チフネの日記
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2010年05月31日(月) miracle 27 真田リョ

翌日、幸村に呼び出された真田は意気揚々と病院へと向かった。
呼び出しがなくとも行くつもりだったからだ。
リョーマとの会話で得た情報を是非幸村に伝えたい。
真田の心はそんな善意で占められていた
だから何故呼び出されたかなんて、まるでわかっていない。
リョーマと二人きりで会ったことで幸村が気分を害したとか、想像すらしないのだ。


朗らかな顔をして入って来た真田に、
(どうやら何一つ察していない、か)と幸村は額に手を当てた。

「……忙しい所、呼び出して悪かったね」
「何を言うか。俺の方こそお前に伝えたいことがあったから、丁度良かった」
「へえ。どんな話?まあ、そこに座って聞かせてよ」
「ああ」
ベッドの脇に置いた椅子にどっしりと腰を下ろし、真田は少し興奮した面持ちで口を開く。
幸村の役に立てる。そのことで頭が一杯だった。

「実は昨日、越前と会って重大なことを聞き出した」
「……二人で会っていた理由は後でじっくり話してもらうおうか。
今はまず、そちらの言いたいことからどうぞ」
「うむ。実は越前がどんなタイプが好きなのか俺なりに探って、そしてその回答を得たのだ」
「へえ」

案外やるじゃないかと、幸村は目を見開いた。
恋愛話に疎い所か脳にインプットされていないんじゃないかと思われる真田が、
「好きなタイプ」を聞き出して来たとは。
すごいことだと、素直に感心してしまう。

「好きなタイプか。どんな風に言っていた?」
当然、重要な情報は把握しておきたい。
幸村は先を促した。
真田は真面目な顔をして「ポニーテールが似合う子だ」と言った。

「ポニーテール?意外な回答だね……」
変な所にこだわりでもあるのだろうかと、幸村は首を傾げた。
だがあまり役に立ちそうにないなと思った瞬間、
「そこで考えたのだが、どうだ、幸村。髪を伸ばしてみないか」と、真剣な表情をした真田に言われる。

「髪を?なんで?」
「伸ばしてポニーテールにしてみたらどうだろうか。
きっとお前なら似合うはずだ。
越前の好みに近付けたら、今より進展すると思うのだが」
「……」

からかっているのではないということは、顔を見てわかった。
しかし、(そうきたか)と幸村は苦笑した。
真面目な男だと思っていたが、ここまでとは。
女の子ならともかく、男にポニーテールをしてはどうかと勧めるとは予想していなかった。
仕方なく「考えさせてもらうよ」と曖昧に答える。

「うむ、そうだな。参考になれば幸いだ。
実現しやすいものだったから、是非報告せねばとずっと考えていた」
「へえ。俺のポニーテール姿って実現しやすいものなんだ……」
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない」

ハハッ、と乾いた笑いを浮かべる。
嫌味も通じない。
やりにくいな、と幸村は眉を寄せた。
悪意が無いだけ、遠まわしな言い方ではわからないのだろう。
しかしハッキリ言えば色々考えて落ち込む可能性が高い。
それがリョーマに伝わるのはもっとまずい。
リョーマの中にある‘病気に耐えつつも頑張っている健気で優しい人’というイメージは出来るだけ崩したくない。
だからこそ慎重にする必要があった。

「あのさ、真田」
「何だ」
「君がそうして調べてくれるのは嬉しいし、助かるよ。
だけど二人だけで仲良く会ってると聞かされて、ちょっと寂しいなと思って」
幸村の言葉に、真田はハッとしたように顔を上げる。
やはり言わなければわからなかったのかと思いつつ、先を続ける。
「だから君達だけで会うのは、もうこれっきりにして」
「わかったぞ、幸村」
心得たとばかりに、真田が頷く。
「そう、理解してくれたんだね」
「ああ。越前も同じようなことを言っていたからな」
「えっ、どんなこと?」
「実は昨日、是非二人で一緒に見舞いに行こうと話をしていた」
「一緒に……。いや、それは二人きりにさせてくれた方がありがたい、かな」
「大丈夫だ。越前はお前のことをちゃんと気に掛けている」

自信満々に言う真田に、
(チッ。察しろよ)と幸村は心の中で舌打ちをする。
どうにかして言い包めなければと口を開き掛けたその時、
「幸村君。明日の検診のことでちょっと良いかしら」と看護師が入って来た。

「あら、お友達が来ていたのね」
「いえ。もうお暇します。それじゃまたな、幸村」
「あ、ちょっと話はまだ」
「失礼する」

さっさと帰って行った真田に呆然としてしまう。
人の話を聞けというのに。
恐らく昨日の成果を報告したことですっかり満足してしまったに違いない。
とはいえ、看護師を前に強引に引き止めることも出来ずに、仕方なく大人しくベッドに背を預ける。

(今度しっかり言い聞かせればいいか……)

機会はいくらでもあるさ、と内心で呟く。
悠長に出来るのも真田が自分を差し置いて出し抜く可能性がゼロだと確信しているからだ。
たとえ真田が内にあるリョーマへの好意に気付いたとしても、それを口に出すことは、
『絶対に無い』。

それだけは断言出来る。
あれ程正直で義理堅い男が、友人の好きな人だとわかっている相手に手を出すはずがない。
自分の気持ちに気付いても、黙って身を引く。
真田とはそういう男だ。
幸村はその点をよくわかっていた。
だからこそ「リョーマが好き」ということをわざわざばらしたのだ。
先に言ってしまえば、真田の方で勝手に遠慮してくれる。
勿論、今は友人として接しているだけだから抜け駆けしているつもりは無いのだろうが。

(真田の性格を知った上でやったことだ。
卑怯なことかもしれない。
けど、俺だって必死なんだ)

自分の知らない所でリョーマが誰かと仲良くしている。
考えただけで胸が苦しい。
その相手が真田だとしたら、尚更許せない気持ちになるのも当然だ。

(お前には俺の苦しみはわからないよ。
自由に外で会える。
そんな些細なことも幸せだと気付かない内は……)

「幸村君、聞いてる?」

他事を考えているのがばれたのか、尋ねて来た看護師に慌てて愛想笑いを浮かべる。
そして今度こそちゃんと話を聞く為に、顔を上げて向き直った。




2010年05月30日(日) miracle 26 真田リョ

幸せそうに抹茶あんみつを口に運んでいるリョーマを見ていると、ほのぼのとした気持ちになる。

気の許せる友人との時間はこんなにゆったりしたものだったのかと、真田は思った。

「食べないんすか?」

真田の手が止まっていることに気付いたリョーマに、じっと上目使いで見られる。
そして視線は皿に乗っているクリーム大福へと移る。

特に食べたいものがなかったので、真田は和菓子と抹茶のセットを注文した。
何種類もの中から選べるといもので、この時期限定だという大福にしたのだが、
それでもどうしても食べたいという気持ちは無かった。

リョーマがあんみつを注文しているのに、自分だけ飲み物だけでは格好つかないという理由だけで頼んだだけだ。

「良かったら、半分食べるか?」

皿を差し出してやると、リョーマはきょとんとした表情でこちらを見る。
いいの?と、言いたげな顔だ

「実はあまりお腹が空いていない。食べるのを手伝ってくれると、助かる」
そう付け加えると、「了解」と言いながらもリョーマは嬉しそうに皿を手に取る。

こういう所は子供っぽくて、実にわかりやすい。
真剣に悩みを聞いてくれたり、一生懸命アドバイスをしようとしてくれた時とはまた違う顔だ。

越前リョーマは色んな表情を持つ魅力的な人物だと、真田は分析するように内心で呟く。

幸村が惹かれるのもわかる気がした。
同性とかそんなのは些細なことだと、好きになるのも無理はない。
一見、生意気そうだが親身になって相談に乗ってくれたり、心配もしてくれたり、
幸村に対しては神奈川まで何度もお見舞いに来るという律儀な面を持っている。

それに、今まで意識はしていなかったがなかなか可愛らしい容姿をしている。
幸村が彼を好きだと言ってから、気付いたことだ。
同性に恋するなんて、と思ったこともあったが、
リョーマの容姿を改めて見るとそんなのどうでもよくなるな、と感じた。
二人が並んでいる所を想像してみると、違和感無くしっくりと来る。
だから真田としても幸村の恋が叶うといいと、心からそう願っていた。

「これ、あんこだけじゃなく中にクリームとフルーツが入っているんだ。
珍しいね。それにすごく美味しい……」

クリーム大福を半分に割って、頬張っているリョーマの姿はとてつもなく幸せそうだ。
同じテニス部の丸井みたいだな、と思った。
彼も甘い物を食べている時はこのような顔をしている。

「越前は甘い物が好きなのか?」
「うん。でも海老せんべいとかも好きっす」
「ほお。そうなのか」
ケーキやジュースといった系統のものに囲まれていそうなイメージだったが、
せんべいとは渋いものも好むらしい。

「うん。ちょっと前まで揚げてあるやつに嵌っていたんだけど、
今は薄くてパリパリしているやつが好きで、よく食べてるんだ」
「一つ、聞いてもいいか?」
「何すか?」
「よく間食しているようだが、それで夕飯も入るのか?」
「真面目な顔をして何を聞くかと思えば、そんなことっすか」
くすっと、リョーマは笑った。
「余裕っす。育ち盛りなんで」
「……」
「あ。今、それだけ食べているわりには身長が全然伸びていないって思わなかった?」
「そんなことは無いが……」
心を見抜かれたかと冷や汗を掻く真田に、「いいけどね」とリョーマは横を向く。
「いつか成長して驚かせてやるから。
その時は真田さんよりでかくなってるかもよ」
「そうか。まあ、頑張れ」
「何すか。そのやる気の無い声援は!」

ムッとするリョーマに「すまん」と一応謝罪する。
だが自分よりでかくなるのは無理そうだと、心の中で思った。

「ところで、結局話したいことって何だったんすか?」
身長の話題から変えようとしているのか、リョーマの方から軌道修正を口にして来た。

「あ、いや……」

恋人はいないことは聞いた。なら次に聞くのは?
動揺しつつも、真田は質問しなければと口を開く。

「その、お前の好みのタイプは、どんな感じなのだ?」
「えっ。何それ。何かのアンケート?」
わけがわからないという顔をして、リョーマは首を傾げる。
「まあ、そんなもんだ」
「ふーん。変なの」
「とにかくどんな人が好きなのか教えてくれないか。
儚げとか、芯はしっかりしているとか、リーダーシップがあるとか色々あるだろ」

リョーマの好みが幸村に近いのなら、恋が成就する可能性は高くなる。
そう思っての質問だったのだが、全く違うことを言われてしまう。

「ポニーテールが似合う子、かな」
「ポニーテール?なんだ、それは」
「知らないんすか?こう、後ろで髪を一つに束ねてるやつっす」
左手で拳を作り後頭部に当てるリョーマの仕草に、ああ、と頷く。
あれがポニーテールというのかと、今気付く。

「そういう髪型をしている子が好みなのか?」
「違う違う。パッと見て良いなと思った時があったから、好みなんて言われてもよくわからないし」
「そういうものか」

しかし良いことを聞いた。
ポニーテールなら、幸村でも出来るかもしれない。
もっと髪を伸ばすよう勧めてみるかと考える。
一瞬でもリョーマが良いなと思えるのなら、恋の切っ掛けになれるかもしれない。
今度伝えておこうと、真田は心にしっかりと留めた。

「それにしてもさっきから変な質問ばっかりしていない?」
じっと見詰めて来るリョーマに「そ、そんなことは無いぞ」と答える。
「ただの世間話だ」
「そうかな?恋人がいるとか、どんなタイプが好きかって聞いてくるなんてさ。もしかして……」
ばれたか、とぎくっとして体を強張らせる。
幸村の恋心がこんなことで知られてしまったとしたら、侘びを入れても足りないだろう。

「ねえ。もう教えてくれてもいいんじゃない?」
「それ、は」
やはりわかっていたのかと観念して目を瞑ろうとした瞬間、
「告白されたんでしょ?」と言われる。
「何のことだ?」
「惚けなくってもいいよ。恋愛の相談をしたいのなら、そう言えばいいのに。
照れて言えなかったんだよね。察しが悪くてごめん。けど真剣に聞くから」
「何のことを言っているんだ?」

変な方向へ話を持って行こうとするリョーマを、慌てて止める。

「さっきも言った通り、俺は恋愛について考えている余裕などない」
「真田さん本人が誰かを好き、とかじゃなくてもあるでしょ、そういうこと」
「何が言いたい?」
「誰かに告白でもされたんじゃないかって、そう思ったんだ。違う?」

ニヤッと笑うリョーマに、真田は首を横に振って全力で否定する。

「違う。そもそもそのようなことなど有り得ない。
俺に告白するような女子などいるわけがない」
「えっ。そうかなあ?」

そう言って、リョーマは真田の顔を見た。

「背だって高いし、顔だって格好いいと思うけど。
性格だって真っ直ぐで、誠実なのって女の子は好きなんじゃないっすか?」
「……」

褒められているのか?と、真田は思った。
そんな風に言われたのは初めてで、返す言葉を失う。
だが、驚くにはまだ早かった。

「俺が女だったら、真田さんを選ぶと思うよ」
さらりと続けるリョーマの言葉に、仰天してしまう。

「何!?」
あまりの言いようにn目を瞠った真田に、
「なんてね」とリョーマは小さく舌を出す。
「俺をからかっていたのか!?」
「ちょっと、声でかいって」
「あ……」
店員が顔を覗かせ、こちらの様子を眺めている。
我に返り、背中を丸めて小さくなる。

それにしたってリョーマの今の言葉は心臓に悪過ぎる。
冗談で良かったと思う。

だってリョーマには幸村のことを好きになってもらわらないと困る。
友人の恋を応援している立場の真田を選ぶなんて言われたら……、どうしたら良いかわからない。

黙ってしまった真田に怒ったのかと解釈したのか、
リョーマは身を乗り出して顔を覗き込んで来る。

「からかって、ごめん。
けど真田さんの悩みはちゃんと聞くから。茶化したりもしないって約束する」
「いや、越前……。告白されたというのがそもそも勘違いだ」
「えっ、そうなの?じゃあ、俺になんであんな質問したんすか?」
「それは、」
「それは?」
畳み掛けられ、真田は苦し紛れにに「甥っ子の話だ!」と誤魔化す。
「甥っ子?」
「そうだ。実は甥の左助から相談を受けてな。同じクラスに好きな女子がいるのだが、好きと伝えるか悩んでいるのだと言われた。
近頃の小学生はませていて、実にけしからん。
だが真剣に話をしている以上、無視するわけにもいかず困っていた。
もしお前がそういう話に詳しいのなら参考になればと思って色々質問をしたのだが。すまなかったな」

こんな言い訳通用するわけないと思ったが、
意外にもリョーマはあっさりと信じた。

「へえ。小学生の甥っ子がいるんすか?
しかも恋愛の相談?
うーん。子供でもその気持ちは真剣だから、たしかに無視は出来ないっすね」
納得したように頷いている。
「でもあまり力になれそうにないっす。もっとそういうの詳しい人に聞いてみたら?」
「そう、だな。そうさせてもらう」
「うん。その子の悩み、解決するといいね」

にこにこ笑うリョーマに、真田の良心がちくんと痛む。
恋人の有無や好きなタイプを聞き出し、幸村に教えてやろうなんて本当のことは話せない。
いつか二人が付き合い始めたら、その時は改めて謝罪しようと決める。


「そうだ。良かったら、もう半分も食べてくれないか?」
侘びのつもりで、再び皿をリョーマへ差し出す。
「え、いいんすか?」
「ああ。なんだかもう食欲がなくなった……」
「じゃあ、遠慮なく。
でも勿体ないなあ。こんなに美味しいのに」

言いながら、とろんと目を下げて大福を口へと運んで行く。

子猫が好物を食べている表情に似ているな。

そんなことを思いながら、真田は優しい目をしてリョーマが食べ終わるまでずっとその様子を眺めていた。


2010年05月29日(土) miracle 25 真田リョ

こちらに向かって走って来るリョーマに、真田は軽く手を上げてみせた。
小さな彼が一生懸命に走っている姿は、微笑ましいというか、小動物がちょこまかと動いているようにも見えて、可愛らしい。


「真田さん!」

いきなり大声を出されて、真田はハッと我に返った。

リョーマはすぐ真正面に立っている。
真田がぼうっとしている間に、移動していたようだ。
不思議そうな顔をして、こちらを覗きこんで来ている。

「どうかしたんすか?」
「いや、……なんでもない」

たるんどる、と真田は心の中で呟く。

今日は幸村の為に来たのだから、ぼんやりしている場合ではない。
気合を入れなければ……、とぐっと拳を握り締めた。

「それより、どこかで座って話をしないか?」
「いいけど。じゃあ、マックに」
「もう少し落ち着いた所にしないか……?ああいう所は賑やか過ぎてどうも性に合わん」

以前、リョーマい無理矢理連れて行かれたことを思い出し、顔を引き攣らせる。
周りの客が遠慮なく大きな声で会話していたのもあって、あまり良い印象を持っていない。
あれでは落ち着いて話が出来ない。

渋る真田に、「じゃあ、ファミレスは?」とリョーマは別の案を出す。

しかしそこもちょっと……と、真田は顔を顰める。
ファミレスも似たような場所だ。
案を出してもらって申し訳ないが、却下させてもらった。

「じゃあ、どこならいいんすか?俺、この辺の店とか知らないから真田さんが決めてよ」

最もな言い分に、真田は声を詰まらせる。
文句を言うのなら、自分が店を指定しなければならない。

だが、真田だって飲食店に詳しいわけではない。
寄り道など、したことないのだから。
チームメイト達は隠れて飲食しているようだが、それも校則違反だと前から憤慨していた。

でもこんな時、何も知らないとなると困ってしまう。
落ち着いて話が出来る所とはどこだ、と考えても思いつかない。
どうしたものかと、額にじわっと汗が滲んだ。

「真田さん?何で黙っているんすか?」

訝しい顔をするリョーマに、焦ってしまう。
早く、どこに行くかを言わなければ。
どこでもいい。ファミレスやファーストフード以外なら。
必死で考えていると、ふと一つの店を思い出す。

「越前は……和菓子は好きか?」
「和菓子?」
首を傾げるリョーマに、
「その、母が良く買って来る店で、喫茶スペースがあることを思い出した。
ぜんざいが美味しいと聞いているのだが、よ、良かったらどうだ」と噛みながら説明をする。

「ふうん。ま、いいよ。どこでも」
「いや、乗り気でないのなら他でも構わないのだが」
「ううん。そこに行きたい。ぜんざいって食べたこと無いから」
「無いのか」
「うん。だからすごく興味ある」
「そうか……」

ぜんざいを食べたことがないとは珍しい、と真田は思った。
人それぞれ事情はあるかと納得して、店へと向かう。
何にしろリョーマが行きたいと言ってくれて、ほっとしている。
幸いにも店は駅から近いので、帰宅するのにも困ることはないだろう。

数分程歩いて、二人は目的地に到着した。

「ここだ」

和風の店構えにリョーマは「へえー」と、物珍しそうにきょろきょろと視線を彷徨わせている。
ここの最中や羊羹は祖父のお気に入りで、母は買い物ついでに良く買って来るのだ。
喫茶限定メニューも美味しいのよ、とかなり前に話してくれたのを覚えていて良かった。

中に入ると、客の姿はほとんどいない。
お茶の時間にはもう遅いからだろうか。
これなら落ち着いて話が出来ると安堵して、案内された席に着く。

メニューを真剣に眺めているリョーマに、
「何でも好きなものを頼めばいい」と、真田は言った。
「ここは俺のおごりだ」
「えっ、でも」
「誘ったのは俺の方だ。遠慮をすることはない」

するとリョーマの顔がパッと明るく輝く。

初めて会った頃は無愛想な子供だという印象が強かったが、
こうして友人として付き合ってみると、案外色んな表情を表に出すのだとわかった。
見ていて飽きないな、と真田はひっそりと笑った。

「じゃあ、えーっとこの抹茶あんみつにする」
「ぜんざいにしないのか」
最初にそれが美味しいと伝えたのだが、少し値段が高いから遠慮して頼まないのかと考えた。
しかしリョーマは「それは今度にする」とメニューを真田の方へと向けた。

今度。
また会えるのかと、ドキッとさせられる。

(何をバカなことを。友人なら普通の会話の流れではないか)

気を静めようと、下を向いてメニューを睨む。

真田の様子に気付くことなく、リョーマは普通に話し掛けて来る。

「ぜんざいって、量が多そうだから今日は止めておくよ。
さっき幸村さんの所でお菓子を食べたばかりだから。
けどあんみつなら入るかなと思って。美味しそうだったし」
「幸村の所に行っていたのか?」
思わず顔を上げた。
リョーマはこくんと頷く。
「うん。お見舞いに。
そうそう、今度二人で一緒に行こうよ。楽しみにしてるって幸村さん、言ってたよ」
「そうか……。そう、だな」

幸村が待っていると言ってくれるのなら二人で見舞いに行くのも良いかもしれない。
しかしリョーマが一人で来る方が嬉しいのではないか?と考える。

(ひょっとして越前と二人きりでいると緊張するのかもしれん。
俺がそこに入って和ませるようにと、それを期待しているのか?
だとしたら重要な役割だ。
出来るかどうかわからないが、やってみよう)

これも友情の為だと、真田は静かに燃えていた。


それから注文を取りに来た店員に希望の品を告げ、改めて二人は向き直った。

「で、話って何すか?」
リョーマは水を飲みながら、今回呼び出された訳を尋ねて来る。
「立海の件じゃないんだよね。他に悩みでも出来たとか?」
「それが……」

どう切り出そうかと、真田は考えた。
こういう問題は苦手だ。
しかし幸村の為だと言い聞かせて、重い口を開く。

「越前には、その、付き合っている人はいるのか?」
「は?」
「あ、答えたくないのなら、別に構わない……」
質問がストレート過ぎたかと頭を抱えそうになる真田に、
「そういう真田さんこと、どうなんすか?」とリョーマは言った。

「聞きたいのなら、まず自分から答えるべきだと思うけど」
楽しそうな目をするリョーマに、真田は逆に慌てる。
「俺か?いや、そんな恋愛についてなど考えたことはない。
大会を前にして、そのようなたるんだ考えなどあり得ん!」
「真田さん。ちょっと声大きいっす」
「あ……」

いくら客の数が少ないとはいえ、迷惑になるような真似はするべきではない。
何事かとこちらに向けられる視線に恐縮しつつ、声のトーンを落とす。

「そういうわけだ。付き合っている人はいない」
「それはよくわかった」
「で、お前は?」

肝心の答えを聞かなければ、と真田は身を少し乗り出した。

「俺も同じっすよ。今はテニスだけで精一杯で、付き合う余裕なんて無い」
「そう、か」

ほっとして、肩から力を抜く。

(そうか。越前にも恋人はいないのか)

それなら幸村の望みが叶う可能性はゼロではない。
付き合っている人がいると言われたらどうしようかと心配したが、一つ問題はクリアした。

よし、と気合を入れて次の質問をしようとした瞬間、
「お待たせしました」
と、店員が注文の品をテーブルに並べる。

「うわ……美味しそう」

リョーマの目はあんみつに釘付けだ。
今聞くのは無理そうだと、口を閉じる。

「まず、食べるか」
「っす」

嬉しそうに笑顔を零すリョーマに、真田も知らず笑顔になる。

幸村の恋を隠れて応援しようと、その為にリョーマに会うつもりでいた。

だけど気付いたら、それと関係無く楽しい気持ちになっている。

友人とこうして二人でどこかに寄るのは、
心が温まるような、楽しくて優しい気持ちになるものだと、真田はこっそりと思った。


2010年05月28日(金) miracle 24 真田リョ


真田との待ち合わせは、立海の部活が終わってからになる。
まだ時間は充分にあると考え、リョーマは幸村の病室へと立ち寄った。

ノックして中に入ると、幸村は憂いそうな笑顔を浮かべて迎えてくれた。

「こんなに早く来てくれるなんて嬉しいよ。
怪我の具合は大丈夫なの?もう治った?」
「そんな早く治ったりしないっすよ。でも、もう少しすれば練習に参加出来ると思う」
「そっか。でも、そうなると平日にこっちに来てくれるのは難しくなるね。
それはそれで複雑だよ」
「何言っているんすか」

先日とは違い、和気藹々とした感じで会話が進んで行く。
あの時の幸村は少し様子がおかしかった。
どここが、と具体的に説明出来ないのだけれど、違和感は拭いきれないままだ。
原因は何かと考えてみたが、結局思いつかない。

しかしこうして穏やかに会話する幸村に、気のせいだったか、とリョーマは思った。

(いつもの幸村さんだ。何も心配することはない)

ホッとしつつ、頂いたお菓子を食べながら幸村の質問に答えていく。

今日あったこと、クラスの友人は誰なのか、どんな風に過ごしているのか。
そんなこと聞いてどうするのかというようなことまでも、幸村は聞いて来る。

変わり映えしないこの病室での日常に退屈しているのかもしれない。
大したことなんてないけれど、自分の話しを聞いて楽しいと思ってくれたら……。

リョーマは幸村の気が済むまで答え続けた。


そうしてしばらく時間が経過した頃だろうか。

最後の質問というように、幸村が口を開く。

「ところであれから真田と連絡を取った?」
「ああ。この間、電話をもらったっす」

間を開けずにリョーマは答えた。
真田と友人になったことは幸村も知っている。
立海での揉め事の相談にこっそりと乗っていたのだが、
知られた今、隠すことは無いと堂々と答えた。

が、幸村は笑顔を消してしまう。

「真田から電話?一体なんだって?」
「よくわからないけど話があるんだって。だからこの後、会う約束をしてるっす」

顔を強張らせる幸村に、何かまずいことを言ったのかと考える。

嘘はついていない。
だから後ろめたいことは何一つ無いはずだった。

でも、だったら何故幸村は顔を強張らせているのだろう。

「幸村さん?」

呼び掛けるとハッとしたように幸村は首を軽く振った。

「えーっと、真田とこの後会うの?」
「うん、そうだけど」

何の確認?と思いつつ頷く。

「どうして?真田の悩みは俺が相談に乗ることに決まったじゃないか。
もう越前君の手を煩わせることは無いんだよ」

そう言いながら、手を握られる。
真剣な目で訴えてくる幸村に、リョーマも真面目に答えた。

「部活のことは関係ないみたい。俺に話があるだけだって」
「話?何の?」
「さあ。教えてくれなかったから」

それを聞いて幸村は難しい顔をして黙り込む。

(何だろう。真田さんの話を聞くことが、問題なのかな)

呑気にそんな事を考えつつ、リョーマはお菓子の残りを平らげた。


「越前君。もし良かったら、待ち合わせをここに変更出来ないだろうか」
「え?ここ?」
「うん。真田が話したいという内容を俺も知っておきたいんだ。
友人が苦しんでいる時こそ、力になりたいからね」

しかしリョーマはゆっくりと、首を横に振った。
それは何か違うと思ったからだ。

「ううん。まず俺が話を聞くよ。
頼まれたことだから、俺一人でちゃんと真田さんの話を聞いてあげたいんだ。
友達の頼みにはきちんと応えるべきじゃない?」

本当は幸村が一緒だと、真田が萎縮して上手く話せないかも、と思った。
だから先に聞いてあげた方が良いと判断した。
その後で幸村にも相談するかどうかは、真田が決めることだ。


「君は……本当に優しいね」

どこか溜息交じりで言う幸村に、リョーマは何かおかしなことを言ったかなと首を傾げる。

「そんなことないっすよ。俺がそうしたいだけで」
「ううん。素でそう言える君は優しいよ」

リョーマの決意が固いとわかったのか、幸村は「しょうがないね」と呟く。

「今日の所は真田を君に任せよう。話を聞いてやってくれ」
「うん」
「どうせ後から真田に確認するけどね……」
「え?」
「いや、なんでもない。待ち合わせは何時から?」

壁に掛かっている時計を見て、「そろそろかな」とリョーマは立ち上がった。

「じゃ、行くね。また来るから」
「うん、待ってるから。
ここで待ってるからね……リョーマ」

急に名前で呼ばれて、驚いてしまう。
目を見開いたまま、リョーマはその場から動けなくなった。

「えっ、と」
「あ、名前で呼ばれるの嫌だった?」
「構わないけど。急にだったから、驚いただけ」

日本に来てから、皆は名字で呼んでくる。
それに慣れていた頃だったので、油断していた。

幸村はにこっと笑って、
「じゃあ、これからは名前でもいいかな?」と聞いて来る。

「いいっすよ。でも、何で?」
「うーん、君との距離をもっと縮めたいから、かな」

そう言いながら、また手を握ってくる。
ぎゅっと両手を取られても、リョーマはじっとしていた。
いつものことだからだ。

ひんやりとして幸村の手に、寂しいんだろうかとぼんやりと考える。
幸村は病院から出ることが出来ない。
なのに真田とは外で会う約束をしている。
そんな話をするなんてうかつだったかと、反省する。


「また来るよ。今度は真田さんと一緒に」

今、リョーマが言える精一杯の言葉だった。

幸村は驚いたような顔をして、それから「うん」と頷く。

「でも君が一人で来るのも歓迎するからね」
「わかった」

そこで、やっと手を放される。

「またね」と挨拶して、リョーマは病室を出た。


















(真田と一緒に、か)

リョーマに言われた言葉に、幸村はぎゅっと唇を噛み締める。


真田とは友人として会っているだけだ。
それ以上は何も無いと、リョーマの表情が物語っていた。

けれど、この胸騒ぎは何だろう。


(真田の奴。人が折角、牽制掛けたっていうのに、何を考えているんだか。
普通、友人の好きな人だとわかったら遠慮しないか?)

予想外だったと、舌打ちする。

約束してしまったものは仕方無い。
無理矢理引き止めても、リョーマの不興を買うだけだ。

それよりこれからのことを考えなければ。

リョーマの心を手に入れるには、どうするべきか。

有効な方法は何か無いものか。


夕陽が差し込む病室で、幸村は黙ったまま思案に耽った。


2010年05月27日(木) miracle 23 真田リョ

今日のリョーマの放課後は、図書委員の雑務で潰されることが決定している。
怪我で部活に出られない分、カウンターに入るよう委員長からの命令を受けたからだ。
その代わり、試合前の練習は免除すると約束してくれた。

仕方無いけどやるしかないと、諦めに似た気持ちでカウンターに座っていると、
「おっチビー!」と大声を出して入って来た先輩に驚かされた。

「菊丸先輩……。何してるんすか。つーか声でかい」
「えへへ。おチビが部活に出られないって言うから、寂しくてさあ。
教室に様子を見に行ったら、ここだって教えてくれたんだよ」
「余計なことを」
「ん?何か言った?」
「別に」
「不二も返却するついでだからって、二人で来たんだ」
「え、不二先輩?」
「やあ、越前」

菊丸の後ろから不二がひょいっと顔を覗かせる。
隠れていたのか!?と、驚くリョーマに「これお願いね」と本を差し出す。


「傷の具合はどう?」
「はあ。特に問題は無いっす」
「そう、なら良かった」

にこっと不二に微笑まれて、リョーマは複雑そうに頷く。

この先輩は苦手だ。
あまり関わりたくないと思って、「先輩達、部活は?」と尋ねる。

「もたもたしてると部長にグラウンド20周!って言われるっすよ」
「あ、大丈夫。手塚は生徒会の用で遅れるって聞いてるから。
だからこうしておチビと話をしても平気だよん」

明るい声で言う菊丸に、「そうっすか」とリョーマは俯く。
何でこんな時に生徒会なんだよ、と内心で手塚に対して八つ当たりする。

「ところで、越前」
「な、何すか」
不意に顔を近付けて来た不二に、そっと体を引く。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
苦笑しつつ不二は「病院にはちゃんと行ってるの?」と言われる。

「えっと、行ってますけど」
「そう。昨日も行ったの?」

リョーマは目を見開いた。
まるで幸村がいる病院に行ったのかと、聞こえたからだ。

(いや、そんなはずがない)

知っているわけないと動揺を隠して「行ったっすよ」と答える。
「いつもと同じように、薬塗ってもらっただけっすよ」
「ふうん」
「不二ー。さっきから何かおチビちゃんに絡んでにゃーい?」

間に入って来た菊丸に、リョーマは(ナイス、先輩!)と喝采を送る。
不二と会話をし続けるのは危険と感じたからだ。
菊丸が割って入って来てくれて、助かった。

「別に絡んでなんてないよ。ちょっと確認しただけなのに」
「んー。おチビが心配なのはわかるけど、ちゃんと行ってるって言ってるんだから、
そっとしておこうよ。ねっ」

(菊丸先輩!俺の中で評価がかなり上がったよ!)

よくぞ言ってくれたと、心の中で賞賛を送る。

さすがクラスメイトというか。
不二にも言いたいことは言えるらしい。

「しょうがないな。英二がそこまで言うのなら」
諦めたように不二は肩を竦めた。
「じゃあ、そろそろ部活行こうか。あんまり遅いと、大石が心配するよ」
「うん。おチビの元気な姿も見れたことだし、行こ、行こ」
「先輩、もうちょっと静かに」
ごめんと言いながら普通に声を出す菊丸に溜息をつくと同時に、
「またね」と不二に挨拶される。

「あ、はい……」
意味ありげに微笑む不二に、なんだよと下を向く。
その間に二人は外へと出て行った。

(不二先輩って何もかもお見通しみたいな顔をしてるけど、実際どうなんだろ。
それにやっぱり幸村さんに似てるような……)

顔立ちは似ていないから親族ではないと思う。
何かああいうタイプに縁があるのかと、リョーマは首を傾げた。












その頃。
立海ではいい加減煮詰まった丸井が、真田に向かって問い詰めている最中だった。

部室に入って来た真田を見るなり、丸井は「一体、どうなってるんだ」と声を上げた。

「どう、とは。何のことだ」
「惚けるな。柳は問題ないと言ったが、俺は納得してねえぞ。
何で越前とお前が仲良くしているんだ。それも幸村に一言も無く、ちょっと酷いんじゃねーか?」
「いや、友人になるのに誰かの許可はいらないと」
「それがお前の本音かよ!」
「そう言ったのは幸村だ。俺達が仲良くするのは構わないと、言ってくれたんだ」
「……」

真田の言葉に、丸井はあからさまに不機嫌になる。

「本当かどうか、幸村に確かめるからな」
「構わん。それで気が済むのなら、そうすればいい」

丸井は面白く無さそうに頬を膨らませて、音を立ててドアを開け、部室を出て行く。
止めようかどうしようかオロオロしていたジャッカルが、慌てて後を追う。


(幸村は間違いなく俺と越前が友人になったことを認めてくれた。
越前とであったことで、色々な考え方を学ぶことが出来る。
あいつは俺にとって、大切な友人だ。
丸井に文句を言われる筋合いは無い)

そう自分に言い聞かせて、真田は自分のロッカーへと荷物を放り込んだ。









「おい、丸井。
いくらなんでも真田に言い掛かりをつけるのは、やり過ぎじゃないのか!?」

コートへを早歩きする丸井を、ジャッカルは走って追いかけた。
声を掛けると、ようやく足を止める。

「やり過ぎって行っても、俺は真田の口からどうなってんのか聞かねえと納得出来なかったんだよ。
柳は何か言い訳してたけど、納得出来るわけないだろい」
「けど、部室で揉めるのは、」
「あのなあ、ジャッカル。
こそこそと真田の悪口を吹聴するより、直接本人に確認するよりずーっとマシだと思わねえか?」

大きな声を出す丸井に、周囲からの視線が集まる。
慌ててジャッカルは口を閉じに掛かった。
「馬鹿っ、こんなところで堂々と批判するような真似する奴がいるかっ」
「はあ?本当のことだろい。
だったら真田に面と向かって文句の一つでも言ってみろっての」
「おい、丸井。まさか俺達のことを話しているんじゃねえだろうな」

一人の部員が、すっと近付いて来る。
少し前に真田を部長代理から外すことを持ち掛けてきた連中の一人だ。

彼の怒っている顔など気にもせず、丸井は両腕を頭の上で組んで空を見上げる。

「さあな。お前がそう聞こえたのなら、事実なんじゃねえの」
「てめえ。レギュラーだからって、調子こいてるんじゃねえよ。
自分で天才とか言って、馬鹿じゃねえのか?」
「俺が天才なのは本当のことだろい。
あ、そうか。自分がレギュラーになれないから、僻んでるのか?
悔しかったら、一度でいいから俺に勝ってみせろよ」
「このっ」
「止めろ!」

声を上げて、ジャッカルは二人の間に入った。
そうしないと今にもケンカが始まってしまいそうだったからだ。


「真田に見付かったらグラウンド100周じゃ済まないぞ。二人共、わかているのか」
「……」
「……」
チッ、と舌打ちして丸井に文句を言った部員は、背を向けて離れて行く。


大事にならなかったことにホッとして、ジャッカルは丸井に向き直った。

「挑発するのは止めろ。一体何を考えているんだ」
「俺は本当のこと言っただけだろ」
「おいっ」
「あー、面白くねえ」


ポケットからガムを取り出し、くちゃくちゃ噛みながら丸井はジャッカルから離れて行く。
さっきの部員とは逆の方向に。


一体、立海テニス部はどうしてしまったんだろうと、ジャッカルは溜息をつく。
全国に行けるのか、本気で心配になって来た。


2010年05月26日(水) miracle 22 真田リョ

まだ少しだけ時間があったので、空いているベンチ二人は腰掛けて会話していた。
主な内容はリョーマが怪我をした試合の件だ。

どうして瞼を切ることになったのか。
詳しく尋ねて来る幸村に、困りながらもリョーマは仕方なく説明してやった。



「そうか、スポット状態になった腕の所為でラケットが……」

眼帯に触れてくる幸村の手を好きにさせていると、
「痛い?」と訪ねて来た。

「それ聞くの、何回目っすか。痛くないって言ってるのに」
「越前君の痛くないは当てにならないからね。
瞼だなんて、こんな所を傷突けるなんて」

幸村は大袈裟に溜息をつく。

「もうこんな無茶したら駄目だよ?」

言われても、リョーマは黙って視線を逸らす。

たかがこの程度の怪我、もうしないなんて約束出来ない。
試合を続ける間に、もっと大変なことになるかもしれないのだ。
一週間ほどで治るなんて、怪我の内に入らない。


答えないでいると、「越前君」と幸村に顎を掴まれてしまう。
無理矢理視線を合わせ、「どうして約束出来ないの?」と言われる。

「だって、大した怪我じゃないから」
「大した怪我じゃないって?」

笑っているが、幸村の目が何だか怖い。
怒っているらしい。

「君が怪我したことで、心配している人がいることを忘れないで欲しいな」
「……」
「それに怪我を甘くみてはいけない。
ちょっとしたことが取り返し付かなくなって、テニスが出来なくなったらどうするの?
もう絶対こんなことしちゃ駄目だからね」

念押しされて、リョーマは黙った。

現在入院中の幸村の言葉には、重みがある。

だから渋々「わかった」と頷いた。

「そう。わかってくれたんだね」

満足そうに幸村は笑って、リョーマの頭を撫でた。
「怪我しないでとはいえないけど、無茶はして欲しくないな。
君がそうやって眼帯している姿は痛々しく見える。
もう、心配させないで」
「はあ……」

過保護、と心の中で呟く。
しかしもう言い返す気分になれず、頭に触れたままの幸村の手を好きにさせておいた。

少しの間だらだらと時間を過ごしたところで、幸村が口を開く。

「そろそろ戻らないとまずいかな。行こうか」

その声に、リョーマは「そうだね」と答えた。
もう日も暮れ掛けている。これ以上外にいるのも、幸村の体に障るだろう。

「部屋まで送るよ」
「いいよ。僕が玄関まで送るから」
「でも時間が」
「まだ大丈夫」

来た時と同じように手を引かれる。
優しげに見えて、幸村は案外強引だ。
こういう所があるから、部長職が務まるんあろうかと考える。
きっと有無を言わさず部員達に指示を出して、でも相手もつい従ってしまうのだろう。
真田もこんな風に上手くやれたら、悩むことは無かったかもしれない。

「どうかした?」
顔を覗き込まれ、リョーマは慌てて首を振った。

「なんでも無いっす」
「本当に?誰か……別の人のことを考えていたんじゃないの?」

ぎくっと、体が強張るのがわかった。

幸村は勘が鋭い。
それは同じ部の糸目の先輩を思い出される。
二人、似てるかも……と一瞬そんなことが頭を過ぎる。

「そうじゃなくて、ただ時間が過ぎるのは早いって思っていただけっす」
「ふうん」

なんとか誤魔化すと、幸村は「なら、いいけど」と微笑む。

「でも俺といる時は俺のことだけを考えて欲しいな」
「えっ」
「なんてね」

冗談っぽく笑う幸村に、リョーマはからかわれただけか、と肩を落とす。

(今のは冗談だよね。うん)

目は本気だったように見えたが、まさか、と否定する。
いくらなんでも友人に対してそんな風に言うはずがない。

勘違いだ、とリョーマは自分に言い聞かせた。


幸村に見送られて、病院を出る。
夕陽と夜空が交じる中、一人歩いて行く。

何だか少し疲れた。
家に帰って早くご飯が食べたいなどと考えていた所で、ポケットに入れてた携帯が鳴った。

表示を確認すると、相手は真田からだった。

「はい、もしもし?」
「真田だが……。今、話しても大丈夫か?」
「うん、平気っす。ちょうど病院を出たところだから」

数秒、真田が沈黙する。

「もしもし?真田さん?」
「すまない。お前にどう話そうか、ずっと悩んでいたのだが」
「ああ。俺達が会ってるって、幸村さんが知っていたことでしょ」
真田の言葉を遮り、リョーマは要点を口にした。

「幸村さん、気にしていないみたいだったよ。
特に問題は無かったっす」
「そうか……」
「でも、良かったね。これで色々解決出来るんじゃないの」
「どういう意味だ」
「いや、だって俺なんかより、幸村さんの方がずっと頼りになるでしょ。
立海テニス部にも働き掛けてくれるだろうし。
だから、もう……俺があんたの話を聞く必要は無くなったんだよね」

言いながら、どうしてだか虚しくなって来る。
成り行きとはいえ真田の相談に乗って、力になっているつもりだった。

しかし実際には、幸村の方がずっと頼りになる。
彼が真田の相談相手になるのなら、自分はお払い箱だ。

仕方無いんだ、とリョーマは携帯の向こうにいる真田に気付かれないよう、軽く溜息をついた。

だが真田は「そんなことはないぞ」と、否定の言葉を口にする。

「幸村が力になってくれるのは心強い。
だがそれでお前のことが不必要になったとは思わん」
「それって、どういう……」

真田はきっぱりとした口調で続ける。


「遠慮ない言葉をぶつけて来るお前に、心が軽くなるのがわかった。
色んな考えもあるのだと教えられた。
だからこれからは俺の悩みに関係なく、友人として会ってもらえないだろうか」

真摯な真田の声に、嘘は感じられない。

今までのことは無駄ではなかった。
真田の励みになっていたと思うと、嬉しくなる。

だから「いいっすよ」とリョーマはその提案に賛成した。

「では、決まりだな。
それから近々会えないだろうか」
「いいけど。何?幸村さんの所に一緒に見舞いに行こうとか、そういうこと?」
「それも考慮しよう。
だがまた別の話だ。その、友情の為にしなければならないことが出来たからな」
「何それ?」
「こっちの話だ。とにかく、会って話がしたい」
「はあ……」

さっぱり見えない話に首を傾げるが、とにかく真田が会いたがっていることはわかった。

「じゃあ、明日は委員会の当番があるから、明後日はどうっすか?」
「俺は構わない。ではまたその時に改めて話をしよう」
「うん、わかった」

挨拶をして、携帯を切る。
再びポケットへと収めた。



それにしても電話で言えないような話とは、なんだろう?

