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■ 竹富島の神司の子孫
2月に意を決して一人で八重山に行ったのは、本来、祖父の軌跡を辿るのが目的だった。 脳卒中に倒れ生死をさまよい、身体の身動きに難を持った人が一人で旅に出るというのは、そうやすやすと出来るものではない。でも大雪が降った二三日後で高速道路が閉鎖状態のなか、強行して旅だったのは、いや、旅だてたのはなぜか?それはきっと彼女らの引き寄せだと思う。行く直前の大雪。行く直前にエスコートすると言っていた男性&80代女性が突如行けないことになる。なんなんの難続きであった。でも行けたのだ。行って、行く前の不安など信じられないほどのもの凄い豊かな旅になっていた。安ずるよりも生む(?)が易しみたいな・・・? 今回、昭和32年に亡くなった祖父について、祖父の日本統治時代の南洋にいた頃を知る人に会うのが大きな目的だった。ところが、直前になって会わせてあげると言った80代の女性が「神経痛で足が痛くて歩けない!」ということになった。ここで私は早く気付けばよかった。こういうことは先祖の仕業なのだ。会わせてあげると言ってくれた高齢女性には悪いが、先祖はこの人と私を引き合わせたくなかったのだろう。というのは、暮れにも会うことに話は進んでいたが、中間に入ってくれていた男性が連絡をくれなかった。連絡しますから。と言ってくれていたのに〜。そのときは焦るし、人を信じていいものか?と不信が募る。そういうことは、全部先祖の仕組んだことなのだ。 彼らのご厚意はありがたく、出会いには感謝している。けれども私の先祖たちにとって彼らのこれ以上の登場は、私に使命を認識させるためには、邪魔になってしまう。きっとそうだと思う。私が邪魔に思っているのではなくて先祖たちがスムースに駒を進めるためという意味においてだ。八重山に来ないかと誘ってくれたH氏は、日本統治時代の南洋にいらしたお祖父様のことを辿っている。目的を同じくする私たちは会えば同調して日本統治時代の南洋群島帰還者の会の支援活動をすぐに開始することになるだろう!でも、そこのところを先祖は望んでいるわけではない。今回、直前(前日)になって遠縁の親戚から電話が入った。新石垣空港に迎えに行くからと!ここでやっと私は先祖の仕組んだことだと気付いた。遅いよ〜。 あの世に行った人たちの意思をこの世の人に伝えることは基本的には出来ない。だからあの世に行く前にこの世の人でいるときに頼んでおかないとならない。そんなこと普通できない。いつ死ぬかわからないし、死を前提として生を送っているわけではないから。いつでも「今」が大切。いい「今」のために思考して行動する。それこそが「今」だ。でも、竹富島ではそうではない。とくに私の場合。冒頭の写真は、私の曾々祖母、曾祖母。ふたりとも竹富島の六山(むーやま)の御嶽の神司(竹富ではツカサと略している)をしていたことが紹介されている。私にその役が回ってこなかった理由やそこに潜む複雑ないろいろを竹富島の近代、現代の歴史の一部として残す作業を今始めている。それが私の役目だと気付かせるために先祖が仕組んだ引き合わせだったのだ。
2014年05月10日(土)
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