みみずのたはごと

2004年12月25日(土)  冬コミは行かれないことが決定しました。

まァ毎年、冬は大掃除とぶつかるんで揉めるんですけどね。今年は26日に一足早く掃除を片づけて…とか、目論んでたんですが。
東京は31日雨になるかも、とかで、家族行事が一日繰り上がっちまいまして、30日は自宅で鋭意餅をついたりこねたりしとる予定です。(T T)

昨日、神保町でゲットしたもの、『桑名藩戊辰戦記』(郡義武、新人物往来社)。桑名藩士の手記をもとに、戊辰戦争中の桑名藩の動きを説明しているのですが。最初、桑名かぁ…と気楽に手にとってみたら、何だかこの中に書かれている土方さんが恰好いいのは理解できるとして、どういうわけか大鳥さんがえらい恰好いいんですが(爆) 桑名藩士に「只勇気不撓不屈は大鳥圭介殿一人なり」とか書き残されてるんですよ…。ナニソレ。もちろんその場で購入決定(笑) ちゃんと戦術なんかの批判はしつつも、でもやっぱり大鳥さんに好意的。…ナニソレ。
容保と定敬の別れの場面とか、米沢領での話とか、仙台で榎本軍と合流するくだりとか、桑名側の視線がわかるのは嬉しいです。あと、北越戦争についても詳しそう。そこはまだざっとしか眺めてないのでアレですが。(衝鉾隊と一緒に読めば楽しそうです。あっちも、実はまだあんまりまともに読んでないんです…ほら、大鳥さん一辺倒だもんだから;;)

桑名もいいですが、唐津もいいですよね。っていうかまず会津だろって気もしますが。(それを言うならまず箱館だろ…!?)
…なんてェことをほざきつつ、実は、『世に棲む日日』が読みたくて堪らない。自制してるんだけど。(このうえ長州にまで手を出したら本気で立ち行かないヨ;;;;;)

●昨日の「都内プチ大鳥さんツアー」
ツアーと称するほど大したものではありません。大手前屯所と小川町屯所を1時間くらいでドタバタ回っただけ。どっちも行ったことのある界隈なのですが(都内に生まれ育って二十×年)、改めて、どこからどこまでが屯所だったのか、を念頭において歩いてきました。楽しかった…!
レポートはこちら。→

●やる気はあるんだけど。
ちょいと物書きの神様が一時帰天なさっておいでのようでして。何かを調べて書くほうはできるのですが、SSが。小休止中。シーンはできてるので文章さえ思いつけばいけます。早く文章降ってこーい…。(雨乞い?)



2004年12月24日(金)  魂消た。

皆様、メリークリスマスでございますvv

葛生さんはクリスチャンではありませんがキリスト教で育てられたので、今宵、何となく雰囲気を楽しみに一年に一回(…)の教会通いに行ってまいりました。
そしたらそこに、本日はじめて偶々いらしたお嬢さんがいらっしゃいまして。来年春からの就職の研修で東京に来ているということなので、ごく普通に、本当に普通の成り行きで、ご出身は?…という質問をしたのですね。したら、
「あ、上郡です。」
………………………………なぬ?
「ッて言っても、判らないですよね。赤穂の先なんですけど。」
「――知ってます。
「――――ええ…っ!? なんで知ってるんですか!?
…本気で心底驚いてらっしゃいました (^ ^ゞ
地名を知ってる理由については、周りに他の教会員の人たち(私を3歳の頃から知っている人たち…)もいたので、その場は「いえ、上郡出身の人を一人知っているもので」とお茶を濁しておきました(嘘じゃないぞ嘘じゃ…)。んが、「上郡出身の人」がどんな人なのか、いたいけなお嬢さんがあんまり気になさってるので、後でこっそり、「大鳥圭介さんっていますよね。あの人のこと、調べてるんですよ」とバラしておきました(苦笑) 勿論そのあと「お仕事か大学のお勉強ですか」と鋭く突っ込まれ、返す刀で「いえ、趣味です。」と答えておいたので、いたいけなお嬢さんにしてみれば怪しさてんこもりだったと思われます。
やー、でも本当に吃驚しましたよ。去年は諸都合で別の教会に行っちゃったから、この教会に行く事自体2年ぶりだったんですよね。更に、本日仕事を早退してまでやらかしてきたことが、「都内プチ大鳥さん個人ツアー」と称して大手前と小川町の屯所跡を闊歩すること、だったもんで…。期せずして、大鳥デー。
か、神様ありがとう…?(そんなことで礼を言われても神様も困るだろう)
お嬢さんは気立てよく「じゃあ上郡にいらっしゃるときには御案内しますよ!」と言ってくださいましたが…ど、どこまでバラしたものか(大汗)

