チフネの日記
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2006年01月07日(土) Vanilla (完)



覚悟は決めたものの、やっぱりどこか落ち着かなくて。
ずっとリョーマはそわそわと、心ここに在らずな状態で過ごしていた。
勘の良い南次朗から、「何かあるんだろ。教えろよ」とからかわれたり。
チームメイトにも「リョーマ君、調子悪いの?」と言われたりする位に。

その落ち着きの無さは、今日こうして不二の家に着いた後も続いてたりする。
不二の母が用意してくれた夕ご飯を食べている時も、
ぼーっとしておかずを落としたり。
変な所でつまずきそうになったりと、大変だった。
今はカチコチになったまま、ソファに座ってテレビを眺めている。
勿論内容なんて、頭に入って来ない。

「越前」
「は、はい!?」

不二に名前を呼ばれただけで、動揺してしまうリョーマ。
不自然に仰け反った状態を見て、不二が大きく溜息をつく。
「お風呂沸いたから入っておいでって言うつもりだったけど・・・一人で大丈夫?」
「大丈夫って、何がですか!?」

まさか一緒に入ろうなんて、言うつもりじゃ。
覚悟は決めてきたけど、明るい所で見せるとまでは考えて無い。
無理、と首を振ろうとするリョーマに、不二は困ったような顔をした。

「相当、動揺してるみたいだね。
あのさ、この間はあんな事言ったけど。
やっぱり越前の気持ちがもう少し固まるまで、延期しよう。
僕なら、待てるから」
その言葉に、リョーマはパッと顔を上げた。

「ヤダ!折角、こうして二人きりなのに!」
「でも」
「無理してここにいる訳じゃない。
今日来たのは、先輩をもっと好きになる為。
先輩にもっと好きになってもらう為。違う?」

動揺しているのは怖いからじゃない。
ただ、どんな顔したら良いかわからないだけだ。

ぎゅっと抱きつくと、「全く、この子は・・・」と頭を撫でられる。

「わかった。越前がそう言ってくれるなら、僕も我慢しない」
「そうして下さい」
「だったら、今から押し倒しちゃっていい?
あんまり可愛いこと言うから我慢出来なくなっちゃった」
いいよね?と服に手を掛けられそうになって、
リョーマは慌てて飛び退いた。
「ごめん。それはお風呂入ってからにして下さい!」
「あ、越前・・・・」

ダッシュで脱衣所に逃げ込む。
部活が終わってから、ここに直行したのだ。
汗を掻いた体を不二に差し出す訳にはいかないと、スポンジにボディソープを垂らし徹底的に磨き上げる。
あまりの長風呂に不二が心配して声を掛けて来るまで、
これ以上は無いという位体を荒い続けていた。








室内に灯っているのは、小さなルームライト一つだけだ。
電気を消して欲しいとのリョーマの切実な訴えを、
不二は残念そうだったがちゃんと聞いてくれた。
不二も風呂上りな為、リョーマと同じパジャマ姿になってる。

どうせ、脱ぐんだけど・・・。

浮かんだ考えに、リョーマの頬がポン、と赤くなる。

「越前、こっちに来て」
「はい・・・」

伸ばされた手を掴むと、優しく抱き寄せられる。
何度も抱きしめられたけど、今日のはまた違った気持ちにさせられる。
これから始まる行為に不安と恥ずかしさとで胸が一杯の所為か。
うるさい心音に目をぎゅっと閉じると、
不二がちゅっと額に口付けしてきた。
「すごくドキドキしてるよ。わかる?越前」
手を掴まれて、不二の心臓の上へと導かれる。
そこはリョーマと同じように、早いリズムで動いていた。

不二も、一緒だったんだ。
そのことに安心して、リョーマはこくんと頷く。
「俺も、そうだよ。ほら」
もう一方の不二の手を、自分の胸の上へ。

とくん、とくんと二人はお互いの鼓動を確かめる。

「こんなに好きな君にこれ以上触れたら、どうにかなっちゃいそうだね」
不二の言葉に、リョーマはちょっとだけ笑った。
「どうか、なんてとっくになってる」
「越前」
「だからさ、しよ」


不二が迷いを吹っ切る為にと、リョーマから告げる。
怖がっているんじゃない。本当に、したいんだから。

言い終わると同時に、熱烈なキスが降って来た。













あれからどれ位の時間が流れただろう。
しばらくの間、不二にどこもかしこも触れられて、キスされて。
何度も達した気がする。
でも、まだ終わらない。
後で思い出したら恥ずかしくて顔なんか見れない格好を取らされても、
不二を受け入れる為にと、リョーマは必死で自分に言い聞かせる。

「大丈夫、無理しないで。息を止めないで、そう。ゆっくり・・・」

不二の指示した通り、呼吸をそっと浅く吸って吐く。

たしかに痛くて辛いけど、止めたいなんて思わないのはどうしてだろう。
むしろ、もっと不二にして欲しいような。

おかしいのかなと、頭の隅で考える。
痛みはあるけど、怪我した時とはまた違う感覚だ。
もっと、甘さを含んでるような。

「あ・・・」
「越前?」

ぱちっと目を開けると、不安げに覗いてる不二の顔があった。

そんな顔しないで。
何されても、あなたの事が好きだから。

精一杯の笑顔を、リョーマは大好きな人へ向ける。


今の感覚を例えるとしたら、そうだ。

(バニラ、アイス・・・?)

とろとろに溶かされた甘いバニラアイス。
不二から与えられるものは、全部甘い。
自分もそうだったら良いのだけれど。

意識を手放す瞬間そんなことを考えた。


















「越前、平気?」
翌日はやっぱりというか、すぐには立てない状態になってしまい、
ひどく不二を心配させてしまった。
「んー、大丈夫。ゆっくりしていれば、なんとも無い」
「そう?」
好きな人に心配掛ける訳にはいかないと、リョーマはなるべく元気なように振舞う。
これも愛故ってやつか、と一人で頷く。

「朝食にしては遅いけど・・・ご飯作ったから食べようか」
「っす」

甲斐甲斐しく働く不二を、リョーマはこれ以上に無い幸せな気分で眺めた。
不二も支度をしつつも、何度もリョーマを振り返って視線を送ってくる。
その目には、愛しさしか無い。
幸せな朝食の風景だ。

少し前までは、ただの先輩くらいにしか思っていなかったのに。
こんなに夢中になっているなんて、不思議だ。
3カ月前の自分へ伝えても、きっと信じない。



「そうだ。さっき買ってきたんだけど、食後に食べる?」
「え」
冷凍庫から不二が取り出した物を見て、リョーマは目を瞬かせる。
「バニラアイス・・・。いつ買って来たんすか?」
「越前が寝てる間に、近くのコンビにまで行って。
昨日、バニラアイスが食べたいって言っていた気がしたから・・・違った?」

言葉に出したつもりは無かったけど、聞こえていたのだろうか。
固まるリョーマに、不二は「あれ、やっぱり勘違いかな」と頭を掻く。

「ううん。食べるっす」
「あ、じゃあ。食後に出すね」
「ハイ。先輩も一緒に食べるんだよね?」

リョーマの問いに、不二はちょっと照れながら言う。

「僕は、もうすごく甘いものを頂いたからいいよ」
「それって・・・?」
「越前のことに決まっているじゃないか」

同時に二人とも顔を赤くする。

「あ!魚焦げちゃう」
バタバタと慌しくコンロへ賭けて行く不二の背中を見て、
リョーマは小さく溜息をついた。


だったら自分も、もう十分満ち足りてる。
でも不二がくれるあの甘い感覚は、きっといつまでも飽きない。




終わり


2006年01月06日(金) Vanilla 6





「また明日ね」
そう言って、不二がぎゅっと抱きしめくる。
少し苦しいくらいの抱擁。
でも、心地良い。

何秒か続いた後、不二がゆっくりと体を離した。
そして笑顔で告げる。
「明日、また一緒に帰ろうね」
「・・・・っす」
リョーマが頷いたのを確認してから、不二は「じゃあね」と自分の家へと歩き出した。

