みみずのたはごと

2006年08月31日(木)  アナログ人間です。

→脳味噌の構造が。
ので、資料は一旦自分で纏めなおさないと、頭に入りません。苦労した分だけが記憶の引き出しに引っ掛かる。ぽろっと落っこちることもありますが。いずれ手間ばかりかかるシステムですな(T T)

てなわけで、先日入手してきた名簿を自己流で整理中。歩兵指図役頭取と歩兵指図役の、招集(取立て)年月日と前職のリスト作りです。……いや元史料がすでにリストではあるんですが…。ただ、ずらずら〜っと並んでるだけじゃ右から左で呑み下せないので。
にしても、どういう基準で取立ててるのかがよう判らん。たかが軍隊士官の任命を、1人しかしてない例が多すぎる…。合計人数が隊の数と到底合致しないことから考えても、やっぱりこのリストに掲載されているのが、召集された士官の「一部」にすぎないってことなんだろう、なあ。(たまたま任命書類などが残ってた人たちなんでしょうかね)
とりあえずは、載ってる人たちの分だけでも、歩兵隊に入る前の身分と、できれば家柄なんかもチェックしてみたら、掲載漏れの面々のだいたいの出身が見えてくるかな〜なんて思ってます。

珍しい例だと、御祐筆から指図役頭取になった人がいます。慶応4年に歩兵頭まで昇進…てことは、脱走もしたのかしら。こういうのは、立候補っぽいですよね。
第1期(文久3年歩兵隊成立時)召集組は、ほぼ全員が同年5月25日に京都に出張してます。…小笠原の世子様(長行)上京の時でしょうかね。ちょうど京都じゃ、姉小路卿暗殺が問題になってる時期です。長行さんは歩・騎兵あわせて千数百人を率いて上京した、とされてるので、その程度には兵隊も集まってた模様。……大川がこの中にいたとして、右仲さんは世子様に同行してたのかしら…! 新撰組の面々はまだ漸く隊士数も増えてきた段階だけど、直後に大坂力士殺傷事件が起きるし、噂レベルで話が伝わってたりしないかしら…!(と勝手な妄想で盛り上がってみる)

明日は、もうひとつの名簿系史料を確認してきまっす。

……あ。
幕末仙台版ハムレット(本当にどんな話なんだか…!)は、17日の昼公演を観てお茶、というコースに決定したしました。この御都合でOKな方、よかったら御一緒しませんか〜?
誰もいらっしゃらなかったら、私一人でK瀬さんを堪能して参ります。(笑)

●メッセージ返信
8/30 13:20 9月海外出張のご学友・Mちゃん
 …というわけで、11月に岩手or仙台公演でハムレット観劇は無理です。っていうかわざわざ芝居観るのに新幹線乗るか…!?(そこまで行くならむしろ会津に行きたいよ…。裏磐梯徘徊希望。)(…)/ マイ感想でよければ帰国後に話してあげやう←鬼/ あ、英国行くなら土産は某スーパーのボディシャンプーで宜しく! (安上がり+実用+趣味)



2006年08月27日(日)  お誘いなぞ。

本日は一日、庭仕事で潰れました。(母君ノ命令ニ付逃ルコト能ハズ)
蚊に刺されないことだけを念頭に置いて土弄りに精を出しましたが、途中ミミズさん1匹をついうっかり2匹に増やしてしまったり、就寝中の土蜘蛛さんを叩き起こしてしまったり、怪しい節足動物(ムカデの小型みたいの)に邂逅してしまったりいたしました。…土弄りは嫌いではないが虫はモノによります。節足動物と毛虫は苦手です…。

さて、本日の天声人語で、東北大の先生が創ったシェイクスピア劇団が紹介されてました。
来月東京公演だそうですが、演目が、なんと『仙台弁のハムレット』。
それだけでも凄く惹かれるものがあるのに、舞台設定が奥州幕末、もっと赤裸々に言っちまえば、戊辰戦争下の仙台藩、ですって…!
ナニソレ! 激☆萌えなんですけどォォ!
…ってなに、え、誰が誰の役なの!? (咄嗟に王子=☆恂とか思った私は真性の莫迦)
と、いうわけで。
東北弁は全然わからんのですが、舞台設定だけで楽しげなので、よろしかったら何方かご一緒に観に行きませんか?
場所は、品川の近く。日程は9/16(土)・17(日)の2日間ですが、17日の昼間が第一希望です(といってもご相談には応じますよんvv) ※ご参考>ttp://www.age.ne.jp/x/umi/schedule.htm