●今更メッセージ纏め返し
忘れてたわけではなく…ではなくてうっかりしてました。本当にごめんなさい。切腹しておきます(心の中で)
>12/12 23:27 Sさま
もしかして日々小ネタのSさまでしょうか。だとしたらこちらこそこっそり楽しませて頂いておりまして有難うございます。拙宅の大鳥さんを恰好いいと言っていただけて天にも昇る心地です…が、あんなんでいいんでしょうか。ど、どのへんが恰好よいのでしょうか…(黙)
>12/22 16:47 Kさま
お互いのメルフォの打ち合い(笑)になってますのでここいらで趣向を変えてみました。会津は気長にお待ちいただくほかないかと…。あ、今日、本は注文してきました。読む時間があるかどうかが問題です。


●更新 クリスマスまで更新できないとか言ったのはどの口なのか。
>文庫: 「鳥飯」にグラスゴー小ネタ追加。
 どんどん圭介から離れていっているような気がしないでもないですが(爆)



2004年12月22日(水)  すすすみませんすみません…っっ!

新撰組祭@脳内、どうやら勝手に収束の方向に向かいつつあるようです。…というかですね、すみません大鳥さんブームがまたやってきてしまいました(爆)
いやちゃんと新撰組資料も読んでるんですが。
もう年末だなァ年賀状書かないとな、と思ったらば。
…………ホラ、酉年だから、ね…。(トリトシとは言ってないデスヨ)
ああでも書きかけのものはちゃんと終わらせますよってご心配なく。(誰も心配なんざしてないって)

ついこないだ(11月)発行の中公新書『新選組 「最後の武士」の実像』(大石学)を読んでいるのですが、評価が微妙なところです。非常によく纏まっているというべきか、コンパクトに纏めすぎと言うべきか…。出典を明示しているのは有難いですが、必ずしも資料批判をしつつ書いているのかどうかがよく判らない。日本近世史の教授なんだからちゃんとしてるんでしょうけど。構成として、最初に時代背景の説明(黒船来航〜戊辰戦争終結まで)をしているのと、当時の江戸・多摩の情勢を纏めているのと、小見出しを多用しているのが、読み物としてではなく(SS執筆の)資料として使いたい人間にはたいへん親切ではあります。(笑)
「新選組の歴史的位置とは」というのが執筆テーマらしいので、読了を楽しみにしつつ通勤の友。(あ、でももうすぐ休みに入っちゃうんだったね;;)

クリスマスが終わるまでは、カード書いたり(外国の友人が多いので)年賀状書いたりでドタバタしてそうです。



2004年12月19日(日)  忘年会という仕事、が。

なかなか忙しいです。お酒は好きですが宴会は嫌いなので、微妙なところです。飲める酒も限られてるしなァ(ビール嫌い、カクテル悪酔い、日本酒アウト、だと、普通の呑み屋では本当に飲めるものが少ない)