口振りからして、また何か悩みを抱えたのかと推測する。
よくよく色んな悩みを抱えるものだ。
しかしそれも真田の生真面目な性格から来るものだろう。
正直で、不器用な人。

そんな彼が自分と一緒にいて気持ちが軽くなると言うのなr、
惜しみなく手を伸ばしてあげたいと思う。

この手は二本ある。

一方は幸村に、もう一方は真田に。

それでバランスは崩れることはないと、根拠も無くそう思った。


2010年05月25日(火) miracle 21 真田リョ

誰かの恋の応援とは、どういう風にするものだろう。

考えても、良い案が浮かばない。

誰かに聞くわけにもいかない。

幸村は自分のことを信用して、リョーマが好きだと打ち明けてくれたのだから。

(しかし困ったな……)

気持ちだけとは言ったが、ここは友人の為に何かするべきだろう。
きっと幸村も喜んでくれるはず。

だが恋愛問題は、真田にとって最も苦手とするものだ。
幸村とリョーマが上手く行くような手助けの仕方など、思いつくはずがない。

唸りながら歩いていると、
「どうした、弦一郎」と柳に声を掛けられる。

「朝から深刻そうな顔をしているな。
昨日、幸村に言われたことが相当堪えたのか?」
「いや、それは問題無い。……いや、しかし新たな問題が浮上したような」
「弦一郎?」
「なんでもない」

幸村が自分から話さない限り、この件は黙っておこうと決める。
柳は信用出来る男だが、自分の知らない所で言われるのは良い気分じゃないはずだ。

「大丈夫だ。俺は俺でやれることをするまでだ!」
「……そうか。頑張れよ」

何も聞き返すことなく、柳は黙って横を歩いている。
きっと気を利かせて、深く詮索してこないに違いない。

やっぱり良い友人だと、改めて柳のことを賞賛する。


しかし柳は全く違うことを考えていた。

(ぶつぶつ呟いて、情緒不安定のようだ。
やはり幸村が何か言ったに違いない。
あまりきつく当たるなと、一言申し出るべきだろうか……)

大会前に副部長が壊れたりしたら大事だと、柳は小さく溜息をついた。

心配事は真田だけではない。
部内全体についても同じことだ。

ふと反対側の道に仁王がふらふらと歩いているのが見えて、柳は足を止めた。

どこか虚ろな表情をしている彼が、心配になったからだ。

「弦一郎。悪いが先に行ってくれないか」
「あ、ああ」

真田が頷いたのを見て、柳は仁王が歩いている歩道へと移動する。

「仁王!」
「なんじゃ、参謀か……おはようさん」
「おはよう、はいいが。すっきりしない顔をしているな。
夕べはきちんと睡眠を取ったのか?」
「さあ、な」
「仁王。茶化していないで、きちんと答えろ」
「……」

ふいっと、仁王は目を逸らした。
どうやらあまり眠っていないようだ。

「練習にはちゃんと出てる。問題ないじゃろ」
そう言って仁王は逃げようとする。
が、柳はその前に腕をぐっと掴んだ。

「問題無いわけないだろうが。
今のままで、試合に勝てると思っているのか。
これから全国へ向けて、相手ももっと強くなる。
いつまでも勝てると思うなよ」
「そう思うじゃったら、俺をレギュラーから外せばいい」
「仁王!」

少し声を上げても、仁王は全く動じることは無い。

どうしたものかと考えていると、
「二人共、どうかしたのですか」と声を掛けられる。
顔を向けると、柳生がこちらに急いで近付いて来るのが見えた。

「仁王君、また何かトラブルでも起こしたのですか?」
「俺は何もしとらん。参謀が勝手に絡んで来ただけじゃ」

ふん、と仁王は乱暴に掴んでいる手を振り払う。

「さっき言ったことは本気じゃ。
問題あるのなら排除でもなんでもしてもかまわんぜよ」
「仁王……」

あまりの言い分に絶句している間に、仁王はさっさと学校へ向かってしまう。

「一体、どういうことなんですか?」

怪訝な顔をしている柳生に、額を押さえながら柳は簡単に今の出来事を説明する。
こんなこと、真田にはとても言えない。
今はダブルスの相方である柳生に、なんとかフォローしてもらうしかない。

「わかりました。出来るだけ、仁王君から目を離さないようにします」
「頼む。それと真田との接触も避けるようにして欲しい。
レギュラーを落とせばいいと二度もそんなことを口に出したら、殴られるだけじゃすまなくなるかもしれない」
「そうですね。そちらも気を付けましょう」

頷く柳生を見て、少しはマシな事態になればいいが、と柳は考える。

しかし根本的な解決をしなければ、結局何も変わらない。

幸村だったら、こんな時どうするだろう。

(あいつの抜けた穴は大きい……)

考えても仕方無いことだ、と柳は軽く首を振る。

今ここにいるメンバーでなんとかするべきだ。

なんとかしなければ、と背筋をすっと伸ばした。



















その日の夕方。

リョーマは約束通り、幸村の病院を訪れた。

検査の結果も気になるが、それよりまず彼に謝罪するべきだろう。
試合が終わったら寄ると言ったのに、その約束を破ってしまった。

ずっと待っていてくれた彼のことを思うと、何度謝っても足りない気がする。
合わせる顔が無くとも、逃げてはいけない。

思い切ってドアをノックすると、
「どうぞ」と幸村の声が聞こえた。

一つ深呼吸して、リョーマは中へと入った。

「やあ、越前君」

幸村はいつものように穏やかな笑みを浮かべて窓辺に立っていた。

「君が来るのをここから見ていたんだ。
あんなに急いで来なくても良かったのに。
ああ、それに傷が痛々しく映るよ。大丈夫なのかい?」

怒ってはいないようだ。
でも内心では傷付いているかもしれない、とリョーマは思い直す。

ここは誠意を見せるべきだ。

入り口に立ったまま、「昨日はごめん」と謝罪の言葉を口に出した。

「ここに来るって約束してたのに、守れなかった。
悪かったと思ってる」

最後まで聞いてから、幸村は少し首を傾げた。

「そんなに謝ることじゃないよ。
だって試合中に怪我をしたんだよ。
しかも目なんて大事な所。
治療もしないでこっちに来て欲しいなんて、思ったりしないよ。
だからそんな顔しないで」
「……けど」
「いいから。それより今日は中庭に出てみない?
ちょうど花が綺麗に咲いているんだ。君にも見てもらいたいな」
「えっでも、いいんすか?」

いくら授業が終わった後に直行したとはいえ、もう夕方と言える時間だ。

しかし幸村は「平気だよ。夕飯までに病室に戻って来れば問題ない」と言った。
そして笑顔で近付いて来て、さっとリョーマの手を取る。
引っ張られる形で、エレベーターに乗って1階へ降りる。
その間も手は繋いだままだ。

二人は中庭へと直行する。
風が出て来た所為か、人影は他に無い。
リョーマも幸村の体調が気になって仕方無いのだが、彼がここに来たがっているから無理に帰ろうとも言えない。

夕陽が差し込み、花壇を紅く照らしていた。

その中の一つに近付き、幸村は口を開いた。

「この辺りの花の世話は俺がしているんだ。
といっても無理は出来ないから水をあげる程度なんだけどね。
お手伝いしたいってお願いして、特別に認めてもらった。
花の世話をすると、なんだか気持ちが上向きになるんだ。
家にある花達のことを思い出すからかな」

薄紫の花びらに触れながら、幸村は寂しそうに笑った。

家に帰りたくない、はずがない。
今だってすぐに退院していはずだ。
そして思い切りテニスをして、大会を勝ち抜く。

当たり前のことが失われた今、毎日をどんな気持ちで過ごしているのだろう。

代わり映えのしない日々の中で、
誰かが訪ねて来てくれることは、幸村にとってささやかでも楽しい時間に違いない。
なのに自分はその約束を破った。

しかも呑気に真田と寄り道して、すっかり頭から抜け落ちてしまったなんて。

(最悪だ……)

やっぱり許されることじゃない、とリョーマは唇を噛んだ。

「越前君?どうかしたのかい?」
「あの、俺、幸村さんに言わなくちゃいけないことが」
「それって、真田のこと?」

先に言われて、リョーマは眼帯が無い方の目を見開いた。

そのまま固まってしまっていると、
「昨日、真田が打ち明けてくれたんだよ」と幸村は言った。

「君と会って、相談に乗ってもらっているって。
俺に負担を掛けるから言えなかったって、全部話してくれた。
けど黙っているのも限界だと思っていたらしくてね。
検査が終わるまでずっと待っていて、その後で全部聞いたよ」
「そう、っすか」

何だ、とリョーマは脱力した。

でもこれで幸村に対して誤魔化したりする必要がなくなる。
真田が先に言ってくれて良かったと思う。
相談に乗っていることを幸村に勝手に告げるのは、さすがに気が引ける。


「真田さんと会ったのは偶然で……。
あの人、なんか思い詰めた顔をしていたからそれで話しを聞くことになったんだ。
それだけっすよ」
「うん。わかってるよ」

幸村は頷く。

「君達が仲良くなってくれて、嬉しいと俺は思ってる。
だって二人共、大切な友達だからね」
「幸村さん……」
「けど、一言話してくれても良かったのに。
なんだか二人が秘密を作ったみたいで寂しかったな」
「そんなこと無いっすよ!誤解だって」

強く否定すると、「うん、わかってる」と笑われる。

「ひょっとして、俺のことからかってる?」
「ちょっとだけね。いいじゃないか、君達二人が俺に早く相談しなかった罰だよ」
「それは……。真田さんが、本当に幸村さんには負担掛けたくなさそうにしてたから。
本当に真面目というか、融通が利かないというか。
頑なな人だよね」
「けど、いい奴だよ。真田は。
君にもわかってるでしょ?」
「まあ、それは……」

真田の真面目なところは好ましいと思う。
自分には到底、真似出来ない。
だからこそあのまま彼が潰れるのは、見たくないと思った。

話を聞いて真田が楽になれるなら、微力ながらの手伝いでも自分にでも出来る。

どうしても幸村には言えない部分はあるだろう。
真田は必要以上に、幸村を気に掛けている。退院まで揉め事に巻き込みたくないと頑なに守ろうとしている。

(不器用な人、なんだろうなあ)

だからこそリョーマも手助けしようと決めたのだった。


「真田は俺にとっても自慢の友人だよ」
幸村はにっこりと笑った。

「君が相談に乗ってくれて、助かった。
あいつ……、俺には話してくれなかったんだ。心配掛けたくないからって。
けど一人で悩んでどうするつもりだったんだろうね。追い込まれるだけなのに。
だから越前君が真田の話を聞いてくれて良かったよ。
でなかったら、部長代理を辞めると言い出していたかもしれない」
「そうなの?」
「うん。君の優しさが真田を救ったんだよ」
「優しい?俺は別にそんなつもりじゃ」
「ううん。君は優しい子だ。
俺にはわかるよ」

握っていた手を引き寄せられた、と思ったら、甲に幸村がそっと唇をつける。

何していたのかよくわからずぼんやり見ていると、
「驚かないんだ?」と幸村は意外そうな声を出した。

「自分でやっといて、何聞いているんすか」
「そうだね。けど、君はこの程度じゃ動じないことがわかった」
「はあ……」

納得しているような幸村に、なんだかわからないとリョーマは眉を寄せた。

「その内もっと驚かせてみせるから、楽しみにしてて」
「一体何をするつもりっすか」
「さあ?」

フフフ、と笑う幸村に、リョーマは変なことじゃなければいいけど、と思った。

(びっくりさせられないよう、これから気をつけよう……)

意外と子供っぽいんだから、と溜息をつく。

そんなリョーマの心境など知らず、
幸村は「越前君。真田は大丈夫だよ」と言う。

「大丈夫って?」
「元々立海の揉め事だ。君が気にすることはない。
部長として、真田の相談には俺が乗るから心配ないよ」
「そう、っすか……」
「うん。それでも真田がどうしても君に話したいことがあると言うのなら、
後で何を相談したのか教えてくれるかな?
立海のことだとしたら、俺も把握しておきたいからね」
「……うん」

頷きながらも、どこか釈然としない。

幸村はあまり部内のことに関心無さそうと感じたのは、気のせいだったのだろうか。

不自然さを感じ取りながらも、嫌とは言えない。

幸村の言う通り、立海のことに口出しする権利は無いのだから。

それに真田にとっても幸村が味方についてくれた方が、嬉しいに違いないはずだ。

(俺には話を聞くこと位しか出来ないから、幸村さんの方がきっと心強いよね)

問題が解決しそうで良かった、と思ったけれど、
どこか寂しくも感じる。

笑顔でいる幸村にはとても言えず、リョーマは複雑な気持ちのまま提案に従った。


2010年05月24日(月) miracle 20 真田リョ

今日は絶対に幸村の所へ行こうと決めていたのに、
『検査が入って、会うのは少し難しい。
明日来てもらってもいいかな?』と昼休みにメールが入った。

検査では仕方無い。
それでも行くとは言えず、リョーマは『じゃあ明日、行くよ』と返信をした。


(今日は会って話ししたかったんだけどな……)

昨日伝えることが出来なかった地区大会の話とか、
行けなかったことの謝罪とか。

しかし幸村は病人だ。こういう場合はしょうがない。
明日は会った時に、話せばいい。
幸村はきっといつもの笑顔で迎えてくれるだろう。
怪我して大変だったね、とあの優しい眼差しを向けてくれるのもわかっている。

だからこそ、すっぽかしたことへの罪悪感が増す。

そしてリョーマは眼帯をそっと手で触れた。

(この怪我の所為で、しばらく練習にも参加出来ない。
それだけでも苛々するのに……。幸村さんはずっと耐えているんだ)

あの病院の中でずっと過ごす彼のことを考えると、
少し切ない気持ちになる。
たかが数日コートに入ることが出来ない、それだけでこんなに憂鬱なのに、
幸村はもうずっとそれに耐えている。

(一見、脆そうに見えるけど。
幸村さんって、強い人なんだよね……)

けれど辛くないはずがない。
その為にも友人として彼に出来ることがあれば、惜しみなく手を貸してやりたいと思っている。

とりあえず、もう約束を破るのは止めようと心の中で誓った。












その日の放課後。

幸村からの呼び出しメールに、真田は練習が終わってすぐに病院へと向かった。

リョーマと会っていたことが、知られてる。
きちんと説明しなければ、と頭の中はその事でいっぱいだった。

おかげで今日の部活は散々だった。
柳が上手くフォローしてくれなければ、どうなっていたか。
丸井の刺々しい態度は相変わらずだ。いつの間にか、彼もリョーマのことを知っていた。
同じように幸村の見舞いに行って、出会ったのかもしれない。
リョーマのことを気に入っているのか、真田が仲良くしているとそれだけで怒ってるようだった。

丸井のことは、さほど問題ではない。リョーマと友人となるのが何が悪いと開き直ることが出来る。
だけど、幸村は……。
ほとんど病院から出られない彼の大切な友人と、外で会っている。
そう聞かされた、一体どんな気持ちになるだろう?
想像すると、やはりリョーマに相談するべきではなかったと後悔が押し寄せる。

しかし今更どうしようもない。

幸村に全てを話し、その上で非難でも何でも受け止めようと覚悟を決める。

病室の前で深呼吸して、真田は二度ノックをした。

「真田。入っていいよ」

ドアを開けると、幸村はベッドの上ではなく窓の側で立っていた。

「今日は良い天気だ。風が気持ちいい」
「その、幸村……」
「綺麗な夕陽だ。そう思わない?」

窓から差し込む西日に、幸村は眩しそうに目を細めた。

「折角こんなに綺麗な景色、こんな狭い所で見るのは勿体無い。
少し、屋上に行かないか?」
「屋上?いや、しかし……他に客でも来たら」
「大丈夫。誰も来ないよ」

フッ、と笑う幸村に、真田は一歩足を後ろへ引いた。
今のは、リョーマは来ないと宣言したように聞こえた。
いや、ただの思い過ごしだろうが。

「ちょっとの間だけだよ。駄目かな?」
「構わないが……。平気なのか」
もう夕方だ。外の風に当たるのは病人の幸村には良くないのかもと思い、遠慮がちに言うと、
「平気だよ」と幸村はこちらに向かって歩いて来る。

「さ、行こう。時間は取らせないから」
「ああ」

先に幸村が出て行く形で、真田もその後について行く。

(越前の話をしようと思っていたのだが、言い出しにくい雰囲気だ……)

エレベーターの中でも無言のまま、二人は屋上へと出た。


「ほら、やっぱりこっちで見た方が綺麗だね」

柵に囲まれてはいるが、病室よりも近くに感じる夕陽に幸村は嬉しそうに声を上げる。

「真田もそう思わない?」
「思うが……その、幸村」
「何?」
「今日は、話したいことがあって来た。その、越前のことで」
「ああ、わかってるよ」

柵を背にして、幸村は真田の顔をじっと見た。

「聞いたよ、真田。大会が終わった後、皆のこと放って帰ったんだって?
しかも記者の人から、青学の選手が怪我したと聞いて慌てて駆け付けようとしてるように見えたって、赤也が言っていた。
それって、越前君のことだよね?」

わかっているくせにそんな風に言う幸村に、これは怒っているのだろうと推測する。
不愉快にさせたのなら、謝らなければ。
そう思って真田は「その通りだ。すまん、幸村!」と頭を下げた。

「お前が思っている通りだ。
俺は越前と友人となって、時々会っていた。
二つも年下で、しかも他校の生徒に部内のことを相談していたと知られたくなくて、それで」
「何謝ってるの?真田」

突然、幸村は笑い出した。

「幸村……?」
「あー、もうそんなこの世の終わりみたいな顔して。
しかも謝罪とかって、無いだろ。
予想外の反応に、笑いを堪えるのが必死だったんだから。可笑しくて涙が出るよ」
「怒って、いないのか?」
「何を?」

幸村は目元を拭って首を傾げた。

「いや、だから俺は越前と友達になって、会っていたのだから」
「馬鹿馬鹿しい。何で君達が友達になったことを怒らなくちゃいけないんだ。
そんなの越前君の自由だ。俺が口出しすることじゃない。
しかも友達になったからって、怒るってありえないだろ」
「う、うむ」
「もし俺が怒っているとしたら、真田が何も相談してくれなかったことと、
越前君と友達になったことを話してくれなかったことだよ」
「すまん……」
「また、すぐ謝る」

楽しそうに言う幸村に、怒っている様子は無い。

気にし過ぎていたのは自分だけだったようだ。

(馬鹿だな。幸村がこの位のことで怒るような奴ではないと、考えればわかったはずだ)

自分の未熟さを心の中で叱咤する。
リョーマの言う通り、色々力を入れ過ぎているのかもしれない。
もっと楽に生きなければ、と改めて考える。


「それで、越前君には何相談してたの?立海のことなんだろ。
俺にも聞かせてくれないか」
「ああ。是非、聞いて欲しい」


そこで真田はやっと初めて、幸村に今までのことを話すことが出来た。
心配掛けてはいけないと、言えなかったことも素直に曝け出した。

部内は幸村が居た頃のように上手く行っているわけではない。
反発する部員が大勢居て、なんとか柳のおかげで大事には至っていないこと。
仁王はサボったりしなくなったから良くなったが、他の者はそうはいかない。
今のままでいいのか、自信が無いと口にした。

「大丈夫だよ。真田は間違ってなんかいない。
皆、わかってくれるはずだ」
「しかし、お前が居た頃とは違う。やはり俺が部長代理などは務まる器ではない。
柳の方がよっぽど皆の信頼を得ている」
「大丈夫。真田は真田のやり方を貫けばいい。
それに柳は皆のトレーニングメニューや、他校のデータの分析も任せてる。
負担をこれ以上掛けるつもり?」

そう言われると、何も言い返すことが出来ない。
全て不甲斐無い自分の所為なのだ。

ぎゅっと拳を握り締めると、「大丈夫」と幸村が微笑む。

「時々やり過ぎることもあるけど、真田は間違ってなんかいない。
信念を貫けば、他の部員も自然と何が正しいかわかってくれるよ」
「そう、か?」
「うん。だから、そんなに落ち込まないで。
フォローは俺の方からもしておくから。きっと良い方向へ進むはずだ」
「お前がそう言うのなら」

安心できる、と真田はほっと息を吐いた。

「ところで問題が解決したら、もう越前君とは会わなくなるのかな?」
「越前、と」

そう言われると、真田は言葉に詰まってしまう。
相談することが無くなれば、リョーマと会う理由は無くなる。
しかし彼と話をしていて楽しいと思えるのは事実だ。
何もなくても友人として会いたいと考えるのは、リョーマにとって迷惑なことだろうか?

混乱して黙っていると、
「冗談だよ」と言われる。

「ああ見えて、結構情に厚い子だ。
連絡が途絶えたら、真田がまた悩んでいないか心配する。
時々会って、状況を話してあげる方がいいと思う」
「そうか。なら、その通りにしよう」

幸村が認めてくれたのなら、こそこそする必要もなく堂々と会える。
この病院に二人でお見舞いに来るのもいいかもしれない。
きっと幸村も喜んでくれるだろうと、真田は考えた。

「いい子だよね、本当に」
「ああ。そうだな」

真田が頷いたところで、幸村は「真田は越前君のこと、どう思ってる?」と聞かれる。

「どう、と言われても……。いい奴だとしか、答えようがないのだが」
「そっか。うん、そうだよね」
「幸村?」
「いや。真田が越前君のことを友達としか思っていないようで、安心したよ」
「それ以外、何があると言うのだ?」

幸村の言いたいことがわからず首を傾げると、
「俺とは違うってことさ」と言われる。

「幸村?お前は越前のことを友達と思っていないのか?」
まさかそんなはずがない。
幸村はリョーマのことをとても気に入っているようだった。
信頼していると、二人を見てそう思った。

戸惑っている真田に、幸村は「友達だとは思っているよ。けど、それ以上の気持ちがあるんだ」と言った。

「それ以上?」
「うん。俺は、越前君のことが好きなんだ。
友達ではなく、恋人になりたいと思っている」
「……」

理解するのに、しばらく時間を必要とした。
好き?恋人?一体なんのことだろう。

「幸村」
「何?」
「越前は男の格好をしているが、実は女性だったのか?」
「そんなわけないだろ。ちゃんと男の子だよ」
「では、もしかして幸村が……」
「俺が男だってこと、知ってるだろ?何年一緒にいるんだ。
そういうボケはいいから」
「いや、ではどういうことだ?」

わからん、と頭を掻く真田に、幸村は少し俯く。

「そうだよね。理解し難いことだと思う。
でも性別を超えて、俺はあの子のことが好きなんだ。
それって、おかしいって思う?」
「いや……その」
「思ってくれても構わない。それで避けられても仕方無いって覚悟している」
「俺がそんな風にお前を思うことは無い!」

きっぱりと言い切ると、幸村は「良かった」と笑った。

「真田には俺の正直な気持ちを言っておきたかったんだ。
俺は越前君のことが、好きだ。
性別とか関係なく、全てに惹かれてる」
「そう、か……」

確かに幸村の告白は衝撃的だったが、リョーマならと納得してしまう。
あの自由な考え方や、強い意思に意外な優しさ。
外見も可愛らしく、男とか女とか関係ないとさえ思えてくる。

それに幸村が好きになった相手が誰であろうと、反対出来るはずがない。
これだけはっきりと好きだと言うのだから、よっぽど深い気持ちがあるのだろう。
おかしいだなんて、そんなの欠片も思ったりしない。

「それで、越前には気持ちを伝えたのか?」
「まだだよ。このままの状態では言い辛くて……。
やっぱり退院して元気になったら、改めて伝えようかと考えている」
「そう、か」

入院している間は、口に出し辛いものか。
もし以前の幸村なら、すぐに告白出来ただろうに。
こんな時にも病気が彼の願いを邪魔する。
辛いことだな、と真田は考えた。

「だから越前君には内緒にして欲しいんだ。黙っててくれるよね?真田」
「勿論だ。俺は誰かに喋ったりはしない」
「うん。信用しているよ。
お見舞いに来てくれる間、少しずつアプローチしようと思っているからさ。
気持ちを知られたら、ぎこちなくなりそうで怖くって」
「お前でも怖いと思うことがあるんだな」
「やだなあ。その位あるよ。……色々とね」

意味深に言って、幸村は真田の手をさっと取った。

「真田、頼みがあるんだ」
「な、なんだ」
「俺の気持ちを知った上で、相談出来るのは真田しかいない。
どうか越前君との仲を応援してくれないか」
「応援?しかし俺に何か出来ることはあるのか…?」

考えても思いつかない。

困った顔をする真田に「ううん。いいんだ、気持ちだけで」と幸村は笑う。

「気持ちだけ、なら」
「ありがとう。嬉しいよ!約束、したからね」

そう言って小指を絡ませて、「約束」と幸村はもう一度言った。


果たして自分に大した応援など出来るはずは無いと思うが、
幸村はそんな期待はしていないはずだ。

気持ちだけ、そう二人のことを応援するだけで喜んでくれるならと、
真田は「わかった。約束した」と答えた。


2010年05月23日(日) miracle 19 真田リョ

電話が掛かって来たのは、ちょうど真田とリョーマが地区大会での話をしていた時だった。

「だから、俺がこう強引に打ったらたまたまラケットが手から抜けて、
それがポールに当たって砕けたんだって」
「強引に打つのはあまり感心しないな。
まず戦略を立ててから、行動するべきだ」
「そんなこと言われたって……。じゃあ、あんたなら相手の思うように黙って突っ立っていた?」
「いや、たしかに何とかしようとしてたかもしれない」
「ほら、やっぱり。人のこと言えないじゃん」
「しかし怪我をしてまで無理するのは」
「あんたは怪我したら、さっさと棄権すんの?」
「……しないな」
「でしょ?俺のやったことは、間違ってないじゃん」
「しかし」
「何?なんでそんな風に間違っているみたいに言うんすか?」

眼帯をしていない方の目が、不満を訴えるように真田をじっと見詰める。

「俺はただ、怪我をして欲しくないと思って……」
「は?」

聞き返されて、真田は誤魔化すように咳払いをした。

他校の選手の心配をするなんて、変だと思ったからだ。
リョーマは意味もわからず、首を傾げている。当然だろう。
本人は怪我をしても勝つことを望んでいる。
心配なんて、それこそ迷惑に違いない。

(だがそれでも、怪我をして欲しくないと思うのは変だろうか)

これ以上この話を引っ張ると、もっとおかしなことを口走りそうだ。
どうにかして別の話題に変えなければと考え込んでいると、
不意にリョーマの携帯が着信を知らせる。

「ちょっと、待って」
鞄から携帯を取り出して表示を確認した所で、
リョーマの顔が強張る。

「どうしたんだ」

真田の問いに答えることなく、「待ってて」と言って席を立ってしまう。
家族から早く帰って来るように言われたのかと、真田は電話の相手が誰なのか考える。

妙に慌てていた。
何か問題でも発生したのか。
だとしたら力になってやれることは無いだろうかと、思った。
リョーマには相談になってもらったり、世話になっている。

もし彼が困ったことになったりしたら、何を置いても駆けつけてやりたいと思うのは当然だ。

しかし本当の意味で困ったことになるのは真田の方なのだが、まだ何も知ることない。

慣れない会話を続けていた所為で、喉が乾いた。
先程購入したのは風味も無いコーヒーだが、無いよりマシだろう。
カラフルな紙コップを持ち上げて、真田はぐいっと飲み干した。









携帯に表示された名前に、リョーマは驚いてすぐに外に出ようと思った。

電話の相手は幸村だった。
真田と一緒にいる時なんて、タイミングが悪過ぎる。

今日は見舞いに行くつもりだったが、
怪我の治療に時間が掛かって、それ所ではなくなった。
来ないことを心配して、連絡を入れて来たのかもしれない。

それにしても真田と一緒なのはまず過ぎる。
もうちょっと後になったら真田と友人になったことを話すつもりでいたが、今はまだ早い。

とにかく外へ出て、、それから今日は行くことが出来ないと謝罪しなければ。

店から出るとすぐにリョーマは通話ボタンを押した。

「もしもし、あの、幸村さん。今日は」
「越前君、そんなに慌ててどうしたの」
リョーマが喋ろうとするのを、幸村が遮る。
「今、電車の中かな?だとしたら、すぐに切るから」
「えっ、あ、いや。実は今日試合で怪我しちゃって」
「そうなの?大丈夫!?どこを怪我したの?」
矢継ぎ早な質問に、「平気」と答える。

「あ、傷は大したことはないんだけど。
病室で処置するように言われちゃって。
遅くなったからそっちに行けそうにないんだけど……ごめん」

謝罪しても幸村は何も言わない。
怒っているのか、がっかりしているのか。

沈黙に耐えられず、何か話そうと口を開きかけると、
「いや、いいんだよ。怪我したんじゃしょうがないよ」と優しく言われる。

「本当に大丈夫?無理したら、駄目だよ」
「あ、うん。……もう血は止まっているから平気」
「良かった。もう無茶はしないで。本当に心配したよ」
「うん……」

来られないことを怒っているわけでもなく、怪我の心配をしてくれる幸村に、
申し訳無いという気持ちになってしまう。

「あの、しばらく練習に参加させてもらえないから、明日はそっちに行けると思う」
「そう。でも怪我を治す方を優先しなくちゃね。ちゃんと病院にも行くんだよ」
「わかってるよ」
「それじゃ、お大事に」
「うん。また明日」

思っていたよりもあっさりと会話は終わった。

来られないことにもっと愚図られるかと覚悟しいていたが、
怪我人にはさすがに我侭を言えないのだろうか。

何にしろ良かったと思いつつ、店内へ移動する。

そろそろ帰った方がいいだろう。
短いけれど、今の会話でどっと疲れた。

やはり自分に隠し事は向いていない。
早く幸村に何もかも話せる日が来ればいいと思う。

(それまでに立海の方が落ち着けばいいんだけど)


ともかく真田に帰ることを伝えようと、リョーマはノロノロとした足取りで席へと向かった。















昨日は、結局リョーマの電話が終わってからすぐに店から出ることになった。
急用の電話だったのかと尋ねても、大したことないとはぐらかされたが、
やはり家族に戻って来るように叱られていたに違いない。
店の前で別れようとするリョーマを、真田は無理言って家まで送って行った。
この程度の怪我で心配することないと拒否されたが、そこだけは譲らなかった。
無事に送り届けるまでは安心出来ないと主張し続けて、
ようやくリョーマの了解を得ることが出来た。
遠回りなのに、とリョーマはブツブツ言っていたが、
そんなのは面倒の内に入らない。

「じゃあね。わざわざ来てくれて、ありがと」

手を振って家に入るリョーマを見て、ようやく真田は安堵した。
ここまで来れば、後は心配することは無い。

安心して、駅へと向かった。



そして、今朝。
昨日は神奈川と東京の往復とで色々慌しかった為に何の確認もしていなかったが、
幸村からのメールが携帯に入っていたことに気付いた。

『地区大会のことで、聞きたいことがある。
良かったら、今日こちらに寄って欲しい』

幸村からの頼みとは珍しいことだ。
昨日、顔を出さなかったから今日は行くつもりだった。

必ず行くと返信して、朝練の為に学校へと向かう。


真田はいつも一番乗りだったが、今日は先に柳が到着していた。

「おはよう」
挨拶をすると、「おはよう、弦一郎」と柳は真っ直ぐにこちらに視線を向けた。

「すまないが、少し話をしたい。
着替え終わったら、すぐコートに出てくれないか」
「ああ」

昨日、先に帰ったことを咎めているのだろうか。
柳の表情はいつもより強張っていた。
理由も聞かずに咎めるなんておかしいと思いつつ、真田は制服からジャージへ着替える。

まだ早い時間の為、部員達は出ていない。

誰もいないテニスコートの端に、二人で向き合って立つ。

「蓮二。昨日はすまなかった。
お前には面倒を掛けたな」

まず先に帰ったことを謝罪すると、
「その事はどうでもいい」と言われる。

「解散して、皆それぞれ帰った。
幸村への報告も俺一人で充分な位だったからな」
「そうか」
「俺が聞きたいのは、急用の内容だ。
弦一郎。いつからお前は青学の選手と親しくしているのだ?」
「それは……」

意表を突かれて、真田は口篭った。
まさか柳の口から、そんな事を言われるとは思ってもみなかった。

「何故知っている。そういう顔をしているな」

柳はフッと笑った。

「昨日、月刊プロテニスとの会話を赤也が聞いていた。
青学の一年が怪我をしたと聞いて、お前が血相変えて帰って行ったと」
「赤也が……」
「その件について責めるなよ。聞こうと思えば、俺だって出来たことだ」
「わかっている」

別に記者とは秘密の話をしたわけではない。
切原が聞いていようと、その点でとやかく言うつもりはなかった。

「ところで赤也が言ったことは本当なのか。
あの後、青学の一年レギュラーの所に行ったのか」
「ああ、そうだ」

ここまで言われて誤魔化すわけにもいかない。
真田はきっぱりと肯定した。

「あいつが怪我をしたと聞いて、居ても立ってもいられず様子を確認しに行った。
それだけだ」
「その件は、幸村も知っているのか?」

幸村の名前を出されて、真田は動揺した。

勿論、彼には何も話していない。
他校の、しかも年下の相手に相談しているなんてとても言えないからだ。

黙ったままの真田に「その分だと、何も話していないようだな」と柳は言った。

「別に誰と誰が親しくしてようと、構わないと思う。
友情に先に後も無い。知り合った順序なんて関係ない。
しかし一言、幸村には知らせても良かったんじゃないか。
何故言わなかった。 
言えない理由でもあるのか」
「そんなことは、無いが……ただ自分が情けなくて言えなかっただけだ」
「情けない?」

