米映画協会から11日に発表された アメリカの恋愛映画ベスト100のうちの5位までだ。
監督 俳優ら約1800人が投票で選んだという。
見ると判るように トップ10のほとんどは古典的名作で 過去40年間の映画としては
第6位「追想」(1973)
 9位「ある愛の詩」(1970)
だけだそうだ。
「タイタニック」(1997)は 37位に止まったようだ。

今日の朝刊からの引用です。
ぜひとも100位までを知りたいものです。
ここにのっている映画は どれもこれも 何回も見たもので そのときそのときの思い出があります。

ハッピーエンドで終わるとほっとして その日一日が なんとなく楽しく過ごせるし 何よりもしあわせな気分になれます。 
一方 胸が張り裂けそうな悲しい結末は 主人公の心を思いやっては 涙に暮れ ため息と共に帰路につきます。
それでも たっぷり流した涙でカタルシス現象をおこし さっぱりした気分になれるというおまけつき!!

だから 映画はやめられません。
最近特に悲恋物にはまっている私!
何か 心にたまっているものがあるのかしら??


2002年06月12日(水) グランマ・モーセス

私の気に入っている クリスマスカードがある。
純白の雪の積もった山を背景に 手前にはそり遊びをする子供やクリスマスの挨拶をしに来た馬車に乗る人々 そしてそれを迎えるように家の扉を大きく開けて 待っているおばあさん。
誰も彼も皆 これから始まる クリスマス会のことで頭が一杯で 思わず微笑んでいる。
そんな一こまを描いた カードだ。

これを見るたびに私は そこに描かれていない場面までが 想像できてしまう。
暖炉に燃えている暖かな炎。 
その前で寝そべる大きな犬。
台所に並べられた ごちそう。
今まさに オーブンから取り出されようとしている 湯気を立てた七面鳥〜〜
典型的なそして幸せな。団欒の様子だ。

これを描いたのは アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス。
グランマ・モーゼスの名を知らないアメリカ人はいないと言われている。
彼女は60を過ぎてから それまで趣味としていた刺繍がリューマチを患って出来なくなりかわりに絵筆をにぎったという。
その作品は自家製ジャムと共にカントリーフェア-で売りに出された。
少しづつ 世間に認められるようになり 101歳の誕生日まで絵を描き続けた彼女は その生き様によっても またその作品そのものによっても 人に愛されつづけている。

見ただけで 幸せになれる 絵!
この絵を見れば 誰にも彼女がなぜ愛されつづけているのかがわかる。



2002年06月11日(火) 本当のお姫様

その昔 まだ大人しく積極的に友だちの輪に入れなかった私は 本が友だちだった。
小学校の図書室に入り浸っては 少年少女名作全集とか グリム アンデルセン ルパン 江戸川乱歩の少年探偵団とかを読みふけっていたものだ。
子供心にも 乱歩物にはなにかおどろおどろしいものを感じて 母親のそばでしか読めなかったのを覚えている。

そんな私が 読んだとたんに こんなことあるわけ無いと鼻先で笑って放り投げた本が有る。
アンデルセンの「本当のお姫様」という本だ。
身なりの立派な娘とみすぼらしい娘が どちらもお姫様だといって 一夜の宿を頼みにくる。
宿屋の人はどちらが本当のお姫さまなのかを知ろうと 一粒のえんどう豆の上に 7枚もの羽根布団を敷いて その上にそれぞれのお姫様を寝かせた。
身なりの立派な娘はすぐに寝てしまったが みすぼらしい方の娘は一晩中何かが背中に当たって寝られなかったと言い 果たして そのみすぼらしいなりの娘は 翌日迎えに来たお城の使者に守られて 帰って行くというものである。

外見で人を判断してはならないという教訓なのだろうが その頃せんべい布団で毎晩ぐっすり寝ていた私には この話が嘘に思え納得いかなかった。
どうもこれを契機に私は おとぎの国から追放されてしまったようだ。
やさしい物語に姿を変えた「こうあらねばならない」風の教訓めいたものに飽きてしまったのだ。

それから月日はたち 自分の娘たちに本を読んでやるようになって 私はまたおとぎの国に戻ってきた。
幼い子に眠りにつく前のひと時 「外見はどうであれ自分を磨いていれば将来は素敵な人になれるわ」という思いを込めて 「みにくいあひるのこ」を読んでやる。
「夢を持って努力すればかなえられるわ」と「シンデレラ」を手にとる。

そこには以前の私には気づかなかった幼い子を見守る目があった。
千夜一夜物語のように毎晩読んでやることで この子達が素直な女性に育ってくれたら 今の自分の境遇に甘んじる事無く成長していってくれたらと 淡い期待を抱いていた母の私がそこにはいた。

