そよ風


2005年02月28日(月) 怪しい物体の正体は?

「おい! 起きるぞ! 今日はちょっと早目に会社に行く」

時計を見ると、まだ朝の4時過ぎでした。

今日は愛車コペンで初出勤の主人、
きっと嬉しくてワクワクして眠れなかったのね。

調子にのって阪神高速をとばし過ぎないでね、と
今朝はいつもより1時間早く5時前に家を送り出しました。

ほんとうに、ただいまコペンが恋人のような我が主人。

そんな主人が先週金曜日に会社を休んだのは、
てっきりコペンが来る日だからと私は思っていました。

でも、ちがったのです。

「足に変なデキ物ができた。気になるから病院に行く」
と、その朝突然言いました。

えっ? どんな物? 見せてよ。

見た瞬間、スッと血の気のひくのが自分でもわかりました。

外側の太股に今まで見たことのない変な物体が発生していました。
大きさは小指の先くらいでしょうか。
真っ黒いかさぶたが何層にも丸く盛り上がりって
主人の足にくっついてます。

読みかじった知識しかないけれど、「まさか皮膚がん?」
と疑いました。

主人が病院から帰ってくるまでの数時間、
心配でネットでいろいろ調べまくりました。
もちろんエアロはお休みです。

ネットで検索すれば、たいていの疑問は判明すると思いきや、
その怪しい物体の正体、なかなか突き止められません。

ただのイボかな? そうであって欲しい。
でも悪性のものだったら・・・

いろいろな思いや考えが交錯した時間でした。

正直、一人で生きていけるのだろうか・・なんてことまで。

そこにあるのは、自分でも予想外のものすごい不安と寂しさ。

つい先日、主人の両親に向かって
「子供達を親のもとに縛り付けることばかり考えるのはいけない」 
と、えらそうに熱弁したばかりの私です。

ほんとうに自分が一人きりになった時に、
子供達がみんな遠くに離れていても、はたして私は平気だろうか。

「平気よ。私はひとりでも全然苦にならないわ」
と今まで言っていた自信は、脆くも崩れ去った?? かもしれません。

土壇場にならないと、自分のほんとうの気持ちすら、わからないものだ
と、つくづく感じました。

そして、すっかりシオらしくなって、いろいろ反省などしました。


で、結果は「ただのイボ」でした。

今は 「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉を実感している私。

あの、しおらしさは何処へ??



2005年02月25日(金) 来ました!

来ました! やっと来ました!!

主人はニコニコです。

だって、みんなに猛反対されたにもかかわらず
めげずに自分の欲しかったのをゲットしたんだもの。

最初は、私も反対しましたよ。
この時ばかりは、私も親達とグルになって
主人に反対しました。

主人は四面楚歌というか、三面楚歌だった。

だって、どうみても実用的ではないし・・・
私は、目立つのは嫌いだし・・・

親達は「いいトシして、頭がイカレテルみたいや」
私でさえも「調子ノリみたいでイヤだ」

でも、一番先に陥落したのは私です。

毎日、片道60キロ以上の距離を車で通勤する主人、
朝早く家を出て、夜遅く車で帰宅する日々、

通勤車くらい自分の気に入った車を運転したい、
そう言うのは当然のこと。

ほんとうにそうですね。

すぐに寝返った私です。 

娘も主人の強力な味方になりました。

でも、通勤だけにしてね。 私はいっしょには乗らないよ。

それにルーフは開かないでね。

どうぞ写真を見てやってくださいな。
ここ



2005年02月24日(木) 何が言いたいのかって・・・

「長男だけは、やめとき。 結婚するなら絶対に次男か三男と!」

娘がまだ結婚を考えるような年頃でもない頃から、
私はいつも言い聞かせてきたつもりだった。

だのに、娘の相手は、やっぱり長男、

娘曰く、自分の好きになるのは、やっぱり長男だと思う。
次男とか末っ子の知人や友人はいるが、
どこか自分と性格が合わないのだ、

わがままで、自由奔放過ぎたり、
のんびり屋で、いつまでも親に甘えている感じの人が多い、

ということだそうだ。

たぶん・・・たまたま、そうだったのだろう。


正直、私は主人の親をけっこう尊敬している部分もある。

80歳になってもまだ、独居老人向け給食作りの
ボランティアに参加している義母は、私の自慢だ。

二人でせっせと畑で野菜を作って、我が家にはもちろん
近所や友達にも配っている。
生き方そのものが、ボランティア的な人達だと思う。

まさに、「子供や孫のため、近所の人々のため、
少しでも人様のお役にたてるのなら」 と老体に鞭打って働く。
心から立派だと思っている。

でも、それ故、常に「手抜きをして、少しでも楽をしよう」
と企んでいる嫁にとっては、チっと煙たいのも事実だ。

だから、エアロに通うのも、もちろん極秘行動だ。
自分の息子が汗水流して働いて得たお金を
嫁が体操やプールなどに、使い込んでいると知ったら、
非難轟々となるのは、わかりきっている。
あの年代では、無理もないことだと私にもわかる。