どういうことだ、と尋ねる柳に、真田は観念してリョーマとこれまでやり取りしていたことを伝えた。

全ての話を聞いてから、「そういうことか……」と柳は頷く。

「お前が一人で悩んでいるのに気付かなかった、俺にも非があるな」
「そんなことはない。お前はよくやってくれている。
俺が悪いんだ。幸村に任されていたのに、結局部員を纏められないから」
「いや。そう言って自分を追い詰めるな。
しかし、その越前って子は黙ってお前の話を聞いてくれているのか。
幸村とも親しいようだが、青学のスパイってわけじゃなさそうだな」
「ああ。それだけは断言する。
あいつはそこまで気が回るような奴ではない」

真田の言い分に、柳は少し表情を柔らかくした。

「そんなことするような奴じゃなく、気が回らないと否定するとはな。
お前の言っていることは、本当のようだな」
「あ、いや。そういう意味では……」

しかしリョーマがスパイする程要領の良い者だと思えないのも事実だ。
困ったように頭を掻く真田に、
「お前もその彼のことを気に入っているようだな」と言われる。

「だったら幸村にも、友人になったと言っておくんだな。
難しいことではないだろう?
この先も彼と友好な関係を続けたいのなら、そうするべきだ」
「……そうかもしれないな」
「とはいえ、幸村も知っていることだぞ。
昨日、俺が赤也から話聞いたのは幸村の病室だった。
丸井やジャッカルもこの事情は知っている」

幸村がもう知っているということを聞かされて、真田は目を見開いた。

(あのメールはそういうことか。
越前と仲良くしている俺に、どういうことかと説明を聞きたいのかもしれない……)

知られているのなら、もう全部打ち明けるしかない。
リョーマに色々立海のことを相談し、アドバイス受けていたことを情けないと思われるかもしれないが、仕方無いことだ。


「わかった。幸村には今日病室に来るよう連絡を受けた。
ちゃんと説明をする」
「そうか。きちんと話をしてこい」
「ああ」

とはいえ上手く話す自信は無い。
正直に洗い浚い喋るやり方しか出来ない自分に、溜息をついてしまう。

しかし柳の言う通り、幸村の知らないところでこそこそ仲良くしているのも良くないと思った。
友人になったことを伝える良い機会だと考えよう。

リョーマも言っていたではないか。
落ち込んでいても何も変わらない。
立ち止まるよりも、進む方が良いと。
今こそ、それを見習う時だ。



「あーっ、真田!」

丸井の声に振り返ると、ものすごい勢いでこちらに走って来るのが見えた。

「お前、昨日はどういうことだよ。
越前と会っていたのか?なんでお前が越前と」
「丸井、ちょっと落ち着け」
柳が宥めるように両肩に手を置いて、押し留める。

「弦一郎には俺から話をした。
これ以上責めないでやってくれ」
「けど……」
「聞きたいことがあるなら、俺から説明する。
弦一郎もそれでいいな?」
「ああ」

柳ならきっと上手に説明してくれるだろう。

不審に満ちた丸井の視線を受けて、柳に頼むとその背中に念じる。

幸村と会った時どんな説明をすればいいか、
今はそれを考えるだけで精一杯だった。


2010年05月22日(土) miracle 18 真田リョ

勢いで飛び出して来たものの、どこへ向えばいいのだろうと、
真田は青学の最寄の駅に到着した所でやっと気付いた。

よく考えてみれば病院で治療した後に学校へ戻るはずがない。
だとしたら自宅に帰った可能性が高い。
しかしリョーマがどこに住んでいるかは知らない。

(困ったな……)

考え無しにここまで来るべきではなかった。
だが諦めて帰ろうとは思わない。
怪我の程度がどの位か知るまでは、帰れない。

数秒悩んでから、真田は携帯の存在を思い出した。

最初からこれで連絡を取るべきだった。
そう思いながら、リョーマの番号を呼び出す。

「はい、もしもし?」

意外にも元気そうなリョーマの声にホッと安堵し、
「真田だが、今、話をしても平気か?」と尋ねる。
「大丈夫だけど。何かあったんすか?」

逆に心配されてしまった。
また相談の電話だと思ったのだろうか。
真田は「違う。その、お前が怪我をしたと聞いて……」と否定した。

「えっ、誰から聞いたんすか?」
「月刊プロテニスの記者からだ。
青学の試合の結果を聞いた時に、怪我人が出たと聞かされた。
それがお前だとわかって、思わずこちらに飛び出して来たが、案外元気そうだな」
「えっ。飛び出したって、今どこにいるんすか?」

リョーマの問いに真田は今いる駅の場所を告げる。

「ああ。それなら近くまで来ているから、そっちまで行くよ」
「しかし怪我人に負担を掛けさせるわけには」
「どうせ、車で送ってもらうから平気。じゃ、また後で」
「おい、越前!?」

既に通話は切られた。

(何故人の話を最後まで聞かない……)

そう思ったら、今はリョーマの怪我の具合を確認しておきたかったので、
直接会えるのは有り難いことだ。
案外元気そうな声だったので、軽い傷なのかもしれない。
それだったらこちらも安心出来る。
とにかく今は会って詳しい話を聞こう、と決めてリョーマを待つことにする。

10分後。

リョーマは眼帯をした状態で現れた。

少し離れた所で、ここまで送ってくれた車に手を振って挨拶をしている。

「越前」

名前を呼ぶと、こちらを見て小さく頭を下げる。
同時に車は走り去って行く。
真田は急いで駆け寄った。

「家族に送ってもらって来たのか?なのに、わざわざこんな所に来ていいのか」
「ううん。あれは顧問だって。
病院から帰る途中に、真田さんから電話もらったから、ここで降ろしてもらっただけ。
折角来てもらったのに、帰すのもなんだと思ってさ。
それとも、急いで帰らなきゃいけなかった?」

片方の目で覗きこまれて、真田は大きく首を横に振った。

「そんなことはない。
むしろお前の方こそ、直ぐに家へ帰らなきゃいけないんじゃないか。
きっと家族が心配している」
「それなら大丈夫っすよ。どうせ母さんは仕事で戻っていないだろうし、親父もどっかふらふら出歩いているんじゃないの」
「そうか……」

越前家は放任主義なのかもしれない。
あっけらかんとしたリョーマの物の言い方に、そう思った。


「で、怪我の状態はどうなんだ」
「平気だって言っているじゃん。大体、皆この位で騒ぎ過ぎだよ……」

溜息をついて、リョーマはうんざりしたように肩を落としている。

それでも真新しい眼帯が痛々しい。

試合を中断した位なら、決して軽い傷では無かったはずだ。
なのにリョーマは平気そうにしている。
一年生で、しかもこんなに小さいのに我慢強いというか、肝が座っているというか。

立海にもこんな新入生が入っていてくれたら、と思わずにいられない。
何しろ真田が一睨みしただけで、怖がって動けなくなるような部員ばかりだ。
二年生も切原を除けば先輩を乗り越えようとするような気概ある者はいない。
今のレギュラーが抜けた後の部の行く末が心配だ。
もし、リョーマのような人材がいれば。
切原にもいい刺激になるだろうし、同学年達を引っ張って行ってくれるのではないか。

青学はその点恵まれたな、とリョーマの横顔を見る。

当の本人は「お腹空いた……」と腹を押さえていた。

「真田さんは?試合したんでしょ。腹減ってないっすか?」
「いや。そこまでは。
しかし、そう言うのならどこかに入るか?
沢山食べて、早く怪我を治した方がいいだろう」
「……食べてもそんな早く治らないと思うけど。
ま、いいか。ちょうどいい、あそこに入ろうよ」
「えっ」

リョーマが指差した先にはどこにでもあるチェーン店のファーストフードがある。
ぎょっとして、真田は「いや、他の店にしないか?」と提案する。

「何で?ハンバーガー嫌い?」
「いや、ああいう店は苦手なんだ」
「でも、立海の人達と寄ったこと位はあるでしょ」
「無いな。まず、寄り道は禁止されている」

真田の言葉に、リョーマは一瞬目を丸くして、そして小さく笑った。

「そんなの律儀に守っている人なんて、そうそういないよ。
けど、だったら尚の事俺と一緒に入ってみない?」
「だったらもっと普通の店にしてくれないか……」

抵抗しようとしたが、リョーマにぎゅっと腕を取られてしまう。

「たしかに真田さんがファーストフードに入るのって似合わないよね。
でも逆に見てみたいかも」
「からかっているのか!?」
「ううん。面白がっているだけ」
「おい、越前……」
「ハンバーガーより箸で和食食べている方が真田さんらしいかな。勿論着物姿で。
今度、そんな姿見せてよ」
「お前は俺に一体どんなイメージを抱いているんだ」
「まあ、今はともかくハンバーガーで我慢してよ」
「結局、そこに戻るのか」


しかしリョーマに押し切られる形で、結局店内に入ってしまう。

どこの少年相手だと、ペースを崩されてばかりだ。
だが、それが嫌だとは思わない。
むしろ一緒に居る時間を楽しんでいる自分がいる。

今までにない不思議な感覚に、真田は何なんだろうな、と首を捻った。










その頃、立海のレギュラー達は幸村のいる病院へと向かっていた。
とはいえ仁王と柳生は不在だ。
試合でも時折ぼんやりしていた仁王を心配してた柳生が「送って行く」と言い出したからだ。
大勢で押し掛けても迷惑になるので、柳は二人をそのまま送り出した。

「しかし、幸村への報告なら俺一人だけでも充分だと思うのだが」

病院であまり騒ぐなよ、と釘を刺す柳に、
「騒ぎに来たわけじゃねえよ。地区大会優勝したことを、俺だって幸村に伝えたかったんだからな」と、丸井は言った。

「そう言いながらも、見舞いのケーキが目当てじゃないんすか。
俺達にまで出費させて、いっつも丸井先輩がほとんど食べているじゃないっすか」
不満を漏らす切原に、丸井は軽く肘で脇腹を小突く。
「なんだと?幸村がいらないって言うから、食ってやっているだけだろい」
「だったら最初から花とか他のもんを買えば済むことなんじゃ……」
「見舞いにはケーキだって決まっているだろ」
「誰がそんなこと」
「お前らな。今、柳に注意された所だろ」
ジャッカルが呆れたような声を出す。

「ここは病院で静かにしないのなら、もう帰れ。
ケーキは俺が幸村に渡しておく」
「あー、ジャッカルずりぃ」
「ずるいって、何がだ」
「そう言って独り占めするつもりだろい」
「ジャッカル先輩、それはさすがにまずいっすよ。そんなにケーキ食べたかったんすか?」
「なっ、誰がそんなことするか」
「今、まさに独り占めしようとしてたじゃねえか」
「だから、誤解だって」

なんだかんだと騒ぎ始めた三人に、柳は足を止めて静かに言った。

「お前達、本当にいい加減にしないか。
そんなに体力があり余っているのなら、明日のメニューは倍にした方が良さそうだな」

途端に、全員大人しくなる。
柳は冗談は言わない。やると言ったら、やる。
こちらが根を上げるようなメニューを考えて、きっちりと締め上げる。

静かにしようと、誰もが口を閉じる。
それを確認して、柳は満足そうに頷いた。

もう一度、今度は会話無しで幸村の病室へと歩き出す。





「やあ。皆、今日はお疲れ様」

笑顔で迎えてくれる幸村に、柳は優勝したことを伝える。

それは良かったと笑顔を浮かべた後、
「ところで真田の姿が見えないようだけど」と幸村は全員の顔を見渡した。

「何かあった?いつもなら真っ先に知らせに来るような奴なのに」
「いや、それが俺にもよくわからないんだ」

柳は眉を顰めて言った。

「急用だとかで、かなり急いで帰って行った。
あの慌て振りだと家で何かあったとしか思えない」
「ちょっと、いいっすか?」

それまで大人しくしていた切原が、軽く手を上げた。

「どうした、赤也。何か聞いているのか」
「いや、直接じゃないんだけど。
月刊プロテニスの人が話していた内容で、顔色変えて帰って行ったからなんか関係あるかと思って」
「なんだ、赤也。聞き耳立てていたのかよ。邪魔するなって追い払われたのに」
「へへっ、そりゃどんな話しているか気になるでしょ」
「それで、内容はなんだったんだ」

じれったいというように、柳が口を挟む。
切原も「あ、そうそう」と続きを話す。

「確か、青学が地区大会で優勝したってここと、
試合の最中にその青学の選手が怪我していたことを、真田副部長に教えていたっす」
「怪我?誰が?」
「たしか、えーっと一人が河村で、もう一人が一年レギュラーだって言っていたっす」
「一年のレギュラーって……」

幸村が絶句したのを見て、「おい、越前かよ!」と丸井が声を上げた。

「え、いや。そこははっきりとは聞こえなかったけど……」
「なんだよ。肝心な所なのに!」
「落ち着け、丸井」
ジャッカルは丸井の肩に手を置いて、静かにするよう制する。
ここは病院なのだ。騒ぐのは他の病室にも迷惑になる。

さすがに柳は落ち着いた様子で、
「その一年が一体どうしたと言うんだ。真田と親しいのか?」と小さな声で言った。
「そんなはず、無いだろい。大体、なんで越前が怪我したからって真田が慌てるんだ?
意味わからねえぞ」


そこまで言って、丸井は幸村の方へと視線を向けた。
彼なら知っているのかと、思ったのだ。

だが幸村は何か考え込んでいるかのに、虚空をじっと見ている。

どうして、と唇が動く。

リョーマが怪我をしたと聞いて真田が飛び出して行った訳を、幸村も知らないようだ。

ぐっと唇を噛んだ後、ゆっくりとこちらを振り返る。

「皆、ちょっと用事が出来たんだ。申し訳ないけど、今日は退室してもらっていいかな?」

ただならぬ迫力に、全員頷いて外へ出ようとする。

「そうだ、丸井。折角買って来てくれたけど食べきれないから、このケーキ持って行ってくれるかな?」
「あ、ああ。わかった」

大好きなケーキの箱を渡されても、嬉しいと思わなかった。
それよりも幸村の青白い表情の方が怖くて、受け取る手も震えてしまう。


病室を出たところで、やっと安堵の息を吐く。

「丸井。一体、どいうことだ。詳しく、話を聞かせてくれないか」

柳に袖を引っ張られて、丸井は曖昧に頷いた。
一体何なのか、正直自分でもわからない。
真田とリョーマがいつ繋がりを持ったかなんて、知らない。
どう説明したものか。

とにかくわかる範囲だけでもと、迷いながら口を開いた。











四人が出て行ったのを確認してから、幸村は携帯を取り出した。

リョーマと真田。
どちらに掛けるべきか考えながら、病室から外へと出る。


切原の話を聞いて、ピンと来た。
真田は間違いなく、リョーマの所へ行ったんだろう。
怪我をしたと聞いて、相当慌てて柳にも説明出来なかったのだ。
もし家の方で何かあったら、きちんとそう告げるはずだ。
言えなかったのは、咄嗟のことで誤魔化す理由すら思い付かなかったのだろう。

(それにしても、二人がいつの間にか親しくなっていたなんてね……)

知らなかった、と呟く。

どうやら注意しなくてはいけない相手は、
青学ではなく身近に居たのだと幸村は気付いた。


2010年05月21日(金) 休日 真田リョ


何面もある広いコートは、当然ながら自分の家の裏にある手作りのコートとは違い過ぎる。

以前にも切原赤也との野試合で来たことがあったが、
改めて見てもここのクラブの設備は整っている。

前回、雨が降って自宅コートでの打ち合いは流れたが、それでよかったかもしれないとリョーマは考えた。
いつもこんな所で打っている真田を、あんな大雑把なコートに連れて行ったりしたら。
きっと呆れてしまって、もうテニスに誘ってもらえなくなるかもしれない。

「どうした、越前。具合でも悪いのか?」

急に声を掛けられ、リョーマはハッと我に返る。

「いや、平気っす。あんまりにも立派なコートなんてびっくりしてただけで」
「そうか」

フッ、と真田が目を細めて笑う。
反対にリョーマは目を丸くして、じっと見上げる。

大会の時に真田と何度か顔を合わせたことはあったが、
その度に厳しい表情をしていて、こんな風に笑うなんて思いもしなかった。
だけど大会とは全く違うところで再会して、交流している内に厳しい顔だけじゃなく他の顔もあるんだと知った。
こんな風に笑ったり、穏やかな表情したりするんだって。
そして意外にも面倒見がいいということも知った。

(考えてみれば、記憶喪失になった時も手助けに来てくれたんだっけ。
決勝戦のあの場面で俺に手を貸してくれたんだから、元々そういう性格なんだ……)

見掛けだけで勝手に怖そうな人、と以前は決め付けていたけど、
ここ最近では真田への評価は180度変わっている。
もっと早く友人になりたかった、と思う位に。

「本当に、大丈夫なのか?さっきからずっとぼんやりしているようだが」
再び真田に顔を覗き込まれて、リョーマは「なんでもない」と慌てて首を振る。

「それより早くコートに入ろうよ。時間が勿体ない」
「そう、だな。お前が大丈夫というのなら、打つか」
「今日も負けないよ」
「それは俺の台詞だ」

お互い顔を見合わせ、すぐにコートへ入って行く。
そうなるともう余計なことは頭から消えて、二人はテニスだけに没頭してしまう。



真田と打ち合うのは、関東大会以来だ。
あの時はリョーマが勝利したが、真田もいつまでも同じままではない。
大会後はテニス部を引退したけれど、自主練習を続けていると言っているだけあって、
少しも衰えていない。
むしろ、成長し続けている位だ。
勿論それはリョーマも同じこと。
全国大会という大きな目標は一先ず片付いたが、まだまだ強い者と戦いたい。その思いから、日々の鍛錬は欠かしていない。

「ほお。先程俺に勝利宣言しただけあるな」
真田の打球を打ち返したところで、リョーマはニッと笑ってみせた。
「あんたもね。まだ実力出し切っていないでしょ」
「それはお前も同じようだな」
「当然。でもここからは本気で勝ちに行くよ!」

リョーマの言葉に、真田は来い、というように笑顔を向けてくる。

試合でのぴりぴりとした空気も好きだけど、
今日みたいにお互いを認め合い、その上で試合するのも悪くない。

そう思わせたのが、今までほとんど接点の無かった真田だということが不思議だ。

(テニスが強いから?いや、強い人は他にもいる……。
なんでこの人とのテニスは心地良いんだろ)

疑問に気を取られてると、簡単にポイントを決められる。
集中、集中と自分に言い聞かせて、リョーマはくっ、と前を見上げた。











結局、途中で雑念が張り込んだ所為か、今回の勝負は真田の勝ちとなった。

「悔しい。でも、次は負けないから」
そう言って手を差し出すリョーマに真田はまた笑顔を向けて、
「次も俺が勝つ」と手を差し出す
そして握手。

そういえば関東大会では、最後に握手もしなかった。
優勝のごたごたで挨拶さえも出来なかったのだ。
その時のことを思い出し、ぎゅっと真田の手を握ると驚いたように「どうかしたか?」と尋ねて来る。
けれど、決して振り払うことなくリョーマのしたいようにさせてくれて。
良い人なんだよな……、と改めて思った。

「ううん。関東大会のこと思い出しただけっす。
あの時に握手出来なかったから、なんとなくその分も込めてというか」
「そう言えばそうだったな」
懐かしむように真田は言った。
「これで一勝一敗になる」
「うん。でもすぐに逆転するっす」
「本当に負けず嫌いだな」

呆れているわけでもなく、優しい眼差しで言う真田にリョーマは急に恥ずかしくなった。
なんだか父親に見守られ、あやされている子供の図が頭にぽっと浮かんだからだ。

慌てて手を引っ込めようとすると、
「触れていた時間はきっかり3分」との声が聞こえる。

「蓮二?それに……一緒にいるのは乾か」

振り返ると、柳と乾がこちらを見て立っている。
二人はそれぞれノートを手にしている。
ずっと見られていたのか、とリョーマはぎょっとして真田から少し離れた。

「乾先輩、そこで何しているんすか!?」
「久し振りなのに、その言い方は無いんじゃない」

引退してから乾と会うのは久し振りだった。
ノート片手に乾はリョーマの所まで歩いて来る。

「いつの間に真田と親しくなったんだい。
俺のデータには無かった。是非詳しく聞かせてもらおうか」
「なんで話さないといけないんすか」
「今後のデータの為だ」
「なんのデータっすか」

げんなりして肩を落としている間に、今度は柳が真田に近付く。

「俺も事情を聞いておきたい。
いつから越前と仲良くなったんだ」
「ついこの間だ」
きっぱりと真田は真実を告げた。
「それも大会が終わってからのこと。断じて部に迷惑を掛けることはしてない。
コートで打ち合うのも今回が初めてだ」
「そうか。しかし俺は別に責めているわけじゃない。
もう引退した身だ。他校生と打ち合うことも自由だ。
現に俺も貞治と今日は一緒に打つ予定になって、ここに来た」
「だったら何故、いつから親しくなったなどと聞くんだ」
「データの為だ。それに」
「それに?」
「いや。これはまだ推測に過ぎないから止めておこう」

パタン、と柳はノートを閉じた。

「弦一郎。俺は別に誰かに言うつもりはない。
お前も一々越前と会っていることを報告する義務は無いということだ。
したがって、誰かが尋ねて来るまでは越前と交流があることは言わなくてもいいからな」
「そうか……?」
「そうしろ。お互いの為にもな」
「お互い?」
「いや。なんでもない。
貞治、俺達もコートに行くぞ」
「え。俺はまだ越前に聞きたいことが」
「いいから来い。世話を焼かすな」

ずるずると長身の乾を引っ張って、柳は別コートへと向かって行く。

案外、力が強いんだと、リョーマはその姿を見て感心してしまう。



「……俺達もそろそろコートから出るか」
「そうっすね」

なんだか気が削がれてしまった。
テニスをして満足したことだし、今日はもうコートを出てもいいかなと思う。

「シャワーを浴びて、それから少し休憩するか」
「賛成」
すっかり汗を掻いてしまって、張り付いたシャツが気持ち悪い。
シャワーでさっぱり出来るのはありがたい。
足取り軽くリョーマは真田の後について行った。














身支度を整えた後、二人は施設の外に出て近くのカフェに入った。
クラブから近いとうことで、真田もよく立海大のメンバーと来ることがあるらしい。

「寄り道もすることあるんだ。結構、意外なこと多いっすね」
「俺をなんだと思ってる。最も、丸井や赤也が休憩したいと喚くから、寄るようになったのだが」
「へえ。でもそういう融通利く所、良いと思うっすよ。
だから皆も真田さんのこと信じて、ついて来てたんじゃないっすか」
「そ、そうか……」

素直な感想を口にすると、真田は咳払いして店員を呼ぶ。
リョーマは炭酸、真田はアイスコーヒーを頼む。

「そういえば大会の時も炭酸を飲んでいたな。
出来ればスポーツ飲料に変えた方がいいぞ」
「わかっているんだけど、やっぱりつい炭酸選んじゃうんだよね。もう癖みたいなもの」
「そうか。嗜好は人それぞれだが、体のことを考えるとどうしてもな。
少しずつ改善していったらどうだ」
「うーん。考えてみる」

不思議と真田に言われると、素直に話を聞いてしまう。
これが別の誰かだったら、放っておいてと反発する所なのだが……。

自分で思っている以上にずっと、真田に懐いているのかなと、リョーマは考えてしまう。

「越前」
「ん?」
「今日、何度もぼんやりしているようだが、大丈夫なのか。
もし心配事があるのなら、俺で良ければ相談に乗るぞ」
「……」
「いや、勿論解決出来るかどうかはわからないが。
それでも力になれることがあるかもしれない」

一生懸命に言う真田に、リョーマは笑みを零した。

裏表なく、こうして他人を心配する彼に心を開いてしまうのも無理は無い。
友人として良い関係を築き上げることが出来たら、きっと楽しい時を共有出来るに違いない。

「大丈夫。さっきも言っていたけど、悩んでなんかいないっす」
「本当か?」
「うん。でも一つ、言えるとしたら」
「なんだ」
「次の休日も俺に付き合って、テニスしてくれるっすか?」

リョーマの問いに真田は少し驚き、そして「勿論だ」と頷いた。

「お前がそう言ってくれるのなら、有り難い。
実は俺も、そのつもりだった」
「そうなんだ。良かった。
あ、でも俺の家のコートで打つのはやっぱり無しにしよ。
設備も整っていないから、その、満足に打てるとは思えないから」
誤魔化すように笑うリョーマに、
真田は真面目な顔で「何故そう思う?」と言った。

「お前はいつもそこで打っているのだろう?だったら問題は無いはずだ。
設備が整っていない?そんなのは関係ない。
テニスが好きだからこそ、コートを作ったのだろう。
そんな思い入れのある場所を他と比べて不満に思うことは有り得ん」
「真田さん……」
「あっ、いや、しかし自宅のコートだからご迷惑になることもあるだろう。
勿論、無理にとは言わない」

さっきまでは胸を張って言えていたのに、
急にしどろもどろになるのが可笑しくて、リョーマはまた笑った。


そして、
「じゃあ、次は必ず俺の家で」と約束する。



きっと真田となら、どこでテニスしても楽しいのだろう。
ふと、そんな風に思った。


2010年05月20日(木) miracle 17 真田リョ

いよいよ地区大会が始まった。
三年生は今大会で引退となる。
連覇を目指して、立海は特に気合を入れて臨んでいた。

しかし部員全員が同じ気持ちだとは限らない。

「たかが地区大会っすよね。うちの敵になるような学校って無いんじゃないっすか?」

呑気な声を出す切原を一睨みすると、慌てて柳の背に隠れてしまう。

全く、たるんどる、と真田は心の中で小さく呟いた。

少し前ならこの程度のことで、鉄拳を振舞っていた。
あれはやり過ぎだったと、今になって反省する。
あの頃はとにかく幸村の抜けた部をまとめようとして必死で、周りが見えていなかった。
規律を乱す部員が許せず、はみ出す者は全て制裁した。

部員達が自分に不満を持つのは当然だ。
これでは付いて来る者もいなくなってしまう。

柔軟な考えを持って、今からでもやり方を少し変えてみようと真田は思った。

リョーマと会話するようになってから、狭かった視野が突然大きく開いたように見えた。
彼からの影響は大きい。
初めに会った頃は、なんてやりたい放題な奴だと呆れもしたが、
自由なものの言い方に、なる程と頷くことも多い。
リョーマと話すと、悩むのが馬鹿馬鹿しくなるというか、考え方が楽になっていく。

幸村が気に入るはずだな、と真田は思った。
ずっと入院している幸村は、彼の前向きな心に元気付けられているのだろう。

一緒にいる所は数えるくらいしか見たことが無いが、かなりリョーマを気に入っているように感じた。
もしかしたらリョーマのどの部員よりも、リョーマと親しくしているのかもしれない。

「どうした、弦一郎。ぼんやりしてお前らしくないな」
「蓮二」
肩を叩かれ、ぎくっとして振り返ると柳が「整列だぞ」とコートに目線を送る。

「試合前に緊張しているのか。珍しいな。
少し肩から力を抜いておけよ」
「あ、ああ。そうする」

こんな時に幸村とリョーマがどの位親しいかなんて、考えるべきではない。
思考を切り替えて、真田はコートへと歩き出す。

中学生活最後の大会が、始まる。

悔いのないように全力を尽くそう。

知らず、ラケットを持つ手に力が篭った。










一方、その頃リョーマは大会に初めてダブルスで出場する為、
パートナーである桃城と打ち合わせをしていた。

「だから、真ん中に来たら例の合言葉があるだろ。それ以外は俺が合図するから、勝手に取るんじゃねーぞ」
「はあ。面倒くさ。自分でも拾えるのに」
「お前、やる気あるのか!?」
「いや、段々無くなってきた気がする」
「おいっ。今更どうすんだ!」
「出るって言ったからには、ダブルスで出場はするけど……はあ」

途端に桃城に小突かれる。
仕返ししようとリョーマが手を構えた所で、
「君達、仲がいいねえ」といつの間にかすぐ横に立っていた不二が口を開いた。

「ダブルスまで組んで、一体どうしたの。全く向いていないみたいなのに」
「向いていないっすか。やっぱり……」

客観的に見てもそうなんだ、とリョーマは肩を落とした。
先日ストリートテニスで今日の対戦校の玉林の選手にダブルスで負けた。
リベンジしてやろう、と桃城と組んだのはいいが、
自分でもこれはまずいと思い始めてきた。
今までダブルスをするなんて一度も考えたことが無い為、
コートの中に誰かが隣にいるというだけで鬱陶しくて敵わない。

そんなリョーマの杞憂に気付くことなく、
「心配するなって」と、桃城が明るい声を出す。

「あいつらに借りを返さねえとな。以前の俺達とは違うって見せ付けてやろうぜ」
「……そうっすね」

コートに入る前、何回かボールをぶつけることになるかもしれないけど、
よろしくと言っておくべきだろうか。

リョーマは真剣に悩んでしまった。









そして案の定、ダブルスの試合では散々な醜態をさらして、皆の失笑を買ってしまった。

勝てただけ良かったよと、不二によくわからない慰めの言葉をもらっても、
リョーマには言い返す気力すら残っていなかった。

滅茶苦茶やった罰として正座させられ、しかも次の試合は補欠だと命じられても、
逆らうことなく従ったのは、疲れていた所為かもしれない。

絶対この先はシングルスしかやらない。
ダブルスなんて頼まれてもやるものかと誓ったのだが、
この場にいる青学の部員全員がリョーマにダブルスをやらせてはいけない、と思っていた。


「もう、桃先輩の所為で散々だったじゃないっすか」
「原因は俺だけかよ!?人の頭にボールぶつけといて、そりゃないだろ」
「あ、覚えてた」
「当たり前だ!」

桃城と二人で正座しながら、お互いの文句を言い合う。
しかし桃城は本気で怒っている様子はなかった。
ただ「お前とは二度と組まねえからな」と釘を刺されたが……。


「ほら、大石先輩達の動きを見ろよ。あれがダブルスってものだぜ」
「ふーん」

D1の試合で、いともあっさりと相手チームを倒す大石と菊丸のペアに、
リョーマは面白く無さそうな声を出した。

「あの二人って、全国行ってるんでしょ?上手くて当たり前なんじゃないの」
「けど、ゴールデンペアって呼ばれるようになるまで努力してるんだぞ。少しは見習えよ」
「もうダブルスはしないから、関係無いんだけど……。
それよりあの二人が全国で一番強いペアなんすか?」
「いや、それはわからねえよ」

困ったように桃城は頭を掻いた。

「他にもダブルスが強いペアはいるからな。
この先勝ち抜いていかない限り、なんとも言えねえよ」
「他に強いところ?どこ?」
「そうだなあ。都内なら氷帝か山吹か。関東ならやっぱり立海だな」
「ふーん。そんなに強いんだ。立海って」
「当たり前だろ。前回と前々回の優勝校だぞ!」
「やっぱり立海ってすごいんだ……」

感心したように言うと、
「おや、越前。立海に興味があるのかな?」とまた不二の声がする。
「不二先輩!?いつから聞いていたんすか!」

さっきからよく絡んでくるよな……、とリョーマは会話に入って来た不二に眉を寄せる。
一体、何なんだ。後輩を嗅ぎ回る趣味でもあるのだろうか。
乾よりも厄介かも、と警戒を露にする。

不二は気にすることなく、「ねえ、どうなの?」と顔を覗き込んで来た。

「立海のこと知りたいの?」
「いや、強いところがどんなのか知りたいって普通でしょ」
そう言って横を向くと、「へえー、普通ねえ」と含むように言われる。

「まあ、いいや。勝ち進んで行けば、いずれ立海とも当たるだろうし。
その時の君の反応が楽しみだなあ」

試合前にアップしときたいから行くね、と不二は去って行く。

「なあ。不二先輩って、結局何が言いたかったんだ?」
首を傾げて問い掛けて来る桃城に、
「こっちが知りたいっす」とリョーマはげんなり肩を落として答えた。

何を勝手に憶測しているかは知らないが、人の反応を見て楽しむのは止めて欲しいものだ。
















さて、立海の方はさすが地区大会では敵無しと評価されている通り、
順調に勝ち進めて行った。

時々ぼんやりしている仁王に、真田は不安を覚えたが、
コートに入るといつも通りのペテンで相手を翻弄し、試合では結局何の問題も無くストレートで勝利した。
そして自らエースと名乗っている切原は、試合時間の最短記録を次々と作っていく程調子が良かった。
前の週での練習試合での遅刻という失態をしたが、全て帳消しになる位の活躍をした。

「あらら、もう終わり?」

決勝の相手が切原の圧倒的な実力に打ちのめされて、蹲ってしまっている。
チームメイトが声を掛けて、ようやく立ち上がって切原と握手する。
そこで試合は終わった。

「呆気無かったなー」

整列の後、気の抜けたように言う切原に、
ダブルスで早々に勝利を決めた丸井も「こんなもんだろい」と同調する。

「県大会までは張り合う相手もいないからなあ。
関東になりゃ、そこそこ骨のある選手もいるだろけど」
「ああ、じれってえなあ。すっ飛ばして関東大会に行けたらいいのに」
「そりゃ無理だろ」

二人がごちゃごちゃやり取りをしているのが聞こえて、
静かにしろと注意すべきかと真田はしばし考えた。

声のトーンが大きくなった所で、やはり言わねばならんと口を開きかけた所で、
「真田君」と名前を呼ばれる。

振り向くと月刊プロテニスの記者が手を上げてこちらに歩いて来るのが見えた。
この記者は学生テニスにも関心を持っていて、時折取材に訪れることがあった。
大会で優勝した時も大きく取り上げられた。
今日もきっとどこかで試合を見ていたのだろう。

「優勝おめでとう。さすが王者立海だね。他を全く寄せ付けない試合だった」
「ありがとうございます」

礼を述べると、「少し話を聞かせてもらっていいかな」と言われる。
予想していたことなので、「はい」と頷く。

2、3簡単な質問を受け、真田はそれに答えた。
今日は地区大会ということで、特に構えるような内容でもなかった。
これからの抱負や、今日の調子等、ありきたりなものだ。


メモを取り終わった所で「そういえば」と記者が口を開く。

「青学の方も優勝したみたいだよ。
けど手塚君は結局最後まで出場しなかったらしい」
「そうですか……」

一年の時から真田が手塚のことをライバル視していると知っている為、
記者はこうして情報をもたらしてくれる事もある。

出場しなかったのは立海と同じようにD1・2とS3で勝ったからなのかと、
考える。
真田の表情から記者は考えを察したらしく、
「決勝ではストレート勝ちというようにはいかなかったみたいだ」と言った。

「怪我人を出して苦戦したそうだ」
「怪我人、ですか」

ふっと頭を過ぎったのはリョーマのことだ。
無茶していんければいいが、彼はその無茶を平気でやりそうな気がする。

不安になって思わず、「誰が怪我をしたんですか?」と尋ねてしまう。

「えーっと、一人が河村君と言って、相手のボールを受けた時に手にヒビが入ったらしい。
もう一人は一年生の越前君だね。
どうやら無理に打とうとしたら、ラケットが手から離れて壊れてしまったようだ。
その破片が瞼を切って血が出たとか」
「その傷は、酷かったんですか?」
「多分ね。一時は試合を中断するとか揉めたって報告も……。
真田君?」
「すみません、ここで失礼します」

話の途中だったが、リョーマの名前が出て激しく動揺する。
やはり怪我をしたのはリョーマだった。
しかも瞼を深く切ったと聞かされて、平静でいられるはずがない。

こうしてはいられないと、真田は荷物を抱えて柳の元へと走った。

「蓮二。すまないが、急用が出来た。
後のことは任せてもいいか」
「弦一郎?一体、どうした」
「悪いが説明している時間は無い。頼む、今は行かせてくれ」
「あ、ああ……」

呆気に取られている柳を置いて、真田は急いで駆け出した。

リョーマの怪我の具合は大丈夫なのだろうか。
頭の中にはそれしかない。

自分が行ったところでどうにもならないと気付くことなく、
とにかくリョーマに会わなければと、慌てて駅へと向かった。


2010年05月19日(水) miracle 16 真田リョ

その日の夕方、リョーマの携帯に真田から電話が掛かって来た。
幸い自室に戻っていたので、すぐに出ることが出来た。
これがまだ部室で着替えていたら、躊躇していた所だ。
何やらこちらの動向を気にしている不二に見付かったら、また詮索されるだろう。
面倒なことは少しでも避けたい。

そんなことを思いながら真田に何かあったのかと聞く。
たどたどしく今日の出来事を話す真田に、
リョーマは何が悩みなんだろうと思った。




「で、あんたは遅刻したその人への罰が足りないって不満に思っているんだ?」

ごろっとベッドに横になって聞き返すと、
「そうかもしれないな」と真田が返事したので笑ってしまいそうになる。
真剣に悩んでいるらしい。
笑ったら悪いと思い、リョーマも真面目に答えてあげようと自分なりの意見を口に出す。

「けどあんまり厳しくすると、また不満に思われるかもしれないんでしょ。
とりあえず様子を見たら?
その人も反省しているようなら、今回はこれで許すってことでいいじゃん」
「しかし、やはり今までのやり方を考えると温過ぎるような」
「だーかーら!」

悩み続けそうな真田を、一喝して止めに入る。

「今までより軽かったと思って、それでまた明日は別の罰を言い渡すの?
相手にしてみたら一度に言えよって、それこそ不満に思われるよ。
他の人だって、どうしたいんだって批判が出て来るかもしれない。
終わったことはもうそれで良しとすればいい。
納得いかないなら、次から考えれば?」

畳み掛けるように言うと、真田は圧倒されたかのように「そう、だな」と言った。

「今回のことで誰からも文句は無いんでしょ?
良かった、って思わないと」
「お前は随分前向きなんだな」
「そりゃ、ね。落ち込んでいても何も変わらないから。
立ち止まってるよりも、進む方がずっといい」
「反省するのも大事だと俺は思うぞ」
「時にはね。けど、真田さんのは考え過ぎ。上手く行っているのに、悩むこと無いでしょ」
「そうか……考え過ぎか」

少しは気が晴れたのだろうか。
最初に話を始めた頃よりは、明るい声になっている。

「そっちも地区大会始まるんでしょ。あんまり悩んで負けるようなことにならないよう、気を付けてよ」
「馬鹿を言うな。そこまで落ちぶれたりはせん」
「ふーん。言い返せる位なら、大丈夫そうだね」

リョーマの言葉に、真田は少し笑った。

「お前と話していると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなってくるな」
「それ、褒めてんの?」
「さあな。だが、気が楽になったのは確かだ」
「真田さんは色々考え過ぎなんだと思う。
まあ、こんな会話で気が紛れるなら、また電話してよ」
「そうだな。また、連絡する

素直に返事する真田に、リョーマは「そうして」と言ってから、
お互い電話を切った。

あの程度の会話もする相手が、立海にはいないのだろうか。
色々考え過ぎて身動き取れなくなっているんじゃないかと、リョーマは真田のことを心配した。

同じ立海の部員で相談出来る相手がいれば、もっと彼も楽になれるだろうに。
自分では話を聞く位しか出来ない。

(大丈夫かなあ……)

真面目過ぎて、全部一人で解決しなければと思い込んでいるように見えた。
もっと肩の力を抜いて、気楽にやればいいのに。
それが出来ない性格なのだろう。

なんとかならないかなあ、とあれこれ考えていると、
再び携帯が鳴った。

「あ……」

相手が幸村だとわかって、リョーマは急いで出る。

「もしもし?幸村さん?」
「うん、そうだよ。今、話しても平気?」
「いいよ。でもそろそろ病室に戻る時間じゃなかったっけ?」

病室では携帯禁止だ。そろそろ夕飯の時間で戻らなければならなかったはず、と時計をちらっと見る。

すると幸村は「そうだけど、その前に君の声が聞きたくって」と言った。

「けどさっき掛けた時は通話中だったから、ぎりぎりまで待っていたんだ」
「そう、なんだ」

真田と電話していた時だ。
別に後ろめたいことは無いのだが、幸村の知らない所で立海の相談に乗っているということが言い出せず、口篭ってしまう。

「越前君が電話なんて、珍しいね。急用だったの?」

幸村の質問に、「まあ、ね」とリョーマは必死で言い訳を考える。

「今朝、遅刻しちゃって。それで明日の朝練には必ず時間通りに来いって、部の先輩に言われてた所っす」
「そうなんだ。けど、越前君が遅刻しないように連絡してくれるなんて、いい先輩だね」
「はあ」
「相手は誰かな?手塚、じゃないよね?」

なんでこんなに聞いて来るんだと思いつつ、
咄嗟に「桃先輩っす」とでっち上げた答えを口にする。

「きっと俺があんまり遅刻するから見るに見兼ねて口出しして来たんじゃないっすかね」
「そう。桃先輩、ね」

幸村の静かな声には妙な迫力があって、リョーマはごくっと唾を飲み込んだ。
何か気に障るようなことを言っただろうか。
全く覚えが無い。
けれどなんとなく幸村の機嫌が悪いことは伝わって来る。

どうしようと頭の中でぐるぐると言い訳を考えていると、
向こう側で幸村の名前を呼ぶ声が聞こえた。
耳を澄ませて聞いてると、どうやら病室に戻るようにと言われているようだ。
リョーマは時計を確認した。
夕飯の時間だ。ということは、もう幸村とはこれ以上会話が出来ない。

どこかホッとしたような気になっていると、
「越前君?」と幸村の声がした。

「夕飯だから病室に戻れって言われちゃったよ」
「うん。聞こえた。じゃあ、もう電話切らないと」
「残念だなあ。もっと詳しい話を聞きたかったのに」
「……」

何が詳しくなのかは、聞けなかった。

名残惜しそうにしている幸村に、「地区大会が終わったら必ず行くから」とだけ約束して、
通話を終える。


(隠し事って、なんか嫌なんだけどなあ。
けどこの場合は、しょうがないか……?)

