チフネの日記
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2004年09月30日(木) 盲目の王子様 60 リョーマ 

跡部達に正直に話すことが出来た。
おかげでリョーマの心は大分楽になっている。
しかしまだ問題はある。
次回、手塚が訪ねた来た時に、この目が治って試合が出来るようになるまでか、
せめて大会が終わるまでは会うのを控えたいと言わなければならない。
榊の言う通り、全国大会を前にして青学の部長と会ってる場合じゃない。
跡部だけじゃなく、忍足もジローも口に出さなくても、微妙な気持ちになるだろう。
いつも優しくしてくれた彼らの気持ちを、大事にしたい。

(でも向こうも大会前だから…よく考えたらそんなすぐに家へ来たりしないか)

そんな風にリョーマは軽く考えていた。

だが手塚が訪れるのは、それからすぐ翌日のことだった。

菜々子の声に、部屋で寛いでいたリョーマは飛び起きた。
「リョーマさん。あの、他校の方が訪ねて来ていますが…お知り合いかしら?」
「他校?」
「青学の手塚さんと仰る方が、今玄関の所に来てます」
「え!?」
何故他校生が、と不審がる菜々子に、「うん、ちょっとね」とリョーマは誤魔化した。
それより、驚いた。
こんなすぐに手塚が会いに来るとは予想していなかった。
「今、出るからちょっと待って」
「はい、伝えておきますね」

先に自室を出た菜々子が階段を降りていく音がする。
ゆっくりとリョーマはベッドから床へと降りる。
もう時刻は8時近い。
手塚は青学の練習が終わってから、真っ直ぐここに来たのだろうか。
そんな事を考えながら、杖を取って階下へと急ぐ。

「越前!」
リョーマを見て、手塚は声を上げた。
「手塚さん、どうしたんすか。何か急な用事があったとか?
とにかく上んなよ」
「いや、時間も無いからここで結構だ。
その、少し様子を見に寄っただけだ。特に用事、という訳じゃない」
「はあ」
「元気そうで何よりだ」

何よりと言われても、一昨日会ったばかりだ。
そんなに体調を崩しやすそうに見えるのだろうか。
手塚の言っている意味がわからず、首を傾げる。

「まあ、無理に上れとは言わないけど。あ、そうだ。
ちょっといい?」
そう言って、リョーマはしゃがみ込んで置いてあるはずのサンダルを手探りで探す。
何かに気付いた手塚が「これか?」と渡してくれたので、「サンキュ」と礼を言う。
サンダルを履いて、「話したいことがあるから、外に出よ」と促す。
この場だと、恐らく聞き耳を立てているだろう母と菜々子に全部聞かれてしまう。
隠すことじゃないけど、やはり言いにくい内容には変わり無い。

リョーマが外に出ると、手塚も一緒に続いた。
元々顔を見に来ただけなので、すぐ帰るつもりだったようだ。

「話、とは?俺に出来ることがあるなら言ってくれ」
真面目に喋る手塚に、調子が狂いそうになる。
が、ここでちゃんと伝えなければとあの話を切り出す。

「あのさ、俺の目が治るにしても、テニスが出来るようになるまではしばらく時間が掛かると思う」
「…そうか、そうだな」
「でも治ったら、絶対あんたと試合する。約束は守るよ」
その言葉に嘘偽りは無い。
あの頃のようなテニスが出来るかはわからないが、全力で戦いたいと思っている。
「本当か」
手塚の声はどこか嬉しそうだった。
その事に今から話す内容に気が重くなるが、意を決してリョーマは口を開いた。

「だからさ、治ったら俺の方からちゃんと会いに行くから。
それまで、こんな風に会うのは…控えてくれるかな」
「何故だ」
瞬時に問われ、少しびっくりしてしまう。

(何故って言われても…。困ったな)

そういえば手塚は青学の部長だというのに、氷帝の生徒と会うことをどうとも思わないのか。
テニス部員では無いから気にしていないと考えれば、それまでになるが。

「だって会っても、しょうがないじゃん。
こんな所に来ても、時間の無駄でしょ?だから試合出来るまでは」
「越前と会えることが、無駄だとは思わない。
試合が出来るとか出来ないとか、そういうことじゃない」
「はあ…」

そうかな?とリョーマは眉を寄せる。

「で、でも大会前に時間掛けてここに来るよりも、家で休んでいた方がいいのに」
「いや、それよりも越前と話している方がいい」
「そうなの?」
「ああ」

どうしよう、と軽くため息をつくリョーマに、今度は手塚から質問される。

「会いに来るのは迷惑なのか?」
「えーっと…」
「はっきり言って欲しい」
仕方ない、とリョーマはぼそぼそした声で告げる。

「関東大会で氷帝と青学って当たるかもしれないんでしょ。
そういう学校同士の人が会ってるっていうのも変じゃない?」

リョーマがそう言うと、手塚は無言のまま立っている。
どうやら納得している訳じゃなさそうだ。
わかってもらう為に、リョーマはもう少し続けた。

「手塚さんって青学の部長なんでしょ。
他の部員が変に思ったりしたら困るじゃん。
俺も、跡部さん達と仲良くしてもらっているし…。
そういう人同士が会ってて、周りが気にすることもあるんじゃない?
だからちょっと、控えて欲しいかなって」

たどたどしいリョーマの説明を、手塚は黙って聞いていた。
リョーマが大きく息を吐いたところで、「そうか」と口を開く。
「大会が終わるまでは、控えた方が良い。そういうことか?」
「うん、まあ」

低い手塚の声に、機嫌を損ねたんじゃないかと思わず体を固くしてしまう。
そんなに無理なことを言っているのだろうか。
今、会う必要等無いのに。
テニス出来ない自分と会っても、手塚になんのメリットも無いはずだ。

「わかった」
渋々といった感じで、手塚が声を上げる。
「おかしな噂が立って、越前に迷惑が掛かる可能性は否定出来ないからな。
その為にも自粛しよう」
わかってくれた、とリョーマはほっと力を抜いた。
「そうっすね」
「だが」
そっと肩に手塚の手塚が触れる。
自分よりずっと大きな手は、服越しにも熱く感じる。

「大会が終わったら、会いに来ても良いのだろう?」
「え、うん」
真剣な声に、思わず頷いてしまう。
「そうか、良かった」
触れている手に、力が篭る。

何故そんなに会いたがるのか、わからない。
問いかけようとして、リョーマは結局口にはしなかった。
何かまずいことが起こりそうな気がして、言い出せない。

「しばらく会えないのは残念だが、我慢する。
試合の約束は、忘れないでくれ」
「……うん。忘れないっす」

リョーマがそう言ったところで、手塚も安心したようだ。
ようやく肩に触れてた手の重みが消える。

「また会える日を楽しみにしている。それまで、元気で」
「うん。手塚さんも。俺が言うのも変かもしれないけど、試合…頑張って下さい」
「ああ」

そして手塚は帰って行った。

足音が遠くなっていく音を聞いてから、リョーマは玄関の中へと入った。
他校の人はもう帰ったのかと問う母の声に、「うん」とだけ短く返し、
また自室へと戻る。

なんだかすごく疲れた気分だ。

大会が終わるのは8月。そう遠い話では無い。
なのに手塚はそれすらも長いと言いたげだった。訳がわからない。

(一応、解決…したんだよな?)
なんとかなったはずだと、リョーマは自分に言い聞かせる。
これで榊に迷惑を掛けるようなことにはならないはずだ。



だが、これによって今よりも更に大きな嵐が吹き荒れることになるのを、リョーマは知らない。


2004年09月29日(水) 盲目の王子様 59 跡部

「宍戸の奴、今日も朝練に来なかったなー」
向日の言葉に、部室内にいる人々の動きが一瞬止まる。
「学校には来てるみたいだけど、このままこっちに顔出さないってこともあると思う?」
「岳人、あんまりいらんこと言うな」
しっと、忍足がパートナーの会話を止める。
「宍戸も色々悩んでおるんやろ。そっとしとき」
「でも来る切っ掛けを無くしているだけとかじゃね?今度引っ張ってきてやろうって考えているんんだけど」
「せやけど余計なことして、宍戸が余計顔出し辛くなったら困るやろ」
「なんだよ!俺がやろうとしてるのは、余計なことか?」
「いや、だから宍戸の気持ちの整理がつくまで」
「そんな事言ってる間に関東大会が始まっちゃうじゃんか」

揉めている二人の声に、跡部は軽く溜息をついた。
都大会以降、宍戸は部活に来なくなった。
レギュラー落ちを当然だと思う連中と、気遣いしている人々とで部活内の空気も微妙だ。

関東大会のレギュラーをどう決めるのか、榊はまだ一言も発表していない。

(ここで逃げ出したら、本当に終わりだぞ…)

宍戸の行く先に、跡部は口出すつもりは一切無い。
本人がどう動くか。
今はそれを待っているだけだ。

「だからっ、どうなのか聞くくらい、いいいじゃんか!」
「あほ。傷口抉るつもりか」
「だって心配だからしょうがないだろ」

忍足と向日の争いを放置して、跡部は外へと出た。

全く。こんな時に限って厄介なことが起きている。

振り切るように、急いで校門へと走った。

(間に合ったか)


盲目の少年が杖とつきながら、ゆっくりと歩いてくるのが見える。

「越前」
「跡部さん」

声を掛けるとリョーマは、どこか余所余所しい態度で俯いてしまう。

「どうした」
何か、あったのか。
そう思って手を伸ばす寸前、後ろから伸びてきた別の手に振り払われる。

「おはようさん、リョーマ」
「忍足っ…!てめえ、いつの間に」
「誰かさんがこそこそと部室から出て行くのが見えてな。
こりゃあかんと思って、急いで来たんや」

バチッと二人の間に、火花が散る。

この様子が見えてないリョーマは、何も知らず、ただ考え込んでいるような表情を浮かべている。

「どないしたんや、リョーマ。悩んでいるような顔して。
お兄さんに全部話してくれへんか?なあ」
「フザケンナ。お前みたいな軽い奴話しても解決になるか。
俺に話してみろ。きっと解決してやるから」

リョーマからの好感度を上げようと、
二人は必死になって自分の方が頼りになるとアピールを始める。

が、リョーマから出た言葉に、さっと緊張を走らせる。

「…昨日、手塚さんと会った」

跡部と忍足は顔を見合わせた。
緊急事態だと、すぐに気付く。

あれだけ近付けさせないと誓った手塚とリョーマをあっさり会わせてしまった。
まさか氷帝まで会いに来るとは。
手塚を甘く見過ぎていたようだ。

「それで、何もされなかったのか!?」
「大丈夫やったか?」

声を上げる二人に、リョーマはこくんと頷く。
「うん…あの人、わざわざ謝罪しに来てくれたんだ。
それだけの為に、来てくれたみたい」
「本当に、謝罪だけか?」
思わず跡部は疑惑の声を出してしまう。

手塚のあの切羽詰った様子。
謝罪だけ、とは考えにくい。


リョーマはその問いに、「うん」とゆっくりと答えた。
「昨日のこと気にして、会いに来ただけだから。
色々心配掛けて、ごめん。
でも、もう大丈夫だから。本当、もう誤解は解けたんだ」
そう言って、ぎこちなく笑う。

嘘だ、と跡部は言いたかったが我慢をした。
何か隠しているリョーマの態度に苛立つが、
詰め寄って怖がらせたくは無い。
忍足も同感だったらしく、それ以上手塚とどんな会話したのか聞こうとしなかった。

三人とも、肝心な所に触れないまま空々しい空気の中を歩いて行く。


そして、
「じゃあ、俺こっちだから」
毎朝、リョーマと別れる廊下に到着してしまう。

「……」
「跡部、さん?」
思わず跡部はリョーマの袖口を掴んでいた。
ぎゅっと引っ張るのではく、そっと掴む程度だったので、
驚いたリョーマは転ぶことも体勢も崩すことなくただ足を止めている。

「跡部?」
忍足もきょとんとした顔で、跡部を見ている。

「お前が大丈夫って言うのなら、…信じる」
今まで誰かを心配する気持ちを口にした事なんて、無い。
それより、こんな気持ちを誰かに向けたことあっただろうか?
どう表現したら良いかわからないけれど、
伝えようと言葉を探す。

「だけど、もし面倒ごとがまた起きたのなら、遠慮しないで言えばいい。
一人で抱えるなと言ったよな?あの言葉を忘れるな。
お前の為だったら、何だってやってやる」
「……!」

跡部のきっぱりとした決意の言葉に、リョーマも忍足も驚きの余り動けなくなってしまう。

「ちゃんと聞こえたか?」
袖を掴んでいた手を離し、今度は頭にぽんと軽く置く。
「あ…うん、聞こえてた」
急にリョーマは赤い顔をして、頷く。
「そうか」
「あの!もう先生来るから、俺行くね!」
そして慌しく杖をついて、廊下を歩き出してしまう。

「あー、リョーマー」

去っていく背中に、忍足が名残惜しそうに名前を呼ぶ。

「跡部…こんな往来で言うか?リョーマ、動揺しとったやん」
「そうだったか?」

リョーマの反応が嫌がっているのではなく、照れているのだと理解し、
跡部は満足そうに笑った。

「お前という奴はー。手塚が会いに来た聞いた時には、顔引き攣らせとったくせに」
「それはそっちも同じだろ」

手塚のことを思い出し、再び表情を曇らせる。
大丈夫だと言っていたが、本当だろうか。
どんな会話をしていたか気になるし、
まさかと思うが次の約束をしていないのか、それが一番気掛かりだ。

「どないする?手塚、また来るんちゃうか」
忍足も同じことを懸念してたようで、心配そうな表情を覗かせる。
「さあな。手塚が何考えているか、俺にはわからねえし。
大体、大会前に会いに来る時間もあるのか?」
「時間作ってまで、会いに来ようとまでして来たら?
手塚が本気ならやりかねないやん」
「本気、ならな」

リョーマと話させろと言って来たあの目に、執着心を感じた。
だから会わせたくないと考えたのに。
きっとまたやって来る。手塚がこのまま引っ込むような奴とは思えない。
跡部はそう確信した。


「お前はどうするんだよ」
「俺?」
逆に、忍足へと尋ねてみる。
「あいつのやりたいようにって、いつも考えているんだろ。
手塚が近付こうが、嫌がっていないのなら放っておくのがお前のやり方だよな?」
「……」
ふーっと、忍足は大袈裟な溜息をつく。
「わからん。リョーマの好きにさせてやりたい。そう思うてるけど」
ぐしゃっと忍足は頭を手で掻き毟る。
「他の奴に取られる思うと、焦るな。
黙って見ているなんてできへんかもしれへん」
「そうかよ」
「お前かてそうやろ」
ふん、と跡部は鼻で笑って返す。

「取られる方がまぬけだろ」
「言うたな。俺に出し抜かれても、同じこと言えるか?」
「お前に?笑わせるな」
「その余裕ぶった顔がむかつくなぁ!」
「てめえこそ、にやけた顔が不快だ!」

肘でお互いを牽制しながら、廊下を歩いて行く。

朝からなんだと廊下を歩く生徒達が見ているが、二人は気付いていない。
教室に到着するまで、小競り合いは続いていた。


2004年09月28日(火) 盲目の王子様 58 リョーマ 


30分程、手塚と話をしただろうか。
「そろそろ、帰らなきゃ」とリョーマは声を上げた。
遅くなると言っていないので、母が心配すると気付いたからだ。

「そうか…引き止めて済まなかった」
手塚の声が何故か寂しそうに聞こえた。
気のせいでは、無い。
証拠に手塚は「家まで送っても良いだろうか?」と申し出てきた。
「いいけど、すぐそこだよ?」
「構わない。少しでも長く君と一緒にいたい。それだけだ」
「……」

正直過ぎる手塚の言い方に、どうしたら良いかわからずリョーマは戸惑った。
特別視されているのは、わかる。
昨日の件も悪気があったのでは無いことも、理解した。
だから、普通に接すれば良いのだけれど…。

「越前君と会えて本当に良かった。
これからも会ってくれないだろうか?」

どこか調子が狂ってしまう、言い方を手塚はしてくる。

「別に、いいけど」
会う位なら良いか、とリョーマは軽く考えていた。
「それは良かった。ありがとう、越前君」
手塚からのその呼び方に、今度は眉を顰める。
「礼を言われる程じゃないし。
それとその越前君とか君とか気持ち悪いから止めてくんない?
あんた、俺より年上なんでしょ」
正直、むず痒い。

「なら、なんと呼べば良いのだ?」
真面目に問い掛けられる。
はあ、とリョーマは溜息をつく。
「越前とか、リョーマとか。呼び捨てでいいんだけど?」
実際、ジローや忍足・跡部はそうしている。
だが、手塚は違った反応を返してくる。

「呼び捨てに?しかしそれは…」
迷うことなんてあるだろうか?
「何遠慮してんの?」
さっぱりわからない。
小首を傾げるリョーマの横を歩きながら、手塚は「呼び捨てか」と考え込んでしまっている。
「そんな悩むこと?」
「いや…・今の呼び方を不快に思うのなら、努力しよう」
「はあ」

努力って、と呆れるがそっとしておくことにした。

しばらく黙った後、手塚がこそっと呟く。
「…り、リョーマ」
「何すか?」
普通に返事をするが、「いやなんでもない」と手塚は焦った声を出した。
「やはり越前と呼ばせてもらおう。その方が良さそうだ」
「どっちでもいいけど」
なんだろう、一体。

相手の表情が見えない為、リョーマは手塚がどんな顔でいるかは知らない。

顔を赤くして、照れている手塚。
青学の生徒が見たら、びっくりするだろう。
跡部や忍足が目撃したら「手塚か!?」とひっくり返るかもしれない。

全くそれに気付かないのは、幸か不幸なのか。





「俺の家、ここっす」
門柱に手塚をついて、リョーマは到着したことを告げる。
のろのろと歩いて来たが、そんなに時間も掛かっていない。
「本当にすぐだったでしょ」
「ああ。おかげで、もう覚えた。
その、これからは家の方を訪ねても良いだろうか。
氷帝の前で待っているのは、どうも、その」
本気で手塚は自分に会いに来るようだ。
「いいけど。あんた忙しいんじゃないの?」
青学も大会前で、練習は遅くまで行われているはずだ。
今日みたいな休みはそうそう無いはず。

「勿論、部活をさぼってくるという意味じゃない」
リョーマの気持ちを察して、手塚が口を開く。
「どうにかして時間を作って来るから。また会って欲しい」
「まあ、いいけど」

手塚の肘のことを聞いて以来、悪印象はすっかり抜けた。
怪我をしてテニスが思い通りに出来なかった手塚の気持ちは、痛い程伝わって来た。
その一件で少しわかりあえた、と思う。

「では、また今度。必ず来るから」

嬉しそうな手塚の声と同時に、杖を握っている手の上に大きな手が重ねられる。
一瞬だったけど、他人の体温に体がぴくっと揺れる。

「・・・・・」

手塚が去っていく靴音に、リョーマは一体なんだろうと顔を顰める。
上手く説明出来ないが、手塚の接し方は友人のものとは違う気がしてならない。
目が見えなくなる以前の自分の実力を認めているようだが、
ライバルとしても違うような。
だったらそれが何かは、はっきりいえない。

わからないと、リョーマは肩を竦めて自宅へと入っていく。
これ以上考えるのが面倒だったからだ。

しかし今、越前家にやって来た客はその状態を見逃すような甘い考えを持っていなかった。

「随分遅かったようだな:

玄関を開けて聞こえた声に、リョーマは目を瞬かせた。

「榊先生?なんで家に?」
この時間は部活中のはずでは。
リョーマの表情から、榊はすぐ回答を出す。
「部員にはメニューを出しておいた。それに用事が終わったら、すぐ戻るつもりだ」
「用事って」

とにかく中に入るようにと促され、靴を脱ぐ。
榊の声色から嫌な予感はしていた。
実際ライバル校の部長と今まで会っていたのだから(手塚が押し掛けてきたにしても)
気まずい。

「あら、リョーマ。帰って来たの」
「うん」
母親はリョーマが帰って来たのを確認して、榊に「お願いします」と声を掛けている。

昨日、様子が変だったのを母が相談したのだとピンと来た。
榊と両親の間には、何かあったらすぐ報告するという約束が結ばれている。
こんなことまでも言わなくてもとリョーマは思ったが、
心配する気持ちもわからなくはない。

(榊先生にわざわざ足を運ばせて…こんなことなら夕飯の時にちゃんと話せば良かった)

一人で落ち込んでいた所為で大事になってしまったと溜息をつき、これからは出来るだけ母に話そうと反省する。

居間に入った後、リョーマは榊のすぐ側に座った。

「昨日から元気が無いと聞いていたが、どうなんだ?学校で何かあった、とか」
「大丈夫っすよ。母さんには心配掛けたって、後で謝っておく」
済みませんと頭を下げるが、これで榊が引くはずがない。

「それで…聞きたいことがある。
さっき家まで送ってくれたのは、青学の手塚君のように見えたのだが」
やはり気付かれてた。
やましいことは無いのだけれど、平然と答えられれるものでも無い。
観念して、リョーマは正直に口を開く。

「うん。実はあの人、俺のこと知っててさ。
それで、偶然会った時に声を掛けられたんだ」
跡部達と出掛けていたということは関係ないと思い、省くことにした。

「何と言ってたんだ?」
「あの人、俺の手術が成功すること望んでいて。
治ったら、試合をしたいって言ってた」
「そう、なのか」
「うん。それだけっすよ」
リョーマの言葉に、榊は「そうか」と頷く。
「しかしこれからも彼と会う予定はあるのか?」


榊は真剣にリョーマのことを心配していた。

まさかライバル校でる手塚がリョーマを知っていたとは驚かされた。
そんな偶然もあるらしい。
しかも術後、回復したリョーマとの試合を望むとは。
わからなくは、無い。
リョーマのテニスを見て、一度挑みたいと思うのは実力のある選手なら当然だろう。
そしてこの先も手塚はリョーマに近付いてくるのではと、心配をする。


「うん。何か会いたいとは言っていた」
隠してばれる方が厄介なので、リョーマは正直に話した。
榊はやはりなと、顔を顰める。
「それは止めといた方が良いだろう」
「駄目っすか」

やはり反対されたかと、リョーマは俯く。
大会中の時期にテニス部在籍では無いにしろ、
ライバル校の生徒同士で会うのは好ましくないのだろう。
榊はそういう理由から反対しているのだと、リョーマは理解していた。
しかし実際はもう少し違っている。

「その事を跡部や他の者は、知っているのか?」
「え?」

何故、榊が跡部の名前を出したのか。
思いもよらなかった展開に、リョーマの鼓動が早くなる。
それを見透かすように、榊は続ける。

「跡部は、手塚君をライバル視している。
奴が手塚君とお前が知らない所で会ってると知ったら、きっといい顔はしない。
それをわかっているのか?」

榊が心配しているのは、まさにそこだった。
跡部は、この盲目の少年を気に掛けている。
しかも本人が自覚している以上に、その気持ちは大きいと思っている。
でなければ「あの」跡部自ら、動くはずも無い。
部長としての資質は問題無いが、個人の人格はどこか捩れている。
なんでも自分の思い通りにしないと気が済まない、そんな生徒だったが、リョーマと会ったことで変わって来た。それも、良い方向に。
それあのn手塚とリョーマが親しげに歩いている姿を見てしまったら、跡部がどう思うか。
跡部だけじゃなくリョーマも傷付くことになりかねないと、榊は心配している。
テニスはメンタル面においても左右されるスポーツだ。
関東大会を控え、氷帝の部長が動揺で潰れるようなことがあってはならない。

そして、リョーマが厄介ごとに巻き込まれるのも避けたい。
手塚が出て来て何かしらの揉め事が起こる前に、遠ざけて起くべきだろう。
アメリカで試合を見て以来、再会を望んでいたか何だかは知らないが、
手術前にリョーマに混乱をもたらす可能性は一先ず遠避けておきたい。
少々気が引けるが、榊はリョーマの心に訴え掛ける。

「手塚君と親しげにしてると知ったら、跡部も穏やかでは無いはずだ。
はっきりとこれからも会うと、自分の口から言えるのか?」
「それは…」
「出来れば接触は避けるべきだ。お互いの為にも」
「……」

しばらく考え込んだ後、リョーマは「わかりました」と頷いた。
跡部の名前を出され、やっぱりまずいかなと思い直したからだ。

『どうしようも無くなったら、なんでも言え。だから一人でそんな顔すんな』
誰からも危害は加えさせないと守るように伸ばされた手を、覚えている。

大事な大会前に、跡部の妨げになるようなことはしたくない。
何より、がっかりされたくなかった。
手塚と再会したことは、正直に話す。
だけど、この先会うことはしない。

手塚には悪いけれど、せめてこちらの視力が回復し、
試合が出来るようになるまでは会いに来るのは遠慮してもらおうと考える。
その方がいいんだと、リョーマは自分を納得させた。



2004年09月27日(月) 盲目の王子様 57 リョーマ 



昨日の夜から落ち込んでたリョーマの心は、少しずつ上向きに変わって来た。
朝に跡部と忍足と、昼にジローと会話したからだ。
一人でいたままだったら…きっとまだ落ち込んでいたかもしれない。

(誰かと喋ることで、気持ちが浮上することってあるんだ)

アメリカにいた時、こんな風に関わっていた友人などいなかった。
いつも一人で、テニスに打ち込んでいただけだから。
積極的に人と関わろうとしたことも無いし、
一人でいてもそれがどうしたと思っていた。

誰かといて安心するなんて、初めてのことかもしれない。

(でも心配ばっかり掛けちゃいけないよね)

彼等の為にもいつまでもうじうじ悩んでいるのは止めてしまおう。
手塚とは学校も違う。会うことも、もう無い。
すっぱり吹っ切ってしまった方が良い。




「リョーマ君、バイバイ」
「また明日ね」
「うん、バイバイ」

カチロー達が教室から出て行く足音を聞きながら、リョーマも立ち上がった。
家に帰ったら、軽く近所を散歩しよう。
外の空気を吸って、気持ちを入れ替えるんだ。
そんな風に考える。

だが校門を抜け家へと歩き出すと同時に、邪魔が入ってしまう。

「越前君」
聞き覚えのある声に、リョーマの体が強張る。
「え…?」
聞き覆えのある声の主は、さっと寄って来て隣に立つ。
「昨日は済まなかった。あ…その、手塚だが、わかるか?」
遠慮がちに名乗りを上げる手塚に、リョーマはぐらっとふら付く体を必死で留めた。

「何であんたがここにいるの!?」

テニス部に所属しているのなら、部活動の時間のはず。
どうして、と呟くリョーマに、手塚はたどたどしく訳を話す。

「今日は大会の疲れを取る為に、部活は休みとなった。
だから氷帝まで君を探しに来た。入れ違いにならなくて本当に良かった」
ほっとしたように話す手塚は、ずっと自分が出てくるのを待っていたのだろう。
しかしリョーマは、嫌そうに眉を寄せた。

「ふうん、休みなんて余裕なんですね。それで、わざわざここまで来たんだ?」
興味無いというように、リョーマは手塚に背を向ける。
「何しに来たか知らないけど、あんたと話すことなんて無いから」
そう言い捨てて、家へと歩き始める。

素っ気無い態度のリョーマに、手塚は挫けることなく慌てて追う。
「待ってくれ!少しでいい、俺の言い分を聞いてくれないか」
「ヤダ。あんたと話すと気分悪くなる」
「頼む、どうしても伝えたいことがあるんだ」
「…あんた、俺がなんで怒ってるかわかってんの?」

諦めようとしない手塚に、リョーマは大きく溜息をついてみせた。

視力を失い、回復するかどうか保証も無いことも知らないくせに、諦めるなと説教するなんて。
思い出すと、腹が立ってきてしまう。

ぎゅうっと杖を握るリョーマを見て、手塚は困ったように顔を伏せた。

「初対面の俺がわかったような口の聞き方して、傷つけたことは謝る。悪かった」
「そう思うなら、もう俺に近付いて来ないで」
「それは出来ない」

これで引いてくれるかと思ったのに、手塚から出た言葉はまるで逆のものだった。
「はあ?」
何言い出すんだと、リョーマはぽかんと口を開ける。
一向に気にした風でも無く、手塚は宣言する。
「それは約束出来ない。君のことを、ずっと探していた。
やっと会えたというのに、このまま引き下がるなんて出来る訳が無い」
「だーかーら!それは俺がまだテニスしてたらってことでしょ?
今の状態の何の俺に用があるんだよ」

テニスを出来ない自分に、価値など無い。
リョーマはそう思い込んでた。
視力を失った時、実際周囲から何度もそんな言葉で叩かれたりもした。

‘結局、あいつからテニスが無くなってしまえばただの生意気なガキだよな’

その通りだ。振り返ってもテニスしか無かった。
何言われても、仕方ないと我慢してきたのだ。
榊がやって来るまで、リョーマは心を閉ざして悪意の感情から耐え続けてた。

「俺に構う必要なんか、無いでしょ」

心に壁を作るリョーマに、手塚は苦しそうに声を出して伝える。

「必要無いなんて、言わないでくれ」
「だって、」
「テニスを出来なくなったと知っても、会いたい気持ちには変わらなかった。本当だ。
ずっと探していたんだ。絶対、君がテニスをすることを諦めていないと、信じていた。
あんなテニスをする君が、わずかにでもある可能性を捨てるはずは無いと」
「……」
「なぜなら俺に、もう一度テニスへの情熱を取り戻させてくれたのは、
君のテニスだったから。
そんな君が諦めるはずがない、そうだろ」

