チフネの日記
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2009年02月28日(土) 2009年度 不二誕生日話

用意してきた封筒を差し出すと、不二は嬉しそうに笑った。

「ありがとう、越前」
「本当にこんなものでいいの?俺としてはお金が掛からないから、助かったけど」
「うん。僕のリクエストに応えてくれて嬉しいよ」
「はあ……」

今日は不二の誕生日だ。
いや、正確に言うとちょっと違う。
2月29日生まれだから、4年に一度しか本当の誕生日は来ない。

じゃあ、どうしているのかとリョーマの質問に、
『いつも28日にお祝いをするんだよ』
そう答えた後、家に来てくれる?と不二は言った。
勿論、泊まりで。

リョーマとしても不二の誕生日を祝ってあげたいと前々から考えていたし、
今年の28日は土曜日なので泊まりに行くのに何の問題も無い。

『いいよ。行く』
すぐに返事をした。

さて、後考えるのはプレゼントは何にしようということだ。

12月に誕生日を迎えたリョーマに、
不二は前から欲しいと思っていたシューズをぽんと気前良くプレゼントしてくれた。
高価なものだからと、リョーマも最初は受け取るのを渋った。
しかし、『リョーマ君が喜んでくれる顔が見たかったのに……』と不二があんまり悲しそうな顔をするから、
最後には頂くことにした。
使い心地の良いそれを、リョーマは大切に使わせてもらっている。
そんなプレゼントを貰っておいて、さすがに不二の誕生日に知らん顔は出来ない。

リョーマは大いに悩んだ。
しかも小遣いはたったの三千円。
これでどうやって見合うような物を返せるのか。

悩んだ挙句、リョーマは思い切って不二に聞いてみることにした。

『何か、欲しいものはある?俺が出来る範囲で、だけど』

ストレートな質問に不二は一瞬驚いたが、
リョーマがプレゼントのことを考えてると知って、とても喜んでくれた。

『プレゼントか、そうだな……』
少し考えた後、不二は口を開いた。
『欲しいものがあるといえば、あるよ。
しかも越前だけが贈れるもの』
『何?言っていいよ、俺の小遣い全部注ぎ込むから』
『そんなことしなくても大丈夫。お金で買えるものじゃないから』
『お金で買えないの?』
『うん』

聞き返したリョーマに、不二は楽しそうに笑いながら言った。

『越前の子供の頃の写真が欲しいなあ。
赤ちゃんの時から日本に来るまでの12年分。出来れば全部』


そしてリョーマは、不二の望みをかなえる為、アルバムを漁ることになった。
しかも、家人がいない時を狙って。

母にどこに尋ねればどこにあるか簡単にわかるが、
そんなの何に使うのと聞かれたら、さすがに恥ずかしくて理由は言えない。
あの父親に知られれば、からかわれるのも間違いない。
だから秘密裏に行動する必要があった。
アルバムなんて開く機会が無かったから、まずどこに仕舞っているのかがわからない。
こっそり隙を見てアルバムを探すのに結構時間が掛かってしまった。
見付けたら、素早く写真を選び何枚か抜いて元に戻す。
多分、ばれていないはず。

手に入れた写真を不二に渡した所で、リョーマはやれやれと肩から力を抜いた。

「苦労して持って来たんだから大事にしてよ」
「当然。一生の宝にするよ」
「そこまでしろとは言ってない……」

軽く首を振って、リョーマは「これもあげる」と泊まる用意として持って来た荷物の中から、リボンでラッピングされた包みを取り出した。

「写真だけじゃなんだと思って。これもプレゼントっす」
「えっ、そんな気を使わなくても良かったのに」
「いいの。俺ばっかり貰うんじゃ釣り合わないから。
って言っても、高いものじゃないけどね」
「でも嬉しいよ。開けてもいい?」
「どうぞ」

不二がリボンを解く。
中から出てきたのは可愛らしいクリーム色の小さなアルバム。
リョーマなりに不二に似合いそうと思って買ったものだ。

「良かったら、あげた写真にそれ使ってよ」
「ありがとう。でもね、もう専用のアルバムは用意しているんだ。
これは今度から越前との思い出を撮る度に使わせてもらうよ」
「ちょっと待って」
大事そうにアルバムを仕舞おうとする不二に、リョーマは問い掛けた。

「専用のアルバムって何?」
「ああ、これのことだよ」
代わりに不二は一冊のこれまた小さなアルバムを出す。
ピンクの布の表紙にでかでかと『僕の越前』と白で刺繍してある、一目で手作りとわかるアルバムだ。

「作ったの!?」
「今日、この日の為にね」

驚くリョーマと反対に、不二は澄ました顔で答える。

(やっぱり先輩って、変かも)
理解出来ない、とリョーマは頭を抱えた。

「ねえ、写真を見せてもらってもいいかな?」
「……どうぞ。もう、先輩のものだから」
「じゃあ、遠慮なく」

浮き浮きと不二が封筒を開けていく。
リョーマはがっくりとベッドに腰掛けたまま、まだ動けない。

「うわぁ、生まれたての越前だ。可愛いっ。
いいなあ。この頃側にいられなかったのが、悔やまれるよ」
「側にいても覚えていないでしょ、先輩だって2歳だったんだから……」
「これは1歳の誕生日だね。
ああ、もう可愛いという言葉しか出てこないよ」
「そう、っすか」

一枚一枚にコメントをしながら、不二は手作りアルバムに貼って行く。
突っ込む気も失せたリョーマは、相槌を打ちながら好きなようにさせておいた。

「これは空港で撮ったものかな?こっちに来る直前みたいだね」
「そうっす」

11歳の写真は一人で写っているのが見当たらず、
悩んだ挙句に日本に旅立つ前に向こうの友人達と一緒に撮ったものを選んだ。

「この後、青学に入学して……あんたと会ったんだから、最後に相応しい写真だと思ってね」
「たしかに。これ以前の越前を僕は知らない。
でも、日本に来て出会ってからはこの中の誰よりも君の事を知っている。
うん、ここから運命の出会いを予感させるような相応しい写真だよ」
「そこまでは言って無いっす」

よくぺらぺらと喋れるものだ。
慣れてるけどね、とリョーマは小さく呟いた。

「あれ?でももう一枚あるよ」
「うん」
集合写真の下に、リョーマがもう一枚忍ばせておいた写真の存在に不二が気付いた。

「これは……」
じっくりと眺めた後、それまで熱心に過去の写真を眺めていた姿勢から、
こちらを向く。

「あの、越前」
「俺の言いたいこと、伝わったかな?」
「うん。わかってるよ、勿論」

そう言うと手作りのアルバムを置いて、不二がぎゅっと抱きしめて来た。
リョーマも背中に腕を回して、もっとくっ付いていく。

「過去にばっかり目を向けてる訳じゃないよ。
ただ、知っておきたかっただけだから」
「そうだけど、俺としてはあんまり面白くないっす」
「わかった。じゃあ、あの写真は越前と会えない時だけに開くことにする」
「それなら、許す」

リョーマが最後に渡した一枚。
それはついこの間、リョーマの誕生日に不二と並んで撮った写真だ。
焼き増ししてもらったそれに、でかでかと文字を書いてやった。

‘過去の俺よりも、今隣にいる俺を見て下さい’

一緒にいる時くらい、こっちを向いて欲しい。
ましてや今日は不二の誕生日だ。
写真は後回しにして、今は一緒にいられる時間を大事にしてもらいたい。

渡した時の不二の反応を予測しての作戦だった。

「ごめんね、嬉しくてつい見入っちゃった。
でもこれからの時間はここにいる越前のことだけ、考えるから」
「当然」
「あはは。それじゃ、早速僕らが今日一緒にいる証拠を残そうか。
越前から貰ったアルバムに一番最初に貼る写真を撮ろう。いいよね?」
「いーっすよ」

立ち上がって、不二がデジカメを机の上から取ってくる。
そしてまたベッドに寄り添って座り、不二が腕をピンと伸ばして二人がフレームに納まるよう構える。

「また来年も、こうしてくっ付いて写真撮れたらいいなあ」
「そうっすね。来年だけじゃなく、……」
「うん、この先もずっとね」

カシャッと、ボタンが押された。

不二の15歳の誕生日。

今日という幸せが収められた写真が撮れた。

それはリョーマが贈ったアルバムに収められ、
また翌年も新しい写真が追加されていく。

いずれ2冊目、3冊目と突入していくことになるのだが、
まだこの時の二人は知らない。

手作りアルバム『僕の越前』と共に、それらは不二にとって大切な宝物として保管されていくのだった。


おわり


2009年02月07日(土) 恋をしています 跡リョ スローモーションシリーズ



跡部さんとは会えばテニスばっかりしている。
あの人はテニス以外のことの望んでいるようだけど、
意図的に俺が避けている。

デート、みたいな雰囲気になってしまうのはちょっと困ってしまうから。
……だって、俺達はまだ付き合っている訳じゃない。

ほとんど毎日会っているけれど、
跡部さんから決定的な一言をまだ俺は聞いていない訳で。

うやむやなままで、付き合っているってことにしたくないんだ。

らしくなく臆病になっているのもわかっている。

でも、はっきりしないままずるずると進んで行って、
「好きだなんて、言った覚えは無い」
なんて、振られたら?
ショックを受ける自分が容易に想像出来る。
気持ちを切り替えるのに、しばらく時間が必要かもしれない。

