チフネの日記
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2008年09月20日(土) |
生意気11 不二リョ (完) |
3月とはいえ、まだ寒い。 吹いてきた風の冷たさに、ぶるっと首が震える。
「不二〜、おはよっ」 「あ、英二」
学校まで後少し、という所で英二に会った。 卒業式ということで気合入ってるらしく、髪がいつも以上に綺麗にセットされてるように見える。
「今日で卒業かー。ここまであっという間だったにゃあ」 英二はそう言って、大きく手を上げて伸びをした。 「引退してから特に短かった。もう三月!?って感じでピンと来ないんだよねー」 「そうだね」 頷いて、僕も笑った。 「部活が無くなったら暇になるかと思ってたのに、意外にバタバタしたからね」 「そうそう。もっとゲームの時間が増えるとか考えてたのにー」 「少しは勉強しなよ。入学したらすぐテストがあるよ」 「えー、考えたくもなーいーっ」 「まだ一ヶ月もあるから、今からちょっとずつすれば余裕だって」 「不二、一緒に勉強しない?」 「遠慮するよ」
普段とほぼ変わらない会話をしながら、校門をくぐった。 今日が終われば僕らはここの生徒じゃなくなる。卒業生という立場に変わっていく。 約三年間通ったこの場所から離れて行くなんて、やっぱりまだ実感がわかない。
(特に三年生になってからは、色々あったもんなあ……。 あの日から半年過ぎたなんて、嘘みたい)
アメリカ帰りの生意気なルーキーが僕にもたらした一連の騒動を思い出して、 ふっと笑みが零れた。 彼は再び渡米して、向こうで元気に大暴れしている。 時折やり取りしているメールからも、変わらない様子が伝わって来る。 とはいえ、越前のメールはとても短い。 一例を挙げると、 『今日テニスした。なんかムカつくやつがいたから、勝負して勝った。相手泣きそうだった。 不二先輩、今日も好きです』 こんな感じ。 最初見た時、子供の作文…?と少し固まった。 でも、越前は頑張ってメール書いているんだなとわかったので、 特にそれについて何か言ったりもせず、僕は普通にメールを返した。 そうして今も越前からの短文メールでのやり取りは続いている。 最後には絶対『不二先輩、好きです』で締め括られるメールを見る度、 おかしな告白をして来た瞬間の彼を思い出す。 半年経った今でも、忘れることは無い。
「不二、今おチビちゃんのこと考えていただろー」 そう言って、越前が肘で脇を突いてきた。 「別に。そんなこと無いよ」 「嘘だあ。不二がそーんなにやけた顔するのは、おチビちゃんのことが絡んだ時だけだよ。気付いてにゃいの?」 「にやけた顔、してた?」 「うん」 「……ちょっと気をつけるよ」 「いいんじゃない?好きな人のこと考えたら、誰だって幸せそうに蕩けるに決まってるよ」 「うーん、そうかな」 「そうだよ。でも残念だにゃ。おチビにも卒業式来て欲しかったね。不二も、ここから見送って欲しかったんじゃない?」 「そりゃ、そうだけど。しょうがないよ。越前はもう先に旅立って行っちゃったんだから」 「後輩に先越されちゃったにゃー」 「うん。だから今日は僕らの番。越前がここにいなくても、胸張って次の場所へ行こうよ」
きっと、海の向こうで『おめでとう』と言ってくれてると思う。 次のメールはそんなことが書かれてるに違いない。
「さ、もたもたしてると遅刻しちゃう。急ごう」 「あ、待ってよ。不二〜」
お喋りしていたら、いつの間にか余裕のある時間じゃ無くなっていた。 僕らは急いで教室へと向かった。
長い長い校長先生の話が終わり、卒業証書も無事全員の手に渡った。 英二はもうこの時点ですっかり疲れてしまっているみたいだ。 後ろの席に座っている僕から、半分夢の世界へと旅立っている様子が伺えた。 この後、手塚が壇上に立つのに。 見付かったら、グラウンド10週になりそうだ。 親切心から英二の背中をこっそり突くと、びくっとしたように反応する。 声を出さなかっただけ、良かった。 「サンキュ、不二」 ちらっと振り返って、小声で英二が礼を言う。 やれやれ。 どうやら間に合ったみたいだ。
「卒業生代表の言葉。手塚国光」 「はい」
真面目な顔をした手塚が、全校生徒の顔をぐるっと見渡す。 そして、中等部で最後になるだろう言葉を伝え始める。 皆、静かに聞き入っている。僕も同じだ。 悔いの無いよう、この三年間皆と一緒に過ごせて良かった、と。 静かに、感慨に浸っていた。
そして、手塚が全部言い終えた時。 何人かが拍手を始め、それが全員へ伝わろうとしていた。 けれどその空気を破るように、がらっと入り口が開かれる。
「部長。卒業する前に、俺との決着がまだなんだけど」 「「越前っ!?」」
僕と手塚の声は、ほぼ重なっていた。 以前と全く変わらない生意気そうな顔をした越前がそこに立っている。 そして手に持っていたラケットを振り上げたかと思うと、ボールを高く上げて壇上目指して放つ。
「ちょっと、待った、越前!」 手塚が悲鳴を上げる。 ボールは手塚の眼鏡すれすれに飛んで、真後ろの壁にぶつかった。 ぎりぎり衝突は避けられたようだ。 周囲から安堵のため息が漏れるのが聞こえる。
「こらー!いきなりボールを打つやつがいるか!何やってんだ、お前は!」 卒業式だということも忘れて、手塚はマイクに向けて思い切り大声を上げる。 あーあ。 さまざまな所で女子生徒達が動揺しているのが見える。 普段は冷静で落ち着いた生徒会長、と噂されているイメージが崩れるようだ。
「えー、でも部長がてっきり手でキャッチすると思っていたから、打ったのに」 「出来るかあああ!後でグラウンド50周させるぞ、絶対!」 「そんなことでカリカリしなくたって……」 「そんなことで済むか!」 彼女達は手塚の取り乱しように、びっくりしたように目を見開いている。 きっとこの一件で、後で告白しに来る女子の数は減ったなと僕は思った。
「大体、今頃なんだ。来るなら式の時間に合わせて来い!」 「ちょっと車が渋滞して遅れたんすよ。あ、部長ー。後で試合して下さいね」 「後で?」 「うん。今はそれよりも…」 越前がきょろきょろと会場を見渡す。 それを見て、僕は瞬間的に首を引っ込めて隠れた。 何かまずいことが起きそうな、そんな予感がしたからだ。 でも、結局すぐに見付かってしまう。
「不二先輩ー!いたー!」 「え、越前……」 「卒業おめでとうございます。久しぶり、元気?」 「あ、ああ」
なんだ、この普通の会話。
(越前、わかってるの?卒業式に乱入してきてこんな騒ぎ起こして、挨拶してる場合じゃないんだよ!) 心の中で叫ぶが、実際うまく言葉にならない。 動けないでいる僕に、越前はさっさと近付いて来てそして堂々と膝の上に乗ってきた。
「式が終わったら、時間くれる?部長との試合、さくっとやっちゃうんで待ってて下さい」 「あ、うん……」 「そこ!何いちゃいちゃしてるんだ。おかしいだろ! 大体、越前。俺が協力してやった恩をもう忘れたのか?」 「え?恩って?」 「打ち上げの時、不二にお前を家へ送るよう言ったのはこの俺だ!」 「へえ。でも頼んでないし」 「越前〜!」
この後、マイクを持ったまま壇上を降りる手塚とひと悶着があったのだが、 竜崎先生や他の先生達が間に入って、なんとか騒動は収まり無事に卒業式の続きが行われた。 発端となった越前は竜崎先生に首根っこを掴まれて、全部終わるまで押さえつけられていたことを付け加えておく。
「あーあ、参ったっすよ。おばさんが容赦なく耳を引っ張るから、赤くなった。ほら、見て」 「参ったのはこっちだよ…。帰国するなら一言言ってくれても良かったのに」
卒業式が終わり、クラスの皆ともそれぞれお別れの挨拶をした後、 僕は職員室に越前を迎えに行った。 先生からこってり絞られたからしょげているかと思えば、全然懲りてない。 彼らしい、というべきか。
「それで、手塚との再戦はどうするの」 「部長も色々捕まってるから、30分後にコートでってことになってる。 ねえ、終わるまで待っててくれる?」 「勿論、いいよ」 越前と手塚の試合も見たいし、いつまでここにいられるかわからない彼との時間も大事にしたい。 そう思って返事すると、越前は安心したように体から力を抜いた。 「良かった」 「何が?」 「騒ぎを起こしたから、先輩怒ってるのかと思った」 「そう考えるなら、あんなことしなきゃいいのに」 「まあ、なんかノリで」 「相変わらずだね、越前…」
背は少し伸びたかな。 でもそれ以外は全く変わらない越前に、拍子抜けと少し安心する。 大好きな彼のままで会えたこと、それが嬉しい。
「先輩」 「ん?」 「びっくりさせてごめんなさい。でも、どうしても今日先輩におめでとうって言いたかったんだ」 「それで日本に来たの?」 「うん。親父にばれないよう抜け出すの大変だった」 「ちょっと、待って」
今の言葉に、僕は手を額に置いた。 まさかとは思うが、一応確認しておかなければいけない。 「ここに来ることは、ご両親には…」 「言ってない」 「やっぱりいいい!!」
行動力があり過ぎるから困る。 よりによって海外から、突然のお泊りはまずいだろう。 気絶しそうになる僕に、越前はにっこり笑って言った。
「明日には帰るっすよ。でも今日は泊まるところないから、先輩の家に行ってもいいっすか」 「最初っからそのつもりだったんでしょ?わざとらしい…」 「泊めてくれないの?」
