舌の色はピンク
DiaryINDEXpastwill


2020年04月19日(日) 小説ベスト50 [10-1]

ああ本当に素晴らしい作品ばかりだな…誰彼に読んでもらいたくて仕方ない。
本なら買い与えるから。お金払うから。感想なんてせがんだりしないから…どうか…


/


10.時間[横光利一][中編]【青空文庫

"どうも考えると面白いもので女達の不倫の結果がそんなにも激しい男達の争いをひき起したにも拘らず、しかしまたそれらの関係があんまり複雑ないろいろの形態をとって皆の判断を困らせるほどになると、却ってそれが静に均衡を保って来て自然に平和な単調さを形成していくということは、なかなか私にとっては興味ある恐るべきことであった。"

男女十二人による夜逃げの行軍には乱痴気なパレード感があふれ、そこでは人間の美しさも醜さもありのまま露出して、読んでいると登場人物ともども疲れ果てていく。と同時に笑える。主題にあたる「時間」という観念への接近にはおののいた。間違いなく文学作品にしかしえない接近で、初めて読んだ時には「これは知っちゃいけないやつだ」「考えだすと危ないぞ」と心底身震いしたのだが、読み直したときにはそうでもなかった。たまたまチャンネルが合ったのだろう。




9.第七官界彷徨[尾崎翠][長編]

"――よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。"

愛してるぜ尾崎翠。詩によってしか交通しえない宇宙「第七官界」へのさまよい、たゆたい、いざない。女中部屋で日々、第七官界への観想に耽る町子が、同居する二人の兄と従兄とのふれあいで、何がどうなって、何をどうしたか、そんなことは、どうだっていいじゃないですか。尾崎翠は「言葉は文学の大敵」とこぼしていたそうだ。このひとの文学とやらはあんまり余人とかけ離れていて、ろくろく理解できる気がしない。それでも尾崎翠にしか見えない世界を、尾崎翠にしか書けない文体で、誰もに読める物語にしてくれているのだから、感謝してもしきれない。




8.この世でいちばん美しい水死人[G・ガルシア・マルケス][短編]

"泣いているうちに、あわれなエステーバンがこの世でいちばんおとなしく従順で、痛ましい人間のように思えはじめた。"

大好きだぜマルケス。ラテンアメリカ文学はよく「死者と生者とを区別しない」と評されるが、区別はある。死者はあくまで死者として扱われてはいる。この作品では水死体をモチーフに、美しいイメージの奔流が繰り出される。愛も優しさも怖ろしさも馬鹿馬鹿しさすらもあるこの奔流にすっかり身を任せ、こちらも溺死してしまおう。出来事をリズムよくひたすら叙述していくスタイルは、彼の偉大な代表作「百年の孤独」と共通しているようだ。話に聞くばかりで、「百年の孤独」自体はまだ読んでいない。とっておきとして、読みたくてたまらないのをこらえている。




7.心理の谷[久生十蘭][中編]

"なんでもないことのようだが、このほ、ほ、ほ、は、たいへんに意味深長なのであって、お前などは地獄へでも墜ちてしまえと仰りたい時に、貴子さまが好んで用いられる修辞なのである。"

いくらか漫画的でたわんだ筆運びだけれど、これに小説的面白さを認めないわけにはいかんでしょう。小説としても漏れなく面白いしぞんぶん笑えるし何より人物のひとりひとりがかわいらしい。カワイイという現代的価値観に適応するどころか牽引できるほどの魅力があふれてしまって、それだけにもったいなさを感じる。文章の巧緻ばかりでなく人物のセリフ一言一言にぞんぶん血が通っているものだから演劇でも観たくなる。なのにあまりに文が巧みでセリフが生きているから演劇いらずという生憎ぶり。




6.一千一秒物語[稲垣足穂][短編連作]

"ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた"

メルヘンであり、SFであり、寓話であり、幻想文学であり、詩であり、ところどころ意味不明。僕は初見時、天体にすべてが支配されたようなこの世界があんまり美しくって、涙が出た。感性ののびゆきはどこまでも自由で、文章表現におもねる義務すらない。




5.湖畔[久生十蘭][中編]

"この夏、よんどころない事情があって、箱根芦ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。"

