ひとりごと
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友だちからもらったアガパンサスが初めての花を咲かせた。 記念撮影をしようとカメラを向けたら、 ファインダーの中でポーズをとっていたのはチビカマくんだった。 いいえ、もう「チビ」だなんて言えない。 立派な青年に育っていた。
よくここまで大きくなったね。 これからも庭をよろしくね。
突然、ちょっとだけ帰ってきてくれた!
懐かしいおうちの匂いがした? 文字通り「借りてきた猫」のようにおとなしかったね。 鼻をくんくんさせて、クッションの間に顔を突っ込んで目をつぶっていたね。 赤ちゃんのころのことを思い出していたのかな。 膝の上でネムネムしそうになって、元ママ、嬉しかったよ。
歯医者さんに行っていて会えなかった元パパ、残念がっていたよ。 またゆっくり遊びに来てね。
かわいい名前のフロックス。
お菓子みたいな おもちゃみたいな 夢みたいな花を咲かせた。
| アリはどこから来るかしら… |
2004年06月25日(金) |
最初の1匹を見つけたのは昼間、妹と電話をしているときだった。 「いやだ。こんなところにアリがいる。」と、 手元にあったティッシュでつまんだ。 よく見ると、リビングの床に4、5匹の小さなアリがふらふらと歩いていた。 「ごめん、なんだかアリが部屋の中に入ってきたから掃除をするね。」 と、妹との電話を終わらせた。
さて、じっくりと見ると、数匹のアリたちは どこへ行くともなく、さまようように部屋をうろうろしているのだった。 きっと偶然さまよいこんだアリたちが、何か獲物を探して探索しているのだろう。 うっかり落としたお菓子の食べこぼしなんかを見つけられたら困る。 早いうちに掃除をして、撤退させなくてはいけない。
早速散らかっていた部屋を片付け、掃除機をかけ始めた。 すると、何匹もアリと出会うのだった。 かわいそうだけれど、そのたびに掃除機で吸い込んだ。 どこから来て、どこへ行こうとしているのかわからないけれど、 アリ道を作られてしまったら、始末に困ってしまう。 数が少ないうちに、足跡を消してしまわなくてはいけない。 部屋の中のアリが見えなくなったところで、アリが通ったところを雑巾がけした。
獲物を見つけたアリは、巣に帰るときに道しるべとなるにおいをつけて行く。 仲間のアリは、そのにおいをたどって、間違いなく餌のところに行ける。 それでどんどん行列ができていくのだ。 アリを部屋から撤退させるには、元となる餌を取り除き、進入路をふさぎ、 アリ道の道しるべとなっているにおいをふき取らなくてはいけない。 玄関ドアの隅っこから入ったアリに、リビングのサイドボードの上にある キャンディージャーを見つけられて、大変なことになったことがあった。 延々と細いアリの行列ができたのだった。 たくさんのアリを退治して、玄関のたたきから、上り框、廊下、 リビングの床、サイドボードまで全部拭かなくてはならなかった。 今度はそんなことにならないように…。
ところがそんなに数はいないのに、アリはいなくならなかった。 全部吸い込んだ、と思っていると、ふらふらと1匹、湧くように出てくる。 じっと待っていると、また1匹。 まるでかくれんぼか鬼ごっこをしているようだ。 行列にならないので、どこから来ているか、どこへ行きたいのかもわからない。 根競べのようにアリを待ち(実は全然待っていない)、退治した。 早くあきらめてほしかった。
2、3匹、1匹…と、ちょっとずつアリを吸い込んでいるうちに姿が見えなくなった。 雑巾がけの効果があったらしい。 あらためてもう一度、ワックスをつけたモップでリビングの床をきゅっきゅと拭いた。 もうこれで大丈夫。 テレビの「ハリー・ポッター」も落ち着いてみることができた。
いつの間にか、うたた寝をしてしまった。 目が覚めたら、深夜だった。 つけっ放しだったテレビとパソコンを消し、歯を磨きながら床を見てびっくりした。 ついに…アリは行列を作っていたのだ。 今度は道をたどれる。 すぐに口をすすいで、アリの行列を追って行った。
進入路は、リビングの掃き出し窓の隅っこのようだった。 そこからアリの行列は始まって、リビングを横切り、キッチンへと続いた。 お料理やお菓子は出しっぱなしにしていないはずだけれど。 不安になりながら追うと、行列は流しの下端をたどり、 キッチンを横断して、さらにその奥の納戸まで続いていた。 納戸! 泣きたくなってしまった。 食料がいっぱい置いてある…。