そんなことしない、なんて保証はどこにも無い。

だから俺はあの人からの、言葉を今か今かと待っている。

自分から「好き」って言うのが早いとわかっていても、
あの人からじゃないと嫌だ。

生意気で態度がでかくて、可愛げの無いそんな俺でも、
「好き」って言ってくれたら。

この感情は間違っていない。俺達は一緒にいていいんだって自信が持てる気がする。

おかしいよね。
テニスなら、どんな強い相手でも弱気になることなんて無かったのに。

態度ではあからさまに「好きだ!」と出している跡部さんに、
「俺のことどう思っているんですか。はっきり聞かせて下さい」なんて、軽くも言えないなんて。

ああ、本当にどうかしてる。




そんな感じで今日も俺達はテニスをしてた。
どこで打つかは、気分によって変えている。
お寺のコートとか、跡部さんの家のコートが多いけど、
環境を変えたくなる時はあるから。

外で打たない?と言ったものの、ストリートテニス場は混んでいて、
空きそうにも無い。

天気が良いから、外が良かったなあと呟く俺に、
跡部さんはポケットから携帯を取り出し「ちょっと待ってろ」と言った。

短い会話の後、「スポーツクラブのコート、今から行くって連絡しておいた」と俺の腕を引く。
「いいんすか?」
そこは跡部さんの家が所有しているクラブの一つだ。
打てるのは有り難いけど、こんな突然に行っていいものだろうか。
他に予約している人がいたんじゃ……?と躊躇っていると、
「一つだけ空いていた。だから、気にすんな」と言われる。

俺の表情を見て、言いたいことを察してくれたらしい。

「なら、使わせてもらおうかな」
「ああ。遠慮するな」

嬉しそうな顔。
腕に触れられた手をそのまま黙認して歩いていると、
ぶつぶつと小声で何か呟き始めた。

「このまま手を繋ぐのはありか?
いや、離したら次に触るチャンスはいつ来るのかわからねえし」

……聞こえているんですけど。

はあ、と横を向いて溜息をつく。

さっきみたいに俺の考えに気付いてくれる時もあるというのに、
肝心な所に鈍感だ。
困ったな、と思うのもこれで何度目か。

万一、周囲に聞かれたりしたらどうするんだろ。

跡部さんのこと、好きだっていう女子は……認めたくは無いが多い。
難有りな性格はほとんど知られてなくて、
目立つ容姿と行動で、きゃあきゃあ言われてる。

そんな人達が、数々の痛い台詞を聞いたらどんな反応するんだろうと、興味がある。

俺みたいに、それでも好きって言うのだろうか。


出来れば幻滅して、そのまま離れて行ってくれればいい。
なんて思うのは、認めたくないけど嫉妬ってやつなのか。

……跡部さんと出会ってから、穴があったら入ってしまいたい、
そんな居た堪れない気持ちがわかるようになってしまった。

他にも知ったことはある。

このままどうなるんだろうという不安とか、会えない時の苛々とか。
マイナス面だけじゃなく、いちいち可愛い反応する跡部さんを見て、
ぎゅっと抱きしめたくなるような(勿論しないけど)気持ち、
笑顔を向けられて不覚にもときめいたりとか。

全く、俺らしくない。
跡部さんとの出会いで、知らなかった自分がどんどん引き出されてるみたいだ。


「越前……?」

名前を呼ばれて顔を上げると、不安げにしている跡部さんと目が合う。

「何すか」
「さっきから黙っているが、あんまり気乗りしないのか?
じゃなかったら、……その、迷惑、とか」

後の方は言葉にならない。
多分、腕を掴んでる手のことを言ってるんだろう。
俺が黙っている所為で、怒っていると勝手に解釈しちゃったようだ。
見当違いにも程がある。
なんで、そうなんの。

でも離したくなくは無いんだよね。
しっかりと、跡部さんの手は俺の腕を掴んでいる。


そんなこの人のことが。
滑稽で、だけど可愛く思えてしまう。

「別に迷惑じゃないよ。それより、早くコートに行こうよ」
「あ、ああ」

戸惑いながら、俺のことを引っ張って行ってくれる。
斜め下から見た横顔は少し赤くて、そして嬉しそうだった。


こんなことで喜んでいないでよ。
あんたが言うべきことを口にしたら、もっと大きな幸せが手に入るのに。



黙っていた理由を聞かれて、
「跡部さんのことが好きで、だから悩んでいるんすけど」
なんて言ったら、どんな反応したんだろうね。


けど、今日も臆病な俺は黙ったままでいる。

こんな状態……いつまで続けているんだろう。

終わり


2009年02月06日(金) 代わりにもならない   跡リョ

顔はニタニタしているくせに、妙にこちらを意識している。
聞いてくれ、と言わんばかりの表情だ。

(だが、俺はスルーする)

聞いた所でろくでもない話に決まっている。
どうせ新作の人形を手に入れたとか(人形と言うと忍足は怒るが知ったこっちゃない)、
そういう自慢だと跡部は悟った。
ここは無視しておくべきだ。

通路を塞ぐように真ん中に立っている忍足を、黙って横に逸れて通り抜けようとした。

「ちょっと、待てや。跡部」

肩を掴まれてしまった。
こうなると忍足はしつこい。

投げやりに「なんだよ」と、跡部は声を発した。
「俺がこうして待っているのに、挨拶も無いのか?冷たいわあ」
「こんにちは。はい、これでいいだろ」
「元チームメイトに対するノリがそれ!?泣くで?そんでお前のシャツで拭いたる!」
「鬱陶しいからやめてくれ……。挨拶してやったのに、何が不満なんだ」
「不満?あるに決まってるやろ、ボケ。
俺のこの表情から、言いたいことわかるやろ?なっ」
「わかりたくねえよ……」
「またまたあ」

気安く肘で小突いてくる忍足に、どうしてくれようかと跡部は悩んだ。
スルーし続けるのは簡単だが、忍足は指摘するまで絡み続けてくるに違いない。
早めの開放を望んだ跡部は、嫌々ながら口を開いた。

「なにか、また新しい人形を手に入れたのかよ…」
「人形じゃなくてフィギュア、な。
よくわかったなあ、跡部。偉いで」
「褒められても嬉しくねえよ」
「これこれ!新作のエンジェルグリーンちゃん。
ピンク、ブルー、ホワイトに続く第四弾や。可愛いやろー」
言いながらポケットから取り出した人形に、忍足は頬擦りをした。

お前、学校に何を持って来てるんだという突っ込みは遥か昔に放棄している。
忍足がここに持ち込んでいるのは一体や二体じゃない。
先ほど集めていると言ったピンクとかもポケットに入っているに違いない。

「そうか。良かったな…」
知らず跡部の目はぼんやりと遠くを追ってしまう。
越前は何をしているのかなあ、と幸せな空想の世界へと逃げる。

「跡部、真剣に言ってないやろ。
さてはグリーンちゃんの可愛さに参ったようやな。
でも、お前には渡さへんで」
「どうしてそうなる。
俺に人形を愛でる趣味は無えよ。
大体、突っ立ってるだけのものに愛情掛けても応えてくれないだろうが」

途端、忍足が声を上げる。

「突っ立ってるだけやあらへん。色々とポーズがあるんやで。種類も豊富や」
「詳しく聞きたくねえよ。あっち行け」
やっぱり耐えられなくなって、しっしっと片手を振って追い払おうとしたが、
忍足はしつこく食い下がってきた。

「この子らはなあ、愛で応えてくれるんや。
心の綺麗なやつにしか聞こえない声でな。
お前にはそれがわからんのか」
「…わかるわけ無いだろ」
「なら、わかるようにしたるわ。少しの間、待ってろよ!」

捨て台詞のように叫んだかと思うと、走ってどこかに行ってしまう。

「なんなんだ、一体」
とりあえず、これ以上絡まれなかったことをよしとするか、と跡部は頭を掻いた。
しかし忍足の本領が発揮されるのはこれからだった。




三日後。
昼食を食べ終えた跡部は、のんびりと屋上で妄想に耽っていた。
何故ここを選んだかというと、リョーマもまた青学の屋上でよく日向ぼっこをしながら昼寝をしているという話を聞いたからだ。
念を飛ばせば、自分の夢を見てくれるかもしれない。
どうせなら、デートしている内容がいいな、と青学の方向に向かって一生懸命念じ続ける。
誰も邪魔させないように、出入り口には樺地を待機させている。

(越前、俺の夢を見ろ。
夢の中でお前は俺にソフトクリームを買ってもらって、
食べている途中にクリームがたれてくる。
それを俺がぺろっと舐めて、恥ずかしさに顔を赤らめる……。
あーあ、現実にならねえかなあ)

