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----------2005年11月30日(水) いまだ澱まず

最初の血が流れ出した瞬間にすべて落ちる。中心から流れ出していくものは、熱を孕み、わだかまっていたものたちをすべて引き連れて、小さなリセットをかけてくれる。

私は疲れているけれど、まだ澱んでいない。

正常に血が、流れるうちは、まだ。

来月は忙しいから、カイメンちゃんの心意気を思い出して、決して「疲れた」と口にしないように。思えばあいつ、なかなか可愛いやつだったな。

----------2005年11月26日(土) 遠い

15日ぶりの自転車通勤。会社がすごく遠かった。ペダルをこいでもこいでも、いつまでもたどり着かないような気がするくらい遠かった。

会社にいても、仕事がとても遠かった。お土産を配っていても、皆からとても遠かった。

それだけリフレッシュできたってことかな、と思った。

ナイトクリームと美容液がなくなりかけていたので、思い切ってソルーナのトライアルキットを購入した。あわ立たないタイプのクレンジングフォームは私には合わないけど、バラの花を丸ごと蒸留したという化粧水は肌がごくごくと音を立てて飲み込んでいき、ずっと憧れだったナリシングミルクはウワサどおりのババロア状、すーっとのびてぐーっとはりついてきた。ぴりぴりとした痛みは一切感じず、何もつけていないかのような軽やかさが心地いい。

1200時間かけて作られるクリームを肌に乗せながら、慌しい時間の流れからは遠くてもいいよ、と自分に言い聞かせた。

----------2005年11月25日(金) 髪を染める

髪を黒く染めた。正確にいうと真っ黒に染めたわけではないので(なにやらローライト、という染め方があって、べたっと全体を染めてしまうのではなく、立体的に、ランダムにトーンを調整するらしい)、何もしていない人と比べればまだ十分茶色いところもあるのだけれど、なにせ元がベースはべっこう飴、ハイライトはほとんど金髪、というすごいアタマだったので、ものすごく地味になった気がしておさまり悪い。

でもこの間出産した友人の髪が、昔は私より明るい茶色だったのに、すごくナチュラルな地毛に変わっているのを見て、なんとなく黒い髪に憧れたのだった。美容院に行くヒマもないから、と彼女は言ったけど、飾り物ではない本当の美しさがたしかに彼女のまわりには漂っていた。

クリスマスだ、年越しだ、といってはみんなで集まって、何百本という煙草の煙とアルコールの匂いでさんざんに汚した彼女の部屋の空気は、そんな昔を遠くおきざりにして、きれいに澄んでいた。

本来ならそうあるべきなのに、そうなれない自分。そうありたくない自分。そうありたいと望む自分。

いろんな自分がいるけれど。

・・・タテジマアタマはさすがにやりすぎだと自分でも思っていたので、とりあえず、15連休というあまりにもふざけた長期休暇の最後の日に、本来ならそうあるべきものをひとつだけ、自分に課した。

----------2005年11月24日(木) 再開

今日は部屋を片付けるとか、シルバーのアクセサリーを磨くとか、いらない本とCDをまとめるとか、年末調整の書類を書くとか、もろもろのしなければならないことをして、そうしてマンネリ感が漂いはじめていた此処のレイアウトを徹底的にいじって、自分としてはとてもよく頑張ったと思うので、お風呂にたっぷりお湯をためて道後温泉で買ってきた湯の花を入れた。

今までに入った温泉の中で一番いいと思ったから、自分用に奮発した。イオウ臭くないし、過剰にぬるぬるもしてないし、湯上りはさらっとした感じ。効能は神経痛、筋肉痛、とある。ウソではない。金毘羅さんの階段のせいでぱんぱんにはっていた足の痛みが一気に取れたのだもの。

今日も、おかげでクビの痛みが取れた。気のせいではない。

***

難しく考えず、基本に立ち返って、「日記」を書こうと思う。レイアウトを変更しながら、これまでに書いたものを読み返してみてそう思った。

----------2005年11月20日(日) 松山より

なんだかんだで旅先にいるのだけれどなんだかんだでインターネットカフェにいる。

はっきり分かったことは、自分がキーボードを叩くという行為を偏愛しているということで、たった3日ほど離れているだけなのにこの8本指が(私はピンキーリングも嵌められない赤ちゃんのような小指をしているので8本で打つのだ)、ゴッドハンドが、叩け、叩けよ、叩いてくれよ、と疼き出す。

