ひとりごと
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ピーナッツリース職人 2004年01月30日(金)

ピーナッツリースにお客が増えた。
シジュウカラがいっぱい。
食欲旺盛なヤマガラもいっぱい。
ピンクのつぼみがふくらみ始めたお隣の梅の木で
小鳥たちが順番を待っている。
私がせっせと作っているピーナッツリースは大人気だ。

夕方、小鳥たちがねぐらに帰ったあとでリースに触れてみた。
からからと軽かった。
3つのリースはみんな空っぽだ。
1粒のピーナッツも残っていなかった。

さてさて。
お客ががっかりしないように新しいリースを作らなくちゃ。
広げた新聞の上に、殻つきピーナッツをざらざらと出した。
くびれたところに穴を開けて、両端を切り落とした。
そこに通す針金は、毎回使いまわし。
空っぽリースの針金をペンチで伸ばして、また使う。
もう慣れたものだ。

せっせ、せっせ。
作業は続く。
小鳥のレストランのオーナーはピーナッツリース職人でもある。
春が来て、もっとおいしいご馳走を野山に見つけて、お客が来なくなる日まで
私は職人に徹しよう。

明日の朝、一番のお客に間に合うように
暗くなった庭に、3つのリースをぶら下げた。


クリスマスプレゼント 2004年01月29日(木)

お天気がよくて、庭仕事をして、
ほどよく疲れて、陽射しの傾いた部屋でちょっと眠って。
幸せな夢を見て目覚めたら、夜になりかけていた。

ぼんやり夢心地のまま、夕刊を取りに出たら、
ポストに大きな包みが入っていた。
友だちからの、1ヶ月遅れの、
いえ、11ヶ月早いクリスマスプレゼントだった。

手作りのマットとコースター。
それからいい香りの小物たち。
会ったことがない友のぬくもりと心が伝わってきた。

どうもありがとう。
いい1日だった♪


だるま 2004年01月28日(水)

1月28日、初不動の日は恒例だるま市。
今年もご近所さんと誘い合わせて出かけた。

だるま市は晴れの日が多い。
青い空の下、冷たい空気の中で
真っ赤な丸いだるまがつやつや光る。
まずは去年のだるまさんを感謝を込めて奉納し、本堂にお参りをした。
そして今年のだるまを買った。
私たち家族を守ってもらうように、
なるべくいかつい顔のだるまを選んだ。
それから今年はもうひとつ、
大事な若い友だちのために、起き上がる小さなだるまを買った。

大丈夫。
ここのだるまさんは霊験あらたかなのよ。
守ってくれるよ。
願いが届くよ。
ほら、去年は闘病中だったべべもこんなに元気になったんだ。
だからね。
思いをこめて、片目を入れてね。
もうひとつの目を入れられる、嬉しい春はもうすぐそこよ。


鈴の音

しゃららん、しゃらん。
と、かすかに鈴の音が聞こえた。
べべのかごの中からかな。
動きを止めて、耳を澄ました。

しゃらん、しゃらん。
軽やかでかわいい鈴の音は窓の外から聞こえるのだった。
そぉっとカーテンを開けて、庭を眺めると
1匹の子猫が、ピーナッツリースに訪れた小鳥をねらっていた。

子猫の鈴?
黒と茶色が混ざったオコゲちゃんは恵ちゃんの従姉だ。
誰かのうちの子になったのね。
よかったね。
私はカーテンの隙間からカメラを出して、子猫の姿を撮った。

あれ?
真正面を向いた子猫の首には鈴などついていない。
もちろん足にもしっぽにも。
どう言うこと?

しゃらん、しゃらしゃらしゃら。
また鈴が鳴った。
ガラスの向こうの子猫も鈴の鳴るほうを見つめていた。
そこにいたのは、ヤマガラたちだった。
鈴の音かと思ったのは、ガラス越しに聞こえた小鳥の声だった。
かわいい小鳥の澄んだ声は、小さな銀の鈴をいくつも鳴らしたようだ。

子猫がジャンプした。
しゃらしゃらん、ちりちりり!
小鳥たちは飛び立った。
誰もいなくなった庭で、決まり悪そうにしていたオコゲちゃんも
たったった…と、音のない足音をたてて走って行ってしまった。


雪の夜 2004年01月27日(火)

冬の始まりから刺していた刺繍がやっと完成した。
クリスマスには間に合わなかったけれど
雪の季節のうちにはできあがった。
幼い兄妹が暖かい家の中から降り始めた雪を眺めている。
飽きることなくいつまでも見つめている。
東京ではまだこんなに雪が降る夜はないのだけれど
こんな夜を夢見て、私はこの子どもたちを見つめている。

そして同じこの日、「雪の夜」の図案を作られたあやこさんから
ふくらんだ封筒がポストに届いた。
カウンタープレゼントがあたったのだ。
素敵な「白鳥」の図案のピンクッションのキット。
封筒を開けると、渋い色の麻の布と、つややかな刺繍糸の束が出てきた。
シックな色合いの糸を見て、胸が弾んだ。
丁寧に心を込めて、この小さな白鳥を布に描いていこう。
すぐに刺し始めた。

「雪の夜」ができあがって、バトンタッチするようにやって来た花の中の「白鳥」。
ひと足早く、春が訪れたようだ。
北の国に飛び立つ季節が来る前に、白鳥はできあがるかな。


↓美しい作品やチャートがいっぱいの、あやこさんのサイトはこちらです。
Windy Willows


国際キルトフェスティバル 2004年01月26日(月)

東京ドームで開催されている国際キルトフェスティバルに行った。
去年は、入院しているべべのお見舞いに行ったあとに
ここに来たのだった。
べべに心を残しながら、それでも見ているうちに
色とりどりのキルトの世界に入り込んでしまったのだっけ。
今年は元気になったべべとジュジュに留守番を頼み
心置きなくキルトを楽しめた。

たくさんの人も圧倒されるほどの数のキルトも覚悟していた。
やっぱりエネルギーははちきれそうだった。
何千もの夢、努力、感動、生活、時の流れ。
どのひとつをとっても、細やかな思いが縫いこまれている。
おととし、初めてここに来たときには
1枚1枚を真剣に見つめ、エネルギーと思いを受け止めすぎて
熱が出てしまったのだった。
あまりにも強すぎた。
だから今年は、どのひとつも大切なのだけれど
さらりと歩きながら眺め、これは、と思ったものだけを丁寧に見ることにした。
それでも3時間、私はキルトの中にいた。
会ったことのない、キルトの向こうの人の心や生活を垣間見た。

ひとつとても心に残るキルトがあった。
優しい色の薄い絹が丹念に縫いあわされていた。
見ていると心が静かになり、なぜか懐かしい思いもするようだった。
「おばあちゃんへ」と、名前のついたその作品は
韓国から留学してきている若い女性が、祖母を思って作ったものだと言う。
ポシャギと言う、韓国のパッチワークも初めて見た。
むずかしい技法は使っているわけではないけれど
丁寧で、シンプルで、清楚で、愛らしかった。
熱気いっぱいのドームの中で、そこには涼しい風が吹いているようだった。