あの雨の日以来、毎日不二に抱きしめられてる。
もうすっかり習慣化してしまった。

『越前の体温、すごく好きなんだ』
恥ずかしげも無く言う不二に、何も言い返せなかった。
いつも不二はストレートに気持ちを表現してくれる。
おかげで、すっかりペースを乱されてしまう。
あの腕を振り払うことなんて、出来ない。

で、抱きしめられる日々が続いているのだけれど。
それだけ。
進展は他に何も無い。

(こんな事ばっかり考えて、馬鹿じゃないの・・・)

最近のリョーマは、不二とその先へ進むことばかり考えて悶々と悩んでいる。
まだ、手も出されてないというのに。

不二は抱きしめるだけで満足して、それ以上を仕掛けて来ないのだ。
それがリョーマにとってちょっぴり不満だったりする。

(キス、したいな)

母親からキスは好きな人とだけするものだと教えられてきたリョーマは、
アメリカ育ちにも関わらずキスの経験が無かった。
小さ過ぎて意味がわからない頃は、可愛い可愛いと寄って来る大人たちにキスされたようだが、
それはまた別だ。大体、覚えてもいない。
女の子じゃないけれど、キスするならやっぱり好きな人とだけしたい。
その相手と折角巡り合えたのだ。
したい、と思うことは変じゃないはず・・・。

ここでリョーマが不安になるのは、不二の気持ちだ。
まだ早いと思っているのか、それともそういうことはやっぱり女の子としたいと思っているのか。
前者だったら、迫ったら最後軽蔑されてしまう可能性がある。
そう思うと、自分から言い出すことも出来ない。
後者だったら、立ち直れないかもしれない。
ここまで不二に嵌まってしまったのに、「やっぱり、君とは付き合えない」と言われたら。

「はあ・・・・」

ベッドにうつ伏せて、目を閉じる。
浮かぶのは不二の事だけだ。
もう、おかしい位に。

あの美しい人に、今まで恋人がいなかったなんて思えない。
不二の唇が触れた女の子達に、嫉妬する。
顔も名前も知らない想像だけなのに、こんなにも焦れて切ない気持ちになる。

「不二、先輩」

もっと近くなりたいよ。
そっとリョーマは指を自分の唇の這わせた。









そんな恥ずかしいことばかり考えているけれど、
不二の前ではいつも通りに振舞う努力をした。
こんな事で悩んでるなんて知られたくない。

「越前。お茶のお代わりはいる?」
「いるっす」
カップを差し出すと、不二はくすっと笑って受け取りまた温かい紅茶を注いでくれる。
本日は部活が終わってから真っ直ぐ不二の家へお邪魔した。
由美子姉さんが作ってくれたケーキがあるから、と言われ、リョーマは即答で頷いた。
最も不二の誘いは何であれ、断れるはずも無いのだが。

「今日のケーキも美味しい。由美子さん、本当にすごいね」
「姉さんに伝えておくよ。越前のこと、気に入ってたから美味しいって言ってくれたら喜ぶはず」
一度会った時に、可愛い子!と頭をぐしゃぐしゃと撫でられたことを思い出し、
リョーマは少し苦笑した。
不二が止めなかったら、いつまでも放してくれなかったかもしれない。

「あ、越前。口元にクリームがついてる」
「え?」
ぺろっとリョーマは舌で唇を舐める。
「そこじゃない、こっち」
だが、場所が違ったらしい。
不二の手が伸びてきて、優しく拭ってくれたのだが。

「あ・・・」

近い。
クリームを取ってもらう為、体を近づけたリョーマと。
拭う為に手を伸ばした不二とその距離はもうちょっとでくっつく位。
不二の顔が近い。

このまま・・・キスしたいな。

そう思って、じっと不二の顔を見詰める。
このままでいるより目を閉じた方が良いかもと思った瞬間、
不二の体がすっと離れた。

「・・・はい、取れたよ」
何事も無かったのように、不二は笑ってる。

(なんで?)

階下に不二の母はいるけれど、この部屋には二人きり。
キスをしても良いタイミングだったのに。
不二は体を引いてしまった。

開いた距離に呆然となる。
不二はキスしたいって、思わないのだろうか。

「越前?」

俯いてしまったリョーマを見て、不二が心配そうな声を出す。

「どうか、したの?」
「俺は・・・」

待ってても、してくれないかもしれない。
そう思うと、気持ちが焦ってしまう。
だって、この恋がいつまで続くかなんてわからないから。
なら。今、掴まえておきたい。

「不二先輩っ!」
「越前!?」
膝立ちして、そのまま勢いで不二の体にぶつかる。
突然のリョーマの暴走に驚いたのか、不二は支えきれない。
二人してそのまま床に倒れてしまう。

「越前、あの・・・一体?」

リョーマが上に覆い被る状態で、不二は目を瞬かせている。
状況がいまいちわかっていないみたいだ。

「不二先輩・・・俺、先輩とキスがしたい」
「えええ越前!?」
「ダメ、っすか?」

ここまでやっちゃったからには、後戻りは出来ない。
覚悟を決めて、リョーマは不二の唇にゆっくりと顔を近付けていく。

「ちょっと待って!」
「・・・・・・・・・」
が、不二に肩を押され、体を押し戻されてしまった。

(やっぱり、俺としたくないんだ!)

その結論にじわり、と涙が出そうになる。
これ以上みっともない所を見せたくないので、さっと不二の体から降りた。
そして背を向けて、床にしゃがみ込む。

「変なこと言って、スミマセン」
震えそうになる声を必死で抑える。
本当は拒絶されたことに、悲しくて仕方ないけど。
「越前?」
「迷惑だったんでしょ。ごめん、もうキスしたいなんて言わないから・・・。
別れるなんて言わないでくださ、」
リョーマの言葉が終わるより前に、不二に背中からぎゅっと抱きしめられる。
「誰が別れるなんて言うの!?そんな事、一度だって考えたりしないのに」
「だって・・・俺がキスしようとしたら、嫌がったじゃん」
「あれはっ!」

ぐるっと体を回され、不二と正面を向かい合う形になる。
まだ顔を上げるのが恥ずかしくて俯くと、ぐいっと手を添えられ無理矢理不二の方へと向かされた。

「君からされる、っていうのが納得いかなかったというか。
やっぱり初めての時は僕からしたと考えてたから」
「はあ?だって不二先輩・・・俺にキスしようなんて一度も素振りすら見せたこと無いじゃん」
その指摘に、不二の目元が赤くなる。
「だけど、色々考えてはいたよ!本当は触れたかったんだ」
「そんな。さっさとしてくれれば良かったのに。俺は・・・いつでもOKなんだから」

あれ。ちょっと大胆なこと言っちゃった?
目を瞬かせた後、嬉しそうに笑う不二を見て、急に恥ずかしくなる。
だけど、言ってしまった言葉はもう取り返しがつかない。

「うん。でもね、キスしたら色々ととまらなくなっちゃう気がして。
越前の誕生日くらいがいいかなーって予定してたんだけど」
「誕生日って、まだ先っすよ?」
今の季節は秋だ。
そんなにまで待たされたら、眠れぬ毎日が続いてしまう。
「俺は今、したいっす」
「そう。だったら、覚悟は出来てる?」
「覚悟?」
ふと、不二の表情が変わった。
試合の時、見せた真剣な顔だ。
コート以外で、そんな目をするなんて。
背筋がぞくぞくする。

「うん、覚悟。キスなんかしちゃったら、きっと僕はもっと君を手に入れたくなる。
嫌がろうが、君の意思など無関係にね」
「・・・・・・・・」
「それでも、いい?」

ダメ、だなんて言えるはず無い。
とっくに、もう不二の手の中だ。
それに自分だって望んでいること。
そういう覚悟なら、もう出来てる。


頷くと同時に、不二が顔を近づけて来た。
急いで目を閉じると、待ち望んでた熱が触れる。

ああ、不二とキスしてる。
そう思うだけで、リョーマの心は嬉しさに崩れそうになる。

抑えきれなかったのはリョーマだけじゃない、不二もだ。
二人は飽きること無く、キスを何度も繰り返した。
最初は触れ合わせるだけで満足してたのに、後の方にはお互いの舌を絡めて、どっちかの唾液だかわからなくなる位に。