私達の間にある大きな壁は、嫁姑の確執というよりは、
単に、どこの家庭にでもある親子間の世代の格差だ。

孫の教育問題、成績、進学、すべてのことに、
親以上にカッカッと熱くなり、熱心だった二人を
私はひそかに「教育ジジババ」と呼んでいたよ。

「なんで、もっと子供に勉強をさせないのか」
「なんで、学習塾に行かせないのか」

毎回、毎回、同じことの繰り返し。

「あんた達のためを思って、言ってるのだ」そうだ。

たしかに・・・

古い考え方が必ずしも間違ってるわけではないと思う。

しかし、何十年も昔、私自身が中学生時代の反抗期に思ったこと、

「良い成績をとって良い学校に進学することが、そんなに大事なの?!」

というセリフを、再び、夫の親を前にして、叫びたくなる時がくるなんて、

思ってもみなかった。 因果なものね。


どうして、こんな話になったのかなあ。

要するに、たとえそれが善意の塊であったとしても、
子供にとっては、親の古い考え方を当然の如く強要されるのは、
とても苦しいものだということ。
時代はどんどん変化しているのだ。

その点、次男はいいな。
長男は、長男であることだけで、しんどい部分があって・・・

さて、私がいったい何を言いたいのかわかりますか?


話が非常に飛躍してしまうのだけど、

「私は皇太子様の味方です」

って、これが言いたかったんです。
それだけのために、こんなに延々と書いてしまったのね。

別に争いごとになっている訳でもないし、
変なオバサンが味方になって、かえって御迷惑でしょうが・・・



2005年02月23日(水) ある「始まり」

先日、ある「始まり」を認識してしまいました。
残念ながら、それは少し深刻な、少し悲しい「始まり」です。

義父母から娘の結婚祝いを頂いたのは、つい最近のこと。

私達からすれば、かなりの高額なお祝い金、
娘共々ほんとうに感謝していました。

娘は、口座に振り込まれているのを確認した後、すぐに
東京からお礼の電話をしたと言います。


でも、「まだ、○○(娘)から何の連絡もない」
と義父母から言われたのは、それから五日後くらいのこと。


娘は、祖父母三人の誕生日をきっちり覚えていて、
毎年忘れずに必ず「おめでとうコール」をするような性格、
お祝いを頂きながら、お礼の電話をしないということはありません。

もちろん、電話をしていないのに「した」とウソをつく娘でもありません。

「ちゃんとお礼を言った、って言ってたよ」と主人も言います。

でも首を横に振る二人。

「何の連絡もないので、娘の口座にちゃんとお金が入ったのかどうか、
とても心配している」と義父は言います。

ともに80代といえども、とてもシッカリした両親です。
忘れっぽくなったのは、私も含めてお互いさま、
でも、最近のことなのに、完全に記憶が欠落するということは、
今までなかったのですが・・・

ちょっと、気分が塞ぎましたね。

小さなことだけど、これから先、こういう事が延々と続くのだろうかと。

でも、とにかく、二人には全くその記憶はないのです。
だから、孫である娘からの電話を、まだ待っているのです。
孫がよろこぶ声を聞きたいのです。

ということで、娘は、あらためて、再度お礼の電話をしました。

お礼の電話というのは、多過ぎるのに超したことはありません。
これからは、一度だけでなく、二度、三度、お礼を言えばいいのだ、
ほんとうは、そうするべきだったのかな、という思いに至りました。
そうすれば、シッカリ記憶にも残るでしょう。

娘が東京から電話をする時、義母は用件だけ聞くと、
いつもすぐに電話を切ってしまうそうです。
「東京からの電話代、高くなるから」と、気を使ってくれるのです。
娘は、もっとゆっくり話したいそうですが。

電話をすぐに切ってしまうのは、義母の方なのだけど、
短い電話は、全く記憶に残らないかもしれないと、これからは思うことです。

だから、ほんとうは、お礼状の葉書も送るべきだったのでしょう。
メールでのお礼は、すぐに書けるのですが・・・


これから、こういうことが、増えてくるのかな。

少々心配をしている遊び盛りの嫁です。



2005年02月22日(火) 親バカ

週末の金曜日には、結婚式の打ち合わせのために娘が、
土曜日には、就職活動の一環として大阪に来た息子が、
それぞれに緊張感と忙しさとを伴って、我が家に帰って来た。

淀みがちな空気の我が家に、束の間、爽やかな風が流れるひと時。

就職活動真最中の息子が帰ってきたのは、土曜日の夜10時頃、
東京で面接を受けてきたそうだ。
翌日の大阪での企業説明会に参加するために、
下宿先の名古屋には戻らず、新幹線で直接我が家に帰ってきた次第。

見違えるほどの、りりしい背広姿の息子の登場にみんな感激! 
まさに「馬子にも衣装」という諺どおり。

単に、背広という服装だけの問題ではなく、
企業との初めての面接を経験してきた息子は、
親の目には、今まで見たこともない、パリッとした男前に映った。

(これぞ、まさに親バカチャンリンなり)

しかし、現実は厳しいと思う。
理学部、大学院卒、という肩書き故に、さらに厳しいものだと思う。

父と姉が、息子の就職活動について、いろいろアドバイスをしていたが、
心身ともに落ち込むことなく、頑張ってほしいと願う。


...........................................


