チフネの日記
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2010年10月17日(日) 戸惑いの日/恋を知る日 9(完結)

「お前のことが、好きなんだ」
生真面目な顔をして言われた告白に、リョーマの心は喜びで満たされた。
その言葉が、欲しかったのだ。


そして、自分も。
一瞬で、手塚の気持ちを自覚した。
だから不安定になったり、苛々していたのかと理解する。
目では好きだと言っているのに、何も言わない手塚の態度に振り回されていた。
だけどこうして口に出された今、自分がどうするべきかハッキリわかった。

この人が、欲しい。
好きだから、眠れなくなる位に好きになってしまったから。
手塚を自分のものにしてしまいたい。
方法はわかっている。
一言、伝えればいい。

「俺も部長のこと、好きだと思うから」



こうして手塚とリョーマは両想いになった。
お互いの気持ちを知っても、ドキドキすることには変わりはないが、
苛々したりすることは無くなった。
手塚はリョーマのことが好きで、リョーマも手塚のことが好き。
それは揺ぎ無いことだ。


その翌日、満面の笑みを浮かべてリョーマに近付いて来た不二が、
「手塚にどんな告白された?あいつ、ちゃんと言えたの?ね、教えてよ」と問い詰めてきて、
手塚が部長権限を使って「グラウンド30周だ!」と叫ぶ騒動があったりもしたけど。

二人の関係は、穏やかに幸せに続いている。
今日も、明日もその未来も変わらない。












「よっ……と」
目一杯背伸びして、リョーマは棚に本を押し込もうとした。
指を使ってなんとかしようと奮闘していたが、後ろから伸びて来た手が本を掴んで所定の位置へと戻す。

「全く、何をやっている」
「部長?」
「届かない場所は脚立を使えと言っただろう。
バランスを崩して倒れたりしたらどうする」
振り返ると、苦笑している手塚と目が合った。
普通ならば思い切り眉を寄せ、「脚立を使え」と命令口調で言うはずだ。

「何を笑ってる」
「別に……」

どうやら手塚は‘恋人’には甘いということを知った。
以前も優しかったけど、両想いになってからはもっと優しい。
あまり態度は変わらないかなと思っていたが、こういうのも悪くないとリョーマは思った。
自分限定だけ甘やかしてくれているということに、くすぐったさと優越感を覚える。

「あー、脚立使おうかなと思ったけど、部長が来てくれるような気がしたから持って来るの止めた」
「……。来なかったらどうするつもりだったんだ」
「でも、現にここに居るでしょ。
そういえば部長って、前から俺の当番の日には必ず顔出していたよね。
あれって偶然だったの?」
問い掛けに、手塚は気まずそうに視線を逸らす。
「偶然、ではない」
「えっ」
「お前に会えると思っていたからな」

素直な言葉を返され、リョーマはどう反応したら良いかわからず固まってしまう。
告白は遅かったくせに、今では妙に恥ずかしいことを堂々と言うものだから、
つい照れてしまう。
計算しての発言ではないから、恐ろしい。
天然には敵わないかも、と心の中で呟く。

「ふーん。じゃあ、今日も俺に会いに来たってわけ?」

周りに生徒がいないから、会話が出来ることに感謝した。
もう一人の当番の委員は例によってカウンターでのんびりと読書に励んでいる。
天気も良いので昼休みにわざわざ図書室に来る生徒はごく僅かだ。
少しだけ声を落として話をする分には、問題無い。

「そうだな。お前がまた無茶をするんじゃないかと心配になって見に来た」
「そんな理由っすか!?」
「いや、本当はただ会いたかっただけだ」

ひそ、と耳元で囁かれ、リョーマは軽く身震いする。
この声、心臓に悪い。
というか、手塚に過剰反応し過ぎる自分が恨めしい。

「部長って……、意外と口上手いよね。
付き合ってから、ううん、その前から驚かされてばっかりなんだけど」
「そうか?そんなこと言われたのは初めてだが……。
言う相手もいなかったしな」
「じゃあ、俺が初めてってこと?」
「そうだな」
手塚はいつもの真面目な顔をして頷く。
「ここまで好きになったのは、お前が初めてだ。
だから包み隠さずに、本音を漏らしてしまうのだろうな」
「だから、こんな真昼間にしゃあしゃあと言うかな……」
「どうした?越前」

両手で顔を覆うリョーマに、手塚は不思議そうな顔をして覗き込んで来る。

両想いになったとはいえ、やっぱりまだ振り回されている感じがして。
悔しいけど、でも幸せでもあって。

こんな気持ちをどう表したら良いのだろう。

「越前?」

背を屈めてこちらの様子を伺う手塚の顔には、必死さが見える。
可愛いなと思うのと同時に、もっと近付きたくなる。

『見てるだけではなく、抱き締めたくもなる』
今なら、手塚に言われたこともわかる気がする。
気持ちだけじゃ足りない。
そんな時は……。






隠していた両手を下げてこちらを見上げるリョーマに、
手塚はごくんと唾を飲み込んだ。
頬を染めて目を潤ませたその姿は今まで見た中で一番可愛く見えて。
抗えない位の力で引き寄せられてしまう。
そっと顔に手を添えて上を向かせると、
リョーマは手塚の目を数秒見詰めた後、両目を閉じた。

お互いに何を望んでいるか、不思議な程伝わっている。

ここがどこなのか、まだお昼休みとか全部忘れてしまう位、
相手のことしか見えてなくて。
そこにあるのは、ただ純粋な好きという気持ちだけ。
恋を知った二人がもっと距離を縮めるのは当然のことで。



本棚の陰に隠れて、
手塚とリョーマは初めてのキスをした。


終わり。


2010年10月16日(土) 戸惑いの日/恋を知る日 8

正直、こんな展開になるとは思っていなかった。
リョーマと二人きりになる機会に恵まれ、今日言うしかないと決意をして、
着替え終わるのをじっと待っていた。
そこへリョーマから「話、したいんだけど」と突然の申し入れ。
驚かされた。
何を言われるのかと内心ビクビクしていた。
ひょっとして「なんでいつも俺のこと見てるんすか。止めて欲しいんだけど」と苦情を言われるのかもと、覚悟していた。

しかし言われたのは、意外なことで。

「俺に話したいこと、無いっすか?」
リョーマが知りたかったのは、こちらの気持ちだったらしい。
眠れない位に悩んでいるなんて、知らなかった。
目を潤ませ必死に訴えて来る姿に、
さすがの手塚もリョーマが何を期待しているか気付く。

『脈があると思うよ』
不二の言葉は本当だった。
たまには真実も言うんだなと、本人がこの場に居たら怒られそうなことを考える。

けれどそれより今は、リョーマのことだ。

ひたむきとも言える目をしてこちらを見ているリョーマに、
手塚はありったけの決心を掻き集めて、口を開いた。


「越前、俺は」
「うん」
「お前のことが、好きなんだ」

瞬間、リョーマがほっとした笑顔を浮かべる。
拒絶の態度を取られなかったことに安堵して、手塚は話を続けた。

「いつからかはわからない。
最初はただの後輩、のはずだった。
しかしいつの間にかお前のことが気になっていたんだ」
「それは弟みたいとかじゃなく?」
「弟?」
なんだ、それはと手塚は首を傾げた。
「違うな。弟みたいに思っているだけだったら、悩んだりはしなかった。
それに……」
「それに?」
「見ているだけではなく、抱き締めたいと思うこともある。
弟だったら、そんなことは考えない」
「抱き!?」
絶句しているリョーマに、言い過ぎたかと焦る。
よりわかりやすく説明するつもりで、つい本音を漏らしてしまった。

どうしたものかと青くなる手塚と逆に、
真っ赤な顔ををしながらリョーマは「そっか、そうなんだ」と頷く。

「部長の気持ちはよくわかったっす」
「いや、その、越前。さっきは言い過ぎてしまって」
言い訳を聞かず、リョーマは手塚の言葉を遮った。
「弟とか後輩っていう意味の好きじゃないってことなんだよね。
でも、だったらどうしたいんすか?」
「どう、とは」
「俺とこれから、どうしたいのかって聞いてるんだけど」

さあ、言えと赤い顔したまま睨んでいるリョーマに、
そこまで言わせるのか……、と手塚は軽く溜息をついた。

わかっているくせに。

これまで何も行動せずに黙っていたことに対するお仕置きのつもりか。

「ねえ、言ってよ」

いや、違うかと手塚は思い直した。
いつもは生意気な少年が、不安そうにこちらを見ている。
明確な答えが、欲しいのだろう。
そしてそれを出してやれるのは、自分しかいない。
だから、どんなに恥ずかしくても口に出してリョーマに伝えなければいけない。

「俺と、付き合って欲しい。どうしたい、の答えはそれになるな」
瞬間、リョーマは嬉しそうに笑った。
花が綻ぶような、というのはこういう表情かと見惚れてしまった。

「うん、部長の気持ちはよくわかった」
満足したかのように、ベンチの背凭れに体重を掛ける。
全部聞いて、力が抜けたようだ。

「俺からの返事、聞きたいっすか?」
「当たり前だ」
「素直っすね、部長」
「これでも必死だからな」
すると、リョーマは目を丸くした。
「意外……もっと余裕あるかと思っていたのに」
「そんなわけあるか」
心外だ、とムスッとした顔で言い返す。
「余裕など無い。
今でも振られるかと思うと、……怖くて堪らない」

それは手塚の本音だった。
拒絶されたら傷付くだろうし、この先姿を見るだけで辛くなるかもしれない。
そんな手塚の心境に気付かず、
「あ、それは大丈夫っす」とリョーマは明るい声を出す。

「何が大丈夫なんだ」
「いや、だって」
少し迷った素振りをした後、そっと手を伸ばして来る。
何をするつもりだと黙って見ていると、膝に置いてた手塚の手に重ねて来た。
小さくて温かな感触に目を見開くと、
「振ったりなんかしないという意味っす」と言われる。

「だって、俺も部長のことが……好きだと思うから」
「本当か?」
聞き間違いかと思って、確認してしまう。
「う、うん。気づいたのはたった今なんだけど」
リョーマにしては珍しくもじもじとした様子だ。
それがまた可愛らしく見えて、衝動的に抱き締めたくなる。
だが今は話を聞く時だと、手塚はぐっと我慢をした。

「今、気付いた?何故だ」
んー、としばし考えてから、リョーマは口を開く。
「その言葉がストンと胸のこの辺に嵌った感じになって、
ああ、待っていたのはこのことかとわかった。
部長に好きだって言われて、嬉しかった。
なんでかって考えたら、答えは一つしかない。
俺も同じ気持ちだったんだって……こんな所でいい?」

上目遣いでおずおずと尋ねるリョーマに、「上出来だ」と手塚は微笑んだ。
そしてもう一方の手で重ねられてたリョーマの手を包み込む。

「なら今から俺達は恋人同士になったと認識してもいいのか」
「うん……そういうことになるっすね」
「本当に俺でいいのか」
確認するように言うと、「部長の方こそ」とリョーマが言う
「すごくモテるくせに。優等生のあんたが、俺を選ぶなんて信じられないんだけど」
「そんなの関係ない。俺はお前がいいんだ。
むしろお前でなければ、好きになれない」
「ふーん、物好きっすね」

嬉しそうに笑うリョーマに、手塚の鼓動が跳ね上がる。

こんなにすんなりと上手く行って良いものか。
夢じゃないかと考え込むと、
「どうしたんすか?」と聞かれる。

「いや、妙に現実感が無くて都合が良い夢を見ているんじゃないかと思って」
「はあ?そんなわけないでしょ。
夢だったら、俺だって困るし」
「困るのか」
「当たり前。部長は違うの?」
ムッとした口調で言われて、「そんなわけないだろう」と即答する。
「折角、両想いになれたんだ。これが夢だとわかったら絶望するぞ」
「大袈裟。でも回答としては合格、かな」
「そうか」
「両想い、か……。良い響きだよね」


