みみずのたはごと

2006年01月28日(土)  修羅場は続くよどこまでも(吐血)

昨夜はS宮さんと、being 呑ん兵衛!な一夜を過ごしました。…前に日記に書いたように、最後の編集+引継ぎという大山を越えた後のご褒美のつもりで自らいそいそセッティングしたんです、んが。
越・え・て・な・い・か・ら ☆ orz
……えぇまぁ簡単に現状を纏めますと、「あと2日で終わるのか…本当に終わるのか…!?」てな状態でございます。後任の子が悪いわけじゃないんだ。編集校正経験ゼロなのに乾いた土が水吸うような勢いで勉強してくれてるんだ。それでも追いつかないのは彼女の責任じゃなくてそういう人選をした人事部なんだ…。でもって間の悪いことに、同僚が困ったちゃんな編集長代行の上司(かつてオレに中国語校正させようとしやがった現状見えてねえ御人←昨年5/11の日記参照)と大喧嘩しおってですね、「あたしも2月で辞めさせてもらいます…!」――と。
宣言しやがりました。隣で聞いてて、「やった…!やりやがったよコイツ…!」と蒼褪めましたよ。おいおいおい、誰がフォローするんだよ新人チャンをよ…!?(愕)
そりゃあ、あの上司に食傷気味だったのはお互い様で、私はもちろん家の都合で辞めるわけだけど、同時に「ああこれでもうあの人に振り回されんで済むvv」と清々しい気分を味わったのは事実だから、その点についてはとやかく言える立場でもないんだけどね。(人間関係にドライな私がこのレベルなんだから、生真面目な彼女は相当キツかったろうし、実際に胃潰瘍一歩手前で通院してたのも知ってるし)
たださ、うち、たった2人の部署なんだわ(爆)
他の部署の人たち、困ったちゃんな編集長代行も含めて、雑誌作りのノウハウ皆無なんだわ。
おまけに同僚の彼女、退職宣言して以来、次号以降の仕事にまったく手をつけようとしない。次号以降は彼女がいるから…と思って、引継ぎは軽〜くしかしてなかったんですけど、慌てて後任の子に説明を始めました。おかげで引継ぎ予定狂いまくりです。まだ説明できてないこと山程あります。しかも↑のよな状態なんで、引継ぎノートも書き足さなきゃならないことが激増。
完全に退職しちゃったら(つまり2月1日以降になったら)、自分の認識もすっぱり「他人事」に切り替わるんで(でなきゃ派遣はつとまらん)、そのへんは心配してないんですけど、あと2日間はまだ編集部員なので。モノ作って売ってるプライドがありますので。
キリキリしてます。キリキリキリ。

酒は旨かったです。酔ったS宮さんも可愛かったです。でもやっぱり葛生さんは酒に弱くなったみたいです。本日もちょっと胃が…。(でもS宮さんに言ったら、「ただの呑み過ぎでしょ」って一刀両断にされた。違うんだよー昔は同量呑んでも平気の平左だったんだよー T T)
食事がコースで1980円(クーポン使用)に追加で3品頼んで、お会計がいちまんにひゃくじゅうえん、で した 。 ……どんだけ呑んだこいつら…。(ちなみに葛生さんよりS宮さんのが少なくとも1杯は多かった)(さりげなく自己弁護)
S宮さんは私が結婚した暁には愛人として新居に入り浸ってくださるらしいです。どうせなら結婚式に乗り込んできて攫ってってくださいよーと申し上げておきました。(何の話してるんですかあんたら)



2006年01月25日(水)  仏語で命令。

Kヶ江さんに触発されまして、学生時代に2年ほどお世話になった仏語辞書を引っ張り出し、フランス語での軍隊命令用語を調べてみました。
「撃て!」は英語では“Fire!”と言うので、同じではないかと推測して検索したところ、案の定大正解。フランス語で「火」を意味する“feu”の項に、「Feu!=撃て!」としっかり書かれていました。
が、問題はその発音。フランス語には二重母音がなく、“eu”の音は「ウ」になります。つまり、「feu」は、「フ」です。
…………………。
な、なんて締まらない命令なんだ…!(大爆笑)
だって、例えばですよ。
(以下、想像妄想につき反転)

<小山における浅田の場合>
左方の麦畑の中に5人の敵兵を発見。うち1人は指揮旗を持っている。手招きしておびきよせ、距離15、6歩まで縮まったところで、腕を高々と振り上げ叫んで曰く、「フー!」

