* Droppingwell *
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2005年10月23日(日) |
月が廻っているあいだ |
天気の良さにうれしくなって、予定より早く家を出た。 真っ青な西の空には白い半月が浮かんでいた。
早めのお昼ご飯にカレー4種を食べてから「凡」でカフェオレボウル?抹茶茶碗?鉢?にたっぷりのアイスコーヒーとキャラメルシフォン。これだけでも今日は満足だったかもしれない。
夕方、ドーナツあげたお返しにもらった芋きんにパクつきながら、カラヤン広場で時間を待つ。6時半にオルガンの音色が響くと、人々が入り口に集まってくる。華やいだ気分。今夜はイーヴォ・ポゴレリッチのコンサートなのだ♪
プログラムは当初発表されていたものから全曲変更になっていた(笑)。
ショパン : 夜想曲 ホ長調 op.62-2 ショパン : ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 スクリャービン : ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 op.30 ラフマニノフ : ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.36
ポゴレリッチは・・・・凄かった。 猫でも音の出せる楽器、ピアノ。そのピアノからは、想像を絶する音、表現が生み出されるのだ。それは衝撃的とか圧倒されるとか言うこともできるのかもしれない。でもそれ以上に、それはこの上なく幸せで満ち足りた気持ちにさせてくれるものだった。(いちばん衝撃的だったのはポゴレリッチの頭かもしれない。ス、スキンヘッド!!) 客席が明るくなっても、ポゴレリッチへの感謝の拍手は鳴り止まなかった。
帰り道、東の空には半日分だけ削られた月が昇っていた。
リンゴと梨が盛ってあったら、梨ばかりシャリシャリと食べる梨好きの質問。
「マックのデザインって、どこが良いの? どうしてマックはデザインが良いということになっているの?」
「失礼な!」
と、一喝されたのであった。 しかし、今日見たマックのマウスはよかったな・・・。あれをとても使ってみたい。
チュニジアでは日焼けをしてしまい、体重も若干増えたようだ。 見た目少し健康的になったかな・・・? 帰ってきてずっとお天気が悪く、洗濯物が乾かない。
24時間かかってチュニジアから帰国しました。 チュニジアに行く前、いろんな人に「チュニジアってどこにあるの?」「何があるの?」「危なくないの?」と聞かれた。私自身、砂漠とか、地中海とか、カルタゴやローマの遺跡とか、あとは「スターウォーズ」や「イングリッシュ・ペイシェント」のロケ地になったというくらいのことしか知らなかった。今チュニジアについてひとことで言ってしまうと、
「そこは一大アミューズメント・パークであった」
ということになる。 とにかく楽しかったです、チュニジア。
今日が最終日。午前中またメディナ(旧市街)へ行って「ギリのハハに!」を聞き、モスクなどを見た。
ホテル・アフリカのカフェで小銭を処分してから空港へ向かう。免税店でオリーブオイルを買って、パリ行きの飛行機に乗った。少し、名残惜しい。チュニジア楽しかったな〜、思い出がたくさんできたよ。
夕日が落ちるのと一緒に、飛行機はパリの地へ下りていった。
2005年10月13日(木) |
カルタゴ、シティ・ブ・サイド、チュニス |
カルタゴ。 チュニス郊外に残る遺跡群は海を臨み、今ではこの周辺は高級住宅地になっている。
激しく破壊されているので、公共浴場といわれてもピンとこないけれど、大きな石の隙間に入りこんだりよじ登ったり、2800年前の空気を嗅ぎとろうとしてみる。
