みみずのたはごと

2005年01月29日(土)  やっちゃった…。

本日は、欠乏症治療のために、自分でサプリメント拵えてました。っていうか前回の日記を書いてからうおおと思って書き始めたんですけど。(←筋金入りの莫迦)
なんか別人もいいとこになっちゃった…。
他に欠乏症な患者さん(と書いて物好きと読む)がもしいらっしゃったら、こちらからどうぞ。あ、ある程度の覚悟はしといたほうがいいかもですよー。←公開終了しました。

●文化交流は難しい。
いや英会話の話ですが。質問カードを引いて、引き当てた内容について答えるというゲームをやりました。もの凄いモンを引き当てました。何なんですか、「日本の歴史に最も大きな功績を残した人物は誰ですか」ってのは。知らねぇよ日本が何年の歴史持ってて何人「偉大」と云われる人間がいると思ってんだよ…!?
うーんうーんと唸ってたら、助け舟を出されました。「じゃあ、貴方がいちばん好きな歴史上の人物でいいよ。その理由も宜しくネ♪」
……葛生さんが歴史上でいちばん最高に愛してる人は武田のお屋形さまですけどね、その魅力を短時間で説明しろってゆーのはまず無理です。だいたい、好きの理由の根本を「祖先に関係ある」ってのが占めてますし。判りやすいのは人民統治の仕方とか信玄堤でしょうけど、そういうことを言い出したら日本全国当て嵌まりそうな人物はごろごろいるし。要するに、身贔屓なわけです。大元の質問を考えたら、これは答えにならない。
とすると、出てくるのは、やっぱり幕末なんですね…。
誰、というのでなしに、当時の外国語や外国文化を学んで、その知識でもって日本を何とかしようとした人たちが素晴らしいと思うと述べておきました。内戦で陣営を別ちながら、戦後にはまた協力して現在につながる日本の礎を築いた人たちが大勢いる、その大勢の人々すべてを尊敬するし感謝していると。…ちゃんと伝わったかは甚だ疑問。途中から自分でも何喋ってるのか解らなくなってきてたから(爆)

●更新
>駄文: 小ネタ新撰組に斎藤。
 はじめちゃんに都々逸歌わせてみました(笑) 「土手の桜をまた夜ざくらと酒が乗気の山谷堀」ってやつです。でも、こいつにいちばん似合ってると私が思ってるのは、「お酒呑む人花なら蕾、今日も咲け咲け明日も酒」と「酒の毒だと云はんすけれど酒が主をば呑みゃせまい」ってやつです(ニヤリ)



2005年01月27日(木)  欠乏症…。

大鳥圭介欠乏症にかかってます。
アレコレありまして、いろいろ調べかけだったり書きかけだったり中途半端な状態なのですが、なんだか非常に血中濃度に圭介が不足しているようです。レッドゾーンに入ってます。生命に関わるかもしれません。早急にサプリメントか何かで補う必要がありそうです。
いやね、なんかね、昨夜ひたすら圭介を探し回ってる夢を見たんですわ(爆)
誰かが夢の中に出てくるときって、私の場合たいてい何かストーリー性とか意味があるんですけど、この夢では自分の役柄とか状況だとか探してる理由だとかは何も判らず仕舞い。たしかなのは、「大鳥さんを見つけなきゃ」と強迫観念のように思って駆けずり回っていたということだけです。…何だったんだいったい…。
とにもかくにも、欠乏症状緩和のために、サプリメントが欲しい。どこかに売ってないかな、大鳥カプセルとか圭介ドリンクとか。どこでもカルシウム(ファ●ケル)ならぬどこでもケイスケとか。(飲むのか?飲むのか…!?)

