♪♪夏子の(^▽^)日記♪♪
夏子の日常を皆様と分かち合うページ♪(・。・)

2005年07月31日(日) 2002年度コンチ同窓会

今日はいろんな方々にお会いできて楽しかった。
星田チャペルに、はるばる埼玉から
栄ちゃんと祥子ちゃんが来られているという
情報が、お友達の淳ちゃんから送られてきた。
栄ちゃんたちは、関西で、子供たちのキャンプの講師で
来られていて、埼玉に帰る前に、星田チャペルに寄られたのである。

淳ちゃん、知香ちゃん、私は2002年コンチの同窓生。
その時、栄ちゃん祥子ちゃんがツアーのリーダーをしておられた。
今日の会合は題して「2002年コンチ同窓会」であった。



お友達の星田チャペルに集われている、ゆかちゃんとみさきちゃん♪↑
お二人にも会えてうれしかった。私のCDの曲を私と一緒に歌うために
歌詞を書いて持ってきてくれていて、すごく感激した私だった。





                   祥子ちゃんと


                   栄ちゃん♪

 
同窓会と言っても、近況報告とか、何気ない事をしゃべりあったりした。
(普通、同窓会ってそんな感じかな)

懐かしいなぁ。でも、祥子ちゃんたちの活動や、日記は
いつもパソコンで読んでいるので、一年ぶりぐらいに会ったという
気がしなかった。
話題の1つに、「防音室を作るにはどのぐらいのお金がいるのか」
そして「防音室というのは、号泣室としても兼用出来るのか」
というのがあった。

号泣室とは、泣きたい時、好きなだけ大きな声で泣ける部屋の事らしい。
知香ちゃんの提案であった。そういう事のために(神様と時間を過ごす
ためにとかも)防音室というのは、使えるんだ。素晴らしい発想だ。
将来、需要が増えるかもしれない。

星田チャペルの裕子ちゃんたちが
おいしいご飯を作って下さったので頂く。
星田チャペルの白石先生たちも交えて、ほんとに
楽しい夕べのひと時であった。



2005年07月27日(水) うんとましになった事

久しぶりに手紙を書いた。

最近、メールばっかりだから(・。・)

でも、手紙を書くのは基本的には好き。
だって、絵も描けるし

問題は、手紙を書いてから、どれぐらい早く
相手の元へ手紙が届くかである。

いつも切手を常備しておかないと、切手の段階でつまづく(−。−)

切手をはれても、出すのを忘れれば・・・。


安心して下さい。
前よりず〜〜〜とう〜〜んとましになりました(・。・)♪
(以前は書いても書いても、結局出すのが遅くなってぼつにしていた。)

考えてみれば、そういう事って結構ある。
前よりず〜〜〜っとう〜〜んとましになった事。


最近克服した「お片づけ」もその1つである。

最近、何気ないお片づけをするとき、自分のお片づけ力が
アップしたと感じる事が出来るのだ。
以前は、片付けても、ちらからるのが、早かった。

今は、なんと、その状態をキープする事が出来るようになった。
しかも、片付けるのが苦でなく、楽しさと余裕さえ感じれるように
なってきた。すごい進歩だ。


今、挑戦中なのは、
時間厳守。この課題(−。−)

かなり、かな〜〜り克服出来てきている。
以前の私を知っている人は、
私が遅刻魔だったことを知っているだろう。
今までも引きずってはいたが、昔はもっともっとひどかった。


小学生の頃、私は、先生達の間で「走りちゃん」と呼ばれていたらしい。
うちの家は、小学校のすぐそば。
歩いて、3分ほどの場所にある。しかも直線で。
でも、私は何故か、いつも、遅刻ぎりぎりで登校していたらしい。
(らしい・・・というのは、あまり覚えていないので)
ある子から、聞いたのだが、職員室では
「あ、走りちゃんが来たわ!」と
私が直接知らない先生達も、みんな私の事を知っていて
私にそのニックネームをつけ、そして話題にしていたらしい。

それぐらい、遅刻魔の私が、少しずつではあるが
世間に適合出来る?程度に、ましになっていったのである。
でも、今でもまだ、人に迷惑をかけてしまうことがあった。

最近、ある友達と約束をしていて
私は25分ほど、その子を待たしてしまった。
(喫茶店で待ち合わせだったので、まぁいいかと思ってしまったのだ)
でも、その子は、その日、体調も精神の状態もあまり良くなく
ちょっと怒ってしまって、もう帰ると言って帰ってしまおうとした。
(なのに、私は逆切れして、怒り、無理やり引きとめたのだった)
私はすごく悲しくて、その子が、私の欠点は
遅刻する事だと、はっきり怒った事をきっかけに
もう、この癖を徹底的に治そう!そう心に誓ったのである。

私は、待ち合わせしてて、友達が遅れてくる分には
ものすごく寛容で、何分でも、平気で待てる。
(ただし、相手が必ずその場所に来るとわかっていて、安心な場合)
だからといって、自分が遅れていいという理由にはならない。
待つのが平気なら、早く行けばいいのだ!!!
そのことに気づいたので、これからは、早く行って
待つぐらいの気持ちで行動しよう。

今までご迷惑かけたみなさん、ごめんなさい(・。・)


というわけで、話は大幅にずれているが、
最初の話はなんだっけ?
あぁ、手紙を書いたという話だった。

脱線、脱線。(・。・)♪









2005年07月24日(日) いろんな事を書いてみた。

今日は久しぶりに礼拝でドラムをたたいた。

もう、私にまわってくるなんて、よっぽど人がいないのである!!!


