チフネの日記
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2004年07月23日(金) 天使不二と王子 50(最終話)






激しい戦いだった関東大会の初戦が終わった。
相手が氷帝ということもあって、気が抜けない戦いだった。
怪我人も、出た。
特に部長はしばらく九州で治療しなければいけない。

今日がその出発日。

昼休みに屋上に出て、空を眺める。

放課後には飛行機に乗って九州に行くんだよね。
きっと戻って来ると、信じてる。
また部長と試合するのを、楽しみにしているんだから。


それから・・・事故の直後ということで不二先輩を出場させるか、
おばさんは随分悩んでた。
結局、不二先輩が頼み込んだようでS2に登録されてたけど。

結果は見事ストレート勝ち。
皆心配してた分、ほっとしてた。俺も、だけど。

「大丈夫って所を、証明するから」

試合前に先輩は、俺にそう宣言した。

結局あれから検査や退院で忙しくて、先輩とは病院で顔を合わせることが出来なかった。
だからやっと「ごめんなさい」と「ありがとう」と言えるのに、
俺はなんて言ったら良いのかわからず、ただあたふたとしてた。
そんな俺に先輩はただ笑って、帽子の上から頭を撫でてくれた。

「見ててね、ちゃんと」

第三の技まで披露して、元気な所をちゃんと証明してくれた。


でも、その後は言葉を交わしていない。
試合後でごたごたしてたのもあるけど。

また先輩に近付いて拒絶されたらと思うと、怖くて。

お礼と謝罪、ちゃんとしなくちゃいけないのに・・・。




その時キィと音を立てた扉に、目を向ける。

「ここにいると思った」
「不二先輩っ!?」

慌てて立ち上がろうとした俺を、手で制する。
不二先輩は、こっちに向かって歩いて来た。

ずっと避けられていたのに。
びっくりして、声が出なくなる。

「教室まで行ったけど、いなかったから。
ひょっとしてここに来てるんじゃないかと思ったら、当った」

嬉しそうな笑顔が眩しい。
もう二度と俺の前では見せないかと、思ってた。

「教室に、行ったんすか?」
「うん。部活だとなかなかゆっくり話す暇が無いだろう?
だからこのお昼休みに、君を探しに来た」

そう言って俺の横に、腰掛ける。
ほとんど触れるんじゃないかって距離に、動揺する。

って、そんな場合じゃない。
言わなきゃいけないことが、あるんだから!

「先輩」

不二先輩の方を向いて、頭を地面に届くくらいに下げる。


「越前!?どうしたの、止めなよ」
「ごめんなさい。あの事故は俺の所為っす。走って逃げた所為で・・・」

もし先輩があのまま目を覚まさなかったらと思うと、怖くなる。
謝って済むことじゃない。

「本当にごめんなさい」
「もう、いいから!」

先輩が手が俺の体を掴んで、上へと持ち上げる。

「いいんだよ、越前。謝ることなんて無い」
「でも」
「むしろ謝るのは僕の方だ」
「え・・・?」

何を?と思っている間に、今度は先輩が頭を下げる。

「ごめんね、僕は君を傷付けた」
「先輩、待ってよ。そんな、それこそ謝らなくてもいいから!」
「待って、これだけはちゃんと言わせて」

焦って立ち上がろうとした俺の手を、先輩の手が掴む。

「君を遠ざける為に、色々と酷いことを言ってしまった。
本心じゃないと今更言っても遅いけど、きちんと謝りたいんだ。ごめんね、越前」
「・・・・・・・・・・」

遠ざける為という言葉が胸に刺さる。
でも先輩の言葉を無視する訳にもいかない。

「いいっすよ、もう謝らなくても」

振られたことには、変わらない。
笑顔を作って、先輩を楽にしてあげよう。

「しょうがないっすよ。勝手に俺が好きだなんて言ったことだから、先輩が気にすること無い」
「違うんだ、越前」

話を遮られる。
握られてる手に、力が込められた。

「非常に勝手だと怒るかもしれないけど、聞いて?」
「何、を?」

先輩の真剣な声と目に、動けなくなる。
なんで、これ以上何かあるの?


「君にあんな仕打ちをしたのは、僕ではだめだと思ったからなんだ。
もっと釣り合う人が君はいるはずだ。
それがわかっていたから、手を取ることが出来なかった」
「は・・・あ?」

とんでもない理由を聞かされ、思わず声を上げる。


「何それ、誰が決めたんすかそんなの!?俺に釣り合うとかって、何?」
「ごめん。でもこれからもっと高みに行く君には、僕なんかじゃダメだと本当に思ったんだ」
「でも、だって・・・」

わけのわからない思い込みに、脱力する。

ごめんと謝ってる先輩に、これ以上怒りをぶつけてもしょうがない。


それに、どうしてと追求しても答えてくれないだろう。
釣り合うとか、自分じゃダメとか。

何か、他に言えない秘密を抱えてる・・・なんとなく気付いてた。
誰かの告白も受けないのも、その秘密に原因がありそうだ。

不躾に聞いて良いものじゃ、無い。


「今でもそう思ってるよ、君に相応しい人は他にいるって」
「・・・・・・」
「だけど、僕の気持ちを伝えたい。
もう君はどうでも良いって、思うかもしれないけど」
「言って、よ」

先を促す。
早く、言ってよと、心の中で叫ぶ。


「越前。君が好きだ」
ずっと欲しかった言葉を聞かされて、じっとしていられない。

「先輩っ!」
首にしがみついて、抱き付く。

「俺も、先輩のこと好きです。振られても、諦めること出来なかった」
「僕で、いいの・・・?君にあんな酷いこと言ったのに」
「そんなのどうでもいい。先輩が好きだって今言ってくれたことが、何倍も大事っす!」

迷ってるみたいに動いてた手が、俺の背に回った。

抱きしめ返してくれることが、嬉しい。
嬉しくて、もっと先輩にしがみ付く。

「ごめんね、越前。僕の勝手な言動で、君を傷付けた」
「まだそんなこと言ってる」
「だって」
「もう、いいって言ったじゃん。それでも気にしてるのなら」
「なら?」

先輩の頬に、キスする。
俺から。

「ずっと一緒だって誓って下さい。今、ここで」
「・・・・・・・・・」

瞬きして俺の顔を見た後、先輩はくすっと笑った。


「そんな事言っていいの?
君を一生放さないかもしれないよ?」
「いい。先輩なら、なんだって許す」
「君って子は、本当に・・・」

溜息の後、先輩が顔を近付けて来る。

何されるかわかったから、目を閉じた。



「好きだよ。ずっと君と一緒にいる。約束する」

誓いのキスは一回だけじゃ足りなくて、
何度も何度もお昼休み終了のチャイムが聞こえるまで、唇を合わせた。

































一年生の彼をサボらせる訳には行かない。

「行こうか」

離れたくないと目で訴える彼に、手を差し延べる。

「ねえ、越前。今日から一緒に帰らない?」
「え?」
「用事がある時は我慢するけど。
出来るだけ君といたいから。ダメかな?」

越前は小さく首を振った。

「俺も、先輩と帰りたいっす」
「なら、君が着替え終わるまで部室で待ってるから」
「ハイ!」

手を繋いだまま、入り口へと歩く。
部活の時間まで、しばしのお別れだけど寂しくなんかない。
これからはもうずっと一緒だと、約束したのだから。

・・・手塚にも念を押された。

『もうあいつが苦しむ事は、無いんだな?』

彼が許すかどうかわからないよと言った僕に、手塚は笑っていた。
そんなの、あるはず無いと。

手塚の予言通り、越前は僕の手を取ってくれた。

何から何まで、手塚には世話になりっぱなしだ。
礼をしたくても、きっと首を振ってこう言うだろう。

『それより、あいつを幸せにすることだけを考えろって』
きっと手塚なら・・・そう言うに違いない。









ドアを閉める直前、振り返って空を見る。
二度と帰ることの無い場所。
後悔はしていない。

ここで人として生きていく。
彼と共に。

「越前」
「何?」

下の階に着く直前、唇を掠め取る。


「ふ、不意打ちは卑怯っすよ」
「人に見られるまで、もう一回しておきたかったんだ」
「・・・次は、予告して下さい」
「予告したら、いいの?」
「・・・っす」

照れたように笑う越前を見て、目を細める。

光り輝く美しい魂を持つ、君。

天使としての道を捨てた僕だけど、君の魂の輝きだけはまだ見える。
僕を導く、眩しい光。

「急ごうか、走らないと遅刻するかもしれない」
「先輩が足を止めるようなことするから」
「ごめん、ごめん」



空にはもう戻らない。

君の手を取って、これからの人生を歩いて行く。
この先も、もう離れたりしない。



2004年07月22日(木) 天使不二と王子 49


奇跡なんて、起こるものか。
自分が動かなければ何も変わらない。
それだけじゃなく頑張っても打ちのめされることだって、あるじゃないか。
たまたま起きた都合の良い偶然を、奇跡だと呼んでるだけじゃないの。

もし本当に奇跡ってやつがあるなら、
今起きてよ。
そうしたら信じる。

そんな不確かなものしか・・・縋れないなんて、俺は馬鹿だ。




(どこかで必死に祈る声が聞こえる)
(決して聞けるはずの無い、声)
(一番会いたい人の・・・)



「先輩!」

呼ばれ、目を開く。
まさか、だって夢にしては都合良過ぎる。

「周助っ!意識が戻ったの!?」
「先生を呼んで、早く!」

闇では無く、室内にいるらしい。
騒がしい声になんだろうと考えて、思い出す。
たしかに彼の声がしたはずだ。

「越前・・・?」

名前を呼ぶとほとんど同時に、誰かの指が頬に触れる。

「良かった。俺、先輩がいなくなったらどうしようかと思ってた・・・!」

なんとか頭をずらすと、やっと見たかった越前の姿が視界に入る。

「泣いているの?」

ひどいことを言っても、決して僕の前で涙を見せなかった彼が、
ポロポロと涙を流していた。

「だって、先輩が目を覚ましてくれたから、嬉しくて」
「あら?周助が眠っている間も、ずっと泣いていたのは誰かしら?」

いつの間にか越前の隣に、由美子姉さんが立って、彼の肩に手を置いた。

「泣いてなんか、いないっす!」

ムキになって否定しても、真っ赤な目は誤魔化せない。
くすくす笑って姉さんは「そういうことにしておきましょうか」とウインクする。

「それよりリョーマ君、もうすぐ先生が来るから私達は外に出ましょう。
その間に顔を洗った方が良いかしらね」
「・・・・・はい」
ぐずっと鼻を啜って、越前は頷く。

「先輩、それじゃまた後で」
「うん」

姉さんに連れられて、越前は外へ出て行く。

「全く、心配掛けさせやがって」
今までの成り行きを見守っていたのだろう。
壁にもたれていた裕太が、声を掛けてきた。

「あいつ、ずっと眠っていないんだぜ。
また入院患者が増えるところだったな」
「裕太」
「さっさと元気になれよ、兄貴」
「うん・・・心配させてごめんね」

片手を上げて、裕太は入ってきた母と入れ違いに出て行った。





しかしこれは一体どういう事だろう。
混乱したまま診察を終えて、
最後まで残っていた母にこの状況を尋ねてみた。

まず僕が越前の怪我を治した話は一切出てこなかった。
最も消さなければいけない光景だったからなのか。
そして、あの日の出来事はこんな風にすり替わっていたのだ。

車に引かれそうになった越前を、後ろから走ってきた僕が咄嗟に庇ったと。

代わりに車にぶつかった僕は、そのまま気絶してしまい病院に運ばれたという。
怪我は無いけれど、ずっと目を覚まさなかったらしい。

何とも信じがたい話だが、母に嘘を言っている様子は無い。

眠っていながらも、僕はうわ言で越前の名前を呼んでいたとも聞かされる。

「自分を庇った所為でって、ずいぶん気にして・・・。
ずっと泣き通しだったのよ。
病室に入れた後も、ずっとあなたの側を離れようとしないから、
越前君の方が倒れるんじゃないかって心配したんだから」

どんなに自分を責めただろう。
ぎゅっと胸が痛くなる。

「先生も驚いていたけど、他に外傷は無いんですって。
もう一度検査をするけど、明日には退院出来るそうよ。
早く元気な姿を越前君に見せてあげなさい」
「はい」

彼の心の負担を軽くする為にも、と真面目に頷く。



けれど、何故ここに戻って来れたのかはまだわからない。
罰を受ける者として、消えたはずじゃなかったのか・・・?






検査の結果に問題は無かった。
無傷とは運が良いと、担当の医師は笑った。

「あの、運動をしても大丈夫ですか?
大会はすぐなんです」

出場出来ないと言ったら、越前はまた自分の所為だと責めるだろう。
何よりそれが心配だった。

「問題は無いでしょう。後遺症の心配も無いと、検査結果にも出てます」
「ありがとうございます!」
「お大事に」

頭を下げて、診察室から出ようと足を踏み出す。



「人としてのその命、大事にするが良い」

え・・・?

医師の声では無かった。

振り向くが、カルテに書き込んでる医師の他誰もいない。


何故、罰を免れたかはわからない。

ただこれから人として生きていくことだけは、許されたようだ。

もう一度頭を下げて、外に出る。
真っ直ぐ前だけを見て。















誰に願ったら良いかわからない。
でも祈ることしか、出来ない。

先輩を助けて。
俺が走って逃げたりしなければ、こんな事にはならなかった。
代わりに俺の命を差し出すから、不二先輩を助けて。
あの人がこの先俺を見なくてもいい。
どこか他人を拒絶して寂しそうなあの人が、
この先誰かと幸せになることだけを祈っているから。
お願い、あの人を救って。

奇跡なんて信じないけれど。
ずっと祈り続けてた。


そうして先輩の顔を眺めていたら、
瞼が動くのが見えたんだ。




2004年07月21日(水) 天使不二と王子 48

気が付くと、僕は真っ暗な空間に漂っていた。
目を凝らしても、闇しかない。
ここがどこなのかは知らないが、出られる可能性は無いだろうと考える。

(消滅するまで、このままか)

一瞬で消してしまうよりも、より長く苦痛を与えることが決まったようだ。

好きにしろと、僕は思った。
やるべき事は成し遂げた。
もうそれだけで、満足だ。

(越前・・・)

おそらく彼の記憶から、僕のことは消されているだろう。
越前だけじゃなく、不二周助と関わった人間は全て。
元々天に帰る時も、僕の存在は消えるものだった。

だから、これも仕方ない。
彼に覚えていてもらえなくても。

越前リョーマが生きてくれるのなら、それでいい。





’だがその所為で、お前は永遠にそこから出られない’


不意に、心へ直接声が語られた。
ここへ閉じ込めた連中の誰かだろう。
驚くことなく、冷静に答える。

「でも彼の命を救うことは出来た。
僕はもう他に望むことはありません。
禁を破った罪も認めめて、罰も受け止めます」

‘この先未来も無く、独りで彷徨っても良いのか?
あの少年はお前のことを忘れる。そして他の人間の手を取って、生きて行くだろう’

「構いません。
この先二度と会えなくても、僕以外を選んでもいい。
もうとっくに覚悟していたことです」

’例え自分の体がバラバラにされたとしてもか?’

「はい」

いっその事、そうして欲しい。
この先意識が存在しても、辛いだけだ。
ここには、彼がいない。
幸せになれるか見届けることも、出来ない。


‘ならば、仕方ない。罰を受けると良い’

「はい」

越前と、最後にもう一度心の中で呟く。

消える直前に彼を思い切り抱きしめることが出来て、良かった。
体温、香り、泣きそうな顔も、
そしていつか見た笑顔も。



ずっと忘れない。


2004年07月20日(火) 天使不二と王子 47



手塚と別れてから、僕は越前を探しに校内へと入った。
ここにいるかどうかはわからないが、まず手近な所から探そうと考えたからだ。
部室付近、コート、裏庭と彼がいつも昼寝してそうな所を重点的に見回る。

だが見付からない。

(次は校舎内か)

もし越前が青学にはいなかったら、校外も探すつもりでいた。
ただ心配なのは、探している間に越前も移動して入れ違いになるんじゃないかってこと。
それでも覚悟を決めている。
絶対に、彼を見付けようと。

(あれ・・・?)

こんな時間に、校舎から誰か出てくるのが見える。
よくよく目を凝らして、その人物を確認する。

(越前・・・?)
小柄な姿に、テニス部のレギュラージャージ。
間違いない、彼だ。


「越前?」
声に出して、呼びかける。

こんな都合良く出会えるなんて、あるのか。
何にしろ見付かったことに、ほっとして肩を下ろした。


しかし探しに来たと言う僕に、越前は手を振り払って逃げてしまう。
ついさっき振ったばかりの相手が、何しに来たという態度。
気持ちはわかる。
今更なんだ、と思っているのだろう。

でもこのままにしておく訳にもいかない。
手塚の話を聞いて、もう少し彼と向き合うべきだったんじゃないかと後悔している所為だ。

酷いことを言ったことは、わかっている。
僕にはそうするしか無かった。
彼の幸せの為だと、信じてたから。

でも、それが彼にとって本当の幸せかどうか。
手塚に言われ、僕の心は揺らいだ。

何が君にとって一番の幸せなのか。
直接聞くべきなんじゃないかって、思い始めたんだ。

全速力で走る越前の後を、見失わないように追う。
まだ届かない。
もっともっとスピードを上げて、追い掛ける。

後数メートルが届かない。
もどかしさに、舌打ちをする。

何か、周り込んで掴まえる方法は無いだろうか。
周囲を見渡して、そして。
横からカーブしてくる車に、気付いた。
ちょうど、越前が走ってる正面にぶつけってくる!

「越前、前っ!危ないー!」

叫んでも、もう遅かった。
衝撃は、避けられない。


「越前・・・」

人形のように道路へ転がった彼の元へ、急いで駆け寄る。

「しっかり。痛むよね、血がこんなに」
「先、輩・・・?」

弱弱しい声で、越前は僕がいる方を向こうとする。

「頭を動かさないで。血が出てるから」
そっと、手で制する。
動いた所から、また血が流れる。

「君、大丈夫か!?」

車から降りてきた男性が、こちらを見て叫ぶ。
人を撥ねてしまったことに、パニックを起こしているようだ。

「救急車を呼んで下さい、早く!」
僕の指示に慌てて携帯を取り出して、掛け始める。
すぐに、越前へと視線を戻す。

「俺、怪我してる・・・?」
「越前、喋らないで。傷、結構深いんだ」

頭から、血が流れてる。止まりそうに無い。
ハンカチを取り出して、そっと手を添える。

「ごめんね、僕が追い掛けたりしたから」
後悔しても遅い。
立ち止まって、見送っていたらこんな事にはならなかったのに。

項垂れる僕に、
「俺が勝手に・・・逃げたんすよ」と弱弱しい声が聞こえた。

「先輩、俺やっぱり、ただのチームメイトにはなれそうに、ないっす」
「もういいから。今は安静にしてて」
「振られた・・・今でも先輩が好きです」

そう言って、越前は微笑んだ。
青白い顔。出血の所為だ。

伸ばす手を、僕はぎゅっと握り締めてやった。

(冷たい・・・?)

越前の体から体温が失われていくのがわかる。
まさかと思うが。
このまま、死んでしまうなんてことになったら・・・!

嫌な考えに、汗が背中を伝う。

「越前?」

目を閉じて、浅く呼吸を繰り返している。
辛そう、なんてものじゃない。

「救急車はっ!?」
後ろを振り返って、声を上げる。

「すぐ、来るとは言ってたから・・・」
その途端、遠くから近付いてくる音が聞こえた。

「わかるように、通りに出て誘導して来る!」
「お願いします」

間に合うのだろうか。
血は、僕のハンカチを真っ赤に染めても、まだ止まらない。
こんなに血が出て、助かるのか・・・?

(嫌だ)

彼が死ぬなんて、考えたくない。
何の為に、彼の心を傷付けてまで突き放したのか。
全部、この先幸せに生きていくと信じてたからだ。
それなのに、今ここで人生が終わるなんて。

認めるものか・・・!

「君、救急車が到着したぞ!」

周囲の声は、もう聞こえていなかった。
僕の目に映っていたのは、今にも消えそうな越前の魂だけ。それだけ。

天使が迎えに来てからでは、遅い。
やるなら今しかない。


――――決して、人には見られないように。


「こっちです、早く!」
救急車から人が下りて来る。

人々の目があるこんな所で使っていけないと、わかってるけど。
それでも彼の命が助かるならと、癒しの力を解放する。

僕はどうなろうと構わない。
彼さえ、生きていられるなら。






















痛いのと、気持ち悪いのと最悪な気分だったのに、
軽くなっていくのを感じる。


(何だろう、これ・・・)

そっと目を開けると、不二先輩の顔が間近にあった。

「先輩?」
「越前っ!」

どうしてかわからないけど、先輩が抱きついてきた。
苦しいくらいの、抱擁。

(夢、なのかな)

たしかに今日、先輩に振られたはずだ。
なのに、抱きしめられるはず無い。
都合の良い夢見てるんだろうと思ったけど、
嬉しかったからそのままにしておく。


「どういうことだ、これは」
「さっきまで血が出ていたじゃないか」
「今、何が起こったんだ?」

不二先輩の声じゃないざわめきに気付いて、そっちに視線を向ける。
救急隊員みたいな人と、知らない人とが俺と先輩を見て呆然としていた。

(そういえば、俺さっき怪我して無かったっけ!?)

