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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2005年11月28日(月)
競れ部(誤字放置)とは何か

キャラクターの扱いって、むつかしいです。制作進行のマルチェロ(仮名)さんと、現場のクラリス(仮名)さんが、マジ喧嘩しているのを最近よく見かけます。





生まれて初めて、運転手つきの黒い車がずらっと並んでいるのを目にしました。宵の口の時間なのに、車の運転席の多分物凄く優秀なドライバーであるところのおじさんたちは、ただひたすら待っているだけでした。そりゃあもう待つ以外の作業は何もしていないことが、ハタから見ていてもよく分かりました。

折しもロケーションは皇居のすぐ傍。建物は大正期の建築物で、もちろんというかなんと言うか会員制で、でもこの間まで泊まっても部屋にはお風呂もついておらず、トイレは共同。娯楽室という札の下がった部屋に置いてあるのは「碁盤」と「将棋」と「玉撞き」だそうです。

宿帳には住所氏名電話番号のほかに、 「称号」 を書く欄がありました。

「唯一最大のメリットは、いつ宿泊を申し込んでも断られない点。客が多いのを見たことがない」
「経営は?」
「謎」


東京にはまだまだミステリースポットがあります。








拍手レス

ろーれるさん>
やはー! ろーれるさんいらっしゃいませ! そして以前から来てくださっていたとのこと、大変ありがとうございます!(笑) しかしこっそり属性でなくて超OK、っていうか実はやせ我慢してるだけで『コメントがいただけますように』と夜空のお星様に夜な夜な願っているような人間ですので、また気軽にお声かけていただけると嬉しいです。相変わらず陰気だなしかし。
どうにもムラとか波とかひどくてコンスタントに出していけないのが申し訳ないですが、出るときはぽこぽこ出てまいりますので、たまにチェックしてやってください。ちなみに今は出るサイクルに当たります。……余計なこと色々書いてるので、ろーれるさんみたく詳しい方に見せるのはガクブルです…(汗



2005年11月27日(日)
問わず語り

作品を出す、表現するとは勝負するということです。
世間とでも版権元とでも読者とでもありません。
自分自身とですらありません。

作品自体との勝負です。

何かを表現してしまった時点で、誰しもが否応なく向き合わされることになります。まるで鏡の中から現れた亡霊みたいなものと、自分自身の存在を賭けて無限に対話しなくてはなりません。


お前は何者か?  何がしたいのか?  戦ったのか?  正しいのか?


別にそれは攻撃してくるわけじゃありません。ただそこにいるだけです。自分の心の本質の姿で。
苦しんで生み出せば、作品は苦しいよと叫びます。楽しんで書けば、楽しいよと言います。
そして何かを偽れば、ただひたすら偽りのものになります。そうやって生み出した作品がもし評価を受けたら、その時作者は最大の罰を受けるでしょう。

何故なら作品は、実にはっきりとこう言うからです。「評価されるのは偽りのお前だ。誰も真実のお前を受け入れていない」と。

そう言葉にすることができなくても、何か知らないが嫌なものが心の中に溜まっていきます。気づかれれば気づかれたで容赦なく切りつけられ、気づかれなければ「気づいてくれない」「本当の自分を分かってくれない」他者に対して怒りや軽蔑や悲しみが蓄積します。それはどうしようもなく心を疲れさせ、最悪の場合には麻痺させます。

「こうなりたい」「こうであってほしい」と思っているとき、そうでない自分と向き合うのはおぞましいことです。作品は形を与えた時点で、どうしようもなく現実になってしまい、頭の中で無意識に望んでいることとのずれを誰の目にも見えるものにしてしまいます。見ているだけの人にも実はばれているんです。「この人は、本当はこういう人だ」と。

誰でも伝えたいことが伝わっていかないことに苦しむと思います。でも実は、伝わってしまうことのほうがずっと恐ろしいんではないでしょうか。最も見てほしい自分、もしかしたら絶対に外に出したくなかったかもしれない歪み、どちらも均しく取り返しがつきません。自分に対しても、他人に対しても。

放ってしまった猟犬のように、その影響がどこまでどう広がっていったのか、把握できる人はこの世におりません。

賛同してくれる人がどれくらいいるかは分かりません。ただ、少なくとも私にとって、自分で生み出した作品というのは、最も恐ろしい敵であるのと同時に、最もよく自分のことを分かってくれる友人だったと思います。例えば何年かたって再会した時にでも、それぞれの個性に応じて語りかけてくれる、信頼のおける助言者でした。無生物に対してそんな感情を抱くのが、ごく普通のことでないというのは分かっています。しかし、頭の中にそういう形式を築いてものを考えることが、まったく無駄だったとも思えません。