「おい、もう、みんな起きてるぞ!」と
主人に叩き起こされたのは、翌朝の五時過ぎ。

ええっ・・・早過ぎるよー。今日は日曜日なのに・・・
それに、昨夜は興奮して、あまり眠れなかったのにー

グズグズする私に、珍しく怒った口調で、主人が追い討ちをかけた。

「母さんが起きないから、お姉ちゃんが替りに朝飯を作ってるぞ!!」

あわてて、下に降りていくと、娘が必死で卵料理と格闘していた。

息子は「小魚入りなたね」を食べたかったようだ。
高校時代、大好きだったお弁当メニューだ。

「おふくろの味」の出番を、早起き娘に奪われてしまった私は、仕方なく
「八時に家を出ると言ってたのに、早過ぎるやん」と文句をたれて、
少々、ふてくされ気味な母となる。

しかし、息子は、日曜日だというのに、再び背広姿で出陣して行った。
疾風の如く現れたかと思うと、またすぐに出て行った息子、
説明会終了後に名古屋に戻るそうだ。


そして今朝、娘も早朝便で東京に戻り、そのまま出社。

みんな、それぞれの戦場へ出かけて行った。

私はといえば、久しぶりに、ひとり、のほほんとパソコンに向かう。



2005年02月18日(金) ヘソクリが・・・

ある日、フとした所から、すっかり忘れていたお金が出てきたら、
やっぱり嬉しいものですよね。

決してヘソクるつもりはないけれど、手も切れるようなピンピンの新札が
偶然手に入った時、それを大事に封筒に入れて、とって置くという行為、
それは、特に珍しいことではないと思います。
お祝い事や何かの時に、手元に新札があると便利ですから。

でも、その大事にとっておかれた新券の一万円札、
なかなか出番がなかったのでしょうね。

もともと、常に先のことを考えて、備えあれば憂い無し、
というタイプではありません。
しかも、とても忘れっぽくて気楽な性格。
(そういう人は、あまり先の準備など、何もしない方がよろしいかと・・)

そんな私なので、新札を入れた白い封筒のことなど、いつの間にか、
すっかり頭の中から消え去っていました。

と、ここまでは、けっこう、よくありそうな話です。

私は、その封筒に手紙を入れて、友達に送ったのでした。

どう見ても、真新しい白い封筒。

二重構造の封筒は(ちょっと高級)、厚めの生地で、縦長で
すっぽり入り込んでいるお札の存在に、全く気付かなかった!

というのは、やっぱり、私だからでしょうね! きっと・・・

でも、手紙を受け取った友人は、ずいぶん悩んだそうです。

手紙とともに出てきた、ピンピンの一万円札、
手紙の内容は、一切そのお金のことに触れていない、

お金を貸した覚えもない、お祝いをもらうような事もない、

家族四人で必死で考えたそうです。

「きっと○○さん(私のこと)は、宝くじで百万円当たったんやわ。
それで私達に恵んでくれたのだから、これは、もらっておこうよ!」

なんて話にもなってたんだけどね、と後日
友人は笑いながらお金を返してくれました。(ほっ・・)

しかし、「あのお金、なに?」と、突然電話で言われても、

「はぁ??  お金って?」

「手紙に同封してたでしょ。一万円」

「ええっ!! うそー! なんで?」

自分の頭の中で、話の辻褄が合うまで、かなりの時間を要しました。

もう、ずいぶん前の話なのですが、それ以来、慎重になりましたね。

封筒、スーパーの袋、紙袋、きっちり調べます。

(お金が出て来るかも・・)という期待感は、いつも裏切られますが。



2005年02月16日(水) 体験

少々過剰気味になってきた、私の体内蓄積エネルギー、
その消費が主な目的で、ボランティアを思い立った私。

先月、町内のお年寄り宅への、配食ボランティアの登録をした。
そして今日が初めての、私の活動日。

登録日から今日までの約一ヶ月間、
ボランティア登録をしたことを、徐々に後悔し始めていた。

シニアの人と組んで、二人一組で作業をするということを、
説明された時から、迷いが生じ始めた。

シニアの人って誰?
気難しい無愛想なおじいさんだったらイヤだなあ。
(恐いオバサンだったらイヤだなあーと思われていたかも)