そう言って照れたように笑うリョーマにつられて、手塚も顔を赤くする。

改めて口にすると気恥ずかしいもので、だけどとても幸せで。
欠けていた心が満たされたような気持ちになる。

そうか……。これが両想いというものかと納得する。

最後のピースを与えてくれたリョーマに感謝しつつ、触れてる手に力を込める。
温かな体温を放したくない、とそう思った。


2010年10月15日(金) 戸惑いの日/恋を知る日 7

手塚と二人きりになれなくて苛々していたが、
思わぬところでチャンスが転がって来た。
その日、リョーマは日直の当番だったので集めたプリントを職員室に持って行ったり、
ゴミを焼却炉に運んだりと色々忙しくしていたおかげで、放課後の練習に少し遅れてしまった。
ちゃんとした理由があるので走らされることはないが、それでも急いで部室に向かう。
ドアを開けて中に入ったら、大石が制服に着替えしている所が目に入った。

「ちーっす」
挨拶すると「越前、今からか?」と大石が笑顔で話し掛けて来る。
「そうっす」
ぺこっと頭を下げる。
「そっか。頑張れよ」
「大石先輩は?」
制服に着替えるということは、帰るだろうか。
そんな風に思って質問すると、
「ああ。今日は家の用事で、帰ることになっていたんだ」と予想通りのことを言われる。
「へえ」
それでもわざわざ数十分の為だけに部室に出るとは、律儀な大石らしい。
しかしこれはチャンスかも、とリョーマは考える。
出来るだけ感情を抑えて、「じゃあ、今日は誰が鍵を閉めるんすか」と不自然にならないよう聞いてみる。
「ああ。手塚にお願いした。明日の朝のことも。
でも俺もいつも通り早く行くつもりだけど」
「そうっすか」
ということは、今日最後まで手塚は一人で部室に残るということになる。
いつも手塚は大石と日誌を書きながら一緒にいるので、どうせ二人きりになれないと諦めて帰っている。
部員が全員帰るまでは鍵を閉めないだろうから、居残りするだけで簡単に望んでいた状況を手に入れられる。
やった、とばんざいしたくなる気持ちを抑えて、リョーマは手早く着替えた。

「大石先輩、ありがとうっす!」
「……?え、ああ」
元気良く挨拶して部室を出る。
ようやっと今日、手塚に質問をぶつけることが出来そうだ。
浮き浮きとした気落ちで、リョーマはコートへと向かった。



そして解散後。
桃城は見たいテレビがあるとか言って、こちらを誘うことなくさっさと帰ってしまった。
送ろうかと言われたら何て言い訳しようかと考えていたが、あっさりとクリア出来た。
片付けを終えた後、リョーマは「少しやっていくことがあるから」とラケットを持ってコート裏へと走った。
これで他の一年生からの誘いも無い。
自主練習だと思って、放っておいてくれるに違いない。

よし、と壁打ちを始める。
適当に時間を潰して、誰もいなくなった頃に部室へ行く。
それがリョーマの立てた作戦だ。

「あれー、おチビまだ残ってんの!?」
「き、菊丸先輩?」
不意に話し掛けられて、ボールを逸らしそうになったので慌てて手で受け止める。
振り返ると制服姿の菊丸と不二が側に立ってこちらを見ていた。
「自主練?帰ってからやればいいのに」
「ちょっとだけ、打っておきたくって」
「へえー。偉いね、おチビ」
近付いて抱きついて来る菊丸に、困ったなと眉を寄せる。
このまま纏わりつかれて、一緒にやるなんて言われたら計画が狂ってしまう。
顰め面するリョーマに「邪魔したらダメだよ、英二」と不二が助け舟を寄越す。
「今日は一緒に寄り道するって約束したじゃないか。忘れたの?」
「あ、うん。そうだにゃ。ごめんね、おチビ」
パッと体を離されて、リョーマは安堵の息を吐く。

「じゃあ、おチビ。また明日ね」
手を振る菊丸の横で、不二がフッと笑う。
「頑張ってね、越前」
「はあ……」

何かものすごく含みがあった気がするが、……考え過ぎだろうか?
計画に気付くはずがないと首を振って、リョーマは再び壁打ちを始めた。
それから10分以上過ぎた頃だろうか。

もう誰もいないはず、と部室へと戻る。
電気がポツンとついていて、手塚がそこにいることを知らせている。
急いでドアを開けると、
「遅かったな、越前」とベンチに腰掛け、日誌を書いている手塚が顔を上げた。

「自主練していたのか?」
「っす。ちょっとだけ打ちたくって」
「そうか。早く着替えろ」
「はい」
咎めることなく、手塚は再び日誌に視線を落とす。
それを横目で見ながら、リョーマは着替える為に自分のロッカーへと向かう。

さて、どう切り出そうか。
この機会は絶対に逃したくない。
今日話し掛けなければ駄目だ。
そんな風に居聞かせてボタンを一つ一つ嵌めていく。

支度が全部終わった所でくるっと振り返ると、
手塚が日誌ではなくこちらを見ていたことに気付く。
急に振り返ったことで驚いたようだ。
焦ったように慌てて下を向く。
そんなことをしても、バレバレなのに。

(言いたいことあるのなら、ハッキリ言えばいいのに)
苦笑して、リョーマは一歩踏み出した。

何も言わずに見ているだけのこの人の本心が知りたい。
強く、そう思った。

「部長、ちょっといいっすか?」
「な、なんだ」
「話、したいんだけど」

リョーマの言葉に、手塚はしばらく俯いていたが決意したように顔を上げる。

「わかった。……隣、座るか?」
「うん」

手塚が少し横にずれて譲ってくれたスペースに、リョーマは腰掛けた。

いつも見ているけどこうして近付くとドキドキして、
すぐに立ち上がってしまいたい衝動に駆られる。
足の治療をされた時みたいに。
けれど今日、全部聞かなければこの先も悶々として安眠も出来ない日々が続くだけだろう。
だったら、決着つけなきゃいけない。

すっと息を吐いて、「部長」と呼び掛ける。

「俺に話したいこと、無いっすか?」
「それは……」
口篭っている手塚に、リョーマは思っていたことをぶつける。
「ずっと聞きたかった。どうして他の人より少しだけ俺に優しいのか。
気のせいと思ったけど、やっぱり違うって思って。
それで部長はどうしてそんなことをするのか、ずっと考えてて眠れなくなったりもした」
「眠れない?本当なのか?」
意外そうな顔をする手塚に、失礼だな……と思いつつ、「本当っす」と言い返す。

「俺だってそんな風に悩むことあるっすよ。
でも今回のは全部部長の所為だけど」
笑って言うと、越前は動揺したように肩を揺らす。

「だから聞かせて欲しい。
部長が俺に対して優しいのは気のせいなのか違うかどうか。
そしてどんな風に思っているのか、……知りたい」

やっと言えた。
全て言い終えてから、リョーマは息を吐いた。
心臓がバクバクと鼓動を速くしているのがわかる。
試合の前だってこんな風になったりしないのに、今はすごく緊張している。

必死の思いを込めて見詰めると、
体を硬直させてた手塚はゆっくりとこちらを向いた。

「俺の話を聞いてくれるか」
「はい」
「驚いたりしないか」
「しない」
「そうか」

熱っぽい視線を向けられ、リョーマは顔を赤くする。

これ以上鼓動が早くなったら心臓が破れてしまうんじゃないか。

そんな心配をしながら、手塚が何を言うかじっと待った。


2010年10月14日(木) 戸惑いの日/恋を知る日 6

手塚に問い質してみようとリョーマが決心して、三日過ぎた。
足首の方は問題ない。
元気に部活へ参加出来る程になっている。
だけど肝心の手塚とはなかなか二人きりになるチャンスは見付からない。

(案外、部長が一人になることって無いんだよね……)

無愛想なくせに、常に周りには人がいる。
とてもじゃないけど、内容が内容だけに聞きたい質問をぶつけるようなことが出来ない。

一歩は離れて観察してみると、手塚がちゃんと部長をやっているんだとわかる。
腕を組んでぼーっと見てるだけかと思ったが、指示を出したり、困っている一年に直接指導したり、
いざこざが起きたら止めに入ったりと大変そうだ。
けれど手塚は文句を言うわけでもなく、そつなくこなしている。
勿論、大石のフォローや、乾のアドバイスを必要としている時もあるが、
部長として手を抜いている素振りは全く無い。
それでいて生徒会の方の仕事もちゃんとやっているというから驚く。
改めてすごい人なんだと、リョーマは思った。

テニスするだけでいいと考えている自分とは大違いだ。
先生からも他の生徒からの信頼も厚く、期待にも応えていて、優等生。
そんな手塚が自分のことを特別に思っているとは……やはり勘違いかも、と帽子を深く被る。
だってあまりにも釣り合いが取れない。
手塚を惹きつける程の魅力が自分にあるとは到底思えないからだ。

「何、ぼーっとしてるんだよ。越前」
「桃先輩」
何するわけでもなくコートを眺めていたリョーマに、ラリーを終えたばかりの桃城が話し掛けて来る。
「部長のこと、見てたのか?」
「別に。見てないっす」
怪しまれるのが嫌で誤魔化そうとするが、桃城は「嘘付け」と肘で小突いて来る。

「部長がいるコートに視線向けてたじゃねえか。
まあ、気持ちもわかるけどな。やっぱり部長はすげーよ、すげーな」
変な意味で言われたわけじゃないとわかって、ほっと息を吐く。
それにしてもどこを見ていたつもりじゃなかったのに、
無意識に手塚のことを目で追っていたとしたら……。

(やっぱり俺の方が振り回されてる!?)

むーっと眉を寄せるリョーマに、
「どうした越前。変な顔してるぜ?」と、桃城が笑う。
「部長に追い付きたいと考えてるなら今は無駄だぞ。
もっと頑張らねえとな」
「そんなのわかっているっすよ」
「ハハッ、頑張れ」
笑いながら桃城はリョーマの頭を帽子越しに撫でる。
全く見当違いな解釈をしているようだが、この場合誤解を解くわけにもいかず、
黙ってしたいようにさせておいた。

すると、
「そこ、何を遊んでいる!」と鋭い声が響く。
コートの中から手塚が真っ直ぐこちらを見ている。
「うわ、やべえ」
身を小さくする桃城と、目を見開くリョーマに、
「暇ならグラウンド10周してこい」と言い渡す。
「っす!行こうぜ、越前」
「けど」
「いいから。逆らったら20周に増えるぞ」
桃城に引っ張られて、ずるずると出口へと向かう。
ちらっと手塚がいる方を見ると、ちょうどサーブを打つところだった。
コートの中にいてもこっちのこと気にしていたのかな、と考える。

たかがあの位でグラウンド10周なんて厳し過ぎると思うが、
もしも……他の人と話をしているのが面白くなくて、
だからそんな指示を出したんだとしたら?