…ひとまず莫迦は放っといて。

現在いろんなことを平行して始めてしまったため、頭の中がひっちゃかめっちゃかになっておりまして、少し整理中です。本当に整理しなきゃならないのは自室ですけれども。まずは早いところ国府台を片づけて、ヴァーチャル南柯紀行を先に進みたいです。SSもね。

英語泥縄会話訓練は継続中ですが、泥縄が泥沼のような気もする今日この頃。ブロークンは幾ら途切れなく喋ってもブロークンなのには変わりないんだよ判ってるかいお嬢さん。そう、そこの君だよ葛生さん。
嗚呼もう誰か正しい英語脳を私に下さい。圭介脳でもいいです。(莫迦再び)(でも圭介脳なら語学達者そうだし)(いやむしろ釜次郎脳のほうがいいか?)(…なんてことをほざいてる間に少し勉強でもしたらどうなのさ)



2005年01月22日(土)  間が開きました。

仕事の関係で、来月早々に英語取材をせねばならん羽目に陥りまして、追い詰められた挙句に職場近くの英会話サークルに駆け込みました(笑)
日本に帰還してはや3年半、普段読み書きはすれども喋ることはまずないので、電話応対すらわたわたする状態なのですよ。旅行に行ったり、パブで呑んでて徒然に会話するくらいなら、まず困らないのですが。さすがに仕事で、相手が小さい会社とはいえ社長さんで、上司同伴ともなれば、元がスラング耳コピ学習の私の手には余ります。とにかく耳慣らしと口慣らしとばかりに、取材の日まであと計4回ほど、喋りまくりに行ってこようかと。
しかし第一回のレッスン(ていうのかあれも)で、肩慣らしがてら趣味を聞かれまして、聞かれ方が「空き時間には何をしているか」という問いでしたので我が身を振り返ってみたところ、(A)サイト更新作業 (B)読書、しかここのところしてないことに気づきました。サイト更新などと下手に言うと、何のサイトか突っ込まれて説明が面倒だなと思い、ありふれた答えの(B)を選んだのですが、ところがどっこい、こっちも突っ込まれました。「じゃ、最近読んだ本の中で面白かったのは何?」
……答えに窮しましたよ。だって最近読んだ本って、ほぼ全部幕末関連資料だし(汗)。そん中でいっち面白かったのって云えば『南柯紀行』だし(滝汗)。幾らなんでも初対面の外国人に大鳥圭介への愛を滔々と語る度胸は、英語力以上に持ち合わせてませんって!
結局、だいぶ以前に読んだ本を引っ張りだしてきて事なきを得ましたが、自分の生活がどんだけ幕末ナイズ(つーか圭介ナイズ?)されきっているのか、妙な形で思い知らされました。…いいんだ、当人幸せなんだからさ……(遠い目)

関係ないけど、明日の銀魂オンリー行きたくて仕方がないです(でも行かれないのは判ってます)

●更新
>駄文: 新撰組に一話。山南切腹ネタ。
 難産でした。主に大河山南に邪魔されました(笑) しかしこのサイトで新撰組期待してくれてるお客さんているのか…?
>文庫: 鳥飯に鴻の台顛末追加(17日更新分)
 いつまでやってるのやら。まだ続いてます。



2005年01月16日(日)  雪が降るという予報だったので、

密かに楽しみにしてたのにちっとも積もらなかったよぉ。(何歳だオマエは;;)
小学生の頃、雪が降ると午後の授業が「外で雪遊び」に変更になってえらい楽しかった憶えがあります。雪合戦は無論のこと、学年混合ででかい滑り台とか作ってなー。もっと小さい頃には、自宅の庭でかまくら作って遊びました。子供ひとりが漸く入れるちっこいやつだったけど。東京都内(徒歩20分で立派に都下だけど)でも、昔はそのくらい雪が積もったのでした。
嗚呼、地球温暖化……。

さて、週末にお会いしましょうと言っておいて、結局なにもできなかったというこの体たらく。本当にすみません。やる気はあったのです。でも、素敵なまでに体力が無かった。許されるならば丸二日、寝倒していたかったほどに。もちろん許されはしませんでしたが。
こっそりSS書いてはいたのですが、終わると思ったものが終わらなかったのですね。最後の最後で確認したいことが出てきてしまって、その資料はうちにはないものだったのよー。明日、仕事の進捗状況にもよりますが、帰りがけに本屋でチェックしてきます(だから本屋は図書館ではないと何度言ったら…!)