え?とリョーマは首を傾げた。

「どういう、意味?」

手塚は青学のテニス部に所属していて、跡部が認める程の実力の持ち主で。
なのに、今の言葉は…まるでテニスを一度捨てようとしたような。
そんな風に聞こえた。

戸惑うリョーマに、手塚は語った。

「あの時、君と試合をしたいと願い控え室にまで行ったが、
本当は俺の肘は万全じゃ無かったんだ」
「え?」
立ち止まったリョーマに、手塚は過去の出来事を話出した。

青学に入学してすぐ、実力を妬んだ上級生に怪我をさせられたこと。
その所為で肘に負担が掛かって、医師からしばらくテニスすることを禁じられていたこと。

「本当はあの夏、Jr選抜の合宿に出るはずだったのだが、
その所為でラケットすら振れなかった」

両親と旅行に行ったのも、テニス出来ない辛さを紛らわせる為だったと。
手塚は全てを話す。

「もし、このままテニスが出来なくなったらと考えると怖かった。
焦りと、苛立ち。いつしかテニス出来ない自分の体を恨んだ。
そして、着実に前へ進んで行く周囲も嫌いになった。
変わらずテニス出来る仲間に、俺の苦しみなどわかるかと…嫌な奴だな、全く」

医者からテニスをするなと言われた時から、手塚はずっと独りで苦しんでいた。
みじめな気持ちや周囲への嫉妬を、口に出せるはずもなく。
ただひたすら耐えてた。

(俺と、同じ…)

手塚の告白を、リョーマは呆然と聞いていた。
視力を失った直後の自分と似てる。
その苦しみは、よく理解出来た。

「君のテニスを観た時、曇っていた心に光が差したように思えた。
テニスが試合がしたいと、渇望する純粋な気持ち。
それを思い出した。実際にはまだラケットも振れなかったから、
試合を申し込むにしても、完治してからしか無理だというのに」
「その時約束を取り付けてたら、またアメリカまで来て試合するつもりだった?」
計画無しの手塚にそう問い掛けると、
「そうだな」と何故か自信たっぷりに言われてしまう。

「どこにいたとしても、試合出来るのなら出向いただろう。
君と、テニスがしたい。今でもその気持ちは変わっていない」
「でも、俺は…」

ごめん、と俯くリョーマの肩を、手塚が両手で掴む。


「可能性はゼロじゃない。諦めるな」
「諦めて、ダメだったらどうするんだよ」

一番怖いこと。
期待して、それでもダメだった時だ。
以前なら、そんな事を考えなかったのに。
この件に関しては、本当に臆病になってしまう。

「ダメじゃない。俺は信じてる」
「なんの根拠も無いじゃん…」
「俺が信じているだけじゃ、ダメか?
コートに立っている君は、神様みたいに見えた。あんなテニスする人は他にいない」
「神様って、大袈裟過ぎるんだけど」
「大袈裟なものか。俺を導いてくれたんだから、当たり前だろう。
その君が、このままコートから消えるなんてそんなことあるはず無い。
もう一度あの場所に立つと俺は信じてる」

思い込みだけで、よくまあこれ程のことが言えるものだ。
手塚が信じていたとしても、手術で治る保障はどこにも無い。
けれど。

「…俺も、信じたい。
本当はすぐにでもコートに戻りたいんだ」

ぽろっと本音の言葉が口から出る。
同時に、リョーマの目から涙が流れた。

「わかってる。大丈夫、絶対に戻れるはずだ。俺は信じてる」

肩を掴んでた手塚の手が、涙を拭う為に頬を優しく撫でる。
その言葉に、また新しい涙を流してしまった。



2004年09月26日(日) 盲目の王子様 56 跡部 


車内は会話も無く、気まずい空気が流れていた。
誰もが何を口にしたら良いかわからないまま、一秒、一秒と時が流れていく。

リョーマは杖を握って俯いて、他の三人はそんな様子をちらちらと伺うだけで。
結局そのまま、リョーマの家に到着してしまう。

「何か、ごめん。変なことになって」

自分のせいでと、謝罪する盲目の少年に誰もが慌ててフォロー入れる。

「リョーマが悪いんじゃないよ。それよりまたご飯食べに行こうね、絶対!」
「そうや。また行こうや、な?」
「お前の所為なんて誰も思っていねえ。謝るな」
口々に言う三人に、リョーマはこくんと頷く。
「うん!また、行こうね。…じゃ、また明日」
「おい、玄関まで」
送るという跡部の言葉を、リョーマは遮ってドアを開ける。
「ありがと。でも大丈夫だから。ここでいい」
そう言われてしまったら、強引について行くことが出来なくなる。
出しかけた中途半端な手を、跡部はそっと引っ込めた。

「また明日な」
「おやすみ」
「おやすみ、リョーマ」
「お疲れさん」
軽く手を振って、リョーマは家の中へと入って行った。
それを見届けてから、跡部は運転手に車を出すように指示を出す。

走り出した車の中、忍足が跡部を見て切り出す。

「説明、してくれへんか」
「何をだ」
わかってるやろと、忍足は跡部の足を軽く蹴飛ばす。
不愉快そうに眉を寄せて、ぷいと横向いてやり過ごすが、
忍足は引かない。

「手塚がなんでリョーマを知ってるんや。お前、何か隠しとるやろ」
「そーだよ、リョーマの事で隠し事するなんて、ずるい!」
不満に思っているのはジローも同じだ。
口々に不満を漏らす二人に、跡部は冷静に答える。
「言えるか。大体俺だって、あいつから直接聞いた訳じゃない」
「それって」
「偶然知っただけだ。だから軽々しく喋ったりすることはできねえな。
あいつの為にも」

本当に、偶然だった。あの日、榊が保有しているビデオを観ただけだ。
試合をしている、リョーマの姿。
本人はテニスをしていたと、一度も口にしない。
触れられたくないのか。
その可能性は十分ある。
無理矢理聞きだすような真似はしないと、跡部は決めていた。
勿論誰かに口外するつもりも無い。

「お前らは、それでも知りたいと言うのか?」
跡部の問いに、ジローも忍足も口を閉じた。
「あいつにも色々事情があるんだろ…。
整理つくまで、黙って待ってろ」

手塚に何を言われたか、出来ることなら知りたい。
どんな会話をして、何故あんなにも拒否してたのか。
知りたいけど。

閉ざしている部分を、こじあけるようなことはしたくない。
今はただ側にいて、心を開くのを待っているだけ。
それが一番良い方法だ。


「跡部に言われるのは悔Cけど。たしかにその通り、だね」
ぽつっと、ジローが言葉を漏らす。
忍足も苦笑して「そうやな」と頭を掻く。
「リョーマが言いた無いこと、お前に聞くのも間違ってる話やな」
「うん。リョーマのこと知らなくたって、大事に思うのは変わらないよ。
大切なのは、そっちなんだってなんで忘れてたんだ?」
「跡部だけが知っとるちゅうのが、気に入らんのやろ」
「あ、そっか」
「お前らな…」

二人共、これ以上追及するのは止めると決めたようだ。
こういう時の意見はすぐに一致する。
それぞれの形で、盲目の少年を大事にしているからだ。

「で、手塚の方はどないするんや?」
ジローと忍足はリョーマに必要以上詮索しないと決めても、
手塚はわからない。
リョーマの取り乱し方を思い浮かべ、忍足は眉を寄せる。
ジローも同様に、
「さっきの様子だと、またリョーマに会いに来るんじゃないの?なんか納得していないようだC」
と、困ったように口元を窄めた。
「でも、出来れば近付けさせたくない。リョーマのあんな顔見たくないもん」
「俺かてそうや。跡部はどう思う?」
ぽんぽんと、ジローの肩を優しく叩きながら、忍足が意見を求める。
そんなの跡部は、とっくに結論を出していた。

「今度また手塚が越前に余計なことを言って動揺させたら。
容赦しねえ。どんな手段使っても、追い返す」
「物騒やなあ」
「それがどうした。越前だって嫌がっていたじゃねえか。
何言ったか知らねえが、あんな顔させやがって」

それについては全く同感だったので、二人とも神妙な顔をして頷いた。

手塚から逃れようとしていた、リョーマの表情。
あんな悲しい顔、今まで見たこと無い。
暗闇しか無い視界の中、いつだって胸を張って歩いている彼があれ程動揺するなんて。

「そう言えば…」
一つ思い出したと、ジローが手を上げる。
「何だ」
「跡部達が会計している間に、えっと、不二だっけ?変なこと言ってたよ」
「不二が?」

思わず忍足と顔を見合わせてしまう。
またよからぬことを、企んでいるのか。
不二の色々な噂は、真偽のわからぬまま各学校の間に流れている。
とにかく関わらないことが、一番だと誰もが思っている。

「手塚がリョーマを好きだって言うなら、協力するんだって。
だから覚悟しとけとか、何なのあいつ」
「そらまた」
「嫌な話だな」

場合によっては青学魔王召還の可能性も、出てくるのか。
ジローはよくわかっていないらしく首を傾げているが、
跡部と忍足は同時にぐったりとシートに凭れた。

「何、力抜けてるのー。誰が出て来ようと関係ないじゃん」
「まあ、そうだけどよ」
「出来れば不二にはこのまま退場願いたいもんやな」
「全くだ。要は手塚が越前を好きだって言わなきゃいいんだろ。どうだかわからんが」

たしかに魔王が出て来ようと、負ける訳にはいかない。
誰が協力しようと、譲る気なんか無いのだから。
それが忍足やジローでも。
ましてや、ぽっと出て来た手塚には絶対奪われたくない。

(手塚や魔王だろうが、なんでも出てきやがれ)

しかし相手が呪いを使って来た場合の対策はとっておくべきか。
真面目に考えてしまう跡部であった。





翌日。

朝練の間ずっと寝ているジローは置いといて。
忍足と跡部はいつものように、校門付近でリョーマを待つ為に待機していた。

「来たで」
「ああ…いつもより元気無さそうだな」
「昨日のこと引き摺っとるんか?ここは明るく挨拶しんと」
「わかってる」

杖をついて歩いてくる姿は、いつもよりも俯きがちだ。
わざと二人は声を上げて、リョーマに近付く。
「リョーマ!おはようさん!気持ちのええ朝やな」
「おはよう、越前。なんだ腹減ってるような顔してるけど、朝飯抜いて来たのか?ああ?」

テンションの高い二人に、リョーマは目を瞬かせる。
「おはよう…。何、二人とも。なんかあった?すごく元気だけど」
「何を言うんや。俺はいつでもこんなんやろ」
「そう?」
「ああ。いつもと変わらねえ。もう忘れたのかよ」
「よく、わかんないけど」
言葉を切って、杖をぎゅっと握る。
「俺に気を使っているっていうのなら、無理しなくていいよ」
「リョーマ?」
「ごめん。昨日から、心配させてばっかりで」

強がって笑うリョーマに、二人は言葉を詰まらせた。

(お前の所為じゃねえって言ったのに)

跡部はさっとリョーマに近付き、その頭をくしゃっと撫でた。
「そんな顔すんな。こっちが勝手に気に掛けてるだけだ」
「跡部さん」
「どうしようも無くなったら、なんでも言え。だから一人でそんな顔すんな」
黙っていた忍足も、慌てて口を開く。
「そやで。リョーマが落ち込んどると、俺かて悲しい気分になってしまうんや。
なんとかしたい思うんは、自然な流れやろ?」
なあ、と馴れ馴れしくリョーマ肩を抱く忍足の手を、跡部はさっと払った。
「とにかくだ。ごめんなんて謝ったりするな。
俺もこのバカもジローも、お前の力になりたくて勝手にやってるだけだ。
遠慮なんかしてねえで、おんぶに抱っこでもいくらでも乗っかればいい。
お前一人くらい、軽く支えてやる」

ぽかんと口を開けていたリョーマは、
やがてくすっと笑い顔に変わった。
「…ありがと。なんか一人で考えてたのがバカ、みたいだ」
その表情に、忍足も笑顔になる。
「その顔や。リョーマ笑っといた方がええよ」
「全くだ。さっきの通夜みたいな顔より、ずっといい」

さっと手を引く跡部に、忍足もその反対側を握る。

「行くぞ。そろそろ始まるだろ」
「あー、でもこのままリョーマと遠出したい気分やわ」
「ふざけんな、バカ」
「バカ言うな!そういやさっきもさりげなく俺のことバカ言うてなかったか?」
「今頃気付いたのか」
「跡部〜」

二人のやり取りを聞いて、リョーマは堪えきれずといったように笑い出す。


「おっかし。二人とも、良いコンビだね」
「「誰がだ(や)!!」」
「…ハモってるじゃん」

リョーマを挟んで顔を引き攣らせる二人。

再び、いつもの日常が戻って来たようだ。


2004年09月25日(土) 盲目の王子様 55 リョーマ 


リョーマは手塚のことを何も知らない。
跡部がライバル視する位の実力の持ち主だということは聞いている。
でも、それだけ。

(この人は、俺を知ってるみたいだけど…)

黙って手を引くことを許したのは、あれ以上引止めに時間が掛かったら、
手塚が自分の過去を喋り出すんじゃないかと思ったからだ。
テニスしていたあの頃のこと。
正直、跡部やジロー、忍足に知られたく無い。
知られた後のことを考えると、怖くなる。

目が見えない自分に、彼らが気を使っていることはわかってる。
それが同情から来るものではないと頭では理解してる。
そんな人達じゃない。
でも、以前はテニスしてたんだと知られたら、
また接し方が変わって来るかもしれない。
毎日のびのびとテニス出来る身と、そうじゃない自分を比較して。
気まずい思いから、余所余所しくされる可能性は無いとは言えない。

(今はテニス出来なくて、可哀想になんて思われるのも嫌だ…)


だから手塚が何を話したいかはわからないが、
席を外すことを承諾した。それも3分だけだ。
さっさと終わらせてしまえば、跡部達に何も聞かれなくて済む。
そう考えたのだ。

店から出て数歩歩いた所で、手塚が「ここでいいか」と立ち止まる。
合わせてリョーマも立ち止まり、頷く。

「無理を言って済まない。時間を作ってくれたこと、感謝する」
「いえ…」
「名前も名乗っていなかったな。
俺は手塚国光という。青学の三年で、テニス部に所属している」
「越前リョーマっす。って、そっちは知ってるんだっけ。
俺のこと、どこまで知ってるの?」

早く会話を終わらせる為に、リョーマは自分から質問をしてみた。
意外だったらしく手塚は「それは、どこまでという程度では無いが」と口篭る。

「実は去年の夏休み。家族と旅行した際に、偶然君の試合を見掛けたんだ」

手塚は簡潔にリョーマを知った切っ掛けを話し始める。

自分の父と母が新婚旅行先に、今年は皆で行くことが決まった。
あちこち観光や買い物へと嬉しそうに回る両親とは反対に、
そういったものにあまり興味が無かった為手塚はすっかり退屈してしまったという。
そんな中、街でテニスのジュニア大会が開かれているのを知り、
両親がどこかを回っている間だけ、観戦したいと頼み込んだ。

「優勝したのは君だったな。今でも覚えている。試合も、プレイスタイルも」
「そう、っすか」
「背丈も君が一番小さかったな。一回りも大きな選手を負かしていく姿は爽快だった」
「……」

小さいと言われ、少しムッとしてしまう。
(悪かったな)
そこはリョーマにとって、最もコンプレックスが深い部分だ。
試合する時も、よく相手にバカにされた。
その分、容赦なく叩きのめしてやったが。

そんなリョーマの様子に気付くことなく、手塚は喋り続ける。

「まだ成長途中の荒削りなテニスだが、目を離すことが出来ないくらい輝いていた。
実は大会後、なんとか君と話をしたくて控え室に行こうとしたのだが。
関係者以外は立ち入り禁止だと追い出されてしまってな」
「当たり前だよ…」

異国の地で勝手に控え室へ潜り込もうとするなんて、
大胆な人だなと、リョーマは呆れてしまう。

「で、そこまでして俺と何を話すつもりだったの?」
手塚は自分のやってる事が無謀だと気付かず、真面目に会話を続ける。
「話というか、試合を申し込むつもりだったんだ」
「え?」
「試合を見て、俺のボールを君だったらどんな風に返すか、
どんな攻め方をしてくるのか。考えただけで体が震えた。
どうしても試合がしたいと切望したのだが、
君はすぐ帰ってしまったようで。結局、顔を合わせることも出来なかった」
「そう、なんだ」

氷帝の部長・跡部が認めている程の選手に試合を切望されるのは、素直に嬉しいと思う。
だがそれも過去のこと。

「君ほどの選手なら、将来きっとプロになるだろう。
いつか世界の舞台に立った時に、試合出来るかもしれない。
その時の為にと、俺はずっと努力し続けていた」

何気なく言った手塚の言葉が、リョーマの心をずたずたにしていく。

今、そんなこと言われてもどうしようもない。
あの時の自分と、今では状況が違う。
コートにすら、立つことが出来ないのだ。

「がっかりした?その俺がこんな風になっちゃってさ」
力無く、リョーマは笑ってみせた。
「悪いけど、もう試合は出来ないから。見てわかるでしょ。
これで、用件は終わり?なら帰ってもいいでしょ」
「いや。ちょっと待ってくれ!」

背を向けたリョーマに、手塚は慌てて前に回る。
ずっと会いたいと願ってた人に冷たくされて、動揺してるようだ。
でもリョーマは無視するように、顔を背けた。
手塚は尚も訴え掛けてくる。

「気分を害したのなら、謝罪しよう。
だからこれきりみたいな言い方はしないでくれ」
「だって、別に何もないじゃん」

杖をぎゅっと握り締めて、リョーマは声を上げる。

「わかってんの?こんな状態じゃ、テニス出来ないんだよ。
俺と試合したかったって、今更言われてもどうしようもない。
もうボールを追うことも、出来ないんだから…俺にどうしろっていうの」

悔しくなってきて、今度は俯いてしまう。

強いと言われる選手と、試合したい。叶うのなら。
でも絶対無理だってわかってる。
こんな状態で、何が出来る?

「俺も君の目のことは、雑誌で知った。
旅行から帰って来てから、海外の情報を積極的に集めるようにしたからな」
「そう、とっくに知ってたんだ。なのになんで今更、試合したいなんて言う訳?」

投げ遣りに言うリョーマに、手塚はそっと両手を肩へ掛ける。

「色んな憶測や中傷で書かれた記事は読んでて腹が立った。
だが中には手術すれば再びコートに立てる可能性があるというものもあった。
俺はそれを信じた。今はその為に、どこかで療養していると。
そうだろう?その為に日本に来たんじゃないのか?」

真っ直ぐな手塚の言葉も、今のリョーマには届かない。

「そんなの成功するかも、わかんないんだよ。
テニス出来るかどうか保障も無い。別にもういいけどね。未練も無いし」
わざと諦めたように言うリョーマへ、手塚は真剣な声で問う。
「本当にそう思っているのか」
「……」
「心の底では願ってるはずだ。手術が成功してもう一度コートに立ちたいと。
違うか?」
「なんで」

リョーマの声が震える。
初対面の男に、そこまで踏み込まれる覚えは無い。

戻りたいと渇望してること、言われなくても十分わかってる。
嫌と言う程。


「なんであんたにそこまで言われなくちゃいけないの!?」
「いや、俺は」
「もういい。3分経過したでしょ。帰る!」

これ以上手塚と話したくない。
必死で耐えてきた感情が溢れてしまいそうで、怖い。

一人で帰れるはずもないのに、左右わからないままリョーマは杖をついて歩き出す。
少しでも手塚から離れる為だけに。

「待ってくれ。そんなつもりで言ったんじゃない」
「うるさい。あんたと話すことなんて無いから」

手塚が腕を掴んでくる。
リョーマは振り解こうと滅茶苦茶暴れた。
その拍子に、杖が手から落ちる。


「何やってんだ!」

もつれる二人の間に、跡部の声が響く。

「跡部?」
「跡部さん」

手塚がリョーマを抱えているのを見て、
跡部はさっとその場へと駆け寄る。
そして手塚の腕を払い、リョーマを奪い返す。

「往来で誘拐とは良い度胸してるじゃねえか。あーん?」
「人聞きの悪いこと言うな。俺はただ」
「てめーの話なんざ、聞きたくねえ。こいつに何言った!?あんな顔させる程。
最低だな、手塚」

手塚の声すら不愉快だという態度を露にして、
跡部はさっとリョーマを抱え上げる。

「跡部さん…!」
降ろしてと言うリョーマの声を跡部は無視し、手塚へと宣言する。
「何したか知らねえが、二度とこいつに近付くな。
いや、近付けさせない。絶対にだ」
「誤解だ、俺は」
「うるせえ。おい、ジロー」
「え、何?」

後ろから追いついてきたジローは、ぽかんと成り行きを見守っていた。
「こいつの杖を持ってやれ」
「あ、うん」
リョーマの落ちた杖をジローは慌てて拾う。
その間に、跡部はリョーマを抱えたまま車へと向う。

「なあ、跡部。俺もリョーマ抱っこさせてくれへんか?」
「忍足…ちょっと黙ってろ」
「ハイ」

手塚はそれ以上何も言えず、去っていくリョーマに視線を注ぐだけだった。


「あいつの言うことは気にするな、いいな」
「……」
「手塚が近づいてきても、追っ払ってやる。心配するな」

それには答えず、リョーマは黙って跡部の体に頭部をくっつけた。
抱っこされるなんて恥ずかしくて、情け無いことだと思っていたけど、
悪い感触じゃない。
乱れていた心が落ち着いていくのがわかる。


真っ暗な視界の中でも、暖かい光に包まれてる気がした。


2004年09月24日(金) 盲目の王子様 54 跡部 

手塚の「越前リョーマ」という声に、跡部は数秒ほど固まった。
ひょっとして二人は知り合いなのだろうか。

(手塚と、越前が…?)


嫌な考えに、跡部は顔を険しくした。
その様子に気付く事無く、手塚は普通に話し掛けて来る。

「偶然だな、跡部」
「…そうだな」

後ろから来た忍足とジローも手塚に気付き、
「あー」と声を上げる。

「青学の部長さんやんか。奇遇やな」
「あ、ああ…」

ジローは手塚に挨拶することなく、ただ跡部とリョーマの繋がれた手に視線を注いでいる。
「跡部、何リョーマの手を握ってんのー?」
「今はそれ所じゃねえ、黙ってろ」
不機嫌そうに返す跡部に、忍足がちらっと視線を移した後口を開く。
「ひょっとして隣の個室。青学の連中か?」
何気ない言葉だったが、手塚は騒いでいた部員のことを責められたと取ったようだ。
厳格な顔で「済まない。注意はしているのだが」と真面目に答える。

おそらく都大会の打ち上げに来たのだろうと、跡部は察した。
優勝して奴らが浮かれていようが、そんな事情はどうでも良い。
これ以上手塚がリョーマに話しかける前に、ここを出たかった。

「そうか。精々通報されない程度に楽んでいろ」
そのままリョーマを引っ張り、手塚の横をすり抜けようとする。

だが、それを手塚が見逃すはずもない。
「待て、跡部!」
呼び止められ、ちっと舌打ちする。

「跡部…その子はお前の知り合いか?」
「あーん?てめえには関係ねえだろ」

警戒しながら喋る跡部に、手塚はずいっと距離を縮めて来る。
当然リョーマとの距離も縮まる。

「越前、リョーマ。そうなんだろ」
再び名前を呼ばれ、リョーマはびくっと肩を揺らす。

「何々。手塚とリョーマって知り合いなの?」
それまで黙っていたジローがいち早く反応して声を上げる。
「ううん。知らない。この人誰…?」

リョーマの答えに、跡部は知り合いじゃないのかと何故かほっとする。
続いて手塚も「知り合いという訳じゃない」と否定したので、
二人が顔見知りじゃないことは証明された。
しかし、それなら何故手塚はリョーマを知っていたのか。

「手塚君はリョーマをなんで知っとるんや?」
最もな忍足の質問に、手塚は迷いながらも口を開く。
「偶然だ。大分前に試合で見掛けたことがあって…」

その言葉にすぐにぴんと来た。

(こいつ。越前がアメリカでテニスしたことを知ってる!?)

忍足とジローはすぐに気付かず、「リョーマが試合に来たことあったっけ」と顔を見合わせている。
その先を言わせない為、跡部はわざと声を上げた。

「知り合いじゃねえなら話すことは無いな。行くぞ、越前」
今度こそリョーマを連れて、その場を離れようとする。
しかし手塚はまたしても追いすがる。
「待ってくれ」
「何だよ」
「少し、彼と話させてもらえないだろうか」
「ああ?」

とんでもない頼みに、跡部の機嫌は急降下した。
話をさせるなんて、冗談じゃない。
だが手塚は必死で頼み込む。

「5分。いや、3分でいい。
彼は、もう一度会いたいと願っていた人なんだ。ずっと会えることを待ってた。
頼む。話させてくれ」

危険な発言に、跡部がうんと承諾するはずない。

(絶対近寄らせねえ)

ぎゅっとリョーマの手を強く握り締める。

「お前みたいな怪しい奴と話させられるか。とっとと戻れよ」
「断る。やっと会えたんだ。彼と話をさせてもらえるまで、帰さないからな」

互いに睨み合う二人に、この後どうなるんだと忍足とジローが目を瞬かせる。
そこへ手塚が出てきた個室から、また新たな人物が登場する。

「いいんじゃない。3分だけって言ってるんだから」
にこやかな笑みを浮かべているが、その背後にある黒いオーラは隠しきれて無い。
青学の天才と名高い不二周助。
面白そうな顔をして、手塚とリョーマの顔を見ている

「不二。てめえには関係ないだろ。ひっこんでいろ」
大抵のことなら不二に関わらないよう努めるが、今回は別だ。
不二の言う通りになんかするものかと、跡部は迎え撃つ体勢を取った。

そんな跡部に不二は気にすることなく、滑らかに口を動かす。
「その子が嫌だって言ったの?
勝手に自分の思い通りにしようとするなんて、おかしいんじゃない?」
「なんだと」
「ねえ、そこの君」
跡部のことを完全に無視をして、不二はリョーマに話し掛ける。
「手塚と3分だけお話してくれないかな。
でなきゃこいつ、夜も眠れなくなってまた老けちゃうからさ。これ以上老けたら大変なことになるんだ。
あ、君の安全は僕が約束する。手出しさせたりしないよ」
「不二…・頼んでくれるのはありがたいが、引っ掛かるところがあると思うは気の所為か?」
「うん。気のせい。気のせい」

釈然としない手塚と、可笑しそうに笑っている不二。
心底どうでもいいと、跡部は思った。
硬直しているリョーマに「断ってもいいんだぞ」と耳打ちする。

「言い辛いのなら、俺から言ってやるから」
「跡部さん…でも、俺」

リョーマは小さく首を振り、跡部の予想と反したことを口にする。
「ちょっとだけこの人と話してみます」
「…っ」
「リョーマ!?なんで、なんで?」
ショックで声の出ない跡部の代わりに、ジローが声を上げる。
「決まったね」
可笑しそうに不二が手塚の肩を叩く。
そしてさっと近付き跡部とリョーマの繋いでいる手を離してしまう。
その時間は1秒にも満たない。鮮やかなものだ。

「手塚。この子連れて、外で話しておいで。
時間は守ってね。怖いナイト達がうるさいから」
「あ、ああ」

はい、とリョーマの手を渡され、手は戸惑いながらも頷く。
そしてしっかりとリョーマの手を握ってしまうではないか。

「ちょお待って。なんで不二が仕切るんや?二人きりなんておかしいやろ」
納得行かないと、忍足が不満げに唸る。
「君達がいたんじゃ話辛いでしょ。3分なんだけだから、別にいいじゃない」
「よくないよー!」

むっとするジローだが、リョーマが話したいと言ったのだ。
あまり文句も言えないというように、眉を寄せてもごもごと呟くだけだ。
まだショックを受けてる跡部は、未だ呆然としている。


「済まない。少しだけ、俺に付き合ってくれ」
「…わかった」
「手塚。頑張ってね」
「何をだ」

不二に見送られ、手塚はリョーマの手を優しく引いて外へ連れ出してしまった。

「ねえねえ。あの子って、君達の中の誰かと付き合っているの?」
不二のその言葉に、跡部は一気に覚醒する。
「余計なことしやがって。てめえが出てこなければ」
文句を言おうとするが、不二は無視して質問を続ける。

「さっさと答えてよ。付き合ってるの?ただの友達?」

急にそんなことを言われても。

跡部は口を閉ざし、忍足は難しい顔して俯く。
ジローだけが、「俺、リョーマの保護者ー!」と手を上げて名乗り出る。
不二はそれを綺麗にスルーして、肩を竦めた。

「ふうん。その様子だと誰とも付き合っていなさそうだね」
「て、てめーには関係ないだろ」
「そうや。何やねん、一体」
跡部と忍足が同時に声を張り上げる。
しかし不二は更にとんでもないことを言い出す。

「じゃあ、手塚があの子と付き合っても問題なさそうだね」
「はあ!?」
「何言い出すんや!」
「だめー、そんなの!」
三人の思いが一つになった瞬間だった。

楽しくて仕方ないといった表情で、不二はぺらぺらと喋りだす。

「だって手塚が誰かに対してあんなに必死になったの、見たことないから。
ひょっとして、どうしても話し掛けたかったのも告白したいから、と思ったりしてね」
「「……」」
「ねー、それって手塚がリョーマを好きって言ってるの?」

言葉を失う跡部と忍足の代わりに、ジローが手を上げて質問する。

「それも一つの可能性だと思うんだよね」

さっと血の気が引く。
手塚が、リョーマを。
そして、告白するかもしれない?