あ、因みにハムレットてのは、シェイクスピアの4大悲劇の1つで、「デンマークの王子ハムレットが、父王を殺害し、王位と母・王妃を簒奪した叔父に復讐する話」です(身も蓋もない…)
ほうら、誰が誰だか気になってきたでしょ〜?(笑)



2006年08月26日(土)  探しものは何ですか

或いは、大川を訪ねて三千里。

昨日は疲れ果てていてまともな文章が書ける気がまったくしなかったので、さっさと寝てしまいました。4時間強睡眠の後、8時間頭脳労働して、その足で図書館に駆け込み、6冊分の人名禄に片っ端から目を通したら、途中で幾度か気が遠くなりました。そんな自分はいい加減軟弱ヤロウですけども、むしろいい加減にその軟弱さを認識して予防措置を取れるようになれよと思います。(とりあえずぶっ倒れるまで突っ走れがマイ合言葉的な)(でも実際はぶっ倒れる前に限界感じて立ち止まるけど)(立ち止まるというか、しゃがみこむ、のが正しいか…)
調べた成果があれば、その後の気分も少しはマシだったのかもしれないんだけどねー。

ええ、空振りでした。三振でした。スカッとな。勢いよくな!...orz

や、ある意味収穫はあったんですけど。「どこにも存在しない」というマイナス要素の収穫なら。
調べた史料は、幕府の官職名簿でして、旗本以外の出身でも職につけば名前が載るうえ、徳川幕府全般を通しての名簿なので、本人の名前がなくても家族・親族やご先祖様が載っている可能性はある、という代物でした。案の定、旗本事典にない苗字が散見されました。
んが。
「大川」は結局、ゼロ。6冊全部、陸軍と全く関係のない部署までぜーんぶ目を通したのに、ゼロ…!
こ、このやろう…。(こぶし握り締めっ)
途中から、「いいよもう<大河原>の変名扱いで」とか、「<小川>でいいことにしようぜ?」とか、脳内独り言連発しながら調べてました。だってそうでもしないと本気で意識飛びそうだったんだもん。
陸軍編の部分は、『陸軍歴史』に納められているリストの完全版、といったかんじでした。『陸軍歴史』で省略されてる歩兵指図役頭取も歩兵指図役も、ちゃんとリストがあります。……ただし、どうみてもこのリストそのものが不完全なんですけど。(人数少なすぎるから)
よって、大川先生(誰)はどうやら行間にでもおわしました模様。

リストにあるぶんの歩兵指図役頭取と、歩兵指図役の「前職」が明記されていたのは、助かりました。そのうち文庫にでも纏めたいと存じます。
でもね、調べてて笑えたのはね、「実は、元々は大鳥より本多のほうが上官だった」、という罠…! 圭介が歩兵指図役頭取になったのは慶応3年5月6日で、本多は慶応2年12月31日付けで、した…。荒井さんのが先に昇進したのは知ってたけど、本多お前もか…!(笑)(でも圭介はさっさと歩兵頭に昇進したけどね)

●メッセージ返信
8/26 21:51 情報提供大感謝のKヶ江様
 あああ有難うございます…!>石と俵について/ 私もKさんの所で見た記憶があったんですが、中身までは憶えてなくって(鳥頭…)。そっか、手取り60%じゃなくて40%ですね。そういや大昔、「4公6民」って言葉習ったよ!(とか言ってるこの人は確か社会科の教免を持ってやしなかったか)(爆)←当時は武士(領主)の給料としてではなく、搾取される農民の年貢としての意識だったから、思い至らなかっただけだと思…いたい。逆から見ると事実が異なって見えるという例として。(足掻き)/ 沼間=新聞部、最高です…! 嬉々として監督イジメしてそう。将来は立憲改進大学に進学して、大森高校から自由大学に進んだ星亨と新聞合戦を繰り広げるに違いない。(コラコラ時代が違う時代が…!)



2006年08月24日(木)  気合の差か…?

