VITA HOMOSEXUALIS
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私たちは小さな集団で、闘争目標は何でも良かった。
肉体的に激しい闘争は三里塚(成田空港)だった。理不尽な政府のゴリ押しで不便な地に作られた貧相な国際空港。空港としての機能よりも、私たちはあれを日本政府が民衆に牙をむいた象徴としてとらえていた。
韓国の民主化。今では信じられないことだが、1970年代当時にあっては、北朝鮮の方が経済力があった。韓国政府は何とか経済成長を遂げようとして非常に独裁的な体制を取った。民主化運動をする人たちを次々に逮捕・投獄した。その中には後に韓国大統領になる金大中がいた。また、詩人の金詩河もいた。それを弾圧したのは朴正煕政権だった。私たちは民主化勢力を支援し、朴政権を打倒するために闘っていた。
あるいは、原発。原発もまた政府が貧しい地方を補助金で釣って、地方に危ないものを誘致させるのだった。静岡の反原発闘争は辛かった。「東京から来たアカの若造らに何がわかる」、「地元の事情を何あも知らんくせに」、「わしらは原発で豊かになるんじゃ」と言われ、地元の政治ボス、財界人、警察が一体となって我々を排除した。
そして反戦。政府による靖国神社国家護持に反対。日米韓三カ国の軍隊が共同で行う演習「リムパック」全面阻止。
私らにはやることがいっぱいあった。それは充実した生活だった。
だが。その生活に陰りが見えてきた。
きっかけは、この年の秋に起こった「内ゲバ殺人事件」を私が目撃したことだった。
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