LOTUS BLOOM 通信(英語・翻訳学習編)<2007年4月6日〜>
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2004年08月29日(日) 目指すはフルマラソン!?

オリンピックに感化されたわけじゃないけれど、最近、なぜだか無性に走りたい気分。

理由その1は、テニスやジムでのエアロビクスなんかをやっていて、身体についてる無駄な脂肪をすべてそぎ落としたくなったから。私が行っているジムでは「Dr.フィットネス」といって、機械で体型や筋肉量、体成分などを分析して、それをもとに「フィットネススコア」というのが算出される。70〜85が一般で、90以上は「アスリート」に分類される。8月23日現在の私のスコアは92。筋肉量が増えるか、体脂肪率が減るかすると、スコアがあがる。これがどこまで上げられるか、チャレンジしてみたい。

理由その2は、テニスは上達の程度がなかなか図りにくいけど、長距離走なら距離や時間など、具体的な目標を段階的に設定できる。客観的に自分のポジションが捉えられるから、モチベーションを保ちやすそう。

理由その3は、もともと苦手な長距離走ができるようになることによって、自分が変われるというか、自信を持てるような、そんな気がするから。
マラソンの基本のトレーニングはLSD(Long Slow Distance)と言って、まずはゆっくり長い距離を走ることなのだとか。早速明日ジムに行って、トレッドミルにチャレンジしてみよう。とりあえずは、脂肪燃焼が活性化するという20分程度が目安かな。

そのうち、フルマラソンを走れるようになったらいいな。何年かかるかわからないけど、マイペースでやってみよう。

目標を持つと、それだけで前向きで明るくなれる気がする。それがうれしい。


2004年08月25日(水) 開き直るのが一番

朝10時からの週1回の診察で、昨日、会社側が言っていた「意見書」の件をお願いしてみた。
「いやあ、ここまで細かいことを頼まれるのは、なかなかないんですよ。普通は先日お話したようなことで、わかっていただけるんですけどねぇ……」
と、先生もちょっと困った顔。
「でも、それがないと会社として動けないって言われたものですから…お手数かけてすみません。」
「要するに、万が一再発した場合に責任を取りたくないと、責任逃れするためのものでしょ。」
ごもっともでございます。困惑しながらも、来週の診察のときまでに書いてくださるとのことで一安心。

6月に申請していた、いわゆる「32条」が認められて、診療費とクスリの負担がこれから5%ですむようになったのはありがたい。

ウチに戻ってきたら、会社の人からメールが入っていた。
>もう会社に復帰するということを聞いていました。
>あまり復帰前に話さないほうがよいかもしれませんが
>社長は状態が進行しています。
>会社はお休み前よりも悪化しています。

これを読んで気持ちがブルーに。

最初は今の会社に戻る気持ちはなかった。だけど、今の状態で転職して仕事も人間関係もまったく新しくなるのは心理的に大きな負担になるので、まずは会社に通って仕事をするということができるようになるまでは、慣れたところの方がいいだろう、と思ったのが復職を決めた理由。幸か不幸か、スズキさんもOさんも忙しくて転職活動が思うように進まなかったらしく、まだいてくれてるのは心強いし。

多分、最初の出社は9月の第1週辺りで、リハビリ出勤の期間はおそらく2-3ヶ月になるだろう。その間の身分は休職のまま。保険組合から傷病手当はもらえるけど、会社から給料が出るわけじゃない。ってことは、会社の仕事に縛られる必然性はないということ。

私は自分が元通り普通に働ける状態を取り戻したいから復帰する。だから自分にとって役に立ちそうなことは進んででもやる。だけど、そうでないことは拒否できるのであって、無理してやる必要はない。そう開き直って臨むのが一番だと思う。それが簡単に割り切れればいいのだけど。ああ、やっぱり不安でコワい……。


2004年08月24日(火) マニュアルがないと動けません

11:30から、人事マネージャーと営業ディレクターと、復職についてのミーティング。会社としては「先生のおっしゃることはもっともだ」ということで、基本的に段階的な「リハビリ出勤」を受け入れてくれるとのことで一安心。

ただ、すぐにというわけにはいかないという。よくよく話を聞いてみると、会社としては、不十分な体制で受け入れた結果、病気が再発することを一番恐れている。ついては、主治医の先生から、どの時期にどのくらいの勤務時間や業務が適切か、ガイドラインとなる「意見書」を書面で欲しい、とのこと。

慎重に対処してくれてる姿勢そのものはありがたい。でも、どの時期に顧客訪問が可能となるか、案件を独立して担当できるかなど、ウチの会社に独特の業務内容の細かいことまで主治医の先生に求めるのはいかがなものかと。それは私がグループの人たちと協業していく流れの中で、様子を見ながら自然にできるようになってくるものだと思うのだけど……。

