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----------2005年12月31日(土) すべての手を、離しましょう。

はじまりとおわりはなくていいと思うから、此処はこれでおくことにする。

***

今日までどうもありがとうございました。
いつか、また、皆様とは、どこか別の場所で、別の形でお会いしたいと思っています。
いつか、また。

はじまりだけでない希望とともに。

----------2005年12月30日(金) 乾き女

夕方になれば肌が粉を吹きお風呂に入れば鼻の粘膜から出血する乾き女は自ら捏ね上げたはずの砂の神様が音も立てずに崩れ去る様をコンタクトレンズが剥がれ落ちるほどに乾いた目でじっと見送った。

それからふと乾き女は自分自身も風に舞い散る砂のように跡形もなく消え去っていたことに気づいた。

----------2005年12月29日(木) 不完全な三段論法

■明日のことを考えなければならないはずだ、どんな表情を取り繕うのか、多分明日、私は「それ」を聞く。「そのニュース」を聞く。こんな予感が働いているときは動物的といってもいいほどの勘が働いていることくらいもう知ってる。「それ」はデジャヴとして現れる。必ず。

■「号泣する準備」くらい、できてる、とっくに。12年も前から。周到に。

■自らにマゾヒズムの身振りを強いるのは、自らのサディズム。己で己の傷を切り開き、笑ってみせるのは得意技のはずだ。

■恐れることも怯えることも何もない。それをわざわざ書きつけるのは「文学的な理由から」であって明日何を聞こうが泣きもわめきもしないだろうことも、もう分かっている。粉飾するのが好きなだけ、自分が粉飾した「現実’」に溺れるのが好きなだけ、「現実’」を生きてみたらこんな気分だろうか、と空想を弄ぶのが好きなだけ。

■明日のことを考えなければならないはずなのに、仕事が鎖骨を砕いていく。

■だから明日のことは考えなくていい。

----------2005年12月28日(水) やはり題名をおく、「タスケテ」。

■白い箱を一歩でも出たらもうその瞬間から仕事のことは考えない、考えない、考えない、と必死で考えないようにしようとするのだけれど今日ばっかりはどんなに頑張って押さえつけてもにょろりにょろりと何処からか抜け出してきやがって気がつけばがんじがらめにされている。

■タ ス ケ テ ェ ェ ェ ェ 

■と書きたい日もある。いや、違う、助けて、と誰かに言ってみたい日もある。そっかそっか、と、聞いてくれるだけで、いいから。

■・・・そんな柄じゃねえや。やーめた。

----------2005年12月27日(火) 昨日みたいに題名をつけたい日もあるので、

■しかし、つかれ、あ、ダメダメ、カイメン。あと4日。

■大澤真幸さんの「恋愛の不可能性について」(ちくま学芸文庫)がかなり面白い、ってまだ56ページまでしか読んでないけど。あなたの宇宙と私の宇宙は決して重なり合いませんよね、だからこそ愛するのですよ、その不可能性こそを愛するのですよ、というありきたりの結論が待っていそうな気がするけどそのありきたりの結論をいかに華麗に難しい言葉で飾ってみせるか、それが、それこそが、「学者の力量」である。

■12月のやけっぱちともいえる慌しさが好きだ。実際には何も終わらないし何も始まらないのに、もうすぐ何かが終わるんだ、という終末論的な興奮と、もうすぐ何かが始まるんだ、という根拠のない期待感がないまぜになって、心地よい。

■繰り返すけれど何も終わらないし何も始まらないのだ。

■「区切り」とは自分でつけるもの。別に明日から新年がはじまったっていい、バカなショップから年賀状も来たし(えー)。

----------2005年12月26日(月) Hiris

カルヴァン・クラインの「コントラディクション」という香水を使っていた。否定あるいは反駁というその名前のわりには甘ったるく、弱々しい香りがあまり好きではなかったのだけれど、とりあえずこの1本を使い切るまではあらゆることを我慢していよう、と思っていた。