史跡めぐりの日野の部分に、ふるさと博物館と井上源三郎資料館の感想を追加しました。あと、日野新選組フェスタが終了したため、各館の開館日・時間が変わってしまっているので、わかる部分は変更を入れておきました。
『新選組のふるさと日野』展は、是非、常設展示を市内のどこかでするといいと思います。最も、展示品の殆どが「個人蔵」なので難しいでしょうけど。
今年を迎えたときは、こんなにも幕末一辺倒の生活になり、半年の間に4回も日野に通うことになるとは、予想だにしませんでした。そしてそれもこれも、きっかけは大河だったのですから、関係者の皆様には労いと感謝の言葉を捧げても捧げ尽くせないかんじです。
大河には、実際いろいろと不満もあり、感心させられることもあり、ただ言えることは、様々な意味で「振り回された」一年でした。いい意味で刺激になったし、史実どうこうは脇に寄せて作品としてみたときに、とても素敵な作品だったと思います。ときどき重たかったり、演出過剰だったり、強引だったり、しましたけど(笑)、それでもこの大河がなければ、私は幕末創作には戻ってなかったでしょうし、こうしてサイトを開設することもなかったでしょうから。
創作というのは、一つの窓として存在することにこそ意義がある、ような気がするのですね。それを見て、或いは読んで、少しでもその世界・時代・人物に興味を持って貰えれば。そのあと、興味を持った人が自分で資料や他の作品に触れて、史実や実像や違う描写と出会い、そのなかで自分なりのヴィジョンを構築していってくれるのであれば、史実がどうだとかそんなことは些細な問題なのかなと。
私自身、それを大鳥さんで実際にやらかしましたので、そんなふうに今は思っています。(えーえー最初はどうしようもないヘタレ扱いしてましたよ!今はその恰好よさに心底惚れ抜いてますけどね!←重症・手の施しようがアリマセンお気の毒様状態)
あ、あと近藤さんもそうだな。それと、大河がなかったら土方さんにここまで嵌ったかどうか判らないし。←何せ『燃えよ剣』でも土方にコケなかったですからこの人。

●そんなわけで大河感想(↑と矛盾しまくり)
うんまぁどうしようかなという最終回でした(笑)
大鳥さんが出なかったことには安堵の息を洩らしつつ(土方さんが足の怪我くらいみたいなことを言ったときはびくびくしましたヨ! 今にも大鳥さんが「阿呆!」と怒鳴って飛び出してきそうで。←お前が阿呆だ)、でも最後の突進てあれ、何処?(爆) 怪我してたよね土方さん。走れるわけないんじゃないのか。
近藤さんの死の意味についても、「今だから書ける脚本」という気が激しくしました。歴史は綺麗事じゃないですから。当時、あんな発言(いろいろと該当)ができるわけがない。それでも、今それを書く(そしてお茶の間で流す)ということに意味がないとは思わないですが。今じゃなきゃ言えないことがあるなら、言っとけ、みたいな。
個人個人のラストを大事に描こうとするあまり、ちと過剰になってしまった部分は否めないと思います(とくに沖田)。私は前回の展開のほうが好きだったなァ。
笑ったのは、ハジメ。あんた、明らかに虎徹にとびついただろう…!(大笑)←刀フェチの一ちゃんには、掘り出しものの虎徹を近藤さんにあげちゃった、てエピソードがありますから、思わずニヤリとなりましたよ。最後まで巧いなみたにさんてば!(そしてその直後、愕然とする。ちょっとちょっとちょっと一ちゃん何処行くの…!? 白河戦は!? あんた隊長やないの…!←『実録』によれば、流山から会津を目指した新撰組本隊は4月25日頃にはまだ若松に到着しておらず、同29日には土方も会津に来ちゃうんですネ。んで、足を怪我した土方さんの代わりにハジメが隊長になり、翌月5日、白河口へ会津軍の応援に行くんです。ハジメが居なくなっちゃったら副長役の才輔が大変だよ;;)
そんなこんなで若干の消化不良は最後まで続いたのでした(^ ^ゞ

●嬉し恥ずかし自慢品。
ギミックフラワーの久瀬さまより賜り物。あまりの至福につき謹んで自慢。→

●更新
>史跡:日野ネタ増築。
>駄文:連載小ネタ訂正&追加。
 5-2の部分、土方さんの恰好を着流しとしてましたが、時期的にも本人の洒落っ気的にも対(長着+羽織)のほうが合うような気がしたので変更しました。