<二股における大川の場合>
じりじりと迫ってくる敵に、
「まだだ、もっと敵を引き付けろ…!」
そわそわしはじめる部下を抑え、息をひそめて待ち構える。もうこれ以上は、というところで、
「よし、今だ! フー!」
号令一下、山中に轟音が轟いた。


…な、何か違うモノを思い浮かべてしまっ…。げふぐふごふ。(死んでこい)

前回鳥飯で触れた『解難録』を仕事のついで(またか)に入手してきたんですが、予想どおりと言いますか、どこまで勝先生の言い分を信じればよいのかという命題にぶつかっております。…お願いだから同じことを書き残すなら記述内容は統一してくれ…。(だいたいがこの人は苦手なんですよ私。だから今まで避けてたんだ。でも、どうやら疑問点を解決するためには海舟全集と取っ組み合わなきゃいけない気がしてきた。ヤだなぁ。)
あ、でも一つだけ、前から抱いてた謎が解けるかもしれないという感触はあった。まだ「かも」の段階だけど。



2006年01月20日(金)  残業するくらいなら、

持ち帰って翌日までに仕上げる主義です。や、派遣社員のコードとしては本当は禁止事項なんですが。(情報漏洩に繋がるから)
しかしだ、やってる仕事が文章を縦にしたり横にしたり引っ繰りかえしたり、まがりなりにも言葉のプロとして水準に満たなくてはならない再構築作業なので、一日使い古して溶けた脳みそでいくら時間をかけたところが、後日自分で見て愕然とするお粗末な出来にしかならんのですよ。ハッキリ言って時間と労力の無駄。後で全部やり直し。だったら、たとえ残業手当てが出なくとも、きちんと質のいい仕事がしたいじゃーないですか。
……という主義の私が、今月は毎日残業してるってのは個人的には驚きです。そろそろ残業代せしめるのも罪悪感を感じ始めた。でも、持ち帰ってないわけじゃないんだよ…。持ち帰っても間に合わないから残業してるんだよ…。
ここ暫くナチュラルハイが続いてるので妙な具合に元気が溢れとります。おかげさまで風邪知らず。

調べもので図書館に寄り、うっかり仕事以外の資料を借りてきてしまっ…。……。(莫迦ですか?)
いまさら岡本綺堂に嵌ってます。小説でも戯曲でもなくてエッセイと資料本です。彼は幕末の江戸のプロフェッショナルなので、当時の社会背景なぞに詳しいのです。何せ、お父さんが旧幕脱走兵ですから!(爆)
岡本敬之助氏は「明治元年4月に江戸を脱走して野州宇都宮に戦い、更に奥州白河に戦って弾丸に左の股を傷けられ、潜かに江戸へ帰って来たが、身を措くの地無くして横浜の居留地に潜伏し、英国商人の紹介に因って明治2年の春から東京にある英国公使館の、ジャパニーズ・ライターに雇われた。」(岡本綺堂自筆年譜より)
途中まで圭介と一緒ですね。何隊に属していたんだろう。お父さんだけじゃなくて、岡本一族の「大部分が佐幕党として所々に戦って敗れた」そうで、綺堂自身が「一門が敗残の歴史を余り多く語りたくない」と言ってるので、書き残してはいないんだろうなー。惜しいな。
にしても、負けて帰ってもタダでは転ばない。好きです。惚れそう(笑)
当時はこういう不屈の人が沢山居たんだろうな、だから明治の日本があったんだろうな、とつくづく思います。よし、私も頑張ろ。(強引な思考回路)

●メッセージ返信
1/20 10:32 お酒の飲めない I様
 や、酒は飲まずに済めばそれが一番じゃないかという気もします。タバコと一緒で、依存癖つきますから。酒好きになると呑ん兵衛へまっしぐらで、それはイコール肝臓と胃の酷使でもありますしね。(でも葛生さんは止めないんですね?)(止められないんです)/ SSと鳥飯の感想有難うございましたーvv 浅田個人については私、実は殆ど知らないんですが(汗)、他人様の調査結果なぞを参考にさせていただきつつ…。「人間くさい」って最高の褒め言葉ですよ!(><) し、師匠ですか…。と、鳥歳キワモノ道(笑)の目録くらいなら到達できてるんじゃないかと思いますがどうですかねぇ…。



2006年01月18日(水)  酒のことばかり。

…ふと気づくとそればかり考えております。いや最近ドタバタしてて呑んでないので。そしてこの大山を越えた先に、自分的ご褒美を用意してあるのですよ。すなわち酒ですが(笑)
少し前までなら、修羅場の時ほどアルコール類に手を伸ばしていた記憶があるのですが、最近はどうも肝臓あたりが弱くなったみたいでして…。これまで何ともなかった量で胃がご機嫌斜めになることがあるのです。悔しいことに。抜けも悪くなったしなー。というわけで仕事が忙しいときは自重することにいたしました。今月から。(え)(っていうかいつまで保つのその決意?)