何十回目のキスを終えた後、息を乱したまま不二が囁く。


「今週の土日にね。母さんと姉さんは二人で旅行に行くんだ。
ねえ、泊まりに来てくれない?」

勿論、否という理由は無かった。









2006年01月05日(木) Vanilla 5 


リョーマは雨の日が嫌いだ。
理由は一つ。いたって単純。
テニスが出来ないから。
今日みたいに雨が降ったら不機嫌になる所だが、いつもとは様子が違う。
雨は嫌いだが、こんな時間を過ごすのは悪くない。
そう思うのも、不二がいるからなのか。

現在、不二の部屋にいて折りたたみテーブルを挟んで座ってる。
テーブルには飲物と教科書。
リョーマの宿題を教えてもらってる格好だ。

雨が降って部活が中止になった分、長くいられる。
それが嬉しい、と思うなんて。
二人きりの空間を意識しているのが恥ずかしくて、リョーマは平常の顔でいようと努め続けてる。




雨が降り出したのは、昼過ぎからだった。
止みそうに無い空に、今日の練習は中止じゃないかと思い、ふと気付く。
早く帰宅出来るのなら、いつもよりも長く不二と過ごせるんじゃないかって。
部活が終わった後ではもう辺りが暗く、
不二の家に上がってもあまりゆっくりすることが出来ない。
授業が終わってすぐなら、もっとのんびりとした会話も楽しめるだろう。

(あ、でも・・・どうしよう)

今日も一緒に帰る約束はしているが、
待ち合わせは部活が終わった後の時間でしかしていない。
この雨で部活は休みだと不二が察してくれて、早く来てくれるだろうか。
それとも、不二のいる教室まで伝えに行くべきか。
三年生の教室とは階が分かれている。
足を運んだことすらない場所だ。
大した用事じゃないから、余計に行き辛い。
「やっぱり部活は中止だってよー」
5時間目が終わった後、連絡が回って来ても、
リョーマは不二の所へ行けずにいた。

(どうしよう・・・)

だがその悩みはHRが終わって、すぐ解決されることになる。

「越前」
なんと、不二が直々にリョーマを訪ねて教室まで迎えに来たのだ。
自分の名前を呼ぶ声に、飛び上がりそうになってしまう。
不二は出入り口で手招きしている。
堀尾が「不二先輩?なんで来てるんだ?」の声も気にせずに、慌てて駆け寄る。

「どうしたんすか、こんな所まで」
リョーマの質問に、不二はちょっとだけ気まずい顔をする。
今の言い方が教室に来られて迷惑だと、取ったのかもしれない。
慌ててリョーマは「遠いのに、わざわざ来てくれたから驚いた」とよくわからないフォローをしてしまう。
しかしそれで不二は気を取り直したようだ。
こほんと小さく咳払いして、口を開く。
「えっとね、今日部活が休みだって知ってる?」
「はい」
「それで、今から一緒に帰ろうかって誘いに来たんだ。
教室から出ちゃったらすれ違うかもしれないから、どうしてもここで掴まえておきたかった」
ぱっとリョーマは顔を上げる。
不二は自分の言ったことが必死過ぎて恥ずかしいと思ったのか、照れ笑いをしている。
「待っててください。自分の荷物取ってくるから」
「越前?」
今度は一目散に自分の席へと戻り、鞄に教科書を詰め込む。その時間僅か3秒。
あっけにとられてる堀尾を見向きもせずに、不二の元へと戻る。

「そんなに急がなくても良かったのに・・・」
不二は全部見ていたので、機敏な動作に驚いているようだった。
でもすぐに表情を緩めて、「帰ろうか」と笑い掛ける。
「ういっす」

雨が降ったおかげで、少し早めの帰宅時間。
テニスが出来ないのは残念だが、不二と一緒にいられるならそれもまた嬉しいことだ。

「良かった。桃に確認した甲斐があったな」
連れ立って歩く途中、不二が呟いた言葉に反応する。
「桃先輩?なんで?」
わざわざ?と疑問に思うリョーマに、
不二は少し迷いながらもさっきの行動を打ち明けてくる。
「雨が降ったから、休みになるかって聞きに行ったんだ。
もしかして室内トレーニングってこともあるだろう?
でも休みなら、待ち合わせ時間が変更になるから。
桃が連絡のためにあちこち動いてたおかげで、ギリギリにしか確認出来なかったんだけどね・・・」
でも会えて良かったと笑う不二と、その言葉に、リョーマの頬がぽっと染まる。

雨が降ったとき、不二も自分と同じことを考えてたらしい。
3−6へ行く勇気が出せなかった自分と違い、
桃城に確かめ1年生の教室まで迎えに来てくれた不二。
素直に行動にも口に出せる、この人が好きだとまた思った。

「あのさ、先輩」
「何?」
ドキドキさせられっぱなしというのも、悔しい。
自分だってちゃんと不二のことが好きだ。
ちゃんと伝えたい。

「俺、雨ってテニスが出来なくなるから嫌いだけど。
先輩といつもより長く過ごせることは、嬉しいって思う。本当だよ?」
「越前」

不二が、あの嬉しくてたまらないといった笑顔を見せる。
こっちまで幸せになるようなほわんとした表情。

「・・・惜しいな」
「何が?」
「ここが学校じゃなく、せめて誰もいなかったら。
君のこと抱きしめていたのに」
「え!?」

声を上げて驚くリョーマに、不二は慌てて否定する。
「冗談・・・だよ」
「・・・・・・」
「ごめん、驚かせたね」
「ううん」

冗談だとは言ったけど、今のは本気の言葉に聞こえた。
付き合いをこのまま続けたら、そういうことだってあるだろう。
キスとか、もっと先の展開だって。
好き合ってる者同士なら、普通のこと。

(うわ・・・)

想像して、リョーマは口に手を当てる。

「どうしたの?」
「なんでもない」
下手な冗談を言った所為で怒ったのか。
ひたすら心配しているような不二に、リョーマは「なんでもない」と繰り返す。
「そ、そう?」
「早く、先輩の家行こう?」
「うん。・・・?」

(何かすごくまずい想像した気がする)

外を歩く間も、リョーマは傘で顔を隠していた。
不二の顔がまともに見れない。
触れられるとか、キスとか。
一瞬想像したけど、嫌じゃないと思ってしまった。
相手が不二なら、してもいいとまでも。

(変だよ、絶対)

わざと足早に歩くリョーマに、不二はやっぱり怒っているのだろうかと、
悲しげに小さな背中を見詰めていた。





不二の部屋に入った回数は、片手とちょっと位だ。
いつ来ても自分の部屋とは違い綺麗に片付いている。

「適当にくつろいでて。今、お茶を入れるからね」
「うん」

最初に入った時も少し緊張はしたが、
今日ほどじゃない気がする。
つい、先程の不二に言われた言葉を考えてしまう。
今は家の中で、不二の部屋で二人きり。
抱きしめるには絶好のチャンス。

(ダメだ・・・)

考えまいと、リョーマは小さく首を振る。
不二は特に意識するような態度を取っていない。
部屋に入っても、普段通りだ。
お茶を運んだ後も、宿題でも見てあげようかと提案を出し、
変わらぬ態度で手伝ってくれている。

(俺ばっかり意識しても、しょうがないじゃん)

バカみたいと、鉛筆を強く握り締める。
「越前。どこかわからないところがある?」
「あ・・・」
顔を近づけてきた不二に驚き、さっと体を引いてしまう。
「・・・・・・」
リョーマの態度に、当然傷付いた表情を覗かせる。
だがすぐに不二は、優しい笑顔を向けてくれるのだ。
「少し疲れたかな。お代わり持って来ようか」
気まずくならないようにしてくれてるのがわかる。
まだ触れるには早いんだ、と納得してるに違いない。