上目でこちらを伺う彼に、僕は白旗を上げるしか無かった。 この目にどうしても逆らうことが出来ない。反則過ぎる。
「いいけど、変なことしたら叩き出すよ」 「えー!?もう俺13歳なのに、まだ駄目ってこと?」 「そうやって焦って迫ってくる分には、まだまだだね」 「そんなあ」
不満げに越前は唇を噛む。
精神は変わらず子供のままだ。 でもそんな仕草ですら、どきっとさせるのには十分で。 もう一年したら、断ることも出来なくなるのは容易に想像出来る。
(困ったなあ……でも一年経っても、心の成長は追いついていない気がする)
「先輩、何悩んでいるんすか?」 沈黙していると、越前が顔を覗き込んで来る。 「あー、君が早く成長してくれることを望んでるだけだよ」 「そんなの!今だって十分っすよ」 「全然違う。わかっていない。 大体ねえ、僕が手を出すって決めたらどうなるかわかってる?きっと怖気づくよ。 こんなことや、あんなこと色々……」
こそっと耳打ちすると、越前の顔色がさっと変わる。 言わんこっちゃ無い。 覚悟なんて、言えるほど大人になっていないんだから。
「わかったのなら、あんまり僕を煽ることは言わないように…」 釘を刺しておく。 これでしばらく馬鹿なことはしないだろう。今夜の安全は確保された。 そう思った僕に、越前はぱっと顔を輝かせて口を開く。
「先輩!やっぱりそういうことしたいって思ってくれてたんだ。 良かった、俺と一緒だね!」 「越前??」 「ちょっとびっくりしたけど、平気平気。先輩が望むのなら、フルコースでも受ける覚悟は出来てるっす」 「ちょっと待って……あれは警告の意味で」 「今夜は頑張ろうね、先輩!」 「……」
張り切っている越前に、失敗してしまったことを悟る。 しかも事態はまずい方向へ確実に進んでいる。
「そ、その話は置いといて、そろそろコート行かないと。ね、越前?」 「えー、もう部長との勝負より先輩とあれこれすることを考えてた方が楽し」 「わー!!ちょっと、今は黙ってて。ほら、手塚も待ってるし、すっぽかすと後が怖いよ?」
一生懸命言い包めて、コートへと引っ張っていく。 とにかく手塚と試合させて、夜の間起きていられなくなる位くたくたに疲れてもらわないと。 やる気満々な越前を交わす自信なんて、無い。
(結局、ずっとこのまま越前に振り回される運命なんだろうか……)
子供のまま「好き」と叫ぶ越前に、困らされてそれでも可愛くて仕方ないから許してしまう。 距離が離れても、時間が過ぎても変わることは無い。
「先輩、ひょっとして照れてるんだ?だから二人きりでいるのが照れくさいんでしょ、そうなんだ!」 「……君のそういうポジティブな所、すごく羨ましいよ」
無茶なばっかりな行動に、生意気な言動に態度。 だけど僕には素直な所を見せてくれる。
わかっているのかな。 大事だから手を出せないってこと。 考えている以上にずっと、君のことが好きなんだって。本当だよ。
今日こそ、その辺りをじっくりゆっくり語る必要有りだ。
「先輩、なんだったら卒業記念に学校でっていうのはどう?」 「越前、ちょっとは謹んで……お願いだから」
結局その晩、手塚と試合をしたというのに元気いっぱいな越前に迫られて、 以前と同じように懇々と僕の気持ちをわかりやすく説明をする羽目になった。 越前はまた不満な顔をしたが納得してくれて、 翌朝無事アメリカへと旅立って行った。
「次は絶対だからね!」 「はいはい……」
そう言って手を振る越前に、僕も同じように手を振り返す。
次に会うとしたら。
高等部に進学したら、夏休みの間ホームステイしようと決めている。 行く先は勿論越前のいるアメリカだ。 でも今回のお返しに、行くことはしばらく黙っておこうと思う。
びっくりした後、きっと笑って今日みたいに「不二先輩ーっ」と抱きついてくるに違いない。
そんな未来を想像して、僕は自分の頬が緩んでいくのがわかった。 きっと英二の言うように、蕩けた表情をしているのだろう。
仕方ない。だって越前にこんなにもメロメロなんだから。
終わり。
2008年09月19日(金) |
生意気10 不二リョ |
あまりの突然の言葉に、僕はびっくりして固まってしまった。
(三日後?そんな早くに?一体、いつ決まったんだ…)
何を言ったら良いのだろう。 黙ったままの僕に、越前が抱きついて来た。
「行ったら日本にいつ帰って来れるかなんて、わからない。 何年も離れることになるんだよ? わかる?待ってる時間なんて俺には無いんだ。 離れていたら先輩はその内俺のことを忘れるよ。そんなの嫌だ」 「越前」 肩にしがみ付いて、越前はまた泣いた。 よしよし、と僕は宥めるようにその背中を摩る。 今、この子に何を言うべきか。 まだ言葉が見付からない。
「三日しか無いんだ。ねえ、その間だけでいい。俺と一緒にいてよ」 「あの、越前…ちょっと落ち着いて。三日後にアメリカに行くことは、他に誰かに話したりした?」 いきなりの渡米を、僕だけに打ち明けて行っちゃうつもりなんだろうか。 まさかなと思って様子を伺っていると、越前は少し考えた後頷く。 「部長には、打ち上げの前に言ったけど」 「手塚に?」 「うん。さすがに部長には言っておこうかなと思って。 そしたら明日、皆で集まる時にちゃんと言えって説教されたよ」 「そう、なんだ」
手塚は先に知っていたんだ、と考えてハッと気付かされた。
『お前にしか頼めない。越前のこと送ってやってくれ』
そうか。 ようやくあの言葉の意味がわかった。 手塚は越前に渡米することを知っていたからこそ、僕に送って行ってくれと頼んだんだ。 面倒ばかり掛けた後輩だったけれど、最後に一生懸命だった恋を叶えてやろうと思ったのだろうか。 チャンスを与えてやろうと思って、あんなことを言い出したに違いない。
「明日か。君がいなくなるとわかったら、皆さぞ騒ぐだろうね。 きっとその後は送別会に」 「俺は皆とよりも、先輩と一緒にいたいよ。残された短い時間、不二先輩に全部使いたい」 「そういうこと言うもんじゃないよ」 「なんで!?こんな時でも俺のお願い聞いてくれないんだ。やっぱり俺のことなんて」 「そうじゃないって……」
僕に縋っている越前の指を一本一本剥がしていく。 拒否しているからじゃない。 ここで終わりにしない為だ。 でも越前は悲しそうに僕の顔を見ている。
「そうじゃないのならなんで?わかんないよ、全然。俺のことが嫌なんじゃないかって、そうとしか思えない」 「そりゃ嫌だよ。思い出なんかで済まされるような関係はいらない。だから君の思い通りにしてあげない」 「え?」 顔を上げた越前の頭を、そっと撫でる。 そして優しく言い聞かせる。
「これっきりの関係で、君は本当に満足なの? 体を繋ぐことが出来たら、簡単に気持ちを区切ることが出来るの? その後、僕が恋人を作っても気にならないって言うんだ」 「まさか……そんな訳ないじゃん」 「だったら!最後なんて弱気なこと言わないで、向こうに行っても変わらないって、その位のこと宣言したらどうなの。 僕が知ってる越前は、一度きりなんて言わないで全部自分のものにしようとすると思うんだ。 この先もずっと忘れさせるもんかって。違う?」 「でも」 「僕だってそうだよ。君の中で思い出なんかなりたくない」 一度離した越前の指を、今度はしっかり両手で握り締めた。
「僕が好きになった越前は、決して諦めたりしない。 だからそんな風に今夜だけでいいなんて言わないで。 生意気で人の話なんて聞かなくて、でも一途で可愛い君が大好きなんだ。 思い出じゃなくこれからも先、離れても心は繋がっていたいよ。わかる?」 じっと僕の言葉に耳を傾けていた越前は、「……うん」と目を潤ませて頷いた。
「俺もそうしたい。今日だけじゃなく明日もその先も、先輩を想って想われていたい」 「やっと自分の気持ちに気付いた?」 「うん」 今度は僕の方から越前を抱きしめた。 一回り小さな体は緊張の所為か、僅かに震えている。 落ち着かせるようにしっかり腕の中に抱き込んで、耳元で囁く。
「一回だけで終わるなんて僕は嫌だからね。 離れたって君のことを忘れない。ずっと好きだよ。 だから今はお預け。いいね?」 「はい」 良い返事をした後、越前はぎゅっと抱き付いて来た。
「本当は俺も先輩とずっとずっと繋がっていたいと思ってた。 体だけじゃない、心もそうしたかった」 「心なら、もう叶ってるよ。僕の気持ちは君と一緒だ」 「うん。だからすごく嬉しい」
安心したように越前は体を預けて目を閉じる。 そして小さく呟いた。
「ねえ、先輩。俺のこと好きって言ったけど、いつからなの?」 「さあ」 「そうやってまた逸らかす」 「いいじゃない。だって僕だってわかんないんだから」
気付いたらもう、この生意気な後輩に夢中だった。
こんな滅茶苦茶な迫り方する子、他にいない。 これだけ僕を好きだという子も、きっとこの先現れることは無いだろう。
だから離れたって、大丈夫。 君という存在は、僕の心をいっぱいに満たしている。
これから先もずっと、ね。
家に到着して、僕はまず母に越前が泊まっても良いかどうか、それを確認した。 あっさりと母は許可は出た。 全国大会を優勝して盛り上がった気分のまま連れて来たと思っているみたいだ。 僕の以前使っていたパジャマと布団も出してくれた。 下着はどうしようかと思ったが、意外にも越前は「持ってるから大丈夫」と言う。 最初から計画してたらしい。 僕がOKを出すのも、計算済みだったのだろうか。 ここで四の五の言っても、どうしようも無い。諦めて、越前を泊めることを受け入れよう。