ハッと、先程起きた事故を思い出す。
たしか車とぶつかって、血が出てたはず。
でも今はどこも痛く無い。
血も出ていない・・・・。



「先輩」
俺にしがみ付いてる不二先輩に、そっと小声で問い掛ける。

「ひょっとして、俺の怪我を治したのは先輩っすか?」

何故、こんな事を口にしたのか。
普通ならあり得ないって思うことだけど、ある出来事を思い出したからだ。

屋上で見付けた怪我した鳩。
でも、先輩が手に抱かかえた時はなんとも無かった。

あの時から、先輩がそんな力を持っているんじゃないかって。
心のどこかで思っていたから。

「そう、だよ」

先輩は否定もせず、俺を抱きしめたまま頷いた。

「やっぱり・・・そうじゃないかって思ったんだ」
「気持ち悪いとか、思わないの?こんな普通じゃないのに」
「思う訳無いっす。なんで、そんな事」

怒りながら、答える。
気持ち悪いなんて、思うはず無いじゃん。

「先輩は俺の恩人っす。・・・ありがとう。多分先輩が治してくれなかったら、危なかった」
「うん、本当に危ない所だったんだよ。良かった、君が生きていて良かった」

先輩、泣いてる?
ぐずっと鼻をすする音が聞こえた。


「君、体は大丈夫なのか・・・?」

恐る恐る問い掛けてきた救急隊員の人の声に、体を起こす。

「大丈夫みたいっす」
「そんな!あれだけ血が出ていたのに!」

再びざわめく周囲に、不二先輩は俺からちょっと体を離して正面に向き合う形を取った。


「見られちゃった。でも僕は力を使ったことを後悔なんてしてない。
君が生きている。それが何よりも大事なんだって、胸を張って言えるから」
「え?」

やっぱり先輩は泣いてた。
濡れてる頬を手で拭って、俺に語り掛ける。

「ごめんね、君に酷いことを言った。
でも僕はこんな力持っている異質な存在だから。君とは一緒にいられないんだ。
言い訳にしか聞こえないけど、信じて欲しい。
それでも君の幸せを願っているのは本当だって」
「不二、先輩」

こんなこと言われると思わなかったから、声も出ない。
本当に夢じゃないのかな。

そんなこと考えて瞬きしている間に、急に先輩の体が霞んでいく。
まるで消えていってしまうような。

「え・・・・!?」

驚く俺とは反対に、先輩は淡々としている。
こうなることを、知っているみたいだ。

「君にずっと言いたかった言葉があるんだ。
もう最後だから、どうしても伝えたくて」
「最後、って何すか!ねえ、一体何が起こっているの!?」

それには答えない。

静かに、そっと笑うだけ。
穏やかな笑顔だ。


「・・・先輩、いなくならないで」

必死で訴えるけど、先輩の体はどんどん薄くなっていってしまう。

「越前」

優しい声で。

一番望んでいた言葉を、先輩が告げる。

「好きだよ」
「不二先輩っ!」

抱きつこうとしたけど、俺の腕は宙を掴んだ。


空気に溶けるように。
先輩は、消えてしまった。


2004年07月19日(月) 天使不二と王子 46


さっきから鳴り続けるお腹を、ぎゅっと手で押さえる。

(情け無い)

人生最初の失恋をして落ち込んでいるというのに、
体は食べ物を欲求している。
その事実に、余計落ち込みそうになる。
自分が情けない。

(こんな時は、食べ物も喉が通らないのかと思ったのに)

そう思ったのに空腹感は収まらず、またお腹がぐぅと鳴る。

(もう、いい)

やけくそ気味に、立ち上がる。
どうせもう帰るつもりだったんだ。
家に帰れば晩御飯が待っている。
ヤケ食いでもしてやろうじゃないと、思考を切り替えた。


不二先輩に振られた後、俺はすぐに部室から荷物を引き上げた。
荷物が残っていたら、鍵を掛けて帰る人が迷惑だろうと、ぎりぎりの配慮。
でも出来るだけ人と顔を合わさないようにしたので、部室で着替えることもしてない。
未だレギュラージャージのまま。

それから、一人になれる場所を探した。
すぐに家に帰ったら、母さんに心配されて、親父にからかわれそうだから。
こんな、泣きそうな表情・・・見せられない。

そして無意識に歩いている内に、屋上に辿り着いた。

ここは、不二先輩がどういう人か知りたいと思った始まりの場所。
想いを断ち切るのに一番相応しい。


「二度とそんなこと、口にしないと約束して。
いいね、僕と君はただのチームメイト。それだけだ」

予想はしていたけど、ダメージは大きかった。

この恋は、決して実らないものだと宣言されたのだから。


明日からは、この悲しみも吹っ切って普通に先輩の前に立たなきゃいけない。
そして大会のことだけを考えて、部活動に専念するんだ。


でも、今日だけは。
悲しんでいてもいいかな、と思う。

完全に平気でいられるようになるには時間が掛かるけど、
出来るだけ普通の顔して部活に出るから。

今だけ思い切り、先輩のこと想っていていいんじゃないかって。

我ながら女々しいと思うけど、止まらない。
そんな風に先輩のことを考えていたら、いつの間にか疲れてしまって、
気付いたら壁に体を凭れさせて眠っていた。


幸いにも屋上への入り口の鍵は、閉められていなかった。
見回りの時間は、もう少し後かもしれない。
今の内にさっさと出た方が良さそうだ。
こんな所で何をやっているかと咎められたら、答えようが無い。
足音を殺して、夜の校舎の中を移動する。

他に動く者の気配が無いか探り、一気に階段を駆け下りる。

もう少しで、外だ。

帰る時間をかなりオーバーしていた。
かなり眠っていたみたい。
親父はともかく、母さんは心配しているに違いない。

校舎の外に出て、校門まで突っ切ろうかと身構えるが、
すぐ側に誰か立ってることに気付く。
先生だったらまずい。
そう思って身を小さくするが、

「越前?」

それは、今一番会いたくない人だった。


間違えるはずのない、声。
不二先輩だ。


なんで、先輩がこんな所に?

目を見開く俺の所へ、不二先輩は小走りで駆け寄って来た。

「良かった、ここで会えて。校舎に入っても、入れ違いになるんじゃないかって迷っていたんだ」
「・・・・どういう、意味っすか?」

まるで俺を探していたかのような。
そんな言い方に、眉を寄せる。

だって、俺を探すはず無い。
ついさっき、振られたばっかだよ?
その先輩がなんで俺を探すの?

そう思って俯く俺の肩に、先輩の手が触れる。

「君を探してた。家に帰って無いと聞いて心配したよ。・・・一緒に、帰ろう?」

その瞬間、俺は不二先輩の手を振り払った。

「越前?」

そして走り出す。
外へと。
不二先輩から少しでも遠ざかる為に・・・!



「越前、待って!」

追って来る気配に、走ったまま小さく首を振る。


待たない。
追って来ないで。
先輩の顔を、見たくない。

明日からはあんたの言う通りに、ただのチームメイトとして振舞うつもりだよ。
だから今は放っておいて。
優しくなんかしないで。

まだ気持ちの整理もついてない。
だからひょっとしてなんて、希望を持たせることしないで。


「越前、ちょっと待ってよ!」
「ヤダ!追って来るな。もう帰れよ!」


振り向きもせず、先輩の声に答える。

撒いてしまおうと全速力で走っているのに、なかなか先輩は諦めない。
焦ってきて、表通りでなく細い道へと入り込む。
ここで、振り切ってやる・・・!


「越前、お願い。君と話がしたいんだ」

聞きたく無い。耳を塞いで走る。
もうヤダ、こんなの。
心配して探しに来ただって?
中途半端に優しくした後で、どうせ突き放すつもりなんでしょ。
なら、もう何も言って欲しく無い。

走って走って、路地を抜けて行く。
周囲が当然目に入るはずも無く、ただ走っていた。


「越前、前っ!危ないー!」

先輩の叫び声に、ようやく前を向く。
でも、もう遅かった。

正面に、車が迫っている・・・・。

認識した瞬間、激痛と共に体が宙に飛んでいた。



2004年07月18日(日) 天使不二と王子 45


振り払っても浮かぶのは、悲しい目をした彼の顔――――。


何もする気が起きず、帰宅してからずっとベッドに横たわっていた。
ここのところ塞ぎ込んでいる僕に、母は心配している。
それなのに表面上だけでも「大丈夫、心配しないで」と取り繕うことすら出来ない。

好きな子を傷付けて、平気を装うことなんて無理だ。

きっと‘人’ならこれが普通の反応。
でも僕は不二周助として生きているけど、本当は天使で。
一個人にこんな気持ちを抱くことは、間違っている。

間違っているんだと、もう一度自分に言い聞かせる。

それでも痛む心は、変わらないけれど。





着信の音に、体を起こす。
鞄の中に入れてる携帯からだ。
もたもたしている間に、留守電に繋がったようだ。
正直誰とも話したくなかったので、ほっとする。
が、再び着信音が響く。

「誰だよ」

間をおかず掛かってきたということは、同一人物からだろう。
このままだと出るまで、また掛けてくるに違いない。
面倒くさそうに僕は携帯を取り出した。

「手塚か」

よりによって、一番声を聞きたくない手塚からだ。

越前と、この先の未来を歩める人。

八つ当たりとわかっていても、こんな時にと顔を歪める。

「もし、もし」

大方用件は関東大会のことだろう。
抽選でよっぽどまずい所が当ったか。
そんなこと明日でいいのにと思いながら、出る。

「不二、今いいか」
「何?いいけど手短にしてもらえるかな。
今日はちょっと・・・気分が良くなくって」

早い所会話を切り上げたい為、つい素っ気無い態度を取ってしまう。
しかし次の手塚の言葉を聞いて、それどころじゃないと気付かされる。

「・・・そうか、なら単刀直入に言おう。越前がまだ家に帰っていないそうだ」
「え?」
「少し前に竜崎先生へ抽選会の報告をしに行った時、ちょうど越前の家から電話があった。
そろそろ戻っても良い時間なのに、未だ帰宅していないと」
「戻ってないって、どういうこと・・・」

別れた時に見た越前の姿を思い浮かべる。
俯いて、泣くことを我慢していたような辛い表情。
あれから彼はどこへ行った?

「それが一年の部員に電話した所、部室には一度顔を出したらしい。
ただ着替えもしないで荷物を出て行ったようだ。」
「それで、まだ戻って無いんだよね?」
「ああ」

自主練習するにしても、もう辺りは暗い。
まさか何かに巻き込まれたんじゃないかと、心配になる。

「不二、今出て来られるか?越前を探すのを手伝って欲しい」

ついさっき気分が良くないと言ったのを、嘘だとわかっているみたいに手塚はそんな事を言う。
ここで拒否することも、勿論出来たけれど。

「いいよ」

どうするかなんて、もう決めていた。


無事でいれば良いが、そうで無かったら。
最後に見たのが、あんな悲しい顔をした彼だなんて。
そんなこと、あってはいけない。


母に短く事情を告げて、僕は家を飛び出した。









手塚と待ち合わせをした校門前まで、全速力で向かう。
乾汁の罰ゲームがあった時でさえ、ここまで真剣に走らなかったというのに。
記録更新だ。


「不二、ここだ!」
「手塚っ・・・」

先に到着していた手塚が、僕を呼んだ。

夏とはいえ、もう周囲は暗くなっている。
部活動もとっくに終わっている時間だから、他に人影もいない。

「越前は?どの辺りまで探したの?」

当然、手塚は他のメンバーにも声を掛けていると思っていた。

「いや、まだどこも探していない」
「探してない?」

手塚は首を横に振って、「まだ全員で探す段階では無いからな」と告げた。

「何それ。どういうこと?」
言ってる意味がわからず、手塚を見上げる。
ひょっとして越前が帰っていないとか、全部嘘なんだろうか。

けど、真剣な手塚の目を前にして冗談では無いらしいと、理解する。


「越前はたしかにまだ帰宅していないが、あいつの父親が探すことは無いと言っていた。
母親の方は心配していたが、ほっとけばその内帰るだろうと」
「でも、・・・帰らなかったら?そんな呑気なこと言ってていいの?」
「その時はもちろん探しに行くつもりだ。竜崎先生もいよいよの時は、声を掛けるとおっしゃってた」
「ちょっと待ってよ。じゃあ、どうして僕を呼んだりしたの?」

捜索するつもりが無いのなら、僕が呼ばれた意味は・・・?

眉を顰める僕に、手塚は一歩近付いてくる。

「不二、越前とどんな会話をしたんだ?」
「どんな、って」
「越前の行く先を尋ねた時、一年だけじゃなく桃城にも電話を掛けた。
あいつは部の中でも越前と親しいからな」
「それで?」
「越前が、お前の手を引っ張って行くところを見たそうだ」

言い訳は許さないといったように、手塚の視線が厳しいものへと変わる。

「その直後に部室に来たのなら、最後に会話したのはお前だということになるな」
「そんな証拠、どこに」
「・・・越前を見ていた俺には、わかる。
あいつが動揺するくらいの影響を持っているのは、お前くらいだ。そうだろう?」

手塚は、知っていたんだ。
越前の気持ちを。

鈍いと、思っていたけど。
好きな子のことは、さすがに気付いちゃうか・・・。

「何かまた越前を悲しませるようなことを、言ったのか?」
「・・・・・・・・」
「詳しくは聞かないが、多分越前はその所為でどこかで一人耐えているのだろう。
心が落ち着くまで、家にも帰らずたった一人で」
「それが、僕を呼び出したのとどういう関係があるの?」

聞く前から、答えはわかっていた。
でもあえて、質問する。

「越前を探してくれ。お前のやるべき事だろう?」
「ちょっと待ってよ、手塚」

冗談じゃないと、僕は声を荒げる。
なんの為に、彼を傷つけたのか。
きっぱり拒否する為だ。
迎えになんて、行けるはず無い。

「君が探せばいいじゃないか。越前のこと心配なんだろう?
だったら君がいけばいい」
「不二」
「大体どうして僕が親しくも無い越前を探さなきゃいけないわけ?
どうなろうと、関係ないのに!」

その瞬間、頬に鋭い痛みが走った。

「いい加減にしろ。こんな時まで自分の気持ちを誤魔化すのか」

宙に浮いた手塚の手を、ぼんやりと眺める。
平手だったのは、ただ目を覚まさせるだけが目的だったのだろう。

ぶたれたのは僕だというのに、手塚の方が痛そうな顔をしている。

「俺はお前が誰より越前のことを、考えていると知ってる。
取り繕う必要がどこにあるんだ?」
「何言ってるのか、わからないんだけど」

とぼけても無駄だと、僕自身もわかっていた。
亜久津の件で、越前を見ているように言ったのは他でも無くこの僕だ。

「何故嘘をつく。俺なんかより、先回りして越前を守ってやろうとしていただろう。
今だって、心配しているはずだ」
「違う・・・」

否定したけれど、我ながら弱弱しい声だ。

もう誤魔化すのにも、疲れていたのかもしれない。


「そこまで越前を避けたがる理由はわからないが・・・」

それまでの態度を換えて、手塚は僕をにらみつけた。

「お前の態度によって、越前は傷付いたんだ。
今回だけじゃない。前だって・・・。
だから今日は責任を持って見つけ出せ。いいな」
言い渡され、慌てて抵抗する。
「待って、手塚。僕が迎えに行くより、君が行った方がいい。
えだって、僕の顔なんて見たくないだろうから。
君が行って、家へ連れてあげて。お願い」
「お前は・・・まだそういう事を言うのか」

大きな、溜息。

「お前が素直にさえなれば、二人共幸せになれるというのに。
それともわざとなのか?越前を苦しめたいからそんな態度を取るのか?」
「まさか・・・」

そんなの欠片も望んでない。
出来れば僕だって、越前に優しくしたいよ。
突き放したくない。
彼が望むのなら抱きしめて、好きだって言いたい。

どれも、出来ないけれど。


「ただ、僕は彼に相応しくないから・・・」

天使は人といられない。
それを望んだら、どんな罰を受けるか。
越前、にも。
一番それを恐れている。

「君が越前と一緒にいるべきなんだ。僕にはわかる。
君こそが越前に相応しいと。
越前のこと、好きなんだろう?
だったら探し出すのは君の役目だ」

越前と等しく美しい魂を持つ手塚なら。
一緒にいるのに相応しい。

「いい加減にしないか」

すがる僕を、手塚は一蹴する。
低い、怒りの篭った声で。

「お前がそんなことを言うのか?
越前が求めているのは誰なのか、俺だってそれ位わかる。
それなのによく言えるな」
「・・・・・・・・・・」
「大体相応しくないとは、何だ?
誰が決めるんだ、そんなもの。
越前が聞いたらきっと怒るぞ」

知らないから言えるんだ。
決めるのは人じゃなく、天なのだから。

「本当にダメなんだよ。
僕といても、彼は不幸になるだけなんだ。
それはもう、決められているから」

だから、手塚に越前を迎えに行って欲しい。
僕が行ってはいけない。

俯く僕の肩に、手塚の手が置かれた。


「俺には、今の越前が十分不幸に見えるぞ」
「え・・・?」
「お前が側にいることが出来ない。
それだけであいつは十分布告だ。
逆を言えばお前さえいれば、幸せだということになるが・・・」

いつもコートで出すものと違う、
優しい声色で言われる。

「あいつはどんなことになってもお前といることだけを、望んでいるに違いない。
そのことは伝えたのか?
不幸になるから、一緒にいられないと。ちゃんと言ったのか?
言っても、あいつは構わないとお前の手を取るだろうがな」

そんなの、言えるはずない。
罰が下ると知って、僕と一緒にいて欲しいって・・・。
言える訳ないよ。


言えないけど、僕は間違っていたのかな?

越前までも巻き込むのが怖くて、彼を遠ざけようとしたけど。
結果的に、傷付けただけで。

もっと、向き合うべきだった?
どんな事になろうと、一緒にいることを彼が望んでいたかもしれないのに。

「越前ともっとよく話をする必要があるようだな」
「でも、僕は」
「見付かったら連絡しろよ。
それと出来るだけ早く探し出すように」
「ちょっと、手塚!?」

手塚の手が離れ、そして僕に背を向ける。

「俺はあいつの一番になれないのは、もうわかってる。
お前しか、だめなんだ」

それだけ言って、手塚は足早に去って行ってしまった。




2004年07月17日(土) 天使不二と王子 44


手塚と大石が抽選会場に行ってることもあって、
放課後の練習は皆どこかいまひとつ身が入らないように見えた。
もちろん対戦相手がどこになるか、気になってるのもあるけれど。

竜崎先生はそれをわかってるのか、練習は厳しく指導してたけれど、
いつもよりも早い時間に部活を切り上げた。


「明日からはビシビシしごくからね!」
そう言って、今日はもう休むようにと言った。

明日の朝、どこと当たるか発表がある。
着替え中も、その話題ばかりだ。

「不二ー、早く終わったことだし。どっか寄って行かにゃい?」

ねえねえ、と英二に声を掛けられたが、僕は首を振った。
そんな余裕は無い。
寄り道して、天使に会うと思ったら怖くて。寄り道も出来ない。

「ごめん、今回はパス」
「えー」

不服そうに英二は唇を尖らせたが、「まあ、いいか」とあっさりと引く。
「今度は付き合えよ」
「うん」
「あ、桃ー、桃は暇だろ?」
「暇って、何すか英二先輩!」

どうやら桃を誘うことに決めたようだ。
二人のやり取りを聞きながら、僕は着替えを済ませた。

「お先に」

短く挨拶して、外へと出る。
早く、帰ろう。
うっかり天使に会っても、
目を背け耳を塞いで、見えない聞こえない振りをして。



「不二先輩」


俯いて歩き出そうとした直後だった。



「越前?」


レギュラージャージを着たままの越前が、僕の行く先を塞ぐように立っている。

越前の真剣な表情を見ながらも、
まだ一年生だから片付けも終わって無いから着替えていないんだろうな、
等と僕は見当違いなことを考えていた。


「ちょっと、良いっすか」

越前の言葉は、有無を言わさない、そんなようにも聞こえる。
断ることは出来ない、そんな力強さ。


「何?言いたいことでもあるの?」

精一杯、僕は返答する。
流されてはいけないと、自分に言い聞かせて。

「いいけど。早くしてくれる?急いでいるんだから」

多分、越前は僕が無視することの理由を聞きたいから、こんな待ち伏せをしたんだ。

間抜な僕は、越前の覚悟を見抜けていなかった。


「その、ちょっと来て下さい」

僕の冷たい言葉にも、越前は怯まない。
それどころか距離を詰めて、僕の腕をぎゅっと掴む。

「え、越前!?何を」
「すぐ済むから、ついて来て下さい!」

腕を掴んだまま、越前は走り出す。
引き摺られて、僕も一緒に走る。

小さな彼が、僕を引っ張って行く。
一体、どこに?

疑問に思いながらも、僕はこの状況に心を乱していた。

近付かないって誓ったのに、越前は僕を簡単に捉えてしまう。
本当は、手を振り解かなきゃいけないのかもしれないけど。

神様、話を聞くこと位は許されますよね・・・?


越前はコートの裏の校舎まで僕を引っ張って来て、やっと手を離した。


「一体、何?ここでなきゃ言えないようなこと?」
「はい。やっぱり・・・人前では、ちょっと」


一つ咳払いして、越前は僕の目を見る。
大きな力強い意志を持った、瞳。

この目に見詰められると、間違いを起こしそうになる。
好きだって、言ってしまいたくなるんだ。


「不二先輩」

それまで硬い表情から、一変して。
越前はふわっと、笑う。

思わず見惚れてしまう位の、綺麗な笑顔。

「ずっと伝えたかった。
俺、不二先輩のことが好きです」
「え・・・?」



イマエチゼンハナンテイッタノ?


冗談を言ってるようには、見えない。

好きです、と確かに耳に届いた。
越前が、僕を。
好き、だって?