そしてもうひとつはっきり分かったことは、書かずにはいられない、ということ。

本当は、此処を閉めようかと思っていた。

けれどやはりそれはできそうにない。

帰ったらきちんと更新しはじめます。

----------2005年11月10日(木) ふらりと

さまよいますのでしばらく留守にいたします。何処に行くかはまだ決めていませんが飛行機には乗れないのであんまり遠くには行かない予定です、ご心配なく。

----------2005年11月09日(水) うつろにこぼす

判でついたように昨日とまったく同じ一日。そして明日も。進んでいるのか、戻っているのか、漂っているのか、それともまったく止まっているのか、分からない。それでも数千か数万の神経細胞が死んだ。

毎日をただ手のひらからこぼしている。

「うつろな目の色 溶かしたミルク」

ミルクをこぼした秋は遠すぎてもうみつからない。

降り積もる、黄色い雨の、はるか向こうに。

ぽつりと、白い腕だけが。

こぼれおちた時間の砂にうずもれて。

早く何も見えなくなるといい。



----------2005年11月08日(火) それだけ教に、入るんだ。

朝7時起床、のつもりが起きたら7時40分。お弁当作る、というかご飯と冷蔵庫の残り物を詰める。化粧をする、時間はないのでサングラスをかけて自転車に飛び乗る。

8時45分会社着。

21時30分退社。22時過ぎに帰宅。

うどん啜ってお風呂入ったらもう1時半。

それだけ。

・・・ほんっとうにそれだけ。どこ絞ってもそれだけ。どうしようもなくそれだけ。

こうしてヒトの精神は緩慢に死んでいく。夜ごとのささやかなる抵抗は巨大な「それだけ」に踏み潰されていく。そして「それだけ」で何が悪い、と開き直る。「それだけ」あれば十分生きていけるじゃないか、「それだけ」以外はいわばフリル、余計な、無駄なものじゃないか? 「それだけ」あれば何もいらない。どうか「それだけ」様、明日も私を踏み潰してください。「それだけ」教に入信したらきっと明るい明日が、何も迷わずに済む、何も悩まずに済む、何も考えなくて済む単純にして明快な明日がぱああっと眼前に開けてくるんですよね、きっとそれこそが生きていくということなのですよね、「それだけ」に抵抗しようとするのは「生活」に抵抗しようとすること、「それだけ」に仕えることこそがこれ至上命令、私は確かに今神の声を聞いた。

「それだけー!!!!」

んなわけねえだろ。

----------2005年11月07日(月) おそらくは不吉な「.」

昔々鳥取砂丘の占い師が「あんたは耳鼻咽喉系で一生苦しむよ」と言って私に小さな呪いをかけた。占い師が私を呪ったわけなんか知らない。「歌手になれますか?」と無邪気に尋ねた中学生の私が生意気な顔をしていたからかもしれないし、隣にいた母のまるで外人のような鼻梁に圧倒されたからかもしれない。ただ単にラクダに揺られて月の砂漠の夢を見ている観光客たちがいいかげん鬱陶しくなっていただけのことかもしれない。ともあれ彼女の呪いは成就する。

今日、右耳の奥に棲みついている龍はこれまでにない激しい暴れ方をして、完全に聴覚を奪った。おかげで平衡感覚もすっかり失って、まっすぐ歩いているつもりでも自然と身体が左右に傾いていき、狭い家の中で何度も壁やテーブルにぶつかった。

18年前に芽生えた小さな悪意と戦う術が分からない。名前にピリオドを打った彼女はおそらく神様の悪意によってその短すぎる生涯にピリオドを打たれてしまった。自ら名前の最後にピリオドを打つのは何故なのか? 私は「nadja」と打ったあとに「.」を置かなければどうしても落ち着かないのだ。おそらくは不吉な「.」だろうに。

