チフネの日記
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2008年08月15日(金) 不器用な僕ら(跡リョ)

1 リョーマの視点


5分前から、会話が止まってしまった。

なんか、怒らせたみたい。それはわかる。
に、しても感じ悪いなあ。
そう思って横顔を軽く睨んでも、すました顔したままで。
嫌になるよ、全く。
迎えに来た時は、機嫌良さそうに「越前〜!」と手を振ってたくせに。
恥ずかしいから止めろって言ってるのに、「お前はいつもぼんやりしてるから、こうしないと気付かないだろ」って。
気付くよ、普通。
人のこと、なんだと思っているんだろ。
段々腹が立って来た。
疲れてるからさっさと家で寝たいのを我慢して、跡部さんと会うのを優先してんのに。
こんな態度取られたんじゃやってられない。
俺が何かしたのなら、その時に言ってくれればいいのに。
どうせ、そういうの格好悪いから口に出せないとか思っているんだろうな。
見栄っ張りの格好付けなんだから。
格好悪い所いっぱいあるって、とっくに知っているんだから、別にいいのに。

えーっと、で、なんだっけ。

こうなる前は普通に会話してたのに、無口になったはどの辺りか考えてみる。
たしか、そうだ。最初は今日の部活のメニューとか喋ってて。
で、久しぶりに引退した三年生達も顔出してたことも喋った。
本当すごい久しぶり。忙しいのかもしれないけど、もっと出て欲しいって俺は思っている。
だって桃先輩も海堂先輩も忙しくって、俺の相手してる所じゃないんだよね。
他の人達じゃ、まだまだ話にならないし。
三年生の先輩達が卒業したら、どうなるんだろ。深刻問題だ。
そうそう、それで元レギュラー達が揃って皆でミニゲーム始めたんだった。
当然、その中には部長も入ってた。
あ、元部長の手塚先輩ね。
生徒会の引継ぎで多忙の中わざわざ来てくれて、俺と打ってくれて、すごく嬉しかったんだ。

…その辺りから、跡部さんの機嫌が悪くなった気がする。

部長?
ひょっとして原因って、部長?
そういえば少し前に、「お前って、やたらと手塚のこと褒めるな」って言われた気がする。
「そう?」って返事した後、真顔で「そうだ」と言われて、笑ってしまったけど。
あの時から、もう気に食わなかったってこと?
部長のこと、確かに俺は意識している。
でもそれはテニスに関して今までの自分の価値観を変えてくれた人だからっていうのと、
最大のライバルとしてであって、恋愛とは関係無いのに。
大体、部長のことなら跡部さんだって何回も名前出してるじゃん。
手塚には負けられないとか、結構な執着みせているし。
俺ばっかり責められないんじゃないの?あんたも結構部長のこと好きだろうって。
…あほらしい。
なんで部長が今日顔を出したってことで、機嫌悪くなるんだか。
ちょこっとだけ、部長のテニスを褒めたのがムカついたっていうの。
そういや大分前に、何気ない会話の中で部長ってモテるんだよねっていうことも喋った気がする。
たしか部長宛のラブレター預かって困った時のこと。
格好良いから大変だね、と軽く言った言葉に、跡部さんの体が一瞬固まったように見えたような。
あ、後、部長は背が高くて羨ましいとも言った。
その時に言われた「手塚よりも背が低くて悪かったな」と卑屈な発言も、冗談だと思ってたのに。

……全部、本気に取っていた訳?
知らない間に不満が溜まって、とうとう怒ったんだとしたら。
俺の責任じゃん。
不用意な発言をした、俺の所為か。

どうしよう。
もう一度、横顔を盗み見る。
怒っているんだと思っていた顔は、傷付いているようにも見えて。
背中に、冷たい汗が流れてきた。



2 跡部の視点

5分前から、会話が止まってしまった。

何気ない会話の途中、気に入らない奴の名前が聞こえて不意に黙ってしまった。
手塚、手塚、手塚。
越前の奴は部長である手塚のことを特別視している。
付き合う前から、それは気付いていた。

しかし褒め過ぎだろ。
テニスの腕は俺も認めている。
公式で一勝したものの、故障持ちの手塚とでは完全とは言い難い試合だった。
今度こそ、万全な状態で叩いてみせる。
俺の目標の中の一つだ。

しかし越前は。
「部長って、モテるんだよね。俺、部長に渡してくれって手紙押し付けられて、困ったよ」
「顔もいいし、生徒会長とかやってるから色々好意寄せられるのもわかるけど、大変だよね」
「背も高いからさー、いいよね、俺もあの位欲しいよ」
「プレイにも性格が出てるよね。無駄が無いっていうか、無口なんだけどそつなくこなす所とか、悔しいけど実力は認めしかないなあ」

…褒め過ぎじゃねえか!?
全く手塚のことをそういう意味では意識してないって言ってるが、
ここまで嬉しそうに喋っている以上(越前は違うっていうが)、疑ってしまっても仕方ないよな。

手塚にも俺の自慢をしているのなら、まだ良しとするが、
とてもじゃないが越前がそんな話をしているとは、思えない。
むしろ俺のこと隠してたからな。
青学に堂々と乗り込んで行って、宣言してやったが。
あの時も怒っていたよな。
なんで、隠すんだよ。
やっぱり手塚に知られたくないからか?
はあ、考えると悲しくなって来た。

これだけ好きな相手に、応えてもらえないっていうのは辛いもんだな。
俺の気持ちの半分でも、好きでいてくれてるんだろうか。
まさかそのまた半分?いや、それ以下とか…。

なんか、余計落ち込んで来た。

もうすぐこいつの家の前だっていうのに。
今日はお別れのキスする気分にもなれない。
俺が押し切ったから付き合うの決めただけで、
本当の心は別にあると思ったら。

どうやって触れていいか、わからなくなった。



3 二人


「ねえ」
「…なんだよ」
「さっきから黙っているけどさ、何か怒ってんの」
「別に」
「別にって態度じゃないじゃん」
「怒っているように見えるのなら、そうなんじゃないのか」
「何それ、ムカつく」
「ムカつかせているのは誰だよ」
「やっぱり俺が言ったことで怒ってるんでしょ」
「だから別に、って言ってるだろうが」
「なにムキになってんの」
「そっちこそ」

沈黙がまた5分続く。
そしてリョーマが、下を向いたまま口を開く。

「俺はただ…あんたと気まずくなるのが嫌なんだけど」
「…俺もだ」
「あのさあ、部長のことで気分悪くなったんじゃないかと思うけど。それだったら、本当になんでも無いから。気にしないで、欲しいんだけど」
「でも、ちょっと…あれだな」
「うん。その、他意は無けど、跡部さんの気分に触ることだっていうのは心に留めておく」
「ああ」
「本当ーっに、そういう意味で言ってるんじゃないからね?その、恋人としてとかは全然考えられないし」
「全然?」
「そう。全く」
「俺は?考える中に入ってるのか?」
「当たり前じゃん。じゃなかったら、つ、付き合ったりしないし」
「そうか」
「うん」
「あのさ」
「うん?」
「もうちょっとで家の前だけど…ちょっと腕借りていい?」
「どうした、珍しいな」
「こういう時だから、くっ付きたくなった気分」
「ずるいなあ、お前は。怒らせた後でそういうこと言うんだからな」
「嫌なら別に」
「ほら、手こっち。触れていたいんだろ」
「う、うん」
「こうしていると落ち着くな」
「ふうん」
「なんだよ、お前は違うのかよ」
「俺は、むしろ…ドキドキするかな」

言った後で、跡部が軽くこけそうになった。
それを見て、リョーマは小さく吹き出す。

さっきの重い空気が抜けて、また二人は会話を続けていく。



そして、家に到着してから。
塀の影に隠れて、いつものお別れのキスをした。

終わり


2008年08月14日(木) 無意識な恋(千リョ)

解散前の挨拶の為、集合場所へと向かう。
その途中で、リョーマは気付いた。

(あれ、今日って迎えの日だったっけ?)

フェンス越しの向こう。
こちらを見ているオレンジ色の髪に、訝しげな視線を送ると、
へらへらと笑いながら手を振ってきた。

(また勝手に来たのか)

諦めに似た気持ちで、頷くことで応える。
他の部員がいる所で、さすがに手を振り返すつもりは無い。
非難を受けるとかよりも、からかわれることがリョーマにとって何よりも嫌なことだからだ。
なのに。
「おチビー、千石来てるじゃん。何々、今日もデート?」
結局絡まれてるので、どうしようも無い。

「菊丸先輩、重いっす」
後ろから抱き着いて来た菊丸に抗議をするものの、結局離れてくれない。
「嫌だよー。千石とどこに行句か教えてくれるまで、離してやんない」
「なんでそういう話になるんすか」
「おチビが心配だからに決まってるじゃん」
「好奇心、の間違いでしょ」
「ヒドイー!先輩の心使いがわからにゃいの!?」
騒ぐ菊丸に、リョーマはため息をついた。
このまま続いたら、部長である手塚に「何を騒いでいる」と怒られる。絶対。
早く切り上げようと、リョーマは口を開いた。

「どこに行くかなんて決まってないっすよ。大体、迎えに来ることも知れなかったんだし」
「え。じゃあ、千石が勝手に押しかけて来たの?」
「まあ」
「それだけ越前に会いたかったってことじゃないかな」
「不二先輩…」
3−6コンビが揃ってしまったと、リョーマは顔を引き攣らせる。
この二人にかかわると、手塚も誰も逆らえない。
何を言われるんだろ、と覚悟を決める。

「千石の奴、ずいぶん遊んでいるって話だけど、越前はちゃんと大事にされているみたいだね。
良かった、良かった」
「大事にされてんの?本当に?」
二人に顔を覗き込まれて、返事に困ってしまう。

(そんなの、考えたこと無いよ)