(考え過ぎか)
軽く首を振って、否定する

「なあ、部長って厳しいよなあ」
不意に話し掛けて来た桃城に、リョーマは「そうっすね」と頷く。
「けど部長はあれでいいんだよ。
部員に甘くて言うこと聞いていればいいってもんじゃねえ。
そんなんじゃ結局、部は纏まらないし、威厳も何も無いからな。
優しさってわかりやすいものばかりじゃないだろ。
お前もそう思わないか?」
「まあね」
こくん、とリョーマは頷いた。

たしかに手塚の優しさはわかりにくいものばかりだ。
はっきりと口に出すわけでもなく、態度もいつも変わらなくて。

でも。
(言わなくちゃわからないこともあるよ)
だから聞きたい。
今度こそはっきりと手塚に質問したいのに、
いつになったら二人きりになれるチャンスが訪れるのか。
もう少し早く決意していたら、保健室に連れて行ってもらった時に聞けたのに。

上手くいかないなあ、と青空を見上げて呟いた。














告白しなければ、何も始まらない。
そのことに気付いた手塚は、リョーマと二人きりになれる機会を伺っていた。
しかしそれはなかなか難しいことだった。
リョーマの周りには何かしら誰かがいて、近付き難いのだ。
図書当番はこの間カウンターに座っていたばかりだから、当分先だ。

こうして悩んでいるというのに、リョーマは全く気付きもせず、
練習中に桃城と楽しそうに会話しているではないか。
けしからん、と妨害の意味もこめてグラウンド10周を命じた。
八つ当たりだとわかっているが、止められない。

そうしてコートから出たら、「八つ当たりは良くないよ」と不二から注意を受ける。
全部お見通しという顔が癪にさわり、
「何の話だ」と平静を装って返した。

「だから僕に惚ける必要は無いんだって。
自分は一日一回だって会話も出来ないに、一緒に帰ったり話をしてる桃に焼きもち焼いているんでしょ?
わかるけど、よくないなあ。
越前の心証を悪くしたかも」
ぐさり、と言葉が胸に突き刺さる。

「あれ?傷付いた?」
「……」
「わかってるなら呼び出すなり、さっさと行動すればいいのに。
部長権限はそういう時こそ使えば?」
「簡単に言うな」

溜息交じりで、手塚は言った。
そんな簡単なことではない。
告白というのは、大変な覚悟を必要とする。
今までに「好きです」と打ち明けてきた少女達も、こんな思いを抱えていたのか。
すごいな、と今更感心してしまう。

「とにかく。君が一歩踏み出さないと、何も変わらないんだからね。
その所為か、越前も苛立っているみたいだし」
「越前が?俺のことなど気にしていないようだが」
さっきも、桃城と楽しそうに話をしていた。
自分なんていなくても平気そうな顔に、ちくんと心が痛くなる。

しかし不二は「馬鹿だね」と笑う。

「以前よりも君の事を見ている回数が多くなっているよ。
気付いていないの?
あれは、待ってると思うけどなあ」
「まさか」

否定はしたが、もし本当ならどんなに良いかと思う。
リョーマが同じように思ってくれたら、
きっと嬉しくて心が躍りだすような気持ちになるだろう。

それには一歩踏み出さなくては―――、何も変わらない。


リョーマと二人きりになれる状況は、次はいつになるのか。
一度だけでもいい。チャンスが欲しい。

やっぱり部長権限で呼び出すしか選択は無いのだろうか。
手塚は重い溜息をついた。


2010年10月13日(水) 戸惑いの日/恋を知る日 5

自分の態度に不自然なものは無かったかどうか。
保健室からコートへと戻る間、手塚は何度も思い返してみて、おかしくなかったな、と呟く。

妙だったのは、リョーマの方だ。
頑なに応急処置を拒んでいた気がする。
触れた時も身を固くして緊張しているように見えた。
そんなに痛いのかと思ったが、返事からするとそうでもないと言う。
やっぱり、おかしい。

どう受け止めるべきだと頭を悩ませていると、
「やあ。治療は終わった?」と声を掛けられる。
顔を上げると、コートより手前にある水飲み場に不二が立っているのが見えた。
「何故こんな所にいる。サボりか?」
「いや。今、休憩時間中だから。指示出したのは大石だよ。
文句あるならそっちに言ってくれる?」
「……」

またしても、返す言葉を失くす。
不二には敵わないと思いつつ、コートに行こうとすると、
「僕の質問に答えてもらってないんだけど」とジャージを引っ張られる。

「何の話だ」
「越前の様子。どうなのかって聞いてるの。
怪我、大丈夫なの?」
「ああ。少し捻った程度だ。
明日の練習を休ませる位で大丈夫だろう」
「ふーん。良かったね」
不二も一応リョーマのことを心配していたのかと思いつつ頷くと、
「ところで保健室で何か進展あった?」と言われる。

「進展とは?」
「もう、鈍いなあ。告白のチャンスは無かったかどうかってことだよ」
「そんなつもりで行ったんじゃない。越前の怪我の治療の為に」
「頭固過ぎ。それじゃいつまでたっても押し倒すことなんて出来ないよ?」
「押し……!?」

顔を赤くする手塚に、不二は愉快そうに笑う。

「越前も案外満更でもなさそうだから、脈はあると思うよ。
さっさと気持ちを伝えたら?」
「何故そんなことがわかる。根拠は?」
「さあ。僕の勘だけど」
「そんないい加減な情報で、告白など出来るか。
玉砕したら気まずくなって、顔さえも合わせ辛くなるんだぞ」

反論する手塚に、不二は目をカッと見開く。

「じゃあ、君はこのままでも良いってわけ?
越前が誰かのものになりそうになっても、指を咥えてみているだけなんだ。
この、意気地なし!」
「……」
「顔を合わせ辛くなる?それ位、何だって言うのさ。
リスクを恐れたら、何も手に入らない。
少なくとも君は自分の意志を貫く人だと思っていた。
けど、ただの買い被りだったようだ」
「そこまで非難される覚えは無いぞ……」

小声で言い返すと、「言わないとわからないだろ」と冷たい目をしたままで言われる。

「このまま関係が壊れることに怯えて、ずっと黙っているか。
それとも打ち明けて、万が一の可能性に賭けてみるか。
決めるのは君だ」
突き放すように言う不二に、何も言うことが出来ない。

意気地なし。
確かに今の自分にぴったりと、当て嵌まる。
テニスでなら何も恐れることなく立ち向かっていけるというのに、どうしてだろう。

誰を好きになるということは、戸惑いの連続ばかりだ。
好かれたい、気持ちを知ってもらいたい、
でも言えない、
見てるしか出来ないと、何度も言葉を呑み込んでばかりで。

けど、それでは何も変わらない。

不二の言っていることに根拠は無いが、
本当に脈がありそうならば、伝えるべきなのかもしれない。


「ところでお前は何故そんなに俺と越前をくっ付けたがるんだ。
応援することに、理由はあるのか?」
「応援?まさか」
不二は首を横に振った。
「二人が上手く行ったら面白そうじゃない。
これからも色々とからかうことが増えるだろうし」
「……」

聞くんじゃなかった。
そう思いながらよろよろとした足取りで、手塚は今度こそコートへと向かった。


明日、リョーマは大事を取って練習には出られない。
コートで生き生きと動く姿が見られないのは非常に残念なことだ。
そこにいるだけで、見てるだけで幸せな気持ちになる。
誰かを好きになるというのはそういうものかと、初めて気付かされた。

(早く足の腫れが引くといいが……。明後日は練習に出られるのだろうか)


先程、包帯を巻く為にリョーマの足を触れていた手を、きゅっと握り締める。
あれだけ走り回っているのが信じられない位、細い足だった。
包帯を巻いている間は治療の為だから何とも思わなかったが、
今になって大胆なことをしてしまったと赤面する。
平静にならなければ、と大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

(不二に言われたからではないが、)

やっぱり見ているだけでは足りない。
リョーマの近くにいたい。今の距離を縮めたい、と欲が出てくるのを止めあれない。
心も、そして抱き締められるくらいにまで近付きたい。

(告白しか、無いのか)

口に出せるまでどの位の決心が必要なのか。
今の手塚には見当もつかなかった。







リョーマはリョーマで悩んでいた。
こんな時こそ父親とテニスして、がむしゃらに体を動かして何も考えられなくなりたいのに、
足がこんな風ではどうにもならない。


夕飯を食べた後は軽くシャワーを浴びて、
早々に自室へ引き上げる。
ゲームでもしようかと思ったのだが、何も頭に入って来ないので思うように進むはずもなく、
結局コントローラーを床に置く。
だったらもう寝てしまおうかと思ってベッドに潜るが、
さっぱりと眠りが訪れる気配すらない。

それどころかますます頭が冴えて来て、気付くと手塚のことばかり考えている。


(部長のことは、意識しないようにって思っているのに……)

寝転がっているリョーマに、カルピンが機嫌を取るように体を摺り寄せてくる。
撫でてやりながら、小さく溜息をつく。

(俺のこと、手の掛かる弟みたいのように扱ってると思っていたけど。
本当の所はどうなんだろう)

気になって仕方無い。
保健室では、明らかに何か言いたそうにしていたのに。
でも、結局手塚は無言のままで。
一体、なんなんだと苛立った気持ちになった。
こんなに悩まされる位なら、はっきりした答えが知りたい。
やっぱり本人に直接問い質すか無いようだ。

(でも、もしそれでなんとも思ってないと言われたら?)

知らずカルピンを撫でる手に力を込めてしまい、
痛いと言うようにと抗議の声が上がる。
「ごめん、カルピン」
慌てて宥めるように優しく摩ると、満足したように尻尾を揺らす。
ホッとして、リョーマは体から力を抜いた。

どうも、手塚のことで振り回され過ぎているようだ。
向こうの方がいっぱい視線を送ってくるくせに、こっちが悩まされてるなんて。

不公平だ、と唇を尖らせる。

(部長の所為で、眠れなくなってるのに。
なのに自分は熟睡しているとしたら、ちょっと許せないかも)

目を閉じたカルピンを起こさないように、そっと体を動かして足を曲げる。
布団の中で手を伸ばし、手当てしてくれた箇所を触れる。

(部長の手、俺と違って大きかったな。ちょっと体温低かったけど、それがまた気持ち良くって……)

また触れられたい、と思った。
手塚からではなく、自分も彼の体の一部に触れてみたい。
そうしたら、動揺する顔が見られるかもしれない。
もっと色んな表情が見たい。
そんな風に思うのは、どうしてだろう。

(部長からはっきりした回答もらったら、わかるのかな……)

今度、どうにかして二人きりになって聞いてみる必要がある。
いつにしようか。タイミングはどうするか。
今夜はゆっくり考えよう。
明日は朝練に出なくても大丈夫なので、しばらく眠れなくても平気だ。

今頃、手塚は何をしているだろう。

(同じように、俺のこと考えてくれてるといいんだけど)

そうじゃなかったら、やっぱり不公平だ、と軽く眉を寄せた。


2010年10月12日(火) 戸惑いの日/恋を知る日 4

リョーマは猫が好き。
それを知った手塚は、リョーマが猫と遊んでいる光景を思い浮かべてみた。

(写真に撮っておきたいものだな)

さぞ可愛らしいものだろうと、頷く。
いつか間近で見たいものだ。

そして朝練の開始を告げる為、部室を出る。
リョーマはちゃんと間に合ったようで、整列した部員の中に紛れている。
内心でほっと安堵の溜息をつくが、表情は部長らしくピッと引き締めた。
リョーマと猫という最高の組み合わせは今は忘れて、
練習に集中しようと、最初の号令を掛けた。






「最近、越前のこと気にしているようだけど、何かあったか?」
朝練が終わると同時に、大石に声を掛けられる。
どうやらいつ話そうか、機会を伺っていたらしい。
その内容に、ぎくっと体を強張らせるが、手塚は平静を装った。
「そんなつもりでは無かったのだが、大会前に調子はどうかと見ていた所はあるな」
「そうか。なんでもないのなら、いいんだ」

良かった、というように大石は胸を撫で下ろす。
どうやら心配していたらしい。

「トラブルでないのなら、構わない。
越前もお前のことを何度も見ているから、こりゃてっきり何かあったのかと気になって」
「越前が?」
一度や二度、目があったから、おや?と思うことはあったが、
大石の口振りからすると、それ以上にこちらを見ていたらしい。

「けどお前の話を聞くと、ただの取り越し苦労だったようだな。
ま、大会前に何もなければいいさ」
「そうだな」

頷いてみたものの、手塚の心は晴れない。
リョーマが何度もこちらを見ていた……。一体、何故だ。
ひょっとして見ていたことに気付き、更にその理由を探ろうとしているのではないか。
もしこの気持ちがばれてしまったら。
(どうなるんだ)

手塚の顔からサッと血の気が引く。
到底、受け入れてもらえるはずのないこの気持ち。
下手すると避けられて、二度と会話が出来なくなる可能性だってある。

「手塚?何だか顔色が悪いぞ。どうした」
「いや、少しめまいが」
「えっ、大丈夫なのか!?保健室につれて行こうか?」
心配そうな声を出す大石に、「少し静かにしていれば収まる」と無理矢理押し通し、
逃げるようにして教室へ向かう。

まだばれたと決まったことではない。
少しリョーマの様子を探って、それから考えよう。









一体、何なんだろうなと、リョーマは悩んでいた。
ここ最近の手塚の態度は、やっぱりおかしい。
他の人とも同じなら、そういうものかとスルーするのだが、
自分にだけ違うことをするので見逃せないものがある。
嫌われているわけでない、というのはわかる。
そうだったらあんなに優しい目をするはずが無いのだから。

(弟を持ったような感覚でいるとか?)