(でも・・・何かヤダ)
席を立とうとする不二を、リョーマは引止めに掛かった。
くいっと、ズボンの裾を引っ張る。
「どうかした?」
瞬きしている不二に、「座って下さい」とお願いする。
リョーマの言葉に、不二は逆らうことなく隣へと腰掛けた。

「あのさ。嫌だなんて、思ってないよ」
どう切り出したら良いかわからず、それでもたどたどしく自分の意思を伝える。
「誰かいる場所は、たしかにちょっと困るけど。
今はいないから・・・さっき言ったことしていいよ」
「越前」

不二の目が開かれる。
かなりびっくりしてる様子だ。
誘うようなことを言ったことが恥ずかしくて、リョーマは目を伏せる。
だが不二の手が顔に手を掛かり、上を向かされてしまう。

「僕に気を使っているんだったら、別にそんな事言わなくてもいいんだよ。
もっと好きになってもらうまで、待つから」
穏やかに笑うこの人は、いつまでも待ってくれるだろう。
だけど、リョーマは小さく首を振る。
「待たなくてもいい。俺も、先輩のこと好きなんだから」
さあ、来いというように両手を広げる。
いささか情緒無いやり方かもしれないけど、リョーマはどうしたら良いのかわからないのだ。
その様子を見て、不二はぷっと笑う。

「な、何」
「ううん。遠慮なく、抱きしめさせてもらいます」
「うん」

たかがハグじゃん、とリョーマは思っていた。
アメリカでも友人に抱きつかれたことは、ある。
スキンシップ好きな母や、菜々子にもよくぎゅっと抱きしめられる。
慣れてる、どうってこと無いと構えていたのに。

(何だろ。すごく気持ち良い)

誰かに抱きしめられた感覚と、全く違う。
「越前・・・」
耳元で名前を呼ばれる。
それだけで、背中がゾクッと反応してしまう。

(不二先輩って、こんな力強かったっけ?それに思っていたより、筋肉ついてる・・・?)
見掛けと違い抱きしめてくる腕の力は、強い。
テニスしてる姿を見ていて、ひ弱では無いのは知っていたけれど。
他の先輩に比べると、どうしても小柄な部類に入る。
だけど抱きしめてる腕も密着している体も、
自分とは違いちゃんと発育した男のものだ。
(隣歩いて薄々思ったけど、引退してから背も伸びてるような)
綺麗で優しいだけの先輩を、急に男性だと意識して、
いたたまれず体をもぞもぞと動かしてしまう。
それに気付いた不二は、すぐに拘束していた腕を解いてゆっくりと体を離した。

「ごめん。苦しかった?」
「ううん。別にっ」
なんでもないと、無理に強気な顔を作ってみせる。
動揺してるなんて、出来れば知られたく無い。
不二は特に追求することはせずに、「そうだ」と声を上げる。
「越前。一つ約束して欲しいんだ」
「何を?」
真剣な様子に、リョーマも表情を引き締める。

「僕以外と、こんなことしないで。お願い」
何かと思ったら、そんなことを真顔で告げられる。
「・・・・・・・・・・・・」
きょとんとした後、リョーマは笑い出してしまう。
「する訳ないじゃん。何真面目に言ってるの」
「大事なことだよ。
他の人が君を抱きしめるなんて、嫌だって本当に思ったから。
独占欲の強い僕は、嫌?」
しゅん、となってしまう不二も、可愛い。
耳を伏せた犬、みたい。
そんな事を考えながら、リョーマは膝の上にある不二の手を掴む。
「嫌いじゃないよ。それだけ、俺のこと好きなんだよね?」
「うん。すごく好き」
「じゃあ、約束する。他の人とはしない。
だから先輩も俺にしたのと同じこと、他の人としないで。
約束出来る?」
嬉しい、と不二はまた抱きついてくる。

「うん、約束する」
急に抱きつかれたので、リョーマは体勢を崩してしまう。
不二の胸に倒れる格好だ。
(わ・・・)
どうしたらよいかわからず、体を預ける格好のまま、
不二がぎゅうっとでも優しく力を込めてくる。
「ありがとう、越前」
摺り寄せられる頬の感触が心地良い。

やっぱり不二に触れられるのは、悪く無い。
むしろ少しでも長く、こうしていたい位だ。

暖かい体温にうっとりとして、リョーマは両目を閉じた。


2006年01月04日(水) Vanilla 4 










(えーっと、今日で7回目?)

珍しく不二が待ち合わせ場所にいなかった。
ここで約束している以上、先に帰るはずはないだろう。
待っていればその内来るよね、とリョーマは小さく欠伸をした。

不二と一緒に帰宅するのも、7回目になる。
最初の頃のぎこちなさは、大分無くなってる・・・と思う。
主人に懐く犬のような不二の態度は相変わらずだけれど。
真正面から愛情をぶつけられるのは、悪く無い。
悪くは無いが、少々照れくさいとは思う。
大好きだよと目で訴える不二を見る度、
逸らしてしまうことも何回かある。
不快では無いのに、そわそわしてしまうような感じ。
こんなの一度も経験したことの無い気持ちだ。

どこかでこんな状態の人を見たような。
誰だったっけ?としばらく考え、ようやくリョーマは思い当たる。
居候している従姉の菜々子が、休日に時折見せる様子とよく似てる。
普段、学校へ行く服装とはあきらかに違ったり、
いつもと違う香りがしたり。
上の空の表情かと思えば、嬉しそうに笑っている。

自分の様子を客観的に見ると、
あの時の菜々子に似てる・・・とリョーマは思った。
不二のことは、家でも考えてる。
帰りの時の話や、引退前の試合してる姿とか。
自然と頬が緩んでいるのに気付き、誰も見ていないのに慌てて表情を引き締めることも何度かある。

(こんなことって、あるんだ)

今まで、誰かを想って知らず笑顔になった経験は一度も無い。
不思議だ、とリョーマは呟く。
母も菜々子もカルピンも好きだけれど、
不二への想いとは何か違う。それはわかる。
勿論、テニスともファンタとも違う。
一体、不二は自分の心のどこに入ってしまったのだろう。
一緒にいなくても、考えずにはいられなくなるなんて。

「困るよね・・・」
「何が?」

急に声が聞こえたので、リョーマはびっくりして飛び上がった。

「ごめん、驚かせちゃった?」
「不二先輩」

平気?と心配そうに顔を覗き込む不二に、
「大丈夫」とリョーマは返事した。

「ここに来る途中、担任に偶然会っちゃってね。
捉まると、話長いんだ。ごめん、待った?」
「ううん。いつも先輩が待っててくれてるから。
これ位、別に・・・」

リョーマの言葉を嬉しそうに聞いてる不二の笑顔が、眩しく見える。
どうしてこの人の笑顔を見ると、
勝手に鼓動が早くなるんだろう。
心音が不二にも聞こえてしまうのでは、とリョーマはそんな事を心配してしまう。

「じゃ、帰ろうか」
「うん」

リョーマも出来れば不二を家まで送りたいと思っていた。
だから交互にして帰ろうと提案したのだが、
不二がそれを許さなかった。
『僕の家から帰る途中何かあったらと思うと、とてもじっとしていられない』
不二の家に初めて上がった日もそうだった。
玄関まででいいと言ったのに、不二は家までついて来てしまった。
これじゃ二度手間もいい所だと、
リョーマは諦めて不二に家まで送られることを承諾した。
そういう所は、決して譲ろうとしないので仕方ない。
そこまで大事にされてると思えば、文句も言えないから。


「ところで、リョーマ君。何か困ったことでもあるの?」
「え?」
「さっき、言ってたじゃない。困ったって。
もし相談出来ることなら、僕に話してくれないかな?」
「あー、えーっと」