だって千石とは、二人が思っているような関係じゃないから。

「別に、俺と千石さんとはただの知り合いで…。大事にされてるとか、じゃないし」
「おチビ、そんなの言い訳にもなんないって」
「そうだよ。照れなくてもいいんだよ」

違う、と反論し掛けようとする前に、苛々した部長の声が飛んで来る。

「菊丸、不二、越前!いつまで喋っている!
とっくに集合時間だぞ!」
「へいへい」
「手塚って、もう少し空気読んで欲しいよねえ」

さすがに3−6コンビが揃ってるので、手塚もグラウンドを走って来いとは言わない。
なんかちょっと理不尽なものを感じつつ、並んでいる列へと加わって行く。

(デートとか、大事にするとか、本当そういう仲じゃないんだけどなあ)

千石に好きだといわれ他のは、会って間も無い頃だった。
返事はゆっくり考えればいいと言われたので、リョーマはまだ何も言っていない。

ただお互いをよく知る為、時々は会って欲しいという千石の要求に応えただけだ。
来る前はメールで連絡をすることにして、アドレスを交換したのだけれど、
千石は今日みたいに突然連絡も無しにやって来る。

「だって、会いたくなるんだもん」

本当に都合の悪い日だってあるのに、困ると言っても聞いてくれない。
無理な日は千石も引いてくれるが、大抵無理やり押し切られてしまっている。
でも、それだけ。
付き合っている訳じゃない。

だから自分を待っているはずの千石が、
誰か知れない青学の女子生徒と喋っていようが、関係も無いし、傷付いたりもしない。
女好きな彼のことだ。そういうこともあって、当然。
口出しすることじゃなと、リョーマは割り切って平然とした顔で歩き続けた。

「リョーマ君!待ってたよー!」

こちらに気付いた千石は、ついさっきまで喋っていた女子を無視して走ってこちらに向かって来る。
「お疲れ様、リョーマ君」
「あの人、放っておいていいの?」
あからさまに気分を害した顔をする(急に手のひらを返されたのだから、当然だ)女子生徒に向かって、リョーマは顎をしゃくった。
別にこれも当て付けという行為じゃない。ただ気になったから、聞いてみただけだ。
千石は悪びれもせず、あっけらかんと答える。

「あ、い−の、いーの。別に知ってる人じゃないから」
「ふーん」

(知ってる人じゃないのなら、何で喋ったりすんの)
そう思ったが、口には出さない。

千石に何の返事もしていないのに、そういうことを言うのは間違っている気がして。
でも、ちょっと引っ掛かるなあとも思っている。

先程の女子は千石をものすごい目で睨み付けている。
下手に期待させるような態度がいけないんだよ、とリョーマは分析した。

「話、あるみたいだけど、いいの?」
気になってもう一度尋ねてみる。
千石は肩を竦めて、返事をする。

「いいの。勝手に話し掛けて来ただけなんだから。俺、ちゃんと待ってる人がいるって言ったのになあ」
「あ、そ」

言い訳めいているように聞こえるのは、気のせいだろうか。
(勝手にって、本当なの?)
それにしては怖い目付きだ。
ひょっとして、元彼女かもしれない、とも考える。
千石は以前、多数の女子と付き合っていたようだ。
ウワサで聞いただけだけど(3−6コンビからの情報だ)、本人もそれは認めている。
『でも、今はリョーマ君が好きなんだよ!』
過去はどうでもいいとその時言ったのは本当だけれど。
こうして現実に目の当たりにすると…。

(あんまり、良い気じゃないかも)

しかしそこでもやっぱり、自分達は付き合っている訳じゃないんだからと、言い聞かせるしかなかった。


「今日、そういえば約束してなかったよね?」
校門を抜けた所で、リョーマはまずそのことを千石に問い質した。
「メールで確認するって約束だったじゃん」
「いや、だってリョーマ君、二日続けてとか会うの嫌がるから」
「それは、部活で疲れているからだよ」
「だからいっそ押し掛けちゃった方が会ってくれるかなあ、と思ったりして」

悪びれず笑う千石に、リョーマは疲れた顔をしてそっぽを向いた。

「あの、怒った?」
「約束守って欲しいだけっすよ」
「ごめん、次からは守るから。今日だけ会ってよ。ねえ、リョーマ君ー」
甘えたような言い方に、ずるい、と呟く。
そういう風に言われると、こっちが悪いことしている気になってしまう。

「今日、だけだからね」
「うん!ありがとう、リョーマ君」
「はあ…あんたが来ると菊丸先輩とかうるさいからさ、あんまり頻繁に来ないでよ」
途端、千石の動きが止まる。

「何、どうしたの?」
「あのさあ、リョーマ君」
深刻な顔をして、千石は顔を近づけて来る。
そして、何を言うかと思えば、
「菊丸君って、リョーマ君のこと好きなんじゃないかな?」
と、訳のわからないことを言い出した。

「はあ?そんな訳ないじゃん」
「でも!菊丸君が何度も何度も抱きついているの、俺見たんだよ?
あれ、わざとじゃないの?べったり引っ付いて、何あれ」
「菊丸先輩はいつもあんなんだよ…」
何を言い出すんだと目を瞬かせると、千石はものすごい勢いで肩を掴んで来た。

「それが危いんだよ!油断させて、リョーマ君のこと狙ってるんだよ、絶対!」
「違うって、菊丸先輩は他の人に対しても同じだよ。もっと良く見てよ」
「じゃ、じゃあ不二君は?よく話し掛けているみたいだけど」
「あれはからかいたいだけだって。一体、なんの心配だよ。絶対ありえないし」
「でもー」

心配そうに眉を寄せる千石に、リョーマは笑いそうになってきた。

(なんだよ。そんな気にすること一個も無いのに、馬鹿みたい)

けれど、今の千石の言動で。
さっきまでのモヤモヤが、消えていくのもわかった。

『君が、好きです』

好きだから、相手の全てが気になるのは当たり前。
ありえないと思っても、周囲を疑ってしまう。

(じゃあ、さっきの俺の気持ちも、それに近いってこと?)

ちらっと、千石の顔を見る。
少なくとも、知り合った頃よりはずっと。
リョーマの中での千石への関心は高まっているのは、事実だ。

「リョーマ君、怒ったの…?」
沈黙を勘違いしている千石は、情けない声を出して機嫌を伺ってくる。

「さあね」
「え、ちょっと、本当に?」
「ファンタ買ってくれたら、全部流してあげてもいいけど」
「買います!何種類だって!」
「じゃ、まずグレープね」

何度も何度も頷く千石に笑って、自販機を探す為に歩き始める。


告白の返事。
近い内にしようかなと考え、その時の千石の顔を想像して、もう一回笑った。

終わり


2008年08月12日(火) 生意気 2 (不二リョ)

誰もいない部室で、僕は着替えをする為にジャージを脱いだ。

(英二の奴、委員会の仕事なんて何も無かったじゃないか)

部活が終わった瞬間、英二が急に僕をフェンスの外へと追い立てた。
「さっき、教室に来てくれるように言って欲しいにって頼まれたんだにゃー。
委員会のことで話があるんだって、すぐに!」
僕と同じ委員である女子が、そう告げたんだと英二は言う。
「え、でもいつ来たの。全然気付かなかったけど」
「ふ、不二はその時コートで打ってたから。ほら、早く!待たせてたら悪いでしょ」
「うん」
釈然としなかったが、僕は教室に行くことにした。
本当にその子が待っていたら悪いと思ったからだ。

しかし実際行ってみたら、教室には誰もいなくて。
(予想通りか)
英二の悪戯に、僕はがっくりと肩を落とした。
明日会ったら、きっちり締めておこうと心に決める。

急いで部室に戻ると、そこには誰もいなかった。
余りにも早い皆の帰宅に、目を疑う。
(教室に行って、戻ってきて10分くらいしか経っていないよな)
いつもなら、だらだらと喋りながら着替えをして30分位は残っているのに。
片付けで残っているはずの1年もいないし、鍵当番の大石と日誌を書いている手塚もいないなんて変だ。

(手塚と大石は、竜崎先生に呼ばれているのかな?)

開けっ放しで帰ったとは、とても思えない。
おかしいなあと首を傾げながら、取り出したシャツを羽織る。

その瞬間、部室のドアが開かれた。

「越前?」
振り向くと、まだ着替えを終えていない越前がそこに立っていた。
なんだ、片付けをしている一年はまだ外にいたのかと僕は思った。
しかしそれは間違いだったと、すぐに気付かされる。

「不二先輩っ!」
「うわっ、え、ちょっと何?」
突然走り出した越前が、抱きついて来た。
いつもされているので、僕はもう驚いたりしない。
この行為にも大分慣れて来た。
好き好き言い続けて何度も引っ付いてくるこの一年生は、僕に恋をしているそうだ。
どこまで本気なのかは、ちょっとわかりかねる。
何しろ行動が突飛過ぎて、どうしたいのかよくわからないからだ。

「今、着替えしているんだけど?」
やんわりと笑顔を向けて拒否するが、それに挫ける越前では無い。
「わかってます!だから逆にチャンスだと思って」
「チャンス?」
「そう!」
言うなり、越前はまだボタンを留めてないシャツの下に手を差し入れてきた。
「越前?ちょっとくすぐったいんだけど、何してんの」
この時点ではまだ余裕があった。
だけど、次の言葉に体が強張る。

「何って、エッチなことっす」
「え、エッチ?」
「うん!」
明るく答える越前はふざけているようにも見えるが、本人は至って真面目らしい。
「こうしたら少しは俺のこと気にしてくれるでしょ?強行手段を取ることに決めたんです」
「あのねえ、越前」
「先輩が悪いんだから」
「え、なんで僕が」
謂れの無い非難に目を瞬かせると、越前は少し頬を膨らませて言った。
「俺がこんなにもアプローチしているのに、ちっとも振り向いてくれないじゃん。
押し倒してもくれないし」
「押し…、あのねえ、越前」
「だから俺は、先輩とキセイヒンを作ろうと決めたんです」
「キセイヒン?なんの既製品?」
なんだ、それは。
疑問を口に出すと、越前は「あれ、なんか違うかも」と唸る。
「キセイなんとかをすれば、もう絶対不二先輩は俺のものになるって、聞いたから」
「ひょっとして既成事実のこと?」
「そうそう、それ!」
明るい笑顔を向ける越前に、くらっと眩暈を起こしそうになる。

(英二か。子供相手に何吹き込んでいるんだ!?)

