VITA HOMOSEXUALIS
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2016年07月06日(水) 長野

 長野県は南北に長い県である。

 私がとりあえず就職したのは県南の小さな会社だった。秋に採用面接があり、中央高速を駆ってその地に赴くと、東京はまだ夏の色おいを残していたのに、塩尻を過ぎるとすでに晩秋の景色なのだった。

 採用が決まって赴任したのは年が明けてからだった。まず、20センチの積雪が私を迎えた。「本当は年齢制限を越してるんだが」と総務部に言われつつ、独身寮に入った。独身寮は男性棟と女性棟に別れていたが、入社早々私が聞かされたのはかなり自由な行き来があり、乱脈なセックスも行われているという噂だった。何しろ、冬の間は雪に閉ざされるから、仕事が終わってからスキーに行くか、この独身寮で過ごすかしか、楽しみはないのだった。私はここで、冷蔵庫とうものはモノを凍らせないため、暖めるために入れておくものだということを知った。

 私はここで気ままに過ごした。仕事は前の職場よりは楽だった。そのぶん給料は少なかった。

 休みの前日ともなると車を駆って鄙びた宿場町に出、フィリピンパブでぐでぐでになるまで酔った。不思議なことに、こんな田舎にフィリピンから何人かの女性が働きに来ているのだった。フィリピンの女性は鼻が大きく唇が厚く、女性に興味のない私にも肉感的なことは判った。

 私は大きくて重いラップトップパソコンの走りを持っていた。電話回線にそれをつなぎ、夜はパソコン通信で同性愛の掲示板を見て、何人かの男性とメールをした。その頃は今と違ってSNSなどはなく、メールをする人は長文を書くのが好きだった。画面上に字がポツポツ現われるような遅い通信速度ではあったが、その人々とエッチな話をし、オナニーした。

 部屋は寒く、石油ファンヒーターの風が当たるところだけが暖かい。布団をめくってその風に当てていると布団が良い具合に暖まってくる。そこにもぐり込んでオナニーすると、そのたびに私はガマン汁を出してあたりがベトベトに濡れるのだった。

 風は冷たいというよりは痛かった。通勤には車を利用していたが、独身寮の雪かきをしたり、近くの店まで出かけるときには歩いた。男子棟で雪かきをすると、数分もしないうちに手や顔の感覚がなくなった。雪かきの後は飲み会で、私は若い同僚たちに鼻水が出ていると笑われた。しかし、そういう彼らの鼻の下も鼻水で光ってい、頬は赤く染まっているのだった。私は青年が鼻水を光らせているのを見ると感じてしまい、部屋に戻ってから必ずオナニーした。

 私はまた、暖かい寝床の中でオシッコをした。体の上にも下にも厚い毛布を敷いていた。その中に下着のままでもぐり込み、懐中電灯でペニスを照らし、少しずつオシッコを漏らした。性感が高まってくると衝動的な気分になり、思い切って毛布を濡らした。そういうときは下着も熱くなるほど濡れていた。濡れたパンツを脱いで匂いを嗅ぐ。そうするとますます乱暴な気分になり、湿ったペニスの先からオシッコの滴を出し、毛布を濡らす。下着だけはまめに洗濯したが、毛布はそのままだった。

 そのように私の生活はすっかり青年の頃に戻っていた。もっとも、体はすでに中年だった。

 やがて農協からリンゴの消毒日が知らされてきた。それが来ると春も本番になるのだった。


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