「私は今後も毎週通院を続けることになってるので、様子を見てその都度先生からアドバイスをもらうということでどうですか?」
「いや、それだけでは根拠に乏しいんですよ」と人事マネージャー。
「では、もう一度先生との面談に立ち会って話をされますか?」
「いや、書面でもらわないと……。」
営業ディレクターは、
「細かい情報があればあるほど助かります。たとえば、声をかけるにしてもこれはいいとか、これはダメとか。」

要するに、確固たるマニュアルがないと動けないということなんですね。もう少し自分で調べたり、応用を利かすっていうことができないのかなあ。一応、調査会社に勤めてるんだから。

でも、会社がリハビリ出勤を認めてくれたことで、これで気がずいぶん楽になった。社会復帰へ向けて、大きく一歩前進。


2004年08月23日(月) 明日は会社とミーティング

本当は今日から復帰のはずだったのだけど、木曜日になっても会社から連絡がなかった。メールを出してみると、金曜日に
 >具体的にどのようなスケジュールで、どのような仕事をお願いできるか、
 >社内で検討しておりますので、もう少しお待ち下さい。
との返事があり、その後、人事マネージャーと現在のグループの責任者である営業ディレクターを交えて、明日、社外でミーティングを持つことになった。

周りの目があるから毎日定時に来なさいとか、案件担当しなさいとか、さもなければ営業ディレクターのアシスタントしろとか、ヘンな話になってなければいいんだけど。

いきなり大きな責任を負うような業務を持つのははムリだと思う。まずは会社に通い、そこで時間を過ごすことから慣れないと。

先日の主治医の先生の話、どんな風にどれだけ伝わってるんだろう。なんかコワイ。不安。




2004年08月17日(火) 金メダリストとの握手

4年前、シドニーオリンピックの数ヶ月前のこと。実家から東京へ戻るため、富山空港にいた。手荷物検査を受けるための列の、すぐ前に並んでいる男性の顔に見覚えがあってドキッとした。
(誰だっけ、誰だっけ……そうだ、塚原直也選手じゃない?)

待合室に入ると、彼はベンチに座ってマンガ雑誌をパラパラめくっていた。近くにはやはりテレビで見たことのあるお父さんとお母さんの姿もある。絶対に間違いない。周りの人は誰も気づいていない様子。思いがけない遭遇に、ミーハーの血が騒いだ。1人だし、あまり人の視線を集めるようなことはしたくない。かといって、この機会を逃がしたくはない。そおっと近づいて、思い切って話かけてみた。

「あのぉ、すみません。塚原直也さんですよね。」
「あ、はい。」
「握手していただけませんか?」
「あ、はい。」
少しとまどい、照れたような表情を見せながらも、右手を出してくれた。その手を私は両手で握りながら
「応援しています。」と声をかけたら
「あ、ありがとうございます。」
と返事を返してくれた。
手の感触はよく覚えていないけど、性格の良い好青年だなあ、という印象が強く残っている。

アテネオリンピックの男子体操団体、どうしても気になって一晩中ハラハラドキドキしながら、最後までテレビにかじりついて見てた。優勝決定のシーンは何度見ても、思い出しても涙が出てくる。

表彰台での塚原選手、最高の笑顔でした。3回目の挑戦での悲願達成、おめでとうございます。点数的に個人種目への進出はかなわなかったけど、他の選手から暑い信頼を得たチームの精神的な柱として、立派に役割を果たされていたと感じました。お疲れ様でした。

塚原選手との握手、ますます忘れられない、一生の思い出。


2004年08月10日(火) わかりやすい例え

復職のことで具体的に動き出してから、どうも気持ちが不安定になってきている。最近数ヶ月はなかったのに、去年の11月の終わり、「もうダメ、もう限界」と糸が切れた瞬間のフラッシュバックが数日の間に何度か起こっている。1人で部屋にいるといろいろな思いが巡ってどうも落ち着かないので、余計にテニスやジムでの活動にのめりこんでいる。汗を流しているときは、このことを考えないですむから。

今日のクリニックでの先生との面談、人事マネージャーが同席したいと連絡があったことを伝えると、では話す時間が長めにとれるように、と、当初の予約時間を変更して調整してくださった。私は少し早めに行って予め先生に自分の不安と希望を伝えておいて、先生の口から人事マネージャーに説明をしてもらった。

「たぁさんは、今は病気の症状もう消えていますが、まだスタミナが足りてないんですね。ですから、まずは会社へ行くというところからはじめて、様子を見ながら段階的に勤務の時間も負荷も増していく、とするのがいいと思いますよ。」
「そうですか。何分、ウチの会社にとっては初めてのケースなもので、どう対処すればよいものかと……」
「大きな会社では制度として整っていたりするんですが、一つの例としては、立場としては休職扱いのままでリハビリ出勤をおこなって、フルに仕事ができるようになった時点で通常勤務に切り替える、という方法がありますよ。それだと、保険組合からの傷病手当を受け取りながらですから、会社として給与を支払う必要はなくて、その代わりたぁさんも大きな義務や責任など、負担を感じるような仕事はしなくて、補助的業務にとどめておくと、と。」
「ああ、なるほどなるほど……」
人事マネージャーの声のトーンが明るくなった。