途中から、跡部の方が夢を見ているような顔つきになって来た。
そんな平和な空気を乱すかのように、ドアが開けられる音が響く。

「よーお、跡部。日向ぼっことは良いご身分やなあ」
「忍足か……。見張り役の樺地はどうした」
「後輩をこき使ったらあかんやろ。
樺地なら、担任が呼んでるからここは俺に任せて早よ行けって言うたら、素直にどいたで」
「お前、騙すようなことするなよ」
「まあまあ。誰もいないところで、見せたろうと思うたからな。
ここなら好都合や」
「何を見せる気だ」

どうせろくなもんじゃないだろ、とぼんやり忍足の手元を見ていたが、
それが何かに気付いてパッと目を見開く。

「忍足、てめえ……」
「どや、すごいやろ。この出来!色々写真を集めて、作ってもらったんや。
1/6の越前リョーマのフィギュア。思わずお前もときめく一品やろー?」

嬉しそうに、忍足は両手を差し出す。
そこにはちょこんとフィギュアのリョーマが乗っている。
体操座りして右手にはファンタ。左手は膝を抱えている。
FILAの帽子も細かく再現して、着ているのは青学のレギュラージャージだ。
フィギュアのリョーマは小さく笑っていて、
思わず跡部は見入ってしまった。

「お前、これどこで買ったんだ……普通に売ってるのか?」
フィギュアを凝視したまま、跡部は質問を口にした。
「まさか。これは特注や。
俺が師匠と仰ぐある方の所へ越前の写真を持ち込んで、
どうしてもフィギュアの道に引き込みたい奴がいる言うてお願いしてな。
3日で作ってもらった一品やで」
「そうか」
「どや、跡部。フィギュアはええやろ?
この越前を、よく見てみい。こんな可愛らしい顔して、お前のこと見詰めてる。
ぐらぐらこんか?」

ああ。そりゃ、ぐらぐらさせられる。
本物の越前は滅多にこんな顔見せてくれない。
どっちかというとニヤリ、な笑顔の方が近い。
可愛らしくて抱きしめたくなるようなフィギュアを否定することは、俺には出来ない。

けど……。

「『跡部さん、好きー。こんな俺を抱きしめて下さい』」
「勝手に語るんじゃねえよ!」
「ふぐぁあ!?」
「気持ち悪い声で言うな。越前の声はもっともっと可愛い!」

忍足の頭に手刀を叩き込む。
もろに脳天に入ったらしく、忍足は呻いた後体勢を崩す。
リョーマのフィギュアが落ちないよう、跡部はさっと手を伸ばし救出に成功する。

「跡部、何するんや。痛いやないか!」
「てめえがあんまりふざけたことするからだ!
勝手にこんなもの作ってるんじゃねえ!没収だ、没収!」
「あかんて。それ、いくら掛かった思うてるんや。
簡単に渡せるか」
「うるせー!金ならいくらでも払ってやる。
これ以上、越前をお前の側に置いておけるか。だから返さねえよ。
後で請求書持って来い!」
「はあ、まあ引き取ってくれるのなら、ええわ」

あっさりと、忍足は引き下がった。
「他にも欲しいやつあるなら、作っておくでー」
「ふざけんな!……お前、越前の写真いつ撮った!?
後で回収に行くからな」
「おー、怖。さっさと退散するわ」

足早に忍足は屋上を立ち去ってしまう。
後に残されたのは、跡部とリョーマのフィギュアだけ。

「どうするんだ、これ」

フィギュアのリョーマは無邪気に笑っている。
これを壊したり捨てるなんてとてもじゃないが、出来ない。
出来る訳が無い。

ハンカチをポケットから取り出して、大切そうに包み込む。
忍足のような趣味に走ることは出来ないが、リョーマの形をしている以上粗末にすることも出来ない。

(越前、か)

ちょっとだけ気になって、もう一度ハンカチを開く。
フィギュアとはいえ、リョーマのその表情は可愛い。
たしかにこちらに笑い掛けているようで、『跡部さん、大好き』と言ってるようで……。

「だから、俺は何を考えているんだ!」

慌ててハンカチで包み直す。
忍足のバカ野郎と、何度も呟きながら。







そして、放課後。

青学にリョーマを迎えに行くと、いつものクールな表情できょろっと大きな瞳だけをこちらに向けて来た。

「何、人のことじろじろ見てんの」
「……じろじろなんて見てねえよ。気のせいだろ」

ぎくっとして、跡部は誤魔化すように答えた。
実際、いつもよりリョーマのことをじっと見ていた。
あのフィギュア、本当に良く出来ているなと考えていたなんて、とても言えないけど。

「そう?やけにねっとりした視線を感じたんだけど」
おかしいな、というようにリョーマは首を傾げる。
が、すぐにどうでもよくなったのか、「じゃあ、行こうか」と歩き出す。
跡部の方を振り返りもしない。

待ち合わせはいつもこんな感じ。
リョーマの態度はいつも素っ気無い。

フィギュアが浮かべている笑顔は、……滅多に見せてくれない。
最後に見たのは、いつだっけ?と考えてしまう。

「ねえ!何もたもたしてんの」
跡部の足取りが遅いことに苛立ったのか、少し先を歩くリョーマが声を掛けてくる。
「あ、ああ。悪い。ちょっとぼんやりしてた」
「本当に?」
「あ、ああ」
「……調子悪いんじゃないの?平気?」

さっきとは打って変わって、心配そうな表情でこちらを見ている。
そうだ。

素っ気無い言葉やクールな態度が際立っている所為で、ついうっかりこちらも忘れてしまうけど、
ちゃんと人のことと見ていてくれる。
こうして心配してくれる。

「平気だ。これからテニスするのに、なんの支障も無えよ」
「なら、いいけど……」

ほっとしたような笑顔。
思わず見惚れてしまう。

「なんか会った時から様子が変だから、心配しちゃったじゃん。
紛らわしい態度止めてよね」
そう言って先を歩くリョーマの後を追いながら、跡部は思った。

(どんなにつれなくても、愛想が無くても。
それでも俺は人形なんかより、こいつの方を選ぶぜ。
何度でもな)


可愛らしく笑い掛ける物言わぬフィギュアより、
素っ気無く棘のある言葉を吐いて、時々優しいことを言ってくれる越前の方が、ずっと可愛く映るのだから。

(悪いな、忍足。俺はそっちの道には行けそうにない)

追い付いて、隣を歩くリョーマに満足げに笑顔を向けると、
「やっぱり変……キモイし」
と、抱きしめたくなるような言葉が返って来た。






余談だが、忍足から取り上げたフィギュアは跡部の家のある一室に大切に飾られてある。
うっかり遊びに来たリョーマに見られたりしないように、
自室ではなく、わざわざ別室に隔離する徹底振り。

代わりにならないといいつつ、
フィギュアに朝は「おはよう」、夜は「おやすみ」と毎日挨拶していることは、
跡部だけの秘密だ。


(こんなに可愛いものを、見放すことは俺には出来ない。
越前じゃない、代わりにしている訳じゃない。忍足とも違う。
ただ、ちょっと癒されたいだけなんだ!)
と、自分の行動を正当化して、日々過ごしている。


2009年02月05日(木) ビタースウィート  真田リョ

背伸びして家の中を覗き込もうとする幸村に、柳は呆れた顔をした。

「通報される前に離れた方がいいと思うぞ。その姿は怪し過ぎる」
「放っておいてくれないかなあ」
軽く睨みならがら、くるっと幸村が振り返る。
「俺が捕まるようなヘマをすると思う?」
「わかっているが万一聞き込み等でばれたことを考えると恐ろしい。
今の内に帰った方がいいぞ」
「うるさいよ。大体、なんで柳がここにいるの。やりにくいったらないよ」
「お前が危ないことをするんじゃないかと心配して来ただけだ。
予想通りの展開だったが…」
「失礼だなあ。俺のどこが危険だって?」
「そうじゃないことを証明する方が難しい」

真田の家を正面から、裏から覗き込む行動のどこが怪しくないというのか。
しかし幸村は自分は悪くないとばかりに、胸を張って答える。

「危険なのは真田の方だろ!?
越前みたいな子供を家に連れ込んで、そっちの方が通報されてもおかしくないはずだ。
俺は犯罪を阻止しに来ただけだ!」
「連れ込むも何も……。
お前の考えているようなよからぬことは、何一つ無いと思うが。
大体、合意の上なら問題も無いはず」
「何か言った!?」
「いや」

幸村に睨まれて柳は黙った。
怖いからじゃない。
大声で反論されたら、それこそご近所から注目されて本当に通報されるかもしれない。
ここは大人しくしておく方が良いだろう。

「しかし真田の奴、どこにいるんだろう。
いやに静かなんだよね。
他に家族がいる気配も無い……。
あいつ、それを狙って連れ込んだのか?とんだ野郎だ。
越前の悲鳴も聞こえてこないようだから、まだ大丈夫だと思うけど心配だなあ。
よし。ここは偶然を装って、通り掛ったついでに遊びに来たとでも言って、家に入れてもらおう。
さ、柳。行くよ」
「……俺も、か?」
長々と喋っていたかと思えば、人まで巻き込もうとする。
幸村に驚かされることは慣れっこだが、柳は一応尋ねてみた。
「当たり前じゃないか」
幸村h当然、とい言いたげに頷く。