他校生の自分が、真田の相談(という程でも無いのだが)に乗っているとは言い辛い。

それに幸村はあまり部内の話に関心が無さそうに見える。
ただそう感じるだけで、幸村が実際どう思ってるかは聞かないとわからないのだが……。
ここ最近、立海の話を振ると「よくわからないから」とやんわり拒絶される。
その話はしたくない、そんな風に見えてしまって、
ますます真田と会っていることが言い出し難くなってしまう。

(けど、このままってわけにもいかないだろうから、
一度真田さんにも相談してみようかなあ)

立海の様子が落ち着いたら、実は真田から色々話を聞いていたと幸村に打ち明けてもいいかもしれない。

それはいつになるんだろう。
早ければいいな、とリョーマは軽く考えながら、ごろっとベッドに横になった。













病室に戻った幸村は、出された夕飯を前に溜息をついた。

食べている場合じゃない。
もっと、リョーマと話をしていたかった。

けれど時間通りに病室にいないと叱られる上、両親にも報告されてしまう。
入院してから父も母も妹も自分のことを心配している。
これ以上家族に心配は掛けられない。

だから、仕方なく幸村は夕飯を口に運んだ。

食べながら考えるのは、リョーマのことだ。

練習が終わって、自宅に帰った頃を見計らって携帯に掛けたのだが、
ずっと通話中だった。
こんなこと、初めてだ。

リョーマにそこまで長電話する相手がいるとは、今まで考えもしなかった。
いつも青学での話を聞き出して、特定の仲の良い友人がいないか探りを入れていたのだが、
誰に対しても素っ気無いようで安心していたのに。

(桃先輩ね……。そういえば、越前君の口から一度名前を聞いたことがある)

入部前にリョーマが対戦したと言っていた部員だ。たしか桃城とかいう名字だったはず。
二年生ということで、青学のレギュラーと言われてもぴんと来ない。
幸村が青学で知っているのは手塚と不二を含む三年生達だけだ。

一体どんな奴なのだろうかと、想像を膨らます。

気兼ねなくリョーマと長電話する位だから、社交的な奴なのだろうか。
それとも手塚みたいに規律に厳しく、注意しようと思ってお説教の電話を掛けたのか。

色々考えても、何もわからず焦りだけが増していく。

(お願いだから、越前君との距離をそれ以上縮めないでいて欲しい)

同じ学校という立場にある分、自分といるより一緒にいる時間は長いはず。
そしてどんどん親しくなって、そっちと遊ぶ方を優先して行くようになって、
いつか見舞いに来ることも忘れてしまったら。

震えた指先に気付いて、幸村は箸をトレイに置いた。

(今はまだ想像に過ぎない。今は、……)

しかしそれがいつ現実にならないと言えるだろう?
リョーマだって病院に来て話すだけのことより、一緒にテニスをしたり、他のことをして遊んだりしている方が楽しいと思うに違いない。

何故、病気になんてなってしまったんだろう。

テニスをすることが出来ないことが辛い。
リョーマと外で会えないことも辛い。

こんな体になった自分の運命を恨みながらも、幸村は(絶対に諦めるものか)と心の中で決意している。

回復する見込みは低いと医者は言っていたが、ゼロでは無い。

(今は取りあえず我慢して、でも必ず復帰してみせる)


それまでリョーマに悪い虫がつかないように、と願うしかない。

取りあえず桃城とやらはどういう人物なのか、
次会った時詳しく聞く必要があると、幸村は心の中に刻み込んだ。


2010年05月18日(火) miracle 15 真田リョ

地区大会を前にして、立海では本日練習試合を行うことになっていた。

珍しく現地集合という形で、現在試合相手の学校前に立海のテニス部員達が集まって来ている。

本来なら一度、立海に集まって皆で揃ってから行くのが決まりだ。
しかしそうすると遠回りになる部員もいるんじゃないのかと、丸井が提案したのを切っ掛けに、
各自で現地まで行くことに変更された。

まさか真田が了承するとは思わなかったのだろう。
言い出した丸井は、驚いたまま固まってしまった。
他に賛成した者も動揺だ。
絶対反対されると予想していたのに、
あっけない位簡単に意見を受け入れた真田に誰もが戸惑っている。

一体、どうしたのかと柳生はそっと真田を横目で見た。
誰よりも早くここに来ていた真田は、まだ来ない切原のことを苛々しながら待っている。
現地集合なんてしなければ良かった、と後悔しているのだろうか。
しかしこんな事態になることは、容易に予測出来るはずだ。
それなのに、真田は丸井の意見に賛成をした。
一体、何故か。

少しは他の部員の言葉に耳を傾けようと、努力しているのだとしたら。
それは良いことだと思う。
全国大会に向けて、真田は少し力が入り過ぎていた。
幸村の為に、と厳しく皆を指導していたが、それが悪い方に傾いてしまった。
押し付けが過ぎると、離れて行く者もいる。
実際、この春休みで立海の部の雰囲気はかなり悪くなっていた。
仁王が真田に謝罪したことによって、表面上ではなんともないようになっているが、
未だに不満を持っている部員も少なくない。
しかし真田が変わっていくことで、彼らも歩み寄ることを考えてくれれば。
心配の種が一つ、無くなる。

(真田君は大丈夫そうなので……。私はこちらの心配をしますか)

塀に凭れたまま、虚ろな目をして空を眺めている仁王に近付いて行く。

「仁王君、どうしました。具合でも悪いのですか?」
「柳生か。いや、ちょっと寝不足なだけじゃ」
「そうですか……」

柳生には仁王が嘘を言っているとすぐにわかった。
少し前なら悟らせもしなかっただろう。
それだけでも異常事態だ。
仁王の抱えている悩みが相当深刻だと思わせる。

「仁王君。もし良かったら、今日の練習試合が終わった後で時間をもらえませんか?」
「いや、悪いが忙しい。また今度な」
「……そう、ですか」

何も話したくなさそうに、仁王はそっぽを向いてしまう。
心の内を覗かれたくないと、拒否しているようにも見えた。

(仕方無い。今日は出直しますか)

仁王からそっと離れる。
無理強いしても、何も聞き出せないだろう。
むしろもっと心を閉ざしてしまうかもしれない。
次はせめて一緒に帰るところは成功させようと考える。

(あなたがそんな風だと、大事に思っている幼馴染も心を痛めるとわかっているのですか?)

しかし柳生はその件については何も言わなかった。
仁王の幼馴染の舞子と、柳生は去年同じクラスだった。
そのことで、少し彼女と話が出来る立場にある。
仁王のことが心配だから見てやって欲しいと頼まれたのは、つい先日のことだ。

勿論、頼まれたことは本人には絶対に言えない。
勝手なことをするなと仁王が機嫌を損ねる可能性が高い。

(厄介ですね……)

せめて仁王から相談してくれれば良いのだが、
誰かに話すつもりは無いらしく、接触しようとすると避けられてしまう。
今のところ皆はいつもの気まぐれだと思っているらしく、
異常に気付いている者は柳と柳生以外はいないのが幸いだ。

なんとかしなけば、と柳生は溜息をつく。


そのすぐ近くで真田が「赤也はまだ着いておらんのか!」と大声出すのが見えた。
イラついているが、まだ抑えているのだろう。
誰も呼びに行かなかったのか、と他に飛び火するような言い方しないだけマシになっている。
一体、何が真田に変化をもたらしたのだろう。

ふと、不思議に思った。




一方その頃、切原赤也は今日の練習試合の学校に向かうはずが、
バスの中ですっかり眠ってしまい、全く知らない停留所で目が覚めた。

遅刻が確定したことに、がっくりと肩を落とす。
何の為に早起きしてバスに乗ったかわからない。

とりあえず柳に電話をすることに決める。
真田だといきなり怒鳴られて、言い訳さえもさせてくれないからだ。

やっぱり柳先輩だよな、と頷いて携帯を取り出す。

「赤也か。今どこにいる。もう、集合時間を1分過ぎているぞ」
冷静な声にほっとしつつも、切原は今の状況を伝える。

「バスの中で気付いたら寝ちゃってて、今知らない学校の前っす」
「どこの学校だ。名前位読めるだろ」
「えーっと、青春学園?変な名前……って、ここ青学じゃないっすか!?手塚さんがいる所の」
「青春学園なら、そうだろうな。それで、バスは次いつ出るんだ」
「20分後っすね。完全に遅刻っす」
「仕方無い。真田には上手く俺から伝えよう。遅れてもいいから、必ず来るようにな」
「さすが柳さん。真田さんのことは頼むっす」
「あまり期待するな」

そこで通話は途切れた。

けど柳なら、きっと取り直してくれるはずだ。
いきなり行って、殴られるようなことは無い……と思いたい。

(さーて、バスが来るまでの間、ここで突っ立っているのも暇だからな。
さくっと偵察にでも行きますか)

切原は堂々と青学の中へと歩き出した。

以前より、手塚と手合わせしてみたいと思っていた。
大会で青学がここ最近関東止まりだが、手塚は別格だと切原も知っている。
立海の三強でさえ、一目置いている選手。
よく知っておく必要がありそうだ。

コートに向かうと、青学の部員達はちょうど練習している所だった。
地区大会前だから当然か。
皆、真面目に取り組んでいる。

(それで、手塚さんはどこだよ……?)

堂々と辺りを見回していたいたら、不審に思われて名も知らぬ部員に見咎められてしまう。

「おい、他校生がそこで何やってるんだ?しかもコートの中まで入って」
「あ、ちょうどいいや。手塚さん、どこ?」
「人の話聞いてるのか?」

軽く睨みつける部員を止めようと、「何やってるんだ」と間に誰かが入って来る。
髪型から、青学の副部長だと気付く。

「その制服、立海の生徒だよね。一体、ここで何をして」
「ういっす。ちょっと偵察に」
「偵察だあ?」
さっきの部員が声を上げるが、切原は無視して「手塚さんは?」と大石に話し掛ける。

「手塚?いや、今はちょっと」
困った顔をした大石が口を開くと同時に、
「コート内で何揉めている」
手塚がこちらを静かに見据えながら現れた。

切原は喜んで、さっと近くに寄った。
迷惑そうにしている手塚に構わず話し掛ける。
「いやー、手塚さんに会えて良かったっす。
ここまで来て手ぶらで帰るのも、つまらないんでね。
俺と勝負してもらえません?」

しかし手塚はきっぱりと拒否を口にする。
「他校生は出て行け。練習の邪魔だ」
「はあ?そりゃ無いっすよ」
「二度も言わせるな。出て行け」

有無を言わさない手塚の口調にかちんと来て、
切原はそこに転がっているボールを拾って、顔を上げた。

「何もフルセットでやろうって言ってんじゃないのに、そりゃ無いんじゃないっすか。
折角人がここまでこうして来てんのに……。
感じ悪いなあ。
あんた、潰すよ」
実際はたまたま青学に辿り着いただけなのだが、そこはあえて伏せておく。
だが訴えても、手塚は無視したままこちらを見ようともしない。
取り合わないと、決めているようだ。

(チッ。これ以上訴えても無駄か)

下手に騒ぎを起こしたら、真田に怒られるだけでは済まない。
大会前に揉め事は厳禁だというのは切原だってわかってる。

仕方無い、と切原は「ま、今日はこれ位にしておきますよ」と笑顔を浮かべる。

そして、「これ、返すわ」と拾ったボールを籠に入れて退場する……はずだった。

しかしボールは見当外れに部員の頭に当たり、
怒った相手が投げ返そうとしたがまた別の部員へと、被害が拡大していく。

(これは、まずい……)

あちこちから飛んで来るボールを手で受け止めて、青くなる。
間違いなくこの騒ぎを引き起こした原因は自分だ。
見咎められる前にさっさと逃げ出そうと、切原は混乱に乗じてコートからそーっと外へ出る。
手塚の怒声が聞こえたところで、急いで走って少しでも遠くへと走り出す。

「危なかった。俺の所為にされる所だった。ま、俺の所為なんだけど」

いや、手塚が一球勝負すら許さなかったからだと言い訳しながら、校舎の角を曲がる。
ここまで来れば安心、と油断していた。
前を向いていなかった為、向こう側から歩いて来た人物に気付かず正面から軽くぶつかる。

その衝撃に、お互い地面に尻餅をついてしまう。
「悪い。前向いてなかった。そっちは大丈夫?」
切原の声に、ぶつかった相手は「さあね」とおかしな返事をして立ち上がる。
背の小さな少年、おそらく一年生だろう。
見た所、怪我はしていないようだ。
ホッ、と切原は安堵の息を吐いた。

そして少年の傍らに散らばっているラケットに気付く。

「ひょっとしてテニス部?今からじゃ遅刻だろ。
青学って、遅刻しても平気なのか?」

罰則が無いとしたら羨ましい、と呟く切原に、
「そんなわけないじゃん」と少年は肩を竦めて立ち上がる。

「きっと走らされるけど、どうにもならないから行くしかない」
「ふーん。堂々としてるな」

一年生なのに、と切原は苦笑する。
去年の自分も態度がでかいと言われていたが、この青学の一年よりはマシだと思ってしまう。
しかしあの手塚相手に物怖じしないとは。
相当肝っ玉が据わっているのか、馬鹿なのか。


興味深そうに眺めていると、
「それじゃ、俺もう行くから」
少年はこの場からコートへ移動しようとする。

「あっ、ちょっと待てよ」

さっき受け止めたボールをポケットから取り出し、
「これ、返しといて」少年の背中へ向かって投げる。
当然振り返って手でキャッチすると思っていたが、
前を向いたままラケットで軽く受け止めてそのまま何事も無いように歩いて行く。


「へえ。青学、ね……」

一年でもあれ位のことが軽く出来るということか。
少し見直した気になって、校門から外へと出て行く。

「あっ、いけね!バスの時間!」

次を逃したら、今度こそ真田の鉄拳は免れない。柳も庇ってくれないだろうと、慌ててダッシュしてバス停を目指した。
















バスに乗って動き出したところで、再び切原は睡魔に襲われた。
あのまま乗っていたら、間違いなく終点まで行っていただろう。
しかし幸いにも柳より「今どこの辺りだ」というメールが入った為に、二度目の乗り過ごしは免れた。
柳にはこの先も頭が上がらない。

そして肝心の副部長である真田だが、
意外にも今日の試合には出さずにずっと正座していること、そしてこの後グラウンド100周しろと言い渡されただけで、他に説教は無かった。
練習試合に遅刻するなんて、それこそ殴られるだけでは済まないと覚悟していたのに。
よっぽど柳が上手く口添えしてくれたのか?と思ったが、そういう訳でも無いらしい。


「真田の奴、なーんか変だよな。現地集合を許したり、赤也への罰も軽く済んでるし。
悪いものでも食ったんじゃねえだろうな」
「そんな丸井先輩じゃあるまいし」
「んん?なんか言ったか?」
「丸井先輩!膝、押さないで下さいっ!」
「あ、悪ぃ」

試合も終わって暇になった丸井は、隅っこでじっと正座している切原の所にやって来て喋り掛けて来た。
座っているのも退屈で、お喋りした方が気が紛れる。
真田と柳は他の部員の試合にそれぞれアドバイスしたり忙しいので、何も言われないのが幸いだ。

それにしても、丸井の言うことはもっともだ。
真田にしては罰が軽過ぎる。
悪いものを食べたのが原因とは思わないが、考えを変えるような何かでもあったのだろうか。

「そういや、参謀に聞いたけど青学前で降りたんだって?全く、なんでそんな所まで寝てるんだ。
普通、起きないかねえ」
「いや。つい、油断して。
あ、でも一応、青学偵察とかもしたんで、全く無駄ってわけじゃないっすよ」
「偵察ねえ」

ふーん、と疑うように言う丸井に、
「本当ですって」と力を込めて返す。

「それで手塚さんにも手合わせお願いしたけど、断られて」
「当たり前だろい。今の時期に飛び込みでやって来た怪しい他校生の相手なんて、誰がするかよ」
「怪しいって……これでも俺、立海のルーキーっすよ!?」
「あ、そうそう。青学といや、一年のレギュラーはいたか?」

切原の言うことを無視して、丸井は勝手に話題を変える。
怪しい呼ばわりされてムッとしつつも、一年のレギュラーという単語が気になって「誰のことっすか?」と聞き返す。

「見てなかったのかよ。今年の青学はレギュラーに一年がいるんだぜ」
「へえ。見なかったけどなあ。どんな奴っすか?」

一年でレギュラーになる位だ。きっとガタイのいい選手だと想像していたら、
「ちっこくて可愛い感じ」と言われて驚く。

「は?丸井先輩、そいつの顔知っているんすか?」
「まあな。話したこともあるぜ」
「えっ。どこで?」

柳ならともかく、丸井がそんな情報を掴んでいるとは意外だった。
どういうことかと視線を向けると、
「聞きたいか?」と楽しそうに言われる。

「そりゃ、まあ。ここまで聞かされた気になるっす」
「素直だな。よし、特別に教えてやろう」

勿体付けながら、丸井は屈んで切原に耳打ちする。

「そいつ、幸村の知り合いでな。病室で偶然会ったんだ」
「は?幸村部長の知り合い?」
「声がでかい!」
バシッと後頭部を叩かれる。
「痛いじゃないっすか!」
切原は両手で痛む箇所を押さえた。

それにしても驚きだ。
青学の選手と、幸村が知り合いだったとは。
今までそんな話は聞いたことが無い。

「けど、まあ悪い奴では無さそうだぜ。
幸村もそいつが来ると嬉しそうにしてたしな」
「はあ……」

青学の一年レギュラー。
どんな奴だっけ、と切原はコートの中に居た部員達を必死で思い浮かべる。

が、大石と手塚かしか思い出せない。
覚えが無いということは、大した選手じゃないのかもしれない。

そう結論出そうとした所で、ふと思い出す。

「あっ、そういえば……」
「どうした?」
「いや、ちょっと」

顔を覗きこんでくる丸井に、切原は誤魔化すように笑った。


帰り際、ぶつかった時に会ったあの少年。
遅刻したわりに堂々としていた態度といい、
きっと彼こそがその一年レギュラーだ、と切原は思った。


2010年05月17日(月) miracle 14 真田リョ

今日は部活が終わったら、幸村の見舞いに行くつもりだった。
レギュラージャージを着ている所を見せて欲しいと、ずっと言われていたからだ。
来週は地区大会が始まる。見せるなら、今日位しかない。

しかし練習の途中で真田が現れたのは予想外だった。
わざわざ青学までやって来るとは、かなり律儀な性格をしているようだ。

だが、そういうのは嫌いじゃない。
真田のその律儀さに、リョーマは好感を抱いていた。

足の引っ張り合いや陰口しか叩けない連中よりも、よっぽど信頼出来る。
だから微力ながら、真田の為に何かしようという気になった。
話を聞くことしか出来ないが、それでも心のつかえが取れるならそうしてやりたい。
真田が落ち込みから回復するとなると、立海も良い方向へ進んで行くに違いない。
それは幸村にとっても、嬉しいことだとリョーマは考えていた。

退院した時に、大会で立海が敗退したらがっかりするだろう。
これは幸村と真田と両方に良いことのはずだ。






コートから見付からないようにそっと部室に移動して、
ロッカーから自分の携帯を持ち出す。
そして真田と連絡先を交換した。

「いつでも掛けて来てよ。たまに寝てて気付かないこともあるかもしれないけど、
その時は俺から掛け直すから」
「う、うむ」

照れ臭そうに頷く真田に、リョーマは笑顔を零した。
初対面では厳しそうな人と見ていたが、今では不器用でほっとけない人に変わっている。
なんとか他の人も協力的になるといいなあと思いつつ、
実は今日の部活が終わったら幸村の所に向かうことを告げた。


「これからどうする?さすがに俺はコートに戻らなきゃいけないんだけど、
終わったら幸村さんの所に行く約束しているんだ。
もしあんたが時間あるって言うのなら、ちょっと待っててもらって一緒に行く?」
「幸村の所にか?」
「うん」

頷くと、真田は少し複雑そうな表情になる。
そして「いや、遠慮しておく」と固い声を出した。

「幸村は多分、お前と会うことを心待ちにしている。邪魔するわけにはいかないからな」
「邪魔?そんなわけないと思うけど」
「いや。それと、出来れば俺と会ったことは言わないで欲しい。
お前に悩みを打ち明けていると知ったら、幸村にまた余計な心配を掛けることになるだろうからな。
頼む」
「いいけど」

真田の申し出に、リョーマは頷いた。
確かに他校の一年生に、話を聞いてもらっていると幸村が知ったらいい気はしないだろうなと、思う。
病人の自分には相談出来ないのか、と疎外されたように受け取るかもしれない。
もしくは他の部員に打ち明けることも出来ない真田の立場を心配するか。

「真田さんは本当に幸村さんのこと、心配してるんだね」
しみじみ言うと、「当たり前だ」とキッパリ言われる。
「大事な友人だからな」
「ふうん」
恥ずかしげも無く言う真田に、いいなあとすら思える。
リョーマにはそこまで大切と言える友人はいない。
少しだけ、幸村のことが羨ましくなった。

「わかった。幸村さんには何も言わないよ。
その代わりあんたは心の内に溜め込んだりしないこと。
言いたいことあったら、俺にぶつけること。
またあんな顔色して歩いていたら、怒るからね」
「あ、ああ」

リョーマの気迫に飲まれたのか、真田は大きく頷いた。
この様子なら黙って悩みを抱えることは無さそうだ。

「じゃ、俺コートに行くね」
「ああ。練習、頑張れ」
「あんたもね」

軽く手を振って、走り出す。
ちらっと振り向くと、真田はまだそこに立っていて見送っているのが見えた。










「遅かったな、越前」

コートに入ると同時に、手塚に声を掛けられる。
たしかに真田と話したことでいつもより戻るのは遅かった。
まずかったな、と頬が引き攣る。
サボっていたのがばれたら、再びグラウンドを走らされる。
それだけは避けたい。

「あー、ちょっと調子悪くて」
頭を掻いて誤魔化そうとしたが、手塚は不審な目を向けてくる。
リョーマが身構えるのと同時に、
「調子悪いなら仕方無いよね」と不二が間に入って来る。

「そういう時だってあるよ。ね、手塚?」
「……そう、か」

これは助けてくれたことになるのだろうか。
しかし一体何の為に、とリョーマが顔を上げると、
「そうそう。さっき立海の真田が来ていたんだよー」と不二が声を上げる。

「大会前に偵察するなんて熱心だと思わない?
しかも真田っていつもは偵察なんか来ないのに、わざわざ見に来るなんてね。
越前はどう思う?」
「え、えーっと……」

まさか真田と一緒にいる所を見られたのだろうか。
不二の見透かすような視線に、リョーマの背中に汗が流れる。
手塚にばれるよりも最悪な相手かもしれない。
どうしよう、と悩んでいると、「もう、いい」と手塚が話を遮った。

「越前はコートに入れ。来週は地区大会だ。
今日の遅れをさっさと取り戻して来い」
「ういーっす」

助かった、とばかりリョーマは走ってコートに入る。

どうも不二のことは苦手だ。
こちらの行動をわかっているような言動も不気味に感じる。
面白がっているだけなら止めて欲しい、とリョーマはしばらく後ろを振り返ることが出来ずにいた。




「あーあ。なんで手塚はそうやって僕の邪魔をするのかなあ」
「何の話だ」
「ちょっとね。真田がここに来たのは偵察だけの為かどうか、確認したくてね」
「話がさっぱり見えないぞ」
「もう少し頭を働かせたら?まあ、いいよ。僕だって確信を持っているわけじゃないんだから」
「だから、何の話だ……」

リョーマの後姿を楽しそうに眺める不二に、手塚は首を傾げる。
2年の間、チームメイトとして顔を合わせて来たが不二の考えることはいつもわからない、と。













地区大会前ということで、練習にもそれぞれ力が入る。
かなり疲労したが幸村のとの約束を破るわけにもいかず、
リョーマはさっさと片付けを終えて神奈川の病院へ向かった。

見舞いと言っても、いつも手ぶらだ。
一番最初の顔合わせの時は、母親が持たせてくれたお菓子を渡したが、
次回からは何もいらないからね、と念を押された。
そう言われても悪い気がしたが、
「お返しするのに悩むことになるから。俺の為と思って」と幸村に説得されて、手ぶらを実行している。

今日も自分の荷物以外何も持たずに、病室をノックする。

「どうぞ」

幸村の声に、リョーマは中へと入った。
希望通りのレギュラージャージでの訪問だ。
幸村は一瞬目を丸くした後、上から下までリョーマをじろじろと眺める。
不躾な視線に居心地悪く感じて身を引くと、「ああ、ごめん。じっと見ちゃって」と謝罪される。

「悔しいけど青学のレギュラージャージが似合うなあ、と思って」
「悔しい?何すか、それ」
意味わからない、とリョーマは首を傾げつつ、ベッドの端に腰掛けている幸村の隣に同じ姿勢で座る。

「俺としては越前君に立海に入って欲しかったんだ。
けどそこまで青学のジャージがそんなに似合うんじゃ仕方無いね。もう諦めろってことかな……」
「まだ諦めていなかったことが驚きっす」

呆れるように言うリョーマに、幸村は意味深に笑みを浮かべる。
否定しないということは、本気だったらしい。

確かに立海に通えば、ここの病院も近いから平日でも寄ることが可能だ。
多分、幸村はそう願っているのだろう。
けど住むところが決まっているから、仕方無い。
いくら立海が強豪校とはいえ長過ぎる通学時間は苦痛なだけだ。

「でも、もういいかな。その姿を見て吹っ切れた。
それに……うちに入部したらやっぱり複雑だったかもしれない」
「複雑って?」

その問いには答えず、幸村は「そうだ。今日は母さん達が来てね」と立ち上がる。
「越前君が夕方に来るって言ったら、お菓子を用意してくれたんだ。
勿論、食べていってくれるよね」
「いいんすか」
「構わないさ。ここまで君に来てもらって、おもてなししない方が逆に失礼だ」
「そんなことこそ、気にしなくていいのに」

もてなしなんか期待しているわけじゃないと、リョーマは言ったが、
幸村は曖昧に笑うだけで冷蔵庫から菓子の入っている箱を取り出す。

中に入っていたのは様々な果物のゼリーで、美しい色合いに思わず「美味しそう」と呟く。
「好きなの選んでいいよ」
「幸村さんは?食べないんすか?」
「うん。俺はさっき一つ頂いたから」
「そうっすか。じゃあ葡萄もらうっす」
「どうぞ」

プラスチックのスプーンで、葡萄のゼリーを口へ運んで行く。
自分が来るから、わざわざ幸村の家族は買いに行ってくれたのかと思うと少し申し訳なくなる。

一度だけ、リョーマは幸村の家族と病院で顔を合わせたことがある。
日本に来てから、初めてここに訪れた時のことだ。
病気で入院した幸村のことを父親も母親も妹も、随分心配しているとすぐにわかった。

―――そんな彼らに幸村が気を使わせないように、いつも笑顔を絶やさないことも同時に気付いた。


「美味しい?」

黙々と食べるリョーマに、幸村が味の感想を尋ねる。

「美味いっす。幸村さんは何味食べたんすか?」
「俺はさくらんぼのゼリーにしたよ。あれも美味しかったな」
「へえ」
「でも葡萄も美味しそうだね」

じっと見詰めて来る幸村に、リョーマはスプーンで一口掬って「はい」と口元へと運ぶ。

「え?」
「食べたんでしょ?どうぞ」
「……いいの?」

スプーンをじっと見詰める幸村に、「早くしてよ」とリョーマは笑った。
元々幸村の家族が買って来たゼリーだ。
食べたいのなら、そう言えばいいのに遠慮しているのか。

ほら、ともう少し距離を縮めると「じゃあ、頂きます」と幸村はスプーンに被り付いた。

「うん、美味しい」
幸せそうに笑う幸村に「そうっすね」と同意してリョーマは再びスプーンで残りのゼリーを片付ける。

その手元をじっと見られていることに気付き、「もう一口欲しいんすか?」と聞く。

「いや、そうじゃなくって……。躊躇わずに使うんだなと思って」
「何がっすか?」
「スプーン。さっき俺が口をつけたのに、いいの?」
「え、それなら俺も使っていたけど。幸村さんだって気にせず食べたじゃん」
「……」

苦笑している幸村に、何か変だったろうかと考える。
病院では同じスプーンの使い回しの禁止されている規則があるとか。
それだったら先に言ってくれればいいのに、とちらっと幸村を見ると、
「わかっていないなあ」と何かぶつぶつ呟いている。
一体、なんなんだとリョーマは首を傾げた。

時々、こんな風に彼の言っていることがよくわからない時がある。
聞いても教えてくれないから、まあ、いいやと片付けることが多い。
今回もそんなものだろう。


ゼリーを食べ終えて空のカップをテーブルに置くと、
「そういえば、来週から地区大会だね」と幸村に言われる。

「そうっすね。やっと公式の試合なんで楽しみっす」
「うん。それもわかるけど、やっぱり来週はこっちには来られないよね?」

寂しそうに言いながら、幸村は手を取ってきた。
そっと両手で包み込まれるが、いつものことなので気にしない。

最初に見舞いに来た時、リョーマがそろそろ遅くなったからと帰ろうとしたら、手を引っ張って引き止められた。
ごめん、と謝罪する幸村に、「じゃあ、もうちょっとだけいるっす」と逆にその手を握り返したら、
ものすごく驚いた顔をしていた。
それから何度も手を触れてくるようになって来て、今では当たり前のこととして捉えるようになっている。


「さすがに大会だから、何時になるかわからないから約束は出来ないよ」

やんわりと断ると、幸村の表情が曇るのがわかった。
この前もランキング戦で一週間以上顔を出さないことがあった。
そうやって足が遠退いて行くのを危惧しているのだろう。

(仕方無いなあ)

溜息をついて、リョーマは「その次の日ならいいよ」と答えた。

「本当に?」
「うん。大会の次の日は休みに予定だって言ってたから、平日でもこっち寄れると思う」
「そっか。じゃあ、楽しみに待っているよ」

嬉しそうにしている幸村に、見舞い客は何も自分だけじゃないだろうにとリョーマは思った。
きっと立海大付属も同じように大会は始まっているはず。
その結果の報告に、真田と始めとした部員達が集まるに違いない。

ふと浮かんだ考えに、「でも、立海の人とかいっぱい来て忙しいんじゃないんすか?」と口に出してみる。

すると幸村はそれまで浮かべていた笑みを消して、
「どうせ当日に来るから、君は心配しないで」と目を伏せて言った。
「結果なら、すぐに知らせてくれる。だからその翌日は時間が空いてる。
絶対に来て。お願い」
「わかった、わかった」

念押しされて、リョーマは何度も頷いた。
途端に幸村は安堵の表情を浮かべる。

家族には絶対こんな風にしないくせに、妙に自分にはべったりと甘えてくる。

きっと家族にも立海の部員達にも心配掛けないように、いつも気を張っているに違いない。
病気だからといって、落ち込むことすら出来ないとしたら、
それは辛いことだ。

甘えられる相手が自分だけだとしたら、好きにさせようとリョーマは考えている。

そういう点では、真田と幸村は似ているのかもしれない。
他者に心の内を見せないように一人で抱えている所が特に。

(二人共、俺には出来る範囲でしか励ますことが出来ないけれど……)

微力とはいえ力になれたらいいな、と思う。

まだ手を放そうとしない幸村に、リョーマはしばらくこうしていようと決める。



「今日はもうちょっと遅くまでいるよ。来週の分まで」

目を丸くした幸村に、リョーマは知らず微笑んだ。


2010年05月16日(日) miracle 13 真田リョ

コートとは反対の方角へと進むリョーマに、
真田は段々とこのまま付いていっていいのかと思い始めた。

「なあ、越前。いいのか?」
「いいって、何が?」
不思議そうな顔をして、リョーマが振り向く。
何の罪悪感も無さそうな所を見ると、この状況がわかっていないのかとこちらが驚かされる。
「今は部活中ではないのか。コートでは部員達が練習しているのを見たぞ」
「そうだね。で?」
「……そちらに戻らなくてもいいのかと言っているんだ。
罰で走らされたと言っていたな?サボったらまた怒られるんじゃないのか」

何故こんなことを説明しているんだろうと、真田は思った。
リョーマがあまりにも考え無しだから、忠告したくなったのかもしれない。

だが「平気、平気」と流される。

「今、皆コートにいるんでしょ。だからバレないって」
「……」
「喉の乾きを潤す方が、俺にとってはそっちが重要。
ついでにあんたの話も聞けるでしょ。有効な時間の使い方だと思うけど」

滅茶苦茶な言い分に、言葉を失う。

(うちに入部していたら、グラウンド100周に部室の掃除当番と後片付け一ヶ月では済まされないぞ)

最もこんな非常識な振る舞いをする一年生はいない。
入部前にいきなり挑んで来た赤也でさえも、叱られればしゅんとして大人しくする位だ。

ひょっとして手塚はナメられているのでは、ないか。
しばし考える。

「ねえ。俺はファンタ飲むけど、あんたは?どうすんの」

リョーマの声に真田は顔を上げた。
いつの間にか自販機の前まで来ていた。

「いや、俺はいらない」
「あ、そう」

真田に背を向けてリョーマはポケットから小銭を出して、自販機へ投入する。
チャリンと下へ落ちる音がした。
そしてリョーマは迷うことなく炭酸飲料のボタンを押す。
またも真田は驚愕させられた。

(走った後にそれを選択するか?普通はスポーツドリンクではないのか?)