誰かを思って作るキルト。
生活の中のキルト。
美しいと思ったものを伝えるためのキルト。
私もまた作ってみたい。
完成したときのあの清々しさと誇らしさを感じたい。

キルトを作る時間はずいぶん減ってしまったけれど
こんな思いをまた持つために、私は毎年このドームに行くのだと思う。


ほろ酔い気分で 2004年01月25日(日)

今日は自然写真の会の新年会だった。
虫や花が好きで、写真が好きな仲間が集まった。
この仲間の中に入ると心地いい。
私よりずっとずっと年上の方ばかりなのだけれど
仲間として自然に接してくださる。
隣に座った方もおっしゃっていたように
「ここには自分の居場所がある」。

まだお昼なのに、ビールを飲んで熱燗もいただいて
少し酔ってしまった。
お日さまに申し訳ない?
でもこれは新年会、まだお正月なのだもの。
許してもらおう。

いつもは物静かなおじさま方も陽気になって
いろんなお話をしてくださった。
虫の話、山の話、写真の話、ほしい一眼レフデジカメの話。
私も調子に乗ってしゃべりすぎたかもしれない。

おひらきになって賑やかにお店の外に出た。
まだまだ日は高かった。
陽射しのせいか、酔っているせいか、体も顔も暖かい。
風が気持ちよく感じるくらいだった。
酔い覚ましと運動不足解消に、2駅を歩いて帰ることにした。

桜並木にはさまれた川沿いに、水の流れを追いかけてのんびりと歩いた。
花のシーズンにはお花見客でいっぱいになるこの道も、
冬のこの時期には人影がない。
私は誰とすれ違うこともなく、ゆったり泳ぐカモを眺めながら歩いて行った。

渡り鳥たちが訪れて、川の中は冬の方が賑やかだ。
種類が違うカモたちも、仲よく静かに泳いでいた。
川面に映った青い空と桜の枝を、鳥の波紋が美しく乱した。
フェンスにもたれてうっとりと見とれてしまった。

鳥の羽ばたきと水をはじく音と川の流れしか聞こえない静けさ。
ほんわりほろ酔い気分で幸せにひたっていた。
こんな瞬間、こんな風景を切り取ってアルバムにしまいたい。


誘惑のクリスマスローズ 2004年01月24日(土)

来週は、夫の両親の誕生日が相次いで待っている。
母には美しい小物を見つけて注文したものがもうすぐ届く。
そして園芸好きの父には花を贈ろうと思った。
どうせプレゼントするなら少し変わっているものの方がいい。
私は完全防寒スタイルに着膨れて自転車をこぎだした。

いつも自転車で行く一番近いホームセンターは
実は山野草やクリスマスローズの品揃えの豊かさで有名なお店らしい。
ネットの花好き仲間がオフ会でも訪れるそうだ。
今のシーズンならクリスマスローズ。
美しい品種がいっぱい入っているという噂を聞いて
父にぴったりの花を探しに行った。

本当に今日は寒い、寒い。
でも一生懸命自転車をこいでいたら、ぽっぽと暑くなった。
湯気が出そうな頭のまま、クリスマスローズのコーナーに行った。

きれい〜!
いろんな色や形のものが本当にたくさん。
クリスマスローズの花々が愛らしい顔を揺らしていた。
どこからどう見ていいのか迷ってしまう。
ふわふわ浮かれて、まだ暑いまま花の置いてある台の間を歩き回った。
すると奥のほうの台の前で、同じように悩んでいる人を発見。
もしや、と思ったら、やっぱりネットの花友だちだった。

思わぬ場所での久しぶりの再会に喜んで、
そしてお互いの着膨れた格好を見て笑いあった。
仲間に出会えて嬉しい。
プレゼント選びも、花に詳しいこの先輩がついていたら心強い。

その方は、1時間も前からここにいるのだと言う。
足元のかごには、もう3鉢のクリスマスローズが入っていた。
それぞれに違う色や形や特徴の、みんなかわいい花だった。

クリスマスローズ、本当になんてバラエティに富んだ花なのだろう。
花びらの形、色、模様、蕊の色や形、1株ずつみんな違うのではないかと思えるほど。
そして個性的なそれぞれがみな魅力的だ。
私はコレクタータイプではないし、植える場所もないので、
新しい品種を次々とほしくなることはないのだけれど、
それでもこんなかわいい花たちを見ると連れ帰ってしまいたくなる。
でも今日は、父へのプレゼント探し。
一番好きそうな、素敵な花を選ばなくては!

さんざん悩んで、ひと鉢選んでかごに入れては違うものと取り替えたり
選びきれなくて両手にひとつずつ持って歩き回ってみたり。
きっとどれを選んでも父は喜んでくれるとは思うのだけれど。
よく考え、友だちに相談して、やっとそのひと鉢を決めた。
花びらはフリルのようにひらひらとして、色は淡いワインに濃いワインの覆輪。
たっぷりとしたクリーム色の蕊を濃い色のネクタリーが取り巻いている。
葉とのバランスもよく、姿が美しくて、一番気に入った株だった。
素敵な花が選べて大満足でかごを持ってレジに立った。
そのかごの中には、プレゼントのほかにも3鉢のクリスマスローズが…。
私としたことが、かわいい花の誘惑に負けてしまったのだった。

長いこと寒い園芸売り場に立っていて、すっかり体が冷えてしまった。
同じように誘惑に負けて5鉢お持ち帰りの友だちとベーカリーカフェで一休み。
甘いケーキとミルクティーで体を温めながら、
クリスマスローズの話や薔薇の話で盛り上がった。
ふたりとも、ちょっとハイテンションだったのは、
かわいいクリスマスローズを、ちょっと思い切って買ってしまったからかな。

この冬は、もうクリスマスローズは増やさない!
と宣言したけれど、あのお店に行ってしまったら危ない。
かわいい冬の貴婦人たちが顔をそろえて誘惑しているのだもの。


庭仕事と小鳥たち 2004年01月22日(木)

今日もいいお天気だ。
午後、庭に出た。
まだ苗床に入ったままだった秋蒔きの苗たちを
ポットに植え替えした。

伏せた植木鉢に腰をかけ、太陽に背を向けて作業をした。
ほかほかと陽射しが背中を暖める。
ちょっと寒いけれど、風もない、おだやかな日和で気持ちがいい。
小さい苗を割り箸でそっと掘り上げ、素手でポットに植えつけていった。

シジュウカラがやってきたらしい。
ピ、ピ、と鳴き交わす声。
軽やかな羽ばたき。
こつこつ、とピーナッツの殻をつつく音。

動いたらおどかしてしまう。
見たいけれど、我慢、我慢。
気配を感じられたらそれで嬉しい。
小鳥たちには落ち着いて遊びに来てもらいたい。

さくさくさく、とかすかな音がした。
あまり大きく動かないように、そっと横目で見てみると
メジロがやってきてりんごをつついているのだった。
かわいい!
目が合ってしまった。
でもメジロは飛び立たず、首をかしげただけで、またりんごを食べだした。
様子を見ていたらしい夫婦の片割れも舞い降りてきて、
2羽で仲良くりんごをつついていた。
ほんわりした気持ちになって、そのまま作業を進めた。