「俺一人だと不自然だろう。
うまいこと俺に合わせて、中の様子をしっかり探ってもらうよ」
「……そうか」
もう反論するのも面倒くさい。
それに幸村一人で中に入れるのも危険だと判断する。

データ的に無いとは思うが、万が一にも二人の仲に幸村が勘ぐっているような進展があったとしたら。
そしてそれを幸村が目撃してしまったとしたら。
(恐ろしい)
世界滅亡の始まりだ、と柳は額に手を当てる。
真田の他にも止める人物がいた方が良さそうだ。
ここまで来たのだから、付き合おう。
そう思って正面へと回ろうとする幸村の後に続いて行く。

「幸村、一つ確認していいか」
「なんだい」
「越前が今日来ると、よくわかったな。
もしかしてまた真田から聞き出したのか」
「なんでそんな責めるような顔して言う訳?
俺は休みの日は何してるの、って軽く聞いただけなのに」
「……それを探り入れてると言うんだ」
真田が気にしていないのだ問題なんだ、と柳は思った。
人が良いのはいいが、幸村に対してだけは疑いを持つべきだろう。
言っても聞かないことは想像がつく。
チームメイトに対して疑うことなど、真田の思考には存在しない。
おかげで悪戯好きな仁王に何度引っ掛けられたことか。
それでも懲りるということを知らない。
一瞬は怒るが、仕方無いなと言って仁王のことも結局許している。
だから幸村に付け込まれるんだ。
今度ゆっくり注意しよう……と柳は心に決めた。


「あれ?誰も出ない」
さっさとインターフォンを押していた幸村が、首を傾げる。
「居留守使っているのかなあ」
「相手がお前だとわかったら、普通そうするだろう」
「何か言った?」
「何も」
肩を竦めてやり過ごす。
幸村の注意は家の中に向けられているので、それ以上の追求は無い。
「なんだよ、真田の奴。早く出ないと後が怖いぞ」
「何度押すつもりなんだ、幸村」
「当然、真田が出て来るまで。
ああ、そうだ。いっその玄関叩くか。
壊れるのが先か、真田が出て来るのが先か。どっちだろうね」
「壊れてるのはお前の頭じゃないのか…」

これは止めるべきだろうと、柳は幸村の腕を掴もうとした。
器物破損の現行犯だ。
言い訳は出来なくなる。

そう思って幸村を引き読めようと手を伸ばしたまさにその時、
「幸村に、柳?」
背後から真田の声がした。

「弦一郎!」
「ああ、越前!こんな所にいたのかい」
柳は真田の名前を呼んだのだが、
幸村はすぐ隣にいる越前にのみ視線を注いでいる。
さすがというべきか。
声を掛けられた越前は、「ども」と挨拶のような声を出した。

「やあ、久し振り。元気だった?」
「……はあ」
馴れ馴れしく越前に話し掛ける幸村に、真田は怒る様子も無い。
それどころか、
「どうしたんだ。来るなら事前に連絡くれれば家を空けることも無かったんだが」と言った。
そうじゃないだろ、と柳は心の中に突っ込みを入れる。

「いや。偶然近くを通り掛っただけなんだ。
ついでに真田の顔を見ておこうかなと思って」
見たいのは越前の顔だろう。
舐めるような幸村の視線に気付いた越前は、さりげなく真田の後ろに隠れてしまった。
本能で危機を察知したらしい。

何も気付かない真田は「そうか。だったらお前達の分も買ってくるべきだったな」と呑気なことを言っている。
その手にはコンビニの袋がぶら下がっている。
「買い物の帰りか」
「ああ」
柳の指摘に、真田が頷く。
「越前がアイスを食べたいと唐突に言うものだからな。
うちにはそういう類のものは置いていないから、買いに行った所だ」
「別にわざわざ行くまでも無いって言ったのに」
真田の背中越しに、越前は照れくさそうに答える。
思いつきで言ったことに、真田が反応して買いに行こうと誘った所なのだろうと察する。
相変わらず越前に対して甘いな、と幸村も柳も同じ事を思った。

「ふーん。越前君、アイスが好きなんだね。
今度、俺と一緒にアイス食べに行かないか?美味しい所を知ってるんだ。
こんなコンビニのアイスよりずっと美味しいよ」
餌付けの要領で、幸村は顔を伸ばして越前を誘う。
良い機会だとばかりに、ぬけぬけと真田の前で誘いの言葉を口にする辺り、
さすが幸村としか言葉が出て来ない。
だが肝心の越前はぷるぷると首を振って、反対側へと逃げてしまう。

「遠慮するっす。俺はこのアイスで十分だから」
そう言って、真田の持っている袋をぎゅっと握り締める。
コンビニのアイスの方がいいと言われて、さすがに幸村も笑顔を一瞬引っ込める。
が、すぐに立ち直ってまた一生懸命越前に話し掛ける辺りはさすがだ。
「なんで?
ああ、奢ってあげるから心配ないよ。いくらでも食べていいからね」
「……本当にいらないっす」
「どうして?そこまで拒絶する意味が俺にはわからないなあ。
ねえ、真田?」
突然話を振られた真田は、困ったような顔をして隠れている越前を見る。
そして、「ああ」という顔をして幸村を見た。

「もしかしたら越前は、お前と二人きりで行きたくないのかもしれないな。
よく知らない人に付いて行ってはいけないと家での教えを守っているのだろう。
わかった、こうしよう。俺も一緒について行く。それなら、どうだ」
悪気の無い顔でややずれたことを言う真田に、越前は一瞬きょとんとする。
そして納得したように頷いた。
「真田さんが一緒だって言うのなら……考えてもいいっすよ」とまで言う。
「だ、そうだ。幸村、そういう訳で越前を誘う時は俺を通してくれ。頼むな」
「…………」

能面のような顔をした幸村は、何も答えない。
黙ったままふらふらとした足取りで、敷地内を出て行こうとする。
「おい、幸村。どうした。家に上がらないのか。
茶の一杯は出すぞ」
心配そうに声を掛ける真田に、柳はぽんと肩を叩いた。
「悪いが今日はこれで失礼する。
幸村は用事を思い出したらしい。俺も一緒について行くから心配するな」
「そうか?」
「ああ。それに早くしないとアイスが溶けてしまうぞ」
「そうだな」
「またな、弦一郎。それに越前」

片手を振って、柳は幸村の後を追った。
その後ろ姿は珍しく落ち込んでいる。

「……二人きりで行きたくないとか、はっきり言うこと無いじゃないか。
越前も真田が一緒だったらとか言うなんて、あんまりだ」
近くに寄ると、ぶつぶつと小声で不満を繰り返しているのが聞こえた。
先ほどのやり取りがよっぽど堪えたらしい。
これで懲りてくれれば良いのだが、
(きっと明日には元通りだな)と、柳は小さく溜息をついた。








「なんだか慌しい訪問だったな。
ゆっくりしていけばいいものを」
再び家の中に戻り、真田はコンビニで購入したアイスを取り出した。
縁側で足をぶらぶらさせている越前は、何も答えない。
二人が行ってしまってから、やけに無口になっている気がする。
どうかしたのかと機嫌を伺う為に、アイスを持って越前のすぐ隣へと腰掛けた。

「アイス、食べないのか」
「……食べる」
「まず最初はどっちを食べるんだ」
持っていた二つのアイスを差し出す。
越前が迷って選べないと言っていたので、「二つ買って俺と半分こしよう」と提案した。
こういうものは普段食べたりしない真田だが、越前に気を使わせたりしない為だ。
絶対甘いだろうなとわかっていても、我慢して食べようと決める。

越前の目はその二つのアイスに注がれている。
数秒考え込んだ後、「じゃあ、こっちから」とキャラメル味の棒のアイスを選んだ。
真田の手にはチョコとバニラのソフトアイスが残されている。
チョコ味か……と難しい顔をしていると、
「真田さんも一緒に食べようよ」と言われてしまい、観念して中身を取り出す。

越前はもうぺろぺろとアイスを舐め始めている。
アイスの甘さにつられてか、さっきまで強張っていた顔も少し解けているように見える。
「越前、さっきから怒っていたんじゃないのか?」
思っていたことを口にすると、越前は「違うよ」と否定する。

「ただ……」
「ただ、何だ」
「今日は俺と約束してたのに、あの人達も一緒なんだって一瞬むかついただけ。
だって学校でいつでも会えるんでしょ。
なのに、……さあ」
後半の方はもごもごとアイスを食べながら言ったので、
あまり聞き取れなかった。
それでも真田には越前の言いたいことは伝わった。
越前との約束が先だというのに、突然の来訪者を許して家にまで上げようとした。
普段の習慣でついうっかり変わらない対応をしてしまった。
いくら越前が知らない相手では無いとはいえ、了承も得ずに招くのは礼に欠けていたと思う。