呆然とする真田に、リョーマは「座ろう」と側に設置されてるベンチへ向かう。
リョーマが座ったのを見て、真田も隣に腰を下ろした。

「それで、俺になんの話があるんだって?」

炭酸を手にして、ご機嫌な様子で話し掛けて来る。
スポーツドリンクにしなくていいのかと気になって仕方無い真田は、
一瞬返事が遅れる。
軽く咳払いをして、背筋を伸ばした。

「実はこの間の礼を言いに来た」
「礼?俺、なんかしたっけ?」

首を傾げるリョーマに、真田は肩を落とす。
自分はあの言葉に救われたのに、言った本人は全く覚えていないとは。

「幸村の所に相談に行け、と言ったことだ。もう忘れたのか?」
「ああ。あのこと。どうだった?上手くいったんだよね?」

ちゃんと覚えていたようだ。
真田は気を良くして答える。

「ああ。幸村が手を回してくれたおかげで、問題も片付きそうだ」
「へえ、良かったね」

裏表無く言うリョーマに、心がほっとさせられる。
喜んでいるように見えるのは、決して錯覚では無いだろう。

「ああ。だから、お前に礼を言いに来た。
お前の言葉が無かったら、ずっと俺は悩んだまま何も出来ずに更に事態を悪化させただろう。
感謝している」

じっと真田の言葉に耳を傾けていたリョーマは、
「そんな大袈裟なこと言ったわけじゃない」と呟く。

「真田さんがの顔色がすごく悪かったから気になって、だからなんとかするべきだって考えてた。
今は落ち着いているみたいで、良かった。
問題が片付いたって本当なんだね」
「ああ」
「これから何か起こったら、ちゃんと幸村さんに相談した方がいいよ。
一人で抱え込むと、また同じことになると思う」

リョーマの忠告は最もなことだ。
だが、真田は首を横に振った。

「いや、幸村には十分迷惑を掛けた。本来なら治療に専念して貰わねばならない身だというのに……。
次からは必ず自らの手で解決してみせる」
「けど、無理だったら?誰か他に相談出来る相手はいるんすか?」

問われて、真田は考える。

柳は今、練習メニューを組んだり一年生の指導や、地区大会で当たる他校のデータ収集等で手一杯で、とても相談出来る状況ではない。
仁王とは会話出来るようになったがそれだけ。丸井は最初からこちらに近付こうとしない。
柳生とジャッカルはそれぞれのパートナーのフォローをしている。
後輩の赤也に相談するわけにもいかない。

つまり、誰にも話すことは出来ないということだ。

「いないな。しかし、自分でなんとかしてみせる」

真田の問いに、リョーマは「だから、無理だって」と言った。

「あんたさ、そんなんでこの先大丈夫なんすか?」
黒い瞳が、じっと真田を見詰める。
「大丈夫、とは」
「この間だって、悩んですごく顔色悪くなっていたじゃん。
そうなる前に幸村さんに相談すれば良かったのに。
一人で抱え込んでばっかりで。損ばかりしているんじゃないの?」
「損とは?幸村に後のことを頼むと任された。
その責任を取ろうとしているだけだ」

声を上げると、リョーマは「それはわかるけど」、と肩を竦める。

「真田さん、真面目過ぎるんだよ。なんでも自分だけで片をつけようとしてさ」
「悪いか」
つっけんどんに答えたが、リョーマは気を悪くした風でもなく首を横に振った。
「ううん。悪くは無いっすよ。
むしろ真田さんみたいな人だけは信頼出来るって思えるし」
「何?」
「偉そうにしているだけで何もしない奴とか、口だけとか。
俺はそんな人より真田さんを支持するけど」
「……」

面と向かって言われて、珍しく真田は動揺した。

チームメイトに煙たがられたり、もっと上手く立ち回れと呆れられたりしている中、
リョーマの言葉が胸に響く。
こんな馬鹿正直で融通利かない性格をいいと言ってくれたのは、
家族を除けば他にいただろうか。

「だから、正直腹が立つっすよ。
あんたがそんなに一生懸命やってるのに、なんで周りは手伝ってくれないの。
ストレスばっかり溜まって、損してるじゃん」
「いや、手伝ってくれないというわけでもない。
俺が好きで一人でやろうとしているだけだ」

柳は表立って手を貸さないだけで、フォローは十分してくれている。
ジャッカルや柳生もパートナーの近くにいて、なるべく揉め事を起こさないように注意してくれているのが見てわかる。

「それでも、逃げ場が無いんでしょ。
なのに言いたいことも言えない。そんなの俺だったら耐えられない」

何故かリョーマの方が怒っているようだ。
不思議な思いで真田はじっと幼いその顔を見詰めていると、
「あ、そうだ」と勢い良くファンタの缶をベンチへ置く。
ほとんど中身は飲んでいたらしく軽い音が響いた。

「良かったら俺が話し相手になろうか?」
「は?」

リョーマの突拍子も無い提案に、真田はぽかんと口を開けた。

その反応を見てリョーマは「あ、迷惑ならいいんだけど」と軽く手を振った。

「話を聞くだけで解決してあげることは出来ないからね。
でもそれであんたの気が楽になるならと思ったけど、必要無いか」
「一つ聞きたいことがある」
「何?」
「どうしてそこまで俺のことを気に掛ける。
言っておくけど、俺から立海大の情報を聞き出そうとしても無駄だぞ。
例え対策を練ったところで、負けるようなチームではないからな」

きっぱりと言い切った真田に、
「情報?そんなの聞いてどうするんすか」とリョーマは眉を顰めた。

「では何故気に掛ける。理由が無いだろうが」
「理由?だってあんた、幸村さんの友達でしょ。
これも縁ってわけじゃないけどさ、色々余計なこと言って関わった所もあるし、
あんたが元気なくしていると、幸村さんも気にするでしょ。だから、かな」
「そう、か」

幸村の名前を持ち出されると、さすがに強く言い返すことは躊躇われる。
内情を知ろうという下心は無いということも、リョーマの表情を見て理解した。

「それに俺にだったら、気軽に愚痴も言えるんじゃないの?」
「なっ、俺は愚痴など」
「色々落ち込んだ姿も見たんだから、今更っすよ」
「……」

そんなに顔に出していたのかと、真田は肩を落とした。
本当に、この少年の前ではらしくない自分を晒してばかりいる気がする。
真田の様子を気にすることなく、リョーマは話を続ける。

「無理にとは言わないけどさ、あんたは誰にも頼ることが出来ないんでしょ。
この前みたいに倒れる一歩手前の顔になる前に、
俺に話してみたら?案外すっきりするかもよ。
勿論聞いたことは誰にも言わない。幸村さんにもね。そこは保障する」
「そんなのお前に、何かメリットがあることなのか?」

よく知らない他人に、どうして簡単に手を差し伸べるのか、わからない。
真田の言葉に、「メリット?」とリョーマは首を傾げる。

「そんなものは無いけど。
あるとしたら、あんたが元気にやってるかわかる位だね」
「それはメリットとは言わないだろ……」
「そうだけど。あの酷い顔色見ていたら、普通どうしたかって気になるよ。
それが解消されるのは、いいことだよね」

真顔で言われて、真田は自分の考えが変なのだろうかと悩んでしまう。
リョーマにとって、自分はほとんど他人だ。
それをここまで気に掛けるとは……。
だからこそ幸村はこの少年を気に入っているのだろうか。
病室でリョーマに向けていた優しい笑顔を思い出し、そんなことを思った。


「でも、さっきも言ったけど真田さんが必要無いっていうのなら、
俺からはもう何も言わないっすよ」

どうする?とリョーマは目で問い掛けて来る。

こんな年下の、しかも青学の選手に悩みを打ち明けるなんて、絶対どうかしている。

けれど、他に話し相手がいないのも事実だ。
この前もリョーマに喋ったことで、救われた。
幸村も信頼している相手だ。
この申し出も企みなど無く、話を聞けるだけならとそんな純粋な気持ちから出たものだろう。

「頼む」

真田はリョーマの目を見て、しっかりと答えた。

「お前が迷惑でなければ、だが」
「全然。でも聞くだけで、解決とかは出来ないっすよ」
「それでも、構わない」

頷いた真田に、「じゃ、決まりだね」とリョーマは笑顔を向けた。

何故だろう。
こんな年下の少年を見て、安心するのは。

いざとなったら、話を聞いてくれる相手がいる。
それだけで、こんなにも気持ちが安定するのかと驚かされる。







この時の真田は話し相手が出来たことが嬉しい気持ち、それしか頭に無かった。
幸村不在の部内を引っ張っていかねばらないという緊張感から、
自分では気付かない間に随分疲れていたのかもしれない。

ついリョーマの申し出を受け入れ、そしてこれを機に親しくなって行く。

その事が今後にどう影響するかなんて、考えてもみなかった。

自分と同じように友人がリョーマの存在を大切に思い、友情以上の気持ちを望んでいることを知るのはもう少し先のこと。

そして友人の深い思いに巻き込まれることになるなんて、予想出来るはずもなく。

今は笑顔のリョーマを前にして、真田も笑顔を返すだけだった。


2010年05月15日(土) miracle 12 真田リョ

仁王に取り直してくれた礼の為、真田はその日の練習が終わって直ぐに幸村のいる病院へ向かった。

「俺は仁王とちょっと話をしただけだよ。大したことはしていないよ」

謙遜してるが、上手く説得してくれたに違いない。
改めて礼を言って、その場から失礼した。

しかし目的は幸村と会うことだけでは無い。
今日は日曜日だからひょっとして、と真田は病院を出る時もその後駅までの道をきょろきょろ見渡して歩いた。

リョーマと会えるかもしれない。そう思ったからだ。

しかしどんなに待ってもリョーマは現れない。
休日だからといって、必ずしも幸村の見舞いに来ているわけでは無いようだ。

ならば、平日のどこかに来るかもしれない。

そう考えた真田は、翌日から練習後に必ず幸村の病院周囲を張るという行動に出た。
頻繁に顔を出すと幸村の負担になるから病室には近寄らず、
リョーマが通りそうな所だけをぐるぐると歩いて回る。
他人から見たら怪しげな行動だが、真田はこうするのが良いと信じて疑わなかった。


だが、金曜日になってもリョーマは現れることなく、真田はついにこの計画を断念した。

(これだけ待っていても来ないということは、平日に会える可能性は無いということか)

青学からここはかなり距離がある。
平日に幸村の所へ顔を出すのは大変だと思うが、もしかして、という気持ちがあった。結局予想は外れていたわけだが……。

後は、真田自ら青学に行くしかない。
来るかどうかわからないリョーマを待っているよりも、その方が確実だ。

(あいつには、直接会って礼を言わなければならないからな)

リョーマが後押ししてくれたおかげで幸村に素直に相談することが出来て、
仁王も普通に声を掛けてくれるようになった。

恩人にはきちんと礼をしておくべきだろう。

幸いなことに明日の土曜の練習は、午前中で終わりだ。
日曜日に他校との練習試合を組んでいる。
それで柳が前日は軽く仕上げる程度にしようと提案して来たのだ。
以前ならば逆にもっと練習量を増やすべきだと反対しただろうが、
ここは耳を傾けておくべきだと判断し、午後は各自の判断に任せることにした。

半日とはいえ珍しく休みを決断した真田に、部員達は戸惑っていた。
が、すぐに喜びの表情に変わる。
最後に練習が休みになったのはもう随分前のことだ。
久し振りの自由時間だと、あからさまにホッとしている者もいる。
中には『真田の奴、自分が休みたいだけじゃねえの?』と陰口を叩く者もいた。
だが、真田は聞こえない振りをしてやり過ごした。

仁王が話し掛けて来たことにより、一時期悪かった部内の雰囲気が少し和らいでいる。
それを、壊したくないと思った。

だから悪意のある陰口を聞いても、『無駄口を叩くな!』と怒鳴ることなく黙って耐えた。
幸村と違うのだから、今までの真田のやり方に不満を思う者も出るのも当然だと。
これから少しずつ改善していかねば、と決意を心に刻んだ。


午後の休みを真田も一度は自主練習を考えたのだが、
やはりリョーマに会ってお礼を言うことに使うことにした。
今週を逃したら、次の週は地区大会を控えている。
そうやっている間に、時が経ってしまう。
遅くなる前に、伝えたかった。
ここはやはり青学に向かうべきだろう。

しかし問題が一つある。
それはこの土曜にリョーマが学校に来ているかどうかわからないことだ。

以前、リョーマと会った時、背にラケットバッグを背負っていたのを覚えている。
あの時は自分の悩みのことや、リョーマに言われたことで尋ねる余裕も無かったが、
今になって思うと彼もテニスをやっているんじゃないだろうか。
だとしたら、幸村との接点もそこから繋がったのかと納得出来る。
テニス部に所属していたら、学校に出ている可能性は高い。
しかし、どこか余所のクラブに通っているだけだとしたら……。

(ええい。考えても仕方無い)

行って不在だったら、その時はその時だ。

午前の部活を終えて、真田はすぐに青学へ向かった。
















青学に足を運んだことは初めてだったので、真田は道を何度も確認しながら辿り着いた。
余所の学校を偵察するよりも練習して自分が強くなる方を選択するので、どうしても情報には疎くなる。
柳に頼ってばかりなのも考えものだと、青学の正門前で大きく溜息をつく。
勝手に中に入っていいものか、そういう判断にも困る。

数分考えた挙句、真田は中へと足を踏み込んだ。
咎められたら偵察に来ただけだと謝罪するしかない。
うだうだこんな所で考えていも、リョーマに会えないままだ。

しかし意外にも青学の生徒と擦れ違っても、特に驚かれることもなく、すんなりと中へ進むことが出来た。
テニスコートがわからず、仕方なく近くにいた生徒に道を尋ねたら親切に教えてくれた。
案外、他校の生徒の見学にも寛容なのかもしれない。
良かった、とほっとしつつ教えられた道を進んで行く。

すると、テニスコートはすぐに見付かった。

立海よりも少ないが、青学のコートもそれなりの数はある。
部員達は皆練習に励んでいて、それぞれのメニューをこなしている。
一部の目立つジャージを着ているのは、レギュラーだと真田も知っている。
青学はレギュラーだけ特注のジャージを着ているからわかりやすい、と柳が言っていたからだ。
そこから視線を移して、背丈が小さい一年生の中からリョーマの姿を探す。
一年生はボール拾いとコート端での基礎練習に別れている。
だが、どちらにもリョーマの姿は無かった。
欠席か、それとも部に所属していないのかはわからない。
だが、今日リョーマに会えないことだけはこれでハッキリした。

がっかりして、真田は肩を落とす。
これでまた、礼を言う日が一日遅れてしまう。

「あれー、真田じゃないの?こんな所でにゃにしてるの?」

不意に声を掛けられて、顔を上げる。
するといつの間に寄って来たのか、フェンス越しに菊丸がこちらを見ている。
菊丸はゴールデンペアと呼ばれ、全国にも出たことがあるから顔位は知っていた。
しかし直接話したことは無いはずだ。
なのにやけに馴れ馴れしい喋り方に、真田は戸惑いを隠せない。

「ねえねえ。聞こえてる?」
「あ、ああ。聞こえているが」
「じゃあ。俺の質問に答えてよ。にゃにしてんの?」
「それは……偵察だ」
「偵察ー?」

首を傾げる菊丸に、変なことは言っていないはずだ、と真田は厳しい顔をした。
一体、何が疑問だというのだ。

「地区大会も始まっていないのに、偵察に来たんだ。
立海は随分準備がいいみたいだね」

今度は別の方向から声がした。
その声の持ち主にも見覚えがある。
天才、不二周助。青学のNO2だ。

「本当に偵察だけなのかな」

薄っすら開いた目が、真田を凝視する。
一瞬、怯むがすぐに体勢を立て直す。

「近くに来たから寄ってみただけだ。迷惑なら、直ぐに帰るつもりだ」
「別に構わないよ。ご自由にどうぞ」
「不二ー、そんなこと言っちゃっていいの?」
「いいの、いいの。どうせ見ても困ることは無いでしょ」

ふふっ、と笑う不二に、なんだか馬鹿にされている気がした。
初めて会話を交わしたが、こんな奴だったのかと眉を寄せる。見た目は優しげだが一筋縄ではいかなさそうな性格をしている。

どちらにしろiリョーマがいないのだから、ここには用はない。
真田はすぐにコートから離れた。






「おい、不二。今の立海の真田じゃないのか?」
不二と菊丸がフェンスから離れた所で、大石が声を掛けて来た。
「うん。そうだったよ」
「何しに来ていたんだ?」
「偵察だって言ってたけどお、変だよね。大会も始まってにゃいのに」
「単に熱心なだけじゃないのか?」
真面目な顔をして言う大石に、不二はにこっと笑った。
「それだけだったら良いんだけどな」
「そこの三人。何を話している」
「あ、手塚」

立ち止まって喋っているのが目に付いたのだろう。
手塚が注意の為に声を上げる。
それに不二は「今、立海の真田が来ていたんだよ」と説明をする。

「真田が?」
「うん。君がすみれちゃんとちょうど話していた時にね。
偵察だって言っていたけど、何か裏がありそうな匂いがするね」
「えっ、どんな!?にゃんか面白そう!」
「英二、面白がることは何も無いと思うぞ」
「一体、どういう話だ……」

纏まらない話に手塚が眉間に皺を寄せる。

「いや。僕の推測なんだけど、一年がレギュラー入りしたこと知ってて来た可能性もあるんじゃないかってこと」
「まさか。越前は大会にも出ていないんだぞ。どうしてそれがわかる」
「そんなのは知らないよ。あくまで推測なんだから」
「……そうか。しかし真田は何も知らなかったんじゃないか。たまたまこの近くを寄っただけかもしれないだろう」
「本人もそう言っていたけどね」
「だったら間違いないだろ。それに地区大会は来週だ。
今知られるか後になるかだけのことじゃないのか」
「まあ、ね。僕も考え過ぎだったかな」

ひょい、と肩を竦める不二に、手塚は大きく溜息をついた。

「不用意に煽るようなことを言うのは止めたらどうだ……。全く」
「いいじゃない。これが楽しみなんだから。
しかし一年のレギュラーがいると知ったら、真田はどんな顔したかな。
ちょっと見てみたかったかも」
「そのレギュラーが昼寝の罰で走っていると知られなくて良かったと、俺は思うぞ」

手塚のその言葉に、不二は「そうだね」とフッと笑った。








テニスコートを離れ、真田は元来た道を戻っていた。
リョーマがいないのなら、ここに用は無い。
こうなったら平日に待ち伏せするべきかと、考える。
連絡先を聞いておけば良かったと悔やむが、どうしようもない。
こうなったら幸村に尋ねてみようかと、悩む。
リョーマとかなり仲良くしていたから、「どうしてそんなこと聞くの?」と詰問されることは間違いない。
詳細を話したら、
「相談するかどうか、自分で決めることも出来なかったんだ」と呆れられるだろう。

困ったなと腕を組んだ所で、
「真田さん!?」と声変わり前の少し高い声で名前を呼ばれる。

「越前……?居たのか」
「どうしたんすか。今日は青学になんか用事あったんすか?」

汗だくで近付いて来るリョーマに、真田は目を見開く。
それもそのはず。
一年生のリョーマがレギュラージャージを着ている。
一瞬、体操着が無くて他の誰かに借りたのかと想像するが、すぐに否定した。

そのレギュラージャージがリョーマの体にぴったりと合っていたからだ。
こんな小さなサイズ、さっきざっと見たコートの中に居た他の部員には合わない。
紛れも無くこれはリョーマのジャージだ。

「青学のレギュラー、だったのか」

真田の呟きに、リョーマは首を傾げ「そうっすよ」と答える。
「ついこの間のランキング戦からだけどね」
「そうか……レギュラー、か」

ということは、いつか試合で当たるかもしれない。
お互い、敵同士ということだ。

複雑な思いに黙っていると、「どうしたんすか?」とリョーマが顔を覗き込んで来た。

「なんか、俺変なこと言った?」
気遣うようなその表情に、真田は慌てて首を振った。
「そんなことは無い。
……一年でレギュラーになるとは、強いのだなと見直していたところだ」
「そう?ありがと」

素直に礼を言うリョーマに、敵とかそんなことに拘るのは止めようと思った。
幸村に相談しろと後押ししてくれたことに感謝する気持ちに変わりない。
青学のレギュラーだからといって、会話をしてはいけないなんて規則は無い。
目の前にいる越前リョーマ個人と話していると思えばいい。

そう思って、真田は口を開いた。

「実は、お前に一言礼が言いたくて、今日はその為にここへ来た」
「え?わざわざ青学まで?」
「そうだ」

今度はリョーマの目を見て、ちゃんと言えた。

「少し、時間をもらえないか」
「……えーっと」

リョーマは少し考えてから、「いいよ」と頷いた。

「じゃ、ちょっと移動しよ。見付かるとうるさいから」
「うるさい?誰が?」
「部長。今も休憩時間に昼寝してたのがばれて、グラウンド走っていたところなんだ。
ちょうど休憩したいと思っていたから、ちょうどいいや」

それはまずいのでは、と思ったが「いいから」と袖を引っ張って誘導するリョーマに逆らうことが出来ず、
さわれるままその後について行った。


2010年05月14日(金) miracle 11 真田リョ

翌日の日曜練習。

早くからコートへ入っていた真田に、仁王は「おはよう」と声を掛けた。

最近は目が合っても無視されてばかりだった。
普通に挨拶して来たことに驚いていると、仁王は更に話し掛けて来る。

「今日の練習、柳生とのダブルスでやってみたいことがあるんじゃ。
時間多めに取ってもらえんかの」
「あ、ああ。わかった」
仁王の変化に動揺しながら、真田は頷いた。
「だが練習の件なら柳にも一言断ってくれ」
「わかった」
笑顔を見せて仁王は離れて行く。

これは元に戻ったと考えて良いのだろうかと、真田はその後ろ姿を見て考えた。
他の部員も仁王の変化に顔を見合わせている。
これまで彼が真田を無視しても堂々としている裏で、同じように調子に乗ってた部員もいる。
いきなり態度を変えたことで、戸惑っているようだ。

(幸村が、もう動いてくれたのか)

腕を組んで考え込む真田に、「弦一郎」と今度は柳に呼ばれる。

「今、仁王に今日の練習メニューを変えて欲しいと頼まれた。
お前も了解済みだと言っていたが、本当か」
「ああ。俺も今聞いたところだ。別に構わないだろう?」

すると柳は少し考えてから、口を開いた。

「話し掛けて来た、ということはもう仁王は幸村と会ったということか」
「蓮二?」
「そうでなかったら、今日も無視していただろうな」

何故幸村の名が柳の口から出たのか。
部のことで相談した時、柳はいなかったから知らないはずだ。

「ひょっとして、幸村から何か連絡を受けたのか?」
柳はあっさりと認めた。
「ああ。客観的な意見を欲しいとメールを貰った
しかし意外だな。お前から相談を持ちかけるとは」

柳にも同じことを言われて、真田は耳を赤くいた。
結局部長を当てにしている情けない奴と思われただろうかと。
だが柳は「賢明な判断だった」と言った。

「そう、思うか?」
「ああ。もし何も幸村に話すことをしないまま、一人でがむしゃらに頑張っていても解決はしない。
部長に相談することも大切だ。
それを自身で気付いて欲しかった」
「蓮二……」

気付けて良かった、というように柳は笑った。

「仁王もこれで無視するのは止めると決めたようだから、
倣っていた連中も大人しくなるだろう。
しかしお前自身も歩み寄る努力をしなければ、事態は変わらないぞ」
「わかっている」

幸村の力を借りているだけでは、駄目だ。
自分も変わらねば、部を纏め上げることは不可能だろう。
勿論、彼と同じように出来るとは思えない。
自分らしく、それで皆とどう上手くやって行けるか、考えることは沢山ありそうだ。

「良い返事だ」
柳は満足そうに頷いた。

「しかし自ら相談に行くとは、どういう心境の変化だ?何かあったのか?」
「いや、別に何も……」

一瞬、リョーマのことが頭に浮かんだが、慌てて掻き消す。
年下の、しかも他校の選手に背中を押してもらった等ととても言えることではない。

リョーマには自分から、こっそりと礼を言おうと決めているのだから。

話を逸らす為、「そういえば、ダブルスの練習を他の部員にも参加させるのはどうだろう」と提案を出してみた。
















真田から離れた仁王は、ガムを噛みながらやって来た丸井に絡まれていた。

「仁王。なーんで、真田に話し掛けてんだよ」
「なんでって、同じテニス部じゃろ。いつまでも無視するのも良くないと思ってな」
「はあ?殴られたこと、忘れたのかよ」
「忘れてるわけじゃない。けど、もういい。
面倒なことになる前に、俺から折れるべきだろうからの」
「どういう意味だ?」
眉を寄せる丸井に、仁王は小声で伝える。

「幸村から指示じゃ。さすがの俺も無視は出来ん」
「えっ。幸村が?」
「ああ。お前さんも俺の件で真田に突っ掛かるのは止めにしろ。
これ以上、幸村に心配掛けたくないならな」

丸井は幸村のことを部長として尊敬していた。
しょっちゅうお菓子を貰っていたから、餌付けされていたとも言うが。

「なんだよ。真田の野郎。幸村にちくったのかよ。
自分が最初に部員を殴って雰囲気悪くしたくせに」
ふんっ、と丸井は横を向いてガムを膨らます。
それはすぐパチンと音を立てて弾けた。

「まあ、そう言うな。真田も必死なんじゃろ。
それに俺達が奴を無視することで乗っかって来る連中もいる。
正直、あんまり気分は良くないぜよ」

ちらちらと遠巻きにこちらを見ているレギュラー外の三年や二年に、
丸井も「あー」と間延びした声を出す。

「そういや、俺もなんか真田を副部長辞めるように言えとか誘われたなあ」
「なんて答えたんじゃ」
「別に。俺は個人的にムカついているだけで、つるんであいつを陥れることには興味無いからな。
やりたければ勝手にしろって言っといた」
「そうか……」

どうやら思った以上に、部内はバラバラになっているようだ。
個人で好き勝手に行動する仁王に、そんなこと提案する馬鹿はいなかったが、
いつか巻き込んでこようとしてくるかもしれない。
そうなる前に、真田と今日、表面上だけでも会話しといて良かったと思う。
これで当分は、静かにしているだろう。所詮、集団でいても人に頼るような連中だ。
レギュラー同士が一旦落ち着いたと思わせれば、効果はある。

「仁王が真田のこと許したって言うのなら、俺は何も言わないけどよ」
再び丸井が口を開く。

「けど、今回のことでお前が俺に心配掛けたのは事実だ。
今日は練習終わったら、付き合えよ。いいな!」
命令形で言う丸井に、仁王は溜息をつきながらも「わかった」と頷いた。

「よーし。じゃあ、決まりだな。
逃げるなよ、仁王」
「わかったが、あんまり甘い物は勘弁してくれんかの」
「何言っているんだ。甘い物は脳の栄養にもなるんだぜぃ」
「……」

まだ練習が始まる前から浮かれる丸井に、仁王はどうしたものかと額に手を当てた。



















一方、青学は本日ランキング戦、二日目。

海堂に勝ったことにより、リョーマの注目度は更に上がっていた。
どうせレギュラーには勝てないだろう。
そう思っていた部員がほとんどだったのに、予想をひっくり返したのだから。

今度こそは、負ける。
相手が青学NO3の乾にはさすがに勝てないと言う者も多くいたが、
リョーマは温存していたスプリットステップを使い、取られていたデータ以上の力を出し切ることで勝利を手にした。

当然、応援していた一年生達はリョーマの勝ちを喜ぶ。
体格差ではかなりハンデがあったが、リョーマはテニスは身長でするものではないと教えてくれた。
背が高くないからと諦めずに努力し続けていたら、勝てるかもしれない。
一年生だからと諦めることはない。
そんな希望を与えてくれたリョーマに、賞賛の言葉を送る。

一方、この結果を面白くない思わない者もいる。
ぽっと出の一年生が部長に目を掛けられ、ランキング戦に出場してレギュラーになってしまった。
自分達が望んでも叶えられなかったことを、いとも簡単にリョーマは手にした。
勿論リョーマは今日まで練習を重ね、努力しなかったわけではない。
しかし結果だけを見て嫉妬する人もいる。

そんな悪意の篭った視線に気付くことなく、リョーマは大きく伸びをしてコートから出た。





(あ、もうメールが入っている)

全ての試合が終わった後、一年生達で片づけをしていたら少し遅くなった。
幸村は今日のことを気にしていたから、早めに連絡しようと思っていたが、
それより前に『どうだった?』とのメールが入っている。昨日と同じパターンだ。

(俺の方から連絡するって昨日送ったのに)

そう思いながらも、幸村の今居る状況を考えると送るなとも言い辛い。
きっと彼と同じ学校の部員達も練習に励んだり勉強したりと忙しいだろうから、
一人で居る時間が多い。
テニスも出来ずに、一日病室に居るだけだとしたら。
リョーマにとってそれは退屈で、拷問に等しい。
幸村の気持ちを思うと、早くメール送ってしまうのもわかる気がした。

急いで着替えて、「お先に」と部室を出ようとする。
「あっ、リョーマ君!僕達、リョーマ君のレギュラー入りをお祝いしようって今」
「悪い、急いでいるから」

少し悪かったかな、と思ったが今日は結果報告すると約束している。
早めに連絡しないと、待ち切れなくなった幸村から電話が掛かって来るだろう。
明日なら付き合えるから、と心の中で謝罪して校門へと急ぐ。

外に出た所で、リョーマは携帯を取り出した。
そして歩きながらゆっくりと、文字を打ち込む。

『レギュラーに決まった』

これだけじゃなんだから、今日の対戦相手について書こうと指を動かしていると、
不意に肩を掴まれた。

「おチビちゃんー、誰にメールしてんの!?」
「あんたは……」
「あんたじゃない、菊丸英二ー!」
「はあ。それで、おチビちゃんって一体」
「え、あだ名だよ。ぴったりでしょ」
「はあ!?そんなの止めて下さいっ」
「いいじゃん。似合っているんだから。おチビ、おチビー」
「英二。ちょっと静かにしたら?越前が驚いているよ」
「えーおチビちゃん、そんなことないよね?」
「どっちかというと迷惑なような」
「酷いー!」

後ろからぎゅっと抱きついて来たのは三年生のレギュラーの一人、菊丸だ。
隣にはいつも笑顔を絶やさない同じくレギュラーの不二もいる。

一体何故この二人が声を掛けて来るのだろう。
訳もわからず目を泳がせていると、
「僕達、さっきまでお喋りしていて今帰るところなんだ」と不二が言う。

「そうしたら越前が来るのが見えて、つい声を掛けてみたってわけ」
「はあ」
暇なのかな、と首を傾げる。
来たからって一々構うことないのに。

眉を寄せるリョーマに、不二は更に会話を続ける。

「越前って、学校出たらすぐに携帯取り出してメールを打っているよね。
この間も見たよ。頻繁に連絡する相手でもいるの?」

いつ見ていたんだと、ぎょっとする。
不二は涼しい顔をして、「たしか僕が見ているだけで、3回はあったね」と言う。

「えー、そうなんだ。ひょっとして彼女?一年生のくせに生意気だぞー!」
「変な想像しないで下さい」
菊丸が妄想を広げる前に、リョーマは素早く否定した。
「そんなんじゃないっす」
「じゃあ家族の人?今日の夕飯のリクエストかにゃ」
「なんでそんなことわざわざする必要があるんすか。朝、言っておけばいいでしょ」
「だったら相手は誰なのかな?」

にこっと不二に微笑まれて、リョーマは後ろへ足を引く。
当然、抱きついている菊丸にぶつかって、逃げ出すことは出来ない。


(何、この人)

妙な迫力を感じる。
幸村も時々こんな風に笑顔でごり押して来ることを思い出す。
似たようなタイプなのかもしれない。


「友達、っすよ」

下手に嘘をつくとますます興味を持たれそうだと判断して、
リョーマは一部分だけ真実を話す。

「友達?そんな親しい子がいるんだ」
「はあ。でもその人、入院中で……見舞いとか毎日行けないからこうしてメールを送っているんす」

リョーマの言葉に菊丸が「おチビ、優しい!」とぎゅっと抱き締めて来る。

「良い子だね、おチビー。なんか感動しちゃったあ」
「ちょっ、だったらまず放して下さい。苦しい!」
「あ。ごめん、ごめん」

やっとのことで解放されて、リョーマはほっと息を吐く。
どうやら菊丸は納得してくれたようだ。
不二は、とちらっと上目で確認すると何を考えているかわからない笑顔を浮かべている。

「そう。だったらメール打つの邪魔しちゃいけないね。
英二、行こうか」
「うん。おチビ、そのお友達早く元気になるといいね!俺も応援してるからさっ」

バイバイ、と菊丸は手を振って歩いて行く。
しかし不二は少し遅れて、リョーマの耳元で「君の友達って年上なの?」と囁く。

「え、なんで」
「さっき僕が親しい子、って言ったのに、君は『その人は入院している』と言ったよね。
同じ年の友達ならその人なんて表現しないと思ったんだ」

フフッ、と笑って不二は「どっちでもいいけどね」と菊丸の後を追って行く。


「なんなの、一体……」

立海に負けることなく青学のレギュラーも個性強そうだ。

呆然としつつ、手元の携帯を見て幸村にメールしなければと慌てて続きを打ち込む。

今のことはさっさと忘れてしまおう。

そうして再び指を動かす。

レギュラーになったことでまた忙しくなるけれど、
休みの時は必ずそっちに行くとの文字も忘れずに付け加えた。


2010年05月13日(木) miracle 10 真田リョ

ここ最近の仁王は部活が終わったら、すぐに家へ直行している。
正確には荷物を置いて、隣家へお邪魔してずっと幼馴染の部屋で寛いでいるのだが。

「部活には行っているみたいだけど、皆と寄り道したりはしないの?
付き合いが悪いと、その内呆れられちゃうよ」
「そんなもん、あいつ等も気にはしとらん。
それとも舞子は俺がここに居ると迷惑か?」
「今更。もう何年も一緒に過ごして来たのに」

そう、今更だ。
絵を描くことが好きな幼馴染の傍らで、仁王は好きに過ごしていた。
本を読んだり、ダーツを持ち込んで遊んだり、眠ったり。
そこは家族と過ごすのと同じ位、居心地の良い場所だった。

けれどそんな時間も後僅かしか残されていない。
舞子が引っ越した後、自分はどうしているんだろうと仁王は考える。
少し寂しいと思っても受け入れて別の場所を探すのか、違和感を引き摺ったまま孤独に耐えるのか。
先のことが想像出来ない。
だって自分はいつまでも続く生温い日々を送ると信じていたから。

それが失われた時どうなるか、なんて考えもしなかった。






土曜日。
一日の練習が終ってから、仁王は丸井に声を掛けられた。

「仁王ー!今日こそ寄り道して行くよなっ。
土曜練習だけどいつもより終わるの早いし、ケーキバイキングに行こうぜ。なあなあ」
「あ、悪い。パス」
「またかよ!」

むくれる丸井を前に、仁王は「すまんの」と片手を上げた。

「本当に用事があるんじゃ。悪いが、他を当たってくれ」

真剣な表情で言った所為か、丸井はあっさりと引いてくれた。

「ちぇっ。しょうがんねえ。ジャッカル、行こうぜ」
「待て。俺は誘われていないぞ?」
「俺が行くって言ったら、決定事項だろぃ」
「いつからそんな話になった……」

納得いかないジャッカルを引き摺って、丸井は去って行く。
その後ろ姿を確認して、仁王は目的地へと歩き出した。
もしどこへ行くか知ったら、一緒に行くと言い出すかもしれない。
それは避けたい。呼び出した本人も、他の者を連れて来ることは望んでいないだろう。

(折角の土曜なのに……)
小さく舌打ちをする。
そのメールが送られて来たのは今朝だった。

『話がある。練習が終わったら、すぐにこっちに来てほしい』

一瞬無視しようかと思ったが、結局行くことを決めた。
……幸村からの呼び出しは、断ると後が怖い。
他から根回しされて結局行くことになるなら、早い方がいいだろう。

結局メールの通りに、仁王は病院へ直行した。



「幸村ー。俺だ」
おざなりにノックして病室のドアを開ける。
しかし中には誰もおらず、室内は静まり返っている。
どういうことだと周囲を見回すと、「中庭にいます」とメモがテーブルに残されていた。

「中庭?」

ナースステーションで場所を聞くと、丁寧に教えてくれた。
エレベーターから下に降りて、一階の中央廊下を突っ切る。
すぐに中庭は見付かった。

普段は幸村の病室しか寄らないから知らなかったが、
この中にこんな開けた場所があったようだ。
花壇には色とりどりの花が咲き、中央には小さな噴水もある。
患者達も気晴らしに訪れているらしく、パジャマ姿の人が何人かいる。
仁王はその中に幸村の姿を見付けた。

「幸村」

声を掛けると「やあ、仁王」と幸村は振り向いた。

「こんな所にいるとは珍しいな。探したぜよ」
「それはすまないね。ちょっと外の空気が吸いたくなったんだ。
もし不在の時に来たらと思ってメモを残しておいたんだけど」
「ああ、それを見てここに来た」

幸村の言う通り、一日中病室にいると暇になって外に行きたくなるのだろう。
見舞いに来る時は大概病室に居たが、時々こうしてここで気晴らしをしてるのかもしれない。

「あそこが空いてる。座ろうか」
「ああ」

空いているベンチに、二人は腰掛ける。
同時に仁王は口を開いた。

「のう、幸村。メールに書いてあった話ってなんじゃ」
「随分せっかちだね。この後、急ぎの用事でもあるのかな?」
幸村に顔を覗き込まれ、仁王は目を逸らした。

以前は彼を苦手だと思ったことはない。
むしろ自由にさせてくれる良い部長と評価していた。
しかし入院してからの幸村は以前とどこか違う。
時々それが顔を覗かせる。
どこが、と言われても上手くは答えられないのだが……。

他の誰かに言っても、きっとわかってもらえない。
しかし仁王は本能のようなものでそれを感じていた。
最も、テニスをすることを禁じられて、ずっと入院することになったのだから、
心境に変化があってもおかしくない。

でもその変化があまり良くない方向だとも、気付いている。

「まあ、いいよ。
俺もだらだら話したくないから、手短に言うから」
黙ったままの仁王に、幸村は真顔で口を開いた。

「真田と歩み寄ってくれないか」
「……」
「謝罪しろとは言わない。けど、表面でも仲直りしてくれないか。
今のままだと部内の空気は悪くなるだけだ。
ここは仁王が折れるべきなんじゃないかな」

予想通りの言葉に、仁王は頭を掻いた。
こちらにメールを出す前に、柳から一連の事情を聞き出しているのだろう。
殴ったのは真田だが、サボっていた自分の方が分が悪い。

渋々、仁王は頷いた。
あれから真田とは一度も口を利いていないが、
そろそろ止めてもいい頃合だ。真田が参っているのは、見てわかる。
幸村の言う通りにしようと、決めた。

「しかし珍しいの。幸村がわざわざ首を突っ込むとは」

基本、彼は放任主義で部員同士のいざこざには口を出さない。
誰かがケンカしていても自分達で解決しろと中立を貫く。
なのに真田に歩み寄れ、とは彼らしくない言葉だ。

その問いに幸村は、
「真田に泣きつかれたからね。しょうがないよ」と首を竦めて答える。

「真田が?お前さんに直接頼んだのか」
幸村が頷いたのを見ても、信じ難い話だった。

真田は決して弱音を吐かず、何でも一人で解決しようとするタイプだ。
どんなに窮地に追い込まれても、自分でなんとかすると差し伸べた手を振り払うと思っていた。

「俺も信じられなかったけどね」

仁王の表情を見て、何を考えたかわかったのだろう。
幸村も同調するように頷いた。

「けど、事実だ。
何があいつの考えを変えたか知らない。
でも真田は俺に相談を持ち掛けてきた。
この事態をどうにか出来ないかと。
さすがに直接頼まれたら、知らん顔するわけにもいかないからね。
これでもまだ部長だから」

その言葉の裏には直接頼まれなかったら、無視を決め込んでいたという真意が含まれている気がした。
やはり幸村は、部内がどうなろうが基本は放置を貫くつもりだったらしい。

放置されることは、仁王にとって都合もいい。
けれど、今の言い方はいつも以上に冷たく感じた。

テニス部なんて、どうでもいい。
そう聞こえたのは、考え過ぎだろうか。

「とにかく俺はこれで話を終わりにしたい。
だから丸井には仁王から話をしてくれないか」
「なんで俺が」
「丸井がイラつく原因を作ったからだよ」
「……」

そう言われると、仁王も黙るしかない。
サボった所為で真田が怒って鉄拳制裁をして、
それを見た丸井が反発を強めたのだから。
原因となった自分がどうにかする他無いようだ。

「わかった……」
「そう、じゃあもう帰っていいよ。急ぐんだろ?」

清々しい顔をして、幸村はパジャマの胸ポケットから携帯を取り出す。
そして文字を打ち始める。

なんだか嬉しそうにしている幸村の顔に、ついつい仁王はその場に留まった。

裏のあるような笑顔はよく見るが、
こんな楽しそうな表情はほとんどしない。
一体、誰宛にメールを打っているのか好奇心で、つい尋ねてみる。

「妹に、メールしちょるんか」
「違うよ」
「じゃあ、彼女か。いつの間に作ったんじゃ」
「違うよ」
「わかった。片思いの相手じゃな」
「仁王……。静かにしてくれない?」

うっすらの開いた目の奥に怒りが見えて、仁王は慌てて口を閉じた。

(あれ?
もしかして図星だったかもしれんの)