こう残暑が厳しいと、南西向きの自室でPC使って在宅仕事する気になんてならないし、やっても集中力が続かないし、PCもすぐ根を上げるし、良い事ナシなんですけれども。
…ほぼ同じ条件下での作業でも、歴史関係だと我慢がきくのは何故だろう…。
というわけで、本日は「暑いから仕事はキャンセル!」と分不相応な発言とともに、蒸し風呂のような自室に篭もってひたすら文久の軍制改革について調べたり纏めたりしておりました。ああ、暑かった…。
文久の改革、これまでは「過去のもの」としてあんまりきちんと纏めてなかったんですが、この時できた歩兵隊に大川が所属していたという証拠を、I 潮さんが教えてくださいましたので、俄然張り切ってしまいましたことです。
明日は久々に、仕事上がったら図書館直行だーvv

ところで軍制改革について調べてて思ったんだが、歩兵指図役頭取の給料が「高400俵」って史料と「高400石」って史料が(両方とも『陸軍歴史』に)載ってるんだが、どっちなんでしょーか…?
1俵は3斗5升、1石は10斗なので、イコールじゃないしなあ。
もっとも、知行で決められた石高は、実際にはそこから知行地の百姓の取り分が差っ引かれるので、実際の本人支給額(手取り)は石高の60%程度、下手すると50%という例もあったもよう。10斗の半分として5斗、……やっぱりまだ計算が合わん…。
『陸軍歴史』は、公的書類をがさがさと纏めて突っ込んだだけのものなので、「いつ」「だれが」「どんな経緯で」提出した書類なのかが定かでないものも多いし、書類と書類の関係性があんまりよく判らないのが難点です。「提出した」だけで実際にそのとおりに事が運ばれたかどうか確かめられない記事も多いしな…。
まあこれだけの史料を一冊に纏めてくれたってだけで、勝先生の功績は認めざるを得ませんがね。(でもどうせならもちっと丁寧に…と思ってしまふ…)
ご存知よりの方、ご教授くださいますと幸いです。m(_ _)m

●メッセージ返信
8/23 10:52 宇都宮高校と会津高校のO方様
 「鳥羽伏見高校に初戦ボロ負け」で素敵な妄想をしてくださって有難うございますー! 宇都宮高校には、次の春選抜あたりで猛反撃くらうのでしょうか?(笑) 「ハンカチ王子」には、莫迦な大人ども(と書いてメディアと読む)に負けずに大成していただきたいものです。因みに、夏といえばタッチ(アニメ版)な私です。/ PHPはすぐ書店在庫がなくなってしまうのですよね。上巻だけなら、紀伊国屋新宿本店・南店で昨日までは在庫があったようですよ。あと、もし良かったらお貸ししても構いません。どうぞお気軽にお申し付けくださいませvv
8/23 15:15  偵察係・岩藤と応援団長・小泉のKヶ江様
 これまた素敵な発展形にして頂いて恐縮です!(><) 伝習高校の応援スタンドは、野太い声が飛び交ってそうです(たぶん男子校)。そういえば沼間を考慮してなかったんですが…いやだって彼ってあんまり野球っぽくない気がして…。浅田は今は現役かもしれないけど、来年はきっとマネージャー待遇です(笑) そうそう、タイトルは『熱闘甲子園!(笑)』ですよ! (笑)が大事。ギャグですから。/ やや、こちらこそ先日は手前味噌も極まれりなメールで済みませんでした! 私の方こそいつも勉強させていただいてます。鳥羽伏見でのダブルリバーズの動向ソースは、まるで知らなかったので、教えていただけて大変有難かったです☆(ここで言うな)



2006年08月22日(火)  夏が終わりました。

甲子園が終了すると、そういう気分になります。毎年。

月曜午後はまったく仕事になりませんでした。オンラインで逐次状況チェックしてはドキドキしてた。
面白かったのは、試合が決まって校歌が流れる段階で、隣の部署(ガラスで仕切ってあるので音は聞こえないが見える)で立ち上がって腕を振ってる人がいましたよ。卒業生だったんでしょうか。周囲はそれを囃し立ててるかんじで、なかなか大らかな職場です。…親会社が野球チーム持ってるってのも関係してるのかもしれないけど。
にしても今は凄いですね、ネットライブだけじゃなくて、後日ビデオストリーミングで各回の映像が見られる時代だなんて。

…で、日曜の夜から構想たてて、遊んでました。去年の夏にやらかした伝習隊野球部ネタでSS一本。連中が高校生です(爆笑)
そんな阿呆ネタでもよろしければ、こちらからどうぞ。(背景画像付)


――とりあえず、「ハンカチ王子」という渾名はやめてあげたほうがよいと思う。松坂の「怪物」は如何にも凄そうだったけど、「ハンカチ王子」って何。これで野球を思い浮かべる人ってまずいないと思うんだけど。そもそも「王子」ってのがおかしくないか。ねえ。



2006年08月20日(日)  熱闘甲子園!