手も足も唇も固まって、動けない。

ただ、背中を汗が流れていくのを感じる。


(僕だって・・・)


もし僕が天使じゃなく、ただの人として不二周助として生まれてきたのなら。
これ程嬉しいことって、無かっただろう。
大好きな人に、好きだと言われて喜ばない人がどこにいる?
きっと言われたら、「僕もだよ」って答えて抱きしめる。
そんな風にして幸せな日々が始まって行く。
それが人として、普通の反応。



でも、僕は天使だから。

君の気持ちに、応えることは出来ない。



思考が、クリアになる。
すべきことは、一つだ。
そう認識した瞬間、勝手に口が動く。



「それで?」

冷たい声。
自分のものと、思えないような。


「僕にどんな答えを期待してるの?」

越前は笑顔から、すぐに強張った表情へと変える。
そしてどこか諦めた悲しい眼差しを僕に向けた。


「俺は、ただ・・・今の気持ちを先輩に伝えたかっただけっす。
それだけで、何も考えてないから。答えとか、別に」
「そう。君は自分の気持ちを清算したかったんだね。
僕がそれを聞いてどう思おうかなんて、お構いなしに思いを打ち明けたんだ」
「そんな、そんなつもりは」


また越前を傷付けてしまうのは、わかっていた。

こんなに好きなのに、僕が悲しい思いをさせるなんて。
でもこうするしか、無いんだ。


「じゃあさ、今度は僕が今の気持ちを伝えることにするよ。
別にいいよね、君だって何も考えずに打ち明けたんだから」
「・・・・・・」
「迷惑、だよ。はっきり言って」


一瞬目を見開いた後、越前は顔を伏せた。
涙を堪えているようにも、見える。


「二度とそんなこと、口にしないと約束して。
いいね、僕と君はただのチームメイト。それだけだ」


僕の言葉で、越前がずたずたになっていく。
わかっていても、止められない。
ここで諦めさせなければ、いずれ越前にも災いが行く。

天使の僕と関わったばかりに、彼が不幸になるなんて。
それだけは阻止すべきだ。

それに今ついた傷は、いずれ癒されていく。
手塚がいれば、心配ないから・・・。




「わかり、ました」

越前は顔を上げない。
声を震わせながら、僕に約束をする。


「もう二度と言いません。これからも先輩と俺は、ただのチームメイトっす」
「うん。じゃあ、僕はもう今のこと忘れたから」


残酷な言葉は、そのまま自分の心に跳ね返ってくる。

越前はもう二度と僕を見ないだろう。
今度こそ。

そのことを思ったら体がふらつきそうになるが、ぐっと背を伸ばす。
越前に動揺していることを悟られてはいけない。


「さよなら、越前」
「・・・・・・・・さようなら。不二先輩」


足早に、僕は立ち去る。

早く早く、越前がいないところまで行くんだ。

そうしたら、崩れてもいい。
彼を傷付けた自分を罵ってもいい。
だから、早く一歩でも遠く急ぐんだ。





越前、ごめんね。

口に出せないから、心の中で何度も謝罪する。


君の幸せを一番に願っているけど、僕が隣にいることは許されない。
僕のことは、早く忘れて。
それが幸せへの一番の近道だから。



でも僕は、忘れない。
君が好きだと言ってくれた言葉も、表情も。
天に帰っても、忘れない。

好きだと言ってくれて、ありがとう。


絶対言えないけど。


僕だって君のこと、好きなんだ。

きっと、これから先も。




2004年07月16日(金) 天使不二と王子 43




「今日は桃先輩の奢りっすからね」
「何だと!?お前いつもいつも」
「あーあ、50周走って疲れたなー」

そう言うと、桃先輩は黙ってしまった。
今日部に戻る切っ掛けを作った俺に、何も言えないようだ。
まあほっといても、いつか戻っていただろうけど。

「なあ、今月はピンチだからファンタ一本じゃダメか?」
「セットで。後、デザートもつけて」
「鬼だ。お前は・・・」

肩を落としている桃先輩を押して、外へと出る。
グラウンドを全力で走ったため、いつもよりも腹が減ってる。
早く注文したかった。




桃先輩が戻ったことによって、部の雰囲気も元に戻った。
菊丸先輩と大石先輩もいつの間にか仲直りしてたみたいだし。

これで関東大会への不安を抱えているのは、俺だけか。


不二先輩、今日も目を合わせようとしてくれなかった。
視線に気付いてこっちを振り返ることもあったけど、不自然に逸らされた。

もう俺に笑顔を向けてくれることは無いのか。
そう思うと悲しいし、苦しい。


不二先輩に興味を持った、あの屋上。
何故か怪我が治っていた鳩を抱えていた時とか。
カルピンを一緒に探してくれたこと。
確かに距離が近付いてた時もあったのに。

それが全部無かったように、不二先輩は俺のこと避けてる。
理由はわからない。

今、俺がわかるのは自分の気持だけ。
不二先輩が好きだ。
あの人の言葉や態度に、動揺したり傷付けられる。


でも、もう大会を前にしてこれ以上不安定でいるのも限界だから。
区切りをつけるため、告白する。
だめだって、わかってても。



桃先輩も戻ったことだし、明日告白しよう。

そんなことを考えて眠った所為か、やけに早く目が覚めてしまった。
母さんが驚いている位の時間だ。
どうしたのと聞かれ、大会が近いからと返事しておく。

「行って来ます」

余裕があるからといってモタモタしたりせず、学校へ向うことにした。
こんな時間、桃先輩が迎えに来ることは絶対無い。
自力で、歩いて行く。

「あれ、越前?」
「っす」

校門が見えた辺りで、部長と大石先輩に出会った。
二人共一瞬驚いた表情を見せる。すぐに元に戻ったけど。
大方、何故俺がこんな時間にと思ったところか。


「早いな、どうしたんだ」
問い掛けてくる部長に、「たまにはね」と笑って見せる。


「関東大会に向けて気合い入ってるな、越前」
「まあ」
大石先輩は単純に俺が早起きしたことを喜んでいるみたいだ。
また遅刻の日々に戻る可能性はあるので、少し申し訳なく思う。

「次からは強敵に当たるからな。頼りにしてるぞ」
「そういや、どこと当るんでしたっけ?」

聞いてないよな、と首を傾げる。
大石先輩は俺の言葉に可笑しそうに笑った。

「まだ決まってないだろ。今日の抽選会で決まるからな」
「越前。機能、俺が言ったこと忘れたのか?」
じろっと部長に睨まれる。まずい。

「えっと最後の方ふらふらで、ちょっと聞こえなかったかも」
「50周走った後も頑張ってトレーニングしてたからな」
大石先輩ナイスフォロー。
部長は仕方無さそうに溜息をついてる。

「俺と手塚で抽選会場に行って結果知らせるから。
今日の部活は皆で頑張ってくれよ」
「くじ引くんすか?だったら強いとこ引いて下さい」

例えば氷帝とか。
ストリートテニス場で会った猿山の大将。
やたら偉そうだったけど実力あるなら、シングルスで試合したい。

「シードはくじを引かないぞ」
「え?」
ぼそっという部長に反応して顔を上げる。

「都大会優勝・準優勝はシード扱いになっている。
だから強い学校と当るようにくじを引くことは出来ない」
「なあんだ」

がっかりした声を出す俺に、大石先輩が「おいおい」と苦笑する。

「初戦で強いところと当るのはキツイぞー。
負けたら敗退だからな」
「でもどうせ倒すならさっさとやった方がいいのに。
ねえ、部長?」

部長も試合するなら強い相手を望んでいるはず。
同意を求めると、予想と違う言葉を返される。

「どこでも構わない。油断せず行くだけだ」
「はあ・・・」

大石先輩と顔を見合わせてしまう。
部長はどこまでも真面目なんだよな。

それからとりとめのない話をしながら、部室へと到着する。

一年はまだ誰も来ていないので、コートの準備から始めた。


天気は快晴。
絶好の告白日和だと、思い込むことにする。
不二先輩が一人になったところを捕まえて、
「好きです」と告げよう。

「げっ、越前!?何でこんな早くにいるんだ!?」


やがてやって来た二年の先輩達が、俺を見て声を上げる。

「そういう日だって、あります」
不敵に、笑ってみせた。


2004年07月15日(木) 天使不二と王子 42

放課後の部活動が始まっても、越前は姿を現さない。

(どうして・・・?)

越前と同じクラスメイトの堀尾は、コートで球拾いしている。
ついこの間委員の仕事で遅れてたから、今日は当番では無いはず。

どうしたんだろうと考えたところで、首を軽く振った。

部員の管理は手塚がやればいい。
僕には関係の無いことだ。

気持ちを切り替えようとラケットを握り締めた瞬間、
すぐ近くから大きな溜息が聞こえた。

「あー、どうしよー、困ったにゃー」
「英二。まだ大石と仲直りしてないの?」
「だって中々タイミングが・・・」

英二は朝からこんな調子だ。
大石も英二のことを気にしてちらちら見ているんだけど、
わかっているのかな。
二人共ごめんの一言で済むだろうに。

「話しかけ辛いなら、僕が大石を呼ぼうか?」
「いいよ!俺、頑張ってみるから」
とは言うものの、またすぐに「どうしよう」と情け無い声を上げている。

早く仲直りが出来るといいねと、英二の丸まった背中に呟く。

未だに部の空気はギクシャクとしたままだ。
手塚がいるおかげで、皆ちゃんと練習は続けているがただそれだけ。

桃は不在で。
大石と英二は仲違いしたまま。
タカさんはそんなメンバーを見て、オロオロとしてる。
海堂もライバル不在で張り合いが無いのか、いつもの迫力に欠ける。

―――こんな調子で関東大会は大丈夫なのだろうか。
一年も二年も、レギュラーもそう思っているだろう。

手塚はこの状況を改善する気あるのかな?
ちらっと手塚を見るけど、何をどこまで考えているか読めない。

(大会のことで不安なのは…僕も同じだけど)

このところまた天使が現れるのではと、気が気じゃない。
こんな気持ちで試合に集中出来るか怪しいものだ。

天使が現れないようにする為にも、越前との距離は絶対縮めてはいけない。
辛いが、仕方ないこと。

「あれ・・・・?」

ふっと目を向けたその先。
皆が待っていた人物が、コートへと走ってくる。

「今までサボってスミマセン!」

響き渡る桃の声。

皆驚いて、すぐに笑顔へと変わる。

「何やってんだよ、桃城ー!」
「一体今までどうしてたんだ」


どうやら部の方はなんとかなりそうだ。
そんな風が吹いてきた。


「大石、ごめん」
騒ぎの中、英二はさりげなく言いたかった一言を告げる。
「俺の方も言いすぎた。ごめんな、英二」
ほら、すぐに仲直り出来た。

「ふん、桃城。てめーは人騒がせなんだよ」
「なんだと、マムシ!」

海堂の言動は素っ気無いものでも、表情はわずかにほっとしたものになってる。
桃も文句を言いながらも、いつものやり取りを楽しんでるようだ。

タカさんは周囲を見て「良かったな」と優しく笑っている。


しかし戻ったからといって、無条件に迎えられることは無い。
部を理由も無くさぼっていたことに、当然ペナルティは下される。
勿論桃は当然だというように、手塚の前でじっと言われる言葉を待っていた。

「桃城、グラウンド100周だ!」

手塚の声に、ほぼ全員が「えーっ」と声を上げる。
100周なんて、無理だよと囁き合ってるがどうしようも無い。

「はい、100周っすね。わかりました!」
桃はそれでまた部に戻れるものなら簡単だと笑う。
あのまま戻れなかった方が、辛かったのだろう。


「そういや、越前はどこに行った?」

ふと周囲を見渡して、手塚が声を上げる。
こんな時に不在しているのかと、不審に思ったのだろう。

「誰か遅刻の理由を聞いているか?」
「あの、部長。それが」


背を小さくして桃が恐る恐る手を上げた。

「どうした、桃城」
「越前のことでー、ちょっと」
「何か知ってるのか?」

彼の名前を出され、手塚は早く言うようにと続きを促す。
小さなことでも聞き逃さないってことか。
手塚も大概わかりやすいよな。
常ならば桃に早く走って来いと言うだろうに。


「実は、越前が迎えに来てくれたんす。その、ストリートテニスにいた俺へ発破掛けに」
「そうか。だが、部活動の時間に抜け出したのは変わらない」

眉を寄せ、手塚はどうしたものかと考えているようだ。

「ちーっす」
そこへ越前がやって来た。
ちょうど今自分の話をされてるとも知らずに。

「越前」
「何すか?」

手塚に呼ばれ、てくてくと近くへ歩いて行く。

「遅刻したな。グラウンド100周してこい」
「えっ、何で!?」

ぽかんと越前は口を開ける。
当たり前だ。僕だって驚いた。

今日の練習に遅れただけで、桃と同等の罰。
二年生達でさえ、唖然としてる。

「無断で遅刻した罰だ」
「・・・・・・・わかったっす」

桃が横で、越前の脇腹を突付き、「おい、早く弁明しろ」と囁いている。
自分を迎えに来た所為で、走ること無い。
そう言ってるようだ。

しかし越前は手塚に対して、一切言い訳を言おうとしない。
黙ったままラケットをおいて、グラウンドへ行こうとする。


「ちょっと待て、越前」
「え?」
「100周と言いたい所だが、お前は50周だ。
全く部に関係ないサボりでは無いからな」

越前の後ろを追い掛けて、手塚が肩を掴む。

・・・50周なら、最初からそう言えばいいのに。
越前があっさり100周走ろうとしたから焦ったんだな。
桃を迎えに行ったことを感謝しているから、罰走を減らすと言いたかったのかもしれないが、
回りくどいんだよと僕は思った。

「さっさと走って来い。練習は始まってる。桃城もだ」
「はい」
「っす!」

手塚の声に、二人は力強く返事をした。
そしてグラウンドへと一目散へ走って行く。

「おっチビー!桃ー!とっととコートに戻って来いよー!」
英二が明るい声で、二人に声を掛ける。
前を向いたまま、越前が返事をした。
「ハイハイ、わかってるっすよ」
「ハイは一回だろ!」

そのやり取りに、皆が苦笑する。
生意気な態度はいつまでも変わらないが。
桃を迎えに行った越前を、少し見直しているみたいだ。


桃と走ってる越前の後姿を、眺める。

正面から見詰めることはもう出来ないが、こっそり見る位は許されるだろう。
一生、向き合うことは出来ないから、これ位。



僕はもう越前が二度と近付いてこないものと、決め付けてた。
手痛い言葉を返して、更に無視する。
普通なら離れていくところだ。


だけど僕はまだ越前のことを、よく理解していなかったのだ。
例え振られるとわかっていても、自分の気持ちをぶつけても構わない。
そんな強さも持っているんだって。

告白されるまで、気付いていなかった。



2004年07月14日(水) 天使不二と王子 41

シャツを、引っ張られる。
さっきから人の後ろをくっついている堀尾達に。

「おい、越前。お前は桃ちゃん先輩のことが心配じゃねえのか?」
「リョーマ君・・・・」

すがるような目。
話題はずっと桃先輩のことだ。

そりゃ俺だって、気にならないはずが無い。
レギュラージャージを置いた日以来、桃先輩が部活に顔出さないこと。


「仲良くしてたくせに、冷たい奴だな」

冷たいって、なんだよ。
心配を口に出して言えば、それでいいって訳?

堀尾の手を、振り払う。


「俺にどういう行動期待してんの?」
「え?そりゃ・・・」
「心配なら、自分で様子見に行けばいいじゃん。
俺にやらすなよ」
「越前っ!お前は桃ちゃん先輩が部活に来なくても平気なのか?」

俺の気持ちを考えもしないで、そんな事言う。
うんざりだ。

「桃先輩ならその内来るよ。今はやりたい様にさせておいたら?」
「なんだとぉ?」
「ほ、堀尾君やめなよ」
「止めるなー!」
「リョーマ君もリョーマ君なりに考えているんだからさ・・・」

カチロー達が堀尾を羽交い絞めにしているのを幸いに、さっさと部室に行って着替えた。


桃先輩が部活に現れなくなって数日。
ここまで堀尾にからまれたのは初めてだけど、
会話に必ずと言っていいほど桃先輩のことが上がる。

でも、俺は絶対戻ってくると思っているから。
それまでほっといてもいいんじゃないかと、考えてた。
ショックはショックだったろうけど、部活を止めるはずないでしょ。
あれだけテニスを、好きなんだから。

あんまり遅いようだったら、「サボりっすか」とか言って挑発しに行ってもいいけど。

部の雰囲気も暗くなって来ているみたいだし。
皆、桃先輩のこと気にして戸惑っているようだ。



「あれー、桃のやつまだ来てないのー?」

コートに響く声に、皆が顔を上げた。
菊丸先輩だ。

桃先輩がレギュラーしたことを、この人だけが特別に思っていない。
校内ランキングの結果として、受け止めてる。
菊丸先輩に全く悪気は無い。

だから俺は眉を顰めたりしない。

けど。
部のことを人一倍思いやる大石先輩には、通じないんだよね・・・。

「英二!そういう言い方は止めろよ」
「にゃーに、ムキになってんの?」


険悪になっていくゴールデンペア。

大石先輩が菊丸先輩を突き飛ばしたことによって、
更に悪化していく。
関東大会を前にして、皆動揺している。
このままじゃ、まずい。


「何をしている、お前達!」

計ったんじゃないかと思うタイミングで、厳しい声が響く。


「手塚部長!」
「手塚・・・」

さすがの二人も、部長を前にして争いを続けることは無い。
けど、顔はお互い背けたまま。
しょうがないなあ・・・。


(こんなんで初戦は大丈夫なのかな)

コートを見渡して、そんなことを考える。

ふと。
何気なく周囲を見てた視線は、とある人物の前で止まってしまった。

無意識に、その人のこと追い掛けてる自分がイヤになってしまう。

(あ・・・・)

不二先輩は俺の視線に気付いた。
こちらを向く。
けど俺だとわかると、すぐに逸らされてしまう。



そんなに関わりたくないの?
目も合わせたく無い、位に。

(俺も、平気じゃないかも)



桃先輩や大石先輩、菊丸先輩だけじゃない。
俺もこんな状態で大会に出て大丈夫なんだろうか。

「越前」
「は、はい」

突然の部長の声に、慌てて背筋を伸ばす。
ぼやっとしていたのが、ばれて怒られるのかと思った。

「軽く打つのに、付き合ってくれるか」
「え、ハイ」

違ったようだ。
ラケットを持って先を歩く部長を追い掛ける。


「越前」
「はい?」
背中を向けたまま、部長が語り掛ける。
「また・・・一人で考え込んだりするなよ」

びっくりして、一瞬足を止めてしまう。すぐに、前へ進んだけど。

(俺が、落ち込んだのわかったんだ?)

イヤになる程、部長は鋭い。
苦笑、する。

「考え込んだりなんて、してないっす」
「本当か?」
「ハイ。今はいちいち落ち込む暇なんて、無いっす」

まだ部長は何か言いたそうに、「しかし・・・」と呟く。
それを聞こえなかった振りして、俺は反対側のコートへと急いだ。


そうだ。今はテニスに集中すべきで、落ち込んでる場合じゃない。
自分に言い聞かせて、部長が打つボールを待つ為に構えた。









「でもさあ、突き飛ばすことないと思うだろ。大石は神経質すぎるんだよっ」
「はあ」

部長が目を光らせてるおかげで、今日の部活はあれから揉め事は無く終わった。
けど、菊丸先輩は不満を抱えてたようで。
帰りに拉致されて、馴染みのファーストフードへ連れ込まれた。
奢りだから、いいけど。

主な内容は、9割が愚痴だ。

「大体レギュラー落ちしても、次のチャンスだってあるんだからさあ。
実際乾は、そうやって上がった訳だろ?
桃はさぼっているんだからさー、本当はそこを怒るべきだよな」
「先輩。大石先輩が怒ったのはもっと他に言い様があったってことでしょ。
あの雰囲気の中で先輩の発言はまずかったすよ」

だってー、と菊丸先輩は拗ねる。


「下手に気ぃ使う方が桃だって居心地悪いよ。
残念ー、また今度は頑張ってねん位フレンドリーに言った方が、あいつも気が楽だって」
「それはわかりますが、本人の居ない所で発言するのはまずいっす」
「やっぱりー、俺が謝るべき?」
「先にごめんって言うべきっす。大石先輩もきっと悪気は無いってわかってるよ」
「うん」


ちょっとすっきりしたようだ。
菊丸先輩は頷いた後、にかっと笑った。
そして手をつけて無かったハンバーガーにかぶり付く。

「桃の奴、早く顔出さないかな。
後からなんて気まずいだけだぞ。なあ?」
「ですよね・・・」


菊丸先輩と桃先輩と、何回か寄り道したことある。
今ここに居ないことが、ちょっとだけ寂しい。

(明日、桃先輩の所に行ってみるか)

うん、そうしようと頷く。


「桃に会ったら、早く出て来いって言うつもりだったんだけどさー。
教室行ってもつかまらないんだわ」
「教室に行ったんすか?」
「まあね。レギュラージャージ洗濯してから返却しろとも言わないと」
「・・・・・・・」
「冗談だって」
「わかってるっすよ」
「ならそこで黙るな」

はあ、と菊丸先輩は力無く笑う。

「あー、大石は今頃胃を痛めてそう。早く仲直りしよ」
「そっすね」

愚痴大会も区切りもついたので、俺達は店を出た。
途中まで一緒の道を、歩いて行く。


「ねー、おチビ」
「何すか」
「気になってたんだけど」

一旦、言葉を区切って菊丸先輩が頭を掻く。
なんだろ、と思ったら。

「ひょっとして手塚と付き合ってたりする?」

とんでもないことを言われ、がくっと転びそうになった。


「どこからそんな話が湧いて出たんすか!?」
「だって最近なんだか二人一緒にいるじゃん。不二とおチビは全然会話していないのにさ」

それは不二先輩が俺を避けているから、とは言えない。
きっとどうしてだと、菊丸先輩は不二先輩に詰め寄るだろうから。


「もしおチビが手と付き合ってるなら。二人に余計なことしたのかなって、思ってた・・・」
「心配しなくても、部長と付き合って無いっす」
らしくもなくしょげてる菊丸先輩に、笑ってみせた。

「それに不二先輩のことは、もうちょっと自分で考えてみたいんです。
ちゃんと話せる時が来るまで、そっとしてもらえないっすか?」
「おチビ」
「お願いします」

頭を下げると、菊丸先輩は「わかった」とそっと手で俺のつむじ辺りを撫でる。

「何か考えているみたいだね、おチビ」
「うん」
「協力出来ることがあるなら、俺に言ってよ。
いつでも力になるからな」
「お願いします」
「おっ、素直ー!」

今度はぐりぐりと頭全体を撫で回される。
ぐしゃぐしゃにされて、止めてよと逃げたけど。

心はまた少し軽くなってた。

部長、と菊丸先輩。
二人は俺のこと本当に心配してくれてる。

(ありがとう)


俺もいつまでも悩んじゃいけないと思う。
でなきゃ、ずっと二人に気を使わせてしまうから。
それにじっとしているのも、似合わない。

悩みを取り除く為に、行動しよう。
結果的に、傷付いてもいい。


(不二先輩に、告白するんだ)