ミステリとも幻想文学ともとれる構成で、あっという間に読める娯楽的中編にもかかわらず、読み手が求める形へと小説内容はいかようにも変容する。文体の魔術師久生十蘭の怪人的傑物っぷりを堪能するにふさわしい逸品。

発電できるほど面白い。一分の隙もないのに、文節は絶えず舞い踊り、行と行の間には宇宙が広がって、まったく物理法則が通用しない精神世界の未踏へとかどわかされる。文字が読めてよかった。そう痛感する稀な機会を得た。(読み終えた当時の感想より)




4.箱男[安部公房][長編]

"ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺りまで届くダンボールの箱のなかだ。つまり、今のところ、箱男はこのぼく自身だということでもある。箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけているというわけだ。"

読み終えてしばらくは一般的な小説が読めなくなった。読者は主観を強奪されて、この得体の知れない小説世界に参加させられてしまう。あの奇天烈な酩酊感、果たして酒や薬ごときで代替されうるものだろうか。
具体例を挙げると、状況だったり人物だったり心境だったりといった場面を説明するために必要な情報においては極めて筆を制限しているくせに、どうでもいいような小物、とるにたらない仕草、ほんのちょっとした設定ばっかり、微に入り細を穿つ描写を惜しまなかったりしてる。こちらが慣れ親しまない格好で、カメラのズームインとズームアウトを繰り返される感じがあって、すっかり酔わされてしまう。こうした手練手管がきっと無数に張り巡らされているから、知らぬ間に心身は乗っ取られ、小説世界に取り込まれ、気がつけばもう抜け出せない。なんともおそろしい。




3.件[内田百][短編]

"黄色い大きな月が向こうに懸かっている。色ばかりで光がない。夜かと思うとそうでもないらしい。"

不気味で怪奇で薄ぼんやりとして、視界も足元もおぼつかなく、催眠をかけられたようでもあるし、覚醒させてもらったようでもある。小説ひとつでこんな体験をさせてくれるなんて、ほとんど意味がわからない。しかも悪夢めいた調子ばかりでなく、ちゃっかり愛嬌だってちらつかせ、なんともはや、明るいのだ。ずっと、生まれてからずっと、こんな読みものが読みたかったのだと気づかされた。内田百里如△箸蠅錣院峽錙廚任修林蝋イ鮹粒个靴真佑和燭い呂困澄つくづくこの作品を知れてよかった。よかったどころか、自分の人生とともにあるのだから、「件」と出会えていない人生は僕の人生じゃない。




2.金閣寺[三島由紀夫][長編]

"が、私もまた、彼に倣って、その景色を地獄のつもりで眺めようと試みた。この努力は徒ではなかった。若葉に包まれた静かな何気ない目前の風景にも地獄が揺曳していたのである。地獄は、昼も夜も、いつどこにでも、思うがままに現れるらしかった。われわれが随意に呼ぶところに、すぐそこに存在するらしかった。"

主格の内面と外面とを反復してやまない不確かな理念や情動や条理を揺り動かすその正体を、しっかと暴き立てずにはおられない三島の解剖癖がぞんぶんに発揮されきって、先生いくらなんでもやりすぎですと呆れたくもなるのに、隙なく圧倒させられっぱなしでいちいち敬服せざるをえない。「言葉にはできない何か」を軒並み言葉にしてしまい、それでもしきれない部分を物語筋に担わせた小説的成功は、いよいよ涜神的ですらある。こんなに完全された作品をわざわざ好きだとも認めたくはない。その上でなお、大好きだと認めざるを得ない。

美意識を絶え間なく刺激するばかりの凄味ある文章で埋め尽くされた一頁一頁は読みながらにして宝物化されていった。ゆっくり大切に熟読玩味しながらもこの小説を読み終わるのが惜しく、最後の章は数日かけて読んだ。人工的な文体もここまで完成されていれば掛け値なしの敬いを捧げる他なく、またそれに対話の瑞々しさが織り込まれるのだからずぅっと才気にあてられっぱなし。主人公の思考は狂人のものとバッサリ処理するより、歴を辿って極めて人間的なものと通釈しないと、せっかく狂気を整序しきった本作品がもったいないよう思う。(読み終えた当時の感想より)




