VITA HOMOSEXUALIS
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2015年06月21日(日) おシリ

 オナニーを見せただけで2万円もらった私は浮ついた。その頃の私にとって2万円と言えばほとんど一月分の生活費だった。

 「もう一度同じことがあるかも知れない」

 そう思って私は新宿の町をうろついた。それは浅ましい姿だった。

 ホモバーに入り、目をつけたおじさんの隣に座り、初めは無関心を装い、何気なく言葉を交わし、先に出ておく。おじさんが出てくるまで待つ。もちろん、たっぷり気を引かせるようなことを言ってバーを出るのである。わりとすぐに出てくるおじさんには脈がある。

 最初からカネの話などはしない。

 ことが終わってから、「オレいまちょっと金欠なんで、帰りの電車代とかちょっとカンパしていただけたら」というようなことを照れ臭そうに言う。

 田舎から出てきて一年も経たないうちに私はこんなふうになってしまった。

 ところが、驚いたことに、たいていのおじさんが金をくれたのである。さすがに2万円というのはなかったが、5000円とか10000円とか、きりのいい金額をくれた。もちろん、私が金のことを切り出した途端に露骨にイヤな顔をし、「何だおまえ、そういうのだったのか」と屑のように言われることもあった。そういうときには無理をしないのがコツだ。「あ、すんません、いいっす、気にしないでください、何とかなりますから」と言ってそそくさと帰る。しかし内心では「ケチ」と思っているのである。

 当時いちばん多かったのは、私のお尻に相手がペニスを突っ込む、私はいわゆる「受け」、相手は「立ち」というスタイルだった。

 初めてこれをやられたときには死ぬかと思った。それほど痛かった。

 私には「受け」に対するセンスがなかったのだ。ゲイの中には挿入されるのが好きな人が多いことは知っている。バックで受けると感じる人がいる。しかし、私はそうではなかった。

 いくらローションを塗ってくれても、指で「開発」されるとしても、いざ実際に怒張したペニスが入ってくるときの焼けつくような痛み。その後に感じる重苦しい便意。いつも自分が漏らすのではないかとおののく不快感。実際に太腿を熱い液体が伝って落ちたときには「もうダメだ」と思った。しかしそれは相手が塗りたくったローションと相手の精液と私の腸内の何かが混じった液で、便ではなかった。

 私はバックに入れられるとしばしば涙を流した。相手はそれを見て私が感激していると思うようであった。

 じっさい、不思議なことに、バックに入れられると私は勃起していなくてもガマン汁は出た。これはきっとクーパー腺が機械的に圧迫されたからなのだろう。ときには沢山あふれるほど出た。相手はそれを見ると私が「感じている」と思うようであった。

 尻の痛みは翌朝まで残り、そんなとき私は一万円もらっても割に合わないと思うのであった。

 しかし、再びそのカネが欲しくてバーに出かけるのであった。


aqua |MAIL

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