私はドラムの練習に、時間を回す事がなかなか出来ない。
なのに、たまにこうやって奉仕するのが、なんだか心苦しい。

というか、もともとドラムをたたけて、それでやってるのなら
まだしも、もともと、たたけていなかったのに
やっているのだから、なんで私が?という感じである。

でも、これからは、ちょっとは普段から、意識して
練習できたらと思っている。



今日は4ギブンの練習もあった。今日は二手に分かれて
出来てないところをお互いチェックしあった。
重箱の隅をつつくような・・・は嫌だが
今日のは、なんだか、お互い励ましあって出来て
建設的な練習だったといえるだろう。
自分ではなかなか気がつかないところも、言ってもらえると
よくわかったりする。
そして、4人のハーモニーが、そろってきたなと
感じたとき、すごく感動がこみあげたりした。
(出来てないところは出来てないのだが)
ピアノの生徒が、ちょっとうまくなったりしたとき私は
よく感動して涙ぐみそうになるのだが
そういう感じだった。

家に帰ってから、母とけんかした。
母は、最近、ひざの軟骨がすりへっているらしく
歩きづらい状態で、病院にも行っている。
私は、なるべく母を手伝ったり優しくしようとしていた。
でも、ある事で言い争いが始まり
母に「最近のあんたの態度はなってない」と
言われた時、昔の痛い記憶がよみがえった。

テストでがんばって成績が上がっても
それが100点でない限り、ほめてもらえなかった。
いくらがんばってもだめ。私はだめなんだ。そういう思いが。
私は、がんばって母に優しくしているつもりだった。
でも、母の目から見たら、私は、不十分だったのだろう。
その瞬間、(もう何もしてやらない!)
そういう、憎しみで心がいっぱいになった。
でも、よく考えてみれば、それは
本当の愛じゃないんだよね。
どこかで、母にほめられたい。見返りを求めている
自分がいたんだと思う。
だから、「あんたの態度はなってない」と言われた時も
じゃあ、今までやってた事はなんにもならなかったんだと
感じたのだと思う。
ほんとに愛があれば、相手になんと言われようと
優しく出来るはずだ。私には愛がかけているなぁ。
そう思えたのは、だいぶ後になってから。

私は、すぐに感情が爆発したり、いらいらしたりする。
「怒りを遅くする者は、勇士にまさり
自分の心を治める者は、町を攻め取る者にまさる」箴言16章32節

必要な時に、正しく怒りを表現する事も大事かもしれないが
怒りがこみ上げてきたとき、すぐにイエス様のところに行くとか
どうして出来ないんだろう。
そしたら、不必要に人を傷つけたり、またその事で
自分を更に傷つけたりする事もないだろうに。
私は、今日、母に対して、大声で罵倒し、
自分の感情をコントロールできないほど、落ち込んでしまった。
人の評価よりも、主が私をどう見ているか
その事だけに、心を注げたら、今日みたいな事にならなかったのに。


まだまだですなぁ(・。・、)




2005年07月23日(土) 携帯持つかも

私は、今どき、携帯を持っていない。

きっといろんな理由がミックスしているんだと思う。


私は、一度、はまると、きっと携帯依存になるのでは?
そのような、危惧から、持っていない。そういう理由もある。

後は、携帯を持っていると、
束縛されるのではないかという不安もあるのかもしれない。

実際、家にいても、留守電にしている事が多い。
どうしても、必要なら留守電に入れてくれるだろう。
そういう考えである。


でも、そういうのでは、世間では通用しない場面もあるだろう。

というわけで、今、携帯を持つことを少し考えている(・。・)


友達が今日、携帯変えたの♪と見せてくれた。
ウィルコムと言って、ウィルコム同士だと通話料がただらしい。
これ、すごく仲の良い友人、そして家族、恋人とかとだったら
すごくいいよね♪
でも電話し放題なので、もし私が持ってしまったら
毎日、友達に電話したりして。
(でも、ウィルコムを相手にも持ってもらわないといけない)

私にぴったりかな?と思っているのは、
プリペイドの携帯。まるでお子様みたいだが
料金は決まっているから、受信がほとんど。
でも、「なっちゃんが、つかまらない」と言うことで
人に迷惑をかけることはいっさいなくなるだろうし。
要するに私の居場所がわかればいいんだろう?と思う。
だから、プリペイドでいいのだ。

後、公衆電話がどうしても見つからず、あせるという事もなくなるだろう。
それは、素晴らしいと思う。
やっと見つかった公衆電話が、故障中っていう事、何度もあった。

それにしても、昔のドラマとかだと
待ち合わせに関する、ドラマみたいな、すれ違いとか
そういうドキドキだとか、あると思うのだけれど
携帯があると、そういうのがないね。
絶対連絡が取れるから。
だから、昔のドラマ見たら、新鮮だったりするかもしれない。