凄まじい試合でした。野球の真髄を見た気がする(と言い切れるほど野球に詳しくはないけどね)。
今大会には珍しい真の投手戦。私の大好きなパターンです。普段なら蝦夷チームを応援するところですが、今年は相手が悪すぎました。東京ってだけでなく早実じゃあねえ。どっちの肩持つかは最初っから決まってますよ(笑)

明治34年創立の早稲田実業学校は、早稲田大学とは別法人ですが、元々は大隈の理念を反映した中等教育を行うために大隈の周囲の人間が設立した学校です。初代校長は、東京専門学校(早大)と同じく大隈の養嗣子・大隈英麿がなりました。現在は「系属校」として早稲田高校ともども大学の系列に入っています。(早大の「付属校」は、早大学院、早大本庄学院の二校のみです。この二校の校歌は大学校歌の『都の西北』ですが、早実・早稲高の校歌はそれぞれ違います)
試合をTVでご覧になってた方はお気づきかもしれませんが、早実の応援歌やマーチ、他の学校と違いましたよね。実はあれ全部、六大学野球で使われる早大応援部公式応援歌です。ブラスバンドにとっても応援席の一般学生にとっても楽しいけれど辛い、一試合やると声は枯れるわ腕はつるわの騒ぎになるんですけど(何せ休憩どころのないメドレーだから)、高校生がよく頑張ってるなあと感心しつつ、気付いたら一緒になって歌ってました…。
で、ここで一つ訂正。NHKで紹介された『早稲田の栄光』という歌ですが、あの学生歌は、入学式で歌うものじゃありません。(そう言ったんだよNHKのレポーターが…! 大嘘だよ…!)
あれはね、「(六大学野球の)早慶戦で慶應義塾大学から勝ち点を取った(=2勝した)ときにのみ歌うことが許される」という非常にレアな伝統歌なんですよ! 負けたら歌っちゃダメ。でも、折角いい歌なのにあんまり歌う機会がなさすぎるので、最近は卒業式で歌ったりもするらしいです。(羨ましい…)(私の在学中は早慶戦で勝てなかったからさ…)
その貴重な歌を甲子園で歌うことについては賛否両論あるんでしょうけど、でも(もし勝てば)初優勝なんだし、私としては是非、声張り上げて歌ってきて欲しいなあ。大隈さんも喜ぶんじゃないかしら。

……ちなみに、早慶戦で負けてしまった時は、『栄光』の代わりに『えんじの唄』というのを歌います。「男は心で涙を流して…」で始まり、「咲くのも散るのもただ潔ぎよく、天下に恥じぬ花であれ」とか、「煌くひと時自己を忘れて闘志をもやし尽くすだけ」とか、何ていうか男臭い(笑)歌です。
もし明日、力及ばなかった時は、どうせなのでこいつを歌ってきてくれんものだろうか…?(苦笑)

ともかくも、斎藤くん(早実)も田中くん(駒苫)も今日は力投お疲れさま。再試合は大変だろうけど、楽しみにしてますvv(仕事だけどネ…orz)



2006年08月19日(土)  『ゲド戦記』観てきました。

うーん何ていうかこう…。
…御覧になった皆様の御感想が腑に落ちた、なあ、と。
私はル・グィンは読んだことないし、原作との違いなんかは分からないですが、単純にね、「え、あの伏線だと思ってたのは別に伏線とゆーわけじゃなかったのか!?」という類の、ね…。謎が、ででんと。どかんと。謎のまま居座っておりますのことですよ。
尤も連れ(一般人)の考えじゃ、「そういう人は原作を買って読むからいいんだよ」、とのことでしたが、うんまあ確かに明日にでも本屋に走りそうな自分を思えば、目論見どおりにしてやられたという気もする(笑)

帰宅してから、ジブリのサイトとル・グィンの声明(英語)とをざっと読みましたけれども。
初仕事にしては頑張ったじゃない、というのが素直な感想かな。
実は、スタジオジブリは前の仕事で取材していて、今後の会社の方向性に関してかなりの迷走状態にあるのも、知ってました。(オフレコでと言われたから、これまで誰にも話さなかったけど、これだけ騒ぎになってりゃもう時効じゃないかと思うのでバラしちゃえ) 
よって、出来がどうとか原作がどうとかのレベルではなく、私は新人監督の登場に、素直に喜んでます。「宮崎駿のジブリ」じゃなくなっても、面白いアニメを作るスタジオだったら、それでいいんじゃない? 吾朗さんは吾朗さんのジブリ作品を作ればいい。
――とはいえ、作品冒頭の疑問点がそのまま残っちゃったのは「ええええ! ここで終わる? これで終わりなの!? ええええ!」というかんじではありましたが。