すっかりリョーマの力になるつもりでいる不二に、
本当に困ったと小さく息を吐く。

言えるはずも無い。
いつもあなたの事を考えている所為で、気持ちが落ち着かなくて困っているんですなんて。

「じゃ、じゃあ。ちょっといい?」
「勿論」

リョーマの為ならばと、不二は力強く頷く。
いつもいつも惜しみなく愛情を表現する不二。
そんな彼に、一つ聞いてみようとリョーマはゴクンと唾を飲み込む。

「不二先輩は家にいる時とかにでも、俺のこと考えたりする?」
「勿論だよ」

即答する不二に、リョーマは目を瞬かせた。

「あれ?信じてないの?」
「・・・例えば、どういう時?」

戸惑いながら尋ねるリョーマに、不二はすらすらと答える。

「部屋でくつろいでいる時に、君がいたらなあっていつも思ってるよ。
食事も、君がいたらもっと美味しく食べれるとか。
写真を見ても、君が隣にいたらもっと楽しいだろうにとか。
授業中も。離れていて寂しいなーって。
付き合ってるのに、欲張りなことばかり考えてしまう」

呆れた?と不二は照れたように笑う。
頬が少し赤い。
つられて、リョーマも赤くなった。

(正直な、人)

自分にはとても言えない言葉を、
素直に伝えてくれる。
それが、たまらなく嬉しい。
だからまた、不二に心惹かれてしまう。

(あ、そうか)

こんなやり取りばかりしてたら、
不二のことを考えてしまうのも仕方ない。
考えないようにする方が、無理な話だ。


「あのさ」
「何」
「越前は?ちょっとは・・・僕のこと考えてくれてたりする?」

必死、な表情で尋ねて来る不二に、
リョーマは口を閉じる。

不二ほど、素直になれるのは無理だ。
もうこれは性格で。
すぐに変えようとしても、出来ない。

でも。
さっき不二が正直に言ってくれたおかげで、
すごく幸せな気持ちになった。

自分も正直な気持ちを伝えたら、
不二も幸せになるんじゃないだろうか。

その考えが、リョーマの素直じゃない心を押す。

「うん・・・考えたりする、よ」

精一杯の言葉を使い、リョーマは小さく体を震わせた。
こんなのを言わせるのも、不二だけだ。
恥ずかしくて逃げ出してしまいたい位。
でも不二の反応を確認しなくちゃ、とリョーマはそっと上を向く。

「リョーマ君も・・・そっか、僕のことを考えたりしてくれるんだ」

感激した声と、
ほわん、と夢見るような不二の表情。
いつかの菜々子とよく似ている、あの感じだ。

(なんだ。俺と同じじゃん)

ほっとして、リョーマは力を抜いた。

変だと、思っていたけれど自分だけじゃない。
不二も同じなら、この状態を続けても構わないのだろうと思った。


「ねえ、例えばどんな時考えたりするの?」
「え?」

不二が学ランを、きゅっと引っ張る。

「聞きたいなあ。すごく」
「・・・ヤダ。言わない」
「ねえ、越前」
「ヤダ、ってば」

これ以上言えない、とそっぽ向くリョーマに、
不二は粘り強く質問し続ける。

「なんで、そんなに聞きたがるんだよ」
「越前が僕を思い出す瞬間って、何なのか興味あるからね」
「そんなの別に良いでしょ」
「僕にとっては、重要事項だよ」
「あー、もう!」

これ以上聞かないでと言っても、聞き入れてくれない。
そうだ不二はある意味我侭だったと思い出すが、遅かった。

結局帰り道の間に、リョーマは全てを言わされる嵌めになった。
恥ずかしくて今度こそ土の中に潜ってしまいたくなったが、
妙に不二が感動している姿を見て、
(まあ・・・いいか)と思い止まった。



2006年01月03日(火) Vanilla 3


ボタンと留めることすら、もどかしい。
慌しく、リョーマは着替えを終えた。

「お疲れっす」
「おー、越前。何にか急いでるのか?」
「まあね」

桃城の声にも振り返らず、返事する。
不二が待ってると思うと、もたもたしていられないからだ。

「お先っす!」

部室を飛び出し、一目散に指定場所へと向かう。

コート近くの水飲み場で待ち合わせしよう?
部活が終わるまで、宿題でもして待ってるから。

今朝、したばかりの不二との約束。


こんな時間まで待っててくれた。
これ以上、待たせる訳にはいかないという気持ちが、リョーマを走らせる。



「越前」

校内に残っていても、不二は特にやることは無い。
やはり先に来て待っている。

リョーマの姿を見つけ、嬉しそうに声を上げるその姿。

(やっぱり・・・なんていうか。主人を待ってる犬っぽい)

今までのイメージとは違うんだよな、と思いつつ不二の元へと駆け寄る。


「お待たせっす」
「お疲れ様。・・・あれ、越前?」

じっと不二が胸元を見詰める。
なんだろう?と見下ろすと、
「ボタンの留める位置がずれてるよ」と言われてしまう。

慌てて確かめると、たしかに一番下のボタンを掛け忘れ、そのまま留めてる。
上まできちんと閉めていたら気付いたかもしれないが、慌てていた為外して来た。

しまったと、思った瞬間、

「直してあげる」

不二の手が制服へと伸びてくる。


自分でやるからいい、と言うよりも先に、
長くきれいな不二の指に目を奪われる。
テニスしてるとは思えない、細く長い指。

それがリョーマの学ランのボタンを一つ一つ外していく。

「慌てて着替えなくても、良かったのに」

下からボタンを留めていく不二が、くすっと笑う。

なんだか急いでやって来たことが、恥ずかしくなってしまう。

‘そんなんじゃない、たまたまだ’と言い訳しようと口を開きかけるが、
「嬉しいな」という呟きに閉じてしまう。

「越前が急いで来てくれたおかげで、数秒でも長く一緒にいられることが出来る。
ありがとう」
「いえ・・・そんな」

全部ボタンを留め終えて、不二は屈んでいた体勢から上へと起こす。
顔には嬉しくて仕方ない表情を浮かべている。

違うんだといわなくて良かったとお、リョーマは内心でほっとした。

たしかに不二の為に急いだのは、本当。
ただそれを素直に認めるのは恥ずかしくもあり、何か悔しいから認めるつもりは無かった。

けれど不二があんまりにも素直に、嬉しいなとにこにこしているのを見ると、
変なプライドの所為で否定する気持ちが無くなってしまう。

(だって。たったこんなこと位で・・・不二先輩があんなに嬉しそうにしてるから)

君と居れることが嬉しいと、不二は態度と目で語っている。

悪い気分じゃない。

リョーマも、不二と居れることが嬉しいと思い始めていた。

「じゃあ、帰ろうか」
「うん」

歩幅を合わせて、二人は歩き出す。





リョーマの家を覚えたいと不二が主張するので、
今日は最後まで送ってもらうことに決まった。
不二の家とリョーマの家は離れている。
途中でそれぞれ別れた方が、早く帰宅できるのだが、
不二は絶対最後まで送ると譲らない。

「今日は譲りますけど、次は俺が先輩を送って行くからね」
「いいよ。僕の家までの行き方も、覚えてもらいたいし」

時間があれば、寄って行ってもらいたいなと不二は言う。

きっといつお邪魔してもキレイに片付いているに違いない。
パジャマは脱ぎっぱなし、ゲーム機は散らかしっぱなしの自分の部屋と違って。
とてもじゃないけれど、今日寄って行ったら?なんて言えない。

こんなことなら掃除をしておけば良かったと、こっそり思う。

歩いている間も、不二は道のりを確認していく。
そして驚くほど、色々な質問をリョーマにぶつけてくる。

誕生日・血液型・好きな食べ物。休みはどんなことしているの?
好きなゲームのジャンルは何?そうだ、ゲーセンは行くの?今度一緒に行こうか。
動物なら何が好き?猫飼ってるんだ、どんな子?名前は?等など。

これが名前も知らない女の子に囲まれて質問されたのなら、不機嫌になる所だ。

不二は質問するたびに、「答えられる範囲でいいからね」と言う。
遠慮がちな目を向けて、だ。

(ずるい)

そんな顔されて、拒否できるものか。
元々隠すこともないような質問ばかりなので、不二に聞かれるまま全て答えてあげた。

そして考えた質問が一通り終わったのか、
不二は「こんな所かな」と小さく息を吐いた。

「越前からは?」
「え?」
「僕ばっかり聞いても、悪いと思って。
何か聞きたいことがあるなら、遠慮無く言ってみて」
「え・・・っと」

誕生日は聞いておこうか。
今の勢いだと、12月24日に不二は確実にプレゼントを持ってきそうだ。
間違いない。
おかえしにこちらも・・・となった時、不二の誕生日は知らないでは話にならない。