手の掛かる弟の世話を焼いているような兄のイメージ。それなら、まだ納得が出来る。
一番、しっくりくるような気がした。
だったらあまり身構えることも無いか、と体から力を抜く。
しかし本当の所は手塚に尋ねてみなければわからないのだが。

(あー。もう止め、止め)

手塚のことは頭から追い出そうと、リョーマは箒で廊下を掃き始める。
今は掃除の時間だ。ここのエリアはお前担当、と堀尾に勝手に割り当てられた。
やってないことがバレたら、騒がれるのはわかっている。
面倒くさいと、乱暴に箒を動かす。

苛々の根底には、手塚の存在がある。
接点なんかほとんど無いのに、振り回されているようで少しムカつく。

(いっそのこと、聞いた方が早いのかな)

なんで、そんなに俺のこと見るの。親切にするの。
頭の中でその状況を思い浮かべ、やっぱり出来そうにない、と肩を落とした。




そして、放課後の練習へと突入した。

手塚は生徒会の仕事で遅れると聞いて、どこかホッとする。
視線で追われることも無いのだ。
緊張が抜けたかのように、体が楽になった。

その所為かもしれない。
珍しく、リョーマは油断していた。
手塚がいないということでいつもよりテンションをあげて桃城との打ち合いを楽しんでいた。
肩慣らしということで最初は軽くラリーしていたのだが、段々お互い本気になっていく。
パワーのある桃城が打ったボールに、リョーマは無茶な体勢で打ち返そうとした。
そこへ運悪く球拾いで漏れたボールが足元へと転がって来た。
通常ならば気を付けているはずなんだが、手塚がいないことで緩んでいたリョーマには見えなかった。
危ない!という誰かの声に、ハッとなった時にはもう遅い。
足元にあるボールを踏ん付けて、思い切り転んでしまった。

「リョーマ君!」
「越前!」

声が上がる中、尻餅をついたリョーマは直ぐに立ち上がろうとした。
この位、なんてことないと言うつもりだった。
しかし立ち上がった瞬間、足首にぴりっと鈍い痛みが走る。
捻ったらしい。続けるにはまずいかも、と顔を顰める。
大丈夫だと言って部活を続けるのは簡単だが、後日悪化するかもしれない。
大会前にそれは避けるべきなのはわかっている。

どうしようかと迷っていると、
「そこまでだ、越前」と肩に手を置かれる。

「部長?」

遅れて来るはずの手塚がそこに立っていた。
もう生徒会の仕事は終わったらしい。

「越前はコートを出ろ。桃城の相手は……、荒井、お前が入れ」
「は、はい!」
手塚に言われて荒井は嬉しそうにコートへと入って来る。

しかしリョーマはこの展開に不満を持った。
この足では続けるのが難しいとわかっていても、頭ごなしに言われたことにカチンと来た。
しかし手塚はこちらの気持ちを知らず、
「行くぞ、越前」と肩を抱こうとする。

「えっ、何!?」
「その足では一人で歩くのは無理だろう。
俺が保健室へ連れて行ってやる」
「そんなの一人で大丈夫っす」
振り解こうともがくリョーマに、手塚は溜息を零す。
「あまり聞き分けの無いことを言うな。そうでないと」
「グラウンド20周っすか?」
「いや、抱きかかえて連れて行く」
「……」

幸いにもすぐ近くに他の部員はいなかった。
手塚が連れて行くと言ったことで、皆そのまま練習を続けていたからだ。

「冗談でしょ?」
顔を引き攣らせるリョーマに「本気だ」と手塚は真顔で言った。
「嫌なら大人しくしてろ」
「はあ」

身長差の所為でずるずると引き摺られて行く形で校舎へと向かう。
こんな格好悪い姿は見られたくないと願うが、手塚が一緒ということでどうしても目立ってしまう。
擦れ違う生徒や、グラウンドで部活に励んでいる者達からもじろじろと見られて非常に居た堪れない。
何で怪我なんてしたんだろうと、項垂れるしかない。



保健室に到着すると、鍵は空いていたものの無人だった。

「先生は、いないな……。誰かに呼ばれたのか?」
そう言いながら手塚はリョーマを近くの椅子に座らせる。
「靴下を脱いで、状態を見せろ」
「ええっ!?」
「何を驚いている」
「えーっと……」
過剰に反応した自分が恥ずかしくなって、リョーマは俯く。
「そこまではいいっすよ。先生が帰るの待っているから」
今度こそ拒否しようとするが、手塚は頑として譲らない。

「腫れてからでは遅い。湿布を貼ってやるから足を出せ」
「そんな。勝手に備品を使っちゃいけないんじゃないの?」
「先生には俺から話しておく」
さすが生徒会長。色々信頼されているというわけか。
場所も知っているようで、手塚はてきぱきと戸棚から湿布と包帯を取り出す。
そんな様子を見て、絶望的な気持ちになる。
抵抗したら、「靴下脱がすぞ」と言われるかもしれない。

それ位ならいっそ、とリョーマは覚悟を決めて靴下に手を掛けた。
用意を終えた手塚は、じっとこちらを見ている。
たかが靴下でこんな恥ずかしい思いをするなんて、と顔を伏せて裸足になる。

「それ、貸して下さい。自分で巻くから」
手塚の持っているものを指差して言うと、
「そうか」と意外にもあっさり渡してくれた。
直ぐに応急処置をすれば、文句は無いということか。

よくわからない、とリョーマは内心で首を傾げつつ、湿布を足首に貼る。
そして包帯を巻こうとして、手が止まる。
今まであまり怪我と縁が無かったので、これがまた上手く巻くことが出来ない。
しかも手塚がじっと見ているので、気が焦ってくる。

「にゃろう」
絡まった包帯を解こうとして奮闘していると、
「もういい、俺がやる」と手塚に止められる。
「でも」
「その方が早い。貸せ」
「あ、ちょっと」
嫌だと言う前に、包帯を奪われてしまう。
そして跪いて手際良く、リョーマの足に包帯を巻いていく。

「きつくないか?」
ぴったりとくっ付く形で巻かれているが痛くない。

それよりも、手塚の手に触れられていることの方がずっと気になる。
変な動きをしているわけじゃない。
律儀に、痛くないように気を使って触れているのはわかっている。

(けど……)

あの大きな手、自分を負かしたラケットを握っていたその手に触れられていると思うと、
知らず体が熱くなる。

(何、考えてるんだよ。これは治療の為だけで、なんてことないだろっ)

思わず足を動かしそうになるが、真剣な顔をして包帯を巻いてくれている手塚に悪いと思って、じっと我慢する。

リョーマの心の騒動を知らず、「出来たぞ」と手塚は満足そうに頷いて立ち上がる。

「今日はもう練習は出来ないな。帰るか?」
「えっと、終わるの待ちます。桃先輩に送ってもらえると思うから」
こうでも言わないと、手塚が送ると言い出しそうだ。
「そうか、なら仕方無い」
残念そうな声に、やっぱりかと苦笑する。
考えは当たっていたらしい。

それにしても今日の行為はどう判断するのか難しい。
部長として自分以外の部員が同じことになったら、手を貸すだろうし、包帯だって巻くだろうし、送ろうと言い出すかもしれない。
別に特別なことじゃない。
そのはず、とリョーマはちらっと顔を上げる。

もう用は終わったのだから部室に戻ればいいのに、何故まだそこにいるのか。
不審に思って「部室に戻らないんすか?」と尋ねてみると、
手塚は僅かに動揺する。
珍しいことだ。

「いや、戻るが……。もう平気か」
「うん、一人でも大丈夫っす。
だから部長は戻っていいっすよ」
「……」

これだけ言ってもも迷うような素振りをする手塚に、どうして、と考える。

(えっと、これってまさか)

保健室に二人きり。
この状況って、まずいのでは。
あたふたとするリョーマと逆に、
「そうか」と手塚は神妙な顔をして頷く。

「しばらく安静にするように。明日の朝練は出なくてもいい」
「はあ……」
「俺はもう戻るからな」

ぽかんとしているリョーマを残し、手塚は出て行ってしまう。

「何だ、あれ」
たしかに手塚は何か言いたそうにしていた。
そんな目と表情だった。
だから直ぐに部室へ戻らなかったのじゃないのか。
言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいのに。

そこで黙って飲み込むなんて。
意気地なし、とリョーマは呟く。

聞いてあげないこともないのに。
真剣な話なら、それなりにちゃんと考えて答えを出す……と、そこまで想像して、ぶんと首を横に振
る。

これじゃまるで告白されるのを待っているみたいじゃないか。
手塚に何かを言われることを期待しているような。

違う、違うと首を横に振る。

「あら、お客さんが来ていたのね。
一体どうしたの?」

ちょうどそこへ校医が帰って来て、リョーマの様子を見て目を丸くする。

熱でもあるのかしらと心配されて、誤解を解くのに時間を必要とする。

これも手塚が誤解するような態度を取るから……と、リョーマは顔を赤くして俯いた。



2010年10月11日(月) 戸惑いの日/恋を知る日 3

「ねえ、桃先輩。今までに部長に優しくしてもらったことはあるっすか?」
「はあ?」

その日の帰り道。
桃城と寄ったファーストフード店で、リョーマは思い切って抱えている疑問をぶつけてみた。
ひょっとしたら手塚が優しいのは自分だけでは無いかもしれない。
知らないだけで、桃城も親切にされたことがある可能性も残っている。
「どうなんすか。そこの所、よーく思い出して下さい」
「って、言われてもなあ」
桃城はハンバーガーをもぐもぐと頬張りながら、考え込んでいる。

「あー、例えばランキング戦でも手を抜かない所か?」
「それが優しさ?何か違うような」
「だったら俺と海堂がケンカしてもどちらかの味方はしないとか。
両成敗で二人共、グラウンド走れって言い渡されるぜ」
「そうじゃないから……」
「何だよ。じゃあ、お前は優しくされたことあるのかよ」
「……」
途端にリョーマは黙った。

本を仕舞うのを手伝ってくれたなんて言ったら、どう騒がれるかわかったものじゃない。
それとも「お前が頼り無さそうだからついて来たんじゃないか」と笑われるか。
どちらにしろ、あまり楽しい返事ではなさそうだ。

沈黙していると、
「ほらみろ。お前だって知らないじゃないか」と桃城は勝手な解釈をする。
「部長のフォローは大石先輩がしているから、あれでうちの部はバランス取れているんだろ。
それに厳しいけど、部長の言ってることは正しいって皆わかってるからな」
「……厳しいだけじゃない」
「ん?何か言ったか?」
「何も」
俯いて、リョーマもハンバーガーにかぶり付いた。


図書室の一件だけじゃない。
今日、遅れて行った時もそうだ。
菊丸に抱きつかれて困っていたら、手塚が声を上げて指示を出してくれた。
おかげで、すぐに解放されたけど……。
それは初めてのことではない。
一度目は練習時間に騒いでいることに対しての注意かと思ったけど、
何度か続くうちにタイミングが良過ぎることに気付いた。
どうやら手塚は普段からこちらの行動を気にして、絡まれたらすぐに声を上げている、らしい。
他の人達が騒いでも、そんなすぐ声を上げるような真似はしない。

(それってやっぱり俺にだけ、ってことだよなあ)
改めて、何かおかしいと考えてしまう。

「おう、越前。少し足りねえから、お前のポテトくれよ」
「いいっすよ……」
「えっ、マジかよ。いつも追加すれば?って絶対分けてくれねえのに」
「いくらでも、どーぞ」
「お前、なんか変だぞ。ま、遠慮なく頂くけどな」

言葉通り、桃城は結構な数を奪って行った。
しかし止める気にもならない。
妙なことだが、考え事の所為でそんなにお腹が空いていない気がするのだ。

(部長のことを考えると、いっつもこんな風だ。
胸の辺りが詰まっているような、変な気になる)

やっぱりいっそのこと本人に確かめるべきかな、と思う。
何でそんなに優しくしてくれるのか。
聞いて、みたい。
でもただの勘違いだったら聞いたこっちが馬鹿みたいになる……。
リョーマの悶々とした悩みは続いて行く。