もちろん「contradiction」には矛盾、自家撞着、という意味もある。昨日否定したものを今日は愛し、明日は憎み、明後日には懐かしむ、見渡す限り矛盾だらけの日々に添えるにはふさわしい名前の香水であった。

けれど今朝首筋に吹きかけたときに空気が交じり、そんな日々も終わりを告げようとしていることに気づいた。

残りわずかになった甘ったるい否定を空に放ち、華やいだ街に、あの時間がはじまる前につけていた懐かしい香水を買いに出かけた。濃紺のボトルに詰め込まれたアヤメの凛とした香りは強く、気高く、誇りに満ち溢れていて、明日からは胸を張って背筋を伸ばして歩こうと思った。

----------2005年12月25日(日) 題名はやはりないと困るかもしれないので、

■くだらないおしゃべりが耳から侵入してくるたびごとに机を蹴り上げたくなるので今日はついに耳栓をして仕事をした。案外いいものだ。架電のたびにはずさなきゃならないのが面倒だけど。内線鳴ってても気づかないのはちょっとまずいけど。

■ただ自分の呼吸だけを聞きながら、カタカタ、カタカタ、カタカタ・・・

■さぼったりだらけたりして「やる気のなさ」を強調してみせることがある種の「格好よさ」であったりするのは中学高校時代の話で

(教科書は後ろのロッカーに放り込んだまんま家に持って帰ったことはなく、ノートなんぞを取ったこともなく、テストで堂々と0点をもらい、夏休みや冬休みの宿題は壁にはりだされた未提出者の名簿から私の名前がなくなることなどいつまで経ってもなく、授業中に教室の端っこと端っこで糸電話をしてみたりウォークマンで音楽を聴いていたり、まあそういう生徒だったのだ、私は)

いやしくも働いている以上、だるい、うざいは通用しないだろう、

■・・・カルシウムが、慢性的、絶対的、絶望的に、不足している。

■今夜はビールではなくあったかいミルクでも飲もう。

----------2005年12月24日(土) 便宜上、

■クリスマスにひとりでいてはいけない、そうだ。教会に来ればイエスの誕生を祝う「仲間」と一緒ですよ、とでもいいたそうな司教もしくは司祭の説教を聞きながら誰に此処にいて欲しいのか、を考えてみたけれど分からない。

■私の神様は私だけの神様であってあなたの神様とは違う。私が描く神様はあなたの神様と同じように十字架にかけられ頭を垂れているけれど、あなたと同じ言葉で祈り群れることにさほど重要性があるとは感じられない。

■それは傲慢でも涜神でもなんでもなく、

■と書いてみて、教会が要請しているのはまさしくその同じ言葉で祈ること群れること、「分かち合う」ことで繋がりを見出すこと共同体を作り出すこと、であるのだから私はやはりその「傲慢」と「涜神」の故、とこしえに外部にとどまるしかないのだ、ということに気づく。同じ、あるいはより深い渇望を抱えていたとしても。洗礼の祝福を受ける人々にこらえがたい羨望の念を抱いたとしても。

■私は私の言葉で祈る。イエス、という名ですらないかもしれない神様に。

■便宜上、形式が必要なだけ。今日は、神様の、生まれた日。

----------2005年12月23日(金) $daimei、を消せばいいんだっけ?

■世間の三連休=三連勤、と相場は決まっているのだ(そんなの軽く通り越して10連勤だけど)。「はたらく」という言葉は「はた」と「らく」に分けることができる。「はた」が「楽」をしている日に、「はた」に「楽」をさせるため、「はた」に「楽」をばらまくために、今日も働いてきましたよ。

■などというのは表層的な話で。働いていれば怒られることはない。働いていれば咎められることはない。何をしているのか、と問い詰められることはない。すべてへの言い訳、としての労働。

■幼いときから、勉強さえしていれば誰も文句は言わないだろう、と思っていた。私は常に「文句のつけようのないもの」を志向する。そうして相手が綻びるのを待つ。こんなやり方で、あなたが疲れないわけはなかった。