「すまない。俺が少し軽率だった」
謝罪すると、越前は慌てたように「別に、気にしてないから」と言った。
「真田さんが友達を大事にしてる人だってわかってるっすよ。
でも、あの人達とすごく仲良いんだなあと思ったら、なんかね」
「なんか、か」
「そう。……なんか、ねえ」
そう言ってまた前を向いてキャラメルアイスの続きを食べる。

(よくわからないが)

越前の中で色々と葛藤があるらしい。
そしてそれは自分と友人達の仲の良さに原因があるようだ。


どうしたら良いかわからなくて、
でも越前に何か伝えたくて、
真田は口を開いた。

「あいつらとはずっとチームメイトだったからな。
たしかに顔を合わせている期間も長い。
けど知り合ってまだ短いお前とも、負けないくらい仲が良いと……俺は思っている。
その、比べる次元は違うと思うが」
「……」

沈黙するリョーマに、間違ったことを言ってしまったかなと考える。
けれどリョーマはこちらを向いて、
「そっか」と嬉しそうに笑った。

「俺と真田さんも、仲良しだよね」
「そう、だな。うむ」
「そうだよね。こうやってアイスも半分こして食べているし」
「あ、ああ」
「真田さんもそっち食べてよ。半分食べたら、交換しよう?」
「少し……待ってろ」

機嫌が良くなったことにほっとしつつ、
今度は覚悟を決めて見た目も甘そうなソフトアイスにぱくっと一口被り付いた。


想像通りの甘さに一瞬眉を潜めたけれど。

「美味しい?」
「ああ……美味いな」

何故か今の気分に、ぴったりな気がした。


2009年02月04日(水) もう少し、このままで。 跡リョ

「……、これどの位入れるんだっけ」

茶葉を前にして、リョーマは顔を顰めた。
いつもは母か姉任せにしているから、どの位の量でお茶を淹れて良いものかわからない。
二人は揃って外出中。
邪魔はしても手伝いは期待出来そうにない父親も、知人の家に行くとかでいない。

「うーん」

考え込んで、リョーマは一瞬ファンタを出そうかと考える。
あれならグラスに注ぐだけだ。
楽なのに……、きっと出したら困惑するのが目に見えるようだ。
前にも美味しいからと飲ませたことがあったけど、
「甘過ぎ」と思い切り顔を顰めてた。
やっぱりファンタは出せないかあ、と溜息をつく。
一応お客様なのだから、その嗜好を無視することは出来ない。

どうしようと、数秒動きを止める。
仕方ない。
適当でいいや、と茶葉を急須に投入。
そしてポットの湯を注いでいる間に、客用の湯飲みを用意する。

(跡部さんの家は全部、やってくれる人がいるからいいよなあ……。
あ、でもわざわざ俺の為にとか言って、自ら紅茶を用意してくれたっけ。
ファンタでいいって、言ってるのに)

そっちの方が楽なのに、なんなんだろうねと首を傾げる。
淹れてくれた紅茶はたしかに美味しかったから、不満がある訳じゃないけど。

「こんなもんでいいか」

湯飲みに急須の中身を注ぐ。
妙に濃い色のような気がするが、これでいいやと頷く。
濃い方が緑茶は体に良いんだ、と自分で言い訳をしてトレイに乗せる。
自分用のファンタと、跡部が持ってきてくれたお菓子も忘れない。

そして自室へと階段を上がる。

ついさっきまで、二人でお寺の裏のコートでテニスしてた所だ。
先に浴室を使うように跡部に薦めて、出た後は自室で待っているように伝えてある。
適当にゲームをしてていいよ、と言ったが、多分コントローラーに触れてもいないだろうと察する。
「ゲームで対戦しない?」とリョーマが誘えば、喜んで乗って来るけど、一人ではやらない。
下手な訳では無いが、(むしろ上手な部類に入るだろう)興味を持つほどでもないらしい。

じゃあ、何やっているのかと想像して、一つしかないなと結論を出す。
即座にリョーマは忍び足で部屋に近付き、様子を伺う。

(色々、物色している所かな。
まさかと思うけど、下着を漁っていたら容赦なくこのお茶を頭から浴びせよう)

やけに静かだなと思い、そっとドアを開ける。

「跡部、さん?」

そこにはリョーマが想像していた、部屋をくまなく探索中の跡部はいない。
ベッドで静かにうつ伏せになって寝ている姿があった。

「なーんだ、寝ちゃってたのか」

しかも俺のベッドの上でかよ、と小さく呟く。

だけど起こすのも忍びない気がして、そのままにさせておく。
昼寝の時間の心地よさは、リョーマもよくわかっている。
きっと疲れて眠くなったのだろうと、しばらくベッドを貸すことにした。

(そういえば、家に来た時も欠伸していたっけ)

昨日は、色々忙しかったんだと言い訳していたことを思い出す。
リョーマにはよくわからないが、家のことで何か用事があったようだ。
詳しくは跡部が語らなかったから、ふーんと流していたけど、
結構大変だったのかなと今になって気付く。

無理しないで、今日の約束をもっと遅い時間とか、別の日にすれば良かったのに。
でもそんなことを口にしたら、
跡部は「俺が会いたいって言っているんだから、問題無しだ!」と過剰な反応するに違いない。
こっちも会いたいんだから、それは別に構わない。
でも、疲れている時はちゃんと休んだ方がいい。
一応、心配はしている。
口に、出せないだけで。

(それにしても、跡部さんの寝顔って……)

初めて見た、と呟く。
トレイを机の上に置いて、そっとベッドの脇に近付く。

自分は、何度も約束前に押し掛けられたりするから披露してしまっているが、
跡部が寝てる姿を晒していることは自宅でも無い。
寝るよりも、纏わりついてくることで一生懸命だからだろうか。
うるさい、と怒る方が多い気がする。

(黙っていれば、格好いいのにねえ)

跡部の容姿が整っていることは、リョーマも認めている。
勿論それも本人には伝えていないが。
言えば、気持ち悪い笑い声を響かせた後、調子に乗るのが目に見えている。
折角の綺麗な顔も、言動と行動で台無しだ。

それでもまだお慕いしている女子が多いのだから、世の中はわからない。

(顔と、金と、スポーツ万能と、それだけ揃ってりゃ性格はどうでもよくなるのかな)

それでもこの人の話を聞かない暴走気味な性格に付き合うのは、
かなり大変だと思う。
突然人の家に押し掛けて布団剝がすわ、友達と喋っていただけで邪魔するわ。

(好意はわかるんだけどね)

だったら、さっさと言うべきことがあるんじゃないのと顔を覗き込む。

静かな呼吸音だけ聞こえて、その呑気さになんだかむかついて来た。
振り回されてるこっちのことも考えてみろって。
額に目とか肉とか書いてやろうかとさえ思えてくる。
そうしたら、寄って来る女の子も減るんじゃないだろうか。

「………」

少し考えて、今日は勘弁してやろうとそっと額にかかっている前髪に触れる。
きっと他の人は滅多に見られない寝顔を、特別に見せてくれたお礼。

(だから、決して見惚れてる訳じゃないんだから)

自分で言い訳をしながら、顔が赤くなっていくのがわかる。
跡部が目を閉じていて良かったと、ほっとして。
前髪から頬へ、そっと指を滑らせた。















跡部には、一体何が起きているのかわからない。
部屋で待っていて、とリョーマに言われ自室に来たところで、
はっと気付いた。
今、ここには自分一人きり。
だったら、やることは一つしかない。

「越前、のベッドにダイブ!」
思う存分リョーマの香りを堪能したところで、安心してしまったのか、
いつしか眠っていた。
そして気付いたら、何かが顔に触れている。

そーっと瞼を薄く開けて確認して、驚愕する。
触れてたのは、リョーマの指だった。

(これは、なんだ。一体どういうプレイなんだ?
いや、越前なりのアピールだ。そうだろ!?)

ここで体を起こし、「越前っ、お返しに俺もお前の体を撫で回してやろう」と言うのは簡単だ。
しかし、そうしたらこの穏やかな時間が崩れてしまいそうな気がして。
結局、もう少しと寝た振りを続ける。

(たった、これだけで嬉しいなんて……俺の今までの価値観丸ごと崩壊しそうだな)

けどやっぱり幸せには違いないから、
このまま大人しくしておこうとじっと体を動かさないようにする。



しかし興奮し過ぎて知らずに鼻息が荒くなってしまった為、
数秒もたたない内にリョーマに気付かれてしまった。




跡部がベッドから叩き出されたのは言うまでも無い。


2009年02月03日(火) 夢なんかより君を見ていたい   跡リョ

彼女の肩を抱く後姿に、跡部は叫んだ。

「越前、待てよ!どういうつもりだ。
お前、その女を選ぶのか?俺のことなんて、その程度の気持ちだったのかよ!」

顔だけ振り返ったリョーマの目にはなんの感情も無く、
つまらなそうに跡部を見ている。

「その程度って、何?
大体、俺達は恋人でもなんでも無かったじゃん」
「越前っ。本気で言っているのかよ?」
「うん。でも違うってあんたも言えんの?
会った頃と距離は変わっていない。今でも」