しかも、こんなに行動的な越前に教えなくたっていいじゃないか。
ようやく僕は自分が襲われかけているんだと気付いた。

「先輩、覚悟して下さいね」
言いながら越前は僕の服を引っ張って脱がそうとする。
「越前、ちょっと聞いてもいいかな」
「いいけど、こっちの腕伸ばしてくれるとありがたいっす」
脱がせないのに苛立っているみたいだ。
無視して、そのままの格好で越前に尋ねる。
「この状況って、君が僕を押し倒すってことになるのかな」
「えーっと、多分」
「僕に押し倒されたかったんじゃないの?これだと逆になるよ」
途端、越前の動きが止まった。
「それじゃ、俺はどうしたらいいんすか?」
「知らないよ、そんなの…」
僕に聞かれても困る。
越前は腕を組んで30秒くらい考えた後、ぱっと顔を上げる。
何か思いついたようだ。

「じゃあ、今ここで俺のこと押し倒してもいいっす」
「僕がそうしてくれないから悩んでたんじゃなかったっけ」
「え、押し倒してくれないの?」
「当たり前だよ。その気ならとっくにしてるけど」
「じゃあ、その気になって下さい!」
「越前、言ってること滅茶苦茶だよ」

はあ、と重いため息をつく。
これだから、子供は困る。
言っている意味の重さも知らずに、無謀なことばかり。

(わかっているのかなあ、かなり危険なこと宣言してるって)

越前は生意気な性格で、二年からかなり反感を買っているけど、
黙っていると(滅多に無いが)かなり可愛くて、密かにファンもついてたりする。
こんなこと他の奴にしたら、その場で間違いが起きていただろう。

僕だって、たまに手が出したくなる時だってある。内緒だけどね。
もうちょっと成長するまでは、軽々しく気持ちに応えないって決めている。
でもそれらの理性が崩れそうになったのだって、一回や二回じゃない。
無防備な越前の魅力に、ふらふらっと手を出しそうになっては止めている。
今だって、素肌に触れられた時。
その手を掴んで、床に押し倒して越前に触れたいって思ったんだよね。
いつまで持つかな…。その前に早く成長(主に精神面)してくれ、と切に願う。

「とにかく、これで悪戯は終り」
「え、ちょっと先輩!」
また抱きついてこようとする越前の体を、片手で押し返す。
「腕力は僕の方が上だよ。押し倒そうとしても、無駄だからね」
「そんなあ!」
「ほら、越前も着替えて。そろそろ鍵当番の副部長が戻ってくる頃じゃないかな?」
なんとか抱きつこうとする越前を、また止める。
悔しがってまたトライしてくるが、それも防いだ。

「あらら、作戦失敗?」

部室のドアが再び開けられる。
そっと様子を伺いながら入って来たのは、間違いなく越前にいらないことを吹き込んだ張本人の英二だった。

「作戦失敗、じゃないよ。一体何考えてんの」
咎めるように言うと、英二は「だっておチビが可哀想でー」と心にも無いことを笑いながら言う。
「実力行使した方が、不二は落とせるって思ったんだけどな。
腕力の差は考えて無かった」
「菊丸先輩、ツメが甘いっすよ」
「何おう、おチビの方こそ不二の自由を奪う位の力付けてから、言えよな」
「これから鍛えます」
「よーし、その意気だ!」
暴走する二人の会話に、不二は呆然とする。

(僕も…、ちょっと筋力鍛えた方がいいかもしれない)
越前の腕力が僕を上回っていたら。
本気で自由を奪われて、何かされていた所だろう。
真剣に危険が迫っている、と冷や汗が出た。

「部室から人を追い払ったのも、英二の仕業?」
「うん。苦労したんだぞー」
「無駄な所に力入れて…。大石と手塚はどこに追い払ったの。
まさか鍵当番を帰したって訳じゃないよね?」
僕の言葉に英二は頭を搔いて笑った。
「大石にはちょっと特訓したいから残るって鍵を借りたにゃ」
「じゃあ、明日の鍵当番は英二がするの?」
越前では無理だろう。
明日、部室の前で皆が着替える羽目になりかねない。
「うんにゃー、俺は朝御飯当番だから早く来られないんだよね。
だから手塚に任せることにする」
「手塚?帰ったんじゃないの」
「えっと、それは」
「菊丸!竜崎先生は用事など無いと言っていたぞ!」

突然の侵入者の大声に、僕ら三人とも飛び上がった。

「て、手塚…。びっくりした、なんなの一体」
「あっちゃあ、手塚早かったね」
英二の声に、僕は確信した。
ここから追い出す為に、手塚にも同じように嘘を言っていたんだ。
「会議ってもう終わったのー?一時間は掛かるって聞いてたんだけどなあ」
「たまたま遅れている先生がいらっしゃって、竜崎先生は探しに出て来たんだ。
もしあそこで会わなかったら、俺はずっと待ちぼうけを食らっていたってことか。
一体、どういう企みなんだ、これは!」
文句を言いながら、手塚は僕と越前の顔を見た。

「まさか、また越前絡みなのか?」
「えっとぉ」
「どうなんだ、菊丸!」
「部長、止めてよ。菊丸先輩は俺の為に手伝ってくれただけで」
越前が止めに入る。
でも、それは火に油を注ぐだけにしかならない。
「手伝いってなんだ。まさかまた恋の為とか言うんじゃないだろうな」
「その通りっす。だって俺、不二先輩のことが大好きなんだから!」

答えになっていない、と僕は心の中で突っ込みを入れる。

手塚はといえば、一瞬固まってそしてずれた眼鏡を直して説教モードに入った。
「越前、この際はっきり言わせてもらう。
お前は青学の未来を担う人材だ。
今は恋だの交際だのそういう私情は忘れて、テニスに集中しろ、いいな。
でないと毎日、こっちの身がもたん」
「ヤダ。青学のことより、自分の恋の方が大事っす」
「ぶ、部長に口答えする気か」
「俺は不二先輩のことを何より最優先にしたい、それだけっすよ」
「頑張れ、おチビー!」
「煽るな、菊丸!」

疲れたような顔をする手塚に、僕は初めて親近感を覚えた。
越前に言うことを聞かせるのは、大変ってもんじゃない。
規律を乱しまくっている態度を叱っても、聞きやしない。
部長として手塚は越前を指導しなきゃいけないのだろうけど、
この先も聞くかどうかは怪しいものだ。

(頑張れ、手塚)

騒動を巻き起こす一年と、なんとか止めさせようとする部長との争いを横目で見ながら、
心の中でエールを送った。



それにしても。
越前が大人になる日は、やって来るのだろうか。
なんだか永遠にあのままなんじゃないかと、僕は不安になってきた。

終り


2008年08月11日(月) 夏風邪(跡リョ)

腕時を見て、跡部は小さく頷いた。

この時間なら、リョーマは部活中のはずだ
今から迎えにいけば、短い間だけでも一緒にいられる。
明日、会う約束をしているが我慢出来そうに無い。
もう限界だ。
家の用事等でなかなか跡部が自由になれなかったのと、
リョーマの方も合宿、終わったと思ったら法事と忙しかった所為で、ここしばらく顔を合わせていない。
メールと電話だけ。
ストレスが溜まるのも仕方ない。

(部活で疲れているだろうが、顔を見る位はいいよな…。
越前も会いたいって、昨日言ってたからな)

会えない日が続いたせいだろうか。
電話越しだがリョーマから珍しく「会いたい」と素直な言葉を言ってくれた。
なんなら今日から、リョーマに泊まりに来てもらうか?と考える。
どうせ明日と会うのだから、それが早まったとしてもなんら問題無い。

(いや、待てよ)
それだと絶対手を出してしまう。
疲れているリョーマから休息を取り上げるのは、跡部とて本意では無い。
しょうがない、やっぱり最初の予定通り家に送るだけにしようと決める。
(5分でもいい、側にいられさえすれば満足だ)
楽しみは明日に取っておこう。
今日は手を握るだけでいい。
リョーマが側にいることを確かめたかった。



部活中に来るなとは言われているので(聞いた試しは無いが)、
跡部は携帯に連絡を入れることはせず、青学へと向う。

「休みだあ!?」
コートにはリョーマの姿は無かった。
跡部は慌てて、ボール広いの為に隅に近づいた一年に声を掛けて、
無理やり事情を聞き出した。
部活を、テニスを愛するリョーマが休みを取るなんて信じられない。
今日も元気にコートを駆け回っているとばかり信じて、ここに来た。

「えええ、越前は風邪で休みを取ってます」
「風邪?」
「連絡が入ったから間違いありませんん!ほ、本当です」
裏返った声で答える一年が、嘘を言っているようには見えない。
「そうかよ、もういい」
チッと舌打ちして、跡部はコートから離れる。

三年の連中が引退した後でよかった、と思った。
菊丸や不二がいたら、「へー、おチビが休みだって知らなかったんだ」
「恋人なのにねえ、ふーん」
嫌味の一つや二つじゃ済まない所だったろう。
リョーマ不足の今、そんなことされたら切れて暴れ出してたかもしれない。
(不幸中の幸いって、このことか)
しかし事態が良くなった訳では無い。

車をぶっ飛ばして、跡部は越前家へと向かった。
途中お見舞いの品を買うのも忘れない。
風邪を引いていたのを隠していたのはムカつくが、手ぶらというのも気が引ける。
具合が悪いのなら、何か喜ぶものを持って行ってやりたい。
急だったから十分なものは用意出来ないが、好きそうなものを買い込んでまた家へと急ぐ。
(俺も、甘いな)
リョーマ相手だと、結局これだ、と車の中で苦笑した。