それから越前の家に連絡を入れさせた。 本人は平気とか言ってるけど、帰って来なかったら普通に心配するだろう。 僕の前の前で電話をさせて、両親から承諾を得るまでじっと前に立っていた。 すぐに許可は出たから、見張る必要は無かったのだけれど。 そうして僕の家に泊まることが確定してから、にこにこしている越前に告げる。
「じゃあ、お風呂先は行って?今着てるのは洗濯機に放り込んでおいて」 言いながらお風呂場へ案内する。 到着して、扉を開けた所で越前がぎゅっと僕のシャツを引っ張ってきた。 「一緒に入んないの?」 「入らないよ。僕は一人でゆっくり入りたいから。越前もそうでしょう?」 一緒になんて、とんでも無い。 今でさえ騙し騙しな理性が、一気に弾ける危険性がある。 越前の服を脱いだ姿を想像しないように、僕は目を逸らした。
「今日は話をしに来たんだよね?変なことしたら追い出すよ」
必死で訴える。実際変な気を起こしそうなのは僕の方なのだけれど、 まだ早いからと決めている以上、越前に行動を起こされるのはまずい。 なんで僕が女の子みたいなこと言わなくちゃいけないんだと思いつつ、越前に釘を刺す。 そうじゃないと越前のことだ。ここぞとばかり行動を起こしてくるかもしれない。 予感じゃなくこれは確信だ。
「しょうがないっすね……」 越前は肩を落として、浴室へと向かう。 やっぱり先に忠告して良かった、と僕は外へ出てドアをゆっくり閉めた。
入れ違いにお風呂に入って、髪を乾かしてから僕も部屋に戻った。 「先輩、お帰り」 ベッドの上では去年のサイズとはいえぶかぶかなパジャマを着た越前が、幸せそうに寝転んでいた。 「君の布団はあっちだからね」 下に引いた布団を指差す。 「わかってるよ。ちょっとどんな感じか確認しただけ」 そう言って、越前はにこっと笑う。
(まずい、この状況はまずいよ…)
別の部屋にするのも不自然かと思い、ここに布団を引いたけれどやっぱり危険かなあとため息をつく。 それは越前という意味だけじゃない。 彼が迫ってきたら、僕の方でもうっかりそのまま流されてしまいそうだからだ。 拒絶出来る自信が無い。 部屋に二人きりという状況に加えて、越前の格好もまずい。 大きさの合わないパジャマから覗く鎖骨が妙に艶かしくて、ごくっと唾を飲み込む。 「先輩の部屋、初めて入ったけど綺麗に片付いてるね」 「そう?」 「うん。俺の部屋とは大違い」 きょろきょろ周囲を見渡す越前から、僕はさり気なく距離を取った。 ベッドにいるという格好がまずい。危険過ぎる。
(もう少し……、大人になるまで待つって決めたんだから) 早過ぎる、早過ぎるとお経のように内心で何度も繰り返す。
けれど僕の決心を崩すかのように、越前はすっとベッドから降りた。 「先輩」 「越前?」 近付いてきた気配に、どうしようかと考えている間に越前はパジャマのボタンを外し始める。 「ちょっと待って!?何してんの!」 叫びを無視して、越前はとうとう肩に掛かっていたパジャマを脱ぎ捨てる。 「ねえ。俺の体じゃそういう対象になんない?」 仁王立ちをして、そんな驚くようなことを口にする。 「……話をするんじゃなかったの。これ、どういうことかな」 越前をなるべく見ないようにして、冷静な声を必死で出す。 無防備な彼を前にして心臓がばくばく音を立てるのがわかった。
「話ならしてるよ。すごく重要なことをね」 「だったらパジャマ着てよ」 「ヤダ」 「あのねえ、変なことしたら追い出すって言ったよね」 「じゃ、追い出せば」 「越前」 真剣な目で、越前は言う。
「俺は先輩のことが好きです」 真っ直ぐに、射抜くような目をして。 ずるいと思う。 動けなくなってしまうよ。
「俺は先輩にとって手を出す対象にもなんない?全然?今日ははっきり聞きたいんだ。 でもちらっとでも、してもいいかなと思えるなら…」 少し顔を赤くして、続きを言う。 「抱いてよ。エッチなこと、俺は先輩としたいと思ってるから。 して下さい」 「越前」
いつもと雰囲気の違う彼に、戸惑ってしまう。 何か変だ。 好きだ好きだと言ってぶつかって来るけど、こんな顔はしてなかった。 どこか辛そうな、覚悟を決めたような目をしている。 やっぱり変だよ。
「今じゃなくちゃ、駄目なの?」 僕の問いに、越前はこくんと頷く。 「じゃあ、僕の考えを言うね」 「うん」 「僕はもう少し出来れば君が成長してからならいいって、考えているんだけどね」
正直に自分の気持ちを話した。 嫌じゃない。むしろ大歓迎だ。 けど越前に手を出すのには早過ぎる。 12歳、まだ子供。 大事に大事にしておきたい。 そう思ってるだけだ。
なのに何故か越前は、ぽろぽろと目から涙を零し始める。
「え、越前?」 「もういいよ……。先輩は俺を拒否したいんでしょ。 だったらハッキリ言えばいい。綺麗事で誤魔化さないで」 「言い訳に聞こえたかもしれないけど、本当にそれが理由なんだって!」 「いいよ、もう」
話し掛けてもいやいやと首を振って、越前は背を向けてしゃがみ込んでしまう。 思い通りにならなくて不貞腐れる辺り子供だなあ、と呑気に思った。 って、そんな場合じゃない!
「越前、ちゃんと聞いて」 「触んな、もうヤダ」 肩に触れようとした手を払いのけられてしまう。 床に投げ出されたパジャマを拾って、越前はそれに隠れるようにして泣き始める。 「ちょっと、待って。越前、泣かないでよ」 「うるさい」 しゃくり声を上げて、更に泣いてしまう。
(どうしよう……)
困り果てて僕は両手で顔を覆った。 わからない。 今は駄目だと言ってるだけなのに、何故待ってくれないんだろう。 もう一度、声を掛ける。
「ねえ、越前」 「……」
無視された。 でも負けていられない。 背中越しに話を続ける。 「そんなに焦ること無いじゃないか。 卒業したとしても高騰部はすぐ隣だから、いつでも会えるよ。 慌てなくても時間は沢山あるんだから、待っててよ。ね?」 「先輩にはわかんないよ」
それまで沈黙していた越前が、やっと口を開く。 「え?どういうこと?」 「絶対わかんない」 すん、と越前が鼻を啜る。 彼がここまで弱気な発言をするのは始めてで、驚かされる。 何か理由があるんだろうか。
「わかんないって思っているのなら、教えてくれないかな。 言ってくれなくちゃ、僕だってどうすることも出来ないよ」 必死で訴えてみる。 何か悩んでいる、その理由を知りたい。 「ねえ、越前。どうして今じゃなくちゃ駄目なのか、ちゃんと聞かせて? お願い。このまま帰すことなんて、出来ないよ」 「……」
何度目かの催促の後、越前はようやくこっちを向いた。 目は伏せたままで、重い口を開く。
「俺、三日後にアメリカへ戻ることが決まった」 「え?」 「だからチャンスは今日しか無いって思った。 時間なんて沢山ないんだよ、先輩」
冗談でしょ?と笑おうとして失敗する。 越前の目からまた涙が流れたのを見て、本当だとわかったからだ。
打ち上げが終わる頃、僕は体にもたれたまま眠る越前を起こし始めた。 お腹がいっぱいになったから、睡魔に襲われたのだろう。 静かになったなと思った瞬間、もう寝ていた。 疲れているから、とそのままにしておいたのだが、もう帰る時間だ。 眠り続けている訳にもいかない。
「おーい、越前。起きて。もう帰る時間だよ」 「……」 ぴくりともせず、越前はぐっすり眠ってしまっている。 「あー、おチビ寝ちゃってるね」 様子を伺いに来た英二が、面白そうに越前の頬を突く。 が、反応は無い。 「英二、止めなよ」 「なんで?これで起きるかもしれないのにー」 「そういう起こし方は感心しないな」 ストップを掛けると、英二はあっさりと引いてくれる。 やれやれ。 無理矢理起こされたら、誰だって不機嫌になるだろう。 出来れば今日はこのまま気分良くお開きにしたい。 もう一度僕は根気良く越前に優しく呼び掛けてみた。
「越前、帰るよ。さあ、起きて」 「……んっ」 一瞬、薄目を開ける。 おっ、と思った瞬間、また目を閉じてしまう。 「起きないねえ、おチビ…」 「うん」 「子供って、なかなか起きないんだよなあ」 くすくす笑う英二に、笑い事じゃないんだけどと眉を寄せた。 困った。 このままじゃ帰れない。
「不二!」 「あ、手塚」 いい所に来てくれた。 手塚が越前に声を掛けたら、起きるかもしれない。 『グラウンド20周だ!』とかね。うん、いい提案だ。
「手塚、あのさ」 「お前にしか頼めない。越前のこと送ってやってくれ」 先に手塚から宣告されてしまって、僕は提案を出し損ねた。 「え?」 「起きないないんだろう?頼む。こいつはまだ小さいし、ちゃんと家まで到着するか見届けてやってくれ」 「でも、僕は越前の家も知らないし」 手塚の意外な言葉に驚きながら、もごもごと言い訳をする。
なんでいきなり越前の味方をするようなこと、言うんだろう。 今まで散々手を焼かされて、困っていたはずだ。 部活中は、僕と一緒にさせると色々面倒だからと結構メニューを被らないようにも気をつけていた。 一体、どういう心境の変化だ。 むしろ桃辺りに越前を押し付けるかと思ったのに。 なんで、僕なんだ?