まだ俺の気持ちはハッキリ伝えて無い。
受け入れてくれる望みは無くても、構わない。
嫌われたと悩むよりも、もう全部言ってしまって拒絶されれば、諦めもつくから。多分。

好きだって、言ってみよう。

関東大会に迷い無く挑む為にも。


2004年07月13日(火) 天使不二と王子 40





校内ランキング戦も、終盤。


皆が、注目している。
他コートに入っている部員以外、全員がこの試合に見入っていた。

勿論、越前も。


「手塚ゾーン!?」


打球を全て吸い寄せてしまう、その技。
そんな事を可能に出来るのは、青学で一人しかいない。

全く。
底が無い才能というのは、恐ろしい。


乾の顔からは余裕が無くなっている。
幾度対戦して来たが、本気の手塚を見て動揺しているようだ。

「よく見ておくといいよ」

ラケットが、わずかに下げられるのを見て僕は呟いた。

越前の視線は、ずっと手塚に向けられている。
彼もまた、手塚に匹敵する程の才能の持ち主。

「あれが本当の手塚の伝家の宝刀」

落ちたボールが弾まず、前へと戻って行く。

先程拾えたはずの乾のダッシュ力も通じない。

「滅多に見る事は出来ないから」

越前の目は、何一つ見逃さないとずっと見開いていた。
僕の声など、届いていようが関係無しに。


「さあ 油断せず行こう」

ここまで完璧な存在は、無いだろう。
青学を引っ張っていくのに、皆が従うのに相応しい存在。

「これが俺達青学の部長・・・手塚国光だよ」


眩しい位に、圧倒する魂の輝き。
彼の隣にいても、決して消えない位の。


越前が聞いていようが、どうでも良かった。
多分、僕は自分に言い聞かせていたんだと思う。


手塚がいるから、青学は上へ行ける、大丈夫だと。
そして越前を任すのに、相応しい人だと。


口に出して、そして一つ確認して行く。

越前の隣にいるべきなのは自分じゃなくって、
手塚なんだって。


虚しくなると、わかっていても。





「お疲れ様でしたー!」


部室の中は、手塚の試合と不在の桃城の心配との話題がずっと続いていた。
僕はさっさと着替えて、「お先に」と出て行く。

「不二ー、今日は付き合えねえの?レギュラー受かったお祝いしようって、大石とも喋ってたのに」
話し掛けて来た英二に、謝罪する。
とてもバカ騒ぎする気分になれないから。

「また、今度ね」
「そう言って都大会の打ち上げも付き合わなかったじゃんか・・・。具合悪かったからしょうがないけど」
「うん、ごめん」
「うー、じゃ!今度は不二の奢りで仕切り直しだにゃー」
「それは無理」
「ケチー」
「でも家でケーキ位なら出してあげれると思うけど?」

英二は姉さんのケーキを気に入っている。
絶対だからなと約束させられ、そしてやっと解放された。



「・・・・・・」



門を出て、辺りを見渡す。

あの日、以来僕は外を歩くのが怖くなっていた。

また、うっかり天使を見てしまったら。
今度は自分が運ばれるかもしれない。
天に迎えられるのでは無く、問題を起こさない為の強制送還。
その後、どんな裁きを受けるのか考えただけで気が滅入る。


「おい」

呼びかけられた低い声に、僕はびくっと体を揺らす。

「・・・・・・亜久津」

天使の歌声では無く人間の声だったので振り向く。
こちらを凝視してる銀色の髪、亜久津が立っていた。


「何びくびくしてるんだ?」
「別に」

こんな所に、亜久津が来ることがあるのだろうか。

まさか越前に危害を加えに来たのでは、と僕は身構える。


「君こそ、青学に何か用なの?」
「ああ、そうだな」


僕を見て、亜久津がくっと笑う。

「てめえとまだ決着ついてないだろ。その件だ」
「なんだ・・・」

亜久津の狙いは越前じゃなかったようだ。
それだけで、僕は体から力を抜いた。


「じゃあ、どこか移動する?ここだと目立ち過ぎるだろ」
「お前・・・?」

亜久津が目を瞠る。
どうでも良さそうに、僕は歩き出す。


「大会前に問題起こすのはまずいからね。人目の無い所まで来たら、好きにすればいい」
「なんだと」

追いついてきた亜久津が、気分悪そうに唸る。

「殴られる覚悟があるって、言うのか?ふざけるな」
「それで君の気が済むなら好きにしたらいい。僕は手を出すつもりは無い」
「てめえ、山吹に乗り込んできた時の気構えはどこへ行った!」

逆上する。
亜久津が僕のシャツを掴む。
少し体が上を向く。

でも、抵抗はしない。


「さあ、ね」
「・・・・・・・・・・・」
「がっかりさせた?だったら殴ればいい。それで気が済むなら」

どうでも、良かった。
自分が痛みつけられること位。


「腑抜けヤロウが」

腕を、突き放される。

「殴らないの?」
「今のお前に用は無い。ふざけやがって」

チッと亜久津は舌打ちをする。

「あの時のお前を呼び出すには、小僧を使うのが一番みたいだが」
その言葉に、僕は目を見開く。

それだけは許す訳にいかない。
越前を巻き込むのだけは、絶対阻止する。

僕の心がわかったのか、亜久津は忌々しそうに言う。

「小僧との決着はもうついたから、奴にはもう手を出さねえよ。
関わる気もねえ」
「そう・・・」

越前の前に顔を出す気は無いらしい。
ほっとして、胸を撫で下ろす。


「おい。あの小僧は守ってもらうようなタマじゃないだろう。
何故、お前がでしゃばって来たんだ?」

ここまで来て結局やる気も無い僕に失望した代わりに、
理由を聞きたいのか。
亜久津が、そんなことを切り出してきた。


「そう、だね。越前は守るような存在じゃない。わかってる」

知ってる。
越前がどれだけ強いかなんて、そんな事位。

「でも、動かずにいられなかった。
ただ思うようにやった、それだけだよ」


考えるんじゃなく、動いていた。
自分でも、驚いてしまう位に。

ただ頭にあるのは、越前のことだけで。


「小僧は、知ってるのか?お前が動いたこと」

首を振る。

「知ったらきっと怒るよ。勝手なことするなって」
「違いねえ」

亜久津の唇の端が、わずかに上がる。
笑っている、みたいだった。



「お前がいれば、小僧がどれだけ無茶しようが大丈夫だろうな」
「え?」
「今度乗り込んできたら、正面からぶちのめす。覚悟してろ」

それだけ言って、亜久津は僕に背を向けて行ってしまう。
もう付き合う気は無い、といったように。



「違うんだ」


聞こえないだろうけど、僕は声を出す。


越前の側にいるのは、他にいる。
しかし誤解を解く機会は、もう無いだろう。


(どうしようもないか・・・・)


周囲を見渡して、僕も家へと急ぐ。

寄り道も、脇目も振らず。
早歩きで。

またうっかり天使に会わったりしないように。


2004年07月12日(月) 天使不二と王子 39



都大会が、幕を閉じた。

青学優勝に皆、はしゃいでいて、
気付けば打ち上げは3次会まで続いていた。

でも、最初からその中に不二先輩はいなかった。
話、したかったんだけどなあ。

今日だけはと皆、勝利を喜んで。
そして、また新しい挑戦が始まる。

この先、関東大会にも勝ち残って全国への切符を手に入れる為に。
また新たにレギュラーの座を賭けて、部員同士で力を凌ぎ合う。

校内ランキング戦。
例えレギュラーといえども、油断の出来ない全力の戦いだ。

集中しなければいけないはずなのに。

俺は他事で頭を一杯にしていた。

「おチビー、今日からランキング戦だけど頑張ろうにゃ!」
「菊丸、先輩・・・」

抱きついてきた先輩を振り払う元気も無い。
そのままにして放置しておくと、「どうかしたの?」と顔を覗きこまれる。

「何か変なんだよねー、不二もおチビも。ねえ、あれから進展あったの?」
「・・・・・・」

進展どころか、悪い方へと転がっている。

都大会の時も、今日だって。
不二先輩が俺を避けているのは、明らかだった。
偶然、校内で会ったとき、先輩はすっと目を逸らしてまるで俺がいないかのように、擦れ違った。
こんなのって、ありだろうか。
都大会で「自意識過剰なんじゃない?」とキツク言われたりしたけど。
もっと前は、普通に話しかけてくれたはず。

どうして、こんなに距離が空いてしまったのか。本当にわからない。

「ねー、おチビってば!困ったことでもあったの?」
心配そうな目をしている菊丸先輩には悪いけど、あんまり騒ぎ立てたくないから。

「先輩」

肩に置かれた菊丸先輩の腕を、外す。

「俺、今はランキング戦に勝つことしか考えていない。他考えてる余裕なんて無いでしょ?」
「そーだけど、さあ」
「先輩も、頑張って下さいね。俺、今から試合だから行って来ます」
「おチビ・・・・・・」

さっと、先輩の側から走って去って行く。


勝つことしか考えてないなんて、よく言う。
頭の中は、そんなことで占められているんじゃない。
本当にどうしようもなく、一つのことだけで。

(不二先輩)
遠くからでも、あの人を簡単に見付けられる。全く重症だ。






今日の試合は2試合とも二年生が相手だったおかげで、こんな状態でも6−0で勝てた。
(明日は大石先輩が相手か・・・)


トーナメント表の結果を遠くから一人で睨んでいると、
「越前」と声を掛けられる。

「部長・・・」
「話がある。少し、いいか」
イヤですなんて、言える空気じゃない。
こくんと頷くと、部員達から離れた場所へと誘導される。


「今日の結果は6−0だったが、試合には集中してなかったようだな」
「・・・・・・」

ああ、やっぱりばれていたか。
気まずさから、目を逸らす。

「お前が何に囚われているのかは、わかってる。悩むな、とは言わない。
だが試合中はテニスだけに集中するくらいの強さを持って欲しい。
口で言うほど、簡単じゃないだろうが」
「・・・はい、わかってます」

部長は俺を責めているんじゃない。
優しい表情に、すぐわかった。
苦しんでるけれど、それでも強くなれと助言してるだけ。

そう言われたら、反発することも出来ない。
むしろ、期待に応えたくなる。
上手いやり方だなあ。
でも部長は天然で言ってるだけだろうけど。


「明日も、時間があれば試合を見るからな。頑張れ」
「ハイ!」
力強く返事すると、部長はわかってくれたかのように頷いた。
本当、部員想いだよね。この人は。

「それから、ここからは個人的な話になるのだが・・・」
「何っすか?」
「不二とは、話出来たのか?」

ゆっくりと、俺は首を横に振った。

「そうか」
「何か、避けられてるみたい。本当に嫌われたのかも」
力なく笑って見せると、部長の眉が寄った。

「それは違うと、言っただろう。あいつは、お前のことを本当に心配してた。
嫌いな奴の世話などするはずがない」
「でも・・・俺の方を見ようともしないし」

そこまで言って、ハッと口を噤む。
べらべらと部長に不満を喋ってしまうなんて、失礼じゃないか。
部長はたまたま都大会で俺の側にいて、巻き込まれただけなのに。
こんな話も興味無いはずだ。

顔、上げられなくて俯いたままの体勢で固まる。

「スイマセン。変な話、して」
ゆっくりと、声を出す。

同時に、帽子越しに軽い重みを感じる。
部長の手だ。

「顔を上げろ」
「部長」
「話すことでお前の気が楽になるのなら、それでいい。
構わないから、どんどん俺に話してみろ」

顔を、上げる。
部長の目は穏やかで。
嘘を言ってるようには見えない。

「ハイ」
「不二と話したいというのなら、なんとかしてやる。
遠慮せず、言ってくれ」

どうしてここまでしてくれるんだろう。
部長、だから?
それだけでここまで出来るのなら、この人は世界一の部長だと思う。
心から。


ありがとうございます、が言葉にならず。

俺は、黙って頭を下げた。


2004年07月11日(日) 天使不二と王子 38


乱暴に、ドアを閉める。

その音に反応して、母が顔を出した。

「周助?どうしたの、一体」
「ごめん、ちょっと具合が悪いんだ」
「具合って?ちょっと、周助?」
「しばらく、寝てるから起こさないで」
会話もそこそこに、逃げるように自室へ飛び込む。


まだ震えが治まらない。
制服も脱がずに、布団に潜り込む。
体を丸めて、じっと落ち着くのを待った。




都大会優勝。
そのことに沸き立つチームメイト達から、自然にどこかでお祝いしようって話が持ち上がった。
付き合う気分になれなかったので、僕は体調不良を理由に欠席を申し出た。
心配して英二とタカさんは付き添うと申し出てくれたけど、それも断った。

手は、特に口出しもせず「そうか」と言っただけ。
越前の視線が向けられたのはわかっていたが、挨拶もせずに僕は輪の中から抜けて行った。


その、帰り道。
一人、バス停からの家までの道のりで見てしまった。

救急車のサイレンに、集まっている人々。
そして傍らには形が崩れた車。
――――事故だ。

野次馬する気分ではないので、その場を通り過ぎようとした。
だが、聞こえて来た何かに、僕は足を止めてしまう。

(歌?)

認識したと同時に、それはハッキリと耳に木霊する。
集まってる人達はそれに気付く素振りも無い。
そうだろう。
僕にも聞こえるはずじゃない、もの。

魂を運ばれる人を、読み取った天使の歌声。

恐る恐る僕は、事故現場へと顔を向ける。

(あれは・・・)
担架が、救急車の中へと運ばれて行く。
でも僕はもうその人が助からないことを、知った。
閉じたはずの救急車の扉から、幽霊のようにすり抜けした白い人影。
背を向けているから、はっきりと見える。
白い、羽。

人として生きてる僕には見えないはずの、天使が宙に浮いている。
まだ、歌声は続いている。
今、運ばれる魂から読み取れるたった一つの歌。

天使の姿は真後ろを向いてる為に、その表情は見えない。

が、不意に僕の視線に気付いたかのように。

ゆっくりとこちらに顔を向けた。

(・・・・っ!)

ぎゅっと僕は両手を握り締める。
汗が滲んでいるのがわかるけれど、それでも強く握る。
カタカタと、歯が音を立てる。
足も、震えている。

今、ある感情は恐怖しかない。

天使の顔じゃなく、そこには真っ黒な空間しか見えなかったからだ。
飲み込むような、黒の空洞。
そこから、まだ歌が流れてる。歌声は、美しいけれど。

(やめてくれ!)

耳を塞ぐ。
でも頭の中には、まだ歌が響いている。
あの闇に飲み込まれそうで、怖い。

目を閉じて、震える足をそれでもこの場から少しでも逃げようと一歩動かす。
一歩動いたら、もう一歩。
そして、早く早くと自分を急かして。
家まで走り続けた。



(あれは、警告なんだろうか?)

天使は追ってはこなかったけれど、存在が見えること自体がもう異常だ。

怪我を治す力と、美しい魂が見えるくらい。
他は、本当ただの人間と変わらず生きてきた。
14年も天使など見たこと無かったのに。
今になって、見えるなんて。

地上で問題を起こすなと、警告している・・・?
全て、天は見ているのだから。


(越前)
光り輝く彼を思い浮かべる。
目を閉じててもわかる、周囲を照らす程の美しい魂。

彼の未来を黒い闇に閉ざすことだけは、させるものか。
僕の所為で、越前も処罰を受けることになったと考えただけで恐ろしい。

どんなに傷付けても、僕といない方が幸せになれるのだから。
絶対に、僕は間違いだけは起こさない。









2004年07月10日(土) 天使不二と王子 37




越前の試合が始まった。

早速、挑発的な亜久津の態度に、会場が騒然とする。
その亜久津の目の前に立っている越前は、冷静だ。
怪我のお礼も出来ると考えているのか、ニヤっと笑う。


「おい。今から小僧を潰すからな。黙って見てろ」

不意に亜久津が青学側を向いて、ラケットを振り下ろした。

「にゃんだよ、あの言い方!おチビを潰すってヒドクない?
何かしたらただじゃおかないからなー!」
「英二、あまりそういう野次もどうかと」
興奮気味の英二に、大石がおろおろと宥める。
「越前、簡単に潰されるなよ。助っ人ならいつでも入るぜ!」
「バカか。んなことして反則負けになったらどうする」
「んだよ、マムシ!越前が潰されても構わないのか!?」
「誰もそんなコト一言も言ってねえだろうが」
「二人とも、こんな時にケンカしてないで、越前の応援しようよ」
桃城と海堂の間に、タカさんがこれ以上口論しない為間に入る。

やれやれ。亜久津の発言のおかげで、青学側はちょっとした騒ぎになってる。

「興味深い発言だな」

少し離れた所で、乾がノートに何か書き込みながらぽつっと呟く。

あえて無視してコートを見ていたら、
「不二、聞こえているんだろ。その確率99パーセント」という非常に鬱陶しい声が聞こえた。

「あのさ、乾。意味ありげに何か呟いていれば、いつも誰かから話し掛けてもらえると思ってたら大間違いだよ」
「不二、厳しいー。仕方ないだろう。俺は普通に人と会話出来ないからな」
「一般人との会話出来るするよう努力すれば?」
「しかし謎のデータマンという地位を捨てるのも、ちょっとな」
「どの辺が謎?」

呆れた声を出すと、乾は「まあ、そう言うな」とノートを閉じた。


「亜久津のさっきの発言。あれは特定の人物に向けて言われたと俺はみている」
「確率は?データマン」
「不二にデータマン呼ばわりされるのは微妙なものだな。確率は86パーセント」
「ふーん」
「そうやって、流そうとしてるが。お前も気付いているんだろう」


試合はもう始まっている。
越前と亜久津。
体格差のある二人だが、越前は上手く返している。
しかも。

「至近距離からのドライブボレー 強烈だ」
「やっちゃったね・・・」

亜久津の顔面にボールを叩き込んでしまった。
この事態に、荒井達が「よっしゃー!」と声を上げている。
よっしゃ、って喜ぶ所じゃないと思う。
だって亜久津がこれで越前君にもっと攻撃的になるかもしれないじゃないか。
そう思うと、この先の展開が心配だ。
また越前が怪我だらけになるんじゃないかと、怖くもなる。


「越前が心配?」
乾が僕を見て、言う。

「それもデータを取る為に必要なのかな?」
「まあね。不二の中では最重要事項みたいだから」
「憶測だけで物を言わないで欲しいな」

キッパリと告げて、僕は乾から離れようと背を向ける。

「これ位のこと、別に普段なら受け流していただろう。
それも出来ない位、余裕を無くしているのか?」

僕は答えなかった。

英二も気付いている。乾にも、感付いている。
そんなに僕の気持ちはわかりやすく、顔に出ていたのか?

なんてことだと、項垂れる。
これだけ僕の感情をを揺らしたのは、越前しかいない。
きっと、この先も。




「うあああーネットの下から現れたー!」


亜久津の動きが変化して、試合はまた雲行きが怪しくなってきた。

越前の勝利を疑っている訳じゃない。
今でも光輝く越前の魂。
亜久津の緩急をつけた動きに苦戦しつつも、越前は諦めない。
まだ挑戦し続ける目をしている。

(キレイだ・・・)

その輝きに、目が釘付けになる。
僕が惹かれた強い魂だ。



「不二」

また声を掛けられる。
今度は、手塚だった。

正直、今は話したくない相手だ。


「何?」
手塚はコートに目を向けたまま、言った。

「越前はきっと勝つだろう」

確信している手塚の声。
「だから?いちいち僕に言う必要ないんじゃないの」
僕もコートに目を向けたまま、言う。

亜久津の動きに、越前ですら精一杯のようだ。
でも諦めない。
一歩も引かずに戦っている。


「そうかな。今、越前を一番気にしてるのはお前だろう」
「手塚、何言って」

まさか手塚も気付いている?
そっと横目で手塚の様子を伺うと、手塚もこちらを見ていた。

「不二。俺は試合が始まる前に、越前に本当のこと話した」
「本当、のこと?」
「ああ。今までお前が俺に、越前のことを頼んだ話。全部だ」
「全部って・・・」


言葉を失うって、こういう状態を言うんだ。

全身どこもかしこも動かない僕に、手塚は「そうだ」と頷く。


「越前のことを一番に考えているのは、不二。お前だ」
「・・・・・・・」
「俺よりも先に越前を見て、気遣っている。
どういう訳か自分で直接守ろうとしないが、越前を見守ってる気持ちに偽りは無い。
なあ、不二。そうだろ?」

目を逸らして、僕はフェンスをぎゅっと握り締める。

「不二。何か理由があって越前の側にいかないのか?
だが越前はお前といることを望んでいるぞ。叶えてやってくれないか?」
「どうして・・・」

マッチポイントまで来ていた。
これを決めれば、この試合の気合いが決まる。

「叶えてやってくれなんて、頼まれてすることじゃないよ。
それに僕は越前なんか、別にどうとも思っていない」
「不二。嘘を付いてどうするんだ。何の得にもならない」
「嘘じゃないよ。本当に、越前はただの後輩だから・・・」


どうして、手塚は僕と越前を結ぶようなことを言えるんだろう。
好きなくせに。
自分だって越前のことを好きなのに。

理解出来ない。
好きな人の幸せだけを考えて、背中を押す。
自分だって悲しい気持ちになるはずなのに。
手塚は、それが出来るんだ。

そんな奇麗事が、本当にあるなんて。


「ゲームセット ウォンバイ青学越前。6−4!」

審判がコールを告げる。
試合は、越前の勝ちだ。

「頼む。越前と話をしてやって欲しい」
「しつこいね。僕は話をすることなんか何も無い。
付き合ってられないよ」

都大会優勝が決まった中、皆が歓声を上げる。

その中で、僕と手塚だけが黙って睨み合っていた。

「一体、お前を縛り付けるものは何だ。
そんな苦しい顔してまで嘘を付く必要がどこにある」
「手塚にはわからないよ。絶対に」

「不二ー、手塚ー!おチビちゃんが勝ちを決めたっていうのに、テンション低いぞー!」
「どうしたの、不二と手塚。何かあった?」
やって来た英二とタカさんに、手塚は「何でもない」と告げる。

「整列だな。皆、行くぞ」
「ほいほーい」
「やったな、俺達!都大会優勝だぜー!」

皆がコートへ歩いて行く中、僕は一番最後に付いて行った。

越前の方は見ないまま。



(手塚・・・君の方が僕なんかよりも、よっぽど天使らしいよ)


あんなキレイな魂には敵わない。
そしてやはり越前は、手塚と一緒にいるべきだと確信する。

僕なんかの存在に引っ張られるよりも。
手塚といる方が何倍も彼のためになる。

ただ、問題は越前の心が今間違った方へ向かっているだけ。



どうしたら手塚へ向けされることが、出来る?