今月末で退職してさわやかNEET生活に突入です☆ 貯蓄があるわけでもないので、要するにパラサイトです。理由が家の手伝いだろうが何だろうが、統計的に見ればそういうことです。うわぁい。
で、ここのところ関係各所に、退職のお報せと今までのお礼を言ってまわってるんですが、3回に1回の割合で、「お祝い申し上げて宜しいんでしょうか」って訊かれます。
…………そーか、もうそんな年齢か。(遠い目)
そもそも、学生の時分からずっと、自分の中に「寿退社」という選択肢が存在した例がなかったので(葛生さんの出身校は女性の自立がモットーですからして)、最初は何のことだか言われた意味が判りませんでした。天然ボケ。
でも今後の日本で寿退社して旦那の食い扶持で家族全員円満生活…ってよほど恵まれた家庭だけじゃないかと思いますよ。共働きが当り前になってきてる。厚労省や議員さんたちはどうやら、今年フリーターを正社員にしよう!という運動を展開するみたいですが、根本的な問題意識が違うんじゃないですかね。片やワークシェアリングだ何だと「働き方の選択肢を増やせば少子高齢化も乗り越えられる」と唱え、片や「正社員が増えれば税収が増える」と宣う。矛盾してやしませんか。ワークシェアすりゃそんだけ一人頭の稼ぎは減るわけで、その減収分をフォローする制度が必要になるんですよ。日本に欠けてるのはまずそこなんだよ。ちなみに国連基準の「貧困率」というのは、所得が国民平均所得の半分に満たない人々の割合で算出するそうなんですが、それだと日本の貧困率はいわゆる「貧困国」に次ぐレベルらしいです。高所得者が多いという理由もあるんだけど、最大の理由は、所得再分配システムが非常にアンバランスで、高所得者を厚遇し低所得者を冷遇しているからなんだってさ。…という原稿を本日読んでてムカっ腹が立ってきました。そうだよ別に結婚したくないんじゃなくて単にできないんだよ資金難で…!(いや相手もいないけどさ。)

えー、ちょっと憂さを晴らしました(↑)。スミマセン;;
単純に次の仕事が見つからないから苛ついてるだけとも言います。えへ。(えへじゃなくてな)

そうそう、前の日記で「峠下での浅田の怪我」とかほざいてますが、間違いです。大野村です。峠下の戦いはたぶん浅田は参加してません。嘘こいてすみませんでした。(でも地名が違うだけで言いたかったことの大筋には影響してないよ)(言訳)

●更新(14日&17日)
>文庫:「鳥飯」に追加 計3件
 纏まったことを考える余裕がないため、散文的な更新ですみません。自分用のリファレンスの意味合いが強いです。暫く(2月くらいまで)はこんなかんじの散発ネタで行くと思います。

●メッセージ返信
1/14 0:55 五草のS様
 七草粥は毎年食してますが対象植物の生態はおろか原形すらあまり知らない葛生さんです。大根、かぶ、ハコベ、ぺんぺん草くらいしか全体像を見たことがない…。/ 伝習隊の七草粥は確かに「闇粥」っぽいですな! 嬉々として間違ったものを摘んで歩く連中の姿が思い浮かびます。浅田哀れなり(笑)/ 感想有難うございました〜vv
1/14 22:47 強く逞しい上司にくらくらのK様
 K様に認めていただけると安心します>伝習隊SS(笑)/ 隠しテーマに、「負けてない大鳥」「恰好よい大鳥」は確かに含まれてました。気づいたら何気に本多最強話になってたのでノーコメントにしました(苦笑) 浅田に七草粥という小道具は、仰るとおり、医者の婿である彼なら風習の意味をちゃんと知っているだろうという含みもあります。実は。見抜いてくださるK様の洞察力に惚れ惚れします…vv/ ウィキ計画、提唱した本人が何もしてなくてすみません(汗) そ、そのうちには…。/ 勿体ないお言葉を多々有難うございました!