■恋愛は間違い探しではない。間違いを赦しあうものであるべきだ。

■モラリストであると同時にアナーキストでもある、という矛盾が止揚する極点を探し出すこと。何故なら、私は、結局すべてを赦すのだから。綻びも、緩みも、裏切りも、幼稚さも、手荷物検査でさえも。

■混沌の只中で、凝縮する。

----------2005年12月22日(木) こういうものに題名をつけるのは難しいんだな。

■私も、みぃつけた(ちょっと不揃い)。




■やっと、やっと、白い雪が降って、やっと、やっと、ふんわりとした冷たい雪を触ることができて、やっと、やっと、喜べた。

■きっとこの冷たさこそが、あの人と私の心の温度なのだ。もう温めることも、溶かすことも、きっとできない。握りしめた雪の塊を、えいっと木に投げつけた。

■毀れて、消えた。

----------2005年12月21日(水) 題名ってどうやって消すんだっけ

■今年最後の休みは午後5時にスタートする。外が白むまで飲んでいたのだから当然といえば当然か。飲んだ飲んだ、燃えない記憶をどこに隠したか忘れてしまうまで。

■私を誉めてくれた医者にでも行って眠り薬の在庫を増やしておくことくらいしかできそうなことはなかったのに、それさえも寒すぎて見送って、明日からの怒濤の10連勤(そんなのはじめてだ)に備えて洋服の組み合わせを5パターンくらいストックし、中身とケースがバラバラになって行方不明者続出のCDを前に神経衰弱に陥ってるうちに時間に羽が生えて飛び去っていった。

■二日酔いを飛ばすためにオリゴメールを溶かしたお風呂に1時間くらい浸かる。「Courage」という名前のアロマオイルを垂らした。電気を消して、凍りつくほど神聖な音楽を聴きながら、膝を抱えた。何も変わらないことを呪いながら。何かが変わることを厭いながら。

■静謐、という言葉が好きだ。

■だから明日の朝起きたらこの街も白いものに覆い尽されていればいいのにと思う。

----------2005年12月20日(火) そろそろ題名を消そうかと思うのだけれど

■思うところあって今年の休みを明日をのぞいてすべて返上した。逸れていくのなら縛ってしまうしかない。見たくないものは見られないようにしてしまうしかない。

■彼と彼女が奏でる音楽など、耳の奥に住まう龍神が許すわけもなく。二つの音が溶け合って絡み合うところなんて想像するのもごめんだ。酔って、よろけて、叫ぶだろう、私の声こそ、私の声でなければ、

■彼女に腹式呼吸を教えたのは、私だった。

■それは喪われてしまったのだから。永遠に、喪われてしまったのだから。暗く冷たい海の底へと消えていってしまったのだから。どれだけ言い聞かせても、それは舞い戻ってくる。60余年のときを隔ててでも。

■記憶を燃やすことはできないのだ。多分私は思い出すだろう。息絶えるその日まで、思い出し続けるだろう。それで、いい。

----------2005年12月19日(月) そうして今日も題名はない

■自分で自分についた嘘に翻弄されて愚弄される。ありもしないことなのだから、もしもそうなら面白いのにね、とくすりと小さく笑ったらそれで終わりにしてしまえばいいのに、ありもしないことがいつの間にか前提となってそこから際限のない仮定が導き出されてしまう。

■しかもそこにクッションはない。

■無限の動機も結局はたった一つの行為に収斂されてしまう。どんなに数多くの可能態も結局はたった一つの現実態として現れるしかない。宿命の盲点を衝くことはできない。

■帰宅したら11時でそこからお風呂に入ったりしてたら12時半で遅い遅い夕食−といってもご飯におみそ汁をかけてじゅるじゅるとかきこむだけなのだけれど−を食べてふぅ、と息をついたら1時、さて洗い物をしようかしら、と台所に立っていたら泥酔した母が帰ってきて「もうええ、うちがするから」と手にもっていたスポンジをひったくられて押しのけられた。世界は自分ひとりのペースで動いていないということを理解することなく彼女は老いていくのだろう。