「地図なら、あるぞ」 「え、地図?」 聞き返すと、手塚はノートを破ったようなものを差し出して来た。 見るとその字は乾のものだ。 わざわざ書かせたらしい。 ここから越前の家までの順路が丁寧に書かれてある。
「頼んだぞ、不二。荷物だけは後で桃城に届けるよう段取りは付けてある。 だから安心しろ」 「あ、ちょっと」
引き止める前に、手塚はそそくさと退散してしまった。 桃に荷物を預ける位なら、本人も一緒に届けるようにしてくれればいいのに。 その桃はもうこの場にいない。 先輩へ挨拶無しに先帰ったのか。なんて奴だ。
「じゃあね、不二。頑張ってねん」 「お疲れ様、不二。越前のこと頼むな」 「英二に大石…。二人共、僕のことを置いていくつもり?」 気付いたら皆帰り支度して、ほとんど残っていない。 僕は完全に出遅れてしまったようだ。 「不二だけに押し付けるのは心苦しいが、手塚が頼んだことだろう? 口出し出来ないよ」 「そういうこと。おチビのこと、最後まで面倒見るんだよ」 「ちょっと!」
薄情な二人もさっさと店から出て行く。 呆然としてる僕に、タカさんが笑って近付いて軽く肩を叩く。 「不二、大変だろうけど越前のこと送ってあげなよ。きっと喜ぶと思うんだ。 今日の試合頑張ったんだから、ご褒美だと思ってさ」 「タカさんまで…はあ、わかったよ」 しょうがない。腹を括るしか無いようだ。 「越前、帰るよ。ほら、立って」 「う、〜ん」
むにゃむにゃ言う越前を僕とタカさんと二人掛かりで立ち上がらせて、 靴を履かせる。 そして背中に抱える格好を取らせて(足はずるずると引きずることになるが、仕方ない)、 外へと出た。
「気をつけて帰ってね、不二」 「うん、今日はご馳走様でした」
タカさんに手を振って、歩き始める。
青学の優勝を決める大変な試合をして疲れているんだから、仕方ない。 頑張って越前の体重を受け止めながら、前に進む。
(途中で起きたりしないかなあ。この格好、かなり不審だよね……)
15分ほど歩いた所で、越前の体がずり落ちそうになるのに気付いて一旦立ち止まる。 体勢を立て直すにしても、どうしたものか。 もう一人誰かいればなあ、と四苦八苦していると油断した所為で越前の体が滑っていく。 落ちる!と思った瞬間、越前の手がぎゅっと僕の腕を掴む。
「越前?」 「……」 「起きているんでしょ」 「……」 「じゃあ、このまま落としちゃおうかな」 「駄目!」 腕を掴む手をはがそうとした所で、慌てて越前は声を出した。 そしてちゃんと自分の足で立つ。 背中に掛かっていた重みが、消えた。
「ごめんなさい。先輩に引っ付いていられるかと思ったら、嬉しくって起きたこと言い出せなかった」 「しょうがない子だね」 こつん、と額へ軽く拳をぶつける。 「ほら、家までは送るけどここからは自分で歩いて帰るんだよ」
背負ったりはしないが、家までは見送るつもりでいた。 手塚に言われたからだけじゃない。 僕がそうしたいと思ったからだ。 そうしないと、心配でしょうがない。 何かあるかもしれないと気を揉むよりも、家に入るのを見届ける方が楽だ。
「ううん。送らなくても平気っす」 意外なことに、越前は僕の申し出を断ってきた。 「越前?でも夜道だし、危ないよ」
中身は誰にも負けない位の強さを持っているけれど、 見掛けは可愛い越前を放って帰るなど、恐ろしくて出来ない。 今の時代、男の子だからって安全とは限らない。 なのに越前は頑なに、首を横に振る。
「あのね、越前…」 どうやって説得すればいいんだろう。 考える僕に、越前は顔を上げてきっぱりと告げる。
「家には帰らない」 「え?」 「だから先輩の家に泊めてよ。お願い!」
正面から抱きついてきて、シャツをぎゅっと握り締める。
そんなの、駄目だよ。 ちゃんと帰らなくちゃ、家族が心配する。 頭の中ではそう言うべきだとわかっていても、口が動かない。 いつになく真剣な越前の表情に、何も言えなくなってしまう。
「これを最後の我侭する。もう二度とこんなこと言ったりしない」 「越前」 「先輩の家に、泊めてよ」 越前の体を突き放すことが、どうしても出来ない。
『冗談だよ』といつもの様に笑ってくれたらいいのに、 越前はずっと切羽詰ったままの表情で、今放しちゃいけないって気分にさせられてしまう。
一分考えてから、結局僕は「いいよ」と言ってしまった。
怒涛の全国大会が、ついに終わりを迎えた。 青学が優勝を決めたその夜、テニス部全員でタカさんの家へお邪魔させて頂いた。 一旦は断ったのだが、タカさんのお父さんが熱心に誘うものだから最後には折れる形になった。 美味しいお寿司を頂いて、皆で今日の勝利を祝い、はしゃいだ。
「やっぱりタカさんちの寿司は最高っすよ」 「そうっすねー」 「おい、桃に越前。もっとゆっくり食べないとのどに詰まるぞ」 「平気っすよ、この位。なあ、越前」 「それより全然足りないっす」 「お前らな…」
大石の注意も聞かず、二人はひたすら食べ続けている。 あそこだけ、何か別の空間が出来ているみたいだ。
(すごい食欲。でも身長に反映されないのはどうしてだろう)
離れたテーブルから僕は、次々とお寿司を口に運ぶ越前を眺めていた。 軽く30は食べているはずだ。なのに、まだお腹は満たされていないらしい。
「不二〜、また新しいお寿司出してくれたってさ」 「あ、僕はまだわさび寿司があるから」 「……あ、そう」 一言だけ言うと、英二はお寿司の奪い合いに参戦しに行った。 何故かこのわさび寿司だけは誰も欲しがらないので、ゆっくりと味わうことが出来る。 それを齧りながら、また越前に視線を向けた。
(あ、こっち見た)
僕が見てるのに気付いたのだろうか。 それまでお寿司に夢中だった越前が、顔を上げる。 そしてにこっと、可愛い笑みを浮かべる。
『不二先輩が、好きです』 何度も聞いた台詞を言う時と、同じ表情だ。
(やっぱり、全部思い出したんだろうな)
越前が記憶喪失と聞いて、もしかして僕への恋心は消えたんじゃないかと思っていた。 そうしたら、どうなってたんだろう。 二秒ほど考えて、結論を出した。 なんだ、今度は僕の方から告白すればいいんだ。 記憶を失ったとはいえ、越前は越前だ。 彼自身が失われた訳じゃない。 今度は僕から「好きだ」と告げて、再び恋をすればいい。 好きになってもらえる自信は、多分ある。 後は考えていた通り越前がもう少し成長するまで、待ってから段階を踏んで行こう。
前向きな気持ちになって、僕はS2の試合に臨んだ。 記憶をなくしたとはいえ、越前が見ている前だ。 相手が手塚や白石に変化してこようとも、負ける訳にはいかない。 『本気でやってよ』 準決勝で言われたことは、今も心に強く残っていて。 それがサーブ一つにも、ボールを打ち返す時も気を抜けない位励みになっている。
(例え記憶喪失になったとしても、諦めたりしない。そうだよね)
この時、僕はそう決意したのだったけれど、 S1の試合を前に越前の記憶は元に戻った。 拍子抜けしたけれど、やっぱりこれで良かったかなとも思う。
周囲を気にすることなく飄々として、自分の思うまま行動して、部長の言うことの半分も聞かない生意気な越前だけれど。 僕にだけは素直で「好き」と惜しみなく言ってくれる彼が帰って来た。 感謝しなくちゃね、と小さく頷く。
「不二先輩?何ぶつぶつ喋ってるんすか」 「あ、越前」 いつの間にか越前がすぐ隣に立っている。湯飲みを持って移動して来たらしい。
「ここ、座ってもいいっすか?」 「どうぞ」 言うなり、越前はささっと座布団に腰を下ろす。 そんなに慌てなくても大丈夫だよ。さっきまでそこに座ってた英二は、穴子を求めてあちこちのテーブルへ移動している。
「お寿司はもういいの?」 まだ騒いでる桃達の方を指差す。どこまで底なしなのか、桃の「足りねえよ」という声が聞こえる。 越前は小さく首を振って、僕の方へと少し距離を縮めて来た。
「もう十分食べたから。それより不二先輩と一緒にいたい気分なんだ」 「そう。お腹空いたらわさび寿司食べていいからね」 「いらない」 即答されてしまった。苦笑して「美味しいのに」と返す。 けど、越前は笑わなかった。
真面目な顔のまま「ねえ、先輩」と話しかけて来た。 「ん?」 「俺、記憶喪失になった時のことほとんど覚えていないんだ。 でも、一個だけは印象に残ってることがあるんだ」 「一個だけ?」 「うん」 お茶を一口飲んで、越前は膝に置いていた僕の手を取ったかと思うと、 皆から見えないようテーブルの下できゅっと握り締めてきた。 「何もわからない状態で連れて来られて、でも皆の試合見てる内に段々と思い出して行った。 そして先輩の試合になった時、すごくここが熱くなった」 もう片方の手で、胸を指す。 「覚えていないのに、この人は他の人と違って別格なんだって。 心がそう訴えているのを感じた。 そうしたら急に全部思い出さなきゃと焦って来て、桃先輩にテニス教えてって頼んだんだよ」 「本当に?」 「本当に本当っす」