2006年01月13日(金)  大遅刻年賀SSまたの名を寒中見舞い。

仕事に追われていたのも事実ですが、ご無沙汰の主たる理由は標題のよーなものを作成していたためです。(…。)
七草を食べていたらネタが降ってきまして。本当は7日中(松の内)にあげたかったんですが、仕事の関係で仕上げなきゃならない書類があって間に合わず、時期的に非常にマヌケなことに。
…いいさ、旧暦ならまだ12月中だもん。(開き直り)
てなわけで、年賀寒中見舞いSS。陰暦の松の内(今年は2月4日)まで晒しておきます。←公開終了しました。

そういや、↑を書くために情報整理してて思ったんですが、浅田が箱館病院に入院してたのって、いつからいつまでなんでしょうか…。
というのは、現存する史料の表書きに、1969年に浅田が「函館の病院に於いて、重傷の療治中に」複写したという但し書きがあるそうなのですが(他人様の調査結果に依存)、大川の『奥州南口戦争記』によれば、峠下の戦いでの浅田の傷は「軽傷」ってなってるんですよ。10月末の軽傷で年明けまで入院って、妙じゃありません?
大川は軽傷だと思ったけど実は重傷だったとか、峠下での怪我は軽傷だったんだけど会津での怪我が化膿したとか、そんなんかしら。峠下での戦闘に参加してるってことは、会津の怪我は一見では治ったかんじだったとみていいんだよね? 化膿傷の治療ってどのくらい長くなるものなのか…。或いは、峠下の怪我は一旦治って退院したあと、例えば11日の決戦で大怪我して入院して、そのまま謹慎中に写した、とか。でも春の戦闘で怪我したんなら、誰かがどこかに書き残しててもいいような気もするんだよなァ。(想像の翼にも限界が…;;)
――とゆー葛藤を抱えつつ、↑では一応、後遺症が残りつつも怪我は治って退院できるって展開にしてみました。敢えて茨道を突き進んでみる無駄な勇気を発揮。
ときどき、ふと我にかえります。何を必死こいて140年前の人間の足跡を追っかけてるんだろう、と…。(でも楽しいんだよう!><)



2006年01月06日(金)  not寛容。

続編効果でいろいろ書きたいこととか調べたいことが急増しているんですが、実生活で思いっきり首が回ってません。借金はないですが毎日の業務処理成果は赤字続きです。パニクるからいけないんだよな、うん。落ち着け俺。

息抜きと称して各所の感想をハシゴしてて、なんか大鳥ファンというわりに冷たいな自分!と笑いたくなりました。でも、別に私が寛容だというわけじゃないんですよ。馴れです。諦めです。
だって、たった2時間のドラマじゃん。本編の近藤さんが一年かけて「正直だけが取り得の直情○カ」設定だったのに比べたら、遥かにましでしょ。と、いうわけで、感想の分かれ目は大河本編を見ていたかどうかも影響しているんじゃないかなと思いました。
丸一年の間、毎週のように見ていれば、みたにさんの話の作り方と放送母体の立場はそれなりに判ってきます。エピソードの抜き出し方も繋げ方も、登場人物セレクトも、フィクション度合いも、本編と同じでしたから、私にとっては「予測の範囲内」で済んだ。最初から期待していなかったとも言う(笑) 
続編の番宣で見ちまったのが、土方に対して示威行動に出る大鳥という私的に相当NG度の高いシーンだったという段階で、最後の望みも捨てられましたし(苦笑) ←示威行動に出る人間というのは多かれ少なかれ権威主義的な傾向を持っているのですが、圭介の言動からはその傾向は薄いと思う。贔屓目かもしらんが。以上社会学学士の主張。
いったいに創作に接するときには創作としてしか受け止めないので、相当貶められているのでもなければ、心情的に実像とのギャップに苦しむこともあまりないです。慾を言えば影響力のある媒体ならもう少し弊害についても考えようよ、とか文句も出てきますが、対象によりけりですね。
今回について言えば、「圭介像がアカン」のは判りきっていたので、その点は念頭から敢えて抹消して、「みたにマジック」にのみ注目して見たのでした。そしてやっぱりマジックは凄かったなと。
ストーリー?どんなんだったっけ?(爆)

