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----------2005年09月30日(金) ネジが飛んでるよ
昨日「貢献」が書けなかったことでかなりショックを隠しきれないところへ、今日は父が突然「第一次世界大戦はなんではじまったんや?」と訊ねてきて、絶句した。
んとー、えとー、セビリアでー、オーストリアの皇太子が暗殺されてー、
ん? 違うな。セルビア、だな。
「セビリア(父も分かってない)には何処がついたんや?」
えっ。ちょっと待って、ワケがワカラン、と世界史の教科書を引っ張り出す。
「1914年6月28日、オーストリアの皇太子夫妻がボスニア州の首都サライェヴォで、セルビア人の一青年に暗殺された。この事件をきっかけにオーストリアは同年7月28日セルビアに対して宣戦し、ここにドイツ・オーストリアの同盟国は、フランス・ロシア・イギリス・日本など(これを連合国という)と戦うことになった。」(山川出版社「詳説世界史」1990年)
おい。
おいおいおい。
世界史の問題集も買ってきたほうがいいんぢゃあないのかとアタマを抱えた。おかげですっかり動揺してしまい、今ではお風呂に安住の地を見出したあのカイメンちゃんにシャンプーをぶちゅっとぶっかけてしまった。
・・・ネジが5、6本飛んでいて修復は困難かと思われる。
----------2005年09月29日(木) ふんっ。
道頓堀界隈ならびにブラウン管の向こう側での乱痴気騒ぎはさておく。常に何事に対しても選択的かつ意識的であろうとするワタクシが大阪人の生得的な属性であるところの「阪神ファン」であるわけがなかろう、
ふんっ。
舞い上がる人々(母含む)を尻目に、今日ふとしたときに「貢献」という字が書けなかった私は今からパソコンの電源を落として本棚の奥から引っ張り出してきた漢字検定準一級用の問題集を解くことにする。
忘れるものですよ。
人は本当に、いろんなことを、あまりに簡単に忘れるものです。
どうしても、忘れられないことというのは、経験の総量という膨大な海から掬い上げたほんの一滴にすぎないのかもしれません。それすらも、いつの間にか零してしまって見失ってしまう。
そういう、ものです。
それで、いいのです。
多分。
----------2005年09月28日(水) 貴女はとっても力持ち
規則正しい生活が苦手で、おかしな時間に寝ておかしな時間に起きておかしな時間に食べているけれどそれでも規則正しく月に一度血を流す自分の子宮がなんだか愛おしい。あたしがふんばらなきゃどうすんのよ、あとは全部むっちゃくちゃじゃあないの、と崖っぷちで身体の崩落を食い止めてくれてるような、そんな感じ。
オツトメ、御苦労。
貴女のためにも、もう少し身体に優しい生活を心がけます。
----------2005年09月27日(火) 足は動いているか
メニエールのせいで随分足止めを食った。今月は仕事も随分休んだし、教習所も見学に行っただけで、日常が乗り物酔いの今、乗り物には乗りたくないから本入学はしていない。一冊の本を読み通すことが困難で、ぱらっと読んでは閉じ、ぱらっと読んでは閉じ、を繰り返している。
医者は精神的なものも大きいですからね、と言う。あまりによくならないので今日の診察でセルシンが追加された。昔よく飲んだ薬。昔、そう、昔。自分の精神が昏い海の底でまどろんでいた頃。
結局何もかわっちゃいない、ってことかい?