そうしている間に、いつも間にかポテトの袋は空になっていた。
「ごっそーさん」
ニカッと笑う桃城に、怒る気にもなれなかった。









翌朝。
「ちーっす」
ドアも開けるのももどかしく、リョーマは急いで部室の中に転がり込んだ。
急がないと遅刻してしまう。
後ちょっとで間に合うと信じて、走って来た。
なのにグラウンドを走ることになるのは避けたい。
急いで着替えしているので、中に誰が残っているかも見ていない。
ほとんど脱ぎ捨てるようにして制服をロッカーに突っ込み、レギュラージャージに袖を通す。
ラケットを取り出そうとして、慌てていた所為かバッグを床に落としてしまう。

「大丈夫か」
「部長……?」
声を掛けられ、そこで初めてこの場に残されているのは自分と手塚だけだと気付く。

遅刻だと怒られるのかと身構えるが、意外にも手塚は落ちたバッグに手を伸ばそうとする。
「あ、いいっす。俺が」
そんなこと手塚がすることじゃないとひったくろうとするが、
強引に引っ張ったせいで、中身が外へ散らばってしまう。

「全く、何をそんなに慌てているんだ」
「……」
ほら、と手塚は苦笑しつつ、散らばったものを拾って渡してくれる。
「すみません」
ぺこっと頭を下げながら、それらを受け取る。
ふと、手塚が手の中の物を凝視してることに気付いて、
「何すか?」と尋ねる。
ゲーム機は家に置いてきたから、特に校則違反のものは無いはずだが……。

「越前は、猫が好きなのか?」
「猫?あ、……これは」
タオルと替えのシャツと、それとカルピンの写真を手塚に拾われていた。
カッと顔を赤くし、「いや、これは親父が勝手に」と、しどろもどろになりながら言い訳する。
「勝手に?では特に猫が好きというわけではないのか」
「いや、好きっすよ……。可愛いし」

何でこんな忙しい時に猫の話をしているんだろう。
そう思いながら律儀に答える。

「そうか」
ふむ、というように手塚は頷く。
「俺も、猫は好きだな」
「はあ……」
「同じだな」
そう言って、手塚は嬉しそうに笑う。

何がそんなに嬉しいんすか。
尋ねてみたいと思ったが、またすぐにいつもの無表情へ戻ってしまう。


「早く行け。俺の後からコートに入ると遅刻になるぞ」
「あ、はい」

すぐにロッカーへ荷物を押し込み、リョーマはラケットを持って逃げるように部室から出る。

(ひょっとして俺が遅刻しないように、待っててくれたのかな?)

やっぱり優しい、というか甘い?とリョーマは首を傾げつつコートへと急ぐ。

走って来た所為だけじゃない。
心臓がドキドキと早くなっているのがわかる。

間近で手塚の笑顔を見てしまった所為だ、と思った。


2010年10月09日(土) 戸惑いの日/恋を知る日 2

「ちーっす」
まだ声変わり前のあどけない響きに、手塚は顔を上げた。
委員会で遅れてたリョーマがコートに入って来るところだった。

「遅いぞ、おチビーっ!グラウンド何周かなー?」
すぐ近くに居た菊丸がひょんっと、リョーマに抱き付く。
「図書委員だって届け出してあったんだけど」
「あれ?そういえば、そんなこと聞いたような」
「もう、しっかりして下さいよ」
「何をー!?」

放っておくといつまでもじゃれていそうな二人に、手塚はそのままの位置で声を上げる。
「菊丸!次、コートに入れ。
越前はストレッチをしてからだ。皆の邪魔にならないよう、隅でやれ」
これ以上ふざけているのはまずいと判断したのか、
「はい、はーい」と菊丸は慌てて練習に戻る。
リョーマも素直に「うぃーっす」と返事をして、移動して行く。

全く、油断のならない奴らだと溜息をついていると、
「ナイス、タイミング」と声を掛けられる。

「部長権限ってそういう風にも使えるんだ。僕には真似出来ないけどね」
「不二……。何が言いたい」
笑顔で近付いて来る不二に、警戒するように身構える。
時々わけのわからないことを言って人を惑わせるのが得意な相手だ。
無防備なままだと、向こうのペースに嵌められる。
「お前もコートに」
「あ、今ちょうど英二と交代した所なんだ。うちの部長は水分補給も許してくれないってわけ?」
「……」

そう言われると返す言葉も無い。
眉間に皺を寄せぐっと腕を組むと、
ドリンクホルダーを片手に持ちながら、不二は再び話し掛けて来る。
「君さ、あれだけ越前に熱い視線を送っているのに何もしないわけ?見てるだけなんだ」
「何が、言いたい」
「またまた惚けないでよ。
英二が抱きついた途端コートに入れなんて命令したくせに」
「お目はその時、コート内で打っていたんじゃないのか」
今、出た所と聞いたばかりだ。
まさか嘘なのかと思って不二の顔を見ると、
「手塚の声が大きいから聞こえて来たんだよ。それでなんとなく状況がわかっちゃった」と言われる。

不覚、と手塚は額に手を当てた。

「君が奥手なのは知っているけど、見てるだけじゃ何も変わらないよ。
それどころかさっさと行動しないと、誰かに取られちゃうかも。越前ってファンクラブがある位だからね」
ちらっとフェンスの外にいる女子達に視線を送る。
いつもリョーマ目当てで来ている子達だ。
でも、彼女達だけではない。
知らないだけで他にも行為を寄せている者もいるだろう。

「さっさと告白しちゃえば?」
ぽん、と手塚の肩を叩いて、不二は外へと出ようとする。
「おい、練習中だぞ」
「トイレ。その位、いいでしょ」
「……」

またしても言い返せない。
しかしただ、サボりたいだけなんかじゃないのかと考える。
以前にもそう言って抜け出して、部室で寝ていた。
戻って来る時間に注意しなければと考えていたら、
ストレッチを終えたリョーマがてくてくとこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

「準備運動終わったんだけど、コートに入っていいんすか?」
「ああ。ちょっと待て。桃城!越前と交代だ。コートから出ろ」
手塚の声に桃城が、「っす!」と返事してラケットを下ろす。
そのままリョーマが中へと入る。
相手は河村だ。
パワーテニス相手にどう攻めて行くのか、興味がある。

数秒じっと眺めた後、慌てて首を振る。

今は部活の練習中で、顧問が遅れると聞いている以上、
全体のことを見なければならない。
一個人のことだけを観察している場合ではない。
……無いのだが。

キャア、とフェンスの外で高い声が響く。
リョーマがコートに入ったことで彼女達のテンションが上がったようだ。

素直に感情を表に出せるあの子達が、少し羨ましい。

『誰かに取られちゃうかもよ』
そんなことはわかっている。
一年生だからとはいえ、恋人を作らないとは限らない。

そうなったら。きっと見ていることさえ辛くなる。


(難儀だな)

よりによて何故好きになった相手がリョーマなのだろう。
生意気で、先輩の言うことだってなかなか聞かず、手こずらせてばかりで。

だけど、そうやって否定すればする程、やっぱり好きだと思うから不思議だ。
きっと理屈では無いのだろう。

大きな目も、物怖じしない態度も、無謀だけど強い意思も、
全てが手塚を虜にして行く。
重症だな、ともう一度リョーマに視線を移す。

もし告白して、振られたら。
部長と部員という関係でさえ気まずくなって、顔も合わせられなくなるかもしれない。
そう思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。

距離は縮めたい。
でも、出来ない。
袋小路に嵌っているなと、自分でもわかっている。

(越前の手、小さかったな……)

図書室で見た光景を思い出し、自分の手と見比べる。
身長の低いリョーマが精一杯背伸びをして本を押し込もうとしている姿に、
ついお節介を焼いてしまった。
あのままバランスを崩して倒れたりしたら、大変だ。
まだ残っている本も、高い位置にあるとしたら手伝わなければと強く思った。
だから無理矢理付き添ったのだが、迷惑だったかもしれない。
断る言葉を口にしなかったから、大丈夫だと思いたいが……。


最近の手塚は煮詰まっている。

リョーマのことを思うと、いつも心が苦しくなるからだ。


2010年10月08日(金) 戸惑いの日/恋を知る日 1


昼休みの図書室は、暖かな空気で満たされている。
その中をリョーマは返却された本を持ってうろうろと歩いていた。
カウンターの中にいると眠くなってしまうので、もう一人の当番の先輩に、
「片付けて来い」と指示されてしまった。
昼休みは睡眠に当てたいというのに、この図書当番というものは実に厄介だ。
委員を決める時、もっと慎重に選ぶべきだったと後悔しても遅い。

(しかもこの棚……。妙に高いんだよな)
棚の真ん中辺りに本を入れる分には問題ないのだが、
上の方となるとリョーマの身長では目一杯手を伸ばしても届かない。
脚立が必要になって来るのだが、持って来るのが面倒くさい。

そう思って、うんと背伸びしてなんとか入れ込んでやろうと、リョーマは腕を上げた。

(手が攣りそう……)
あと少し、と力を込める。
すると背後からひょいっと出て来た別の手が本を押し込んでしまう。

「届かないのに、無理をするな」
「部長!?」
聞き覚えのある声に慌てて振り返ると、いつもと変わらず仏頂面をした手塚がそこに立っていた。
「こういう場合は脚立を使うべきだ」
わかっていたけど取りに行くのが面倒だったなどと言えるはずもなく、
リョーマは素直に「はい」と答えた。

「まだ後少し残っているな」
手元にある数冊の本を見て、手塚は言った。
「次はどこだ」
「え、あっちだけど……」
「行くぞ」
何故か先導される形で、リョーマは手塚の後ろをついて行った。

目的の棚はすぐに見付かる。
そこはリョーマでも入れられる位置だったので、手を借りる必要は無い。
じっとこちらを見ている手塚に、何だろうと思いつつ本を入れると、
「次は?」と言われる。
「あっち、っす」
「そうか」
またしても手塚が先を歩く。
この状況って?と思うが、聞けるような雰囲気でも無いので、リョーマは黙って後に続いた。

次の本は先程と同じく一番上の棚だった。
(これは脚立を使うかどうか、見張られているのかなあ)
近くに無いかときょろきょろ周りを見渡すと、
「何している」と手塚に本を奪われる。
そして所定の位置に、そっと差し込む。

リョーマはそこでやっと、手塚が手伝う為に一緒に行動していたのだと気付く。
てっきり後輩が無茶しないか監視しているのかと思っていた。
違ったとわかって、ホッとする。

「次はどこだ」
残る一冊を見て、手塚また同じことを聞いて来た。
一番上じゃないかもしれない。手間だから、一人でやる。
そう断ることも出来るのに、リョーマは一つ向こうの棚を指差す。
歩き出す手塚の背を追って一緒に移動する。

―――もし、他の先輩だったら。
一人で出来るから大丈夫だと、平気と遠慮無く断ることが出来るだろう。
そもそもここまでついて来て手伝ってくれる人がいるかどうか。
割と親しい桃城と気も、後は頑張れよーと言って去って行くだろう。
その前に図書室に来るような人達では無いのだが……。

「どうした、越前」
声を掛けられ、ハッとして顔を上げる。
「あ、どこなのか探していて……」
誤魔化すように棚を見渡すと、すぐに戻すべき場所は見付かった。
自分でも入れることが出来る場所なので、サッと押し込む。

「これで完了か」
「はい」
「そうか。では俺は目的の本を探しに行く」
背中を向けて去って行く手塚に、慌てて「あのっ」と声を掛ける。
「何だ」
もう一度振り向いた所へ、「手伝ってくれて、その、ありがとうございました」と礼を言う。
例え頼んでやったことでは無いにしろ気遣ってくれたのだから、一言位礼を言うべきだと自分でそう思った。

「大したことではない」

ふっと表情を和らげる手塚に、リョーマは目を瞠った。

(今の、笑った?)