ともかく、そのうち、私は携帯を持つかもしれない。
みなさん、こうご期待(・。・)♪





2005年07月21日(木) 涼しい瞬間

今日、夜の街をちょっと散歩してみた。

涼しかった(−。−)
少しひやこい風がさぁ〜〜と吹いていく。気持ちよい。


夏だけれど、夜は少し涼しい。そんな日もある。

そんな涼しさを味わえる瞬間が、たまらなく、いい。

暑い夏も、そういう瞬間があるからこそ、
乗り切れるのかもしれないね(・。・)♪



2005年07月18日(月) ブルックリンタバナクルのワークショップと聖会

今日は、ゴスペルワークショップがあった。
ゴスペルソングを2曲教えてもらった。

ブルックリンタバナクルの、バンドをバックに
超贅沢な、ワークショップだったと思う。

実にテンポよくワークショップは進められていった。
短時間に2曲も、覚えられるとは素晴らしい。しかも
楽譜も何にもなしに。しかも全然知らない曲だったし。

そして、夜の聖会の時に、ブルックリンタバナクルの
特別賛美の時に、そのうちの一曲も歌った。
その時、お昼のワークショップに参加していた皆さん、
立ち上がって下さいと言われ、共に歌った。
にわか、ブルックリンタバナクルシンガーズになった
気分だった。その辺りの、演出がうまいなぁと感心した。

ワークショップの後、15分ほど、メンバーの皆さんが
挨拶に下りてきて下さり、一緒に写真を撮ったり、
交わりの時間があった。
私たちは、わいわい言って、いっしょに写真を撮ってもらうために
列に並んだりしていた。



 今日のワークショップで素敵なソロを歌われたシンガーの方と共に♪♪↓




夜は、タバナクルの牧師さんがメッセージをされた。
賛美する時、どんなに上手でも聖霊が働かなければ
意味がない。いつでも聖霊を求めていきましょう・・・みたいな
お話だった。そうだなあ。そうだなぁ!と再確認した。
私たちは、主の霊によって賛美するんだもんね。
Holy spiritよ、ありがとう!!!






2005年07月16日(土) ブルックリンタバナクルシンガーズコンサート

今日は、待ちに待った、ブルックリンタバナクルクワイヤーの
コンサートが、厚生年金会館であった。

私は、私の愛弟子であり、お友達でもある、夏南波ちゃんと出かけた。

席は、お友達の知香ちゃんが、とっていてくれたのが、
前から2番目という、まん前の席だった。

しかも、すぐ私の目の前に、巨大なスピーカーが!!!(−。−”)

コンサート中、あまりの大音量に一瞬(しまった)と思ったが
シンガー達の顔も姿もよく見えたので、ここもメリットがある!と
思い直した。
 
コンサートは素晴らしかった。席も大入り満員という感じであった。
さすが、グラミー賞を6回も受賞しているだけあるなぁ。
すごいなぁ。すごい上手だし迫力!!!
思っていた通り(いや、それ以上)であった。
それに、ただ音楽がすごいというだけでなく、彼らから
愛が伝わってきた。神様の愛を日本の人々に届けたい。
その情熱が・・・!。

一緒に行った彼女は、まだイエス様のこと知らなかったのだが
「私、5、6回は泣いた。感動したわ〜!!!。
ジーザス(イエス様)の事、もっと好きになった♪」
と言ってくれた(−。−、)←その言葉に感動する私。

イエス様をまだ知らない人々。出会っていない人々。
彼らの事をもちろん、イエス様は愛している。

イエス様を信じる者は、罪が赦され、永遠の命が与えられ、
そして、神の子供とされる。

コンサートの最後の方で、タバナクルシンガーズの牧師さんが
このお祈りを導かれた。皆さん、目を閉じてお祈りしましょう・・・
「イエス様、私の罪を赦して下さい。私はあなたを信じます。
今、私の心の中に来て下さい」

『主イエスを呼び求める者は、誰でもみな救われる』


私も、今から10年以上前に、このお祈りした事を思い出した。
私がそのお祈りをした時、心の中がふわ〜っとして、あったかくなり、
(あ、今、イエス様が私の心の中に来て下さった!)と
思った。喜びでいっぱいになった。

私は、小さい頃からイエス様のこと、聞いてきたし
(近くの教会に通っていたから)
ずっと学校もミッションスクールだった。
にもかかわらず、本当にはイエス様を信じていなかった。
神様はたぶん、聖書の言ってる神様が本当だろうな。
でも、イエス様が私の罪のために十字架に架かって下さった・・・
その辺のくだりが、どうしても理解できなかった。

でも、そういう私を主はあきらめなかった。
イエス様をどうしても信じることが出来なかった私だったけれど。
でも、もしイエス様が本当なら、知りたい。信じたい。
心の中に来てほしい!。そう思った。
でも、無理かもしれない・・・そう思いながら
祈ったことを思い出す。
「イエス様、私の心の中に来て下さい」

そしたら、イエス様は、本当に来て下さった!!!
その喜びを私は今でも忘れていない。
人の心には、扉が一個ある。その扉の内側には、とってがついている。
でも外側にはついていない。イエス様は戸の外に立ってノックしている。
無理やりには入ってこられない。
イエス様に入ってきてもらうには、私がその扉を自分で開けること・・・。
でも一度来て下さったら、イエス様は二度と、
どっかに行ってしまったりしない。ずっと一緒にいて下さる・・・。
そのお話を聞いた。