高級住宅街の中で特に美しい街並みを誇り、観光名所になっているのがシディ・ブ・サイド。白亜の壁にチュニジアン・ブルーのドアと窓が映え、そして澄み渡る空とキラキラ光る地中海。これ以上完璧な絵があるだろうか。
街路樹はオレンジの木、南国(といっても緯度は仙台と同じくらいです)の太陽が惜しげもなく降りそそぐ。 ここには世界最古のカフェ「カフェ・デ・ナット」があり、パウル・クレーやアンドレ・ジッドらの芸術家もこの地を愛したという。
チュニジアには猫がたくさんいた。犬は見かけなかった。
チュニス中心部に戻って、午後はメディナ、新市街を特にあてもなく歩き回った。メディナの土産物街では「ギリのハハに!」という掛け声が面白かった。しかし新市街など土産物屋以外を歩いていても若いおにいさんたちにひっきりなしに声をかけられる(こっちは若くないんだよ〜)。ラテンよりも無遠慮でノリが軽い。日本のイメージを悪くさせないように、でも勘違いはされない程度に、ニコっとしておく。街の雰囲気は安全で、スリなどの気配を感じることもなく、乞食の人はひとり見かけただけだった。アジアや欧州の南部を旅するよりも気は楽だったかもしれない。 夕方になると人々はフランスパンを小脇に抱えて帰路につきはじめ、日が暮れると街は再びガランとなった。昨日と同じレストランで食事をし、その後人出を取り戻した表通りのカフェで松の実入りミントティーをすすり、アフリカの夜は更けていくのだった。
2005年10月12日(水) |
スベイトラ、ケロアン、ハマメット、チュニス |
旅も後半に入りだんだん疲れも出てきて、車の中でウトウト。ドライバーさんもハードな運転続きでお疲れに違いない。昼間は飲まず食わずだし…。
今日は北上します。 北に進むにつれて緑が多くなり、オリーブ畑も広がってきた。
スベイトラというビザンチン帝国の遺跡のある町に到着。
円形劇場や神殿の残る石造りの遺跡の中にはコスモスやブーゲンビリアなど色鮮やかなお花が咲き誇り、なんだかとてもロマンチックな場所でした。
次はケロアンという聖地を訪ねる。ここのモスクは有名なのだけれど、残念ながらすでに閉まっているので外から眺めるだけ。そして壁で囲まれたメディナ(旧市街)の中へ。相変わらずいろんな声がかかる。コニチハ、アリガト、ガンバレニッポン!
土産物屋でチュニジアのお守り的な意味をもつ「ファティマの手」がついたブレスレットを2本買った(2本つなげるとチョーカーになる)。
チュニスへ戻る途中、ハマメットという海辺の町へ立ち寄る。ここがまた非常にツーリスティックなリゾート地でヨーロッパ人がうじゃくじゃ、ヨットハーバーや豪華なホテルが立ち並び、メディナの中を歩いてもあまり生活臭がせず、とても小奇麗なところだった。
チュニスへ戻ったのが6時すぎ、ちょうど日が暮れるころだった。ホテルは目抜き通りに面したグッド立地で6階の部屋からはフランス風というかコロニアルな街並みを見下ろすことができる。…が、なんだか通りはガランとして人影がほとんどない。
とりあえず晩御飯を食べに行こうと外に出てみても開いているレストランが見つからない。ラマダン中はみんな家で食事をするのだろうか。大都会で人がいない状態というのはけっこう恐く、あまりうろうろしたくないしどうしようと思っていたところでやっとレストラン発見。メニューがアラビア語とフランス語だけで読めないので店員さんとカタコト英語でクスクスと魚介のサラダとガス入りウォーターを注文。美味しかったし、値段も決して高くはなかった。食事が終わって外に出ると、人も車もたくさんいた。そして夜11時ごろまで外は大騒ぎのアラビアン・ナイトなのであった。
2005年10月11日(火) |
レザールージュ、タメルザ峡谷、砂漠 |
朝早く起きて、ホテルで日の出を見た。
内陸の朝はひんやりとしている。
このホテルで、成田からチュニスまで同じ飛行機だった日本人のツアー客と会う。チュニジア滞在中、他に日本人に会うことはなかった。
