遠雷

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秋風
2004年10月22日(金)

もし、なにも変わっていなかったら、今日、この秋晴れの日に何をしていたのでしょうか。

今日も休みでした。
何かを続けてすることができなくて、少し服の入れ替えをしてはすぐネットをつないでみたり、テレビを見たり、今しなくてもいい携帯のゲームをしてみたり。
落ち着かない。腰が据わらない。何もできない。

一緒に、散歩をしていたでしょうか。
買い物に行っていたでしょうか。
おいしいものでも食べに行っていたでしょうか。
部屋で本を読んだりしていたでしょうか。
映画でも見に行っていたでしょうか。

けんかをしていたかもしれません。
もう、別れていたかもしれません。


小さく嵐の予感
2004年10月20日(水)

いろいろ問題山積みで、仕事がどうやら責任のある立場にさせられそうです。

というより、ほぼ私の意思とは関係ないところで本決まりになっていました。困っています。もともと、人を使うということが苦手なうえに、接客業ということも苦しくなりつつあり、おまけに一連のことでの精神状態が不安定。店の人間関係も不安定。

一応、まだ完全に引き受ける形を取らないでいます。やめるつもりでいたのが何故こんな羽目にと思わないでもないですが、今見捨てて逃げ出す訳にもいかない状態だなと思ってしまった私が負けです。いいかげんお人好しです。自分でいうのも何ですが。


睡眠
2004年10月17日(日)

布団を干しました。そうじをしました。今日はふかふかの布団で眠れます。

よく、Hに、口うるさく布団を干せ、シーツを洗え、と言ったものです。きたないから、もちろんそれもありますが、よく眠れないということを知っていましたから、すこしでも気持ちよく眠れるようにと思ったのです。よく眠れれば、少しでも気分が晴れるであろうと。

布団は時々干していたようですが、なかなかシーツを洗うところまではいかず、枕カバーに至ってはもうずっと洗っていなく、汚いからとカバーを取ってそのまま使って、結局本体が汚くなってしまって、…黒い、何とも言えないものでした。

枕を買ってあげるよと何度か言いましたが、Hが自分でそのうち買うからといいはっていて、あまりいろいろ形あるものを買ってあげたりしては負担に思うかということもあり結局そのままだったのが今でも悔やまれます(カバーだけ新しいものにしても意味がないくらいの状態のものだったので)。シーツだけは、替えのものを渡してありました。スーパーでボアのシーツが特売になっていたので、気持ち良さそう!これ触ってみたいから買っていい?という感じで買って渡したものを気に入って、そればかり使っていたようです。そう、最後の夜にも、ふとんにはそのシーツがかかっていました。

死の直前、一番最後に部屋に遊びにいった時のことです。天気がいいからそうじをする予定だったのですが、あまりに気持ちがよくて畳の上でゴロゴロしていたらいつの間にか二人で昼寝をしていました。私が先にぐうぐう寝てしまったようですが、そのうちHも眠っていました。私は、いつのまにかHがくっついていて、私の片腕ごと手を握りしめていたために痺れて目が覚めました。しばらく体勢を動かしながら我慢をしていましたが、どうにも痺れてきてしまったのでHを起こさないように、そろそろと手を外そうとしました。結局はHも目が覚めてしまい、そのままもう一度居眠りをすることはなかったのですが、「ひさびさに気持ちよく眠ることができた」とにっこり笑いました。「こういうのっていいよね。いつも言うけど、君とこうしてるのが一番幸せなんだ。外にでるのもいいけど」と。

もう少し、私が我慢をしていて、暗くなるまでHを眠らせてあげていたならと悔やまれます。最後に、少しでも気持ちのよい睡眠をさせてあげられてよかった、とも思います。その日はその後向かいの友達が来て、くだらないことで大笑いして、楽しい一日でした。でも、もうすこし、あと5分でも10分でも眠っていたら、少しは違っていたのではないかと思わずにはいられないのです。


埼玉の件
2004年10月15日(金)

みんな、そんなに死にたいんですね。
私だって死にたいと思いつめたこともありましたし、今でも時々思います。
でも、死ぬ方が怖い。
死んだ後の方が不安。
そんなことを思う私は、なにもできない、いくじなしでしょうか。

所詮、人ごとです。
どんなに悩み苦しんで、死を選んだかなんて、わかりません。
私になんて想像もできないほどなのでしょう。
でも、私はいま、自死を選んだ人たちに、同情などより怒りを覚えます。
理屈ではなく。



なぐさめ
2004年10月14日(木)

お墓参りに行ったら、お墓のある場所の目の前の生け垣に猫の家族がいました。
お母さん猫と、子猫が4匹。
あまりに可愛くて立ち去れず、墓前にいた時間の倍以上、猫を眺めていました。
ちょっと心苦しかったので、きっとHも可愛いなあと喜んでいるだろう!などと考えつつ、山を下りました。


