VITA HOMOSEXUALIS
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2016年11月16日(水) 震災の年

 3月12日は関西に行く用事があった。

 その前の日、厚木の私の仕事場も大きく揺れた。周期の長い横揺れがいつまでも続き、酩酊しているような気分になった。交通はバス以外すべてストップし、私はアパートまで歩いて帰った。

 翌日は予定通り新横浜駅に行った。西へ向かう新幹線の切符売場には長い行列ができていた。

 大阪で仕事を終えて営業先と居酒屋にいるとき、ニュースを見た。マグニチュードが9を超える大地震、数千人の死者、大津波、テレビにうつる映像は衝撃的だった。だが関西にはその影響はなく、私は予定通り奈良から京都を回って神奈川に帰った。

 帰ってみるとコンビニやスーパーからほとんどすべての食糧が消えていた。電池も売り切れていた。ガソリンスタンドには車が長い行列を作った。

 原発の事故が伝えられた。初期の対応は良かったように私は思った。しかし、その後じわじわと放射線汚染が拡がっていった。

 電力がなくなると言われた。電車が止まった。計画停電が始まり、職場やアパートは突然真っ暗になった。

 私の中で何かが崩れたと思う。この世は終わる。そんな感じだった。

 その年の夏から秋にかけて、私は若い男とつぎつぎに体を重ねた。それは遊びという感覚ではなく、だからといって本気で誰かを好きになってつきあうというのでもなく、崩れそうな自分の芯にあって行き場を失っている性の熱気を放散しているような感覚だった。


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