たくさんの種類の花たちは、まだ小さい苗のうちから個性的だ。
ギリア、スカビオサ、ビスカリア、サルビア・ホルミナム…。
みんなそれぞれの形を持っている。
それぞれの花を咲かせる力を持っている。
それにしても、ヘリオフィラを見るといつも思う。
名は体を表す。
本当にヘロヘロフィラフィラした細くて頼りない苗なのだ。
苗床で絡まっているのを手でほどいて、1本ずつポットに植えた。

少し日が翳ってきた。
急に寒くなり、手袋をしていない指先はかじかんできた。
今日は全国的に寒波がやってきているらしい。
それでも東京は暖かいほうだったのだろうけれど、もうこれが限界。
苗はまだ残っているけれど、今日はここまでにしておこう。
立ち上がると、小鳥たちがあわてて飛び立つ音がした。

おどかしてごめんね。
もう部屋に入るから、ゆっくりとしていってね。

木の枝に止まって様子を窺っていた小鳥たちは
私が部屋に入るのを見届けて、またやってきて食事を始めた。
ガラス越しに眺めると、小鳥の小さなふっくらした体に日が当たって
暖かそうに見えるのだった。
本当は空気はこんなに寒いのに。
小鳥たちは強い。
せめて、私の庭でくつろいで楽しんで食事をしてくれたらいい。
スズメ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、それからヒヨドリ。
私も彼らの姿を見て楽しんでいる。


歯医者さん終わり 2004年01月21日(水)

紙のエプロンをつけて、おだやかなBGMの流れる暖かい診療室で
寝心地のいいリクライニングの診察椅子に座り
うとうとしながら治療の順番を待っていた。
今日に限って、待ち時間が長かった。
目の前の時計を見ると、この椅子に座ってからもう30分近くたっていた。

忘れられたのかな。
あまりよく眠っているからそっとしておこう、なんて
気を利かせてくれたのかしら。
たしかに、3本立ての夢など見ていたけれど。
目が覚めるたびに、ここがどこだか一瞬わからないんだ。
その感覚はちょっとおもしろい。
でも、もう眠らない。
ちゃんと目を開けていよう。

でも椅子に座ったままではそんなに見るものもなく
また眠くなってしまいそうだった。
首を横に向けて、明るい光が差し込む窓の方を見た。
「○○歯科医院」と裏返しの字が窓ガラスに書いてあった。
そして「電話XXX-XXXX http://〜…」と書いてあるのが読めた。
この歯医者さん、HPを持っているんだ。
家に帰ったら、すぐに見てみよう。
楽しみを見つけた。
そしてそれからすぐに先生がやってきて治療が始まった。

今日の治療は麻酔も打たず、簡単だった。
終わったあと手鏡を渡されて、治療したところを示された。
「それではこれで終わりです。また痛むようだったら早めに来てください。」
これで終わり?
終わった〜!

最後に簡単に歯磨きの説明を受けて診療室を出た。
「どうもありがとうございました。」
よかった。
やれやれ…。
2ヶ月の間、週に1、2度通った歯医者さんともしばらくお別れだ。

家に帰って、いつものようにすぐにパソコンのスイッチを入れて
忘れないうちに、歯医者さんのHPを探した。
同じ名前の歯科医院はいっぱいあったけれど、すぐに見つかった。
今、出てきたばかりの見慣れた受付がとてもきれいに写っていた。
スタッフの数人の女性もみんなにこやかで感じがよかった。
この人たちに、大口を開けているところを見られていたんだな。
ちょっと恥ずかしい…。

医院の場所の地図、診察時間、Q&A。
そして「院長の挨拶」。
男の人の顔のアップが出てきた。
間違いなく、いつものあの先生なのだろう。
けれど初めて見る顔。
そう、いつものあの大きなマスクがないから。
先生の目しか見たことがなかったのだもの。

へぇ〜。
こんな顔をしていたのね。

落ち着いた声から想像していたよりも若い、ほのぼのと優しい顔だった。
今まで10年以上も治療をしていただいているのに
初めて会うなんて、不思議な感じだった。

はじめまして。
いつもお世話になっています。
でもなるべくお世話にならないように気をつけます。

写真に向かって心の中でつぶやいた。

どうもありがとうございました。
これからは街の中や駅で会っても挨拶できますね。
それでは、さようなら。


嬉しい庭仕事 2004年01月20日(火)

今日は暖かくなると言っていた。
歯医者さんの予約を朝一番にしておいてよかった!
午後からは庭に出られる。
治療のあと買い物をして、まだ麻酔も覚めきらないうちに家に帰った。
明るい光の中で揺れるピーナッツリースでは小鳥たちがランチ。
私はそれを眺めながらのランチをすませ、お茶を飲んで一服。
そしてテンポのいいCDをかけ、音が聞こえるように少し窓を開け、
身支度して庭に飛び出した。

ずっと手をつけていなかった庭は荒れ放題。
まずは庭の掃除から始めた。
落ち葉を拾い、枯れた草を刈り、枝を切り、
転がっているポリポットや鉢底ネットを拾い、片づけた。
黒い土が見えてきて、やっと庭がすっきりとした。
落ち葉の下からは、かわいいクロッカスの芽や
クリスマスローズのつぼみが現れた。
柔らかく瑞々しくてとてもかわいくて笑ってしまった。

ここで一段落。
部屋に入ってCDを取り替えついでに、やかんに沸かしておいたウーロン茶でひと休みした。
すると、私が部屋に入るのを待っていたかのように、小鳥たちが庭にやって来た。
シジュウカラにヤマガラ、そしてそれを追い散らすヒヨドリ。
鳴き交わしながらピーナッツやヒマワリやりんごを楽しんでいる。
外に出られなくなってしまった。
体はレースのカーテンに隠してテラスに座り、
鳥たちのそばで日向ぼっこしながら、小鳥たちの食事が終わるのを待った。
ぽかぽかの陽射しと小鳥の声に、うっとりと眠ってしまいそうだった。

一団が賑やかに去って、私は再び庭に出た。
次の仕事はとっても気にかかっていた箱の中の球根を植えること。
おそるおそる開けたけれど、球根たちが無事で嬉しかった。
今日からは、ふかふかに耕した土の中でのびのびと根を伸ばせる。
いつものことながら「遅くなってごめんね」と球根に謝った。
そんなことを気にもしないで春にはちゃんと花を咲かせてくれる
かわいい球根たちに、私はいつも甘えてしまう。

気がかりだった球根植えが終わり、さてやっと薔薇の番!
薄いガーデニング手袋を、厚い皮の手袋に取り替えて剪定ばさみを持った。
鉢の薔薇は、ついでに植え替えをしたいので、もっと早い時間からできるときにして
まずは地植えの薔薇たちの手入れから始めた。
不精にもまだ残したままだった花殻を切り、実を摘む。
残っている葉を取り、枯れ枝を切り取る。
そしてここからが真剣、ぷっくりふくらんだ赤い芽を見つけて、その上で枝を切った。
春からはどの枝がどんなふうに伸びたらいいのか、
その姿を想像して枝を思い切りよく切っていく。
乱雑に細い枝や葉が入りくんでいたのが、みるみるさっぱりとしていく。

鋏を動かしながら「やられたなぁ」と、私はつぶやいていた。
言ってから、何が「やられた」なんだろう?と自分で考えて、すぐに答えがわかった。
薔薇をすっきりとさせる剪定作業が楽しくて、すっかりはまっていたのだ。
やっぱりこんな作業が好きらしい。
答えがわかって、自分でおかしくなった。

庭仕事をするのは楽しい。
とても充実した時間を過ごせたような気になる。
成果が目に見えるから?
外で体を動かすのが気持ちいいから?
草花や木と触れ合っているのが幸せだからだろうか?