見えないところに
2004年10月10日(日)

友達とメッセンジャーで会話をしていて、Hの部屋でふざけて撮った写真が出てきたということで送ってもらいました。Hや私たちの写真ではなくて、皆で出かけたときに買った食玩おもちゃなどでかんたんなジオラマのようにして、くだらない連続画像をとったものです。そのため、できる限り背景を隠して写したので、部屋の様子などほとんど映っていなく、畳の一部と背景にした壁くらいなものです。

人も、とっておけばよかったねと言いました。友達が気を使ってその話題に触れないようにしてくれていたのはわかったのですけれど。


一緒に流れていってしまえばいいのに
2004年10月09日(土)

Hとの思い出のある街が、やけに今日はテレビで目につきます。
買い物によくいった街、まだ微妙な関係だった頃からの思い出のある街、ドキドキしながら行った街。
Hがいなくなった後に行った街もありますし、辛くてどうしても足を踏み入れられない街もあります。
実際、思い出を辿るということではなく、必要な買い物をしに行きたい店もあるのですけれど、どうにも行くに行けなくて困っていたり。
そうこうしているうちにどんどん変化していって、私の知らない場所になっていってしまうのでしょうね。


昼前に起きて、テレビを見て、ネットにうだうだ繋げて、なのになぜか一番外が最悪な状態のときに友達とファミレスにコーヒーを飲みにいってずぶぬれに。
そんな一日でした。


広い机と狭い気管
2004年10月06日(水)

無事入れ替え終わりました。
机が広くなって快適です。


最近、薬をあまり飲んでいません。もともと薬を飲むのをすぐに忘れてしまうほうだったのですが、調子がよくなってきたことをいいことに、一日に一回しか飲んでいなかったりしています。今日、久々に息苦しくなる発作のような物が出てしまい、少々まずい感じです。

落ち着くことはよいことです。消化することもよいことです。悲しむなというのは無理ですし、その感情を否定するつもりはありません。ただ、それだけではいけないと思おうとする強迫観念のようなものが心の底に巣食っていて、苦しもう苦しもうとしてしまいます。やはり日々の生活に追われていると、思い出して苦しくなることや泣きそうになることも減ってきます。今はまだ、思い出すということと自分を責めるということが切り離して考えることができなくて、悲しみがつねに心にある状態というのだけではなく、つねに自分やHを責め、苦しんでいる状態でなければいけないと思うところもあるのでしょう。薬で平安を手に入れたりして、それでいいのか、と。息苦しさを久々に感じたとき、ああよかった、まだ私は苦しむことができているのだとどこかで考えていました。

冷静なんだか、病んでいるのか。わかりません。わからないくらいで丁度いいのかもしれません。


さいごに
2004年10月05日(火)

これから、パソコンを入れ替えます。先日修理はしましたが、大分古い機種なのでこの機会に新しいものを買いました。なんとなく最後に書き納めをしてみようと思い、つらつらと書いてみます。

Hと出会う前から使用していた機械ですから、Hとよりも付き合いは長いですね。Hと付き合いはじめる前、かなりごたごたして色々メッセンジャーやらメールやらしましたので、このパソコンが無くなることでまた少しHとの距離が広がる感もあります。

つき合うことになるまで、かなり問題が色々ありました。そのため、たった数行の短いメールを書くのに何時間もかかったり、泣きながら画面を読んだり。友達とそのことで夜遅くまで毎日のようにメッセンジャーのやり取りをしたり。そのすべてを見てきたパソコンでした。

その頃のメッセンジャーのログや、Hとのメール(付き合う付き合わないで揉めたりしていたころ)はもちろん保存していますが、まだ読み返すことはできないでいます。この日記はHとあったことを記録していくつもりで書きはじめましたから、いつかはあの頃の、地味に生きてきたつもりの私にとってはまるで漫画かドラマかと思えるような日々のこともまとめていきたいのですが、今はまだそれがちゃんと書ける時期ではないと思います。

3代目のパソコンには、どんな出来事が、思い出が刻んでゆかれるのでしょうか。さて、では開梱をはじめましょう。


おかいもの
2004年10月02日(土)

家を一部リフォームしたので、色々家具や雑貨を新調する為に買い出しに出かけました。

母と一緒だったものですから、色々まわるうちに今まで避けていたHと行ったことのある店に何軒か寄ることになってしまいました。いちいち母に「ここに来たことがある」などと説明するのも嫌ですから何も言いはしませんが、同じようにHの新居の生活用品を選んだときの事が思い出されてなりませんでした。あの当時は辛い状況ながらも明るい未来が開けていると信じていましたし、色々選んだりすることがまるで結婚した時の予行練習みたいだねと、ほんの些細な、たとえば洗剤を選ぶようなことすら楽しく、充実していました。

特別なことなんてなくていいから、もういちどあのころの、なんでもない買い物をふたりでできたら、どんなに幸せでしょうか。



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