■「私あのへんの子たち嫌いだから」という同僚の言葉に愕然とする。嫌うには理由が必要なはずだ。生理的に嫌い、というのは確かにある、私だってもうお願いだから勘弁して、といいたい人の1人や2人はいるけれど、シフト表の名前の並び順に従って人を嫌う、というのはいったいどういう精神構造に端を発しているのだろうか。私は私の一個下に名前のある彼女を嫌ってしまいそうだ。

■雪で困っている人がたくさんいるというのに雪は降らないのかな、だなんてごめんなさい。でも、雪が、見たい。

----------2005年12月18日(日) 引き続き題名は面倒くさい

■左目の3センチ下くらいにもう随分長い間、まるでイボのようにぽっこりとかたくなに存在し続けていた白ニキビが嘘のように消えていったので、もうこれは、と思ってソルーナ一式そろえた。のはいいのだけれど24時間クリーム、ものすごく小さい。このお値段だからユースキンが来るだろうと思っていたらケラチナミンが来た。いまどき珍しいガラスの容器に入ったクリームで、きれいな鳥になってみせますよ。

■右耳の龍は左耳に引っ越したみたいだ。両耳発症するメニエールもある、と聞いた。とてもいやな感じ。

■急遽研修が入って休み返上したのに研修を受けてくれるはずの新人さんが白い箱にたどり着く前の段階で全滅、だからって日曜日の午後3時に放り出されても何処に行くあてもなく。日曜日の過ごし方なんて忘れてしまった。華やいだ街をひとりで歩く気はしないし行ったら行ったで調子に乗って何か買ってしまうに決まってる、それでなくてもザ・ファーストのスエードのブーツが欲しいかな欲しいな欲しいよな、なんて未練がましくサイトを眺めてぽっち・・・りしてしまいそうになっているのだもの。

■だから結局ヘーゼルナッツのフレーヴァーシロップを入れたコーヒーを飲みながらカレル・チャペックの「受難像」を読んだ。

■雪は降らないのかな。

----------2005年12月17日(土) やっぱり題名つけるの面倒くさい

■雪が降るとか降らないとかいうことだったので楽しみにしていたのにやっぱり降らないんだな大阪では。いつだったか、粉雪の舞う中、スーツの背中を丸めて歩く後姿を見送ったことがあった。そして恋におちた、のだ。はて、いつのことだったか。

■とりあえず、寒すぎる。

■近頃言葉の夢を見る。いや、違う、言葉で夢を見る。あれ? 夢を言葉で見る、のか。私がその扉をあけたとき、とかそんな感じで。すべて覚えていることができて、すべてキーボードで掬い取ることができれば、立派な物語ができあがるだろうに、残念だ。ぼんやりとした輪郭だけが蜻蛉のように。甘ったるくて、むずがゆくて、切ない。

■今日は大きな間違いを二つおかした。一つは数年前からずっと続いてる間違いで、もう一つは単純かつ決定的な間違い。とはいえ何かを間違わない日はないのだからとりたてて騒ぐほどのことも、ない。

■この空を、飛べたら。

----------2005年12月16日(金) 題名つけるの面倒くさい

■「豚の死なない日」(白水Uブックス)を通勤時間と休憩時間を使って読んだ。文中にもあったけど死というものは汚いもので出産というものも汚いものだ。汚いもののはざかいにある「生」というものはその汚さをいかに忘れるか、いかに繕うか、いかにごまかすか、といったものなのかもしれないと思った。

■営業から戻ってきた他部署の社員数人とエレベーターに乗り合わせた瞬間、彼らのコートから漂ってくる、つん、と鼻をつく匂い。それは多分煙草の煙の残り香であり彼らの発する脂の匂いであり、そしてそんなものがあるとすればストレスの匂いであり疲れの匂いでありため息の匂いなのだ。行きの地下鉄ではたいして気にならないけれど、帰りの地下鉄にはそんな「仕事の匂い」がむせ返るほどに充満していて気分が悪い。

■その帰りの地下鉄がいやに混んでいるな、と思ったら今日は金曜日なのだった。「仕事の匂い」に混じったアルコールの匂いがますます気分を悪くさせる。それは美味しいお酒でしたか? あいつがどうしたこいつがどうしたと黒い笑いを浮かべながら飲んだ不味いお酒ではなかったですか? 

