* Droppingwell *
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もうそろそろ秋風が吹き始めてもいいのではないかというくらい十分夏を味わった気もするのだけれど、まだ7月が終わるところ。そういえば花火だってしていないし、オリンピックもこれからだし。ギラギラは続く。。
アジアカップのヨルダン戦、いっそこのまま負けちゃえばもうブーイング(まさにブーイングのための)を聞かなくてすんでホッとできるのかもよ、なんて少しだけ思っちゃったりしたけど、全くすごかったよ。
「生まれる」(自動詞) 辞書にはちゃんとそう書いてある。「生む」の受け身では、ない。〜によって生まれる、なんて言い方はしない。 I was bornのbornは形容詞。
最近ロック(に限らないけど)の新譜というものをほとんどチェックしていない。MTVなんかもあまり見ないし、雑誌も好きなアーティストの記事をパラパラ立ち読みするくらいだし、ネットでもお店でも積極的に情報収集しないから、世の中で何が起こっているのか分かっていない。 今世紀にデビューした人で気に入って聴いているのはThe StrokesとMando Diaoくらいじゃないかと気づいてしまった。なんてミーハーな。
そんなんでネットをウロウロ徘徊していて、昨日の今日にMando Diaoの新曲が発売になっていることを知った。ちょこっと視聴できたけど、悪くなさそう。グッド・メロディと怖いもの知らずな勢い、ワクワクしてきた。アルバムを楽しみにしよう♪ 果たしてグスタフ君の美しい鼻はますます高くなるのか??
肌荒れが治らない。ほっぺが赤くごわついて痒く、口の周りに小さな赤いぶつぶつができている。初夏の頃からずっと敏感な状態が続いていていやんなっちゃうぅぅ。。気休めにビタミンB錠を飲んでおく。
日没の頃、東の空までピンク色に染める夕焼けを背にして、灰色の雲が漂っていた。台風が近づいている。今夜は窓を閉めて寝よう。
ゴーヤーに病み付きな今日この頃。あの苦味はほんと癖になる。 ゴーヤーチャンプルーやそのアレンジなど、レパートリーは少ないけれど、油で炒めるととても美味しい。この前は豚挽き肉、茄子と一緒に炒めて麻婆ゴーヤー茄子にしてみたら後引いて、ビールに合いそうだなぁなんて思っていた。ゴーヤーのワタ取りも楽しい。縦半分に割って、中のワタをスプーンでぐぐぐってえぐる感触が好き。
今日の晩御飯には、ゴーヤーの炒め物、豚角煮エンツァイ(たしか空心菜ともいった。あるいは空芯菜?)添え、しゃきしゃきの長芋サラダが並んでいて、いかにも夏バテに効きそうな献立だった。実際栄養豊富なのだろうけど、食べているうちから体が喜んでるのが分かって、もりもり頂きました。 基本的に、食べたいもの=体が求めているもの=体にいいもの、だと思っている。栄養成分などは詳しく知らなくても、体の声によぅく耳を澄ませてみれば、自然と食生活は健康的になるのだろうと。
今日一日酸欠のメダカみたいな気分で口パクパクしていたのは、朝方に降った中途半端な雨のため…。
朝7時前、空には青い部分も見えていて、半分お天気雨のようにパラパラと音を立てて雨粒が落ちてきた。日照り続きだったこのごろ、久しぶりの恵みの雨。雨はやがて強くなり、朝の世界を湿らせていく。 開けた窓から、涼風に乗って微かな雨の匂いがした。夏の雨の匂い。その匂いをもっといっぱい嗅ぎたくて、たまらず玄関のドアを開けて外に出て、庇の下に佇んだ。雨と、雨に誘われて立ち昇る木々の匂いを、体全体に浴びて肺の隅々まで吸い込みたかった。心ゆくまで。でもそれには空の雲は薄すぎて、すぐに雨は弱まり、その勢いが戻ることはもうなくて、2時間経たずに完全に上がってしまった。遠くで雷のゴロゴロいう音がした。 雨と木々の匂いにこんなに飢えていた自分に少し驚きつつ、そのわずかな名残でもどこかに漂っていないかと一日中すーこすーこしていてなんだか苦しかった。
Pulpの「Trees」が聴きたくなってオートリヴァースしていた。はっきり言ってこの曲のどこがいいのか説明できないというかする気も起きないのだけれど、なぜか森の中にいるような気分を味わっているような気になってしまうから不思議だ。たぶん、好きなんだろう。