きっと、私がリハビリ出勤をお願いした際に会社としてネックになっていたのは給料のことだったんだろうな。マトモに仕事できんヤツにカネは払えん。給料払う以上は、しっかり仕事しろ、と。

「例えば、スポーツ選手が骨折した場合、骨がくっついたからといってすぐに全力疾走できるわけじゃないじゃないですか。まずは歩行訓練から始めて、ジョギングして、それから段々スピードをあげていって元の状態に戻れるわけですから。ですから、たぁさんの場合も、まずは週に1・2回顔を出して、極端に言えばお茶を飲んで、それで帰ってくる、って、そこから始められるようであれば理想的だと思うんでけどね。」
「ああ、それはなかなか良い例えですねぇ。」
社長へ説明する材料をゲットできてよかった、っていう感じの頷き方だな。

「では、たぁさんは、これからもまだ通院の必要というのはあるんですか?」
「そうですね。例えば高血圧の方が、一時的な症状が治まってもそれを維持するためにクスリを飲み続けられるように、この場合も、再発を防ぐという意味で、通常勤務が可能になってからもしばらくは通院・服薬は必要といえるでしょうねぇ。」
「はあはあ、なるほどね。わかりました。」

さすが先生、ポイントを抑えた説得力のある説明を、時間をかけてしてくださった。私はほとんど何も言わないまま。人事マネージャーは十分納得してくれた様子で、診察室から出てきて、「いやあ、ホントにいい先生だね。」

会社に持ち帰って社長たちと対応を検討して連絡します、と言っていたけど、今日の話の内容がそのまま社長に伝われば、大きく覆る決定はないと思うんだけど。そう信じたい。話に出ていたようなリハビリ出勤が認めてもらえるなら、私もかなり気が楽になる。

先生、予約時間を変更してまでの対応とわかりやすいお話、本当にありがとうございました。


2004年08月07日(土) 良い仲間

午後から花火大会へ。
テニス仲間を中心とした集まりで、参加者は30名近くになるとか。幹事さんは1週間も前から場所取りを、飲み物や細々したものを準備しておいてくれた。その尽力と手際の良さ、本当に頭が下がります。

私は3時集合組。駅近くのスーパーでオードブルなどの食べ物や氷を買出しして、会場に着いたのは4時近く。7時の花火開始までの間に2回も雨に降られるハプニングがあったが、そのおかげ(?)で、待ち時間はあまり長く感じなかった。

久しぶりに会った女の子。
「わあ、たぁさん、久しぶり〜。たぁさんのそのニコニコ笑ってる顔、大好きなの。また会えてうれしい!」

年上の男性。
「何かあったら、何でも相談しておいでよ。俺はもちろんいつでもきいてあげるし、Hさんとか、他のヤツにも言っとくから。あまり溜め込むなよ。」

職場以外の自分を受け止めてくれる場所があるのはいいなあ、と思えた。これで職場復帰への不安も、幾分軽減された気がする。

花火の美しさを楽しめたこともさることながら、良い仲間に出会えた幸せに感謝できた一日。


2004年08月05日(木) 復帰に向けての不安

現在、会社との間で設定されている休職の期限は8月22日まで。いろいろ考えたけれど、今転職して、仕事も人間関係もまったく新しくなってしまうのでは不安も負担も大きすぎるだろうと、とりあえずは元の職場に戻ることで心づもりをしている。事情をよくわかっているスズキさんとOさんがまだいてくれるのも心強いし。

そこで人事マネージャーと、復帰の調整をするためのメールのやり取りをはじめた。で、今朝届いたメール。
>完全に治癒しないままでの復帰は避けなければなりません。
>従って、復帰の条件として、”通常勤務に耐えられる状態”であることを、確認させて頂きたいと考えています。

これを読んで、急に不安に襲われた。
私にとって、「通常勤務」と言うと、休職直前ほどではないにしろ、一日12時間勤務は当たり前、というイメージがつきまとう。
いきなりそれは無理だろう。
できれば、短時間から、まずは会社で過ごすということから慣れていきたいんだけど。

テニスもできるようになった。ジムにも通ってる。体力とスタミナはもう十分だと思う。日焼けしたこの顔と身体を見て、「病気で休職中」と言っても誰もすぐには信じてくれないだろう、と思えるくらい、半年前とはまったく別人と言ってもいいくらいに回復はしてきている。だけど、それと仕事で使う神経やエネルギーとはまた別問題。

休みをさらに長くすれば、復職と同時に即戦力としてバリバリ働ける、というわけじゃないだろう。むしろ、現場から離れている時間が長くなればなるほど、不安は大きくなると思う。いつかは乗り越えなければならない壁なのだろうな。

近いうちに、人事とミーティングの機会を持つことになると思う。何らかの形で「リハビリ出勤」を認めてくれれば、少しは安心して戻れると思うんだけど。


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