「リョーマさん、跡部さんがお見舞いに来てくれましたよ」

事情を知らないリョーマの従姉は、笑顔で跡部を迎えてくれた。
菜々子とは何度も会っている為に、信頼を得ている。
おかげですぐにリョーマの私室へと案内してくれた。
ありがたい、と跡部は胸の中で感謝する。先にリョーマに確認してたら、拒否されている可能性だってあり得る。
でも、これで逃げることは出来ないだろう。
さあ、きっちり理由を話してもらうかとリョーマに満面の笑みを向ける。

「な、なんであんたがここに!?」
あわてて飛び起きるリョーマに、菜々子は困った顔をしてたしなめた。
「あら、リョーマさん。そんな言い方しちゃ駄目ですよ。
跡部さんは心配してわざわざお見舞いに来てくれたんですから」
「お見舞い?」
リョーマの顔が強張ったのを、見逃さない。
やっぱり隠し通すつもりだったのかと確信する。

「リョーマさんの好きなものも沢山持って来てくれたんですから、お礼を言って下さいね」
「……」
菜々子の笑顔に、リョーマは渋々頷く。

「ありがと、跡部さん」
「ああ」
その様子を微笑ましく見守っていた菜々子は、「お茶を入れて来ますね」と部屋から出て行く。
階段を下りる音を確認してから、跡部は口を開いた。

「風邪なんだって?」
跡部がベッドに近づくと、リョーマはバツが悪そうに布団にくるまって顔を隠してしまう。
「別に大したことないよ。ちょっと熱が出ただけ」
「その割りには、辛そうだな」
「平気」
強情なリョーマに、跡部はおおげさにため息をついてみせた。
「明日もそうやって平気な振りして会うつもりだったのかよ。ああ?」
「だって治ったら言う必要ないじゃん」
「お前なあ…」
まだリョーマは認めようとしない。

風邪を引いたことを黙っていて、明日何事もなかったかのような顔をして約束の場所へと現れる。
そんなの、本気で間違っていないなんて思っているんだろうか。

いい加減にしろと口を開きかけた所で、ノックの音が響く。
ドアを開けてやると、トレイを持った菜々子が立っていた
もそもそと、リョーマも布団から顔を出す。
「お茶と頂いたお菓子を持って来ました」
「お構いなく」
「いえ。リョーマさん、今食べられるかしら?」
「食べる」
即答だった。
風邪を引いているから大して食べられないだろうと思ったが、
リョーマの食欲は健在らしい。
トレイの上に置かれたプリンを見て、目を輝かせている。
この分なら早く治るだろう。

トレイを置いて、菜々子は「ごゆっくり」と再び出て行った。
後は二人きりにさせてくれるらしい。

「さすが気が利くね、跡部さん」
プリンの容器を受け取って、リョーマはご機嫌な様子で蓋を開ける。
「他にも果物やゼリーなんかも持って来た。後で食っておけ」
「うん!」
勢い良く食べ始める姿に、跡部は笑みを浮かべた。
「それだけ食べられるなら、大丈夫そうだな」
「当然」

さっきまで大声を出して問い詰めるつもりだったのだが、
リョーマの様子にすっかり毒気を抜かれた。
菜々子の持って来てくれたお茶を飲んで、跡部も一緒にプリンを頬張る。

「おいしかったー、ありがとうね。跡部さん」
先程とは違い、嬉しそうにリョーマは礼を言う。
「まだ沢山あるけど、今度は食べ過ぎて腹壊すなよ。体は大事にしろ、いいな」
跡部の声に、リョーマはこくんと頷く。
そして少し顔を俯いてから「ごめん」と小さく謝罪の言葉を口にした。

「何がだ」
「風邪引いたの、黙っていたこと」
「越前」
珍しく素直な様子のリョーマに、跡部は目を見張った。
もしかしたらまた熱が上がったのかもしれない。
そう思って、恐る恐る額に手を当ててみる。
しかしそれ程高くはないようだ。

「何してんの」
不思議そうなリョーマに、「お前がびっくりする程素直だから、熱でも上がったかと思って」と言ってしまう。
「失礼だよ、それって!」
「だって仕方ないだろ。さっきまで頑なに平気だって言ってたくせに、どうしたんだ」
「あんたの態度を見てて、心配させたのがわかったから、ちゃんと謝らなきゃって思ったんだよ。悪い?」
なのに、何だよとむくれてしまう。
「悪い。滅多に聞けない言葉に動揺しただけだ。ごめんな、越前」
「なんか引っ掛かるけど、今回は俺の方が悪いから、もういいよ」
それ程怒ってはいないようだ。
ほっとして目を合わせると、何故かリョーマは気まずそうに逸らしてしまう。

「明日には治るって思っていたから、約束も守りたかったし…だから言いたくなかった。
これが理由」
恥ずかしくなってしまったのか、タオルケットを被ってまた顔を隠してしまう。

(なんだよ、隠して理由って俺に会いたいからってことかよ)

明日の約束が中止にしたくなくて、必死で隠そうとしてたらしい。
そんな可愛らしいことを言われたら、怒っていた自分の方が馬鹿らしくなる。

タオルケットの上から、リョーマの頭を優しく撫でて「お前の考えは、よくわかった」と話し掛ける。
「けど、やっぱり次からはちゃんと知らせろよ。
他の奴が知ってるのに、俺が知らないっていうのはムカつくからな」
「跡部さんって、やっぱり我侭だよね」
「お前には言われたくないが」
「大体なんで家に来てんの。おかげで予定が狂っちゃったじゃん」
「しょうがねえだろ。少しだけでも、お前の顔が見たかったんだ。
5分でもいいから、側にいたかったんだ。悪いか」
そこまで言うとようやっと、リョーマは顔を出してくれた。

「はあ…わかっていたけど、本当に俺様だよね」
言いながらも、笑っている。
「しょうがないなあ。こんな状態だけど折角来たんだし、見ていけば?」
「じゃあ、もっと近くで見せてもらうか」
ベッドに腰掛けて、跡部はリョーマの顎に手を添えた。
目が伏せられたのと同時に、軽くキスする。

「そうだ。風邪を治すなら、手っ取り早い方法があるぜ」
「何?」
「人に移せばいい。そうしたら早く治るんだってよ。だからその風邪、俺がもらってやるよ」
リョーマの肩を掴み、そのままゆっくりと押し倒す。
久しぶりの再会と、さっきの言葉の所為で気持ちがすっかり高ぶってしまった。
下には菜々子がいるが、まあ、なんとかなると楽天的に考える。
もっと深いキスをしようと再び顔を近づけようとするが、
「駄目!」と両腕で強く突っぱねられてしまう。

「おい、越前。こんな時に抵抗するか、普通」
「するよ!俺の所為であんたが風邪引くなんて絶対嫌だ。
寝込んでいる姿、見たくないよ。冗談でもそういうこと、言うな」
風邪のせいで弱気になっているのか、少し涙目で訴えてくる。

(なんだよ、今日はやけにしおらしくて調子狂うな)

いじらしいリョーマの姿に、鼓動が速くなっていくのがわかる。
これで手を出せないなんて辛すぎるが、泣かれたら余計に辛い。
ぐっと我慢をして、「わかった」と小さな体の上からどいた。

「風邪を貰うのは諦めてやる。その代わり、お前はこれからしっかり眠って明日には元気になってろ。
いいな」
「うん」
「明日の外出は無理だろうけど、俺の家でゆっくり過ごす位ならいいだろう。
これで手を打つか」
外出なんかしなくても、二人で過ごすことさえ叶えればいい。
リョーマも同じらしく、こくんと頷く。
「ありがとう、跡部さん」
「ほら、もう病人は大人しくしてろ」

布団を掛けなおして、リョーマをベッドに寝かせる。

「おやすみ、越前」
「おやすみなさい…」

目を閉じたリョーマに小さく手を振って外へ出る。



明日はきっと会える。
その為にも一秒でも速くリョーマの風邪が治るようにと、跡部は強く強く祈った。

終わり


2008年08月09日(土) バニラ・ミルク(塚リョ)


「越前君が来たら、アイスを出してあげてね」
外出するのが残念だわと、母は頬に手を当てた後、出て行った。
父はゴルフ。祖父は柔道仲間の家へ訪問中。
リョーマの訪問中、手塚以外は家には誰もいない。
絶好のタイミングに何をするかといえば…。

「部長のお母さん気が利くねー。コンビニに入った時、アイスも買おうかなって迷ったんだ。
でもこれだけ暑いと溶けるから、泣く泣く諦めたんだ。
でも、さすが!俺のことわかってくれてるなあ」
「母は…お前のことを気に入ってるみたいだからな」
「ふーん、有り難いなあ。このアイス美味しいー」
「そう、か」
入ってくるなり、「部長ー、おせんべい今から食べない?」と持っていた袋を押し付けられた。
そして母の言い付け通りアイスも一緒に出すと、パッと顔を輝かせて夢中になってアイスを食べ始める。

(こいつは色気よりも食い気だ)
黙々と食べ続けるリョーマの前で、手塚はため息をついた。
おせんべいとアイス、そんな妙な組み合わせにも関わらず、リョーマはご機嫌な様子で食している。

「部長、お茶のお代わりもらってもいい?」
「ああ」
アイスを食べ切ったリョーマは、飲み物をねだる。
手塚は立ち上がって冷蔵庫のドアを開けた。
ただし出したのはお茶では無く、白い液体の方だ。

「何これ、牛乳だよ!?」

リョーマ不満そうに大声を出した。
「おせんべいに合わない。よって却下!」
「却下じゃない。どうせお前のことだから、乾が言った規定の量を飲んでいないのだろう。
今の内に飲んでおけ」
「うー」
「ほら」
グラスを渡してやると、いやいやながら受け取るが飲もうとはしない。
「越前」
飲むように促すと、リョーマは低く唸った後グラスをテーブルに置いた。

