VITA HOMOSEXUALIS
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2016年02月18日(木) 活動に

 私は、この人たちが「過激派」と呼ばれるセクトではないかと疑ったこともなくはない。自分たちはそうではないと言っていたが、なにしろ正体を確かめたわけではない。ひょっとしたら抗争に巻き込まれて人を殺したり殺されたりすることがあるのかも知れない。

 しかし当時の私は不思議にそれを恐ろしいとは思わなかった。それでもいいとさえ思っていた。この都会の片隅でアルバイトで体をすり減らし、裸電球の四畳半で絶望を吐き出すようなオナニーをし、ときおりオトコのチンチンを求めてハッテン場をうろつく。そんな生活のどこにも明るい要素は見いだせず、何かやって死ぬならそれで構わない。

 ほどなくして私はメーデーに参加した。労働組合の色とりどりの旗が乱立し、代々木公園は立錐の余地もないほど人で埋まり、中央の演題のようなところではひっきりなしに誰かが胴間声で演説していた。私たちの集団は数名しかおらず、どこにも所属してなく、怪しい目で見られた。今から思えばそのときに私ははやばやと自分が仲間になった集団に何かの違和感を持ったのだった。

 だが、気持ちが運動に傾いていたときにはそんな違和感は気にならなかった。私はパンフレットを読み、本を読み、階級的なものの考え方を身に付けようとした。自分のうらぶれた生活は帝国主義のもたらす必然の結果だったのだ。その必然の結果がくつがえるのもまた歴史的な必然なのだ。

 やがて暑い夏が来て、私は本格的に彼等の仲間になった。


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