イエス様が心に来て下さった翌日の朝、不安だった。
本当かな?って。でも本当だった。

その日から、イエス様はずっと私の心の中にいる。
いつでも一緒にいる・・・(−。−、)

今日のコンサートで、その時のお祈りと、同じお祈りがあった。
今日、イエス様を心の中にお迎えした方は、何人ぐらい
おられたんだろう。その方たちにとって、新しく生まれた日・・・
お誕生日とでも言うのだろうか。
何だか、感動する。

今日、イエス様を信じるお祈りをしなかった方たちの心の中にも
主は、語りかけて下さったに違いない。
待っているよ。いつでも待っているよ。
イエス様はそう言ってると思う。

『神は実にそのひとり子をお与えになった程にこの世を愛された。
それは、御子を信じる者が1人として滅びることなく
永遠の命を持つためである』
ヨハネによる福音書。3:16




ブルックリンタバナクルクワイヤーは、メンバーが280名ほど
おられるらしい。今回はその中で、ソロシンガーをされている
方たちなどが、14名ほどが来て下さった。

コンサート後も、クワイヤーの皆さんは
ロビーまで来て下さり、私の連れは、クワイヤーの皆様一人一人に
サインしてもらったり、握手してもらったり、
一緒に写真を撮ってもらったりして、かなり喜んでいた♪
(という私も、サインをもらい、握手してもらって喜んでいた)
クワイヤーの皆さん、本当に温かいなぁ。
ありがとう!と思った。
私は最近、カメラ小僧じゃなくなっていたので
カメラを持っていなくて残念。月曜にワークショップがあるので
リベンジに賭けよう・・・!!!(−。−)そして
ここの日記ページに公開するぞ♪

月曜は、国際交流センターで、彼らによる、ゴスペルワークショップと
夜には、また集会が持たれる。楽しみだなぁ(・。・)♪♪♪













2005年07月15日(金) 悲しむ者でした。

昨日、ある事件(私の中では結構、事件)があり、
知らず知らずのうちに、心にものすごいストレスを感じていたようだった。
(ようだったというのは、今日になって振り返ってみてそう思う)

昨日は寝る前に、家族に当り散らしたりしていた(−。−)

今日、また新たな事件が起こり、昨日より更に深刻化していた。
私は負けそうになった。

心がふにゃ〜ってなり、うぃ〜〜んとねじまげられているようになり
涙がぼろぼろこぼれそうになり、それでもふんばっているような
そういう心境だった。

その割には、お料理に燃えたりしていた(・。・)

きんぴらを作り、あさりの酒蒸しを作り、冬瓜とグリーンピースの
あんかけを作り、水菜とりんごとナッツのサラダを作ったりした。
快挙だっ(−。−)

今日お料理に燃えたのには、理由がある。(−。−)
(あえて、ここでは書かないが)



そしてその後も、更に、つらい気持ちが深まっていった。
でも、その状況の中で聖書を開いたり、祈ったりする
シチュエーション(何故英語を使う?)が与えられた。
その中にほりこまれた(いや、自分から行ったのだが)
感じだった。

その、ものすごくつらい、重たい、気持ち。
死にたくなるような気持ち(手首を切ったらどうなるかな?とか
初めて考えたりした。自分が部屋で手首を切って死んでる姿を
思い描いたり。怖かった。後、飛び降りる事とかも)の中、
祈ることが出来たのは、ほんとに良かった。
重苦しい気持ちが、吸い取られていくように感じた。
主が、その様な中に、一すじの光を与えて下さった。

聖書の言葉って本当に本当に、命なんだって。そう思った。
ひからびきった心の中に、命が満ちていった。

私は弱い。でも弱くても大丈夫だ。
主の御手が私を支えてるから。

その後、また、つらい気持ちが戻ってきそうになることがあった。
でも、私は、また主の元へ行く事が出来る。
だから大丈夫。
状況は、ほとんど変わっていないのだけれど、
賛美する事・・・。その中に、主は何かを起こして下さる。
そんな気がする。

『悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです』
                マタイによる福音書。5章4節。








2005年07月13日(水) 急に復活。テープシリーズ。そしていきなり富様。

超久しぶりに、うちの教会の、テープシリーズを聴いてみた。

α(アルファ)に始まりZまで、続く、超大作テープシリーズ。

一年に1シリーズ聴いたとしても、
もう卒業してなあかんのに(急に関西弁)

うちの母の方がずっとまじめに聴いている。

もうどこまで聴いてたかさえ、わからなくなっている。
しかも、聴いても忘れてる(−。ー”)

初代ジーザスファミリー牧師いわく
「このテープシリーズちゃんと聴いたら、聖書学校行ったのと
同じぐらいの内容だよっ♪」
そのたびに、「へ〜?すごいもんだ」と感心してたけど、
結局続けれられなかった(−。−)

今日聴いた内容は、
Hシリーズの「富様」
富様状態というのは、お金とか、物とか、人とかに心がとらわれすぎて
それが偶像となり、縛られている状態の事を言う。

私は、自分はそうじゃない〜と安心していた。
でも、聴いているうち、なんだか、自分の中に
そういう部分がある事に気づき、はっとさせられた。

私の中にいた・・・。「富様」ぶるぶるっ(−。−”)


心が自由な状態というのは、すべてを主にゆだね
明け渡した状態。それは、物を持っていて
不自由な心じゃなく、かと言って、物がなく
禁欲主義というのでもない。
主にあって、物を自由に所有し、かつ、それを用いる事が出来る
状態の事と言うのである(あぁあ。なんか難しくなってきた!)