しかし直ぐに無表情に戻ってしまう。
そして今度こそ、立ち去って行く。

リョーマもカウンターに戻りながら、今の手塚の行動について考えた。

手伝う必要が無いと断ることが出来ないのは、相手が手塚だからだ。
自分の中で手塚を特別視している部分がある。それは認める。
同世代とのテニスの試合で負けるなんて思っていなかったのに、見事に打ち砕いてくれたのが手塚だ。
しかも、もっと進化しろなんて偉そうな言葉と、青学の柱になれという強要のおまけ付きで。

それ以来リョーマの中で、手塚は別格になった。
だからさっきの申し出も簡単に断れないかもしれない。

(ううん。それだけじゃないか)

カウンターに戻ると、もう一人の先輩が「お疲れ」と迎えてくれた。
暇だったらしく、のんびりと小説を読んでいる。
気楽なことだ。
溜息をついて椅子に座ると同時に、
「貸し出しを頼む」と、本を出される。
「もう選んだんすか?」
手塚だと声でわかったので顔も上げずに受け取ると、
「最初から借りるものを決めていたからな」と言われる。

だったら数分で図書室を出て行くことが出来ただろうに、
わざわざ後輩を手伝うとは……。

手続きをして返却日を告げると、「ああ」と手塚は頷く。

「それと、越前」
「何すか」
「今日はその分だと放課後も委員の仕事で遅れそうだな」
「そう、だけど」
「先生には俺から伝えておこう」
「あ、ども」

ぺこっと頭を下げると、手塚は「遅れてもちゃんと来るように」と言って、図書室から出て行く。

「今の、生徒会長だろ。迫力あるなあ」
隣に座っていたもう一人の委員に、つんと肘で突かれる。
「やっぱり部活でもあんな風なのか?厳しいんだろ」
「そうっすね」
「うわ。俺、テニス部じゃなくて良かったー」

ほっとしている横顔を見ながら、
(けど、優しいところもあるんだけど)と思う。


でもそれが悩みの種でもある。

ただ厳しいだけの部長が、実はそれだけでは無いということ。
時々だけど、さっきみたいに優しかったりする所もあるとわかって来た。
しかもどうやらそれが、自分限定だけ……らしい。

最近のリョーマは困っている。

ああいう優しい笑顔を見せられると、どうしたら良いかわからなくなるからだ。


2010年10月07日(木) 2010年 手塚誕生日話

今日が手塚の誕生日だと、リョーマは初めて知った。
しかも朝練が終わるなり、手塚を取り囲んだ女子達の声からそうなんだと知った。
なんとも情けない話だ。

(俺、そんなの知らない。部長は何も言ってくれなかった)

ショックを隠し切れず立ち尽くすリョーマに、
ニヤニヤ笑いながら近付いて来た不二がポンと肩を叩く。

「その様子だと何も知らされていなかったみたいだね。
どうするの?プレゼントも買ってないんでしょ?」
「知っていたなら教えてくれてもいいのに。なんで黙っていたんすか。
毎日、部室で顔を合わせていたくせに……」
基本、大会が終わったら三年生は引退なのだが青学はエスカレーター式の為、
部活への参加が許されている。
なので、今も三年生達はテニス部に顔を出して練習している。

「何でって言われても、僕の所為じゃないでしょ?
付き合っているのにそんなことも知らないなんて、二人の会話不足が原因なんじゃないの」
「ぐっ……」
事実なので何も言い返せない。
黙るリョーマに今度は不二の背後から乾がひょいっと顔を出す。

「そう落ち込むな、越前。プレゼントはなくとも今日は思い切りサービスしてやるといえば、解決だ」
「ああ。その手があったね。さすが乾」
「だろ?これを言えばプレゼントが無いことなど簡単に誤魔化せる。良かったな」
「もうあんた達は黙ってて下さい!」
大声を出して、リョーマは二人から離れた。
構っていられない。
今はそんな場合ではないのだ。

女子生徒達からのプレゼント攻撃をかわしている手塚を遠目に見ながら、リョーマは考える。

(どうしよう。プレゼントなんて買う余裕は無い)

女子のプレゼントは断っても、恋人である自分からのものは受け取ってくれるだろう。
期待しているのかもしれない。
が、財布の中は厳しい状況だ。
先週あんなに買い食いするんじゃなかったと後悔しても遅い。
困ったぞ、とリョーマは頭を抱えた。












放課後になっても良い案は浮かばなかった。

(それもこれも部長が誕生日を教えてくれなかった所為だ)

事前に知らせてくれたら何か買えたかもしれないのに。
突然、今日が誕生日だと言われてもどうしようもない。
溜息をつきながら部室へ向かって歩いていると、ポツッと頭に冷たいものが当たる。
雨だと気付いた瞬間、パラパラと降り出し始める。
これではコートでの練習は無理かもしれない。
そう思って部室へと行くと、振り出した雨に練習をどうするか相談を始めていた最中だった。

結局、急な雨の所為で予定は変更されて、今日の部活動は中止になった。

雨の中、手塚とリョーマは一本の傘を使って一緒に下校して行く。
たまたま手塚が置き傘を持っていた為、事なきことを得た。
手塚が傘を持って、リョーマがちょっとくっ付く形でゆっくりと歩く。

「手塚先輩!」
門に差し掛かった所で、知らない女子生徒が手塚を呼び止める。
さすがに知らん顔するわけにいかず、手塚は足を止めた。
当然、同じ傘に入っているリョーマも止めることになる。
そうでないと雨に濡れるからだ。

女子生徒はお決まりのように誕生日を祝う言葉を口にして、プレゼントを渡そうと包みを手塚へと差し出す。
さすがに一対一(自分も側にいるが)で出されたら受け取るかな、とリョーマはぼんやりとその光景を眺めた。

すると、
「申し訳ないが、受け取ることは出来ない」と、手塚はきっぱりと拒絶する。
「けどっ、先輩の為に選んで」
「プレゼントは誰からも受け取らない。もう決めたことだ」

切り捨てるような口調に、女子生徒は怯み、そして頭を下げて走って行ってしまう。
バシャバシャと水の跳ねる音が聞こえた。

隣に立っていたリョーマは当然一部始終を見ていたわけで、気まずいと心の中で呟く。
この後どうしようと思っていると、
「すまないな」と手塚が口を開く。
「えっ?」
「俺の厄介ごとにお前まで付き合わせて」
「別に、気にしていないし。傘の無い俺がどうこう言えるわけでもないから」
視線を逸らして言うと、「そうか」と手塚が返事するのが聞こえた。
何だか寂しそうな声に、慌てて顔を元に戻す。

「何でそんな風に言うんすか。ちょっと変だよ」
リョーマの言葉に、手塚は低い声を出す。
「お前が気にしていないと言うからだ。
少し位、妬いてもいいんじゃないか」
「そりゃ、気分は良くないよ。あんなもの、近くで見せられてさ……」
「本当か?」
急に嬉しそうな顔に変わったのを見て、ムッとして言い返す。

「それよりあんたが今日が誕生日だって教えてくれなかった方がムカついた。
何であんな顔も知らないような女子の方が知ってるわけ?」
「調べたんだろうな。女子生徒の情報網は侮れない」
「じゃなくって!もう、いい。
どうせ誰からもプレゼントは受け取らないんでしょ。
買うお金も無いからちょうど良かった。というわけで、俺からのお祝いは無しだから」

そう言って先を歩こうとするリョーマの腕を、手塚は素早く掴む。

「何?」
「離れると、雨に濡れるぞ」
「いいよ、これ位」
「風邪を引かせたくない。
いや、それだけじゃなく……俺の側に居て欲しい」
「部長?」

いつになく困った表情を見せながら、手塚は言った。

「その、教えなかったのは悪かった。
プレゼントの催促だと思われるのが嫌で、黙っていただけだ。それだけで他意は無い。
しかし祝ってもらいたいと思う気持ちは本当だ。わかってくれないか」

申し訳無さそうにしている手塚に、リョーマの中にある怒りがスッと消えて行く。

ケンカしている場合ではない。
今日は手塚の誕生日だ。
素直に祝おうと、態度を軟化させる。

「ごめん、言い過ぎた」
さっきよりも、もう少し手塚に寄り添ってまた一緒に歩き始める。

「俺なんかより知らない女子の方が部長のことを知ってると思ったら腹が立って、つい」
「いや、俺の方こそいらない気を回して不快にさせたな。すまない」

互いに謝罪して微笑み合う。
もうそれでケンカは終了という合図だ。

「この後、家に寄ってくれないか。
母にはもうお前を連れて行くと連絡してある」
「えっ、そうなの?」
「ああ。きっとご馳走を用意してくれているだろうから、沢山食べていくといい」
「やった!部長の家のご飯美味しいから嬉しいっす。
母さんに夕飯いらないって連絡しないと」
「そうしてくれ。食後にはケーキもあると言っていたな」
「うん!でも、いいの?
部長の誕生日なのに、俺ばかり得している気がするけど」
「構わない。お前が側に居てくれることが、俺にとって何より嬉しいことだからな」

学校から大分離れて人通りも少なくなったからだろうか。
本音を語る手塚に、リョーマの頬が赤く染まった。
誤魔化すように、慌てて話題を変える。

「そうだ!プレゼントと言えば……」
「どうした」
「朝練の時に乾先輩が言っていたけど、
何も用意していないなら、今日は思い切りサービスするって言ってみればってアドバイスされたけど、
そんなのは嬉しくないよね?」

馬鹿馬鹿しいと笑うリョーマと反対に、手塚はふっと真顔になる。

「いや、嬉しいぞ」
「……部長?」
「そういうことなら大歓迎だ。むしろ何よりのプレゼントだ」
「え?……え!?」
「家に着いたら、俺の部屋へ直行するか」
「ちょっと待って。夕飯は?」
「まだ時間がある。それまで有効に過ごそう」
「そんなの嫌っす。おばさんもおじいさんもいるんでしょ!?」
「安心しろ」
きりっとした顔で、手塚は言った。
「声を出さないよう互いに努力すればなんとかなる」
「それってちっともなんとかなってないから!」
「さあ、行くぞ。越前」

どうやら手塚の中のスイッチを押してしまったようだ。
後悔しても遅い。
引き摺られながら、家へと連れて行かれる。






結局リョーマは手塚の欲しいだけ‘プレゼント’を与えることになり、
翌日の朝練に不参加という事態を迎える羽目になる。

来年はこんなことにならない為にも、ちゃんとプレゼントを用意しておこう。

それが自分の為にもなると、痛む腰を抑えながらリョーマは心の中で誓った。

終わり


2010年10月04日(月) 2010年跡部誕生日話 

リョーマの呼び出しに、跡部は内心動揺しながら青学へと向かった。

「今日、誕生日でしょ。プレゼント用意してあるから取りに来てくれる?」

渡しに行くから、ではなく取りに来いというのが実にリョーマらしい。
が、そもそもプレゼントを用意してあるということ事態が不自然だ。
何か企んでいるんじゃねえかと、跡部は体を震わせた。

確かに今日が誕生日だと前からしつこい位、リョーマに念押ししていた。
そうでもしなければ忘れられる危険があるからだ。
相手がいるのに一人で誕生日を迎えるなんて寂し過ぎる。
だから忘れるなとお願いする跡部に、
「しつこい」とリョーマは一言で終わらせてしまう。
ひょっとして無視されるのでは、と懸念していたが、
昨日入ったリョーマのメールで最悪の結末は免れることが出来た。

しかしまだ不安は残っている。

リョーマからのプレゼント。
嬉しくないはずがない。
それが何であれ、リョーマからもらうものは全て宝のように扱うだろう。
家宝として飾っておきたい。
全力で永久保存するつもりだ。

けれど。
(越前が俺様にプレゼント?一体どういう風の吹き回しだ……)

問題はそこにある。
付き合っているとはいえ100%リョーマのペースに合わされ、
気にいらなければ無視され、
手を出そうとしたら拳や足が出て、
甘い空気とは無縁な時間を今まで送って来た。

ここへ来てプレゼントなんてしおらしいことを言い出すとは、何かおかしい。
陰謀の臭いがする、と跡部は思った。

(ひょっとして期待させておいて「やっぱり嘘」と笑うつもりか?
いや、それでも俺様は挫けねえ。
これも愛の試練だと思って、耐え抜いてみせる!)