こう言っては何だけど、身内以外の男性と二人きりで、
車に乗ったことなんて、今まであったかな?
タクシーは別として・・(なんという人生経験の貧しさよ)

きっと、シニアの人に気を使うのだろうなあ。
ボランティアなんかしなくても、ジムに行けば、
じゅうぶんエネルギーを発散できるのに。
なんで、ボランティアなんかに挑戦する気になったのか。

決心してから実行日までの期間が長いというのは、問題だ。
意志の強くない人間は、途中で気持ちが揺らぐ。

でも、一度も実行せずに辞めるのは、あまりにも無責任、
二月、三月の予定表に、私の名前は既に組み込まれている。

ということで、今日、おっかなこわごわ状態で家を出た。

幸いにも、心配したシニアの方は、とても優しい方。

配達先のお宅でのお弁当の渡し方、返却されたお弁当箱の処理方法、
など、いろいろ教えてもらいながらの配食作業。

そして、なんの因果だろうか。

私達夫婦と主人の親達との間で、先日から繰り返されていた議論、
子供を親の元に縛り付けるのはいけない、とか
就職のために、家族が離ればなれになるのは仕方がない、とか、

その結果を、今日、目の当たりに見たように思う。

シニアの方が、一軒一軒、説明して下さる各ご家庭の事情。

老夫婦の二人暮しだけれど、奥様が寝たきりのお宅とか、
息子夫婦が遠くに住んでいる独り暮らしのお宅とか。

「お弁当を持ってきました」と声をかけると、
奥の方から腰を曲げてゆっくり出てくる方、
歩くのも不自由な方、以外にシャンシャンとお元気な方、

私達がまわったのは24軒、時間にして約2時間。

その中で、私が一番、困ったこと(あわててしまったこと)は、
我が家のすぐ目と鼻の先の御近所への配達があったこと。

主人にも近所の人達にも、何もまだ言ってないのに。
続くかどうか、全く自信が無いから、ナイショ事なのだ。

なのに、見知らぬ男性と二人で車に乗ってウロウロしている所を、
よりによって、近所の友達の旦那様に目撃された。

ま、変な噂が飛び交うような年齢ではないけれど。

公用車だということにも、気付いてくれたと思うが・・・



2005年02月15日(火) バレンタインデー

昨日はバレンタインデーでした。

私の中で、このバレンタインデーは、全く根付いていない行事のひとつ、
当然、何事も無く、チョコもケーキもなく、バレンタインの「バ」の字さえ、
発せられることもなかったのでは? という昨日でした。

その前日、たまたま和歌山は岩出町の、とあるショップにて、
紳士物の冬物セーターが半額なのを見つけて、
胸元にGolden Bearの刺繍なども付いていたので買いました。
強いて言うならば、それが主人へのチョコレートの代用になるかも、
いや、そういうことにしよう、と、今、強く思っているところです。
(今晩、主人が帰宅したら、さっそくホワイトデーの話をしよう)

息子が小学校4年生の頃、もう十四年ほど前になりますが、
バレンタインデーの前日、ニコニコと嬉しそうに言いました。

「ボク、あした、○○君とね、チョコレート交換するねん」

「えっ? 男どうしで?・・・」

「うん、これから買ってくるから、百円ちょうだい」

それは、嬉しそうに買いに行きました。

あれは、今で言う、友チョコのハシリでしょうか。

中一の時は、ちゃんと女の子から、本命チョコをいただいたようです。
やっぱり少し嬉しそうでした。
やっと、バレンタインデーの意味が理解できるまでに成長したのだなあ、
と、ちょっぴり安心したものでした。

ホワイトデーには、クラブ活動を終えた夕方遅くに、
母親が準備したプレゼントを持って、お宅に届けに行きました。

「ピンポーン」と鳴らすと、彼女だけでなく、
お母さん、お父さん、兄弟まで、全員外に出てきて下さったそうで、
お返しのプレゼントを手渡すなり、すっ飛んで帰ってきたようです。

息子の可愛い思い出です。

しかし、それ以来、バレンタインチョコには縁の無いまま、長い時間が過ぎました。

おわり(つづきを書けなくて残念・・・)



2005年02月14日(月) 嫁の日!

毎週土曜日は、「嫁の日」。
正確には「嫁を演じる日」と言った方がピッタリでしょうか。

土曜日は、主人の両親が、我が家に来る日です。
雨が降ろうと、槍が降ろうと、誰かが風邪などひいていても、なんのその、
という感じで、土曜日はやってきます。 一週間は早い!