今夜は眠れなくなるかもしれない、と半分あきらめて、行列を追った。 納戸に入ったアリたちは、次々と食料品のストッカーに入り込んでいた。 あぁ、やっぱり。 覚悟を決めて、ストッカーを開け、中身を出して掃除を始めた。 アリたちはどんどん奥へと続いていた。 ひとつひとつ確かめながら、缶詰や保存食、レトルトのパックやお菓子の箱を出した。 そしてとうとう、アリの目的にたどりついた。 ちょっとだけ袋の口が開いていた、黒砂糖のかたまりにたかっていたのだった。 これは確かにご馳走だ。
夢中になったアリたちでいっぱいの黒砂糖の袋は、そのまま庭に放り投げた。 もうこれは全部あげる。 結局ストッカーの中身は全部出して、大掃除をした。 まだうろうろしているアリは掃除機で吸い込んで、その端から雑巾がけをした。 こっちに向かっている行列も、逆にたどりながら吸い込んで、床を拭いた。 アリ道の痕跡が残らないように、きれいにしなくてはいけない。 こんな夜中にこうこうと灯りをつけて床に這いつくばって 私は一体何をしているのだろう、と情けなくなった。 暗かった外が、薄青くなってきていた。
最後に進入路の窓の前まで来た。 きちんと閉まるアルミサッシでも、隅っこには小さなアリが入る隙間があるらしい。 鍵もかけてあるのに、角から湧くようにアリが入り込んできていた。 そのアリたちを吸い込んで(申し訳ないことに罪悪感もなくなってきた…)、 サッシの隙間をガムテープで目張りした。 庭への出入りは反対側からできる。 とりあえず、このアリたちがあきらめるまで、ここは閉じておかなくては。 頑丈にべったりと布製のガムテープを何重にも貼り付けた。 やっと家の中にアリはいなくなった(ように見えた)。
もうこれで大丈夫だろうか。 家の中に入れなかったアリは、あきらめてくれるだろうか。 ほかの入り口を探そうとしなければいいけれど。 肝心の餌は、もう庭にあるのだから、そこで思う存分食べてくれたらいい。 部屋には入ってこないで…。 すっかり明るくなってきたけれど、もう眠気もない。 布団に入っても、起きて床を見るのが怖い。 アリさん、お願いだからあきらめて!
やっと咲いた嬉しさ。 しっとりとしたビロードの赤が日陰の庭に美しい。
贈ってくれた、読書好きの古い友だちのことを思い出す。 彼女にこの花を見てもらいたい。
よく晴れて暑い空。
つかの間の雨を楽しんだ紫陽花も ゆっくりとアンティーク色に変わってきた。
台風がやってきていた。 強い風と激しい雨が家を揺らした。 庭にどんどん水たまりができる。 でも、今日は月に1度のお楽しみ、パン教室の日なのだ。 体を拭く大きなタオルを荷物に入れ、ジーンズとスニーカーで出かけた。
教室に入ってみると、こんな日なのに、全員の顔がそろっていた。 「欠席の連絡が来ないので、どうしたかと思いましたよ。」と先生。 「来るのは私だけかと思った。」 「2、3人しか来ないと思った。」 「みんな好きなのねぇ。」 10人、顔を見合わせて笑ってしまった。
今日のメニューはドーナツが3種類。 発酵した生地を分割して、おいしそうなフィリングを作って入れて、また発酵させて。 そして大きなお鍋のたっぷりの油で揚げていくのだ。 シートから油の中に滑り込んだドーナツたちがぷかぷかと浮いている。 お花の形のドーナツがぶくぶくと泡を立ててどんどん色づいてくる。 かわいい、楽しい、おいしそう! 5人ずつ、お鍋を囲んでひっくり返すたびに歓声を上げている。
やがてからりとドーナツが揚がり、お皿の上に並べられた。 お花型と、まん丸がいっぱい。 なんて楽しそうな光景なんだろう。 みんなの顔がにこにこしていた。
外の雨はますます激しく、風は強く、雲は暗いけれど、 教室の中は白い光と、香ばしい匂いがいっぱい。 熱々のドーナツをほおばった。
今日はとても蒸し暑かった。 …ので、ホタルを見に行くことにした。 ホタルは蒸し暑い夜が好きなのだそうだ。 いつもの里山まで、夫と自転車を走らせた。
明日が夏至。 7時でもまだとても明るい。 自転車を林の脇に止めて、散歩をしながら日が暮れるのを待った。
山道ではオカトラノオの群生に出会った。 青い黄昏の中に浮かび上がった白い花穂の群れがきれいだった。 田んぼの中を覗くとアメンボやおたまじゃくしが小さな波紋を作っていた。 苗の間の水が夕焼け色に染まってきた。 カエルたちの声が大きくなってきた。 カモがねぐらに帰っていった。 夜がやって来る。
人の数が増えてきた。 顔も見えないような夕闇の中に ホタルを待つ人々の楽しそうな声が柔らかくとけていく。 子どもたちの声がはしゃいでいる。 私も少しドキドキする。 ホタルはもう光る準備をしているかしら?