薔薇のことだけを考えながら、時間はあっという間に過ぎていった。
一番手ごわいグラハム・トーマスの太い枝を落としてひとつにまとめたとき、
指先が冷えているのに気がついた。
窓から聞こえていたCDもとっくに終わって、インコたちもおとなしくなっていた。
庭にももう日が射さない。
まだ明るさは残っているけれど、無理はせず今日の仕事はここまでにすることにした。

部屋に入ってストーブと灯りをつけた。
ウーロン茶を温めなおしてゆっくりと飲んだ。
あぁ、おいしい。
気持ちがいい。
お茶を飲みながら、窓の外を眺め、一日の成果を確かめるときがとても嬉しい。
暖かかった今日の日に感謝。
明日からも、こんな園芸日和が続きますように。
まだたくさんの薔薇たちが待っている。
刈ってほしそうな庭木たちも待っている。


帰宅 2004年01月19日(月)

パン教室の帰り道は夕方になった。
駅前のロータリーは家路を急ぐ人たちでいっぱい。
そして鳥たちも、ねぐらに帰るところだった。

ロータリーの真ん中に立つ大きな木に
鳥たちが住んでいることを知ったのは去年の今頃。
霙が降る夜のことだった。
寒さに足踏みしながらバスを待っていたとき
円錐型の木の枝のシルエットに鳥の白い姿が浮かび上がって見えたのだ。
最初は花かと思った。
よくよく見たら、冷たい氷雨の中で静かに眠っているセキレイたちだった。

それから、夜に駅前を通るとこの大きな木を見上げてしまう。
春から秋の間は、葉っぱに隠れて鳥たちは見えないけれど
ここで何百羽もの鳥たちが眠っているのだと思う。
冬になると、白い花のように枝で眠る鳥たちの姿が見える。
この木が雪をまぶしたクリスマスツリーのようにも見える。

今日はちょうどよく、鳥たちの帰宅時間に通りかかった。
足を止めて見ているその間に、どんどん鳥の姿が増えていった。
金星が光る黄昏の空に、花吹雪を散らしたように鳥が舞う。
それぞれ、今日の出来事を報告しあっているのか賑やかに鳴きかわしている。
バスが並ぶロータリーの上をひゅんひゅんと勢いよく飛びまわる。
そしてすいっと木の枝に止まり、そっと翼をたたんで眠る準備をする。
すぐに空も、木も静かになった。
何事もなかったかのように。
短い映画を見終えたような気持ちになった。

今、この時間もあの高い木の枝々で鳥たちが夢見ている。
木だけが鳥の重みを知っている。


アイビー 2004年01月18日(日)

午後から庭に出て、薔薇の植え替えをした。
小さい鉢で我慢したままの一番の新入りさん、
スタンダードのギスリーヌ・ド・フェリゴンドが気になっていた。
初めて使う12号鉢はとても重くて
土と薔薇を入れたら持ち上げるのに苦労しそうなので
置くつもりの場所で作業をした。

この薔薇は、玄関ポーチの脇に置いて、下の駐車場に枝垂れさせるつもりだ。
家の東北の角だけれど、朝と夕方、そして真夏の昼間にも日が当たって、わりと明るい。
きっとよく花を咲かせてくれると思う。
背の高い薔薇が傾かないように気をつけて左手で支え、
段ボール箱の中で配合した土を鉢の中に入れて、ごつごつした根を埋めた。
大きな鉢の中に土はいくらでも入っていった。
何度も土を作り足して、やっと薔薇はしっかりと立ち上がった。

ひと仕事終えて満足。
これであとは成長を見守るだけだ。
少し離れて鉢と薔薇の全体写真を撮ろうと思って
家の北側、お隣の家との間の通路に入った。
ここはちょっと手入れ不足。
咲き終わった菊がそのままドライフラワーになっていたり
雑草や苔の間から、クロッカスの瑞々しい芽が出ていたりする。
あとでなんとかしなくちゃ、と思いながらふと壁面を見てびっくりした。
北側の壁にはアイビーがびっしりと這い登っているのだった。

あまり日当たりもよくなく、たぶん手入れも行き届かないだろうこの通路に
何本かのアイビー(ヘデラ)を挿し木したのは引っ越してきた5年前だ。
思惑通り殺風景な通路をいろんな色や形の葉っぱが彩り、
土を隠し、爽やかにしてくれていた。
それには満足していたのだけれど、ここまで成長していたとは…。
クリーム色の壁に緑のアイビーが絡まっているのは
それはそれで素敵な眺めなのだけれど、このまま放っておいたらどうなるのだろう。
家を覆いつくしてしまうかもしれない。
とりあえず、私は家を甲子園球場のようにするつもりはない。
これは取らなくては!

ところがこれが手ごわかった。
葉っぱはこんなにかわいいのに、茎はとても硬くて、
さらにその茎からびっしりと出ている根っこはとても丈夫で力強かった。
茎を持って引き剥がそうとしても、なかなか取れない。
思いっきり引っ張ると茎が切れるし、根っこも壁に残ったままになる。
指先も入らないくらい、隙間なく根が出ている。
剪定ばさみを間に入れてこじ開けようとして、でも力が足りなくて
その勢いで指先を切ってしまった。

どうしよう。
今日のところはここで終わりにしようか。
それとも諦めてツタが絡まる素敵な家を目指そうか。
でも、剥がすのなら今のうち。
もう私の手が届くいっぱいいっぱいの高さまで伸びているのだから。
がんばって全部剥がすことにした。

そのうち、だんだんコツがわかって取りやすくなってきた。
上のほうの若い茎より、下の古い茎は壁から離れやすかった。
先から50センチくらいをなんとか剥がせたら、
あとは芋づるをひくようにばりばりと取れる。
しっかりと壁にしがみついて、きれいな葉っぱを開いているアイビーには申し訳なかったけれど
土の中の根っこはそのままなのだから、先のほうだけは散髪させてもらった。

2時間近く格闘して、やっと壁からアイビーを剥がせた。
もう空は茜色、空気も指先も体も冷たく、おなかはぺこぺこになっていた。
ひと山もあるアイビーの蔓をビニール袋に押し込んで、壁を見た。
壁に残った根っこのあとが傷あとのようで、ちょっと胸が痛んだ。
でもここを気に入っている丈夫なアイビーなら、またすぐに元気に伸びるだろう。
春にはまた壁を這い登ってくるのだろう。
私がツタ屋敷を作る決心をするまで、ずっとこの攻防戦は続くのだろう。

このアイビーと上手につきあっているおうちがあれば、
これを這わせて素敵になるのであれば、私も考えるのだけれど。
どうでしょう?