2004年07月09日(金) 天使不二と王子 36


目の前の試合結果が信じられずに、呆然とする。

つい先日。
強い選手と認めたばかりの不二先輩が、山吹の選手相手に敗北していた。
ダブルスとはいえ、負けるなんて無いと思っていたのに。


(嘘・・・・)

何度瞬きしても、状況は変わらない。

青褪めている不二先輩と、心配そうに見ている河村先輩。
山吹サイドでは一勝を得たことに、大層盛り上がっている。

本当に不二先輩は、負けちゃったんだ。


「越前」
不意に部長が俺の右隣に立ち、声を掛けてきた。
「部長・・・」
「今の試合結果で、D2まで廻ることが確定した。
覚悟は出来ているか?」

何で今更、覚悟って?
首を傾けつつも、「ハイ」と答える。

「わかっているだろうが、お前の相手はあの亜久津だ。決して油断するなよ」
「そんなこと」
するかと、不満に思ったのが顔に出たらしい。

部長は腕を組んで、厳しく言い放った。
「しかし俺が見たところ、いつもより集中力が欠けてるようだが。違うか?」
「・・・・・・・・・・・」

即座に否定出来ないことが悔しくて、俯く。
どうせ誤魔化したって、部長にはばれている。

気にしないように振舞っても、さっきからずっと不二先輩を気にしている。
だって、しょうがないじゃないか。
不二先輩がいる所で、どんな顔したら良いかわからないのだから。
いつも通りって、どうしていたんだっけ?
それもわからない。


俯いたままの俺に、部長はコホンと咳払いして、俺の肩に手を置いた。

「越前」
「何すか?」
「一つお前に言っておくことがある」

そう言いながらも、部長は中々続きを言ってくれない。
「その・・・」とか「どう言ったものか」ともごもご呟いている。

いい加減早く喋ってくれないかなと、欠伸が出そうになってくる。
ようやく喋りたいことが纏まったのか、部長は大きく息を吸った。

「大会が始まる前に、俺はお前のことをちゃんと見てるように頼まれた。
亜久津に怪我させられたこともあったから、会場で絡まれたりしないようにとも」
「これ、転んだだけっす」

それより頼まれたって、誰にだよ。
主語が抜けてる・・・。
部長って、言葉足らずの人だなと思う。


「転んだ傷ではないことくらい、皆知っている。
イヤ、今はそういう話をしたいのでは無い」
「はあ」
「俺が言いたいのは・・」

そこで言葉を区切って、部長はごくんと唾を呑み込んだ。
そして何か決断するかのように、もう一方の手も俺の肩に置いていった。

「全部不二に頼まれたことだ。
今までのことも、今回のことも。
あいつはお前のことを良く見ていて、心配している。とっても」
「・・・・・・・・・・・」

必死になって不二を弁明しているかのような部長に、
(なんでそんなことしてるんだ)と疑問を覚えながらも。
言われたことを、頭で繰り返す。


「そ、んなハズ無い」

出てきた声は、自分でも頼りないようなものだった。

「いや。間違いない。不二はお前のことを気にしている」
「その根拠は?」
「俺の主観だ」
「・・・・・・・・・・」

自信満々で言っても、あまり説得力は無い。
しかし堂々としている部長に、否定の言葉を投げかけるのも気が引ける。

「俺が見たところ、どうも不二は表立ってお前を守ろうとしているのを避けてる節がある。
しかしそのくせ、お前に気付かれないよう見守ってるな。一体何故かはわからないが」
妙だよな、と部長は眉を寄せる。
同意も出来ずに、俺は曖昧な表情をした。

「とにかく不二が何を言っても、本心ではお前のことを想っているというのを忘れないで欲しい」
「あの、部長」
「何だ」
「なんで俺にそんな話をするの?」


しかもやけに唐突だったし。
何目的なの、これって。

部長の目をじっと見ると、何でもないようにいつもの冷静な表情で言われる。

「このことを伝えれば、越前が喜ぶだろうと思ったからだ」
「は?」
「大事な試合前だ。このことを知れば、気落ちしたお前が元気を取り戻すと判断した」
「・・・・・・」

やっぱりわからない。
部長の思考ってどうなってるの。

「あのー、不二先輩が俺を気にしてると仮定して」
「仮定じゃない。事実だ」
「それは置いといて、なんでそれで俺が元気になるって思ったんすか?」

なんだ、と部長は目を瞬かせる。

「それは、当然だろう。お前が不二を好きだからだ」
「俺が、不二先輩を・・・・って、ええ!?」

声を上げると、部長がびくっと後退りした。

「急に大きな声を出すから、驚いたじゃないか」
「そんなことよりも!なんで俺が」
静かにと、口を塞がれる。

一応距離は空いてるけど、他の部員達がどうしたのかと俺達を見ている。

「スミマセン、取り乱したりして」
「俺の方こそ、動揺させたりして済まない」

ちょっとばかり沈黙が流れた後、部長が口を開いた。

「お前の気持ちは、何気なく見てた時ふと気付いた。それだけだ。
しかし俺以外は気付いているかどうかわからないから、安心しろ」
「そう、っすか」

もう菊丸先輩にばれてるとは言わずにいた。

「本当に不二はお前のことを、考えている。
俺には、よくわかる」
「はあ・・・・」

いまいち信じられずにいる俺の頭を安心させるように撫でて、
「心配するな」と部長は言った。

「あいつが何を考えてるか、今度聞き出すつもりでいる。
そうしたら報告してやるからな」

聞き出すと言っても、不二先輩の方が上手だと思う。
きっとのらりくらりと交わされるだろうとわかってても、
「はい」と素直に頷いた。

「あの、部長」
「どうした」
「心配掛けてスミマセンっ」

帽子を取って、軽くおじぎをすると部長は笑顔を向けた。

「俺が勝手にやってることだと言っただろう」
「でも」
「試合、負けるなよ」

そうだ。これだけ気に掛けてくれた部長の気持ちに、応えなければならない。

「ハイっ」
「その調子だ」

去って行く部長に、少し感動する。

本当部員思いだよなー、あの人。
皆に慕われるのも、当然か。





試合終った後、早速竜崎先生に呼ばれた。
「何やってんだい、不二。今回の試合の反省点を言ってみな」
「あの、先生。不二はなんだか調子悪そうだったから」
「河村は引っ込んでいな。私は不二に聞いてるんだからね」

全部わかっている。
試合が負けたのは、僕のせいだってこと。

「・・・・僕のせいです。もっと周りを見てやるべきだったと、反省してます」
項垂れる僕の肩を、竜崎先生が叩いた。
「わかっているじゃないか。なのにあんな試合するなんて、不二らしくないねえ」
「申し訳ありません」
「なら、次はもっとちゃんとやりな」
「ハイ」
「返事は大きく!」
「ハイっ!」


情けなくって、どうしようもない気持ちになる。

「不二、本当に大丈夫?」
「うん。ごめんねタカさん。足引っ張っちゃって」
「そんな、俺の方こそフォローが遅れて悪かったと思ってるよ」
優しいタカさんの言葉が余計辛くて、「ちょっと休憩するから」とその場を離れた。

手塚と越前が一緒にいるところを見ているのも、辛かったからだ。


きっと、越前は僕に失望したよね。
あんな負け試合を見せて、どうしようも無い奴と思ったかも。

それならそれでいいと自虐的に思う反面、それでも彼の失望が怖くもある。

あんな拒絶までしておいて、なんて勝手なこと考えてるんだろう。

こんなのが天使か。
結局僕は今も昔も何も変わってない。
天使としても、人間としてもダメなままだ。


2004年07月08日(木) 天使不二と王子 35

勝手に勘違いして、バカみたいだ。
ちょっとでも希望があるなんて考えて、行動してしまった。

結果は、完璧な否定で。

『少し、自意識過剰なんじゃないかな』

そうだよ!
全くもってその通り。

先輩がちょっとでも俺のことを気に掛けてくれてるんじゃないかって・・・。
そんな期待してた自分が、本当に惨めだった。

擦っても勝手に流れてくる涙に、
(止まれ、止まれ、止まれ)と何度も命じる。
でも、また溢れて来て。

ああ、もうイヤだ。


先輩の視界から消える為走って走って走り続けて、
気付いたら会場の外れまで移動していた。

(そういえば、決勝・・・・)

やっと少し頭が冷えて、これから大事な試合があるってことを思い出した。
まだ時間は間に合うはずだけど、ここからどっちの方角に戻れば良いんだろう。

きょろきょろと辺りを見渡して、帰り道を探す。

不二先輩と顔を合わすのは、避けられない。
正直気まずいけれど、逃げ出す真似は出来ない。

元々、俺の勝手な勘違いだったんだ。

部活とこのことは関係ない。
割り切れ、と自分に言い聞かせる。

たとえ不二先輩が俺のこと、自意識過剰な奴って思ってたとしても・・・。

あ、ダメだ。
考えるとまた落ち込みそうになる。


とにかく次コートへの道を探さなくちゃって周りを見渡していると、
見知った人物が背を向けて立っていることに気付いた。


「部長?」

背を向けているけど、部長の後ろ姿だってわかってる。

「越前か・・・」
「はあ」

くるっと振り返った部長は、何か言いたそうな複雑な顔をしていた。

越前かって言われても見たままなんですけど。
それにしても、こんなところで何やってんの?
考え事しに人気のいないところまで来たにしては、おかしいよな。

首を捻りながら、部長へと近付く。

「そろそろ決勝だな」
「そうっすね」
「集合場所へ、戻るのか?」
「そのつもりですけど・・・」
「なら、行くか」

噛み合わない会話をして、部長は歩き始める。

何なの。
付いて来いってことか?
これで迷うことは無いからいいんだけど、
釈然としない。

「あの、部長」
「どうした」
「部長はあの場所で、何してたんすか?」

人気のいないところで、ぼんやりと立ってたようだけど。
しかも集合場所から離れた場所で、わざわざ。

いつもそんな風に時間潰しているんだろうか?

部長の横顔を見ると、「別に何もしていない」と答えられる。

「何もしてないって・・・会場の外れまでわざわざ来るのが趣味なんすか?」
「別にそういう訳じゃない」

はあ、と溜息をつかれる。
本当、何なの。

と、そこまで考えて、不意に思い出す。


『俺は青学部長として、今日はお前の側にいることに決めた』

今朝、そんなこと言ってたよな・・・。


「あのー、部長。聞いてもいいっすか?」
「俺が答えられることなら、いいぞ」
「ひょっとして俺のことを追い掛けて来た、が正解?」

まさかね。
だって不二先輩のところへ行って来ますと言った時、
部長は送り出してくれたんだから、その後の行動は知らないはず。

なのに、部長は「そうだ」とあっさり肯定した。

「なんでそんなコトするんすか!」

カッとなって、大声を出してしまう。

全部、見てたってこと?どこから?
不二先輩の言葉に悲しんでいた俺の表情とか、見てたんだ!?

最悪、と部長を睨みつける。

「何故って、今日はお前の側にいると言ったはずだ」
「でも、だからってこそこそと後付けることないでしょう!」

ほとんどが八つ当たりだと自分でもわかっているけど、止められない。
不二先輩との個人的な会話を聞く権利は、部長といえども無いはずだ。

しかもよりによってあんな場面を見られてたなんて。
頭に血が昇っていくのが、わかる。

「越前、ひとつ勘違いしているようだから言うが」
「何が!?」
「お前と不二が一緒にいるなら、問題無いと思っていた。
あいつがいれば、亜久津が来ても上手く対処出来るようだしな」

まだ睨んでいる俺の視線なんか、気にしない風に部長は続ける。

「だが、俺がお前を目撃した時には、一人だった。
一人でどんどん走ってしまって、周りには不二もいない。
だから追い掛けた」
「それって、えっと不二先輩と俺が一緒だった所は見てない・・・?」
「当たり前だ。何故、お前が大丈夫だとわかっていて側にいる必要がある」

自分が早とちりしたんだと、やっとわかった。

部長が追い掛けて来たのは、本当に偶然だったんだ。

「あの、スミマセン。なんか誤解したみたいで」

ぼそぼそと謝ると、部長は「気にするな」と言ってくれた。
しかも爽やかな笑顔付きで、だ。

「どうした?越前」
怪訝そうな顔に変わった部長に、慌てて目を逸らす。

「いや、あの。今の部長ってなんだか」
「なんだか?」
「若く見えました」

俺の言葉と同時に、部長はつまずきそうになる。

「部長!?」
「いや、大丈夫だ。なんともない」

たしかに転ばなかったけれど、額に汗かいてる・・・。
本当、大丈夫かな?

咳払いして、部長は何事もなかったように歩いてる。
だから俺も、それ以上ツッコミは入れない。

そのまま、再び集合場所へと歩く。


「普段の調子に戻ってきたか」
「え?」
「試合は、出れるな?」
「勿論っす!」

力強く答えると、「そうか」と部長は頷いている。

ひょっとして不二先輩とのことで、何かあったと察して気にしてたのかも。

「・・・何も聞かないんすか?」

思い切って、部長に尋ねてみる。
部員思いの部長のことだ。揉め事起こしたんじゃないかって、内心で動揺してるかもしれない。

「聞くとは、何をだ」
「さっき、不二先輩を追い掛けてったこと。とか」

そんなことか、と部長は首を振った。

「話したいのなら、聞く。そうでないのなら、当事者の問題だ。
俺に踏み込む権利は無い」
「はあ」
「いよいよ抱えきれなくなったら、放ってはおかないが。
そうじゃないんだろう?」

要するに、部長なりにそっとしてくれてるって意味?

つくづく良く出来た人だなあと、感心する。
普通、何があったかって気になって詮索してくるものなのにね。

「部長、アリガトウゴザイマス」

ちょっとした気遣いに、心が軽くなった。

さっきまで不二先輩と顔を合わせたらどうしようおかと、
混乱で一杯だったけど。
少し気が紛れたかな。

「・・・礼なんか、言わなくていい。俺がしたいから、行動してるだけだ」

そう。
肩に触れる大きな手に。
癒されるようで、心地良い。












全部、僕が決断して行動したことだ。
後悔など無い。
彼に正しい道を歩ませる為に、傷付けたことも。

・・・・いくら誤魔化しても、虚しい。
越前の涙に、まだ動揺している自分がいえる。


「不二ー、なんか元気ないね?」
「そんなことないけど?」
「手塚とおチビが一緒だったの、みたからだろ。
だから言ったじゃん。手塚は油断ならないって」

いつそんなこと言ったと、英二に反論する気力も無く、黙って項垂れる。

これから試合だというのに、僕の心は越前に気を取られたままだ。


集合場所に現れた越前は、僕を見てもいつもと変わらない顔をした。
些細な変化はあったが、事情を知らない人から見たら普段通りだろう。

僕が彼の心を、傷付けた。
もう二度と、前のようには戻れない。


視線に気付き、横を向く。
僕を見ている手塚と、目が合う。

特に睨んでいるワケじゃないけれど。
非難されてる気がして、すぐに僕は顔を背けてしまった。

(手塚と越前が一緒だったってことは。
さっきのやり取りの後、追い掛けたんだろうな・・・)

あれからずっと側にいて、越前を慰めてたの?

責めることなんて、出来やしない。

そうして二人の距離が近づいていくのを、望んでいるはずだから。
手塚と越前と。



「不二?試合、始まるよ?」

行こうかと、タカさんが顔を覗き込む。

そういえば、D2だったような。
重要な決勝が始まることを、やっと思い出す。

こんな状態で、試合出来るのか。

今まで一番不安定な状態の中、決勝が始まろうとしていた。


2004年07月07日(水) 天使不二と王子 34

都大会後半戦会場。

集合場所でまだ来ないメンバーを、皆で待っていた。

「ね、不二。あれ!」
もうすぐ指定の時間になるという所で、英二が僕の袖を引っ張った。
「何?」
「おチビと手塚。こっち向かってる」
「・・・ホントだ」

越前はともかく、手塚がこんなにギリギリになって現れるのは初めてのことだ。

「手塚ー!にゃんでおチビちゃんと一緒なんだよー」
「菊丸先輩、重いっす・・・」

登場と同時に英二は越前に飛び付く。
重い重いと不平を訴えながら、越前が手をばたばたと振る。

「菊丸、越前が苦しがっているぞ」

手塚は、さっと手を英二の襟首に伸ばし、越前から引き離す。

「あー!俺とおチビの抱擁を邪魔した!」
「潰されるかと思ったんだけど・・・」
「もー、おチビったら照れちゃって」
「照れてない!」
「おいおい、それより全員揃ったことだし、選手登録に行かないか?」

場を取り成す為、大石が声を上げる。

「そうだな。行こうか」
「あ、そういえば手塚とおチビって途中から、一緒に来たの?」

手塚遅かったよね、と英二は手塚の顔をじっと眺める。

「ああ。そこで会った。それがどうかしたか?」
「んー、手塚が遅いのって珍しいからなんでだろうって」
「家の用事で少し遅れただけだ。時間にはちゃんと間に合っただろう」
「そうだけどー」

英二はまだ納得してないようだ。
でも手塚の普段と変わらない表情を見て、無駄と悟ったのか口を閉ざす。


「英二。どうかしたの?」

選手登録も終わって、第一試合を見ようかという話になった。

まだ黙り込んでる英二に、こそっと声を掛ける。

「不二。ねえ、どう思う?」
「何が?」
「手塚だよ!なんかねー、引っ掛かるんだ」
「だから、何が」
「おチビとのことに決まってるじゃん。
さっき見た時、一瞬手塚がおチビを迎えに行ったのかと思った。
違うって言ってるけど、二人の様子を見てるとねー」

ちらっと、英二は手塚の方を向く。

その近くには、欠伸している越前。

付かず離れずの距離で、二人は立っている。

「なんで、おチビってば手塚の側にいるの?不二、どう思う?」
「別にどうってことないんじゃない?
越前ってどこでもふらふら歩くから、手塚がそこにいるようにって指示しているだけでしょ。
今日は・・・・亜久津もここに来ているんだから」
「亜久津かあ。確かに危険だけど、おチビがそんなことで言うこと聞く?」
「部長命令だからでしょ。さすがに越前も手塚のことは一目置いてるようだから、
それくらいは守るんじゃないかな?」


思った以上に、手塚はきちんと越前の面倒を見ているようだった。

英二には適当に返事したけれど、僕は手塚が越前を迎えに行ったのは間違いないと見ている。
ちゃんと越前が亜久津と揉め事を起こさないようにと、あの堅物は使命に燃えているに違いない。


「そんな呑気なこと言ってていいの!?」
「英二?何焦ってるのか、さっぱりわからないんだけど」
「手塚だよ。ひょっとしておチビのこと、気になってるんじゃないの?
ああ!今もちらちらと見てるし!」
「だから、問題を起こさないか監視してるだけだって」

あれ、あの目が危ないと騒ぎ出す英二を宥める。

やれやれ。
英二も、手塚の態度に気付き始めたかな。

「おチビに好かれているって油断してて、手塚に取られたらどうするんだよ。
そうなって泣きついても遅いんだから」
「取れられるって、越前は物じゃないよ」
「もう!不二はもっと一生懸命になった方がいい、絶対!」
「英二。手塚が公私混同するような奴じゃないってわかっているでしょ。
妄想は止めて、試合を観に行くよ」
「なんだよ、折角不二のことを心配しているのに。
もう、もう・・・おチビとのこと応援してやらないからなー!!」

わああと叫んで、英二は大石の方へ行ってしまった。
不二がヒドイと大きな声を出す英二に、大石は訳もわからず「落ち着け」なんて言っている。

「不二。なにかあったのか?」
乾が怪訝そうな顔をして、尋ねて来る。
「別に。勝手に暴走してるだけ。ノートに書く程じゃないよ」
「これは失礼」

ふーん?と乾も意味ありげな顔をする。


手塚の気持ちも、僕のも、越前のもわかっているのだろうか。

(でも、僕の本当の心だけは誰にもわからないだろうけど)

手塚に越前を任せて安心している心と、
嫉妬している心。

矛盾だらけで、わかりはしない。誰にも。







第一試合は不動峰と、山吹の試合だ。

勝った方が決勝の相手になる。
青学と良い勝負をした不動峰がそう簡単に負けるわけないと、皆は予想していた。

けれど、蓋を開けてみたら試合は一方的なモノだった。


「事故だって?」
「遅れてきた4人が!?」

棄権する橘を見て、会場は騒がしくなって行った。

聞こえきた話によると、どうやら不動峰のメンバーが来る途中で事故にあったらしい。


「決勝は、山吹中で決まりか」
「不動峰ともやりたかったっすね」
事故とはいえ、後味の悪い試合の結末だ。
重苦しい雰囲気に包まれ、メンバーの口数が減っていく。


「棄権すんならハナからくるんじゃねーよバカ!」

聞こえてきたガラの悪い声に、顔を上げる。

「「亜久津・・・!」」
越前と英二が声を上げた。
「おい、あいつ何やってんだ?不動峰にも絡んでるのか!?」

ケンカになるのなら、止めようと僕らも移動する。

だけど、さすがは橘だ。
挑発に乗りそうになった神尾を止めて、亜久津など相手にしないようにと諭す。

「いくぞ」

ちょうど不動峰を迎える格好になっていた僕らに、橘はふっと笑った。

「手塚。ワリーな。関東までお預けだ」
「ああ」

関東では必ず勝ち上がって試合しよう。
込められた短い言葉に、手塚は真摯に頷く。


「やっぱりムカつきません?あいつ」
「ああ」

聞こえてきた越前の言葉に、僕はじっと様子を伺う。
まさかとは思うけど、この場で越前が亜久津を殴りかからないとも限らない。
その時は、絶対に止めなければ。
越前の為にも。