昨年の延長で大河を何とはなしに見ておりまして、登場人物の多さに頭こんがらかっております。平家物語は古文で少し齧ったし、義経記も粗筋は心得てますが、あまり熱心ではなかったもんで。でもって、元国語教師の母親を質問攻めにしてましたら(去年は祖母に私が質問攻めにされたんだけど)、「はい」と本日なにやら古めかしく分厚い本を手渡されました。タイトルは『平家物語講説』。
「私の大学の教科書だけど、ぜんぶ原文だから面白いよ。」
開いてみましたら、さすがは明治生まれのおじいちゃん先生が全霊こめた研究論文。原文のあとに格調高い講釈が続いています。本気で国文科の教科書なんですけど……おかーさま、こいつを読めと…?
(注: 読みませんよ!そんな暇があると思うてか…!←その前に文法的に無理)

●更新とも言い難き更新
>枝折: 新規お迎え3サイト様。
 分類がそろそろ難しくなりつつありますがそのあたりは恣意的に(をい)



2005年01月14日(金)  日記。

東京都写真美術館(東京都恵比寿)で開催されている『明日を夢見て〜アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー』を見てきました。

ジェイコブ・A・リースとルイス・W・ハイン。リースはニューヨークの移民の悲惨な生活(酷いものだ)を、ハインは少年・少女の酷使の実情を、鋭く抉り出した。
1890年、ニューヨークの下町。そこは町というより、ゴミ捨て場だ。4畳半くらいの空間に、6人がひしめきあって暮らす。それでも寝る場所があるだけマシで、公共の簡易宿泊所には大勢の人々が着の身着のままで並ぶ。宿泊所といっても、板敷の屋根付き空間というだけだ。襤褸を纏い、痩せこけて、目ばかりギラギラしている若者、そんな活力すら見えない大人たち。「世の中が浅ましくなった」という大久保の言葉が脳裏を過ぎる。アメリカは1890年代に工業生産で世界第一位になった。南北戦争のため遅れた産業革命を達成し、英国が抱えた社会問題をもそっくり受け継いだ。国は違えど、木戸や大久保が見た「悪党の巣」はこんなかんじだったのだろうと思わされる。自身も移民であるリース(ただ彼は新大陸で成功した)は、町の最も荒れた通りに住民のための公園を造る活動に励んだ。ふと、グラスゴーのジョン・エルダーを思い出した。
ハインは1910年に、ノースカロライナの紡績・缶詰その他の工場や炭鉱の年少者酷使の実態を写真によって告発した。14歳以下の労働が厳しく規制されているにも係わらず、州全体で当時不当労役についていたとされる少年少女の数は4000人。母親について一日中牡蠣の殻を剥く幼女は4歳、大型カッターの扱いを誤って指を失くした少年は7歳。身形の良い幼い姉妹が遊ぶ人形は、同じ年頃やもっと幼い子供たちが、母親の内職を手伝って作っている。朝は日の出る前から、夜は8時9時まで働き続ける。学校になど通う暇はない。家計を助けなければならないから、年齢を聞かれると子供たちはサバを読み、不法就労を隠そうとする。ませた表情、暗い目、疑い深いまなざし。「彼らを救う力を持っているのも、救う義務を負っているのも、我々の社会なのだ」とハインは訴える。
翻って日本の話。
殖産興業をスローガンに産業革命を推し進めた日本も、欧米の轍を踏んだ。『あゝ野麦峠』の舞台は明治末期。『女工哀史』の発表は大正14年。取組みがまったく為されなかったわけではなく、明治23年の「職工条例の草案」に始まり、工場法案はくりかえし議会に提出されている。しかし流れに流れ、ようやく成立したのが明治44年。施行は更に遅れて大正5年。しかもこの法律には抜け穴があり、少年工・女工の深夜業が完全に禁止されたのは、最初の「職工条例案」から39年後の昭和4年になってからだった。
しかし当初、お雇い外国人から様々な技術を教わる紡績工場の伝習女工たちは、日本の未来を担う若者として、大切にされたという。木戸や大久保ら、欧米の繁栄とともに暗部をも具に見てきた初期のリーダーたちが、二の舞は演じるまいと心を砕いたのかもしれない。けれど木戸は早々と政界を離れ、大久保も暗殺された。相次ぐ政変と動乱のうちに、「世の中が浅まし」いと感じられるほどの社会問題への認識は、忘れ去られてしまったのかもしれない。