奥様は魔女じゃないの 2004年01月16日(金)

新しいテレビドラマが始まった。
人間の世界に憧れてやってきて
人間に恋をしたかわいい魔女が大活躍。
楽しく見ていると、夫が帰ってきた。
今までのあらすじを説明して一緒に見た。

画面では、魔女の女の子が恋人と一緒にほうきに乗って
窓から飛び出し、夜の街を爽快に飛び回っていた。
「いいなぁ〜!」と、夫と私は合唱した。
やっぱり空が飛べるって、魔法が使えるって憧れ!

うっとりと(?)見入っている夫に
「魔女っていいね。あなた、奥さんが魔女じゃなくて残念だったね〜。」
と言うと
「うん、残念や。ほんまに残念やったなぁ。」
と、まじめな顔でしみじみと言う。
「魔女と結婚したらよかった…。」
あなたには魔女の知り合いがいたの?

あまり真剣に言うので、ちょっと悔しくなって
「旦那さまが魔法使いでもいいのよ。
 あー、旦那さまが魔法使いじゃなくて残念!」
と、言い返した。
すると
「そうやなぁ。ハクション大魔王やったらよかったのに。」と夫。
ずっこけてしまった。
なぜハクション大魔王…。

ハクション大魔王でもいいけれど、
そうしたら誰かがくしゃみしたときしか出ててこられないよー。
花粉症の時期には出たり入ったり忙しいよー。
私はそれでもいいけれどね。

魔法が使えるって、小さいころからみんなの憧れ。
軽い仕草ひとつで、なんでもできちゃう。
魔女だったらよかったのになぁ、と今も変わらず、
いえ、今はますます思ってしまう。

テレビの中の魔女は「もう魔法は使いません」と宣言していたけれど、
それでは番組が続かない。
来週からも楽しいかわいい魔法を見せてもらえるのを楽しみにしよう。
私も修行をしようっと(なんの?)。


衣装 2004年01月15日(木)

明るく晴れて気持ちがいい日だ。
暖かいうちに庭仕事をしようとガラス戸を開けようとしたら
小鳥たちがあわてて飛び立ち、少し離れた木の枝に止まった。
庭のピーナッツリースやくだものに
シジュウカラやヤマガラたちがやって来ていたのだ。

せっかくのお食事の邪魔をしてはいけない。
特にヤマガラは、やっと常連になりかけたばかりなのだもの。
庭仕事はまたあとにして、
明日のお茶の初稽古に着ていく着物を用意することにした。

こんなときしか使わない2階の和室には、5年たった今もまだ新しい家の匂いがする。
そこへ樟脳の匂いのするような古い着物をいくつも引っ張り出した。
もうあまり着ないから、と、母や祖母や叔母たちが着物や帯をくれていた。

何を着ていこう。
どれと合わせよう。
悩む、悩む。
あちこちから少しずつバラバラと集まってきた着物や帯は多種多様。
好みも素材も古さも大きさもみんな違って、
それはおもしろいけれど組み合わせには悩ませられる。
セーターの上から巻きつけて、姿見を見ては、次のものと取り替える。
数ばかりはいっぱいあるくせして「これ」と言う組み合わせが見つからない。

いろとりどりに〜ぬぎちらかした〜♪と「夢一夜」なんかを口ずさんで
ガラス越しの陽射しを背に、畳の上に座り込んで散らかした絹を眺めてぼんやりした。
小鳥たちの澄んだ高い声が「チリチリ!」と聞こえた。
また食事が始まったらしい。

ひとやすみして、小鳥たちを見に降りた。
揺れるピーナッツリースにとまって、器用につつき出す小鳥たち。
どの1羽も軽やかで敏捷で、そして完璧に美しい。
着たきり雀とは言うけれど、スズメの衣装だって本当に素敵だ。
意外と複雑な茶色い模様はシックでとてもかわいいのだ。
シジュウカラは、シンプルに白と黒だけのようで、
実は背中のオリーブグリーンのグラデーションがなんとも言えず美しい。
黒い頭巾がチャーミングなヤマガラは、
鮮やかなレンガ色のおなかとグレーの羽の組み合わせがきりりと粋だ。

なんてみんなおしゃれなんだろう。
きれいなんだろう。
あんなふうに装えたなら。

何かを着なくてはいけない人間は、衣装を選べる贅沢も忘れて悩んでしまう。
最初からあんなふうに生まれたら、着たきり雀でかまわないと思ったりする。
小鳥たちの足元にも及ばない野暮ったい組み合わせだけれど
なんとか新春らしい色合いの花の模様の小紋と
草木染の糸で織った縞の帯をやっとのことで選んで落ち着いた。

小鳥たちはおなかいっぱいになって飛び立っていった。
私は軽やかでなく、もこもこと着込み、
やっと庭に出て、昨日届いたばかりのアスパラガスの大苗と
去年からポットで窮屈そうだったソラマメの苗を植えつけた。


3年目のLOVE 2004年01月14日(水)

朝の光の中で「LOVE」がぽっかりと開き始めていた。

ピンクのハートのワンポイントに一目ぼれして
このソフロカトレアを買ったのは2年前。
かわいくて、嬉しくて毎日見とれていた。
花が終わって、どうしていいのかわからなくて
いい加減な扱いをしていたのかもしれない。
去年は花を見せてくれなかった。

3年目の今年、つややかな新鮮な緑の茎をすんなり伸ばして
その先に卵のようなつぼみがふたつついた。
少しずつ大きくなっていって
今朝、鳥が羽を広げるように、ふわりと花びらを開いた。
私の家のこの出窓で咲いてくれた。
ピンクのハートもちゃんと忘れずつけていた。

愛しい「LOVE」ありがとう。


胸が痛い

動物の悲しいニュースが多すぎる。
鳥インフルエンザが広がって
何万と言うニワトリやアヒルが「処分」された。
SARSの感染源と言われて
外国ではたくさんのハクビシンたちが「処分」された。
鯉ヘルペスにかかって、鯉たちが死んでいった。
みんなわけがわからないうちに。
こんなふうに死ぬつもりではなかったのに。

胸が痛い。
悲しくて目をそむけてしまう。
でも、誰より大切に育てた方の気持ちを思うとつらい。
無造作に袋に鳥を押し込んでいる
その白衣の中では号泣しているのだ。
ついに死者まで出てしまった病気を
そのままにしておくわけにはいかないのだ。
人も、動物も、誰も悪くないのに。

