遠雷

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洒落にならない
2004年08月21日(土)

雷でパソコンとケーブルモデムが壊れました。

この日記のタイトルが悪かったんでしょうか? 遠くの雷のはずで、近くの雷には用はなかったのですけれども。部屋の模様替えや機械関係の整理をしようと、サージプロテクトなどを何もつけていなかったのが災いしてしまいました。

Hとのやりとりなどのメールほか絶対消したくないデータが入っているので、なんとか修理したいと思います。ただ、新しいパソコンを買おうと思っていた矢先ですので、高い修理代を出さずになんとか同じ機種のジャンクや中古を買って、HDDのみ交換をして動かせないものかと考えています。状況的にHDDは壊れてなさそうですので…もとい、壊れていないと信じたいです。

しばらく仕事が忙しくて手をつけられていなかったので、やっとこれから機械探しの旅に出てくるつもりです。すべて直って落ち着きましたら、また書いてゆくつもりでいます。


もの申し、もの申され
2004年08月15日(日)

いろいろかったるくて、部屋を片付けるのもおろそかになっています。
Hがもし帰ってきているとしたら、Hには片付けろとうるさく言っていたわりには、私の部屋がだらしない状態なのを見て、ひとこと言いたいことでしょう。

部屋の模様替えをしようと意気込んでいたのですが、なんだか停滞しています。
どうもなにもかもだるいのは、かなり夏バテしているようです…。


おむかえ
2004年08月14日(土)

毎日線香臭いようですが、今日は新盆の集まりです。

といっても、Hのではありません。昨年の暮れに亡くなった、同居していた祖母の新盆です。よくよく考えてみると、こんなに立て続けに近い人が亡くなると言うことは初めてです。そして、祖母のあまりの大往生振りを見てしまった後だからこそ、あまりに違うHの死がこたえてしまっているかもしれません。

祖母の死はもちろん悲しいですが、思い出して涙が出るというようなことはありません。祖母の最期は傍から見ていて、なんと幸せなんだろうと言う日々でしたから。私の両親の介護も行き届いていましたし、本人も軽い痴呆があれども徘徊や叫んだりなどというものでなく、ただぼんやりと楽しそうにしている状態でした。当初寝込んだ時の痴呆の度合いや体の状態より、段々回復すらしてきたくらいでした。

わたしも祖母の介護を手伝ったと言う程のことはしていませんが、やはり気軽に出かけるには気が引けたり、運転をしたりなどのこともあり、Hと会うにも多少迷惑をかけていました。言い方が悪い様ですが、祖母が亡くなってやっと遊べるようになったと思いもしました。そうは言っても仕事が忙しかったり、出かけるのがおっくうだったり、やっぱり寂しい思いをさせていましたが。

「なんでそんなに優しいの」と、Hに何度も言われましたが、そんなことはないのです。私は優しいかも知れないけれど、そのぶん辛い思いもさせていました。やっぱり、出てくるのは「ごめんね」なのです。


お線香のにおいと汗にまみれる
2004年08月13日(金)

今日は、お墓参りです。

正確には「お墓」参りではありません。まだお墓がなく、一時的に納骨堂のようなところに先日納めたので、そちらに行ってきました。本当は明日の月命日に行ければ良かったのですが、予定が空かなかったので一日早い今日にしました。

とても広い公営墓地のなかにあるので、汗をかきかき坂をのぼり行かなければならないのですが、Hの実家の方にお線香をあげに行くのは中々行き難いことを考えると、気軽に行けるようになってよかったと思います。

Hの実家に行くことは心情的なものもありますが、宗教的な問題もあるのでなかなか(私の方では勝手に)敷き居が高く感じられてしまうのです。本当はもう少し家の方にお線香をあげに行きたかったのですが、「その後」のことがH本人の意図するものでない父親の宗派での式など色々諸問題がおおくて、単純にHのことだけを考えていればいいという状況でもなく、ああ、人が一人死ぬと言うことは大変なことなのだと度々思ったものです。


もしもし考
2004年08月11日(水)

帰宅途中、電車が降りてから家に着くまでが電話タイムでした。少し話すだけのつもりが、言い争いして長くなり、震えながら玄関の前で話し続けたことを思い出します。私が電話好きだったならば電話にまつわる思い出がもっとあったかもしれないのに、電話でまず連想してしまう思い出が、あの日の、繋がらなかった電話のことになってしまいました。「着いたらかけ直すよ」。いつも電車の中で電話がかかってきた時に言っていたあの言葉、なにげなくあの日駅で言った言葉が行き場の無いまま取り残されています。