いつもそのあたりにホタルがいる山と水田の間を見つめた。 光った!と思うと白い花が風で揺れたのだった。 あ、あそこに!と田んぼの中を指差してよく見ると それは水に映った空の星なのだった。 見上げると、くるくると流れる雲の間にいくつも星が光っていた。 子猫の爪みたいに細いきれいな月も山の端にかかっていた。 さらりとした風が吹いた。 なんて気持ちいい夕涼み。
ざわざわと木の葉が鳴った。 誰もが息を呑んで、ホタルの最初の光を待っている。 闇の中に目を凝らす。 それでも、なかなか現れてくれないのだった。 光ったように思えるのは、やっぱり「気のせい」だった。
じりじりと待ちながら、それでも、 今日はこのままでもいい、と思い始めていた。 だってこんなに気持ちのいい夕風。 ほっそりと光る美しい月。 水田に映る星々。 目をつぶって深呼吸すると土と緑の香り。 人々の穏やかな声。 夕涼みを楽しみに来たと思えばいいじゃない?
あきらめた夫が「もう帰ろうか」と言うのを、 ぼんやり草むらを見つめながら待っていた。 夫のほうが気が短い。 でも、聞こえた声は「いた!ホタル!」だった。 あわてて指差す方に目を向けた。
たしかに今までの「気のせい」ではない。 しっかりと息づいた、紛れもなく生きものの放つ、 雅な光の点滅が草の陰にあるのだった。 あちこちで、人々の声が上がり、そちらを指差していた。 たったひとつの光をみんなが見つめていた。 やがて、あちらにも、こちらにも、かすかな光は増えていった。
里山はすっかり夜に包まれた。 ほんの数個の光の明滅を見つけて幸せになった人々が帰り始めた。 私たちも満足。 今年もホタルに会えて胸がいっぱい。 でも、おなかはぺこぺこ。 横でホタルを見つめていた夫も、満足のため息をついたあと 「おなかすいたから帰ろうか」と言った。
少しだけれどホタルに会えて、気持ちのいい夕涼みができた。 ほどよくすいたおなかを抱えて、また自転車をこいで山を越えた。 このちょっとのサイクリングが、いっそうビールと夕食をおいしくしてくれるだろう。 毎年夏の恒例、蛍見の後は釜飯屋さんだ。 ほら、あのログハウス風のお店の光がどんどん近づいてきた。
6月19日。 朝から、なんかの記念日だったような気がしていた。 誰かの誕生日だったかしら…。
夜、音楽を聴いていてふいに思い出して、笑ってしまった。 そして懐かしい思いでいっぱいになった。 今日はサボテンの誕生日。 4年前の今日、サボテンの種を蒔いたのだった。
インターネットを始めたのは1999年の秋だったけれど 本格的にネットの友だちとの交流が始まったのは2000年になってからだった。 まだ自分のホームページを持っていなかった私は、 一日にいくつものお気に入りの掲示板を巡っては、花友だちと話をすることに夢中になっていた。 思い出深い私のインターネット元年。
同じ花を買ったり、種を分け合ったりして、それを育てて報告しあう、なんてこともよくやっていた。 サボテンの種も、そんな友だちと分け合って、それぞれの家で同じ頃に蒔いたのだった。 「サボテン」と言うのがちょっとユーモラスだったし、 「花が咲くまでには二、三十年かかる」と言うのも夢があった。 やがてサボテンは小さな小さな「蛇のような」芽を出し、かわいい双葉を「バンザイ」と広げた。 そして一人前に棘を生やした頭が「バンザイ」の両手の間から出てきた。
ゆっくりゆっくり大きくなっていくサボテン。 ほかの花たちが芽を出し、花をつけ、種を実らせ、枯れてしまうその間にも 目に見えるような成長はしていない。 でもそんなことなど気にしないかのように、マイペースのかわいいサボテンたちは それでもちょっとずつ、確実に成長しているのだ。 札に書いた「6月19日2000年」の日付を見るたびに過ぎた時間を思い、 サボテンたちの確かな成長を認めては嬉しくなった。