私もそう出来たらいいなぁと思った。
最近のキーワードである、物を減らすというのも
その1つかもしれない。
それは、物を買っちゃいけないとか、お金を使っちゃ
いけないとか、そういうのでなく、
もっともっと喜びがあるんだろうなぁと思う。

よく、キリスト教は、お酒飲んじゃだめとか
言うから嫌とか思ってる人がいるって前に聞いたことがある。
そうじゃなくって、お酒に酔って、わけわかんなくなる状態が
いけないという事だと思う。それなら、神様の霊に満たされなさい
と書いてある。(Holy spiritだね♪)

それも、さっきと同じ事が言えるかも。
お酒飲んで、飲まずにいられない状態は、お酒に縛られているんだもん。
私はお酒好きだけど、友達といる時や、家族と
ちょっと飲んだりとかそれぐらい。
お酒を楽しめてる。それはお酒をコントロールできている
状態だと思う。しんどいのは、お酒にコントロールされてる
状態の事だろうな。

今、私がコントロールされかけてるのは
インターネットかな、と思う。
ついつい、余分に時間を取られてしまう。
本当にしなければならないことをほっといて
興味本位で、見てしまったり。
それは、インターネットに支配されてる状態じゃないかと思う・・・。
そうなると、全然楽しくないんだよなぁ。


お祈りした。
主よ、私が何者にも縛られる事なく、自由である事が
出来ますように。そしてあなたにある自由の中で
全ての事を楽しむことが出来ますように・・・。
今までの悔い改めと、共に・・・。

夏子はまだまだですなー。(・。・)
テープシリーズも続けて聴くぞー♪(宣言♪)



2005年07月12日(火) ウイグル!

今日は、祈り会があった。
宣教の祈り会・・・。中国のウイグル人のために祈った。


うちの教会は、宣教に燃えている。

初代牧師のフォーセットさんは、宣教師として
日本に来て、うちの教会をつくった。

その前は、フォーセットさん家族は、
マレーシアで教会を開拓した(5年ほどいたらしい)
フォーセットさんはちなみにニュージーランド人である。
そして、そこの教会のリーダーを育て、リーダー達に
マレーシアの教会を引き継ぎ、
フォーセットさんたち家族は日本へ来た。

フォーセットさん家族は、うちの教会が15年ほどたった頃、
アフリカのモザンビークへ旅立った。
話せば長くなるが、うちの教会とモザンビークは
不思議につながりがあった。
うちの教会からも、何人かの人が長期で宣教に出かけた。

フォーセットさんたちがモザンビークに行った後、
副牧師さんだった飯塚さんが引き継いだ。
その飯塚さんたちも今は、緑地の方で、教会を始めている。
そのまた副牧師さんだった平尾さんが今の牧師さんである。

フォーセットさんたちは、3年間でモザンビークで
次のリーダー達を育て、彼らに教会を引き継ぎ
そして、故郷である、ニュージーランドへ帰っていった。
休養のためもある。それから2年ぐらいたつのだろうか?
(ニュージーランドへ帰ったと言っても、うちの教会と
もちろんつながりはあるし、一年にいっぺんぐらいは
こちらに帰ってこられる。)

そして、今、まさに次の扉が開かれようとしているのであった!
(今日は、ざっとストーリーを全部説明してるので
大変である。急ピッチ!)

わかりにくくてすみません(−。−)

簡潔に言えば、次は、中国!なのである。

これも、今、始まった事ではなく
何年も前から、幻としてあったものだった。

フォーセットさんたちだけではなく、うちの教会の中でも
中国への重荷を持っている人達がいた。

今日の祈り会は、そうした動きの中でこれから
どのように祈っていけばいいのか・・・そのような内容であった。


実際に今年の9月に、ニュージーランドにいる
フォーセットさん夫婦、そしてその息子のけんちゃん
(彼は今年一年、ニュージーランドからうちの教会に来てくれて
いろいろ手伝ってくれている)
そしてうちの教会の、よしえちゃんと尚美ちゃんが
ウルムチへ行く。ウルムチとは、中国にある地名である。
そこには、ウイグル人たちが住んでいる。

まずは祈りながら、様子を探りに行く。
中国では、クリスチャンとわかっただけでも
ブラックリストに載ってしまう。
だから、メールのやりとりも慎重に行わなければならないらしい。
Godという言葉も、Fatherとか。
churchも、familyという風に・・・。

神様が私たちをどこに導かれるか、
祈っていこう・・・。そしてどのような戦略で
宣教を進めていくのかも・・・。
私までどきどきしてしまった。

ウイグル人たちは、中国の中でも
虐げられている民族だという話を今日始めて知った。
漢民族からの攻撃や、差別など・・・。
詳しい事はまだわからないけれど、いろいろあるらしい。