ショックで足から力が抜けていくのがわかる。
その場にへたり込んだ跡部に、リョーマは少しばかり気の毒そうな表情になった。

「悪いけど、俺はこの子と付き合うことを決めたんだ。
やっぱり女の子の方がいいかなと思い始めたから、この機会にあんたからも離れるよ」
「待て!お前はその女なんかより絶対可愛いって!
考え直せ。誰もが間違っているって言うはずだ」
「でも、あんたと付き合ったら俺がされる側に回るんだろ。
やっぱり男として、それはちょっとね」
「わかった、お前がそう言うのなら俺も努力してみる。
絶対優しくするし、気持ちいいって言わしてみせるから、だから!」

大声を上げた所で、目が覚めた。

「……なんだ、夢か」

不機嫌そうに前髪を払って、体を起こす。
最悪な夢を見てしまった。

一体、なんだあれは。
越前が女と付き合う?
で、俺が捨てられる?
「ありえないだろ」
低く唸ってから、目元を拭う。

我ながら恥ずかしい。
夢の中で涙を流していたのを覚えているが、
現実にも反映してたようだ。
情けない、とベッドから勢いよく起き上がる。

シャワーでも浴びて気分を変えるべきだ。
いつまでも暗い夢を引き摺っていたら、折角の休日が台無しになってしまう。
そうしよう、と一歩足を踏み出す。

(越前に会えば、あれは悪夢だったと笑えるはずだ)

あいつに女なんていねえし、と無理矢理笑う。
今までもそんな気配、見たこと無い。
好意は寄せられてるようだが、本人に興味は無いらしく、口を開けば「テニス、テニス」とそればかり。

いや、しかし知らない間にリョーマ好みの女が告白して来たとしたら?

突如浮かんだ考えに、跡部の動きが止まった。

その女が直接行動に出て、嫌がる越前を無理矢理押し倒して(以下自主規制)。
責任を感じた越前は泣く泣く交際を承諾する可能性はゼロじゃない。

「まさか、そんな!
越前、今すぐ俺が助けに行くから待っていろよ!」

こうしちゃいられないと、跡部は慌しく外出の用意を始める。
ただの想像なのに暴走は留まらず、
今もこの瞬間、リョーマは縛られて想像の女に弄られていると思い込んでしまった。

「俺でさえまだしていないのに……!」

向日がこの場にいたら、「ちょっと待て。冷静になってよく考えろ」と諌める所だろう。
しかし突っ込みを入れる者は無く、跡部の行動を止める者もここにはいない。






「で……、こんな早くから何の用っすか」

跡部はそれからきっかり30分後、越前家の前に立っていた。
何度も顔を合わせている家族に挨拶すると、この時間に約束をしているものだと解釈したらしく、
招き入れられた後、リョーマの自室まで案内してくれた。
後は自分が起こしておきますと言うと、笑顔で「お願いします」と任される。
普段の心掛けのおかげだなと頷いて、ドアを開ける。

案の定、リョーマは眠っていた。

「おい、越前」
恐る恐る跡部は布団を捲ってみた。
そこに想像していた女の姿は無い。
良かった、と安堵する。
リョーマの貞操は無事だったようだ。

「ん…寒い」
肩を震わせたリョーマが目をうっすらと開ける。
そして何度か瞬きした後、「あれ、跡部さん?」と眠そうな声を出した。
「おはよう、越前」
「なんであんたがここにいるの。今、何時?」
きょろきょろとしながら時計を探す。
そして「まだ7時じゃん……」と不機嫌に言われる。

「もうちょっと寝かせてよ。朝っぱらから何なの」
そう言って、また布団を奪い返し中へと潜ってしまう。
「寝るな!7時は普通に起床時間だろうが」
「俺は早起きな年寄りと違うんで。後、2時間は寝かせて下さい」
「9時まで寝るつもりかよ!俺と待ち合わせしてたんじゃないのか?」
「待ち合わせは11時でしょ……十分間に合うよ。おやすみ」
「おやすみ、じゃねーよ!」

再び布団を剥がしに掛かると、リョーマも必死で抵抗してくる。
それでも力はさすがに跡部の方が強い。
なんなくリョーマから奪うのに成功すると、体を横にしたまま軽く睨まれる。

「で……、こんな早くから何の用っすか」
「冷たい言い方だな。睡眠を邪魔したことが、そんなに気に入らないのかよ」
「うん」
「本気で怒ってる!?」
「あー、もう。どうせ眠らせてくれないんでしょ。
じゃあ、起きるからせめて急いで来た訳くらい聞かせてよね」

渋々という感じに、リョーマは起き上がる。
そしてベッドの上で胡坐をかいて、すぐ横に立っている跡部を見上げた。

(訳なんて、聞くほどのもんじゃないだろうが)

いつだって、会いたい。
約束していても、もっと早く会いたいと思うし、その分長く一緒にいられたら嬉しいと思う。
だからバカみたいに待ち合わせの1時間前から待っていて、
いつ来るかいつ来るかとわくわくしているの、お前は知らないだろうな。
遅刻ばっかり、してやがるから……。

今日はあの悪夢の所為で、どうしても約束の時間まで待ちきれなかったんだ。
たまには、こちらの気持ちを汲み取って欲しいと、
じっと見詰めているリョーマを見て、軽く眉を寄せる。

「何?言いたいことがあるなら、言えば」
睡眠を邪魔された所為か、リョーマの口調は少し刺々しい。
いや、いつものことか。

跡部は思い切ってベッドに腰掛けて、間近に座っているリョーマにそっと疑問をぶつけてみた。

「なあ。すっごくお前好みの女がいて、そいつが告白して来たら、どうする?」
「はあ?何それ」
「だから、お前にだって好みくらいあるだろ。
そういえば前に青学の新聞でポニーテールが似合う子とか答えていたな」
「ちょっと!なんで知ってるの!?」
「俺に知らないことは無い」

自慢げに言うと、「最悪……」とリョーマは項垂れる。
「別に適当に答えただけだよ。
あの質問の所為で、急に髪型変えた女子達に声を掛けられて結構うんざりしてんの。
出来ればほじくり返さないで欲しいっす」
「適当に言っただけなのか?」
「うん。何か答えなきゃいけないから、どうしようかと考えてて、
顧問のばあさんが何故か浮かんだから、髪型のところを取り上げて言った」
「あのばあさんか……。真実を知ったら、ショック受ける奴がいそうだから黙っとけよ」
「はあ」

よりによってその回答は無いだろと思いつつ、
まだリョーマはそれ程女子に感心がある訳じゃなさそうだと安心する。

「でも、なんでそんなこと聞くの。
俺の質問の答えになっていないんだけど」
「いいんだよ。お前と喋っていると、安心する」
「は?」
「頼むから、いきなり女と付き合うことになりました、なんて言い出さないでくれよ」

もし夢が現実になったら、泣く所じゃ済まされない。
ショックで100年寝込みそうだ。
しかもこの王子様に目覚めのキスは期待出来ない。
一緒になって隣でいつまでも寝ている可能性の方が高そうだ。

「それはこっちの台詞だと思うけど」
心外だ、というようにリョーマが首を振る。
「跡部さんの方がいつもファンだとかいう子達に囲まれているじゃん。
可能性としては、そっちの方が高いと思うんですけどね」
「俺はそんな気無いから、大丈夫だ」
「どうだか」
「本当だって」

なかなか信じようとしないリョーマの肩を、そっと引き寄せる。
抵抗されないことに驚きつつ、そっと両腕で自分より小さな体を抱きしめると、リョーマの体温が伝わってくる。
ああ、これできっぱり悪夢を忘れられそうだと安堵の溜息を吐く。

「俺は、どんな奴に好意を寄せられようとも靡かない。きっとこの先も」
「そんなの……」

わからないよ、と呟くリョーマの声が、やけに頼りなげに聞こえて、
跡部はもう少し力を込めて抱きしめた。
触れる所から、どれだけ彼を好きなのか伝わればいい。
そんな風に思って。











早くに起こされたと思ったら、なんなの。
大方、俺がどこぞの女子と付き合う宣言でもした夢でも見て、
慌ててすっ飛んで来た所だろうか。
折角、夢に俺が出て来たのならもっと幸せな内容を見ればいいのに。

おかげでこっちは眠いっていうのに、布団まで持って行きやがって……。
埋め合わせは、この後きっちりしてもらおう。
それにしても、わかってんのかなあ。
勝手に不安になっているようだけど、
あんたがたった一言言えばすぐ解決することだから。
まーだ、気付いてないのか。