何しろほぼ強引に付き合うことをリョーマに承諾させた身なので、
立場は圧倒的に跡部の方が弱い。
未だに手を出させてくれないのが、良い証拠だ。

それでも好きだから、一緒にいられるだけでも幸せを感じている。
このまま付き合っていれば、キス出来る日も来ると前向きに考えている。

(それ以上のことは直ぐには無理だろうな……。
だが、焦るな。じっくりと攻め落とすこともまた楽しいからな)

自分に言い聞かせて虚しくなりそうになったが、慌てて気を引き締める。

とりあえず今日、リョーマが何をくれるか確認しなければ。
どんなものでも喜んでみせよう。
罠だったら、笑って許す位の心の広さを示してみせよう。

覚悟を決めて、跡部は青学の正門前に立った。

「何だ、早いじゃん」
リョーマの声に顔を上げると、走ってこちらに向って来る所だった。
「あんたがそこで突っ立っていると目立つから嫌なんだよね。早く車に乗ろ」
「あ、ああ」
跡部はリョーマを連れて、今ここまで送ってくれた自家用車に乗り込む。

「とりあえずあんたの家に行こうか」
「そうだな」
ちらっとリョーマの持ち物を確認する。
プレゼントらしい包みは無い。
いつものバッグに仕舞いこんであるとしたら、そう大きなものでは無いだろう。
いや、そもそも何も無いなんて可能性も……。

頭の中で色んなことを考える跡部に、
リョーマは「どうしたんすか?」と顔を覗き込んで来る。
「妙に静かだけど、大丈夫っすか。具合でも悪いとか?」
「いや、そういうわけじゃ」
「何か顔色もあんまり良くないよ……?」

そっと、額に手を置かれる。
初めての行為に、体が硬直してしまう。
リョーマに触れることは滅多に無い。
むしろ「触んな!」と蹴られる方が珍しくない。

鼓動を速くしていると、
「今度は顔が赤くなって来た。熱があるかもしれない」と、心配そうに言われる。

「家に着いたら横になった方がいいかも」
「平気だ。この位何ともねえよ」
「けど」
「今日は少し長い時間、一緒に過ごして欲しい」

真剣な目でリョーマに訴えると、
少し驚いた顔をした後、「わかった」と頷くのが見えた。


屋敷に到着して、二人は直ぐ跡部の自室へ直行した。
誕生日だが両親は海外で仕事中だ。
プレゼントだけは航空便でと届いたので、忘れてはいないらしい。
そのことだけでも感謝している。
子供の頃は寂しいと思ったが、今ではいない方が気兼ねなく過ごせる。

それに今日はリョーマがいるから言うこと無し、と浮かれ気味にソファに腰掛ける。
広いソファなので、隣にリョーマが腰掛けてもまだ余裕がある。
同時に入って来た使用人が飲み物とケーキをテーブルに用意して出て行く。

「これ、誕生日ケーキっすか?」
丸ごとホールのケーキを見て、リョーマは目を丸くしている。
恥ずかしいことにケーキにはちゃんとロウソクが刺さっていて、火が灯っていた。
使用人達からの気持ち、ということらしい。
「ああ」
「二人じゃ食べきれないかもよ」
「じゃあ、持って帰れよ。どうせお前が食べるだろうと思って用意させたものだしな」
「え、いいの?」
「ああ。俺様は一切れ位で充分だからな」
「やった!」
子供のようにはしゃぐリョーマに、跡部は目を細める。
いつもクールだが、ふとした拍子にこんな可愛い表情を見せてくれる。
だから、ますます好きになって行く。

「じゃあ食べる前に願い事して、火を消して」

リョーマの笑顔があまりにも可愛くて、写真に撮って残しておきたい位だと思った。
だが今の雰囲気を壊したくなくて、言われるまま一本、一本ロウソクの火を消していく。
最後のを消したと同時に、リョーマがパチパチと手を叩いた。

「誕生日おめでとう」
「ああ。ありがとうな」
「これ、プレゼントっす」
がさごそとバッグの中を探り、小さな紙袋を取り出す。
一応、リボンでラッピングされている。
「言っておくけど高いもんじゃないからね」
「バーカ。そんなものより気持ちだろ。ありがとうな」

言いながらも跡部はまだこの時点でも半信半疑だった。
中から「騙されたな、馬鹿」と書かれた紙が出て来るオチかと疑いつつ、紙袋を開ける。

しかし中身を見て、自分が間違っていたことに気付く。

「リストバンドか。お前の使っているメーカーと同じだよな」

リョーマが使っているものの色違いの黒だ。
意外に普通のものだったと、拍子抜けしてしまう。

「そんなのいっぱい持っているだろうけど、替えとして使ってよ。
あっても困らないでしょ」

相変わらず生意気なことを言いつつ、リョーマは横を向いて紅茶を飲んでいる。
けれど、頬は少し赤い気がする。
慣れないことをして照れているのか。

「いや、有り難く使わせてもらう。……そうじゃないな、使うのは勿体無い。
飾っておくか」
「ちょっと!そんな大したものじゃないから、使ってよ。
外だと誰かに何か言われそうだから、俺とテニスする時だけでも」
「そうだな」

リョーマの腕には紺色の色違いのものがあるはずだ。
色違いなんて恋人らしいな、とにやけてしまう。

「ありがとうな、越前」
「別に。誕生日だからね。
跡部さんにはいつもお世話になっているし」
「それが理由か?」
「……」

無言でリョーマはこちらをちらっと見てから、首を横に振る。

「今日位、その、恋人らしいことしても良いかなって思っただけっす」
「越前っ!」
それを聞いて跡部はたまらなくなって、直ぐ横に座っているリョーマを抱き締めようとした。
が、リョーマが手に持っていた紅茶のカップが揺れて、跡部の膝に中身が掛かってしまう。

「熱っ!!」
「だ、大丈夫?」
備え付けの布巾を咄嗟に掴み、リョーマは跡部の膝を拭き始める。
「全くもう、何してるんすか」
「いや、つい感極まって」
「急に抱きつこうとするからバチが当たったんだよ」
「俺様が悪いのか!?」

声を上げる跡部に、リョーマはフッと笑って顔を上げる。

「うん」
「肯定すんなよ」
「抱きつく時はよく状況を見ないと、また痛い目に合うかもよ?」
「う……」

何度も拳や蹴りを入れられている身なので、今の言葉は笑えない。

硬直していると、リョーマは布巾をぽいっとテーブルに放り投げて、
それから一歩踏み出して、すとんと跡部の膝に乗って背中に手を回して来た。

まさかの急展開に、跡部は目を大きく見開く。

「今日だけは、特別」
「越前」
「誕生日、おめでとう」

もう一度祝いの言葉を口にして、リョーマはそのまま体重を預けてくる。

多分、これ以上は何も出来ない。
やったら最後、どうなるかは身に沁みてわかっている。

だから少しでも長くこの幸せな時間が続くようにと、跡部はじっと動かないようにする。


(今年でこの距離まで来たということは、……来年は間違いなくいけるな)

頭の中は邪なことでいっぱいだが、
悟られないように必死で平静な顔を作り続けた。



終わり


2010年10月02日(土) 04.理由が見付からない

’伴爺に捕まって少し遅れる。すぐに行くから、絶対待っててよ!’

千石からのメールを開いて、リョーマはどうしようかと考えた。
部活が終わっても千石の姿が見えないことに何かあったのかと思ったが、
そういうことかと納得する。

大方いつもこちらに来る為に山吹の練習を抜け出す千石を監督が捕まえて、
懇々と説教としているいるのだろう。

浮気はするけれど、千石はリョーマとの待ち合わせをすっぽかしたことはない。
どんな浮気相手よりも、リョーマのことを考えてくれる。
嘘をついてまで、他の女のこと一緒にいようとはしない。
だからリョーマもそのメールは本当だと信じることが出来る。

(30分は掛かるよな……しょうがない)

待っている間どうしようかと、部室を出て辺りを見回す。
ちょっと疲れたから、どこか適当なところに腰を下ろして少し眠ってしまおうか。
遅れて来ても、千石はきっと見付けてくれるhず。

そうしようと決めたリョーマは、早速手ごろな場所に座ろうとした。

が、
「おチビっ!まだ残ってたの?」と声を掛けられる。
顔を上げるまでもなく、その声で菊丸だとわかった。

「珍しいー。いつもならさっさと部室から出て行くのに。何してんの?」
「菊丸先輩こそ、まだいたんだ」
「あ、その言い方は何?居ちゃ悪い?」
「いや、そうじゃないけど。なんで抱きついてくるんすか?」

あっという間に近付いて来た菊丸は、リョーマの肩に手を回し、
横から抱きしめてくる。

「だって、おチビってちょうど良いサイズだから、抱きしめたくなるんだもん」
「はあ」

重い……、とリョーマは小さく呟く。
菊丸が自分のことを気に入ってくれているのはわかる。
抱きつくのも親愛の表れだということも。

しかし、こうしょっちゅう抱き付かれると疲れてしまう。
背が高い分、菊丸の体重は重い。寄り掛かられるとちょっと辛い。
それに千石を待っている時に、誰かと一緒というのも少々困る。

あれでいて千石は結構嫉妬深い。
自身のことは棚に上げて、リョーマに近付く者全てを気にしている。
こんな所を見られたら、またうるさく騒ぐに違いない。


「ん?どうしたの、おチビちゃん。眉が寄ってるよ?」
「菊丸先輩がいつ放してくれるのか、考えています」
「もー、酷いなあ。どうせ千石のこと待っているんでしょ?
それまでの間、俺とお喋りしようよ」

ね?と了承も聞かずに菊丸はリョーマを再び部室へと引っ張って行く。

「ちょっと、何してんすか?先輩は帰らないの?」
「俺は大石待ってるところ。さっき手塚と先生のところに行ったから、しばらく掛かるかも。
だからその間だけ、俺と一緒にいてよ」
ふざけているけれど、菊丸の手の力はリョーマよりも強い。
体が小さいとこういう時不便だよな、とリョーマは引き摺られながら思った。
振り切って逃げることも出来ない。
結局、菊丸にされるがまま、部室へと入ることになってしま。



「で?俺となんの話がしたいって?」
「いやーん、おチビっ、刺々しいぞっ」
「……そのふざけた口調、なんとかして下さい」
疲れる、と肩を落とす。
すると菊丸があやすように背中を優しく撫でて来た。

誰の所為で疲れたと思っているんだ。
呆れた目を向けると、菊丸はにこっと笑顔になった。

「俺、前からおチビに聞いてみたいことがあったんだ」
「何すか」
「なんで千石と付き合っているのか、ってことだよ」
「直球っすね」
「うん。思ったことを聞いただけだから」
「……答える義務は無いでしょ」
「でも、心配してるんだよー?
俺だけじゃなく大石も手塚も、他の皆も」
「興味半分もあるでしょ」
「まあね。でもさ、千石の噂って俺らの耳にも一応届いているわけでしょ。
そりゃ心配もするって。
大事な大事なおチビが騙されているんじゃないかって、思うだろ?」
よりによって千石なんてー、と、菊丸は大袈裟に溜息をつく。

言い分もわかるだけに、リョーマは強く反論することが出来なかった。

(そりゃあれだけ女たらしとか、ナンパとか、
そんな噂ばっかりじゃ先輩達も心配するか)

とりあえず誤解だけは解いておこうと、口を開く。

「騙されてなんかいないっすよ。
俺、清純が浮気しているのもわかってて、付き合っているんだから」
「えっ、そうなの?それでおチビはいいの?浮気だよ、浮気!」
何で怒らないの!と叫ぶ菊丸に、リョーマは冷静なまま答える。

「だって清純が一番好きなのは俺だから。
色々余所見しても、結局俺のところに帰って来るんすよ。
だから先輩達も心配する必要は無いんじゃないかな」
「いや……十分心配でしょ。
あのさ、恋人が他の人に触れたり、触れられたりするのって、嫌じゃにゃいの?」
「別に。俺の知らないところでやっているのなら。
それに俺自身があんまり清純のペースについていけないんだよね。
毎日部活と自主練で疲れているから。
相手してくれる人がいるのなら、それはそれでいいかなって」
「おチビ……。そういう考えもちょっと変だよ?
なんでそんなこと言うかにゃー」

俺の中にあるおチビのイメージが、と菊丸は頭を抱える。
そんなもんが何だ、とリョーマは鼻で笑う。

「だから言ったでしょ。心配するようなことは無いって。
俺達は俺達なりに上手く行っているんだから」
「うーん、わかったような、わからないような。
千石がおチビのことを一番に好きで、浮気しても戻って来るんだよね。
じゃ、おチビは千石の何がよくて付き合ってるの?
今の話だと別に千石じゃなくったっていいような気がするんだけどにゃー」

問われて、リョーマは考えた。
今まで理由なんて気にしたことが無かった。
半ば強引に押し切られて付き合いを承諾したというのが、二人の始まりだった。
それでも、今日まで別れを考えたことはない。
やっぱり千石のことが好きだから、付き合っているんだろうなと自分でも思う。
じゃあ、どこが良い所を挙げるとしたら、なんだろう?