だから、週一だけネコを被って「にわか嫁」に化けている私は、
ずっと毎日、旦那様の御両親と同居されているお嫁さんを、
心から尊敬しているのです。

でも、そんな週一嫁にとっても、先日の土曜日は、良い日でした。
かねてから、親達のグチの原因となっていることについて、
私達夫婦と両親と、いろいろ話し合いをしました。
この日の義父母はとても心穏やかで、明るくて、子供や孫のことを、
心から思ってくれている優しい親でした。
むしろ、私が一番、感情的だったかもしれません。(お恥ずかしい・・・)

子供達が就職や進学などで、親元から離れてしまうことを、自分達は決して止めない、
ということを主人は上手に説明したと思います。

大昔、稲作の技術が入ってくるまで、人間は狩猟民族だったこと、
稲作が定着し、人間が農耕民族となり、土地に定着するようになり・・・
と、そんな話から説明した主人でしたが、聞いていて面白かったのです。
代々サラリーマン家系の我が家は、狩猟民族ということなのですね。
生活のために獲物を求めて、移動することも必要なのでしょう。
特に、今の就職難の時代に大阪で就職しなければダメだ、などの制限をかければ、
ますます就職が難しくなってしまいます。

主人の説明を、快く理解してくれた両親でした。
そんなものかも知れません。
わかっていても、何かのひょうしに、出てしまうのがグチというもの。
体調や機嫌のよい時は、理解力溢れる優しい人なんです。お互いにね。

年寄りに自分達の気持ちを理解してもらおうと、穏やかに、筋道をたてて話した主人も、
それなりに歳をとったんだなあ、と感じました。
若い頃は、気短かな一面もあったのに。

いろいろな日々を繰り返しながら、私達も歳をとっていくのですね。

でも、心配なんです。
いつまで、週一だけのネコ被り嫁でいられるのでしょう。

同居して、毎日ずっと顔を合わす生活になったら、もう「素」で勝負するしかないのね。
毎日嫁になるなんて、私には無理なようなー

とても不安です。

でも、私以上に、他の人達はもっと不安でしょうね。

それにしても、土曜日以外の私って、嫁でなければ何なんでしょう。
妻? 母? ただのオバサン?



2005年02月11日(金) 勘違い

ちょっと昔の話ですが、
今でも、時々思い出して笑ってしまう、私と義母との会話です。

某宅配便の事務所でアルバイトをしていた頃のこと。
定年後、会社から依頼された義父が、管理していた職場でした。

朝、義父から、「ハイ、おばあちゃんから」と言って、キュウリを渡されました。
畑で採れたばかりのデカキュウリが、五、六本、入った袋です。

せっかくの義母から貰った採れたて新鮮野菜、
なのに私は事務所の机に置いたまま、忘れて帰ってきてしまったのです。
車で三十分か四十分の事務所、わざわざ取りに戻るのもちょっと面倒でした。

まあ、いいや、明日も行くのだから、と思っていた矢先に、
義母から電話がかかってきました。

「あんた、まだキュウリ、もらってないんやろ」 なんだか深刻な口調。

(大げさやなあー キュウリごときで・・・)

「あっ、今朝、貰ったんやけど、私、忘れてきてしまったんやわ」努めて、明るく。


「えっ? どこへ?」と、びっくりする姑。

(もう、たいそうやなー、キュウリごときで・・・)


「机の上に置いてきたんよ」明るく、明るく。

「ええっ! なんで、机の上に置いたん。すぐにカバンの中に入れんとアカンで!」

ちょっと、怒ったような感じ。

(もぉ〜、大げさなんだから・・・ キュウリごときでぇー)



「でも、私のカバン、入れへんし・・・」

「えっ、そんな、小さなカバンか!?」

(財布とハンカチとティッシュだけ入れてる、バッグなんやけどなあ)


「カバンに入れへんのやったら、机の引き出しにでも入れなアカンやんか!」

ちょっと、声が高くなる義母。

(引き出しに、キュウリを入れるのもなあ・・なんだかなあ・・)


と、そこまできて、やっと、やっと、私は気付いたのです。(鈍感かも・・・)

私はキュウリのことを言い、義母はキュウリョウ(給料)のことを言っていると。

たしかに身内の気安さからか、義父は私のアルバイト代を時々忘れてしまい、
その時も、何日か過ぎていました。

それを知った義母が、私がお給料を受け取ったかどうかを気にして、電話をくれたのでした。

私は、自分の忘れてきたキュウリのことばかり思い、
義母は支払い忘れている、お給料のことばかり思い、

しばらく、平行線の会話が、トンチンカンに続いたのでした。

バッグに入りきれないほどのお給料、欲しかったなぁ



2005年02月10日(木) 更年期だから?