かわいいサボテンたちは、インターネットを始めた頃の初々しい気持ちを思い出させてくれる。 今もそのころの友だちと仲よく付き合っていることを嬉しく思う。 あの頃のような勢いや活気は少なくなったかもしれないけれど、 落ち着いて静かにパソコンと向かい合うことができるようになったと思う。 サボテンと同じくらいゆっくりと、私も成長していっているのかもしれない。
四年目のサボちゃん、一番大きい子で身長4.5センチ! 友だちのサボちゃんたちも大きくなったかな? 花が咲くまであと何年? その頃、私と友だちと、インターネットとの付き合いはどうなっているでしょう?
夕方、電話が鳴った。 いつもよりずいぶん早い夫からの「帰るコール」だった。 「今、○○。」と、会社のある駅の名を告げたあと、 「歯、抜かれちゃったよ〜。」と、少し困ったような夫の声が続いた。 そうだった。 何日か前から「歯が痛い」と言っていたので、無理やり保険証を持たせて 会社帰りに歯医者に行くことを約束させたのだった。
「歯、抜いたって?そんなに悪かったの?」と聞くと 「うん、オヤシラズやった。」と、なぜか嬉しそうな夫の声。 「あっさり抜かれちゃったよ。ごはん、柔らかいものがいいな。」声が少し弾んでいる。 もともと丈夫で病気知らずの夫は、病人扱いされて嬉しいらしい。 不謹慎!だけれど、なんだかおかしい。
帰ってきた夫は珍しくよくしゃべった。 歯医者さんから受けた注意事項(お酒や入浴は禁止、など)を私に説明して、 抜いたときの様子も話してくれた。 もう何年も前、私が親知らずを抜いたときには、そのたびに熱が出た。 ほっぺたが腫れて、すごい顔になったものだ。 それに比べたら、夫の親知らずは軽く抜けたらしい。 痛みもないらしく、元気によく食べて、いつもの顔でにこにことしゃべった。 「今日はビールはダメか〜。ま、歯を抜いたんやから我慢我慢。」と、まじめな顔でうなずき、 「お風呂にも入れへんし早く寝ようかな。」と、まだ8時になったところなのに、そんなことを言っている。 「そうだ!薬をもらったのを飲まな。」いそいそと水を汲んできた。 気分はすっかり病人モード。
そんなとき、夫の父から電話がかかってきた。 父の日に贈ったプレゼントのお礼だった。 私が受けて少し話したあと、夫に代わった。 「今日、歯ぁ抜いてん。そう、親知らず。」と早速話していた。 しばらく歯の話で盛り上がっていた。 めったに話さない「親」と「親知らず」の話をしているのがおもしろい。
「さて、じゃあ寝よう。」と、電話を切って、夫が言った。 「おやすみなさい。お大事に。」と、私が言うと、 「うん、おやすみ〜。」と夫は頬をさすりながら、2階に上がっていった。 なんだか子どものようだった。 歯を抜いたときくらいだけが病人で、いつも元気でいてくれるのはありがたいと思った。
古い友だちとデパートに行った。 15歳からの付き合いのこの友だちとは 二十数年たった今でも、同じように時々会って 同じようなおしゃべりをして、ほっとゆるんだ時間を過ごすのだ。
いつものアクセサリー売り場で待ち合わせをして、 1階ずつエスカレーターで上がり、ぶらぶらと洋服や雑貨を見て歩いた。 友だちは明るい色の夏のスカートを買った。 私は洋服を買うのはやめておいた(昨日の今日だ)。 そしてあっさりとおいしいランチをとって、ふたたびウィンドウショッピングをして 最後に地下の食料品売り場では豆かんを買った。 子どもが帰って来るのに合わせて先に帰る友だちを見送りがてら、 1階のかばん財布売り場を覗いた。