「ようこそ、青学のみなさん」

バカにするかのように、両手を上げて亜久津はにやっと笑う。

「おい、小僧。ちゃんと勝ち上がって来るんだろうな」

越前に向けて、挑発的な言葉を吐く。

「当たり前だろ」
「越前、相手にするな」

さっと手塚は越前の前に腕を出して、止めようとする。

「次の試合は銀華中とだ。そのことを忘れるな」
「・・・・・・」

不服そうな顔する越前に、亜久津はげらげらと笑い出す。

「お前、色んな奴に守られてるようだな。
そんなんで俺とタイマン張れるのか?」
「はあ?誰が守られてるって?」
「越前っ!」

再び声を上げる手塚に、越前はさすがにそれ以上何も言わなかった。

「皆も、もう行こう。そろそろ準備運動も始めないとな」

さあ、と亜久津から遠ざけるように、手塚は全員を促す。

「おい、待てよ」

当然、無視されてた亜久津は黙っていられないとばかり、こちらに数歩近付いてきた。

「おい、お前。今日は小僧のお守りをこいつに任せてるのか?
この間俺に啖呵切った威勢はどうした」

はっきりと、今度は僕に向かって呼びかける。

「え?不二?亜久津と会ったことあんの?」

どうなってるの?と英二は僕と亜久津の顔を交互に眺める。

「小僧に近付くなって言ってたよな?
だったら阻止してみろ」

一歩、二歩。また亜久津が距離を縮めてくる。

迎え打ったら、大会どころじゃなくなる。ここは逃げるべきか。
考えがまとまらないまま、また亜久津が近付く。

「不二先輩・・・・」

越前の声に、僕はちらっと横を向く。
心配そうな顔。
大丈夫。君には近付けさせないから。


「あー!亜久津!南っ、東方っ。こっち、こっちだって!」


緊張を破ったのは、千石の声だった。

「げっ、青学!あああ亜久津、もうみんな集合しているんだ、こっち来てくれ」
「ああ!?俺に命令するな!」
「いいから、行くよ!」
「おい、てめえら!」
追い立てようとする千石ともう二人に、亜久津が声を荒げる。

「俺に触れるな」

チームメイトにも手を上げようとした時。

「亜久津君、ここにいましたか」
「あ、伴爺っ!亜久津を頼む」

にこにこと笑いながら、山吹の顧問らしき人が登場した。

「試合をやれずに鬱憤が溜まっているのもわかりますが、
ここでは揉め事を起こさないで下さいよ」
「なんだと、ジジイ」
「さあ、皆さん。亜久津君を集合場所へ連れて行きましょうか」
「おい!」
「青学の皆さん、お騒がせしました」

軽く頭を下げて、顧問らしき人は亜久津の背中を押し始める。

わめいている亜久津と、温和な表情を崩さない顧問と、
青い顔しながら取り巻くチームメイト達。


彼らが遠ざかるのを見送って、
僕らは顔を見合わせた。

「今の、なんだったんだ?」
「さあ?」
「でも亜久津とケンカにならなくて良かったじゃん!
ちょっと俺、焦ったー」
「別に俺はやっても良かったけど」
「越前」
「スミマセン」

取り合えず、試合会場へ移ろうと歩き出す手塚に、
皆も一緒になって歩き始めた。



「それにしても亜久津って誰にでもケンカ売るんだな」
「ケンカなら負けないっすけど。やっぱりここじゃできねえよな。できねえよ」
「ところで、不二。亜久津のこと知ってるみたいだったけど・・・?」

タカさんの言葉に、全員の目が僕に集中する。

「ああ、ちょっとね。この間、偶然亜久津を見掛けたんだ。
で、話をしようと声を掛けたんだけど。
心配するといけないから、皆には言わなかったけど」
「不二ー!そんな大事なこと」
「ごめんって。出来れば謝罪をして欲しいって申し出たけど、
だめだった。話が通じないんだ」
「無茶するなよ、全く・・・」

胃を抑える大石に、悪かったと謝罪する。

黙ったままこちらを見る手塚に、僕は目を逸らした。

ばれてる、だろうか。
僕が亜久津に対して警告しに行ったこと。

越前も、黙っている。
無反応なようだけれど、内心どう思っているのだろう。

何か聞かれても、本当のことは勿論言うつもりは無い。
越前の為に行動したなんて。
絶対言えない。
好きだって言うのと、同じ位に。



決勝が山吹に決まり、亜久津と会ったことで僕らの士気も上がっていた。

銀華に勝ち、絶対に決勝へ行く。

それは当然向こうも思っていることで、
銀華の部員達も相当気合いが入っている表情をしている。

この試合、油断ならないと皆で目配せする。



「スミマセン、腹痛いんで、棄権します」

「へ?」



さっきの不動峰の棄権以上に、予期しないことが起きた。

銀華中。腹痛によりまさかの棄権試合。





「なーんか、拍子抜けしたー」

あっけない準決勝に、僕も少なからず力が抜けていた。

「準決勝は試合せず勝ったが、次はそうはいかない。
油断せず行こう」

変わらずガチガチな思考の手塚に、皆は引き攣った笑いを浮かべる。

あの腹痛、どう見ても不自然なものだった。
全員がそう思っているのに、手塚はなんの疑問にも持たないのかな?
・・・・手塚だからか。


「・・・決勝まで時間あるみたいなんで。俺、ちょっと走って来ます」
海堂が手を上げて、許可を求める。
「ああ。時間までには戻って来いよ」
「はい」
「英二。俺らもフォーメーションのチェックしようか」
「ほいほい」
「俺もー、準備運動しときますー!」
「あ、俺も・・・」

それぞれが決勝に向けて、気合いを入れ直し始める。

僕もちょっと走って来ようかと大石に言付けして、
会場の周りを走り始めた。

次のオーダーはまだ発表されていない。

山吹に対して、一体どんな組み合わせをするのだろう。


そんなことを考えながら走り続ける。

「不二先輩」
「越前!?」

後ろから追いついてきた人影に、僕は足を止めた。

越前だ。
すぐに僕の前までやって来た。

「何、やってるのこんなところで」
「・・・不二先輩が走って行くの見えたから、だから」
「ついて来たって言うの?」

こくんと越前は頷いた。

手塚に越前のこと見ててっていったのに、
一体何やってるんだ。
この間に亜久津と会ったら、どうなっていたのかわからないでもないだろうに。

「手塚は?君と一緒じゃなかったの?」

つい咎めるように言うと、越前は目を伏せてしまった。

「一緒だったんだけど、不二先輩の後を追い掛けて行くっていったら、
そうかって言ってました」
「・・・・・・・」

それで引き止めなかったのか。


『越前の危険を考えるのは、わかるが。
何故、お前が側にいてやろうとしない?』
『その方が、いいんじゃないのか』

ちらっと思ったことだけれど、手塚は越前の気持ちに気付いている?
だから僕の元へ行かせようと考えた?


(お人好し)

手塚は、そういう奴だ。
わかっている。

自分の気持ちよりも、越前の気持ちを優先させようと。
越前の望むようにさせようと、している。

そんな奴だからこそ。
僕は手塚に越前を託したいんだ。

たとえ手塚が越前の気持ちに気付いてたとしても、問題無い。
僕が越前を受け入れなければ、後は手塚が彼を受け止めてくれる。
その未来こそが、正しい。



「それで?わざわざ追い掛けてきて、何か用でもあったのかな?
昨日の試合の続きなら、大会が終るまでは無理だけど?」


わざとそんな言い方をすると、越前は困ったように言葉を詰まらせた。

「違います。
あの、さっきの亜久津のことなんですけど」
「亜久津?彼がどうかした?」

やっぱりさっきの話だった。
否定すべきことは、きちんとしなければと僕は身構える。

「俺の為なんですか?
亜久津と揉め事を起こさないように、亜久津に会いに行って。
部長に俺のことを見ててもらうように言ったのも。
どうして?
先輩は俺のこと避けてるようで、そのくせ気にしてくれてる。
ねえ、どうして?」

顔を上げて、越前はしっかりと僕の目を見た。

本当の答えを聞きたがっている、子供の目。
どこまでも澄んだ目に、正直に話してしまいたい誘惑に駆られる。

「不二先輩」

小さな手が、僕のジャージの裾を掴まれる。

催促する仕草に、決心を決めた。

嘘を付こう。
君の未来の為にも。
いずれ帰ってしまう僕なんかじゃなく、ちゃんと君の側にいてくれる奴を選んで欲しいから。


越前の手を、振り払った。




「君とは関係ない。
僕が亜久津を気に入らないってだけだ。たまたま会ったから、注意しただけで。
どうしてそこに君が出てくるの?
大会の為にも揉め事は避けなくちゃいけない。
少し、自意識過剰なんじゃないかな」

顔を見ないまま、一気に捲くし立てる。
これで後戻りは出来なくなった。

「そう、っすよね。
不二先輩と俺とは、親しくもなんともないんだから・・・。
勘違いしてたみたいっす」

語尾が小さくなっていく越前の声を聞いて、やっと僕は顔を上げた。

「変なこと言って、スミマセン。
俺、どうかしていたみたい・・・・」
「越前!?」

背を向けて、越前は走り出してしまった。

小さくなっていく姿を、僕は呆然と見ていた。

「泣いて・・・た?」

一瞬しか見えなかったけれど、越前の目には確かに涙が浮かんでいた。


僕の言葉に傷付いた、ってこと?
あの越前が?

そんなまさか。
僕が知ってる彼は、他人の言葉くらいに動じる子じゃない。
はね返す位の力を持っている。


でも、と考え直す。

『間違いないって!
多分、俺には言わないだけで、不二が尋ねていたら好きって認めていたよ。きっと』

英二は言っていた。
越前は僕のことを好きだって。

それが本当なら。
そして僕が思うよりも、越前が僕のことを好きだったとしたら?

いくらテニスの腕や意志が強いからと言っても、越前はまだ12歳の子供だ。
好きな人に冷たくされたら、悲しくなるだろう。
それが普通の反応。

逆の立場だったらと、考えてみる。

越前が僕に冷たい態度を取って、傷付ける言葉を言ったとしたら。


当然、悲しいと思うだろう。



「越前、ごめん・・・」

ごめん、と届かないけど、繰り返す。



君の気持ちに、応えることだけは出来ないんだ。

どうかこのまま僕を忘れて。

勝手な願いだけれど、君の幸せを祈っている気持ちだけは本当だから。


追い掛けてしまいたい足をぐっと堪え、空を仰ぐ。


神様。
彼の未来の為にも、
これで良いんですよね?


2004年07月06日(火) 天使不二と王子 33



勝つ、つもりだった。
この先もどんな技を先輩が出そうが、破ってみせるつもりだった。
そして俺のこと、認めてもらうんだ。

雨がどれだけ降ろうと。
決着を着けようと、高くボールを上げたのに。


「同じ部内の者同士、いつでも出来るだろうが」

ばあさんからのストップに、俺は不満たっぷりの顔をした。

何故かわからないけど、今やらなくちゃいけない気がしたからだ。

「残念だけど、この勝負おあずけだね」
笑って、先輩がラケットを下へと下ろす。
さっきまで俺のボールを返した人と違うみたいな穏やかな笑顔。
もう試合続行の意志は無いんだと、察する。

「ずるいっすよ。自分が4−3で勝ってるからって・・・」

勝ち逃げされるのは、嫌いだ。

「いい加減にしないか!」
ばあさんに頬を抓られ、仕方なく俺も中断を認めた。
ものすごく、不本意だけど。

「ほれ、さっさと着替えんかい」
そのまま追い立てられ、ばあさんの手に寄って部室に放り込まれてしまう。

しかし何故か先輩は、まだ部室に来ない。
雨の中、何やってんだ?
着替えなきゃ風邪引くっていうのを、不二先輩にも言ってやって欲しいよ。

でも顔を合わさない方が良かったのかもしれない。

「越前ー!雨が止んでるみたいだから、今の内に帰るぞ!」
「ういーっす」

送ってくれるらしい桃先輩に返事して、さっさと着替える。


4−3だから、逆転の可能性はあるけど。
負けてたのは、事実で。

正直、悔しい。

技を破った時、少しは俺のこと認めてくれたのかなとは思った。
でも、また余裕の笑みを浮かべる先輩を見て、まだまだだと悟った。

もっと、追い上げなくっちゃ。
そうでなきゃ、俺のこと認めてくれない気がして、本気を出した。

なのに、結果は4−3で。

情けない、と軽く手で頬を叩いた。


でも、まだこれからだよな・・・?












都大会当日の朝。

さすがに遅刻はまずいと思い、目覚ましを二つセットして寝た。
なのに、いつの間にか止めていたみたい。

俺を起こしたのは、部屋へ入って来た菜々子さんの声だった。

「リョーマさん、起きて下さい!」
「・・・・・菜々子、だん?」
「部長さんがお迎えに来てますよ!」
「え!」

部長、の単語に反応して布団を跳ね除ける。

「部長って!?」
カルピンがびっくりして、開いてたドアから逃げて行く。
菜々子さんは少し慌てた口調で、「急いで下さい」と言った。
「今、下で待っています。早く着替えて、降りて来て下さい」
「部長が?」
「そうです。手塚さん、と名乗っていましたけれど」

間違いない。
手塚部長だ。

大急ぎで用意していたレギュラージャージに着替え始める。

そういえばこの間送って貰ったんだ。
俺の家、知ってて当たり前か。
その前にも遅刻しないように迎えに来ようとかも、言ってた気がする。
でも、俺は断ったような・・・。

って、今はそんなのどうでもいいか。とにかく急ぐのみ!



荷物を肩に掛け、勢い良く階段を降りると、
椅子に座ってた部長と目が合った。

「おはよう、越前」
「・・・っす」

遅刻しそうな時間まで寝ていたことが気まずくて、ちゃんと顔が見れない。

「リョーマさん、朝ご飯を食べる時間はありますか?」
どうしようかと聞いてきた菜々子さんの方へ、体を向ける。
「無理、かも」

空腹なままで試合っていうのはキツイけど、途中で何か買えばいいし。
そう思っていたら、急に部長が立ち上がった。

「ゆっくりは無理だが、急いで食べれば問題ない。
朝食はきちんと、取った方がいい」
「ですって。リョーマさん、早く、早く」
「え・・・・っと」

菜々子さんに手を掴まれ、食卓に座らされる。

和食じゃないと文句言ってる場合じゃない。
トーストを大口開けて頬張り、牛乳で流し込む。
デザートに出たキウイも一口だ。

「部長、終わりました」
「・・・・いくらなんでも、早過ぎるぞ」

俺の食事風景を見ていた部長が、眉間に皺を寄せる。

だってしょうがないじゃん。
もうぎりぎりの時間なんだから。
まあ、起きれなかった俺のせい、だけど。



「行って来ます!」

頑張って下さいと言う菜々子さんに、軽く手を上げて玄関を出る。

先に出た部長に、小走りで追いつく。

「間に合いそうっすか」
「大丈夫だ。のんびりしなければ、間に合う」

それでもちょっと早足で、バス停へと歩く。

「部長」
「なんだ」
「その、アリガトウゴザイマス。
部長が迎えに来なかったら、遅刻していたかもしれない・・・」

少しずつ声を小さくして行きながら、言葉を探す。

グラウンド50周かな、これも。
結局起きられなかったのは、事実だし。

だけど部長は俺が考えと、全く違うことを口にした。

「別に礼を言われる程じゃない」
「え?」
「俺がそうしたいと思ったから行動したまでだ。
お前が気にすることは、無い」
「・・・そーっすか」

要するにこれも部長としての努めの一つってこと?

わざわざ家の近くでもない後輩を起こしにくることが・・・?
でも、部長だからなあ。
自分で何かの使命に燃えちゃったのかも。

あり得ると、俺は心の中で頷く。

で、結局お咎めはあるんだろうかと考え始めていると、
ずっと前を向いたままだった部長がこっちに視線を向けた。
斜め下なのが、微妙にムカつくけど、まあそれはいい。

「迎えに来ようと思ったのは、
お前が会場を入る時にトラブルに巻き込まれないようにする為でもある」
「はあ?」
「また、転んだりしたら大変だろう」
「俺、そんな鈍くないっすけど」

はあ、と部長が溜息を付く。

「つい最近、’転んだ’ばかりなのを、忘れたのか」


それで、思い出した。

亜久津のこと。
あの凶悪な面構え。
絶対、試合中に叩きのめしてやると誓ったんだった。

亜久津が青学に来て、俺やカチローに石を投げたことは内緒になってて。
表向きには、転んだことになってる。
勿論、部長はそんな下手なウソわかってるんだろうけど。

もしかして、会場前で亜久津と鉢合わせすることを懸念して、
家に来てくれたとか?
そりゃ、遅刻の心配も入っているだろうけど。
たしかにまた問題起こされたら、大会どころじゃなくなるもんね。


「覚えてるっす」

そうだろ、と部長は頷く。

「大会へは、ベストな状態で望む。
その為に迎えに来た。今日は、一日俺の側についてろ」
「でも、部長」

なんかこそこそしてるみたいだ。
そんなのイヤだったから抗議をしようとするけど、
部長の声に遮られる。

「頼む。今日一日言う通りにしてくれ。
それに、これは不二の提案でもある」
「不二先輩が!?」

意外な名前に、俺は目を見開く。

そうだ、と部長は続けた。

「昨日の帰り、不二が言ったんだ。
亜久津と接触して、またコトが起きたらまずいと。
だから俺は青学部長として、今日はお前の側にいることに決めた」
「なんで、不二先輩がそんなこと言うんすか。
部長の人が良い所に付け込んで、面倒押し付けたりして・・・。」

わけわかんない。

忙しい部長に頼むよりも、自分でやればいいのに。

面倒だから、人に任せようと思ったの?
やっぱり俺のことなんて、好きでもなんでも無いのかもしれない。

がっかりしながら顔を伏せていると、部長が俺の頭に手を置いた。

「部長?」

くしゃくしゃっと髪を撫でられる。

「不二の考えてることは、俺にはよくわからんが・・・。
あいつはちゃんとお前のことを、見てると思う」
「え?」
「今回の件だって、俺にはそこまで気が回らなかった。
お前を気にしてたのはあいつだけだ。その点はわかってやれ」

もう一度髪を撫でて、部長の手が離れる。

ひょっとして、慰めてくれたんだろうか?

部長の顔を横目で見ると、なんだか複雑そうな顔をしていた。

「一つだけ言っておくが、俺は面倒を押し付けられたなんて思っていないからな」
「わかってるっす。部長が後輩のことを、面倒なんて思うわけないでしょ。
それくらいは、俺でもわかりますよ」

責任感の強い部長を一生懸命褒めたつもりだったけど、部長の眉間の皺は増える一方だった。

なんか、言葉を間違えたかな?

「なかなか、フェアにっていうのは難しいものだな」
「なんの話っすか?」
「イヤ、こっちの話だ」

試合が始まる前から疲れ気味の部長と、もう少しスピードを上げて会場へ向かった。


2004年07月05日(月) 天使不二と王子 32

一体、どこにそんな力が残っていたのだろう。
あの持久走の後だというのに、越前は鮮やかなスプリットステップを踏んでいる。

本当、なんて子なんだ。

思わず僕も本気になっていく。
知らず知らずの内に、本気で打球を追っていた。
そうでなければ、あのボールには追いつけない。

この時の僕の頭には、ほどほどに手を抜くなんて考えてもいなかった。

彼に引っ張られ、次第に本気になって行く。


「もうロブ上げなくてもいいっスよ!」

得意そうな越前の声。
まさか、あんな手を使ってくるとはね。

「とんでもない事するなあ。凄いね越前君」
「どーも」

こんな短期間でカウンターの一つを攻略してしまうなんて。
改めて越前リョーマという選手の才能を、見せてもらったよ。

これでまた試合の行方がわからなくなった。
さっきまでは僕が優位だったというのに。

突き放しても、また越前は追いついてくる。
滅多に味わえないスリルに、僕は心から夢中になっていた。

雨が降ろうが、止めるつもりは本当に無かったんだ。


「コラ〜ッ!いつまでやっとんじゃ!バカモン!」
竜崎先生の声に、僕も越前も動きを止める。
良いところだったのに。
しかしこれ以上続けさせてはくれない様子に、溜息を一つつく。

(この雨じゃしょうがないか。でも・・・)

同じ部内だからって、そう簡単に出来るものじゃない。
ましてや、僕は越前に自分から接触する気も無いし、
彼から申し込んできても断る気でいた。
必要以上、関わらない為に。


「残念だけど、この勝負おあずけだね」

二度と続きが来ないだろうゲーム。
それでもそんなことを口にする訳にもいかず、曖昧に誤魔化し終わりを告げる。

越前の方は僕がさっさと戦線離脱したのが気に入らないのか、
不服そうにぷいっと下を向いた。

「ずるいっすよ。自分が4−3で勝ってるからって。これからなのに・・・」
ぐちぐち言う越前に、竜崎先生は顔を顰める。
「つべこべ言わずにあがらんか!」
むぎゅっと両手で頬を掴まれ、越前もさすがにラケットを落としてしまう。

さっきまでコートで力強くラケットを振ってた越前と全く違う雰囲気に笑ってしまう。

「不二先輩、その内ぜったい勝負つけましょうね」
「リョーマ!さっさと着替んかい!」
「ハーイ」

竜崎先生に連れられて、越前は部室へ行ってしまった。
その場に残ってたんじゃ、まだ僕に食い下がると先生は判断したんだろうな。

僕も、部室へ戻ろうとコートから歩き出す。

(あれ・・・?)

