実家から、犬が死んだという知らせがきました。今年の九月でハタチになった老犬です。
「今年の夏は越せまい」と言われ始めてはや4・5年、小屋の中でひっくり返って長くなっていて、はっとして前足を引っ張ると実は生きている、とゆー、ドリフのコントみたいなことまでやってくれたので、正直悲しい、というのとはちょっと違います。人間だったらとっくに百歳過ぎの婆様の大往生ということになり、任期満了を粛々と祝わねばならないところでしょう。
おりから何十年ぶりの大雪に降り込められた在所で(だから私は帰郷に踏み切れなかったのですが)、家族に看取られてこっとり旅立った犬は、思い返してみればそれはそれは恵まれた生涯を送ったと思います。
兄が近所の友達んとこからもらってきたちっこい雑種でしたが、獣医が感心するほど健やかに長生きし、十八歳にもなって元気に脱走し、三日も四日も近所をさ迷った揚げ句、捕まったときには野生に戻りかけてたのか何なのか母を噛んだりしました。(それまで心臓の薬を飲んでいたものが、これをきっかけに馬鹿馬鹿しいということで薬も無くなりました)
足腰が立たなかったのは、結局最後の一週間ほどだけだそうです。猫どころかハトにも負けるほど意気地が無かったし、頭良さそうな行動は結局生涯一度もとらなかったし、ひとの顔色伺うのでどうしても三下感が拭えませんでしたが、やはり、ずっと元気でした。太く短くとか、細く長くと申しますが、元気という意味では太い上に長かったです。
先述しましたが、結局私は犬のために実家に帰ってやりませんでした。雪のために六十分遅れていましたが、それを押していくこともできたし、往復の新幹線代だって自分の財政状態を考えれば致命的な額じゃありません。ただ、週末がすっぽ抜けたら部屋をこの状態(白目)で新年を迎える羽目になるという事情はありましたが……。
でも、あの犬はそれでいいんだ、とも思います。無理してそのためだけに都合を合わせたり、大仕事したり、派手に担ぎ上げるような真似は、似合いません。というか現実的に考えて、もう十年も犬とは一緒に暮らしてないわけで、私が行ってもおそらく分かっとらんな……と……どうもいちいち締まらないな……。
あと一週間かそこいらで戌年です。十二年に一度の出番ということで、犬の写真を年賀状に貼り付けようとしていたのですが、最初からやり直しです。色々鑑みて、本日は時間を無駄にせず作業せねばなりません。感慨がないわけではないのですが、結局『でも、それはひとまず置いといて』という扱いになるのが、一番物悲しいことかもしれません。
おい、いい犬だったよ、お前は。いや、正味の話。 でも、さようなら、ありがとう、あま子。
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