こくん、と越前が頷く。
「思い出せて良かった。 忘れたままだったらきっと、心に穴が空いたままだったと思う」 「越前」 「一時とはいえ、先輩を忘れてごめんなさい」 「謝らなくてもいいんだよ、そんな、君の所為じゃない。ね?気にしないで」
言っても越前は首を横に振るだけだ。
「俺は何があっても忘れたくなかったんだ」 「越前…」
辛そうに呟く越前を安心させる為に、僕は重ねられた手を強く握り返した。
昼過ぎから降り出した雨は、放課後になっても勢いは収まらない。 しばらく続きそうだな、と僕は窓の空を見て呟いた。
「やっぱり今日は休みだってよー。今から大石も他の学年に連絡回すって言ってた」 「そう」 とてもじゃないけれどコートに出られそうにない天気なのはわかっていたが、室内トレーニングとして部活を行うかもしれない。 確認して来てくれた英二に礼を言って、僕は立ち上がった。 「不二、帰んの?」 「ううん、図書室に寄って行く」 借りていた本を見せると、英二はちょっとだけ眉を寄せた。 「またそんな難しそうなもの読んでるー。俺は行かないからなっ。 さっきも大石となんか食べに行こうって喋ってたんだ。不二も一緒にって思ってたのにー」 「ごめん。そろそろ返却の期限が迫っているんだ。新しい本も借りたいし」 「また借りるの?本なんて読んで面白いのかよ」 呆れるように言う英二に、僕は「うん」と笑顔を向けた。 「じゃあ、また明日ね」 「あ、ちょっと待った。今日っておチビが当番の日なんじゃない?」 期待に満ちた目に、冷静に返事をする。 「さあね。誰が当番かまでは知らないし」 「本当ー?」 「何勘ぐってるの。別に越前が図書委員だからって通っている訳じゃないし」 「それもそうか。俺の考え過ぎだよねー。大体不二はおチビのこと相手にしてないし」 あっさりと引いた英二は「じゃーねー」と片手を振る。
(別に彼が当番とかは、あんまり関係無いんだよね…)
用があれば行くし、無ければ行かない。それだけのことだ。 それでも居たらちょっと嬉しいかな、と思う。 今日は部活が休みの為、顔を合わすことは無い。 こんな雨だ。用が無ければ越前は今頃帰宅している所だろう。 でもたまたま当番の日で、図書室に居たら? 運命っぽいかも、と柄にも無いことを考えて笑ってしまう。
(そんな偶然、滅多に無いか)
図書室のドアを開けて、中へと足を進める。
「あ、不二先輩」 「越前?」 驚いた。 出来すぎる偶然が、ここにあった。 越前の大きな目が僕を捉えたと思うとすぐに、たたっと駆け寄ってきた。 「先輩、一体どうしたの?俺に会いに来たとか?」 「越前…ここ図書室だよ。走るのは感心しないな」 他の生徒からの視線を受けて、僕は声を潜めて注意をした。 すると「ごめんなさい」と素直な反応が返って来る。 「嬉しくって、つい」 「次回からは気をつけてね。他の人もいるんだから」 「はーい」 小さな声で真面目に返事する越前が可笑しくって、思わずくすっと笑ってしまう。
「本の返却に来たんだよ。ほら」 持っていたものを見せると「なーんだ」と越前は小さなため息を零した。 「俺に会いに来てくれたかと思ったのに」 「君がいつ当番なのか、知らないんだけど」 「今度教えます」 「その時に来るとは限らないよ?」 「それでもいいっすよ。いつか来てくれるかもしれないって、期待して待つのは嫌いじゃない」
テニススタイルは攻撃型。 恋愛面でも積極的に動くし、びっくりするような告白もするくせに。 こういういじらしいギャップ見せる所に、くらくらしてしまう。
(ちょっと、冷静になろう…)
まだ子供、まだ12歳。今応えるには早いと言い聞かせて、何でもないような顔をして本を差し出す。 「返却お願いしてもいい?」 「うん。ねえねえ、それ返したら、また新しい本借りる?」 「一応そのつもりで来たよ」 「じゃあさ、俺も一緒に面白そうな本探してあげるよ」 「君が?」 「役に立つと思うよ。あっちの奥とかお勧めあるし」 「……」 越前が指差した方を見て、僕は顔を引きつらせた。彼の考えていることが、なんとなくわかったからだ。 「越前、人気の無い所に向かって何するつもり?」 「え、別に、先輩にキス迫ろうとかそういうことを考えてる訳じゃなくって」 「本音が漏れてるよ…」 しまった、と口を塞ぐ越前に、やっぱりなと肩を落とす。 そんな事だろうと思った。 「いいよ、一人で見てくるから」 「先輩、ちょっと待って」
腕を引っ張る越前にどうしたものかと困っていると、 「越前君!カウンターで待ってる人を放って何してるの!」 「げっ」 「さぼってるのなら、本の片付けに回る?」 もう一人の図書当番らしき女子生徒が、越前と僕の間に入って来た。 三年生らしいその子は、越前を無理やりカウンターへと引っ張って行く。
「先輩〜」 越前の声が響くが、僕は聞こえない振りをして書物の棚へと足を進めた。 見える所にいたら、また越前はカウンターを放って来てしまうかもしれない。 ここは心を鬼にするべき所だ。 他の生徒の迷惑にならないようにする為にも。
とはいえ、越前の行動が気になって仕方ないのも事実。 なのでこっそりこっそりと、棚の間からチェックすることに決めた。
早速さっきの三年の女子が、越前にお小言を言っているような場面が見えた。 ただでさえ部活で当番する日が少ないのだから、きちんとやれとか、そんな感じか。 越前は動じること無く横を向いて、説教を流してしまっている。 ここら辺りは手塚からの注意を無視する態度とよく似ている。 あ、今何冊か本を押し付けられた。 だったらこれ片付けて来てよと、そんな感じだろう。 苛々している表情の彼女に越前は何を言う訳でも無く、無視してカウンターを出て行く。 あの子の中に年功序列という言葉は無いなと、僕は確信した。 テニス部の中で我関せずと自由な行動をする越前が、ここできちんとするとは到底思えない。 一緒の当番になったのが運の尽きだと、僕はカウンターの中にいる女子に少しばかり同情をした。
「不二先輩、何してるんすか?」 「わっ、越前。なんでここにいるの」 越前のことを分析している間に、いつの間にか背後に回っていたみたいだった。 「本の返却して来いって言われたからっすよ。先輩は?面白そうな本は見付かった?」 「あー、えっと」
越前の行動ばかり見ていたから、探していなかったとは言えない。 困っている僕に、不思議そうな目を向けてくる。
「先輩?」 「まだ見付からないから、もうちょっと探してみるよ」 「そうなんだ。じゃあ、俺も」 「お手伝いは遠慮するよ。越前は図書当番の仕事をやらなくちゃ駄目でしょう」 「…はい」
先に釘を刺されて越前はしゅんとなってしまった。
(どうして、こうも僕の言葉に過剰な反応するかな) 当たり前のことを言ってるだけなのに、罪悪感で胸がいっぱいになってしまう。 これが計算だったら大したものだが、越前は吹き込まれでもしない限りそんな演技をするような子じゃない。 素の状態だから余計に困る。 何か言わなくちゃと、僕は口を開いた。
「あの、越前」 「ん?」 「その、…ここが閉まるまで待っているから、一緒に帰らない?」 思わず出した言葉に、自分でも驚いた。 一気に関係を進めるのはまずいと思って、自分から出来るだけ距離を保とうと今まで頑張っていたのに。 でも。 「本当っすか!?でもいいの?まだ時間掛かるよ」 「…うん。本でも読んで待っているから平気。途中の分かれ道までで、良かったら」 「全然、構わないっすよ」 嬉しそうに笑みを零す越前を見て、誘って良かったなと思った。
(あー、やっぱり可愛いな)
急に生き生きとして「本片付けてきます」と去って行く後姿に、緩む口元を押さえた。
越前のあんな笑顔、他の人が見たらきっとびっくりするだろうな。 今よりも、もっともっとファンが増えるかもしれない。 誰だって好きになってしまうよ。
(でも12歳……さすがに越前の望むように応えるにはまだ早いと思うんだよね)
付き合うことを承諾したら、僕だって抑えてる衝動を堪えることが出来るかどうか。 はっきりいって自信無い。 だからもう少しこのまま、付かず離れず今の時間を過ごせていけたら。 そんな風に思うのは、我侭なんだろうか。