そういえば、モザンビークに宣教に行った時もそうだった。
ブーズー島という島にフォーセットさんたちは
流れ着いた。その島に住んでいる人たちは
本当に貧しく、そして見捨てられ 蔑まれている人々だった。
その彼らの中に、福音の光が届いた。
そして、彼らの目に喜びがあふれ、生きる希望が満ちあふれて
いったのである。
それらの変化を私たちも、フォーセットさんたちの
報告を通して、聞いてきた。そして興奮し、神様に感謝してきた。
モザンビークでは多くの人がイエス様を信じ、洗礼を受け
教会は力強く成長し、そして今も、イエス様を信じる人が
増え続けている。
私たちみたいな、小さな教会を用いて、神様はそんな
奇跡を行って下さったのだ。

そして、今度は、ウイグル・・・(−。−)

私は別にウイグルや、中国に対して
たいして、思い入れが今まで正直言って、なかった。
でも、どうしたことか、今日の祈り会では
何度も泣きそうになった。
虐げられているウイグル人たち・・・。
その人々に神様の愛を届けることが出来る・・・。
そう思うだけで泣けてきてしまった。
なんなんだろう。この思いは・・・そう思った。

私もうちの教会の一員である。
そして、うちの教会に与えられている使命の1つが
このウイグル人たちへの宣教なのだとしたら
私にも、その使命が多かれ少なかれ与えられているのだ。
そう感じた。
人事の様に思っていた宣教。
今日の祈り会も正直言って、
その直前まで教会でピアノを教えていたから
なんとなくそのまま帰りづらくて、成り行きで参加したみたいな
ところがあった。
それなのに、そんな私なのに、
神様は新しい重荷を私の心の中に与えようとしている。

本当にどきどきする(−。−)

また長くなってしまった。
今日の話は、ややこしいから
最後まで読んでくれた人いるかな。
私ぐらいかな。
まぁ、いいかー(・。・)♪









2005年07月09日(土) 天のお父さんとの海辺でのひと時。

今日は、一月に参加したチェンジングキャンプの
フォローアップミーティングのようなものがあった。
そこで、行われたのは、父なる天のお父さんの声を聞くという
ことだった。


私は、天のお父さんの事が大好き(・。・)♪
(※天のお父さん→神様のこと)

でも、あんまり、信頼しきれてない部分がまだあった
ような気がする。

今日やったのは、お父さんと二人(天のお父さん)
で、会話するっていうのん。

私は目をつぶって、静かにしていた。
そしたら、海辺に来ていた。

海辺にある海の家みたいなところに、
きれいなブルーのソファーがあって
お父さんと私はそこに一緒に座っていた。

それから海に歩いて行った。
そしたら、お父さんは、いっぱいキラキラの
砂を手にすくって私に渡してくれた。

そのキラキラの砂は、金色に光って
宝物のように輝いていた。

私はうれしくなった。
それから私は宝箱みたいな物もお父さんにもらった。
その中には、きれいな宝石が入っていた。

「これ、もらっていいの?」
「いいんだよ」
「うれしい!」
「これはね、お金では買えないんだよ。
なっちゃんに、いっぱいあげるよ」

それらの宝物は、心の中でわかった事だったのだけれど
これから神様が私にやってほしいお仕事や
奉仕の事だったんだと思う。
いっぱいくれた。
いっぱい期待してくれてる。
たくさんのプレゼント。
決してお金では買えないもの。

ありがとう、お父さん。そう思った。


神様がそんなに私に期待してくれてること。
決して他の人と、比較しなくてもいいという事。
そして、愛してくれてるという事。
気前がいいという事。
私が信頼しきれてないのがわかるのだろうか。
そうやって語って下さるんだね。


大切なのは、それを私が信じること。
イエス様が私のために十字架にかかって死んで
よみがえって下さった事を信じるのと同じように。
神様の、天のお父さんの愛を信じること。
それが私に出来る、たった一つのことなのかな。

今日みた、幻もね、
何日かたって、(やっぱり嘘だ)って
思おうと思えば、思えるから(−。−)

でもそれはお父さん、きっと悲しむだろうね。
悲しませる事がありませんように。
あなたに信頼して、まっすぐ歩めますように。
そう、心から思う。





2005年07月08日(金) 電車男に燃える。

昨日、久しぶりにドラマを見た。

最近、ドラマと言えば、朝の連続テレビ小説「ファイト」ぐらいだった。


昨日、たまたまちょっと気になったのは
新しく始まるドラマ「電車男」だった。


変なタイトルだし、面白そう!と直感的に思ったのだった。

その直感の通り、とても面白かった。
このドラマは実話だそうだ。
インターネットの2チャンネルというサイトで
チャットみたいに、いろいろ相談をすることが出来るらしい。
そこで、23才の男性(電車男)が、ある事がきっかけで出会った
女性の事を、相談するという話だ。

電車男は、ある日、電車の中で、酔っ払いのおじさんが
乗客の皆さんにからんでいるのを、勇敢にも
止めに入る。同じ車両には、とても美しい若い女性がいた。

後で、自分達を守ってくれたお礼をしたいという事で
同じ車両に乗っていた乗客のおば様たちが、
電車男に住所を聞く。その時、その美しい女性にも
「私にも教えて下さい」と住所を聞かれる。