「越前が危ない!」
「邪魔しに行くで!」

走り出し外へと行こうとする二人だが、
店員に「お代を先に…」と呼び止められてしまう。


「ねえ、保護者の君」
「何?」

キレそうになりながら財布を出す跡部達の様子を見て、
不二はくすくす笑いながら出遅れたジローに声を掛ける。

「もし手塚が本気であのこと付き合うつもりなら、
僕は協力するつもりだから。よーく覚えていてね」

不二の不気味な空気にも、ジローは怯んだりしない。

「お前、なんか変な奴だな」
「そう?いたってごく普通な天才だけど?」
「とにかく!誰が協力するなんて、関係ない。
決めるのはリョーマなんだから。変な工作するなら、俺許さないから」

ようやく会計を終えた二人へと、ジローは駆け寄って行く。

「ふうん。なんか面白くなりそう」

手塚が戻ったら詳しく話しを聞こうと、
不二はこれから起こる何か楽しい出来事を予見して、そっと笑った。


(くそっ、なんなんだ一体)

嫌な空気に跡部の背筋が冷たくなったが、
今はそれどころじゃない。
やっぱり二人きりになんてさせるべきじゃなかった。
絶対引き離してやるぞと、外へと飛び出した。


2004年09月23日(木) 盲目の王子様 53 新たな混乱の始まり


休日の所為か、店は割りと込んでいた。
外で待っている人もいる。

「結構、入っているな」
「予約しといて、正解だったでしょ」

当然だが制服を着てる人は、他にいない。
リョーマは家に居た為私服だが、試合帰りの跡部達は制服のままだ。
着替える程気を使うような高い店ではなさそうなので、
いいか、と跡部は瞬時に結論を出した。
「個室があるだけ、マシだな」
騒がしい店内に、眉を寄せる。
リョーマの方を見ると、見知らぬ場所が不安なのか俯いてしまっている。

「大丈夫か」
「・・・うん」

手を握ってやると、リョーマはニコっと笑顔を向ける。

「おい、ジロー。さっさと案内してもらえ」
「わかってるよぉ。スミマセンー!予約してるんですけどー!」
「声、でか過ぎやて」

喋ってる客達よりも倍の声を上げるジローに、忍足はげんなりと肩を落とす。
しかしその大きい声に、店員は急いで駈け付け、すぐに個室へと通された。

「もっと静かな店、選べよな」
「跡部が行ってるような店なんか、普通の学生は高くて行けないよ」
「まあまあ、二人共はよ何か頼もうや。リョーマもお腹空かしとるんやろ?」
「うん」

リョーマの隣にジロー、その前が忍足で、跡部は正面という形で座ってる。
ちなみに公平なじゃんけんによって決められた。
なんでいちいちじゃんけん?とリョーマは不思議そうだったが、
譲れないものだってあるのだ。
「リョーマ、何にする?和風パスタなんかもお薦めだけど」
「あ、俺ピザがいい」
リョーマがピザを選んだのは、パスタよりも手で掴みやすいからだ。
その理由にジローはすぐ気付いたが、それについては何も言わずピザのお薦めを挙げる。
「たっぷりきのこのホワイトソースと、トマトソースのピリ辛ソーセージ乗せが美味しいかな。
いっそのこと両方頼んで、食べ比べしようか」
「うん!」

仲良くオーダーを決める二人の姿に、正直腹正しく思うがぐっと我慢する。
ここで文句を言ったら、また揉めてリョーマに怒られるだけだろう。
忍足もそう思っているのか、淡々と「俺、鴨肉のパスタと温野菜のサラダにしよ」と呟いている。
リョーマにキツイ一言を言われるのは、堪えるようだ。

(それは俺も、同じか)

そうして揉め事の無いまま、食事の時間は過ぎて行った。
基本的にリョーマは、たどたどしくもあるが自分の手でピザを食べている
それに誰も手出しをしたりしない。
リョーマなりに、迷惑を掛けないようにと頑張っているのだ。
見守ることはしても、口出しは絶対にしないと三人とも同じ思いだった。
ただ自分達が注文したものは、味見という名目で口に運び続ける。
「リョーマ、これも美味しいよ。食べて」
「そんなら次は俺の番やで」
「おい。何勝手に、越前の口に運んでるんだ。俺が先だろ?」
「ちょっと・・・一度に言われても無理だよ」
「なら、じゃんけんー!」
「恨みっこ無しやで」
「ふん。そっちこそ後で騒ぐなよ?」
結局、順番を決めてやったので、後には争いも何も起こらず楽しい時間だけが過ぎていく。





「隣、うるさいな」

デザートも食べ終わり、まったりとした空気の中、
忍足は隣の個室を見て声を出す。
「かなりの人数みたいだな」
「それにしても騒ぎ過ぎだC。あれじゃ店内に響いてるよ」
自分達も最初にリョーマから怒られなかったら、あれだけ揉めて騒いだに違いないのだが、
完全に棚上げした状態で語っている。
たしかに隣は文句の一つも言いたくなるくらい、騒がしいのだが。
時折誰かが「静かにしろ」と注意はしてるようだが、すぐまた元通りの声に戻ってしまう。

「出るか。ここじゃ落ち着かないぜ」
「今、何時?」

お腹いっぱいになったことで眠くなったのか、目を擦りながらリョーマが訪ねる。

「8時過ぎだな」
「俺、そろそろ帰らなきゃ。遅くなると母さんが心配するし」
「リョーマもこう言ってるし、今日はお開きやな。また今度行こうな、リョーマ」
「忍足・・・てめえ、何抜け駆けしようとしてるんだ?」
「そうだよ。俺が誘った時は、散々文句言ったくせに」
「何やて?俺は堂々と誘っているやないか。こそこそしとらへんで」
「おい、言い争うのは止めろ。全く、学習能力が無いのか」

呆れたような声を出し、跡部はさっと立ち上がりリョーマの隣に立つ。
そして手を取って、立ち上がらせてやった。

「ありがと」
「こいつらに構ってると遅くなりそうだからな、行くぞ」
「え?」
「あー、跡部!またリョーマの手、握ってるー!」
「汚いわ、ほんま」

二人が罵る前より早く、跡部はリョーマを引っ張って個室を出る。
外に出ても騒がしい隣に眉を顰めながら、ゆっくりリョーマがついて来れる速さで歩く。

「え?」
「あ?」

ガチャッと開いた隣のドアから、見覚えのある人物が出て来て跡部は足を止めてしまった。

「わっ」
突然の行動に、目の見えないリョーマは対応出来ない。
跡部の体にぶつかってしまう。

「越前!」

ぐらっと揺れる体を、咄嗟に支えてやる。
対応が早かった為、転んだりしなくて済んだ。
ふっと安堵の息を吐く。

「悪い。驚かせたな」
「平気っす」

リョーマが小さく首を振って、きちんと体勢を整え直す。
それを確認した後、跡部は改めて原因を作った人物へと視線を移す。

(なんでてめーがここにいるんだ?)

青学の部長、手塚国光。
跡部も認めるほどの実力の持ち主。
制服姿の手塚に、寄り道もするのかと変な所に感心してしまう。

その手塚は、跡部の方を何故か見ていなかった。
視線を辿ると、後方にいるリョーマへと注がれている。

「おい、手塚。何じろじろ見ているんだ」

失礼な奴だ、とリョーマを背に隠すと同時に、
手塚が声を上げる。

「越前、リョーマ・・・?」

手塚の口にした名に目を見開く。
思わず跡部はリョーマを振り返る。

盲目の少年は名前を呼ばれたことに、困惑して首を傾げていた。




2004年09月22日(水) 盲目の王子様 52 跡部景吾

閉会式に出るのも嫌だったが、部長が出ないというのも問題だ。


「優勝、青春学園」


青学の表彰に、ケッと跡部は口元を歪める。
準優勝したのは氷帝を破った不動峰。
ノーマークだったからと言い訳するつもりはない。
D2・D1・S3と完敗した。
しかしダブルスはともかく、S3は正レギュラーの宍戸。
簡単に負ける訳ないと思っていたが、相手が悪すぎた。
金髪じゃなかったので気付かなかったが、橘はかつて九州の2強と言われた程の全国レベルだ。
なすすべも無くポイントを取られていくしは、誰が見てもガタガタで。
試合は15分程で終ってしまった。

全く、自分が出ていたら結果は違っていただろうに、と跡部は歯軋りした。
監督への報告はどうでも良いが、リョーマへの結果は何て伝えたら良いのか。
あれだけ優勝だと豪語してた分、恥ずかしくなってしまう。

閉会式が終わり、各学校がそれぞれ散らばって行くのを眺めながらも、
跡部はそんなことばかりを気にしていた。

「ねー。宍戸、大丈夫かな?」
絵に描いたような落ち込みぶりに、さすがのジローも心配そうな眼差しを向けている。
肩は落ち、目も黒く沈んでいる。
試合後、一言も声を発してもいない。

「放っておけ。勝手に立ち直るだろ」
「跡部、冷たいー。試合に負けたのも宍戸のせいって八つ当たりするのやめなよ」
「するか。八つ当たりしてもどうにもならねえだろうが。
それに宍戸がこれから立ち直るのに、他人の言葉なんて無意味だ。
自分で這い上がらなければ奴もこれまでだな」
「せなや。厳しいで、これから」

落ち込んだまま帰るしの後姿に、忍足も神妙に頷く。

「明日の俺等の姿かもしれへんのやで」
「レギュラー落ち、しちゃうんだね。やっぱり」
「ああ」

負ければ即レギュラー落ち。
厳しい規則に誰も文句を言わないのは、チャンスが平等に与えられるからだ。
掴んだら、それを続ける努力をしない者は落ちて当然。
それが氷帝の強さだ。

「行くぞ。あいつ、迎えに行くんだろ。車で行けばその分、速い。
お前達も特別に乗って行ってもいい」
「珍C。滅多に無い跡部の心遣い!」
「ジロー、お前だけ走って行くか?」
「嘘、嘘。乗せて行ってー」

先程までの重い空気をわざと振り払うように、騒ぎながら三人は車に乗り込む。

リョーマの家までの到着の間に、跡部は榊に連絡を取る為携帯を取り出す。
部長に任せきりの顧問なんて、随分気楽だと溜息をついて。
こんな結果を聞かせる自分の重い気持ちなど、わかってもないのだろう。
だが榊は敗北の結果を聞いても「そうか」と淡々に受け止めただけだった。
「宍戸はレギュラー落ちだ。代わりは後日決める」
「はい」
「ご苦労だったな。以上、行ってよし」

ぷつっと切れた携帯に、どこへ行くんだ指あの形とってるのかと思いつつ、ポケットに携帯を仕舞う。
宍戸がレギュラー落ちするのは、やはり聞いて気分が良いものでは無いが、
どうすることも出来ない。
這い上がるかどうかは、宍戸次第。
それまで手を貸さないと、跡部は決めている。



「着いたー!」
「ジロー、耳元で騒がんといてな」

鼓膜に直接響いたのか、忍足は耳を抑える。
我関せずと、ジローはドアを開けて車外へと飛び出してしまう。

「リョーマ!迎えに来たよ!」
インターフォンを押してもジローは大声を出しているので、慌てて窘める。
「近所迷惑は止めろ」
「えー」

次の瞬間、ガチャッと玄関が開かれ、中から盲目の少年が杖をついて現れた。

「ジロー、中まで声聞こええたよ」
「リョーマ!会いたかった」
「あ、おい、ジロー!」
跡部の制止を振り払い、ジローはリョーマの元へと駆け寄り、ぎゅっと抱き付く。

「リョーマ、聞いてよ。今日の試合負けちゃったー!」
「ええ?」

チッと跡部は舌打ちする。
慎重に伝えるつもりだったのに、これで全てがぶち壊しだ。
さてどう出るかと跡部が様子を伺っている間に、
忍足がリョーマからジローを引き剥がしに掛かる。

「負けたけど、俺等は試合に出てへん。
せやから余計悔しかったわー。あの場におったら、負けへんかったのになあ」
「誰も試合に出て無いの?」

忍足に引き剥がされそうになりながらも、ジローはリョーマの腕にしがみ付いている。
「出てないよ。出たかったのにー。本当悔しい!」
「でもまだ関東大会もあるんでしょ?」
「せや。そっちで今日の雪辱晴らそうやないか。リョーマ、応援してくれるんか?」
「え、うん。頑張って」
「ずるいー。リョーマ、俺にも言って」

負けたと聞いても、意外とあっさりしたリョーマの反応。
「勝つんじゃなかったの?」と言われるのは覚悟していたのに。

(あいつのこと、まだよくわかっていなかったんだな・・・・)

苦笑しつつ、跡部は三人の間に割って入った。

「おい、そこまでにしておけ。店、予約してるんだろ?もう、行くぞ」
「って、何で跡部がリョーマの手を握ってんの?」
「手を引いてやってるだけだろ」
「そんなら俺が変わりに引いといてやるわ。交代や、交代」
「うるせえ。細かいことごちゃごちゃ言うな」
「細かくなんか無いC!」

喚く二人を無視して、跡部はリョーマを先に車へ乗せてやる。

「ありがと」
礼を言うリョーマに、今ならとそっと伝える。
「いや・・・それより格好悪い結果になったな」
「何が?」
「優勝の報告、してやれなくて・・・」
瞬きした後、盲目の少年はニッコリ笑う。

「まだ全国大会まで始まったばかりじゃん。次は試合出るんでしょ。
その時の話、また聞かせてよ」
「・・・・・・おう」

嫌味の無い素直なリョーマの言葉に、跡部は頷く。
全力で勝利を掴みたい。
そんな気にさせられる。

「跡部、何リョーマとこそこそ話しとるんや」
「そうだよ、後つかえてるのに」

跡部が入り口を塞いでいるため未だに車に乗れない二人が、不満げに唸っている。

「お前らなんぞ、ここでおいてやってもいい位だ」
「何やて?」
「ちょっと跡部さんも侑士もやめなよ。
皆で食事に行くんでしょ?」

リョーマの声に、三人は瞬時に争いを止める。

誰がこの場で一番の発言権を持っているのか、
言うまでも無い。


2004年09月21日(火) 盲目の王子様 51 跡部景吾

ふと気を緩めた隙にこっくりと眠りこけるジローの頭を、
跡部は平手で叩いてやった。
「痛い!叩くことないじゃん」
「寝るからだ。それともグーでいくか?ああ?」
「だって、試合も無いのに連れてこられるのっておかしいよ。迷惑。
寝たい時に寝かせてくれてもいいじゃん」
「お前、な。テニス部員だろ?
たとえ出場しなくても、応援してやろうとは考えないのか」
「跡部だって真面目に応援しないくせに。
あーあ。こんな事なら早起きしてリョーマの家に避難しとくんだったー」

その言葉に、跡部の視線が険しくなる。
やっぱりジローは今日もリョーマに会いにいくつもりだったのだ。
早めに樺地に迎えに行かせたのは正解だった。
無理矢理引っ張って来たようだが、この際どうでも良い。

本日は都大会準決勝・決勝が行われる。
よほどのことが無い限り応援の欠席は許されない。
しかもリョーマと二人きりになろうとは図々しいと、
跡部は私情を入れてジローを睨んだ。
が、ジローはそんなことを気にする性格では無い。

「で、準決の相手ってどこ?」
「それも知らないのか」
「うん」
「ったく。不動峰ってところだ。それ位は覚えておけ」
「ふうん。そこってどんな相手?」
「さあな」
「なんだ、跡部も知らないんじゃん」

お前と一緒にするなと口を開きかけるが、そこへ忍足の声が響く。
「おい、跡部!そろそろ集合やでー」
「・・・・・・・」
今日、試合出場が無いジローは良いが、
S1に登録されtる跡部は整列しなければならない。

(面倒くせえ。青学の手塚以外に試合したい奴は他にいやしねえ)
黒いジャージに身を包んだ不動峰の部員を前にしても、
跡部は何の感慨も受けない。
いつも通りさくっとS3で勝敗は決まると思っているからだ。

「良い試合にしよう」
「・・・・・ああ」
握手を交わす際に、不動峰の部長・橘に声を掛けられても右から左へと流すだけ。
跡部の態度にじっと橘は見詰めてきたが、知らん顔して手を離した。


「あー、面倒くせえ。整列するとき位、俺の振りして適当に挨拶して来いよ。
それ位役に立たねえのか」
「なんで俺の顔見て言うねん・・・」

理不尽な跡部の呟きに、忍足が苦情を洩らす。

D2の試合が始まったが、応援は他の部員に任せて、
跡部・忍足・ジローは少し離れた所のベンチで寛いでいた。
試合がある宍戸は集中したいらしく音楽を聴き始めたが、
相手して欲しいと向日に纏わりつかれていて迷惑な顔をしている。

「ねー、跡部。今日、絶対5時までに終わる?」
ご、とジローが片手を開いて、跡部の顔に近付ける。
鬱陶しそうに払いのけて、「多分な」と答えた。
「多分じゃ困る。俺、少しでも遅くなるなら帰るからね」
「勝手なこと言うな。前から思っていたけど、俺以上に我侭だよな・・・」
「だって大事な用事があるんだもん」
「とか言うて、リョーマと約束してたりしてな」

瞬間、ジローは目を逸らす。
跡部と忍足はそれを見て、確信した。
間違いない。
ジローはリョーマと会う約束を取り付けている。
「また、あいつの家に行くのか。迷惑だからやめろ」
「別にリョーマと会うなんて一言も」
「ほなら確認するか?リョーマに電話して「うん」言うたら、ほんまに針千本飲ますで」
「酷いー」
「酷いのはどっちだ。影でこそこそ約束しやがって」
「せやな。抜け駆けはあかんで、ジロー」
「うう・・・」

跡部と忍足に囲まれては、ジローも逃げ場が無い。

「越前の家に行くつもりだったのか?」
「えっと、今日は場所を変えようと思って・・・」
「正直に話せばおしおきは許したる。どこいくつもりだったんや?」

詰め寄られ、ジローは泣く泣く口を割る。
「最近、気に入ってるパスタとピザのお店。リョーマもそこでいいって」

まるでデートじゃないか。
ますます跡部と忍足の機嫌は下降していく。

「ジロー、いつリョーマに電話した?
朝の時点じゃ樺地に拉致られて、約束してる暇なかったやろ?」
「それは・・・さっき跡部が整列してた隙を見て」
「トイレ行く言うてたやん。あの時か?俺を出し抜いて汚いやっちゃな」
「もういい!」

怒りを露にして、跡部は声を上げた。
人が整列している間に、よくもまあやってくれたものだ。

「お前、すぐにその約束キャンセルしろ」
「なんでだよ、リョーマだって行きたいっていったのに」
「気を使って言ったんだろ。外での食事は却下だ!不慣れな場所だとあいつが大変だろ」
慣れない場所での食事は、気を張るので負担になるだけだ。
リョーマのことを考え、そう発言した跡部に、
ジローはフフと笑い返す。

「平気。そのお店個室あるから。ちゃんと予約しておいたC。
リョーマには俺が食べさせてあげるから問題無し!」
「何やて?」
「そんなこと許すか、バカヤロウ」

二人同時に責められ、ジローはびくっと体を揺らす。

「だったら俺もいくからな、その店に」
断言して言う跡部に、忍足も「俺も勿論参加させてもらう」と加わる。

「ヤダー!二人が来たら、リョーマとのんびり過ごせないじゃん」
「お前にそんな権利はねえよ。勝手な行動は慎め」
「今回ばかりは跡部の意見に賛成や。その店に二人追加する言うて。今すぐ。
俺からリョーマには4人で行く伝えとくわ」
「ヤダー!」

駄々を捏ねるジローを無理矢理言うこと聞かせる形で、
結局4人で食事に行くことに決定した。

(あいつもジローの誘いなんて断ればいいんだ。何故そうしない?)

大会が終わったら「報告」する為、家を訪問することをわかっているはずだ。
たしかに必ず行くとは、約束していないが・・・。

いっそのこと、さっさと進展してしまおうかと考えるが、
そこは榊の言葉が重く圧し掛かり行動に移すには躊躇してしまう。
手術を控えたリョーマに、気持ちを押し付ける真似はしたくない。
かといって何もしないわけにもいかない。
だからさり気無く態度には出しているのだが、
鈍いのか全くリョーマはわかっていないようだ。
(彼女の方を大事にしろ・・・なんて言うしな)
さすがにあれは少し凹んだ。
何気ない一言だったが、意識されてないと実感したからだ。
これから変えていくつもりだが、道のりは険しそうだ。
(加えて、邪魔者もいる・・・)

ギャーギャー言いながら争ってるジローと忍足を見て、溜息をつく。
手術が終わるまでじっくり見守ってやりたいところだが、
こいつらの出方次第じゃどうなるかはわかったものじゃない。
跡部でさえ、わからないのだ。



「大変です、跡部部長!」


不意に駆け込んできた後輩の姿に、跡部は顔を上げた。
そういえば忘れ掛けていたが、今は試合中だったのだ。

「何だ。相手に怪我でもさせたのか?」
「違います。でもすぐに来て下さい!」
「はあ?」

試合の結果に跡部は興味など無かった。
青学ならまだしも、相手は全国大会での常連でもない無名校だ。
氷帝が負けるとは微塵にも思って無い。

(まさか苦戦してるのか?)
跡部の予定では本日リョーマと会って、都大会優勝したと話すのはすでに決定されてる。

(冗談じゃねえぞ、こんなところで)

足早にコートへと戻る。
忍足とジローも後を追う。



跡部の描いてた想像とは掛け離れた結末が、
行った先のコートで待ち受けていた。


2004年09月20日(月) 盲目の王子様 50 越前リョーマ

その日、リョーマは診察がある為いつもよりも急いで教室を出た。
校門の所で迎えに来た母親が待っているからだ。

繰り返される定期的な検診にうんざりしているが、こればかりはさぼる訳にいかない。

(嫌だな、この匂い・・・)
視覚が閉ざされている分、他の神経はより研ぎ澄まされる。
病院特有な匂いに眉を寄せ、診察室へと向かう。

経過を見るだけで、今は特別なことをしない。
変化は無いかとお決まりの質問に、「無い」と素っ気無く答える。

本当は尋ねてみたい。
ちゃんと目が見えるようになるか、教えてよって。

けれど不安な心を抑え、取り乱したりはしない。
もしそんなことを言ったら、両親へ報告が行くだろう。
父はともかく、リョーマは母に心配を掛けたくなかった。

この目が見えなくなった時、母は泣いていた。
うまく父親が宥めてくれなければ、押し潰されていたかもしれない。

だからリョーマは不安な心を見せたりはしない。
いつでも平気だと、振舞っている。
大丈夫だと、自分に言い聞かせて。

今リョーマを支えているのは、夏予定の手術に成功すれば、
回復する可能性があるという医師の言葉だ。
必ず見えるようになると、信じるしかない。
そうでなければ、動けない。

(そして、またテニスをやるんだ)

視力がこんな状態だから、前と全く同じとはいかないだろう。
それでもコートに立てるのなら、贅沢は言わない。

(テニスやれるようになったら、跡部さんや侑士、ジローともやりたいな)

大会の話を聞くと、いつも何故自分も出場出来る身じゃなかったのかと少し切なくなる。
勿論跡部から話を聞くことは、楽しいけれど。

(俺が普通に入部してたら、三人とは違った出会いになっていたんだろうな)
普通に先輩後輩と、して。
それか日本に来ることも無く、お互い名前も知らずに終わっていた可能性だってある。
人の縁とは不思議なものだ。

「リョーマ、会計終わったから帰るよ」
会計に時間が掛かっていた母が、やっと戻って来た。
「うん」
杖を持って立ち上がる。

今回の検診は終わった。けれどまだまだ病院通いは続く。

(やっぱりこの匂い、慣れないや)

母にはわからないように、リョーマは小さく溜息をついた。











病院帰りということもあって、リョーマの気持ちはやや沈んでいる。
夕飯を終えた後、愛猫を膝に乗せて撫でながら、もうお風呂入って寝てしまおうなんて考える。

その時、訪問者を告げるチャイムが鳴った。
リョーマが出ることは滅多に無い。
従姉が、ばたばたと玄関へ移動する音が聞こえる。
きっと回覧板か何かだと、リョーマは気にしなかったが、
引き返してきた従姉が告げる言葉に驚いてしまう。

「リョーマさん。跡部さんが来てますよ」
「え?」
「出られますか?」
「ちょっと待って」

カルピンを膝からどけて、リョーマは立ち上がった。
杖を持ち、玄関へと移動する。

こんな時間に何だろう。
試合は無かったはず。だから報告することも無い。

「上がるように勧めたんですが、すぐ帰るからって断られました」
「そう」

立ち話で済む話なのか。
何のことかわからないが、わざわざ来てくれたのだ。
追い返したりはしない。


「跡部さん・・・?」
「よぉ、ここだ」

玄関を開けると、跡部にそっと腕を触れられる。

「どうかした?上がっていけばいいじゃん。お茶くらい出せるけど」
「いや、いい。ちょっと寄っただけだ」

寄っただけという言葉に、リョーマは跡部が部活帰りなのかと考える。
氷帝はナイター設備がある為、19時過ぎまで練習することがあると、ジローから聞いている。
それから着替えていれば、こんな時間にもなるだろう。

「今、帰り?」
「ああ」
「お腹空いてないの?」
「休憩中に軽く食ったから、特に」
「そう」

一体跡部は何しに来たのだろう?
ちっとも本題に入ろうとしない。
おかしいなとリョーマが思っていると、「今日は急いで帰っていたな」と跡部が口を開いた。

「いつもより早めに帰っていただろ。窓から出てくるところを偶然見たぜ。本当に偶然だけどな」
「はあ」
偶然を強調する言い方はよくわからないが、そこは特に追求しない。

「だって、今日は病院の日だったから」
「定期健診か」
「うん」

そうか、と跡部が低く呟く。

(なんて、思ってるんだろう)
大丈夫なのか経過はどうなのかとか聞かれるのが嫌で、リョーマは慌てて話題を変えた。


「それより、何?用事があって来たんでしょ?」
「いや、別に無い」
「え?」
「今朝は監督に呼ばれていたから、迎えに行けなかった。
昼休みは生徒会の方で用事があった。
帰りはお前がさっさと帰っただろう?今日一日、俺達は会っていなかったんだ」
「はあ」

表情を見ることが出来ないから、言葉だけで判断すると。
わざわざ自分に会いに来たように聞こえる。

(まさか)

そんなはず無いと、リョーマは心の中で否定する。
跡部がそこまで自分を気にする理由が思いつかないからだ。

「あのさ・・・俺なんかに会うよりも、彼女の方を優先してあげなよ・・・」
わざとリョーマは笑いながら、言ってみせる。
沢山の女子に囲まれている跡部のことだ。
一人二人付き合ってていても不思議じゃない。
ならそっちを優先させるとい言っても、おかしくない。
そう思っての発言だ。

が、跡部はお気に召さなかったらしい。

「彼女、なんていねえよ」
不機嫌な声で返される。

「え、でもすごくもてるって聞いたけど」
「だから、何だ。付き合うかどうかはまた別だろ。
とにかく俺に彼女なんていないからな。誤解するな」
「うん・・・」

強い口調で言われ、リョーマは戸惑いながらも頷いた。

(そんな否定することでも無いような)
さっぱり跡部が何を考えているかわかない。

「ところで、お前こそどうなんだ」
首を傾げていると、今度は跡部から質問される。
「どうって?」
「付き合っている奴いるのか?
俺の話はしたから、今度はお前の番だぞ」
「・・・・・・・」

そんなこと聞きたがることも、わからない。
黙っていると「なあ」と促される。
きっと言うまでせっつかれるに違い無いので、リョーマは正直に答えることにした。

「いないよ。今はそれどころじゃないじゃん」
「今はって事は、前にはいたのか?」
変なところを気にするものだ。
しかし跡部はリョーマの腕をぎゅっと掴んでくる。
教えるまで放さないといったように。

「前にもいないよ。興味無かったし」

途端に腕を掴んでた跡部の手から力が抜ける。

「そうか、前にもいなかったのか。なんだ・・・良かった」

これが子供だなとかからかいを含む口調だったら、リョーマは怒っていた所だ。
けれど跡部の声はほっとしたような、嬉しそうなものでもあった。
何が良かったのかはやっぱりわからない。

跡部が黙ってしまったので、沈黙が続く。
なんだか今の状態がくすぐったくて、リョーマはわざと明るく声を上げた。

「あのさ。もう家に入ってもいい?今日は早く休もうと思ってたから」
「そうか。急に訪問して悪かったな」
「別に謝ることは無いけど?」

ふっと、跡部の手が杖を持っている手に触れられる。

「じゃあな。また明日」
「うん・・・・じゃあね」

触れたのはほんの一秒か二秒だった。

けれど服の上から腕を掴まれたのとは、違う。
直に触れた跡部の体温に、リョーマはほんの少しだけ体を震わせた。

(過剰な反応して馬鹿みたい)

跡部は特に何も言わなかったから、気付かなかっただろう。幸いだ。

彼にとっては手に触れるなんて、きっと意味が無いこと。
挨拶みたいなものだと、思うことにした。

「リョーマさん?跡部さんはお帰りになったんですか?」
「うん。今帰ったとこ。あのさ、お風呂沸いてる?」
「ええ。もう入りますか?」

入ると返事して、風呂場へと向かう。


(何か、また疲れた気がする)

けれど病院の後みたいに、気持ちが沈んでいるのとは違う。

そわそわするような、けど嫌なじゃない不思議な気持ち。

(変なの)
深く追求することは止める。
今は落ち着かない気持ちを休めたいだけだから。

一日の疲れを取る為、リョーマはその日いつもよりも長くお風呂に浸かった。



2004年09月19日(日) 盲目の王子様 49 跡部景吾

「で、どうだった?」
「ーっと、その」
間近でリョーマの顔を見て、跡部は一瞬体を引いた。

落ち着け。
相手はこっちがどんな表情しているか見えない。
普段通りに、報告すればいい話だ。

「当然、勝ったぜ。準決勝は先だが、関東大会への切符は手にした」
「ふーん。跡部さんは試合したの?」
「今回も無かった。雑魚相手にしても仕方ねえだろ」
「言うね。でも油断してると、危ないかもしれないよ?」
「試合に出て、油断したことなんか一度も無いけどな」
「へえ、意外」
「お前は俺をなんだと思ってたんだ・・・」