さて今日は鉄道の駅まで行き、「レザールージュ(赤いトカゲ)」という観光列車に乗る。フランス統治時代に実際に使われていた車両で、レトロな雰囲気。銃を携帯した軍人も同乗している。私たちは護衛されているというわけだ。 はじめはなだらかな山が続いたが次第に切り立った岩山の風景に変わっていく。トンネルを抜けると目の前に絶景が待っており、そこで列車は停止して写真タイムになる。
列車の速度はゆっくりで、連結部に立って風を受けるのが気持ちよかった。
往復して戻ってくると、車に乗り換えてタメルザ峡谷へドライブ。 このあたりは「イングリッシュ・ペイシェント」のロケに使われた土地です。アルジェリア国境まで1キロのミデスという村で、グランドキャニオンのような渓谷を見学する。地層がとてもきれいだ。谷底は深く、足がすくむ。
タメルザ・パレスというホテルでランチになった。このホテルは周囲の景色に溶け込むようなつくりで、内装もとてもお洒落。さきほどの列車に一緒に乗っていた人たちとここでまた会ったりする。この辺りは皆同じようなコースで回っているのだ。 この後オアシスの村シェビカ(ナツメヤシの植わった岩場の遊歩道を歩いていると、テーマパークにいるかような感覚になる)や滝のあるタメルザを見てまわった。
車は峡谷を抜け、昨日とはまた別の塩湖が広がる中を走る。と、舗装された道路からはずれて突然塩湖の中へ入っていった。ここはパリダカのコースになっているとのこと。4WDの本領発揮である。白っぽい大地から、次第に砂漠の景色へと変化していき、ラクダ岩を見たり急な坂をジェットコースターのようにくだったり。 途中車から降りて砂漠の上に立つと、そこは完全な静寂に包まれていた。地球とは別のどこか遠い宇宙の星の上にぽつんと立っているような、そんな感じがした。
さてさてまたしばらく走ると現れたのが「スターウォーズ」のセット。ファンにはたまらないでしょう。砂漠の真ん中に突如出現するこの光景は、とても不思議です。
ラクダの群れに遭遇しながら砂漠を抜け、今夜もトズール泊。
2005年10月10日(月) |
エル・ジェム、マトマタ、ドゥーズ、ショット・エル・ジェリド |
今日は南へ向かう。オリーブ畑の中を走り、見えてきたのはエル・ジェムの円形競技場で、ローマの遺跡。周りをぐるりと歩いてみた。土産物屋が並ぶ一角で、モザイクの壁掛けのようなものが目に付いたので値段交渉してみた。25ディナール(1ディナール=85円くらい)というのを、2個で20ディナールまで値切ってM子と1個ずつにする。
さらに南下すると、しだいにオリーブ畑も消えて緑が少なくなり、荒涼とした岩山のような光景が続く。到着したのはマトマタというベルベル人の村。穴居住宅の見学をする。地面に穴を掘り、さらに横穴を掘って部屋を作った住居で、窓はないけれど壁が白くてけっこう明るく、そして涼しい。ここでパンと紅茶をいただく。
チュニジアの観光地はどこもヨーロッパ人が多く、しかも団体で大型バスで押し寄せている。 ランチは、穴居住宅のひとつを改装したホテルにて、ラムのクスクスなど。このホテルは「スターウォーズ」の撮影にも使われたとのことで、ポスターなどが貼られていた。
ここから西に向かって、サハラ砂漠の入り口となる町、ドゥーズへ到着。ナツメヤシのオアシスもある。ラクダステーションへ連れて行かれ、ラクダに乗って砂漠ごっこをする。1時間くらいラクダに揺られ、けっこう楽しかったかも。
さて、陽も傾いてきた。ランドクルーザーは速度を上げ、ショット・エル・ジェリドを目指す。そこはチュニジア最大の塩湖。観賞スポットに着くと、ちょうど落日の瞬間を目にすることができた。そして見上げると上弦の月が光り、塩の大地が広がる光景はなんとも幻想的だった。