----------2005年11月06日(日) 季節も、時間も、見失って。

会社の隣の空き地が黄色に染まり始めた。街路樹にイルミネーションが灯された。自転車のハンドルを握る手が冷たくなってきた。猫の毛がふかふかになり、それでなくてもデブなのにますますデブになった。

「外」では冬が確実に近づいてきた。

それなのに150台のパソコンがうなりをあげる会社の中は半袖になってしまいたいくらい暑くて、また季節を見失っている。

あの箱の中にいるかぎり季節を見出すことはない。最近ますます暑い。おそらく社会の仕組みが微妙に変わり始めていて、私が就業した当時は1人しかいなかった(!)男の人が今では5分の1くらいの割合に増えた。お世辞にも高給とは言い難い職場である。待遇はどんどん悪くなっていく一方で、最近就業した人たちは私たちより更に時給が低いらしい。1ヶ月の総労働時間は200時間を軽く超える。今日も普通に9時から22時まで、休憩1時間半、合計11時間半。

って。それって。労働基準法32条の5に抵触していやしないか?

などという問いを発するのは私くらいなもので、その問いは「何時間でも働きたい、できる限り長い時間働いてたくさん稼ぎたい」という人にとっては邪魔なものであるらしいので、最近口を噤んでいる。

ものすごく、歪んでいる、と思う。

季節も、時間も、見失って。

白い箱舟に揺られながら、私たちはどこへ流されていこうとしているのだろう。

----------2005年11月05日(土) その資格、なし

近頃盛んに人が私の戸を叩くけれど

私なんか。

秘密がいっぱい。うそがいっぱい。ごまかしとはったりがいっぱい。

いつでも機嫌が悪くていつでも具合が悪くて

許せるものはほんのひとにぎり。あとは憎悪に近い嫌悪に満ちている。

人を嗤い人を詰り人を謗り人を忘れ人を憎む。

優しくない。寛大じゃない。愛想も良くない。あらゆることに疲れていてあらゆることに飽きている。

眠れない。笑えない。話せない。

ノックの音が聞こえるたびに一つ、また一つ、醜い自分が増えていくから

どうかそっとしておいて。

----------2005年11月04日(金) そうだよ。

いつまでも引っこずってっても仕方ないので回線を切り替える。

「目が前についてるのは前に進むためなんだよ」という誰にも感動してもらえなかったのび太くんの科白でも置いておこう。



そう、前へ、前へ。



でも前って? パソコンの画面しかないけど。



それを突き破るくらいの勢いで進むんだよ!



明日も明後日も待っているのはパソコンの画面だけ、それでも?



それでも!



目も腕も悲鳴をあげてるんだけど、それでも?



もちろん、それでも! だって他にできること、ないだろ?



・・・・・そうだね。



そうだよ。

----------2005年11月03日(木) 私の名前を消しなさい

自分の過去に襟首をつかまれた。受話器の向こうの甲高い声がひとつの名前と焦点を結んだ瞬間、足元がぐらりと揺れた。

あれは幸福な時間だったか? 数年経って「あんな時代もあったね」と笑って振り返れるような時間だったか?

否、否、否、そんなことは決して。

這い上がった、つもりだ。立て直した、つもりだ。消し去れない証拠が身体に刻みつけられているとはいえ、私はそれを振り払うための努力を決して怠っていない。

現在の時間に突如暴力的に介入してきた過去からの呼びかけは、暗く澱んだ夜から懸命に遠ざかろうとしている私の日々の営為に対する侮辱のようにも聞こえた。どんなに逃げても、所詮、結局、おまえは。

それでも、私は。

私はもう二度と、非生産的な交渉を望まない。過去の瞬間において生じた感情の「責任」を取り続ける「義務」はない。愛情が憎しみに変わるように、友情が嫉妬に変わるように、人は変わる。変わることを誰も咎められない。