1.細雪[谷崎潤一郎][長編]【青空文庫

"口数の少ない、いるのかいないのか分からないようにひっそりとしている雪子が一人殖えたからといって、格別家の中が賑やかになるわけもないのだけれども、こうして見ると寂しい彼女の人柄の中にも、矢張明るさが潜んでいるのであろう。それと一つには、三人の姉妹が同じ屋根の下に集ると云うことが、それだけで家の中に春風を生ぜしめるので、この三人の中の誰が欠けても諧調が失われるのであろう。"

事情、世情、人情、愛情、縦横無尽に飛び交う情の間隙を縫って、情け無用の針が人心を突き刺す。俗世と抱き合わせの美、誰にも礼賛されやしない徳、どんなに不確かな足取りだろうと人々は日々を歩いていく。その生きざまに華がある。僕は生まれ変わったらこの本のどこかのページの一字になりたいと心から希う。

十年間読まず書棚にとっておいたのをとうとう読みはじめ、膨らみすぎた期待を更に遥か超える面白さにぐんぐん生命力が湧いてくる。優しい。温かい。幸にも不幸にも愛がある。憂さがられがちな世の乱れを理と情と美の大車輪でつつがなく整えてくれるような物語の描きよう。こんなありがたいものがまだ中巻下巻へと続いてくれるよろこびに小踊りしそう。いっそ死ぬ直前までとっておいてもよかっただって寿命延びるものこんなもの。しかしもう止まらない。(上巻読み終えた当時の感想より)

人物はますます弾みをまして悲喜こもごもの音符が並んだ譜面上を飛び交う。仕方ないよね、と傍目からは言いたくなる事情の掛け合いが立体化複雑化を一向はばからず、人間関係の調律を日頃から好んで嗜む手合いでなければ一家のめぐり合わせを追うごとに疲れきってしまいそうだけれども、自分にはこの上なく興をそそられるし勉強になる。悶着事の教科書のよう。(中巻読み終えた当時の感想より)

散りばめられた布石から起こりうる事柄しか起こらない筋立て。雪子の行く末は「なるべくしてなった」という根の張りを強く感じる一方で、あらましのさなか呼吸ひとつしくじれば別の細雪が演じられたはずの覚束なさも秘めているけれど、妙子の方はといえば「たまたまそうなった」という受難の一方で、どれだけ首尾を全うしていたとしてもこの細雪にたどり着くように思える。物語的運命が人格モデルに超克されている。そんな野暮ったい能書きはさておき本当に面白かった。つくづく幸せな時間だった。谷崎先生ありがとう。ファンレター送りたい。(下巻読み終えた当時の感想より)


/


芥川がごそっと抜けていた。
だがまあ抜けていたなら、それはそれで、そういうことだ。
まだまだ漏れはありそう。思いつく限りのお気に入りを以下に羅列。
藪の中[芥川]、河童[[芥川]、地獄変[芥川]、羅生門[芥川]、猫と庄造と二人のおんな[谷崎]、魔術師[谷崎]、痴人の愛[谷崎]、老妓抄[岡本かの子]、方舟さくら丸[安部公房]、ペドロ・パラモ[フアン・ルルフォ]、鼻[ゴーゴリ]、予告された殺人の記録[マルケス]、異邦の騎士[島田荘司]、儚い羊たちの祝宴[米澤穂信]、柘榴[米澤穂信]、白夜行[東野圭吾]、姑獲鳥の夏[京極夏彦]、階段[宮本輝]、春の夢[宮本輝]、恋[小池真理子]、戦争と五人の女[土門蘭]、月と六ペンス[モーム]、シティ・オブ・グラス[ポール・オースター]、桔梗合戦[皆川博子]、屋根裏の散歩者[江戸川乱歩]、事件[大岡昇平]、花束町一番地[久生十蘭]、葡萄蔓の束[久生十蘭]、モンテカルロの下着[久生十蘭]、新釈諸国話[太宰]、仮面の告白[三島]、沈める滝[三島]、三原色[三島]、山東京伝[内田百]、サラサーテの盤[内田百]、のんしゃらん記録[佐藤春夫]、文鳥[漱石]、皮膚と心[太宰]、畜犬談[太宰]


れどれ |MAIL