どんなイメージだと露骨にがっかりした声を出すと、
「ごめん」と明るく笑いながらリョーマが謝罪する。

その笑顔を見て、また気分が浮上する。
どうしてリョーマといると、こんなに楽しい気持ちになるのだろう。

他愛の無い会話を、もっと続けていたい。
途中に見え隠れする笑顔を、もっともっと見たくなる。

「あ、そうだ。跡部さんが戦いたいって言ってた人。あっちは勝ち残ったの?」
「ああ。勝ってた」
初戦以降、手塚まで回ることなく青学は勝っていたらしい。
やはり注意すべき学校だ。

「だったら決勝で試合出来そう?」
「向こうが勝ったらな」
「氷帝が勝つことはもう前提なんだ!?」
「当たり前だろ」
リョーマの額を指で突付くと「すっごい自信」と、また笑う。

「まあ期待しないで、報告待ってる」
「しろよ、少しは」

待ってる。
そんな言葉くらいで嬉しくなるなんて、相当どうかしてる。
たったこの程度で、揺らされる自分が信じられない。

「期待はしないけど、ちょっとだけ応援してやってもいいよ」
生意気そうな笑顔を見て、跡部は不意に抱きしめたい衝動に駆られた。

こんな台詞、他の誰かに言ったら許せないとも思う。
自分だけに、向けて欲しい。気持ちを全部。

今すぐ抱きしめて、閉じ込めたいくらいだ。

「跡部さん?」
黙ったままの状態に不安になったのか、名前を呼んでくる。
何も映さない瞳が、揺れている。

『越前をむやみに不安にさせたり、混乱させるような真似はするな』
いつか監督に言われた言葉を、思い出す。

まだ、今は行動を起こす時ではない。
リョーマの状態が安定するまで、見守ると決めた。
それまではたとえ自分でも、混乱させるようなことは許さない。

「・・・ちょっとだけか。足しにもならないが、一応受け取ってやる」
「全く、いつでも偉そうだよね」
「偉そうじゃなく、偉いんだよ」
「ハイハイ」

もう少しだけこのままでいて、近くにいればいい。
もちろんジローよりも、忍足よりも近くに。
そして、一歩ずつ変わっていけたら。




「ねー、まだー?何やってるんだよー」
ダンダン、と足踏みする音が隣の部屋から聞こえてくる。

「ジローの奴・・・」
「そろそろ戻らないと、拗ねて大変そうだね」
くすっと笑いながら立ち上がろうとするリョーマに、手を貸す。
「どうも」
「行くぞ」

そのままジローのいるところへと、リョーマを引っ張っていく。
ただ、触れた手が離れるのが惜しくて、そのままでいたのだが。


「あー!またリョーマと手、繋いでいる!!」

結局拗ねてしまったジローを宥めるのに、リョーマは大変苦労を強いられる。
その間跡部は近寄ることも出来ずに、
やっぱり行動起こすべきなのかどうか悩んでしまうのであった。


2004年09月18日(土) 盲目の王子様 48 跡部景吾

「跡部さん、ファンタでいい?それともお茶がいい?」
キッチンへ入り、リョーマは手探りで冷蔵庫の取っ手を掴む。

「別に、気を使わなくてもいい。それよりお前の他に誰もいないのか?」

いつも会ってた母親や従姉が出てこない。
リョーマがジュースを出すという行為も不自然だ。

「うん、誰もいないよ。俺、今日は留守番なんだ」

本当にいらないの?と念を押すリョーマに「ああ」と返事をする。

「母さん達もジローが来てくれたから、安心して出掛けて行ったけど・・・・。
やっぱりあの時家から追い出して、試合に行かせるべきだったな」

あーあ、と困った顔するリョーマに、慌ててジローは否定する。

「どうせ試合には出ないって言ったじゃん。平気だって」

だろ?跡部、と目配せされたら、何も言えない。

元々会場には来る気が無く、ここへ直行したのだろう。
それでリョーマが一人留守番すると聞いて、一緒にいると言い張ったところか。
褒められたことじゃないけれど、リョーマが一人ぼっちになるよりかはいいか、などと思ってしまう。

昼までさえ、真っ暗な空間にリョーマはいる。
たった一人でその暗闇の中に置いておく位なら、不本意だがジローといた方がましに思える。

きっと、家族が外出して心細くても、決して「行かないで」なんて言えないだろうから。

本当は、いつも自分が一緒にいられたら・・・・。



「今回だけだからな」

苦々しく跡部が告げると、ジローは「へへっ」と舌を出した。
本当に調子の良いやつと、ぎゅっと拳を握り締める。

「良かった。お咎めなしだってさ!」
「ほぁら」

嬉しそうなジローの声に抱かかえている毛玉が、一声無く。

「なんだ、それは・・・?」

さっきから視界に入っていた、ばたばたと尻尾を動かしているそれ。

「それ、たぬきか?」
「猫だよ・・・ジローも間違えてたけど」
「猫、なのか・・・悪ぃ」
「もう慣れたけど」

そう言って、リョーマはジローの側へと近付く。

「カルピン。跡部さんも会うのは初めてだっけ?」
手を伸ばし、リョーマはジローからカルピンを受け取る。
愛しそうな表情に、どれだけ可愛がっているかすぐにわかった。

「ああ、初対面だ」
「カルピン、挨拶して」
「ほぁら」

変わった鳴き声だけど、一応挨拶らしい。

「よろしくな」
「ほぁら」

軽く耳や頭を撫でると、カルピンは気持ちよさそうに目を閉じた。
そのまましばらく触れたままでいると、
ジローが「俺も触るー!」と騒ぎ出す。

「さっきまでずっとカルピンと一緒にいたじゃん」
「でもまだ足りないよー。な、カルピン。俺と遊ぶよね?」
話が見えないようで、カルピンはキョロキョロ辺りを見渡している。
「ふーん、まあいいけど」
もう一度、リョーマはジローの手へとカルピンを渡す。
「わーい、カルピンだー」
「ほぁら?」
可愛い可愛い、と喜ぶジローに、リョーマは苦笑しながらも嬉しそうだ。
愛猫が褒められて、悪い気分になる飼い主はいないからだろう。

「それより跡部さん。話があったんじゃないの?」
「え?ああ・・・」
そうだ。
ジローに会ってすっかり目的から外れてしまったが、リョーマに今日の結果を報告に来たんだった。



「何?話って」

カルピンを撫でながら、目敏くジローがツッコミを入れてくる。
こいつの前で話すのはイヤだなと思っていたら、
リョーマの方から助け舟が出された。

「ジロー、カルピンのこと見ててよ。俺はちょっと跡部さんと話があるから」
「どういうこと〜?俺には言えない話?」
「おい、ジロー・・・」

片手でカルピンを支え、もう一方の手でジローはリョーマの袖を掴む。
行かせまいとしているのか。

「リョーマをそんな子に育てた覚えはありませんっ!」
「いや、育ててもらっていないし。そうじゃなくって、ホントにちょっと話するだけだから。待っててよ」
「俺がいたら、ダメ?」

だだを捏ねる様子に、やっぱりこいつは保護者なんかじゃねえと、跡部は呆れた。

「ねえ、ジロー。
跡部さんは俺と話する為に、来てくれたんだよ。その為に、時間を割きたいって思うのって悪いこと?」
「だって・・・だって・・・」
「ちょっと待つくらい、出来るよね?」

幼い子に言い聞かせるようなリョーマの言い方に、渋々ジローは頷く。
困らせて、嫌われたくないと思っているのかもしれない。

「・・・・ほんとにちょっとだけだよ。変なことされそうになったら、声上げて」
「そんなのないって。じゃ、跡部さん。そっちの部屋行こうか」
「あ、ああ」

恨みがましくこちらを見てるジローはなるべく視界に入れないようにして、ゆっくり歩くリョーマの後ろと続く。

さすがのジローもリョーマに言われたら、敵わない。
大人しくカルピンの背を手で撫でている。

「ジローの扱い上手いじゃねえか」
「え?何か言った?」
「いや・・・」

リョーマが宥めなければ、二人で話すことは出来ないままだっただろう。

首を傾げてるリョーマを余所に、
真面目に部活やらないジローの管理をやってもらうか、と跡部は真剣に考えてしまった。


2004年09月17日(金) 盲目の王子様 47 跡部景吾

「両校、礼!」
号令をぼんやり聞きながら、跡部はやれやれと息を吐いた。
試合はしていないが、今日は別の意味で疲れている気がする。

予想通り、初日は楽勝で終わった。
最も、こんなところでもたついている様では、話にならない。
目標は都大会優勝なんていう小さいものではなく、全国優勝だ。


「跡部ー、もう俺達は帰っていいだろ?」

もうこれ以上今日は試合がないとわかった岳人が、退屈そうに声を上げた。
俺達、というよりも自分が早く帰りたいのだろう。
しかし騒がれてもうるさいだけなので、跡部は「帰ってもいい」と許可を出した。

「やったっ!侑士、行こうぜ」

忍足のジャージを引っ張って、向日は歩き始めている。
どこかこの後、二人で遊びに行くのかもしれない。

ちらっと後姿を見て、跡部は少し考える。
向日と一緒なら、忍足がこの後越前の家に行くことはない。
これなら邪魔されずに済む。
どうせ会うならゆっくり二人だけで話をしたいと思っても、仕方ない。

早く行くか、と跡部は他のメンバーにも解散を言い渡す。

「っと、そうだ」
忘れてはいけないと、監督へ連絡入れるために携帯を取り出す。
どうせ結果はわかっているだろうけど、これも部長としての努めだ。
何回かコールして、榊に繋がった。

「ご苦労」
結果を報告すると、短い返事が返ってすぐに切れた。
いつものことなので、どうとも思わない。
監督が期待している結果通りなので、話すこともないのだから。

「行くか・・・」
鞄を持って待っていた樺地に、自分で持つから降ろせと指示する。
「ウス」
「もう帰っていいぜ。俺は少し寄るところがある」
「ウス」
ぺこっと頭を下げて、従順な後輩は言われた通り帰宅を始める。

跡部も目的地へと行く為にしっかりした足取りで歩き出した。




もう3度目になる越前家のチャイムを鳴らす。
「ちょっと待てよ」
跡部はここまで来て、不在かもしれないことを思い出す。
確かめもせず何をやってるかと苦笑したが、来てしまったものは仕方ない。
いなければ、帰るまでだ。

そうして待っていると、扉が開いた。

「よぉ」
てっきり菜々子か母親辺りが出てくるかと思ったら、
リョーマ本人が顔を覗かせた。
声を聞いてすぐに誰か気付いたようで、「跡部さん?」と確認している。

「ああ、俺だ」
「大会終わったところ?」
「さっきな」

ふーん、とリョーマがニヤリと笑う。
どうやら訪問しただけで、結果がわかったらしいと気付く。

「そんなとこに立ってないで入ったら?」
「いいのか」
「どーぞ」

気にした風でもなく、リョーマは大きくドアを開けた。
全く、無防備にも程がある。
自分以外でもこんな風なのだろうか。
訪問客が危険人物(ジローとか忍足)だったら、これは良くない。
奴らは遠慮なく上がりこんで、いつまでも帰ろうとしないだろう。

注意すべきか考えながら、靴を脱ぎ上がり込む。

その瞬間、
「リョーマ?お客さん、誰だった?って、え?」
毛玉を抱えたジローが階段から降りてきて、目が合う。

跡部もジローも互いに固まってしまった。
暢気なのはリョーマだけだ。

「跡部さん、試合が終ったんだってさ」

もし二人の表情が見えていたら、どうかしたのと同じように沈黙するところだろう。

「・・・?ねえ、ジロー。聞いてる?」
返事が返ってこないことに、リョーマが首を傾げる。

「ジロー!?てめえ、こんなところにいたのか!」
「跡部こそ、何でリョーマの家に来てるんだよ!」
「え?何、ちょっと」

罵り始めた二人に、リョーマは戸惑っているようだ。
だけど引ける訳がない。

「試合にも来ないで、何やってる!」
「いつもこうやってリョーマの家に来てたってこと!?跡部、ずるい!」
「こんなことして、明日はどうなるかわかってるんだろうな?」
「油断も隙もないってこういうことだよ!」
「あのー、ちょっと」
「レギュラー落ちも考えられるな。何考えてるんだ」
「あー、今日、リョーマの家に来てて良かった。でないと跡部に何されたかわかんないもんね」
「今回ばかりは見逃すわけにはいかないからな」
「これからもリョーマの周囲には十分注意しなくちゃ。危ない人がうろうろしてるみたいだC」

終わらない小競り合いに、リョーマが低い声で止めに入る。

「お前ら、人の話し聞けよ」

ようやく、ジローも跡部も口を閉じた。

「ねえ、人の家でケンカするつもり・・・?」
「まさか」
「そんなはずないだろ」

今にも怒りだしそうなリョーマを宥める為、必死で否定する。

「そ。近状迷惑になるなら、遠慮なく叩き出すから」
「「はい」」

リョーマに弱いのは、同じらしい。
なんとなく複雑な思いでジローを見ると、同じ思いだったらしく苦笑している。

とりあえず、この場は一時休戦ということに決まった。


2004年09月15日(水) 盲目の王子様 46 跡部景吾

不二の試合と同じように、スコアは一方的なもので終った。

手塚の完勝。
青学側の応援席は、勝利したことと手塚の実力に歓声を上げている。

その声に、手塚はただ片手を軽く上げただけ。

(相変らずスカしたヤロウだ)


結果は予想ついていたから、それはどうでもいい。
跡部にとって、肝心なのは手塚が試合に出れるかどうか。

(あれなら、退屈する試合にはならないだろう)

手塚負傷説はウソかと騒ぐ周囲に気に止めず、くるっと後ろへと振り返る。
これ以上、ここに居ても意味がない。

だが戻ろうと歩き出した跡部の前に、すっと誰かが立ちはだかる。

一瞬、辺りが暗くなったようで、目を見開くと、
「やあ、見に来てくれてたんだ」
「・・・・・・・・・」

天才・不二周助。
いつも絶やさない笑顔を浮かべて、跡部を凝視している。

「光栄だな。わざわざ部長の君が、僕らの試合を見に来てるなんて」
「暇だっただけだ。勘違いするな」
ふぅん?と不二はわざとらしく首を傾げる。

正直、跡部は不二を苦手に思っている。
何を考えているのかわからない表情と、思わせぶりな言葉の数々。
不二は人に絡んでくる時は、何か面白そうだと判断した時だろう。
挑発には乗るものかと、跡部はぎゅっと口を閉じた。

会話は終了。
そんな態度で不二の横を抜けようとしたが、「ねえ」と呼びかけられる。
「今の試合、参考になったかな?」
フフ、と意味深に不二は笑う。

「さあな。お前には関係ないだろ」
手塚がまだ力を出し切っていないことを知ってるくせに、嫌味な奴だ。

「手塚が試合出来る状態か探りに来たんだよね?大丈夫。見ての通りやれるから」
突き放しても、不二は澄ました顔で話を続ける。

「君と手塚が当るのが、楽しみだな。もちろん、どちらかが決勝まで残ればっていう話だけど」
「決勝に行けるかどうか、心配するのはお前達の方じゃねえのか?」
「それは、どうだろうね」

笑い続ける不二に、付き合い切れないと背を向ける。
背中に不二の視線を感じるが、もう一言も話をしたくない。
早歩きで、その場から離れ始める。


(あんなのが部員にいると疲れそうだ・・・)
四六時中、腹を探り合うような会話にはさすがについていけない。
手塚は鈍感そうだから、不二の腹黒さも気にならないだろうが。

そっと、跡部は溜息を付いた。




「よぉ。ご苦労さん」
「・・・・・・・・」
「なんや?浮かない顔して。そんなすごい試合でも見てきたのか?」
集合場所へ帰ると、氷帝の天才・忍足が軽く手を振っていた。
なんとなく天才繋がりで嫌な感じを受け、顔を顰める。

「なんでもねえ。それよりウチの試合は終ったか?」
「ああ、ついさっきな。結果は5−0やで」
「当然だな」

一回戦で負けるような選手は、氷帝にはいらない。

偉そうに腕を組む跡部に、忍足は苦笑する。

「当然って・・・勝負なんやから絶対なんて無いやろ」
「フン。絶対勝たないと、氷帝では次は無い。忘れたのか?」
「まあな」
「こんなところで躓いてたら、話にならない」

一度でも負けた選手は、レギュラー落ち。
氷帝で求められるのは勝利のみ。

「絶対に・・・勝つ」
「それは青学にって意味か?」
「どこに対してもだ。必ず俺達は優勝する・・・全国大会でな」

一瞬、目を見開いた忍足が、何かにやにやした顔を向けてくる。
「なんだ」
「いや、えらい気合い入ってんなあと思って」
「いつもだろう。油断したら足元を掬われる」
「そうやなくってな。跡部の気合いが、別のところから来てるかなーっと思ったり」
「別?」

瞬間、リョーマのことを思い出し、ぱっと忍足から目を逸らす。
関係無い。
全国大会優勝は、前から考えていたことだ。
必ず勝つとは約束したけど、それは越前の為という訳ではない。断じて違う。
・・・はずなのに、何故こんな動揺しているんだ!?

考えれば考える程、跡部は揺れる心を抑えられなくなって行く。

「あー、やっぱりかあ。リョーマとなんか約束でもしたんか?」
「忍足・・・てめえ」

どこかで聞いていたのか?と疑いたくなる。
そんな目を向けたのに気付いたのか、両手を振って忍足は否定をした。

「言うとくけど、リョーマからは何も聞いてへんで」
「わかってる」

そんなことをぺらぺら喋る相手じゃないことくらい、忍足に言われなくても理解してる。

「単なる当てずっぽうや。・・・ここ最近、お前にとって影響ある奴は一人しかおらへんやろ」
「別に、そんなんじゃねえよ」

普通に答えようとしたが、自分でも硬い声だと思った。

忍足の指摘通りだ。
越前リョーマは自分にとって、今まで会った中の人間でも別格の存在になりつつある。

リョーマには、笑って欲しい。悲しい顔をさせたくない。
本人を前にすると、そんなことを考えてしまう。

こんなのは、変だ。
誰に対しても、思ったことは無い。



跡部の素っ気無い返答にも、忍足は肩を竦める。

「まあ、ええわ。約束守る為にも勝たんとな」

ジローだったら、今のは何があったと騒ぐところだろう。
だけど忍足は、追及してくるわけでもなく、ただ笑ってる。
前に越前の家に訪問した時もそうだった。

「お前は、気にならないのか?」
「何を?」
「俺と越前がどんなことを話してる、とか」

そんなことか、と忍足は軽く笑い飛ばす。
「気にならんよ。リョーマが嫌がってるなら、止めるけど。
そうやないやろ?」
「・・・・・・」
「なんや。それともお前はリョーマが他の奴と話してたら、気になるって言いたいんか?」
「そんな訳あるか」

けれど横を向いて、向けてくる視線を流す。

忍足のやってることは正しい。
リョーマの好きなようにさせて、見守っている。

けれど、全部わかっているような態度に無性に苛つく。
その点は、真似できないことだからなのか。

リョーマが忍足やジローと話していたら、気になるし、引き剥がしてしまいたいと普通に思う。

けれど、忍足は絶対そんなことをしないだろう。

負けたような気分になるのはこんな時。


「ふん。お前の方がよっぽど保護者みたいだな」
嫌味な口調で言っても、忍足は別に気にするようでもない。
「それジローの前で言うなよ。あれでも真剣に保護者やってるんやから」
「知るか。大体、ジローが越前の保護者ってありえねえだろ」
「そうか?ジローがあんまりリョーマの世話を焼くから保護者みたいやって、俺が言うたんやけど。
おかしいか?」

余計なことを言い出したのは、お前か。

呆れた目を向けるが、「どうかしたか?」と忍足はのほほんとしている。

「・・・どうでもいい。おい、さっさと次の試合も終らせやがれ!」
「まだ始まってないやろ」

まだ全試合も終えていないのに、酷く疲れた気がする。
がっくりと、跡部は項垂れた。

試合を終えて、それから盲目の少年の所へ。
さっさと彼の所に行ってしまいたい。


2004年09月14日(火) 盲目の王子様 45 跡部景吾

榊から渡されたオーダー表は、地区大会のものとほとんど変わらないものだった。

「後は任せる。試合結果の報告だけは携帯に入れるように」

榊は指示だけして、さっさと会場から帰ってしまう。
勝つと、自分で結果を出してしまっているので、見なくても良いと判断したようだ。


「監督は?もう帰ったのかよ」

大会に出る選手とレギュラー達のいる場所へ戻ると、早速岳人が近寄ってきた。
「ああ」
「ずりーよな、俺も帰りたい」
「今日一日くらい、我慢しろ」
「ちぇっ、つまらねーの。早く終らないかなー。侑士もそう思うだろ?」
「まだ初戦も終ってないやろ。少しじっとしとき」
「それが出来たら苦労しねーよ。よし、跡部!お前一人で勝ち抜いてこいよ」
「・・・黙ってろ」

今回の初戦でも跡部は補欠の枠だった。
2回戦からは一応シングルス1扱いだが、きっと出番は無いまま終わるだろう。
たかだか準決勝前の消化試合だ。
ここで出番あるようでは、全国制覇など話にならない。

決勝では、わからないなと跡部は考える。

青学と当たったら、正レギュラーじゃない連中には荷が重い。
最も、青学が決勝まで勝ち抜けば、の話になるが。


「跡部?お前どこへ行くんだよ」

初戦も見ようともせずどこかへ行こうとする跡部に、宍戸が声を掛ける。

「・・・青学の試合を見に行ってくるだけだ」
「そんなもんビデオ撮ってる奴に任せておけばいいだろ」
「一応見てくるだけだ。それより俺が見ていないからって負けたりするなよ」
「誰が負けるか」

まだ文句の言いそうな宍戸を無視して、歩き出す。


監督から見せてもらった地区大会のビデオに、手塚は写っていなかった。
抱えている故障の為、まだ万全ではないのだろうか。

完治していなければ、困る。
叩き潰すには、手塚が万全でなければ意味がないと跡部は考えていた。

その上で勝利して、次は全国制覇目指す。
今年、頂点に立つのは氷帝だ。







青学のコートへ近付くと、各校もやはりマークしているらしく、見学の人数がかなりいる。
ちょうどシングルス2が始まったところで、
天才と呼ばれる不二の試合に一同は釘付けになってるものの。

(ほとんどが手塚目当てだろうな)
シングルス1の試合に出るのかどうか、様子を窺っているようだ。

見た目にも不二よりも格下とわかる選手との試合は、一方的なスコアですぐに終ってしまった。
そして不二は実力の半分も出していない。
涼しげに笑いながら、コートを出て行く。

(やっぱりあいつも要注意しておくべきだろう)
簡単に勝てる相手ではない。
手塚は自分が相手するから良いけれど、これは団体戦だ。
その他の試合も勝たなければ、意味が無い。

(負けやがったら、承知しねぇ)

盲目の少年と、約束した。
必ず、勝つと。

『全部お前に話してやるから』

もし目が見えたなら、本当はこの場にいたかもしれない。
なのに、試合を観戦することも出来なくて。
ただ、ボールの音に耳を傾けているしかない。

だから聞いただけで、その光景が浮かぶくらい話をしよう。
氷帝がどんな風に勝ったか、自分がどれだけ強いか。

全国大会が終わるまで、ずっと。





ざわめく周囲に、跡部は顔を上げる。
ちょうど手塚がコートへと入っていくところだった。
「手塚だ」
「試合に出るのか!?」
「怪我の具合は?」

周囲の雑音など聞こえていないだろう。
手塚は、ゆっくりネット越しの対戦相手へと歩いていく。

冷静な表情をしているが、その目からは勝利への執着を感じる。


「見せてもらうぜ」

ボールを高く上げた手塚に、跡部は口の中で呟いた。


2004年09月13日(月) 盲目の王子様 44 跡部景吾

集まったメンバーの中にいないことは見てすぐにわかる。
けれど、跡部は一応尋ねてみた。

「ジローは」
「試合ないから、来ないってさ」

知ってるだろう?と呆れた口調で向日が答える。

「・・・・・そうか」
「俺だって来たくなかったのにさー。なんで他の奴の試合を見なくちゃいけないんだよ」
「応援をしようとは思わないんだな」

シングルス3に出ることになってる宍戸がそう言うと、「応援なら腐るほどいるだろ!」と向日は返す。

「あーあ。これなら学校で練習してた方がマシ」
「まあまあ、岳人。他の学校の偵察も必要やろ」

忍足が取り成すように声を掛けた。
しかしまるで通じていない。

「見て、どうするんだよ」
と、退屈そうに欠伸をしている。

「対策とか、あるやろ」
「そんなの必要か?」
「お前試合に出ないなら、それくらい考えろよ」
「うるさいなー。もう応援してやらねえぞ」
「最初からする気無かっただろ・・・」

チームメイト達の頭が痛くなる会話に、跡部はそっと距離を置いた。

都大会当日だというのに、こんな空気で良いのか。

溜息を一つ、つく。

ジローが来ないのは、大体予想してた。
ほぼ9割が寝坊で、残りは跡部への当て付けか困らせるためのささやかな抗議だろう。

あの昼休み以来、跡部はすっかりジローに警戒すべき人物だと認識されてしまった。
「絶対、二人きりにさせないから」
どこからともなく現れ、リョーマに近付こうとしたら割り込んで来る。
虫除けしている行動そのモノだ。

保護者の域超えてるだろと、跡部が文句を言っても知らん振り。
がっちりリョーマをガードして、離さない。

おかげでその日以来、跡部はリョーマとまともに会話を交わしていなかった。

(二人きりじゃないと、まずいだろうなやっぱり)

あの時の自分の行動を、どう思ったのか。
何も無かったかのようなリョーマの態度に、ふと聞いてみたくなる。

(でもあいつは帰国子女、だからな)
挨拶みたいなもので特別な意味に取らなかった可能性が高い。

たかが額へのキスだ。


しかし「たかが額へのキス」を気にしている自分がいる。
ままごとみたいな数秒触れるくらいのものなのに。

もっと濃厚なキスを数え切れないくらい色んな相手とした。
キスに意味なんか無い。
互いの一部が触れ合ってるだけだろう?