森に行きたい。
「Droppingwell」というタイトルを付けていながら、実はその意味をたぶん正確に分かっていない(汗)。水の滴る井戸、というような感じかと思うのだけれど、その日本語もよく分からないし。まさか「落下していく井戸」じゃあないよね。そのうちにふと分かるんじゃないかな、なんて呑気に思っている。
アイルランドにいた時よく行ったお気に入りのパブのひとつがDroppingwellという名前で、その名前自体もなんとなく気に入って使わせてもらっている。そのパブの裏手には小さな井戸がひっそりとあった。
王子さまの言ったことば。 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」 井戸がいつも潤っていればと思う。涸らさないように。
この前せっけんのことを書きました。 本当はシャンプーもせっけんシャンプーを使いたい。これまでに何度かトライして挫折しているけれど、ネットでいろいろ調べているうちに欲しくなって買ってきて、しばらく使っていた。 せっけんシャンプーとはかくも進化したかというオドロキの泡立ち。もこもこもことキメの細かい泡が立って気持ちいい! 流すときはどうしても軋むけど、髪の生え際の地肌部分がキュキュッとして気持ちいい! クエン酸リンスをすれば軋みもとれてツルっとする。
…でもね、やっぱり挫折しました。しばらくがんばってみたのだけど、どうしても髪はばさばさ纏まらず、うっかり使ってしまった合成シャンプーの手触りのよさ(当方比)に感動してあっけなく敗退。
その余ったシャンプーはボディソープとして使っている。せっけん成分100%だから何の問題もない。問題はリンス。クエン酸は飲んだり化粧品に使ったりもできるのだけど、さすがに飲む勇気はなくて(自分でグリセリン加えちゃったし)、体にぴちゃぴちゃ振りかけたりしてみるもののいまいち。紫陽花にあげたら青くなるだろうか。
「初恋の来た道」をBSでやっていたので観てみた。 中国のああいう風景ってはじめて見る。白樺が生えていて、ヨーロッパかと思うようなところが少しあった。そんな美しい風景を舞台にした素朴で純粋なラブストーリー・・・そのとおり、それで十分な心洗われる映画だった。切なさでいっぱいになった。 現在がモノクロ、過去がカラーというのは変わっているけれど、少女の赤い上着と赤い髪留め、黄金色に染まる村の景色は、色あせることなくいつまでも鮮やかなままなのだろう。あの歩き方、走り方はギリギリの可愛さ? 老いても同じ歩き方をしていて微笑ましかった。
向田邦子をほとんど初めて読んだ。「男どき女どき」。 短編はどれも良かった。「ビリケン」とか、そこはかとなく可笑しさが漂う。エッセイでは「無口な手紙」に思わずホロリ。もっと読んでみたい。
この3ヶ月くらい、朝4時半前後に目の覚める日が続いている。ちょうど日の出の頃なので、東の空を染める朝焼けや、巨大線香花火のようなぼったりした朝日を幾度となく目にした。ユーロも見れた。こんなに明るいのに世の中ははまだ寝静まっているという不思議。そして夜は必然早くなる。この日は耐え切れずになんと9時前にばったりと倒れこんでしまったのです。 もともと夏と冬では1〜2時間ずれた時間を生きているし、今年はその傾向がいくらか強まっているというだけならまあいいのだけれど、なんか眠りがずっと浅い気がする。秋になればもう少しぐっすり感が戻るのかどうか、しばし様子見。
百日紅の花が咲き始めている。 FF0088のピンクが、緑の葉と青い空に囲まれて強烈な真夏の色彩。
2004年07月20日(火) |
クライバー・フォーエヴァー |
「ベートーヴェン:交響曲第5番・第7番」 カルロス・クライバー/ウィーン・フィル
このレコード(ディスク)は名盤として名高いけれど、実際ほんとに非の打ち所がないって思う。交響曲というものの醍醐味が存分に味わえる。 私は緩徐楽章を特に好むわけではないのだけれど、この2曲の2楽章はたまらなく好き。5番の8'14"でホルンがソロを奏ではじめると、もう終わってしまわないで!とすがり付きたい思いにかられる。
C.クライバーが亡くなった。生演奏を聴くなんて夢は夢のまま終わってしまったけれど、素晴らしい録音に感謝を。