そうだ、お財布。 私のパンパンのおデブ財布は何とかならないものか。 ふくらんでいるのは、お金が多いからではもちろんなく、増えてきてしまったカードのせいだ。 銀行やデパートのカードが数枚ずつ。 バスや電車のプリペイドカードは2、3枚ずつ。 献血手帳に、自動車免許証。 時刻表、東京と大阪の路線図。 スーパーのお買い物袋スタンプカード。 お稽古の教室の会員カードに、どんどん増えるお店のポイントカード。 カード類だけで3センチくらいの厚みがある。
必要なものだけ入れておけばいい、と言うけれど、いつどこで何があるかわからない。 急にお金を下ろすとき、どの銀行があるかわからない。 いつヨ○バシカメラやユザ○ヤに行きたくなるかわからない。 献血車にどこで出会うかわからない。 車は持っていないけれど、どこで身分証明書が必要になるかわからない。 ほら、無駄なものは1枚もない(はず…)。
それでも、あまりにも私のお財布が不格好で、今にもはじけそうで お会計のときに取り出すたびに友だちに笑われるので、何とかしたいとは思っていた。 今まで使っていた財布は、お札が二つ折りになるコンパクトな大きさのものだったので お札が折らないで入るタイプの大きなお財布にしようか、と思って探していた。 そうしたら、ちょうど気に入ったものに出会ったのだ。
くすんだ水色の柔らかい皮製で、開くと内側はネクタイ地のような光沢のある布製になっている。 ファスナーで4つの部屋に分けられていて、カード入れも多くついている。 何回もファスナーを開いたり閉じたり、手を入れたりして、結局買った。 使いやすそうなのと、そのしなやかな手触りが決めてだった。
お財布ひとつでも、買い物をすると気分がはずむ。 足取りもはずんだまま、隣の大きな書店に行った。 夏用に縫うワンピースの、少しレトロな雰囲気の本を選んで買った。 それから文庫本のコーナーで、帰りの電車で読む本を探した。
大きな書店の広いコーナーを一周して、選んだのは川上弘美の「あるようなないような」。 小説が好きな作家さんだったけれど、エッセイ集は読んだことがなかった。 ぱらぱらとめくっただけで、ページの中にいくつも惹かれる言葉を見つけて決めた。
ちょっと疲れたので、デパートに戻って小さなコーヒースタンドでひと休み。 ブレンドとドーナツを注文して、早速文庫本を開いた。 しみじみと暖かく、夢のように不思議でおもしろく、コーヒーもそのままに読みふけってしまった。
「かばん症」と言う話があった。 「心配性なので、かばんにたくさんの荷物を持って、歩く」のだと言う。 ハンカチ2枚、ちり紙も2包み、それに2冊の本と、夏なら扇子にサングラスに日傘にてんかふん…。 笑ってしまった。 私と同じだ。 さすがにてんかふんは持ち歩かないけれど、あとは同じ。 それどころか、手袋と靴下とストール、飴玉、望遠鏡や虫眼鏡まで私はかばんに入れている。 お財布と同じように、ふくらんだお化粧ポーチの中には、 絆創膏と爪切り、ウェットティッシュ、綿棒、胃薬、筆記用具が入っている。 実を言うと、そのほとんどがめったに出番がないのだけれど。 でも、いつ何があるか…。 そうか、こんなに荷物が多いのは心配性だからなのか。 そしてこれを「かばん症」と言うらしい。
小さいおしゃれなバッグひとつで、あるいは手ぶらで颯爽と歩いてみたい、とよく思う。 ほんとはきっと、少しの荷物でも何とかなるのだろうに。 それなのに、私は今日も、ただでさえ荷物の多い大きなバッグに、パンパンのお財布と、 パンパンのお化粧ポーチと、それと分厚いデジカメを入れて、重い思いをして帰ってきた。 大きくなってすっきりとした新しい財布も、やがてその大きさに合わせてふくらんでいくのだろう。 私は「かばん症」で「財布症」なのだ。
