ヒルカニヤの虎



 そんなふうに思ったりするよ

覚醒剤というと決まって地元のヒーロー・中島らもを思い出す。
らもさんは覚醒剤だけは「下品で愚劣でセッティングに叙情がない」と異様に憎んでいたなあ。アマニタ・パンセリナは擦り切れるほど読んだのに、今になるとあまり委細が思い出せない。ヒロポンやハッシシのセッティングの美しさは語られていた気がするけど、そもそもシャブだろうがアルコールだろうがギャンブルだろうが、報酬系を介するすべての依存性刺激に貴賎なぞない。でも社会構造や個人との関係性のなかで意味や被害に差異が生まれるのなら、やっぱりまだ人文科学は必要なんだと思うよ。あとらもさんは酒を飲み続ける人間には教養がない、教養とは有り余る時間をもてあまさない技術だ、みたいなことを書いてた。それはほんとうにそう思う。言い換えると、教養とはおもしろがる(興がる)ことなんだね。おもしろくなるまで矯めつ眇めつ、しがんでると味が出てくる。でもおもしろがるにはまず肯定する=口の中に入れるだけの器がいる。否定するのはほとんどの場合、否定する側に力がないから否定しているのだと思う。肯定しておもしろがる達人はみうらさんだと思うんですけど、でもあの人酒癖悪くていとうさんによく見放されてるな。。

ゴリゴリ理系の人とどうでもいい思考実験ができるくらい仲良くなると、びっくりさせられることが多い。ものの考え方、発想の仕方がそもそも違うのだな。大学以上の文系友達はだいたい思考パターンが似通っているので、いくら話しても共感か反感にしか振れず、驚きにはならなかったりする。あと文系はとかく抽象化しがち。その結果よりも抽象化のプロセスが「快」なので、そこで立ち止まっていると社会的には何もないのと同じだと知った。
1日なにもない部屋に閉じ込められるとして、スマホも紙もペンもなし、寝るのも筋トレも禁止。さあどうする?とお友達と話していて、私はとりあえず脳内の整理をしたいなと思ったりした。SHERLOCKのマインドパレスみたいに、あるいはPCのデフラグみたいに。一番深い地層では文学が埃をかぶっていて、そのうえに社会学や民俗学や哲学が地滑りを起こしていて、そこらじゅうにお笑いやサブカルのあれこれがばらまかれていて、地表全体を生命科学が覆いつくしていて、もう自分でもわけがわからん。いろんなとこにまだ答えが出てない考え中の課題ポストイットを貼ってるんですけど、これだけでも1回整理したい。

2016年02月09日(火)
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