携帯を変えようと、何度もお店に行って検討しています。当初は、なんでもいいから変えてしまえと思っていましたが、ここまで日が経ってしまうと折角だから使いやすいものにと欲が出てきてしまい、変えられないまま今に至ってしまいました。欲しい機種が機種変更用在庫が終了してしまったり。ロングメールが新しい機種にコピーできないことに、毎度ながらモチベーションが下がってきたり。このままではいつになるかわかりませんね。

今日、気がついたことがあります。Hが格好つけて二つ折り式の電話をあけるやり方、それをいつのまにか私もやっていました。いつからしていたのでしょう。


自己満足
2004年08月10日(火)

街ゆく人にHの面影を探しています。
今日も見つけました。くちもとの似ている人。
昨日見つけた人は、目の感じと、頭のかたちが近かったと思います。
歩き方の似た人もいました。
背格好の似た人もいました。
服装が似た人もいました。
たぶん、本当は似ていないのでしょうけれど。


密封保存
2004年08月08日(日)

彼が好きで昔よく着ていたと言うブランドの、レディースの店でシャツを買いました。もちろん、気に入ってもらえるだろうと思うデザインです。秋には活躍してくれるでしょう。

Hは細身だったので、レディースの古着のジャケットなどを着ることもあり、私も形見としてそのジャケットと、シャツを貰いました。ジャケットは皮なので今着ることはできませんから、部屋にかけてあります。かなり愛用していたので、Hの匂いがしみ込んでいて近くを通るたびに匂いがします。

シャツもジャケットも洗って着ようかと思っていたのですが、匂いが消えてしまうのがしのびなくて、メンズで肩幅の合わないシャツはビニールにきっちり入れてしまうことにしました。覚悟の死ではないですから、部屋もなにもそのままで、服など山盛りで洗濯もしていない状況でした。おかげで、汚いようですが着たままの状態で匂いがかなり残っています。袋をあけて夜中に匂いを嗅いだりしたら怪しい人のようですけれど、まともな写真もなくて顔も遠くなっていくであろう、声もどんどん忘れていってしまうであろう未来のために、せめてHを生々しく感じることのできるものとして残しておこうと思います。

ジャケットの方はクリーニングに出して、ゆるみかけたボタンをつけ直して、着ます。そして二人でよく行ったところ、好きだった店、行こうと約束していたところに彼を連れていきましょう。


時事話題
2004年08月07日(土)

元・にわかサッカーファンのHさん。
見ましたか?
日本、優勝したよ。

* * * * *
今日、定期を更新しました。
1ヶ月定期にしているのですが、今日更新したら次がもう9月になっていることが、当たり前なのに愕然としました。8月のことすら永遠に感じる程遠く思えていたのに、あっというまに49日もすぎて、オリンピックがはじまって、24時間テレビが終わって、秋になって…。

もしかしたら、今頃は薬が効いて楽になって、今日あたりは浴衣着て花火大会でも見に行ってたかもしれないのに。みんなで行こうって言ってたのに。

ばか。
ばかって言うときの私がすきって言ってたから、言います。
おおばかもの。


電車の友
2004年08月06日(金)

彼が一番好きな作家を、なぜか食わず嫌いでずっと読まずにいました。ちょっとしたきっかけがあり読みはじめたら面白くなってきて、Hが亡くなった時もその作家の本を読みかけていたところでした。「ここまで読んだよ」「じゃあ、これからもっと面白いよ」なんて会話をしながら。何かしていないと震えと涙が止まらない電車の中でむさぼるように続きを読み、読み終わったら感想が言えなかったとまた泣きました。

今また、その作家の別の本を読みはじめました。結構長いシリーズでまだまだ先は長いのですが、とてもおもしろくて、おもしろいから切ないです。Hも勿論好きだった話ですが、Hのお兄さんがこれを一番好きと何度も言っていて、お通夜でもその最後のシーンに主人公が言うセリフをなんどもつぶやいていました。まだそこまで辿り着いていませんが、とても前向きなかっこいいセリフで、「あいつは絶対そう言いながら行ったんだ、そう信じている」と。

単純に面白くて、どんどん読み進めていますが、最後のその言葉を読む瞬間が、少し、恐いです。


H
2004年08月05日(木)

Hのこと

Hのため

Hがすき



以上、これまで書いたものを見てふと気になりました。
なんだか違うことを想像してしまいません?
イニシャル変えましょうか・・・。


前向き発言した直後ですが
2004年08月04日(水)