陽射しが明るくて さらりと風が気持ちいいので やっと衣替えをした。
納戸の小さい窓を全開にした。 クローゼットのバーから冬服を下ろし、 クリーニングするものと、そのまましまえるものを分けた。 チェストを開けて、長袖のトレーナーやニットを出した。 そして夏服のつまっている衣装ケースを開けた。
しわくちゃになって押し込まれていた懐かしい夏の服たち。 木綿や麻の、明るい色の服を引き剥がすように取り出した。 見慣れているはずなのに、あぁ、こんな服があったんだ、と そのたびに新鮮な気持ちになる。 アイロンがけは後回しにして、とりあえずどんどんバーに掛けていった。 花柄や水玉模様が重なった。
もともと私はどちらかと言うと、パンツ派ではなくスカート派なのだ。 夏になると99%がスカート、それもほとんどワンピースになる。 それは、女らしいのが好きだから、と言うわけではなくて ただひたすら楽で涼しいから…と言う不精な理由。 さらっとした木綿のワンピースは肌触りがよく 風を通してふわりとフレアーの裾が揺れるのも嬉しい。 それに、一重のワンピースは作るのも簡単だ。 好きな生地を見つけて、好きな形のワンピースを縫うのは夏の始めの楽しみなのだ。
それにしても、ワンピースばかりずいぶん増えてしまった。 一番古いのは、結婚した年に縫った(15年前!)ピンクの薔薇模様のワンピースだ。 もうかわい過ぎるのではないか、と思いながらも、形が気に入っていて毎夏着ている。 普段着は、これくらいの方が、気分も明るくなる。 少しずつ布の好みも形も変わっていっているけれど、 基本的には買うのも縫うのも同じようなものになってしまう。 この夏はもう買わない、と思うのに、きっとまた出会ってしまうのだろう。
それに、実は宿題の布があるのだ。 去年の初夏、素敵な麻の生地を見つけた。 水色の地に、白でシンプルな薔薇が描いてある。 どんな形にしようか?と、悩んでいるうちに梅雨が終わり、夏が来た。 でもその夏は大変な冷夏だった。 見るからに涼しげなその布を、縫おうと言う気持ちにならなかった。 愛用のワンピースたちも出番が少なかった。
四角くたたまれたまま、年を越してしまった麻の布地。 まずはあれを縫い上げよう。 梅雨明けまでの宿題だ。 さあ、どんな形にしよう? 思い切って、ノースリーブにしてみようか?
秋の衣替えのとき、しまう服がまた増えることになるのだろう。 そして来年の今頃、同じような気持ちで夏のワンピースを出すのだろう。 毎年この繰り返し繰り返し。
| ガラスのティーポット |
2004年06月11日(金) |
去年、お気に入りのガラスのティーポットを割ってしまった。 形も大きさも、ちょっとレトロモダンなデザインも大好きだった。 それにとても使いやすかった。 割ってしまってほんとに悲しかった。
同じものを買おうとしたら、もう廃番になっていて メーカーにもデパートにも置いてないのだった。 気に入らないものを適当に買うことはできなくて、 ちょうどいいポットを探しつつ、 家にあった急須のようなポットを急場しのぎに使っていた。
それがこの前、やっといいポットを見つけたのだ。 私の大き目のマグカップにたっぷり2杯のお茶が入る。 丸い形は紅茶の葉をちゃんとジャンピングさせて、おいしいお茶が淹れられる。 透明なガラス製なので、中のお茶の色を確かめられる。 ハーブティーや、花茶も楽しむことができる。 注ぎ口に差し込むタイプの箒みたいなお茶漉しも意外と使いやすい。 なにより、ころんとした形がかわいくて、見るたびに嬉しい。