ふと、フェンスの片隅に、雨だというのに立ってる人物に気付く。

ずっと、僕と越前のやり取りを見ていたのだろう。
そちらに足を向け、思ったことを尋ねてみる。

「ねえ、手塚・・・」
腕を組んだまま、手塚は僕の視線を真正面から受けて立っている。
「越前と試合した時、キミもこうだった?」

こんな、気持ち。
手塚は僕より先に越前と試合したから、知ってるはずだ。

誰にも言ってないはずだが?なんて顔をして手塚は答える。

「知っていたのか?」
「うん!なんとなく」
「そうか」

で、どうだったのか手塚は何も答えない。
僕の話、聞いてたはずなのにな。

けど追求をしないまま、僕も黙っていた。

手塚から越前との試合がどんなだったのか、やっぱり知らなくてもいい。

僕は今行われた、僕と越前との試合さえ覚えていればいいんだ。

「都大会が楽しみだね。越前のやる気は十分だろうし」
頷く手塚に、さも今気付いたように、声を上げる。

「そうだ。でもあいつには注意しておかないと。越前、目を付けられているんだろ?」
「あいつ、とは?」
「もう、忘れたの。山吹中の亜久津。越前に怪我させた奴だよ」

まさかとは思うが、越前が転んだだけという主張を鵜呑みしている訳じゃないだろうな。

「亜久津か。しかし大会中に何か仕掛けてくる訳じゃないだろう」
やっと話が繋がったみたいだ。
良かった、と思いながら話を続ける。
「わからないよ。試合の時だって、越前が殴られない保障がどこにある?」
「おい、そんなことしたら反則だろう」
眉間に皺を寄せる手塚に、わかってないなあと、僕は大きく息を吐いた。

「反則取られればそれで良いのかい?
その前に越前の危険を回避しようとか、君は考えていないのか」
「どうしたらいいんだ」

だめだ。
手塚は本当にわかってない。
何かあったら遅いのに。

「まず、大会の間は越前を一人にしないこと。どっかで遭遇したら、またケンカになるかもしれないし」
「そう、だな。その可能性は否定出来ない」
手塚は素直に納得してくれた。
こういう所は、楽なんだけどね。

「その役目は、君がやってよね」
「何故、俺が」
うろたえる手塚に、僕は畳み掛けた。

「だって越前は君の言うことなら、聞くからね。
適当な理由つけて、俺の側から離れるなとでも言っておけば?」
「そんな事言えるか!」

何か違うこと考えてる手塚に、少し頭が痛くなってくる。
この程度のことも言えなくてどうする。
告白をしろとけしかけたら、手塚の神経が壊れてしまうんじゃないかと疑ってしまう。

「だから、必要なことなんだって。亜久津に越前が殴られるよりはマシじゃないか」
「しかし・・・」
「また転んだりしない為に、常に近くにいろとでも言っておけばいい。
大会前に怪我しないよう、見張ってるからなと越前に言えばきっと従うよ」
「そうか・・・?」
「もうトラブルを起こしたくないだろ。これも部の為なんだよ」

越前の為とは、言わなかった。
あくまでテニス部のことの為と言っておく方が、手塚も動きやすいだろう。

「わかった」
「うん。なら、決まりだね。大事なルーキーを頼んだよ、部長さん」

部長の仕事だから、と念押しすると、手塚は「ああ」と力強く頷く。
これで大会の間、越前は安全だろう。
亜久津が殴りかかって来ようが、手塚は越前を守り通すに違いない。
勿論、僕も影から見張るつもりだけど。
越前を直接的に助けるのは、手塚でなければいけない。


(例え、越前の気持ちが僕に向いていたとしても・・・・)


英二の言ってることだから、まだ決まった訳じゃない。

けど、もしそれが本当だったらと思うと怖ろしい。
罰を受けようが、彼を選んでしまおうとしてる自分の気持ちが怖いんだ。

その罰が、僕一人に課せられるものなら構わない。
けど、万が一越前まで巻き込んでしまうものだったら。
あり得ないなんて、誰にもわからない。

(イヤだ。そんなことは許さない。
越前の人生は、幸せに満ち溢れるものじゃなくてはいけないんだ)

それだけが、僕の願い。
叶える為なら、自分の気持ちは消してしまわなければ。



「不二」
「あ、何?」

すっかり自分の考えにはまっていた僕は、こちらを見ている手塚の視線に気付かないでいた。

部室へと歩きながら、手塚はぼそっと呟く。

「越前の危険を考えるのは、わかるが。
何故、お前が側にいてやろうとしない?」
「え?」
「その方が、いいんじゃないのか」

それだけ言って、前を向いてしまう。

何を言われたか、数秒考えて、僕は慌てて返事をする。

「だからさっきも言ったじゃないか。越前は君の言うことなら聞くって。
僕なんかじゃ、だめだよ」
しかし、手塚は首を振って否定する。

「俺にはそうとは思えない」
「どういう意味?」
「お前の話も、越前はちゃんと聞くんじゃないのか?
俺にはそう思える。さっきも、ネット越しにお互いわかりあえていたように見えた」

ぎくっと、頬を強張らせる。

手塚は越前のことをよく見ている。
英二のように何か思うことがあったのか?

しかし手塚がそれを恋愛感情に結びつけるほど勘の鋭い奴ではないと思い直し、
何気ないように肩を竦めてみせた。

「テニスに関して、越前が僕を認めたってだけじゃないの?
それとこれとは話が違うよ」
「しかし」
「それにね。後輩の面倒を見るなんて、正直勘弁してくれないかな。
そういうのは部長の役目でしょ?
僕は試合前に、そんなことしたくないし。
有力な選手がケンカに巻き込まれるのはイヤだから、君に忠告しただけに過ぎないし」


勿論、本心からの言葉じゃない。
けどこの先もずっと自分の心にウソをつかなくちゃいけないのだから、
こんなこと言うくらいなんでもない。
そう自分に言い聞かせる。

「不二、本当にそう思っているのか」
「うん。だから越前のことは君に任せるよ。
後でトラブルが起きたって言われても、僕は知らないからね」
「・・・わかった。越前のことは、ちゃんと俺が見ておこう。
部長として、あいつの側にいる」
「そう。頑張って」


これからずっと、こんな風にウソを付き続けなければならない。

苦しいよ。

けれど、それも越前の為だと思えるのなら。
笑ってウソをつけそうな気がするんだ。


2004年07月04日(日) 天使不二と王子 31


驚いた。
朝一番に不二先輩と会ってしまうなんて。
そりゃ部活に出れば顔を合わすのは普通なんだけど、そんないきなり過ぎる。
もっと心の準備が必要なのに。
どんな顔してたっけ?全くわからない。
ドキドキする心臓を煩いと思いながら、手早く着替える。
また遅刻したら怒られてしまう。
あんまりそういうみっともない所、不二先輩に見られたくないと今更そんなことを考える。
・・・・・・・・・重症、みたい。
昨日から、ううんもうずっと前から不二先輩のことで頭が一杯なんだ。

あ、そうだ。
一つ大事なことに気付く
菊丸先輩には口止めしとかないと。
昨日はパニックになっちゃって、あの後ろくな会話出来なかったんだった。
とりあえず自分でどうにかするから、黙ってて下さいって言っておくべきだ。
騒がれて、不二先輩と気まずくなるの、嫌だし。

本当に菊丸先輩が言ったように、不二先輩が俺のこと好きなのかなあ。
気になる。不二先輩がどう思ってるのか、ものすごく気になる。
聞きたいような、怖いような。
それでいて、好きでいて欲しいと願ってる。

こんなの初めてだ。






朝練では、なるべく不二先輩の方を見ないようにした。

『不二の目も、おチビと同じ。
好きですーって訴えてるんだよ。今度ちゃんと気付いてあげなよ』
うん、気付きたいよ。
でも今そんなの見たら、思わず声上げそうだ。
自分の気持ちを静める為にも、思い切りテニスに集中してた。

「越前、気合い入ってるよなあ」
相手してくれた桃先輩が、感心したように呟く。

「やっぱり、亜久津の件があるからか?」
「え、っと。そうっす!それそれ」
怪訝な顔をする桃先輩に、慌てて取り繕った。

亜久津って?とすっかり忘れてたことを思い出す。
ダメだな。
こんな調子で奴を叩きのめせるのか?
イヤ、やらなくちゃ。
この傷の借りは、必ず返してやらないと。

よっし、と気合いを入れなおす。

「桃先輩、もう一回打ちましょうよ」
「おいおい、時間見ろよ。朝練終わるところだぞ」
「あ」

気合い入り過ぎと、桃先輩に笑われてしまう。
いいけどね。
変に勘繰られるより笑われてる方がマシだ。

「おチビっ、今日も頑張ってるじゃん」
「菊丸先輩!」
急に抱きついてきた菊丸先輩に、目を見開く。

そうだ、口止めしなきゃいけなかった。
って、近くに不二先輩は、いないな。

ちょっと、と桃先輩から離れて、菊丸先輩に小声で訴える。
「昨日の件っすけど」
「なーに。もしかして余計なことするな、何も言うなって?」
「その通りっす」
言いたいこと全部わかっていたようだ。
ちょっと安心する。
「・・・同じ反応だにゃー」
「え?何が?」
「ううんっ。わかってるよん。おチビが不二をって、絶対言わないからね」
普通位の声で言われて、慌てて俺は周りを見渡す。
良かった、誰もいない。
「お願いしますよ」
「うん。今度は何奢ってもらおうかな」
「・・・マジっすか」

集合の声に反応して、走り出す。

まずは一つの不安は、解消したな。


けど、これからどうしよう。
いつまでも不二先輩のこと見ないようにしている訳にもいかない。
見ちゃうと意識するからって避け続けてたら、嫌われることだって有り得る。
そんなの、絶対ヤダ。

だったら、さっさと気持ちを伝えるとか?
勿論、動かなきゃ今の事態変えられないのはわかってる。

なら、いつそうしようか。
さすがに都大会前の今はまずいよな。

あれこれ考え過ぎて、熱が出そうだなんて思った。







けれどそんな俺の悩みなんかおかまいなしに、物事は動いていく。

意識しまくってパニックしてるというのに、
不二先輩と向き合わなくちゃいけない事態になるなんて、嘘だろ・・・。



「これから紅白戦を行う」

放課後の部活。
乾先輩のとんでもない汁から逃れたくて、全力で走ってすぐのこと。
部長が俺達の方を向いて告げる。

「不二・・・それと越前!まずはお前達からだ」
「「え」」

不二先輩も予測してなかったのだろう。
お互い思わず出した声が、ハモった。

不二先輩と、試合?

後ろを向くと、珍しく驚いた顔した先輩が見えた。
俺の視線に気付いて、すぐにいつもの表情になったけど。


「お手やわらかに」

先にコートに入ってしまって、涼しげにそんな風に言う。


なんだよ、余裕あるじゃんか。

悔しいと、思いながら俺もコートに入る。
気持ちは隠したまま、先輩と向き合う。

その余裕な表情を壊してしまいたいよ。
全部。

俺にはそんなもん最初から無いよ。
だから全力でやってやる、と息を吐いた。

「越前のステップ・・・スプリットステップだ!」
「どこにそんな体力残ってんだよ」

聞こえてくる外野の声に、当然だよと思う。
最初からこの位の気合いでいかなきゃ、敵わないだろう。

「不二先輩」
俺がステップするのを見て、嬉しそうな顔するのに気付いてた。
向こうも、少しはやる気になったみたいだ。
そう来なくっちゃ。
「倒しちゃってもいーんすよね?」

返事は無い。
少し唇を上げて笑っただけ。

やれるものなら、やってみろってことか。
ふん、絶対本気を引き出してやるよ。

「不二  サービスプレイ!」

サーブをする先輩の一挙一動を見ながら、俺も次の動きに備える。

この試合、負けられない。


2004年07月03日(土) 天使不二と王子 30

結局、僕は越前から亜久津を遠ざけることに失敗してしまった。
越前の性格から考えて、亜久津に係わらないように言っても無駄だ。
それどころか、ますます意固地になる可能性が高い。

『小僧にはもう言ってある。決勝まで来たら、遊んでやるってな』
亜久津の表情は、楽しんでるものに見えた。
決勝まで辿りついたら、越前を迎え討つ気だ。
さすがにコート内で殴りあいにはならないと思うが、
亜久津の危険な雰囲気からそれも否定できない。
都大会決勝は、一体どうなってしまうのか。

越前のことが、心配でたまらない。



翌朝になっても、そんなことばかり考えていた。
学校へ到着して部室へと歩く間も、頭の中では越前のことばかり。

そんな調子で上の空だったせいか、つい油断していた。

「不二、おはよー!」
後ろから思い切り背中を叩かれ、体が前へつんのめりそうになる。
「英二・・・・」
「今日も良い天気だにゃ!」
元気があり余ってると言った感じか。
・・・背中、痛いんだけどな。

「ねえ。挨拶するのはいいけど、もう少し手加減してもらえるかな?」
溜息混じりに苦情を訴えるが、英二は聞いていない。
一瞬で腕を僕の肩に回し、ぴたっと引っ付いてきた。

「不二っ。良ーいこと教えてあげようか。とっておきの情報なんだけど」
「別にいいよ」
「実は・・・って、反応冷たっ!」

さっと英二の腕を片手で剥がし、さっさと前へ進む。
時間に余裕はあるが、英二の相手をしてて「グラウンド10周」になったら困るからだ。

「ちょっと不二ー!?本当に良いことなんだって」
「悪いけどふざけている気分じゃないから」
「どーかした?」

そこでやっと英二は、全く乗ってこない僕の様子に気付いた。

「もしかして昨日の用事って・・・・家で深刻な事態にでもなった、とか?」
「そういうことは、ないよ」
少し笑って否定する。

しかし深刻な事態は、本当のことだ。
最も、言える訳がない。
山吹中に言って亜久津にケンカ売ってきたと言ったら、騒ぐどころじゃなくなる。
勿論、誰にも言うつもりはない。
千石はあの様子だと、僕が来たことは黙っていてくれるだろう。
ばらしたら、そこから亜久津がやったことも露呈することになる。
亜久津を探しに来た一年生にも、きっと口止めもしてくれてるはず。

「ちょっとね、昨夜寝たのが遅かったから疲れてるんだ」
適当に、誤魔化してみる。
英二は「そっか」とすぐに納得してくれた。

良かったと、ほっとする。

「なら尚の事、元気が出る話をしてあげよう」
「・・・・・・・・・・・・・・」

結局、付き合わないといけないらしい。
一日中聞いてと付き纏われるより、今聞いたほうが楽だと自分に言い聞かせ、覚悟を決める。

「何の話?」
僕がそう切り出すと、英二は「よしっ!」と拳を握って笑顔になった。
一体、何がそんなに嬉しいんだろ?

「うん、昨日ね。おチビちゃんと一緒に帰ったんだ」
「越前と?」
彼の名前が出たことで、何か嫌な予感がした。
英二の嬉しそうな顔と、越前の名前。
続きを聞かないでおこうかと思ったが、英二は喋り続けた。

「おチビって、本当不二のこと気にしてるんだよ。
昨日、練習休みだったこと知らないで、一生懸命捜してんの。可愛いよねー」

はあ、と曖昧に頷く。

僕のこと探していてくれたのか。
小さな彼が誰かを捜してきょろきょろしている姿を想像したら、
なんとなく笑ってしまいそうになった。
口に出したら怒られるに違いないけど、ひよこが母鳥を探しているイメージに重なる。

でも、なんで越前が僕を探していたんだろう。

「越前が僕を探していた理由って、知ってる・・・?」

尋ねてみたが、英二は「あれ?なんだったっけ」と首を傾げた。
どうやら知らないらしい。

「んー、俺はいつも通り不二のこと捜しているんだと思ってたからにゃー」
「いつも通りって・・・・?」
「不二。わかってて言ってるだろ。おチビはいつもいつも不二のこと見てる。
気付いてないとは、言わせない」
「・・・・・・・・・」

猫と似た英二の目が、僕を捉える。
少しの嘘でも見抜くかのような、目付きだ。


「不二もおチビを見てることも、知ってる。
お互い、一歩近付けば望む通りになれるよ。
もうさっさと告白しちゃえよ」
「ちょっと待って、英二」

早過ぎる展開について行けない。

どうかした?と言う英二に、僕は混乱しながらも一つの質問を出した。

「望む通りって?一体、昨日はどんな会話をしたの?」
「どんなって、おチビが不二を好きだってこと」
「彼がそう言ったの!?本当に?」
その一言に驚いて、思わず英二の肩を掴んで叫ぶ。

「ふ、不二?」
「ごめん・・・ちょっとびっくりして」
軽く掴んだつもりだってけど、実際は力を込めていたらしい。
痛そうに英二が顔をしかめるのを見て、慌てて手を放す。

「意外と力、あるんだよなあ。見えないけど」
「まあね。それより、越前が僕をって本当の話なの?」
恐る恐る、聞いてみる。

「それがおチビの奴。自分の気持ちに気付いてなかったみたいでさあ。
ハッキリ好きとは言わなかったんだよ」
「じゃあ、勘違いかもしれないじゃないか」

そうであって欲しい。
彼が僕を、なんてあってはいけないことだ。


「でも!間違いないって!
多分、俺には言わないだけで、不二が尋ねていたら好きって認めていたよ。きっと」
「そんな・・・・まさか」

越前は手塚を好きになって、同じ道を歩んで行く。

僕は確かに、そう願っていた。

もし越前が本当に僕を好きだというのなら、すぐにでも諦めさせなきゃいけない。

僕の為じゃない。
彼の為にだ。

仮の間、人として生きている僕にこれ以上関わらせちゃいけない。

今まで想いを寄せられたことは、何度でもある。
気持ちを察して、すぐに距離を置いて来た今までのように。
同じことをすればいい。


でも。

ただ一つ違うのは、僕も彼を好きだってこと。

突き放せる自信が無い。

それじゃダメだと、心の中で警告の鐘が鳴っているのに。

越前が僕を好きかもしれないと思うと、
嬉しくて、「僕もだよ」と言いたくなる。

叶えられない恋なのに、罰を受けても選び取りたくなってしまう。


「不二?おーい、聞いてる?」
「え、ああ・・・うん」
「そういう反応、おチビと似てるよな。
自分の世界に入り込んじゃうの」
「そんなこと、無いよ」

そうかあ?と英二が疑いの眼を向ける。

そんなやり取りしている間に部室の前に着いた。

入る前に、一言だけ、英二に釘を刺しておこうと口を開く。

「とにかく、越前のことは自分でどうにかするから。
これからはそっとしておいて欲しいんだ」
「しょうがないな。不二がそう言うなら、干渉しないで見守ってやる!
その代わり、上手くいったら報告はしろよ」
「うん。勿論」


頷いてみせたけれど、上手く行く日は来ないことを僕は知っている。

越前と僕との道は、永遠に交じることは無いのだから。

上の連中は、僕がこんな風に苦しむと知っててここへ降ろしたのだろうか。

(これを試練だと思って乗り越え、立派な天使になれって・・・?)

本当にこれが試練だとしたら、なんて残酷な辛いものなんだ。
人の心を知る、その時が今なのか。

こんな苦しい気持ちだったら、知りたくなんかなかった。



着替え終わって、英二と一緒に部室から出る。

「あ、おチビだー!」
「・・・・・・っす」

丁度今、越前は登校して来たらしい。
時間はもうギリギリだ。
そのせいか、少し息が乱れてる。

おはようと、僕は普通に挨拶しようと口を開きかける。

けれど、越前はちらっと僕の顔を見た後顔を伏せ、
駆け足で部室へ入ってしまった。

一瞬だったからよくは見えなかったけど、頬が赤くなっていたような気がする。

「あー、なんか意識しまくってる様子?」
「英二・・・・・」
「大丈夫だって!おチビをからかったりしないから!」






あーあ、と僕は肩から力を抜く。

どうしたらいい?