だけど。
『「待ってろ。どんな試合だったか、全部お前に話ししてやるから。
どこにボール打って、相手の動きや俺の試合運び。
目に浮かぶ位細かく聞かせてやる』
『うん・・・』
『約束だ』

あの場面が忘れられない。
無防備に頷いたリョーマの顔。
思わず額に唇を触れさせた。


(小学生かよ、俺は・・・!?)
思い出しては、頭を掻き毟りたくなるような羞恥心に襲われる。
誰かに見られでもしたら、きっとあの跡部景吾が何をやっているんだと笑われるに違いない。
幸いあの場にはジローしかおらず、その本人は熟睡していた。
知られる心配は無いはずだ。
多分。
絶対に自分がこんなにも取り乱しているなんて(額にキスしたくらいでだ!)、リョーマ本人にも知られたくない。
リョーマが平然としているなら、尚更。


(しかし越前の奴・・・本当になんとも思ってねえのか?)
それはそれで癪に触る。

手塚との話をしてやった時、テニスが出来ない自分が悔しかったのだろう。
もし目が見えたのなら、きっと今いるレギュラーの中でも飛びぬけた活躍をしたに違いない。
あのビデオでの動きを観た瞬間に、確信した。
強い奴と戦って、更に上へ行く。
越前の強さは、あんなものじゃないと。
もっともっと試合を経験して、強くなって行けるはずだ。

今葉コートに入れないもどかしさからか、わずかに表情に影が見えた。
打ち消す様に勝気に笑う表情にも、いつのも覇気が無い。

だから、思わず言ってしまった。
計算も謀も無く、本音の言葉を言ったんだ。

「勝ったら、一番に報告してやる」

勝って勝ち続けて、目が治ったら一番に試合をしたくなるような実力を持っていると教えるのだ。
リョーマがテニスをする情熱を忘れさせないように。

(そんな簡単に忘れるとは思えないけど、な)

いつかビデオで見た生き生きとコートで駆け回るリョーマを思い出す。

(アイツは望みがある限り、テニスを捨てないはずだ・・・絶対に)




「跡部・・さん・・・」
「樺地か!?」

急に現れた巨体に、跡部は意識を引き戻した。
「集合、です」
「そうか」

ぱっと顔を上げると、チームメイト達が様子を伺ってる。

ぼーっとしていたのを見られていたらしい。
慌てて視線を逸らす。

「行くぞ」
「はい・・・」
樺地を従え、集合場所へと早足で歩く。

(相手のことを考えるのなんて、全く柄じゃねえんだよ)

気持ちを切り換える為に、頬を軽く手で叩いた。

今、ここからは大会を勝ち抜くことだけ考えなければ。
そして勝って、またリョーマの所へ行こう。

盲目の少年が、待っている。
どんなテニスをしたか。
話をする自分に、黙って耳を傾けてくれるだろう。


2004年09月12日(日) 盲目の王子様 43 越前リョーマ


騒ぎながらも、なんとかお昼ご飯を全部食べ終える。

そして、リョーマは気付いた。
さっきまで喋りかけていたジローが、急に黙り込んだことを。

「ジロー?」
聞えてくる呼吸に、問い掛けてみる。
が返事は無い。


「ジローの奴寝てるぜ。1秒で眠りやがった。
いつもながら一体、どうなってるんだ?」
呆れたような跡部の声に、リョーマはくすっと笑った。

「ジロー、らしい」
「まあな」
飲むか?とリョーマの手に湯呑みが触れた。
「うん。サンキュ」
「ほら」
両手で湯呑みをしっかり持った所で、
触れてた跡部の手が引っ込む。


「やれやれ。こいつのおかげで静かな食事が台無しだったな」
跡部は疲れたと言わんばかりの口調だ。
自分の分のお茶をすすっている。

さっきまでは騒々しさだけがあったけれど、
急に静かになると、調子が狂ってしまう。
跡部の言葉に、リョーマは慌てて返事をした。

「でも賑やかで楽しいよ?」
「お前、そういうことジローに言うなよ?また調子付くからな」
「また?」
「ああ。お前は未だ知らないだろうが・・・付き合いが長くなると色々わかってくるはずだ」
へえ、とリョーマは目を瞬かせた。
どうやら部長として、色々苦労しているらしい。
「じゃ、黙っておく」
「それが賢明だな」
どこか跡部の口調は、ほっとしている様に聞えた。


「そう言えば、なんで今日のお昼ご飯に俺を呼んだの?」

前々回は揉め事の件で話しがあったのと、
その前は家への招待を言い辛そうにしていた自分の為時間を作ってくれたからだった。
何かあったっけ?
そう考えるリョーマに、「特に理由は無え」と跡部は返した。

「は?理由無しに、人の教室に押し掛けてくるんだ?」
「特に理由は無えよ。
ただまた何か問題が起きてないか、生徒会長として見回っていたついでだ・・・って何を笑ってる?」
「別に」
やたらと生徒会長だからと主張する跡部が可笑しかっただけだ。

それだけじゃないのは、何となく気付いている。
『別に頼まれたからじゃねーよ。したくて世話焼いてるんだ』
あんなこと言った後で、生徒会長としてなんて言っても説得力ゼロだ。


あんまり笑っているのも悪いと思い、リョーマは「あのさ」と話を変えた。

「そういえばさ、大会のことだけど。
青学って結構強いんだって?カチロー達・・・俺のクラスの奴もそう言ってた」
「ああ、まあな・・・」

苦々しい言い方に、リョーマは「おや」と思った。
跡部のことだ、てっきり「氷帝の方が強い」と言いきるかと予想していたのに。
どんな表情しているか見えないけど、決して見下してるようじゃなさそうだ。

「監督が、昨日別会場で行われてた青学の試合のビデオを持って来たんだよ。
もう見たらしいが、今年はかなりレベルが高いらしい」
「へえ」

榊が言うのなら、間違いないだろう。
その相手と当たる都大会はかなり荒れそうだ。

「勝つ自信、無いの?」
「バーカ。あるに決まってるだろ、と言いたいところだが」
一旦区切って、跡部は湯呑みをドンと机に置いた。
「組み合わせ次第ではわからないかもな。運良く手塚と俺が当たればいいが・・・。
他の奴じゃまずあいつには勝てねえだろうし」
「その手塚さんって人、相当強いの?」

自分以外、眼中に無さそうな跡部が認めてるってことは、本当に強いのだろう。
興味が引かれ、リョーマは思わず尋ねてみた。

「まあ、ライバルとして申し分無い相手だな」
「その人との戦績はどうなってんの?」
「手塚とは、1度も当たったこと無い」
「え?」
当たった事もないのに、ライバルなのか。
首を傾げるリョーマに、跡部は会話を続ける。
「だから今年の夏が中学生活で最後のチャンスなんだ。
青学と決勝で当って、手塚に勝つ。必ず成し遂げてみせる」
「ふぅん」

もし試合が実現するなら、跡部はきっと全力を尽くすだろう。
それにその手塚という人も、榊が認めた実力の跡部に対してやはり全力で立ち向かってくるのだろう。

それだけの試合を見られないのも、コートに立てないことと同じくらい悔しい。

「見たかったな・・・」

ぽつっと思わずリョーマは呟いた。
「どうした?」
跡部は小さな声も聞き逃さなかったようで、顔を近付けてくる。

今の気持ちを見透かされたくなくて、リョーマは無理矢理笑ってみせた。

「あんたがそこまで認めてる相手の試合なら、面白そうだなってちょっと思ったからね。
見れないのが、残念だなあって。
ま、応援には行けないけど。がんばんなよ」
せめてもの軽口が、精一杯の虚勢だった。

試合には出れなくても、どんな試合してるのか見たかった。
跡部が認めてる程の手塚と、跡部との試合。
これ以上は無いくらい、興味を持った。
けれど、今の状態では見ることは出来ない。

(考えてもしょうがないのに・・・)


横を向いて、リョーマは口を噤んだ。

「越前」
「何」
跡部の手が、肩に乗せられる。
それでも、まだリョーマは跡部の方を向くことが出来ない。

無理にこっち向かせようともせず、
跡部は静かに語りかけた。

「勝ったら一番に、報告しに行く」
「え?」
額に跡部のもう一方の手が触れた。
声は真剣そのもので、「何言ってんの」と茶化すことすら出来ない。

「待ってろ。どんな試合だったか、全部お前に話ししてやるから。
どこにボール打って、相手の動きや俺の試合運び。
目に浮かぶ位細かく聞かせてやる」

だからそんな顔するな、とその手が跡部の心を伝えているようだ。

「うん・・・」
素直に頷くと、
「約束だ」
手が外されて、代わりに一瞬何か触れた。

「俺は負けないからな」

何が触れたのか理解するのに、数秒必要とする。


まさか、額にキスされるなんて思わなかったから。

「えっと、」

きょとんとしてるリョーマから、跡部は素早く体を離した。

「そろそろジロー起こすか。
もう教室戻らないと、まずい時間だ」
「・・・そうだね」

今の、気のせいじゃなかったけど。

追求しない方が良いと判断し、リョーマは黙っていた。







「リョーマ!俺が寝てた間に、跡部に何かされてない?大丈夫だった?
あー、もううっかり寝るなんて迂闊だったー!」
目を開けてから、早速ジローは声を上げて騒ぎ出す。
さっきの場面を見られたらどうなっていたのか。
リョーマは、ちょっと顔を引き攣らせた。
「だ、大丈夫だよ。何もなかったし」
「本当に?」
「うん」
絶対に・・・言わない方がいいだろう。

教室まで送っていく最中、黙って隣を歩いてる跡部と追求を続けるジロー。
その間で、リョーマは溜息をつく。


送ってくれなくていいから、早く一人になりたい。

色々と、疲れた気がする昼休みだった。


2004年09月11日(土) 盲目の王子様 42 越前リョーマ

「リョーマっ!お昼食べよっ!」
「ジロー・・・」

お昼休みになったと同時に突然乱入してきた珍客に、教室は一瞬静かになってまた元通りになった。
もう二度目となると「またか」くらいにしか思わないのかもしれない。

「リョーマ、連れてってもいい?」

くるっとした目を突然向けられ、カチローとカツオは一瞬固まった後、何度も頷いた。
「じゃっ、行こっ!」

手を引っ張るジローに、リョーマは抵抗しても無駄だと諦め、お弁当の包みを手に持った。

「ごめん、今日はこっち行ってくる」
「いいよ、いってらっしゃい」
小声でカチロー達に謝って、早くと急かすジローに連れられて歩いていく。
「今日はどこで食べよっかー」
「どこでもいいよ、もう」
諦めが肝心と、大人しくする。

しかし、
「てめえ、廊下走ってるんじゃねえよ」
不意に聞こえた不機嫌な声の後、握っていたジローの手が引き剥がされた。

「跡部さん・・・・」
間違えようのない、偉そうな声。

「よお」

なんでここにいるの?
そうリョーマが口を開く前に、襟首を捕まれてたジローがじたばたもがいで騒ぎ始めた。

「跡部っ、放せよ!」
「校則違反の生徒にはお仕置きしとかねえとな」
「だってさっさとリョーマを連れていかないと、跡部に見付かっちゃうと思ったから」
「どういう理屈だ。それで廊下ダッシュしたのか」
「うん。跡部、リョーマのところ行くつもりだったでしょ」
「うん、じゃねえだろ」
そう言いながら、跡部はリョーマの手を握る。

「行くぞ」
「え?」
「昼飯を食べるつもりだったんだろう?」

たしかにそうだったので、頷くと「なら、こっちだ」と手を引かれる。

「あー!跡部、何勝手に誘拐してんの!?」
「文句あるなら付いてくるな」
「そうはいかないんだけど!まずリョーマを放せよ」
「聞こえないなぁ」
「性格悪っ!」

楽しげに話す跡部を、ジローは苦々しく舌打ちしてもう一方のリョーマの手を握る。

(傍から見たらどう思われてるんだろ、これ)

あまり考えたく無いと、リョーマは眉を寄せ引かれるまま歩いた。



着いた場所は、やっぱり前と同じ生徒会の執務室だ。

「職権乱用って言うんじゃないの?」と言うジローに、
「この方が静かでいいんだ」と跡部は言い切った。

もうどうでもいいよと、諦めムードでリョーマは促された椅子に座る。

その両隣に二人が座った。

「うわ・・・跡部のそれ、弁当?」
「ああ。特製のな」
何やら驚いているジローに、一体なんだろうと思いリョーマは首を傾げた。

「重箱だよ、重箱ー。一人で食べる気?」
「バーカ。勝手に決めるな」

カパっと蓋が開いた音がして、「越前、こっち向け」と指示される。

「何?」
「口、開けろ」
「へ?」

戸惑いつつも、言われた通り口を開けると箸で何か入れられた。

「今日は和食だ。美味いか?」
「うん」

上品な味の煮物の味が口いっぱいに広がる。

「他にも沢山あるからな」
ほら、とまた促され、リョーマは素直に口を開けた。

「美味しい」
「だろ?」

ご機嫌な様子の跡部に、食べてもらえて喜んでもらえるならいいか、としたいようにさせる。

「なんで?なんで跡部がリョーマに食べさせているんだよー!?」

この場の空気に馴染めなかったのは、ジロー一人。

「ずるい!俺もリョーマにお弁当食べさせるー!」

足をばたばたと動かすジローに、跡部はちらっと冷たい視線を送る。

「お前はこの間、散々越前に食わせていただろう。引っ込んでいろ」
「そんなの関係無いもん!」
「うるせえ。これは順番だ」

順番・・・・?
前もその前も跡部の手から食べさせられていたのは、順番に入らないのか。

どうでもいいことを考えながらも、リョーマは口に入れられる料理を平らげていく。

「お前の弁当、そんなに小さくていつも足りるのかよ?」
「足りなかった時は、お菓子食べてるし」
「成長期にそんなものばっかり食うな。これ、もっと食え」
「うん」

和やかな会話を前にして、当然、ジローは黙って見てるはずがない。

「跡部、そんな風にリョーマを餌付けしようとしてんの?」
「人聞きの悪い。大体、お前には関係無いだろ」
「あるよ!リョーマのことに関しては、保護者の俺を通して貰わないと」
「保護者・・?ジローが?」

一体、いつからそんな話しになったのか。
リョーマ自信も首を傾げる。

「バカか。大体、保護者って柄か?保護されるとしたら、てめえの方だろ」
バカにしたように笑う跡部に、ジローはむっとなって反論した。

「そうでなくても、跡部になんか任せておけないもん」
「お前が決めることじゃないだろ?」
「俺でなくたって、皆そう思うよ。鬼畜跡部に可愛いリョーマを預けられないって」

ねーっと、同意を求められ、リョーマは困ったように眉を寄せた。

「誰が鬼畜だって?」
ぴくっと頬を引き攣らせ、跡部はジローを睨んだ。
「本当のことじゃん。それじゃ言ってやろうかー?まず跡部が一年生の時からした事」
「コラー!黙ってろ!ジロー、てめえ」
「ばらして欲しい?」

フフンと笑うジローに、跡部は拳を握り締める。
状況が見えてないリョーマにも、言われたくない話を色々知られているんだなとわかった。

「黙ってて欲しいでしょ?ね、跡部?」
「・・・・・・それで弱みを握ったつもりか」
「だってー、でないとリョーマが心配だもん」
きゅっと抱き付かれてしまう。
訳もわからずリョーマはジローのしたいようにさせておいた。

「悪ーい狼さんは、絶対近付かせないからね!」
保護者口調のジローに、跡部は睨みつけてた視線を和らげ、ハアと息を吐いた。

「お前、妹に対してもそんなようなこと言っていたな。
あっちはいいのか?それとも妹に鬱陶しいって言われ、追っ払われたのか?」
「・・・・・・・・・」

途端に、リョーマを抱きしめていたジローの腕の力が弱まる。

「ジロー?」
急にどうしたんだろう。
様子がおかしいとリョーマにもわかり、思わず名前を呼ぶ。

すると、
「いいんだよ、お兄ちゃんなんてウザイなんて言うんだもん」
今まで強きだった態度を一変して、ジローは小さな声でぼやき始めた。

「小さい頃は俺の後ろをついていたのに、今は好きな子が出来たからってそっちに夢中になってるんだよ?
どんな奴か追求したら、すごく怒ってしばらく口聞いてくれないし。訳、わかんないっ!」
「それはお前・・・過保護過ぎて嫌われたんじゃねえか?」

冷静な跡部のツッコミに、ジローは目を潤ませた。

「・・・・やっぱり俺、嫌われたのかなあ?ただ心配だけだったのに」
「知るかよ」

泣きそうなジローに、跡部は腰を引き目を逸らした。
一方的に苛めたみたいで、どうもこういう表情には弱い。

気まずい雰囲気に気付いて、リョーマはジローがいるらしき辺りに見を寄せた。
 
「ジロー」
「リョーマ?」
頭の位置がどこにあるかわからなかったので、
顔をぺたぺた触りながらリョーマはにこっと笑い掛ける。

「大丈夫。妹さんは、きっとそっとして欲しかったんじゃないかな?
誰かを好きなことを、例えお兄ちゃんでも恥ずかしくて言い辛かったんだよ。
だから今は見守ってあげよう?
そうしたらいつかジローの気持ちも伝わると思う。こんなに妹思いのお兄ちゃんなんだし」
一生懸命慰めの言葉を口にする。
柄じゃ無いけど、ジローは大事な友達だ。
ちょっとでも励ましてやりたいと、リョーマは考えていた。

「ありがとー、リョーマ・・・」
ぐすっと鼻を啜る音が聞え、リョーマはポケットからハンカチを取り出す。
「これで拭いて」
「うん」
リョーマのハンカチで目尻を拭いて、ジローの顔にようやく笑みが戻る。
顔は見えないが、少しは気持ちは上向きになったようだ。
良かった、とリョーマも小さく笑う。

「やれやれ。どっちが年上かわからないな」
二人のやり取りを見て、跡部は呟いた。
どうも二人だけで会話している、しかもリョーマがジローに気を使ってることが気に入らないようだ。

「俺のほうが年上だって、知ってるくせに」
「・・・・そういう意味じゃねえよ」
やれやれと、跡部は肩を竦める。

「リョーマは俺のことウザイなんて言わないよね?」
「う、うん」
「ハッキリ言ってやった方がいいぜ」
「跡部には聞いてないよ!よーし、やっぱりリョーマは俺が守ってあげるね。そこの鬼畜から!」
「はあ・・・」
「どういう理屈だ・・・」

力無く、跡部はそれでも反論をする。
「大体、俺様は本物の『保護者』から越前のことを頼まれているんだぜ?もう忘れたのか?」

『できればこれからもリョーマの事、よろしくな』
越前家でリョーマの父親が言った台詞。
確かに跡部はリョーマのことを、直々に頼まれた身だ。

それを持ち出して得意げな跡部に、ジローは「うう・・」と黙り込む。

しかしリョーマはそれを聞き流す訳にいかない。

「・・・跡部さん」
「なんだ?」
「親父の言ったことなら、気にすること無いから」

別に縛られる必要はない。
義務で面倒をみられるくらいなら、突き放された方がましだ。

そう考えるリョーマの頭に、跡部は右手を軽く置いた。

「別に頼まれたからじゃねーよ。したくて世話焼いてるんだ」

意外な言葉に、見えない目を凝らすように見開く。
「なんで?」
「・・・・生徒会長として、トラブルばっかり起こしてる奴から目を離す訳にいかないからな」
素っ気無い言い方は、本心でないとわかる。

だけど、考えるほどわからない。

(どうして、そんなに俺のことを見ててくれるの?)

「暇な生徒会長ー」
「うるせえ。とにかくお前の出番は無いってわかったろ」
「ふーん、いいもん。リョーマのお父さんに俺もお願いされるようになるから」
「なんだと」
「…二人共、そろそろ残りのお昼ご飯片付けようよ」

リョーマがそう言えば、大人しく食事が再開される。

面白いコンビだと、リョーマはこっそり笑った。


2004年09月10日(金) 盲目の王子様 41 忍足侑士

忍足とジローの家のちょうど中間点辺りに差し掛かった辺りで、
「お前ら、ここから歩いて帰れ」
跡部は車を止めさせた。

それぞれ10分も掛からない距離だ。
問題無いと判断して、無理矢理二人を車から降ろしてしまう。
これ以上、跡部は頭の痛くなる会話に付き合っていられないと判断したせいだ。

本当に走り去ってしまう車に、ジローは叫んだ。
「跡部ってやっぱり横暴ー!リョーマには近付かせない、絶対!」
「お前がそない言うてもなあ。リョーマがどう思うか、わからんやろ」

それにもう聞えへんでと、忍足は苦笑する。

そんな忍足を、ジローはじいっと見上げた。

「何や」
「忍足って、こんな奴だったっけ?」
「こんな奴とはなんや」
「もっとさー、前だったら面白がって跡部のこと詮索してたはず。
今日の忍足は違ったね。リョーマのことばっかり、考えてた」
「そう見えるか?」

忍足の返事に、ジローはにこっと笑う。

「見えるよ。すごいリョーマに気遣ってる。いつもの何万倍も優しい忍足だよ」
「俺はいつも優しいやろ」
「ううん、ちっとも」
さらっと否定する。
聞き様によっては、結構ヒドイ言葉だ。

「優しいように見せかけてるけど、忍足は意地悪だよ。計算高いし」
「・・・・・目の前で悪口言うな」
「でも今日の忍足は違ったねー。やっぱりあれ、リョーマの為?でしょ?」
ぴっと人差し指を顔の前に出され、忍足は反射的に頷いてしまう。

「あいつのしたいようにさせたいんや。跡部と話させるのは、正直むかつくけどな。
引き離すのは簡単やけど、リョーマは納得せんやろ」
「だからかー。忍足って思ってたよりも良い奴じゃんっ」
「・・・おおきに」
「何?俺が褒めてんのに、暗い顔しちゃってー」

ぱしっと、ジローが忍足の肩を叩く。

「俺は良い奴なんかじゃ、あらへんよ・・・」
「忍足?」

俯いて、忍足は話始める。

誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

「なあ。ジロー、知っとったか。リョーマが氷帝に入れた訳」
「え?試験に通ったからじゃないの?」
そうでしょ、とジローは首を傾げる。
「アホ言うな。試験に通っても、無理やろ。氷帝は盲目の生徒を受け入れる体制やない」
「んー?どういうこと?」
「リョーマの入学に、榊監督が絡んでいる話、聞いたことないか?」
「ええ!?」

なんで監督がと、ジローは声を上げる。
本当に初めて知ったらしい反応だ。

「俺はそれを聞いた後、リョーマが跡部と一緒におる所見てな。
何かあるんじゃないかって思っとった。
監督から跡部がリョーマの面倒見るよう、監視しておるんかとかな」
「・・・・・・」
「何か面白いことになりそうや、最初はそんな理由でリョーマに近付いた」
アホやろ?と忍足は頭を掻く。

「でもお前も知ってるけど、リョーマはええ子や。段々自分の考えがバカらしくなってきた。
今はそんなん関係無しに、リョーマの手助けになりたい思ってるんや」

全部話し終えて、忍足は「今更遅いか」と苦笑した。
こんなことリョーマが聞いたら、きっと許してももらえない。

『侑士は良い奴だよ』
今ある信頼とか、全部失われそうで怖い。

「ふーん、よくわかんないけど。結局、忍足はリョーマのことが大事なんだよね?」
「そうや」
「なら、もうぐちゃぐちゃ考えるのやめようよ。切っ掛けがなんでも悩むこと無いよ。
大事なのは、今ある気持ち。きっとリョーマだってそう言うよ」

ジローの話は、単純なことで。
一番大事なのは何か、教えてくれた。

「そう、やな」
頷いて、忍足も微笑む。

リョーマだってそう言う。
ジローの言う通りだ。
きっとつまんないことで負い目に感じる事はないと、あの少年なら言うだろう。

「あ、でもー。リョーマのこと好きとか言うのはまた別の話だからね!
ちゃんと俺を通してもらわないと、認めないから!」
「お前、ほんまに保護者になったつもりか・・?」

通すって、なんだ。

じゃ、と手を振るジローに、忍足の呟きは聞えない。

遠くなっていく背中を見て、まあいいかと忍足もくるっと背を向け家へと歩き始める。
迷ったって仕方ない。
なら、やるべき事をやれば良い。





今朝も、校門付近で盲目の少年を待つ。

「おはよ、侑士」
「おはようさん、リョーマ」

昨日のこと等、他愛無い会話をしながら校舎へと連れ添って歩く。

「なあ、リョーマ」
「何?」
「今度は俺の家へも遊びに来てな。
リョーマの為に精一杯おもてなししたるで」
「え?いいの?」
「大歓迎や。けど、跡部には内緒な」
「なんで?」
「なんでもや!ええな?ジローもやで!」
「?いいけど・・・」

わけわかんない、と眉を顰めるリョーマの手を掴む。

「ちょっ、侑士っ、俺一人で歩けるから」
「あー、そういうんやなくて俺がこうしたいんや。ダメか?」
「だって皆見てるでしょ・・・」
「ええやん。んんー、リョーマが気にするって言うなら・・・
皆さーん、寂しがり屋の俺はリョーマの手を掴んで放せませんー」
「何言い出すの、急に!?」
「これで俺から手を繋いだって、わかるやろ」

なあ、と言う忍足に、リョーマは大きく溜息をついた。

「滅茶苦茶」
「これで堂々とリョーマを手を繋げるな」
「勝手にすれば」

口調は素っ気無いものだけど、リョーマは無理に解こうとしない。
その心遣いが嬉しかった。

が、忍足の機嫌が良かったのもそこまで。

「おい、てめえ。何勝手なこと叫んでいやがる」
「あらー、跡部様。怖い顔してどないしたん?」
「いいから、越前から手を放せっ!」
「いやや!お前こそ後から来て、勝手なこと言うな、アホ!」

鬼のような顔してやって来た跡部は、リョーマと忍足を引き離そうと躍起になってる。

「わかりやすいわ・・・ホンマ」
「ぐだぐだ言ってねえで、越前から離れろ!」
「跡部さん、声大きいんだけど」
「・・・・・・・悪ぃ」

リョーマの前でしおらしくなる跡部を見て、笑ってしまう。

直後に、左足を思い切り踏まれた。


2004年09月09日(木) 盲目の王子様 40 跡部景吾

いつの間にか時刻は10時近くなっていた。

まだ寝るには早い時間だが、ジローは眠くなってきたらしい。

「ふぁああ」
「ジロー、眠いの?」
「んーん、まだ起きてる!リョーマと遊ぶからー」
「でも、眠そうだけど」
「平気、平気」

(平気じゃないだろ。絶対寝るぞ、こいつ)
半開きのジローの眼を見て跡部は確信する。
すっと立ち上がり、リョーマの腰に回してる腕を離しに掛かった。

「いい加減帰るぞ」
「やだー。もう少しリョーマといるー」

バタバタと手を振る様は、子供がぐする姿のようだ。
本人に言ったら、思い切り否定するだろうが。

それよりも下手したらジローは、ここに泊まるなどと言い出すことも考えられる。
そっちの事態の方が、恐ろしい。

「リョーマと一緒に寝るー!」等と言ってごねる姿が容易に想像できる。
しかもリョーマの母と菜々子は簡単に承諾しそうだ。
(冗談じぇねえ)
跡部は軽く首を振った。

帰らせよう。
絶対に。

「車を呼ぶから、帰るんだ。いいな」
「送ってくれるんか?」

ジローに悪戦苦闘している跡部を手伝いもしない忍足が、一歩離れた場所から声を掛けてきた。
どこかからかっているような声色に、跡部は眉を顰める。

「近くまではな。そっからは歩いて帰れ」
「まあ、ええけど」

忍足も立ち上がり、ジローの横へと立った。

「ほなジロー行くで」
ぺしっと額を叩くと、ジローは不満げに唇を尖らせる。

「もうちょっとリョーマといる」
「リョーマ、困っとるやろ。ええ加減にせい」
ひょいっと忍足はジローの体を抱え、立たせた。
「跡部。車、呼ばんの?」
「ああ・・・・」

さっきまでちっとも言うことを聞かなかったジローだが、忍足の言葉には従っている。

(だったらさっさと越前から引き離せよ)
ちっと舌打ちして、携帯をポケットから取り出す。

「また遊びに来ればええやろ。今日は我慢して家に帰ろうな」
「うー。リョーマ、また来てもいい?」
「うん」
「ほらな。リョーマもええ言うとるやろ」
「わかった・・・今日は帰る」
「ジローって叱られてる子供みたい」
「ははっ、そうやな」
「なんだよ、忍足までー!」

運転手に連絡を取ってる間、三人は和やかに会話をしている。

忍足の態度を見ていると、自分一人だけジローがリョーマにべったりくっついているのが気に入らないようだ。

(忍足の奴、ジローが越前にべたべたしててもなんとも思わないのか?)
さっきの時だってそうだ。
わざわざリョーマと二人きりで話できるように、ジローを押さえてくれた。
(どういうつもりだ)
気付かれないよう忍足の顔を見ると、その視線はジローに抱きつかれてるリョーマに向けられている。
初めて見た穏やかな眼差しに、ジローとは違う苛立ちを覚える。

「跡部?どないしたんや」
見ていたのに気付いたのか、忍足が顔をこちらへ向けた。
「車の都合がつかんかったんか?」
「・・・すぐに来るそうだ。5分も掛からない」
「ほら、ジロー!もう来るて言うとるやろ。まだリョーマにくっついとったんかい」
「だって、リョーマ抱っこしてると気持ち良いもん」
「しょうもないやっちゃなあ」

苦笑いしながらも、無理矢理リョーマから引き離さない忍足にますますムカついてくる。
しかしここでまた機嫌を悪くしたら、またリョーマは何事かと気にするだろう。
心配はさせたくない。

「もたもたするな。帰る前に、一言挨拶もしないといけないだろうが。
越前、お母さんと菜々子さんを呼んでくれるか?」
跡部は不満を隠してリョーマの前に立った。

「跡部さんって、そういうとこきちんとしているよね」
くすっと笑いリョーマは「ちょっと待って」とジローを剥がす。
さすがにリョーマの言うことだからか、ジローも大人しく離れる。

「きちんと?挨拶?跡部が?」
「うるせぇ、自分の荷物持っていけよ」
「きちんと・・・・」
「ほら、ジロー。忘れたらあかんで」
慌てて忍足は、ジローにバッグを押し付ける。





廊下へ出てきたリョーマの母に、跡部はさっと挨拶をした。
「なんのお構いもしませんで」
「いえ、ごちそう様でした」

後ろで、にっこりと菜々子が微笑んでいる。
目が合って、慌てて跡部は視線を逸らした。

別にやましいことなど無い。
けれどリョーマの従姉であるこの女性に前回出会って車で送った時に、
色々と口が滑り余計なことを言ってしまった。
学校でのリョーマはどうなのかと聞きたがる彼女に、知ってる範囲のことを話した程度だが・・・。

話しを聞き終えた菜々子は、「リョーマさんのこと、よくわかって下さっているんですね」と笑顔を向けた。
「心配だったんです。リョーマさん、決して人の手を借りようとしないから。
でも跡部さんみたいな方が側にいるなら安心できます」

真っ直ぐな菜々子の言葉。
気恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまった。

安心できます、そんな風に言われたのは初めてだ。

自分のことだけしか、ずっと考えていなかった。
人のことなど、見向きもしずに生きて来た。
傷付けても、放り投げても何とも思わなかったのに。

知らない間に、リョーマの側にいて見守っている、ような行動をしていると自分でも思う。
(少しでも変わったのだろうか、俺は・・・)

けど、そんな変化を不快だとは思わない。

リョーマの側にいて安心だと言われるような人に変わったのなら、
むしろ嬉しいと思える。





「遅くまでお邪魔しました」
「いいえ。また来て下さいね」
「ハイ、また来ますー!」
「こら、ジロー」
「いいんですよ。遠慮せずに、来てね」
「はーい!」
「・・・・・・」
それぞれ靴を履いて、玄関を開けようとした瞬間。

それはやって来た。

「それがぁーおとこのー浪漫ー」

調子外れた歌が聞こえ、跡部もジローも忍足も動きを止めり。

声の主は玄関の向こう側にいるらしい。

思わず三人は顔を見合わせて、外にいる人物の出方を伺う。
すぐにドアは開けられ、外から無精ひげの男がのっそりと入って来た。

「んん?君達はどこのどなた様なのかなあ?」

跡部達の顔を見回して、男は頭を掻いた。
酒のせいで頬が赤いのだろう。舌回りも怪しい。

「ひょっとして菜々子ちゃんのボーイフレンドか?一、ニ、三人!?こりゃモテモテだなー、おい?」
「おじ様!」
「照れることないない。だがな。菜々子ちゃんは親御さんから大切に預かった娘さんだ。
お付き合いしたいというのなら、この俺を倒してもらおうじゃないか!」

ハッハッハと笑う男に、跡部達は唖然としていた。
(誰だ、こいつ・・・)