幕末と無関係といえば無関係ながら、グラスゴー調査の延長で、いろいろ考えさせられた展覧会でした。1月16日(日)まで。



2005年01月11日(火)  うわわわわ。

週末に小ネタを完結させたり都内散策レポートをあげたりしたのですが、後者の伝習隊屯所の写真のリンクがおかしなことになってました。失礼しました…!
皇居東御苑レポート(つまり江戸城登場ルート)はまたそのうちに。

現在仕事が恐ろしくタイトな状況になってまして、まともな更新作業は最低あと一週間はできなそうな予感です。幸い残業はないのですが(必要なときでもなかなかさせてもらえない職場でして;;)、一日平均で7,000語くらいの英文を読まないといけないのですよ(そしてこれが少なくともあと3日は続く計算……。)
帰宅すると虚脱状態です。うふふえへへ。(脳味噌半壊中)

そんなわけで、それではまた週末に!←殴

●更新(先週末)
>史跡: 江戸散策そのいち。
 皇居見学と歩兵屯所。後者は前に日記からリンク張ったのとほぼ同じという手抜き工事(しかも欠陥工事だった…;;)
>駄文: 連載小ネタ終了。
 茶碗ネタ完結です。最後の記録は『新選組日誌』見ながらそれらしくでっちあげ。史実なのは、茶碗の存在と山崎が日記つけてたってだけです。そうそう、副長の恰好は、年末に鬼平読み直してやっぱり着ながしに戻しました。春先秋口、江戸でも着ながし一枚で出歩いてたらしい。現代人より寒さには強かったんでしょうかねやっぱり。



2005年01月06日(木)  年を越してしまった宿題を…。

仕事の合間にぽつぽつ書いてます。すなわち茶碗話ですが。…それでいいのか社会人。(いやよくない。反語。)
これまで経験した職場が、どちらかというと年末年始はのんびりゆったりする傾向にあったもので、生まれて初めての年末年始強行スケジュールの数々にあっぷあっぷしてまして、今日になって漸く、話の続きを捏ね繰り回す余裕がちみっと出てきたかなというかんじ。
どうして日本ってこんなに真面目なの…。年末休暇って普通2週間くらい平気であるもんなんじゃないの…。(ねえよ。)

初売りは、昨日今日と(遅)仕事帰りに銀座をふらふらして計3万円くらいのお買い物をしましたが、そのうち1万円以上が髪留めに費やされている(しかも値引きなし)というのは、初売りの用途をすっかり間違っているとしか思えません。
正月らしいことといえば、そのくらいか…。
結局、着物は2日間しか着ませんでした。正確には、身体が保ちませんでした。(葛生さんはちょっと背中を痛めてますもので、最終的には帯が凶器と化しました…)

『雲、西南に流る』(平山壽三郎、講談社)という小説が出ているのですが、元伝習隊通訳官が明治を生き抜く様を描く…と、いいつつ、前半分が太田陣屋で伝習を受けるところから始まって箱館戦争までという、ちょっと興味深い内容です。しかも、太田陣屋のこととか、伝習隊脱走前後の様子とか、だいぶ詳しく書かれていまして、何を参考にしたのか、原資料が知りたくて仕方ありません(苦笑)
参考資料に、野口武彦氏の『幕府歩兵隊』は載っているのですが、ここに記載されてない内容まで記述されてたもので…。
よっぽど買おうかと思ったけれど、いろいろ買物のあとで1800円出すことに躊躇いたしました。……『大鳥圭介伝』の2万円は迷わずぽんと出したくせにな…。



2005年01月02日(日)  お年賀デス。

昨日ぼそりと呟いたお年賀、なんとか仕上げました。
山もオチもありません。意味はちょこっとだけ、ある。…かな?(誰に訊いているのか)

期間限定品。こちらからドウゾ。←公開終了しました。

折角の鳥歳イヤーだというのに、書初めは守衛の面々でした。ええええーと…(汗)