(あ、でもそれよりも)

「どうかした?」

黙ってしまったリョーマに、不二が顔を覗き込んでくる。

「あの、変な質問してもいいっすか?」
「なんでも、どうぞ」

どんなのでも答えるよといった顔している不二に、浮かんだ疑問を口に出す。

「不二先輩って、いつから俺を好きだったんですか?」
「え?」
「だって今までそんな素振り、みせたことなかったでしょ」

もし引退前に、今みたいな目で見詰められたら。
きっと不二の気持ちに気付いていた。
こんなあからさまな視線。わからないはずがない。

しかしリョーマには、全く覚えが無い。
不二も、ひょっとして昨日の告白は行き当たりばったりだったのでは。
そんな疑問がむくむくと大きくなって行く。

「正直に、話すよ?」
「うん」
「自分の気持ちに気付いたのは、実はそんな前じゃないんだ」

やっぱりかと肩を落としかけるが、不二の言葉は続いているのでちゃんと耳を傾ける。

「君のことはね、ただ可愛い後輩だと思っていた。
君がテニスしてる姿には心が高鳴ったけど、本当のことはわからなかった。
実力があって、目を引く選手だからって思い込んでた」
「・・・はあ」

まさかそんな風に言われるとは思わず、目を泳がしてしまう。

あの頃。まだ不二が引退する前。
リョーマも、不二がテニスしてる姿を綺麗だと思ったことはあった。
圧倒的なテニスをする手塚とは違うけれど、
美しい技術を持った人だって。
リョーマだって、不二のことは認めていた。

その不二に、自分のテニスを見て心が高鳴ると言われるとは。

(驚いた)

うわっ、とリョーマは口元に手を当てる。


「でもね、引退してからすぐに。
偶然図書室の窓から、コートにいる君が見えたんだ」


その時に、急に自覚したと不二は照れながらも告げる。

「いつもあの場所で会うことが出来たのに、今はこんなにも遠い。
何か理由が無くちゃ、君と会えないんだって。
そんなの嫌だって、強く思った」

でも困ったことに、と不二は苦笑する。

「ほら、新しい体制になってから練習も前より長くなって忙しくなっちゃったよね?
そんな時に、誘うことなんて出来ないなって。
なかなか勇気が持てなかったんだ」
「そうっすか」

急な思いつきで告白して来たんじゃなかった。
それがわかって、リョーマは頬を緩ませる。
引退してから、今まで想っていてくれたなんて。
意外だけど、すごく嬉しい。

「ずっと君のことを考えていた。
あれからよく行くようになった図書室で、こっそりコートを見ていたんだよ」
「全然知らなかった」
「そっちからだと、わかりにくいからね」

今度確認してみようと、リョーマは心の中で決めた。

「昨日、君と偶然会った時はすごく驚いたよ。
いつも遠かったのに、こんなに近くにいるって」
「そうは見えなかったけど?」
「動揺を隠すのに、本当は必死だった。
なのに思わず、好きだって言っちゃったから・・・やっぱり平静じゃなかった。
本当はもっと慎重に告白するつもりだったのに」

上手く行ったから良かったものの、ダメだったら落ち込んでいたとまで言われる。

「こんな所で、答えになってるかな?」
「っす」

こくんと、頷く。
不二の本当の気持ちを知ることが出来て、良かったと思う。

「あ。俺の家、ここっす」


話をしている間に、リョーマの家がすぐそこに見えている所まで来てしまった。

表札を指差すと、不二は「もう着いちゃったか」と残念そうに笑う。

「途中まで送るっすよ。まだ道完璧に覚えていないでしょ」

元来た道を引き返そうとしたリョーマに、
不二は「大丈夫」と制する。

「もう、覚えたよ。だから、家に入って」
「でも」
「今日はこのまま君が家に入ったのを見届けてから、帰りたい気分なんだ」

ね、お願い?と重ねて言われると、いや送るんだとは主張出来ない。

(というか、俺、不二先輩の言うこと全部断りきれてないんじゃないか?)

これじゃ不二のことを犬みたいとか、言えない。
自分だって、主人に従う姿は同じじゃないのか?


もっとこう、いつものそれがどうしたっていう態度が何故か出せない。

(だって不二先輩が、やけに素直に態度を取るから)
ひねくれる気も、失せてしまう。

また、さあ入ってと促す不二に、
リョーマは軽く息を吸って顔を上げる。

「不二先輩って」
「うん、何?」
「思っていたイメージと全然違うね。
一緒に部活やっていた時はもっと他人に無関心で、
恋愛に対しても素っ気無い人だと思い込んでた。
図書室の窓からそっと見ている先輩なんて、想像も出来ないんだけど」

一気に捲くし立てるリョーマに言葉に、不二は顔を強張らせる。
そして恐る恐るといったように、声を出す。

「がっかり、させちゃった?」
「ううん。その逆」

きっぱりと、即座にリョーマは否定してみせた。

「こんな面も持っていたんだって、思い込んでた印象が違ったんだってわかった。
むしろ今の不二先輩の方が、ずっと身近に感じられて・・・・」


ここで、一旦言葉を止める。
何かごく恥ずかしいことを言ってしまいそうで、口を閉じてしまった。

「えっと、その続きは?」

待ちきれなくなった不二が、先を言ってと催促する。

「身近に感じられて、そして?」
「それだけっす」
「だって、まだ何か言いたそうにしてたじゃない」
「気のせいっすよ」
「ま、待ってよ。越前!」

赤くなった頬を隠す為、門の中へと逃げる。

「気が向いたら、話してもいいけど」

背を向けたままの状態で、不二に告げた。
今は、これが精一杯。

「じゃあ、気が向くまで待ってるから。ずっと・・・待ってる」

だからそんなに期待しないでと、また恥ずかしくなる。

「じゃあ、不二先輩、今日はここで。送ってくれてありがとうっす」
「うん。また明日ね、越前」
「迷子にならないように気をつけて」
「気をつけるよ。ありがとう」

じゃあね、と不二が去るのと、リョーマが玄関に入るのは同時だった。


菜々子の「おかえり」の声に早口で「ただいま」と返事して階段を駆け上がる。

窓を開けて、不二の姿を確認すると、
ちゃんと行きと同じ角を曲がって行くのが見えた。

(また明日ね、不二先輩)

昨夜、この先どうなるんだろうと思い悩んでいるよりも、
ずっと良い感じの方向へ進んだ気がする。
もっと不二のことを知りたいと、思うくらいには。

(あ、結局誕生日がいつか聞いてない)

明日会ったら、今度はこっちからいっぱい質問してやろう。
まだ知らないこと、沢山ある。


不二の姿が見えなくなっても、リョーマは窓に乗り出したまま
幸せな想像を続けていた。


2006年01月02日(月) vanilla 2



今朝のリョーマは寝不足だ。
あまり眠れなかった上に、随分早く目が覚めてしまった。

「あらリョーマ。もう行くの?」
「うん」

いつもよりずっと早く学校へ行こうとする息子に、母は首を傾げる。

(さっさと朝練行こ)

このまま家でぼーっとしていたら、寝てしまうかもしれない。
罰走させられるよりも、早く学校へ行った方が良い。

(あーあ・・・それもこれもあの人の所為だ)

昨日から、ずっと不二のことを考えている。
他に何も考えられない。


『好きだよ、越前』
突然の告白。
そして始まった交際。

全く大変な一日だった。

自分も不二と付き合うことをOKしたのだけれど。

(どうなるんだろ。これから)

