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20101011

 一昨日あたりにディスカバリーチャンネルでやってた、アメリカのUFO番組が、おもしろいとかいう水準を越えた異様な場所に到達していた。なにしろサブタイトルが「異性人との性行為」だ。立ってる地平が最初からぜんぜん違う。アメ公すげえ。
 番組中に次から次へと「異性人とセックスしました」っていう人が出現して、生々しい証言をする。「彼女は大きい異性人だった。胸の下あたりで手を交差させて、胸を持ち上げるんだ。それが私に対する誘惑のサインさ」とか60歳のじーさんが証言してる。これでメシを射出しかけてると、次には同じくらいのばーさんの歌手が登場して「彼が私の中で大きくなったのを感じたわ。目を開くと、彼の姿が変化していた。あれは……そう、爬虫類。ウロコはなくて皮膚はなめらかなのよ。あの体験は忘れられないわ」などと証言する。完全に無法地帯。横で一緒に見ていたうちの奥さまがものすごい嬉しそうに「爬虫類かよ! 爬虫類がビッガーインサイドマイボディかよ!」「おまえ絶対、人間じゃないから浮気じゃないヨ!とか言い出すだろ!」「いまこいつクリーチャーって言った! クリーチャーこええ!」とかツッコミ連発している。ああいうときあの人本当に嬉しそうだな。
 というような内容そのものも、ヘタなお笑いなんか完全に超越したおもしろさだったんだが、さらにおもしろかったのは番組の構成そのもの。まあ早い話が異性人とのセックスなんか妄想ですね、という結論になるのだけれど、そこに至る手順がいかにもアメリカって感じだった。
 まず証言が紹介される。そしてその証言を「専門家」が検証する。たとえば上述の金髪巨乳宇宙人とセックスしたじーさんの場合だと、そのあとに生物学者が登場して「異性人が人間と同様の生殖器を持っている可能性は極めて低い」「外形が人間に近い可能性も低い」とか言い出す。つまり証言者の言葉を、のっけから「ねえよwwwww」と判断してネタにする方向に持っていかない。前提として「証言者がそう言ってるんだから、とりあえずそれは真実だとしよう」っていうところからスタートしてる。突飛であろうがなんだろうが、話題として取り上げる以上、証言者の発言は尊重する、という前提があるわけだ。それをとりあえずは「科学的に」反証を挙げていって「彼の発言は妄想でした」という結論に至る。ま、いってみればシャレが通じない人たちだ。
 とはいえ、アメリカのよくあるジョークなんかを見てると、アメリカの人たち自身がこうしたクソまじめなやりかたに対して充分自覚的であることはよくわかる。アメリカのジョークというものは、物事をクソまじめに把握したうえで、そこに浮かび上がる「ねえだろwwww」を対象化したものが多いように感じられるからだ。シャレがわからずにあえてやっちゃうバカさ加減あたりにシャレを感じるというか。
 あと、登場する証言者たちが、どいつもこいつもニューエイジ世代っぽいのがまたおもしろかった。ちなみに異性人が人間とセックスするのは、地球を内側から侵略するためだそうです。みんなそう言ってました。そしてそれに対して専門家が「それは効率の悪いやりかたです」と反証する。アメ公すげえ……。
 ちなみに宇宙人とセックスして子供できちゃった人の話については、やはり生物学者が「遺伝学的にいってまず不可能」っていう結論を導き出すために延々となんかしゃべってたんだが、途中で噴き出しかけてた。よーやるわ、あの人たち。