長々辛気臭い話をして申し訳ありません。ブックマークのひとつでした。ほんの少し、寂しいと思います。






拍手レス

みやん>
FSSも確かにそうだし、エルガイムやエスカフローネもそうだね。しかし、草分けになったのはこれだと断言できる。だって一番古い!(笑
いやしかし、ダンバインは多分最後までは見ないよ。ロボットアニメばかり見すぎで気分悪くなってきた……マーベルさんは美人なんだけどなあ……。



2005年11月22日(火)
日常の寄せ集め

・これが伝説のベルトーチカかあ! あの、この女長くねえなと直感的に思ったんですけど、どうですかね、合ってますか。
・幼馴染の女の子が母親代わりに言うんだ。つめを噛むくせをやめなさい、カミーユ! って! ……何故かここのシーン、記憶にあるんですよね。前後の状況まったく覚えてないのに。これが作品としての力というものか。
・ファとカツをアーガマから下ろせよ。カミーユの比じゃないぞ。
・メッサーラやアッシマーのプラモデルは、マジに変形するんですか?

→まだまだDLしています。ダンバインも気になりはじめました。普通、中世騎士物語とロボットアニメを合体させようなんて、誰も思いつかん!






置いといて、仕事がまとめの時期にさしかかっています。割り当てられた時間の三分の一くらいで作業が済んでしまったので、あとは資料(論文)を読んでおりました。……つまらんです。


この前読んだ経済の本に、「本業と副業を分離することなかれ」という結論が載っておりました。副業というわけじゃありませんが、私生活の大半が小説に行っている現状、仕事の内容を小説に生かすのが正しい姿ということになります。たしかに、そうなれば資料あさりにも身が入り、理想的な状況となるでしょう。で、小説のネタにならないかという観点で論文を読んでみました。


マルクク酵素小説。

兄×細菌小説。

抗生物質×弟。

活性汚泥の中で組んずほぐれつ。


……。
だめだこりゃ。



2005年11月20日(日)
Zの風

このところじっとして体を休めたい時間には、ネットでDLしてきたZガンダムを見ています。OPおよびEDが入っていないのと、スタッフロールが全く無いのを除けば本放送当時と同じ。昔は兄が喜んでいた隣で話がまーったく分からず、仲間はずれになったような気がしてぴーぴー泣いていたものですが、いや分からんはずだわ。今見ても分からん部分がけっこうあるよ。

何せ第一話の開始十分、カミーユが殴りかかる直前のジェリド・メサが振り返って言うセリフからこれです。

「カクリコン中尉の知り合いか?」

ノー説明!

確かにこのカクリコン中尉という人は後の話でけっこう出てくるのですが、とりあえず第一話では影も形も出てこないし、何かのついでにさらりと名前を呼ばれるくらいの紹介のされかたしかしません。要は「今第一話を見ている視聴者は後の話も見てくれるし、個別に出てきた固有名詞を忘れることもない」という前提条件のもと作られているわけです。

物凄い大名商売です。

遠慮なしにばんばん新しいキャラは出てくるし、ほとんど一人残らず名前が耳慣れないし、とどめに主人公が、これでもかというほど好きになりにくい性格をしています。ついでに前のシリーズのレギュラーキャラクターがけっこう重要な扱いで、てんこ盛り登場します。アムロとシャアに何の思い入れも無い人はどうすりゃいいの、これ。

と、改めて和製スターウォーズになりおおせた伝説のアニメのすごさを確認したところで、作品の感想に移ります。





まず一言。嫁と息子が二人ともこの性格だったら、私でも家庭から逃げたくなると思います。

これはマルガリータのくだりで誰でもそう思うでしょうな。単に性格が暗いだけでもいい加減鬱陶しいのに、さらに頭とカンがいいのです。ほぼ最悪の組み合わせです。ヒルダ・ビダンの人となりについてはほとんど推測になりますが、外観のデザインと演出の意図から言っても、息子は母親似ってことでいいでしょう。

仕事にかまけて家庭をおろそかに、っていうのは、ものすごくよくある家庭内トラブルの原因ですが、両親とも同時にそれをやって、しかも子供は一人っ子のカミーユ・ビダンです。どこから手をつければいいのやら、まったく分かりません。母子が過度に密着する傾向のある父親不在家庭でさえ、何やかんや言われるのに、愛人作ってる父親を母親が「仕事が面白いから」という理由で無視。しかも嫌味だけはご立派。笑う以外にすることがないな。

先ほど大名商売と言いましたが、わざわざ主人公のキャラクター設定をこんなんにすることもまた、並の度胸ではできないことだと思います。サブカルチャーは自分で自分を食わせていかなきゃならない文化です。ガンプラ売らなきゃ、次はないのです。地盤を手にしたからこそこういう離れ業もできたんだと思いますが、そもそも普通の作者は思いつきもしないでしょう……。ある種、やはり伝説だったんだと思います。

というわけで、やっぱりカミーユが好きです。フォウの魅力はよく分かりませんが、この女の腐ったような根性と右左に並べると、百合もののようで非常にいいです。オカマ万歳(結局それか)