先のことを考えば考える程、眠れなかった。


心の準備も無く交際を決めたけれど、
なんだかずっと前から不二のことを想っているみたいだ。


「おーっす、越前。今日は早いじゃねえか!」

一番に来ていた桃城が、部室に入って来たリョーマを見て声を上げる。

「・・・たまにはね」
「ほー。今日は雨でも降るのか?やべぇ、傘持って来て無いぞ」

ハハと笑う桃城を軽く睨み、リョーマは着替え始める。

「おい。折角早く来たんだから、皆が来る前に軽く打とうぜ」
「ういっす」

先行って準備しておくからなという桃城に、
「ういっす」と返事しておく。

テニスをすると考えただけで、浮ついた気持ちが収まっていく。

「よしっ」

手早く着替えて、リョーマは勢いよく外に出る。

今は悩み事など後回しにしておこう。





朝練は問題も無く通常と同じ授業の始まる20分前に、終了となった。

「これだけ練習してさー、体育の授業があると辛いよな」
「お昼前にあると、特にね」

無駄口を叩きながら片付けしている同級生達に、
早くしろよと思いつつ、リョーマは淡々と手を動かす。


「あれ、不二先輩がいるよ」
「あ、本当だ。何してるんだろ?」

皆の声に、リョーマは手を止めて振り返る。

「あ・・・」

朝からこんな所に用は無いはずの不二が、立っていた。

「越前!ちょっといい?」

手招きする不二に、まだ片付けの途中なのにどうしようかと目を彷徨わせる。

(なんだよ、一体・・・)

「行って来なよ、リョーマ君」

元レギュラーの不二に呼ばれたんだ、きっと大事な用があるんだと思ったのだろう。
側にいたカチローが、リョーマの持っていたボールの籠を奪う。

「早く行った方がいいよ。時間無いからね」
「・・・サンキュ」

礼を言ってから、走って不二の元へと向かう。


「どうしたんすか、不二先輩」

じっとリョーマが近くにやって来るのを見ていた不二は、
「うん、ちょっとね」と曖昧に返事をする。


「こっち来てくれる?」
「え、不二先輩?」

いきなり腕を掴まれたと、と同時に引っ張られて行く。
ものすごい勢いに逆らうことなく、リョーマは不二に連れられるまま走った。

部室の裏側まで回り、やっと不二は足を止めた。

「一体どうしたんすか?」

尋ねるリョーマに、不二は少し躊躇した後口を開く。

「おはよう、越前」
「は?」

何故、おはよう?

ぽかんと口を開けるリョーマに、
不二は慌てて「まだ挨拶してなかったから」と言い訳をする。

「やっぱり朝の挨拶は大事だからね」
「はあ・・・」

この場合、自分もおはようと返すべきか。
でもタイミングを逃してしまったような。
しかしこちらがしないというもの、なんだし。

「・・・・おはようっす」

口篭りながら出た挨拶にも、不二はにっこりと笑顔で「うん」と言ってくれた。

「それで、どうしたんすか?一体」

朝っぱらからやって来て、こんな所にまで来た理由を知りたい。

「ああ、うん。時間があまり無いから単刀直入に言うけど」

一旦言葉を止めて、不二は乾いた唇をぺろっと舐めた。
そして、続ける。

「昨日の件、だけど。夢じゃないよね?」
「えっ?」
「どうしても確認しておきたいんだ。
その・・・昨日君は慌てて行っちゃったから」

耳が垂れ下がった犬みたいな表情で言う不二に、
リョーマは目を丸くする。


あの不二が。
試合の途中で視力を失っても弱気な表情を決して見せなかった、天才と呼ばれる不二が。

(嘘、でしょ)

こんなにオタオタしてるなんて。

(同一人物か?)
何度も目を瞬かせるが、どうみても不二だ。


「どう、なの?」

何も答えないリョーマに不安になったのか、
小さな声で不二は再び尋ねる。

「あ・・・うん、夢じゃないっすよ。俺もちゃんと覚えてます」
「良かった」

昨日以上に、不二はほっとした表情を浮かべている。

「でもなんで夢って?」

自分の記憶に自信を失くしたのかと思い、聞いてみる。

「うん。実はあれから、君が部活終わるまで待っていたんだ」
「えっ」

あれから練習が終わるまで二時間はあったはずだ。
それなのに、不二は待っていたのか。

「折角だから一緒に帰ろうと思って、校門のところで出てくるのを待っていたんだ。
でも、すぐ行っちゃったから・・・」
「・・・・・・・・・」

まさか不二が待ってるなんて知らず、昨日は当たり前のように桃城の自転車の後ろに乗って帰った。
呼び掛ける余裕も無く、立ってるすぐ側を抜けて行ったに違いない。

その後一人で帰った不二を想像して、
なんだか申し訳なくなってしまう。

「ごめん、俺」
「あ、いいんだよ。僕が勝手に待っていたんだから」

気にしないで、と不二は微笑む。

「だからっ。今日は先に約束しようと思って。
待ってても、いいかな?」
「部活あるから、時間遅いけど・・・」
「そんなの構わない。終わったら迎えに行くから、ね」

必死な不二に、リョーマは頷くことで返事する。

(変、なの)

弱気になったり、こんなこと位でムキになったりと。
全く、思っていた不二のイメージとは違う。

だけど、こんな不二の姿は嫌いじゃない。
どちらかというと、ほっとする。
好きだって気に掛けてくれるのがわかりやすくて、
心地良い。

「「あ」」

予鈴の音に、二人は顔を見合わせる。

「越前!急いで着替えなくちゃ、遅刻しちゃうよ」
「うん」


鍵を持ってる桃城か海堂も待ってるに違いない。
何してたんだと、怒鳴られるのはもうわかってる。

走ろうとするリョーマの手を、不二の手が掴む。

「そこまでは、繋いでも・・・いいかな?」

不二の手は練習の後でも無いのに、
しっとりと汗ばんでいる。

(緊張、してる?)

返事の代わりに、ぎゅっと握り返す。

「ありがとう」

リョーマのその行動に、
不二は嬉しそうに笑う。

そんな表情を見て、くすぐったいのと恥ずかしいのとで鼓動が早くなっていく。


(授業が始まられなければ、もっと長く手を繋いでいられるのに)

伝わる不二の体温が心地良い。
この手にならば、どこかに連れて行かれたっていい。


好きだって言われたのは、昨日のことなのに。

もうこんなにも不二に心を持って行かれてることを、
嫌でも自覚してしまう。


(たった、一日でこんなにも)



リョーマの取り巻く世界は確かに変わってしまった。


2006年01月01日(日) vanilla 1 不二リョ

ポケットが、カサカサと音を立てる。
さっき入れた、手紙の所為。

(どうしよう)

先程リョーマは見知らぬ女子生徒二人組みに捉まり、この手紙を押し付けられた。
『お願い。越前君から、渡してもらえないかな?』
上履きのカラーから二年生だとわかった。
一人は俯いて手紙を差し出し、もう一人がリョーマが断らないようにと『いいでしょ、ね!』と声を上げていた。

一応リョーマも、抵抗してみた。
こういう面倒には関わりたくなかったからだ。

『こういうのは本人の手から渡した方がいいと思う・・・』

勿論リョーマの言い分を聞くような人達じゃない。

『でも・・・顔を見たら、きっと声も掛けられない』
手紙を差し出している方の女子が、ぽろっと涙を零す。

ギョッと目を瞠るリョーマに、もう一人の女子が後押ししてきた。

『越前。渡すだけでいいから。それ以外面倒掛けないって約束する』

これだけでも十分面倒だよと思いながらも、
泣き続けられてしまうのも困る。

『渡すだけっすよ』
『本当?ありがとう』
『よろしくね』

手紙をリョーマに押し付け、彼女達はさっさと言ってしまった。


残されたリョーマは封筒の宛名を確認する。
意気込みあった割には、誰かと聞いてない。とんだ人達だ。
二年生だったから、桃城か海堂かくらいに考える。

『え・・・・』

封筒には不二周助と書かれていた。

(ちょっと、困るんだけど!)