少し考えて、リョーマは一つ思いついた。

「やっぱり体の相性かな?」
「え!?おチビ、今、何て言ったの!?」
「いや、体の相性が付き合っている理由じゃ駄目っすかね」
「千石はおチビに一体何教えてるんだよ!
ああ、おチビが知らない内に大人になっていくー!」
「別に大騒ぎするほどのもんじゃないと思うけど」
「冷静に言うな!色々とイメージが壊れるんだよっ!」
「はあ、そうっすか」

大騒ぎする菊丸に、リョーマは溜息をつく。
この後どうしよう、と悩んでいると、
部室のドアが勢いよく開かれた。

「リョーマ君、やっぱりここに居た。
どこかで寝てるかと思って探したけど、居なかったからここだと思った」
「清純。思ったより、早かったね。着いたなら、探す前に電話くれればいいのに」
「それはほら、リョーマ君のことは自分で見つけたいから」
「ふうん?」
まあ、いいかとリョーマは立ち上がった。

「お前ら、ここにいる俺のことは無視かよ」
二人の会話に、菊丸が声を上げる。
「あ、菊丸先輩。バイバイ」
「バイバイ、じゃないよ。ちょっと俺は千石に言いたいことがあるのに」
「菊丸君が、俺に?」

千石は目を瞬かせて、菊丸の方へと視線を移した。

「おチビにあんまり無体なことすんなよ。
うちの大事なルーキーなんだから」
そう言って菊丸は素早く立ち上がり、リョーマの体をぎゅっと抱き締めた。
千石はそれを見て、目をぎょっと見開く。
そして不愉快そうに「わかったから、離れて」と笑顔で、だけど鋭い視線のまま二人を引き離しに掛かった。
千石のそうした態度に、菊丸は渋々リョーマの体に回していた腕を引っ込める。

「本当にわかったのかにゃー?」
「わかってるよ。これでもあんまり無茶しないように、セーブしているから。
リョーマ君がちゃんと部活に出られる位にはね」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくって」

菊丸は再び文句を言おうとしたが、口を閉じた。
リョーマがいいと言っているのだから、これ以上の反論は無意味でしかない。
一応、千石には釘を刺した。
だったらもう、自分の言うべき言葉は無いのだろう。

「あ、もういいよ……俺もちょっとお節介が過ぎたみたい」
「菊丸先輩?」
「おチビが選んだことだもんね。俺は黙って見守ることにするにゃ」
「はあ」
リョーマが頷いたところで、千石もそれまで険しかった表情をふっと元に戻した。

「それじゃ、俺達は帰るから。行こう、リョーマ君」
「あ、うん。またね、菊丸先輩」
「うん、またねー」

手を振って菊丸は二人を見送った。
そしてまたベンチに座り込む。
慣れない世話なんて、焼くものじゃない。
手塚のように真っ直ぐに諭すことも、大石のように優しく心配していることを伝えることも、
向いていない。

「でも、黙っているだけっていうのも、向いてないんだよなー」
頭を掻いたところで、「英二、待たせたな」と大石が部室に入って来た。
「今そこで千石と越前に会ったよ。ここで二人と一緒にいたのか?」
「あ−、まあ、ちょっとだけね。
心配するなって言われても、やっぱり心配しちゃうよなあ」
「英二?」
「よりによって、相手が千石だもん。心配だにゃー」

頭を抱える菊丸に、大石は何があったかわからず、きょとんとその場に立ち尽くした。





「で、菊丸君と何話していたの?
なんか敵意のある目を向けられた気がするんだけど」
リョーマの横に立って話す千石の顔は、少し強張っている。
またくだらないことを考えているのかと、リョーマは鼻で笑った。

「清純の普段の行いが先輩達の耳に届いているから、心配しているんだって。
バレるような浮気をするなって、だからいつも言っているのに」
「してないよ!最近はしてない!
やだなあ、そりゃ過去は色々遊んでいたけど、今はリョーマ君だけなのにー」

まずいと思ったのか、千石はやけに必死で弁明してくる。
最近は、というのが怪しい。自白していることに気付いていないのか。
そりゃ先輩達も心配するな、とリョーマは思った。

けど、必死に言い訳してくれる姿が可愛いから、今は聞き返すことなく放置することにした。
どうしてこんな情けない表情が、心に響くんだろう。
それこそ今見捨てたら、明日も生きていけないような千石の顔に、
見惚れてしまう。

(あ、そういう所が好きって、理由になるのかな?)

「リョーマ君?聞いてる?」
千石が不安そうに呼ぶ声に、リョーマはハッと我に返った。

「あ、うん。聞いてる」
「本当に?菊丸君の言うことに耳を傾けた所為で、俺と付き合ってることを考え直そうとしていない?」
「してない」
「でも菊丸君と親しそうだったよね。抱き付かれても抵抗していなかった!」
「そんなこと気にしてたのかよ?」

ぺしっとリョーマは千石のおでこを叩いて、先を歩いて行く。

「清純が遅刻するから、悪いんでしょ。今日は気の済むまで奢ってもらうから」
「え、なんでそうなんの!?」
「さっき、最近は浮気してないって言ってたよね。
じゃあ、その前は?どうだったの。え?」
「………奢らせて頂きます」
「よろしい」
「でも今、お小遣い前だから手加減してもらえると嬉しいかなって」

顔を青くして訴える千石に、リョーマは少しだけ手加減してやるかと、小さく笑った。


まるで駄目な子に教育している気分だけど、
好きという気持ちがあるだから、付き合っていることに間違いは無い、はず。


今ここにある感情だけを信じていればいい。

そう思って、トボトボと後ろを歩く千石を急かす為に、
リョーマはその腕を強く引っ張った。



2010年10月01日(金) 03 全て、君次第

今日の千石はご機嫌だった。
小テスト直前に開いたページがたまたま出題されて、簡単に問題を解くことが出来たり、
購買でいつもはすぐに売り切れる人気のパンを購入に成功。
午後は教師の都合で急に自習になって、
その間にクラスの女子達と楽しくお喋りをして、今度遊びに行く約束も取り付けた。
部活の時間も苦手な顧問が不在だった為、勝手に早めに切り上げて青学に向かった。

到着しても、リョーマはまだ部活に励んでいる頃だ。
部活動に励む青学の女子達の生足を拝む余裕は十分にある。
楽しみ、と千石は浮き浮きとした足取りで歩いていた。
それはそれは、ご機嫌だった。

この瞬間までは……。



「越前君、これっ、読んで下さい!」
「あの、ちょっと」

顔を真っ赤にして一人の女子生徒が去って行く。
背丈は、リョーマと同じ位。多分、一年生なのだろう。
立っている千石に気付くことなく、行ってしまう。

後には手紙を押し付けられて呆然としているリョーマだけが残されていた。


「リョーマ君、モテモテだね……」
低い声を出して近付くと、リョーマは千石に気付いてぎょっとしたように目を見開く。
「見てたの!?いつからそこに居たの?」
「今、来たばかりだよ。
そうしたらリョーマ君が告白されているのを目撃しちゃった」
「告白されたわけじゃない。手紙を渡されただけ」
「へえ。告白じゃないのなら、何かなあ。
じゃあ、そこに何が書かれているか教えてよ?」
「……それはさすがに、ちょっと」
「ほら、リョーマ君だってわかっているんでしょ?
なんで、俺がこんな場面を目撃しなくちゃいけないんだよ!」
「なっ、逆切れかよ。俺の所為じゃないのに」

やれやれ、と肩を竦めるリョーマに、千石は悔しげにその場で足踏みをした。

「リョーマ君が格好いいから、告白されちゃうんでしょ!?
なのにふらふらと一人で水飲み場まで歩いて来るなんて、無防備過ぎる!
告白するチャンスだよって、誘ってんの?」
「どういう理屈だよ……」
「とにかくリョーマ君はもっと気をつけるべきだよ。
いつだって色んな所から狙われているんだから」
「それは清純の妄想なんじゃないの」
「違うよ!もう、なんでわからないのかなあ」

さっきまでは上機嫌だったが、たちまち下降していく。
リョーマは自覚していないのだが、実はとてもモテる。
一年生なのに青学テニス部でレギュラー、その上この容姿だから女の子が放っておくはずがない。
ラブレターを受け取った(押し付けられた)のを見たのは初めてだったが、
リョーマの部屋に無造作にいくつか散らばっていたことも知っている。
悪いと思ったが、リョーマが席を外している隙にこっそり見て、とても嫌な気分になった。
『俺のリョーマ君に勝手に好きなんて、言うなよ!』
そんな勝手な怒りに震えたこともある。

その気になればリョーマはいくらでも女の子と付き合うことが出来るだろう。
だからこそ、不安だ。
決してリョーマは男が好きなんじゃない。
千石が押して押して、最後に根負けして付き合うことになっただけ。

もしも、女の子の方がいいと言い出したら。
千石に勝ち目は無い。

泣きそうな目でリョーマを見ると、
「なんて顔してんだよ」とリョーマは笑った。

「あんた、本当に馬鹿だよね。
自分は浮気をいっぱいしているくせに、俺は告白されるのも駄目なのかよ」
「だって俺は全部遊びだけど、リョーマ君はわからないじゃん。
可愛い女の子を見て、いいなって思うこともあるでしょ?」

千石の問いにリョーマはあっさりと「そうかも」と頷く。

「……そこは否定して欲しかったなあ」
「年中、女に目を向けてるあんたが言うな」
「だって、さあ」

千石が女の子を見るのは習慣みたいなものだ。
そこに恋とか、好きとかいう感情は一切含まれていない。
たまに浮気もするけど、それはリョーマと会えなくなった時に相手が寄って来た場合だけ。

でも、リョーマは?
誰かに感心を向ける時は、既に本気で相手のことが好きになっているからではないだろうか。
それが女の子相手なら、千石にとってまずい展開になる。

どんな綺麗な顔をしていても、リョーマだって男だ
女の子の柔らかい体の方がいいと思ったら、二度とこちらに振り向くことは無いだろう。

「俺は、リョーマ君に捨てられるのが怖いんだ」
必死に千石がそう訴えると、
リョーマは深い溜息をついた。

「いつもバレるような浮気してるやつが何言ってんの」
「……全くその通りです」
「そう思うんだったら、少しは隠す努力をしろよ。
俺がどんな気持ちになるか、今日のことでわかったんじゃない?
ちょっとは考えてよね」

あげる、とリョーマは先程の女子から押し付けられた封筒を千石に差し出す。

「え、これ、なんで俺に?」
「清純の気が済むようにすればいい。
元々、応えるつもりもないから」
ニッ、と笑って、リョーマは帽子を被り直す。

「大体、余所を向く余裕なんて俺には無いよ。
清純みたいに手の掛かるような奴と、付き合っているんだからね」
「リョーマ君……!」

生意気そうに笑うリョーマの顔が本当に格好良くて、
千石は見惚れてしまう。
何度でも恋に落ちてしまう。
好きという気持ちが大きくなっていく、そんな感覚を知ったのもリョーマと付き合ってからだった。

「じゃ、俺、コートに戻るから」
「えっ、今から俺と帰るんじゃないの?ここはそういう流れでしょ?」
「バカ。早く戻らないと、グラウンド20周させられて、もっと遅くなるよ。それでもいいの?」
「よくないよ……」
「わかったら、そこで大人しく待ってること。
誰かに声掛けて、ついて行ったりしたら怒るからね」

わかった?、と、ピッと伸ばした指が顔の前で止まる。
千石はコクコクと何度も頷いた。


「じゃあねっ」
ダッシュでコートに向かう後ろ姿に、
千石は(これって、まるで駄目な犬に躾する飼い主みたいな構図……)と、苦笑した。

それでも二人は幸せだから。

ハプニングに遭遇して青学女子の生足は拝めなかったけど、
リョーマの気持ちが聞けたから、やっぱり今日はラッキーな日だ、と頷いた。


チフネ