昨日、義母のグチが増えて、ちょっと精神的にまいってしまっている、
ということを書いた。
義母のグチは、決して意地悪から発祥したものではないが、
孫達が近くにいないことが、不満でどうしようもない気持ちが、
日々高まってきて、抑えようがないように思える。

「誰が家を継ぐんだ」と義父も怒るが、代々サラリーマン家庭なのだ。
継ぐべき仕事も無く、ごく普通の家があるだけだ。
田舎だけれど、田畑や山林など、我が家には何もない。
なぜ、孫まで、この家に縛ろうとするのか。

好んで家を離れる必要はなくても、進学や仕事の都合で遠くに行くことを、
ただただ、自分達が寂しいからという理由だけで、抑えつけるべきでないと思う。
私達は自分の子供達に対して、そう思っている。

でも、義父母はちがう。年代の差もあるのだろう。
だから、私達は親が寂しくない場所に、この土地と家を買った。
高いローンと毎日の遠い通勤、楽な方ではないと思う。
(ローンは、最近、やっと終了したが。)

職場の近くに住んでいて、滅多に親と顔を合わすことの無い次男夫婦が
羨ましくてしかたがないよ。
離れていると、お互い、良い面しか見ずにすむから。



と、もうこの辺で、私のグチは終わります。

なんだかんだ言っても、主人は、とても優しい人。
一人暮らしの私の母にまで、私以上にアレコレと気を配ってくれる。

娘や息子も、それぞれの場所で、元気に毎日を送っている。
ほんとうに感謝!

私はといえば、エアロに通い、パソコンで遊び、たまに友達とランチやケーキ、という生活、

なんで、親のグチのグチなんか書くのだろう。
それくらいのこと、考えてみれば、何でもないのに。

これも、更年期だから?  

最近、このセリフに、はまってる。いい逃げ場所かな。
仮病なんだけど、今、言わないとソンな気がするのは何故だろう・・・
ひょっとして、私、もうすぐ老年期?!?!?




2005年02月09日(水) 愚痴

このところ、少し精神状態が良くない。

エアロビクスで気持ちのいい汗を流し、パソコンに向かう日々、
日、一日と、確実に成長している庭の植物を見て、春を感じる日々、
ひとり静かに、好きな本を読み、ウトウト居眠る日々、

贅沢で気ままな時間を過ごしている私が、
どうして、こんなに、ささくれだった気持ちに陥るのだろう。

80歳になる姑の愚痴が、最近ますます活発になってきたように思う。
歳をとり、愚痴っぽくなるのは、仕方がないにしても、
会う度に、愚痴を連発されるのは、やはり辛い。
愚痴なんて、お年寄りの特権みたいなものかもしれないが。

娘は東京、息子は名古屋、私達は大阪、
みんな離ればれなのが、年寄り達は気に入らない。
子供達は、それぞれの場所でちゃんと生活しているのに。

私がこの状況に平気なのが、姑にはますます気に入らない。
ことあるごとに、私にごねるようになってきた。
最近、特にひどい。歳のせいなのだろうか。

母親がシッカリしていないから、娘は東京勤務になり、
息子は名古屋大学に行ってしまった、ということらしい。

知人の娘さんが薬剤師になったと聞けば、
なぜ、うちの娘を薬剤師にしなかったのか、
「そこのお宅は、小さい時から、そういうふうに
母親がちゃんと教育してたからやろなあ。」と、くる。
(ちなみに娘は文学部卒、いちおう、業界のトップ企業に就職)

知人の公務員の息子さんの話を聞けば、こう言う。
「小さい時から、親がちゃんと仕込んでるから、公務員になって、えらいなあ。」

心から、それを羨ましく思っているようだ。
要は、自宅から離れない子供達が理想というわけだ。

会う度に、同じことばかり、私を相手にグチる。

「なんで東京なんかに行かしたのか」
(大阪で就職試験を受けたが、東京勤務になった)

息子は絶対に大阪で就職させろって、
(そんな我が儘を言う余裕ないよ、この就職難の時代に)

こちらは、ほんとうに病気になりそうだ。
近くだけれど、同居でなくて、よかったよ。

年寄りのグチは、聞き流しておけ。いちいちメクジラを立てることはない。
と、主人は言うが・・・
三十年間、そうやってきましたよ。

でもね、私だってね、実は今、更年期障害なのよ!
 
(と、一度、言ってみかったんだ。 更年期が終わらないうちに)

三十年の間に、二回、両親を相手に大爆発を起こした。

また、爆発しそう?

いいえ、なんだかんだ言っても、姑のグチは「意地悪」から出たものではない。
私達を心配しているのだ。
自分達がいなくなった後で、私達夫婦が年老いて二人きりになった時のことを。

グチの根源は、たどって行けば最終的に「やさしさ(?)」に到達するのだ。

それは、わかっているのだが・・・



2005年02月07日(月) 私が古いのか・・・

この週末、結婚式場との打ち合わせのため、娘が帰省、
東京に暮らしている二人が大阪で挙式するとなると、ほんとうに大変だなあ、
と、他人事のように呟く気楽な母親になっている私。