昔は今で今は昔で明日は昨日で。
時間の迷宮は巧妙に閉じられていて、裂け目を見出すことは難しい。
それとも「足止めを食って」いるのではなく、「足を止めている」だけ、か。
----------2005年09月26日(月) うらやむなよ
私よりたくさん食べる人が私に向かって「痩せてていいね、うらやましい」という資格はない。私はお菓子など一切食べないのだし食事も人の半分しか摂らない。うらやましいと思うのならまずその食後のプリンをやめる、まずそのコーヒーからミルクと砂糖を抜く、まず腹筋30×3回、背筋50回、スクワット50回にダンベル上げ下げ30回、やってみな。
一日8時間働いてその分の給料をきっちりもらってる人が一日3時間しか働いていない私に向かって「もう帰るの? うらやましい」というのも筋違いだ。助っ人勤務の門戸は皆に開かれているのだしあたりまえのことだけど私は3時間分の給料しかもらっていない。うらやましいと思うのなら申し出ればいいだけのこと、給料激減を覚悟で。
努力をするつもりもリスクを背負う覚悟もないくせにむやみに人をうらやむな。
「うらやましい」という言葉は宝くじがあたった人くらいにしか使ってはいけないのだ。
----------2005年09月25日(日) 不味い酒
誰ぞがどうした彼ぞがなにしたと人のダメなところばかりをあげつらってそれを肴に飲む酒ほど不味いものはない、ということを思い知る。
人から裁かれることを避けるために裁かない、のではなくて、もうただ単に、裁くことは気持ちが悪く、後味が悪いから、裁かない。こっちのほうがしっくりくる。
まあ、今日飲んだのはウーロン茶だったんだけど。
----------2005年09月24日(土) あまりにあたりまえのこと
視界にノイズが走る。瞼の裏で眼球が引き攣る。時折するどい耳鳴りが頭蓋を駆け巡る。生温い水のようなものが右耳の奥で存在を主張する。心臓が喉元までせりあがってくる。恒常的に吐き気がするけれどどちらかといえばそれは生臭い吐き気ではなくもっと比喩的な、あえていうなら、存在論的な、吐き気−とにかく、ただ、ひたすら、鬱陶しい−がどんよりと身体に沈み込んでいる。
引き金が何であったのかは医者にも分からないのだそうだ。
毎日毎日あんなにクソ不味いクスリを飲んでるのにちっともよくならないものだからついさっき「もーいややーおかーちゃんのおなかのなかにかえるー」と年甲斐もない癇癪を起こした。母は見事な太鼓腹をぽーんと叩いて「こんだけ肉おるから無理」と言った。
還る場所もありゃしない。
いやいや、生まれ落ちた瞬間に退路は断たれているのだ。
そしてゴールも決まっている。
あたりまえの、ことだな。
----------2005年09月23日(金) 倦まず弛まず。
一旦離れるとどういう方向性で此処を保っていけばいいのか分からなくなっているのも事実だけれどただひたすら阿呆のように続けることに意味があるのかもしれない、と思い無理矢理更新してみる。
まるで言い訳のように
まるで何かを懸命に取り繕っているかのように
誰かに何かを伝えたいわけでもなく
笑わせたいわけでも泣かせたいわけでも感心してもらいたいわけでも同情してもらいたいわけでもなく
無為に、ただ無為に
書きたいから書くんだ、と強情を張りたがる自分の声が重圧に聞こえることが多々あったとしても、背筋を伸ばしてパソコンに向かい、言葉を整える。
多分これは一種の修行なのだ。倦まず弛まず。内容も、問わず。
----------2005年09月16日(金) お休みします
えへ
ぶり返しました。
くらくらくらーん。
などという完全なる手抜きでお送りするのは申し訳ないのでせめてもちょっと回復するまで休ませていただきます。
3月の繁忙期も二日酔いの日も朝帰りの日もずっこけてケガだらけの日も一応「毎日更新」を建前にしてる以上、ナツカシの「なんじゃ?」時代からあわせると3年と2ヶ月意地で乗り切ってきたんですけどちょっとこの目の痛みと眩暈と吐き気は尋常じゃなくて頭の中に文章を留め置くことができないので文と文が手を繋いでくれないんですよ、自分で何を書いてるのかイマイチ分からない感じ。
あくまで社会人である以上仕事は休めませんので断腸の思いで、
ってそういや今年6月丸々お休みさせていただいたんでした、ほーらやっぱり自分で何書いてるのか分かってない、
よってしばらく失礼仕ります。
----------2005年09月15日(木) 遠い空と小さな手
空が急に遠くなって、人も遠くなったような、そんな気がして昔の詩人のようにじっと手を見た。
指をぴんとはっても3フレットから8フレットまで届かない、小さな手(そーですワタシはロックンロールパターンがきちんと弾けません)。今年は旅行と自転車通勤のせいで少し日に焼けた、小さな手。キーボードの上にあるときだけちょっと得意げな顔をする、小さな手。
今じゃもう、7号の指輪がクルクル回って抜け落ちるので何もつけていない。
たくさんでなくていいから
大きくなくていいから
確かなものを摑みたいと、願った。
----------2005年09月14日(水) いつだって、気づいたら
久しぶりに自転車で会社に行く。なんだ、行けるぢゃん。そうそう、眩暈も今日はマシ、いつまでも「致命的なビョウキ」ごっこなんかしていられない。無理は禁物、だって? そんな悠長なことも言ってられない、時間は待ってくれない、助っ人勤務が許されるのは長く見積もっても11月中旬まで。いつも、いつも、切羽詰っていること。そのくらい、焦らなきゃならないトシのはずだ、自分。
ともすればふらふらとベッドに吸い寄せられがちな身体にムチ打って、プールにも行く。さすがに泳げないから歩く。とぼとぼ歩く。ばしゃばしゃ歩く。がつがつ歩く。気づいたらずんずん歩いてた。
そんなもんだ。
キミが歩かなくて誰が歩く?