1日に5、6杯の紅茶を飲む私には、 いつもそばに置いておくポットは、やっぱり愛着の持てるものがいい。 かわいいポットが見つかってよかった。 この前買った魔法瓶と同じように、この子も「ペットのポット」だ。 もう割らないように、大切に使おう。 ぴったりの素敵なティーコゼを作ろう。
スポーツクラブに入って1ヵ月半。 やっと水泳を始めた。
小学生から高校生まで水泳の授業があったのに ちゃんと泳げるようにならなかった運動オンチの私が 今、この年になって、泳げるようになるものかどうか。 自信は全然ないのだけれど、せっかくの機会なのだもの、 やれるだけやってみても悪くはない。 もしかしたら次に八丈島に行くときには お魚と一緒に泳げるようになっているかもしれない。
夢だけはふくらんで、参加したクラスは、その名も「はじめてスイム」。 コーチは若い男性で、生徒は年配の男性と女性、それに私の3人だった。 4人がプール真ん中のレーンに集まってレッスンが始まった。
まずはその場で潜りながら、息継ぎをするところから。 ンーパッ!ンーパッ! 水の中で鼻から息を吐き、水の上で口から息を吸う。 最初はあごまで、そして鼻まで、そして目まで、おでこまで、頭の上まで…、 と、だんだん深く潜っていく。 水の中に頭まで沈むのは何年ぶりだろう。 ゴーグルをつけているので、プールの中がきれいに青く明るく見える。 泳げないけれど、水に潜るのは恐くない。 これは楽しいレッスンだった。
次は、レーンを歩きながら、息継ぎをする練習。 だんだん沈んでいって、そして浮きながら、と水泳らしくなってくる。 私の足がプールの底を離れて、とうとう水面に浮いた。 何年ぶりかの気持ちよさ。 プールの底がゆらゆら見える。 この調子だったら早く泳げるようになるかもしれない。
次に現れたのはビート板だった。 なんて懐かしい! これはたぶん小学生のとき以来だ。 嬉しくて、顔がにこにこしてしまった。 レッスンは、ビート板に手を乗せて浮き、バタ足で進むこと。 「お先にどうぞ」と、先に行ってもらった年配のふたりは 白い泡を後ろに残して、プールの半ばくらいまで進んでいった。 私もあれくらいは、と勢いよくプールの壁を蹴った。 だけれど。
あれ?なんで進まないの? 一生懸命足を動かしても、景色が全然変わらない。 コーチが近くならない。 苦しくなって、立ってしまった。 振り向いてみると、5mも進んでいないのだった。
「もう少し足の力を抜いてバタバタしてくださいね。」とコーチ。 力を入れているつもりはないのだけれど。 意気込みすぎて、硬くなっていたのかな。
残りの20mはコーチにビート板をひっぱってもらいながら、 それでも何回も立ちながら、やっとのことで泳ぎきった。 そのあと、仰向けになって胸にビート板を抱えてバタ足で進む練習もしたけれど やっぱり私だけはいつまでもプールの端にたどりつけないのだった。 前途多難だ。
ここまでで、今日のレッスンは終了。 私以外のふたりは、もう格好がつき始めていた。 私だって、何十年ぶりかで水に浮いたのだから、これは進歩だ。 「はじめてスイム」のたった1回のレッスンで泳げるようになるとは 最初から思っていなかったから、がっかりはしていない。 できるだけこのクラスに参加して、ちょっとずつできるようになっていけばいい。 コーチも親切に教えてくださるだろう。 続けていれば、きっと泳げるようになる!
目標は、お魚と一緒に泳げるようになること。 その最初の一歩を踏み出した。 来年の今頃、私は泳いでいるだろうか?