その後、その女性から、お礼の手紙とエルメスのカップが2客届く。
その女性の事を好きになってしまった電車男であったが
電話する勇気がない。
2チャンネルの住人達は、電車男を、温かく、時には厳しく
助言し、励まし、そして
電車男は勇気を出して、女性(呼称、エルメス)に電話をする・・・。

こういう、ストーリーである(−。−)

私は、その後のストーリーが気になって
インターネットで、電車男を調べてみた。

すると、この話の元になった、本当のサイト(2チャンネル)での
電車男の、ほぼ全ての会話を記録しているのを見つけたのだ。

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman.html

↑ここがそのサイト♪


私は、夢中になってそれを読んでしまった(−。−)

去年の3月ごろから、約2ヶ月ぐらいの会話の記録である。

その会話を読んでいて思ったのだが、
その2チャンネルで、相手の姿が見えないし会ったこともないのだが
そこにやってくる2チャンネルの住人達が、みんな電車男を愛し、
我が事のように、電車男を応援していたという事だ。

あんなにすごい応援の仕方、私、初めて見たと思ったぐらい。
それは、真剣で温かく、すごかった。

今の時代と言えば、時代がもたらしたものなのかもしれない。
一昔前までは、顔も知らない、名前も知らない人に
ここまで応援できるか?そういう人と人との付き合い方なんて
ありえなかった。そんなの不可能だった。

でも、今はインターネットで、こんな、素晴らしい友情?が
可能となる。
いや、顔も名前も知らないからこそ、こんなに自分の事のように
応援したり、涙したり、助言したり出来るのか?

そう考えると、人と人との関係ってなんなんだろう?と思う。

私は、最後まで、電車男の行く末を読んだ。
最後は、電車男は、見事、エルメスさんと相思相愛の関係になっていく。
その過程が、実にさわやかで、私まで電車男を応援したい
不思議ーな気持ちになっていった。

(−。−)いったい、なんだったんだろう。

この、実話を元にした「電車男」は、
このドラマの他に、この夏、舞台化されるらしいし、
映画化もされていて、6月から公開されているらしい。
それほどの人気だったという事だ。
普段、ドラマほとんど見ない私までも、
こんなに影響されているぐらいだから(−。−)

人は、一人では生きていけない。
この電車男の様に、
たとえ、それが目に見えない、会った事のない人々に向けられた
ものであったとしても、
自分の事を心から心配し、アドバイスしてくれる人達の存在。
それが、どれだけこの電車男を励まし、
そしてエルメスさんとの恋愛を成就する助けとなったことだろう。
彼は今まで女性に電話もかけたことのないぐらい
(もちろん女性と付き合った事もない)人だったのだ。
それが、みんなの励ましで、だんだんと成長していく。
その過程をみんなが喜び、そして涙しているのだ。

私の周りには、たくさんの友人がいる。
でも、そんなに連絡を取り合っている人ばかりではないし、
ひどい場合は、完全に忘れている時もある。
相手がしんどい立場に置かれてて、祈らなきゃって思っても
ちゃんと祈ってなかったりもする。
案外、薄情なのだ(−。−)

せっかく神様が出会わせてくれた友人たちなのになぁ(・。・)

電車男みたいな、人間関係が理想とは、とても言えないんだけど
でも学ぶところはあった。
私も、一人で悩まずに、友人に相談したいし、
もっと、友人達の為に祈ったり、励ましたりする自分でありたい。
そして、友人達がうれしい時、もっと自分の事のように喜び、
悲しい時は、自分の事のように悲しむ私でありたい。

そして、なにより、天のお父さんや、イエス様に、
心のどんな変化も、いつも話したい。そしてどうしたらいいのか
どんな風に歩んだらいいのかを、いつも聞いていたい。

長くなっちゃった。久々にドラマに燃えた私であった。
私って、おばかさん?(・。・)







2005年07月06日(水) 今日の晩御飯

今日の晩御飯は、じゃこおろし。とうもろこし。蟹入りスープ。
鮎の焼いたの。焼き茄子。トマト。エビチリ。
小松菜とあげの炊いたの。にら焼き。

(・。・)すご〜〜い。ゴージャス。


帰りに友達と、ご飯をちょっと食べたののおかずが、
じゃこおろし。小松菜とあげ。焼き茄子。

うちの今日の晩御飯が、蟹入りスープ。鮎の焼いたの。トマト。


昨日のおかずの残りが、とうもろこし。エビチリ。にら焼き。


以上でした(−。−)♪


それを、少しずつとは言え、
今日の晩御飯として、全部食べた私も私だ(−。−)






2005年07月04日(月) 雨が降っています

今日は1日雨だった。
雨が降ると、良かったなぁという思いもある。
水不足が解消されるから。
でも、降りすぎても、水害が起こると困る。
ちょうど良い量、降ったらいいんだけど。

↑なんだか、小学生の宿題の日記風だなぁ(−。−)