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いやはや今日の東京、最高気温39.5℃だったらしい。ただ湿度が30%くらいまで下がったため、日陰にいる限りはそれほど不快ではなかった。30℃90%よりはいいな。 そんなんで絶好のうなぎ日和でした。水も美味しくていっぱい飲んだ。
2004年07月19日(月) |
「音楽は定義できない」 |
「永遠のマリア・カラス」を見る。 伝記的なものかと思いきや全然違って、かなりのフィクション映画だけれどとても良かった。私のようにオペラに暗くても充分楽しめます。 劇中劇の「カルメン」の映像は豪華で、ため息。この完成品を見れたら…なんて思ってしまう。音楽映画って、イイトコ取りの音楽が次々流れるから、それだけでも得した気分。 ファニー・アルダンの演技はカラスの哀しみや誇り高さがひしひしと伝わってくるし、ラスト、サングラスの奥の表情がとても印象的だった。 そしてもちろん、永遠の歌声は今も響いています。
新しいサンダルで出かけた。転んだ。。 ハイヒールやピンヒールで優雅に歩く日はまだ遠い。
パエリヤ(もどき)を作った。 大きくて平たい鍋にオリーブオイルを引き、お米にベーコン、微塵切りのタマネギにノルウェイカラーのピーマン、シメジを炒め、鶏スティック、海老、イカを並べて最後にあさりをざーっと撒いたら、青いあさりがひとり目に付いた。なんかこう、富士山みたいな青さ。模様はごく一般的なあさりなのだけど、しばし見とれて、真ん中に置いて、スープとお酒を加えて蓋をした。 炊けるまでの間にあさりのことを考える。子供の頃はあさりの貝殻も宝物だった。綺麗な柄のものを選り分けてとっておいて、紐をつけてキーホルダーみたいにしてみたり、帆立の貝殻なんか貴重品で大事にしていたなぁ…なんて。(いい香りがしてきた。)そういえば夏休みに貝殻の標本を作ったこともあったっけ。千葉県の海岸で貝殻拾って、図鑑で一生懸命名前を調べた。けっこういろんな種類の貝が見つかるものですよ。あのときの桜貝(たぶん)はまだ綺麗な色のままどこかに眠っているのかな。
数10分後、出来上がったパエリヤ(もどき)の蓋を開けたら、青いあさりは消えていた。火を通すと全部茶色くなってしまうのね(小さくガッカリ)。今日のパエリヤ(もどき)はタイムが効いてほんのりスパイシーだった。
朝から猛烈にだるい一日だった。 なんでだろう。眠気もすぐにぐゎあ〜んと襲ってくる。このあたりで灰色猿が猛繁殖しているのかもしれない。体力が吸い取られちゃったみたい。食欲は普通。
そんな中で「暁の寺」読了するも、物語を追うくらいの余裕しかなかった。いつもは三島由紀夫の文体を味わっているだけで酔えるのだけれど、その文体も今日は食傷気味。完結編はまた気が向いたらということで(まだ持ってないし)、今はもっと感覚的なものを読みたいな。詩とか読みたい。
1ヶ月くらい前にやってきたマングローブのミニ鉢。 ちっとも大きくならないどころかなんだか萎れてきちゃってる様子。 北側の窓辺に置いているのだけれど、夕方に当たる西日がアツイのか、でも熱帯の植物だよ。とりあえず日陰に移してみて、湿潤を好むようなので土だけでなく葉っぱや幹にもたっぷり水をかけてあげる。 元気になってくれるかなぁ・・・
2004年07月14日(水) |
Gute Nacht |
シューベルト「冬の旅」D.911 第1曲「おやすみ」
なんて悲しく絶望的で、そして美しい曲なんだろう。 私はこの曲を、この歌を、これまでに幾度聴いて、これからまた幾度聴くのだろう。 何かを湛えた恐ろしいまでの静けさ、そこに絡みあう至上の旋律、心臓震わす転調の瞬間・・・ ディースカウの発音とバレンボイムのピアノだけを受け入れるため、そっと目を閉じ、周りのすべてを遮断する。
泣きたくて聴くのではない。涙が出るのは歌詞のせいじゃない。 歌詞などわからなくても胸の一番深いところに、私の心に、響いてくる。 でも歌詞が突き刺さってくることもある。
Ich kann zu meiner Reisen Nicht wählen mit der Zeit, Muß selbst den Weg mir weisen In dieser Dunkelheit.