一冊の本を取って、僕は空いている席に腰掛けた。 時折こっそり越前の様子を伺うが、今度は真面目に委員の仕事をこなしている。 そうして脱線しながら読み進めている間に、閉館の時間になった。
「雨、止んだっすね」 「本当だ。もう少し早く止んだら、…ってさすがに今日の部活は無理だったか」 越前が図書室の鍵を返しに行くのを待ってから、二人で下駄箱から外へと出た。 あんなに降っていた雨は上がって、うっすらと夕日の光が空を赤く照らしている。
「俺は部活無くて良かったかも」 「どうして?」 不要になった傘を左手で揺らしながら、越前は答える。 「おかげで先輩と一緒に帰れた。いつもはテニス出来ないから雨なんて嫌いだけど、今日は別。 恵みの雨だと思ってる」 「大げさだなあ…」
ストレートな言葉にドキっとしながら、僕は一歩先を歩いた。 越前の包み隠さない言い方にはまだ慣れなくて、その度に鼓動が早くなってしまう。 落ち着こうと無口でいる僕に、越前がくいっとシャツを引っ張って来る。
「何?どうかした?」 「いや、…もっとゆっくり歩いて欲しいっす」 「え?」 足が痛いのだろうかと慌てて振り返る僕に、 越前は真っ直ぐ視線を向けたままで言った。 「こんなに早く歩いたら、すぐお別れしなきゃいけなくなるでしょ。 出来るだけもっと一緒にいたいから、そんな速く歩かないで」 「越前…」 シャツを掴む手を緩めたかと思うと、またいつものように腰にしがみ付いて来る。
「自分では結構前向きだと思っていたけど、先輩に関すると途端に駄目になる。 今だってずっとこのまま時間が止まればいいのに、なんて考えるのって変だよね。 でもそれが正直な気持ち。今のこの幸せなままで、明日が来なくたって構わない。先輩のこと、こんな風に掴んでいたいよ」 「……」
越前の顔が赤いのは、夕陽に照らされたからだけじゃないだろう。 恥ずかしい気持ちをわかっていながらも、真っ直ぐに心をぶつけて来る。 そういう所、すごく好きだとまた思った。
だけど僕は彼より年上だから。 宥めるように越前の頭を撫でながら、そっと口を開いた。
「明日が来なくてもいい、そんな風に考えちゃ駄目だ。 今のまま止まっていたら、素敵な未来に出会うことが出来なくなっちゃうよ」 「でも、俺は」 「越前。君はある可能性のことを忘れてる」 「何それ?」 「明日か明後日か、もっと先の未来か。とにかくその頃の僕が君に好きだって言うかもしれないってこと」 「え…?」 「その可能性を捨てて、ここで立ち止まることを選ぶ?それが望みなの?」
その言葉を聞いて、越前は首を横に振った。
「ううん。先輩が俺に好きだって言う未来が待っているのなら、迷うことなくそっちを選ぶ。 だってその方が今より幸せに決まっているよ」 「うん」 「よし、明日からも頑張ろう。先輩、覚悟しておいてよ」 「お手柔らかに…本当に無茶だけはしないでね」
吹っ切れたように笑う越前を見て、僕も一緒に笑った。
(今回はちょっと焦った。相変わらず僕をびっくりさせることに掛けては、天才的としか言いようが無い…)
ずっとこのまま一緒にいられると望むのなら。 その為にも、早く成長してよね。 キスすることすら躊躇われるような幼い外見に、何度罪悪感を覚えたことだろう。
(今すぐ二人の未来にジャンプ出来たら、どんなに良いか) 越前は未だ腰に手を回したまま離れようとしない。 我慢我慢と言い聞かせてる内に、僕の額にうっすらと汗が浮かんだ。
「不二先輩、おはようございます」 「あ、おはよう越前。今日は早く来たんだね」 「はい」
ちゃんと来るかどうか手塚はずいぶん心配していたが、越前はきちんと朝練の集合時間前に登校して来た。 これならゆっくり着替えても余裕な位だ。 むしろ他の部員達が「俺、遅刻かよ!?」と慌ててしまっている。
「良かった、明日も頑張ってね」 「はい」 「…?」
越前は表情を崩さず、淡々と着替えを始める。
(やっぱり、変だ)
昨日の放課後の部活から、越前の行動は変化している。 …僕に迫ったり、抱きついたりして来ない。 これが普通というか、まともな日常なのだけれど、 いつもの勢いが無いと調子が狂うというか。 思い切って僕は越前に話し掛けてみた。
「あの、越前」 「何すか」 「どうかしたの?慣れない早起きして、具合悪いとか?」 「別に」 ウエアに着替えて帽子を被ってから、越前はラケットを取り出す。 「コートに行かないんすか」 「えっ、行くけど」 「じゃあ、お先に」 すっと僕の横をすり抜けて、越前は部室から出て行こうとする。
「あれ、なんか今日の越前静かだね」 成り行きを見守っていたタカさんが、そっと話し掛けて来た。 「どうかしたのかな」 「さあ、僕にもわからないんだ」
頭でも打ったのかなあ、と僕は真面目に心配をしてしまった。
でも、どうせ越前のことだ。 すぐにいつも通り「先輩っ!」と駆け寄って来るに違いないと、考えていた。 だってあの子は僕のことが好きで好きでしょうがないのだから。 絶対離れることは無いと、思っていたのに。
越前の不自然な行動は、それから三日も続いた。 手塚は遅刻さえしなければ文句も言わないし、それに部活中の僕に対する暴走も減ったと言って喜んでいる。 たしかに静かなんだけれど、唐突にも程がある。 越前は僕に話しかけられることさえ拒んでいるみたいで、微妙に避けている。
(嫌われちゃったのかなあ)
だとしたら、やっぱり原因はあの時の注意しか思い当たらない。
「おチビちゃん、最近不二に纏わり付かなくなったねー」 英二も気にしているようだ。 4日目になって、遠慮がちに僕へ質問して来た。 「何か理由聞いてるの?おチビのこときっぱり振ったとか」 「ううん。突然…。英二は何か彼に吹き込んだりしていない?」 「失礼だなあ。してないよ。不二に積極的に迫るように言っても、その逆のアドバイスなんてしないもん」 「そっか、じゃあ越前は自分の考えで僕を避けてるってことか」
はあああ、と大きくため息をつく。 ひょっとして英二辺りが、一旦冷たくしてみろとか言ったんじゃないかと思ったが、 見当違いだったようだ。 と、なるとやっぱり原因は前回の僕の言葉の所為だった訳で、ますます気が重たくなって来る。
「手塚が僕にあんなことを頼んだりするから」 「えっ、何々?」 興味津々で聞いてくる英二に、僕は簡単に説明をした。 越前の遅刻が多いから、僕から叱って欲しいと手塚に頼まれたこと。 言われた時、彼が傷付いていたようだったこと。 全部話し終えた時、英二は腕組をして頷いた。
「ふーん。でも不二の言ったことは間違って無いよね。 でもさあ、おチビもよりによって不二に言われてショック受けちゃったのかも」 「僕?」 「うん。好きな人に注意されて、事の重大さに気付いて落ち込んでいるんじゃないのかにゃー」 「そう、か」
越前が落ち込むなんて想像もしなかったけれど、彼もまだ12歳の子供だ。 英二の言う通りなのかもしれない。
「でも、じゃあ僕を避けているのはどうして?」 「それはー、うーんと、不二に叱られて、しばらく頑張ってみるまでは触れないでおこうと決めたとか? なんか期限決めて頑張れたら、また抱きついてもいいとか自分の中で決めているんじゃないの?」 「まさか」 「うん、俺も思いつきで言ったんだけど」 「そうだよね」 「ハハ…そんなはずは、無いと思うんだにゃー」 「ねえ」
僕と英二は顔を見合わせて、笑った。 でも否定しきれなくて、二人ともぎこちない笑顔になってしまった。
「とにかく越前に直接聞いてみることにするよ」 「うん、不二…まあ、そのなんだ。頑張って」
はっきりとした理由はここでどんなに推測しても、越前本人に聞かなきゃ出て来ない。 今日、ちゃんと話をしようと僕は決めた。
そして放課後。 やっぱり練習の間も越前は僕を変わらず避けていて。 解散と同時に、すっと避けて片づけを始める。 予想通りの行動だったので、慌てることなくその作業を見守る。 そして一段落ついた所を見計らって、思い切って声を掛けた。
「越前」 「…不二先輩、まだ帰って無かったんすか」 帽子を深く被って目を逸らす。 やっぱり間違いなく越前は僕を避けている。 今までは過剰な程引っ付いて来たのに、触れることも無く会話すらしようとしない。
「ちょっと話がしたいんだけど、今いいかな?」 さり気なく越前の腕に触れると、びくっとなった後いきなり振り払われる。 「越前?」 「すみません。俺に触ったら先輩に風邪がうつると思ったから」 「風邪!?さっきまで元気に駆け回っていたけど、風邪引いてたの?」 「えっと、多分」 「越前…」
