舌の色はピンク
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2020年04月17日(金) 小説ベスト50 [50-31]

一作家につき三作品までで絞っています。
二作品でリスト化していたらどうしても絞り切れなかった。

部分部分、これまで読書メーターに書いてきた過去の感想から拾ってきています。
大体においてあらすじを省いているのは、あらすじをまとめ上げただけで感想文としている読書メーター上のそれがたくさんのいいねを獲得している有様を心憎く睨んでやまない僕のハナタレな怨恨感情がゆえんです。


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50.お供え[吉田知子][短編]

"ふりむくと私の後にも横にも人間の壁ができていた。私の周囲だけが丸くあいている。手を合わせている人、石を投げる人、私に触ろうとする人。"

不気味の極み。視覚も重心も足つきも乱れてはいないのに、身体的な錯覚なく異界感を認識させられていく様子が新鮮で、大いにその戸惑いを楽しんだ。吉田知子の作品にはいずれにも、描かれた対象とは別の気配が死角という死角に立ち込めている。日常の位相をわずかにずらしたところへ迷い込ませて、もう戻れないんじゃないかと不安がらせてくる。これがたまらない。




49.限りなく透明に近いブルー[村上龍][長編]

"僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。"

政治も経済も脳科学もまだ混じ入らない純粋培養の村上龍。作家活動中期からは技術として描写を操るようになるが、このデビュー作の時点では目の前の性、ドラッグ、暴力をただ写生しており、そのせいか、やけに生っぽい、体温的な没入感がある。タイトルがかんぺき。このタイトルの妙について考えるだけで一、二時間は経ってしまうし、その一、二時間には計り知れない価値がある。村上龍には「コインロッカーベイビーズ」「69」「愛と幻想のファシズム」あたりにも十代の当時、必要以上の影響をくらった。「限りなく透明に近いブルー」および、坂本龍一と各界の専門家をゲストに招いた鼎談集「E.V Cafe」は、今でも愛している。




48.枯木灘[中上健二][長編]

"土は秋幸だった。いや、土だけでなく土をあぶる日、日を受けた木、梢の葉、息をする物すべてが秋幸だった。"

和歌山は紀州の地縁をめぐる激情の狂騒。一歩踏み出された足先ひとつにも積年の怒りがみなぎり、静かなる息遣いには猛毒がこもっている。都市からは決して見えないどっぷり濃厚な血の地脈。ここに描かれる者たちの力強さ、重々しさ、生々しさに比べると、お仕着せの道徳観念に頼った自分の生のなんと生ぬるいものかとおどおどしてしまう。




47.シラノ・ド・ベルジュラック[エドモン・ロスタン][長編戯曲]

"哲学者たり、理学者たり、詩人、剣客、音楽家、将た天界の旅行者たり、打てば響く毒舌の名人、さてはまた私の心なき−恋愛の殉教者!− エルキュラル・サヴィニヤン・シラノ・ド・ベルジュラック――"

愛と心意気の物語。岩波の無理やりめいた訳にはめっぽう時代の隔たりを感じさせられるが、シラノの人物像を古臭いとは言わせない。その生き様には普遍の美徳がある。美意識に密着した篤実がたしかに閃いている。仮に彼の弁をすべて舌に覚えさせたなら、その語句だけで人生を過ごせてしまえそう。そんなわけはないんだけれど、そう思わされてしまう感動がある。




46.ドグラ・マグラ[夢野久作][長編]【青空文庫

"…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。"

読むと精神に異常をきたすことで有名な小説。大学受験の試験日前夜に深夜まで読んでいたことを思い出す。その試験は落ちました。小説のせいではない。この小説はその長さに妙がある。気の狂ったような小説は世にあふれているにせよ、よくぞこんな狂気を理知的に、1000ページにわたって染みわたらせたものだと感心してしまう。しかも文章が壊れたりはせず、文芸作品らしい精妙は保ったまま。いちおう探偵小説にあたるようだ。それだけに、単純に読みものとしての推進力もあ…る。狂ったばかりではなく話が話として展開もしてい…く。…。………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。




45.四十日と四十夜のメルヘン[青木保][長編]