それまでは機械的に否定していたが、最後の言葉には反応した。
当てずっぽうで言ったが、案外正解だったとか。

(幸村が片思い……。想像つかんがの)

もしそんな相手がいても、幸村ならすぐに相手陥落しそうだ。
片思いなんてまどろっこしいこと、彼には似合わない。

だったらやっぱり間違いだったか、と仁王は首を捻り、そして立ち上がった。

「それじゃ、また来るからの」
「ああ」

携帯に目を落としたまま、幸村は顔を上げようともしない。
そっとしておこう、と仁王は病院を後にした。









同時刻。

ランキング戦初日を終えたリョーマは、部室で着替えをしていた。

「リョーマ君すごいよ。海堂先輩に勝っちゃうなんて!」
「俺は最初からこうなるってわかっていたけどな」
「それ、海堂先輩に言える?」
「う……」

レギュラーに勝ったことで、他の一年生達は興奮した様子で試合のことを話している。
騒ぎ過ぎなんだよ、とリョーマは黙々と帰る準備をする。

たしかに海堂は強かった。
青学にも楽しめそうな選手がいて、リョーマは内心それはそれは喜んだ。
しかし負ける気はまるで無かった。

(俺に勝つには、まだまだだね)

明日もこの調子で行こう、と意気込む。
もう一人レギュラーの対戦があるから、楽しみだ。
どんなテニスをするのだろう。考えただけでわくわくする。

帰ったら幸村に今日の試合勝ったとメールしなくちゃな、とリョーマが思ったその時。
バッグの中に入れていた携帯が振動を始める。

「お先に」
「あっ、リョーマ君!?」

まだ話し足りなさそうな同級生達を振り切って、リョーマは外へと出た。
そして携帯を開く。

「やっぱり…」

メールの相手は幸村だった。
結果はこっちから知らせると言っておいたのに、もうメールを寄越して来た。
今日の試合はどうだった、という質問が長々と書かれている。

(本当にせっかちな人)

もう少ししたらこちらからメールするのに、待ち切れないのだろうか。

そこで、ふと気付く。

一日中、病院の中にいると変化はほとんど無い。
同じ時間でも幸村の方が長いように感じるのだろう。
だからこそ、連絡を待ち切れずにメールを送ってくるのだと。

(すぐに返信しよ……)

歩きながら、リョーマはたどたどしい手つきでメールを打ち始める。

きっと朝から気にしていただろう彼の為に、
出来るだけ長くどんな試合だったかわかるようにと一生懸命考えて、メールを作成した。


2010年05月12日(水) miracle 9 真田リョ

それでもやっぱり、幸村を前にすると決意が鈍った。
入院している彼に、相談をしていいものだろうか。

しかしここまで来たのだからと、真田は自分を奮い立たせた。
先程、リョーマに励まされたばかりだ。
ここで何も言わず帰ったら、次に会った時にまた心配させるかもしれない。

(おかしな奴だ……)

リョーマとは数回顔を合わせただけ。
しかも幸村と共通の友人という接点以外、何も無い。
なのに彼は自分を心配していると言う。

たしかに余計なことを言ったのは事実だ。
しかしそんなに気に病むことでもない。元より真田は幸村に何かを打ち明けるつもりは無かった。
だからリョーマに一切の非は無いはずだ。
何を言われようが、気にしていないのだから。

それなのに。

「だから俺の勝手だって。なんか気が済まないから、言ってるだけ」

勝手に心配していると、リョーマは胸を張って答えた。
本当に変わっている奴だ。
ついこの間まで小学生だったのに、物怖じせずにハッキリと自分の意見をぶつけて来るなんて。
単純馬鹿なのか、とも考えるが心配しているという言葉に嘘は無さそうだった。

年下の子供にいつまでも心配されているようではいけないと、真田は改めて背筋を伸ばす。
するとベッドで半身起こしている幸村が、不思議そうに見詰めて来た。

「どうしたんだい、真田。そんなに改まって」
「いや、実は……今日は話が合って来た」
「へえ。話って?可愛い女子に告白されて、付き合うかどうか悩んでいるとかそういう面白い話?」
「ち、違うぞ!断じてそんな類のものではない!」
「わかってるよ。それよりもう少し声を小さくしてもらえないかな。ここ、病院なんだけど」
「すまない……」

謝罪してから、真田は気を取り直すように咳払いする。
今のは幸村なりにリラックスさせようとしてくれたのかもしれない。
ならば後は覚悟を決めて、打ち明けるだけではないだろうか。


「幸村。実は、相談したいことがある」
「俺に?」
少し首を傾げて尋ねる。
あくまでも幸村は知らない振りをすると決めているようだ。
相談してくれるまでは、何も言うまいと耐えているとしたら、
それまで余計な負担を彼に掛けたことになる。

やはり正直に何もかも話すべきだと、真田は口を開いた。

「実は、部のことなんだが」
「え?何?上手くいっているんじゃないの。この間もそう言っていたよね」

何気ない言葉が、胸を刺す。
たしかに幸村にはそう伝えていた。部の方には問題など、無いと。
しかしそれは余計な気苦労を掛けまいと言った嘘だった。
嘘をついていたことを認めるのは、辛い。
だがこのままでは何も解決しないとわかっている。

真田は「実はあれは嘘だった」と真実を話した。
「お前に心配掛けまいと、あんなことを言ってしまった。
本当は部の方は皆の気持ちはばらばらで、とても纏まっているとはいえない。
すまない、幸村。
俺がいながら、こんな事態を招いてしまった」
「……」
「どうするべきか。知恵を貸して欲しい。
頼む」

真田の話を黙って聞いていた幸村は、沈黙の後に、大きく溜息をついた。

「そうか。嘘だったんだ」
「ああ……」
「わかった。それで、今何がどうなっているの?」
「それが、その」
「まずレギュラーの方から聞こうか。
柳とジャッカルと柳生は問題起こすと思えないから除外して、
仁王とは?今の関係は良好?」

さすがに幸村は鋭い。
誰と気まずくなっているか、聞かなくてもわかっているようだ。


そうして真田は全てを話した。
仁王のことを殴ってしまったこと。
その件で、丸井に嫌われていること。
他の三年生を初めとした部員から不満が上がっている。
一年生達は怖がって近付くこともしない。
部内はばらばらになっていると、告げた。



「ふーん。俺がいない間に、随分と雰囲気が変わったようだね」
呆れたように言う幸村に、真田はもう一度謝罪をした。
「俺の力が足りないばっかりに、こんなことになってしまった。
申し訳無い」
「いや。真田の所為だけじゃない。
皆、随分と好き勝手にやってくれてるようだね。
まあ、いい。俺の方から少し手を回してみることにするよ」
「本当か!?」

幸村の申し出は、願っても無いことだ。
もう一人ではどうにもならなくなっている。
幸村が力を貸してくれるというのなら、きっと上手く行くだろう。

「ああ。真田の頼みだからね。
まさか君が弱音を吐くとは思わなかったよ。
これは予想外だった」
幸村はそう言って、こちらをじっと見詰めて来る。
「よっぽど堪えたのか、それとも誰かに何か言われた?」

一瞬、リョーマの顔が浮かんだ。
切っ掛けを作ってくれたのは、彼だ。
強引な意見を押し付けられなかったら、今も一人で悩んでいたかもしれない。

だが、幸村に話すのは何故か躊躇われた。
リョーマのことをとても親しい友人だと思っているようなので、
そんな彼に知らない所で会ってアドバイスされたと聞いたら、気分を害する可能性だってある。

「いや。俺が根を上げただけだ」
「そう。真田がそう言うのなら、よっぽどのことだね」
幸村は頷いた。

「わかった。少し時間を貰えるかな。
他の部員に連絡して、協力してもらえるよう俺から頼んでおくから」
「すまない、幸村。入院してまでお前の手を煩わせることになってしまった」
「悪いと思っているのなら、ちゃんとしなよ。
仁王達のことはともかく、一年生達に対してはやりようがあるはずだ。
そっちは自分で考えてもらいたいね」
「……わかった」

厳しい言葉も試練として、受け止める。
真摯に頷く真田に、「なんだか疲れちゃったな」と幸村は肩に手を置く。

「今日はもうこの辺でいい?また今度、どうなったか連絡するから」
「ああ、待っている」

感謝しつつ真田は立ち上がった。
幸村は病人だ。長居して疲れさせてはいけない。
そういえばさっきまでリョーマや丸井達も来ていたというから、そろそろ限界かもしれない。
退散しておくべきだろう、とドアへと向かう。

「幸村。今日は話が出来て本当に良かった。ありがとう」
「まだ何も解決していないのだから、お礼は早いよ。
明日の練習も、頑張って」
「ああ」

一礼して、真田は外へと出た。

やはり幸村に相談して良かった。
もし立ち止まったままでいたら、更に悪い方へ向かっていたかもしれない。
そう思うと、後押ししてくれたリョーマにも感謝の気持ちが浮かぶ。

(次会ったら、きちんと礼を言わねばならないな)

生意気だが、裏表無く自分の気持ちをぶつけて来る姿には好感が持てた。
幸村がリョーマを可愛がるのもわかった気がする。
ああいう後輩が今の一年生の中に一人いたら、きっと雰囲気も違っていただろう。

(いや、それは無いものねだりだ。
折角、幸村も協力してくれると言っているんだ。
立海大テニス部をなんとかここから纏めていかねばならん)


リョーマには次に会った時、ちゃんと話せたと伝えよう。
しかしそれがいつになるかはわからない。
連絡先も知らないのだから。

(また、会えるよな……?)

このまま擦れ違ったままだとしたら、礼も言えないのか。
ふと浮かんだ考えに、真田は困ったように眉を寄せた。

出来るだけ早く会えればいい。
もし叶わなかったら、その時は青学まで会いに行こう。
きちんと礼は言うべきだ。
そうしよう、と決意を固めた。












真田が帰ってから、幸村はごろんとベッドに横になった。

(まさか正直な気持ちを話してくるとはね。
誤算だった)

真田の性格を考えると、部が上手く行っていると言い通すと思っていた。
決して入院している自分に心配を掛けるようなことは言わない。
真田はそうやって一人で頑張ろうとするはず、だと。

しかしあっさりと嘘を認めて、しかも協力を仰いで来たことに驚いた。
何か心境の変化でもあったのだろうか。
柳に相談して、自分に助けを求めるようにアドバイスをされたか。
いや。柳なら、真田にこう動くようにと指示を自ら出すだろう。
彼もまたこちらに負担を掛けるような真似はしないはず。

真田が話した通り、よっぽど堪えたのだとしても腑に落ちない。

しかし考えても答えは出なかった。
真田を後押しするような人物に、心当たりは無い。

(やっぱり自分の意思でここに来たのか。
全く、余計なことを持ち込んでくれるよ……)


たしかに今も部長である自分が仁王や丸井に一言お願いすれば、
事態は好転して行くだろう。

でも、出来れば関わりたくなかった。
今起きている問題は、そこにいる者達だけで片付ければいいだけのことだ。

出たくてもここから出られない自分に助けを求めてくるなんて。

(ある意味、残酷なことしているってわかっているのかな。真田……)



幸村はそっと携帯を開いた。
そこには少し前に待ち受けにしたリョーマと二人で写した写真がある。
体を密着して、無理矢理取ったものなのであまり映りは良くない。
それでも幸村にとっては大切なものだ。
病室では携帯の使用を禁止されているが、これを見る位なら構わないだろう。

こうして、リョーマの顔を眺めると落ち着く。

仁王への連絡は明日にしよう。少し位遅れても、真田は律儀に待ってくれるはず。

今だけは穏やかな気持ちでいたいと、リョーマが映っている部分をそっと指で撫でた。


2010年05月11日(火) miracle 8 真田リョ

幸村の病室を後にしたのは、結局2時間も経過してからだ。

リョーマの話を丸井も柳生も興味深々に尋ねて来て、
色々な質問に答えている内にすっかり疲れてしまった。
まだレギュラーにもなっていない一年に答えられることも無く、
ほとんどが曖昧な返事になり、そしてまた質問されるというパターンだ。
勿論、二人があまりにしつこい場合は幸村が間に入ってくれたのだけれど……。

明日のレギュラーを決めるランキング戦に出ることを話したら、
さすがに皆驚いていた。

「部長って手塚だろ?一年生を抜擢するなんて、大胆な考え持ってるようには見えなかったよな」
「ええ。手塚君は慎重に物事を考えるタイプかと思っていました。
青学もどちらかというと規則は厳しい方だと聞いています」

納得出来ない顔をしている二人に、
「それだけ越前君の実力が認められたということだよ」と幸村が言った。

「チャンスが与えられて良かったね。君ならきっとレギュラーになれるよ」
「そんな。まだ試合もしてないから、わからないっす」
「おや。自信ないのかな?」

おどけたように言う幸村に「さあね」とリョーマはニヤッと笑う。

「同じブロックにはレギュラーもいるみたいだから、どうなるかはわかんない。
でも楽しみっす」
「お前、レギュラー以外は眼中に無いのかよー」
丸井が呆れたように声を上げる。

「生意気だなあ。赤也と同じ位?
先輩を倒す気満々なのもそっくり」
「赤也って?誰?」
「うちの二年のレギュラーだよ」
幸村が説明をする。
「入学早々に俺や真田達を倒すって挑発して来てね。
あの時はびっくりしたよ」
「幸村君はそこまで驚いているように見えませんでしたが」
柳生が眼鏡を掛け直しながら言う。

「性格に問題は多少ありますが、実力は確かです。
彼は今大会でも活躍してくれるでしょう」
「へえ。そんな強い人がいるんだ」
興味を示したリョーマに、「でも赤也は俺に勝ったこと無いけどね」と幸村が言う。

「未だに俺達を潰すとか息巻いているのが、また面白いんだよ。
学習しない辺りがまた子供みたいだよね」
「はあ……」

幸村の言葉に、丸井と柳生は黙ってしまう。
リョーマはなんとなく不穏な空気を感じて、曖昧に頷いた。

時々幸村は何を考えているかよくわからないことを言い出す。
そういう時は突っ込みを入れない方がいい、となんとなく察していた。

「なんにしろ、レギュラーならないと俺も試合出られないから……。
明日は頑張るっす」
話題を変えようと、わざとらしいが声を上げると、
幸村は「そうだね。応援しているよ」とリョーマの手を握って来る。
側にいる二人が驚いた顔をしたのが見える。
しかしリョーマにとってはいつものことなので、動じることなく手を握り返した。

「ありがとう。じゃあ、俺そろそろ帰るから」
「えっ、もう?」
「明日ランキング戦って言ったじゃん。早く帰って休みたいんで」
「しょうがないな。その代わり、結果はメールで連絡してくれる?」
「わかった」

じゃあね、と立ち上がると丸井が「俺達もそろそろ」と同じように腰を上げる。

そうして三人で幸村の病室を出た。





「お前、幸村と本当に仲が良いな。
あんな幸村の顔見たこと無いからびっくりしたぜ」
「ええ、本当に。私達が見舞いに行ってもあそこまで喜ぶことは無いですからね。
随分前からの知り合いなんですか?」

エレベーターに乗って、二人は同時にリョーマへ話し掛けて来る。

「いや。ついこの間知り合ったばっかりなんだけど。
なんか懐かれちゃって」

幸村に気に入られているのはさすがに気付いているか、
どうしてだかなんてわからない。
むしろこっちが教えてもらいたい位だ。
見舞いに来るチームメイト達がいるというのに、幸村は自分と会いたがって連絡して来る。
寂しいという訳でも無さそうなのに、変なの、と首を傾げる。


「おいおい。幸村に懐かれるなんて言う奴いないぜ。
しかも一年生だろい。もしうちに入っていたらマジで赤也の再来になっていたかもな」
「その可能性は十分ありますね」

納得したように言う二人に、リョーマはムッとして顔を顰めた。
少なくとも自分は最初から先輩を潰そうと行動していない。
やられたから、やり返しただけだ。
一緒にすんなよ、と思ってしまう。


エレベーターが到着して、三人で病院の外へと出る。

「あーあ。なんか喉渇いちまったなあ。柳生、どっかに寄っていかね?」
「先程あんなに甘いものを食べるからですよ。もう真っ直ぐ家に帰ったらどうですか」
「だからその前に飲み物だけ飲んで行こうぜ。
あ、良かったらお前も来いよ」
丸井にそう言われて、リョーマはきょとんと目を瞠った。
「え、俺?」
「ああ。さっきは幸村が居たから遠慮して聞けなかったことも聞けそうだしよ。
時間会ったら付き合わねえか?」

リョーマは少し考えて、「ごめん。今日はちょっと」と言った。
「やっぱり家に帰る。明日のことがあるから」
「そうだよな。ま、次もまたここで会えるかもしれねえし。
その時は付き合えよな」

ぐしゃっと、小さい子にするみたいに丸井が頭を撫でて来た。
どうやらシュークリームを半分あげたことで、気に入られてしまったようだ。

「じゃ。明日の試合、頑張れよ!」
「……失礼します」

片手を振って歩き出す丸井に、柳生も続いて行く。

やれやれ、とリョーマは二人の後姿を見送る。
立海大は個性の強いチームらしい。
幸村といい、前に会った真田や仁王、今日の二人。
いずれも癖のある者ばかりだ。
常勝校ともなると、そんな部員ばかり集まって来るのだろうかと考える。

(青学はどうだろう……)

まだレギュラーの人達とはほとんど関わっていない為、区別さえついていない。
立海と同じ位に面白ければいいんだけど、とリョーマは呟く。

そして駅に向かって歩き始める。





(そういえば、前に真田さんを見掛けたのもこの辺だったな)

部活は休みだと丸井達から聞いていたが、真田はどうしてるのだろう。
こんな日に幸村の見舞いに顔を出したりしないのか。
まさか未だに思い悩んだままじゃないと思いたい。



しかし前を向いたリョーマの目に、以前と同じように顔色を悪くしたままこちらへ歩いて来る真田が映った。
またここで再会してしまった。

「え、なんで」
思わずそんな風に言うと真田もこちらに気付き、びくっとしたように足を止める。
「偶然、っすね」
「……」
また幸村の所に来たのかと言われると思ったのか、真田が身構えているのがわかる。
そんな仕草に気付かない振りして、リョーマは口を開いた。

「今日、部活休みだったんでしょ。
部活の人達とは一緒に来なかったってことは、自主練でもしてたんすか?」

リョーマの問いに、真田は「幸村に聞いたのか?」と逆に聞き返す。

「ううん。あんたと同じ学校の部員に。
丸井さんと、えっと柳生さん」
かろうじて思い出した名前を口にすると、真田は少し眉を寄せる。

「あの二人が来ていたのか」
「うん。シュークリーム持って来てた。結構早くから居たみたい。
あんたは学校終わった後、どうしてたんすか」
同じ質問をすると、「お前の言った通り自主練だ」と返される。

「休みだからといって、練習を怠るわけにはいかん。
あいつらもそれはわかっているはずなのに、見舞いを口実に遊んでいるとはたるんどる」
「いいじゃん、それ位」

ぶつぶつ言う真田に、リョーマは呆れたように言った。

「だって休みなんでしょ。闇雲に練習すればいいってもんじゃないし、時に休養だって必要な時があるんじゃない。
それに幸村さんのこと心配して会いに来てるのに、まるでサボったみたいに言うのもね」

黙っている真田の顔を見上げると、呆然としたように立っている。
また余計なことを言ってしまったかと、リョーマは慌ててフォローをする。

「という考えの人もいるってこと。
あんたの周りの人はそう思わないかもしれないから、気にしなくてもいいけど」
「いや」

真田はゆっくりと首を横に振った。

「貴重な意見として受け止めていく。
どうも俺は周囲のことがよく見えていないようだからな」
「……なにか、あったんすか?」

前回と違って素直な真田の態度が気になった。
もしかして思っている以上に悩みは深くなっているのあろうか。

「幸村さんの所に行ったら?今なら誰もいないから、話も出来ると思う」
すると、真田は急に態度を変える。
「俺は幸村に悩みを話したいわけではない!何度同じことを言わせるんだ」
幸村に心配を掛けたくないと、真田は思っているのだろうか。
しかしそんな顔色して、何を言っても説得力は無い。

「じゃあ、なんでここに来るんすか。話したいことがあるんじゃないの?
本当はどっかで聞いて欲しいって、思っているんでしょ」
「そんなはずはない。俺は幸村に会って、このままではいけない、自分でなんとかするべきだと確認しているだけだ。
あいつに負担を掛けるようなことを、望んでいるんじゃない」

動揺している真田に、リョーマは「でも幸村さんは、あんたが話してくれるの待っているんじゃない?」と言った。

「幸村が……?」
「うん。あんたの顔色を見て薄々何か抱えてるのを知ってるんじゃないかな。
でも無理矢理聞きだすことが出来ないから話してくれるまで、待ってるとしたら。
それも負担なんじゃないの?」
「……」
「俺、この間あんたに余計なことを言ったって気にしていた。
悩みを打ち明ける相手が幸村さんしかいないんだったら、それを止めるようなことしちゃって。
だから、あんたがいつまでもそんな顔しているの見るの嫌なんだけど」

ハッキリと言うリョーマに、真田は驚いたように目を開く。

「たわけが。お前に心配される筋合いではない」
「だから俺の勝手だって。なんか気が済まないから、言ってるだけ」

もう少し言い方というものがあるかもしれないが、
リョーマは本音を隠すことが出来ない。
自分の都合だと言い切ると、さすがに呆れて言い返せないのか真田は黙っている。

「とにかく。あんたが黙っている方が心配させてることだってあるんじゃないの。
さっさと幸村さんに会いに行ったら?」
「結局その話に戻るのか」
「うん」
「……」

溜息をついてから、真田は少し距離を縮めて来る。

「全く、お前みたいに正面切って意見を押し付けて来る奴も珍しい」
「そうっすか?」
「ああ。けれど、悪い気分ではない。
最近ではずっと……いや、止めておこう。
お前の言う通りだな。幸村に、話すことにする」
「それじゃ」
「ああ、今から行って来る」

少し吹っ切れたような真田の顔に、リョーマはホッとさせられる。
これで良い方向に行けばいい。
そうであって欲しいと、願う。

「頑張ってね」
そう伝えると、真田は少し照れくさそうにして、だけど頷いてくれた。
てっきり「お前に応援される筋合いは無い」と言われると思っていたので、
予想外の反応だ。


そしてそのまま真っ直ぐ真田は病院へと歩いて行く。
広い背中を見送りながら、リョーマはもう一度「頑張れ」と呟いた。


2010年05月10日(月) miracle 7 真田リョ

青学のテニス部に入部して以来、リョーマの心は今ひとつ晴れない状態が続いている。

都内では強豪だと聞かされていたが、その肝心なレギュラー達と一年生は打ち合う機会が無いと聞かされた時はショックを受けた。
基礎練習に不満があるわけではない。
もちろん基礎は大切で、リョーマも自主練する時にも欠かしたことは無いのだけれど。

全くチャンスが与えられないということは、納得いかない。
青学に入ったら少しは楽しめるかもしれないぜ、と無責任に言い放った父親を恨みたくなる。
夏の大会が終わるまでの半年間、一年生はコートに入ることが出来ないなんて。

「ありえない……」

おまけに一つ年上の先輩に妙に絡まれて、鬱陶しいことこの上無い。
今日はラケットを隠される嫌がらせまでされた。
さすがにここは強く出なければと判断し、全員の前でボロラケットを使用しても尚こちらが格上だと知らしめてやった。
あれで少しは大人しくなればいいんだけど、とリョーマは小さく溜息をつく。

こんな状態が続くようなら、やっていられない。
レギュラーと打ち合えないのなら、テニス部に在籍している意味もないような気がする。
どこか外部のクラブに通うとか考えるべきか。
だらだらと部屋で寛ぎながら思案していると、不意に携帯が鳴った。
メールの着信だとわかっていたので、のろのろと起き上がって机に置いていた携帯を開く。


『もう部活は終わった頃かな?今日はどうだった?』

相変わらずマメな幸村に感心しつつ、リョーマも返事の文を打った。
『いつも通り。あ、でも今日は前に言っていた嫌がらせしてくる先輩を〆た』

するとすぐに、
『それ、どういうことなの?』と幸村から再びメールが入る。

幸村のメールは必ず毎日2回以上送られて来る。
そして一度返信すると、何度かやり取りすることになるのがもうパターンとなっていた。
病院生活は退屈だろうと思って、リョーマも出来るだけ返すことにしている。
最近は近況ということで青学の話ばかりだ。
幸村が聞きたがっているのだから、文字を打つのは苦手だが出来るだけ答えている。

入部が決まって、今は基礎練習ばかりと送った時に、
『立海に入ってくれていたら、俺がなんとか手を回してレギュラー達の練習に混ぜるんだけどな』
との返事にはさすがにぐらっと来た。

お喋りな同級生が言っていたが、立海大はここ近年は優勝続きのレベルの高いチームらしい。
そんな中での練習は確かに魅力的だ。
少なくともこのまま半年ずっと基礎だけやらされるよりは楽しいだろう。

しかしどう考えても立海大にまで通うには、無理がある。
今でさえ睡眠が足りないのに、それを通学時間に取られたら……きっと毎日遅刻する。
気持ちは嬉しいが、やはり青学に通うしかない。
リョーマがやっぱり立海に変わると返事しなかったので、幸村はそれ以上は何も言って来ない。
日常メールだけは相変わらずだ。

(どういうことかって。
まず、荒井先輩にラケット隠されて、って打つの面倒だな)

リョーマは『今度説明するよ』と返した。
するとすぐに『それはいつになる?』とのメールが入る。

入学してから、さすがに病院に足を運ぶ頻度は下がっている。
寂しいのかな、と考えて、リョーマは『明日、そっちに行く』と文字を打った。

明日はランキング戦の発表のみで、その後は各自での練習となっている。
試合前にトレーニングはそれぞれ、という方針らしい。
一年生の自分は関係ないのだから、さっさと着替えて幸村のところへ向かおうと考えた。

『本当に?すごく嬉しい。待っているからね』

思った通りのメールを打って来た幸村に、
大袈裟だなあとリョーマは目を細めて、携帯を再び机の上に置いた。














翌日。


リョーマは足取り軽く、幸村のいる病院へと向かった。

(まさか俺がランキング戦に入るなんて、ね)

どうせ一年だから関係無いと思って出てみたら、
ランキング戦の表に名前が載っていたから驚いた。
他の一年はもっとびっくりしたらしく、リョーマのことをすごいとか、頑張ってとか言いながらはしゃいでいる。
同じ一年が試合に出ることで、希望が持てたようだ。
反対に二年生達の中で面白くなさそうな顔をしていた人もいたが、
それは知らん顔してやり過ごした。
表立って文句を行って来た荒井は、昨日の件がよっぽどショックだったようで絡んでも来ない。

(ランキング戦に入れてくれたのって、おばさんか、それとも部長か)

今まで部長といえば問答無用でグラウンドを走らせる融通の利かない奴かと思っていたが
いい所あるじゃんと、少し見直す。
なんにしろ、これでレギュラー達と打ち合う機会を得ることが出来た。
後は試合に勝って、自分がレギュラーになるだけだ。
そうしたら少しは楽しめそうだ。他に練習場所を探しに行く手間が省ける。

幸村に話すことがもう一つ増えたと、少し浮かれながら中へと入る。
すっかり病室がどこにあるか覚えているので、迷うことなく足を進める。

そして部屋の前でノックをすると、
「はい、どうぞ」と幸村の声が聞こえた。

「こんにちは」
挨拶しつつドアを開けると、幸村の他に客が二人程いた。
以前に会った人物ではない。
また違う友人達がお見舞いに来てくれているらしい。

寂しげにしているけれど、こんなに来てくれる人がいるじゃん、とリョーマは内心で呟く。

「こいつ、誰?」

一人の赤い髪をした男がリョーマの方を指差して言う。
ガムを噛みながら言った男に、「こいつなんて言ったりしたら駄目だよ」と幸村がたしなめる。
「全くです。初対面の人に失礼です」
もう一人の眼鏡を掛けた男が幸村に同調する。

「あー、悪かった。ま、ここ座れよ。俺はこっちに行くからさ」
丸井、と呼ばれた男が自分の座っていた椅子を譲る。
いいのかな?とリョーマが首を傾げると、来るようにと手招きされる。
ここで拒否するのもなんだし、とリョーマは大人しく丸井が譲ってくれた椅子に座った。

「幸村の友達?それとも妹さんの方の知り合い?」
興味深々で丸井はリョーマの顔を覗きこんで来る。
それを幸村は制するように、リョーマの肩を掴んで自分の方へと引き寄せた。
「俺の友達だよ。この子は越前リョーマ君。
丸井がそんなに近付くから、怖がっているじゃないか」
「いや、怖がってなんか……」
「あー、悪い。ちょっと不躾だったよな。
俺は丸井ブン太。幸村とは同じテニス部。シクヨロ」
「はあ」

変わった名前だな、と思いながらもこれなら一回で覚えれそうだとリョーマは考えた。
するともう一人の男が「私は柳生です」と名乗った。

「幸村君に他校の友人がいるとは知りませんか。
ここの病院で知り合ったんですか?」
「えっと」
「まあ、いいじゃない。俺達が親しいことに変わりはないんだから」
柳生の詮索を止めるように、幸村は言った。
しかし柳生は納得しないように、
「でも彼もテニスをするのでしょう?」とリョーマの持っているバッグを見た。

「どこの学校ですか。この近辺では無いようですが」
「青学だけど」
つい正直に答えると、「青学かよ!?」と丸井が声を上げる。

「なんでそこの部員と幸村が仲良くしているんだよ。
あっ、さては情報を収集しようと思って」
「丸井。いくらなんでも言い過ぎだよ」

低い声で言う幸村に、丸井は慌てて「冗談だって!」と言い訳をする。

「一年生がそんなことまでするわけないよな。うん、俺の勘違いだった」
「はあ」
しかし最初に言い出した柳生は、まだ疑わしそうにリョーマのことを見ている。
これじゃとても明日からランキング戦やってレギュラーになれる可能性があるかもしれないとは、
言い辛い。

どうしよう、と目を泳がすリョーマに、幸村が「そうだ。丸井達がケーキ持って来てくれたんだ」と雰囲気を変えるように声を上げる。

「越前君、ケーキ好きだったよね。丸井が持って来てくれるのはどれも美味しいんだ。
是非食べて行って」
そう言って、脇のテーブルに置いてあった箱を差し出す。

「あー!それ、俺が選んだシュークリーム……」
「丸井君はさっき食べたでしょう。私の分も合わせて2つ。もう十分ですよ」
呆れるように言う柳生に、丸井は「そうだっけ?」と頭を掻く。
その間に幸村は箱からシュークリームを取り出し、「はい」とリョーマに渡す。

「でも、これ…幸村さんの分じゃないの?」
「俺は今日はそんな気分じゃないんだ」
「気分じゃないのなら、俺に……って、痛えな、柳生!」
「いい加減にしたまえ。そろそろ柳君よりダイエットするよう指導されますよ」
「そんなに太ってねえよ。俺のどこ見て言っているんだ」

食べにくい……。
こんな所で食べてと言われても、困ってしまう。
しかし幸村はにこにことした笑顔でリョーマが食べるのを待っていて、
その隣で丸井はじっとシュークリームを見詰めていて。

少し考えてから、リョーマはシュークリームを半分に割った。
中からどろっとしたクリームが流れるより前に、
丸井に「はい」と渡す。

「半分こ、しよ。これならあんたも満足でしょ」
食べることを断ると、幸村が後で丸井に文句を言うかもしれない。
かといって全部食べたら、丸井に恨まれるかもしれない。幸村の友人とはケンカしたくない。
そう思ってリョーマは半分だけ食べることにした。

「お前、いい奴だなー!本当にくれるのか?」
「うん。俺は帰ったらすぐ夕飯だから、これだけでいいよ」
クリームが零れそうになったから、慌てて口を開けて放り込む。
なる程。確かに美味しい。
今まで食べたシュークリームの中でも、郡を抜いている。

ぺろっと指についたクリームを舐めると、
「もう、越前君まで丸井をそんな風に甘やかさなくてもいいからね」と幸村が言った。

「こうやって皆がお菓子をあげるから、もっともっとって胃袋が大きくなるんだよ」
「全くです。細かいことは言いたくないですが、結局丸井君がほとんど食べてしまったんじゃないでしょうか。
お見舞い品という名目で、自分が食べたいだけのような気がします」
「まあまあ、細かいことはいいだろい」
満足したように、丸井は笑った。
実際、お腹は満たされているのだろう。

「今日もジャッカルと赤也を誘ったんだけど、あいつらさっさと教室からいなくなっているんだぜ?
折角のオフなのによー。俺がこうして誘ってやっているのに」
「それはこうなるのを見越していたからでしょう。
先日購入したケーキも丸井君がほとんど食べたと伺っていますが……」
「ぼやぼやしているあいつらの方が悪い。だから食われても仕方無いだろ」
「……それは違うかと」


二人の会話を聞きながら、常勝・立海大も意外と普通に楽しそうだなとリョーマは思った。
練習は厳しいかもしれないが、部員は普通に仲が良さそうだ。

(あれ、でも真田さんは……?なんであんな難しい顔していたんだろう)

この二人とは対照的に顔色が悪かった真田のことを思い出す。
ひょっとして悩み事は部活と関係ないことなんだろうか。
友人である幸村に部活以外のことで悩みを打ち明けてもおかしくない。
きっとそうだ、とリョーマは思うことにした。

それ位、目の前にいる丸井と柳生の会話は、和気藹々としたものに映った。


今日は青学の話を蒸し返さずに帰ろうと、こっそり決める。
折角、良い雰囲気に戻ったのだ。
青学の出来事を話したら、また柳生が疑わしい目を向けてくるかもしれない。

今日はこのままで、とリョーマが考えた矢先に幸村が口を開く。

「そういえば、越前君」
「何すか」
「昨日のメールに書いてあったよね。
嫌がらせしてくる先輩を〆たって。あの話、詳しく聞きたいけどいいかな?」


幸村の発言に、丸井と柳生は会話を止めて、マジマジとリョーマを見詰めて来る。

「え、マジかよ!?青学の先輩?相手は誰だよ!」
「一体どういう状況でそんなことになったんですか。私も是非知りたいです」


この二人の前で話すつもりは無かったのに……。

元凶の幸村に視線を移すと、期待した目をこちらに向けている。
悪気は一切無さそうだ。
ただ、メールを読んでずっと気になって聞いただけなのだろう。


仕方無いなと、リョーマは溜息をついて昨日の出来事を語り始めた。


2010年05月09日(日) miracle 6 真田リョ


立海も入学式が終わり、仮入部の時期がやって来た。

「新入生の数はそこそこ多いみたいだぜ。
去年の赤也みたいな生意気な奴もいるのかねえ」
「ちょっと、丸井先輩!俺はそんなに生意気じゃないっすよ!」

丸井の言葉を聞いていた切原が聞き捨てならないというように、声を上げる。

「入部そうそう幸村達に挑んだ奴がよく言うぜ。なっ、ジャッカル!」
「ジャッカル先輩までそんな風に思っていたんすか〜?酷いっす!」
「なっ、俺は関係無いだろ」

部活が始まる前、丸井・ジャッカル・切原の三人は集まっている一年生達から離れて和気藹々と会話をしていた。

「うーん。見た所、赤也みたいな無謀な奴はいなさそうだな。
お前、最初から先輩にケンカ売っていたもんなあ」
「そりゃ自分の実力が上ってことをアピールするのは大事っす」
「じゃあ、あそこにいる一年が挑発して来たらどうすんだよ」
「全力で潰す!」
「赤也……。大人気ないにも程があるぞ」

溜息をつくジャッカルに、丸井がククッと笑い声を上げる。
と、そこへ別の三年生が声を掛けて来た。

「なあ、丸井。一年生達が入部して来たのはいいけど、このままだとすぐ辞めるかもしれないぜ?」
「ん?そりゃ、どういうことだよ」
丸井が顔を上げると、声を掛けて来た部員の他に後ろに何人かが控えているのが見えた。
「わかってるだろ。真田の態度にびびって逃げる奴が出るんじゃねえかって心配しているんだ」
「このままだと全員、仮入部前にいなくなるかもしれないぜ?」
「なあ。お前から柳辺りに、真田は副部長から外れるべきだって言ってやった方がいいんじゃないか?」

彼らの言葉を聞いて、丸井はつまらなそうにガムを口に含んだ。
ガムの甘味で、少し苛々が収まる。

「何で俺が。面倒くせえ」
「だってお前も真田に不満を持っているんだろ?
レギュラーのお前から一言言ってもらえば、柳だって」
「そんなんお前らが直接言えばいいだろ。俺を巻き込むな」

しっ、と片手を振ると、その部員達は舌打ちや、顰め面しつつ去って行く。
これ以上は言っても無駄と、一旦引くことに決めたらしい。

「なーんすか、あれ」

赤也の声に、ジャッカルは肩を竦めて答える。

「あいつらは元々真田に不満を持ってたからな。
この間、丸井が仁王を庇った件で巻き込めると考えたんだろ。
副部長の交代っていうより、真田の失脚を狙ってるみたいだな」
「はー。浅はかというか、自分達じゃ何にも出来ないんすかねえ」

呆れたように言う赤也に、「そういう連中もいるってことだろい」と丸井は言った。

「幸村の時はこんな不満出て来なかっただろうが。
真田のやり方が悪いから、何言われてもしょうがないよな」
「その割りには、丸井先輩、あいつらの味方はしないんすか」
「当たり前だろ」

ふん、と丸井は鼻を鳴らした。

「俺は気に入らないことがあったら、直接真田に文句を言う。
群れてこそこそと陰口叩くような真似は嫌いだからな」
「おっ、なんだか丸井先輩が格好良く見えるっす」
「馬鹿野郎。俺はいつでも格好良いだろい」

またいつもの調子に戻ったことで、ジャッカルはホッと息を吐いた。

それにしても今まで真田に不満を持つ者はいても、こんな風に声を掛けてくることは無かった。
よっぽど耐えられなくなっているのか、それともレギュラーである自分達の微妙な空気を読み、
今なら覆すことが出来ると考えているのか。

冗談じゃない、とジャッカルは思った。

ただでさえ、部長である幸村が入院してテニス部は少し不安定になっている。
ここで問題が起きたら、それこそ部は空中分解するのではないだろうか。

とはいえ、ジャッカルも真田の指導は厳し過ぎると感じている。
真面目なのが悪いわけではない。
しかしもう少し柔軟な態度があっても良いのではないだろうか。
あれでは真田自身も誤解されかねない。
部のことを思う気持ちは人一倍あるのだろうが、相手によっては独裁や力尽くで抑え付けられていると感じる。
なんとかならないかと考えても、自分にはそれを上手く真田に伝えることすら出来ない。