義母から、厭味をチクリと言われたりもする。
「昔はね、親が結婚式場へ行ったで!」なんて。

そうかしら・・・

私達だって、自分で式場を決めて予約し、引き出物、料理も自分で決めましたよ。
ただ、あの頃は、打ち合わせも簡単だった。
公立の安い式場だったからか、オプションなんて何もなかったもの。
ウェディングドレスもすぐに(二着目で)決定したし、お色直しの衣装は親戚から借りた。

東京にいる娘の替りに、母親の私が結婚式場に行って、ドレスや髪型はともかく、
テーブルのセッティング、ウェディングケーキ、引き出物、その他いろいろなオプションなどを、
母親の私の好みで決めたら、いったいどうなることでしょう。

自他ともに認める、超ダサい趣味の人なのに!
それに、できる限り、無駄遣いを慎むタイプだ。
きっと、愛想も素っ気もない結婚式となってしまいそう。

二人で頑張って貯金して、結婚式を挙げるんだから、
私達が、昔の感覚で、要らない口を挟まない方がいいと思う。
けっこう楽しんで、大阪と東京を行ったり来たりしてるのに、
どうも年寄りから見ると、「かわいそう、大変だ、」になるようだ。


そう言いながらも、今回、ちょっと強く口を挟んだことがあった。
娘の友人が、六ヶ月の赤ちゃんを式に連れてくるという。
話の感じから、「やむをえず」ではなく、連れてきたいらしい。

ついつい言ってしまった。

「私達の年代の人間からいうと(あまり言いたくないフレーズだ)、
6ヶ月の赤ちゃんを友人の結婚式に連れてくるなんて、非常識!」って。
身内や親戚の場合はその限りではないが。

誰も預かってくれる人がいない場合ならともかく、彼女のご実家、婚家は同じ町内だ。
ちょくちょく、赤ちゃんを連れて実家に帰って来ているし、御主人もいらっしゃることだし・・・

第一、赤ちゃんもかわいそうなのでは? なんて考えは、要らぬおせっかいか。
式場だって、そんなに近くというわけではない。
結婚式、披露宴、二次会、その間、ほんとうに大丈夫なの?

赤ちゃんを連れていることで、周囲の人達に、何も気を使わせないって自信はある?

と、こう書くと、いかにも私ってキツイ人間だなあ、と思ったりもする。
でも、決して赤ちゃんは嫌いではないよ。

これもまた、私が古い人間だからだろうか。



2005年02月04日(金) The Letter

昨日の日記の続きです。
実は、まだ続きがあったんです。
それを書こうかどうか、とても迷いました。
私にとっては、そっちの方が意味が深いのです。
でも、読まれた方は、おそらく、しらけてしまうかも。

あの幸運の二通の手紙の他に、まだもう一通、手紙を受け取っていた私。
それは、ほんとうにその何日か前に届きました。
実は、この12月にも例年通り届いたのですが、それは破棄されました。

そう、UNICEFからのレターです。

今回は、「緊急」と赤文字で書かれ、
「スマトラ沖地震、津波緊急募金」ということでした。
「津波が襲い、伝染病が襲う。もうこれ以上、大切な命を失うことはできない!」と。

それでも、とても迷いました。
12月に「国境無き医師団」の方に、自分としては頑張って募金したつもりでした。
でも、あの時は、まだスマトラ沖地震は起こってなかったのです。
いろいろ迷っているところに、ちょうど買う予定だったETC車載器が当選したという知らせ。
これを「早く募金に行きなさいという合図だ」と思ってしまう性格が古い。

それでも、その日に郵便局に行かなかったのは、とても寒かったから。
車で行かないのは、メチャクチャ使い勝手の悪い駐車場だから。
カードによる募金も可能だけれど、出来る限りカードNOを出したくない。
そして、何より、まだ迷い心もあったという往生際の悪さ。

そして、翌日、予想通り決心が薄れかかったところに、
またまた手紙が・・・という状況だったんです。
4年前の入院費の計算間違いによる差額返還、(そんなことって、ある?)
それも郵便局での受け取りなんて。
ほんとうに「郵便局に行けぇ〜〜!!」と背中を押された気分になってしまいました。
私って、昔な人間なんですね。
さすがに、その日は、すぐに行きました。

もちろん、募金もしてきました。
ヤレヤレです。

しかし、そこまでお膳立てしてもらわないと、振込みにいけないなんて・・・



2005年02月03日(木) こんなことって、ある?