2005年11月19日(土)
素材の海の漂泊者

……よく読んだらこれ、ぱたぱたしている人々がマルとかククとかほとんど書いていないではないですか。御礼なのにひどいもんです……。<鳥




置いといて、ずっと前に書いたような気がしますが、うちのサイトは拾い物でできています。要はテンプレートやフリー素材そのまんま使用シリーズです。

ウェブ上で手に入る素材は、何でこれがただで使えるのか、というようなセンスのいいものが揃っていて、虫捕り気分で狩り集めているとけっこうな時間が過ぎています。ただ、サイト全体の統一感とかを考えていると、さすがにあれもこれも使用するわけには参りません。

特にうちの場合、右側固定テーブル+フレーム縦一本分けに妙にこだわってしまったので、今更凝った構成のテンプレートを使いたくなってしまい、苦悩しています。

で、苦肉の策。

シリーズ丸ごと変えました。






拍手レス

十二日の時々見に来てくださっている方>
長々お待たせしまして、大変申し訳ありませんでした……(平伏)
ひっそり頑張っておりました。以後はもうちょっと沈黙せずに行けるよう、精進したいと思います。何とぞお見捨てなきよう、拍手大変ありがとうございます!

十三日・ひでみさん>
茶ではお世話になりました! リンク確認しました。大変ありがとうございます。何かこう、色々微妙なもの置き場ですが、気に入っていただけると大変嬉しいです。こちらからも折に触れて遊びに行かせていただこうと思いますので、更新頑張ってくださいね。それでは拍手ありがとうございました。



2005年11月08日(火)

五歳の冬のことです。どうしてそれが分かるのかというと、覚えている風景が実家の近くの幼稚園のもので、なおかつ園庭に面した、年中組の教室としてずっと使われていた部屋だから。今はもう建て替えられてしまったので残ってはおりませんが、写真を見る限り齟齬はありません。また、誕生日が夏ですから、必然的にそこにいるときは五歳ということになります。

教室には古いガスストーブが燃えていて、『これ以上近寄ってはいけない』の黄色いビニールテープがその周りに四角く引いてありました。自由時間か何かで、友達は周りで遊び、先生は机のところで何か書き物でもしていたと思います。

私はずっと使っていた、赤いゴムのつま先がついたバレエシューズを、そのビニールテープの端にぴったり揃えて、一人でストーブにあたっていました。ガスストーブの前面に張られた枯れ枝のような意匠の、白い格子の模様を今もよく覚えています。

じっと眺めているうち、私は不意にとてつもなく奇妙な感覚に襲われました。わたし、という言葉の意味が、急に頭の中いっぱいになって溢れそうになったのです。周囲には友達がたくさん、他の教室にもたくさんいます。先生もいます。家に帰れば両親や兄弟がいます。私はそれらの人々のことを順繰りに頭に浮かべ、そのどれもが自分ではなく、従って自分と代わることはできないということを思いました。とても大勢の人のことが浮かびましたが、その人々のことを考えている「わたし」、これはどうやっても一人しかいないということを初めて考え、その不思議さに打たれました。

ストーブの照り返しで熱くなった頬を感じながら、私は私というものがこの世にいること、生まれてきて、育ち、生まれてきたということを今この場で考えていること、考えているという事実を、また同じように意識していることを、長い時間心に浮かべました。そういう心の状態がもたらしてくれる不思議な感覚を、まぼろしのように心に留めました。

そういう、ハタから見れば単にストーブの傍でボーっとしているという行動を何度も繰り返していたので、もともと素養がなかった私の運動能力は、とみに低下しました。

今でもその時のことを時々思い出します。あの時、ニューゲーム状態の私の意識の上に広がっていたのは、間違いなくある種の『謎』でした。言葉を知らなかったために、言語という手に触れられる形にこそなりませんでしたが、恐ろしく茫洋として、深くて、しかも自由な謎がありました。

人とは何か、というお馴染みの問いに対する考え方の技法として、自分のルーツを求めるというテーマがあります。私はこれに接するたび、闇の中に燃え上がる炎を思い浮かべます。実はその炎はガスストーブの火で、周囲を覆っているのは何も知らないがゆえの意識の暗さなのですが、不思議とその光景は少しも嫌なものではありません。そして、こっそり考えます。幸福な謎としてこの世に生まれてくることができて、本当に良かった、と。

様々な状況で、さまざまに人の存在という謎を追われる方がいると思います。答が出たという話をいまだに聞きませんので、これからもその数は多いでしょう。幸福な答が得られるかどうかは分かりません。ですがせめて、幸福な謎であれるよう、互いの幸運をお祈りしております。






拍手レス

>11/5の方
もちろん、以後も腕によりをかけて団長を振り回しまくるので、ご安心ください(親指) 回転数としては、ちびくろサンボの虎並みです。ご訪問ありがとうございました!