困ったな、と首を捻ったところで、仁王がこちらに歩いて来るのが見えた。

ここ最近、彼は真面目に部活に出ている。サボることも無くなった。
真田と余計な揉め事を起こしたくないと考えているのだろうか。
とはいえ、元のような関係に戻ったとは言い難い。
真田の姿を見ると、すっと視線を逸らし極力近付こうとしない。

こんな状態で立海大は今大会を勝ち抜いて行けるのか。
ジャッカルの胸に、不安が過ぎった。

そんなことに全く気付かず、丸井は「よお、仁王。ちゃんと練習に出て来ているんだな」と呑気な声を上げた。

「まあな。やっぱり練習位は出るべきだと考え直したんじゃ」
「それは良かった。ところで今日、久し振りに幸村の所に行かね?
駅前のケーキ屋でお土産買ってさー」
「悪いがパスさせてもらう。練習が終わったらゆっくり休みたいからな」
「なんだよー。最近付き合い悪くねえか?」
「疲れているんじゃ。ま、その内埋め合わせするから、今日は見逃してくれ」

片手を振って離れて行く仁王に、「なんだよ、もう」と丸井は頬を膨らます。
「しょうがねえ。赤也、ジャッカル。俺達だけで行くぞ」
「えっ、俺もっすか?」
「当然。先輩命令だからな」
「見舞いは口実でケーキ食べたいだけじゃないっすか?
そういや、前にも幸村部長の分まで食べていたような」
「細かいことは気にすんな」

手持ちの金が無いからと必死で赤也は抵抗しているが、
逃れることは出来ないだろう。
甘いものが絡むと、丸井は手加減しない。

そういえば今日はいくら財布に入っていたっけ、とジャッカルは空を見上げた。














常勝・立海大付属に仮入部した一年生達の目は、希望に輝いている。
今大会も全国で優勝することを疑う者はこの中に一人もいないのだろう。
立海大テニス部が勝利を得た瞬間、自分もその場にいる。喜びに立ち会うことが出来る。
そんな気持ちを、もう今から持っているのかもしれない。


だが、
「整列だ!」
低く響いた声に、驚いたように硬直し、そして背筋をぴんと伸ばす。


そんな一年生の様子を見て、真田は柳の言った通りだなと思った。


部活が始まる前、珍しく柳に呼び止められた。

「今日の部活が始まる前に、一つ言っておきたいことがある」
「なんだ」
「一年生は今日から仮入部期間だ。それはわかっているな?」
「当たり前だ。いくらなんでもそんなことを忘れるはずがない」

人をなんだと思っているのだろう。記憶力だって悪くないのに。
少しムッとして答えるが、柳は澄ました顔を崩すことなく話を続ける。

「だったらこれから俺が言うことも、覚えていられるな」
「何が言いたい」
「その顔。
すでに慣れた俺達や二年生達はともかく、何も知らない一年生達は怖がると思うぞ。
もう少し愛想良く出来ないか。せめて仮入部の間だけでも」
「……」

友人からあまりの言葉を投げ掛けられ、真田は言葉を失った。

「蓮二。一体、何が言いたい」
「わかりやすく言ったつもりだが、理解出来なかったか?
厳しいばかりでは誰もついて来ないと言っているんだ。
機嫌を取れと言っているわけではない。
せめて入部希望を出してくれた一年生に、普通の態度で接してみる努力をしたらどうだ」
「努力も何も、これが俺の普通だ」

きっぱりと言い切った真田に、柳は大袈裟に溜息をついてみせる。

「その表情のどこが普通だ。
もっと小さな子供相手だと、泣いているかもしれないぞ」
「そんなことを言われても、どうしろと言うんだ。
幸村のように微笑んで新入生を迎えることは、俺には出来んからな」
「幸村の真似をしろとは言っていない。
意識し過ぎだぞ、弦一郎」
「……」

柳に指摘された一言が、胸に突き刺さる。

どんなに頑張っても、幸村のように上手くいかない。
それが真田の心を苛立たせ、表情を固くしていく。


「もう、いい。俺は俺のやり方でしか出来ない」
「弦一郎」
「折角の忠告も無駄になりそうだ。すまない、蓮二」

そう言ってくるっと背を向けると、
柳はもう諦めたのか何も言葉を掛けて来ない。


友人の忠告さえ、素直に聞くことが出来ない。
幸村と比較しては落ち込んだりして、そんな自分が嫌になる。

日々、こんな風でいいのかと疑問は膨らむばかりだ。







結局、どうすることも出来ずに普段と変わらない態度の真田に、
一年生達は完全に気合負けしたように小さくなっている。
去年の赤也みたいに、挑んでくる者はいないらしい。
ほとんどが顔を引き攣らせ、中には足を震わせている者もいる。

こんな状態でやっていけるのかと眉間に皺を寄せていると、
少し後ろの方からひそひそと何か耳打ちしている部員達の姿が目に映る。
レギュラーではないが、同じ三年生だ。
一年の様子と真田を見て、何か可笑しそうに会話をしている。


(俺の態度に文句があるのか。だったら直接言ってみろ)

そんな勇気もないくせに、文句を言うことだけは一人前らしい。

くだらん、と即座に視界から外して本日の練習メニューを告げる。

変わらず一年生達は真田に萎縮したままだ。
その背丈から、ふと幸村の病室で会った越前リョーマのことを思い出す。

聞こえて来た話から、彼も同じ一年生のはずだ。
しかしリョーマは真田の不機嫌な顔を前にしても、真っ直ぐ視線を向けて来た。
物怖じすることなく、ハッキリと自分の意見を主張していた。

リョーマだったらこの場にいても怖がることもなく、むしろ堂々と立っていたはず。


『あんたには、誰か他に悩み事を相談出来る相手はいるんすか……?』

言われたことを思い出して、真田は慌ててリョーマのことを頭から振り切る。

(くだらん。青学に入学した奴のことなど、気にする必要はない)

一年生には慣れてもらうしかないと、真田は割り切ることにした。

柳は何か言いたそうな顔のままだったが、結局態度を変えることなく練習を続け、
次に集合した時、一年生達の距離は先程よりも遠くなっていた。


2010年05月08日(土) miracle 5 真田リョ

「リョーマさん、素敵です」

にこにこ笑いながら携帯で写真を撮る従姉に、
「一枚でいいのに」とリョーマは呆れた目をして言った。

「駄目です。一番可愛い写真を撮らないと。ね?」
「可愛いとか、その発言がおかしいから」
「いいえ。リョーマさんは可愛いですよ」

うふふと笑う従姉に、リョーマはげんなりと肩を落とした。

「お、二人共何しているんだ。楽しそうだな」
扉が少し開いていたから、会話が聞こえたらしい。
ニヤニヤと笑いながら南次郎が部屋に入って来た。
「入学式でもないのに、なんで制服着ているんだ。
菜々子ちゃんをその姿でたぶらかそうってわけじゃないだろうな」
「クソ親父。つまらないこと言うなよ」
そう言って、リョーマは学ランを脱いだ。

「お、なんだ。折角着たのに、また脱ぐのか?」
「いいんだよ。写真を撮って欲しかっただけだから」
「はあ?なんじゃ、そりゃ」

南次郎が首を傾げている間に、リョーマは菜々子から携帯を受け取った。

「かなりいい感じに撮れていますよ?すぐにメールで送らないんですか?」
「ああ、いいの。直接見せるだけだから」
「なんだ、お前。誰かに見せる為に写真撮っていたのかよ」

南次郎の問いに、「まあね」とリョーマは答える。

「相手は誰だ。日本に来て早速可愛い女の子とお知り合いになったのか?」
「バーカ。そんなんじゃないよ。
それより、今から着替えるんだけど?」
「あらあら、失礼します」
にこっと微笑んで、菜々子が先に出て行く。

「親父も。俺、もう出掛けるんだから早く出たら?」
「だから相手は誰だよ?」
「幸村さんだって。あんたのつまらない期待と違うからね」
「幸村君?この間も見舞いに行くとか言っていなかったか?」
「そうだよ。今日も行くんだよ」
「へえ。仲良くしているんだな」
「まあね」

リョーマの返事に、南次郎は「そうか」と肩を竦める。

「元はと言えば、俺が押し付けたことだけど、
お前が誰かと仲良くするなんて珍しいと思ってな」
「そんなの俺の勝手だろ。誰かと友達になることだってある」
「へえ。まあ、お前がそう言うのならいいんだけどな」
頭を掻きながら、南次郎は部屋から出て行った。

あれでも一応自分が切っ掛けを作ったことなので、気にしているらしい。

でも。
嫌なら最初から断るし、一度会って気が合わないと判断したら再び会うことはしない。
幸村のことはもう南次郎から頼まれたことと別に親しくしている。

「やばっ、時間…!」
お昼過ぎには病院に行くと伝えてある。
駅まで急いで走らなくちゃと、リョーマは素早く私服に着替えた。







「それで、どうしてこの写真を俺の携帯に送っちゃいけないのかな?」
「えーっと……」
リョーマの携帯のデータを見ながら、幸村はそれはそれは喜んだ。
青学の制服を着た姿だけなのに、何がそんなに嬉しいのか。
リョーマには理解出来ない。
しかし笑顔を覗かせる幸村を見て、見せてあげることが出来て良かったとは思う。

問題はその後だ。
このデータを自分の携帯に送って、と幸村は言い出した。
拒否しても引こうとしない。

「こんなもの何で欲しがるんすか?二人で撮ったやつがあるのに」
「それはそれ。これはこれ」
「屁理屈言わないで下さい。とにかく嫌ですからね」
「越前君は俺の頼み聞いてくれないんだ。悲しい……」
「制服姿が見たいって頼みを聞いたばかりなのに!?」
「そんなに怒ると可愛い顔が台無しだよ」
「可愛くなんて無いから!」

嬉しくない、とムッとするリョーマに、
「そんなに拗ねないで」と幸村はそっと指で頬に触れる。

「入学したらこんな頻繁に会うことも出来なくなるんだよ。
今頃青学の制服を着て頑張っているんだなって、ふと思い出した時にこの写真があったら……。
病室で一人きりだとしても寂しくないと思うんだ」

その理屈はおかしいとリョーマは反論しようと思ったが、
儚げに微笑む幸村を見て声を詰まらせてしまう。

(絶対、わざと顔作ってる)
そう思っても幸村を前にすると、何も言えなくなってしまう。

「一つだけっすよ」
仕方なくそう告げると、「ありがとう」と幸村は嬉しそうに笑った。

「でも越前君にはうちの学校の制服も似合うと思うんだ。
今度着てみない?」
「嫌っすよ。それに幸村さんの制服なんてサイズが合わないでしょ」
「そういうのも悪くない。やっぱり今度用意しておくよ」
「遠慮します……」

幸村との会話は、いつもこんな下らないことが多い。
テニスのことはほとんど喋ることはない。

けれど不思議とこんな時間も悪くないと思えてしまう。
何を言い返しても幸村は穏やかな態度で流してくれるので、ケンカになることもなく割りと楽しく過ごすことが出来る。

決して、見舞い品の菓子やジュースに釣られているだけでは……無い。




いつものように他愛ない話をしながらだらだらと過ごしていると、
不意にノックの音が聞こえた。

「はい」

幸村の返事に、扉が開く。
入って来たのは、ついこの間病院の前で会った真田だった。

リョーマがいることに驚いているのか、目を見開いて動けないでいる。

「真田、座ったら?」
幸村の声に真田はハッとしたように我に返る。
「い、いや、少し寄っただけだすぐに帰る」
「そう?まあ、それでも座ってよ。部活帰りで疲れているんでしょ」

幸村の言う通り、真田の顔色は前回見た時より悪くなっている。
これは自分がいると話も出来ないかもしれない。
そう判断したリョーマは「俺、帰るから」と立ち上がろうとした。

しかし、「なんで?まだいいでしょ」と幸村に腕を掴まれてしまう。
「え、でも」
「真田だって気にしないよ。ねえ?」
話を振られて、真田は無言で頷く。
それでも部内の話をするのなら、自分は席を外した方が良いのでは……。

しかし幸村はリョーマの腕を掴んだまま、放さない。
これではどうしようもない。

真田は椅子を持って来て、ベッドの近くに置いて腰を下ろす。
それと同時に、幸村が口を開いた。

「今日はもう部活は終わったんだよね。いつも通り問題は無かった?」
「ああ……。何も無い」

肯定しているが、真田の顔色は悪いままだ。
絶対何か相談したいことがあるのでは、と思わせる表情だ。

前回、真田に会った時に余計なことを言った所為で、
何も言えないのかもしれない。
幸村が気付いて促してくれればいいのにと願うが、にこにこと笑っているだけだ。
真田の様子に違和感を抱かないのだろうか。

不思議に思っていると、幸村は「そっかあ。良かったよ」と安心したように言った。
「真田が部を纏めてくれて助かっている。これで大会も安心だね」
「そうとも言い切れないのだが」
「えっ。さっき問題無いって言ってたじゃないか。それとも気になることでもあるって言うの?」
「そういう意味ではない。俺はただ……」
「ただ?」
「いや、なんでもない」

真田は首を振って立ち上がった。

「俺達はお前が戻って来るまで、勝ち抜いてみせる。
それまで待っているからな」
「うん。頑張って」
「それでは、失礼する」

病室を出て行く真田を、幸村は笑顔で送り出す。


(何、今の会話)

何も言おうとしない真田も変だが、幸村の態度もどうかと思う。
本当にわからなかったのだろうか。

それともわざと?
そんなはずはないと思いたいが、何を考えているかさっぱりわからない。


「あの」
「何かな?越前君」
「……」

笑ったままの幸村を見て、リョーマは言葉を飲み込んだ。
立ち入り出来ないような、そんな雰囲気を纏っていたからだ。

「俺も、帰ります」
「えっ、もう?」
明らかに不満そうな顔をする幸村に、「今日は早く帰って来いって言われているで」と嘘をつく。

「代わりに明日、入学式が終わったら真っ直ぐここに来るんで」
「えっ、本当?」
「うん。そんなに遅くはならないと思うから、来れると思う」
「そう。じゃあ、待ってるね。約束だよ?」
「はい」

腕を掴む幸村の手が緩んだところで、リョーマは「じゃあ、またね」と立ち上がって、病室を出た。

今日の幸村は何か変だった。
けれど、気軽に尋ねることが出来そうにない。
だったら自分がやれることをしようと、早歩きでエレベーターへと向かう。



「真田さん!」

病院を出てすぐの所で、リョーマは真田の後ろ姿を捕らえた。
そのまま走って、彼に追い付く。


「あの、ちょっと待ってよ」
リョーマの呼び掛けに、真田は振り返った。

「俺に何の用だ」
「あのさ。見ての通り、俺はもう帰るから。
もう一度幸村さんの所に寄って来たら?」
「それはどういう意味だ?」
「話、あったんでしょ。俺がいることで遠慮しているのなら、今から、もう一度行って来たらいい」
「おかしなことを言う」

真田は少しムッとしたように言った。

「この間、幸村と会うなと言ったのはお前の方ではないか?」
「そうだけど。だからこそ、あんたの様子が気になったんだよ。
俺が余計なことを言った所為で、幸村さんに何も相談出来なくなったんだとしたら、
後味悪いでしょ」
「勝手だな」
「そんなのわかってる。
でもあんたのあんまり酷い顔色を見たら、やっぱり口出すべきじゃなかったって反省したんだ。
ねえ、今から幸村に言いたいこと、全部話したら?」

リョーマの訴えに、真田は「勘違いするな」と一喝した。

「俺は幸村に愚痴を零しに来たんじゃない。ましてや、問題を持ち込むつもりもない。
さっき言った通り、我がテニス部は幸村が戻るまで大会を勝ち抜いていかねばならん。
くだらないことで落ち込む場合ではないと、幸村の姿を見て改めて確認する為に来ただけだ」
「それじゃ……でも」

リョーマは真田の顔を見上げた。

最初に出会った時は厳しそうな人だなと思ったけど、
今はそれに翳りが見えているようだ。
何か心配事を抱えているのは、間違いなさそうだが、
真田は幸村に何も言うつもりは無いらしい。

「あんたには、誰か他に悩み事を相談出来る相手はいるんすか……?」

リョーマの問いに、真田は一瞬目を逸らした。

そして、「くだらん。そんな必要は無い」と背を向けて歩き出してしまう。

背筋を伸ばしているが、どこか虚勢を張っているようにも見えて。


大丈夫なんだろうか、とリョーマは小さく呟いた。


2010年05月07日(金) miracle 4 真田リョ

翌日、仁王が部室に顔を出すと、一瞬さっと視線を向けられる。
何だ?と思いながらロッカーを開けて着替え始めると、
「よう、仁王」と丸井がガムを噛みながら近付いて来た。

「今日は最後まで部活やって行く予定か?」
その言葉に、再び周囲がこちらをチラチラ覗う。
なる程、と仁王は納得して丸井に「そうじゃな」と言った。
「たまには真面目にやっていくかの」
「そっか。そうしてもらえると助かる。
昨日も大変だったんだぜ」
「真田か」
「ああ」
頷いて、丸井は声を潜めた。
「真田の奴、こっちに八つ当たりしてくるからよ。
お前も大概にしておいた方がいい。
今は他の部員も真田に対してムカついているけど、
サボっているお前に対してのとばっちりだと気付いたら、同じように恨まれるぜ」
「心配してくれているんか」
「まあな」

丸井は屈託の無い笑顔を浮かべて、鼻を擦った。

「これでもダチだからな。
お前のくれるガム、美味しいし」
「ガムに釣られるだけか」
「まあ、そう言うなって。とにかく今日だけでも真田を刺激するんじゃねーぞ」

ぽん、と肩を叩いて丸井は部室を出て行った。

今日位は大人しくしているかと、仁王は手早く着替えを終えた。
昨日もあれから舞子の部屋に行ったが、
「素振りくらいしたら?」と追い返されてしまった。
どうやら彼女は自分の引越し話の所為で、仁王が自主練をさぼっていると思い込んでいるようだ。
この先も部活を切り上げて家に行ったら、追い返される可能性は大だ。
面倒だのと、仁王はラケットを持って外へと出て行った。
















しれっとした顔して練習に参加する仁王を見て、
真田の胸の内で、怒りがふつふつと沸いてくる。
少しはすまなそうにしていれば良いものの、堂々と出て来るあの態度も気に入らない。

しかしここでまた怒鳴ると、他の部員達が何事かと注目してくる。
またやっているのか、そんなうんざりした表情をするのもわかっている。
だからあえて集合の時にはぐっと我慢して、今日のメニューを読み上げる。

そして「解散!」と声を上げて皆がばらけた所で、仁王を呼び止めた。

「今日はコートに入ることは許さん。グラウンドを走って来い。
何故そう言われるか、わかっているな?」
「はいはい」
仁王は特に反省する様子もなく、結んだ髪をいじりながら答える。
そんな仕草も腹が立つ。
勝手に部活を抜け出して、さぼっておいて何とも思わないのか。

「今後一切サボるような真似は謹め。下級生にも示しがつかんからな」
低い声でしっかり言い聞かせると、
仁王はだるそうな表情で「そうか?」と言った。

「別にどうでもええじゃろ。ここにいる者は、むしろレギュラー狙えるチャンスだと頑張るかもしれん」
「お前は何言ってるんだ?レギュラー落ちするかもしれないのに、それでもいいのか?」
眉を潜める真田と反対に、仁王は何故か笑っている。
「そうなったら俺の実力不足ってことじゃ。潔く席を譲ることにする」

淡々とした口調に、真田の怒りが一気に膨れ上がって。

気付いた時には、仁王を素手で殴り飛ばしていた。

「弦一郎!何をしているんだ」
駆け寄って来た柳に腕を捉まれて、真田は我に返った。
地面に転がった仁王は赤くなった頬擦りながらをちらを見上げている。

―――とんでもないことをしてしまった。

部員への制裁はこれが始めてではない。
しかしその所為で皆との溝が深まったと柳に指摘されてから、
これでも一応抑えていたのだ。
なのに仁王の言動に我慢出来ず、手が出てしまった。

一度は解散した部員達が集まるのを感じて、真田は下を向いていた。
今、どんな目で見られているのか、怖かった。

「おい、仁王。大丈夫かよ!?」
丸井が仁王を起こそうと手を出す。
「一人で大丈夫じゃ」
首を振って仁王はゆっくりと立ち上がった。頬が腫れている以外、特に外傷は無さそうだ。
「ったく、酷ぇよな。いきなり殴ることは無いだろい」
言いながら、丸井は真田を睨んだ。
元々、丸井は暴力には反対で、下級生に喝を入れる真田を良く思っていない。
仲の良い仁王を殴ったことで、更に評価が下がったようだ。

しかし仁王は「いいんじゃよ」と意外にも真田のことを庇った。

「今のは俺が悪かったんじゃ。怒られても当然のことを言った。
すまんかったの、真田」
「あ、いや……」
素直な謝罪の言葉に、こちらが驚いてしまう。
同時に、だったらあんなことを言わなければいいとも思った。

あんな……レギュラーなんてどうでも良いような言葉。聞きたくなかった。

「そうですね。今のは仁王君が悪い」
今度は別方向から、真田を援護する声が響く。

柳生だった。

眼鏡を掛け直しながら、柳生は周囲に聞こえるように言った。

「あなた達の会話が聞こえましたが、仁王君はもっとレギュラーの自覚を持つべきです。
そんな心構えで大会を勝ち抜けるとは思えません。
他の部員にも失礼です。
レギュラーから降りたいというのなら、それなりの覚悟を持って発言するべきですね」
「おいおい、柳生。お前どっちの味方だよ」

真田の肩を持つような発言に、丸井が頬を膨らます。
ダブルスのパートナーに対してこの仕打ちは無いかと怒っているようだ。

「私はどちらの味方でもありません」
柳生はキッパリとした態度で言った。
「正しいと思ったことを言うだけです。後は仁王君次第です」
「全く、お前さんは正論ばかり口にするのう。耳が痛い」

小さく笑って仁王は真田の方を向いた。

「すまんかった。軽々しく言う言葉では無かった。
反省している」
「あ、ああ……」
頷くと、仁王は「走って来る」とグラウンドに向かってしまう。

これ以上騒ぎが広がらないと知った部員達は、
面白くなさそうにそれぞれ散っていく。
留まっていたらまた真田に怒られると察しているのだろう。

「柳生。……その、助かった」
この場を収めてくれた柳生に礼を言うと、
「当然のことを言っただけです」とこちらを振り向くことなくコートへ行ってしまう。

膨れ面していた丸井も、ジャッカルが宥めながら連れて行く。


後には柳と真田だけが残った。

「弦一郎。一体、どういうことだ。
仁王と何を話したか、詳しく聞かせてくれ」

少し呆れた顔をしている柳に、真田は先ほどの経緯を説明した。

「お前が怒るのもわかる。
仁王は少しレギュラーの自覚が足りない。だけどな、」
「殴るのは良くない。そう言いたいのだろう?」

先回りして言うと、「わかっているのなら、手は出すな」と柳は言った。

「ただでさえ部内の雰囲気が悪くなっているんだ。
殴っても何も解決しないぞ。むしろ付いて来る部員がいなくなるだけだ」
「その位、わかっている。
だから今まで我慢していたじゃないか」
「それも今日の出来事で、台無しになる所だった。
柳生がフォローしてくれたから、あれ以上の悪化を防ぐことが出来たんだぞ。
もう少し慎重に行動しろ。
手を出す前に、数を数えて心を落ち着かせるんだな」

言いたい放題だ。
しかし柳の言っていることを無視するわけにもいかず、
真田は黙って頷いた。


「とにかく、4月からは新入生も入部してくる。
あまり怖がらせるような行動は慎め。いいな」
「なあ、蓮二。もしお前が副部長だったら……もっと上手く皆を纏めることが出来たんじゃないか」
「弦一郎、それ以上言うな」

眉を寄せる柳を前にしても、真田は零れる言葉を止めることが出来なかった。

「何故、俺が幸村の代わりなんだ。
俺じゃなくても良かったんじゃないか!?」

真田の叫びに、柳はそんなことかと言いたげに答える。

「別に代わりを求めているわけではない。
お前なら、幸村と違ったやり方で立海を引っ張って行けると信じているんだがな」

「……」

それ以上何を言うわけでもなく、柳も練習へと向かってしまう。

結局は自分で考えろということか。

それがわからないから悩んでいるのに。

自分はどこへ向かうべきなのか。
立っている位置さえわからないと、真田は被っている帽子に手を当てて、
ぐっと握り締めた。


2010年05月06日(木) miracle 3 真田リョ

リョーマが幸村という人を知ったのは、たった数ヶ月前のことだった。

その時リョーマはまだアメリカに居た。
ある日、南次郎が「お前、この手紙に返事してやれよ」と封筒を押し付けてきた。
それが切っ掛けだ。
なんでも現役時代に世話になった広告代理店の担当者を通じて、
是非にとお願いされたらしい。
その手紙を書いた主は日本にいるという。
わざわざアメリカまで送って来るなんて、妙な人、と思いながらリョーマは手紙を開けた。

そこにはいきなり手紙を送ったことの謝罪と、
偶然入手したアメリカのジュニア大会のビデオにリョーマが写っていたこと、
その強さに圧倒されて、是非交流を持ちたいとの言葉が真摯に綴られていた。

最後に、彼が入院中だと書かれているのを読んで、
リョーマは返事と出そうという気になった。
同じようにテニスをしている者同士、思うことがあったからだ。
メールアドレスが添えてあったので、リョーマは母親に相談してパソコンのアドレスで彼に返事を書いた。この方が早く幸村に届くと考えたからだ。

返事が来たことに幸村はとても喜んでくれて、同じようにメールで返してくれた。
それから、二人のやり取りが始まった。

とはいえ、リョーマはほとんど書くことがなく、
適当に今日あったことを短い文で送るだけなのだが、
それでも幸村は嬉しいと返事をくれる。
こんなのでいいのか、と疑問に思うことがあったけれど、幸村が喜んでくれるならと、
リョーマは途中で放り出すことなくメールを毎日きちんと送り続けた。

そしてリョーマが4月から日本に行くことを告げたら、
幸村は会いたい、見舞いに来て欲しいと申し出た。
勿論リョーマは「いいよ」と返信した。どうせ日本に行ったら会うつもりだった。
メールの印象から、幸村はとても落ち着いた人だろうと想像していた。
が、実際に会ってみたら、子供っぽいところもあって、そして寂しがり屋だと気付いた。

その気持ちも、なんとなくわかった。
本当ならコートで思い切りテニスをして、終わったら家に帰ってご飯を食べて、眠って。
そんな当たり前の生活から、遠い所にいる。
毎日、病院にいるとはどんな気持ちなのだろう。
笑顔で隠しているが、幸村は想像出来ないほど苦しんでいるはずだ。
もし自分が同じ立場になったら、こんな風に笑っていられるだろうか。

だから幸村が「また、来てくれる?」と言った時、こくっと頷いた。
自分が来ることで少しでも気が紛れるのなら、出来るだけ力になりたいと思った。

口ではいつも素っ気ないけれど、リョーマはこの年上の友人のことをちゃんと考えている。






「あの人、帰っちゃったみたいだけど。いいんすか?」

仁王が出て行った音にリョーマは体を起こした。そして大きく伸びをする。
幸村は笑顔を浮かべて「別に構わないよ」と言った。
「仁王はただ愚痴を零しに来ただけなんだから。
自分達のことは自分達でなんとかするべきだ。
ここにいる俺に頼っても、どうにもならないからね」

一瞬、幸村の目が酷く冷たいように見えた。
彼らを突き放しているような、そんな感じだ。
テニス部の部長をやってるとメールで書いてあったけど、
今は入院しているからそこまで干渉するべきではないと考えているのだろうか。
最も、あの真田とかいう代理の人に任せてあるのだろうから、
口出ししないと決めているだけかもしれないが……。

「それより、もうすぐ青学の入学式だね」
言いながら幸村は手を握って来た。
初めて出会った時から普通に触れてくるので、もう慣れた。
昔からよく年上の人に構われたりすることが多いので、リョーマにとってどうってこと無い。
誰かに触れていることで、幸村も安心したいのかもしれない。
だからひんやりとした手をそっと握り返して、「そうっすね」と頷く。

「入学したらなかなか会えなくなりそうだけど、暇がある時はまたここに来てくれる?」
「勿論、いいっすよ」
嬉しそうに笑顔を覗かせる幸村に、リョーマも自然と笑顔を返す。

それにしても、二人程しか同じチームメイトの人とここで会ったけれど、
幸村はあまり嬉しそうな顔をしていなかった、気がする。
入院中も何か部内の相談をして来ることを重荷に感じているのだろうか?

幸村はリョーマといると楽しそうにしているが、そういう話は一切しない。
詮索は嫌いだから、リョーマもわざわざ尋ねたりしないのだが、
時々心配になってしまう。
自分よりもずっと長いはずのチームメイトの中に、苦しみを打ち明ける人は誰もいないのかと。

「越前君が来てくれることだけが、俺の楽しみだよ」
そう言って笑う幸村に、リョーマは曖昧に笑って返すことしか出来なかった。




今日は割りと早めの訪問をしたからか、
帰ると言っても幸村はごねることなく「じゃあ、またね」とあっさり見送ってくれた。
とはいえ、「絶対、絶対に来てよ」と念押しされてしまったが。
近い内に行くつもりだったから、約束は簡単に守ることが出来る。

入学式前にもう一度、と考えながら病院を出たところで、
こちらへ歩いて来る人物に気付く。
たしか幸村の病室で会った人だ。
あの時より元気が無く、肩も落としてあるいている。

向こうもリョーマに気付いたらしく、「越前、か」とぼそっと声を出した。
「あんたはたしか、えーっと」
咄嗟に名前が出てなくて困っていると、
「真田だ」と呆れたような顔をして、もう一度名乗ってくれた。

「今日も、幸村の見舞いに来てくれたのか」
「うん。まあ、約束したから」
「そうか……。幸村も喜んだだろうな」

言葉とは違い、真田は疲れたように暗い表情をしている。
思わずリョーマは「大丈夫っすか?」と声に出してしまう。

「大丈夫、とは?一体どういう意味だ」
真顔で聞かれて、リョーマは目を瞬かせた。
どうやら自分がどんな顔色しているか、わかっていないらしい。
「あんたがなんか疲れた顔しているから。相当参っているのかと思って」
「なっ…、そんなことあるはずがない!
何を馬鹿なことを言っているのだ!」

大声を出されて、リョーマは顔を顰めた。

「馬鹿って?俺は見たままを言っているんだけど?」
すると真田は不機嫌そうに口元を歪めた。
どうやら図星を指されるのが、嫌いなようだ。

「だとしても、お前に心配される筋合いは無い!」
真田はリョーマを無視して、病院に向かおうと歩き出す。
その背中に、「あんたの心配だけをしているわけじゃない」と呼び掛けた。

「何?」
足を止めて振り返った真田に、
「そんな顔して、幸村さんの所に行くつもりかよ」と言い放ってやる。

「何があったか知らないけど、今ちょっと幸村さん疲れているみたいだから、
心配事を持ち込むなら明日にしたら?」
「馬鹿な。俺は幸村の様子を見に来ただけだ。何も相談するつもりはない」
「だったら尚更だよ。そんなあんたの顔色見て、なんとも思わないはず無いだろ」

少し強く言うと、さすがにショックを受けたのか、真田は顔を強張らせてその場から動かない。
そんな真田に少し近付いて、リョーマは「約束は?しているの?」と尋ねた。

「いや。俺が勝手に来ただけだ」
「だったら尚のこと、止めておいた方がいい。
まず、その顔色なんとかしたら?」
「俺はそんなに酷い顔しているのか?」
「うん」

正直に答えると、真田はしょげたように肩を落とした。

「相談に来たんじゃないのなら、明日にでも出直した方がいい。
今のままなら、心配させるだけだろうから」
「そうだな……お前の言う通りだ」

ふうっ、と一息ついて、真田はリョーマに向き直った。

「今日は止めておこう。幸村のところへは、また改めて訪問しよう」
「うん。それがいいよ」
良かった、とリョーマは頷いた。

なんとなくだが、半分眠りながらさっきの仁王と幸村の会話を聞いていた感じでは、
部内のことにあまり関わりたくなさそうに思えた。
それなのに今日、真田が暗い顔をして現れたら、幸村の気持ちは落ち込むだけになりそうだ。
だからつい余計なお節介を焼いてしまったのが、
これで良かったのだろうか。

「それにしても、お前は……幸村のことよく考えてやっているんだな」
真田に言われて、リョーマは首を傾げた。
「そう?まあ、友達として普通には接しているけど」
「普通、か……」

またも真田は頭を悩ませてしまっている。
彼の長考に付き合う義理は無いので、
「じゃあ、俺もう行くね」と声を掛けて駅へと歩き出す。

数メートル歩いたところで一度振り返ると、
真田はまだ悩んでいるらしく、額に手を当てて固まっている。

大丈夫かな、と少し心配しつつも帰りの時間がある為、今度は真っ直ぐ前を見て歩き出した。


2010年05月05日(水) miracle 2 真田リョ

春休みの練習も、数日したら終了する。
そしてもうすぐ一年生が入部して来るはずだ。
人数が増えるから、今やっているメニューも少しずつ変えなければいけない。
どうするかは、柳に相談しよう。

そんなことを考えて、真田はコートを見渡した。
皆、それぞれ練習に励んでいるが……違和感に気付く。

「仁王は、どこに行った?」
真田の声に、何人かが顔を上げる。
が、すぐにふいっと視線を逸らしてしまう。

(全く、どいつもこいつも…!)