----------2005年09月13日(火) 安静、鼻息荒く。
安静にしてろ、とにかく安静が一番、絶対、安静っていうもんだから徹底的に安静にしてやろうと思って今日は一日何も見ない何も読まない何もしない、寝転がってずっとオンガク聞いてやると鼻息荒く安静態勢に入ったのはいいけど退屈なのね、コレどうしようもなく退屈なのよ、まったく。
足元で寝てるネコの肉球をむぎゅむぎゅしてみたり尻尾で鼻の先っちょこちょこちょしてみたり耳裏返してみたりしてあからさまに「鬱陶しい」という顔でネコキックされるのにも、飽きたし。
でふと気づいたらショックウェーブのループで目を酷使していて、んでまたその最中にすぅっと霧が晴れたように視界がクリアになってきた気もしたり。
安静にしてる=死んでる、ってことよ(ゲームしてるほうが更に死んでるって?)、飽きた、飽きた、飽きた、死んでいるのにはもう飽きたー!!!
----------2005年09月12日(月) 生きているかしら
「メニエールもどき」のせいで耳は聞こえないし目もよく見えてないし顔の相まで変わっちゃってアンタいったい誰よと真夜中鏡に向かって問うてみる、そんな私は生きているのかしら? ホントに生きているのかしら?
この地球上に棲息している以上、確かに常時「私のためのスペース」は用意されている。どんなに居場所がない人にも両足二つ分のスペースは必ずある。両足二つどころか寝る場所も食べる場所も排泄する場所もあり、それどころかこうしてウェブ上にもきちんと自分のアドレスを持っていてサイトもどきも持っている私が生きてない、なんてことはないはずだけれど、何かこう、実感がないんですよ、確かに、生きてる、という、実感が。
・・・具合の悪いときに考えることじゃ、ないか。
----------2005年09月11日(日) なーにをやってんだろ。
蒼い顔して
タクシーで会社に行って
蒼い顔して
6時間働いて
そしてタクシーで小学校に寄って
投票して帰る。
なーにをやってんだろ、自分、とふと思う。
「仕事とは自己実現である」なんてお題目がまるでどこかの党が唱える中身のまったく見えない公約のように遠くの空でカラカラと回る。
中身なんてどうでもいいのさあ、分かりやすけりゃそれでいいのさあ、とりあえず、まあとりあえず、
そんないい加減で無責任な無党派層を取り込んで自民党は大勝。
えっ、アナタは信念を持って自民党に投票したんですか? うっそ。民営化民営化っていったい何をどうしてどうやって民営化すんの? 知ってる? 民営化してお金ができたらアレだよ、ポチだから、即刻アメリカへ献上。
違うの??
「選挙とは国民の意思の反映」
ま さ か。
仕事とは自己疎外そのものであり選挙とは国民の意思の疎外であり、それでも疎外じたいを引き受けることこそが現実に対峙する唯一の手段であるとするならばここはまあ、なーにをやってんだろ、と思いつつ、仕事を引き受け自民党に投票、
・・・ったくなーにをやってんだろ、自分。
----------2005年09月10日(土) 名づけられる
しかるべき人に、しかるべき名前をつけてもらえばそれだけで安心するものだ。
耳の奥で、じくじくと漂っていた気味の悪いモノは、明らかに自分で彫ったと思われる額帯鏡の「R××」の文字が可愛らしくていつも笑ってしまうRセンセイによって「メニエールっぽい感じ」と名づけられ、イソバイドという強烈に苦い薬によって退治されることが決定して雲散霧消、はしないけど確実に勢いを殺がれることに、なった。
「っぽい感じ」というのは慢性化したものでないとメニエールとは診断しない、からなんだって、余談だけど。
調子に乗らない、浮き足立たない、気負わない。
----------2005年09月09日(金) 絶不調
視界の隅で閃光が煌いた瞬間、街にはドラムロールが駆け抜け、空が破れた。
華々しく降り注ぐ雨は地面を叩き、街が吐き出す不浄なる熱気を洗っていく。
内に眩暈を抱え込んだ私はその雨に濡れることができない。
張りつめたリンパ腺が停滞を呼ぶ。
よく聞こえないしよく見えないしうまく歩けない、いったい全体突然何が起こったというんだ、身体の軸が完全にずれている。
絶不調。
----------2005年09月08日(木) 如何ともしがたい
台風一過、
我が面輪には毒の花咲き乱れし。
養生せよ養生せよと
褥中に臥す。
----------2005年09月07日(水) 何度でも、はじめから。
ひとつバランスが崩れると、見事なまでに何もかもが均衡を失ってぐらぐらになるのは若いときからの悪い癖。
積んでも積んでも
また一から、積みなおし。
一度染みがついたものを、漂白したり染み抜きしたりなんかせずに気前よく全部丸ごと捨ててしまうのは一種の美学だ、と強がってみる。
途中からやり直すのが、面倒なだけなんだけど。