私のまわりの人々と暮らす動物たちはみんな幸せだ。
人間も動物たちも幸せそうだ。
1匹でも多くの動物が、幸せで穏やかに暮らせますように…。


寝ぐせ頭で初詣 2004年01月12日(月)

昨夜は少し疲れていて、髪が乾かないうちに寝てしまった。
目覚めて鏡を見てみてびっくり!
これはメデューサ?
爆発してうねっている髪を梳かしつけ、ピンでとめた。

「おはよう」と言う夫の声に振り向いた。
そして大笑い!
夫の寝ぐせはもっとおかしかった。
頭の右半分が見事に跳ね上がっている。
「まあ、今日は誰にも会わないし、いいか。」
と、相変わらずのんきな夫はそのままにしていた。
夫は自分では見えないからいいけれど
私はその頭を見るたびに笑ってしまう。
跳ね上がった髪のまま、まじめな顔をして本を読んだり
テレビを見たりしているのだもの。

午後、近くの神社に初詣に出かけた。
明るい陽射しが白い塀に私たちの影を映した。
ぴょこぴょこと寝ぐせ頭が揺れていた。
「ウッドペッカーか、なんとか星人みたい。人間の影じゃないよ〜。」
ふたりで大笑いした。

歩いて5分足らずの道のりでは、幸い誰にも会わなかった。
でも鎮守の森の神さまはしっかりご覧になっていたでしょう。
神妙な顔で拝んでいる、ウッドペッカーとメデューサを。
ああ、こんな無精者の夫婦を今年もどうぞお守りくださいませ。


新年会 2004年01月11日(日)

90歳の先生を囲んでの新年会。
本当に新年が、おめでたい、と感じられる。
先生は、私などよりも
誰よりも、お元気で溌剌としていらした。

毎日のお抹茶がいいのかな。
甘いお菓子が効くのかな。
先生が大好きなお酒が健康の秘訣かな。

今年もますますお元気で!
私も背筋を伸ばして歩いていこう。


最終講義 2004年01月10日(土)

懐かしいキャンパスに旧友が集まった。
見慣れない新しい校舎の明るい教室は少しよそよそしかった。
その向こうの木立は昔と同じ景色を作っていて美しかった。
19年ぶりの教授の声はまろやかに耳に響いた。

四十数年、教壇に立ち、数え切れないほどの講義を持ち、
何千人の学生を育てて来られたのだろう。
今日のこれが、最後の講義。
「話したいことはいっぱいあるのです。」
もっと聞きたかった。
でもこれで最後。

配られた略歴で、私と同い年のお子さんがいることを知った。
ただただ厳しくて恐いだけの先生だったのが
急に「お父さん」のように身近に感じられた。
当たり前のことなのに、先生にも先生以外の顔があったことを初めて思った。

学生時代とは違う気持ちで、進んでいく時計の針を時々見つめた。
あと何分。
もうすぐ終わる。
終わってしまう。
「これで最後の講義を終わります。」
書類を重ねて、先生が晴れ晴れとした顔を上げられた。
音楽が流れ、花束が渡された。

どうもありがとうございました。
お疲れさまでした。
できの悪い、いたらない学生だったけれど、最後の言葉だけは忘れません。

「今日の日を楽しめ!」


7年目の快挙? 2004年01月09日(金)

ひさしぶりに美容院に行った。
友だちに教えてもらった初めてのそのお店で、シャンプーのとき
美容師さんが「きれいな髪ですね。」と言った。
聞き間違いかと思った。
がんこなくせっ毛で、多くて硬くて真っ黒な髪は
若いころほどではないにしろ、今でも私のコンプレックスだったから。
きれいだなんて、言われたことも思ったこともなかった。
柔らかくて素直なさらさらの髪にずっと憧れているのだ。

「健康でいい髪ですよ。手触りが違います。」
と、また美容師さんが言ってくれた。
健康!
それはそうかもしれない。
ただでさえ太くて丈夫なのだけれど、パーマやカラーリングもしていない、
ドライヤーもかけていない私の髪は、痛んでいないのかもしれない。
そう言えば、枝毛や切れ毛も見たことがない。

「健康」と言う言葉に嬉しくなった。
すぐに風邪をひいたり、熱を出したり、胃腸を壊したりする不健康な私に
健康なところがあっただなんて。
ふわりと心が丸くふくらんで楽しい気分になった。
私は健康なんだ(髪だけだけれど)。
カットの間もそんな言葉を頭の中で繰り返していた。

「ありがとうございました」の声に送られて(こちらこそ、だわ)
軽くなった髪で外に出た。
せっかく銀座に来たのだから、ぶらぶらすることにした。
美容院で「健康」をもらったばかりで足取りも軽かった。
デパートで春らしい雑貨を少し買い、バーゲンの服を眺めた。
「猫を中心とした動物のアンティーク展」と言うとっても興味深い展示に出会い
ゆっくりと眺め、ポストカードを何枚か買った。
地下の食料品街ではおいしそうなパンをいっぱい買った。

昼食をとっていないことを思い出して時計を見ると3時半。
ずいぶん長いこと歩いていたらしい。
疲れた感じはしなかったけれど、ベーカリーカフェで休憩することにした。
窓辺の席に座って、読みかけのミステリーと一緒にティータイムセットを楽しんだ。
本はおもしろく、パンもデザートもカフェモカもおいしく、また元気になった。
まだまだウィンドウショッピングを楽しめそうだったけれど
調子に乗らず、寒くなる前に家に帰ったほうが身のため、と駅に向かった。

「献血をお願いします!特にO型の方!O型の血液が足りません!」
街灯が灯り始めた駅前広場で、冷たい風の中、
白衣を着た男性が拡声器で呼びかけていた。
私はO型だ。
「お願いします!受付時間、あと5分です!O型の方!」
いつもだったら「私には無理だわ」と、申し訳なく思いながらも通り過ぎてしまうところだ。
でも今なら!
この体調の、元気な私なら、できるかもしれない。
深く考えることもせず、足はテントの方へと向かっていった。

若いころはよく献血をやったものだった。
私は元気で、血もありあまっていた。
17歳から始めて、20歳で10回、25歳のときには20回目の献血をしていた。
でもそのあとからは、全然できなくなった。
献血バスを見つけるたびに行ってはみるものの、血圧が低すぎたり、
血液の比重が軽すぎたり、あるいは両方だめだったり。
だんだん間遠になって、それでも3年に1回くらいはできていたのに
ついにドクターストップが出てしまった。
「お気持ちはありがたいけれど、あなたはもう献血はしない方がいいです。」
こんな私にもできるささやかな社会奉仕もできないようになったのかとがっかりした。
試しにこっそりと行ってみても、ブラックリストに載っているらしく
コンピュータの画面を見て断られたこともあった。

でも今なら。
あれから7年たっているし、リストからもはずされたかもしれない。
それになによりこんなに元気なのだもの!
ストーブが焚かれた暖かいテントの中でコートを脱ぎ荷物を預け、バスに乗った。
ドキドキしながら診察を受けた。
血圧「正常です。」
比重「じゅうぶんあります。400mlお願いしますね。」