苛々しつつ、「誰か仁王がどこに行ったか、知らんか!?」と少し大きな声を出す。
「あ、俺……さっき、部室の方に歩いて行くのを見た、気がする」
ほぼ無視されるがその中の一人だけ、ジャッカルがおずおずと声を掛けて来た。
「部室に?」
「ああ。それからは見ていないぜ。もしかしたら、帰ったのかも…」
「またか!あいつは練習をなんだと思っているんだ!」
憤慨する真田に、ジャッカルはびくっと肩を揺らした。

「おいおい、真田。ジャッカルは関係無いだろぃ」
それまで黙っていた丸井が、ジャッカルを庇うように肩を抱いて「行こうぜ」と真田から離れようとする。
「だから、止めとけって言ったのによ。馬鹿正直に話すから、巻き込まれるんだぜ」
「けど、無視するわけにもいかないだろ」
「だからって、お前が怒られることねえだろぃ」

ふんっ、と丸井は鼻息荒くして、ジャッカルを引っ張って行く。
一連の出来事を見ていた人々は、呆れたような目をこっちに向けてくる。
これも、いつもの事だ。

立海テニス部はもう、幸村が居た頃と違って一体感も緊張感も無くなっている。


肩を落とす真田に、「真田君」と柳生が声を掛けて来る。
「今のはよくありません。仁王君に文句があるのなら、彼に直接言えばいいことです。
あれでは八つ当たりしているようにしか見えませんからね」
「そうだったか?」
「そうですよ」
そんなつもりは無かった。
ただ仁王が勝手に居なくなったことが腹立たしくて、イラついたのは確かだ。

「で、仁王はどこに行ったんだ?本当に帰ったのか?」
「おや、今度は私に八つ当たりですか」
「だからそういうつもりじゃないと言っているだろう!」

どうして伝わらないのか。
仁王は練習をサボっていて、それに対して怒るのは当たり前なのに。

「だとしたら、仁王君に直接聞いて下さい。
ダブルスのパートナーでもありますが、いちいち全ての行動を把握しているわけではありませんので」
言うことだけ言って、柳生はさっさとコートへと戻ってしまう。

言い返すことも出来ないまま、真田はその場に立ち尽くす。

正論を言っているだけなのに、空回りしている気がする。
誰も付いて来ることもなく、むしろ悪い方向へ向かっている。
こんな状態で大会を勝ち抜くことが出来るのか。
幸村が居た頃と比べると……自信が無い。
何かと幸村と比較するのも良くないが、どうしても引き摺ってしまう。

情けない、と真田は心の中で呟いた。








その頃、部活を勝手に早退した仁王は幼馴染の家に居た。

「雅治。今日はもう練習終わったの?」
「終わった、終わった。楽勝じゃ」
「それ、本当?」
筆を置いて、幼馴染は顔を上げた。
「途中で抜け出したんじゃないの」
じろっと睨まれて、仁王は軽く肩を竦めた。
「そんなことして何になる。わざわざ舞子の顔を見に来る理由も無いしの」
「そうだけど……。本当にサボっていないんでしょうね」
「しつこい。舞子は黙って絵を描いていたらええんじゃ」

再び仁王はソファに横になって、漫画の続きを読み出す。
巻数があるから、一度に読むことは出来ない。
それを読みに来るという名目で毎日通っている。
家も隣で、小学生の頃からしょっちゅう出入りしていた仲だから、
今更理由など要らないのだけれど……。

溜息をついて、舞子は再び絵に向き合う。
彼女がこうして筆を取っているすぐ側で、仁王はいつも好き勝手なことをして遊んでいた。
それが日常だった。
こんな時間が、ずっと続くと思っていたのに。

「6月になったら、引越しするんだって」

いつもの他愛ない話のように言った舞子に、仁王は返す言葉が見付からなかった。
父親の海外勤務に一家で付いて行くこと。
6月にはいなくなるということ。
淡々と話す彼女に、もう一緒にいることは出来ないんだと、どこか他人事のように思った。

仁王が小学生の頃、この土地に引越しして来てから以来の付き合いだ。
妙な話し方をする仁王は、なかなか友達を作ることが出来なかった。
そんなの構わない、別に一人だって学校くらい通えると強がっていた仁王に親切にしてくれたのが舞子だった。
家が隣だったから、いつも一緒に登下校をして、互いの家を行き来して遊んだ。
それは中等部に入ってもほとんど変わることはなく、男女という枠を超えて、お互いがいることが当たり前になっていた。

恋とは少し違うと思う。
仁王にとって舞子は家族のようなものだ。

しかし突然に別れはやって来るものだ。
いつまでも続く日常などない。
舞子の引越しの話を聞いて以来、心にぽっかりと穴が開いてしまったかのようだ。

自分はもっと冷静な性格だと思っていた。
人との別れもあっさりと受け入れられると。
しかしいざ、家族のように大切にしていた人がいなくなると知って、
平静を保っていられなくなってしまっている。

部活をさぼりがちになったのも、この所為だ。
少しでも長く、今の日常を失いたくない。

そんなこと舞子に言えば怒られるのはわかっているから、いつも適当に誤魔化している。


「ねえ、雅治」
舞子は色を塗りながら、そっと声を掛けて来た。
「なんじゃ」
「私は6月までしかいられないけどさ、全国大会頑張ってよ。
立海の優勝するの、遠くで祈っているから」
「何をいきなり……」
「その為にも練習はきっちり顔を出さないと。
ここの所、自主練もしていないじゃない」
「あー、もう。うるさいのう。見えないところで努力しているんじゃ。
それ位察してくれ」
「察するもなにも、いつもここで寛いでいるばかりじゃない。
入院している幸村君も心配していると思うよ」
「……」

それまで読んでた漫画を放り出して、仁王は立ち上がった。

「邪魔だったら、そう言えばええじゃろ。
少し出て来る。また舞子が暇になった頃に来るからの」
「えっ、ちょっと」

舞子が止める間も無く、仁王は部屋を出た。

自分がさぼるから心配しているのだろうけれど、
テニス部のことであれこれ言われたくない。
今の部内の雰囲気は、仁王にとって少し重いものになっているというのに。


(久し振りに幸村の顔でも見に行くかの)

舞子に言われたからではないけれど、幸村のことが少し気になった。
ちょっとだけ話をして気を紛らわそうと、病院へと向かった。



仁王にとって幸村はさほど仲が良いというわけではないが、
部長として信頼出来る仲間だった。
彼が部長になれば、全国制覇は間違いない。
そう思わせるようなカリスマ性を持ち合わせている。
だから幸村が入院した時、テニス部はどうなるのかと不安に思った。
真田も決して実力では幸村に負けてはいない。
しかし部長代理として引っ張っていくとなると、話は別だ。
案の定、心配した通りの展開になって、仁王自身もストレスを抱えている。


病院に到着し、真っ直ぐに病室へと向かう。
すると幸村のいる個室に入ろうとする私服の少年が目に入る。
ここの売店で買い物したらしく、手には飲み物が入った袋を手にしていた。

少年が入ったのを見て、仁王も後に続く。
きっと親戚の子か何かだろう。
別に遠慮することは無い。ちょっとだけ話をして帰ろうと、仁王は考えてノックをした。


「おや、仁王。珍しいね。どうしたの」
ベッドの上で体を起こした姿勢で迎えてくれた幸村の顔色は、以前見た時より大分よくなっていた。
とはいえ、どう回復しているか詳しく聞けないが。

先ほどの少年は、幸村のすぐ隣に腰掛けて飲み物を飲んでいる。
ちらっと仁王を見ただけで、後は無反応だ。
幸村の客だから関係無いと思っているのかもしれない。
それならそれでいいと、仁王は幸村の側に寄って行った。

「まあ、たまにはお前さんの顔でも見ておこうと思っての」
「とりあえず座ったら?あっちに予備の椅子が置いてあるよ」
幸村が指差す方向に、もう一つパイプ椅子が置いてある。
仁王がそれを取って来ようと足を踏み出すと同時に、
「俺、もう帰ろうかな」と少年が口を開いた。

「なんで?帰ることないよ。越前君はずっとここにいればいい」
「けど折角友達が来てくれたんでしょ。ゆっくり二人で話しをしたいんじゃないの」
「いいの、いいの。仁王だって越前君がいても構わないよね?」
話を振られて仁王は「ああ……」とゆっくり頷いた。

短いやり取りだが、幸村がこの越前と呼ばれた少年に帰って欲しくないことがわかった。
とても気に入っているようだが、親戚の子だろうか。それにしては似ていない。
仁王が椅子を移動させている間も、幸村は少年が帰らないようにと肩を掴んでいる。
「もういい。ここに残っているから。肩、放して」
「本当にどこかに行ったりしない?本当に?」
「しないから……。ねえ、幸村さんっていつもこんな風なんすか?」

急に話し掛けられて、仁王は少し戸惑いつつも首を横に振った。

「いや。俺の知っている幸村はもう少し落ち着いて、騒ぐような奴じゃない」
「へえ、なんか俺と一緒の時と違うみたいだけど」
その言葉に、幸村は苦笑している。
「越前君といるとつい楽しくて、テンションが上がってしまうからね」
「ということは幸村、俺達が見舞いに来てもつまらんということか?」
「そういうわけじゃないけど、越前君だけは特別だからね」

そう言って優しく笑う幸村に、仁王は意外なことを聞いたというように目を見張った。
誰に対しても同じように接している幸村が、こんな風に言うのは珍しい。
一体どういう知り合いか、興味が沸いてくる。

「俺は仁王雅治。よろしくな」
少年に向かって改めて挨拶すると、「越前リョーマっす」と少年は名乗った。
「幸村とは、長い付き合いなのか?」
「ううん。そうでも無いけど」
「仁王。俺に会いに来たんだよね?」
話を遮るように、幸村が口を挟んで来る。
「越前君にあれこれ詮索するのは駄目だからね。わかった?」
「ああ」

幸村の前で話し掛けない方が良さそうだ。
本能的にそう察して、仁王はリョーマから幸村へ視線を移した。

「それで?今日はなんの愚痴を零しに来たの?」
「愚痴っていうわけじゃないが、最近テニス部の雰囲気があまり良くない。
幸村から真田になんとか言ってくれんのかの」
「君が練習さぼったりするから、真田がぴりぴりしているんじゃないの」
容赦なく言われて、仁王はすっと目を細めた。
「真田から聞いたんか?」
「いや。あいつは俺に何も無い、心配ないとしか言わないよ」
「ふうん。そうか」
「でもこの時間はまだ部活のはずだろう。なのに仁王がここにいるとしたら、さぼっている以外に考えられない」
「今日の部活は昼までじゃ」
「そんなはずはない。真田が休みならともかく、あいつは熱を出そうが部活に出て来る奴だからね。
今日も夕方までみっちり練習があるはずだ」
「なんだ、わかっていたんか」

溜息をついて仁王は椅子の背に体重を掛けた。

「練習をサボっていたのは事実じゃ。けど、時々、息が詰まりそうになる。
お前さんがいた時は良かった。適度に息抜きしても見逃してくれたからの。
けど今は真逆の体制で苦しくなる。一年生が入っても、あれじゃ続かんぜよ」
「真田には真田のやり方があるんだよ」
「けどなあ」
「真田に不満があるのなら、直接言えばいい。
今の俺に言われても、どうしようも無いよ」

言えるものなら、とっくに言っている。
けれど真田はすぐに怒ってしまうので、話し合いにならない。
そこをなんとかして欲しいと思っているのに。

幸村はもう興味がないというように、仁王から視線を逸らして、
半分眠ったようにベッドの縁に顔を埋めているリョーマの髪を撫でている。

入院しているとはいえ現部長は幸村なのだから、もう少しなんとかしてくれてもいいのに。

不満に思いながらも言えないのは、彼が入院していつ出られるかわからないからだ。
早く健康になって、復帰してくれたら。
それを一番望んでいるのが幸村だからとわかっているから、何も言えない。
きっと他の部員も同じなのだろう。

結局ここに来ても不満は解消されることなく、仁王は溜息を零した。


2010年05月04日(火) miracle 1 真田リョ

幸村の復帰の目処が無いまま、四月を迎えようとしている。
このまま真田達は三年生に進学する。
そして大会が始まったら、今いるメンバーだけで戦うことになるだろう。

メンバーの実力に不安は無い。
立海のレギュラー達は最強と呼ばれるのに相応しいと思っている。
きっと今年度の全国大会も優勝出来ると、真田は考えていt。

けれど、不安は消えない。

今のテニス部は幸村が居た時と、少し違う空気に変わっている。
部長代理の自分ではやっぱり駄目なのだろうか。
幸村と同じようにと考えていたわけじゃない。

それでも自分なりに部を支え、引っ張って行こうと努力しているつもりだ。
しかし頑張れば頑張る程、結果が遠退いている気がする。
こんなこと、入院している幸村に言えるわけがな。

春休みの間も、練習は続いている。
今日も終わってから、こうして病室に見舞いに来たのはいいが、
当たり障りの無い会話をして帰ることになりそうだ。


幸村がいる個室の前まで来て、真田は立ち止まった。
中から声がしたからだ。
チームメイトの誰かがいるとしたら、少し気まずい。
じっとその場に立ち尽くしていると、幸村ともう一人の会話が聞こえて来た。

「本当に残念だよ。君が立海に来てくれたら、次の代でも安泰だと思ったのに」
「さっきからそればっかり。あのさ……、俺の家からここまで通うのにどれ位時間が掛かるかわかってんの。
絶対無理っす」
「そっか。でも、ショックだな。これで体調が悪化したらどうしよう」
「それ、嫌がらせっすか」

会話からすると、チームメイトではないとわかった。
それにしても幸村は随分楽しそうにしている。
相手は一体誰なのだろう。

「でもよりによって青学に入ること無いじゃないか。
大会で立海と当たったりしたら、どっちを応援したら良いかわからなくなるよ」
「青学は親父が勝手に決めただけっす。俺の所為じゃないでしょ。
それにテニス部に入っても、続けるかどうかはわからないよ」
「そうなんだ?」
「うん。練習相手にもならないような奴ばっかりだったら、すぐ辞めるつもり」
「ふーん。さすが王子様は言うことが違うね。
お眼鏡に適うかどうか、青学の方が試されているってわけか」
「王子様って、何すか。それ」
「君のことだよ。イメージにぴったりじゃないか」
「嬉しくないっす」

青学?
何のことだと、真田は首を傾げた。
幸村は青学の生徒と話をしているというのか。
相手は一体、誰なんだ。

青学といえば、手塚か不二しか思いつかない。
しかし発言から察するに、その二人では無さそうだ。
微妙に失礼なことも言っている。

誰だか確かめてみようと、真田は目の前の扉をノックした。

「はい」
幸村の返事の後、真田は中へと入った。
するとベッドの脇に腰掛けている少年が、こちらを向いた。
まだ小学生といった、あどけない顔をしている。
けれど視線は鋭く、真田を見定めるかのようにじっと大きな目で見詰めて来る。

「やあ、真田。今日も来てくれたのかい」
「ああ」
頷いて、真田は少年の隣に並ぶ形で、幸村がいるベッドへと寄って行った。
「越前君、さっき話していたうちの副部長の真田だよ」
「ああ……、この人が」
幸村の紹介に、越前と呼ばれた少年は納得したかのように頷く。
「なんかイメージ通りっすね」
「イメージ?」
「うん。幸村がさんが話してくれた人を想像したら、あんたみたいな感じになる」
「……」

あんた、と呼ばれて、真田は少し顔を顰めた。
そんな失礼な呼び方は、身内である甥っ子を除けば誰一人としていない。
きっとこの子供は礼儀というものを知らないのだな、と真田は自分に言い聞かせた。

「俺のことは、大体幸村から聞いたようだな。
それで、君は誰なんだ?」
気を取り直して、真田は少年に名前を尋ねた。
自分のことだけ知られているのは、フェアじゃない。
少年はきょとんとした後、「越前リョーマっすけど」と名乗った。

「そうか。覚えておこう。幸村の友人なのか?」
「まあ、そんなところ。
あんたみたいに長い付き合いじゃないけどね」
「そうか」

この二人は、一体どんな知り合いなのだろう。
ふと、真田は気になった。
約二年間、チームメイトとして一緒だった幸村に、こんな友人がいるなんて、聞いたことは無い。

「越前君、真田ばっかり構っていないで俺とも話をして欲しいな」
ベッドから手を伸ばし、幸村はリョーマの肩を軽く掴む。
「幸村さんとは散々話をしたじゃん。まだ足りないの?」
「うん。君といると時間が経つのがやけに早く感じる」
「はあ」
「あれ?信じていない?」
「だって冗談かどうかわからない口調だったから」
「俺はいつでも本気なのになあ」

くすっと、幸村は笑った。
珍しいことだ。
真田は思わずまじまじと、その横顔を眺めた。

入院して以来、幸村の表情には以前と違う翳りが見られるようになった。
心配掛けないようにと、笑顔を向けることはあっても、
どこか作っているようで、見ているこちらが痛々しかった位だ。
けれど今は心から楽しそうにしているとわかった。

この少年のおかげなのだろうか。
幸村とどんな縁があってここにいるのか、ますます気になって来る。

リョーマに視線を移してじろじろと眺めると、
「何すか?」と見上げて来る。
「あ、いや。別に……」
大きな黒い瞳と視線がぶつかって、らしくもなく真田は口篭った。

こんな小さな子供相手に、臆しているわけじゃない。
けれど意思の篭ったその目にじっと見詰められると、
不思議なことに言葉が上手く出てこなくなる。
真田のそんな様子を見て、リョーマはニヤッと笑った。

「なんだ。案外、普通の反応もするんだね。
幸村さんから聞いた感じだと、もっと偉そうにしているのかと思ったけど」
「何?」
「まあまあ、真田。俺の言い方に問題があるのだから、彼を責めないでやって」
幸村に言われて、真田は仕方なく口を閉じた。
さすがに病院内で文句を言うのは、憚られる。

「越前君に、立海でのことを色々話し過ぎてしまったようだ。
興味を持ってこっちに編入してくれたらと思ってのことだけど、
やっぱり無理だったみたいだ」
「いや、通学時間で無理あり過ぎるから」
そう言って、リョーマは立ち上がった。

「俺、そろそろ帰るよ。十分、長居したからね」
「えっ、もう?」
目を丸くする幸村に、リョーマは呆れた顔を向ける。
「昼からずっと居たでしょ。もう帰らないと」
「じゃあ、また来てくれる?」
「気が向いたらね」

名残惜しそうな幸村に対し、リョーマは実にあっさりとしている。
もう少し言い方は無いのかと思ったが、口に出すのは止めにした。
幸村が気にしていないのなら、自分が何か言う権利は無い。

「じゃあね」
「必ず、来てよ!」
幸村の声に、片手を振ってリョーマは病室を出て行った。

「行っちゃったか」
ふっと息を吐いて、幸村は顔を上げた。
「座れば?」
真田にさっきまでリョーマが座っていた椅子を勧めて来る。
「俺もそんな長居するつもりでは」
「君までもう帰るの?寂しいなあ」
そう言われて無視することも出来ず、真田はパイプ椅子に腰を下ろした。
直前までリョーマが座っていたので、まだ生暖かい。

「すまない。邪魔したようだな」
自分が来なければ、リョーマはもう少しここに居たはずだ。
幸村はそれを望んでいたのだろう。
項垂れる真田に「何、謝っているの?」と幸村は笑顔を浮かべた。

「ついつい引き止めちゃっていて、本当は帰さないといけないとわかっていたから、
ちょうど良いタイミングだったよ」
「そうか」
「また来てくれるだろうから、別に構わない」

そう言いながらも幸村の目には、寂しいと書いてあるようだった。
同じチームメイトである自分よりも、リョーマといる方が楽しいのか。

そんな事実を突き付けられた気がして、どこかがっかりしてしまう。

やはり自分では支えになっていなかったのかと、
ここでも必要ないと言われている気がする。

「真田?どうかしたのか?」
幸村の声に、真田は顔を上げる。
「いや。あいつとはずいぶん仲がいいんだなと思って」
「そうでもないよ。でもこれからもっと仲良くなる予定なんだ」

意味深に言う幸村に、真田は目を瞬かせた。
二人の間に何があるかは全くわからない。
ただ幸村はリョーマのことをとても気に入っている。
それだけは事実だろうと思った。

「ところで真田。テニス部の様子はどうだい?」
幸村に突然質問を振られて、真田の鼓動が少し早くなる。
落ち着け、と一呼吸置いてから答える。

「いつも通りだ。なんの問題もない」
「そう」

嘘だ。
今のテニス部は幸村が居た頃とは違ってしまっている。

「皆、お前の帰りを待っている」

これは本当。
幸村が居てくれれば安心だと、全員が思っているのを真田は感じている。

「俺もお前の帰りを待っている。
早く回復すると、いいな」
「うん」

その時には、また元通りになれるのだろうか。
万が一、今のようなまとまりのない状態が続いたら、
それこそ幸村に合わせる顔が無い。
なんとしてでもその事態は避けたい。

(すまない、幸村。俺はお前に心配を掛けないように『嘘』ばかりついている)

いつからこんな風になってしまったのだろう。
らしくもなく、真田は心の中で重い溜息をついた。


2010年05月03日(月) 雨 2   真田リョ


家人が留守とはいえ、手ぶらで訪問するのはどうかと考えて、
真田は電車に乗る前に駅前のケーキ屋に寄っていくつか購入することにした。
リョーマは食べてくれるだろうかとふと考えたところで、
食べ物の好みなどまるで知らないことに気付く。

(接点も何も無いからな。知らなくても、当然だ)

万が一、いらないと言われたら持って帰るまでだ。
しかし喜んでくれるのなら、こちらも嬉しい。

右手に傘、左手にケーキの箱が入った紙バッグを持って真田は店を出た。


それからリョーマの家の最寄りの駅に到着して改札を出ると、「真田さん!」と名前を呼ばれる。
声がした方を向くと、リョーマが走り寄って来るのが見えた。

「あの、わざわざ来てもらって」
「その話は、もういい」
リョーマの言いたいことが先にわかって、真田は遮るように口を開いた。
「俺から申し出たことだ。別に気にしなくてもいい」
「……はあ」
「なんだ、気の抜けたような返事をして」
「いや。なんでわざわざこんな面度なことを引き受けてくれるのか、
気になっただけっす」
「特に面倒なことでもない」
「いや、だって近所ってわけでもないのに。普通なら、言わないと思うんだけどな」

じっと見詰めてくるリョーマに、真田は(たしかに、そうかもしれない)と考える。

しかし今日はリョーマと会う約束をしていた。
電話をしてから、ずっとそのつもりだったのに雨に邪魔をされた。
次は必ずテニスしようとリョーマは言うが、いつになるかわからない。
そんな当ての無い日よりも、今日会って顔を見ておきたかった。

「真田さん?急に黙って、どうしたんすか。
やっぱり面倒だったんじゃ……」
リョーマの声に、真田はハッと我に返った。

「そんなことはない。
俺は、ただ…、そうだ!お前が宿題を片付けていないというから、気になっただけに過ぎない。
だから終わる所まで見届けないと思って来ただけだ」
「はあ」

納得してはない感じで首を捻るリョーマを見ないようにして、
「家はどっちの方だ」と真田は言った。
「こっち」
「じゃあ、行くか」
「……うん」

まだリョーマは腑に落ちない顔をしているが、それ以上追求することないまま雨の中を歩き始める。
そのことに真田はホッとして、後をついて行く。

(ただ会いたかった?全く、どうかしている……)

さっきの思考は気の迷いと片付けて、無言のまま傘をぎゅっと握り締めた。











先に聞いていた通り、リョーマの家族は不在だった。
当然のことだけれど、家の中は静かだ。
と思ったら、廊下の奥からミシッという音が聞こえて、真田は慌てて顔を上げた。
家族だったらきちんと挨拶をしなければと背筋を伸ばす。

「カル、ただいま」
「カル……?」
靴を脱いだリョーマが優しい声を出すと、毛玉のようなものがこちらに近付いて来た。
迷うことなくリョーマはそれを抱き上げてこちらを振り向く。
「ほら、カル。真田さんに挨拶しなよ」
「ホアラ」
「越前、それはお前の猫なのか?」
少し丸々としているが、猫に間違いないだろう。
そう尋ねると、リョーマはこくんと頷く。
「カルピンって言うんだ。真田さんは猫は平気?」
「ああ。動物は好きだからな」
「良かった。カルピン、ほとんど家の中どこでも歩いているから」
「そうなのか。よろしくな、カルピン」
「ホアラ」

リョーマの腕の中にいるカルピンの喉を軽く触れてやると、
嬉しそうに目を細める。

「カルピン、真田さんのこと気に入っているみたい」
「そうか。仲良くやっていけそうだな」
「うん」

ニコッと笑うリョーマに、真田の心臓が軽く跳ねる。

どうも、リョーマの生意気ではない別の表情を見ると、こちらの調子が狂う。

こほん、と咳払いして真田は「とりあえず、これを冷蔵庫に入れて置いてくれないか」と、
持っていた包みをリョーマの方へと差し出す。
「駅前のケーキ屋で買っておいた。丸井が美味しいと言っていたから、味は確かなはずだ」
「そんな、勉強教えてもらって、更にお土産までなんて、悪いっすよ」
またリョーマは遠慮の言葉を口にする。
これでは話が進まないと、真田はやや強引に押し付けることにした。
「いいから、遠慮するな。それよりさっさと宿題に取り掛かるぞ。もたもたしている時間は無い」
「……っす」

カルピンを床へ下ろし、リョーマは真田の持って来た箱を受け取った。

「俺の部屋、二階っす。ドア開いているから、すぐわかると思う。
これ、冷蔵庫に入れてくるから先に行ってて」
「ああ」

頷いて、階段の方へと向かう。
ドアが開いている部屋は一つしかないので、すぐにわかった。

中へ入ると、きちんと整頓しているとは言い難いが、
それでも勉強するスペースだけはきちんと確保されている。
真田が来るというので、慌てて片付けたのだろう。
リョーマのイメージ通りだなと、真田はふと笑った。


「真田さん」
すぐに追い付いてきたリョーマの声に、真田はびくっと肩を揺らした。
「あ、いや、別にじろじろ見ていたわけでは」
「は?」
「……勉強、始めるか」
「そのつもりっすけど」
「そうか、なら座ったらどうだ」
「はあ」

ぽかんとしつつもリョーマは真田の言う通りに、床に置かれた小さなテーブルの前に座った。
ノートや筆記用具が用意してあるところを見ると、それが課題なのだろう。
真田もすぐ隣に腰を下ろす。

「どの部分が問題なのか、言ってみろ。出来るだけ、答えに近付くようヒントを出してやろう」
「ええっと、まずこの部分からなんだけど……」

早速、問題を引っ張り出すリョーマに、
真田は内容を確認してまず最初から答えを出すのではなく、解き方を教えてやることにした。
宿題を片付けるだけなら、真田が教えてやれば済むだけのことだ。
しかしそれはリョーマの為にならない。
なるべく本人に考えさせて、次からも解けるようにする為に考え方を導いて行く。
それが真田のやり方だ。

しかし赤也は「副部長〜、もう、いいから答え教えて下さいよ」と、実に不真面目な言い方ばかりで、
教え甲斐が無いというか、真田を苛立たせるばかりだ。
それに比べて、リョーマは真面目に取り組んで、しかも真田の言うことを良く聞いて、理解しようとしているので、さくさくと宿題が進んで行く。

手助け無くとも、終わっていたんじゃないだろうかと思っていると、
「少し休憩しませんか?」と、リョーマが顔を上げた。

「もう1時だし、そろそろお昼ご飯にしません?」
「そうだな。どこかに食べに行くか?」
この辺りの地理には詳しくないから、リョーマに案内を頼むかと真田は考えていた。
すると「あの、まだ雨降ってるし、簡単に出前とかどうっすか?」とリョーマは言った。

「真田さんに勉強教えてもらうって言ったら、うちの親がお金置いて行ってくれたんす」
「いや、そんな大したこともしていないのに、ご馳走になるわけにはいかない」
たかが宿題の面倒を見ただけで、と真田は辞退しようとしたが、
リョーマは「駄目っすよ」と近付いて来た。

「何も頼まなかったら、俺が怒られるっす。お客さんを招いて、何もしなかったのかって。
だから、なんか食べたいもの言ってください」
「しかし……」
「もし提案してくれないのなら、勝手に頼むから。
例えば、うーん、デラックスピザとかそんなんにしてもいいんすか?」
「それは、勘弁してくれ」

ピザやハンバーガーといった類のものはあまり好きではない。
眉を寄せた真田に、「じゃあ、注文言って」とリョーマはにっこり笑った。


結局その笑顔に逆らうことが出来ず、
あまり値段の高くない蕎麦を注文することに決めた。












数十分後。

出前が届き、二人は少し遅いお昼ご飯を食べ始めた。


「真田さんって、箸で食べるの似合うっすね。
期待を裏切ってピザがいいとか言っても、面白かったけど」
「すまないが、その期待には応えられないぞ……」

リョーマも真田に合わせて蕎麦を食している。
真田のイメージだと、リョーマこそジャンクフードを好みそうなものだが、
意外にも和食が好きだと知って、驚かされた。

「ピザが食べたいのは、お前の方ではなかったのか?」
「うーん、今は別に。
それに休日に俺と親父だと、そんなもので済ませることが多いんで、ちょっと飽きてる。
夕飯とかも洋食が多いんで、時々和食が無性に食べたくなる」

溜息をつくリョーマに、真田は無意識に「だったら、今度俺の家に来るか?」と口にしていた。
「え、真田さんの家に?」
「食事はほとんど和食メインだからな。その点ではきっと満足してもらえると思うぞ」
「行っても、いいんすか?」
「ああ。いつでも来ればいい」
「やった!」

小さくガッツポーズをして喜ぶリョーマを見て、和んでいる自分に気付かされる。

どうしてだろう。
今、自然とリョーマを家に招待したいと思っていた。
試合とは関係なく顔を合わせたのは、これで二回目。

試合会場との印象とは大分違って、素直なリョーマに驚かされ、そしてもっと親しくなりたいと思ってしまう。
どうしてか、その理由はわからないままだ。

「真田さん?」

手が止まった真田に、リョーマが声を掛けて来る。

「どうしたんすか?さっきから、時々ぼんやりしている気がするんだけど。
なんか、心配事でもあるんすか?」
「いや、考えていただけだ」
「何を?」
「それは、」

真田は言葉を詰まらせた。
ずっと、リョーマのことばかり考えている。
けれど、リョーマ本人はそこまで真田のことを気にしていないはずだ。
なのに思ったことを口に出せるはずもなく、
どうしたものかと考えて、違うことを言うことにした

「試合の時と随分態度が違うものだな、と。
普段のお前は意外と素直なので、驚いていただけだ」
「意外で、悪かったっすね」
「いや、決して悪い意味で言ったわけでは…!」

怒らせてしまったのかと慌てて言い訳すると、
リョーマはくすっと笑うのが見えた。

「けど、それはお互い様。俺も驚いているかも。
真田さんって、もっと怖い人かと思っていたけど、すごく親切でびっくりした。
試合のイメージから、問題を間違えたら怒られるかとちょっと思っていたのに」
「そんなこと、するはずないだろう」

言いながら、違うなと真田は思った。
赤也相手なら、何を聞いていたのだと一喝していたところだ。
しかしリョーマは真面目に真田の話に耳を傾けていたから、怒る気になれなかった。それだけだ。

「そっか。じゃあ、厳しいのは試合の時だけなんだ。
普段はこんな優しい先輩なんて、立海の人が羨ましいかも」
「大袈裟だな。別に特別なことはしていない」
「そういう風に言えるのが、真田さんのいい所だと思うっすよ」

赤也が聞けば、「騙されるな!」とツッコミを入れるところだが、
生憎とこの場にはいない。


にこにこと笑うリョーマにまた目を奪われながらも、
真田は「蕎麦、伸びるぞ」と照れ隠しに言って、残りを食べ始める。

「食べ終わったら、また続き教えてくれるっすか?
それで片付いたら、真田さんが持って来てくれたケーキ食べようよ」
「そうだな。じゃあ、残りも頑張れるな?」
「うん!」


お互い試合の時の緊張感から解放されたリラックスした顔で、
向き合って蕎麦を口に運ぶ。


数ヶ月前には考えもしなかった光景だけど、
あの時より縮めた距離で、確かに今日ここにいる。

何度も会っていれば、その距離はもっと縮むのだろうか。


真田はふと、そんなことを考えた。


2010年05月02日(日) 真田リョ 雨

真田の祈り虚しく、雨は朝になっても上がる気配がない。
家を出る頃には止むかもしれないかとじっと外を睨んでいたが、
天気予報は夕方まで雨だと告げている。
これでは屋外でテニスをすることは不可能だ。
リョーマはどうするつもりなのか確認しようと、真田は携帯を取り出した。

折角の予定が狂ってしまって気落ちするが、この天気では仕方無い。
またの機会にしようと言うべきか迷いつつ、登録された番号を呼び出す。
そしてリョーマが出るまで携帯を耳に当てて待つこと、数分。

だがリョーマが出ることなく、留守番電話サービスへと繋がる。

「……」

携帯が近くに無い所にいるのだろうか。
もう一度、真田は掛けてみることにした。
が、やはり出ない。
別の部屋にいるのかと考え、10分後にもう一度掛けると、
数回のコールの後、ようやっと繋がる。
ホッとして、真田は声を出した。

「もしもし、真田だが」
「……」
「越前?」
返事が無いことに妙だなと思いつつ、
「今、大丈夫なのか?」と呼びかける。

すると、「うーん……」と、小さな唸り声が聞こえた。
「越前。おい、どうした」
「……えーっ、と。誰?」
「真田だ。さっきもそう名乗ったはずだが」
「真田、さん?俺に何か用っすか?」
少しぼんやりしたものの言い方だ。
ひょっとして、と真田は眉を寄せた。

「寝惚けているのか?今日の約束を忘れたとは言わせないぞ」
「覚えてる……、覚えているって……。
11時に駅で待ち合わせでしょ」
「それは良かった。しかし、今日はテニスは出来そうにないぞ」
「なんで……?」
「雨が降っているからだ。知らないのか?」
「嘘っ!?」
急に声を上げたかと思うと、バタバタと足音が聞こえる。
「本当だ。雨が降ってる」
「越前。もしかして、今まで寝ていたのか?」
「う、うん」

気まずそうに返事するリョーマに、真田は苦笑した。
どうせそんなことだろうと思っていたので、怒る気にもならない。
いつもの真田ならこんな時間まで寝ているのか、だらしない、一喝する所だ。
しかしリョーマには不思議とそんなことをしようと思わない。
別の学校の生徒だから気にならないのか?
軽く首を捻りながら、真田は口を開く。

「この雨では無理だろう。延期にするか?」
「そう、っすね。残念だけど」

しゅん、としたリョーマの言い方に、残念な響きがある。
それを何故か嬉しく思ってしまう。
この天気に気落ちしているのが自分だけでは無いことが、嬉しかった。

「じゃあ、また部活の休みが決まったら連絡するっす」
「そうだな。今日は大人しく家で宿題でもするんだな」

このまま電話を切ることが名残惜しい。
本当なら今日はテニスをしていたのに、どうして雨が降ってしまったのだろう。
小さく溜息を漏らす真田に気付かず、
リョーマは「嫌なこと思い出させないでよ」と、げんなりした声を出す。

「真田さんの今の一言で、忘れたかった課題があるって思い出した……」
「それは良かったな。出されたのなら、きちんと提出するべきだ」
「良くない。どっから手を付けたらいいか、全然わからないのに」

電話の向こうで、「どうしよう」とリョーマが呟くのが聞こえる。
きっと頭を抱えているのだろう。
そんなに大変ならと、真田はつい「見てやろうか」と声を出した。

「え?」
「一年生の課題なら、教えてやれると思うぞ。
そんなに困っているのなら、少しばかり手伝ってやろう」
「え、でも迷惑なんじゃないの?」

意外な一言に、真田は目を大きく開いた。
あの越前リョーマが、一年生のくせに態度がでかくて、生意気で、挑発ばかりするリョーマが、遠慮している。
実にらしくない言い方だ。

つい、真田は笑ってしまった。

「何、笑っているんすか?」
少しムッとした声に、我に変える。
「失礼した。お前が遠慮するとは思わなかったんで、つい」
真田の謝罪に、リョーマは声を上げる。
「そりゃするよ!だってわざわざ宿題を見てもらうなんて悪いから」
「どうせ今日の予定は雨で潰れて無くなった。
その分の時間を回すだけだ。気にすることはない。
待ち合わせの時間は、同じで構わないな?」
「あ、待ってよ。俺がそっちに行くから!
さすがにそこまでしてもらうのは、悪いっていうか」
「何を言う。今度テニスする為にも、お前の家の立地を把握しておきたいからな。
予定通りそちらへ向かおう。いいな?」

念押しするとリョーマは少し考えて、
「わかった」と返事する。

「じゃ、駅まで迎えに行くから。
あの、お願いします」
「ああ。ちゃんと課題を用意しておくようにな」
「はい」

素直なリョーマの返事に、知らず真田の顔は綻んでいた。

生意気な奴だと思っていたが、どうやらそれだけでは無いようだ。
意外な一面を知った。
そのことに、また嬉しくなってしまう。

(11時か。テニスが出来ないのは残念だが、仕方あるまい)

試合は延期になったが、それ程落胆していないのは、どうしてだろう。
リョーマに勉強を教える、そんなことが不思議と楽しみに思えてしまう。


(それはきっとあいつが珍しく素直な返事をするからだ。
そうに決まっている)

後輩である赤也は、勉強の面倒を見てやろうとしても、
あの手この手で逃げ出そうとするばかり。
無理矢理掴まえて、椅子に座らせてじっと見張っていなければ、課題の一つも進まない。

その反対の反応をするから、こちらの調子が狂うのだと、
真田は自分の気持ちをそう解釈した。


11時の待ち合わせには十分過ぎるほど間に合うのだが、
何か手土産を選んで行こうと、出掛ける準備を始めた。


2010年05月01日(土) 真田リョ たった一本の電話から 

今日は真っ直ぐスポーツクラブへ行くかと、真田は教室を出た。
そこへ見知った人物が前を歩くのが見えて、思わず声を掛ける。

「幸村。今、帰りか?」
「やあ、真田」
幸村はすぐに振り返り、足を止める。
「今から帰るところ?」
「ああ。クラブに寄るつもりだがな。良かったら、幸村も一緒に行かないか?」
「うーん。今日は部活に顔を出そうと思ってるんだ。
たまには様子を見ておかないとね」
「そうか。俺も今度行くことにしよう」
「それがいいよ。赤也もきっと喜ぶはずだ。
あ、でも行く時はいきなりの方がいいかも。
びっくりさせた方が、喜びは倍になるからね」
「ああ。わかた」

そう言って頷く真田を見て、幸村はいっそう深く微笑む。

三年生が引退して、今の立海は部長である赤也が仕切っている。
頑張ってはいるが、気を抜く所は思い切り抜いている。
散らかった部室を見て、真田が雷を落とすのは間違いない。
その時の赤也の顔が目に浮かぶと、幸村は声を出して笑いそうになるのを必死で堪えた。

「そういえば、この間の小テストで、赤也がまた酷い点を取ったんだって」
「何?全く、あいつは少し目を離すとこれだ。
次に会ったら、じっくり指導してやらねばいかんな」
「そうだね。その時は是非、俺も呼んでよ。後輩の力になってやりたいからね」
「幸村、お前は本当にいい奴だな」
「そんなことないよ。じゃあ、そろそろ部室に行くから。
真田は自主練、頑張って」
「ああ」

真田の後ろ姿を見て、(全く変わっていないね)と、幸村はくすっと笑う。
生真面目で、人を疑うという事を知らないところは特に。
きっといつまでもあのままなんだろうなと思う。

とりあえず赤也には真田が部活に顔を出すことは黙っておこう。
大切なイベントにはサプライズが必要だからね、と呟く。
人の悪い笑みを浮かべつつ、幸村は部室へと歩き出した。




この時、真田が越前リョーマと接触していたことを幸村が気付いていたら、
事態は大きく変わっていたかもしれない。
明日、真田がリョーマと会うことを聞き出して、邪魔しに行っていたら。
違う未来に繋がっていた可能性も残っていたはずだ。
しかし幸村は気付かず、真田をそのまま見送ってしまった。

真田とリョーマが会っていることを知るのはずっと先の話で、
その時にはもう手遅れだということを知ることになる。





(明日は、越前との試合か)

クラブに到着してから、真田は調子を整える為に念入りにストレッチから始めた。
明日のことを考えると、がむしゃらに打って疲労を残すのは止めるべきだ。
相手は、一度とはいえ幸村を破った越前リョーマだ。
公式試合ではないが、真田としては真剣勝負で挑むつもりだった。
リョーマと打ち合うのは、関東大会以来になる。
こちらは引退した身で、しかも他校生となると次にいつ当たるかもわからない。
リョーマとの偶然の再会は、嬉しいチャンスを与えてくれた。

しかし真田は前回負けたことを、明日の結果で晴らしてやろうなんて不純な気持ちは抱いていない。
ただリョーマと再びコートで打ち合える、その喜びだけが胸の内を占めていた。

しかも、これはリョーマの方から話を持ち掛けてくれたのだ。
連絡先を知ったのは良いが、メモを見詰めるだけで真田は電話を掛けるべきかずっと悩んでいた。
昨日の今日では失礼だと考え、そして次の日もまだ早いと判断し、
先延ばしにしている内に一週間経過したころには、もう忘れられているかもしれないと、掛け辛くなっていた。
今更なんだとリョーマに言われそうだと、半ば諦めていた頃、リョーマの方から電話が掛かってきた。

「真田さん。この間は、どうも。
ちっとも連絡くれないけど、忙しかった?」
「あ、いや」
「待ち切れなくてこっちから電話しちゃったよ。
時間あるなら、なんで掛けて来ないんすか。迷惑だった?」
「まさか、違う。ただちょっと、その色々タイミングが」
「タイミング?」
「なんでもない。……とにかく迷惑ではないからな」
「そう。なら、いいけど」

自然なリョーマの口調に、真田は何故かほっとさせられた。

連絡しなかったことを責めるわけでもなく、怒っているのでもないらしい。
そしてリョーマは「来週の休みって空いている?」と、単刀直入に用件を切り出してきた。

「こっちの顧問の都合で、部活が休みになったんだ。
もし良かったら、その日に一緒に打たない?コートもあることだし」
「どこか良い所を知っているのか?」
「うん。誰にも邪魔されず、ゆっくり打てる所、あるよ」
「どこだ」

驚いたことに、リョーマの家の裏にはコートがあると言う。
ちょうど家の者が不在の為、気兼ねすることなく伸び伸びと打てるらしい。

「そうか。なら、決まりだな」
「じゃあ、その日は駅まで迎えに行くってことでいいっすか?」
「ああ。頼む」
「時間は11時でどうっすか。それより早いのは、ちょっと……」
言葉を濁すリョーマに、朝は何か忙しいのだろうと察して、
真田は「わかった」と承諾した。

「じゃあ、またね」
「ああ」

電話を切った後、真田はずっとリョーマのことを考えていた。

あっさりと日時が決定した。
たった一本の電話に、何を悩んでいたのだろう。
たかがテニスの約束をするのに、色々気を使うなんてらしくないことだ。

(相手が越前だからか?たしかに強い選手だが……)

おかしいな、と首を捻る。

しかしリョーマから電話を貰ったことで問題は片付いた。


万全の調子で、リョーマとの試合に挑むだけだ。


(いよいよ、明日か)

いつになく楽しみな気分で、真田はコートに入る。

「ああ、真田君。来ていたんだ」
ここを利用している馴染みの関係者の声に、真田は振り返る。
「こんにちは」
「今から練習するつもりかい?でも、今日はあまり遅くまではやれないようだよ」
「どうしてですか」
「だって、ほら」と、彼は空を見上げる。
「もう少ししたら降るだろうからね。明日も雨だって言っているよ」
「明日も?」
「うん。さっき天気予報をテレビで見たところだからね」
「……」


よりにもよって、明日の天気が雨だなんて。

どんよりとした空を見て、真田は顔を顰めた。

せめて朝方には晴れてくれればいい。

そうしたらリョーマとテニスが出来る。
楽しみにしていたことだ。
天気なんかに邪魔されたくはない。

柄にもなく祈るような気持ちで、雲が広がって来た空を睨みつけた。


チフネ