大体、言い寄ってくる女の数なら、そっちの方が多いだろうに。
なのにいらないとかきっぱりと言ってくれて。

バカだよね、と抱き付いて来た背中を安心させるように、ぽんぽんと軽く叩く。

だけど。
好きだと言ってくれるまで待ち続ける、
そんな意地を張っているバカな俺にはお似合いかもね。

気付かれないように、肩に顔を埋めて。
そして静かに笑った。


2009年02月02日(月) 君のだけ 跡リョ

2月14日、バレンタイン。
氷帝で一番多くチョコレートを貰う人物といえば、誰もが彼の名前を挙げる。

跡部景吾。
1年と2年とで数え切れない位のチョコを、
校内のみならず他校の女子生徒からも集めている。
本人はその件で「俺様が欲しいと言った訳じゃない。それでもあげたいって奴が後を絶たねえから、しょうがねえだろ」と、コメントしている。
嫌味な奴だとやっかむ人もいないことは無いが、
比べる対象があまりにも一般人と掛け離れている故に「あれは別格」と諦めているケースが多い。
周囲の人々はというと「性格に問題有り過ぎる。生まれ変わっても代わりたいとは思わない」と静かに静観しているらしい。
その跡部だが、3年生となった今年は更に貰える数は増えるだろうと皆は予測していた。
しかし、突然2月入り「誰からも受け取らない」と自ら宣言をする。
跡部の言葉にパニックになる女子生徒多数。
どうか受け取って欲しいと嘆願書も寄せられたのだが、本人である跡部はこれをきっぱりと拒否。
しかも何故か上機嫌な様子に、
「跡部様に、本命が!?」と止めを刺され彼女達は泣く泣く引き下がる羽目に。
あの跡部が受け取らないということは、ついにチャンスが回って来る?と急にそわそわし始める男子生徒達で問題の発言は様々な波紋を呼んだ。


そしてバレンタイン当日。
ご機嫌な様子で登校する跡部の鞄の中には、綺麗にラッピングしたチョコレートの包みが入っていた。




「越前の奴、喜んでくれるだろうな。
あいつの為にわざわざ用意したチョコレートだから、絶対上手く行くこと間違いない。
こう、俺が口に運んでやって、指先に溶けたチョコも越前が舐め取る展開に持っていけるはずだ。
完璧だな」
「そういうことは、越前本人に渡してから考えろよ……。お前、痛過ぎ」
「なんだと、向日この野郎。ははーん、さては越前と熱々な今日を送ろうとしている俺を僻んでるな」
「……勝手に言ってろよ、もう」
はあ、と向日が溜息をつく。
それを無視して跡部はまた妄想を続けた。
「越前。越前、チョコより甘い越前」
「……」
向日がささっと離れて行くのがわかったが、構っていられない。
本日、越前にどうやってさりげなくチョコレートを渡すか。
頭の中はそのことで一杯だ。


跡部が多数の女子達からチョコレートの受け取りを拒否したのも、
リョーマに沢山の包みを見られたく無かったからだ。
焼きもちを妬かせる作戦も一瞬考えたが、
このような小細工は効かなさそうだと判断して止めた。
下手すると『くれた中の子から、誰か選べば?』と冷たく言われる可能性がある。
ここは誠実さをアピールして方が得策だ。
誰彼構わず好意を受け取る軽い奴じゃない。
欲しいのはお前だけだ!と訴えてる……よな?

だけど、越前からチョコレートを貰えるなんて期待していない。
恥ずかしがりやな越前のことだ。
きっとチョコレートすら買うことが出来ないだろう。
ならば、俺が代わりに渡してやろうじゃないか。
どちらかが渡すなんて形式、どうでもいい。
二人が幸せなバレンタインを過ごすことが出来れば、結果オーライだ。

(待ってろよ、越前)

うふふと笑う跡部に、離れていた向日がぼそっと声を掛ける。

「越前から貰えない事実から目を逸らして、よくそこまで前向きになれるな」
「んだとぉ、向日!」
「わあ、聞いていたのかよ!」
慌てて逃げ出そうとする向日の首根っこを掴んで、制裁を加えようとした時だ。
「おい、あれ越前じゃないのか?」
「あーん?嘘をつくな、越前がこんな所にいるはずないだろ」

リョーマと会う約束をしているが、跡部が青学に迎えに行くことになっていた。
下手な言い逃れだな、と跡部は目を鋭くした。

「本当だって、外見てみろよ、外っ!」
それでも必死で騒ぐ向日に、思わずそちらを向いてしまう。
「ウソだろ」
「なっ、あれ越前本人だって!そう言ってるじゃねえか」
遠目だけど、跡部がリョーマを見間違えるはずが無い。
それに青学の制服はここではよく目立つ。
校門付近にリョーマは両手に荷物を抱えて立っている。
それだけなら別に問題では無いが、何故か周囲に宍戸とジローを背負った忍足がリョーマに話し掛けている。
リョーマが持っている荷物の中から、ラッピングされた箱を差し出した所で、
跡部は向日から手を離し駆け出した。

「越前んんんん!そいつらにチョコをやるくらいなら、俺が全部食べてやる!お前のものは全部俺のだ!」
「……廊下で大声出すの止めようぜ」

恥ずかしいといいつつ、向日もその後を追った。
跡部の暴走を止めなければという使命感もあったからかもしれない。
後、忍足達に大声で危険を知らせる必要も場合によっては必要だ。
いつも以上に速く走る跡部を見失わないよう、向日も必死で走った。




「て、てめえら……越前から何受け取っているんだ。ああ?」
少し息を切らしながら跡部が校門まで行くと、
全員が振り返った。
「あれ?なんだもう来たんだ。
今呼び出そうと思ったんだけど。俺がここにいるってよくわかったね」
感心したように呟くリョーマに、「当たり前だろ」と胸を張る。
「俺様のインサイトはいかなる時でもお前を見つけることが出来るんだ!」
「発見したのは俺だろ……」
「なんだ、いたのか向日」
つまらなそうに答える跡部とは反対に、リョーマは向日を見て嬉しそうに一歩前に踏み出す。

「向日さんも来てたんだ。ちょうど良かった」
「何が良かったんだ?」
首を傾げる向日に、リョーマは「はい」と持っていた紙袋を差し出す。
「これ、チョコレートだって」
「えっ」
「どうぞ」
そう言ってリョーマは向日に半ば無理矢理押し付ける。
その溢れる中身はどう見ても、沢山のチョコレートの箱で。
跡部は途端に不機嫌になった。

「向日、てめえ。これが目的だったのか」
「違えよ!おい、跡部。よく見ろ。
越前がこれ全部用意する訳ないだろ!ほら、見ろって」
「あーん?見苦しいぞ」
「俺以外も貰ってるのよく見ろ!見ろって」
「岳人、俺らに振るなや。まあ、ええけど」
言われて忍足や宍戸が持っている袋に気付く。
大量のチョコレートの箱たち。
ファンタでほぼ小遣いを使い果たすリョーマがこんなにも買える訳が無い。

「青学の女子達に押し付けられたんすよ。
この人達に渡して欲しいって」
疲れたように、リョーマが肩を回す。
「でも、なんでお前が?こいつらと仲良しだと思われてるんのかよ」
「知らない。跡部さんと一緒に歩いている所を見られたみたいで、
テニス繋がりで氷帝の人達と会ってると勝手に思い込まれてた。
帰ろうとしたらぐるっと囲まれて逃げられなくて困ってさ。
どうせ跡部さんと会うんだから、こっちに来たんだけど、都合悪かった?」

リョーマに問われて、さすがの跡部も文句を言えなくなってしまう。
「いや。こいつらの荷物押し付けられたのか。大変だったな。
言ってくれれば車で迎えに行ったのに」
「そんなのいいよ。頼まれたのは俺なんだから。
という訳で、ちゃんと持って帰って下さいね。そこで眠っている人にも、あの三人にも渡して下さい」
後の言葉は忍足と宍戸に言ったようだ。
ジローはこの状況でもすやすやと眠っている。
二人の荷物ははちきれそうな程だ。よくリョーマはこれだけ持って来たと感心する。

「あの三人とは?誰のことだ」
「鳳さんと樺地さんと日吉さん。練習中に渡す訳にもいかないから、お願いします」
「……長太郎の奴、困るだろうな。いや、持って来てくれた越前に悪いから受け取るけど、
俺もどうしたらいいんだ」
「樺地と日吉には渡すけど、俺の心は部屋に飾られとるプリンセス達のもんなんや。
今日も、このピーチハートちゃんを始めとする皆に囲まれてバレンタインパーティーするんや」
お返し出来へんけど堪忍な」
「…受け取るだけでいいんじゃない?とりあえず、忍足さんの意向は伝えておくよ」
「おおきに」
良かったあ、と忍足はポケットから顔を覗かせてるフィギュアに向かって話し掛けている。
全員見なかったことにして、不自然に顔を背けた。

「じゃあ、用事も終わったし。帰ろうか、跡部さん」
「お、おう」
名前を呼ばれて、跡部は頷いた。
リョーマがチョコレートをこの連中に渡すなんてあり得ない。
間違えで良かったと、今は安堵の気持ちでいっぱいだ。
気が抜けた顔を向けると、リョーマが眉を潜める。

「言っておくけど、跡部さんの分は一個も押し付けられなかったよ。
今年は不作みたいだね」
「はあ?だから、なんだ」
「だって……他に持っていないし、まさか氷帝でも貰えなかったとか?」

リョーマの言葉に、答えに迷う。
もてない奴、と思われたのならどうしよう。
やっぱり多少は必要だったのか?しまった、2、3個位は貰っておくべきだった。

後悔し始めて顔を青くする跡部に、リョーマがくすっと笑う。

「しょうがないね。
今から家に来る?昨日、菜々子さんが焼いたケーキがあるんだけど、
分けてあげてもいいよ」
「いや、俺は別にチョコが食べたいっていうんじゃなくて」
「ちなみに俺も手伝ったんだけど」
「食べたい!今ものすごく甘いものが食べたい気分だ!」
「そう……良かったね」