わー、本当に献血できるなんて!
最後にできたのが、トトが病気になったときの願掛けだったから7年前。
7年ぶりの、私にとっては快挙だった。
400mlも献血するのも初めてだ。
前は200mlしか採ってもらえなかった。

久しぶりの寝台に横になって腕を出し、太い針が刺されるのを見た。
「いいですね。流れもとってもいいですよ。」
と、看護師さんが明るい声で言った。
「この調子だとすぐにたまります。」
血が出て行くのを見ても、頭がふらふらすることも気分が悪くなることもなかった。
私の血は順調にパックされていった。
本当に健康なのだ、と嬉しくなった。

腕にバンドを巻かれ、バスを降りるともうすっかり夕方だった。
私は最後の一人だった。
テントの中でストーブにあたり、ジュースとクッキーをいただいた。
そして新しい献血手帳と小冊子をいただいた。
「おひさしぶりなのですから、気をつけてくださいね。
電車も、1本見送っても座って帰ったほうがいいですよ。」と気遣われた。
でも気分はよかった。
「今日はお買い物でしたか。これでもうお帰りですか?」と聞かれたので
「はい。」と答えると、5、6本残っていたジュースやお茶を全部渡された。
「お荷物になるでしょうけれど、よかったら持って行ってください。」

いっぱいおみやげをいただいて、荷物もたくさん抱えて混み始めた電車に乗った。
ちょっとだけ気分が悪くなりそうだったので、途中で、すいている各駅停車に乗り換えた。
そして本も読まずにぐっすりと眠って帰ってきた。
気持ちよく目が覚めて、駅を降りると、昇り始めた赤い月が見えた。
丸い、とろりとした色の、なんだかおいしそうな月だった。
満月のころ、パワーもみなぎるのかな?
私は元気!と口ずさみながら、月に向かって自転車をこいでびゅんびゅんと帰ってきた。


今年の初薔薇は初スタンダード 2004年01月08日(木)

朝、今年最初の薔薇の苗が届いた。
私の初めてのスタンダード仕立ての薔薇だ。
秋に注文して、本当は年末に届くはずだったのが
「すいません。配達業者の方が、大物の配達は年内は
もう取り扱わないと言うことで、年明けになります。」
と、わざわざナーサリーから電話があったのだ。

大物?
スタンダードってそんなに大きいものなのかしら?と思っていたら、
本当に長くて大きな箱が運んで来られた。
強い風に閉まりそうになるドアを押さえながら
「大きいですね〜!」と、思わず言ってしまった。

部屋に運び入れて、長さを測ってみると190cm。
段ボール箱が3つもつぎはぎになっている。
その継ぎ目のガムテープをはがして、
上の箱をはずすと、傘の骨のような枝が出てきた。
下の箱を脱がすと、ビニールに包まれた根っこの塊。
最後に真ん中の箱をそっと抜いた。
竹ざおにくくりつけられた長い幹が現れた。
部屋の中で立ててみると、私の背丈よりずっと高かった。

なんて立派なスタンダード!
嬉しいな。
箒のようなこの枝が長く伸びていっぱい花が咲いてくれるかな。
玄関の横に鉢を置いて、2メートル下の(自転車だけの)駐車場の方へ
枝垂れさせようと夢見ている。

北風がとても強くて寒かったけれど、根っこが裸だったので急いで鉢に植えつけた。
こんなに大きいとは思わなくて、8号鉢しか用意していなかった。
根っこの巻きも、ぐるぐると大きかった。
これは12号くらいは必要かもしれない。
なるべく早く、赤玉土などと一緒に配達を頼まなくては。
車がないと、こんなときにはちょっと不便だ。

とりあえず8号鉢に植えられたスタンダードは、
ツンツルテンのズボンを無理やりはかされた背の高い少年のようだった。
強い風に倒されないように、玄関の隅に寄せて置いた。
早く、早く鉢を買いに行かなくちゃ!

ギスレーヌ・ド・フェリゴンドと言うむずかしい名前の薔薇が
どんな花を見せてくれるのか、どんな風景を作ってくれるのか、
今からその季節が待ち遠しい。


嬉しい年賀状 2004年01月07日(水)

今年の年賀状では、4人の友だちが
「赤ちゃんが生まれました!」と嬉しい報告をくれた。
みんな同年代の友だちだ。
ぴかぴかの赤ちゃんを抱っこしている友だちの写真を見て
赤ちゃんの匂いや柔らかさを思い浮かべてほっこりした。
赤ちゃんと暮らし始めた友だちを思うと嬉しくて
そしてとても元気が出てきた。

出しそびれていた今年最後の年賀状と一緒に
お祝いのカードをポストに入れた。
4時30分の最後の集荷には何とか間に合った。
帰り道はオレンジ色の夕日だった。
きれいな空だった。
明るくてなんか幸せでついついスキップ♪


5歳の誕生日 2004年01月06日(火)

この家に住み始めてから丸5年。
年が明け、運送屋さんの仕事始めを待って引っ越してきたのだった。
今日は、家の5歳の誕生日だ。

実家での新年会に持っていったガレット・デ・ロアがおいしかったので
それでお祝いしようと思っていたのに、家の近くでは見つからなかった。
ガレット・デ・ロアは1月6日にいただくケーキなので
ちょうどよかったのに、ちょっと残念。
その代わり、夫が最近気に入っているトップスのチョコレートケーキを買ってきた。

小さく切り分けず、大胆にも2等分して、半分ずつのケーキを贅沢に食べた。
大きな塊にフォークを入れるのは、ドキドキして嬉しい。
「小さいころ、こんなのが夢だったよね」
「丸いケーキをそのまま食べるのもやってみたいね」
などと話しながら、あっという間に直方体が小さくなっていった。
本当は割り当てを全部食べられそうだったけれど
夜も遅いので我慢して少し残した(明日の朝のお楽しみ)。
夫はきっちり半分残していた。

紅茶をゆっくり飲みながら、この日はいつも引っ越した日のことを話す。
「あなたが年末から出張に行っていて、ひとりで大変だったのよ〜」
「よくこんな寒い時期に引越ししたよね」
「あの日は晴れていて暖かい日でとても助かったのよ」
「もう5年も住んでいるのか…」
見回すと、傷がついてきた床、少しくすんだ壁、増えた家具。
すっかり見慣れた部屋の風景。

こんな会話も空気も飲み込んで、家は少しずつ年を重ねる。
落ち着いてくる。
庭の景色も豊かになってきた。
住む人は変わらない。
家や庭と一緒に、古びるのではなく豊かに年を重ねていこう。
熟成していこう。
また来年も、そんなことを思いながら、ふたりでケーキを食べるのかな。
今度は丸いガレット・デ・ロアを半分こにしよう!