さてそれからまたまた年月は過ぎ転勤地の沖縄から今の千葉へ引っ越してきた時のこと。
新しい学校の先生から「どう? こちらに越してきて 楽しくやっていますか」と印象を尋ねられた長女は「友だちも親切で 良かったです」と答えた。
沖縄の学校が大好きで 泣きの涙でこっちにきてやっと友達がひとりできたばかりなのに・・といぶかしく思った私は 自宅に帰りついてから尋ねてみた。
すると 「先生は私を心配してきいてくれたのに 沖縄の方が良いなんていえない」ときっぱりとした表情でいう。
人のことを思いやることができるなんて 随分成長したなとそのときは思った。

本当のお姫様ってなんだろう?
せっかく寝床を用意してくれた宿の人に対して
「寝られなかったわ」と言うより 「ありがとう。ぐっすり寝られたわ」と答えた方が 宿の人は気分が良いに決まっている。
原作の本は生まれながらのものは隠せないと言いたいのだろうが 今の私にとっての本当のお姫様は 何の屈託も無くぐっすり寝て おそらく さわやかな声で「おはよう」といったであろう身なりの立派な娘さんの方だ。


2002年06月10日(月) おめでとう!

きょうは サッカーの対ロシア戦。
早くから夕飯も済ませて TVの前で観戦。
稲本のゴールでもぎ取った1点を守りきり勝つことが出来てよかった。
おめでとう!
これで またサッカー観戦が楽しみになった事だ。

しかし 私はテニスフアンだ。
今日は全仏の最終戦。男子の決勝が行われた。
どちらもスペインの選手で 若くハンサムで人気のあるフェレーロと 組み合わせの妙で決勝戦まで進んだ?と思われるアルベルト.コスタとの戦いとなった。

それまでの対戦成績といい 年齢といい すべてがフェレ−ロ有利とでていた。

しかしやってみなくては判らないのが試合の結果である。
コスタははじめから飛ばしてフェレ−ロに主導権をとらせない試合運びで 1.2セットをそれぞれ30分もかからず奪い取ってしまった。
それに対して 本来の自分のテニスが出来ないフェレ−ロはどんどん調子を崩していき3セット目をどうにか取ったものの 4セット目は首を横に振りながら目はうつろになっていき 彼の全仏初優勝のタイトルをあっという間に逃してしまった。

一方 優勝したコスタは コートに大の字に寝転んでその喜びを表した。
コスタは14日に結婚式を挙げるということで会場を埋め尽くしたファンからの盛大なお祝いの拍手にコスタ陣営は皆目を赤くしていた。
ついでに私も・・・。

大方の予想を裏切ってのコスタ優勝に 私は驚きもしたが 昨日の自分の日記を思い出して
そのあまりにも的中した内容に 今流した涙を手でぬぐうと少しばかり笑った。

おめでとう!


2002年06月09日(日) 世の中は今サッカーだけど・・。

私はサッカーも好きだけれど この時期に行われるテニスの全仏を見ないではいられない。
ここは 赤土コートで玉足が遅く走れば追いつけるほどだ。
技術もさることながら 持久力も持ち合わせていないとならない。
さらには 精神力もだ。

オールウエザーや芝と違って ボールの落ちた後が残る為 インかアウトかで もめることがある。
線審に文句をつける人 つけない人 さまざまだが 大概は主審がその場までやってきて 目でみて判定する。
選手は一応納得する。
これも パフォーマンスの一種で 際どい判定の時に文句をつけとけば 次回同じような際どいコースでボールが飛んできたときにこの線審は「こいつはうるさい!」と思って丁寧に判定する もしくはその選手に有利に判定しがちになるということらしい。

しかし観客は審判に文句を言う選手を嫌う傾向にある。
ヒンギス(女子の人気プレイヤー)も 以前の全仏でこの間違いをおかした。
観客は 抗議したヒンギスに一斉にブーイングをし 相手の選手を応援し始めた。
結局ヒンギスはその試合を落とし 以来全仏は彼女の唯一優勝することの出来ない大会となっている。

こうして 勝つ事に対して強い意志と例え全員が敵で有っても屈することの無い精神力が必要な大会なのだ。
そのために 名前もまだ知れ渡っていない選手が活躍できる大会でもある。

今年決勝戦に出た女子はセリ−ナとビーナスの姉妹だった。
彼女たちはこの場にいるということで 今まではパワーテニスの持ち主として評価されていたが 身体能力もさることながら どんなコートをも制してしまう技術と 成長した精神力を認められたことになる。

人種問題で過去にテニス界を揺るがせた二人も 誰からも後ろ指を指されることの無い地位を自分でもぎ取ったのだ。

全仏の私の思う魅力は 無心にボールを拾っている無名選手が名のある選手に勝ち感激に身を震わす瞬間だ。
努力するものは報われる!!