個人的には、物語というのは元の媒体が何であれ、公式に発表された時点で公的な性質を帯びるものだと思っています。
言い換えれば、描かれた世界も登場人物も、自分の足で立って一人歩きしはじめる。それを読んだ(観た)人がその世界をどのように発展させたとしても、それは受け手の問題であって、提供した側の口出しできる領域じゃない。小説という媒体は特に、その傾向が強い。たとえば竜をどんな姿で思い浮かべるかは百人一様、「あなたの想像した竜は間違いです」とは、誰にも言えない。
アマチュア未満の自分の創作でも、私はそのつもりで書いていますし、そも、同人活動というのはそういう認識の元に棲息域を見出せるものですしね。
だから、「原作どうこう」という理由で一つの作品を評価するのは、止めたいし止めて欲しいと思ってます。何に関しても。

………なに真面目に語ってんの、この人?
(いやね、あんまりにも批判する人が多いのがちょっと気になったのよね…。そりゃ不満はゼロじゃないけどさ私もさ。それはそれとしてさ。もごもご)



2006年08月18日(金)  幸せボケ。

事ある毎に先週末の収穫物を手にとっては現実逃避に勤しんだ一週間でした。(駄目じゃん)
変なふうに導火線に火が点いちまったもんで、執筆したくてたまらない。仕事したくない。ただでさえ雀の涙的な集中力が、ミジンコの汗くらいになってました。(ミジンコはたぶん汗かかない)(即ちゼロ)(…)
そんな中、小泉さんは周囲の反対ぶっちぎって靖国参拝してみたり、ロシアが漁船を襲撃してみたり、何やら職場界隈が喧しかったことです。(近隣にロシア大使館があるもんで、右翼さんとかデモ隊とかが凄いことになってた。右翼も活動中に昼休み取ってタバコ吸って寛いだりするんだなあと窓から眺めて感心してた。)

靖国ネタ、書こうか書くまいか相当迷ったのですけれども。自分的整理のつもりで、書き残しておくことにします。ただし、かーなり辛辣ですので、見たくない人は見ないほうがよいかも。因みに、私は現時点で国事に携わる者の靖国参拝には批判的立場です。それでも読んでくださるという方は、どうぞ。→

創作のほうは、長文〜とか言ってた割に更新したのは短文でした。orz
風呂場で思いついて寝る前に携帯に骨組みだけ打ち込んで、翌日の昼休みに流れを整えて帰宅してからHTMLにして最後の仕上げをしました。…最後の仕上げに丸一日かかったけど。伝習隊の戦いっぷりを確認したくて、浅田の力作(=北戦日誌)を読み返してみたりしてたから。
…それでさ、気付いたんだけどさ、浅田って本当に何ていうか…ねえ…。「愉快な戦争」とかいう凄い形容詞を遺してくれたのは知ってたけど、藤原の戦いでもかましてくれてました。「ただ惜しむべきは吾れに一門の大砲無く、愉快に敵兵を殪す事あたわず」。すなわち言い換えると、「大砲があったら愉快に敵をやっつけられたのに!」。……思わず、「愉快」ってどんな意味だっけ?と辞書をめくってみちゃったよ。三省堂『大辞林』によりますと、「愉快=楽しくて気持ちのよいこと(さま)」。 ………やっぱり私の認識が間違ってたわけじゃないんだね…。素敵だ、浅田惟李。
えと、長文は、新撰組と箱館で一本ずつストックの煮込みを始めてます。今回の創作熱がいつまで続くかによって、出来上がりのタイミングも変わってくると思います。創作熱の行方は、皆様次第です。ヨロシク!(どこまでも他力本願)

●更新(8/17)
>『徒然草子』: 小ネタに箱館…というか伝習隊ダブルリバーズで妄想戦闘シーン。
 葛生さんの脳味噌の中で、戦闘シーンというと基本は戦国時代と孫子の兵法なので、近代戦の戦法なんかわかりません。浅田の記述を信用するとともに、アメリカ独立戦争や南北戦争の映画のシーンを回想しながら書きました。ダブルリバーズが恐怖を感じてなかったかどうかはご本人らにしか預かり知らぬ世界ですが、こいつらの初陣が鳥羽伏見だってことを考えると、恐怖心なんかあったら脱走してねえんじゃないかと思ったり。PTSDもなさそうだ。…あったら明治で陸軍やってないだろう。(何だかんだ言ったって所詮は全部妄想)