そこでガイドさん、やにわに食物を取り出す。そう、今はラマダン中で、イスラム教徒は日の上がっている時間は飲食ができないのであり、日の落ちたことを確認したこの瞬間から解禁というわけ。パン、ナツメヤシの実、ぶどう、梨などが次々と出てきて、私たちにも分けてくれる。ナツメヤシは甘くてわりとこってりとした味だった。 トズール泊。
シャルル・ド・ゴール空港で日の出を見てから、チュニス行きの便に乗った。チュニスまでは2時間半のフライト。地中海を越え、初めてのアフリカ大陸へ。 空港で現地のガイド兼ドライバーさんが出迎えてくれた。今回の旅は、このムハンマドさんが、友達M子と私をトヨタのランドクルーザーに乗っけて国中を駆け巡ることになる。
まずは海沿いの町スースへ向かう。途中はオリーブ畑が広がり、羊の群れを見かけるなどなかなかのどかな光景。しばらくすると海が見えてきた。真っ青な、地中海。リゾートホテルなどが並ぶ港を散歩してみると、ヨーロッパの観光客がたくさんいる。日差しが強くて暑い。その後スースのメディナ(旧市街)見学へ。リバト(要塞)の塔に登って町を一望する。
塔から下りてメディナの中を歩いてみた。中心の通りの両側には土産物屋などお店がびっしりと並んでいる。ラクダのぬいぐるみ、革製品、アクセサリ、焼き物、ランプ、などなど。そして、70cm進むごとに声をかけられる。「コニチハ!」「ジャポン」「ナカタ」「ホンダヤマハスズキカワサキ」。お肉屋さんでは羊の肉や頭がぶらさがっている。この活気のある通りから一歩入ると、人気が少なく入り組んだ細い路地が迷路のように続いているようだ。歴史ある雰囲気が漂う。
夕方になってホテルにチェックインしてから、また海を見に行った。ホテルもオーシャンビューです。
海辺は風がとても強かった。
晩御飯はホテルの近くのレストランで、魚(何か分からない)のクスクス、チュニジアン・サラダ(トマト、きゅうり、タマネギを賽の目に切ったものをオリーブオイルなどで和えてある)、チュニジアン・スープ(挽き肉と野菜の入ったトマト味。ピリ辛)を食べる。
美味しかったです。
1週間ほど旅に出ます。 行き先は日の没する国、マグレブ地方。 荷造りもほぼ終わって、持って行く本をどうしようかなと考えているところ。 じっさい旅行中に本を読んだりすることはほとんどないのだけれど、なんとなく持っていたい。それに乗り継ぎのパリの空港でけっこう時間があるのでさすがに退屈するかもと思って。 行きに本屋さんに寄っていこう。
では行ってきまーす! ご飯が美味しくありますように。
事務所が今日から新しいところに。 水平方向に50mくらい、垂直方向に30mほど移動した。 荷解きでへとへと。 喉が渇いて、お茶とか水とかがぶがぶ飲んだ。今年いちばん水分を摂った日だったかも。
2005年10月02日(日) |
シャインシャインシャイン |
真夏の陽気が戻ってきた。 しかし、そろそろサンダルもしまって靴を準備しなければ。 そんなわけで今日は靴磨きの日。 夏眠していた靴で、すぐ必要になりそうなもの数足を玄関に並べ、軽く湿らせた布でさっと表面をぬぐう(カビが生えていたのもあったのでそれは念入りに磨く)内側もね。カビ止め・汚れ落としのローションをつけた布で隅々まで拭く。次に靴墨をつける。つけすぎない。しばらく置いてから柔らかい布で仕上げの磨きをかける。できあがったツヤっぽい靴たちを前にして満足。
庭に勝手に生えていた茗荷を薬味にして、お昼は好物とろろ蕎麦にした。 とろろ蕎麦はお腹いっぱいになるけど、すぐまたお腹空いてしまうんだよね。
右下親不知の歯茎の痛みが引いてきたと思ったら、背筋痛・・・。 ああ〜、引越しもあるしそんな場合じゃないのに。
しかし夜11時27分、そんな痛みもふっとんだ。 23日はサントリーホールへ行くのです、行けるのです♪
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