梅雨らしさを感じることもなかったが、どうやら梅雨明けしたらしい。 朝からセミがわんわん鳴きはじめたので、セミにはちゃんと分かっているのかもしれない。ときどきホケキョと鶯も鳴いている。 週間予報では最高気温30℃以上、最低気温25℃の太陽マークがずらっと並んでいて少々の眩暈。
朝、左足のふくらはぎが攣って目が覚める。 久しぶりだった。痛い。たーすーけーてー!と(心の中で)叫びながらのたうつ。 でも、たしかにすごく痛いんだけど、足が攣るのって、少し、少ーしだけ気持ちよくないですか? 痛マッサージみたいなもので、開放された時の「ふぅ」、という感じがいいのかな。 というわけで、ごくたまに攣るくらいはいいです。すぐ直ってくれれば。ふぅ。
髪を切って3週間ほど経っているけれど、どうしても気になる部分があるので、再び美容院に行ってちょっと切り直してもらった。ストパの保障期間中とはいえ3週間もたって切るだけはズルイかなーと思ったが(小心者)、快く直してくれて、トリートメントまでしてくれちゃった。
相変わらずの熱帯夜。何度も目を覚まし、クーラーを付けたり消したり。 このところほとんど眠れないでいる。 4時になって、一応朝といえる時間だからと起きだして、新聞を取りに外へ出る。ひんやりとは言えないまでも新しい朝の外気は心地良く、ひとつ深呼吸。 見上げたら、日の出前の淡いラベンダー色した南の空に、磨かれたばかりの半月が光っていた。
珍しく星空の広がる、七夕の夜。 あっちの星から、こっちは見えているのかな。 こっちから見えていないどこか遠くの星にも、願いをすくい取ってもらえるのかな? でも、手元の引き出しを開ければ、そこにはひっそり輝く星ひとつ。眺めている間は信じられる気がする。信じたいのに…。
☆
せっけんが好きで、顔も体もずっとせっけんで洗っています。 洗い上がりのサッパリキュキュっと感はやっぱりせっけんでしょう。 新しいせっけんをおろすときは少し贅沢な気分になります。包みを開いてふわっと広がる香りを確かめ、爪で傷を付けたりしないように注意深く取り出し、少しざらっとしたまっさらな肌の感触をいとおしみ、表面に彫られたいずれ消え行く文字や模様をそっと指先でなぞってみたりしてから、水にくぐらせます。
せっけん売り場に行くとどうにもムラムラしてしまう。 世の中には実にさまざまなせっけんがある。透明なもの真っ黒なもの、ハーブや蜂蜜やお米などが入ったもの・・・どれも美味しそう。
それでも一番好きなのは無添加のシンプルなせっけん。せっけん屋さんが素朴に一途に作ったような、まじりけのない白いせっけんが好き。時には色気のあるものに浮気しても、やっぱりここに戻ってくる。
ところでせっけんの原料が油だと知ったときって驚きませんでしたか?
なんとなく思い出した一文。
「理解されようとのぞむのは弱さです。」
歌舞伎町に「トロイ」を観に行った。 史上最大の愛のための戦い、というけれど、愛よりこれはもうやはりスペクタクルシーンを楽しむ映画だった。ヘクトルへの父王の愛はじぃんときたけれど。途中少し意識が飛ぶも、3時間近くそれなりに堪能しました。先月なら、実際に映画で使われた木馬がここ歌舞伎町に飾られていたらしい。ちょっと見たかったなぁ。ちょっと。
世はバーゲンの季節を迎え、新宿はいつにも増して多くの人と商品でごったがえしている。友達とデパートなど少々回るが、いまいち気分が買い物向けに高められ、整えられていないのでほとんど上の空。サンダルやスカートかワンピースでも欲しいなあと思うのだけどな。
文章を書いてお金をもらったことが2回だけある。友達の会社で作っているグループ企業(?)の機関誌のようなものに、頼まれて旅行記を書いた。 はじめに書いた北欧ひとり旅記が気に入ってもらえたので、次にオランダのことも書かせてもらった。写真もたくさん添えて、出来上がったものを見せてもらうと結構満足で嬉しかった。その友達の会社はほどなくしてなくなってしまったため、私の原稿料収入もそこで途絶えたのでしたが(笑)。まあ原稿料というより謝礼のようなものだったのだけれど(領収書もいらなかったし)。
でも今読み返してみると恥ずかしさを超えて怒りを感じるほどヒドイ文章だなーと思ってしまう。片っ端から赤ペン入れたくなる。この日記は後からいくらでも修正可能だから、読み返してはちょこまか手を入れてしまいそうな気がする。そのときの自分の不完全さなんかも含めてなるべく手付かずで残した方がいいようにも思うのだけれど。なんにしても、昔書いたものを読んで忘れていたことを思い出したり、ある程度自分を客観的にみることができたり、というのはいいことかもしれない。
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