「部長は俺が牛乳を沢山飲んで、乾先輩の言う通りにぐんぐん背が伸びて、
それで背を追い越すことになっても、平気なんだ?」
「追い越す?お前がか?」

思わず笑ってしまうと、リョーマは頬を膨らましてそっぽを向いてしまう。

「例え話なのに、そんなに笑わなくても」
「ああ、すまん」

素直に謝罪すると、まだむくれてはいるがこちらを見てくれた。

「とにかく、そういうこともあるかもしれないってこと。
それでも部長はいいわけ?可愛いままの俺でいられなくなるかもしれないんだよ」
「自分で可愛いって言うのはいいのか。俺が言うと怒るくせに」
「人に言われるのはムカつくけど、俺が言うのはいいの」
「そうか」
「で、どうなの?」

しょうもないことを気にしているなと、手塚は呆れた顔になった。

「どうもこうも無いだろ。
お前が今の姿じゃなくなったとしても、俺の気持ちは変わらない」
「本当ー?」
「当たり前だ。俺は越前リョーマという人間を丸ごと好きなんだからな。
背が高くなった位で、心変わりしてたまるか」

きっぱりと偽りの無い本心を告げる。

最穂はきょとんとした顔で聞いていたのだが、
すぐにリョーマの顔は真っ赤に染まっていく。

「なんでそんな冷静に答えられるんだよ。信じられない!」
「聞いたのはお前だろう。俺は答えただけだ」
「何かすっごい告白を聞いた気がするんだけど」

赤くなったままうなだれるリョーマの頭を、手塚は手を伸ばして軽く撫でた。

その程度の覚悟が何だっていうのだろう。
容姿なんてもうどうでも良くなる程、好きになってしまっている。怖い位に。

小さく唸った後、リョーマは顔を上げる。
そしてテーブルに置いたままのグラスを手にして一気に飲み干してしまった。

「じゃあ、これから牛乳はちゃんと飲んでやるよ。
背が伸びたら、今言ったことが本当かどうか確かめてやる」
「それは、一向に構わないが」
「もー!なんでそんな余裕なんだよ!?」

手足をばたばたさせるリョーマに、手塚は余裕の表情でコップに牛乳を注ぎ足してやった。

(俺もまだ身長が伸びていることは、黙っておくか)

リョーマが手塚の身長を抜かすことは、限りなくゼロに近いだろう。
それを言うと、「じゃあ牛乳飲んでも仕方ないじゃん」とかまた屁理屈を言い出すので、
秘密にしておく。

でも、身長がどうなろうと好きだって言った気持ちは揺ぎ無い事実だ。

今日も明日も、10年後も。
変わらずくだらないことで、愛を確かめ合っている二人でいればいいなと、手塚は思った。


「部長ー、牛乳飲んだご褒美にアイスのお代わりも下さい」
「そう来たか…」

終わり


2008年08月08日(金) 青春はこれからだ(千リョ)


「お疲れ様でした!」
部長の声に、本日の部活が終了する。
流れる汗をタオルで拭って、千石はネットへと向かった。
片付けは一年生の役目。かったるいなんて言ってられない。
もう一人の一年とネットを畳んでいると、二年の先輩から声を掛けられる。

「おい、千石」
「何すか」
「明日さー、部活休みだろ?」
馴れ馴れしく先輩に肩を掴まれる。この時点で嫌な予感がした。
「何か予定入っているか」
「まあ…」
特には無いが、あいまいに答えておく。
嫌なら断れるよう、その為の準備だ。
「よし、ないな。じゃあ、海行くぞ、海」
「ちょっ、待って下さい。俺予定あるって」
「言ってねえだろ。それに元からお前はメンバー入り決定してんの」
「マジっすか」
がっくりと肩を落とす。
どうやら逃がしてくれそうにない。
半分諦めながら、千石は先輩に尋ねてみた。

「他に誰が行くんすか。俺達二人だけってこと無いっすよね」
「当たり前だろ」
そう言って先輩は、他の二年の部員の名前を出した。
「…ヤローばっかりっすね。俺も行きたくねー」
千石が呟くと、先輩は組んでた肩を解いて、頭をべしっと叩いてきた。
「だーかーら、現地調達するんだよ。水着の女の子がたくさんいるんだぞ?
ここで汗かいてばっかりいないで、少しは有意義な夏を過ごそうぜ」
「はあ、でもなんで俺も参加なんすか?」
「なんでって、お前そういうの得意だろ」
「得意?」
「ああ」
先輩は胸を張って答える。
「中等部の行いを忘れたとは言わせないぜ。
入部一日目にして女テニの部長を口説いたもんな。あれには驚かされたぜ」
「あ、あはは…あの時は俺も若かったというか」
苦笑する千石に、先輩は「頼むよ」と背中を叩く。

「お前ならやってくれるって皆信じているんだ。
それともあれか。今の彼女がよっぽど怖いのか?ナンパに行くことを知られちゃまずいとか」
「いや、付き合っている子はいないけど…」
歯切れ悪く、千石は俯いた。

特定の子も、遊びで付き合っている子もいない。
忘れられない子が、いるからだ。

困ったまま喋ろうとしない千石を見て、一緒に片付けしてた一年が先輩にそっと耳打ちをする。
「先輩。そいつ、もうナンパなんて無理っすよ」
「どういうことだ」
「失恋の痛手からまだ立ち直っていないんで、高等部に入っても未だに誰一人声掛けてないんす」
「本当かよ!?」
先輩相当驚いたようだ。
「女と見れば口説いていたお前が、どうしたんだ。どんな失恋をしたんだ」
「そう失恋失恋って連呼しないで下さい…余計傷付くんで」
沈んだ声で答えると、先輩は「そうか」と頷いた。

「お前がそんな状況になっているとは知らなかった。
よっぽどのことがあったんだな。わかった、今回は諦めてやる」
「そうしてもらえると、有難いっす」
「元気出せよ。また誘うからな」
ぽん、と肩を叩いて先輩は行ってしまった。
そして千石は同級生に向かって「誰が失恋したって?」と言い放った。
「本当のことだろ。面倒な誘いが断れて良かったじゃん」
「けど人のプライベートまで喋るのはどうかなあ」
「じゃあ、明日海に行ってくれば?」
「それはパス…、今の俺にはテニスだけで十分」
「うわあ、似合わねえ」
「ほっとけ、これ片付けてくるからな」
ネットを奪って、千石は用具入れの倉庫へと向かう。

(別に誰も好きにならないとか、そういう訳じゃないんだけど)
ただ彼のことを好きでいる内は、他に行く気になれない。
それだけのことだ。

「あー、今日も暑いなー」
テニスは中学で止めようと考えたこともあった。
中等部最後の夏。悔いの無いように頑張っていた。
だからこそ、自分の限界を知った。
特に一番近くにいる彼を見て、本物には敵わないんだと理解した。
嫉妬からではない。自分よりも強い奴がこの世界に身を置いていればいいと、一歩引いた気持ちになっただけだ。

それなのに、また高等部でテニスを続けている。
(あの子も、向こうでテニスしてるんだろうな)
空を見上げる。
遠いけれど同じ空のどこかで繋がっているリョーマが、今もテニスをしている。
そう思うと出会った切っ掛けになったテニスを簡単に捨てることが出来ない。


全国大会が終わった当日。
夕日の中、リョーマはお祝いに駆け寄ってきた千石に顔を上げて告げた。

「俺、またアメリカに行くことが決まったんだ。だから、ごめん…別れよう」

まっすぐ迷い無くこちらを見た大きな目に、息が一瞬止まった。
どうして、何で、と喚かなかったのは、
彼の手が小さく震えていることに気付いたからだ。

(無理している)
それは俺の為だと、瞬時に理解した。
自惚れだけじゃない。
クールな彼だけど、ちゃんと好かれていること位わかっていた。
俺の負担にならないよう、自分から別れを切り出そうって決めたんだ。

「わかったよ。アメリカと日本じゃ遠すぎるもんね。
リョーマ君の言う通り別れよう」
「…うん」
がっかりしたように顔を伏せてしまう。
引き止められることを、もしかしたら期待してたのかもしれない。
たまらなくなって、千石はリョーマの小さな体を抱きしめた。

「でも、また会えたら、俺もう一度リョーマ君にアプローチするから!
今日の別れだけで終わりだなんて、全然思っていないんだからね」
そんな未来があるかはわからないけれど。
希望が無いまま、別れたくない。
リョーマ君はどう思うかなと様子を伺う。
胸の中にすっぽり納まったままの彼は、黙って小さく頷いてくれた。

それから。
あっけない別れから、半年以上が過ぎた。
勿論、リョーマからの連絡は無い。
千石もメールや手紙を送ったりはしていない。
二人は他人同士に戻ったのだ。
でも。
(絶対、このままで終わらせたりしないよ)

まずは限界だと思っていた壁をぶち壊すことから始めるか。
高等部でのレギュラー入りの目標は果たした。
次は勝ち抜くことを考えよう。
合間に塾だって通っている。
特に英語は重要だ。
いずれ留学することを考えたら、勉強も疎かには出来ない。

道のりは困難だけど、
その先にあのクールな彼の驚いた顔が待っていると思えば、やり遂げられる。必ず。

(俺がまた目の前に現れたら、きっとびっくりするんだろうな)

一瞬驚いたら、すぐにあの強気な笑顔で迎えてくれるだろう。
「意外と諦め悪いね」って懐かしい軽口も聞けるはず。

そうしたらまた黙って、手を繋いで。
あの日の続きから、始めるんだ。

空を見上げて、千石は深呼吸する。

(まだまだ、俺達の人生は始まったばかりだ)