酔っ払いが絡んでいるのはわかるが、どう対処したものか。

そこへ、
「あなた、いい加減にして下さい」
後方より厳しい声がぴしゃりと響いた。

全員、振り返ると笑顔のまま拳を握り締めているリョーマの母がいた。

「随分楽しいお酒だったようね?」
「あ・・・いや、そのう」
「いいから早く上がって。そこにいられると、お客様の邪魔になるんだから」
「ハイ」
「ほら、急いで」

しゅんとして、男は履いていた草履を脱いだ。
どうやら今の会話から、ずっと姿を見せなかったリョーマの父親だと三人は推測する。
いなかったのはどこぞで飲んでいたからか。


ふとリョーマの様子を伺うと、疲れた顔して壁に体を凭れさせていた。
呆れているらしい。

「で、結局菜々子ちゃんの本命はどいつだい?」
「いませんっ!この方達はリョーマさんのお友達です。制服を見てわからないんですか?」

もう、と菜々子は額を押さえた。

「リョーマの・・・?じゃあお前さん達、中学生かい」
「はい」

目線が合った忍足は、思わず頷いた。

「そうかー。最近の中学生はがたいがいいねえ。おい、リョーマ。お前だけ小さいからって悲観することねえぞ」
「大きなお世話。それに跡部さん達は俺よりも2コ上なんだから、その分成長してて当たり前じゃん」

小さい、が気に触ったのかリョーマの口調は憮然としている。
父はリョーマの様子を無視して、
「跡部・・・・?聞いたことあるような・・・」と考え始めた。

自分の名前が呼ばれ、跡部は何だろうと少し不安になる。
この家で自分の話題が出ることがあるのか。
そう思うと、心音が早くなる。

「ああ、跡部か!で、どいつが跡部君か!?」
パンっと手を叩く音が響く。
そして、三人の顔をじーっと見比べ始める。

「俺です」
反射的に名乗り出た跡部に、リョーマの父は「君がかー!」と肩をばしばし叩いた。
ハッキリ言って痛いのだが、相手が相手だけに文句は言えない。

「聞いたぜ。リョーマが世話になったようだな」
「いえ、俺は」
「隠すな、隠すな。リョーマもな、お前さんが杖を届けてくれたこと、リョーマはそりゃあ喜んでいたからな」
「親父っ!余計なこと言うなよ!」

慌ててリョーマは抗議するが、父親はその反応が可笑しかったのだろう、ガハハと豪快に笑った。

「杖・・・?何それ?」
事情がわからないジローは、今の会話に顔を顰め、
その横で忍足は何も言わずただこのやり取りだけを見ている。

「できればこれからもリョーマの事、よろしくな。見ての通り可愛くないガキだが」
「うるさいよ」

低い声を出したリョーマに、南次郎は「本当のことだろ!」とまた笑う。

「もう、親父に構わなくていいから。車、来てんじゃないの?」

ぷんぷん怒りながら、リョーマは「行こう」と三人を促す。
息子の様子に父親は肩を竦め、「じゃあな」と廊下を歩いていった。

「お引止めして、ごめんなさいね」

急に静かになった空気を破り、リョーマの母は申し訳なさそうに謝った。

「いえ。今日はありがとうございました」
「また来て下さいね」
「ハイ!きっとすぐに!もう明日でも!」
「ジロー、行くぞ」
「もう跡部、引っ張んなって!」

リョーマが言った通りに車はもう家の前に着いていた。
ジローを押しこむ形で、一斉に車に乗り込む。
「じゃあね、リョーマ。また明日!」
「おやすみ、リョーマ」
「うん、またね。おやすみ」
「じゃあな、越前」
「うん」

見送りに出たリョーマへ挨拶をして、車は走り出した。



「あーあ、見えなくなっちゃった」
最後まで後ろを振り返っていたジローだが、さすがに角を曲がって諦めたようだ。
そして、今度は跡部の方へと体を向けた。

「ねえ、跡部。説明してよ」
「ああ?」
「お母さんも菜々子さんも、お父さんも!皆、跡部のこと知ってるってどういうこと?」
「日頃の行いが良いからだろ」
「そんな訳ないじゃん!杖のことって何!俺、聞いていないんだけど」

鬱陶しくて顔を背けるが、ジローがそんなことで堪えるはずがない。

「跡部、聞いているのになんで言わないの?」
でかい声に、耳を塞ぎたくなる。
(こいつ、車から降ろしてやろうか)

むっとした跡部に助け舟を出したのは、それまで黙っていた忍足だった。

「ジロー。個人的なことやで。放っておけや」
「なんで?忍足は気にならないの?」

腕を組んで、忍足は頷いた。

「気になるけど、跡部が話したくないからな。しゃあないやろ」

意外な忍足のセリフに、跡部は目を開いた。
てっきりジローと一緒になって聞きたがると思っていた。

「お前、リョーマにも根掘り葉掘り聞くなよ。前にも言うたけど、リョーマを困らせるな」
「俺は、別に困らせようなんて・・・」

居心地悪そうにジローは身を捩って、シートへ凭れた。

「たださー。跡部がリョーマの側にいる理由が知りたいんだよ。
なんで?跡部って今まで誰かに興味持ったことないじゃん」

わかんないんだよなと、ジローは呟く。

「なにか目的とかあるんじゃないよね?」
「あるか、バカ」
「バカってなんだよー。やっぱり口悪い!リョーマに悪い影響でたらどうするんだよ」

(あいつは最初から口が悪かったぞ・・・・)
言いたい事を飲み込んで、知らない振りを決め込む。
相手するほど、絡んでくるに違いないからだ。

「ジローは跡部がリョーマに近付く事、反対なんか?」

くすくす笑いながら、忍足はジローに聞いた。

「反対!跡部って女の子にもヒドイことばっかりするし、優しくないもん!
この先、リョーマと会話するならこの俺を通してよ!」
「何や、そのルールは。お前はリョーマの保護者かなんかか?」
「なんだっていいよ。跡部、わかった?」
「知るか」

お前を通す義務なんか無い。

そんな態度でいる跡部に、「絶対近付けさせないからー!」とジローが声を上げる。

(止められるものなら、やってみろ)

フッと鼻で笑い、また横を向く。

ジローの言った通り、たしかにここまで他人に興味を持ったことは無い。
それほどまでに、あの盲目の少年は自分にとって特別のようだ。

誰にも媚びず、一人で立とうとする強い心。
それでいて笑った時の、あどけない顔。

そして・・・。

(あいつのテニスしていた姿が、忘れられない)


生き生きとコートを駈け回っていた時の表情。


全部に、惹き付けられてしまうんだ。


2004年09月08日(水) 盲目の王子様 39 跡部景吾

地区大会が終わるまで、もう少し。

目の前のゲームを見て、早く終われよと跡部は呟いた。
自分が出たなら10分も掛からなかっただろう。
この時ばかりはシングルス1で登録されてることが、恨めしい。

大会が終わったら、約束通り越前家に直行することが決まっている。

盲目の少年が待つあの家へ、今日の結果を早く報告したかった。


大会直後の訪問、ということをリョーマは少し気にしていたようだ。

「真っ直ぐ家に帰った方がいいんじゃないの?
大会の後で疲れるから、休めばいいのに・・・」
小首を傾げる盲目の少年に、
「俺様の出番は無いから、構わない」と答える。
「なんで?」
「S1に回る前に、勝ちが決まるからだ」

初戦は全試合しないといけないが、その時は補欠だと監督に言われていた。
こんなところで実力を見せるまでもない。
監督の判断に、当然跡部は従った。

「ふーん」
「信じていないような口振りだな」
「勝負はその時になってみたいとわからないからね」

ニッと笑う少年の顔に一瞬見惚れた後、また元の態度に戻す。

「言ったな。だったらどんな結果になるか楽しみにしておけよ」

そして跡部が予告した通り、
地区大会は彼の出番無しに氷帝の優勝で幕を閉じた。


今日の結果を伝えたら、きっとリョーマは驚く顔を見せるだろう。
そして・・・お疲れ様と言ってくれるに違いない。

表彰式の間も、跡部はずっとそんなことを考えて上の空だった。

「皆、ご苦労だった」
監督の行って良しの声と同時に軽く頭を下げ、
跡部はすぐに歩き始める。

頭の中にはさっさと着替えて、越前リョーマの家へ向かうだけしか無い。


それから数分後。
(よし、完璧だな)
きちんと手土産も用意して、跡部は越前家の前に立った。
インターフォンを押して、リョーマか家の人が出てくるのを待つ。

(きっと越前が迎えてくれるはずだよな?)

ウキウキしていたはずの跡部の機嫌は、迎えに出てきた人物達によって急下降することになる。

「跡部さん?大会終わったんだ」
「ああ・・・」
リョーマが玄関を開けてくれたのは、別に良い。
問題はその両隣にいる人物達だ。

「なんで、てめえらがいるんだ!?」
リョーマと密着する形で、何故かジローと忍足が立っている。
(ありえねえ、なんだこれは)
跡部は人の家だということも忘れ、思わず怒鳴ってしまった。

「跡部、声でか過ぎ」
しーっとジローは人差し指を立てる。
声が大きかったのは本当だが、面白くなくて跡部はキッと二人を睨んだ。

「どういう事だ?説明してもらおうじゃねえか」
「説明って・・。こっちも聞きたいわ」
ふぅっと溜息をついたのは、忍足。
「なんで跡部がリョーマの家に出入りしてるんや?」
「それは、」
ぐっと言葉に詰まる跡部に、「そうだよ」とジローは頬を膨らませる。
「跡部、ずるい。リョーマの家、知ってたんだ」
「だからどうした」
「知ってたなら、もっと早くに教えてくれればいいじゃん!」

誰が教えるか。
内心で悪態をつくが、一応人の家だということを思い出したので、跡部はぐっと堪えていた。

「ねえ、取りあえず家に上がったら?」

いつまでも続くやり取りを、リョーマが止めた。

「跡部さん、地区大会終わって疲れてるんでしょ。用意も出来てるから、入ってよ」
「あ、ああ・・・」

言うことだけ言って、リョーマはくるりと背を向けて家へ入ってしまった。

「リョーマ、待ってよー!」
その後をジローがすぐに追いかける。
残された跡部は忍足と一瞬目を合わせ、すぐにその後を追った。





前回跡部が通されたのはリビングだったが、今回は和室へと案内される。
人数が増えたから、こっちに移したに違いない。
そう思って、ジローと忍足を睨む。

しかも夕飯にまで奴らも一緒だとは。
図々しいにも程がある。

手土産を渡した際、菜々子に「もしかしてあいつらも一緒ですか?」と尋ねたら、
「ええ、人数が多い方が楽しいですし」と笑っていた。
今だけは、菜々子の天然の性格が恨めしい。
どっかに追っ払ってしまえばいいのにと思うが、そうはいかないようだ。

「リョーマは俺の隣だから!」
特に勝手にそんな宣言をして、ずっと肩に手を置いてるジローに対して特に思う。
隣に座ってる忍足は、それに対して何の文句も言わず、へらへらリョーマとの会話を続けている。

何故こいつらがいるのか、説明が欲しい。
思い描いていた訪問と程遠い状況に、跡部は頭を抱えた。

だから唐突に話を振ってきたリョーマの言葉にも、反応が遅れてしまった。

「ねえ、大会はどうだった?」
顔を上げると、ジローも忍足もこちらを向いている。
「聞いてる?」
拗ねたような口調に、慌てて答えを返す。

「そうだ。言っておくけどな、俺様の出番は無いまま優勝は決まったからな」
「へえ。やるじゃん」
「当然だろ。地区大会くらい楽勝だ」
「せやな。せめて都大会にならんと、強豪も揃わへんし」
「バーカ。都大会だってこの調子で優勝するに決まっているだろ?」

ふんっと、忍足の発言を鼻で笑う。

「でも都大会は地区大会とレベル違うじゃん。青学だって出てくるんだC」
ねぇ、とジローはリョーマに相槌を打つ。
しかしリョーマは何のことかわからず、首を捻る。
「その青学ってトコ、強いの?」
「大したことねえよ」
「あのねー、跡部がずっと対戦したい相手がいるんだよね!」
「・・・・おい、ジロー」
低い声で睨んでも、ジローはへへっと笑っているだけだった。

「対戦したい相手?」

どうやらリョーマは興味を持ったらしい。
その先を聞きたがっているようで、テーブルに両手を置いてじっと続きを待っている。

「あんなそいつ手塚って言うて、青学の部長なんや」
苦虫を潰したような顔をする跡部を見て、忍足は「こりゃあかん」と判断し、
勝手にその対戦相手について話を始める。
「おい、忍足」
「ええやん。リョーマが質問してるんやし。
でな、そいつと跡部って今まで一回も当たったことないんや」
「一回も?」
「そういえば、そうだよねー」

ずっとリョーマの体にひっついたまま、ジローも頷く。

「手塚って、去年の大会でウチの部長に勝ったんだよ」
「へえ」
「けど跡部が向こうの部長に勝って、氷帝の優勝が決まったんやな」
「・・・ああ」
「それじゃ、お互い部長を負かされたってこと?」
「そういうことになるねー」

ふーんと納得するリョーマに、ジローはよくわかりましたと髪を撫でる。
その位別にっとリョーマは返して手から逃れようとするが、ジローがそれを許さない。
すぐ前で繰り広げられるどたばたに、忍足は苦笑して、跡部の方へ向いた。

「けど、手塚って大会出られるんか?」
「え?何が?」

リョーマを抱え、ジローはどういう意味か忍足へ質問する。

「何や。ジロー知らんかったんか?手塚が選抜断ったのって、腕の故障が原因やって噂になっていたやろ」
「知らないー」
「・・・そうか。跡部、お前は何か聞いてるか?」
「いや。地区大会の情報は明日入ってくる段取りにはなっているけどな」
「試合に出たかはハッキリするな」
「ああ」
「ふーん。よっぽどその人のこと、気にしているんだね」
「そんなんじゃねえ。ただ目の前の障害は倒す。それだけだ」

横を向いてしまった跡部に、忍足もジローも笑いを噛み殺した。
跡部が手塚をライバルとして見ているのは、皆知っている。
これで無関心を装ってるつもりだから、可笑しい。

そのような雑談している間に、夕飯の支度はすっかり整っていた。

「沢山召し上がって下さいね」

菜々子の言葉に、ジローが「はーい!」と元気良く返事をする。
今日はリョーマの母、倫子も菜々子も食卓には同席しないようだ。
リョーマの友達が訪ねて来たのだから、保護者抜きで、と気を使ってくれたのかもしれない。

しかし間が悪過ぎる。

食事の間、跡部は忍足やジローがリョーマを構い倒すのを黙って耐えた。

「リョーマ、あーんしてあげる」
「一人で食べられるから、いいよ」
手を突っぱねて遠慮するリョーマに、ジローはいいからいいからと、懇願する。
何度もお願いするので、とうとうリョーマも負けてしまい口を開けた。

「あー、食べた食べたー」
「ジローが無理矢理箸を押し付けるからじゃん」
「じゃ、次これ」
「もう、いいって」

今までそんな風に食べさせたのは、自分一人だったはず。
それを横取りされたような錯覚に、跡部の怒りは少しずつ膨らんでいく。

ふと横を見ると、忍足が目の前の風景を見て微笑んでるのが目に入った。

「てめえは、いいのかよ」
「何や?」
「あれ、参加しなくてもいいかって聞いているんだ」
ジローとリョーマのやり取りを指す。
てっきり忍足も、リョーマに食べさせてやろうと言い出すかと思ったのに、
なんだか意外だった。
「ああ?あれか。別にいつでもできるからな」

さらっと爆弾発言をする忍足に、跡部は目を見開く。

(こいつ・・・どういうつもりだ?)
一瞬、跡部は目を鋭くする。
しかし忍足の方はなんとも無いように、跡部にだけ聞えるような小声で呟く。

「ジローに取られっぱなしで悔しいんやろ?」
「てめえは黙ってろ」
「図星か。まあ、実際仲良いしなあ。リョーマもジローに全く警戒しとらんし」
ひょいっと箸でおかずを摘み、忍足は口に放り込む。
なんでも無さそうな様子。

その態度に苛立って、跡部は尋ねてみた。
「お前はそれをなんとも思わないのか」
「別に。リョーマが本気で嫌がってるなら止めるけどな」
「・・・・・・・・」
仲良さ気なジローとリョーマをちらっと見て、忍足は「嫌がってないみたいやし」と肩を竦める。

「俺のことはいいから、ジローも食べなよ」
「後一回、後一回だけー」
「もう」
確かに少し困っているようだが、嫌がっているほどでもない。

ちっと舌打ちして、跡部はご飯をひたすら口に運ぶことに専念する。
(くそっ。誰にでもあんな風にさせるのか)

跡部の表情を見て、忍足は面白そうに目を細めている。
それに気付かないふりをして、黙ったまま箸を動かし続けた。



結局夕飯の間、リョーマはジローに構われてばかりで。

二人きりで話す時間は無いまま、このまま終わりそうだ。

片付けの為、皿をキッチンへと運ぶ手伝いをしながら、
跡部は何の為にここまで来たのだろうかと考える。

単純な話だ。リョーマとの時間が欲しかっただけ。


お手洗いを借りると断り、席を外す。
こんなはずじゃなかった。
けど、ここで我侭を言う程、バカじゃない。

少し気持ちを落ち着かせ、トイレから出る。

「跡部さん」
「・・・どうした」
てっきりジロー達と一緒だと思っていた、リョーマが壁に背を預け立っていた。

声を掛けてみたものの、いつもの彼らしくなく口篭っている。
辛抱強くリョーマの言葉を待つ。
すると、
「無理に誘ってごめんなさい」
ぺこっと小さく頭を下げる姿が目に入る。

「おい!?」

一体、どうしたというんだ?
何がごめんなさいなのかが、わからない。
大股でリョーマの立っている位置に近付き、肩に手を乗せるとびくっと体が揺れた。

ジローには、平気で触れさせていたくせに。
苛立ちと寂しさのようなものを感じ、そっと手を下ろす。

「なんで謝るんだ?訳、わからねーよ」
出来るだけ抑えた声で言ったが、リョーマは違った意味で捉えたらしい。
ますます体を小さくしてしまう。

(これじゃ、苛めているみたいじゃねえか)

どうにもわからずくしゃくしゃと自分の髪を掻く。

今、どんな言葉を言えばいいのか。
全く浮かんでこなくて、そんな自分がイヤになる。

先に沈黙を破ったのは、リョーマの方だった。

「・・・機嫌、悪かったから」
「ああ?」
ぼそぼそと小さな声に、聞き返す。

「ここに来てずっと機嫌悪かったから、
本当は来たくなかったんじゃないかって思っただけだよっ!」
大きな声を出し、そのままリョーマはハァと息を吐いた。

予想もしなかった言葉に、跡部は目を丸くした。

(そんな訳ないだろう。だったら最初から断っている)

言おうとする前に、邪魔が入る。

「リョーマ・・・・?何かあったの?」
今の声が聞こえたらしい。
ジローも忍足も部屋の外へ出てきてしまった。

「なんでもねえよ。話、してただけだ」
チっ、と舌打ちする。
折角今、リョーマと話していたところなのに、また邪魔される。
「嘘!リョーマの様子変だよ。跡部、何かしたんだろう!」

すぐに駆け寄ろうとするジローを見て、押し戻してやろうかと考える。

だけどジローを制したのは、意外にも忍足の手だった。

「忍足?なんだよっ、離してっ!」
「ええから。ちゃんと跡部と話させてやろうや」
「だって」
「リョーマ、ええな?」

忍足の声にリョーマは躊躇った後、こくんと頷く。

「ジロー。リョーマの邪魔したらあかんよ」
「わかった・・・」
渋々ジローは忍足に連れられて、和室へと戻る。

そうして、また二人きりになる。


「悪かった」
最初に、まず告げる。
「何が」
「誤解、させたみたいだな」
謝ることなんて、ないってことを。

リョーマの思い込みを解くため、できるだけ優しい口調で話を続ける。

「機嫌が悪かったのは、ここに来たくなかったからとかいう理由じゃねえよ。
大体、行きたくないのなら最初から断っている。
そこまで暇じゃないからな」
「じゃあ、なんで?」
「それは・・・」
手を伸ばし袖を掴んできたリョーマの手は、聞くまで離さないというようにきつく握られている。

(参ったな)
正直、ジローにむかついていたなんて正直に喋るのは、自分が幼稚に思えて恥ずかしい。
いくらでも誤魔化すことは出来るだろう。
けれど、リョーマにはそんな真似したくないと思っている自分がいる。


「・・・あいつら、なんでお前の家を知ってるんだ?」
「え?何?」
「忍足とジロー。よく来るのか」
「今日が初めてだけど。前にこの辺りだからって教えたら、ここがわかったみたい」

反対に質問され、戸惑いながらもリョーマはきちんと答える。

「そうだったのか」
「うん。でもそれがどうかした?俺が聞いてるんだけど」

袖を掴んでいる手に、自由なほうの手を重ねる。
再びリョーマの体が揺れたが、気付かない振りをしてそのまま強い力で握り締める。

「あいつらがあんまりお前に構うから、腹が立っていたんだ」
「・・・・なんで?」

きょとんとしているリョーマに、重ねて言う。

「俺だけかと思って来たら、他にも客が居たからむかついた。わかったか」
「えーっと・・・・」

考え込んだ後、リョーマはぱっと顔を上げる。

「跡部さんの承諾無しで、勝手に二人を夕食に招いたことを怒ってんの?」

(ちょっと違うが・・・)

まあ、いいかとあえて訂正はしない。


「次はちゃんとあいつら抜きの招待で頼むな」
「しょうがないね。わかった」

くすっと笑うリョーマは、まだ誤解しているだろう。
機嫌が悪かった本当の理由を知らないまま。

「今はまだ、そのままでもいいか・・・」
「何か言った?」
「イヤ。そろそろ戻るか。ジローが拗ねるからな」
「うん」

先へ歩いて、リョーマの手を引く。
抗わず、引かれるままのリョーマに知らず笑みが浮かぶ。

今はまだ成長を待つ時かもしれない。
リョーマだけじゃなく、自分の心も。


しばらくはこのままで。
ゆっくりと向き合って、考えていけばいい。
不安定な心の方向も、いつか定まるはず。



手を繋いで入って来た二人に、
当然ジローは騒ぎ、忍足がまた宥めに入るハメとなる。


2004年09月07日(火) 盲目の王子様 38   忍足侑士

ガンッと蹴り上げたような音に、ジローは目を開けた。

「ジロー、起きろっ!監督と跡部がいないからってサボるなよ」
「もう10分」
「お前、何分寝てたと思っているんだ」

嫌がるジローの体を無理矢理起こさせたのは、向日だった。

「地区と都大会じゃ俺らは出ないけど、だからって練習を怠って良いってことじゃないからな!」
「あー、そう」

やたら元気な向日に、ジローは面倒くさそうに返事して目を擦る。

「次、行くぞ!ジロー、絶対もう寝るなよ」
「・・・・・うん」

満足そうな背中を見送り、「何あれ?」と首を傾げる。

「ジロー。岳人の言う通りやで」
「忍足」

すっと一部始終を見ていた忍足は、ジローの隣に立った。

「いい加減、サボり過ぎや」
「だって眠かったんだもん」
「それは、いつもやろ・・・」

全く通じていない相手に、忍足は溜息をつく。

「それよりさあ。岳人、やけに張り切ってない?なんか、あったの」
「ああ?あれか。
昨日な、ちょっとええなって思うてた子から「部活頑張って」なんて差し入れ貰ったらしいで」
「へーえ、そういう訳か」

コートをいつも以上に活き活きと飛び回る向日を見て、ジローは納得する。

「単純だけど、効き目はあるな」
「天にも昇るって感じだね。でも自分がやる気だからって、人に押し付けるなよ」
「アホ。お前はちっとやる気出した方がええで」

説教っぽい忍足の言葉に、うんざりとしてジローは目を伏せる。

「俺はやりたい時にしか、やれないんだよ」
「我侭言うな。レギュラーにまでなっといて」
「でもー」
「ほら」

気乗りしないジローの腕を、忍足は引っ張った。

「樺地くらい、置いてってくれたらなあ・・・」

跡部に忠実な樺地は、二人分のラケットバッグを持って地区大会へ出ているはずだ。
ほとんどの者が応援へと会場へ出向いていたが、
地区大会には出ない正規レギュラー達と一部の準レギュラーは別。
今日は朝から夕方まで監督が組んだメニューをこなすよう、言い渡されていた。
その割に、ジローは寝てばっかり。
向日じゃなくても、文句が出ても仕方ない。

「って、ジロー!何しゃがみ込んでんねん!」
「あ、ばれた?」
やけに腕が重いはずだと、忍足は手を振り払う。

「ばれた、やない。早う立たんかい」
「面倒ー」
「ジロー・・・・あのな」
「俺、このまま帰っちゃだめ?」

段々忍足の忍耐も限界に近付いて来た。
放っておいて、監督と跡部にちくるか。そんな悪い考えまで浮かぶ。

「だめや。練習時間、まだ残ってるやろ」
「じゃあさ、忍足も一緒にサボっていいから」
「あのなあ」

どういう理屈や、と忍足は額に手を当てる。

「抜け出してさー、リョーマの家行かない?」
「・・・・・・ジロー?なんでリョーマの家、知ってるんや?」
「この間、聞いたー。学校から出てまっすぐ歩いて1分くらいだって。
だから探したらすぐ見付かった」
「家、入ったんか?」
「ううん。部活終わって遅かったから、遠慮した。
でも今日なら昼間だし、遊びに行っても大丈夫かなーって」

余りの内容に、忍足は今度は目眩を起こしそうになる。
会話から察すると抜け出した後、リョーマの家に押し掛けようって相談になる。
今までは時間が遅いからと遠慮してたらしいが、そんなのはどうでもいい。

(一歩間違えると、ストーカーやで・・・)
天然はこれだから、タチが悪い。

ニコニコ笑ってるジローに、忍足はぴっと人差し指を突き立てた。

「あかんで、ジロー。部活さぼって家に来たって、リョーマは喜ばん」
「それは」

『せっかくレギュラーになれたんだから、ちゃんと練習するべきだよ』

リョーマの言葉を不意に思い出し、ジローはしゅんと項垂れた。
それに気付いたのか、忍足は「そうやろ」と頷く。

「行くなら終わってからにしとき。今日はいつもより早いし、訪ねて行っても大丈夫やろ」
「そうする。ありがと、忍足。俺、またリョーマを怒らすところだった」
「ええて。あ、リョーマのところに行くなら、俺も付いてってええか?顔、見たいし」
「うん、いいよー」

あっさり承諾したジローに、忍足は心の中で「これでリョーマの家がわかる!」と喜んでいた。

「そうと決まれば、メニューを一気に消化するで」
「そうだね」

のろのろ立ち上がるジローを、片手で起こす。

「さ、行こか」

よし、気合い入れるかと忍足がコートに入ろうとした瞬間、
「あ」
飛んで来た黄色いボールが、忍足の頭にヒットした。

「いつまで遊んでいるんだよ!侑士も!」
「今からやるよー」
「ったく。遅いんだよ、お前ら」
「岳人!イキナリは反則や!しかもなんで俺が!?」
「うるせー、サボってたお前が悪い」
もう一球打ち込もうとサーブを構える向日に、忍足は慌てて走り出した。
「今、今からやるから!」
「さっさとしろよ!」
「あーあ、張り切ってるなあ・・・」
向日のボールから逃げる忍足を横目で見ながら、俺もやるかとジローも大きく伸びをした。




あれから真面目に練習へ取り組んで、ようやく終了の時間になった。

「地区大会ってそろそろ終わるかなー?」
「そうやな」
「帰って来ないってことは」
「当然、優勝やろ」

各自解散なので、それぞればらばらに帰る準備をする。
当然、忍足達はリョーマの家へ行くつもりだった。

「で、ここを真っ直ぐでええんか?」
「ちょっと待って。遠回りになるけど、あっちのコンビニ寄って行こ」
「なんでや?」

急に押し掛けるのだから、何か持って行った方が好印象のはず。

ジローの提案に、なるほどと忍足も納得する。

「リョーマ、これ好きだと思う?」
「色々買いこんでおけば、何か好きなものにあたるやろ」
「そうだねー」

お菓子やデザートを買い込み、いざ越前家へと向かう。

「これで留守だったらどうしよう」
「今更そないなこと、言うな」

覚悟を決めて、インターフォンを押す。

「あら?こんにちは」
「こ、こんにちは」
中から出て来たのは、髪の長い綺麗な女性だった。
忍足とジローの制服を見て、小首を傾げている。

リョーマの姉だろうか?
思わず二人は顔を見合わせ、そして本来の目的を思い出す。

「あのー、リョーマいますか?」
「こら、ジロー!そんな言い方あるか!
スミマセン、越前君と同じ学校に通ってる忍足言います。こいつは、ジロー」
「初めまして、私は菜々子と申します」
「よろしくー!」
「だからそのノリやめい」
「リョーマさんを訪ねて来たのでしょう?どうぞ上がって下さい」
「いいんですか?あの、実は約束もしていないんですが」
「大丈夫。お友達が来てくれて、きっと喜んでくれますよ」

ふふっと菜々子は柔らかく笑う。
そう言ってもらえて、忍足もどこか安心する。

リョーマの喜ぶ顔が見れるのなら、来た甲斐がある。
早く会いたいと、菜々子に招かれるまま玄関へと入った。



「え、誰?跡部さんじゃないの?」
「ええ、わざわざ寄って下さったみたいです」

先へ入ったた菜々子は、早速リョーマを呼んでくれたようだ。
奥から、ゆっくりと歩いてくる。


「跡部?なんで跡部が出てくるの」
「さあ?俺にもわからん」

二人の会話に、忍足とジローは顔を見合わせた。
なんだか、イヤな予感がしたからだ。

「じゃ、一体誰が・・・?」
小首を傾げるリョーマに、ジローは我慢出来なかったのか声を上げた。

「リョーマ!」
「ジロー・・?」

急にジローが抱きついたせいで、リョーマの体がぐらっと傾く。
慌てて忍足が支えなければ、床に激突していただろう。

「リョーマ、元気だったー?」
「挨拶はええから、早うリョーマの体から退き!めっちゃ重いわ」
「侑士?ジロー?」

なんで家知ってるの、と呑気なリョーマの声が響く。

さて、どう説明したものか。
忍足一人だけが、頭を悩ませていた。


2004年09月06日(月) 盲目の王子様 37  大会の始まり

テニスサークルに入っている菜々子は、時々帰宅が遅くなることがある。

今日もそうだった。

「おかえり、菜々子さん」
「ただいま、リョーマさん」

ここまではいつもの会話。

けれど、次の菜々子の言葉にリョーマは耳を疑ってしまう。

「実は、今日。
途中で跡部さんに会ったので、車で送ってもらいました」
瞬時で固まってしまう。
そんなリョーマに気付かず、母親は菜々子へ顔を向けた。

「跡部君に?上がってもらったら良かったのに」
「ええ。ですが、今日は時間がないからと断られました」
「そうだったの。リョーマ、今度跡部君に時間がある時ゆっくり寄ってもらうよう言いなさい」

話しを振られ、ようやく意識を引き戻す。

「え?俺が?」
「当たり前でしょう。あなたの先輩なんだから」

先輩って、特に繋がりもないんだけど。
リョーマが口を開く前に、菜々子の言葉が被さる。

「私からもお願いします。今日のお礼を改めてしたいですし」
「はあ・・・」

二人に言われては、さすがに断れない。
ふぅっと息を吐いて「わかった」と答える。

「ところで、リョーマさん」
「何?」

母親が片付けの為、引っ込んだ途端、菜々子が耳打ちをする。

「跡部さんって優しい方ですね」
「は?」

初対面ではそうでもなかったような。
それに。ジローも言っていた。
跡部は女性にも優しくなんかないと。
この間、見るつもりじゃなかった告白の対応も良いとは言えないものだ。

もしかして菜々子が気に入ったのだろうか。
ぼんやりそんなことを考えると、くすっと笑い声が聞こえる。

「あの方、とてもリョーマさんを気に掛けているみたい」
「え!?菜々子さん、一体何を話したの?」

跡部との会話に、自分が出た。
一体どういうことだと眉を顰める。

(しかも、気に掛けてるだって?)