バイバイと向日達に手を振って歩き出すリョーマに早足で追い付いて、
並んで歩いて行く。
思いがけずリョーマからチョコを貰えることが出来そうだ。
浮き足立つ気分を隠し切れず、跡部は全開の笑顔で話し掛ける。

「家に着いたら、俺もお前に渡したいものがある。
せいぜい楽しみにしてろ」
「……はあ。まあ、大体予想はつくけどね」
「何か言ったか?」
「別に」

リョーマがチョコレートをくれることで自分はこんなにも幸せな気持ちになれるのだから、
鞄の中に入っているそれを渡した時、
同じくらい幸せだと感じてくれるといいな、と跡部は思った。






「越前はああ言ってるけどさ、跡部へのチョコレートも絶対あったと思うんだ。
跡部の受け取らないって発言が、青学まで伝わっているかどうかわからないし。
けど、越前の判断で受け取らなかったんだろうな。
一個でも跡部に渡したくないって、思ったんじゃねえの。
氷帝まで来たのも、青学に跡部が来たら女子が群がるから見たくなかったんだろ。
跡部は全然わかってないみたいだけど」

腕を組んで、向日は頷いた。
忍足は納得いかないように首を捻る。

「そうかもしれんけど、ほんまに一個も無かったかもしれんやんか。
世間の目が跡部をどういう奴かわかってきたのも考えられる」
「……だとしたらお前の趣味はまだまだ浸透してないってことになるな」
「何か言うたか」
「さあ」

自分よりずっと多い数のチョコを持つ忍足を見て、
向日は溜息をついた。
この日の為に限定フィギュアを手に入れてどうたらとか言っていた奴がモテるなんて、
絶対世の中どうかしている。
二人のやり取りを横目で見つつ、宍戸が声を掛ける。

「おーい、部室行こうぜ。樺地達の分も持ってやらなきゃならないんだからな」
「そうだな。しかし沢山あるなー。これ越前一人で持って来たって、どうなってるんだ」
「せやけど片手で軽々運んどったけどな」
「やっぱ、ただものじゃねえな」


ふと振り返ると、跡部とリョーマが喋りながら歩いているのが見える。
一方的に跡部が話し掛けているように見えるが、
リョーマも時折頷て、その横顔はどこか嬉しそうで。

どうやらこのまま楽しいバレンタインを過ごすことが出来そうだ。

(明日、越前のケーキの感想でも聞いてやるか)

きっと跡部の顔はチョコレート以上に蕩けたままに違いない。
からかってやるのも面白そうだと思いつつ、
後輩達に沢山の愛を届ける為に向日はぎっしり重い紙袋をえいっと持ち上げた。


2009年02月01日(日) 病 跡リョ ※跡部の頭暴走中


越前は可愛い。
もう何度可愛いと思っただろう。
見る度に輝きを増しているのは気のせいじゃない。
出会った時より5割増しで可愛くなっているよな、としみじみ思う。
どこがどう、という訳じゃない。
目も鼻も口も耳も髪も手も足も。
パーツ一つ一つ全部が可愛い。
こんなに魅力的だと他の奴が放っておかないだろうなと、会えない間ずっと心配してしまう。
越前の可愛さに気付くのは俺だけでいい。
俺以外、世界中全ての人間が越前のことブサイクに見える魔法って無いのか。
いくらでも払うから、教えて欲しい。 
まあ、他の奴が越前に言い寄った所で相手にされないことはわかっている。
あの冷たい目線と声で「はあ?何言ってんの」で大抵は退散していく。
ざまあみろだ。
俺が落とせないんだから、そりゃ他の奴なんかに靡く訳ないよな!
……本当に、いつになったら落ちるんだ、こいつは。
こっちの我慢も限界に近付いて来てるっていうのに。
その我慢を超えた時にどうなるか…別にどうにもしないか。
無理にどうこうすれば、拒絶されてその後会ってくれる保証は無い。
それに越前はまだ子供だ。
まだ先に進む覚悟も無さそうだから、もう少し待っててやってもいい。
……本当に少しだけだがな。

だけど最近、越前を間近で見てると、触れたくなるから困る。
俺よりずっと小さな手を取って、頬擦りして、可愛い耳にかぷっと被りつきたくなるから困る。
だったら見なきゃいいと思うだろうけど、視線が自然と惹き付けられるからどうしようも無い。
で、見ると触れたくなる。
触れたくなって、目を逸らすけどまた見てしまう。
ああ、悪循環だ。

「さっきから、何ぶつぶつ言ってるんすか」

呆れたような声を出す越前に、顔を上げる。

さっきまで自宅のコートで二人ゆっくりとテニスを楽しんでいて、
今は休憩中。
二人でベンチに座って、冷たいドリンクを飲んでいる。

越前は無口な方だから、俺が黙ると沈黙が続いてしまう。
二人の距離をもっと近づける為に何かj話題を振ろうかと考えていたら、
越前の顔に見惚れてしまっていた。
大きな目が細められ、俺のことをじっと睨んでいる。
まずい。
変な顔して見ていたか、と慌てて口元を手で隠す。
良かった。
無意識に口を全開にしては無かったようだ。

「ねえ。何喋ってたか聞いたんだけど」
無視されたのかと、越前が少し大きな声を出す。
そんな訳無いだろ。
他の誰より優先すべき存在は、越前リョーマ、お前だけだ。

「ただの独り言だ。気にするな」
全開の笑顔をむけると、越前は「キモイ」と呟いて目を逸らしてしまう。
おいおい。
この好青年に向かって失礼なこと言いやがって。
相手がお前じゃなかったら、締め上げてる所だぞ。
いや、違うか。
越前の奴、俺の笑顔を見て照れているに違いない。
それであんな憎まれ口叩いて……。
全く、素直じゃねえな。
見惚れてるのなら、そう言えよ。

「越前。俺の方はいつでも準備は出来てるからな」
「はあ??」
「言いたいことがあるなら、いつでも言えばいい。
遠慮するな」

すると越前は深い溜息をついて、グラスをテーブルに置いた。

「その言葉、そっくりそのまま返す」
「おい、どういう意味だ。訳わかんねえぞ」

これも越前の作戦か?
謎めいた言葉を口にして、俺の気を引こうとしてるのか。
きっとそうだ、間違いない!

感動に拳を握り締める俺を余所に、越前はすっと立ち上がってコートへと向かい始める。
おい、なんだよ。
余韻に浸るとか、今後の展開を話すとか無いのかよ?

「越前、何やってるんだ。
いくら恥ずかしがってるからって、遠くに行くこと無いだろ。
こっち戻って来いよ」
声を掛けながら、自分の膝を軽く叩く。
別々に座るよりも、密着して座った方が新密度は増す。
そう思っての提案だった。

そんな俺に、越前は振り返って首をゆっくり横へ振る。

「あのさあ、あんまり馬鹿なこと言って無いで、
さっさとコートに入ったら?
あんたが元気だっていうのはわかったから、
悪い冗談も言えなくなる位思い切り体動かそうよ」
「馬鹿なこと…?悪い冗談…?」
「そう。しかもつまらないよ。
ほら、そんなことよりテニスしようよ。早く」

がっくりと俺は肩を落とした。
さっき少し良い雰囲気だと思っていたのに、
あれは気のせいだったのか?
それとも越前の奴、俺をからかって楽しんでいるのか。
ここからだと帽子に隠れた表情では判断がつかない。

「跡部さん、テニスしないの?」
「……今、行く」

呼ばれてふらふらと立ち上がる。
結局越前に誘われたら、逆らえない。
今日も越前が大好きなテニスに付き合う。
俺にはその位しか出来ない。

(いつになったら、俺達は恋人らしくなれるんだ……)

ラケットを振って手招きする越前に吸い寄せられるよう、
俺はコートへとゆっくり歩き始めた。












休憩の間、跡部がずっとこちらを見詰めたことをリョーマは気付いていた。
考えていることも、大体想像がつく。

(相変わらず、面白いなあ)

しかしよりによって自分に『言いたいことがあるなら、いつでも言えばいい』とは。
大事な言葉を黙っているのはどっちだよ、と問い詰めたい。
仕返しに少し意地悪な言葉を投げ掛けてしまった。
大分堪えているらしくて、こっちに向かっているその顔は、
さっきまでの自信満々なものと違い、暗く落ち込んでいる。
しばらくすればまた元通りになると経験上、わかっているけどね。

(それにしても……)

しょんぼりしている跡部さんの姿は、
多分通常なら見られないものだ。
俺の言葉によって、落ち込んでいる顔を見ると。

(あー、もうなんて可愛いんだろ。
ちょっと伏せた目や眉も、拗ねてる唇とか。
やっぱり可愛いよね!)

ついつい頬が緩みそうになって困る。
そんな顔を見られる訳にいかなくて、
俺は深く帽子を被り直した。


チフネ