あの日と同じようで、でも違う夕日の中を歩いて行く。
次に彼と会う時は、今よりもっと綺麗に映るはずだ。

そして、ここにはいないリョーマとの再会をゆっくりゆっくり思い描いた。


終わり


2008年08月07日(木) 夕立(跡リョ)

先程から一向に止まない雨粒に、リョーマはもう一度隣に立っている跡部に声を掛けてみた。
「ねえ、やっぱり止まないんじゃないの?」
その問いに跡部は振り返ることなく、やっぱり雨を見たまま答える。
「もう少ししたら止むだろう」
「でも」
夕立だから、そう長いこと降っている訳ないだろ」
「あ、そ…」
そう言ってさっきからずっとここで雨宿りしている訳なのだが、
一体跡部は何を考えているのか。

(車で迎えに来てもらえばいいのに)
そうしたら傘もいらないのになあ、とリョーマは思った。

跡部と付き合い始めて、今日でちょうど1週間。
切っ掛けは跡部からの告白。
それをほぼ無理やりに近い形で承諾させられた。
「俺様が振られるなんてこと、絶対無い、有り得ねえんだよ!」
必死で迫ってくる表情に、ちょっと面白いかもと思って隙を見せたのが悪かった。
油断している内に跡部はどんどん入り込んで来て、うっかり承諾してしまった。一生の不覚だ。

一体、どんな交際になるんだろ。
怯えていたリョーマだったが、意外にもいきなり手を出すとかそういうことは全く無く、平日は家に送ってもらうだけ。
休日はテニスをするのみと、拍子抜けするくらい健全なお付き合いが続いている。
本気で何かされるのかといらない心配したのが嘘みたいだ。
未だに、キス一つしていない。

(って、俺もされたいなんて思っている訳じゃないけど)
自分の思考にツッコミを入れる。
ただ、跡部が思っていた性格と違い過ぎて戸惑っている。

一番よくわからないのが、送る時はいつも徒歩だっていうこと。
青学や家に来るまでは、車を使っているくせに。
わざわざ降りる理由がわからない。
(車の方が楽なのに…)
意味ないなあ、とリョーマは呟く。

今だって、車だったら急な夕立に合うこと無く家に帰れたはずだ。
よりにもよって二人共、傘を持っていなかった。
こんな公園の休憩所で立ち往生する羽目になって、30分は無駄にしている。

(ガソリン代をケチっている訳じゃないよな)

まさか、とリョーマは首を振った。
徒歩に拘る以外は、ファンタや飲食店で奢ってもらったり、気前が良いのは知っている。
なのに車を使おうとしないなんて、変なのと呟く。

「うわっ」
さきまで遠かった雷が、すぐ近くで響き始める。
まさかと思うけど、落ちたりするんだろうか。

(近くの木とか、本気でやばいかも)

しゃれにならないよ、とリョーマは跡部のシャツを引っ張った。
「ねえ、迎えに来てもらおうよ。雷が落ちたりしたら危ないじゃん」
「すぐ通り過ぎるだろ。びびってんのか」
「そういうこと言ってるんじゃなくて……。もう、いい。あんたに期待するのは止める」
溜息をついて、リョーマは携帯を取り出した。
母親に電話して、迎えに来てもらうように頼むつもりだ。
勿論車を運転するのは、あの父親だが、母からの頼みは断れない。
文句を言いつつも、来てくれるだろう。

しかし番号を呼び出そうと操作した所で、跡部の手に遮られる。

「ちょっと、何するんだよ」

考えもしなかった妨害に、リョーマは顔を上げた。
「雷なんて黙っていればどっかに行く。もう少し待っていようぜ」
この期に及んで、まだそんなことを言う。
呆れ顔で、リョーマは冷静に口を開いた。
「もう少しもう少しって、ずっと足止めされているんだけど。いい加減、帰りたい」
瞬間、携帯を抑えていた跡部の手から力が抜けたのがわかった。
そして、突っ返されてしまう。

「そんなに早く帰りたいのかよ」
低い声で言われて、リョーマは首を傾げた。
そんなの、聞くまでも無い。
「当たり前じゃん」
「お前、俺と一緒にいるよりも家に帰りたいのか」
「えっ」

驚いた瞬間、周囲にドォンという轟音が響き渡る。
「今のっ!?」
「落ちたな。たぶん、あそこの避雷針だろ」
「はあ…」
びっくりした、と目を丸くする。
想像した以上の音だった。
つくづく公園の木に落ちなくて良かった、と胸を撫で下ろす。

と、冷静になったところで、さっき言われたことを思い出す。

(聞き間違い、じゃなかったよね)

むっ、としたような跡部の言い方。
こんな所で迎えも呼ばず(跡部が呼べば、どこでも駆けつけてくれるだろうに)、
うだうだしたままでいる理由。
つまり、それは。

(一緒にいたいって、思ってるってことか)

家に送るのがいつも徒歩なのも、少しでも長くいられるようにと考えているのだとようやく気付く。

(わかりにくいんですけど)

そう思っているのなら、口に出して言えばいい。
黙っているのに伝わるかよ、と跡部の横顔を見詰める。

「付き合え」と迫った時はあんなに強引だったくせに、
こんな時だけ遠慮するなんて彼らしくない。
それとも無理やり承諾を得た形の交際だったので、今更弱気になっているとか。
内心では意外と悩んでいるのかもしれない。

(可愛い所あるじゃん)
リョーマは口元を綻ばせた。

「どうした」
視線に気付いた跡部が、怪訝そうに振り向く。
「別に」
言って、小さなベンチに腰を下ろす。
すぐ止むからとずっと立っていた所為で疲れてしまった。
ふぅ、と一息吐いて跡部に声を掛ける。

「ねえ、雨が止むの待つんだったら座っていようよ。ちょっと疲れたし」
「……ああ」
「隣座ったら?」
空いたスペースをポンポンを手で叩くと、跡部は目を開いた後ふらふらと寄って来た。
いつも堂々とした姿勢で歩いているから、余計になんか可笑しくなる。

「座っていいのか」
「公園のベンチだよ。誰が座ってもいいでほ」
「そ、そうか」
やっぱりぎこちない動作で、跡部はちょこんと腰を下ろす。
堪え切れなくて、とうとうリョーマは声を立てて笑ってしまう。

「さっきから何がおかしいんだ」
「さあね。それよりここに足止めされていう間、何か話でもしようよ」
「話?」
「付き合っているけど、あんたの事ほとんど知らないんだよね。
だから、何か喋ってみてよ」
「唐突だな」

ぶっきらぼうな言い方だったが、跡部は嬉しそうだ。
そして、ぽつぽつと自分のことについて話し出す。
勿論それだけじゃなく、リョーマにも振って来て。

(なんか、今までの中で一番会話しているかも)

これから送ってもらう間、当分話のネタは尽きることは無いだろう。
明日も明後日も、跡部に聞いてみたいことはたくさんある。

始まりが慌しかった分、これからはこの位のペースでいいのかもしれない。
歩く位の、速度で。

もう少し雨が降っていてもいいかもと、リョーマは跡部の声に耳を傾けた。


終わり


2008年08月06日(水) まだ恋は始まらない(真田リョ)


待ち合わせの場所へ向かうと、もうリョーマは先に来ていた。
愛用のファンタを飲んで、ベンチに腰掛けて足をぶらぶらと動かしている。
ほほえましい光景に、自然と真田の頬が緩む。
が、すぐに引き締めた。
リョーマの前で浮ついた顔を見せるべきではない。そう判断したからだ。

「すまん、待たせたな」
「真田さん」
真田に気付いたリョーマが、ぱっと顔を上げる。
「ちょっと早く着いただけ。まだ待ち合わせの時間より前だよ」
「そうか、それでファンタを飲んで待っていたのか」
「うん」
「いつもいつもファンタで飽きないのか」
会う時必ずリョーマはファンタばかり飲んでいることに、真田は気付いていた。
「飽きないよ。好きだもん」
「そうか…」
しかしスポーツ選手たるものそのような甘ったるい飲み物ではなく、相応しいものがあるだろう。
そう言おうとして、真田は口を噤んだ。
珍しいことだ。
いつも正しいと思ったことは、はっきりと相手に伝える。
出来ないのは…リョーマに限ってのことだ。

説教などしてリョーマの気分を害してしまったら。
この顔が、悲しげに歪んだりしたら。
そう考えると、中々思っていることを口に出せない。
立海の後輩達が知ったら、「贔屓だー!」と叫ぶ位に、越前リョーマに対して甘いと思う。
他校の生徒だから、言えないのか。
他の理由があるのか。今の真田にはまだわからない。

ただ、リョーマに嫌われるのはとても辛い。
友好的な関係を続けて行きたいと考えている。

「今日は何ゲームしようか。
出来るだけ長くやりたいんだけど。いい?」
伺うように小首を傾げるリョーマに、真田は反射的に頷いた。
長く、という言葉がうれしい。リョーマも自分とテニスをすることを楽しんでくれてるみたいだ。
それだけで滅多なことでは動かされない心が浮き立つ。
だからこそテニスをするのにたるんではいられない、と気持ちを入れ替える。
浮かれてばかりもいられない。
リョーマと打つためにここまで出て来たのだ。
本気を出さねば失礼に当たるだろう。

(そうだ、こいつ相手に気を緩めてなどいられない)

真田はラケットを持つ手に、力を込めた。





とりあえずアップしがてら、1ゲームをすることに決めた。
軽く打つ、と最初に言ったのに、お互いすぐ熱くなって、気付いたら1時間以上ボールを追い続けてしまっていた。

「休憩を取るべき時間から大分過ぎてしまった…俺としたことが」
「別にそれ位、区切りがついた時でいいじゃん」
「そう言って、後一ゲームと引かないのはどっちだ」
「だって自分が負けたときの状態で終わるのって何か嫌なんだよね。
あんただって、もう一勝負って何度も食い下がっていたじゃん」
「お、俺は一回しか言ってい無い」
「ううん、何回も言ってた」
「お前の聞き違いじゃないのか」
「うそうそ、言ってたって!」
軽い言い争いをした後、顔を見合わせて笑う。

