チフネの日記
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2008年03月30日(日) おわかれの日(不二リョ)

「俺、先輩の笑顔苦手だったんだよね」
「え!?」
悪戯っぽく笑うリョーマに、不二は絶句した。





今日は越前が渡米する日だ。
『見送りはいらない』
越前はそう言ったが、不二は絶対に行くと主張して譲らなかった。
一人で家に居たら、落ち着かなくて結局空港まで行ってしまう。そして間に合わなかったら、ずっと後悔する。
その懇願に、越前は不満そうな顔をした。
「そんなに来て欲しくないの?どうして?」
越前の不満顔に、不二は思ったことをぶつけた。
不二にとっては珍しいことだ。大体、いつも越前のことを考えた上で、二人にとって良い方へと動いていた。そのつもりだった。
なのに今は何の抑制も働かない。
それは越前がもうすぐ自分の前から去ってしまうからだろうか。別れを前にして、隠す必要も無いからなのか。
そんな風に思って、不二は悲しくなってしまった。
「どうして、って」
越前は不二の顔を見て、困ったように眉を寄せる。
「引き止められたら、飛行機に乗る自信がぐらつきそうで嫌なんだよね」
思ってもいない回答に、不二は目をぱちっと開けた。
越前からの弱気な発言を聞いたのは、これが初めてだったかもしれない。
お互い、わかれの日を前にして、感情が揺れている。格好つけることも、相手のことを思いやる余裕も無い。
「引き止めたりしないって、約束するから。でも見送りはさせて?」
越前を抱きしめて、不二はもう一度お願いをする。
言葉には出さずに、越前は腕の中で頷いた。


そして、今。
搭乗するまでの間、二人は特に会話をすることも無くベンチに腰掛けていた。
話なんて、もう何も無い。
時計だけを気にして、一秒一秒過ぎて行く。
後、何分後かには越前は触れる距離にいなくなる。
不二はそんなことばかり考えていて、気が滅入っていた。
隣で越前は足をぶらぶらと揺らしている。
何か、そうもっと伝えたいことがあるはずだ。
なのに上手く言葉に出来ずに、不二は頭を抱えるだけ。
そんな時だ。越前が唐突に「俺、先輩の笑顔苦手だったんだよね」言ったのは。

絶句する不二に、越前は「だった、過去のことだよ」と告げる。
「り、理由を聞いてもいいかな?」
「うん」
不二は動揺を抑えた。何か、笑顔の所為で過去に不愉快な思いをさせただろうか。
考えても出て来ないので、越前の顔をじっと見詰める。
越前は気にする風でも無く、淡々と答えた。

「最初に会った頃の先輩って、何考えてるのかさっぱりわからなくて、正直不気味だった。
笑っているけど、心からじゃない。そういうのって、好きじゃないんだ」
「そう、か」
不二は俯いた。
越前はこんな時にも誤魔化したり隠そうとしない、正直な子だ。いつでも、会った時からずっと。
自分とは正反対の性格だ。言われた通り、あの頃は笑顔の裏に本心を閉じ込めていた。
弟が去って行った時も。
青学で一番になれないことも。
笑って流した方が楽だって、そう思っていた。
だから初対面の越前が、それに感付いて好意的に思えなくても、仕方ないことだ。

「一応言っておくけど、今の先輩の笑顔は好きっすよ」
フォローのつもりなのだろうか。
ぶっきらぼうな声に不二が顔を上げると、同時にベンチに置いた手に、越前の手が重ねられる。
「一緒にいるときに見せてくれる、それは本物だってわかるから。
もっと見ていたいと思う」
「本当に?」
「うん」
大きく頷く越前を見て、不二はやっと体から力を抜いた。

そうだ。
彼の前で取り繕う必要は無いと、教えられた。
好きだと言ってくれるこの笑顔は、越前がいなかったら出来なかったものかもしれない。

「君が僕に幸せをくれたから、ちゃんと笑えるようになった気がする」

思ったことを口にすると、越前は目を丸くして、そしてぷいっと横を向いた。
「何それ」
照れているらしい。
本当のことなんだけどね、と不二は苦笑した。
出会ってから、越前ばかり見ていて、越前のことばかり考えていて、多大な影響を受けた。
今の自分の笑顔。それこそが、証拠だ。
ここに越前がいた、自分の中に混じって残っているようで嬉しくなる。