――うんでも、このシリーズには、私は素直に感謝してます。本編見てそのフィクションぶりに「え、こんな話だったか!?」と仰天して子母澤寛を読み返さなかったら、このサイト生まれてませんもの。最初がコレだもん、免疫もつくさね。
だからね、結果的に私がどっぷり圭介道に嵌りこんだみたいに、今回のドラマを契機に箱館戦争や戊辰〜明治の時代に興味を持ってくれる人が一人でも増えたら、それだけで私はいいです。嬉しいです。そういう方々が追々、圭介の真の魅力に目覚めてくださるに違いない…ククク。

●メッセージ返信
 メールを下さった方には別途、長文が届く予定です。…今月中には(遅!)
1/1 22:05 K県弁のH様
 やや、こちらこそ凄い勢いでお願いしますですよ! 速攻の年賀返し、有難うございますvv /正月圭介ドラマはもう最初から捨ててかかってましたので痛くも痒くもなく純粋に笑い転げてました。昨年末あれだけ悲観してたのは誰ですかもう…。でも怒り出したらキリがないので。土方も他の連中も。私の中には私の真実があるからいいのよーと思ってます(笑) 可愛かったから許す>あの圭介 /お母様と一度お会いしてみたいものだと思ってしまいまし、あ、いや、ごにょごにょごにょ。
1/2 1:26 楽天カードを送って下さったO様
 過分なお褒めの言葉を有難うございました! 私こそいつもO様の適切な言葉遣いには感心しておりますよ。日々精進を旨に、そして今年もめいっぱい大きな鳥という名前のちいさな鳥(笑)の周辺をむしゃむしゃと食い散らかす所存です。あんまり零れるものがないかもしれませんが(滓も残さず食い漁る気満々)、それでも宜しかったら是非、今年もよしなにお願いいたします☆
1/2 3:38 I様
 こちらこそ今年も宜しくお願いします! メッセージを頂戴した瞬間、素で「しまった先を越された!」と思いました(^ ^ゞ I様のように人を楽しませるコンテンツの皆無な拙宅ですが、今年もご贔屓くだされば幸いです。宜しくお願いしますvv
1/5 15:26 期間限定PのK様
 ああ、資料と自分の妄想の境目ってだんだん曖昧になりますよね! 絶対どこかで見た筈だ、というネタがよくよく思い返すと自分の願望で濃厚に彩色されてたり…。まぁ私の場合、そも資料を願望目線で読んでますんで…行間に潜んだ何かを(笑) /歴史系の資料探しは、人脈が頼りの部分は少なくないかもしれません。お互い提供しあえれば効率がいいんですが、実際には私も頂戴するばっかりでして(汗) どなたか第三者に還元できればと思ってる次第です。古本は一期一会ですよ。私も今迷ってるのが二冊あります。月末まで売れ残ってたら落籍する決意にて。



2006年01月04日(水)  明け過ぎました。

おめでとうございました。(割と毎年こんなかんじ。去年は頑張った。)

仕事始めです。朝からオフィスに来てます。夜まで仕事です。初日からフルタイム。しかも引き継ぎ。資料は2日の午後と3日を潰して書きました。まだ終わってませんが orz
31日と1日は、家事(含おせち作り)と接待のため、文字通り一日中立ちっぱなしでした。座った回数は片手で数える程度。下手に座るともう立つ気が起きなくなるので、食事も休憩も立ったまま取る。主婦って大変ですね。母君(やはり立ちっぱ)と二人、お年賀の親類が持ってくるご進物ランキングなどで気を紛らわせてました。要するに、「もちっとイイもん持ってくりゃいいのにね!」というイチャモンです(^ ^ゞ
3日は資料書いてるか体力の限界で気絶してるかのどっちかだったので、初詣はまだです。今日仕事帰りに築地本願寺で済ませようかと目論んでいたのに、閉門午後4時ですって。間に合わないじゃないか。…というわけで下手をすると初詣ナシです。信心なんてないけど、何か厄介が起こりそうで嫌だなァと思うのは日本人の性でしょうか。
圭介ドラマ(世界で5人くらいしかしない略し方;;)は、1日の夜にぼーっとしつつ見ました。疲労のため精神状態が普通じゃなかったので、わりと平気でした。そんなわけで、以下感想。