"日記によれば、メルヘンを書き始めたのが七月七日未明のことだった。一枚書き、二枚書き、三枚書き終えたところで落ち着きを取り戻し、即刻その一枚目を破り捨てた。物語の進行をいたずらに早めてしまったためだ。あらすじを追うようなことはしてはいけない。そう思ったから紙を破り、捨てたのである。"

何をどうしたらこんな文章が書けるのやら、皆目見当がつかないどころか、考察しようとする意志も力も霧散されてしまう。レトリックに凝ったところもなさそうな至って平易な記述が連ねられているだけのはずなのに、自分がこれまで磨き上げてきたはずの読解をこうまで揺さぶられてしまうのは、文章にきっと魔術が施してあるから。その魔術が見えないこと見えないこと。話としては、チラシの配達員が配布しきれなかったチラシを自部屋にため込んでいる、このチラシにメルヘンを書き込んでいる…という内容で、しだいに時空は乱れていき、円環構造となり、また破綻し、わけがわからなくなってゆく。酩酊感たっぷり。ぐるんぐるん視界が揺れていくさまを楽しめる。帯には日本のピンチョンと評されていた。ピンチョンよりかはずっととっつきやすいと思う。




44.トニオ・クレエゲル[トーマス・マン][長編]

"黙って孤立して、姿を見せずに働いたのである--才能を社会的装飾と心得る連中、貧しいにせよ富んでいるにせよ、勝手に漫然と横行したり、独特のネクタイに贅をつくしたりする連中、なによりもまず幸福に、愛想よく芸術的に生きることを心がける連中、良き作物は、ただ苦しい生活の圧迫のもとにのみ生れるということも、生きている人が働いている人ではないということも、人は創作者になりきるためには、死んでしまっていなければならないということも、まるで知らずにいる連中--そうした小人輩を心から軽蔑しながら。"

芸術論は批評家の領分としても、芸術家論を語らせたなら何物も小説家には勝れまいと思われる。トニオ・クレエゲルその人は芸術を知り生活を知る青年の代名詞であって、鏡像であって、友達であり、また正視に堪えぬ憎める敵であり…。この小説を読んでも、何も救われたり学べたりはしない。いや救われたり学べたりする人もいるだろうが、そんなところに価値を置く作じゃない。ただ、いい歌声なんです。この青年の歌は。




43.異邦人[アルベール・カミュ][長編]

"顔のうえに大きな熱気を感ずるたびごとに、歯がしみたり、ズボンのポケットのなかで拳をにぎりしめたり、全力をつくして、太陽と、太陽があびせかける不透明な酔い心地とに、うち勝とうと試みた。"

高校生の時分に読み、あぁなんて世界は恐ろしいのだろう、人間が生きる以上はこんな世界と向き合わなくてはならないのか、そんな世界と立ち向かう人間の無力なことといったらいよいよ望みは絶ち切られたぞ、と、うなだれた。ムルソーの論理には一貫性がない。だが心境はうんざりで貫かれている。そりゃあ現代日本でも、多くの人の胸を打つのは至極当然という感じがする。




42.変身[フランツ・カフカ][中編]

"「七時十五分までには、なにがなんでも寝床を出ていなくちゃならない。それまでにはどのみち、おれのことを聞きに店からだれかやってくるだろう。店を開けるのは七時前なんだから」"

異邦人と同じタイミングで読み、あぁなんて世界は恐ろしいのだろう、でもまあ、そんなもんか、と、なんでだか虚無的な心理に陥ったことを覚えている。巨大な虫になってしまっても人間社会の法から抜け出せず、その境目が扉一枚に仮託されている舞台像は、たんなる演劇として見ても面白い。




41.地下室の手記[ドストエフスキー][長編]

"いったい自意識をもった人間が、いくらかでも自分を尊敬するなんて、できることだろうか?"