2002年06月07日(金) 紫陽花

6/6は 紫陽花寺として松戸では有名な本土寺に行ってきた。
当日は 昼から晴れて暑くなり 汗をかきかきでは有ったが 好きな花を見ながらそぞろ歩きをするなんて なんて素敵な気晴らしだろう。

しっとり 雨にぬれている庭の紫陽花を 私は部屋の中にいながらぼんやり眺めているという ずぼらを絵にかいたような鑑賞の仕方が常であった。
それが今年は 近くに住むPCを通してお友達になった方とのミニオフ会も兼ねていた。

始めまして なのに 始めましてではない なんとも不思議な出会いで始まったこの日であったが すぐに何年来の友であるかのように 打ち解けて話をしている自分に気がついた。

書き込んでいる事柄は自分を映し出す鏡のようなものだ。
映す気は無くとも  そんな気はさらさらなくとも自分をさらけ出している。
その人は 書き込みから想像される穏やかな性格そのもので私を安心させた。
新しく頼りになるお姉さんが出来たことを喜びながら 彼女にとって私はどう映ったのか ちょっと気になるところでもある。

でも
紫陽花に囲まれて歩いているうちに思った。 紫陽花はただ紫陽花として 咲いている。
誰に見られようが また見られまいが・・。
私も私として生きていけばいいだけのこと・・なんだわ。


2002年06月05日(水) ユトリロ

先日 ユトリロの絵を見に行った。

ユトリロはフランスのモンマルトルで生まれ 母を慕いながらもその愛を十分に得られずに 孤独からか 15歳くらいからアルコール中毒にかかって 病院にいることの多かった画家だ。

絵を描くようになったのも アルコール中毒の治療のためであり のちには 家族を養う為にも描かざるを得ないようであった。
そんな彼の絵は その孤独と母への思慕が伺える静かな絵だ。
そこにはパリの陽気さは無い。

彼のもっとも重要とされる「白の時代」では あらゆる風景を 白を基調として描いている。
静かなたたずまいの中に 人は描かれておらず 孤独感が募る。
だからなのか なぜか 人を惹きつけるものがある。


2002年06月04日(火) 検診

私は 高校の役員を引き受けてからというもの
特に週末はゆったりのんびりから一転 多忙の日々となってしまった。

うちにいて のんびり過ごしていると 無性に出かけたくなり 出歩くことが多いと 内に篭りたくなるという あまのじゃくな性格なのだが ここ2ヶ月ほどは 私の意思とは関係無く手帳に書かれたスケジュールをこなしていく毎日だ。

しかし その用事を済ませた後 手帳に済んだ事を示すチェックを入れるのが快感なのを最近知った。
小さな 満足感だ。

そんな私の思惑とは別に 世の中はすでに6月に入り 道行く制服姿は 衣替えを済ませて軽やかに闊歩している。

おお そうだ!年に2回の検診に行かねば・・・。
私は 最近とみに優しくなった先生の顔を思い出した。
先生も「北風と太陽」なら太陽の方が好まれることをやっと最近お知りになったのね。
思い立ったら即実行ということで 今日検診を済ませてきた。

先生の見立てはほぼ良好!とのこと。
「詳しい結果は1週間後に またおいで」と言われたが 先生との付き合いが長い私は 難しいことは何も無いよ・・とその目が語っているのがわかった。

きのうとは 打って変わってHappyなわたし。


2002年06月02日(日) 日曜日のいまごろ

もうすぐ たそがれてくるこのころを 妙に物悲しく感じるのは 暇なせい?
この中途半端な時間を もてあましているわ。

こころに少しの穴があいて それを埋められずにいるのに たそがれ時を迎えるのはちょっとつらい。

いっそ 早く夜の帳が下りてしまえばいいのに。
黒いビロードのカーテンをひいた部屋の中のような漆黒の闇に 私の心に出来た暗い穴もみえなくなるわ。
まるでなくなってしまったかのように・・・。


2002年06月01日(土) 待ちに待った

いよいよ みなさん 待ちに待ったワールドカップの始まりだ。
今日から約1ヶ月優勝国が決まるまで 日本中 世界中を巻き込んで 熱狂の渦がグルグル グルグルすべてを飲み込んでいくのだろうな?

日本は1次リーグ突破できるのだろうか?


まみい