嘘だな、と僕はため息をついた。 そして今度は逃げられないようにと、素早く腕を取った。 「先輩放して、病気がうつったら大変」 「嘘なんでしょ。そういうのは好きじゃないなあ」 途端に越前は大人しくなる。 その隙に彼をコートから連れ出して、人目の無い所へと移動する。
「一体この間からどういうつもり? 僕に対して何か怒っているなら、はっきりと言ってくれないかな」 掴んだ腕はそのままにして問い詰めると、越前はしょんぼりと項垂れてしまう。 「先輩に怒ったりなんてしてないよ」 「じゃあ、なんで僕を避けてたりしてたの。今まであんなにべたべたして来たくせに、急に態度を変えるとどうかしたのかなって思うよ。 理由、聞かせてもらえる?」 少し屈んで越前の目線に合わせて尋ねると、仕方なさそうに頷くのが見えた。
「先輩を避けていたのは…」 「うん」 「近くに寄ったら抱きつきたくなるからっす」 「は?」
間抜けな声が出てしまった。 ぽかんとしている僕に、越前は言い辛そうに口を開いた。
「この間、遅刻するなって怒られたよね。 今までは真面目に聞いて無かったけれど、不二先輩に言われて目が覚めた。 別に罰として走っているんだからいいでしょって思っている所があった。 周囲がどう思おうと俺の勝手だって。 でもそれじゃ駄目なんだって、やっとわかったよ」 「そう」
今の話は手塚には聞かせられないと思った。 あれだけ説教してて、まるで通じていなかったらしい。 僕の言葉だけしか届かないのかと思うと、可笑しくて脱力してしまう。
「頑張って早起きするのは当たり前だけど、それだけじゃ今までの自分を悔いるには不十分な気がして。 それで罰としてしばらく先輩に触れることを禁じようと思った」 「へえ…」
英二の言ったことはほぼ当たっていたようだ。 全くこの子は。 やる事滅茶苦茶過ぎて、ついて行けない。
(でもそういう所も可愛いけどね)
口には出さずに、僕は微笑んでみせた。 越前は顔を赤くして、反対側へ逸らしてしまう。
「それでいつまで僕に触れるのを控えるつもりだった?」 「とりあえず一週間は頑張ってみようと思ってた。 でもこんな、先輩から触れられたらまた最初からやり直しじゃん」 不満そうに呟く。 それでさっき僕の手を思い切り振り払ったのかと納得する。
「これから一週間、また僕を避けて過ごすつもり?我慢出来るのかな?」 少し意地悪な気持ちで聞いてみると、越前は困ったように首を小さく横に振った。 「我慢するのは大変っす。側にいると抱きつきたくなるから、わざと避けてたんすよ」 「じゃあ、また辛い日々の始まりだね。それでも頑張るの?」 「だって」
少し泣きそうな顔をして、越前はこっちを向いた。
「先輩に叱られてやっとわかるような俺って、なんかすごく駄目な奴じゃないっすか。 だからそれ位しなきゃ、いけないんだって思った。 失望させた分頑張るから、俺のこと嫌いになんないで」 「……」
言いながらも越前はこっちに触れないよう堪えている。 前だったら抱きついて縋って訴えている所なのに。 少しずつ成長してるんだって、思い知らされた。 そして僕に対する一途な気持ちも。 失望なんてするはずない。 それよりも、むしろ…。
「嫌いになんかならないよ」 越前の帽子にもう一方の手を置いて、優しく撫でる。 「一生懸命なのはわかっているつもりだからね。 だから無理しなくても、いいんだ」 「でも」 「言ったでしょう。急に態度を変えられて、僕だって戸惑っているんだ。 だから越前の好きなようにすればいい。 我慢してる姿を僕だって見たくないよ。ほら、おいで」 「…先輩!」
頭をぐっと引き寄せると、越前は簡単に戒めを解いて僕の胸に飛び込んで来た。 「やっぱりこうしていると、落ち着く」 「ほらね。バカなことを考えたりしないで、いつも通りでいいんだよ。 勿論遅刻は駄目だけど。ちゃんとしてたら、僕だってあんな事言ったりしないから」 「うん。わかった」 うっとりしながら僕の胸に頭をこすり塚ながら、越前は頷いた。
(やれやれ。これで問題は解決か)
全く、越前はいきなり何をしでかすかわからない。 でもやっぱり僕には素直で、可愛いなと思ってしまうから仕方ない。
「先輩の匂い。このまま持って帰れたらいいのにね」 「それは、ちょっと無理かな」 「じゃあ、この汗の染み込んだシャツ貸して下さい。きっと洗って返すから」 「なんでそんなもの必要とするのか聞いてもいい?」 「それは夜に先輩のことを想う時、色々必要なんで」 「……悪いけど許可出来ないよ」
かなり振り回されているけど、やっぱりこの子のことが好きだから。 この先も何度も驚かされる覚悟はしておくべきだろうと、僕は思った。
「不二、ちょっと来てくれ」 手塚に呼ばれて、僕は何の用だと思いつつ、足を運んだ。 「何?手塚」 「越前のことだが」 「越前?」 手塚は腕組をして、神妙に頷く。 「あいつ、また最近遅刻しているだろ。レギュラーだというのに不謹慎だと思わないか」 「そのことね」 僕は頷いた。 一時期は真面目に朝練に来ていたが、ここの所またちょくちょくと遅刻している。 やはり彼にとって早起きは苦痛なものらしい。 しかしレギュラーが遅刻というのはまずい。 実力があるからとはいえ、やるべきことを疎かにするのは他の者にも示しがつかない。 手塚もそのことを心配しているのだろう。 ただでさえ越前は二年生達辺りから反感を買っているのだから、 遅刻一つとっても文句を言われないよう行動するべきだ。
「そこでだ、不二」 手塚が僕の肩にぽんと手を置く。 嫌な予感に身を引こうとするが、ぎゅっとジャージを握られてしまって逃げられない。 「何、何なの」 「お前の出番だ。越前に遅刻しないよう、注意してやってくれ」 「どうして僕がそんなこと言わなくちゃいけないの。部長である君の仕事だろう」 身を捩ってなんとかこの場から脱出しようが、手塚は必死になってもう一方の手も使ってすがって来る。 「頼む!俺が言っても『どうせ走ればいいんでしょ』と最近じゃ罰にもなっていない。 だがお前から言われれば、かなり効き目があると思う」 「そんな無茶苦茶な」 「じゃあ、このまま放っておいていいんだな。後輩の将来が心配じゃないって言うんだな」 「そういう言い方はずるいよ…」
僕だって、彼のことを気に掛けている。 このまま遅刻し続けて、部に居辛くなったら。 最悪レギュラーから外されることだってあるかもしれない。
「はあ、わかった。一度だけ言ってみる」 「そうか。頼むぞ、不二」 嬉しそうに言う手塚に、黙って息を吐く。
(気が重いなあ)
でも手塚が僕に頼ってくるってことは、相当切羽詰まっているのかもしれない。 実際、なんであいつレギュラーなのに遅刻してくるんだよ、な空気も流れてるのも感じたこともある。 三年生はしょうがないなあって感じで見ているけれど、二年生辺り(桃と海堂は別でね)が不満を抱えている。 このままで行くのはたしかにまずい。
そして案の定。 今日の朝練習にも越前は遅刻して来た。
「不二、頼むぞ」 「わかってるよ…」 「越前!ちょっとこっちに来い」
グラウンドを走り終わった越前を、手塚が大きな声で呼ぶ。
「あっ、不二先輩!」 呼んだ手塚のことは無視して、駆け寄ってくる。 あーあ、と思ったが越前は止まらない。
「不二先輩、おはようございますっ!」 元気良く挨拶しながら突進して、そして僕の体にしがみ付いた。 この間もすぐ隣にいる手塚は無視だ。
「おはよう、越前」 言いながら僕はさりげなく腰に回している越前の腕を剥がした。 手塚のこめかみがひくひくと動いているのが見えたからだ。 これ以上怒らせない方がいい。ふざけた態度(越前は真面目なのかもしれないけれど、余計に悪い)は取るべきじゃない。
「越前。不二がお前に話があるそうだ」 手塚は前を向いたまま、不機嫌そうに声を出す。 怒っているかなんてわからない越前は、ぱっと顔を輝かせて「先輩が俺に話?何すか?」と期待に満ちた目を向けて来た。
(言い辛い…)
絶対誤解しているよこの子。 そう思いながら、僕は言うべき言葉を考える。 じれったくなったのか、手塚がこそっと僕のジャージを引っ張る。 わかったから、ちょっと待っててくれないかな。
「あのね、越前」 「うん!何?愛の告白ならいつでも受け入れOKだから」 「そう、じゃなくて…。君、今日も遅刻してたよね」 「あっ、うん。その、不二先輩のことを考えてたら、なかなか寝付けなくて…」 恥じるように越前は俯く。
(え、寝る前にも僕のこと考えていたの?)