2004年12月16日(木)  夢に出そう…。

お久し振りでゴザイマス。
西宮と言っていたのが急遽高松へと変更になりまして、昨日ピンポイント出張に行ってまいりました。…んが、何せうちの部署からの出張第1号(嘘のような本当の話)だったため、出張書類の形式が一枚も存在しないという恐ろしい現状のなか、申請書類から精算書類および精算方法まで、全部事前に出張者自らイチから手作りという素敵な状況。何だそれ。
近地以外の出張体験は私もはじめてだったのですが、前の職場で、そういう書類を提出される(つまり受け取る)側でしたので、不備だとか必要最低限のことだとか、知識があって本当によかったと……心から…。
ウチは民間企業ではないので、書類が揃ってないとお金が絶対に下りないんですよ。しかも費目が細かくて煩いんだ…。(という知識が、前の職場で身に備わってたんで実に助かりました) 仕事の経験って、そんなふうに繋がってるんですネ。

それはともかく、そんなわけで時差ボケが酷いのです(んな阿呆なとお思いでしょうが、でも昨夜ちゃんと寝たのに今日一日中眠くて仕方なかったのが、まさに症状としては時差ボケなんですわ…;;)。
更に、昨日帰宅が遅かったので、『その時…』は見れていないのです。
大河終了の余韻にも浸れてないのです。
でもそんなアレコレやさぐれモードが吹き飛ぶような経験を、本日いたしました。

とある方が発掘してらした大鳥さんの新事実に、目が点→吹き出す→笑いが止まらない→腹筋痛、という経過を辿っております。
押し入れ開けたら大鳥圭介。もう今、頭の中にそのフレーズしかありません。きっと今夜は夢に見ます。っていうかもう、そこ(自室)の押し入れ開けたら圭介が寝こけてそうな気すらします。(幻覚) …というより、寝こけてて欲しいです。いやむしろ寝こけてろ…!(無理)
どうしてこの人はこう、私の心をぐっと掴んで離さないのでしょうか。折角ようやく新撰組に照準が合わさってきたところだったのになァ。(うんでも暫くは大河終了お疲れさま記念新撰組大会を続ける所存です←そんなんいつ始めたンだヨ)

大河感想と日野報告はもう少しお待ちを。

●更新(先週末)
>枝折: 開通
要するにリンクです。ぼちぼち増やして行きたいと。無断も幾つかあります。
>駄文: 小ネタ2本追加、本日連載2回目も追加。第1回分も少し手を入れてます。



2004年12月10日(金)  意志薄弱。

週末まで潜伏と言いつつ、顔を出してみたり。

諸事情の大きな内訳は、来週の出張準備と、管理人の別ジャンルHPの強化週間を目指してみたからなんですが、いろいろと耐性がない自分を曝け出す展開となっております。
まず、別ジャンルの資料(英語)の読解に励んでいる最中に、ふと傍らに積んである歴史系資料に手が伸びるという現象。そして、歴史系はとにかく京都時代を充実させよう!と思って資料整理をしておいたにも関らず、我にかえったとき手にしていたのは、稜雲先生の『夜明けの雷鳴』だったというオチ。しかも、またしても多摩関連の資料買ってますよコノヒト。
さらにさらに、

今週末、またまた日野へ出掛けてきます(爆)

えーと、ちょっと人と会うついでに、ふるさと博物館へ寄ろうかなって。
・・・ただしその人と会うのに日野くんだりまで出向く必要性は皆無。都内で充分。ボソリ。

そんな現状ですので、復帰したとしても書けるのは山崎日記レポと、大鳥さん関連くらい、かな…。(←殴)
京都ネタで詰まってるのが3本、そのうち1本でも片付けられたら、いよいよ箱館に取りかかろうと考えてるのですがね。



2004年12月07日(火)  潜伏宣言。

諸事情にて、週末くらいまで潜伏します。置き土産を遺そうと頑張ってみたのですが、無理でした…いろいろと。ここのところ毎日睡眠時間が4時間切ってて、そろそろ死にそうです(んなわけない)
週末には復帰します。うんきっとたぶんおそらくは(はっきりせい)

