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20101009

 ものすごい長時間労働が終わった。これなんとかせなあかんなー。
 さて、ひどめの自分語りで毒素も出し終わったことだし、なに書くかねー。とにかく店内でけいおんの曲がかかるのは本気でやめていただきたい。人が心地よくすべてを忘れて仕事に没頭してるってのに唯がだいすき♪だいすき♪って歌うからもう本気で勘弁してくださいよ。

 ただまー、あれやね。「俺ら」の定義でいうところの「萌え」からはかなり遠ざかった場所にいるような気はする。今回の「しにたい」の主成分は、たとえば唯がいなくてしぬとかそういうのとはかなり違うから。そのへんは前に書いたから詳述しない。
 けいおんって作品の性質もあるだろうが、だれかひとりの人をとことんまで突き詰めて考えるっていう感じが今回はあまりない。それだけ人間に対する見方が皮相的になったのかもしれないし、逆に深まって「その程度のもの」というところでうまく定位させることができるようになったのかもしれない。なにより飢えの度合が違う。というよりも、飢えてるにしても、その限度というか、現状どの程度飢えているかということについて、ある程度計量ができるようになって「まあ空腹でも死なないだろ」くらいの見定めができるようになったということなのかもしれない。他人がこの状態であればつまらん結果になったなー的なことは思うかもしれんが、ほかならぬ自分のことなので、やや安堵しながらそのことを思う。
 たとえばすいしょさんみたいな、あんな情熱のただなかにいることを羨ましく思わないかというと、それは嘘になる。以前は絶対に公言しなかったけどな、これ。まあ現役下りちゃった宣言もしたわけだし、実際に、昔のスタンスを貫くことは無理だ。いや、無理すればできないことはないが、無理していいことなんにもない。それは「捨てる」ということなんで、そりゃ相当の覚悟は必要だったし、身を切るような感覚はあったわけだ。そんで、あの文章書いてから、ようやくいまになって「あー、俺は自分がこういう状態になったことを無意識には知ってたんだなー」と。俺の場合、実感は常に文章の後から来る。
 文章が先走って、盛大に大騒ぎするのでそのときどきで悲壮な決意をしているようにも外野からは見えるんだろうけど、実際の俺は非常に頭の悪い人なので、1年くらいかけて、ゆっくりといろんな覚悟が固まる。この1年ばかりの迷走を通じて、ようやくいまのスタンスに辿りつくことができたって感じだ。ほんと解決まで時間かかるな。
 だからまあ、現在の俺は、すいしょさんやちゅーとろさんみたいな情熱のありかたを、素直に羨ましいと思ってかまわない。敗北感あるけどなー。
 で、失ったとしよう。それは認める。じゃあかわりになにを得たんですかって話なんだが、さしあたって得たものは見当たらない。なのでまだ呻吟している。ま、得たものについては鈍感なのが人間かもしれんけど。あるいはこうやって、ただいろんなものを失っていくだけが、残りの時間なのかもしんねーな。まあそれはそれでってやつだ。その場合は、落剥していくさまを実況するくらいしかやることないでしょう。

 40歳ってのは、まあ一区切りだとは思うんだよね。平均寿命からいえば折り返し地点だし、かといって70歳越えてなお明晰な頭脳(いま現在も明晰じゃねえが、それはそれとして)保ってられるとも思えず。持ち時間としては、たぶん40歳までの時間と比較すれば限りなく短い。ただそのぶん効率は上がってる。なにごとかを為すにしても、その「なにごとか」について、より焦点が絞りやすい状況はできてる。
 俺のまことにタチが悪いことには、いまだに自分はなにごとかを為しえると信じてることだ。これはたぶん死ぬ瞬間まで変わらないような気がする。ま、癌の宣告でもされて余命2ヶ月なんて状況でなお笑いながら未来を信じられるかというと、それはさすがに微妙なところのような気もするが、とりあえずなにごとも為しえずに死んでいく覚悟だけはできた。というより、俺は人間の型としては実のところなにごとかを為しえるタイプの人ではなく、生きている過程とか人格そのものが商品みたいなところがあるので、苦悩しつつ七転八倒しつつ勃起しつつオナニーしつつ、そういったありさまを活写すること自体が作品となりうるのだろうと思っている。つまりあれだ。存在自体が文学(笑)。ま、文学かどうかは知らんが、性質としてはそうなのだろう、と。
 笑えるのが今木さんのふぁぼり。俺のポストもけっこうふぁぼってくれるんだけど、キャラクターの把握に関するポストと、俺自身のマヌケ言動しかふぁぼらない。つまり今木さんわかってんだよなー。俺ってそういう物体だって。それがまた嬉しい(また始まった)。たぶんこの先も今木さんと会う機会は、よっぽど強引に作らなければないだろうし、また強引に作る気もないんだよね。会ったところでなにが伝えられるでもないだろうしさ。サンフェイスさんはまあ、その気になればいつでも会えるとして、あんよさんとも会う機会はそのうち作りたいです。こっちの身辺が落ち着いたら。ちょっといまのところはまだ周囲がごたごたしてて、あと2年くらいは落ち着きそうにない……。

 と、ここまで書いてきてふと思ったんですが、この日記、コメント機能がない。作らなかったんじゃなくて、確か最初からない。なにせ仕様が11年前に俺が使ってたときのまま。すごい話だ。せっかく古巣に戻ってきて、ブログからレンタル日記に退化したことですし、ここはさらに退化して、レンタル掲示板でも設置してみようかしら、ということで、作りました。づしの森の余生ってことで。
 別についったーでも用は足りるし、ミクシもある現状で特に作ったところでどうなんだってこともないですが、まあ気が向いたら相手してやってください。いまさらって話なんで「またMK2さんが発作的になんか始めたよ……」とか思ってぬるい目で放置されてもまあ、それはそれで当然って気もしますので。はい。
 つーわけで、づしの森知ってそうな人には、ミクシで告知出してみたりした。



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