■そうして私はまた何故かしら最近毎晩ひとりでビールを飲むようになった。別に悪いことじゃないけど、あんまりいいことでもない。

----------2005年12月15日(木) 宣戦布告

すべて間違っているうえに日付まで間違っていてアタマわいてるんじゃないだろうかとため息をつく深夜過ぎ。

すべてを書く必要はないし、面白おかしく粉飾する必要もないし、卑屈になったり恐縮したり遠慮したりする必要もない、というあたりまえの前提を忘れ去るくらいアタマわいてるのは事実。

脂肪分をそぎ落とした冷厳な言葉でもって灰色の日常を裁断し、真っ黒に染め上げること。嫌悪感を剥きだしにして、甘ったるい、弛緩しきった、建前だらけの世界と「闘う」こと。

両の目を血走らせてでも。

----------2005年12月14日(水) すべて、間違っている。

あーもーどうして世の中にはこんな程度の低い男と女しか存在していないのか。生まれる場所も時代も間違えたけどその後自分で選んだはずの生きる場所も間違えたと心底思う、男は男で容姿服装話しやすさ趣味せいじつさ(せいじつくらい漢字で書けよ)の5つの項目をAからEの5段階で評価したメモを会社の机の引き出しに置き忘れて、それが発覚してクビだし(これが昨日の日記がおかしなことになった理由)、女は女で「彼氏は出会い系」だとかでイタイイタイ話を延々繰り返しあげくみせられた写メールは









このくらいブランクをあけたくなるような感じのA−BOY一直線、かと思えば結婚するにはコンパクトな男がいい、服がでかいと洗濯物面倒くさいし家の中でスペース占められても鬱陶しい、等々と奇妙に達観した井戸端会議を展開する女女女、女が三人集まれば姦しいというけれど、それは「姦」という漢字がもつ禍々しい雰囲気を見事にかもし出していて、疲れ果てた私はパソコンの電源を落とすこともせずに眠ってしまったのだった。

私はといえば相変わらずちっとも現実世界に興味はないし、人が何処で何をして何を言おうがどうでもいいし、「遊びに行こう」と言われても、どうせテキトウな店でメシ食わせてテキトウにアルコールでふやかしておいてテキトウなホテルにでも連れ込もうっていう算段だろうがこのボケ、だったら最初から「遊びに行こう」ぢゃなくて「セックスしよう」と言いやがれバーカ、とか思ってしまうので、今日もハイデガーの続きを読んでいる。

すべて、間違っているな。

----------2005年12月13日(火) 訂正。

さっき書いたこと訂正。此処はあくまでも仕事以外の自分を確認する場所にしたいから。仕事以外の自分、がはてさてあるのかないのかはそれはわからない。今朝ipodが拾ってきたJANISの「Little Girl Blue」を聞いていたら自然と涙がこぼれた。

and i know how you feel,
and i know you ain't got no reason to go on,
and i know you feel that you must be through...

多分、寒すぎて、人恋しくてしょうがないのだ。

寒すぎる。

それは果たして十分条件と成り得るか。

----------2005年12月12日(月) 縁遠くてよろしい

近頃ではめっきり本屋にも行かなくなってしまって。アマゾンの便利さにはめられて紀伊国屋ブックウェブでさえものぞかなくなってしまって。新しく出版される本はどれもこれも縁遠い存在になってしまって。

