獅々丸の雑記帳
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『サムライ』『ニンジャ』好きの俺は日本史が好きになった。 が。 それは江戸中期くらいまでの範囲で止まった。 江戸後期以降、俺の興味は休息に萎む。 もちろん勉強としての知識の取得はしたけれども、それはあくまで勉強。 興味とは違う。
途端に興味が失せた原因は何か?
それは簡単。 その頃になると史実が事実である割合が急に増えてくるから。
前に書いたように俺の歴史への興味はそれまでに培ったヒーロー物語を歴史に 当て嵌める空想をすることにあったのだから、史実が『曖昧さを許容する隙間 のない』事実となっては空想遊びが出来ない。 そんなもの、俺にとっては魅力を感じられるものではなかった。
まぁ、俺の話はいいか。
今日はそんな妄想好きの俺が『日本』→『日本の歴史』→『日本人』を考えて みて出したひとつの俺的結論。
今の日本の有り様。 歯を磨きながら考えてたら急に思い浮かんだ。
それは『洋服』。
洋服は『西洋(風)の服』の意味だよね。 聞かれれば誰でも分かるその意味を、普段気にかけてる人は少ないだろう。 俺も気にしてない。 そればかりか、『服』と言えば『洋服』を指す生活をしている。
対する言葉は『和服』。 和服を説明しようとしたが『着物』くらいしかちょっと頭に浮かばない。 浮かばないことに焦りを感じながら辞書を引くと 『日本に古くからある様式の衣服。着物。』とあった。
『日本に古くからある様式の衣服。』だそうだ。
俺が和服を着るのは夏場の甚平くらいか。旅行先によくある浴衣は、襟元がか ぶれちゃうことが多くまず着用しない。(笑) 昼間、周りを見ても見渡す限り、社内に和服を着てる人はいない。 1日出歩いても和服姿の人に出会うのは稀だ。 『和装』という言葉は今でも聞くが『洋装のいでたちで…』なんて言葉は日常 では余り聞かない。
つまりそれほどに今や『西洋服姿』は普通なのだ。 なんでこんなに洋服が蔓延ったか。
それは多分、和服より洋服の方が生活するに楽だからなのだろう。 和服には和服の良さがあるのだろうが、洋服のそれには敵わないってことかな。 そうじゃなければ今でも和服を普段着に使う人がもう少し多かったはず。
言い換えれば日本は『窮屈を窮屈と思わない文化』だったんじゃなかろうか。
ある日それが『窮屈が窮屈である状態』なんだと知った途端に、『楽な方』へ 一気に流れて過去を顧みなくなった。 何を好き好んで窮屈な格好をしなきゃならない?ってとこだろう。
女性なら多くの人が帯を締められたことがあるでしょう。 『苦しくてもそのくらい我慢しなさい。』って言われた人も多いのでは? 言われなくても『苦しいナァ』って思ったりはしただろう。
その我慢を日常ですることをやめてしまった文化。
それは思想の分岐点だったんじゃなかろうか。そんな気がする。
この思想は決して間違いではない。 窮屈であることに反対する運動が民に市民権を得るまでに至ったとも言えるの だろう。
けど……。
『楽な方』へ一気に流れて過去を顧みなくなった世の中に、窮屈自体を知らず に生まれた人の割合がどんどんと増えていると思える現代。 窮屈には反発することだけが当たり前とされるような世の中。
良くも悪くも、これが現代の日本人であり日本なんだろうな。
俺に出来ることは……。
そだな、せめて『洋服』を『服』と略すのだけはやめようかな。 洋服に対する言葉があることをいつも念頭に。
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