簡単に吹っ切れそうに、ないんだ。



2004年07月02日(金) 天使不二と王子 29

用事があると断って、今日の部活を休むことに決めた。
皆、まさか僕が山吹中に向かっているなんて思いもしないだろう。
英二ですら、今日休むと言っても何も疑わなかった。
そうだよね。僕がこんな行動起こすなんて、きっと誰も考えもしない。
僕だって、自分自身に驚いているくらいだ。

越前を傷つけられたこと。

それが今、僕を動かしている。

亜久津って奴は、危険だ。
もう二度と彼に近付けさせたくない。

試合前に、亜久津にはしっかり忠告してやろうと考えている。
勿論ケンカするのが目的ではないが、向こうの出方次第では止むを得ないことだって起きるだろう。

(負けるつもりは無いけどね・・・・)

亜久津が強かろうが、どうでもいいことだ。
ただ大会前だから、人前で殴りあうことだけは避けなければならない。
問題はそこなんだよなと考えていたら、あっという間に山吹中の前にバスは止っていた。




まずは、テニスコートを探すことにした。
真面目に練習しているとは考え難いけど、最初の手掛かりとしては妥当な線だろう。
その辺りを歩いていた生徒に、テニスコートの場所を聞いて、歩き始める。

「いない、か・・・」

山吹中の練習風景は、青学と違って和気藹々としているように見えた。
それでも都大会の最中だから、真面目にやっている感じだ。
その中に亜久津の姿を探してみたが、英二が言っていた特徴のある男はいない。
(がたいの良い長身で銀色の髪を立ててる奴は、いないよな)

まさか今日もどこかの中学を襲撃しているとか。
ありえることか、と僕は眉を顰める。
とりあえず、今日の練習に出るかどうか誰かに聞いてみるか。

ちょうど出入り口から越前とそう変わらない身長の子が出てきたので、
慌てて捉まえてみることにことに決めた。

「あの、ちょっといいかな?」
「はい?なんですか?」

山吹中と違う制服が珍しかったのか、その子は僕の全身を目を瞬かせながら何事かと見ている。

「ここに、亜久津って選手いるでしょう。彼、今日は休みなのかな?」
「亜久津先輩に御用、なんですか?」
不審な目を向けてくる彼に、笑顔を向けて話す。
「用って程じゃないけど。ちょっと、話したいことがあるから来たんだ。昨日の件で、ね」
「はあ・・・そうですか」
知り合いか?という目を向けたので、あえて否定せずにもう一度「いないの?」と尋ねる。
「たぶん、どこかで昼寝してるんだと思います。練習はいつも来たり来なかったりだから、今日も来るかどうかはわかりません」
「そう・・・。一応、その辺りを探してみるよ。また戻ってくるから、もし亜久津が来たら引き止めてくれないかな?」
「良いですけど・・・。あの、お名前は?」
「青学の生徒、と言ってもらえばわかるよ」

これで亜久津が来たら、会えるかもしれない。
まだ何か言いたそうな彼に背を向けて、その辺りを探し始める。

大会前に、昼寝か。
随分余裕があるらしい。
ケンカは強いかもしれないが、テニスの腕とは別だ。
全く、なんて奴に越前は因縁つけられたのだろうかと、眉を顰める。


「おい。てめえ、そこで何してる」
「え?」

亜久津を探して、10分程過ぎた。
さすがに校舎内まで入っていく訳にはいかず、もう一度テニスコートに行こうかと思っていた時だった。

低い声に振り向くと、機嫌の悪そうな男がこっちを睨んでいた。

「他校の生徒が何してる」
「何って」

瞬時に、僕は気付く。

今、目の前にいる男が、英二と言ってた特徴と当て嵌まることに。

「ひょっとして、キミが亜久津・・・?」
「なんだ、てめえは。俺の名前知ってんのか?」

拳を握り締めた亜久津が、こちらへゆっくり歩いて来る。

まだ、手を出しちゃだめだ。
相手が殴りかかってこない限り、手は出さないと決めて来たのだから。

「うん。僕は青学のテニス部レギュラーなんだ。昨日の件でキミに話しておきたいことがあって、ここに来た」
「文句でも言いに来たのか?」
低い唸り声を上げて、亜久津は僕をじろじろ睨みつける。
それに怯まず、僕は顔を上げてはっきりとした声を出す。
「越前に怪我させたこと、僕は許すつもりはない。例え本人が転んだって言い張って、キミの仕業だと言わないとしてもね」
「だから、どうした」
「金輪際、越前に近づかくな。もちろん、今度の大会でも」
「なんだと。てめえが決めることじゃないだろ」
亜久津の声に、怒気が含まれる。
今にも殴りかかりそうな、表情もしている。
「指図するな。小僧にはもう言ってある。決勝まで来たら、遊んでやるってな」
「だから、その決勝でも近付いて欲しくないって言ってるんだ」

言うなり、亜久津の拳が僕に向かってくる。
そう来るだろうとわかっていたので、瞬時に交わし、さっと亜久津から距離を取った。

「指図するなと言っただろうが。小僧と俺の遊びに入ってくるんじゃねーよ」
「そう。どうしても聞いてくれないってことのようだね。でも僕も引く訳にはいかないんだ」
「しつこい。すぐに失せろ」

また亜久津が拳を繰り出す。
上段、下段。左右に二発ずつ。
全部を交わし、懐に飛び込もうとするとすかさず蹴りが来る。
持っていたバッグでガードし、その間に横に回りお返しにと蹴ろうとうするが、流石に素早くかわされてしまう。

「なんだよ、テニス部員じゃねえのか」

くっ、と面白そうに亜久津が笑う。

「テニス部員だよ。でもキミにはこっちのやり方が効果的だろう?」
「フン。面白ぇな」
構え直し、亜久津が身構える。
今度は本気で殴りに掛かってくるだろう。
ならば僕も本気で立ち向かおうと、防御の構えを取る。

「亜久津先輩ー!!何、やってんですかあああああー!!」

緊迫した空気を破ったのは、甲高い声だった。
身構えていた亜久津が、ちっと舌打ちして振り返る。

「お前こそなにやってんだ。今は練習中だろうが」
「それを言うなら亜久津先輩もじゃないですか!って、今何やろうとしてたんですか?
ケンカですか?ケンカはだめですよ!」
わたわたしながら騒ぐその子は、さっき亜久津への伝言を頼んだ子だった。

「おーい、壇君ー!亜久津、見付かったぁー?」
そこへ、またのんびりした声が響く。
「・・・またうるせえのが、きやがった」
「あー、いたいた亜久津ー!伴爺がお待ちかねなんだよー。行ってやってよ!お願い!」
亜久津の前で手を組んでお願いのポーズを取っているのは、
山吹中のエース、千石だった。
「行くかよ、爺なんて知るか」
「だって行かないと、また追い掛け回されるよー?亜久津はそれでもいいの?
今行った方が後々楽だと思うんだけどなあ」
溜息交じりの千石の声に、亜久津はぐっと眉を寄せて、「しかたねえ」と呟いた。

一体、山吹中の練習ってどうなってるんだ・・・・?


「おい、てめえ」
亜久津が僕の方を振り返る。
「何だい」
「小僧がてめえをけしかけた訳じゃないんだろ?今日来たのは、てめえの判断なんだよな?」
「そう、だけど」
何々?って顔して千石が亜久津の周りをうろうろしてる。
それを顔面に手を押し当てて制して、亜久津は僕をバカにするように笑った。
「小僧が聞いたら、何て言うだろうな。あいつなら、自分の手で昨日の件着けるって言うだろ?
余計なお節介はやめといた方がいいんじゃねえのか?」
「そんなの、わかってる!でもキミを越前に近付けさせたくないから、ここに来た。
今、ここで約束させる。もう、二度と越前に手出ししない、と」
「でも残念だったな。さすがにギャラリーがいたんじゃ、それ以上手も出せないだろ」
「・・・・・・・」

たしかに、これ以上騒ぎを起こしたら青学が出場停止になる危機になる。

「小僧のことは、小僧が決めるだろ。
それともてめえは、何か口出し出来る権限でも持っているのか?」

ぐっと奥歯を噛んだ僕を全く見ないで、亜久津はさっさと行ってしまった。
「亜久津先輩ー!待って下さいですー!」
それを追い掛けて、小柄な彼も走っていく。
意外な感じだが、どうも今の彼は亜久津を怖がっていないようだ。

「ねえねえ、天才不二君だよね?亜久津と何話してたの?」
残された千石が、興味深々といった感じで僕に話しかけてきた。
「別に」
言うつもりがなかったので、僕は素っ気無い言葉を返し、バッグについた汚れを払う。
「なんか揉め事みたいだったけどー。人の学校でそれは困るんだけどなあ」
ね?っと千石は笑う。けど、目は笑っていない。
好奇心で聞かれるのもうざかったので、僕は強い口調で牽制する。

「それはそっちも同じだろ。昨日、亜久津が何をしたか聞いてみるといい」

半分脅しみたいなように言うと、千石は焦ったように口をぱくぱくさせた。
それに構わず歩き始めると、何故か追っ掛けて来られてしまう。

「ちょ、ちょっと今の話聞かせてくれない?まさか亜久津の奴、青学で何かやらかしたの?」
「さあ。そういうのは本人に聞いてよ」
「亜久津が言う訳ないじゃん!なあ、頼むよ。俺達も大会前に、揉め事あるとなったら本当にまずいし。
教えて下さい。お願いします!」
鬱陶しい程拝み倒され、渋々といった感じに僕は昨日の件を簡単に伝える。
亜久津を押さえ込んでもらえる、良い機会かもしれないからだ。


「え、越前君に怪我・・・亜久津の奴〜。昨日さぼってたと思ってたら、そんなことしてたなんて」
うわあ、と話を聞き終えて、千石は頭を抱えた。
「とにかくこれ以上厄介なことにならないように、亜久津は見張っといた方がいいんじゃない?」
「そうかも。でも俺達の言うこと聞くような奴じゃないし」
「それじゃ困るんだよ!」
声を荒げて、僕は千石に詰め寄る。
「亜久津がまた越前に怪我させるようなことがあったら、今度は誰が見ていようと黙っていないから。
その前に奴がちょっかい出してこないようにロープででも縛っといてよ」
「そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶でもやってもらわないと、そっちだって困るだろう。
都大会では絶対に、越前に近付かないように万全の体制を整えておいてよ」
「はは・・・まあ、部長に相談しておくから。とにかく、この件は内緒でお願いします」
スミマセン、と千石は苦笑する。
そんな謝って済む話じゃないよ、全く。

「でもさ。不二君って、本当に越前君のことが心配なんだねえ」
ふと話題を変わり、千石が感心したように呟く。
「当たり前だろ。青学の大事なルーキーなんだから」
「でもー。だったら手塚君辺りが動くのが普通じゃないの?
もしかして、不二君一人の判断でここに来た?」
なかなか鋭い千石に、「さあ」と曖昧に返す。

「あー、やっぱりそうなんだ。だろうと思った」
「僕、否定も肯定もしてないんだけど・・・」
「だって、さっきの不二君の顔。すっごく怖かったもん。
俺、本気でびびってた。亜久津は平気みたいだったけどさあ。許さない!ってオーラ出しまくりだった」
「・・・・・・・・・・・・」
「越前君が怪我したから、怒ったんでしょ。
不二君って、すごい後輩思いなんだね」
「言ってれば」

僕の言葉を照れ隠しと勘違いしたのか、千石は「そうだよ!」となんて言いながら笑ってる。
これ以上相手にしないと決めて、今度こそ僕は千石に背を向けて歩き出した。

「今日の件は、昨日と同様に、内密に。亜久津のこともよろしく」
「不二君ー!?そんな無茶なこと、俺一人じゃ無理だよー!」
「よろしく」
「ちょっとー!」

後ろを向かずに、片手を上げる。

この分だと亜久津を説得するのは、難しそうだ。
下手したら、越前に僕がやってることをばらしかねない。
大会の間は、越前の側にいて亜久津が近付いてこないようにと、
手塚に言っておくか。

勿論、僕も気付かれないように側にいて、見張っておくつもりだけれど。

亜久津は危険だから、もう近付かないで欲しい。
そんなこと願っていても、口出しする権限なんて無い。

わかってるよ、それ位。

本当むかつく奴だと内心で亜久津を罵り、山吹中を後にした。


2004年07月01日(木) 天使不二と王子 28

授業が終わってすぐに、部室まで早足で駆けつけた。

目的は、一つ。

早くから来て、不二先輩を捉まえる機会を伺う為だ。
さりげなく一人の時を狙って、今日一緒に帰れないか誘うつもりで急いで来た。

今日こそは、先輩に聞いてみよう。
ここ最近俺のこと、避けていないかどうか。
きちんと問いただすつもりでいた。


なのに・・・こういう時に限って、現れないんだ。
まさか、気付かれてる?
思い立ってのは今日だから、そんな訳ないと思うけど。
不二先輩のことだからなあ。

桃先輩との打ち合いも断って、俺はひたすらストレッチをしていた。
もうすぐ、部活が始まる。

なのに、やっぱり不二先輩は現れない。
また委員会なのだろうか?
あーあ、折角声を掛けようって決意したのに。
どうして、こんなすれ違ったりするんだろ。


「おチビちゃんー!」

不二先輩が来ることばかり気にしてた俺は、
背後からの存在に全く無防備でいた。
結果、抱きつかれてそのまま潰れそうになる。

こんな風に抱き付いて、「おチビちゃん」呼ばわりするのは一人しかいない。

「菊丸先輩、重いっす!」
「なんだと、失礼な奴め」
「ホントに!本当に重いから!」

じたばたもがくと、やっと菊丸先輩はどいてくれた。
全く、潰されるところだったよ。

ごめんにゃーと、英二先輩は全く反省の無い顔している。
睨みつけても、効果無し。
もう、どうでもいいけどね。

「ところでー、おチビちゃん」
「何すか」
馴れ馴れしく肩を抱いた手から、ついっと逃れようとする。
けど、先に菊丸先輩が封じるように手に力を込めた。そして、囁く。

「さっきからキョロキョロしているようだけど、お目当ての人は来たのかにゃ?」
「は?」

びっくりして、思わず声を上げてしまう。

そんな俺の反応を見て、菊丸先輩はニヤニヤ笑ってる。
・・・・過剰反応しちゃダメだ。面白がらせるだけになる。

「何言ってるんすか?」
「おチビー、とぼけなくってもいいよ。わかってるんだから、さ」
「勝手にわかった風にいわないで下さい」

ぱしっと、今度こそ菊丸先輩の手から抜け出す。
これで走って行ってしまえば・・・と考えた時。

「あーあ。折角、不二がおチビのこと、どう思ってるか教えてあげようと思ったのにー」
ふーんだ、と拗ねたような菊丸先輩の声が、耳に届いた。

「え?」
「おチビは知りたくないようだし?もういいよ・・・」
「ちょ、ちょっと菊丸先輩?」

あー、なんで俺、呼び止めたりしたんだろう。
不二先輩が、俺のことをどうとなんて、
そんなの人の口から聞くべきじゃない。
はっきりと本人から聞けば済む話だ。
そんなの自分でもわかりきってることなのに。
今日の俺は本当にどうかしてる。

「教えて欲しい?」

菊丸先輩が楽しそうな顔してても、大きく頷いてしまった。

「それじゃあー、今日の帰りはおチビの奢りに決定ー!」
わーいと右腕を空に上げた先輩に、俺はぎょっとして目を見開いた。
「それ、どういうことっすか!?」
「にゃに言ってんのー、情報料に決まってるじゃん」
「後輩にたかるつもりっすか?」
「ふーん、じゃあ教えてあげない。俺はどっちでもいいんだけどー。
あ、ちなみに不二、今日は家の用事で休みだよ。本人に聞きたくても聞けないねー。」

家の用事で、休み?
その事実に、一気に力が抜けていく。

今朝の、不二先輩の心配そうな声と表情。
あんな風に取り乱して俺のことを心配してくれたから、
今日なら聞けると思ったのに。
タイミング悪過ぎ。

「どうする?おチビちゃん」
「言っておきますが、俺そんなに金持って無いけど」
「いいよー、ハンバーガーで手を打とう」

よろしい、と菊丸先輩が帽子越しに俺の頭を撫でる。

不二先輩が休みと聞いて、俺はもうどうにでもなれって気分になっていた。
それに、先輩が俺のことを何て言ってたのか気になるのは本当だし。

「その代わり、情報がでたらめだったら怒りますよ」
「疑ってんのか!?その点は大丈夫ー」

にこにこ笑う菊丸先輩に、不安になってくる。
かわかわれてるだけだったら、どうしよう。

「全員集合!」

部長の声が響き、「じゃ、話はまた後で。行こう」と菊丸先輩は俺の手を引っ張る。


今日は部活どころじゃないかもしれないと、こっそり思った。











長い、と感じた部活がようやく終わった。
やっぱりちょっと上の空になりかけた俺は、
部長に「グラウンド10周だ!」と言われたり散々な感じ。
まあ、もうどうでもいい。とにかく終わったんだ。

桃先輩には先に帰ってもらうことにした。
だって、菊丸先輩だけに奢るってばれたら、俺も俺もとごねるに違いないし。
念には念を入れて、菊丸先輩とは落ち合う店を決めて、それぞればらばらに集合した。
いつものところとはちょっと遠いファーストフードでだ。

「奢りだからって、セットメニュー頼みますか?普通・・・」
「なんだよ!お前らにはいっつも奢ってやってるのに、こういう時は文句言うんだ」
「だって、先輩じゃん」
「うわっ、おチビそういうこと言うんだ?追加しちゃおうかなー、俺」
「追加って、どんだけ食うつもりなんすか!」
「だってこんな時でもないと、おチビの奢りなんてなさそうだもんねー」

結局俺の説得により、追加は無いまま。・・・・良かった。

隅っこの席に、菊丸先輩と正面に向かい合わせで座る。

まずは冷める前にと、お互い注文したものにかぶり付く。

「あーあ。後輩の奢りで食べてる所為か、いつもより美味しく感じる」
美味い美味いと頬張る先輩に、きっちり釘を刺す。
「それ食べたら、ちゃんと話はしてもらいますからね」
「勿論。逃げたりしないって」

イマイチ信用しきれないまま、菊丸先輩の顔をじろじろ見ながら食べ続ける。
そんな俺を、全く気にしないまま満足そうに食べている菊丸先輩。
いい気なもんだよね・・・・。




「んー、まあまあ満足したかにゃ」
ハンバーガーを包んでいた紙をぽいっとトレイに放って、
菊丸先輩はジュースを一口飲む。

「それじゃ、おチビの聞きたいこと。言うことにするか」

表情が少し真面目なものに変わり、俺も背筋を伸ばす。
なんか改まって言うものだから、少し戸惑う。

「その前に。
今朝の不二の件について、話してもいい?」
「・・・どうぞ」
聞きたいことを誤魔化すようなことでも無いってわかったから、承諾する。
菊丸先輩は頷いて、続きを話し始めた。

「あのね、おチビは不二と知り合ってからそんなに経ってないから知らないと思うけど。
不二があんな風に誰かのことで取り乱すのって、初めてなんだよ」
「え?」

確かに、不二先輩はいつも冷静な態度だけど。
いざ不測なことが起こったら、今朝みたいになるんだって位にしか思ってなかった。
初めてだって?

「一年の時から、不二のこと知ってる俺が言うから本当だって。
だから、今朝の不二の態度は俺も驚いた。
誰かが怪我したら、確かに怒ったりはするだろうけど。もう少し冷静に対処するよ、きっと」
「そう、っすか?」

半信半疑の俺に、菊丸先輩は「そうだよ」と断言する。

「不二ってさ、にこにこ笑ってて人当たり良いけど、実は他人との間に距離置いてる。
避けてるんじゃないかって、思えるくらい。まあ、気付くのはそういないんだけど。
不二に告白する女の子なんて、全くわかってないもんなー。断られるって、結果は決まってるのにね」
「あの・・・不二先輩って今まで誰かと付き合ったこと、あるんすか?」
「無いよ」

即座に否定される。

「誰かと付き合ってみたらって言ったこともある。
けど『そんないい加減な気持ちじゃ無理だよ』って笑うんだ。
本当は、関わりを避けてるだけなのに。」
「どうして、不二先輩はそんなこと・・・?」

いつかの先輩を思い出す。
誰とも付き合わないよと、寂しそうな顔してた不二先輩。
望めば簡単に恋人を作ることが出来るのに。どうして?

「さあ?俺にも不二のことはよくわかんない」
ちょっと眉を寄せて、菊丸先輩は溜息をついた。
「肝心なところは見せないんだよなあ」
「あ、それわかる気がする」
「だろ?」
お互い、ちょっとだけ笑った。

「でさ、ここからが本題。
昨日の不二は、俺からみても違和感あったんだ。
おチビの肩掴んで、傷つけた奴を許せないってかなり頭きてただろ」
「まあ・・・そんな感じだったかな?」
「そうだよ。間違いないって」
断言されても。まあ、たしかに俺もそんな風には思った。

「おチビはね、きっと不二にとって特別な存在だと思う。
今までの自分を変えちゃうくらいの、な」
「特別・・・・?」

言ってる意味をよく、考える。
そんなモノのはずない。
だって不二先輩は、俺を避けてるようだった。

「違うと思うけど」
「そんなハズ無いって。おチビと同じように、不二も思ってくれてる。
今日、話した感じで確信したもんね」
「ちょっと待って下さい」

聞き逃せない言葉に、思わず菊丸先輩の袖を掴む。

「同じって、何すか?」
「え?だっておチビも不二のこと好きなんでしょ?
だから同じって」
「違っ!」

ガタン、と椅子を引いて立ち上がる。
声も大きかったようで、店内の何人かがこっちに視線を送っていた。

「おチビ、静かに」
「ハイ」

慌ててもう一度、椅子に座る。
けど、心の中はパニック状態だ。
俺が不二先輩を好き?
何、言ってるのかさっぱりわかんない。
好きって、likeの意味じゃないってこと位、察している。
でも、なんでそんな話になるんだろ。
あれ?でもそういや、同じとかって、言ってたけど。
それって不二先輩も、俺をってこと?
ちょっと冗談でしょ?

「おーチービー。大丈夫?かなり混乱してるみたいだけど」
「まあまあっす」
「・・・ホントかよ。とりあえずそれ飲んで、落ち着け」

言われた通り、自分の飲物に手を伸ばして一口飲む。

「もしかして、俺悪いこと言った?」
「えっと・・・そうでも無いとは思います」
「でも、今の様子だとおチビって、自分の気持ちすら気付いていないように見えたけど」

確かにそうだ。
というより、まだ認めてないし。

「なんで俺が不二先輩を、って思うんすか?」
俺の言葉に、菊丸先輩はのけぞって驚いてくれた。
「ここまで来て、そういうこと言う?」
「言いますよ。本気で驚いたんだから」
「ふーん・・・まあ、なら言うけど。
おチビってある日を境に、不二のことばっか見るようになったよな?」

あの屋上の日から。
たしかに、俺は不二先輩のことが気になっていた。
怪我していた鳩がどうして飛べるようになったのか。
それすら抜きで、先輩のことを確かに見てた気がする。

「まるで恋してるみたいだなあって、おチビの目を見てそう思った。
それだけだよ」
「俺・・・そんな目してました?」
「うん、まあ。不二にこっち見てよって訴えかけてるところが、そんな感じ」

そんなところ見られてたのかと、恥ずかしくなる。
俺、一体どんな顔して不二先輩のこと、目で追ってたんだよ。

「あ、だけど気付いてるのは俺か・・・乾はどうだろ。
それくらいだから大丈夫だよ」
「慰めになってない・・・」
「本当、大丈夫だって。不二だって、おチビの気持ちに気付いていなかったんだから」
「不二先輩?」

にやっと、菊丸先輩が笑う。
「知ってた?不二ってね、おチビに気付かれないように、おチビのこと見てんの。
おチビが不二のこと見てる間は、絶対顔向けないようにしてこっそりとね」

素直に驚く。
不二先輩が、俺のこと見てたって?
全然気付かなかった・・・・。

「不二の目も、おチビと同じ。
好きですーって訴えてるんだよ。今度ちゃんと気付いてあげなよ」
「って、言われても」

大体、自分が不二先輩を好きなのかどうかもわからず。
そんなこと言われて、驚いてる最中なのに。


そして、不二先輩は俺のこと好きなんだろうか?
もしそれが本当なら、どうなるんだ?
『越前、好きだよ』
って、言われたら?

それを想像して、自分の鼓動が早くなるのを感じる。

イヤ、じゃない。

それどころか、そうであって欲しいと思ってることに気付く。


先輩が好きだって言ったら。
きっと俺は、迷わず頷く。

何を迷わないかって考えたら、それは・・・・。


「おーい、おチビ?また考え事か?」

俺の顔の前で、菊丸先輩が手を振る。

でも、もう聞いちゃいなかった。

頭の中にあるのは、不二先輩のことだけ。

先輩が俺を好きなら、すごく嬉しい。
嬉しいんだ。

その気持ちが恋というなら、すぐにでも認めるよ。

俺が、不二先輩を好きだってこと。


チフネ