教えてよと問いかけるが、
「それは、言えません」
きっぱり断られてしまう。

「どうして」
「私の口からは、言うべきことじゃないと判断したからです」

菜々子が言わないと決めてしまったら、口を割らせるのは難しいだろう。
自分の考えを貫く彼女の強さを、リョーマは知っている。

「跡部さんは信頼できる人と、思いましたよ」
そっと肩に手が置かれ、離れていく。

一体、ここまで送ってもらう間に何の会話をしたのだろう。

(気になる・・・)

家に招待するついでに、跡部に聞いてみるとするか。

思わせぶりな菜々子の態度が、妙に引っ掛かる。








翌朝。
近付いてくる足音に、リョーマは足を止めた。
一番に近付いてくるのは、決まっている。

「おはよう、侑士」
「おはようさん」

忍足は毎日ここで待っている。
部活が終わった後、わざわざこっちに寄るのは手間じゃないのか。
「先に教室行ってなよ」
忍足の負担を考えて、そんな風に言ってもみたけれど・・・。

結局、『リョーマは俺に会いとうないんか!?』と、
やや泣き声が交じった声で詰め寄られ好きにさせている。

芝居とはいえ、泣くようなことかな。
だけどリョーマも忍足との会話は楽しいものだったから、
それ以上追求するのはやめた。

なんの間違いかはわからないが、忍足が友達と言ってくれたのは嬉しかった。
会話があまり得意と言えないリョーマだが、忍足やジローとは自然に会話できる気がしている。

「地区大会ってもうすぐなんでしょ」
「ああ。俺らは出ないけどな」
「レギュラーがでるのって都大会以降だっけ?」
「それまで暇やわ」
「練習があるじゃん」
「まあな」
他愛の無い会話を続けながら、校舎へと向かう。

ここの距離まで歩いてくると、いつも聞えてくる声がある。
これも毎度のこと。

傲慢としか聞えないはずの声。
今日は、その人のことを待っていた。

「いつまでもちんたら歩いているんじゃねえよ」
「うるさいわ。リョーマと会話してるんやから、邪魔すんな」
「おはよう、跡部さん」
「ああ」
「挨拶くらいまともにしたらどうや」
「お前もうるせえな」
両隣で繰り広げられる口論。
お馴染みのものなので、放っておくことにする。

それよりも、跡部へ言うことがある。
昨日の、件だ。
そう思ってどう切り出すべきか考えると、忍足がそっと腕に触れてきた。

「なんや?リョーマ、どうかしたか?」
「お前がウルサイから耳を塞ぎたくなったんだろうよ」
「なんやて?」
「あーん?やんのか?」
「二人共、うるさいよ」
「「・・・・・・・・」」
これじゃ落ち着いて話するところじゃない。

仕方なく、今朝は話することを見送ることにした。

(でも次、いつ会えるのかな?)
翌朝も、また忍足と騒いで終わりそうだ。

しかし跡部の教室がどこかなんて知らないし。


どうしようと悩むが、意外にもその機会は早くやって来た。





跡部がリョーマを教室まで尋ねて来たのは、これで二度目になる。
以前、睨まれた生徒は跡部の姿を見ただけで小さな悲鳴を上げ、
教室を飛び出してしまった。

跡部はそんな彼を気にも留めず、ずかずかと中まで移動する。

「おい、こいつ借りるぜ」
「は、はい」
だから借りるってなんだ。

『部長』に頭が上がらないカチローとカツオに、
溜息をもらしつつ、引っ張られる手をそのままに廊下を歩く。

「また昼ご飯に付き合えって?
どうでもいいけど、教室に来る時はもっと静かにしてくれない?」
「あれでも大人しくしている方だ」
「どこが」

手を引っ張られて、歩く。

「ねえ。前と同じ場所?」
「ああ。静かだからな」
「誰もいない?」
「誰も来ないから、安心しろ」

生徒会の執務室。
会長という立場を利用して、一人利用しているらしい。

(ま、いっか。静かな方がいいし)

割りきって、勧められた椅子に座る。
そして、自分の分の弁当を手探りで広げる。

「で、今日は何?」
また話しする為に、引っ張って来たのかと跡部に尋ねる。
けれど、怪訝な声で返答された。

「それはお前の方だろ」
「え?」
「今朝、何か言いたそうな顔していたからな・・・」

どうやらそれを気にして、教室まで来たらしい。
手間は省けたけど。
いちいち自分の表情を跡部は気にしているのだろうか。と、ふと思う。

「うん。昨日、菜々子さんに会ったんだって?」
「ああ」
「送ってくれたって言ってたけど。親切じゃん」
「そうだろ。俺様はいつでも親切だからな」

嘘ばっかり。
ヒドイ言葉で女の子を泣かしていたくせに。
知ってるんだけど。

さすがにその場面を見ていたとは言えず、ぐっと我慢する。

「ラケットバッグ抱えて、大変そうだったからな。こっちは車だし。
大したことはしてねえが」
「でもウチって学園の近くだよ?わざわざ戻るようなこと」
「車だったからな。わざわざなんてもんじゃない」
「へえ」
「ところで先に昼食にするか?腹、減ってんだろ」
「うん」

前回と同じように、跡部はこれも食え、あれも食えとおかずを差し出して来た。
味は文句無しに美味しいから不服はない。寧ろ嬉しい。

ただ、食べ方に問題がある。
いちいち跡部は箸で口元に運ぶのだ。

「ほら、口開けろって」
「子供じゃないんだから、自分でも食べれるから」
「この方が早い」
「・・・・・・・・」

(そりゃ、早いけど)

どこか跡部の声は面白がっているようにも聞こえる。
何が楽しいんだろ。

もう一度開けろと、箸を持ってない方の手が頬に触れた。

しょうがないと開き直って、口を開ける。

「そうだ。そのままでいろ」
「自分の分は?」
「お前が食べてる間に、口に入れてるから問題無い」
「あ、そ」

結構な量の食事と口に運ばれ、自分の弁当と合わせてかなりお腹が一杯になっていた。

「お茶、飲むか?」
「うん。どうも」
差し出された湯のみを受け取り、一口飲む。

「もう食べられないから」
「あれだけ食えばな」
「跡部さんがひっきりなしに、口に運ぶからじゃん」
「お前だって、なんだかんだと口開けっぱなしだったじゃねえか」

そうだったっけ?
首を傾げると、そうだと断言される。
でも仕方ない。開けろ開けろと跡部が言うから、条件反射になったようなものだ。

(反則な位美味しいんだよね・・・)

跡部はいつもそんな上等なものを食べているのか。
ちょっとだけ羨ましいと思う。

「ところで、話の続きをするか」
「あ、そうだ」
忘れちゃいけない話だった。

「今朝、言おうとしてただな」
「うん。母さんと菜々子さんがまた是非ウチに連れて来いって。
大会前で忙しいのはわかってるから、いつでもいいけど」
「そうか。地区大会が終わったら、お邪魔すると伝えておいてくれ」
「・・・・・わかった」

あっさりと跡部は承諾する。
リョーマは少し驚いていた。

(どうせ、そんな暇は無いといわれるかと思ったのに)

簡単過ぎると、目を瞬かせる。

「どうした?固まってるぞ?」
「あー、ホントに無理して来なくてもいいからさ、うん」
「前にも言ったろ。今度は手土産持参できちんと訪ねると」
「手土産はいらないって!そんなことしたら、またお礼に夕飯に招待するって言い出すよ」
「別に構わない」
「え?」
「招待されて断る理由もない。それとも俺が来ると迷惑か?」
「そう、じゃないけど」

そんな風に言われると、戸惑ってしまう。

(他にあんたを誘う人なんて幾らでもいるんじゃないのか?)

告白する女子生徒は多いと聞いている。
時間があるなら、デートにでも行けばいいのに。
何故、こっちを優先する気になるのか?

(わけわかんない)

「迷惑じゃないなら、行く」
「ああ、そう」
「変な奴だな。行くと返事するのがおかしいか?」
「ううん。きっと母さん達も喜ぶよ・・・」

ここで来て欲しくないと言ったら、どうなるんだろう。
なんとなく、跡部は自分がどう思ってるのか気にしてるようだ。

非常に、調子が狂う。
やりたいようにやってる奴だと思っていたら、妙に優しいところがあるから。

『あの方、とてもリョーマさんを気に掛けているみたい』
菜々子の言葉を思い出す。

言われてみれば、こういうことかと納得する。


「ねえ、昨日菜々子さんと一体どんな話したの?」
「いきなり、なんだよ」
「答えて」
今、すごく気になっていることだ。
いない所で、何を喋っていたのか。知りたい。

けれど、跡部は答えない。
「内緒だ」
「・・・・・内緒?」
「ああ。彼女との会話を、勝手に喋る訳にいかない」
「俺のこと、話してたんでしょ」
「聞いたのか!?」

がたん、と椅子を引く音が聞える。
跡部が立ち上がったらしい。

「なんでそんな動揺するの」
「いや、だって」
「詳しくは聞いてないけど。俺のことは、出たんでしょ?」
「なんだ・・・聞いてないのか」

ほっとするような声だった。

(そんな焦るなんて、変だよ!)

「ひょっとして、悪口?」
気分悪そうに尋ねるリョーマに、跡部は即座に否定をした。

「違う。悪口なんかじゃねえよ」
「じゃ、なんて言わないの」
「そういうこともある」
「ちっともわかんないけど!」

問答がしばらく続いたけれど。
結局、何も聞き出せずに昼休みは終わってしまった。



「気になるじゃんか」
教室に戻った後も、菜々子と跡部の会話がどういうものか考えていた。

表情は見えなかったけど、
跡部の優しい声に決して悪い話をしている訳じゃないのはわかる。
だったら隠す必要は無いのに、跡部は言わない。

(いつか聞ける、かな?)

その時には、この目が見えるようになっているだろうか。
そうであって欲しい。


焦ったような跡部の様子。

話しを聞く時には、ちゃんと表情が見たい気がする。


2004年09月05日(日) 盲目の王子様 36 芥川慈朗

また大声でリョーマの名前を呼びそうになり、ジローは慌てて自分の口を手で塞いだ。

この間叱られたばかりだ。
今日は上手くやらないと、また叱られてしまう。

本日のお昼休み。
珍しく目が覚めていたジローは、リョーマを誘いにやって来た。

きょろっと教室を見渡し、リョーマがいることをまず確認する。

するとクラスメイトとお喋りしている様子が見えた。

(良かった、いた)

すぐ近くにいた子に、ジローは「リョーマ、呼んできてもらえる?」と頼む。

「越前君、呼んでるよ」
「誰が?」

一緒にカチローもカツオも出入り口に目を向けると、そこには笑顔を浮かべているジローがいた。
慌ててお辞儀をするが、ジローは二人が誰だかわからず、曖昧に笑う。

(同じテニス部の子だったっけ・・・?)
思い出そうと首を捻るが、一向にジローの頭から二人の名前は出てこない。
ほとんど寝ているジローは、まだ新入生達の顔を把握していない。

「リョーマ君。芥川先輩だよ」

カチローの声にリョーマは少し驚いた顔をしたが、すぐに杖を持って席を立った。

「ちょっと行って来る」
二人に承諾して、リョーマはゆっくりと出入り口の方へ歩き出した。
後数歩と、確認しながら歩く。
見えないけれど、教室の構造はもうリョーマの頭に入っていた。

「リョーマ!」
「ジロー?今はお昼寝の時間じゃないんだ?」
少しからかうように、リョーマは笑った。

「だって放課後にリョーマと会えないから」
「それは仕方ないじゃん・・・」

ここ最近、ジローは真面目に部活へ通っていた。
本人の意志ではない。
リョーマの教室に行こうとすると、決まってと言っていいほど、ジローを迎えに来た樺地に邪魔されるのだ。
体格じゃ全く敵わない為、逃げようともがいてもどうにもできない。

どうせ跡部の命令だろう。
すぐに察したジローは直接本人に文句を言うと「地区大会も近いのに、さぼってるんじゃねえよ」と一蹴されてしまった。

「せっかくレギュラーになれたんだから、ちゃんと練習するべきだよ」
「リョーマまでそんな風に言う・・・」

跡部と似たようなことを言うリョーマに、ジローは拗ねた口調で返した。
が、すぐに目的を思い出し、リョーマの手をさっと掴む。

「それどころじゃなかった!リョーマ、早くお昼寝しようよ」
「え?」
「リョーマを連れていきたい場所があるって言ったじゃん。その為に今日はお昼休みに来たんだ」
喋りながらも、ジローはリョーマを引っ張って目的地へと歩き出す。

「ちょっとジロー、歩くの速いっ」
「急がないと昼休み終わっちゃうよ。本当はもっと早く来ようと思ったけど、4時間目からずっと寝たままでさー」
「・・・・それ、ご飯食べて無いってこと?」
「うん、そう。腹減ったー」

それでいいのか、とリョーマは首を傾げたが、ジローはどんどん先を歩く。
食欲よりも睡眠を優先させるジローにとっては、些細なことらしい。

「ここから外だけど、後で拭けば問題ないよね」

一階の渡り廊下から、直接ジローは外へと足を踏み出す。
靴を履き替えに行くよりも、近道だからだ。

怖々地面に片足を出すリョーマに、「大丈夫だから」とゆっくり手を引く。

「どこまで行くの?」
「ほんのちょっとだよ」

ジローが目指す先はプールの裏側にある。
ここを突っ切って行けば時間は掛からない。

「ジローっていつもそんな所で寝ているんだ?」
「時々ー。冬はさすがに外で寝ないけど」

一度風邪引いて懲りたと告げると、リョーマは笑い声を漏らす。

「普通、そんな寒いところで寝ないよ」
「まあね。でも寒くても眠かったから」

もうちょっと、歩けばすぐそこ。
しかしジローは人の気配に気付いて、その手前で足を止めた。


「ジロー?」
突然止まったジローに、リョーマは繋いでいた手を引っ張る。
「しっ」
「どうしたの」

そっとジローはリョーマの口を一指し指で押さえた。

「跡部がいる」
「えっ」

ちょうど体育館の裏側。

跡部が背中を向けて立っていた。

(なんでこんなところにいるんだよ)

跡部の体にほとんど隠れて見えないが、もう一人女子生徒もいるようだ。
顔を顰めて、ジローはリョーマの手を引っ張って死角へと移動した。

「どうしようか。反対側から回った方がいいかなあ」
見付かれば、間違いなく何をしてるかと追求されるだろう。
しかも連れているのはリョーマ。
青筋立てて怒る跡部の姿は容易に想像できる。

(リョーマのこと、跡部すごく気にしているみたいだC)

盲目の少年を見詰める。
けれどリョーマはジローの視線に気付いていないので、ただこの状況がわからずきょとんとしている。



跡部はリョーマのことに関して、とてもガードが固い。

『お前に関係ないだろ』

それだけを繰り返して、どういう知り合いなのか、ジローは未だ聞き出せていなかった。

(どうしてあんなに頑ななんだろう?)
跡部が他人のことに対してあんなにムキになるのを初めて見た、と思う。
その態度が何か隠していると余計煽っているのに、気付いていないのか。


「くだらねえことで、呼び出ししてんじゃねえよ」
急に響いた声に、ジローもリョーマもハッとして体を強張らせた。

「でも」
「部のことで意見があるって言われたから、わざわざ足を運んでみたらこれだ」
「それは、口実でもないと来てくれないかと思って・・!」
「小細工使うような奴は嫌いだ」
「跡部君・・・」
「失せろ」
短い跡部の言葉に、女子生徒は足を震わせ、それでも走り出した。

ちょうどジローとリョーマのいる方向だったが、顔を覆うように走っていた為、気付かなかったようだ。
跡部はというと背中を向けたまま、反対方向へ歩き、そして角を曲がってしまった。

「ねぇ、これって立ち聞きになる?」

居心地悪そうに、リョーマはジローのシャツをくいっと引っ張った。

「う、うん。結果的にはそうなっちゃったかも」

聞く気はなかったが、しっかりと内容は耳に入ってしまった。

「うわー、跡部に知られたら怒られるよ、絶対!」
しかも立ち聞きにリョーマを付き合わせたと知られたら。どうなるのか、考えたくもなかった。

「そうなの?」
「うん・・・・。お願いリョーマ。今、聞いたことは黙っててくれる?」
「いいけど。それに誰かに言うつもりはないし」
「良かったー。跡部にも何か言っちゃだめだよ、絶対」
「う、うん」

無理矢理、小指を絡ませる。

「約束だよ」
「うん」

約束はしたももの、なんだかリョーマは納得しないような顔をしている。

何だか引っ掛かって、ジローはそっと聞いてみることにした。

「リョーマ、どうかした?」
「跡部さん。今の、あれなんでしょ」
「あー、多分告白」
「それ。あの人、いつもああなの?」

『くだらねえことで、呼び出ししてんじゃねえよ』

どこまでも俺様だと、リョーマは顔を引き攣らせた。

「いつもあんな感じだよ」
「やっぱり、そうなんだ」
「うん。跡部は興味無い人間には徹底して冷たいから」

そう。一貫して空気のような扱い。まるでそこに存在しないかのように。

「へえ。それなのに人気あるんでしょ。変なの」
カチロー達からの話によると、部長の周りには取り巻きが絶えないとリョーマは聞いていた。
声援に贈り物。告白する人は後を立たないだの。
ファンクラブの話もクラスの女子の会話からも耳に入る。

「まあ問題もあるけど、やっぱり顔はキレイだもんねー」
「へえ。そう思う?」
「うん、まあね。それにテニスやってる時の跡部って、すごいって思えるし。
そういうとこ見てると、やっぱり好きになっちゃう子もいるんじゃないかなあ」

性格にはかなり問題があるが、テニスに関しては文句のつけようがない。
氷帝の頂点に相応しいと、ジローも思っていた。

「ふーん。ジローもあの人のテニスすごいって思っているんだ」
「そこは認めるしかないよ。俺、一度も跡部に勝ったことないC」
「え、そうなの」
「うん。というか、レギュラー全員だけど」

だから跡部に文句を言う部員は一人もいない。
200人を束ねるだけの実力は兼ね備えているからだ。

「っと、跡部の話してる場合じゃない、早く昼寝しに行こう!」
「あ、そっか」
何しに来たのか思い出し、ジローは慌て始めた。

残り時間はそんなに無い、と思った瞬間。

「予鈴・・・・」
「あーあ。鳴っちゃった・・・」

鳴り響く予鈴に、ジローはがっくり肩を下ろす。
一瞬、さぼろうかと思うが常習の自分はともかくリョーマを巻き込む訳にはいかない。

「ごめんね、また今度案内するから。必ず」

やっとのことで告げると、リョーマは顔を上げてそして頷いた。

「うん。また今度」
「約束する?」
「してもいいよ」

そして小指を絡ませる。

この姿も見られたら、跡部怒るのかな?
そんなことが頭に過ぎり、ジローは慌てて首を振った。

「ジロー、そろそろ帰らないと」
「リョーマ、約束のことも内緒だからね!」
「はあ?」

無関心でいられないってことは、どう考えてもリョーマは跡部にとって特別な存在だろう。

(すっげー、意外っちゅうか)

ぽりっとジローは頭を掻いて考える。

女の子達に対して、ヒドイ振り方をする跡部は好きじゃなかった。
良いところもあることは認めているが、
人を飽きたおもちゃみたいに捨てる様子は見ていられない。

いつか、きっと跡部自身が傷付く。
誰か傷付けた分だけ。

そんな心配をしていた。


(リョーマに会って、跡部は変わったのかなあ?)

明かに態度が違う跡部の様子は、別人かと思うくらいで。

大事にしようとしてるのはわかるが、
誰にも近づけさせないような独占欲も丸出しだ。

(やり方、全部が間違ってるとは言わないけど、もうちょっとなんとかならないかなあ)

どんなに跡部が頑張っても、リョーマの一番の仲良しは自分がなるんだ!とジローは一人勝手に決めていた。


「越前と、芥川・・・?二人で何をしている」

校舎に入って、二人で教室へと歩いていると後ろから声を掛けられる。

「監督っ!?」
「榊先生、どもっす」

ぺこっと頭を下げるリョーマに、ジローも慌てて頭を下げる。

(うわ、監督。めっちゃ俺のこと見てる!)

色々噂は聞いているけど、実際リョーマと監督が一緒にいるところを見るのは初めてだ。

榊の鋭い視線に、ジローはたらりと冷や汗を掻く。

(で、でも悪い事している訳じゃない!
リョーマと仲良くしてるだけだC)

「知らなかったが・・・越前は芥川と知り合いだったのか?」

リョーマとジローを交互に見て、尋ねる。

「この間から」

普通に返事をするリョーマに、榊は「そうか」と呟いた。

「芥川」
「ハ、ハイ!」
「越前とは仲良いのか?」
「それはもう!一番の親友くらいに!」
「ジロー、それは大袈裟過ぎだって」
「でも、いずれそうなる予定だもん」

黙って榊は二人のやり取りを見ていた。

「越前、良い友達がいて良かったな」
「はあ」
「二人共、もうすぐ授業が始まるが遅れないように。
私も授業があるから、これで失礼する」
「はい」

音楽室に向かうのであろう榊を見送って、ジローはほっと息を吐いた。

「すっげー、緊張したー。まさか監督に会うとは思わなかった!
準備室にいつもいると思ったから油断してたよー」
「ジロー、なんで緊張するの?いつも会ってる監督でしょ?」

のんびりとしたリョーマの声に、ジローは声を落として囁く。

「いつも緊張するって!監督、マジ厳しいんだよー。
それにリョーマと歩いているとこ見て、なんて思ったか」
「俺?」

しまったと、ジローは口を噤む。
でも言ってしまった言葉が、戻るはずもない。

「そっか。ジローも聞いてるよね。
あれだけ噂になってれば・・・」

小さく笑うリョーマを見て、ぎゅっと手を握る。

「ジローも、聞きたい?榊先生が、一体なんで俺に便宜を図ってくれているのか」
「いいよ、リョーマそんなこと言わなくって。
俺、知りたいなんて言ってないじゃん」
「・・・・・・・ごめん」

怒った口調のジローに、リョーマは謝罪する。

(そんな顔、しないで)

きっと今までも、榊との噂でイヤなことを言われたのだろう。
リョーマを安心させる為、ジローは口調を優しいものへ変えた。

「俺も、ごめんね。変な言い方しちゃったせいで。
でも、リョーマと仲良くしたいのは本当だから。
それだけはわかって欲しいんだ」
「ジロー」
「監督ってリョーマのこと大事にしてるでしょ。見ててわかるよ。
そのリョーマと仲良くしてるの見られて、こんな奴と!と思われるのが怖かったんだよ」

「バカだね」とリョーマはやっとちゃんとした笑顔を見せた。

「榊先生はそんなこと言わないよ?
それにジローが良い人だってわかってるはず」
「そうかなあ?寝てばっかりの変な奴って思われてる気がするけど」
「あ・・・そっか」
「リョーマも同意するなよー」

くすくす二人で笑い合う。

「じゃ、これからもリョーマと仲良くしてもいいんだよね!」
「大声で名前を呼ばなければ」
「気をつけます」

そこへ本鈴のチャイムが鳴り響く。

「やっば!リョーマを遅刻させたら大変だよ!怒られちゃう」

急いで、とリョーマを引っ張って教室へと走る。


「またね、リョーマ!今度はちゃんと昼寝しようね」
「うん、約束」

無事教室へ届けた後、今度は自分の教室へとジローは全速力で走り出した。


(あー、のんびりした昼休みを過ごす予定だったのにー。
跡部に、監督に。ちっともリョーマとお昼寝出来なかった!)

しかもどちらもリョーマを大切にしている者と会う(跡部は影から見ただけだが)なんて。

(一人でリョーマを連れ出そうとした、所為かな?)

榊はともかく、跡部が知ったら間違いなく私怨を交えて走らされそうだ。

(でも、負けないもんね)

一番の仲良しを目指す。
それだけは、譲れない。


2004年09月04日(土) 盲目の王子様 35 忍足侑士

「なあなあ、跡部って監督に怒られてたと思うか?」

部活終了後。
忍足に向かって、向日は小声で囁く。

皆、気にしていた今日の出来事。


監督に跡部が呼ばれるのはよくあることだ。
それは部員達への指示なのだから、
不自然でもなんでもない。

でも、今日の監督の印象はいつもと違った。

向日が言うように、監督が跡部に対して怒ってると見えても仕方ない感じだった。


「さあな。跡部が怒られるようなヘマするとは、思えへんけど」
「じゃあなんだろー。ひょっとして他の部員が何か問題起こしたから、その責任を取れとか?」

なんだろうと唸ってる向日から顔を背け、忍足は跡部とリョーマのことを考えていた。

(監督が跡部を呼び出したのは、今日の一連の出来事の所為か?
リョーマの為に動いたこと、監督の耳にも届いてるやろうし)

昼休みに見た跡部とリョーマの様子から見ても、確定している。

やっぱり跡部は監督に頼まれたからリョーマを庇っているわけじゃない。


(興味本位か)

たしかに跡部が入れこんでいたのを見て、リョーマに近付く気になった。
榊監督という後ろ盾を得た少年と歩いているから、
てっきり裏で何か取引でもあったかと思っていた。
おもしろそうだと好奇心が働き、リョーマに話し掛けたけれど。

(今は違う)

跡部にだって負けないくらい、彼の力になってやりたいと考えている。


「ジローは、どう思う?」
「跡部が怒られようが別にどうでもいいよー」

向日は次に、ジローへ声を掛ける。
が、眠そうにジローは欠伸交じりで答えた。

「どうでも良くねえよ!
あの跡部が監督に叱られるって想像してみろ」
「・・・・で?」
「面白いだろ!いつも俺達に偉そうにしてやがる跡部が、小さくなってるんだぞ?」
「別にどーでもいいやー」

だめだこいつ、と向日はジローの反応を見て顔を顰める。

「しっかし原因はなんだろうな。
ひょっとしてあの一年を怒らせるようなことでもしたのか?」
「岳人」

忍足は素早く向日のシャツを引っ張ったが、
ジローはしっかりと聞いていた。


「あの一年って?跡部が一年生になにかしたの?」
「ほら、監督が入学させた越前リョーマ。
跡部ってあいつの面倒見てるんだろ?
だから越前の機嫌を損ねたら、跡部といえどもまずいことになるんじゃないかって」
「リョーマがそんな告げ口する訳ないじゃん!」
「へ?」

ジローの剣幕に、向日は目を見開く。

「きっと別のことだよ、跡部が勝手にへまやったんだ!」
「ちょっ、ジロー。落ち着けって」
「ジロー、やめい」

ジローと向日の間に忍足は割って入った。

「なんだよ、ジロー」
「別に、俺は」

俯いてぶつぶつ呟くジローの肩を、掴む。

「もう、いいから。リョーマが告げ口するような奴じゃないこと位、わかっとる。
けどお前が反論してもどうにもならんやろ」
「でも」
「事情がわからん奴から見たら、そういう見解もあるっちゅうことや。
いちいちケンカなんかするな。リョーマが聞いたらどう思う?」

リョーマのことを持ち出すと、さすがにジローも黙り込んだ。

(効き目は絶大やな)

ジローも相当リョーマを気に入ってるようだ。

知らない間にどんな話をして仲良くなったか、気になる。


ちんたらと着替えている忍足とジローに、
先に身支度を整えた向日が「お先に」と声を掛けて出て行く。

「ねー、忍足」
「何や」
「跡部って、監督の命令でリョーマの面倒みてるの?」

さっきの向日の言葉を気にしていたらしい。
小声で、問い掛けられる。

「俺には、とてもそうは見えないんだけど」
「ジローもか。俺も同じや」

二人で顔を合わせて、頷く。

「でもさ、跡部ってそんな親切な奴だっけ?」
「ああ。今までの行いからみると、とても信じられへんな」

ついこの間だって、女の子をこっぴどく振ってヒドイ奴と評価したところだ。
人はそんな簡単に変わるものだろうか。

「・・・今までと違う行動をしてしまう位、リョーマが特別ってことなのかな?」

何気なく言ったジローの言葉に、忍足はぎょっと目を見開く。

「計算も無く、純粋にリョーマの為に行動してるなら。
跡部とリョーマが仲良くしてても文句はないけど」
「・・・・・・」
「でも、やっぱりイヤかな。
俺がリョーマと一番仲良しになるんだC」
「へ?」
「うん!やっぱり跡部は追っ払ってしまおう」
「ジロー?」

勝手に納得して、決めてしまったようだ。

行くよと、忍足も急かされ一緒に部室を出る。

「跡部になんか負けないように、頑張るぞー!」
「そうか・・・」

ジローの行動も純粋だ。
リョーマを気に入って、仲良くしようとしているだけ。

それが、跡部も同じだったなんて。

監督と跡部の間で取引でもあったかと勘繰り、
近付いた自分が一番不純だ。


『興味本位で越前に近付いている訳じゃねえだろうな』

たしかに跡部に、あんなこと言われても返す言葉は無い。

(リョーマ、ごめんな)

でも、今の気持はあの時と違うから。






















早く来てくれと、忍足は祈るように校門で待ち人を探していた。

朝練の解散の合図と共に、部室へ走り込んで急いで仕度してここまで来た。

今日だけは、跡部に邪魔されたくない。
飛び出した忍足を跡部は気にしてたようだけど、ちょうど生徒会の役員がコートまでやって来て捕まっていた。
あの様子なら、すぐにはこれないだろう。

(来た)

杖の音を立てながら、リョーマが歩いてくる。

「リョーマ!」

名前を呼ばれ、リョーマはびくっと体を震わせてきょろきょろと辺りの様子を伺っている。

「ここや」
そっと忍足は腕に触れた。

「侑士・・・。急に大声出すからびっくりしたじゃん」
「すまん。リョーマと会えた嬉しさから、つい」
「全く。ジローにも注意したけど、俺の名前を叫ぶの、禁止」
「あ、ああ。わかった。ジロー叫んだのか?しょうがないやっちゃな」
「侑士だって同じことしたくせに」

ふっと、リョーマは笑う。
本気で怒っているわけでは無さそうだ。
それを見て、忍足は安心した。


『リョーマは笑っている方がいいよ』
前にジローが言った言葉だ。
俺もそう思う。


顔を見た途端、何を話したかったのか上手く言えずに、
忍足はそのまま無言でリョーマの隣を歩く。

(跡部と一体、どういう知り合いなんや?)
(俺が何も知らなかったこと、跡部が知ってるのはなんで?)