一歩も引かないのはお互い様のようだ。
テニスに関しては、時間を忘れる位にのめり込んでしまう。
どっちの所為でも無いと結論を出して、水分補給の為に自販機へと向かう。

「さすがに今はファンタを飲みたいとは言わないな?」
「あ、ちょっと飲みたいかも」
「越前」
ため息交じりに言うと、「だって」とリョーマは小さく舌を出した。
「ファンタ好きだから」
「でも今は止めておけ。こっちにしろ」
お金を入れて、真田はスポーツ飲料のボタンを押した。
出て来たそれを、リョーマに「ほら」と手渡してやる。
「いいの?この間もおごってもらったのに」
「構わん。ファンタを飲むことを阻止出来ただけで、俺は十分だ」
「それ、真田さんにとって別に利益のあることじゃないと思うけど」
「難しく考えるな。とにかくそのドリンクを飲んでおけ」
「はあ…」
よくわからない理屈に、リョーマは曖昧に頷く。
真田は自分の分を買う為に、自販機へまたお金を入れる。

ファンタ云々は単なる口実に過ぎない。
何か一つでもリョーマの役に立てたらと、そんな気持ちから一本のジュースを奢った。
勿論それ位で、恩を売ろう等と考えている訳じゃない。
ただの自己満足に過ぎない行為だ。

同じ飲み物を手に持って、二人でベンチに腰掛ける。
「休憩終わったら、1セットマッチの勝負しようよ。で、終わったらご飯食べに行こ」
「そうだな」
「今日は、この間見付けたお好み屋さんがいい!ねえ、真田さんは?」
「お前がそうしたいなら、そこにすればいい。俺は構わない」
「やったあ」
嬉しそうに笑うリョーマは年相応にしか見えない。
あんなすごいテニスをする少年とは、思えない位だ。

「結構頻繁に会っているから、知ってる店も出尽くした感じっすね。
次はどうしよう」
「また歩いている間に見付ければいいだろう。そういうのは嫌か?」
「ううん」
嫌じゃない、とリョーマは首を振る。

「ただあんまり頻繁に会っているからさ、それが引っ掛かったというか」
「引っ掛かった?」
言っている意味がわからず聞き返すと、リョーマにしては歯切れが悪い様子で返される。
「こんなに俺の相手していて、立海の人に怒られたりしない?平気?」
「いや、大丈夫だが。どうしたんだ」
他校の選手と打つことが問題になるかと気にしているのか、だったら心配無用だ。
「本当に?」
「ああ。己が強くなる為にやっていることでもあるから、誰にも文句は言わせない。
それに文句を言ってくるような狭量の奴は我が立海にはいない」
「それなら、いいけど」
ほっとしたようおなりの顔から、自分の身を案じてくれたのだとわかって、
じんわりと喜びが真田を包んで行く。


実は、真田の言うことは間違っていたりする。
昨日。部活に顔を出した時に、幸村に「ねえ、真田」と呼び止められた。
「明日、青学のボーヤまたと会うんだって?いつの間にそんな仲良くなったのかなあ。俺の知らない所で」
なぜ知っているのかと思ったが、隠す必要は無い。
真田は正直に頷いた。
「ああ、越前と明日一緒にテニスをする約束をしている。
あいつと打てると思うと、今から楽しみだ」
「ふーん、他校の生徒とテニスするんだ。
来年またうちは青学相手に苦戦するかもしれないねえ。大変だ、大変だ」
にこやかな顔だが、どこか棘のある言い方だ。
笑ったままなのが余計怖い、というのが幸村に対する真田を除く部員達の評価だ。
そう。真田にはこのような嫌味は全く通じていない。
「苦戦するのなら、奴らの努力が足りなかったということになるな。
よし、今日は徹底的にしごいてやるか」
「あの、真田?そういうことじゃないんだけど」
「なんだ?何か不都合でもあるのか。トレーニングの件でアドバイスがあるのなら、聞こう」
「……いや、別に」
非常に前向きな真田の回答に、幸村は疲れたような顔をした。
「もういいよ、頑張って」
「ああ、そうする」
小さく舌打ちした幸村に気付かず、真田は張り切ってコートの中へと入る。
早速、後輩指導の開始だ。

「だから会うなって、遠回しに言ってるのが通じないのか。あの天然は!」
余計に幸村を怒らしちゃったりしたのだけど、
当の本人が気付いていないのだからどうしようも無い。
そういう訳で今の所、平和な状態が続いている。




「お前の方こそ、どうなんだ」
「俺?」
真田は逆にリョーマへ尋ねてみることにした。
「立海の生徒と会っていることが他の連中に知れたりしたら、やはりまずいのか?」
三年生である自分と違って、リョーマは一年生だ。
いかに実力が抜きん出ていても、年が上の連中に従わなければいけないこともあるだろう。
睨まれたりしていなければいいが。
心配する真田に、リョーマはあっけらかんと答える。
「あ、俺?バレてもどうってことないよ。何言われても気にしないから」
そうはいっても、リョーマの態度に反感を持ち嫌がらせをしてくる連中がいないとは限らない。
もう少し危機感を持つべきだろう。

「越前、今度からは神奈川で打たないか?」
「なんで?」
「こちらだと青学の生徒や知り合いに会う確率が高い。
その点こちらに来れば俺が通っているクラブで打てるから外部の者に見つかる可能性は低い。どうだ」
真剣に訴える。それもリョーマの身を案じてのことだ。
だが当の本人は「そんなことしなくていいよ」と、小さく欠伸をした。
「しかし、部内で問題になって先輩達との仲がこじれでもしたら…」
食い下がる真田に、リョーマは余裕たっぷりの笑顔を向けた。
「大丈夫だって。
俺が真田さんと売って、今より強くなっている所を見せれば、誰も文句言ったりしないよ。
青学のプラスになっているってね。違う?」

こんな小さな体のくせに、自分の信念をちゃんと持っていてまげようとしない、誤魔化しもしない。
越前リョーマという存在が、改めて眩しく映る。
勿論、心配なのは変わりないのだが。

「お前がそう言うのなら、仕方ない。だが何かあったらすぐ相談しろ、いいな」
「はあ、わかったよ」
真田の訴えが伝わったのか、リョーマは素直に頷いた。
「じゃあ、そろそろ休憩終わり。続きしようよ」
「そうだな」

うきうきとコートへ向かうリョーマのすぐ後ろを、真田も続いた。

(このまま何事も無く、越前とずっと会えると良いのだが…)

外部からの余計な圧力で会えなくなった場合を考えて、ふと足が止まった。
それはあまりにも、切ない想像で。

「どうかした?」
リョーマが訝しげに振り向く。
「何でもない、さあ、やるか」
「うん…?」

リョーマと会えなくなる。
そんな恐ろしい事態を防ぐ為にも、青学の連中に自分と打っているが役に立っていると知らしめなければならない。
だから、手加減は一切抜きだと、背筋を伸ばす。

(しかしどうしてここまで、俺は越前に拘るのだろうか。
テニスが上手いだけなら、他にも練習相手はいるのだが…わからんな)

この気持ちが初恋だというのに真田が気付くには、まだまだしばらく時間が掛かりそうだ。

終わり


2008年08月03日(日) 今とは違う未来を得る為(塚リョ)

一枚、また一枚と落ちてくる木の葉にボールを当てる。
慎重に、意識を集中して。
そして最後に残ったボールを当ててから、リョーマは大きく息を吐いた。

(とりあえず、今日のノルマ終了)
流れてきた汗をぐいっと裾で拭う。
悔しいが、途中何枚か取りこぼしてしまった。
けれどずっと休憩無しでやっていたから、疲れた。喉もカラカラだ。そろろそ休むべきだろう。
大好きなファンタでも買おうと、自販機に向かって歩き出した。

(あれ。桃先輩だ)
自販機への道のりの途中、切り株に向かってボールを叩き付けている桃城に出くわす。
「何…してるんすか?」
声を掛けると、桃城は慌てたように振り向いた。
「べ、別に何でもねえよ。ちょっと肩慣らししてただけだ」
「ふーん」
「そういうお前こそ何さぼってるんだよ」
「さぼってないっす。ずっと動いていたから、ちょっと水分補給しなきゃって思っただけだ」
「あー、じゃあ俺も行くわ」
「自分の分は自分で買って下さいね」
「ちっ、先に言われたか」
軽口を叩いて、桃城が後ろからついて来た。
勝手にすればいい、とリョーマはマイペースに足を進めて行く。

(ねむ……)
練習の疲れも出た所為か、自然と欠伸をしてしまう。
それを見た桃城が、「寝不足かあ?」と尋ねる
「違う」
「集合の時も大欠伸してたじゃんか」
「でも寝不足じゃないっす」
きっぱり否定するが、桃城は納得してくれない。
「だってここの所、遅刻もしてないだろ。慣れねえ早起きして疲れているんじゃないか?」
「……」
「まあ、部長が抜けちまって気合が入るのもわかるけどよ。あんまり無理すんなよ」
部長、の一言にリョーマの足が止まる。

「別に。部長がいないからって、どうってことないし」
「は?」
「たまたま遅刻してないだけで、部長は関係ないってこと!」
「いや、でも部長がいなくなってから、一段と気合入ったのは見てわかるって。
俺もそうだからよ。照れるなって」
知った風に言われて、ますます腹が立って来てしまう。
「だから違うって言ってるじゃん!」
「おい、越前」
「もういい」
怒ったようにリョーマは走り出した。
「なんだ、あいつ…」
桃城は首を捻ってリョーマの言動について考えてみた。
が、答えは何も出なかった。