衝撃の告白に、体が硬直する。 一体何を考えていたのだろう。 無いとは思うけれど、エッチなことだったらどうしようと、何故かこっちが動揺させれられてしまう。
「不二」 「あっ、えっと」 手塚の声に、僕は我に返った。いけない、越前に注意することを言わなければ。
「言い訳はともかく、遅刻しているのは君位だよ。ましてやレギュラーがそんな態度じゃ、他の人に失礼だと思わない?頑張って、早起きしようよ」 「………」
越前は顔を上げて僕の目を見た。 驚いたように見開かれた瞳は、どこか傷付いているようで。 今更ながらこんなことやっぱり引き受けるんじゃなかったと思った。
「これからは、気を付けます」 越前は帽子を深く被り直し表情を隠してしまう。 「そうか、不二の言うことをよく聞くんだぞ。わかったら、行ってもいい」 「っす」 満足そうに言う手塚に、ぺこっとおじぎをして越前はコートへと走って行ってしまった。
「俺の時とは態度がかなり違うな。やはり不二に頼んで正解だった」 「…そう」
確かに遅刻続きはよくないことだ。 だから注意するのは当たり前のことで、手塚に頼まれたことを言っただけで、僕は何も悪くない。
そうは自分に言い聞かせても、何故か胸が痛んだ。
(僕に言われたことが、相当ショックだったのかな)
傷付いたような越前の顔。 朝練が終わっても、昼休みになっても。 なかなか僕の頭から離れなかった。
そして。 放課後の練習になって、コートに行くと越前はもう来ていてストレッチをしている所だった。 「やあ、早いね」 「はあ…」 いつもなら、「不二先輩ー!」と抱きついて来るのだけれど、 越前は柔軟した姿勢のまま立とうとしない。
一瞬、(どういうこと?)と違和感に首を傾げる。 越前に確かめようかでもそれも変かと迷っていたら、後ろから英二に呼ばれてしまった。 「不二〜。柔軟付き合ってよ。早く〜」 「はいはい。ちょっと待ってよ」 それでその場は立ち去ったのだけれど、 本当はこの時に確認しておくべきだったのだ。 越前が何を考えて、何を密かに決意していたか。
翌日から、僕は嫌と言うほど実感することになる。
それは放課後の部活へ行く途中。
「あの、不二先輩」 僕の名前を呼ぶ女の子の声に、足を止める。 「不二。俺、先に行ってるから」 一緒に歩いていた英二は、そう言ってスタスタ歩き出してしまう。 女の子の表情を見て、ぴんと来たようだ。 僕だって鈍感じゃない。 部室へ行く途中の、少し生徒の数が少ない場所。 そして顔を赤くしてる女の子の表情。
「あの、何かな?」 黙ったままだと話が進まない。 だからこちらから、そっと尋ねてみる。 聞いた所で返す言葉は決まっているけれど。 それでも最後まで聞くべきだろう。 勇気を振り絞って、ここで僕を待っていたこの子の為にも。 「わ、私ずっと前から先輩に憧れていて!」 「うん」 「練習とかもこっそり見学に行ったこともあります! 先輩のテニスしている姿はすごく素敵で、なんだか感動しちゃいました」 「それは、ありがとう」 にこ、と笑顔を浮かべると、女の子は更に顔を赤くする。 一瞬下を向いた後思い切ったように顔を上げて、そして言った。 「その時先輩のことを、好きになっちゃったんです。 どうしても気持ちを知って欲しくて…その、突然呼び止めてすみません」 「ううん。それは、いいけど」 恐縮している女の子に、片手を振って気にしていないということを伝える。 「良かった。やっぱり不二先輩は優しい人ですね」 「そうでも無いけど」 「え?」 「あ、いや。こっちの話」 笑って誤魔化す。 実際言われるほど優しいとは、自分のことを思っていない。 英二なんかには、好き勝手やってるとまで言われている位だ。 なのに周囲は勝手に、優しいという評価を下すから不思議だ。
(そろそろ返事しようかな) それとも明日の方がいいかもしれない。 告白してくる子の中には、よく考えて下さいとお願いする場合もある。 考えても、返事は同じなのだけれど。 やっぱり真剣な気持ちには、こちらもある程度は応えてやりたいと思っている。 さて、どうしよう。 女の子の顔をもう一度よく確認しようとした瞬間、僕は凍りついた。
「ええええええ!?」 「不二先輩?」 僕の奇声に、女の子がびっくりしたように仰け反る。無理も無い。 「あの、ごめん。ちょっと、その…」 こちらもまだ動揺中なので、上手く言葉が出て来ない。 僕が驚いたのは、女の子の背後の壁から覗いてる顔の所為。
(…間違いない。あれは、越前だ)
出したかと思えば、引っ込んで。またこちらを伺っている。 越前リョーマ。同じ部の後輩。 ただの後輩というだけじゃなく、少し前から彼に「好き好きコール」を僕は受けている。
(まずい所見られたな)
すぐに僕は、目の前の女の子の安否を心配した。 『ここで練習してたら、手が滑ったー!』と越前がわざとらしい事を言って、ツイストサーブをぶつけくる可能性を考える。 (あの目は、それ位怖かったよ!) 恨みがましいじっとりとした目線に、体が震える。
「不二先輩?どうかしたんですか?顔色が悪いみたいですけど…」 何も知らずに、女の子は僕の心配をしてくる。 「全然平気だから!」 越前にも聞こえるように、叫ぶ。 「それより返事なんだけど、今しても構わないかな?」 「え、ええ」 気迫に飲み込まれたらしく、こくっと頷くのを確認して声を出す。 「悪いけど、今は付き合うとかそういうことを考える余裕が無いんだ。 だから君の気持ちには応えられない…ごめんね」 最後まで言うと少し泣きそうになる。 そして、 「話を聞いてくれてありがとう、ございます」 スカートを翻して、行ってしまった。
(なんとか怪我人を出さずに済んだ)
あの子の気持ちを考えて、もっとゆっくり返事するべきかもしれないが、 今はそれどころじゃない。
「越前…そこにいるんだろ。見えてるよ」 壁の向こうに呼び掛けると、バツが悪そうに越前がひょこっと顔を出した。
「なんだ、気付いてたの」 「気付かせるように、思い切りこっち見てたよね!? もしかして、僕のことを見張っていたとか?」 「人聞きの悪い。部室行こうとしたら、たまたま通っただけです」 そう言って越前は胸を張る。 「だったら知らない振りして通り過ぎてくれればいいのに。立ち聞きはよくないよ」 「出るに出られなかったからしょうがないじゃん」 「こっちの様子を何度も見ておいて?それに視線に怨念も篭っているように感じたけど?」 「先輩に怨念なんて飛ばしていないよ。あっちの人には『さっさとどっか行け』と念じてたけどさ」 「……」 やっているんじゃないか、と僕は額に手を当てた。 でも、まあ。 「ボールをぶつけなかっただけ、マシか」 「酷い。先輩、俺のことそういう目で見てたの?」 越前はむくれた顔で、僕の袖をくいっと引っ張る。 「そういう目も何も、君はいつも好戦的じゃないか」 具体的にケンカをしたことを例に挙げると、気まずそうに目を逸らす。 ほら、だから心配だったんだ。 もし誰かを怪我なんてさせたりしたら、越前のことを悪く言う人が沢山出てくる。 それを回避する為にも、急いであの子の告白を断った…なんて言わないけど。
(まだまだ、君の気持ちに応えるには早いよ)
大体、大騒ぎしながら「好き」という段階じゃ、本気かどうかも怪しいものだ。
ため息をつく僕に、越前がぼそっと呟く。
「でも、さっきの人にボールをぶつけようなんて思わなかったよ」 「本当かな?」 「むかつくけど。先輩に告白するのは自由でしょ。 俺だけが先輩のことを好きでいればいいと思うけど、そんなの絶対無理だし」 困ったように、越前は眉を寄せる。 「なんかすごいこと言うなあ。 自分だけが好きでいればいいって…越前って結構独占欲強い方?」 「普通だよ。好きな人が誰かに告白されているのを見るのは、やっぱり辛いよ」
最後の何気ない言葉に、びっくりさせられる。 越前の中に本気を垣間見た気がした。 軽く「好き」というけれど、ちょっとずつ変わっていっているのかもしれない。
「だから世界で俺だけが先輩のこと好きでいればいいなって、たまに思う」 「そう、なんだ」 「そうだよ。他の人達なんて上辺ばっかりで。 先輩が優しいとか、格好いいとか、そんなんで告白してきてさ」
ふと浮かんだ好奇心から、僕は越前に尋ねてみた。
「じゃあ、越前は?上辺だけじゃないってこと? 僕のどこを好きになったって、そういえば聞いていなかったけど」 「俺?」 大騒ぎした告白された為、内容を今まできちんと確認していなかった。 越前は、僕のどの辺を好きなんだろう。 すごく興味がある。
「俺は、やっぱり、あの雨の日の試合が切っ掛けっすね」 「じゃあ、テニスが強いからってこと?」 「ううん、違う」 きっぱりと、越前は否定する。
「強いだけだったら、他にも…あんまり認めたくないけど、いるよね。 先輩を好きになったのは、テニスの実力とは関係ないから」 「うん」 越前の真剣な様子に、僕は頷いた。 あまり人と関わるのが面倒な子なので、テニスの強い人以外は興味無いのかと思っていた。 でもそれは勘違いだったようだ。 勝手にイメージを持って、決め付けていたことが気まずくて、越前から微妙に目を逸らした。 気付かないまま、越前は話を続ける。
「不二先輩っていっつも余裕っぽい顔をして、そつなくテニスしているけど、 あの時、少し本気になったよね。 顔もなんか、怖くて。でも真剣になっていくほど、先輩とのテニスが楽しくて。 ゲームが終わっても、先輩にあんな目を俺に向けて欲しいと思った。 この人に本気で好きになってもらえたら、他に何もいらなくなる位の人生がきっと送れるって。 そんな風に気付いたら、もう夢中になっていました」 「越前…」
いつもとは違う静かな口調に、少し感動してしまう。
(結構、真剣に考えてくれているんだな)
もっと早く、二人きりでこんな告白をしてくれていたら。 初めからOKしてたかもしれないのに。 なんで、あんなコートの真ん中で滅茶苦茶な告白してくるんだろう。 越前らしいといえば、らしいけど。
全部言ってしまって照れたのか、越前の顔が赤くなる。
それがすごく可愛くて。 思わず、肩に手を触れようとする寸前。 越前は、突如顔を上げて捲くし立てる。
「それにしたって、先輩に告白してくる人の数多過ぎ!中には他校の人もいるって聞くし!」 「…よく知ってるね」 「それもこれも先輩が格好いいから、悪いんだよ!目を離したら悪い虫がつきそうで、心配になってきた。 どうしよう。明日から登下校、休憩とお昼休みとどこに行くにも引っ付いた方がいいかな。 そうしたら告白しようって奴も減るかもしれない!」 「……」
少し大人になったかと思えばこれだ。 (やっぱり変わりないか) 登下校って、朝起きること出来ないでしょうと突っ込むことさえ面倒だ。
「先輩は俺にだけ好かれていればいいの。 これからはそう言って、断って下さい!」 「無茶苦茶だよ…越前」
やっぱりまだ恋をするには早いみたいだ。 素早く僕は結論を出した。 一年は無理でも…三年でなんとかならないだろうか。
「俺以外はいらないと断れ」と纏わりつく越前を笑って軽く流す。 「それより早く行かないと部活始まるよ」 今度こそ僕は部室へ向かって歩き出した。
チフネ
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