と思ってたけど今日久しぶりに本屋(not ジュンク堂)に行ってこんなものたちとは縁遠くてよろしい、という結論に達した。

書物の風格、というのはどこに行ってしまったのだろうか。

(とかなんとかいいながら何かの本の帯たたきにあった「100万円を持っている人よりもあなたのために1万円を使ってくれる人を選びなさい」とかいう銀座のクラブのママかなにかが書いたらしい一文に妙に納得したりしたんだけどさ・笑)

思い切って「新しい血」を入れたほうがいいのか、それともやっぱり眉間に皺を寄せながらでなければ読めない本に囲まれていたほうがいいのか、迷ったけれど、結局そんな「新しい血」を私の身体は受け入れないだろうと思うので、今日は一日ハイデガーの「存在と時間」を読んでいた。

帰ってこい、帰ってこい、「本来的な領域」へ。

----------2005年12月11日(日) 美学




人足の途絶えた午後10時のオフィス街に灯される、イルミネーション。

無駄なものは美しい。

無駄だからこそ、美しいのか。

何もかもを気前よく捨ててしまうことの美学。

執着していないことを表明するには徹底的に毀してしまうのが一番なのだと思っていた。

私を無駄に扱いなさい、無駄に零しなさい、と思っていた。

虚ろなる、美学だった。


----------2005年12月10日(土) 自同律

まるで日曜日のような土曜日だった。どちらでも同じだ。

昨日は今日で明日は昨日で今日は明日で。

延々と続いていく「A=A」の自同律を不快に感じるどころか、「A=A’」ですらないという点においてむしろ、安心している。自同律が支配する世界は閉じていて、守られていて、平和な円を描いている。

私が私であること、と、昨日と明日が同じであること、はいつの間にか「≒」で結ばれつつある。昨日の私は明日の私、だから土曜日だろうが日曜日だろうが大差ない。

退屈、という言葉すら、反復の波に砕かれて消えていく。

こんな形の安定を望んだわけでは決してなかった。

----------2005年12月09日(金) 悉無律

あってもなくてもいいようなものならはじめからいらない。

あるのかないのかわからないようなものならなにもないほうがいい。

たしかなものだけが、あればいい。

最後の1ピースがどうしても見つからないジグソーパズルは粉々に砕いてしまうべきだ。

製造元に問い合わせても、「その製品の生産はもう中止になっております」という回答しか、返ってこないのだから。

----------2005年12月08日(木) 矛盾律

珍しく早上がりの日だったので帰りにジムに行く。パンチとキックをこれでもかと繰り返す。異様にテンションの高いインストラクターが叫ぶ、

そこに顔があると思って〜!! ジャブ、ジャブ、アッパー!! 打ち抜けー!! 

って冷静に言葉にして書いてみるとギャグみたいだけど、これが結構ストレス発散になる。身体の底から汗をかき、急いで家に帰ってオリゴメールを溶かしたお風呂に浸かり、もうこれ以上出ない、というところまで汗を搾り出す。

悪いものとか、いやなものとかを、搾り出す、そして洗い流す。

あなたの目がそこにあるから、私は、自分を、律していられる。

恥じないよう。怯まぬよう。

小さく、正しく。

----------2005年12月07日(水) Just a Geek Show

「私の生は、あなたがそれを見つけられると思っているところには決してないでしょう−とても残念だけれど。」(ロール遺稿集/リブロポート)

私の生は、透明な箱の中で宙吊りにされているようなものだ。誰もが好きなときに私を読み、嬲り、哂うことができる。

とても、残念だけれど、ロールのように厳しくはなれない。

----------2005年12月06日(火) 曖昧と抵抗

過剰な検閲は貝殻を形成し外部との接触を断ち切ってしまう。

しかし検閲の欠如はどろどろに溶けた内面を飛散させ世界を汚す。

意味の確定を拒否する曖昧な言葉を重ねることしかできないのはある種の厚かましさに対する必死の抵抗だ。


----------2005年12月05日(月) 微妙な日

大好きだった人は12月4日生まれで、狂うほど好きだった人は12月6日生まれだ。

この次は12月5日生まれの人と恋をしたら面白いだろうと思う。

まだ、誰かを好きになることができるとしたら。

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珍しくテレビでニュースをみたらたった15分の間に幼くてかわいい命が2つ奪われ、若くて美しい命が2つ奪われて焼かれていったので気分が悪くなってすぐに消した。文字で読むのと映像で見るのとでは生々しさがまったく違っている。