梅雨入り宣言して2日目。 いかにも梅雨らしい不安定な空模様だ。
晴れた、と思って、傘を干しても 気がついたら、雨水がたっぷりとたまっている。 種まきを、と思って、朝顔の種を水に浸したら ざんざんと降り込められてしまう。
それでも午後遅く、ようやく本当に雲が切れてきた。 腰に蚊取り線香をぶら下げ、三たび庭に出た。 朝顔と野菜だけでも種まきをしておかないと。
首筋を照らす陽射しを気にしながらも しゃがみこんで、鉢に土を入れていた。 自分の影が濃く地面に落ちていた。
と思ったら、霧吹きで吹いたような水の粒を体中に浴びて一瞬涼しくなった。 ぶどうの蔓からの滴りかと思って見上げると、それは雨。 狐の嫁入りなのだった。
もしかしたら! 2階に駆け上って南東向きの和室の窓を開けた。 やっぱり。 うっすらだけれど、虹が見えた。 嬉しくなって、デジカメを掴んで、庭仕事スタイルのまま外に飛び出した。
丘のてっぺんの駐車場は見晴らしがいい。 遠くの森までよく見える。 虹も彗星も流星群も、いつもここで眺めるのだ。
虹は自分の影のほうにできる。 顔に細かい雨粒を、背中に太陽の温かさを感じて、 電柱や木や自分の影の伸びる方角の空を見上げた。 でも虹は見えなかった。
もう消えてしまったのかな。 水色と灰色のマーブルの空にびゅんびゅん雲が流れるだけだ。 あきらめて帰ろうとしたとき、向こうの林の木の間に虹色が見えた。
まだこんなに日が高い。 虹は低いところにかかっていたのだった。
もっとよく虹が見えるところを探して、歩き出した。 そうだ、小学校に行こう。 閉じた傘を振り振り、帰ってくる子どもたちの群れをさかのぼって 水たまりがまぶしい道を歩いた。 小学校から下っていく坂道の向こうの虹がだんだん大きくなってきた。
ほら、ふりむいてみて。 虹が見えるよ。 子どもたちに声をかけたい気持ちだった。 この子たちは知っているのだろうか。
校門の横の金網から、街が見下ろせた。 林の向こうに、山に沿うように、低い虹が鮮やかに見えた。 嬉しい。 きれい。 何回もシャッターを切った。
校門からひとりで出てきた知らない男の子が話しかけてきた。 「あっ!ここから見たら、虹はまっすぐなんだね。」
本当だ。 虹はまっすぐで、森の向こうに美しい水平線があるようだった。 「ほんとね。まっすぐね。」
この子はきっと、校舎の上から弧を描く虹を見たのだろうな。 虹を知っていたのだろうな。 ほかほかと嬉しくなった。
その子の後姿を見送って、また虹を眺めていると、 今度は男の子二人連れが話しながら通り過ぎた。
「さっきの校内放送、何先生かな?誰の声だったんだろう?」 「みなさん、虹が出ています!って言ってたね。」 「見えたね。虹。」
そうなんだ。 この学校の子は、みんな虹を知っていたんだ。 何先生だかが虹を見つけて嬉しくて、校内放送したんだね。 よかったね。
午後の太陽が低くなって、まっすぐな虹が高く弧を描くのを待っていたけれど 見つめているうちに、虹はまっすぐなまま消えていった。 私も子どもたちに混じって、紫陽花の咲く通学路を歩き、 顔を照らす陽射しを手で遮りながら、庭仕事の待つ自分の家に帰っていった。
梅雨は虹の季節だ。
朝の夢
夫が早く家を出るので、今朝は5時から起きていた。 6時前に夫を送り出したあと、 もうひと眠りしようかと思っていたのに目も頭も冴えていた。 それでも、少しネットをするうちに、だんだん眠気がやってきた。
テレビもパソコンもつけっぱなしで、ソファでうたた寝してしまった。 朝のうたた寝は、なぜだか夢がはっきりとしている。
自転車のかごにお財布とデジカメを入れて、どこかから帰る途中だった。 きれいな並木道を走っていた。 ふと、路樹の葉っぱの上に白い美しい蝶がとまっているのを見つけた。 私は自転車を降りて、伸び上がり、木の上の蝶を眺めた。
きれい! なんて神秘的な蝶。 写真を撮ろう。
ところが振り向いたら、デジカメとお財布ごと自転車がなくなっているのだった。 呆然と立ち尽くす私の周りを行きかう見知らぬ人々。 持って行かれちゃったのか。
一度なくして買ったばかりのデジカメ。 下ろしたばかりのお金が入っているお財布。 私の足代わり、頼りにしている電動自転車。 みんないっぺんになくなっちゃった。
悲しくて、情けなくておろおろしていた。 そこで、電話の音で目が覚めた。 夢だった…。
ほっとしながらも、夢を分析。 デジカメとお財布と自転車。 これは、私が大事に思っていて、なくしたくないと思っているものなのだろうか。
なんだか恥ずかしいぞ〜。 私の大事なものって、そんなものなのね。 確かにどれも大事だけれど、俗っぽいと言うか、庶民的と言うか、スケールが小さいと言うか。 夢の中に、自分の心理を見つけておかしくなった。
あの白い蝶はなんだったのでしょうね。
| 6月6日に雨ざあざあ降ってきて |
2004年06月06日(日) |
きっぱりと 梅雨入り。
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