私は変わることを望んでいる。それだけを望んでいる。

あなたの記憶から、私の名前を消しなさい。今すぐに。

すべてのメモリから、私の名前を消しなさい。

こんなことはできるなら書きたくはなかった。

----------2005年11月02日(水) あなたがその背に負っているもの

すべては、何もかもすべては、「責任」という一点に向かって収斂していく。なんだかよく知らないがとにかくこの世に生れ落ちると同時に人はその身体よりもはるかに大きな荷物をずしりと背中に乗せられる。ベビーベッドで泣き喚いているときはそんなものには気づかない。ランドセルを背負う頃になってようやく何かが背中に乗っていることに気づき始める。そうしてランドセルを脱ぎ捨てると同時に背中の荷物からの逃走を図る、「誰にも迷惑かけてないんだから何をしようが私の勝手でしょ!」。どんなに強がってみたって結局は親権者同意欄の署名がなければ携帯電話の一本も持つことはできないくせにね。

何をしようが私の勝手、という言葉が法的に認められると同時に人はようやくその背中の重みの意味を問うてみる気になる。これは何か。何が乗っているのか。何ゆえこんなに重いのか。「そんなのしらなーい」、という人はこの際窓から投げ捨ててかまわない、そういう人は多分親権者同意欄に自分で署名し引き出しから印鑑を失敬して契約した携帯電話の料金を滞納してブラックリストにのせられているくせにそ知らぬ顔で新規契約を申し込み「そんなのしらなーい」とすっとぼけてみせる人だ。

一度問い始めるときりがない。昨日の続きになるけれどこうやってウェブ上に文章を登録しているからには文責を負う「責任がある」、給料をもらっているからにはその給料にみあうだけの労働を提供する「責任がある」、排泄をしたり洗濯をしたりして水を汚すからにはその水を浄化するための税金を支払う「責任がある」、呼吸をするからには自ら進んで二酸化炭素を排出するのを抑制し、なおかつ酸素を供給してくれる緑を増やす「責任がある」、エトセトラエトセトラ。

ビールを飲んだらゴブレットを洗う「責任がある」、空き缶を資源ごみに出す「責任がある」、要するに責任がつきまとわない行動は一切ない。一挙手一投足が重く、億劫に感じられるのは生れ落ちたときに誰かに、私の語彙で言えばカミサマ、によって背負わされた「責任」という名の重荷、軛が身体に食い込んでギリギリと骨を削るからだ。

それは義務ではなくあくまで責任である以上放棄することも可能だけれど私はそういう人を一切信用しない。

----------2005年11月01日(火) それでも書かずにいられないなら

はじめてウェブ上に自分の文章を「登録」したときどんな気がしたものか、それはもう4年ほど前のことなのではっきりとは覚えていないのだけれど、とにかく落ち着かなかった。それがどんなふうに表示されるのか、どんな人がどんなふうに読むのか、気になって仕方なくて、底のない世界に向かって身体ごと落っこちていったような、奇妙な浮遊感をその夜の間じゅう感じていた。

そうしていつしかウェブ上に「眠らない文字列」を置き去りにすることにも慣れてしまった。浮遊感は常態化し、言葉の行く末を案じる想像力もあまり遠くまで飛ばなくなった。要するに、あまり、気を遣わなくなった。

誰もが容易に表現を手にしたせいで言葉の箍がはずれた。意味を取ることさえできないようなある種難解な日本語が闊歩し、自己顕示欲と自己愛が手に手をとって行進し、へつらいとおべっかとおためごかしが蔓延した。その不穏なるウェブの網の目に向かって、健全で、小さく、本来誰にも見られないでいいはずの日常が夜ごと暴露されていく。さあ書きなさい、さあ読まれなさい、さあ晒しなさい、と唆す顔の見えない誰かの、あるいはさあ見せつけろ、さあ差異化をはかれ、さあ主張しろと背中を押す自分の声に促されて。

もはやそれはコミュニケーションを失った人間のコンフェッション、司祭もなければ赦しもない、堕落したコンフェッションにすぎない。

それでも今更書かずにいられないというのなら。

今、再度、自分に問う。 

読まれることを前提とした文章を書いていますか。それは読まれて恥ずかしくない文章ですか。ハンドルネームの後ろに隠れていつか誰かにばれるんじゃないかと怯えていなければならないような文章ならば、自分が書いた、と胸をはって言えないような文章ならば、即刻すべてを削除しなさい。