眠いお正月 2004年01月03日(土)

このお正月は暖かでうららかだ。
なんの予定もなく、ゆっくりと起きて、おせちをいただいて、
そして日向ぼっこをしていると眠くなる。
眠ってしまう。

なんてまあ、このお正月はよく眠ること。
自分でもあきれてしまうくらい、気がついたら眠っているのだ。
夢の中でも私は眠くて、年賀状を見ながらうとうとしている。
それはすぐに正夢になる。

「いいんじゃない?お正月なんだから。」
と、私が静かなのは大歓迎の夫は言ってくれた。
「そうね。寝正月って言う言葉もあるくらいだものね。」
と、私も自分を正当化。

うん、いいんだけれどね。
でも食べては寝ていたので、
たった3日間で体がふよふよになってしまったのよ。
不思議なの。
寝ているだけなのに、おなかはきちんとすくのだもの。

少しは運動もしなくちゃ…と思うだけで体は動かないまま窓の外を眺めた。
シジュウカラのための巣箱には、相変わらずアシナガバチが住んでいて
のどかな羽音を立てて、出入りしていた。
窓ガラスに止まって日向ぼっこをしているハチを見て
困ったな、と思いながらも、陽射しの暖かさにまた眠くなってしまうのだった。

まあ、いいか。
お正月なんだもの。
開き直って、もうひと眠りしようか。
ハチのことは、目が覚めて頭がすっきりしてから考えましょう。
運動するのも、日常に戻ってからでいいわ。
今はいいのよ。
お正月なんだから。

あれ?
去年も同じようなことを言っていたような…。


犬たち 2004年01月02日(金)

1月2日はいつもの通り、実家に家族がそろっての新年会だ。
両親がいる家にみんなが集まる。
ケーキを3つ買って、私は夫と一緒に訪ねていった。

母の手料理やおせち料理、叔母のお得意料理がテーブルに並んでいた。
妹たちもエプロンをつけて、働いていた。
父と叔父、義弟や従弟はビールを飲み始めていた。
小さな甥や姪たちは、
みんなが集まって賑やかなのに興奮してはしゃぎ回っていた。
そして2匹の犬たちも、
大勢の人たちにかわいがられて遊んでもらって嬉しそうだった。

この犬たちが生まれたとき、私はもう結婚してこの家には住んでいなかった。
なのに、たまに訪れるだけの私を、犬たちは家族として認めてくれる。
甘えてひざに乗ってきたり、ゴロンと寝転んでおなかをなでさせてくれる。
そんなところがとてもかわいい。

きゅうきゅうと鳴いていた生まれたばかりのねずみのような姿をよく覚えているし、
甘えた仕草につい子ども扱いしてしまうけれど、この犬たちは3月で6歳になる。
もう立派な中年犬なのだった。
いつの間にか、私たち姉妹の年を追い越していた。

「うるさすぎ!」とか「いたずら!」と、時々うるさがられるけれど
みんなの張り合い、心の安らぎになっている。
この2匹がいることで、家族がつながっている部分が確かにあると思う。

競うようにして私のひざにあごを乗せてきたミニチュアダックスフント姉弟の
なめらかな長い茶色い毛並みをなでながら、今年も元気でいてね、と話しかけた。
ずっしりと重く大きくなった、いつの間に年上になった犬たちは、
子犬のころと同じ信頼しきった純粋な丸い目で私を見つめて
ぺろりと手をひとなめしてくれた。


お正月の匂い 2004年01月01日(木)

12時が過ぎ、新しい年がやってきたあとも、
夜更かししてささやかなおせちの用意をしていた。
まだ年末の続きのようにばたばたとしていたのに
ほんの数時間眠って朝、目が覚めると
空気はちゃんとお正月の匂いになっていた。

新しいノートを開いたときのような、洗いたてのシーツのような、
アイロンをかけたばかりのハンカチのような、水仙の花のような、
そんなお正月の匂い。
小さいころは、もっとはっきり感じていた。

大晦日、この夜だけは夜更かしを許されていた。
がんばって年が変わるところを見届けよう、と思っていても
どうしてもだんだんと目が閉じてきてしまったのだけれど。
夢うつつのうちに除夜の鐘を聞き、
古い年の神さまと新しい年の神さまがバトンタッチするイメージを思い描きながら眠った。
大きな紙がゆっくりと裏返しになっていくようなイメージもあった。

そして目が覚めたら、お正月が来ているのだ!
雨戸が閉まったままで薄暗い部屋のひんやりした空気は、
昨日とは違うお正月の匂いだった。
枕元に用意しておいた、新しい下着とよそ行きの服をいそいそと着た。
妹たちも祖父母もまだ眠っているらしい。
大掃除をしたあとできれいになっている家の中もお正月の香りでいっぱいだった。

階段を下りて台所に入ると、大きなお鍋にお雑煮用のおつゆが温まっていた。
私が眠る前にはまだ作りかけだったおせち料理もきちんと重箱に詰められていた。
一体、母はいつ寝ていたのだろう。
やっぱりいつもよりいい服を着て、その上にエプロンをかけた母に
今年最初の「おはようございます」を言った。
料理の支度をする母のまわりをうろうろしたり、
年賀状を待って何度もポストを覗きに行ったりした。
静かで明るい外の空気も、胸がすうっとなるようなお正月の匂いだった。

家族が起きてきて、いい服を着てニコニコと顔を合わせて、そろって神棚や仏壇を拝んだ。
おせちが並べられた客間のテーブルの後ろにみんなを並べて、
父がセルフタイマーで記念写真を撮った。
そして一人ずつがお正月の挨拶をして、お屠蘇をいただいて、おせちやお雑煮をいただいた。
やがて、ゴトリと年賀状がポストに落ちる音がするのだった。

私たち姉妹は年賀状を家族それぞれに分けたり、ゲームをしたりした。
そのうちに、両親はお年始回りに出かけた。
ふだんは使っていない火鉢に炭を熾して、祖母と一緒にお餅を焼いた。
砂糖醤油やきなこをまぶして私たちはびっくりするほどたくさんお餅を食べた。

今日は昨日の続きで、同じような一日のはずなのに、いつもとは全然違うのだった。
ほこりっぽいような使い古したような昨日から一晩明けただけで、
世界は洗われたようにまっさらで清潔になっていた。
これがお正月なのだ、と思うと嬉しかった。
昼が来ても、夜になっても、特別なお正月の匂いがした。

あれから何十年。
年毎にあらたまったお正月の匂いは薄れていったけれど
今日も確かにそれを感じた。
グラスに注いだお屠蘇で夫と乾杯し、新年の挨拶をした。
お餅を焼き、お雑煮をよそいつけた。
そして、苦労して重箱に詰めたばかりのおせち料理をふたりでつついた。
朝からお酒を飲んで、おなかいっぱいになって、すぐに眠くなった。
たまに時計を見て、昨日の同じ時間のことを思い、
たった1日でこれだけ違うことをおもしろく不思議に思った。
とろりとしたお正月時間が流れていた。

祖父母や私がいなくなっても、実家では同じようなお正月の空気が流れているのだろうか。
挨拶を交わして、ひとりひとりお屠蘇をつぎあっているのだろうか。
小さな甥は新鮮で不思議なお正月の匂いを感じているのだろうか。
感じていたらいいと思う。

お正月は、小さいころのことをやたらと思い出す。


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