●メッセージ返信
8/17 22:22 S宮様(隠してない…笑)
 こちらこそ先日はどーもでした!…ていうかいつもどーもです。可愛い顔して漢前な呑みっぷりにいつも惚れ惚れです。最近の葛生は何処に出しても誰に対しても圭介の話ばっかりする恥知らずと化してますよ…。恥知らずっていうかむしろ可哀想な人っぽい…。/ 新作秘話ですが、ヒゲは考えた末に敢えて記述を控えたアイテムでした(笑) でも必須アイテムかも。ビジュアル的には充分アリです。ってかそのご指摘に萌えたよ…!(やっぱり可哀想な人っぽい) 仕事してる男は汚くてカッコイイもんです。ムフ。――早速のご感想、どうも有難うございましたvv



2006年08月14日(月)  盆休み?何ソレ。

相変わらずの週間日記ですみません。(それ日記っていわない。)
世の中お盆ですね。でも葛生さんの職場は土日祝日無視の24時間×365日シフト制なので、当然お盆休みなんて気の利いたものがあるわけがありません。しかも朝っぱらから首都圏広域停電とやらで地下鉄止まったよ。ばっちりトラップに引っ掛かったよ。何の嫌がらせですか…。勘弁してくれよ、事故だろーと不可抗力だろーと実働時間ぶんしか給料くれない職場なんだよウチは…。(T T)
でも、仕事でちょっと楽しいネタにぶつかったので復活しました。どんなネタかっていうと、中央アジアにある「トルクメニスタン」という国の話です。昨日の日曜日は、トルクメニスタンの国民の祝日だったそうです。何を祝う日かというと、メロンだそうです。「メロンの日」制定にあたっての大統領声明が素敵です。曰く、「全ての人の生活がメロンの様に美しくあれ」!
そんな楽しい国家の独裁政権に君臨する大統領もまた、素敵すぎです。詳しくは、↓のブログを読んでみてください。>ttp://asaippoi.exblog.jp/1086732/

さて、土曜日は東京湾の片隅のムツゴロウが住む海と同じ名前の地区(のごく限られた一区域)を、ご進物片手にウロチョロしておりました。といっても昼からのんびり一般参加でしたけど。…家族には「仕事」と偽って出掛けました。(…)
夜は、F1→歴史と打ち上げのハシゴを敢行…。や、どうせ両方とも会場は新橋だろうと思ったんだよ。ところがどっこい、F1は都合で錦糸町方面に出ることに…。真逆じゃねーか…!(絶叫)
でもハシゴしました。根性で。言っとくけど、酒が呑みたかったからではありませんよ! 皆様にお会いしたかったんですってばっ。
歴史打ち上げでは、ヤスヒサさん、たかきさん、かりんさん、十夜さん、柴宮さんとご一緒させていただきました☆ 素晴らしく楽しい一時でした、どうも有難うございました。そしてまたしても圭介×∞しか喋らない奴ですみません。伊庭歳もちゃんと好きですよ! 
…しかしこの夜いちばん印象的だったのは、帰り際にS宮さん(仮名)が新橋駅で呟いた「呑み足りない…」という一言でございました。呑んでた!アナタしっかり呑んでたよ…!
帰宅後は、へとへとのボロボロだったにもかかわらず、戦利品をすべて読破するまで起きてたら夜が明けていたとゆー阿呆をやらかしました。小説本ばっかりだったうえ、皆さま構想から表現から秀逸でつい引き込まれてしまいまして。…で、その後半日ばかり、「こんだけ素敵なお話を書く方々がいらっしゃるのだから、私なんかがわざわざ書かんでも…」とネガティブ路線走ってみてました(笑) 寝て起きたら回復してたど。(早っ)
反動で、今はSS書きたい熱が高まってます。長編書きたい〜とか思って昨夜プロットだけ立ててみた。…調べなきゃならない資料が山積みですよ奥さん…!(><)
ま、ぼちぼち生きますよ、じゃなかった、行きますよ。



2006年08月07日(月)  日々の糧は妄想です。

胸を張って宣言することでもないですが。(本当にな。)

