VITA HOMOSEXUALIS
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この音楽家とは3年ぐらいつきあった。
恋愛感情が生まれるまでには行かなかったが、新宿で美食と美酒を楽しみ、ホテルで密会するという生活は、それなりに楽しいものだった。
彼が出演する音楽会の入場券ももらった。舞台の上で燕尾服を着て済ましている彼はベッドの上で狂奔している人と同じには見えなかった。しかし、舞台からは客席がよく見えており、「こないだ来てくれてたね」というような会話もあった。
私たちはお尻は使わなかったが、手や口でペニスを愛撫したり、勃起したペニスどうしをごろごろこすり合わせたりするセックスはそれなりに楽しいと思っていた。
だが、ある日のこと、セックスが終わって着替えていると、「これからもつきあえるけどセックスはなしにしてほしい」と言われた。「どういうこと?」と聞くと、好きな人が出来たという話だった。その人には十分かわいがってもらえるという。彼が探していたのは頼もしく頼れるタチのオトコなのだった。たぶん彼はウケだったのだろう。私のペニスが彼のアナルに入らないので、それで彼としては満足も小粒だったのだと思われる。いま彼の前にあらわれた人がどんな人かは知らない。おそらく男らしく、彼を犯してくれる人なのであろう。
私は未練を見せずに引くべきだと思った。一人になるのは慣れている。
その後もオーケストラの演奏会名簿で彼の名前は観た。しかし私はもうその演奏会に行こうとは思わなかった。
私は厚木のはずれのアパートに帰った。
私は着衣のままオシッコを出した。
その液体の熱さが私を慰めた。
立ち上るオシッコの匂いは私には麻薬のようで、私は愉悦にむせ返った。
それから2年、私はネットで出会ったいろいろな人とつきあった。横浜のおじさんは私が余韻を大切にしないといって怒った。ラブホテルは時間ぎりぎりまで楽しむべきもので、精を放出してしまったらそれで終わりではないんだと教えた。ふたりでゆっくりお風呂に入り、ことが済んだあとも二人で裸で寝そべってあれこれ話すのだ。それを覚えなければモテないぞ、と言われた。
韓国の留学生は大きな手のひらに私の精を浮けた。自分は勃起しないと言った。それで良いのか、私は彼に聞いてみたが、はにかむような微笑をたたえて、「これでいい」と彼は言った。
出会って食事をし、少々の酒を飲んだだけで別れた人もいた。こういうのはむしろ健全なつき合いの範疇で安心だと思った。それでも何か物足りなかった。
そうこうするうちに月日は経ち、2011年の3月11日になった。
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