慌てて周りを見渡すが、もう彼女達の姿は無い。
仕方なく、リョーマは上着のポケットに手紙を仕舞う。

(いつ会えるかわかんない人への手紙を預かっても・・・どうしよう)



三年生が引退してもう二ヶ月経過した。
残された一・二年達は先代の功績に恥じないようにと、
皆一丸となって前以上に厳しくなった練習に取り組んでいる。
キツクなったメニューに、誰も文句を言わない。
それくらいしないと、先輩達に追い付けるとはとても思えないからだ。

そして三年生は引退してから自由に練習参加出来る身分にありながら、
誰もコートにはやって来ない。
今のチームが安定するまで、口出しせず見守っていようと判断したらしい。

だからもう、部活動で不二と顔を合わせる機会は無い。
一年と三年は校舎も離れている為、偶然でもすれ違うことも無い。

(引退前ならまだしも・・・何考えているんだろ)

不二のクラスまで届けに行けと言うのか。
大体どのクラスなのか、知らない。

(あ、そうだ。桃先輩に託すのはどうかな?)

桃城なら、不二がどこのクラスにいるか知っているだろう。
それに三年の教室でも平気で訪ねて行けそうだ。

それがいい、とリョーマは勝手に結論を出す。

(・・・・不二先輩、か)

思い出すのは、あの雨の日の試合。
いつでも出来るなんて言ってて、
結局再戦しないまま不二は引退してしまった。

『また、今度ね』

いつだったか不二と休憩時間がたまたま一緒だった時に、
試合したいとお願いしたら、そう言って流されたけど。

ひょっとしたら不二から試合しようよと言ってくれるんじゃないかって、
心のどこかで期待してた。

結局叶わなかったけど。

不二ともう一度テニスしたかったな、と考えながら靴を履き替えて外に出る。
日直の仕事の為、少し遅れてしまった。
それとあの二人に話し掛けられた分と。
早く行こうと一歩踏み出そうとしたが、後ろから呼ばれた声に足を止める。

「越前・・・?」

まさかね、と思う。
あまりにもタイミング良過ぎる。
今、考えてた人が現れるなんて。

「不二先輩!」

振り向いて確認するが、やはり不二だった。
引退する前と変わらないにこにこした笑顔を浮かべて立っている。

「今から部活?遅い、よね。遅刻?」
「いえ、日直の仕事でちょっと」

部にも遅れると連絡してある。
理由を話すと、不二は「そう」と頷く。

「そう。単なる遅刻だったら大変だったね。
相変わらず罰としてグラウンド走ることは続いているんでしょ」
「まあね」

不二の手元には、鞄が握られてる。
ちょうど今帰る所なんだと、リョーマは思った。

(あ、そうだ)

あれを今渡してしまおうと辺りを見渡す。
人影が無く良い感じだ。

「あの、不二先輩」
「何?」というように不二はリョーマを見る。

ポケットからリョーマは例の手紙を差し出した。

「それは・・・?」
不二は抵抗することなく、受け取る。
これでなんとかなったと、リョーマはほっと息を吐く。


だが次の瞬間に、リョーマは体を強張らせた。

「ひょっとして、君から?」
「は?」

とんでもない不二の言葉に、思考が停止してしまう。

「ち、違うっす!」
やや遅れて、否定する。

「そんな訳ないでしょ。預かったの。知らない人から!」
「なんだ。君からじゃなかったのか」

リョーマの剣幕に、不二はようやく納得したようだ。

そして今度は、
「残念だな。少し期待しちゃった」
と再び乱するようなことを言い出す。


「え・・・?」

きっとたちの悪い冗談だ。そうに決まってる。
リョーマは自分に言い聞かせようとするが、
不二は一向に「信じた?嘘だよ」と言ってくれない。

「君からだったら、嬉しかったんだけど」
更にそんなことを言って、不二は封筒を残念そうに眺めた後、
ポケットに仕舞う。

「なんで、俺からだと・・・嬉しいんすか?」

ようやっとリョーマが口を開くと、
不二は照れたような笑みを浮かべて答える。

「そんなの決まってる。好きな子から、ラブレター貰って喜ばない人はいないよ?」
「す、好きな人って・・・」
「君のこと」

わかった?と耳元で囁く声に、リョーマの顔がさっと赤くなる。

「冗談だよね?」
「まさか。こんなこと冗談なんかじゃ言えない」
「だってそんな、ええっと」
「好きだよ、越前」

好きという単語に、リョーマの混乱は最高潮を迎える。

まさか、こんな展開になるなんて。
誰が思っただろうか。

不二が自分を?

冗談だと否定したいが、目の前の不二は嘘を言ってるように見えない。

どうしようどうしようとあたふたするリョーマに、
不二が助け舟を出す。

「返事は後でもいいよ」
「・・・・・・・・・」
「びっくりさせちゃったみたいだね。突然こんな事言って、ごめん。
迷惑なら、忘れてもいいよ」

安心させるように、不二はリョーマの頭をゆっくり撫でた。

優しい手つきに、リョーマは混乱からハッと我に返る。


忘れていいよ、と言われても。
忘れられる訳無い。

(迷惑だと、思えないし・・・)

不二のことはよく知らない。
知ってるのは、テニスしてる時の姿だけで。
特に接点も無かった。

綺麗なテニスをする人、だとは思っていた。

その人が、自分を好きだと言う。


「越前?」

じーっと顔を眺めるリョーマに、
不二はどうかしたのかと瞬きする。



「・・・付き合う」
「え?」
「先輩と付き合うって言ったの!」


でまかせな告白をしたのなら、OK出したら困るに違いない。
さあ、どう出るとリョーマが反応を窺っていると、
不二は驚いた後、「ありがとう」とうれしそうに笑った。

「嬉しいよ。まさかこんなすぐに良い返事が貰えるなんて・・・」

あー、どうしようと不二は緩む頬を押さえている。

それを見て、リョーマは恥ずかしくて居た堪れない気持ちになった。


(なんてわかりやすい、反応)

プレイスタイルみたいに、もっと底の見えない人だと思っていた。
でもそれは違ってたようだ。

こんな素直に、リョーマがOK出したことを喜んでる。

(あれ、なんか俺も・・・)

不二の喜ぶ顔を見て、嬉しいと思ってしまう。
さっきの告白の返事は勢いで言ったものだけど、
断らなくて良かった・・・とほっとしてる。

「あ、でも」
不意にさっき渡した手紙を思い出し、表情を暗くする。
いいんだろうか、こんな展開になってしまって。

難しい顔をするリョーマに気付き、不二が声を掛ける。

「どうかしたの?」
「あの、さっきの手紙・・・」
それだけで言いたいことが伝わったようだ。

「ああ。これは僕からこの人にちゃんと話しておく。君は心配しなくてもいいからね」
「でも、俺が手紙預かったのに」

このまま付き合って良いかとリョーマの迷いを見抜いて、
不二はさっと手を掴む。

「君が手紙を預かったのは偶然。どの道、返事は決まっていたんだから」
「・・・・・・」
「それとも、越前は僕がこの子と付き合っても平気なのかな?」

意地悪な質問だが、不二も必死だった。
折角、付き合うって言ってくれたのに、やっぱりダメなんて言われたら。
かなり堪える。

「・・・ヤダ」

不二の言葉に、リョーマは顔を上げた。

他の人と、不二が誰かと付き合う。
ハッキリと、それは嫌だと思ってしまったら、止められない。


「越前、僕と付き合ってくれますか?」
「ハイ」

もう一度聞かれた問いに、今度はちゃんと返事する。

良かったと胸を撫で下ろす不二の表情に、
心が温かくなるのがわかる。

「好きだよ、越前」
「も、もう聞いたそれ」
「でも言いたかったから」

にこっと悪気無く笑う不二に、心臓に悪いと胸を押さえる。

「そうだ!お、俺もう部活行かなくっちゃ!」

急に思い出したというように、声を上げる。

「ここで悪いけど、失礼します!それじゃ!」
「あ・・・」

これ以上一緒にいたら、きっと倒れてしまう。

逃げるように走り去るリョーマに、不二は一瞬言葉を失ったが、
すぐに声を上げる。

「またね、越前!」

せめて応える為にと、リョーマは前を向いたまま手を振る。



(予想もつかない事になったけど。
この先どうなるんだろ?)


突然の恋の始まりに、リョーマの頭の中は混乱と少しの期待でいっぱいだった。


チフネ