(ムカつく、ムカつく、ムカつく)
ファンタを飲んでも、リョーマの苛々は収まらない。
ここの所ずっと落ち着かない気持ちが続いている所為だ。

「手塚は九州に行くことになった」
ボーリングの帰り、顧問から手塚が腕の治療の為にここを離れて行く時から始まった。
(九州って、遠過ぎなんだけど…)
氷帝との試合で、誰が見ても明らかに手塚は腕を酷使していた。
痛々しくて見ていられないと大部分の部員が目を逸らす中、リョーマはまっすぐ手塚のことを見ていた。
あそこに立っているのが自分だったら。
倒れるまで諦めない。手塚と同じ行動を取っただろう。
気持ちがわかったから、ずっと負けるなと心の中で応援してた。
最後まで見届けようと、瞬きすら惜しい位にコートを走る手塚の姿を追っていた。

結果は、負けてしまったけれど。
勝ち負けを超えた手塚の姿に、リョーマは圧倒されていた。


(部長が、いない)
手塚と別にそんなに親しかった訳じゃない。
目を掛けてはもらったが、所詮は部長と部員、それだけの関係。
その証拠に、離れた今手塚と連絡を取る手段すらわからない。
携帯を持っているかさえも、知らないのだ。
今何をして、どんな気持ちでいるか、リハビリは順調なのか。
帰ってくるまで何もわからないままだ。
時折大石から「手塚は元気だって」と、報告を聞く位。

(なんだ、つまんない)
それがものすごく不満に思えるのは、どうしてなんだろう。

手塚国光という人間をテニスだけじゃなく、それ以外でどんな人なのか。
今になって知りたくなってきた。
なのに近くにいなくて、連絡先も知らなくて。

今、出来ることといえば、ただひとつ。
手塚が戻って来るまで、全国までの道を繋いでいく。
その為に頑張ることだけ。

(だから、あんたを超えようと思って頑張っている訳だけど。まだまだ、だね)
九州に行く直前大石と手塚が話していた、落ちてくる葉にボールを当てる作業も、
始めたばかりなのですんなりと上手くはいかない。
手塚が連続で出したという記録には、もう少し努力が必要だ。

「っし!」

弱気になり掛ける自分の頬を、両手で軽く叩く。

(残りの時間まで、もうちょっと頑張れる)
ファンタの缶を捨てて、急いで木の下へと戻る。
そしてまたボールを掴んで、落ちて行く葉っぱ目掛けて当てて行った。

(ねえ、部長)

今は遠くて、地図だとどの辺か見当もつかない程遠くて。
でも思い出す度に強くなってやるんだって、気持ちが大きくなっていく。
それだけじゃなく、会いたい…とも思う。

(だから、帰って来たら。携帯の番号を聞く所から始めよう、うん)

そんなことを聞いたら、手塚は戸惑うだろうか。
反対に律儀に応えてくれるのか。
どちらにしろ、始まりはそこからだ。
連絡さえも取れない、そんな枠もっとぶっ壊してやる。


帰って来た手塚のことをあれこれ想像しながら、リョーマはまた一つ落ちてくる葉っぱにボールを当てた。

終わり


2008年08月01日(金) 生意気(不二リョ)

「不二先輩、おはようございます!」
挨拶と同時に、ぴたっと体を密着される。
「……おはよう、越前。ところでこの手は何かな?」
腰にしがみ付く手を見下ろすと、越前はあっけらかんと答えた。
「スミマセン、俺アメリカ育ちなんでついついスキンシップの一環として手が出ちゃうんです」
「今まで一度もそんな素振りなかったような」
「これまでは遠慮してたんすよ、遠慮。でも日本での暮らしが慣れて来たんで、気が緩んで出てきちゃったのかも」
言い訳にもならない言葉に、僕は苦笑した。
そんなの誰が信じるというのだろう。

「おチビちゃーん、おはよう!あれ、また不二にくっ付いてんの」
「いいでしょ、別に。つうか、不二先輩との時間を邪魔しないで下さい」
フーッと子猫が威嚇するような態度を取る越前。
それ位じゃ英二を追い払うことは出来ない。むしろ逆だろう。
「邪魔なんてしてないよー!それより俺も混ぜて欲しいにゃ」
「それが邪魔っていうのに!」
片手で追い払おうとする越前の体に、英二が無理やり圧し掛かってくる。
当然、僕に掛かる負担が大きくなる訳で。
「二人共、いい加減にしなよ?」
「わあ!?」
「にゃっ」
すっと体を引くと、越前と英二が仲良く床に沈む。
「早く着替えないと、手塚にグラウンド10周って言われるからね。
僕は先に行くから、二人で仲良く走ったら」
「ちょ、ちょっと待ってよ、不二先輩!俺も一緒に行くから、待って!」
「不二〜、友達と可愛い後輩見捨てる気かよ!」
騒ぐ二人に笑顔で応える。
「間に合うといいね。じゃ」
部室のドアを閉めて、グラウンドへと向かう。

(今朝も騒がしかった…)
少し離れた所で、ようやく一息つく。
ここの所、毎日がこの調子だ。身が持たない、とふと遠い目をする。

全ての始まりは越前が僕に好きと告白した時からだった。
あの雨の日、試合をして以来、彼の様子がおかしくなった。
じっと僕の方を見てたかと思うと逸らされたり、近づくと逃げ出したり。
嫌われちゃったのかなと考えていたら、突然。
「俺、不二先輩のことが好きです!」
色気も何も無い言い方で告白された。しかも部活の真っ最中のコートの中で、だ。
「何かすごく気になって、その正体を考えてやっとわかった。
先輩のことが好きなんだって」
「越前、落ち着いて」
「付き合って下さい」
まっすぐな気持ちをぶつけて来た越前にはびっくりさせられたけど、
僕は冷静に口を開いた。
「それはわかったから、でも今は部活の時間だよ。そういう話は後にしない?」
「でも、すぐに言いたかったから」
にこにこして言う越前の背後に、影が差した。
「越前、グラウンド20周!コートの中で私語は許さん!」
「えーっ、部長…いつの間に聞いてたんすか」
「いつの間に、じゃない。あんなでかい声で喋っておいて」
「だって恋の為なんです。どんな場所にいても関係ないって、わかんないかなあ」
「お前な…」
頭を抱えた後、手塚は「グラウンド30周!」と叫んだ。

この日から、越前の好き好き騒動は続いている。

「先輩、見付けた!」
急いで着替えを終えたのだろう、ボタンも嵌めていない状態で越前が走って来た。
「ちゃんと間に合ったよ、偉い?」
「あのねえ、越前」
小さい子供に言い聞かせるように、僕は言った。
「そもそも来てすぐ着替えたら、余裕だったんだよ。わかる?
いつもぎりぎりなんだから、僕にくっ付いたりするのはもう止めたら?」
越前は一瞬目を見開いて、そして首を横にフッタ。
「ヤダ。先輩にくっ付かないと、一日が始まらない」
「大袈裟だなあ」
「真面目に言っているのに」
ぷう、と頬を膨らませる。どこら辺が真面目なのか、よくわからない。
「それにしても毎日毎日よく飽きないね」
「俺が先輩に飽きることは無いよ」
根拠も無いことを、自信たっぷりに言う。
僕にだけは素直、かと思えばやっぱり生意気な態度は健在だ。
急に、崩してみたくなる。

「じゃあ、僕が迷惑しているとか、そういうのは考えたことは無いの?」
「え…?」
越前の大きな目が、たった一言で悲しそうに歪む。
「迷惑っすか」
「あ、えっと」
しまった、言い過ぎたか。
でもどうやって返したら良いかわからない。
もたついている間に、越前は手で目の端を拭って顔を上げる。
「でも例えそうだとしても、諦めるつもりは無いから!」
「越前」
「覚悟しておいてね、不二先輩」
言い切ったその表情は生意気さと切ない覚悟が入り混じったもので、
否応なしに心がぐらりと揺れてしまう。
そう、僕は越前のことを…。
「お前達、集合時間も過ぎているのに、何をしている!」
「あ、手塚」
「部長ー」
響いた低い声に、やばいと僕は察知した。
喋っている間に、集合時間が過ぎてしまったようだ。

「特に、越前」
眉間に皺を寄せて、手塚が少し大きい声を出す。
「毎回毎回何度同じことを注意させるつもりだ!
全く、お前という奴は何を考えている」
「だって恋の為だからしょうがないじゃん」
あ、まずい。
もう少しましな言い方をすればいいのに、手塚は肩を震わせて「グラウンド30周だ」と宣言する。
「え、僕も?」
「連帯責任だ。走ってこい」
手塚の言葉に、越前はパッと顔を輝かせる。
そして「行こう、先輩」と腕を引っ張ってきた。

「折角部長が気を利かせてくれたんだから、二人きりで走ろう。
途中、あの木の陰で休んだりして、まったり過ごすとか」
「あのね、越前」
「真面目に走らないと、一人で走らせるぞ。越前」
「ちぇっ、わかりました」
手塚が釘を刺してくれたおかげで、越前はよからぬことを考えるのを止めた。
それでも結局。
「走るのか…」
頬を引きつらせる。
その原因となった越前は、僕に笑顔を向けてくる。
「今日はついてる。朝から先輩と走れるんだから」
「ああ、そう…」
「先輩は楽しくない?」

生意気な顔を見せてたかと思えば、またしおらしい態度。
どこまで本気なんだか。
ただの子供の思い込みで、恋だと突っ走っている気がしないでもないけど、
そんな越前に少しずつ惹かれてる。
それもまた事実だったりする。

でも、今は。
「さあね」
余裕の顔ではぐらかす。
まだ教えてあげないよ。
「先輩っていっつもそうだよね。でもいつか絶対メロメロにさせてやるんだから」
「そう、頑張って」
「う〜〜」
不満げに唸る越前に、そっと微笑む。

軽く言えるような好きじゃなく、もっと揺ぎ無い心に育つまで待っているんだから。
早く大人になって、と控えめにシャツを掴む越前に心の中で祈る。
そうしたら、僕から改めて告白するから。

生意気だけど素直な君に、もうメロメロなんだって。

終わり


チフネ