VITA HOMOSEXUALIS
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2016年02月19日(金) アジト

 都会のアスファルトが溶けるような夏が来るころ、何度か「彼ら」の集会に顔を出した私は「事務所に来てみないか」という誘いに乗って「彼ら」の本拠地に行ってみることにした。

 それは奇しくも私が東北出身の痩せた男と一夜を裸で共にした安いアパートと同じ駅で降りるところにあった。そのアパートに行くのとは反対側の道を行くと「彼ら」の事務所なのだった。

 それは二階建てのマンションの一室で、扉には「XX企画」という会社のような表札が出してあった。扉を開けてみると広い部屋で、コピー機やガリ版の輪転機などが置いてあり、事務机と椅子が数脚、流し台には大きめの薬罐やカップラーメンの屑などがあった。その奥にも部屋があり、二人か三人の人が泊まり込めるようになっていた。

 壁にはグラフィックデザイナーの粟津潔がデザインした「空港は必ず緑野に戻す」と書かれた三里塚闘争のポスターが貼ってあった。部屋の隅にはビラやパンフレットのようなものが積み上げてあり、いくつか書籍もあった。

 私は気後れしなかった。なぜか「彼ら」にはすんなり入り込めた。

 それから私は何度かその事務所に行き、会計係のようなことをしたり、ガリ版でビラを作ったりした。「彼ら」とはあまり話すことはなかった。仲間に入ってしまうと「闘い」の生活をするのは当然という雰囲気があった。何月何日にどこへ行き、「闘い」をしてくるかという相談はした。それは事務的な相談であった。

 何度か通っているうちに、「彼ら」は特定のセクトには属さず、大学や職場からはみ出した人々がいつかどこかで寄りあって集団を形成したのだろうと思うようになった。中核のメンバーはやや年かさの二人の男で、実務はそれより若い美男子と言える男が取り仕切っていた。性を全く感じさせない女性メンバーも二人いた。

 私は酒屋のアルバイトをやめた。活動資金を得るにはそのアルバイトでは少なく、自由になる時間もなかった。それで、短時間でもっと金になり、勤務も不定期な肉体労働の仕事に就くことにした。

 不思議なことに、この生活が始まると私の同性愛は引っ込んでしまった。ときおりオナニーはした。だがそれは、性欲の発散というよりも、肉体的に溜まってくるものの処理だった。「薔薇族」に描かれているような男同士の恋愛は、階級意識を持たず、自立してない人たちが弱みを舐めあうために寄り集まっているように思った。


aqua |MAIL

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