現代、ウェブ上で、それはブログでもTwitterでもnoteでもいいが、一人語りは仰山あふれている。ちょっと探せば読み応えのある文章がいくらでも見つかる。そんな渦の真っ只中にこの手記が現れたらどうか? いいねの大嵐だ。片っぱしからブックマークしたくなるほど上等の思弁的な文章が延々続く序盤が好き。



40.雁[森鴎外][長編]【青空文庫


"「そう物の哀れを知りすぎては困るなあ。君が投げんというなら、僕が投げる」"

まったく何て面白い小説だ! 物語筋ばかりに着目しそうなところをグッと抑えて、中盤以降に展開される人物の掘り下げ方にこそ真価を認めたい。女の心理の抉り出しもさることながら、彼ら彼女らが織り成す何気ない会話劇にも色香を帯びた洒脱感がある。何度読んでも得られるものがあるように思えた。(読み終えた当時の感想より)




39.猿飛佐助[織田作之助][中編]【青空文庫

"「何? もう一ぺん言ってみろ。出来ぬのかとは、何事だ。人生百般――と、敢えて大きく出ぬまでも、凡そ人間の成すべきことにして、不正、不義、傲慢のこの三つを除いたありとあらゆる中で、この佐助に能わぬことが、耳かきですくう程もあれば言ってみろ!」"

読者を笑わせるために書かれた一品。馬鹿馬鹿しいような佐助の語りはしかし漏れなく一流のセリフまわしで、音読すると魅力が倍増する。僕は全文音読した。たまに吹き出しながら。みるみる元気になっていった。




38.青塚氏の話[谷崎潤一郎][中編]

"「人間の身体というものはね。ある一箇所以外の部分が悉く分かってしまえば、その分からない部分においても、代数の方程式で既知数から未知数を追い出せるように推理的に押し出せるものなのだ」"

変態道に明るい大谷崎の大変態話。その奇抜で秀抜な話自体より、よくもこれだけ谷崎の頭のなかに巣食う谷崎を如意闊達に文章として産み落とせるものだと感動してしまう。よく絵の上手い人に、これだけ何でもかんでも描けたらさぞや楽しいだろうなと安直な羨望の念を抱きがちなのだが、文章術だってしかりだ。谷崎は日本語表現にあたっての言葉選びと組み立てが的確に過ぎ、あんまり至妙なものだから、読書を中断し天をあおぐことしばしば。



37.三四郎[夏目漱石][長編]【青空文庫

"三四郎はこう云う場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだしたとき、過去を顧みて、ああ云えば好かった、こうすれば好かったと後悔する。と云って、この後悔を予期して、無理に応急の返事を、さも自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかった。だから只黙っている。"

漱石は小説を二つに大別しているそうだ。「筋の推移で人の興味を惹く」か、「筋を問題にせず一つの事物の周囲に躊躇低徊する事によって人の興味を誘う小説」か。後者は、今の漫画アニメ界隈でいうところの日常系の味わいがある。僕は漱石の思想や文学性がギュッと凝集された名作よりも、好き勝手に俳味を堪能できる日常系が好きだ。そうはいってもこの日常系はなにしろ本気だ。厳密な日本語の運用により緊密な日常風景が描写されていく。この日常風景を三四郎の目で眺め、三四郎の足で踏み進んでいく感覚はたいへん心地いい。




36.錦繍[宮本輝][長編]

"うっとうしい梅雨の季節に入りました。いかがお過ごしでいらっしゃいましょうか。あなたから、もう二度と手紙など出してくれるなというお便りを頂いてからまだ二ヶ月しかたっておりませんのに、性懲りもなく再びペンを取ってしましました。"

過去に因縁をもった男女二人による手紙の応酬がそのまま小説にされている仕立て。いわゆる書簡体ですか。この二人それぞれの文章が実に読ませる。丁重な言葉遣いの節々に喧嘩腰の皮肉や痛罵や難詰が入り乱れ、独特の愛憎劇を演出している。電子通信が常になった現代の感覚ではもう叶わない感情の交換が描かれ、あぁなんだか羨ましいなとも思う。僕は小説に感動ドラマは全く求めていないけれども、この小説に限ってはストレートに胸打たれるところがある。人間の泥臭い部分が他者に晒されたときいかに滲んでいくものかを書かせたら宮本輝は天下一品。しかも筋立て自体も面白い。謎が自然に展開され自然にたたまれていく。この小説を誰がつまらないと投げるものだろう?