これじゃまるで跡部に嫉妬しているみたいやな。
みっともないと、忍足は苦笑する。

嫉妬とは、少し違う。
けれど、悔しかった。

助けてやると勝手に誓っていた相手が、知らない所で問題に巻き込まれ、
手助けできないままで終わったこと。
それを跡部がやってのけたこと。
側にいてるのが、なんで俺やなかっんや。
それが悔しい。


沈黙のまま歩いていると、ぽつっとリョーマから口を開く。

「今日の侑士、静か」
「そうか?」
「そうだよ。いつもなら息する暇のない位、喋っているくせに」
「息くらいしてるて」
「そういう風には聞こえないけど」

また会話が途切れてしまう。
どうしようかと、忍足は空を仰ぐ。
折角邪魔も入らなさそうなのに、言うべき言葉が出てこない。

「部活・・・大変だった?」
どうやらリョーマは今日の練習で、忍足が疲れたと思っているらしい。

「毎朝、レギュラーは沢山のメニューをこなすって聞いたけど」
「まあ、いつものことやから大したことないって」
「そうなんだ?」
「それより気に掛かっていることがあってな」

ごくっと唾をのんで、さり気なく忍足は話を切り出し始める。

「あんな、助けようと思っていた奴がいたんや」
「それで?」
「なのに俺はそいつが困っとることを、気付かなんだ」

一方的だったけれど、たしかに約束したのに。

「他の奴がどうにかしたんやけどな。本当は俺が手、貸してやりたかったんや」
あーあ、と溜息つく。
「それが気に掛かってること?」
「そうや。最初は興味本位で近付いたかもしれへん。
でも今は違う。だから余計に助けられへんかった自分に腹が立つ」
「えっと、その人は侑士に助けを求めてないってことだよね?
なんでそこまで責任感じないといけないのかが、わかんないんだけど」

うーん、と唸るリョーマに、忍足は苦笑した。

ただの独占欲かもしれない。
誰にも手を貸して欲しいと言わない君に、いつでも一番に手を伸ばす自分でありたい。
そんな下らない、独占欲。

「ええんや。ちっぽけな自分に、落ち込んでいるだけやから」
「ふうん?」
コツコツと歩く杖の音が、不意に止む。

「リョーマ?」
足を止めてしまったリョーマに忍足が一歩体を近付けると、手を伸ばされる。
手を差し出すと、小さな手が忍足の手首を掴んだ。

「侑士は良い奴だよ」
「リョーマ」
「この間の・・・俺の為に頭下げるって言ってくれたこと、すごく嬉しかった」

ニコ、と盲目の少年は笑う。

「ちっぽけなんかじゃない。侑士はちゃんと他人のことを考えてあげられる人だよ。
だからそんな風に言わなくてもいい」

わかった?とリョーマは手に力を込める。
どうやら、慰めてくれようとしているらしい。

「・・・リョーマがそういうのなら、この件で落ち込むのは止める」
「うん」

リョーマにはちゃんと自分の言葉が届いていた。
助けられなかったことをいつまでも悔やんでも仕方ない。
そうだ。これから先はちゃんと手を伸ばしてやれば、いいのだから。

「あいつより、先にな」
「え?」
「なんでもない。行こか」

校舎の方へ顔を向けると、早歩きでこちらに向かって来る跡部が見えた。
どうやら役員達を振り切ったようだ。

また間に割って来るに違いない。
離されないように。
忍足はリョーマの手を強く握り直した。


2004年09月03日(金) 盲目の王子様 34 跡部 榊

当然のように遅れてコートに入って来たジローに、
跡部は「走って来い」と言い渡した。

「またどこかで昼寝してきたんだろう。
地区大会も前に、少しは気合入れろ」
跡部の嫌味を聞き流すかの様に、ジローは欠伸を一つする。
「おい、聞こえてんのか」
「ランニングしてくれば良いんだろ・・・・」
どうやら耳には入っているらしい。

だけど跡部の方を見向きもせず、ジローは走りに行こうと歩き出す。

「結局、リョーマにも会えなかったし、ついてないー」

ジローの小さな呟きが聞こえ、跡部はぎょっと目を見開いた。
(あいつ、ただ昼寝して遅れたかと思っていたが、越前を探していたのか)
どうやら今日は会えないまま部活に顔を出したらしいけれど、
明日は顔を合わせるかもしれない。
(樺地に、ジローのクラスまで迎えに行かせるか)
ごねたら、地区大会が近い間は練習の強化をするとか適当に言い含めて連れてこれば良いだろう。
レギュラーが毎日遅刻してばかりでは、他の部員に示しがつかないから仕方ないことなのだ。

「ジロー!跡部に走らされるのかよ」
「うん、そう」
「あいつ、ちょっと独裁過ぎだよな!俺もさっき走らされたばかりだしよ」
「おい、また走らされたいのか?」

べーっと舌を出して、向日はコート端へと逃げてしまう。
ジローはそのやり取りを見てぼんやりしてたが、ランニングする為に、コートから出て行った。


やれやれと跡部は眉間に皺を寄せ、ジローや忍足のことを考え始めた。

ジローもそうだけれど、忍足もやたらとリョーマに近付きたがっている。
正直言って、不愉快だった。

決して、知らないところで越前がジローと仲良くなるのが面白くないからとかそういう訳じゃない。
多分。

誰も聞いていないのに一人で言い訳じみたことを考える自分に気付き、苦笑する。

(越前が現れてからというもの、どうにも調子が狂っている気がするな・・・)

しかし決してイヤな気分ではない。
むしろ、心地良いような気持ちだ。

何故だろう。

リョーマは今までにない感情を与えてくれているようだ。
それが何かは、まだわからないけれど。



「跡部」


慌てて振り返る。

今の声は、送れてくると聞いていた監督のものだったからだ。
コートの喧騒が、一瞬で静かになる。

「話がある。・・・他の者は練習を続けるように」

着いて来いというように、背中を向け榊は歩き出してしまった。

動きを止めてた部員達は、監督の指示に一斉に動き出す。

その中で跡部だけはラケットを置いて、先へと歩く榊を追った。


「どういうつもりだ」

完全に人気の無い中庭まで出て、榊はようやく振り返った。

全部知っていると、跡部は一瞬で悟る。
嘘もごまかしも許さないといった、榊の表情にさすがに怯むが、目は逸らさず答える。

「どういう、とは」
「越前のことだ。私が何も知らないとでも、思っているのか?」

今日取った行動は、やはり榊に筒抜けだったようだ。
いずれは耳に入るとは思っていたが、こんな風に直接聞いてくるとは予想しなかった。

’盲目の少年の入学には、榊が関わっている’
その噂を知ってるだろうから、表立ってリョーマの名前を出してくることは無いとタカを括っていた。
けど、それは勘違いだった。

榊は全部理解した上で、問い質しにやって来た。

たしかに今日の嫌がらせは、跡部が以前取った行動によって起きたものだ。
乗り込みなんて真似したせいで、あの一年は部を追われることになったのだ。
そしてリョーマに怒りの矛先を向けるとは予測出来なかったとは、言い訳にもならない。それは認める。
もっと上手いやり方があったはずだ。
けれどあの時は、頭に血が上って我慢出来なかった。
杖を取られ、手探りしながら壁を伝って歩くリョーマを見て、跡部は完全に冷静さを失った。

榊はそれを咎めているのだと、跡部はようやく理解した。


「心配するような事は、何もしていません。問題なら全て片付きました」
真っ直ぐに榊の目を見て、跡部は答えた。

(問題がこの先起きても、全部片付けてやる。全部、俺の手で)

引くつもりは勿論無い。

「そうか、お前が言うのなら信じよう」
跡部の態度に強固なものを、榊は感じたのかあっさりとそんな風に言われてしまう。
ほっとしたのもつかの間、榊の目が鋭く光った。
「だが越前をむやみに不安にさせたり、混乱させるような真似はするな。
勿論、傷付けるようなことも許さない。
私が言いたいのは、それだけだ」

行ってよし、と榊は跡部に背中を向ける。
それで、話は終わりらしかった。

(必要以上に関わるなと、釘を刺したつもりか?)

「ハイ、失礼しました」
一切の質問を受け付けない、そんな背中に礼をして、跡部はその場から離れる。



監督から警告に受けても、もう遅い。
多分この先も、盲目の少年に関わってしまうだろう。
自分から、進んで。


混乱や不安、そんなもの越前に与えるものか。
寧ろ心配なのは、自分のいない所で彼が助けを求めず歩いて行こうとすることだ。
もう、あんな越前の姿は見たくない。
もしまた杖を失っても、必ず探し出して手を伸ばしてやる。
小さな彼くらい、何からも守れるはずだ。








(あの様子だと、言っても聞かないようだな)
跡部が行った後も、榊はリョーマと跡部のことを考えていた。

どこでどう二人が知り合ったのか、榊は知らない。

ただ杖の件も今回のことも、報告は受けている。
跡部が出なくても、榊は裏から手を回し全部リョーマを助けるつもりでいたが。
まさか、こんなことになるとは思ってもみなかった。

我の強い生徒だと思ってはいたけれど、跡部は今まで全部自分の為しか動いてないはずだった。
部員のことはきちんと見ているが、それは結局戦力に繋がるからだ。

一体、越前との間にどんな利益があるのか。
それとも無償で心を砕いているのか?
ビデオの件で興味を持っている?
だから近付いて、何があったか聞きだそうとしているとか。

だが、悪いようには見えない。
跡部の言葉や態度からそれくらいはわかっていた。

けれど。
リョーマは盲目になったことで相当気が張っている。
無理な強がりをしている位、とっくに気付いていた。

今は、目を治す事だけを考えて欲しい。それだけだ。
(面倒なことに巻き込まれなければいいが・・・)

もし跡部がリョーマの為にならないというのなら、いつでも引き剥がす覚悟でいた。

(そうならないことを、祈るしかないか)


跡部は良い方向に変わってるように見えた。
最近、リョーマも学校が楽しそうだと聞いている。

お互い、悲しむようなことさえなければそれで良い。

(今は見守るだけ)

それしか出来ないこと位、榊は理解していた。










コートに戻っても、跡部は黙ったままだった。
忍足やジロー、他の部員は何か妙な空気を感じながらも、いつも通りにその日の部活を終えた。


2004年09月02日(木) 盲目の王子様 33 忍足侑士

一体、どういうことや?

リョーマの教室へ行こうと思っていた忍足は、
意外な組み合わせを見掛けてしまった。

跡部と、リョーマ。

(何してんねん・・・)


今日の跡部の行動は、お昼休みには忍足の耳へ届いていた。


サッカー部の部長を呼び出して、何をしたのか。

『部内で問題があった、それを咎められただけだ』

青い顔して、跡部から開放された彼は多くは語らない。
関わりたくないといったところか。

さすが生徒会長。小さな揉め事でもご自分で解決されるのね。

女子生徒は高い声で跡部を褒めていたが、
忍足はもっと別の理由があるのではないかと考えていた。

生徒会長だからといっても、跡部が他の部の問題に首突っ込むはずがない。
誰かに指示をする程度だ。
例えテニス部でも、自ら他人のことに口を挟むような真似はしないだろう。

今回、跡部は何故動いたのか?

(ひょっとして、リョーマが関係しているんやないか)

傍目には仲良く歩いてる二人を見て、忍足は考える。


今日の行動が全てリョーマの為だとしたら?

少し前、跡部がサッカー部に乗り込んだと聞いた。
その時、ある一年生を問い詰めたらしい。

その一年が気に入らないことでもしたのかと、思ったが。
もしリョーマに関係していることなら?

それとも一年生と聞いて、すぐにリョーマを連想するのは考え過ぎなのか。

しかし、あの盲目の生徒がクラスメイトと揉めたと言うのも聞いている。
それは、今日の出来事だ。


跡部がサッカー部の部長を呼び出したこと。
その部長が問い詰めた一年生。
リョーマが揉めた相手。

関係無いとは言い切れない気がする。


保健室前で止まった二人に、思い切って声を掛けてみた。

「リョーマ!偶然やなあ。どないしたん、怪我でもしたんか?」
「忍足・・・」
「侑士?」

ぴくっと体が揺れたリョーマの肩にそっと触れる。
跡部が睨みつけるが、気にせずリョーマに話しかける。

「保健室に何か用なんか?昼寝するっちゅうなら、添い寝したるわ」
「てめえはもう喋るな」

さっとリョーマの手を掴み、跡部は忍足から距離を取らせた。

「それから、そこをどけ。扉の前に立っていたら越前が入れないだろうが」
「何や、偉そうに。って、リョーマ。ほんまに昼寝するんか?」
「昼寝じゃないよ。次、体育だからここで授業終わるの待つことになってんの」
ガードしている跡部が見えてないせいか、リョーマは普通に忍足へ説明をする。

「ほなら俺も次の時間はここで」
「さぼるつもりか。担任に報告させてもらうぜ」

過ごそうかと、続く忍足の言葉は、跡部の凶悪な視線によって飲み込まれた。

(こいつ、本気や!)
半分本気で授業をさぼろってリョーマと過ごそうかと思ったが、
そうはいかないらしい。

「はいはい、そこに立っていられると邪魔ですよ」
「おばちゃん・・・!なあ、具合が悪いんや。ベッド貸してくれへんかー?」

昼休みの食事に言っていたのか、保険医のおばちゃんが三人の間に入って来た。

当然、忍足のウソを聞き流し、
「何言ってるの、具合が悪いのなら榊先生に部活に出られないって伝えるわよ」
と言われてしまう。

「越前君は体育の時間だったわね。どうぞ、入って」
「あ、ハイ」
「俺との対応とズイブン差があるやんか」
「当たり前でしょ。あなた達は次の授業があるんだから、さあ帰った、帰った」

タイミング良く、予鈴が鳴り響く。

「しゃあないわ、またな、リョーマ」
「あら?越前君とお知り合いなの?」
「友達になったところや。なあ、リョーマ」
「はあ・・・」

複雑そうな顔をするリョーマに、跡部も「じゃあな」と声を掛ける。

「あ、うん。今日は、どうもっす」

跡部とも友達なの?と視線を送るおばちゃんに、「失礼します」と跡部はさっさと廊下を歩き始める。

「ちょお、跡部。待てって」

慌てて忍足も跡部の後を追い掛ける。

「リョーマと何があったんや。お前、今まで一緒やったんか?」
不可解な跡部の行動。
と、礼を言ってるリョーマ。

やっぱり今日の出来事は、全部リョーマに繋がるんじゃないのか。

そんな目で跡部の横顔を、眺める。

「てめえに何の関係があるんだ?越前の友達だからって、話す必要なんかねえだろ」
忍足の方を向きもせず、跡部は前を見たまま言い捨てた。

一瞬腹を立てたが、忍足は自分を宥めてもう一度訪ねる。

「あのな、リョーマが今日クラスメイトと揉めたって聞いて・・・。もしその件でお前が動いたなら、
俺かてじっとしとれへん。何かしたいんや。わかるやろ?」

聞いているのかいないのか、跡部はじっと険しい顔をしたまま前を見詰める。

(あかんわ、喋る気無いみたいや)

わかっとったけど、と忍足は肩を落とす。

知らない間に跡部が動いて、全部終わってしまったことに今更ながら後悔する。

(ちょっとだけでも、支えになってやりたい思うてたのにな)

それもこれも全部跡部が、先に動くからだと八つ当たりなことを考えてしまう。

「興味本位で越前に近付いている訳じゃねえだろうな」
「は?」

気が付いたら、もう跡部のクラスの前まで来ていた。

扉に手を掛け、跡部は背中を向けたまま呟く。

「そうだとしたら、もう近付くな。わかったな」
「跡部?」

さっと跡部は教室に入って行ってしまう。

「なんやの、一体・・・」

興味本位って、と忍足は呟く。

本鈴が鳴るまで、しばらくそこに立ち尽くしていた。














「わからん」
「侑士。いい加減集中しろよ。そりゃ俺達は関東まで出番は無いけど」
パートナーの声を無視したまま、忍足は跡部を観察していた。

結局、あの後リョーマとは会っていない。

保健室から帰るところを捕まえることも出来ただろうが、
それをしなかったのはお昼休みに聞いた跡部の言葉の所為。

(興味本位か)

あんなことを言われるなんて思わなかった。

跡部は本気でリョーマのことを気遣っているようだった。

榊に頼まれたからだと推測していたのは、どうやら違うらしいと、やっと理解する。



「おい、侑士聞こえているのかよ!?」
上の空の忍足に、向日はいい加減痺れを切らして声を荒げる。
「あ・・?」
「さっきから見てりゃ、跡部の方ばっか視線送って。お前まさか、跡部に気があるんじゃ」
「アホ言え!勝手なこと大声で言うな!」

思わずベンチから立ち上がって、忍足は叫んでしまう。

しん、と一瞬周囲が静まる。
そこで二人は視線を集めたことに気付いた。

「お前ら、何さぼってるんだ?」
偉そうに腕を組んだ跡部が二人のいるベンチへ歩き、低い声を出した。
目が、怖い。

「俺はサボっていねえよ。侑士だけだろ」
「俺だけかい!」
「黙ってろ。連帯責任で10周走って来い」
「勝手に命令するなよ!」
「増やされたいのか?」
「・・・・・・・・・くそくそ侑士め」
小声でぼやいて、さっと向日は走り出してしまう。
もたもたしていると、本当に増やされかねないからだ。

パートナーの背中が怒っているのを見て、忍足は溜息をついた。
これは部活が終った後、何か奢らなければならないだろう。
でないといつまでも機嫌は直らない。
怒った向日はとても怖いのだ。

「お前も早く走って来いよ」
「へーい」
のろのろ歩き出した忍足は、ふと立ち止まる。
振り返ると、偉そうに腕を組んだ跡部と目が合った。
「なあ、跡部」
「あーん?もっと走りたいのかよ」
「そうやない!あんな、・・・・」

言いかけて、口を閉じる。

「なんだよ」
「いや、やっぱやめとく」
「はあ?・・・・お前まさか本当に俺様に気があるんじゃねぇだろうな」
「違うわ!ああ、もう岳人がいらん事、言うから」
頭をかきむしる忍足を、跡部はふっと鼻で笑う。
「バカか。本気にするかよ」
「そうか・・・」

もう走って来ようと、忍足は跡部に背を向けた。


『今までお前が他人の為に、行動起こすなんて無かったやろ。
自分でわかってるのか?』

リョーマに対する跡部の対応は、明らかに今までと違っている。

どう考えてもやはり榊絡みでは無いだろう。


本心からリョーマの為に動いているなら、構わないはずだ。
同じようにリョーマを心配し、僅かながら力を貸す。

忍足と跡部とどちらが手を貸そうが、リョーマの負担が軽くなるのは同じ。
そう、その時近くにいる者がやればいい。

(けど、なんやろうな。この割り切れん気持ちは)



いつでも頼ってと約束したのに。

自分の知らない所で、何かに巻き込まれてそれでも助けを求めないリョーマが目に浮かぶ。

知らなかったからと言い訳にもならない。

ぶるっと首を振って、忍足はスピードを上げて走り出す。

「跡部よりも、先に手を貸してやりたかったんやけどな・・・」

考え事をしている間にパートナーはとっくに走り終わったみたいで、
ベンチに座って水分補給しているのが見えた。


2004年09月01日(水) 盲目の王子様 32 跡部景吾

生徒会長という肩書きは、面倒も多いが便利な時もある。
例えば、色々な情報はすぐ耳へ入る。
そして思うように行動を起こせること。

権利とはこの為にある。

間違った跡部の主張は、今日も一般生徒を巻き込んで横行していた。




お昼休み。
跡部は一年生の教室の扉を、思い切りよく開けた。

一斉にこちらを向いた連中の動きが止まったが、
気にせずに乗り込んでいく。
目指すはリョーマが座っている席だ。

「ちょっと、付き合え」
おむすびを持ってるリョーマの手をぐいっと引っ張る。
急に来た跡部に驚いたようで、リョーマはぽかんと口を開いた。

「跡部さん!?って、今食べてるところなんだけど」
「それ持って来いよ。越前、借りるけどいいか?」
一緒に食べているらしい後輩達に声を掛ける。
視線は「断るはずねえよな?」と言うように。
二人は上擦った声で「ハイ」と返事する。

「・・・借りるって、人を物みたいに」
リョーマが文句言っている間に、跡部は机の上の弁当を手際良く片付けてやった。

「行くぞ」
「なんだよ、一体」
弁当をとられてしまったことを察し、リョーマは渋々立ち上がる。

「その前に、だ」
リョーマの手を引く前に、跡部は視線を隅へと向けた。
「え?」
「そこのお前」

この教室に入った時に、すぐ気付いた。

リョーマの杖を奪った、あの男子生徒。

ハッキリわかるように指差すと、
ヒッっと小さな悲鳴が上がる。


(小心者が。)

怯えるくらいなら、つまらないことしなければいいのだ。
バカなことをするから、自分に跳ね返ってくる。

不愉快そうに、跡部は言葉を吐き捨てる。
「部の方には復帰出来るよう手配してある。
今日からちゃんと顔を出しておけ。いいな」
「ハ・・・ハイ」
「これでもう不満は解消されただろ?わかったらもう下らないことで、人に迷惑かけるな」
何度も頷く姿がおもちゃのようだと、思う。
もう興味もない。

リョーマの方へ向いて、声を掛ける。
「行くぞ」
「なんだよ、一体」
訝しい声を出すリョーマの右手を掴んで、歩き始める。

振り払われないのを良いことに、生徒会の執務室までそのままで歩いた。




「で。いきなり人のクラスに来て、どういうこと!?
納得がいくように説明が欲しいんだけど」
扉を閉めると同時に、リョーマは刺々しく声を上げた。
それを跡部は無視して、自分の分の食事をゆっくりと広げる。

執務室へは誰も来ないようにと、念の為会議中の札をかけてある。
その間は跡部が私用で使っているサインだと皆知っている為、邪魔されることもない。

「ねえ。聞いてんの?部の復帰とかって何?なんであんたがそんな事知っているんだよ」
「そう、わめくな。食いながら、説明してやる。ほら、座れよ」

腹が減っていると、聞ける話も聞けなくなるだろう。
そう跡部は配慮してリョーマのの弁当も広げてやったが、憮然とたまま立って腕組みをしている。

「先に話しして欲しい」
「ハァ。わかったよ。だから、まず座れ」
用意してたお茶を一口飲み、跡部はリョーマと向かい合わせになる形で座る。

「朝、お前が立ち回った件なら色々噂になっている。
俺でなくても、知ってるやつはいるぜ」
「・・・そんなに、噂になってんの?」
「ああ」

当然言えないが、噂になる原因はリョーマにあった。

盲目で、監督の後ろ盾がある少年。
他のどの生徒よりも、話しは伝わり安い。

それ加え、跡部はリョーマの話に色々気を配っている。
小さな話し、デマでさえいつも耳を傾けている。
だからジローや侑士よりも早く知ることができたのだ。

原因も簡単に割り出せたから、すぐに動くことが出来た。
サッカー部の部長を休み時間に呼び出し、問題の生徒をまた練習に参加させるよう説得した。
元々、跡部に睨まれたらと思い、退部させた状況だ。
また跡部が復帰させろと言ったら、簡単に頷いてくれた。
一応、約束を破ったらどうなるかわかっているか言っておいたけれど。

(さっきの奴と動揺、顔が青ざめていたな・・・)
一瞬思い出し、すぐに消える。

「今回のことは、俺にも責任あるみたいだからな。
黙って見過ごすわけにはいかないだろ」
「そんなことまで知ってるあんたってなんなの」
「これでも生徒会長だ」
「生徒会長がそこまでするかよ!」
大声を出して、リョーマは後ろの背もたれに体重を掛けた。

「ねぇ、どうして?わかんないよ」
「アーン?何がだ」
「そこまでする理由って何。仲直りはしたけど・・・ただの知り合いをそんな風に気に掛けるものなの」
焦点の合わない瞳が、一生懸命跡部を見据えようとさ迷う。

(今、この目で俺を見ることができたなら。
一体お前には、どんな風に映るのか?)

不安な顔をしているリョーマの手を、そっと握ってみる。

「ただの知り合いか?」
「だって、そうじゃなかったら何」

言われて、返答に詰まる。

忍足やジローは友達だと言ってた。

(けど、違う)
前にも思ったけれど、そんな風な関係を望んでいる訳じゃない。

なら本当の望みは、何?

「・・・俺にもわからない」
「はあ?」
「だけどこれだけはわかる。
俺はお前が困っている状況を、ほっとけないらしい」
「それって、同情ってやつ?」

苦笑いするリョーマに、「違う!」と声を上げて否定する。
「ちょっ、そんな大声出さなくても」
「同情だなんて、二度と言うな。そんなもの無いって、どう言えばわかるんだ」

ぎゅっと手を握り締めると、リョーマは「ごめん」と小さな声を出して俯いた。


「俺はどうしても、お前のことを放っておけないらしい。
理由はわからないが・・・。そういうのは迷惑か?」
「そんなこと、言われても」
口篭もるリョーマの手を握ったまま、跡部はじっと次の言葉を待った。

まだ今は本当に自分の気持ちすら見えない。
けど、リョーマを見守って行きたい心に偽りは無くて。
それだけは許して欲しいと、ただ手を握る。

「跡部さんの負担にならないのなら、それでもいーよ」
「本当か」
こくんと、リョーマは頷く。
「理由はわからなくても、跡部さんが悪い人じゃないってことはもうわかってるから。
助けてくれて、ありがとうって・・・今日もそう思ってる」

素直なリョーマの言葉と笑顔に、跡部は決まり悪そうに横を向いた。

(こいつ、無意識でやってるんだよな)

今の顔も見られた訳じゃないのに、決まりが悪い。

話題を変える為に、こほんと咳払いをする。
「じゃあ、この話は終りだな」
「うん」
「食事にするか。越前が食べ損なったら大変だしな。
ただでさえ成長していないのに、栄養を取らないとますます縮んでいくだけだぞ」
「中断させたのは、誰だよ。それに縮んでいくって、どういう意味?」

むっとしつつも、リョーマは残りの弁当を勢いよく片付けていった。
小さい体と反した食いっぷりに、少々感心してしまう。

「よく食うな」
「成長期なんで!」
「まだ食えるか?」
あんまりよく食べているので、足りないかと思い、
一口切り分けた肉をフォークで口まで運んでやる。
「あ、え?」
「ほら、口開けていろ」
反射的に開いた口へと、放りこむ。

「どうだ?」
「・・・・・美味しい」
「こっちも食うか?」

無防備に開けた口が可笑しくて、跡部は何度も何度も食べさせてやった。

「ごちそうさま」
「満足したか?」
「うん」

さすがに食べ過ぎたと、照れたように笑うリョーマの顔に見惚れてしまう。

くるくると変わる表情。
いつまでも見ていたい。

今度、好きな食べ物をリサーチして、それを作ってまた昼を一緒にしよう。
こっそりと、決意した。


チフネ