その足で病院に行ってきました。
いわゆる精神科です。

わたしはぬるくぬるく生きてきましたし、自分の感情がコントロールできずにどうにもならないという性格でもありません。くよくよしたり、真面目に考え過ぎてしまう一方、忘れっぽいのと、どうでもいいやとすぐ思いがちな為に、いい意味でも悪い意味でもバランスが保たれていたと思います。何とは言えない、人間として大切な部分がどこか足りない気もします(単に傷付いたりということが薄いのでしょうか?)。つまり、メンタルヘルス系を患うタイプではないと思っていました。

そんな私ですが、Hのこと以外の昨今の自分の日常行動があきらかにいつもとちょっと違うと感じていました。そんな私を見て心配している母親のバランスも崩れてきているので、これはそろそろ行かねばならないと重い腰をあげました。友人達から一度カウンセリングに行くよう散々言われていたのですが、何となく行く気になれていませんでした。Hのために病気の事や、近くの評判の良い医者を調べたりしていましたから、偏見があるわけでも情報に乏しいわけでもありません。なんだか通院したり薬を貰うことで、”傷付いたから可哀想な私”演出になるようで嫌だっただけです。それに、痛みを感じ続けていないといけないと思っていました。

結局、いまのところなにか病気と言うわけではなく、急性ストレス反応?というものではないかという診断でした。状態により今後鬱やらほかの症状が出たりする可能性もあるとのことですが、やはり、所詮わたしはわたしだったのです。その程度でよかったと思うのですが、狂うことすらできない自分が悲しくもあります。

とりあえず安定剤が少しでも効けば楽になるでしょうから、飲み忘れのない様にしないといけませんね。


たまには少し前向きに
2004年08月02日(月)

手相の話をしていたら、他の人としわの具合が違うのが妙に気になってきて、職場のそばにちょうど占いスペースがあったので生まれてはじめて占ってもらいました。

「去年、今年と悪いこと、辛いことがあったでしょう?」
…その通りです。ありました。
(辛くて悲しくてどうしようもないけれど、楽しかったです。でもやっぱり辛いです。)

なんだか結構当たっていた気がします。なかなか面白いものですね。今後の仕事に関することを中心に聞いたところ、今後私の考えている方向性と合致するようなことを言ってくれたので、がんばってみようかなと思います。

1年すこし前に転職をした際にやりたいことがあったのですが、求人を探しているとどうしても今住んでいるところだと見つからず、引っ越してしまいたいなあと考えたことがありました。親や家族の事情もあり家を出るのに躊躇があったことと、もちろん寂しがり屋のHを置いていけるわけがないのでそこまで真剣ではありませんでしたが。こういう仕事が希望ということをわかっていたHが「行きたいんじゃない?行ってもいいよ」と強がっていましたが、まあ結局半分くらい妥協した今の仕事を見つけることができて丸く治まったのでした。

Hのことのあと、何か考えていないとだめだと思った時に「転職してあそこに行こう」と、最初に考えたのもまた運命だったのかもしれません。最初は単に今の職場で働く、その場所に毎日通勤することが辛くて、Hのアパートの向いに住んでいる友人夫婦も1年くらいしたら故郷に帰ってしまう予定ということもあり、逃げ出す気持ちだっただけかもしれません。でもまたこう落ち着いてきてみると、家の事情も片付いたこともあり、やはり行動を起こすべきかという気持ちを強く持ちました。職場の都合ですぐに辞めたりなどはできないので、やはり1年計画くらいで考えないといけないのですが、一生の仕事とするものを掴む為にはそれくらいの準備期間があってもいいでしょう。

Hにも病気がよくなったらやりたい仕事があったようです。それが叶わなかった分、H自身の夢とは違うけれどほんの少しでもかわりになるなら、わたしの夢を実現させるよう、まずは一歩踏み出そうと思います。


ところで、もともと作文能力が高いわけではなかったのですが、これを書きはじめてから特にそれを実感しています。まだまだ頭をきちんと整理できる状態でないからと言い訳してしまいます。読みにくいでしょうが、書き慣れてくればもうすこし読みやすくなる…と、思いますので御容赦下さい。


川を渡る
2004年08月01日(日)

本日は49日の法要でした。諸事情あり私は出席しないことにしたので、どんな様子かはわかりません。納骨を一緒にするなら何としてでも行きましたが、まだお墓のことが決まっていないので後日改めてになる予定だそうです。



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