まず、NGシーンは総て、予想の範囲内に収まってました。圭介のギャグ担当も入れ札も。伊達に三次元同人やってたわけじゃありませんてw(>F1のコトね)
登場人物が偏ってるのも、大河本編を踏襲してることで気になりませんでした。あと、完全なるフィクション部分もですね、創作ってのは基本的に嘘つきが許される媒体だと私は考えてるので、別に構わないんじゃないかなと思った。圭介も既存の描かれ方の中ではましなほうじゃない…? ツッコもうと思ったらそりゃ、A4ワード20枚くらい書けると思いますけどネ(苦笑)
それよりも、みたにさんの構想力に唸らされた。
土方の奇襲作戦。実際にそんな戦術を考えていたなら誰か一人くらい書き残してるはずなので、あれは完全なる虚構です。虚構ではありますが、しかし、実際問題あの日の戦で、土方の行動が初めて確認されるのは、援軍を呼びにきた大野右仲が「千代ヶ岡陣屋で会った」と記しているのが最初。それ以前の土方の動きは、闇の中なのです。
5月11日の戦況推移を整理してみましょう。官軍の艦砲射撃開始は午前3時でした。陸軍もその時刻に各陣地を出発、追々開戦に及びます。その朝に官軍の総攻撃があることは周知で、前日に箱館軍幹部は別れの杯を交しています。圭介が有川方面に出陣したのは「早暁」ですから夜明け前、まだ真っ暗なうちでした。(ちなみに、この日の箱館の日の出時刻は午前4時頃です)
官軍は弁天台場への艦砲射撃で、箱館市街を守る箱館軍の意識を箱館港側に引き付けておき、明け方に箱館山裏へ降ろした兵を山越えさせ、朝6時頃に箱館市街へ突入します。8時頃に箱館市街炎上という官海軍の記録があります。土方戦死の舞台とされる一本木関門には、7時過ぎには官軍が殺到し、押しつ押されつの攻防が展開されていました。
土方の死亡時刻は、少なくとも朝陽撃沈の後です。朝陽の撃沈時刻は幾つか説がありまして、最も早い「7時35分」のほか「8時頃」、「9時頃」など。攻撃開始時刻は一緒なので、時計が狂っていたというよりは、勘違いだと思いますが、それにしても、片や陸軍奉行が一大軍を率いて夜中に出陣している一方で、ナンバーツーの奉行並は朝7時まで何処で何をしていたのでしょう…?
――と、いう疑問に、みたにさんは見事に答えてみせたわけです。
きちんと戦争の推移を把握していなきゃ、あんな脚本は書けません。フィクションだろうが何だろうが、もうそれだけで、完敗だなあと思いました。
その意味では、面白かった。
ただ、年末の継之助ドラマと一緒で、時間の制約からの端折り具合(というか都合よくエピソードを繋げて一日に放り込んだ)と、某公共放送の立場ゆえの首の縄が、微妙でしたね…。「土方=悲劇のヒーロー」という解釈は、世の新撰組ファンの勢力を考えたら、動かせないんですよ。世の中、死にたがり土方ばっかりですから(一部例外はあるけど)。そのなかで、如何に「生き抜こうとした土方」を描くか、という苦しい挑戦と妥協の跡が窺えました。
私は前にもちらっと言ったけど、「土方死にたがり説疑問視派」です。それは、「意地のために死ぬ武士の美学」は土方の人生哲学に反すると思うからです。鉄の法度は美学のためではなく、烏合の衆を纏めあげ隊士を無駄に死なせないためのものでした。土方は名誉や体面ばかりを重んじる当時の武士の在り方を軽蔑していた。そう解釈しておきながら、多くの作家や研究家が蝦夷での土方を「死に場所を探していた」としか捉えられないのが、不思議で仕方ありません。
ともかく、既存の土方像に一石を投じただけで、放映した意義はあったんじゃないかしら。
とりあえず圭介ファンとしては、これだけ言わせて貰えれば結構です。あの日、圭介は日の出前に出陣して日没後まで帰ってきてないので、五稜郭には居ません。当日たぶん誰より働き者だった子です。(笑)
あ、ちまちま模型つくる圭介はごっつツボでした! 実際あのときそんな暇はなかったろうけど、でも性格的には充分やりそうだよ! 最後の破壊行為に至っては、ゲラゲラ遠慮なしに笑い転げてました。ありえねえー。(戦争末期の圭介の精神状態って、文章から判断するに相当真ッ平になってたんじゃないかなと思ってるです)
永井様も本編に引き続きオトコマエで惚れ惚れしたし。榎本さん主人公食ってたし。ロケ地が山梨県だというのがタイトルロールでバレたのもナイスボケでしたv(いやボケたわけじゃないだろうそれは)
しかし「よかちご」が見たかったという気はしないでもない。(黒田は…?)

長くなりすぎたので、メッセージ返信は次回に。


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