●そういえば。
年末に『壬生義士伝』を見ました。
原作は読了済ながら、映画は初見でして、噂の黒い沖田を楽しみつつ(我が母の暴言:「この人(堺氏)こういうカオしかできないの?」)、でも一番の感想は、「はじめちゃん可愛すぎ」であったあたり、やはり葛生さんの神経はちょっと可笑しいかもしれません。でも、佐藤浩市さんという人が、可愛い人なので仕方ないのかなと思ったり。(え、だって可愛いよね、佐藤さんてさ?)
伏見の土方さんも恰好よかったネ。
主人公については、役者が大好きなので冷静な判断ができません。お屋形様でも水島上等兵でもとにかく彼の演じる人は好きです。…DC●ードでも好きです(ええ!?)

●癖。
家事の側ら、『国盗り物語』を所々見ていたのですが、ついつい服装とか小物とか立ち居振舞いとか背景(風景)だとかを、じーっと観察している自分がいて、苦笑を誘われました。戦国時代で同人活動していた名残でゴザイマス。身についた悪癖ほどなかなか抜けないものでして。何かまた書きたくなってきちゃったなァ。(勿論、今は幕末で手一杯なので風呂敷広げたりは致しませんが。)

●更新
>過去日記: 開店挨拶前の日記を削除。
 今更ですけど、メモみたいなものを晒しておくのも恥ずかしくて。
>枝折: サイト名変更一件。
 『匙』さま → 『ハツタカ』さま。大河終了につき本家サイトに統合されました。



2005年01月01日(土)  m(_ _)m 謹賀新年!

明けましておめでとうございます。
待ちに待ったトリトシ、じゃなかった酉年の訪れです。めでたいです。今年は至るところにトリが溢れておりまして、実にめでたいのですが、是非ともついでに大鳥さんにも巷に溢れ出て欲しい、いやさ、むしろ熨斗を背負って我が家にやってきて貰いたいと、ささやかな新春の抱負をここに述べさせていただきたく…。
(大丈夫です、酔っ払ってませんよ。莫迦なだけですって。)
(だいたい、↑は抱負じゃなくてただの願望だし。)
(にしても阿呆すぎる願望だなオイ。)


とにもかくにも新年です。皆様方には、旧年中は、下手の横好きがおっぱじめたこんな辺境サイトに遊びにきていただきまして、まことに有難うございました。
本年も欲望のままに突っ走って参りますので、今後とも御贔屓にお立ち寄りくだされば幸いに存じます。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

●葛生家の年越し風景
我が家は人の集まる家なので毎年慌しいにも程があります。東京初雪の29日に悪天候にもめげず大掃除と買出しをし、30日には従兄弟や叔父叔母らが集まって餅つき(毎年の恒例行事)をし、2×年ぶりの雪の大晦日は、おせち作り(母が)の側ら最後の買出しに軽く5センチは雪の積もった町を右往左往し、気がついたら年を越していた感じです。
…と、文句をいいつつ、こういう年越しの仕方が嫌いではないのですが。(もう少しのんびりしたいという本音は確りありますが。)
本日は、久々に着物を着ました。何処へもでかけず一日じゅう家で接待饗応してましたけどね(笑)←でもご進物はちゃっかり貰って食ってます。帯締めてると餅もお菓子もあまり腹に入らないのがちと難点…。
母君の、「折角着物引っ張り出したんだから正月中は着てなさい」の一言にて、どうやら三が日は着物で過ごすことに決定してしまったようです。……うう動き難いんですけどー…。
(昔の人って偉いよ本当。あんな恰好じゃご不浄ひとつ簡単には出来んぞ?←それは着付けの出来ない人が着てるからダヨ。

●年末の更新
>文庫: 実は鳥飯に一つ追加してました。
 どういうわけか、葛生さんは陸軍江戸脱走の実態を調べ上げたくて仕方がないようです。も少し引っ張ります。誰か付いてきて下さってるのかどうか疑問ですが。
>お年玉
 ……準備しようと思いつつ時間がなくて間に合いませんでした。三が日中には何かできる予定です。あくまで予定ですけれども。(げふげふ)


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