 なんか友だちの妹が憂だっていう夢を見た。唯憂あずにゃん三角ラインが見えてからというもの、どうにも思い入れの対象がかなり憂に傾いてるっぽい。俺に百合好きの素養はあまりないように思うんだけど、姉妹は別らしい。というわけで「姉妹は百合ではない」という仮説でも立てて、ここを見てないだろう彩さんを煽ることにする。つまり「お姉ちゃん大好き」は百合ではない。なんて魔力のある言葉だ。「お姉ちゃん大好き」。そうだ。俺はきっと俺自身が妹を欲しいのではない。妹になってお姉ちゃん大好きになりたい。でも妹くれるってゆったらもらう。
 夢のなかの憂はなんか死病に侵されている。余命何ヶ月かよくわからん、てな状況で、ちなみに俺は夢のなかでは憂とはつきあっていない。どうも両思い寸前の寸止め状況であるらしい。夢のなかまで行ってなお寸止めか。NTR好きの猿元さんのことをどうこう言えた筋合いではない。でもNTRはわからん。
 なんかもう、自分の欲望がストレートに反映しすぎてるような夢で、俺は憂のことが大好きでどうしようもないんだけど、失う恐怖にいつも不安でいる、というような設定。病院のベッドに寝ていてなお憂は「お姉ちゃん」のことをずっと心配しているらしく、どうやら自分が死病にかかっていることも薄々は気づいているらしい。「私がいなくなっても、お姉ちゃん、平気だよね。だってお姉ちゃんだもの」などのセリフを俺は聞いた。
 まあ何度も書いていることではあるけれど、死に別れに対する強迫的な嗜好ってのは、結局「失ってしまうからこそ、強く求める」っていう、その補強材料として死というものが利用されているのだろう。あとはねー「なくなってしまうものへの愛着」っていうのもある気はする。ある人の運命みたいなものが対象化されているときに、ようやく安心してそれを愛することができる、みたいな心理。継続している限りは事態が変化していくわけで、その変化につきあうってのはそれ自体が現実なんで、そこにはめんどくささが伴う。めんどくささなんて言うと軽く聞こえるわけだが、時間が経過すること、未来があること、なんてのはとてもめんどくさいことだ。明日のごはんを心配しなきゃならないのはとてもめんどくさい。一方で明日のごはんを心配すること自体が生活であって、それこそが喜び、ということはありうるわけだし、実際に俺にもそういう嗜好はあるわけだけど、変化することはめんどくさい。この矛盾する要素を解決する手段として、たとえば萌え4コマみたいなものは実に重宝するな、と。だとすると、こうした俺の嗜好は、ひとり俺だけのものではないのかもしれない。
 俺の世代だと、十代には世のなかに成長神話ってものがまだ満ち溢れてる時代で、そんな世界のまんなかで未来とかいっさい信じられなかった俺は、カギカッコつきの「成長」ってものが大嫌いになった。「明るい未来」とやらに対するアンチですらなくて、世界の片隅でじとーっと蟠ってるような状態だったわけだ。まあなんていうか、そういう人がエロゲの日常シーンが好きで、萌え4コマ行ってけいおん見てる、っていうのはいろんな意味でわかりやすい。
 ところでおんなのこ死んじゃうタイプのエロゲも、もういまとなってはあんまり流行らないわけですが、俺としては死んじゃう女の子には、一度でもいいから「死にたくないよぉ……」と絶叫して泣いてほしい派です。みっともなくて、見苦しくて、ばかで、なにも解決できない愚かしさほどかわいいです。それ以前に俺はいろいろ中断しすぎ。バイトの女の子から「まだクラナドやってないんですか!?」と呆れられました。いやだって、いたる絵が……まだ効くから……。年の利益で1000万超えるようになったら好きにえろげ買っていいって言われてるんですけど、なかなかその壁を越えられねえ……。まあ自営業者で1000万超えたって、税金とか引かれると、ようやく「生活に余裕出たねー」くらいなんすけどね……。

 あとぜんぜん関係ないんだけど、唯と憂は外見がよく似ているわけです。どこまで似ているか問題についてですが、俺としてはスク水の唯のもっさりとした体型を見るにつけ、憂もまた同様にもっさりとした体型であってほしいと切に願うものであります。
 また、安産型の定義についてですが、俺としては「尻以外はそんなにボリュームがない」という一項目をつけくわえたい。なんというか、全体的にボリュームがある場合、主目的はだっこしてぎゅーとかのほうが楽しいのではないか。尻以外にボリュームがない場合、やわらかさを体感するためには座られる以外に方法がないため、顔面騎乗が正当化される、いやむしろ顔面騎乗こそが正当なエンジョイ法なのではないか、という理屈を思いつきました。でも実は唯憂には顔面騎乗欲を感じません。座られるなら圧倒的にムギでしょう。



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