35.外套[ゴーゴリ][中編]【青空文庫

"この時以来、彼の生活そのものが、何かしらの充実してきた観があって、まるで結婚でもしたか、または誰かほかの人間が彼と一緒に暮らしてでもいるかして、今はもう独り身ではなく、誰か愉快な生活の伴侶が彼と人生の行路を共にすることを同意でもしたかととも思われた――しかも、その人生の伴侶とは、ふっくらと厚く綿を入れて、まだけっして着ずれのしていない丈夫な裏をつけた新調の外套にほかならなかった。"

この作品の主人公、アカーキイ・アカーキエヴィッチにほど肩入れさせられた小説はないかもしれない。哀れなような、応援したくなるような、かつは目を背けたくなるような、自分の泣きどころの一切が濃縮還元されたかのごとき情けない鏡像。どこにでもいるとるに足らない人間にだって、傍からどれだけつまらなく見えようとも、彼なりの生き方はある。そして、彼なりに、生きたところで。




34.きりぎりす[太宰治][短編]【青空文庫

"ああ、あなたは早く躓いたら、いいのだ。"

太宰の魅力の最たるは、私小説の告白文体にもまして、女性一人称による憑依にあると踏んでいる。複雑怪奇の人間模様を俯瞰の目線で立体化さすのは三島一流の手口だが、太宰は憑依の視線で一枚化させる。このとき女性視点を拝借することによって、語り手は一人称でありながら他者へと化け、二人称や三人称が書き手と同化しうる云々という読み方も可能だろうが、小難しいこと抜きにしても、彼の書く女性一人称は単にいい女だ。それを味わうだけでも十分。




33.美しい星[三島由紀夫][長編]

"彼は地球人の病的傾向をよく承知していた。民衆というものは、どこの国でも、まことに健全で、適度に新しがりで適度に古めかしく、吝嗇で情に脆く、危険や激情を警戒し、しんそこ生ぬるい空気が好きで、……しかもこれらの特質をのこらず保ちながら、そのまま狂気に陥るのだった。"

逆説のミルフィーユ。幾重にも折り重ねられた層のどこを切り取ってみても断面は錯視めいたホログラムとなって、安直な受け売りを許さない。問題提起に対する答えを明かさないのでなく、数多の答えを散弾してくるのだからお生憎だ。被弾した者からこの世の鑑別者の資格を失ってしまう。また一方で、ドラマの独特にはとことん胸躍る。人間でないとされる者たちの行動理念と彼らにまつわる因果律は、こちらの理解が及びきらない不確かな原理をちらつかせて、接近と退避を繰り返し、すっかり酔わせる心地がある。(読み終えた当時の感想より)




32.富嶽百景[太宰治][短編]【青空文庫

"素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかも知れない、と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、ほていさまの置物だっていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこか間違っている、これは違う、と再び思いまどうのである。"

太宰は人間に執着しすぎるあまり人間模様の活写ばかりが途方もなく得手という印象があったから、この小説を初めて読んだ時には、富士山および月見草へ向けられた眼力に驚いた。太宰節のよくきいた代表的な私小説ながら、これはすがすがしい、明るい太宰。吉本隆明が太宰を評して「優れた文学作品には、ここに書かれているのは私のことだと了解させ、同時に、これがわかるのは私だけだと思い込ませる力がある」といった文をどこかに書いていた。大いに同意する。しかし明るい太宰は別勘定。こんな自分と仲良くなりたいと思わせられるような、他の人にも認めてもらいたい理想的自分がそこに書かれている。




31.肉体の悪魔[レイモン・ラディゲ][長編]

"あまり彼女を、僕に都合のいい方向に導きすぎて、彼女をだんだん僕に似せてしまった。これは自責するに十分価することであり、故意に僕たちの幸福を破壊することだった。"

好きすぎて原題をメールアドレスに採用させてもらっている。青春的と呼ぶには悟りすぎているような、男女の関係を射抜く名言だらけで、それだけでも三島が絶大な影響を受けていたのもうなずける(固執は「ドルジェル伯爵」のほうに向けられていたようだけども)。原題は「悪事を冷酷に行える」といった意味となるらしい。どこか他人ごとのような、恋愛を憑りつかれたものとするような拠り所のなさが、古典的文体によく合っていた。


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