2005年07月03日(日) 西村さんの講演会

昨日は、4ギブンの奉仕だった。

玉造のクリスチャンセンターで
「神様がくれた弱さとほほえみ」というタイトルで
ALS患者の、西村隆さんと、その奥様である雅代さんが
講演をなさった。
その前座(ゲスト)として4ギブンが20分ほど
賛美させて頂いたのだった。


今、西村さんのお書きになった本を読んでいる。
ゆっくりしか動けない(ALSという病は、
だんだん、体中の筋肉がなくなり、そして最後には
呼吸も出来なくなってしまう(呼吸する筋肉もなくなってしまう)
そのような、大変な病だ。
10万人に、約、3、4人ぐらいの割で発病すると言う。
原因も、治療法も、今のところわかっていない。
1997年に、発病されて、余命5年と宣告され、今に至っている。

私は正直言って、ALSという病気のことすら知らなかった。
実際に西村さん夫婦を目の前にして、
ああ、これがALSという病なんだと初めて自覚した。

でも、西村さん夫婦は、その様な逆境の中にいるにもかかわらず
とても、温かく、にこやかで、
そしてユーモアに満ちた方だなぁと私は感じた。
本にも書いてあったけれど、「闘病」という感じがしない。
何か肩の力を抜いた、自然体な感じがした。
「ありのままで」と西村さんもおっしゃっていた。
その自然さが、何か私に力をくれた。そんな気がした。

私もありのままでいいんだ。そう思わせてくれた。
私には、それが障害と言うのかどうかわからないが
やる事なす事、全てマイペースというか
それが自分を責める原因になっていたところがあった。
「どうして私はこんなに、とろいんだろう」
そう思って、自分に「ばか」とか「もう少し早くやれないの!」とか
いつもいつも自分に言い聞かせてきた。

でも、西村さんの本を今、読んで、ほっとしている。
ゆっくりだからこそ、気がつくこともある。
ゆっくりなのがすべて悪いんじゃない。

例えば私は、人に比べて、異常に、本を読むのが遅い。
(でも本を読むのは好きなのだが・・・)
原因はわからない。まぁ、それですごく人に迷惑をかけたとか
そういうのではないのだが、例えば、みんなが
「これ、1時間で読んじゃった」という本も、軽く3,4時間はかかる。

でも、さっき西村さんの本を読んでいて、ふと
もう2時間ぐらい読んでいるのに、まだ3分の1ぐらいの所までしか
読んでいないのに、以前の私なら
「あぁ、まだこれだけしか読めてない」と感じたのに
今日は「あぁ、同じ本を、長い時間かけて読める。まだ読む楽しみが
いっぱい残ってる。得しちゃってるなぁ。私って!」
そう思えたのだ。

それは私にとって、不思議なアイデアであった!!!
いったんそう思うと、ほんとに得してるような気がしてきた。

何でも急いでやってしまわないといけないという強迫観念。
それにしては、一向に早く出来ないジレンマ。焦燥感。
西村さんは、もしかしたら、神様が私に遣わして下さった
癒し主(いや、本当は、癒し主はイエス様なのだが、主は人を通しても
語って下さるから♪)なのかもしれない。

昨日の奉仕は(急に話は変わる)
奉仕前日とその朝、家族と大喧嘩したり、
ものすごく、いらいらしたり、こんな自分が、賛美していいのか?
状態だった。でも、行く前に友人に祈ってほしいと
大急ぎでメールをした。
無事、奉仕は守られた。主よ、ありがとう。祈ってくれた友人ありがとう。
今回、西村さんの講演の前に賛美させて頂いたこと、ほんとに
感謝している。
奉仕させて頂いたこともだが、このことを通して西村さんと
出会わせて下さったから。
ありがとう、神様。

西村さんは、本当に、ここでこんな風に、書いても
いいのかな?と思うぐらい、実際は大変な中にいる。
西村さんご家族の上に、主の祝福の御手が置かれますように。
そして、ますます多くの人に、生きる勇気と喜びを届ける事が
出来ます様に。



2005年07月02日(土) つーー(・。・)←なんちゅういいかげんなタイトルだ。

今日の出来事(西村さんの講演会での奉仕)は、
3日に書いてあります♪(・。・)←なんだそりゃ?
無事終わりました。お祈りありがとうございました♪


(・。・)講演会の後、教会の礼拝だった。
体は疲れてたけど、良い礼拝だった。
神様の前に、ぼーっとしながら祈っていると
涙がつーーーと流れた。
涙をふいて、またぼーーとしてると
また、つーーーと流れた。(拭くから流れるんだろうか(・。・)?)
その感覚が心地良かった。

神様の愛が降り注いできたような感じだった(−。−、)





2005年07月01日(金) deliriousかっこいい。

今日、久しぶりに、delirious?のCDを聴いた。
(とは言っても、某S家族からお借りしている物だ)

かっこいいなぁあああ(−。−)イギリスの香りだぜっ!

(昔、イギリスで、初めてdelirious?のライブを
みて、感動した事がつい昨日のことの様に・・・)

その間、ずっとお片づけをしていた(またかよ〜?て感じ)
だいぶ、はかどった(・。・)

最近、「お片づけおたく」になっている。
お片づけの技術も進歩したような気がする。


明日は4ギブンの奉仕だなぁ。
クリスチャンセンターで2時からです。お祈り下さいね♪
(西村さんの講演会のゲストです♪)




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