そうして葡萄を頬張る、午前5時42分。
朝一番の、鳥が、鳴いた。
----------2005年09月06日(火) 私は眠りたい。
大阪にもつい先ほどから雨が落ちてきた。
眠いのだから眠ってしまえばいいのにそれを阻止するのは奇妙に肥大した自意識なのだ。「目を閉じてはいけない」という己の声は何か特殊な存在であらなければならない、ともがく哀れな自意識が発する叫びだ。
「常に誰かと違っていること」を要求する自意識の叫びが私に何をさせてきたか、考えれば考えるだけ虚しい。鏡に映る自分の顔は蒼白く、確実に貧血に陥っている。
こんな夜は、もうすっかり時代遅れになった学術書を鈍くなった頭で読み解こうとするよりも、次第に強くなる雨音を聞きながら、誰かの腕に包まれて眠るほうが、ずっといいことくらい分かっているけれど、たしかに彼は「キミがただの契約社員だったとしたら恋愛の対象にはしなかった」と言った。
違っていることだけが愛される理由だという確信が消えない。違っていることを愛されるのでないならそれは代替のきくあやふやな愛情に過ぎないという確信も消えない。なのに私の周りにいる「愛されている」女たちはちっとも違っていない、皆同じように話し、同じように笑う。
私は眠りたい。眠りたいのだ。
----------2005年09月05日(月) おまへはいったいどれだけ働きたいのだね?
会社に行ったらまた席が用意されてなかった(よくあることだ)ので「ちょっとぉどぉなってんすかぁ!!」と偉そうに吠えたら「なじゃさん今日休みですやん」と呆れ顔で言われて顔面蒼白、力ない笑いを浮かべながらこのまま消えていけたらどんなにいいだろうかと心底思った。
「まあ、せっかく来てくださったんだし。我々も助かります」と言ってくれたエスヴイの顔がカミサマに見えた。
ったくさー、2年前の8月にも同じことやったんだけどさー、そんときは「あんた即戦力にならないから帰って」って言われたんだよー、アタシも出世したもんだよねえ、あははははー、
と照れ隠しをするしか、なかった。
----------2005年09月04日(日) happiness in slavery
突然長時間労働からぽーんと投げ出されたので正直なところ何をしていいのか分からないのだった。日曜日、外は大雨で、何処に行くアテもなし、誰に会う約束もなし、「新規待ち数150」なんて画面を業務終了させるのはちょっと忍びない気がして、結局「残業してもいい?」と聞きに行った。
そして思い出す。
「一八三八年、平和なバルバドス島で血みどろの暴動が起こった。つい最近の三月の法令により、自由の身分に昇格したばかりの男女約二百名の黒人たちが、ある朝、かつての彼らの主人であるグレネルグという者の家に、自分たちを再び元の奴隷の身分にしてくれと陳情しに来たのである。」(ポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」/河出文庫所収のジャン・ポーランによる序文より)
happiness in slavery.
----------2005年09月03日(土) 泳ぐ
溺れているのか泳いでいるのかよく分からなかったけれど、とにかく身体を水に浮かべてみるのは心地よかった。
水があんなに重いものだと、何年ものあいだ忘れていた。
巨大な圧力として押し寄せてくる水をかきわけ、蹴って、進む。
いやなかなか進まないんだろ、とかそういう突っ込みはさておき、とにかく、私は、今、進んでいる。決してなめらかにではないにせよ。
----------2005年09月02日(金) 幸福なパパイヤ
いつもその前を通るのだけれど私が帰る頃にはとっくに閉まっていたのでアコガレばかりが強まっていた果物屋さんにようやく行くことができた。目の前は5車線の車道、という極悪な立地条件にあるのだけれども店はとても清潔で明るく、目の前で店員さんがよく研がれたナイフでパパイヤの皮を剥いてくれる。柔らかいパパイヤにナイフは音もなく吸い込まれ、さも気持ちよさそうに裸になった。
ミルクと一緒にミキサーにかけられたパパイヤはとても幸福な味がした。
昼下がりの小さな幸福。
毎日ちょっとずつ、着実に。
----------2005年09月01日(木) 準備完了
仕事もぜーんぶ引き継いで、担当からもぜーんぶはずれて助っ人扱いにしてもらったし
ジムには再入会届けを出してきたし
歪んだ腰の骨も整えてもらったし
あとは8月、忙しすぎてできなかった教習所の入学手続きをする、だけ。
・・・ホントは今日「教習所行きはじめました」って書きたかったんだけど
いつも後手後手で、スタートラインをうまく踏み越えられないけど
とりあえずまあ、準備完了ってことで。
常に自分に言い聞かせること、
これはおまけの人生なんかじゃ、ない。