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どうして人はそんなに壊れてしまうのだろう。

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文字の世界は狂気も嘘も簡単に許してしまう。歯止めをかけることができるのは、自分だけ。

----------2005年12月04日(日) 日曜日が嫌いだから、

日曜日に働いていることが好きだ。

日曜日のオフィス街は、家族サービスのお父さんたちで溢れ返っている。普段はスーツにネクタイで闊歩しているであろうお父さんたちが、子供の手を引き、荷物を抱えて、笑顔で、あるいは、疲れた顔で(笑)歩いていくのを、首から社員証をぶら下げて、眺めるのが楽しい。

仲間はずれなのだな、というのを実感できるのも、楽しい。

家族三人で出かけた記憶はふたつしかない。ものすごく幼い頃、どこかの神社へ初詣に行って、私が車に酔って洋服を汚した。もうひとつは小学校に上がる前、近くの洋食屋に食事に行ったときのもので、今でもその洋食屋の前を通るとなんとなく中をのぞいてみたりする。

多分、私がこの家族連れの群れに加わることはないだろう、と思う。

そして落ち葉の絨毯を踏みしめて、かさかさ、かさかさと足の下で鳴る音を聞く。

そのかわり、明日は、お休み。

けっこう、いい生活。

----------2005年12月03日(土) できるなら鳥になって

昨日、医者の一言をかみしめながらあの頃の出来事を一通りざあっと回想した。多分そのせいで、史上最凶にして最悪の夢をみてうなされた。

ねえ、私の部屋で眠っているのは誰?

どうして貴女が此処にいるの? 

彼はどうしてソファで眠っているの?

私は何処にいればいいの?

と叫び散らす私はあまりに生々しく。

今はもう笑えるし、ゆっくり歩けるし、呼吸も乱れないけど、できるなら鳥になって過去の重力を振り切ってしまいたい。

眠り薬を、ください、と歌うみゆきさんの声が好きだ。

----------2005年12月02日(金) 胸を張る

「よく、ここまで落ち着かれました。」

眠り薬をもらいに行った新しい医者が、血圧を測定するために腕を晒した私に向かってそう言った。

面と向かってそんなことを言ってもらったのははじめてのことで、誰も彼も、親も、そして私自身でさえ、「あれらのこと」はなかったことにしてしまおうとして、目をそむけ、口を噤んでいるけれど、いつだって、どんなときだって、そう言ってほしかった。その、たった一言が欲しかった。

「よく、ここまで」。

すべてを赦された気がした。

身体に残る数え切れない傷痕は消えないけれど。

それでも私は頑張ったのだ。すごく、すごく、頑張った。

少しだけ胸を張ろう、と思った。

----------2005年12月01日(木) 黒くない笑い

久しぶりに黒くない笑いを笑う。心なしか肩に積んだ荷物も軽くなったような。当てこすりや蔑みのこもった笑いはいつもどこかが歪んでいていびつだ。そんな唇の右端がつりあがった笑いをいくつ重ねても囲い込まれている枠を爆破することなんかできない。日常のちっぽけな枠を軽々としなやかに飛び越えていく腹の底からの笑いをくれたきくちゃん、どうもありがとう。

もう、うんざりだから。

誰がどんな失敗をしたのかをあげつらって笑うとき、そこにどれだけの尊大さが隠されているのか、彼女たちは意識しているのだろうか。黒い笑いは「私はそれを免れているから」という前提のもとに発生する。けれど本当は、その前提じたいが冷笑を誘うようなみみっちいものであることに私は気づいている。だから笑わない、笑えない。

くだらないことでもかまわないんだ。

黒くない笑いでさえあれば。