「なんで、笑ってんの?」
不思議に思った越前が、不二を見て目を瞬かせる。
「いや、君の影響力ってすごいんだなって改めて思っていたんだ」
「はあ?」
「いや、本当に。真面目にそう言っている。君が僕を良い方向へと引っ張ってくれた。
これはもう、僕の中で確定事項だから」
「…………」

にこっと笑って見せると、越前は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「でも、それだったら俺も不二先輩の影響を受けてる所があるかも」
「え?僕が?」
なんだろう、と考える。越前によって変わった自分、はわかるけどその逆は想像出来ない。
おろおろしている間に、さらっと答えられてしまう。
「離れたくない、とか。一緒にいたいとか。
そんなの考えるようになったのは、きっと先輩に会ったからだよ」
「越前」
重ねたままだった手を、不二はきゅっと握った。越前も同じように握り返してくる。

「やだなあ。こういう気持ちになるってわかっているから、見送りは嫌だって言ったのに」
「ごめん」
「謝らなくてもいい。やっぱり俺も後から来てもらえば良かったかも、って後悔してたと思う」

越前が笑う。でもいつものような勝気な笑みではなくて。
泣きそうなその初めて見る表情に、不二は唇をぎゅっと噛んだ。
このままでいたい、それは二人とも同じ気持ち。
でも、もう時間は残されていない。
だから、思っていることを全部。伝えるしかない。

「ねえ、越前」
「何?」
「これから僕達は簡単に会える距離にはいられなくなるよね」
「うん」
「メールや電話でやり取りはしていても、会えないことには変わりない。
二度と会えないって訳じゃないけど、やっぱりこの距離は遠いよ。
それに越前は向こうでの新しい生活が始まって、僕は高等部に進学する。
お互い、忙しくなっていく」
「何が、言いたいんだよ」
越前が苛立っているのはわかった。でも、不二の話を最後まで聞こうと我慢している。
握っている手が痛いくらいだった。
「そうしている間にね、心まで距離と同じように離れていくかもしれない。
時間っていうのは残酷で、変わらないって今思う気持ちも流していってしまうんだ」
「それで?終わりになんの?」
「ううん」
不二は首を振った。

「これからの日常の中に君が埋もれていっても、好きだって気持ちは残るんだ。
再会したら、また君に夢中になってしまう。これだけは言える。
離れて、忘れられても。また君に恋をする。
次に会う時は、こんな距離くらい大人になっているだろうから。
覚悟しておいてね、越前君」
「不二先輩?」
越前は首を傾げた。

「なんか別れたいのか、改めて宣言したいのかどっちなんすか。あー、混乱してきた」
「どっちもかな。
君を縛っておくことは出来ないのもわかっているから、今日ここで終わりになっても構わない。
でもその次には、終わりは無いからね」
「ふーん。良い顔しているじゃん」

くすっと越前が笑った所で、アナウンスが流れる。
越前の家族が離れた場所で手招きしているのが見えた。

「行かなくちゃ、いけないね」
「うん。わかっている。でもその前に、先輩」
「ん?」

先にベンチを立ち上がった越前が、素早く屈んで不二の頬にキスを落とす。
「え、越前!?」
「俺、気が長い方じゃないんで。
先輩がこんな距離乗り越える前よりも、会いに来てやる。
また会えば、俺のこと好きになるんでしょ?じゃあ、今からプロ目指してがんがん稼いで、全部航空代に変えてやる。
心まで離れるなんて無いって、証明してやるからね!」

にっ、と勝ったように宣言して、越前は両親の元へと駆け出す。
呆然と背中を見送る不二に、一度だけ振り返って小さく手を振ってから行ってしまう。


「これは、一本取られたかな」

離れる覚悟をしていた不二と、最初から諦めるつもりが無かった越前。
まだまだだね、と小さく呟く。

でも人生はこれからだ。
今度会う時は、もっと越前が惚れ直すような男になって。
逆に驚かせてやろう。きっと、だ。


でも、彼がくれた笑顔はこのままで。
ずっと続けていられたら、この恋は続いて行く。行けるはずだ。





「俺、今もその前も、先輩の笑顔好きっすよ」

今度は、そう言ってくれる日を信じて待っている。

終わり


チフネ