土曜日、かの I 潮さまからお誘いを頂戴しまして、ほくほくと呑みの席に出向いて参りました。…誰だ、新潟で呑んだくれすぎて「暫く酒は呑まない、お財布の中身も寂しいし」と言ってた奴ァ。ついでに、他の友人の誘いには、「旅行疲れで出掛けたくないからパス〜」とか言ってたよな…。(萌えパワー強し)
で、いつもながら貴重資料を拝見したり濃厚なこぼれ話を伺ったりしつつ、最終的に突入した世界は、吉田清成=乙女、だったという。(げふんげふん)
いや、その。テーブルが店の隅っこだったのを良いことに、吉田×大鳥で大フィーバー致しまし、た。(以下、青少年の健全な育成に不適切な表現多用につき反転) 幕末の薩摩藩(国元)では大鳥圭介本(同人誌)が出回ってて、吉田はそれを見て圭介にキュン死してたに違いないとか、洋行中、面と向っては威厳を保って接してるのに、圭介が退室した途端に「ああ、今日も大鳥さんと話してしまった…vv」とかうっとりする吉田とか、吉田の洋行日記には裏バージョンの秘密日記があって、それには「書類の受渡しの際に触れ合った指の温もり云々…」とか切々と愛を謳った詩が綴られてるんだとか、「嗚呼、こんなにも想っているのに貴方はつれない。…大鳥さん、何てズルイひとなんだ…!」などとこっそり呟いたのをうっかり本多晋が聞いちゃって、「ズルイ男だ」発言になったとか、etc.etc...。
や、発想が豊かなのはまだまだ脳味噌が若い証拠ですよ。(嘘つけ)(ていうか吉田さんに謝れ)
おかしいなあ、最初は確かに、吉田さんの交渉力と肝っ玉の座り具合は日本人のそれじゃないですよね、という話だったはずなのに。どこでどう転んだんだろ…。

あ、あと面白かったのは、酒でした。日本酒から焼酎からカクテルからウィスキーから、何でもござれ的な品揃えの素晴らしいお店だったのですが、そこで私が注文したウィスキーがちょうど品切れで。メニュー見て唸ってたら、お店の人が「普段はどんな銘柄を」と訊いてくださったんですね。で、「おお!気の利いた店じゃ」と喜びつつ、「ハイランドモルトです」と言ったら、2本ボトルを持って来てくださいました。うち1本は飲んだことある銘柄だったので、もう1本の方をストレートで注文したところ。暫くしてグラスを持ってきた店員さんが、実に申し訳なさそうに仰いました。
「あのー、ちょっと飛んじゃってて、これじゃお代はいただけないので、香りだけでも楽しんでいただければ…。」
……へ?と思いつつ、タダ酒ならラッキー!くらいの気分でグラスを手に取ると、中身に少々濁りが出ている。うーん、ワインほど酷くないにしろ濁ったウィスキーはちょっとなあ、と思いながら一口含んで…………吹くかと思いました……。
遠くでうっすら樽の香の名残があるだけの、だ っ た ・・ ・。orz
飛んでるって何かと思えば、主語はアルコールだったようです。しかも後味がちょっと苦い。…苦いウィスキーって何だそれ!?
――というわけで、大人しく違う銘柄を再注文いたしました(^ ^ゞ
このウィスキー水(誤)、I 潮さんにも評判でしたよ(後の語り草という意味で)。たぶん一生に一度の味だった。貴重な体験をさせてもらいました。

反町ジャパン(サッカーU-21代表)、まずまずの発進で一安心です。いや前半のDFのザルっぷりとかセカンドボール処理の荒っぽさとか突っ込んでったらキリないんですけど。危なっかしくて見てらんなかった部分もありますけど。うちの子(FC東京所属選手)が3人もいるので母親ちっくな気分で見てました。でも今回のMVPは西川くんだよね。あと終盤は法政の本田。や、伊野波も慣れないポジションで頑張ってたけど!
次はA代表かー。今ちゃん(今野・FC東京)がさぁ、折角選ばれたのに、怪我しちゃったんだよね。間に合うのか!?

●メッセージ返信
 7/22 2:16 プリズム・ガラス・灯台・鉄道・学校ときて薄笑いのS様
 お返事が実に遅くなりまして大変申し訳ありませんでした。頂戴メッセージに、S様の注目を(まんまと)ゲットしたぞ!とガッツポーズをしておりました(笑)/ それから年号のミス、鋭いツッコミを有難うございます!(^ ^ゞ 些細な点をも見逃さないその眼力に惚れ惚れします。おねえさまとお呼びしたい。/ ヴィクトリアンな圭介は、私も想像してはニヤニヤしてしまってます。当時はまだ今のような背広がなくて(バカンス用としては普及しはじめてましたが)、ロンドンのシティでビジネス交渉をする以上、当然モーニングコートかフロックコートにトップハット、ステッキ付き、という恰好をしていたわけです。…「着られてる」圭介が目に浮かぶようです…。帽子の扱いにてこずりながら一心不乱にプリズムの作用をメモる圭介とか…萌える…。/ のんびりペースで更新すると思いますが、またツッコんで下さると嬉しいですvv