●大河感想・追加
「好きでした」と言うのは、何もあの流山が史実に即していたとか、そういうことではない、です。お話として、これまで初回から欠かさず見てきて、あの展開に納得させられたという意味で、感心したのです。相変わらず細かい細工に唸らされたのも本当ですけどね!
いやその、あんまり興奮して書いてたんで(前回の感想)、ついうっかり野村リサブが存在してなかったことを見逃した…わけではないんだけどコメントし忘れてました(爆!←箱館ファンとしてあるまじき失態)
つーか、編成表に安富の名前入れるほど芸が細かいのに、なぜリサブは堂々とスルー…?ちょっとその感覚は解らない。解らなすぎて、居ない事に一瞬疑問すら持てなかったヨ…。
(というかあの大河はちょっと近藤さんを恰好よく描きすぎな気も)



2004年12月05日(日)  とりあえず大河感想だけ。

うにゃあーっとか、ぎゃひーっとか、しゃげーっとか(ごめんなさい最後のは嘘っぽい)、悲鳴が止まらない回でした。いろいろな意味で。
プロフェッショナルの人たちの精魂こめた作品にこの言い方も大概失礼ですが、とても巧い回でした。大好きでした。私が。世の中に沢山の流山があってよくて、その中の一等がどうしたって自分の中に漠然と、まだしっかりとした形にならずに、でも間違いなく存在する流山であるという事実は、どんな素晴らしいものを見せられたって変わらないのだけれど(そうでなきゃわざわざ自分でSSを書くという意味がない)、でもあの流山は好きでした。近藤さん恰好よかった。
有馬トウタさんがね、あんな登場の仕方でどうしようかと思いましたが(笑)、でもたった一話の中でずんどこオトコマエになっていってしまわれて、ますますどうしようかと思いました。あと、これまでの話の流れで「周平脱走」をどう収拾つけるのかという問題も、成程こうきたか!という感じ。局長がこの期に及んで「どうしたらいい」と宣いはじめたときは力一杯どうしようかと思いましたが(そればっかりだな)、トウタさんを待たせ過ぎてる状況はともかく(だって最後トウタ一人だけだったら斬り捨ててすたこら逃げれば済む話だったよね?←身も蓋もない)、幼馴染二人の会話もずんときました。しかし今回の一等賞は、最後の組長ズでしょう。斎藤がこの後どういうふうに生きるかということを知っているから、カメラのアングルともども、敗北です。白旗です。蟻ンコも捨てがたいけれどね。

近藤さんの、「正義は我にあり」発言について少し。
宮地先生が『歴史の中の新選組』の中で「近藤の正統性論理」と題して、近藤さんが「公武合体」の論理において「一会桑」の立場や政策(新撰組の活動もこの中に含まれる)こそが正統であると、情勢が転覆しつつある状況においても毅然としていたと論じておられます。
この箇所こそが、実は、私の近藤勇像を本格的に変えた要因です。どうも、永倉とか土方とかそっち側から小説を読んでいると、近藤勇の最期って、不恰好なんですよね。勝沼で叩きのめされてぼろぼろになって疲れ果てて、だんだん減速して他の高回転続ける歯車に置いてきぼり喰らって、失意のうちに、前進ルートから零れ落ちた、みたいな。そういう印象を持ってました。私の惚れたあの人とかあの人が惚れ抜いてくっついてった人物なのに何だそれ、と、よく知りもしないまま見縊ってました。いろいろ知っていくにつれ、そういう固定観念が少しずつ揺らがされてきて、宮地さんの本で覆されたと。いや、恰好よかったね、近藤勇。(そしてそうなると、今度はまた甲州とか流山とかのストーリーの考え甲斐が出てくるというか)
そんなわけで、大河でのあの発言。嬉しかったです。
どの時代どの場所においても、各々の立場に論拠があって、各々の立場なりの正義が存在する。それが噛み合わないから、争いが勃発する。和を尊ぶことは大切だけれど、どれほど不利な立場に追いこまれても、捨ててはならない最後の一線として、どうして自分がその道を択んだかという理由だけは、譲ってはならないとも思う。


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葛生冴 [MAIL] [HOMEPAGE]