最近、郵便物絡みで、ちょっと珍しいことが続いた。

「印鑑をお願いします!」という声とともに届いた白い封筒、
差出人は「日本自動車連盟」いわゆるJAF。

しかし、なんで印鑑が必要なんだろう?
商品券でも同封されてるのかも♪ なんて期待してしまうではないですか。

JAFから届く物といえば、定期的に送られてくる会員証、及び
JAFの雑誌以外に思い当たらないけどね。

封を開けると、あら、まぁ!「ご当選案内」という文字が飛び込んできた。
えっ? 何が当たったの? 何も応募したこともないのに。

どうやら、永年継続している会員の中から、抽選で選ばれたということ。

そりゃあね! だって、三十年間も年会費を払っていて、
まだ一度もお世話になったことないんだもの。

景品は、なんと、近々購入する予定の品物だったよ。
日本橋や、カー用品ショップ、ネットなどで
ちょうど、値段や性能を調べている最中だった。

それはETC車載器。
毎日、阪神高速を利用して通勤している主人にとって、
高速道路の回数券が無くなってしまうのは、ちょっと辛い話。
百枚単位で購入すれば、かなりの割安となっていたらしい。
日によっては、湾岸線も利用していたし、
とにかく、ETCに切り替える準備に入っていたところだった。

帰宅した主人は、景品の写真を見て「なんや、型が古いやんか」
などと文句をチラッとたれていたけれど、
いえいえ、タダで頂けるのですぞ! 贅沢を言ってはいけません。
(でもね、今まで払い込んだ会費を考えると・・・ハハ・・私も欲が深い)


そして翌日、また白い封筒が届いたのだ!

今度の差出人も、私にとっては「えっ?」という感じだった。
市民病院には、先日も行ったばかりだけれど、
いったい、病院から私宛に何を郵送してきたのだろう?

一枚の郵便振替支払い通知書と手紙が同封されていた。
手紙の内容は、なんと、ちょうど4年前の私の入院費用の
算定方法が間違っていたので、差額分をお返しします、ということ。

返して頂ける物は、頂いておかなくては。たとえ824円でもね!
(四年分の利子を付けてよ!なんて、そんな厚かましいこと、絶対に言いません)

二日続いて、期待も何もしていなかった、突然の贈り物(?)が
郵便で届いたものだから・・・

郵便屋さんのバイクの音がする度に、また淡い期待を抱いてしまうのです。



2005年02月01日(火) 雨の日に出会った人

沖縄二日目の午後、それまで何とか持ち堪えていた天気、
残念ながら、本格的な雨となりそうな気配になった。
それでも、私が「行く!」と言って譲らなかった観光スポット、
亜熱帯の自然、ランの花々などをテーマとした「ビオスの丘」。

「ええやん! 傘をさしながら花を見れば」と悪条件にもヘコタレナイ私。
しかし入園した頃には、ほんとうにザザ降りの雨になってきた。

小道の両脇で無残にも雨に打たれる、たくさんのランの花達、
太陽の光を浴びて、もっと美しく、楚々と咲きたかっただろうに。

観光客の少ないこの時期、しかも平日で雨降り、
こんな日に、広い自然植物園を、高い料金を払って、
雨に濡れながら歩きまわる物好きは、私達だけ?

と思いきや、ジャングルクルーズに三組の客が乗船した。
若いカップルと子供づれファミリー、そして私達。
ビニールの屋根付きの船だから、雨には濡れないだろう。

いよいよ出航という時になって、船頭兼ガイドのお兄さんの
「あなた、芸能人ですね!」という声が耳に入ってきた。

その言葉にハッとなって、ガイドの視線をたどる私。
しかし、通路の反対側に座ってるその人、私の位置からはハッキリ見えない。
かろうじて、首の細い綺麗な横顔がチラリ。
ジーンズに白いブラウス、自然な感じの化粧。
「誰?」と主人に尋ねるが、芸能人に全く無知な二人はわからない。
連れの男性も、帽子を深く被り、眼鏡をかけて俯いている。

さて、楽しい船頭のガイドで、湖畔の植物やランの花、
水鳥などを観察しながら、船は湖の中をゆっくり進んだ。
ガイドのお兄さんは、園内の動植物の説明をしながら、
客の私達にいろいろな問題を出して、回答を迫る。
芸能人のその人、自然な感じで周りの雰囲気に溶け込んで、
とてもいい印象だった。
三択問題の時も、きっちりと手を上げているし、
ガイド先生の質問にも、みんなに混じって、気さくに答える。
船内は、和やかで楽しい雰囲気だった。
ガイドが教えてくれなかったら、私はその美しい人を
芸能人だとは、決して思わなかっただろう。

下船して、家族連れの人が「いっしょに写真を」とお願いすると、
「あっ、ありがとうございます。」とニコやかに並んで立った人。
(私、ファンになりそう)

船着場の売店でこっそり尋ねた。
「モデルの○○○さんですよ。」
「ふ〜ん・・・どんな漢字?」
「???? さぁ・・・ドラマやCMに出演されてますよ」
トンチンカンな質問だったようだ。

帰宅してからネットで調べた。
ひらがな、アルファベット、両方で名前が出ていた。
お隣の男性は旦那様だったのね。

でも、ネット上で見る彼女は、いかにも美人のモデル。
田舎者のオバサンには、近寄りがたい雰囲気の人。

雨の日の植物園、思い出にほんのり色を添えてくれた人。
これから、テレビをもっと注意深く見なくては!



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