2006年08月05日(土)  今週末には復活できる予定だったんだけどな。

先週末は土曜出勤とF1が重なって余裕がなく、火曜の朝〜木曜まで旅行の予定があったにもかかわらず仕事や家庭の事情で準備ができてなかったので、月曜の夜は支度と現地の情報収集に忙しく、強行軍の旅程に帰宅後はひたすら眠気と戦いつつ金曜日出勤して、今日は猛暑とガチンコ勝負でした。(長い)
それでも、ここ数週間のトンネル(主に家庭・一部仕事)に出口が見えたので、今週末からは勇んで更新準備にかかろう、と意欲だけはあったのですが。
や、その。
旅先のホテルに富士太郎 (くどいようだがネタ帳PDA) をうっかり置き去りにしてきてしまい。(…)
――最近ドタバタしてたから、PCじゃなくて専ら富士太郎でネタ作ってたんだよねえ。
幸い、ホテル→駅の間に「むむ?」と疑惑を持つことができたので、ゆっくりチェックアウトの同行の相方がまだホテルに残ってまして、携帯で捜索願いと保護をお願いしました。迷子は月曜日には拙宅に帰ってくる予定です。(すまんKちゃん)
いやさ、始発に乗らなきゃならなかったもんで焦ってたのよ。油断大敵。(ちょっと違う)

旅行は、新潟・長岡2泊2.3日(笑)でした。「長岡大花火大会で三尺玉を鑑賞」というのがメインイベントでしたので、2日目は午後2時半過ぎから炎天下の信濃川河川敷でレッツ我慢大会〜!(死)
でもその甲斐あって、とても素敵な夜でしたよvv 迫力満点だったし。
何せ、10ヶ所同時打ち上げとかいう荒業をやってのけるのですよ…。おまけに打ち上げ場所と観覧席が東京じゃありえないくらい近い。どのくらい近いかというと、光と音の間隔が殆ど無い! 十号玉すら、頭上で弾ける感覚。よって写真もビデオも、近すぎてちゃんと撮れないという罠…!(苦笑)
にしても本当に、凄いという表現がぴったりなほど、綺麗でした。



さて、私的にはこの旅行にはもう1つ目的がありまして、勿論それは北越戦争でございました。長岡には、旧長岡城の天守閣を象った郷土史料館があるんですよ。(元々の天守閣は現在の長岡駅のところにあったので、元の場所に復元するというのは不可能だったんでしょうね)
小さな史料館なので、限られた展示品を盛り沢山でお届け、といった印象でした。が、無造作に山本帯刀の刀が置いてあったり、鉄砲の弾がめり込んだ木片があったり、河井継之助の扇や直筆手紙があったり、ガトリング砲の原寸大復元模型があったりと、興奮せざるをえない一時でした。
あと、明治好きとしては、戊辰戦後の復興のあたりも見逃せない、ということで食い入るように見ていたら、広瀬武夫の直筆ハガキとか発見しましたよ。さらに山本五十六はうちの亡くなった爺さまとちと縁があったりしますもので、そこでも釘付け。日本史にはあんまり興味のない(たぶん)相方はすっかり飽きて、ソファでお茶飲んで寛いでました…。(本っ当にすまん;;)
昼頃に現地到着した1日目は、新潟市内観光をば。明治2年建築の旧新潟税関庁舎を見たり、歴史博物館で新潟の町の成り立ちを知ったり、水族館でイルカとトドとラッコとイワトビペンギンを見たりしました。

で、問題は、旅行前々夜から私の睡眠時間が5時間を切っていたという事実でしょうか…。新潟には相方と共通の古い友人がいるので、着いた日の夜は明け方3時まで大宴会状態。翌日(花火の夜)も、酒こそ入れなかったものの、深夜2時過ぎまでお喋り大会。日曜から数えて4日間の合計睡眠時間が、14時間半という……。
普段、一日最低6時間は寝たい人間なんですが、わたくし。
そんなわけで未だに眠気と非常に仲良くさせていただいております。い、幾ら寝ても寝足りない感覚が…。あな恐ろしや…!(←莫迦)

メッセージの返信が滞っておりますが、明日あたりには必ずや。


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]